これもYoutubeの本の要約動画を観て、興味を持って買った本になります。
それにしても500ページもある分厚い本だとは思いませんでした。そしてこの本もけっこう冗長な書き方になっていると感じました。
前に読んだブルー・ゾーンは小説的な書き方で冗長だったのですが、この本はそこまでではないにしても、結論にはどうでもいい記述が多すぎます。もっと圧縮して書けば、半分くらいのページ数で書ける内容ではないかと思いました。
そんな冗長な書き方ではありますが、書かれている内容は、ものすごく考えさせられるものでした。
著者は2人いて、
デビッド・A・シンクレア氏と
マシュー・D・ラプラント氏。しかし、シンクレア氏の方が大きく太く書かれていて、ラプラント氏の方は小さい扱いです。どうやら研究者としての著者はシンクレア氏ですが、ラプラント氏は物書きのようで、シンクレア氏の語る内容を読者受けするように書き改めることをされたのではないかと思われます。日本だったら編集者とかゴーストライターがするような作業ですね。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「
ヴェラは「運転っていうのはこうやるのよ」といって、車線を全部またいで車をジグザグに走らせたり、カーラジオから流れる音楽に合わせて車にダンスを踊らせたりしてみせた。若さを楽しみなさい、若いという感覚を味わい尽くしなさい。それが祖母の口癖である。大人って奴らは、決まって物事を台無しにする。大きくなるんじゃないよ。絶対に大人になるんじゃない。
六十代を過ぎて70歳をゆうに超えても、ヴェラはいわゆる「気持ちの若い」女性だった。」(p.21)
シンクレア氏のお祖母様の話です。このように若々しかったお祖母様も、80代半ばには抜け殻のようになっており、最後の10年間は見るのもつらい状態だったそうです。
私も今、老人介護施設でそういうお年寄りの世話をしていますが、ただただ死を待つばかりの抜け殻のような人生に、いったい何の意味があるのだろうと思わざるを得ません。
「
しかし、平均寿命が上昇を続ける一方で、最大寿命のほうはそうなっていない。記録をひもとけば、100歳に達した人はいるし、それより何年か長く生きた人もいた。だが、110歳に届く人はごくわずかしかおらず、115歳を迎える人となると限りなくゼロに近い。」(p.34)
「
もう1つ考えないといけないのが、寿命を向上させることと、元気でいられる期間を長くすることは違うという点だ。私たちはその両方の実現を目指すべきである。痛みや病や、虚弱や体の不自由に苦しむことがすでに生活のすべてになっているのに、ただ死なさずにおくだけのために人生をさらに何十年も長引かせるのは、道義的にいって許されることではない。」(p.35)
私も共感するところですが、世間にはそう思わない人も大勢います。だから、寝たきりで意識があるかどうかもわからない人を、胃ろうなどで生きながらえさせている。それを望む家族もいるのです。
「
そもそも寿命の上限とは何だろうか。そんなものがあるとは思わない。私と同じ分野にいる研究者も多くが同じ意見である。老化は避けて通れないと定めた生物学の法則など存在しないのだ。」(p.36)
生きていれば老化し、いつかは亡くなるのが当たり前。疑いもせずそう信じていましたが、シンクレア氏は、科学的にはその見方は正しくないと言うのです。
「
20世紀の前半までは、生物は老いて死ぬのが「種のため」だとする見方が一般的だった。この考え方はアリストテレスにまで遡る(それより古くはないにせよ)。一見すると正しいように思えるし、人が集まってこの話題になればそういう説明をよく聞く。だがこれは完全な間違いだ。私たちが命を終えるのは、次の世代に道を譲るためなどではない。」(p.51)
「
限りがあるために、生物が進化していくと、まったく異なる2種類の生活様式のあいだのどこか中間に落ち着く。2種類とは、速いペースで子をつくって早く死ぬか、遅いペースで子をつくって丈夫で健康な体を長く維持するか、だ。その両方ともを成し遂げるには、単純にエネルギーが足りない。」(p.52)
「
利己的な遺伝子を伝えていくうえで現状の体の基本設計に不都合がなければ、自然選択の力は不死を選ぶ方向には働かない。だから個々の生物が永遠に生きることがないのである。そのうえ、すべての生物にとって資源は限られているため、もてるエネルギーを生殖と長寿のどちらかにだけ振り向けるようにしんかしてきた。」(p.53-54)
多くの生物は、比較的に早い段階で成熟し、生殖をして子孫を残そうとします。ただそうするとエネルギーを使い果たし、早く死ぬことになる。そういう理論があるようです。
「
老化細胞は、分裂能力を失ったにも関わらず死滅するのを拒んでいる。そのうえ、パニックシグナルを吐き散らして、周囲の細胞に炎症を引き起こす。この老化細胞を取り除くか、そもそも蓄積させないようにできれば、体の組織はもっと長いあいだ健全な状態を保てるはずだ。
テロメアの短縮や、タンパク質恒常性の低下や、ほかの典型的特徴についてもすべて同じことがいえる。一度に少しずつでいいからこれらを1つ1つ食い止められれば、人間の健康寿命を長くできる見込みが大きい。」(p.62)
老化細胞が慢性炎症を引き起こし、身体全体を老化させているということです。その結果、人は老い、死に至るのだとシンクレア氏は言います。
「
クローン技術が見事に証明している通り、私たちの細胞は若い頃のデジタル情報を高齢になっても保持している。若返るためには、傷を取り除く研磨剤を見つけさえすればいい。」(p.70)
つまり私たちの細胞の本来の姿はDNAによってデジタルなデータとして保持されており、その読み取りにおいて、CDに傷がついた時と同じように齟齬が生じていて、それによって老化という現象が生じているということなのです。
「
たとえば、ヒトの遺伝子の70%ほどは出芽酵母と同じだ。また、その遺伝子を使って酵母がしていることも、私たちと大きく変わるわけではない。人間も少なからずそうであるように、酵母細胞はたいてい2つのことのうちどちらかをしようとしている。食べようとしているか、生殖しようとしているかだ。いってみれば、つねに腹をすかせているか欲情しているかのどちらかというわけである。年をとると酵母は動きが鈍くなり、丸く太って、生殖能力も衰える。これもたいていの人間と一緒だ。ただし、人間がこの一連のプロセスを経るには何十年もかかるのに対し、酵母細胞は同じことを1週間で終える。だからこそ、老化の謎の解明に乗り出すうえで格好の出発点になってくれるのだ。」(p.82)
老化というのは、生物全般を通じて同じことが言えるとシンクレア氏は言います。だから、それをより短期間で見せてくれる酵母細胞を材料として実験することで、老化現象を解明できると言うのですね。
「
これを実感するには、片方はタバコを吸うが片方は吸わない一卵性双生児の写真を並べてみればいい。互いのDNAは依然としてほぼ同じでありながら、喫煙者のほうは目の下や下あごのたるみが大きく、目や口の周りのしわも多い。年齢は変わらなくても、明らかに早く老化している。一卵性双生児の研究からは、長寿に対する遺伝子の影響が10〜25%であることがわかっている。どう考えても、驚くほど低い数字というほかない。
DNAが私たちの運命を決めているわけではないのだ。」(p.93-94)
DNAによって老化や寿命が決まっているわけではない、というのが科学的な結論のようです。
「
こうした初期の成果に加え、その後10年かけて哺乳類の細胞を対象に実験と考察を重ねた結果、老化に関するまったく新しい理解が生まれた。それが「老化の情報理論」である。この理論で説明すると、一見ばらばらに思える老化の要因が矛盾なく並び立ち、1個の普遍的な生死のモデルへと統合される。それを大まかに表すと次のようになる。
若さ→DNAの損傷→ゲノムの不安定化→DNAの巻きつきと遺伝子調節(つまりエピゲノム)の混乱→細胞のアイデンティティの喪失→細胞の老化→病気→死」(p.99)
つまり、老化も死も必然的なものではなく、DNAの損傷を上手く修復することができないことから生じる現象だということです。
別の言い方をするなら、DNAの損傷を上手く修復できるようにしたなら、人(生物)は老化することもなく、死ぬこともない、ということなのです。
「
生物の老化について明らかになった数々のことはすべて、たった1つの重大な結論を指し示している。それは、老化は避けて通れないものなどではなく、「幅広い病理学的帰結を伴う疾患のプロセス」だということだ、と。こういう風に捉えると、がんも心臓病もアルツハイマー病も、一般に加齢と関連づけられるほかの色々な状態も、それら自体が病気なのではなく、もっと大きい何物かの個々の症状にすぎないことになる。
平たくいえば、そしてより一層思い切った言い方をするならこうなる−−老化そのものが1個の疾患なのだ。」(p.138)
これはかなり踏み込んだ主張だと感じました。つまり、老化という病気が進行しているのであると。
しかし、これはあり得ると思っています。お勧めしている
「神との対話」でも、人体は永遠に生きるように創られているとありました。まさかと思いましたが、本書を読むと、その可能性が十分にあるなぁと思えるのです。
「
一度倒れてしまったら、仮にそのときは立ち上がれても、再び転倒する確率はいや増すばかりだ。ハードルを1つ取り除いたところで、行く手の危うさが減るわけではない。だからこそ、個々の病気を治療するという現行の対処法ではうまく行かないのである。高額な医療費がかかるうえに、健康寿命を大幅に伸ばすうえではまったく役に立たない。私たちに必要なのは、ハードルをすべて取り払ってくれるような医療だ。」(p.155)
「
老化は1個の病気である。私はそう確信している。その病気は治療可能であり、私たちが生きているあいだに治せるようになると信じている。そうなれば、人間の健康に対する私たちの見方は根底からくつがえるだろう。」(p.160)
加齢によって、次々と押し寄せてくる様々な病気に対して、個々に対処していても切りがないのです。いずれ限界を迎えます。抜本的な解決策が必要です。それが、老化を防止するということなのですね。
「
私は約25年にわたって老化を研究し、何千本という科学論文を読んできた。そんな私にできるアドバイスが1つあるとすれば、「食事の量や回数を減らせ」である。長く健康を保ち、寿命を最大限に延ばしたいなら、それが今すぐ実行できて、しかも確実な方法だ。」(p.171)
少食が寿命を延ばすということは、これまで多くの実験でも明らかになっているし、ヒポクラテスに始まる多くの人々、日本では水野南北なども、同じことを言っています。
「
1978年には、100歳以上の住民が多いことで知られる沖縄で、生体エネルギーを研究する香田靖雄が1つの発見をした。沖縄の児童の摂取する総カロリー量が、本土の児童の3分の2に満たなかったのである。当時の沖縄では成人の総カロリー量も少なく、本土の成人より約20%も低かった。沖縄の人々は長生きするだけでなく、健康寿命もまた長いことに香田は気づく。しかも脳血管系疾患、悪性腫瘍、心臓病が非常に少なかった。」(p.175)
前に紹介した
「THE BLUE ZONES 2ND EDITION」でも沖縄の人々の食事のことが紹介されていました。たしかにそういうことがあったのかもしれません。
でも、そうであれば、飢えていた人々が暮らす地域ではみな長寿だったでしょうか? そういうこともふまえて結論を出さなければ、公正ではないと私は考えています。もちろん、1つの考え方としては尊重しますがね。
「
こうした地域を調査したり、自分の生活に断食を取り入れようと思って色々な研究結果を調べたりすると、1つ気づくことがある。継続的にカロリーを制限する方法はいくつもあり、その多くはいわゆる「間欠的断食」のかたちをとるということだ。つまり、絶えず空腹でいるわけではなく、一定の時間だけ体を飢えさせる。それによって、サバイバル回路を始動させるのである。」(p.184)
16時間断食や12時間断食、週末1日断食や半日断食など、間欠的断食法はたくさんありますね。胃腸を休ませる効果とか、空腹によってオートファジーを活性化させる効果があるとされています。
そうすると長寿のために重要なのは継続的な「飢え」ではなく、一時的な「飢え」が継続することになるかと。一言で言うなら「少食」ですね。それが難しいから「間欠的断食」になるのではないでしょうか。
「
アミノ酸を摂取しないと、私たちはかなり短期間で死ぬ。アミノ酸は有機化合物で、人体のあらゆるタンパク質を組み立てる材料だ。アミノ酸(とくに体内でつくり出せない9つの必須アミノ酸)がなければ、細胞は酵素を生成することができない。そしてこの酵素こそが生命に欠かせないものであり、生命活動の源となっている。」(p.185)
このようにタンパク質を摂取することの重要性を強調されていますが、一方で動物性タンパク質(肉類)の摂取には否定的です。
「
動物性タンパク質にマイナス面のあることは、ほとんど議論の余地がない。動物性に片寄った食生活を送っていると、心血管系疾患による死亡率とがんの発症率が共に高まることが数々の研究で報告されている。加工した赤身肉はとくにいけない。」(p.186)
このように言われるのですが、私にはまだ疑問があります。消化されてアミノ酸に分解された時、それが植物性由来なのか動物性由来なのかを識別できるのでしょうか? もし識別できないのだとすれば、どうして動物性タンパク質は身体に悪く、植物性なら良いという結果になるのでしょうか?
まだまだ解明されていないことが多々あるように感じます。
「
エネルギーの観点からいえば、嬉しいことに植物性タンパク質からでもすべてのアミノ酸を摂取できる。ただし、同じ重さで比べた場合、植物からでは概して摂り込める量が限られるのが玉にきずだ。
ところが、健康で長生きするという観点からすれば、それがかえって幸いする。というのも、体内でアミノ酸全般が欠乏していたり、どれか1つのアミノ酸が一時的に不足していたりする状態は、サバイバル回路を作動させるのにちょうどいいストレスになるからだ。」(p.186-187)
「
どれも生きるうえで欠くことのできないアミノ酸だとはいえ、たいていの人は少ない量でも間違いなく耐えられる。その量を抑えるには、一般に「良質の動物性タンパク質」とされる鶏肉や魚や卵を減らせばいい(ただし、身体がストレスを受けているときや怪我からの回復期を避けて行うのが得策だ)。」(p.188)
つまり、植物性たんぱく質だと何らかの不足が発生することがあるため、それが身体にとっては適度なストレスとなるわけですね。間欠的断食と同じ理屈です。
「
様々な運動習慣をもつ数千人の成人を対象に血液細胞のテロメアを調べた結果、1つの際立った相関関係が認められた。頻繁に運動する人ほど、テロメアが長かったのである。」(p.190)
「
長寿遺伝子がどのようにして働くかを考えればすべて合点が行く。つまり、原初のサバイバル回路を始動させることが肝心なのだ。サバイバルモードに入れと細胞に命じさせるには、なにも食物の摂取量を減らしたり、アミノ酸を摂りすぎないようにしたりするだけがすべてではない。そもそも運動とは、体にストレスを与えることにほかならない。運動をするとNADの濃度が上昇し、それが今度はサバイバルネットワークを作動させる。そのおかげでエネルギーの産生量が上がり、筋肉は酸素を運ぶ毛細血管をさらに増やすようになる。AMPK、mTOR、サーチュインといった長寿関連の物質は、カロリー摂取量にかかわらず運動によって正しい方向に調節される。そして新しい血管をつくらせ、心臓や肺を健康にし、体を丈夫にし、くだんのテロメアを長くするのだ。」(p.191)
「
すると、プラスの健康効果をもつ運動形態はいくつもあったが、健康を増進する遺伝子を一番多く活性化したのは「高強度インターバルトレーニング(HIIT)」だった。これを行うと、心拍数や呼吸数が著しく上昇する。高齢の被験者ほど、HIITによる活性化効果が多かった。」(p.192)
長寿の人々の特徴として、食事量が少なめで、肉類はあまり食べず、豆類や野菜類を多く食べるという食事の他、日常生活の中に適度な運動が取り入れられていることがあるそうです。
現代人はデスクワークが多く、日常生活の中で運動することが少ないのですが、何かしらの運動を習慣化することが重要だと言えそうです。
私も、毎朝、HIITを行っています。4分間ではなく、わずか2分間ですが。立ち仕事をしているので、それほど運動をしなくても、1日の運動量はけっこうあると思っています。
「
さらにいえば、少しばかり寒さを味わうことで、褐色脂肪のミトコンドリアを活性化させるのもいい。じつに単純なことだ。冬にTシャツ1枚で、ボストンのような街を早足で歩けばいい。褐色脂肪組織をつくるペースを上げるには、寒いなかで運動するととりわけ効果が高いようである。夜通し窓を1枚だけあけておいたり、眠るときに暑い毛布を使わなかったりするのも1つの手かもしれない。」(p.201)
身体に適度なストレスを与える方法としては、寒さに身を置くことがあるそうです。日本で暮らしていれば、たいてい経験できそうですね。
「
生命に終わりが訪れなければならないような法則は、生物学的、化学的、あるいは物理学的に調べても見当たらないのである。確かに、エピゲノムの情報が失われて無秩序へと至るわけだから、老化はエントロピーの増大といえなくもない。しかし、エントロピーが増大するのは、外部の環境と切り離された「閉じた系」の場合だ。生物は閉じた系ではない。必要不可欠な生体情報を保存でき、宇宙のどこかからエネルギーを摂り込める限り、生命は永遠に存続する可能性を秘めている。」(p.214)
最初の方でも書かれていましたが、論理的には死は必然ではないということですね。ただ、そういうことが現実になるには、まだまだいろいろなことの解明や、老化を防止する方法の開発など、いくつもの段階があるということのようです。
「
その後も何百件という研究結果が発表され、レスベラトロールが数十種類の病気(種々のがん、心臓病、脳卒中、心臓発作、神経変性、炎症性疾患、創傷治療など)に対して予防効果を発揮するほか、マウスの健康と回復力を全般的に高めることが報告されていった。私たちとデ・カーボとの共同研究では、レスベラトロールを間欠的断食と組み合わせると、断食のみでは達成できない長さまで平均寿命と最大寿命を共に延ばせることを発見した。」(p.233-234)
レスベラトロールという物質を摂取するとサーチュインを活性化させて寿命を延ばすことができるのだそうです。
「
NADはナイアシン(ビタミンB3)から生成される。これがひどく欠乏すると、皮膚炎、下痢、認知症、皮膚のただれなどが生じ、放置すれば死に至る。しかも、NADは体内で500種あまりの酵素に利用されているため、NADがなければ私たちは30秒と生きていられない。」(p.236)
「
十分な量のNADが存在しなければ、サーチュインはうまく仕事ができない。ヒストンからアセチル基も外せなければ、遺伝子も抑制できず、寿命も長くできない。レスベラトロールがサーチュインを活性化させて寿命を延ばせるのも、そのことに私たちが気づけたのも、NADがあればこそだったのである。」(p.236-237)
「
NAD増強分子は、マウスの様々な病気を治す効果をもつとともに、老年期に与えてもマウスの寿命を延ばすことができる。また最新の研究からは、NAD増強分子が人間に対しても似たような健康効果を(マウスとまったく同じでないにせよ)もたらすことができると強く示唆されている。」(p.241)
「
NRかNMNを入れた飲み物を動物に与えると、体内のNAD濃度はそれから2〜3時間で約25%上昇する。」(p.238-239)
このあたりの専門的な解説は、私には少し難しかったです。NAD(ニコチンアミドアデニンジヌクレオチド)は、長寿遺伝子のサーチュインを活性化する化合物の1つだそうです。
NR(ニコチンアミドリボシド)やNMN(ニコチンアミドモノヌクレオチド)は、NADの前駆体だそうで、これらを摂取すればNADが増えて、サーチュインを活性化させられるという理屈のようです。
「
老化の典型的特徴の1つが「老化細胞の蓄積」だったのを思い出してほしい。老化細胞とは、増殖するのを永久にやめてしまった細胞のことだ。
若いヒト細胞を培養すると、40〜60回ほど分裂したところでテロメアが致命的な短さになる。」(p.257-258)
「
テロメラーゼという酵素があればテロメアを伸ばすことができるのだが(この発見によってエリザベス・ブラックバーン、キャロル・グライダー、ジャック・ショスタクの3人が2009年のノーベル賞を受賞した)、細胞ががん化するのを防ぐために、幹細胞以外ではこの酵素のスイッチが切られている。」(p.258)
「
老化細胞はたとえ数が少なくても、広い範囲にダメージを及ぼしかねない。分裂をやめているとはいえ、サイトカインという小さなタンパク質を放出し続けて炎症を起こし、免疫細胞のマクロファージを引き寄せて組織を攻撃させるのだ。慢性的な炎症は体に良くない。多発性硬化症や炎症性腸疾患、あるいは乾癬にかかっている人に訊いてみたらわかるはずだ。こうした病気は、すべてサイトカインが多すぎるために引き起こされる。炎症はまた、心臓病、糖尿病、認知症の引き金にもなる。」(p.260)
「
キャンピージは、老化は三十代や四十代でがんにならないための巧妙な予防策として進化したのではないか、と主張している。老化細胞とは、要するに分裂しない細胞だ。つまり、遺伝子が変異を起こしても、細胞が増殖して腫瘍を形成することがない。」(p.261)
つまり、より長い時間を生きるには、老化するとしても若いうちにがん化しない方が有利だ、ということですね。
「
そう、老化を克服する解決策には「細胞のリプログラミング」というやり方もあるのだ。いわば細胞のプログラムを初期化して、ウォディントンの「地形」を最初の状態に戻すことである。たとえば、一部のクラゲは体を切り刻まれてもそこからポリプを再生し、そのポリプが新たに何匹もクラゲを産む。それと同じようなものだ。」(p.272)
「
ドリーが誕生すると、クローニングは危険だとして世間で議論が過熱した。この議論のせいで、一番肝心な点がかすんでしまった。何かというと、老いたDNAであっても、再び若くなるための情報を保持しているということである。」(p.275)
「
山中が突き止めたものは、ガードンの実験でオタマジャクシを生むことができたリセットのスイッチだ。つまり、生物の世界における「訂正装置」だと私は考えている。
この種のリセット・スイッチを用いれば、人の細胞を培養皿で初期化できるだけでなく、全身のエピゲノムの「地形」を初期状態に戻すことができるはずだ。」(p.279)
クローンによって新たな生命を誕生させられる。それが羊のドリーでした。
また山中伸弥教授は、成熟細胞をiPS細胞(人工多能性幹細胞)に変える方法を発見しました。これによって老いた細胞からであっても、クローン技術によって若い生命を生み出すことができる、という可能性が見えてきたのです。
「
どう控えめにいっても未来は面白くなりそうである。最も治しにくいものを治し、最も再生困難な体細胞を再生できるのなら、再生できる細胞の種類に限りはないのかもしれない。そう、損傷したばかりの脊髄を修復できるのはもちろん、老化によってダメージの加わった体組織なら何でも元に戻せることになる。肝臓、腎臓、心臓から脳に至るまで、対象から外れるものは1つもない。」(p.291)
自分の体の一部の細胞を培養し、若い臓器を作り、その臓器を移植するなら、内臓はいつまでも若々しくいられる。そんな未来が来るのでしょうか?
「
細胞のリプログラミングは社会に大きな影響を及ぼすおそれがあるため、この技術を巡る倫理問題については早いうちに議論を始めたほうがいい。実用化されてからでは遅すぎる。」(p.292)
選ばれた者だけが永遠の命を持つことは良いことか、悪いことか? そもそも、人が人工的に永遠に生きることは倫理的にどうなのか? 様々な問題がありそうです。
「
「自分の遺伝子を知る」ことで、のちにどんな病気にかかりやすいかが明らかになり、長生きするためにどんな予防策を講じればいいかもわかる。新しい千年紀が幕をあけてからというもの、私たちはそうした話をよく耳にしてきた。確かにその通りである。だがこれは、現在進行中のDNA解析革命のほんの一部にすぎない。」(p.302-303)
「
バイオテクノロジーが1つ前進するたびに、こうした未来が急速に近づく。自分の体をリアルタイムでモニターするなど、前の世代には想像もつかなかったことだ。しかし、いずれは生きるうえで欠かせないものになっていくだろう。」(p.316)
シンクレア氏は、DNAの詳細な解析やリアルタイムのバイオモニターなどによって、私たちの身体は常に健康な状態が保たれるようになると言います。
「
将来的には、私たちの体の一部を必要としたとき、自分自身の幹細胞を使って印刷するようになる可能性が高い。幹細胞は、そうした場合に備えて予め採取し、保存しておく。もしくは、血液や口腔粘膜から採った細胞をリプログラミングして、それを用いることも考えられる。」(p.341)
自分の細胞で自分の臓器を育て、いざという時にそれを移植する方法なら、臓器移植待ちなどという問題もなくなるわけですね。
「
DNAをモニターすることで、医師は病気が顕在化するずっと前に気づけるようになる。がんについても、何年も早い段階から見つけて闘うことができる。感染症にかかったら、その正体はものの数分で突き止められる。心拍に乱れがあれば、車の座席が知らせてくれる。呼気を分析すれば、免疫疾患を発症しつつあることがわかる。キーボードの打ち方からは、パーキンソン病や多発性硬化症が早期に発見できる。」(p.346)
あらゆるモニタリングが動員されて、その情報が医師に届けば、ただちに的確な診断ができ、未病のうちに対処できるようになる。そんな未来が来るとシンクレア氏は予想しています。
「
答えは113歳である。こういった変革を拒む人が大多数を占めたりしない限り、それが控えめに見積もった未来の平均寿命だ。「平均」というからには、人口の半分はその数字を上回ることを意味する。」(p.348)
あと20〜30年後には、私たちの平均寿命は113歳になる。シンクレア氏はそう予言します。
「
今現在、地球に暮らしている人のほとんどは、100歳まで届くのを十分に期待していい。120歳は今のところ寿命の上限とされているが、開発中のテクノロジーが実を結べば、多くの人がその年齢まで、しかも健康な状態で到達する可能性がある。さらには、エピゲノムのリプログラミングが真価を発揮するか、細胞に若いままでいてもらう別の方法を誰かが思いつくかすれば、今一緒に生きている仲間のなかから150歳に達する者が現れてもおかしくはない。最終的には、生物学的な上限の存在しない段階に入る。特定の年齢で死なねばならないと定めた法則など存在しないのだ。」(p.392)
100歳まで生きられるような気はしていますが、それが120歳となり、150歳となるには、それなりの時間が必要でしょう。けれども、すべての記録が破られていくように、長寿の記録も必ず破られていくと思います。
「
健康寿命が増加すれば、七十代や八十代の大勢の高齢者が再び働き始め、ずっとやりたかった仕事についたり、若いとき以上に稼いだりするようになる。あるいは私の父のように、地域社会に役立つ仕事をしながら孫の子育てを手伝うのもいいだろう。」(p.409)
「
健康寿命が延びたときに社会がどんな恩恵を受けるかを考えるとき、この側面が注目されることはほとんどないかもしれない。しかし、これこそが最も大きなメリットとなる可能性を秘めている。時間が刻々と過ぎていくのがそれほど怖くなくなれば、ことによると私たちは急ぐのをやめ、深呼吸するようになるのではないか。私たちは目先のことに動じないサマリア人になれるのではないか。」(p.412)
健康寿命が伸びれば、もっとゆったりとおおらかに、自由に生きられるようになる。不安や怖れに突き動かされて何かをするのではなく、安心して愛ある生き方ができるようになる。
このチャンスを逃しても、まだこれからたくさんチャンスがあると思えば、通りすがりの人を助けようとする。善きサマリア人のように。それこそが、高齢社会の大きなメリットだとシンクレア氏は言いますが、私も同感です。
「
老化は病気だ。しかも、ただの病気ではない。あらゆる病気の母であり、私たちの誰もがその魔手から逃れられない。」(p.423)
このフレーズがシンプルでわかりやすいですね。
「
私が思うに、健康な状態なしに生だけを引き延ばそうとするのは、断じて許しがたい罪である。」(p.443)
私も同感です。ただ生かされているだけの人を老人介護施設で働きながら見ていますが、私には家族のエゴとしか思えません。
「
遺伝子組み換え作物は「不自然な」植物だとして、世間の風当たりが強い。そう批判する人の多くは気づいていないようだが、私たちが「自然」だとする食物の大部分は、じつはすでにかなりの遺伝子操作を施されている。」(p.447)
「
2016年、アメリカの科学アカデミー(NAS)は遺伝子組み換え作物に関する包括的な報告書を発表した。そのなかで指摘したのは、地球温暖化によって伝統的な農作物が育ちにくくなれば、人の手で遺伝子改変を施した植物がない限り、増え続ける地球の人口に食料を供給することができないということである。そして、遺伝子組み換え作物は、人が食べても環境にとっても安全だというNASの立場を改めて強調した。」(p.447)
「
WHOも、アメリカ科学振興協会も、アメリカ医師会も同様の見解だ。WHOの言葉を借りるなら、「一般大衆がその種の食料を摂取しても、人の健康に何ら影響のないことが示されている」のである。」(p.448)
「
ユニセフ(国連児童基金)によると、ビタミンA含有量の多い安全な作物を貧しい家庭で食べられるようになれば、年間最大200万人の命を救うことができる。ビタミンAの補給プログラムは今も実施されてはいるが、必要とされるほどの効果をあげていない。」(p.448)
「
2016年、ノーベル賞受賞者100人あまりが公開書簡に署名し、遺伝子組み換え作物を承認するよう各国政府に要求した。「世界中で貧しい人々がどれだけ命を落とせば、これを『人道に対する罪』とみなしてくれるのですか」。書簡はそう訴えていた。」(p.448)
遺伝子組換えについて、様々な意見があります。私はまだ、どちらとも決めかねています。絶対に安全かと言われれば、そうとも言い切れない。
でも、これまで長い時間をかけて遺伝子組換えした植物などが、私たちの食卓にはのぼってきます。それを平然と「自然のもの」だと勘違いして食べていることもまた事実です。
ただ、WHOでも安全性が認められているということからすると、これが壮大な人体実験になるとしても、受け入れていかなければならないのではないか、とも思うのです。それによって貧しい人たちの命が救われるのであれば、必ずしも悪いことではないのではないかと。
「
私の妻は数日おきに老人ホームを訪れている。あなたも同じように1日そこで過ごしてみるといい。物を噛めない人に食事をさせ、お尻を拭き、スポンジで体を洗ってやる。自分がどこにいるのか、自分が何者なのか、なかなか思い出せない人たちをじっと見守る。1日を終えたら、きっとあなたもこう感じてくれるはずだ−−自分がああやって衰えていくのを避けるためなら、できることは何でもしようと考えるのが当然だ。そうしないのは怠惰であり、残酷であるとしかいいようがない、と。」(p.472)
シンクレア氏はこう言って、たとえ倫理的に問題があると思われるような手法(遺伝子組み換えなど)を使ってでも老化を防ごうとする気持ちを正当化します。
私自身、老人介護施設で働いていることもあり、ああはなりたくないなと思うこともあります。けれども、死を避けたいという執着心はほとんどありません。
なので、シンクレア氏の気持ちに全面的に賛同するわけではありません。けれども、多くの人に死への不安がある限り、健康長寿のための科学技術はどんどん進歩していくことでしょう。
いつかSF映画であるような、死なない人々、細胞の1つからでも再生される人々が出てくるのかもしれない。
それは怖いようでもあり、また見てみたいと興味が湧いてくることでもある。そんな気持ちになっています。