2023年09月12日

古事記転生



どこで見たのか忘れましたが、面白そうだと買った本です。
著者はYoutuberのサム(アライコウヨウ)さんです。Youtubeのチャンネルは、TOLAND VLOGで、神話系のYoutuberとして有名な方だそうです。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
ただしこの本は小説ですので、なるべくネタバレにならないよう引用を少なめにしたいと思います。

まずは物語のあらすじですが、主人公は著者と同じ名前のサム。兄と一緒にバーを経営しています。ある日、常連客のワタリさんにナイフで刺されて、そこから神話の世界に転生することになります。転生したのはナムチと呼ばれる神様。すぐにわかりますが、後の大国主命(オオクニヌシノミコト)です。
転生したサムは、ナムチそして大国主として生きる中で様々な気づきを得て成長していくのです。

この世界の大原則を一つ教えとくわ。それは、”自分で気づく”ってことやねん。どっかのすごい人に答えっぽいことを教えてもらってわかった気になってもな、ホンマは全く意味がないねん。自分が体感して、心から気づく。これしか次のステップに進む方法はないねん。そんで、そこをクリアしないと人生の中で何回も似たようなピンチが起こるんやで。」(p.43)

ナムチに転生したサムの頭の中で、タマちゃんと名付けた指導霊のような存在からの声が聞こえたのです。

「身近にある例でいうと、サムみたいに恋人からフラれるパターンが何回も続いたとするやんか?」
「おい、そのたとえ話やめろよ! 傷つくぞ!」
「酷な話やけど、毎回フラれるとか浮気されるってことは、サム自身にも何かしらの問題があるわけやん?
」(p.115)

これはまさにこの通りですね。私も、失恋という同じような体験を繰り返しましたから、よ〜くわかりますよ。(笑)


人々は当たり前のように自然に感謝し、自然を畏れ、自然の一部として生きている。必要以上のものは取らず、食べず、所有しない。
 人々は日々のコミュニケーションを楽しみ、食べ物や物資のやり取りを純粋なギブの精神で循環させている。
 病気や出産などで命を落とすことも多いが、死も一つのサイクルとして受け入れられている。
」(p.188)

それにしてもどうして、何一つとして現代人が知らないことばかりなんだろう?
 これだけ世界が豊かなことを知っていれば、日常の些細な比較で一喜一憂しなくても幸せに生きられるはずなのに……。日本人はいつ ”この感覚” を失ってしまったんだろう。
」(p.188)

大国主は、息子のスクナヒコと一緒に全国を回りながら、国造りとして人々に豊かに幸せに生きる術を教えていました。その当時の人々の様子を見ると、現代人のサムの視点からは、何もないように見えて実は非常に豊かだと思えるのですね。

目とは視点とも言い換えられます。目が一つしかない人は、人のいいところを一つしか見つけられない。例えば、頭がいいとか、家を建てるのが上手とか。頭がいいという目しか持っていない人は、自分の思う頭のいい人しか褒めないし、認めない。目が少ないと、その目に入る人しか褒めないし、認めないし、それ以外の人との交流を避けるようになります。それは心が貧しい証拠だから、目をたくさん増やせって教えてくれました。目が増えれば増えるほど、人のいいところがいっぱい見つかるから人生が豊かになるって」(p.191-192)

息子のスクナヒコは、父の大国主から教わったことだと言って、このようなことを話しました。
「豊か」か「貧しい」かということも、見方次第なのです。見方とは視点でもあるし、価値観とか価値基準とも言えます。どこに基準を置くかによって、同じ状況が「豊か」にもなれば「貧しい」にもなるのです。それが「相対的」ということですね。

視点が増えれば、どんな人を見てもすべての人の中に素晴らしいと言える点を探せるでしょう。人はそれぞれ「違う」だけであり、その「違い」をどの視点から眺めるかによって、それは「素晴らしい」とも言えるし、そうでないとも言えるのですから。

このようにしてサムは、様々な気づきを得ていきます。そして再び現代に戻ったサムは、今生の自分の課題と向き合うことになるのです。


書かれている内容は、実に本質的です。著者はいったいどんな人なのかと思ってYoutubeチャンネルを見ると、ほんとどこにでもいるような現代の若者なのですね。
最近は、こういう若者が増えてきているように思います。もう最初から悟っていると言うか、わかっちゃってるという感じの若者。だから私は、日本の未来は安泰だなぁと思うのです。

それに、この名前がいい。「アライコウヨウ」さんですか。この名前で私が反応したのは、タイ語の「アライコダーイ」や「アライコヨーム」に似ていたからです。
「アライコダーイ」は「何でもいい」という意味です。そして「アライコヨーム」は「何でも許す」という意味。どちらの言葉も、実に本質的だなぁと、改めて思います。そう思いませんか?

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:03 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2023年09月21日

死を力に。

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何を見て興味を持ったか忘れましたが、おそらく最近、SNSで発売を知って買った本ではないかと思います。
著者は、亡くなられた竹田和平さんの一番弟子と自称しておられる山本時嗣(やまもと・ときおみ)さんです。和平さんには他にもお弟子さんがおられて、Facebookでフォローしてたりするので、そういうところで縁があったのではないかと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。

この本は、
「死の恐怖」から解放されて
「死を力に」変えることで
「絶対幸福」を手に入れる本です。
」(p.2)

まず冒頭にこう書かれていました。
私も、「愛の対極が不安や恐れだが、その最たるものは「死の恐怖」だ」と考えています。なので、どうやって死の不安や恐れを乗り越えるかについて、あれこれ考えてきました。そういう意味でも、この本に興味が湧きました。


そんな中で、自分なりに20年以上、死についての研究を進め、理解と実体験を深めていった結果、ある結論に至ったのです。

 それは、人は死んでも意識は残るということ。

 また、大切な人の死は、強く生きる力に変えることができるということ。

 そして、亡くなった人は、残される側の人たちにたった一つの「願い」を遺しているということ。

 その願いとは、あなたが幸せであることです。
」(p.5-6)

私もいろいろ考えてきて、今はこの考え方に納得できますね。


あるとき、「お姉ちゃんたちは素晴らしい子だったから、仏さんのそばに行ったんだよ」とお坊さんに言われたことで、新たな疑問が湧いてきます。
「素晴らしい人はさらわれるの? 私はお姉ちゃんたちと違ってやんちゃな子だから取り残されたの?」
 自分が生きていることへの罪悪感が芽生えた瞬間です。
 ただ一人、高齢の住職さんだけは死への疑問に対し、「それはな〜ワシもわからんわ」と答えてくれました。このときが一番癒やされたのを覚えています。
」(p.30-31)

どちらの気持ちもわかります。お坊さんは、慰めたくてそう言ったんですよね。死を悲惨なものではなく、もっと肯定的に捉えてくれれば、心が安らぐと思ったからです。けれどもそれを聞いた側は、その裏側を見てしまう。そのために落ち込む。
ただ、何を言われたとしても、捉え方(見方)はいろいろあるなぁと思いますがね。どう言うのが正解、ではないのですよ。


和平さんは数多くの著作や講演でメッセージを残していますが、それらすべてに共通する「人生成功の奥義は何か?」と尋ねたとしたら、
「まろアップすればいいんだがね」
と答えてくれると思います。
 では、具体的に「まろアップ」するにはどうしたらいいのでしょうか。
 僕が和平さんに出逢った当時は、人生のドン底で苦しんでいるときでした。
 そんな僕の困窮話から、親父の死、うまくいかないパートナーシップの話まで苦しい心境を正直に吐き出すと、和平さんはこう教えてくれました。
「君は『ありがとう100万遍』をしたほうがいいがね」
 どういうことかというと、人生がうまくいかない人は「ありがとう」が圧倒的に足りていない。だから、「ありがとう」を1年間に100万回言うと、人生が自然にどんどん良くなるというのです。
」(p.80-81)

小林正観さんも同じようなことを言われてますね。ちなみに1日3千回ほど「ありがとう」を言うと、1年で100万回以上になるそうです。1日10時間ほど意識して言えるとすれば、1時間に300回、1分に5回ですね。正観さんは期限を区切らず5万回だったと思います。いずれにせよ、最初は気持ちを込めなくていいから「ありがとう」といい続けるという行(ぎょう)ですね。


では、僕たちが天へ意識を向けるには、具体的にどうすればいいのでしょうか?
 それは、大切な故人の幸せを想いながら「祈り」と「感謝」をするだけで充分。
 祈りと感謝で、僕たちの意識が瞬時に天とつながることによって、不安や苦しみ、絶望などさまざまなネガティブな感情を愛の意識で受け入れ、人生を肯定できるようになります。
」(p.138)

逆に言えば、何があろうとも人生を肯定し、愛を選択すればいいってことですよね。
山本さんもそうですが、出来事は悲惨なことだったり理不尽なことだったり、ネガティブに思えることが起こるのです。しかし、そこでどういう見方を選択するかは、その人の自由です。ですから自分で、自分にとって都合の良い見方、感謝したくなる見方、愛を感じる見方を選択すればいいのです。


もうそろそろ、神様と人間は同じ志を成し遂げるためのパートナーとして「フラットな関係性」で付き合ったほうがいいと思っています。
 なぜなら、神様意識で生きる人は、お互い相思相愛になって、神様の志や願いを肉体がある人間が代わりに叶えるという、持ちつ持たれつの間柄になれるからです。
」(p.177-178)

ここで言う神様とは、日本の神様で、いわゆる八百万の神々です。和平さんはえびす様をメンターとし、あるいは生まれ変わりと思って生きておられたのだとか。山本さんも、それを受け継いでいると言われています。
日本の神様は、だらしないところがあったり、失敗したりと、どこか憎めない親しみやすいものがありますからね。そういう意味では友だちになるのも容易だし、近づきやすい存在かもしれません。

私がおすすめする「神との対話」でも、そのシリーズに「神との友情」という本があるように、神と友情を結べるとあります。対等な関係なのです。ただこっちは一神教ですから、よりハードルが高いかもしれませんがね。
でも私は、そもそも神と我とは一体だという観点に立つなら、この世のことはすべて神との共同作業とも言えるわけで、そもそも神とは友だち関係であるという見方もあると思っています。


彼らは最期、家族と日本を守ることに少しでも役立ちたいという思いをもって、未来の日本の幸せを願い、自ら志願して逝ったことがわかりました。
 だからこそ、彼らが遺した最後の写真(遺影)は、みんな爽やかな笑顔なのです。あの笑顔は、僕たちの幸せな未来を願っての笑顔だと僕は信じます。
 英霊の想いを知って、僕は強く気づかされました。
「僕たちは幸せに生きなければいけないんだ。彼らが本当は生きたかったように、幸せに豊かに生きることが、僕たちの ”義務” なんだ」と。
」(p.198-199)

私も知覧へ行ったことがありますが、山本さんはこのように思われたそうです。
ただ私は、幸せに生きる義務があるとまでは思いません。「義務」という言葉は、何だか重くのしかかるんですよね。私たちは本来「自由」ですから、その自由な意思で、幸せや豊かさを選べばいいと思います。私は、もっと軽やかに生きることが大事だと思うのです。


これだけ読むと、「何を言っているんだ! 不謹慎な!」と思われるかもしれませんが、ここでお伝えしたい重要なことは、
「亡くなった肉親が、実は ”家系のカルマ” を、死をもってすべて解消してくれた」という可能性があり、そうとらえることができるということです。
」(p.200)

山本さんは、自殺や非業の死も、家系のカルマを解消することだから感謝できると言われます。
う〜ん、こう言っちゃうと重くなるし、矛盾が生じるんだよなぁ、というのが私の正直な感想です。だって、自殺でカルマを作るとも言ってるじゃありませんか。どっちなの? もし、正しく生きた人が理不尽に追い込まれて自殺すればカルマを解消できると言うなら、カルマの解消は自殺じゃなく、理不尽な目に遭っても正しく生きるってことじゃありませんかね? では、「正しく生きる」とはどういうことでしょう? 世間の言う「正しさ」に従うことですか? それとも、それに反しても自分の生き方を追求することですか?

まあ、考え方はいろいろあるので、家系のカルマを解消したんだと信じられて、それで気持ちが軽くなって感謝できるのなら、それでもいいのだろうと思います。でも、そうであれば重要なのは、自分の気持が軽くなる見方を選ぶことであり、何があろうとも感謝して生きるってことになりませんかね?


スピリチュアル的なことがまだよくわかっていない人にとっては、こういう山本さんのような言い方の方がわかりやすく腑に落ちやすいのかもしれませんね。そういう意味では、私も同感です。
ただ、今の私からすると、ちょっと物足りない。もっと本質に切り込んでほしいなぁと思ってしまいます。より本質的なメッセージを発する人が増えれば増えるほど、全体の意識が変わっていきやすくなるからです。

なので、まだ死が怖いと本気で怯えているような人、自殺したくなるようなうつ症状がたまにあるような人は、こういう本を読んだらいいんじゃないかと思います。


 
タグ:山本時嗣
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:01 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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