2022年12月01日
医者が教える非まじめ老後のすすめ
これも本の要約をしている動画で紹介されていた本になります。
著者は大塚宣夫(おおつか・のぶお)医師。1942年生まれですから、現在は82歳くらいでしょうか。そういう老齢期を迎えておられる方が、多くの老齢患者を診る中で、「非まじめ」な生き方を提言されているのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「元来がまじめな我々世代は、「不まじめ」というと、単にまじめでないという印象で道徳的に抵抗がある方が多いのではないでしょうか。ですが、「非まじめ」とは”まじめに非ず”。ちょっとだけ手を抜いてまじめをやめてみる、老後に向けて意思をもってまじめをやめようよ、ということです。」(p.3)
「わがままに好き勝手に、不良老人として生きるには、それなりに覚悟が必要です。といっても、これまで横並びで生きてきた身に、いきなり「不良になれ」と言われても困るでしょうから、せいぜい不まじめ、もう少し抑えて「非まじめ」に。これならどうでしょう?」(p.25-26)
真面目な生き方が染み付いている人に、不良になれとか非行に走れと言っても無理なことです。かえってストレスになります。
ですが、まじめに生き続けることもまたストレスですし、適度に力を抜く生き方をしてはどうかと大塚医師は言うのです。それが「非まじめ」です。
たとえば、風呂に入るのは3日に1度でいい、というのも非まじめな生き方だと言います。私が勤める施設の介護浴は、1週間に2回ですから、十分に非まじめですね。(機械浴は1週間に1回です。)
けれども、昔はそれが普通でした。夏場の汗をかく頃は別として、冬なら風呂は3日に1回でしたよ。なので、毎日風呂に入らなければならない、という価値観を疑ってみる意義はあると思います。
「一方で、歳をとると、億劫なことやできないことが増えてくる。これは私自身もそうですし、実感される方が多いと思います。ですが、これも考え方を変えれば、「今日がいちばん能力が高い日」とも言えるのです。
明日になれば、今日にくらべて体力も気力も落ちていく。ということは、今日が最良の日。」(p.5-6)
「となれば、今すぐ、したいことをやりませんか。3年後にとか、長生きしたらとかではなく、「今」です。我々老人にとっては、今が一番元気なときなのですから。」(p.6)
これも1つの考え方ですね。たしかに、段々と歳をとって老化していくのですから、できることができなくなっていくのです。そうであれば、今が最もあれこれできる時なのです。
「だったらまず「したくないことはやらない。やめてしまう」からやってみる。これ、どうですか? こっちのほうが案外、簡単だと思いませんか?」(p.30)
今やりたいことをやれ、と言われても、何をやったらいいのかわからない、ということもあるでしょう。そういう人は、まずはやりたくないことをやめる、ということから始めてはどうかと大塚医師は言います。
たしかに、自由になるためには、まずはこれからだと思います。義務とか世間体とか、他人から指示されてとか、少なくとも自分が「やりたくないなぁ」と感じていることはやめてみたらいいんですよ。
「不得手なことに貴重な時間とエネルギーを費やすほど馬鹿げたことはありません。やりたいことを優先し、それでも余力があったらやる、程度に考えると気が楽です。」(p.47)
断捨離が良いと言われても、それが苦手だと感じるならやらなくていい。たしかに、そういうように考えれば、ストレスはなくなりますね。
「バランスのいい食事が長生きを保障するのかというと、そうでもない気がします。確かに、若いとき、あるいは60代くらいまでは、食生活に気をつけることは、その先の健康な体を保つために有効です。でも、75歳を過ぎても同じことがいえるかというとかなり疑問です。食べたいものを我慢してコレステロールを下げようとか体重をなんとかしようと気をつけたところで、その効果が出るとしても5年、10年先。私としては、食べたいものを我慢するストレスのほうが健康に悪い気がします。」(p.55)
「歳をとれば、食生活はもっと自由でいい。食べたいものを食べたいときに食べたいだけ食べればいいんです。」(p.56)
老化が止められない以上、遅かれ早かれ全員が死にます。その時期が数年早いか遅いかなんて、どれだけの意味があるのでしょう?
私はそう考えるので、大塚医師の言うように、75歳を過ぎたなら、食べたいものを食べたいだけ食べていいと思います。もちろん、その時点の体型に不満があって、もっと痩せたいとか思っているなら別ですがね。
「そもそも、夫と妻では、考えていることや望んでいることに大きな隔たりがあります。それが表面化せずにすんでいるのは、ひとえに、夫が働いて家を留守にし、夫婦の接触時間が少ないからなのです。」(p.76)
これは私も共感します。妻の実家へ移住し、四六時中、妻と一緒で逃げられない生活をしてやっと、私のイライラの原因は妻と一緒にい続けなければならない状況にあったとわかりましたから。まあ、妻も同じように感じていたかもしれません。お互い様ですね。
だから、適度に離れた方がいいんですよ。夫婦だからいつも一緒で仲良くなんて、それが楽しい人がやればいいだけであって、万人に当てはまることじゃありませんから。
「かといって、75歳を過ぎてあわてて筋トレを始めても、残念ながらさほど効果はありません。若いときにはやったらやっただけついた筋肉ですが、年齢とともに男性ホルモンや成長ホルモンの分泌が減るため、鍛えてもその効果はどんどん出にくくなるからです。」(p.105)
いくら年をとっても、筋肉は鍛えられるという話がありますが、大塚医師はまっこうからそれを否定します。まあこれも、程度の問題なのでしょうね。
それでも動かさなければ衰えていくのが筋肉なので、過度な期待はせずに適度に運動をしながら、筋力を保つ努力は必要かと思います。自分自身の快適さのためにね。
「予定があるということは、とりあえずその日、その時間はそこへ行かなければいけませんからね。体がなんといおうと、必要とされている責任感のほうが勝ります。歳をとってからは、気力に体力を引っ張らせることが肝心なのです。」(p.113)
「ただし、ここでもやっぱり無理は禁物です。当日になって体調がよくなかったり気分がすぐれなかったり、何より、やりたい、行きたいという気持ちがまったくないようであれば無理しなくていい。ドタキャンしてもいいんです。」(p.115)
大塚医師は、誘いは断るなと言います。とりあえず受けると決めて、スケジュールに入れておく。そうすることで、億劫さに抗って、出かけることができるからです。歳をとってから重要なのは、「キョウイク(今日行く(ところ))」と「キョウヨウ(今日(の)用)」があることだと言いますから。
けれども、年をとったらドタキャンは当たり前と心得ておくことが重要だと言います。身体にも精神にも、無理をさせないことが大前提。それこそが「非まじめ」なのです。
「多少、判断力が鈍くても足腰が悪くても、自分が動かないと一日の生活が成り立たない−−そんな環境こそ、高齢者にとって一見酷なようでいて、実はもっとも老化防止に役立ち、認知症の進行を防ぐ効果があると私は考えています。
他人に気兼ねせず、自分のペースで暮らすことができるだけで、自分のもてる力を全部出し切ることができます。ですから、高齢者がギリギリまでひとり暮らし、あるいはふたり暮らしを続けることは、ご本人にとってもいいことづくめだと思っているのです。」(p.134)
私も同感です。一人暮らしは寂しくはないし、むしろ快適だと言えます。そして、自分でやらなければ行きていけないと思うからこそ、健康が維持しやすいのです。
一人暮らしが快適だということは、以前に紹介した「老後はひとり暮らしが幸せ」や「続・老後はひとり暮らしが幸せ」でも書かれていましたね。
「年金生活で切り詰めて、それまで貯めた貯金はすべて子どもや孫に残すという発想ではなく、働いてお金を稼ぎ、貯金は自分たちの楽しみのために使う。日本の高齢者がみんなこの発想になったら、もっと日本は活気づくと思います。」(p.151)
これも同感です。生涯現役と言いますが、その覚悟をすることで健康を維持しやすくなります。どんなに年をとっても、「今」を楽しむことが大切ですね。
「感謝の気持ちは、言葉(ありがとう)と態度(お金)できっちり示す。やってもらって当たり前と思う気持ちを捨てる。親子、家族、身内であっても同じことです。その心持ちひとつで、人間関係は驚くほど円滑になります。」(p.163)
大塚医師は、ポチ袋に500円とか1000円とか入れて持ち歩き、何かしてもらったらサッとそれを渡し、「ありがとう」と言葉を添えるのがいいと言います。
まあ、そこまで徹底してやるかどうかは別として、何か感動したらおひねりのようなつもりでチップを渡すという習慣は、悪くないなぁと思っています。
「最大の敵は、お互いの甘えです。どんなに仲がよい親子でも、親子であるがゆえに難しい。けれども、それが他人だったら受け入れられます。なぜなら、自分の親でなければ、崩れゆく姿も淡々と受け入れられ、割り切りもできる。だからこそ私は、介護には他人を絡ませることをおすすめしています。絶対に、第三者というワンクッションを入れたほうがいいのです。」(p.174)
「知識、経験、技術があるプロの手にかかると非常にスムーズです。家族による介護は、する側もされる側もお互い負担が大きいことを知っておいてください。」(p.175)
私も今、老人介護施設で働いているので、このことはよくわかります。介護を嫁の仕事とする時代は過ぎました。老人介護は、社会が担う問題になっているし、そうした方がみんなに恩恵があるのです。
「ヨーロッパの施設では、高齢者に口から食べてもらう、飲んでもらうことに重きがおかれていて、噛む力や飲み込む力が低下した人でも食べやすく、食欲をそそるように食事が工夫されていました。さらに、職員が食べ物を口に運び、飲み込むまで時間をかけて介助していました。
そのようにしても、口に入れた食べ物や飲み物を本人が自分の力で飲み込めなくなったら、それ以上のことはしないという説明でした。つまり、日本で普通に行われている点滴や、経鼻管栄養での延命処置はしないということでした。」(p.194-195)
自分の力で飲み食いできなくなったら、それが生きる限界だというヨーロッパの考え方に、私も賛同します。胃ろうで生きながらえさせられてるだけのお年寄りを見ていると、虐待しているかのように感じます。もういい加減に死なせてあげたらいいのに・・・。そう思ってしまうのです。
「起きないことを心配するより、もっと気楽に「今」を楽しみましょう。「非まじめ老後」とはそういう生き方です。そう考えたら、あれこれ思い煩うことなく、楽しく穏やかな老後を過ごせると思うのです。」(p.206)
もう先は短いのだからと達観できれば、逆に「今」を楽しんで生きられますよね。他人の価値観や義務などに縛られず、今の自分がこうありたいと思う心のあり方で生きる。そういう生き方ができたら、老後こそが幸せなのではないでしょうか。
お気楽で幸せな時間を堂々と過ごせるのが老後というもの。そのような考え方もありだなと思わせてくれる「非まじめ老後」。私もこれを目指したいですね。
2022年12月06日
もっと言ってはいけない
「言ってはいけない」という本の紹介をYoutube動画で見て、興味を持ちました。本を探してみると、すでに続編が出ている様子。なので、その続編となる本書を買ってみました。
著者は橘玲(たちばな・あきら)氏。科学者なのかと思ったら、作家さんなのですね。知りませんでした。
読み始めた時点では、紹介されていた内容をすっかり忘れていました。本の内容と言うか、動画の内容ですね。
何を「言ってはいけない」のかということが、読み始めてやっとわかりました。つまり、努力でどうにかなるのではなく、科学的(統計的)には遺伝で決まっていることが明らかだ、ということを「言ってはいけない」ということのようです。
遺伝で決まるという話は以前、「生まれが9割の世界をどう生きるか」という本を紹介しましたが、そちらでも語られていました。
そこですでに遺伝で多くのことが決まるとわかっていたのですが、あえて本書を買おうと思った理由は何だったのか? 思い出せないままに、読み始めました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「知能は遺伝する、精神疾患は遺伝する、犯罪は遺伝する……と話すと、ほとんどのひとから「ほんとうかもしれないけどそんな本はぜったいに出せない」「そんなことを書いたらたいへんなことになる」と警告された。だが実際には、『言ってはいけない』を読んだ方からは、「救われた」「ほっとした」との多くの感想が寄せられた。
「遺伝決定論」を批判するひとたちは、どのような困難も本人の努力や親の子育て、あるいは周囲の大人たちの善意で乗り越えていけるはずだとの頑強な信念をもっている。そしてこの美しい物語を否定する者を、「差別主義者」のレッテルを貼って葬り去ろうとする。」(p.3-4)
「日本のメディアではいまだにこれは「言ってはいけない」ことにされているが、欧米では一般読者向けの啓蒙書にも「統合失調症は遺伝的な影響を強く受けている」とふつうに書いてあるし、それが差別かどうかの議論にもなっていない。遺伝の影響をいっさい認めない日本の現状が異常だ。」(p.5)
まえがきにこのように書いてありました。つまり、知能レベルも精神疾患も、遺伝でほとんどが決まっているという研究結果は、日本の社会においては不都合な真実だということですね。
日本人の多くは、努力によってどうにでもなるというドラマが好きなのです。しかし、そうなると、子どもが非行に走ったら親の子育てが悪いからだという短絡的な因果論が正当化される。でも、それはどうにもならなかったと感じている本人や親などを責めて、苦しめることにもなるのです。
「この結果をわかりやすくいうと、次のようになる。
@日本人のおよそ3分の1は日本語が読めない。
A日本人の3分の1以上が小学校3〜4年生の数的思考力しかない。
Bパソコンを使った基本的な仕事ができる日本人は1割以下しかいない。
C65歳以下の日本の労働力人口のうち、3人に1人がそもそもパソコンを使えない。」(p.23-24)
「しかし、驚きはこれにとどまらない。こんな悲惨な成績なのに、日本はOECDに加盟する先進諸国のなかで、ほぼすべての分野で1位なのだ。だとすれば、他の国はいったいどうなっているのだろうか。」(p.24)
プロローグで、PIAAC(ピアック)というOECDの成人に対する読解力、数的思考力、ITを活用した問題解決能力のスキル習熟度の2013年の調査結果を取り上げて、このように橘氏は解説しています。
つまり、事実を述べることと差別することは違うということを言いたいようですね。たとえば「日本人」という1つのグループの中にも、様々な人がいます。日本語が読める人もいれば、読めない人もいる。読めると自分では思っていても、計測してみれば「読めない」という分類になる人もいる。それが事実です。
その割合がどれだけかということと、一人ひとりがどうかということは、また別のことです。1人の人の能力を取り上げて、「やっぱり日本人は・・・」とレッテルを貼ることは偏見であり、差別になるでしょう。しかし、日本人というグループの傾向がこうだという統計的な事実そのものは重視すべきであり、差別とは違うということなのです。
それにしても、この結果には驚きました。しかし、よくよく考えると納得できます。たしかに、「さっきからそう言ってるじゃないの!」と言いたくなることが多々あります。言葉を聞いても、内容を理解してくれないのです。老人介護の職場では申し送り簿でコミュニケーションを図ろうとしますが、伝わらないことが多いですね。
そして、若い人でもPCを使えない人が多い。おそらく今の職場でまともにPCが使えるのは、私を含めて2〜3人しかいないのではないかと。
そう考えてみると、私はけっこう知的なスキルが高いんじゃないかと思えてきました。もちろん、だから「優れている」わけではないことは、本書の最後にも書かれていますけどね。
「世界を「俺たち(善)」と「奴ら(悪)」に分割し、善悪二元論で理解しようとするのは、それがいちばんわかりやすいからだ。古代ギリシアの叙情詩からハリウッド映画まで、人類はえんえんと善が悪を征伐する物語を紡いできた。
世界を複雑なものとして受け入れることや、自分が「悪」で相手が「善」かもしれない可能性を疑うことは、この単純な世界観をはげしく動揺させる。それは、陳腐で平板な世界でしか生きられないひとたちにとってものすごく不安なことなのだろう。」(p.36-37)
私もよく指摘しますが、勧善懲悪という視点からは、本当の姿が見えてこないのです。正義はそれぞれの人にあるのであって、単純に善悪、正邪で割り切れはしません。
そして橘氏が指摘するように、そうやって相手を悪として糾弾したがるのは、その人に不安(恐れ)があるからなのです。
「それは(男に対する)性的魅力をつくる役割を担っているのだ。だからこそ、ゲイ遺伝子をもつ男性は同性愛者になり、同じ遺伝子をもつ女性は周囲の男性にもてることでたくさんの子どもを産む。これを差し引きすれば、平均的な(たいしてもてない)男女よりも効率的に遺伝子を複製できるのだ。」(p.52)
「だが現代の遺伝学は、同性愛が「生産性」が低いのではなく、「魅力的な男性と女性」を生み出す合理的な進化のメカニズムであることを着々と証明しつつある。」(p.53)
同性愛者(特にゲイ)の結婚を、「生産性が低い」という理由で認めるべきでないと主張する人がいます。しかし遺伝学的に言うと、性的指向(ゲイなど)の遺伝子というものがあって、それがあるから先天的にゲイであることが決まっていることになるのだそうです。
では、なぜそんな生産性のない遺伝子が駆逐されずに残っているのか? この疑問を、ゲイの男性の姉妹には多産が多いという統計的事実から紐解きます。
つまり、この遺伝子は、男性をゲイにする可能性があるが、一方で女性を多産にしている。これはゲイにする遺伝子というより、「男性からモテる遺伝子」ではないかと推測するのですね。男性からモテる女性なら、多産になることはあるでしょう。そして男性からモテる男性ならゲイです。
したがって、この遺伝子を受け継いだ男女の兄弟は、男性の一部がゲイになって生産性はゼロになるかもしれないけれども、それ以外の兄弟が平均以上に子孫を残すことで、全体としては子孫が増える、つまり生産性が高まるということになるのです。
この話を読んだ時、かっこちゃんこと山元加津子さんの「1/4の奇跡」という本を思い出しました。
この本では、1/4の子どもは障害を持って生まれるけれど、そのお陰で残りの3/4の子どもはマラリアで死なない遺伝子があるという話がされていました。つまり、障害者の子どもは、残りの子どもを救うために、あえて障害を引き受けて生まれてきたのだと。
同じことが言えるのだとすれば、先天的にゲイであることを運命づけられた男性は、他の兄弟姉妹によって人類の子孫を反映させるために、あえてその役割を引き受けたとも言えるのではないでしょうか。
もちろん、これが真実かどうかは何とも言えません。1つの考え方に過ぎません。しかし、その可能性はあるということです。
「分子遺伝学者は、他の人類から分かれアフリカにはじめて登場したサピエンスの人数を6000人から1万人ほどと推計しており、もっとも大胆な予測ではわずか700人だ。このきわめて小さな集団が共通祖先なのだから、人種のちがいにかかわらず私たちは遺伝的にとてもよく似ている。」(p.119)
「ヒトゲノム計画によって全人類の遺伝子が99.9%は同じで、ヒトには、別の集団にはない遺伝子をもつ特別な集団は存在せず、集団間よりも集団内の方が遺伝的多様性が大きいことが明らかになった。ヒトの種内の遺伝的多様性は、チンパンジーやゴリラ、オランウータンより圧倒的に小さいこともわかっている。生まれた場所や肌の色がちがっても、私たちはお互いにとてもよく似ている。」(p.126)
たしかに人種による見た目の違いはあるし、個人間の違い(個性)もありますが、ゴリラなど他の種族との違いに比べれば大したことではない。特にヒトという種族の中の遺伝的な多様性は小さいということですね。
ここで言う「集団」とは、白人とか黒人、アングロサクソンやモンゴロイドみたいな集団でしょう。その集団内の遺伝的な多様性の方が、他の集団との違いよりも大きいということのようです。
「認知心理学では、政治的にリベラルなひとは保守的なひとに比べて知能が高いことが繰り返し確認されている。子どものときの知能で成人後の政治的立場を予測できるとか、政治的立場はある程度生得的に決まっているとの研究もある。これについては別の本で詳述したので繰り返さないが、リベラルと保守を分けるのは言語的知能と新規なものへの好みにある。
言語的知能が低いと(いわゆる口べただと)、世界を脅威として感じるようになる。なんらかのトラブルに巻き込まれたときに、自分の行動を相手にうまく説明できないからだ。」(p.173)
これは面白い視点ですね。日本ではよく「全共闘かぶれ」と言ったりしますが、流行りの学生運動にうつつを抜かしてまっとうな就職ができなかった人たちが、当時はまだメジャーではなかったメディア関連に就職したので、今のメディアはリベラル派が多いという分析があります。この説明よりも、そもそも大学に進学するほど知能が高いからリベラルになるという説明の方が、説得力があるように思います。
もちろん今では、大卒だから知能が高いとは言えません。大卒の相対的な知能の優位は、日本ではすでに低下してしまっていますから。
けれども、知能が高ければ知的な好奇心も旺盛で、新奇なものを検討したり、取り入れようという気持ちも大きいと思います。だからリベラルですね。
一方の保守は、新奇なものに対する恐れ(不安)が根底にあります。検討した上での保守ではなく、検討すらしたくないから保守なのです。
なお、保守=右、リベラル=左ではないと私は考えています。私自身はリベラル(自由主義)ですが、左派の考え方には同意できないことが多いですから。
「もうおわかりのように、これはドミニカの日本人移民と同じ話だ。東南アジア社会で生き延びなくてはならなかった極貧の中国人の子どもたちは、現地の友だち集団のなかで優位なものをなにももっていなかった−−唯一、東アジア系の高い知能を除いては。
そんな子どもたちが、生き延びるために、遺伝的なわずかなちがいに自らの可能性のすべてを賭けた。そう考えれば、数世代で巨大財閥をつくりあげたとしても不思議ではないだろう。」(p.187-188)
本書には各国別のIQ一覧(p.137-139)が載っています。イギリスの認知心理学者リチャード・リン氏の「Race Differences In Intelligence(知能における人種的ちがい)」という著書からの引用だそうです。各国で行われた知能テストのデータを収集したりしてまとめたものだとか。
これを見ると実に興味深いのですが、IQ100以上となっているのは、ほとんどが白人国家です。特にヨーロッパの北部。アメリカは白人国家ですが、有色人種も多いため、平均的に下がっていますが、白人だけのデータだと高くなるようです。
それに比べると、黒人国家のIQは有意に低いことが示されています。環境の要因も考えられますが、遺伝的な側面があることは間違いないという話でした。
そしてなお驚くべきは、東アジアの国は総じて100以上という高レベルなのです。なぜなのか明確な理由はわかりませんが、中国も韓国も日本も、すべて100以上です。
このことから、IQが低い集団の中にいる一部の高いメンバーは、他の面で不利だとしても、いや不利だからこそ、その高い知能を生かした生存戦略を取ると考えられるのです。
それが、戦後、南米への移民で苦労した日本人入植者の子孫が、現地で高い社会的地位に就いていることが多いという現実に現れていると言うのですね。
そしてこのことから、東南アジアの華僑が総じて裕福であったり、社会的に高い地位に就いていたりすることが説明できると言います。そして、なぜそういう華僑が韓国や日本にはいないのかということも説明できるのです。つまり、知能レベルの優位性が生じないからですね。
「すべてのメンバーが「大量破壊兵器」を手にした共同体で、自分の身を守りつつヒエラルキーを昇っていこうとすれば、徒党を組むことが不可欠だ。いまの政治と同じで、旧石器時代でもリーダーはもっとも大きな派閥から選ばれたはずだ。利害の異なる相手と手を結び、権力集団を維持・拡大していくためには高度な言語能力と政治的知能が必要になる。これが、人類が大きな脳を必要とし、言葉を獲得した理由ではないだろうか。」(p.209)
身体的な優位よりも知能的な優位の方が勝るようになったのは、当時では「大量破壊兵器」とも言える「石器」を手にしたからだと橘氏は言います。つまり石器があれば、不意をつくことで屈強なリーダーを殺すことが可能になったのです。
猿の集団のリーダーは、体躯が優っていることが必須です。挑戦してくるオスを力ずくでねじ伏せなければなりませんから。しかしもし猿が武器を手にするようになれば、リーダーの資質も違ってくるでしょう。
「狩猟採集生活では獲得した獲物はその場で食べるか、仲間と平等に分けるしかなかったが、貯蔵できる穀物は「所有」の概念を生み出し、自分の財産を管理するための数学的能力や、紛争を解決するための言語的能力が重視されるようになった。
その一方で、狩猟採集社会では有用だった勇敢さや獰猛(どうもう)さといった気質が人口稠密(ちょうみつ)な集住社会(ムラ社会)では嫌われるようになった。」(p.212)
そういう社会になってくると乱暴者は排除され、協調性が重視されるようになります。したがって、協調性のある知的な遺伝子が生存に優位となり、残ってきたということですね。
「これはきわめて危うい論理だが、視点を変えれば、ヨーロッパ系や東アジア系はムラ社会のなかで、それぞれの仕方で自らを「家畜化」してきたのに対し、アフリカ人やアボリジニは「家畜化」されていないということでもある。白人をダックスフント、アジア人をチワワとするならば、彼らはドーベルマンやシェパードなのだ。
チワワやダックスフントがドーベルマンより優れているとはいえないように、”家畜化という進化”を経た人種を家畜化されていない人種よりも優秀だとする根拠はない。」(p.213)
「家畜化」というのは、人間が狼を犬に変えたようなもので、わずかな期間(数世代)でその種の遺伝子を人間に従順なものに変えていけるということが証明されているそうです。
そして、人間は自らを家畜化してきた。それが石器の発見であり、続く農耕社会によるものだったと言うのですね。
したがって、自己家畜化した民族(人種)と、いまだ家畜化されていない民族との間に、遺伝的な知能の差があることは当然だと考えられるのです。そして、それがどちらが優れているかという問題ではなく、現代社会に適応しているかどうかという問題なのです。
「認知スキルと同様に性格スキルの形成にも幼年期がもっとも重要だが、性格スキルは10代以降でも伸ばせるので、青年時の矯正は性格スキルに集中すべきだというのだ。」(p.216)
「心理学では人格の「ビッグ・ファイブ」を開放性、真面目さ、外向性、協調性、精神的安定性としている。これらの性格と仕事の成果(業績)の関係をみると、すべての仕事においてもっとも影響が大きいのは真面目さで、次いで外向性、精神的安定性となっている。「真面目で明るく、落ち着いている」ひとは、どんな職場でも信頼されるのだ(図表8)。」(p.216-217)
「協調性については、日米で際立ったちがいが観察されている。日本の場合、男性では年間所得と協調性が正の相関関係なのに対し、アメリカでは男性、女性ともに負の相関関係になっているのだ。
これをわかりやすく解釈すると、アメリカでは協調性がない=個性的なほうが高い所得を得られるが、日本の会社は個性を押し殺して滅私奉公しなければ出世できず、しかもこの努力が報われるのは男だけで、女性社員がいくら組織に協調(奉公)してもムダ、ということになる。」(p.217−218)
アメリカで暮らす東アジア系の人が、比較的に高い所得を得ている理由を、遺伝的に解明してみると、知的で真面目で内向的だから、リーダーにはなれなくても専門職として高い賃金を獲得できているということのようです。
「図表9を見ればわかるように、とりわけ日本人はLL型保有者が4%と世界でもっとも少なく、SS型の保有者は65.3%と世界でもっとも多い。日本人の96%がS型の保有者であり、3人に2人がSS型でセロトニン発現量が少なく、不安感や抑うつ傾向が強い。これが、うつを日本の「風土病」にしているのかもしれない。−−同様の傾向は中国や韓国も同じで、ここからいずれの国でもうつ病や自殺が大きな社会問題になっていることが説明できるだろう。」(p.222-223)
つまり東アジア系は、遺伝的に不安感が強い傾向があるのですね。それが真面目で内向的で几帳面で責任感が強く、周囲の目を気にして協調性があるというような特質になっているようです。
「SS型がストレスによって抑うつ状態になりやすい脆弱性をもっていることは、数々の実験で確かめられている。ところがそのSS型が、もっとも楽観的だった。なぜこのような矛盾した結果が出るのだろうか。」(p.225)
「セロトニン運搬遺伝子の発現量が低い「悲観的な脳」の持ち主は、ネガティブな画像と同様にポジティブな画像にも敏感に反応したのだ。」(p.226)
「ここから、なぜL型の遺伝子からS型が現れたのかも説明できる。それは農耕社会のなかで、閉鎖的な共同体の親密でストレスフルな人間関係(高コンテクストな文化)にうまく適応するのに役立ったからだ。これが(いち早く農耕文明に移行した)東アジア系にS型の遺伝子が多く、アフリカ系にL型遺伝子が多く残っている理由だろう。ポジティブなことにもネガティブなことにも感じやすくなるよう進化することで、相手の気持ちを素早く忖度できるようになり、狩猟採集生活ではあり得なかった人口稠密な共同体を維持することが可能になったのだ。」(p.228-229)
つまり東アジア系は、労働集約的な稲作文化が発達したので人口が増え、人口過密社会を作ることが生存のために最適だったので、そういう社会に適応した遺伝子を獲得していったのです。
日本は他の先進諸国に比べて人口密度が非常に高くなっています。そういう社会においては、いちいち言葉で相手の考えを確認し合わずに「察する」という能力が重要になってくるのですね。
「人類の第一の「革命」は石器の発明で、「誰もが誰もを殺せる社会」で生き延びるために自己家畜化が始まった。第二の「革命」は農耕の開始で、ムラ社会に適応できない遺伝子が淘汰されてさらに自己家畜化が進んだ。第三の「革命」が科学とテクノロジーだが、ヒトの遺伝子は、わずか10世代程度では知識社会化がもたらす巨大な変化にとうてい適応できない。ここに、現代社会が抱える問題が集約されているのだろう。」(p.240-241)
今は遺伝子的に考えても、大きな変革の時代と言えるようです。
人の人生は遺伝子によってほぼ決まっている、ということが本書で言わんとするところですが、どんな遺伝子だから幸せとは言えない、ということもまた言えることです。高い知能によって高い収入や社会的な地位を得たからと言って、必ずしもその人が幸せではありません。
そういうことを知った上で、私たちは与えられた遺伝子を前提に、どう生きていくかを考えていくべきなのでしょうね。
本書では、ユダヤ人が世界の金融を牛耳っているのも、おそらくその中核をなすグループの遺伝子が、知能が高いのだろうと言っています。ユダヤ人と言ってもいろいろ系統があるので、全体で計測すると凡庸なものになってしまうようです。これは、アメリカ人の知能レベルが凡庸なのと同様ですね。
それにしても、東アジアと東南アジアでこれほどの知能レベルの違いがあるということに驚きました。これはある意味で、環境が遺伝を創っているとも言えますね。揚子江流域で始まった稲作が、東アジア人の知能を高くしていったのですから。
それに対して稲作が遅れた東南アジアや南アジアでは、知能レベルが高くなっていない。しかしそれも、時代が進めばまた変化していくのかもしれません。
そして、知能レベルが高いから優れているとか、幸せだということでもないのです。だから、知能レベルが高いのは遺伝による恩恵だと思って、その恩恵を生かす生き方を自分が選択することが重要ではないかと思いました。
2022年12月13日
いま、目の前にいる人が大切な人
「日本講演新聞」の社説で、編集長の水谷謹人さんが紹介されていた本を読みました。著者は「北の菩薩」と呼ばれる坪崎美佐緒(つぼさき・みさお)さんです。
セミナーや企業研修の業界ではカリスマ的存在である大久保寛司(おおくぼ・かんじ)さんが絶賛されておられたのだとか。本書は、その大久保さんがプロデュースされた形になっています。
それにしても「北の菩薩」とは大げさな。どれほどのものかと半信半疑ながら、興味を持って読み始めました。
しかし、最初からガツンと来ました。泣きました。ボロボロ泣きました。涙を拭くのに、ティッシュでは足りないほど。タオルが必要だと思いました。
それほど感動したのです。何に感動したのか? それは坪崎さんの、相手をありのままに受け入れ、その価値を認め、心底大事にしたいという思いです。
そんなことは頭ではわかっていても、坪崎さんの話を読むと、私にはまったくできていなかったなぁと思うのです。それなのに坪崎さんは、それが自然にできてしまう。
これはもう人間じゃない、菩薩でしょう。そう感じるほどなのです。ぜひこの本を読んで、その感動を味わってほしいと思いました。
年に50〜60冊は本を読む私ですが、この本は今年一番のオススメだと言って過言ではありません。ぜひ読んでみてください。
と、先に結論を書きました。以下、重要だなと感じた部分を引用したいと思います。
「幸せになるために大切なことは、実は、人や物や事への観方・考え方・捉え方が鍵であるということです。
幸せになる人は、幸せになる観方・考え方・捉え方を、幸せでない人は、幸せにならない観方・考え方・捉え方をしている。
そして、どの視点から観るかは、すべて自分で決めているのです。」(p.3)
これは大久保さんの文です。「坪崎さんの本 作成委員会 委員長」という肩書で、「はじめに」を書かれています。
まさにおっしゃる通りですね。幸せは自分が決めているのです。
「幸せな人は幸せになる生き方をしている。
美佐緒さんの生き様を見ていて気がついたことです。
私が71歳の時です。」(p.5)
大久保さんがどれほど坪崎さんに心酔しておられるかがわかりますね。
「職場の皆さんには、「パートしながら仕事をしては?」とすすめていただき大変有り難かったのですが、コーチの仕事がなくてもなんとかなると甘えてしまう弱い自分がいることを知っていたので、「退路を断つ」ことに決めました。」(p.9)
コーチングを知って、これが自分の生きる道だと感じた坪崎さんは、学歴も実績もないままに、個人事業主として生きていこうと決めたのでした。それが2011年4月のことだそうです。
「しかし現実は、全く仕事がありませんでした。
焦る気持ちはあるけれど、「仕事がない」「仕事がない」と泣いている人にコーチをお願いしたい人はいないと思い、どん底の時ほど笑顔で元気にしていました。」(p.10)
そんな時に、コーチとして起業する人を支援する会社からメールが届き、坪崎さんは勇気を出して申し込み、面接を受けました。
すると、最初は歓迎してくれていた担当者が、坪崎さんの履歴書を見るなり態度を変え、学歴も実績もないのに申し込んできたことに腹を立てて坪崎さんを責めたのです。
考えてみれば当然かもしれない。学歴も実績もないのに、コーチングを依頼する企業なんてあるわけがない。客観的にはそう思えても、坪崎さんにはやめられない理由がありました。
「でも…でも…、私みたいな人っていないのかな?世間にはいっぱいいるんじゃないかな?
もしも私みたいな何にもない人が
夢をもって諦めずに続けて
夢を叶えて誰かの役に立てたなら。
私のように、何にもなくて諦めようと思っている人の力になれるかもしれない!
こんな私でもできるなら、「私も、できるかもしれない」って思ってくれるかもしれない!!」(p.18-19)
誰かの役に立ちたい。それが坪崎さんを突き動かす思いでした。
「子どもも大人も見えていることが全てではないですし、子どもが何かをしてしまう時には、必ず理由があると思っていました。美奈ちゃんにも、ちゃんと理由がありました。
この本当の理由をわかってあげられる人になりたい、当時から、そしていまでも、私が願っていることです。」(p.46)
小さい頃からの夢は保育士になること。そのためには大卒の資格が必要。しかし家の事情で坪崎さんは、進学を断念しました。その代わり、3日間だけ保育士実習ができる高校を選び、その3日間で保育士補助として充実した体験をされたのです。
寂しいけれども我慢しなくてはならないと自制していた美奈ちゃん。その心の葛藤が、優しい坪崎さんを叩くという行為として現れる。坪崎さんは美奈ちゃんをたしなめるのではなく、心に寄り添うことで素直な心を引き出したのです。それによって、美奈ちゃんが変わり、クラスメイトが変わり、お母さんまで変わりました。感動し、自ら変わったのです。
それを引き起こしたのが、坪崎さんの「必ず理由がある」という大前提だと思いました。
「真野さんが他の人と楽しそうに話しているのを見かけると、私も真野さんを笑顔にしたいなと思いました。」(p.64)
「真野さんのお客様への接し方や商品の扱い方、お店に来た営業マンの方との接し方を見ていると、仕事熱心な人であること、知識が豊富であること、誠実な仕事をしていることがわかり、心の中で尊敬するようになりました。」(p.64)
高卒後に最初に勤めた薬局では、お局様のような真野さんからなぜか冷たくあしらわれ、いびりのような仕打ちを受けます。それは坪崎さんのことが気に入らないというより、坪崎さんを紹介した人が気に入らなかったからです。だから1週間で辞めさせてやると言って、坪崎さんに嫌がらせをしていたのでした。
そのことを知った坪崎さんは、自分が原因じゃないことがわかって喜びます。そして、真野さんが喜ぶような仕事をしていれば、いつか必ず受け入れてくれると信じて頑張るのです。
そんな理不尽なことをされた時、ふつうはそうは思えませんよね。恨んだり、仕返しをしてやろうとか、鼻を明かしてやろうと思ったりするでしょう。けれども坪崎さんは、心から真野さんを尊敬し、慕っているのです。
「厳しく睨(にら)まれるので、最初、真野さんといる時は緊張していましたが、いつの間にか心から真野さんと仲良くなりたいと思っていました。」(p.64-65)
高卒の若者が、どうしてこうも達観できるのでしょうか? これが自然とできてしまう坪崎さんの資質が素晴らしいと思うのです。
こうして数ヶ月後には真野さんから受け入れてもらえ、信頼の絆で結ばれることになりました。
「でも、あの日、あなたはずっと私の話を聴いてくれた。一生懸命に聴いてくれた。本当に嬉しかったの。あの日から今日までずっと、あなたは私の話に耳を傾けてくれた。あなたに会えて本当に良かった。」(p.80)
仕事ができる真野さんでも苦手とした客を、坪崎さんは1回の接客で大ファンにしてしまいました。その秘訣は「傾聴」です。相手を否定せず、自分の考えを押し付けず、ただ寄り添って耳を傾ける。ただそれだけで、いや、ただそれだけに徹するからこそ、相手に満足感を与えることができたのです。
ふと思い出したのですが、似たようなことをした女性がいました。こちらは架空の人物ですが、「少女パレアナ」という小説の主人公、パレアナです。
彼女も、自分に冷たく当たる人々を、最終的には味方にしていったのです。否定せずに受け入れ続けることによって。
「私がニコニコしてお願いしていると、
「ヘラヘラして、マジきもいんですけど」数人の男女からドッと笑いが起こりました。
「それでは、くじ引きの席に移動お願いしまーす」
あえて何もなかったかのように、私はニコニコしていました。」(p.118)
「最初はほとんどの方が私の言葉に耳を貸してくれませんでした。
それでも私は、この方たちならきっとわかってくれるはず、と、皆で楽しく授業をしている様子が目に浮かんで、その日が来るのを楽しみにしていました。」(p.118)
坪崎さんがコーチングで起業して得た最初の大きな仕事は、求職者支援訓練の研修だったそうです。その研修での出来事ですが、いきなり受講者から小馬鹿にされています。
それなのに坪崎さんは、相手を責めることや自分の不遇を嘆くことをせずに、相手の本質は素晴らしいものだということを信じ切っています。どうしてそんな信念が持てるのでしょうか? そこが坪崎さんのすごい点だと思います。
「私は昔から人の良いところにしか目が行かなくて、その良いところを素直に伝えると、「そんなことない」と謙遜から受け取ってもらえないか、「お世辞言って、何か裏があるの?」と疑われることが多かったので、伝えることをやめてしまっていました。
ところがコーチングなら伝えることが仕事なので、その人にその人の良いところを伝えられる!しかも、私が教えられるものは何もないけれど、一人ひとりには素晴らしい輝きや力があるとずーっと感じていたので、私にとってこんな理想的な仕事はありませんでした。」(p.129)
相手の良いところが自然と目につく。坪崎さんの天性の才能ですね。そして、それを伝えられるコーチングは天職だと感じている。だから強固な使命感も持てるのでしょう。
「普段だったらネガティヴなことを言われても、「どうしてそう思うのかな?」とその気持ちを知りたいと思えるのに、その時の私はそんなふうには思えませんでした。
「どうしたら、その誤解がとけて、私の気持ちをわかってもらえるのだろう?」と自分のことばかり考えていました。」(p.131)
「夫がわかってくれないと思っていましたが、実は、わかっていないのは私でした。
わかってほしいなら、まず私が夫の気持ちを理解しよう。
夫の嫌がることはやめようと心に誓いました。」(p.132)
ご主人から紹介されて興味を持ったコーチングでしたが、坪崎さんがのめり込む一方で、ご主人は嫌悪するようになっていったそうです。そんな中で坪崎さんがコーチングで起業すると言い出したから、ご主人は大反対。理解してくれないご主人に対して、坪崎さんは不満をいだいたようです。
そして、まさに離婚の危機というところまで行って、やっと気づいたのだそうです。自分がご主人の想いを理解しようとしていなかったのだと。
そして、そういうことはコーチングの勉強を始めた頃にもあったようです。それは幼なじみの相談に対しても、ついコーチングの手法で質問を浴びせた時、会話が弾まず、気まずくなってしまったことでした。
「私はいつの頃からか、コーチングはしようとしていたけれど、目の前の人の話には耳を傾けていなかったのです。
なんて質問しよう?
どう質問したら答えが出るだろう?
そんなことに気を取られ、目の前の人の言葉や、言葉の奥にある想いには心を寄せていませんでした。」(p.137-138)
「その日から、「コーチングする」という考えをやめました。
自分が関わることで相手が変わることを目的にするのをやめました。
それよりも、以前のように相手の想いや考えを知りたいという気持ちで丁寧に話を聴こうと心に決めました。」(p.138)
その体験からも、テクニックで相手を変えようとすることが間違っていると気づかれたのですね。
変わるかどうかを決めるのは相手自身です。相手は相手にとって最善の方向へ進みます。それを信頼して相手に任せ、相手が相手らしく勇気を出して前進できるよう寄り添ってサポートする。それがコーチングの本質だと思います。
しかし驚くべきは、その本質を坪崎さんは元々持っていたということです。坪崎さんの本来の姿に立ち返るために、その本質をしっかりとつかみ取るために、こういう失敗の経験が必要だったのだろうと思います。
「「自分がどうありたいか」に目を向けると、自分がどう関わるかを考えるので、目の前の子どもを変えようとは考えなくなります。つまり、相手を変えようと思っている矢印が、自分自身に向かい、自分ができることに取り組むようになっていくのです。
そうすると「子どもが何も変わらない、子どもが…」という辛い気持ちも楽になっていきます。」(p.143)
子どもから信頼される存在でありたい。親なら、こう思うものではないでしょうか? 問うべきは、そういう自分のあり方なのですね。
そういう自分であるためには、目の前の子どもに対してどう関わるのがいいのか? 自分の望み通りの子どもに変えさせようという考えとは、ベクトルがまったく違うのです。
そして、そのように考え方を変えることによって、自分の苦しみがなくなります。他人(子ども)を変えようとする無理なことから解放されるからです。
「彼の言葉を聞きながら、こんな気持ちなのに、よくここまで来てくれたと思うと胸が熱くなりました。
こんなふうに嫌がる彼をここまで頑張って連れて来たお母さんの気持ちを思うとさらに胸が熱くなります。
だから、もうここにいてくれるだけで十分だと思いました。」(p.160)
不登校の息子を持つ母親が、その理由がわからなくて苦しんでいました。それで坪崎さんに会ってもらうことにしたのです。
無理矢理、母親に連れてこられた息子は、最初から反抗的な態度です。絶対に心を開かないと決意しており、それを隠しもせずに口にしています。
その時の坪崎さんの本心が、引用したとおりなのだと思います。ふつう、そんなふうに思えますか? 私にはできません。少なくとも今の私には。でも坪崎さんは、自然とこれができているのですね。
ですから、その思いから言葉が出てきます。テクニックではなく、本心なのです。「無理して話さなくてもいいからね」と。
これをテクニックで言っても、彼の心には響かないと思います。本心でそう思い、彼に寄り添うからこそ、彼が変わっていくのです。
「ただ、私は颯太君があまりにも自分のことを責めて、これからも人生を楽しんではいけないと思いこんでいることが気になりました。
亡くなったお父さんはそんなことを望んではいません。
でも、その言葉をそのまま颯太君に伝えるとかえって彼を苦しめてしまう。
どうしたら、気づいてくれるんだろう…。
颯太君自身で自分がしあわせになることが、亡くなったお父さんが喜ぶことに気づいてほしいと思いました。」(p.165)
彼が不登校になったのは、父親が死んだのは、うるさいことばかり言う父親のことを「死んでしまえ!」と呪ったからだと思い、それで自分を責めていたからです。自分が好きな学校へ行って、自分だけ楽しんでいてはいけないのだと。
坪崎さんは、彼がどうしていると父親が喜ぶか、という視点を与えます。天国の父親は、自分がどうしていることを喜んでくれるだろうか? この視点が、彼を救うことになったのです。
「なのに、ほんの少しのやり取りで、相手は素直に自分のことを話してくれるようになります。どんな言葉をどんなタイミングで話すかも大切ですが、やはり美佐緒さんのまとっている空気というか雰囲気が本質だということです。」(p.190)
坪崎さんのことを絶賛されている大久保さんの評です。テクニックではなく、本質なのです。ふだん、どう考えているのか、どういう信念で生きているのか。問われるのはそこなのですね。
「不快な思いをさせていることを心から申し訳なく思いました。
だからこそ少しでもお客様の気持ちを知りたいと思いました。
そして、本当によくぞ話してくださったという気持ちでお話を聴いていました。」(p.194)
「お客様の電話での耳の痛い言葉は、一見クレームに見えてしまうけれど、むしろお客様は言いにくいことを教えてくれています。本当に有り難い存在だと私は感じていました。クレーム担当と言われた時は驚きましたが、一生懸命にお客様の声を聴けるように頑張ろうと思いました。」(p.195)
パートで勤めていた会社で、クレーム担当に任命されたことがあったそうです。それにしても、こういう思いが自然と湧いてくるのが坪崎さんなのですね。
「私が少しでも(早く終わらないかな)とか(嫌だな)と思っていると、父のイライラの時間は長引きます。
でも、(これで少しは楽になるといいな)という気持ちで聴いていると、早くスッキリしてくれました。
表面的には同じように聞いていても、心の中は相手に伝わるんだということを幼い頃から感じていました。
だから毎回、一生懸命に聴きました。」(p.205)
一家の大黒柱だったお父様はおそらく脳梗塞で倒れられて、半身不随の不甲斐なさからイライラされることが多かったそうです。そこで坪崎さんは、お父様の辛い気持ちを聞いて差し上げるという役を買って出られたのですね。
その経験から、表面的なテクニックでは通用しないことを学ばれたのでしょう。しかし、これが小学校6年生の経験だというから驚きます。天は坪崎さんを菩薩とすべく、鍛えられたのかもしれません。
「私はみずきさんの背中をさすりながら、
「みずきちゃんはね、息子ちゃんを守ったのよ。本当によく頑張りましたね。みずきちゃんは息子ちゃんが大きくなった時に、自分がどんな子だって思ってほしい?可哀想な子って思ってほしい?」
「違います!息子には、自分は愛されて必要とされていると思ってほしいです」
「みずきちゃんはどんな時、必要とされてると思うの?」
「誰かの役に立ったときです。
「そうよね。人の役に立った時って嬉しいですよね。じゃあ、息子ちゃんに『ありがとう』って伝えるのはどうかしら?出ていく時は、お留守番してくれてありがとう。帰ったら、お留守番してくれてありがとう。お留守番してくれていたから安心してお仕事できた、○○ちゃんのおかげだよ。ありがとうって。ごめんねをありがとうに変えてみたら?」」(p.214)
DVが息子にまで及んだことで離婚を決意したみずきさん。しかし、息子を置いて仕事へ出かけなければならないことで、かまってあげられないことに罪悪感を感じていました。
その後ろめたさが息子さんにも伝わって、息子さんはぐずってばかりいたのです。それを見たみずきさんは、なおさら罪悪感を感じ、苦しんでいたのですね。
「そんな私も、いまでは、沈黙は怖くありません。それどころか、沈黙が時に大切なものであり、沈黙の中で安心していられるのは、「信頼」があるからだとわかるようになりました。
コーチングに出合い、目の前の人が沈黙の時は、自分自身の奥にある思いに向き合っている大切な時であることを知りました。」(p.231)
坪崎さんは子どもの頃、沈黙が怖くて、すぐに騒いで沈黙を打ち破ろうとする性格だったそうです。沈黙に潜む争いが耐えられなかったのです。
周りの人からは空気を読まない子どもと思われたでしょう。けれども本当は、空気を読みすぎてしまうからこそ、沈黙を打ち破ろうとしたのです。
「相手の心のとびらを開くには、このように相手が語ったらこのように答え、こんな様子の時にはこのようなアプローチをしなさい…という手法を細かくガイドしている書籍はたくさんあります。またそのようなセミナーもあります。
美佐緒さんのしていることは、それらのこととは対極のことのように感じます。
相手を恣意的に変えようとはしていません。そのままなのです。」(p.242)
大久保さんの坪崎さん評ですが、私も同感です。相手をありのままに受け入れているのです。信頼しているのです。変わるべき時がくれば変わるし、それまでは無理に変えなくてよい。そう強く思っておられるのでしょう。
「研修が終わった時、浅田さんが私のところに来ました。
「先生さ、なんであんなこと、俺に聞きにきたの?」
「本当に体調が悪いんじゃないかと心配になって」
「なんでそう思ったの?寝てると思わないの?」
「具合が悪くて寝てるのかもと思ったんですが、もしそうじゃないなら、嫌なのにここまで来てくださって有り難いなと思っていました」」(p.245)
「あの先生は、あんな失礼な態度の私を叱るどころか体調を心配してくれたんですよ。私が大丈夫ですと伝えた時は、本当にホッとしたように良かったと言ってくれたんです。この先生は違う。だから話を聞いてみようと思ったんです。言ってることとやってることが一緒だったんです。こんなふうに自分のことを受け止めてもらったのは初めてで、これが先生が言ってた承認ってやつなんだと思い、自分も部下のことをもっと承認しようと思ったんです」(p.247)
社員研修の講師をした時、反抗的な部長がいたそうです。ぶすっとしていて、ワークにも参加しない。その部長が、長い時間ずっと目を閉じて苦しそうな表情をしているのを見た坪崎さんは、ひょっとしたら具合が悪いのかと思い、体調が悪いのではと声をかけたのです。
いったいどこまでお人好しなのでしょう。どこまで徹底的に他人を信頼しているのでしょう。こんなに信頼されたら、好きになってしまうではありませんか。まさにそれが、坪崎さんが自然とやっていることなのです。信頼するとは愛すること。愛は人を変えるのです。
「それは、一人暮らしのお母さんが鬱(うつ)になった時に、離れて暮らしている息子さんとの話。お母さんに元気になってほしくて励ましても全然ダメで…。でも何とか元気になってほしくて、息子さんが思いついたのが空の写真を送り合うことだったらしいの。空の写真を撮る時には顔が上を向く。人は上を向いているときには、ネガティヴな気持ちになれないということを思い出して、『僕と母さんは同じ空を見ているけど、それぞれから見える空は違うから、写真を送り合おう』って言ったら、『それならいいよ』って毎日。時には日に何度も写真を送り合ったそうなんです。そうしたら、お母さんがドンドン元気なって、いまではすっかり回復しているって」(p.252-253)
これは坪崎さんが聞いて、実際にそれを勧めてみて、役立った方法だそうです。こういう方法は知りませんでした。
「「正しいことを言ったところで、相手が変わることはない。正論は無意味」
うまくいかないことをたくさん経験して、この思いに至ったのは60代半ば過ぎからです。」(p.255)
大久保さんは、晩年にしてやっとこの真理に至ったことを白状しておられます。しかし、それを自然と身につけていたのが坪崎さんなのですね。
「当たり前のことですが、人は死ぬんだということが私なりにわかりました。
だからこそ、会えているこの時を大切にしたいと強く思うようになりました。
そして私自身がその時を迎えても悔いのないように生きようと思いました。
最期を迎えた時、少しは人の役に立てて良かったと思える人生が私にとっての最良の人生。
そのためにも、悔いなく良い人生だったと思えるように生きたいのです。」(p.258-259)
坪崎さん、お祖父様、お父様など、家族の死を身近に経験してこられました。その経験から、このように思われるそうです。
けれども、同じ経験をしたからと言っても、同じような思いにはなりません。もちろんその時は、一期一会の精神で生きようと思ったとしても、それが持続しないのです。つい目の前の人の不遜な態度に腹を立てたりします。そこが坪崎さんとの違いですね。
「私の勉強会仲間内での美佐緒さんの愛称は”北の菩薩”です。
美佐緒さんと二人で話していると「観方・感じ方・捉え方」が驚くほど同じの方がいます。
関西に在住の清水喜子さん、愛称は”関西の菩薩”。
誰と出合ってもその人の足らないところを見るのでなく、相手の良いところを観て、それを自然に引き出しています。良し悪しで判断せず、相手の全てをそのまま受け入れています。
お二人とも基本において常に相手が幸せになることを願っています。
この思いがとてもとても強いと感じます。」(p.264)
大久保さんが最後にこう言われています。北の菩薩だけでなく、関西にも菩薩がおられるようですね。驚きです。
こういうレベルまで進化した魂がどんどん出てきている。それを思うと、人類は安泰だなぁと思います。
坪崎さんが言われること、実践されてることは、私も頭ではわかります。しかし、いざそういう場面で、それを思い出して実践できるかと問われると、難しいと答えざるを得ません。ましてや、そういうことが自然とできてしまうというレベルではないことも確かです。
しかし私は、今の私のままでいいと思っています。私には私の使命があり、私のレベルで経験できることがあり、それを経験することが私のために重要だと思うからです。
もちろん、一歩でも坪崎さんのようになりたいなぁとも思います。でも、そうならなくてもいいのです。そこを目指して精進するというだけでも十分だと思うからです。
そして、坪崎さんのような菩薩と呼ばれる方が次々と出てくることで、日本が、そして世界が、より平和で幸せな社会になっていくといいなぁと思います。
セミナーや企業研修の業界ではカリスマ的存在である大久保寛司(おおくぼ・かんじ)さんが絶賛されておられたのだとか。本書は、その大久保さんがプロデュースされた形になっています。
それにしても「北の菩薩」とは大げさな。どれほどのものかと半信半疑ながら、興味を持って読み始めました。
しかし、最初からガツンと来ました。泣きました。ボロボロ泣きました。涙を拭くのに、ティッシュでは足りないほど。タオルが必要だと思いました。
それほど感動したのです。何に感動したのか? それは坪崎さんの、相手をありのままに受け入れ、その価値を認め、心底大事にしたいという思いです。
そんなことは頭ではわかっていても、坪崎さんの話を読むと、私にはまったくできていなかったなぁと思うのです。それなのに坪崎さんは、それが自然にできてしまう。
これはもう人間じゃない、菩薩でしょう。そう感じるほどなのです。ぜひこの本を読んで、その感動を味わってほしいと思いました。
年に50〜60冊は本を読む私ですが、この本は今年一番のオススメだと言って過言ではありません。ぜひ読んでみてください。
と、先に結論を書きました。以下、重要だなと感じた部分を引用したいと思います。
「幸せになるために大切なことは、実は、人や物や事への観方・考え方・捉え方が鍵であるということです。
幸せになる人は、幸せになる観方・考え方・捉え方を、幸せでない人は、幸せにならない観方・考え方・捉え方をしている。
そして、どの視点から観るかは、すべて自分で決めているのです。」(p.3)
これは大久保さんの文です。「坪崎さんの本 作成委員会 委員長」という肩書で、「はじめに」を書かれています。
まさにおっしゃる通りですね。幸せは自分が決めているのです。
「幸せな人は幸せになる生き方をしている。
美佐緒さんの生き様を見ていて気がついたことです。
私が71歳の時です。」(p.5)
大久保さんがどれほど坪崎さんに心酔しておられるかがわかりますね。
「職場の皆さんには、「パートしながら仕事をしては?」とすすめていただき大変有り難かったのですが、コーチの仕事がなくてもなんとかなると甘えてしまう弱い自分がいることを知っていたので、「退路を断つ」ことに決めました。」(p.9)
コーチングを知って、これが自分の生きる道だと感じた坪崎さんは、学歴も実績もないままに、個人事業主として生きていこうと決めたのでした。それが2011年4月のことだそうです。
「しかし現実は、全く仕事がありませんでした。
焦る気持ちはあるけれど、「仕事がない」「仕事がない」と泣いている人にコーチをお願いしたい人はいないと思い、どん底の時ほど笑顔で元気にしていました。」(p.10)
そんな時に、コーチとして起業する人を支援する会社からメールが届き、坪崎さんは勇気を出して申し込み、面接を受けました。
すると、最初は歓迎してくれていた担当者が、坪崎さんの履歴書を見るなり態度を変え、学歴も実績もないのに申し込んできたことに腹を立てて坪崎さんを責めたのです。
考えてみれば当然かもしれない。学歴も実績もないのに、コーチングを依頼する企業なんてあるわけがない。客観的にはそう思えても、坪崎さんにはやめられない理由がありました。
「でも…でも…、私みたいな人っていないのかな?世間にはいっぱいいるんじゃないかな?
もしも私みたいな何にもない人が
夢をもって諦めずに続けて
夢を叶えて誰かの役に立てたなら。
私のように、何にもなくて諦めようと思っている人の力になれるかもしれない!
こんな私でもできるなら、「私も、できるかもしれない」って思ってくれるかもしれない!!」(p.18-19)
誰かの役に立ちたい。それが坪崎さんを突き動かす思いでした。
「子どもも大人も見えていることが全てではないですし、子どもが何かをしてしまう時には、必ず理由があると思っていました。美奈ちゃんにも、ちゃんと理由がありました。
この本当の理由をわかってあげられる人になりたい、当時から、そしていまでも、私が願っていることです。」(p.46)
小さい頃からの夢は保育士になること。そのためには大卒の資格が必要。しかし家の事情で坪崎さんは、進学を断念しました。その代わり、3日間だけ保育士実習ができる高校を選び、その3日間で保育士補助として充実した体験をされたのです。
寂しいけれども我慢しなくてはならないと自制していた美奈ちゃん。その心の葛藤が、優しい坪崎さんを叩くという行為として現れる。坪崎さんは美奈ちゃんをたしなめるのではなく、心に寄り添うことで素直な心を引き出したのです。それによって、美奈ちゃんが変わり、クラスメイトが変わり、お母さんまで変わりました。感動し、自ら変わったのです。
それを引き起こしたのが、坪崎さんの「必ず理由がある」という大前提だと思いました。
「真野さんが他の人と楽しそうに話しているのを見かけると、私も真野さんを笑顔にしたいなと思いました。」(p.64)
「真野さんのお客様への接し方や商品の扱い方、お店に来た営業マンの方との接し方を見ていると、仕事熱心な人であること、知識が豊富であること、誠実な仕事をしていることがわかり、心の中で尊敬するようになりました。」(p.64)
高卒後に最初に勤めた薬局では、お局様のような真野さんからなぜか冷たくあしらわれ、いびりのような仕打ちを受けます。それは坪崎さんのことが気に入らないというより、坪崎さんを紹介した人が気に入らなかったからです。だから1週間で辞めさせてやると言って、坪崎さんに嫌がらせをしていたのでした。
そのことを知った坪崎さんは、自分が原因じゃないことがわかって喜びます。そして、真野さんが喜ぶような仕事をしていれば、いつか必ず受け入れてくれると信じて頑張るのです。
そんな理不尽なことをされた時、ふつうはそうは思えませんよね。恨んだり、仕返しをしてやろうとか、鼻を明かしてやろうと思ったりするでしょう。けれども坪崎さんは、心から真野さんを尊敬し、慕っているのです。
「厳しく睨(にら)まれるので、最初、真野さんといる時は緊張していましたが、いつの間にか心から真野さんと仲良くなりたいと思っていました。」(p.64-65)
高卒の若者が、どうしてこうも達観できるのでしょうか? これが自然とできてしまう坪崎さんの資質が素晴らしいと思うのです。
こうして数ヶ月後には真野さんから受け入れてもらえ、信頼の絆で結ばれることになりました。
「でも、あの日、あなたはずっと私の話を聴いてくれた。一生懸命に聴いてくれた。本当に嬉しかったの。あの日から今日までずっと、あなたは私の話に耳を傾けてくれた。あなたに会えて本当に良かった。」(p.80)
仕事ができる真野さんでも苦手とした客を、坪崎さんは1回の接客で大ファンにしてしまいました。その秘訣は「傾聴」です。相手を否定せず、自分の考えを押し付けず、ただ寄り添って耳を傾ける。ただそれだけで、いや、ただそれだけに徹するからこそ、相手に満足感を与えることができたのです。
ふと思い出したのですが、似たようなことをした女性がいました。こちらは架空の人物ですが、「少女パレアナ」という小説の主人公、パレアナです。
彼女も、自分に冷たく当たる人々を、最終的には味方にしていったのです。否定せずに受け入れ続けることによって。
「私がニコニコしてお願いしていると、
「ヘラヘラして、マジきもいんですけど」数人の男女からドッと笑いが起こりました。
「それでは、くじ引きの席に移動お願いしまーす」
あえて何もなかったかのように、私はニコニコしていました。」(p.118)
「最初はほとんどの方が私の言葉に耳を貸してくれませんでした。
それでも私は、この方たちならきっとわかってくれるはず、と、皆で楽しく授業をしている様子が目に浮かんで、その日が来るのを楽しみにしていました。」(p.118)
坪崎さんがコーチングで起業して得た最初の大きな仕事は、求職者支援訓練の研修だったそうです。その研修での出来事ですが、いきなり受講者から小馬鹿にされています。
それなのに坪崎さんは、相手を責めることや自分の不遇を嘆くことをせずに、相手の本質は素晴らしいものだということを信じ切っています。どうしてそんな信念が持てるのでしょうか? そこが坪崎さんのすごい点だと思います。
「私は昔から人の良いところにしか目が行かなくて、その良いところを素直に伝えると、「そんなことない」と謙遜から受け取ってもらえないか、「お世辞言って、何か裏があるの?」と疑われることが多かったので、伝えることをやめてしまっていました。
ところがコーチングなら伝えることが仕事なので、その人にその人の良いところを伝えられる!しかも、私が教えられるものは何もないけれど、一人ひとりには素晴らしい輝きや力があるとずーっと感じていたので、私にとってこんな理想的な仕事はありませんでした。」(p.129)
相手の良いところが自然と目につく。坪崎さんの天性の才能ですね。そして、それを伝えられるコーチングは天職だと感じている。だから強固な使命感も持てるのでしょう。
「普段だったらネガティヴなことを言われても、「どうしてそう思うのかな?」とその気持ちを知りたいと思えるのに、その時の私はそんなふうには思えませんでした。
「どうしたら、その誤解がとけて、私の気持ちをわかってもらえるのだろう?」と自分のことばかり考えていました。」(p.131)
「夫がわかってくれないと思っていましたが、実は、わかっていないのは私でした。
わかってほしいなら、まず私が夫の気持ちを理解しよう。
夫の嫌がることはやめようと心に誓いました。」(p.132)
ご主人から紹介されて興味を持ったコーチングでしたが、坪崎さんがのめり込む一方で、ご主人は嫌悪するようになっていったそうです。そんな中で坪崎さんがコーチングで起業すると言い出したから、ご主人は大反対。理解してくれないご主人に対して、坪崎さんは不満をいだいたようです。
そして、まさに離婚の危機というところまで行って、やっと気づいたのだそうです。自分がご主人の想いを理解しようとしていなかったのだと。
そして、そういうことはコーチングの勉強を始めた頃にもあったようです。それは幼なじみの相談に対しても、ついコーチングの手法で質問を浴びせた時、会話が弾まず、気まずくなってしまったことでした。
「私はいつの頃からか、コーチングはしようとしていたけれど、目の前の人の話には耳を傾けていなかったのです。
なんて質問しよう?
どう質問したら答えが出るだろう?
そんなことに気を取られ、目の前の人の言葉や、言葉の奥にある想いには心を寄せていませんでした。」(p.137-138)
「その日から、「コーチングする」という考えをやめました。
自分が関わることで相手が変わることを目的にするのをやめました。
それよりも、以前のように相手の想いや考えを知りたいという気持ちで丁寧に話を聴こうと心に決めました。」(p.138)
その体験からも、テクニックで相手を変えようとすることが間違っていると気づかれたのですね。
変わるかどうかを決めるのは相手自身です。相手は相手にとって最善の方向へ進みます。それを信頼して相手に任せ、相手が相手らしく勇気を出して前進できるよう寄り添ってサポートする。それがコーチングの本質だと思います。
しかし驚くべきは、その本質を坪崎さんは元々持っていたということです。坪崎さんの本来の姿に立ち返るために、その本質をしっかりとつかみ取るために、こういう失敗の経験が必要だったのだろうと思います。
「「自分がどうありたいか」に目を向けると、自分がどう関わるかを考えるので、目の前の子どもを変えようとは考えなくなります。つまり、相手を変えようと思っている矢印が、自分自身に向かい、自分ができることに取り組むようになっていくのです。
そうすると「子どもが何も変わらない、子どもが…」という辛い気持ちも楽になっていきます。」(p.143)
子どもから信頼される存在でありたい。親なら、こう思うものではないでしょうか? 問うべきは、そういう自分のあり方なのですね。
そういう自分であるためには、目の前の子どもに対してどう関わるのがいいのか? 自分の望み通りの子どもに変えさせようという考えとは、ベクトルがまったく違うのです。
そして、そのように考え方を変えることによって、自分の苦しみがなくなります。他人(子ども)を変えようとする無理なことから解放されるからです。
「彼の言葉を聞きながら、こんな気持ちなのに、よくここまで来てくれたと思うと胸が熱くなりました。
こんなふうに嫌がる彼をここまで頑張って連れて来たお母さんの気持ちを思うとさらに胸が熱くなります。
だから、もうここにいてくれるだけで十分だと思いました。」(p.160)
不登校の息子を持つ母親が、その理由がわからなくて苦しんでいました。それで坪崎さんに会ってもらうことにしたのです。
無理矢理、母親に連れてこられた息子は、最初から反抗的な態度です。絶対に心を開かないと決意しており、それを隠しもせずに口にしています。
その時の坪崎さんの本心が、引用したとおりなのだと思います。ふつう、そんなふうに思えますか? 私にはできません。少なくとも今の私には。でも坪崎さんは、自然とこれができているのですね。
ですから、その思いから言葉が出てきます。テクニックではなく、本心なのです。「無理して話さなくてもいいからね」と。
これをテクニックで言っても、彼の心には響かないと思います。本心でそう思い、彼に寄り添うからこそ、彼が変わっていくのです。
「ただ、私は颯太君があまりにも自分のことを責めて、これからも人生を楽しんではいけないと思いこんでいることが気になりました。
亡くなったお父さんはそんなことを望んではいません。
でも、その言葉をそのまま颯太君に伝えるとかえって彼を苦しめてしまう。
どうしたら、気づいてくれるんだろう…。
颯太君自身で自分がしあわせになることが、亡くなったお父さんが喜ぶことに気づいてほしいと思いました。」(p.165)
彼が不登校になったのは、父親が死んだのは、うるさいことばかり言う父親のことを「死んでしまえ!」と呪ったからだと思い、それで自分を責めていたからです。自分が好きな学校へ行って、自分だけ楽しんでいてはいけないのだと。
坪崎さんは、彼がどうしていると父親が喜ぶか、という視点を与えます。天国の父親は、自分がどうしていることを喜んでくれるだろうか? この視点が、彼を救うことになったのです。
「なのに、ほんの少しのやり取りで、相手は素直に自分のことを話してくれるようになります。どんな言葉をどんなタイミングで話すかも大切ですが、やはり美佐緒さんのまとっている空気というか雰囲気が本質だということです。」(p.190)
坪崎さんのことを絶賛されている大久保さんの評です。テクニックではなく、本質なのです。ふだん、どう考えているのか、どういう信念で生きているのか。問われるのはそこなのですね。
「不快な思いをさせていることを心から申し訳なく思いました。
だからこそ少しでもお客様の気持ちを知りたいと思いました。
そして、本当によくぞ話してくださったという気持ちでお話を聴いていました。」(p.194)
「お客様の電話での耳の痛い言葉は、一見クレームに見えてしまうけれど、むしろお客様は言いにくいことを教えてくれています。本当に有り難い存在だと私は感じていました。クレーム担当と言われた時は驚きましたが、一生懸命にお客様の声を聴けるように頑張ろうと思いました。」(p.195)
パートで勤めていた会社で、クレーム担当に任命されたことがあったそうです。それにしても、こういう思いが自然と湧いてくるのが坪崎さんなのですね。
「私が少しでも(早く終わらないかな)とか(嫌だな)と思っていると、父のイライラの時間は長引きます。
でも、(これで少しは楽になるといいな)という気持ちで聴いていると、早くスッキリしてくれました。
表面的には同じように聞いていても、心の中は相手に伝わるんだということを幼い頃から感じていました。
だから毎回、一生懸命に聴きました。」(p.205)
一家の大黒柱だったお父様はおそらく脳梗塞で倒れられて、半身不随の不甲斐なさからイライラされることが多かったそうです。そこで坪崎さんは、お父様の辛い気持ちを聞いて差し上げるという役を買って出られたのですね。
その経験から、表面的なテクニックでは通用しないことを学ばれたのでしょう。しかし、これが小学校6年生の経験だというから驚きます。天は坪崎さんを菩薩とすべく、鍛えられたのかもしれません。
「私はみずきさんの背中をさすりながら、
「みずきちゃんはね、息子ちゃんを守ったのよ。本当によく頑張りましたね。みずきちゃんは息子ちゃんが大きくなった時に、自分がどんな子だって思ってほしい?可哀想な子って思ってほしい?」
「違います!息子には、自分は愛されて必要とされていると思ってほしいです」
「みずきちゃんはどんな時、必要とされてると思うの?」
「誰かの役に立ったときです。
「そうよね。人の役に立った時って嬉しいですよね。じゃあ、息子ちゃんに『ありがとう』って伝えるのはどうかしら?出ていく時は、お留守番してくれてありがとう。帰ったら、お留守番してくれてありがとう。お留守番してくれていたから安心してお仕事できた、○○ちゃんのおかげだよ。ありがとうって。ごめんねをありがとうに変えてみたら?」」(p.214)
DVが息子にまで及んだことで離婚を決意したみずきさん。しかし、息子を置いて仕事へ出かけなければならないことで、かまってあげられないことに罪悪感を感じていました。
その後ろめたさが息子さんにも伝わって、息子さんはぐずってばかりいたのです。それを見たみずきさんは、なおさら罪悪感を感じ、苦しんでいたのですね。
「そんな私も、いまでは、沈黙は怖くありません。それどころか、沈黙が時に大切なものであり、沈黙の中で安心していられるのは、「信頼」があるからだとわかるようになりました。
コーチングに出合い、目の前の人が沈黙の時は、自分自身の奥にある思いに向き合っている大切な時であることを知りました。」(p.231)
坪崎さんは子どもの頃、沈黙が怖くて、すぐに騒いで沈黙を打ち破ろうとする性格だったそうです。沈黙に潜む争いが耐えられなかったのです。
周りの人からは空気を読まない子どもと思われたでしょう。けれども本当は、空気を読みすぎてしまうからこそ、沈黙を打ち破ろうとしたのです。
「相手の心のとびらを開くには、このように相手が語ったらこのように答え、こんな様子の時にはこのようなアプローチをしなさい…という手法を細かくガイドしている書籍はたくさんあります。またそのようなセミナーもあります。
美佐緒さんのしていることは、それらのこととは対極のことのように感じます。
相手を恣意的に変えようとはしていません。そのままなのです。」(p.242)
大久保さんの坪崎さん評ですが、私も同感です。相手をありのままに受け入れているのです。信頼しているのです。変わるべき時がくれば変わるし、それまでは無理に変えなくてよい。そう強く思っておられるのでしょう。
「研修が終わった時、浅田さんが私のところに来ました。
「先生さ、なんであんなこと、俺に聞きにきたの?」
「本当に体調が悪いんじゃないかと心配になって」
「なんでそう思ったの?寝てると思わないの?」
「具合が悪くて寝てるのかもと思ったんですが、もしそうじゃないなら、嫌なのにここまで来てくださって有り難いなと思っていました」」(p.245)
「あの先生は、あんな失礼な態度の私を叱るどころか体調を心配してくれたんですよ。私が大丈夫ですと伝えた時は、本当にホッとしたように良かったと言ってくれたんです。この先生は違う。だから話を聞いてみようと思ったんです。言ってることとやってることが一緒だったんです。こんなふうに自分のことを受け止めてもらったのは初めてで、これが先生が言ってた承認ってやつなんだと思い、自分も部下のことをもっと承認しようと思ったんです」(p.247)
社員研修の講師をした時、反抗的な部長がいたそうです。ぶすっとしていて、ワークにも参加しない。その部長が、長い時間ずっと目を閉じて苦しそうな表情をしているのを見た坪崎さんは、ひょっとしたら具合が悪いのかと思い、体調が悪いのではと声をかけたのです。
いったいどこまでお人好しなのでしょう。どこまで徹底的に他人を信頼しているのでしょう。こんなに信頼されたら、好きになってしまうではありませんか。まさにそれが、坪崎さんが自然とやっていることなのです。信頼するとは愛すること。愛は人を変えるのです。
「それは、一人暮らしのお母さんが鬱(うつ)になった時に、離れて暮らしている息子さんとの話。お母さんに元気になってほしくて励ましても全然ダメで…。でも何とか元気になってほしくて、息子さんが思いついたのが空の写真を送り合うことだったらしいの。空の写真を撮る時には顔が上を向く。人は上を向いているときには、ネガティヴな気持ちになれないということを思い出して、『僕と母さんは同じ空を見ているけど、それぞれから見える空は違うから、写真を送り合おう』って言ったら、『それならいいよ』って毎日。時には日に何度も写真を送り合ったそうなんです。そうしたら、お母さんがドンドン元気なって、いまではすっかり回復しているって」(p.252-253)
これは坪崎さんが聞いて、実際にそれを勧めてみて、役立った方法だそうです。こういう方法は知りませんでした。
「「正しいことを言ったところで、相手が変わることはない。正論は無意味」
うまくいかないことをたくさん経験して、この思いに至ったのは60代半ば過ぎからです。」(p.255)
大久保さんは、晩年にしてやっとこの真理に至ったことを白状しておられます。しかし、それを自然と身につけていたのが坪崎さんなのですね。
「当たり前のことですが、人は死ぬんだということが私なりにわかりました。
だからこそ、会えているこの時を大切にしたいと強く思うようになりました。
そして私自身がその時を迎えても悔いのないように生きようと思いました。
最期を迎えた時、少しは人の役に立てて良かったと思える人生が私にとっての最良の人生。
そのためにも、悔いなく良い人生だったと思えるように生きたいのです。」(p.258-259)
坪崎さん、お祖父様、お父様など、家族の死を身近に経験してこられました。その経験から、このように思われるそうです。
けれども、同じ経験をしたからと言っても、同じような思いにはなりません。もちろんその時は、一期一会の精神で生きようと思ったとしても、それが持続しないのです。つい目の前の人の不遜な態度に腹を立てたりします。そこが坪崎さんとの違いですね。
「私の勉強会仲間内での美佐緒さんの愛称は”北の菩薩”です。
美佐緒さんと二人で話していると「観方・感じ方・捉え方」が驚くほど同じの方がいます。
関西に在住の清水喜子さん、愛称は”関西の菩薩”。
誰と出合ってもその人の足らないところを見るのでなく、相手の良いところを観て、それを自然に引き出しています。良し悪しで判断せず、相手の全てをそのまま受け入れています。
お二人とも基本において常に相手が幸せになることを願っています。
この思いがとてもとても強いと感じます。」(p.264)
大久保さんが最後にこう言われています。北の菩薩だけでなく、関西にも菩薩がおられるようですね。驚きです。
こういうレベルまで進化した魂がどんどん出てきている。それを思うと、人類は安泰だなぁと思います。
坪崎さんが言われること、実践されてることは、私も頭ではわかります。しかし、いざそういう場面で、それを思い出して実践できるかと問われると、難しいと答えざるを得ません。ましてや、そういうことが自然とできてしまうというレベルではないことも確かです。
しかし私は、今の私のままでいいと思っています。私には私の使命があり、私のレベルで経験できることがあり、それを経験することが私のために重要だと思うからです。
もちろん、一歩でも坪崎さんのようになりたいなぁとも思います。でも、そうならなくてもいいのです。そこを目指して精進するというだけでも十分だと思うからです。
そして、坪崎さんのような菩薩と呼ばれる方が次々と出てくることで、日本が、そして世界が、より平和で幸せな社会になっていくといいなぁと思います。
2022年12月22日
氣を活かしてわたしが変わる 究極の氣 レイキ
望月俊孝(もちづき・としたか)さんのレイキに関する本が出版されるとFacebookで知って、予約しておいた本が届いたので早速読んでみました。
望月さんはヴォルテックスという会社を運営されていて、レイキだけでなく宝地図やエネルギーマスターなどのセミナーを開催されています。
私も2014年6月に、ヴォルテックスのレイキ講座を受講しました。(※参考:「レイキヒーラーになりました」)そのころから望月さんとは、よくお会いしています。
これまでにも「癒しの手 心もからだも元気にするレイキ・ヒーリング」、「超カンタン癒しの手」、「癒しの手」などのレイキの本を出版されていて、このブログでも紹介しています。また、「靈氣と仁術−富田流手あて療法」というレアな書籍を復刻されるなど、レイキの普及に取り組んでおられます。
他に、「幸せな宝地図であなたの夢がかなう」や「幸せブーメランの法則」の紹介もしていますので、ぜひ読んでみてください。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「つまり、私たち人間は無限の存在でもあります。
そしてそれを意識しているか、しないかによって、「私たち人間は想像した通りに無限の存在にもなるし、想像した通りに限界のある存在にもなる」のです。
しかも人間は固有のエネルギー≒氣を自由に変えることができます。どんなエネルギーを発信するか? 受け取るか? 自由に選べます。さらには他のものが発するエネルギーを敏感に察知することができ、それに対応することができるのです。」(p.3)
「実はこの「氣」こそ、人を幸せにしたり、癒したり、反対に失意のどん底に陥(おとしい)れたり、悲しませたり……と、人の人生を大きく左右する、すごい力を持つエネルギーなのです。」(p.5)
冒頭で、氣はエネルギーであり、私たちはそれを自在に操ることができる存在で、それによって幸せにもなれるのだと言っています。
「早速、2日間、そのセミナーを受講し、遠隔でレイキのエネルギーを送ることができるようになったので、少しでも時間があれば、集中治療室にいる息子に遠隔でエネルギーを送ることにしていました。
すると驚くべきことが起きたのです。
息子にミラクルが起こる前に、まず私の身体にミラクルが起きました。
2年間苦しみ続けた全身アトピーがなんと!たった3日で消えてしまったのです。」(p.10)
望月さんのレイキ体験は、このようなミラクルから始まっています。
30代なかばで独立後、資金難で廃業。再就職して死にものぐるいで働くもリストラにあい、6千万円もの借金を抱えてどうにもならない状況になっていました。ストレスから全身アトピーとなり、やっと生まれた長男が切迫早産で集中治療室へ。
そんな中で遠隔ヒーリングができるレイキのことを思い出し、オーストラリアから来日していたリン・ペレツさんというヒーラーからレイキを習ったのでした。
「レイキは、ちょうど100年前(1922年)に日本で発祥した癒しの手法です。波動を高め、エネルギーを強くするこの手法は、発祥の国・日本ではあまり知られていませんが、いまや米国、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどを中心に推定800万人以上の人々が、ヒーリング・メソッドとして、また美容健康法、能力開発法として実践しています。」(p.12)
このようにレイキは、欧米ではよく知られています。スーパーモデルのミランダ・カーさん、歌手のクリスティーナ・アギレラさん、パリス・ヒルトンさんなど、レイキの実践者、利用者が多数おられるのです。
それに対して日本では、あまり知られていません。それがとても残念なところだと私も感じています。
「ここで「波動の7大法則」をお伝えしましょう。
❶この宇宙のすべてのものは特有の波動を出している
❷似た波動を出しているもの同士が引き寄せ合う
❸違う波動は反発・排斥し合い、相殺し合う
❹出した波動がブーメランのように還ってくる
❺強い波動は弱い波動に影響を与える
❻波動には高い・低い、強い・弱いがある
❼意識すればするほど、同調する波動の領域が広がり、近い波動のものを引き寄せ合うことができる」(p.26)
「波動」とは「氣」であり「エネルギー」とも言えます。望月さんは、波動が低く弱い「発展途上人」タイプから、波動が高く強い「豊かな成功者」タイプへと成長していくのが人というものだと考えておられるようです。
また、いわゆる「引き寄せの法則」も、昔から言われる「類は友を呼ぶ」という言葉にもあるように、波動で説明ができることなのですね。
「30年前の借金を抱えていたころの私は、この愛や喜びや宇宙エネルギーに意識や波動を合わせることもできるのに、「不安」や「心配」ばかりに意識を向け、波動を合わせてしまい、それを拡大していたのです。
それが「レイキ」≒「宇宙エネルギーの最高峰」の波動に出会ってからは、愛や喜びや光といった高い意識に向けることができるようになり、それまでがウソのように人生が変わっていったのです。」(p.40)
「レイキは最高次元の波動(氣・エネルギー)と同調して行うヒーリングや自己成長のテクニックです。
1922年、臼井甕男(うすいみかお)先生(P140参照)が京都・鞍馬山で21日間の断食瞑想修行の上、最高次元の氣=レイキを感得されました。」(p.40)
私も「レイキは愛だ!」と言っていますが、レイキは愛にベクトルが向いています。100年前、臼井氏がレイキを創設してくださったことが、本当にありがたいことだと思っています。
「「手当て」という言葉があるように、手を当てて癒す、愛情を伝えて元氣を取り戻す能力は、人類が誕生以来4〜500万年にわたって培ってきたもので、私たちのDNAにも深く刻み込まれています。熱がありそうなら額に手を当てますし、歯が痛いとほおに手を当てます。肩がこったりひざが痛ければ、「痛いなあ」と無意識のうちに手を当てたりします。手の癒しの力を身体が知っているということです。」(p.48)
私も「手当て」は人間の本能だと言っています。ヒポクラテスも、医者はマッサージに長けていなければならないと言ったとか。望月さんは、「看る」という漢字が「手」と「目」で構成されているように手を当てて見ることが癒すことになる、とも言われています。
「同じ言葉を言っていても、同じことを考えていても、同じことをしていても、それが「愛」から出ているか、「怖れ」から出ているかによって、私たちが出す波動も、相手が受け取る波動もまったく違ってきます。
私たちの感情は究極的には「愛」と「怖れ」の2つに分けることができます。」(p.100)
お勧めしている「神との対話」でも、愛の対極が不安(怖れ)だと言っています。最近は、バシャールもそうですが、愛と不安(怖れ)を対極のものとして表現する人が増えましたね。
「あなたの本業は「あなた自身」でいること。
「あなた自身」として成長すること!」(p.113)
他人のようになろうとしなくていいのです。これも「神との対話」で言われていることです。自分であればいい。望月さんもそう思いながら、焦らずにやってきた結果が今だと言われています。
「例えば、レイキのヒーラー(癒し手)は「病氣の人を治す」とは思いません。病氣の人を治すには膨大な力がいりますが、もともと病氣ではなく「元の氣」を忘れてしまっている人に、それを思い出すお手伝いをするだけでよいのです。レイキヒーラーがレイキで手伝うだけで、本人の自己治癒力が発揮されていきます。
つらい状況にある人も、本来の幸せな状態を思い出すことで、理想の状態に戻っていきます。」(p.134)
病気やケガが治るのは、その人の自然治癒力によるものですね。だからレイキは、その自然治癒力を手助けするだけのもの。
人は本来、健康であり幸せな存在である。そういう見方が大前提としてあるのですね。だから、私たちがそのありたい在り方に意識をフォーカスすれば、自然とそのようになっていくのです。
「医療の分野では、「米国病院協会(the American Hospital Association)」の2007年の調査では、15%(800以上)のアメリカの病院が病院サービスの一環としてレイキを提供しているとされています。」(p.153)
他にもブラジルでは健康保険の対象にレイキが加えられたり、イギリスでは補完医療としてレイキが行われていたり、オーストラリアでもレイキが受けられるクリニックがあったりするそうです。このように海外では、レイキは着実に医療の一環として認知されつつあります。
「「五戒」とも呼ばれ臼井先生の思想の根幹をなす言葉です。とてもわかりやすい内容で、読めばカンタンに頭では理解できます。ただ実践するにはとても奥深い内容なのです。実践を重ねただけ、一層、健康になり、人間性を高め、極めれば臼井先生が到達した悟りにも近づくことが可能な道と方法が、この短い言葉の中に示されているといってよいでしょう。」(p.183)
本の最後の方に、このようにレイキの「五戒」を紹介されています。
私もnoteやYoutubeで、この「五戒」を詳しく解説しています。それは望月さんと同様に、ここにレイキの真髄があると思っているからです。
※参考:「レイキの本質は「五戒」にあり」、「「五戒」を説かないレイキは偽物」、「レイキ施術者が「五戒」を唱える意味」、「ナチュラルレイキ講座・動画01〜10」、など
「想像してみてください。
世界中の人が笑顔で、幸せに生きているシーンを。
その過程で、
「一家に一人、レイキヒーラー」
「一家に一人、家族の心と身体のケアを行える人」がいたら、どんなに素晴らしいことでしょう!」(p.209−210)
「一家に一人、レイキヒーラーを!」というのが、望月さんのヴォルテックスが掲げているスローガンです。そのためには、もっともっとレイキを広めていく必要がありますね。
先日、レイキ生誕100年記念のイベントが東京であり、私も施術者として参加しました。その時に、主催された元ヴォルテックのレイキ講師、慎ちゃん先生こと廣野慎一さんともお話させていただきました。小さな違いにこだわるのではなく、ともかくレイキを広めることが重要だということを。
私も、レイキ者として、今後もレイキの普及に助力していければと思っています。そういう意味でも、この本をみなさんにお勧めしたいと思います。
2022年12月24日
筋肉ががんを防ぐ。
これも本の要約をしているYoutube動画を観て、興味を抱いた本になります。
サブタイトルに「専門医式 1日2分の「貯筋習慣」 大腸がん 乳がん 対策」とあります。「専門医式」という言葉はちょっとどうかなという気もしますが、1日2分から始めて貯筋習慣を身につけることで、ガンの予防になり、健康的な身体が得られるという内容になります。
これまでにも、「2度のがんから私を救った いのちのスクワット」や「ひざ・股関節の痛みは週1スクワットで治せる」など、健康のための筋トレ本をいくつか読んできました。
健康のためには食事、運動、睡眠が重要だということは、もう言われるまでもないことでしょう。しかし、それでもまだまだ知らないことがあり、より良い食事や運動や睡眠のための方法、知恵があると感じています。
なので、気になったらこうやって本を読んだりして、知識を得るようにしています。今回も、ふと出会った本ですが、読み進めてみると「これはいいなぁ!」と感じることが多々ありました。
著者は医師でヘルスコーチの石黒成治(いしぐろ・せいじ)さん。運動という重要ではあっても継続しづらいものを、どうやって継続させるのかという知恵が、たくさん詰まった本になっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「男性でも女性でも、がんで手術をする人の腹筋は筋肉も筋膜も薄く、簡単に切ることができました。進行がんで栄養状態が悪い人だけではなく、早期がんの人でもおなかの筋肉が薄かったのです。」(p.2-3)
外科医の手術経験から、ガンと筋肉量に相関関係があると感じておられたようです。
「がんは高血圧、糖尿病、脂質代謝異常症と同じく生活習慣病の一形態と見なされるようになり、その予防法は体の慢性炎症を抑えることであるという結論がでています。慢性炎症を抑えるためには、環境要因や生活習慣を変えることです。その結果、がんの90%は予防できるという見解になっています。」(p.4)
これはまったく知りませんでしたが、医学界の常識になっているのでしょうか?
石黒さんは、このことからも定期的な運動がガンを予防すると言われています。
「40〜50代を中心に、これまで全く運動をやってこなかった人、どちらかというと運動が苦手な人を対象に、1日2分から始められる自宅でできるトレーニングの方法を伝えます。」(p.6)
運動習慣がガンを予防すると知っても、実践できる人は少ないと石黒さんは言われます。だから本書では、そういう人でも実践できて、運動を習慣化できる方法を示しておられるようです。
「1960年代の男性喫煙率は80%を超えていますが、2018年は27%に低下しています。喫煙率は減っているのに肺がんは増え続けている。そもそも喫煙率の低い女性の肺がんが増えている。そのような状況にもかかわらず、禁煙を積極的に推し進めても肺がんが減少するとは思えません。本当の意味でがんを予防するための情報が国民に積極的にアナウンスされていないのです。」(p.19)
喫煙習慣がガンの発症率を高めると言われていますが、どうやら喫煙率との相関はないようですね。
こういう事実を知らずに、専門家の言うこと、政府の言うことを信じてしまっている。そういう現実がありますね。
「免疫力が低下している状態を10年以上放置しない限り、「目に見える形のがん」になるまではなかなか進行しないわけですから、がんにならないこと(がんと診断されないこと)はそれほど難しいことではありません。」(p.21)
ガン細胞は毎日生まれていますが、それが免疫作用によって排除されています。したがって、医学的に「ガン」と認定される1cmほどの塊に肥大化する約10年間、免疫作用が抑制されなければ、ガンにはならないのですね。
「筋トレすることで得られる効果は全身の慢性炎症の改善です。筋肉は動かせば動かすほど筋肉からミオカイン(myokine)と呼ばれるサイトカイン(細胞間の伝達物質)を放出します。このミオカインには炎症を抑える物質が含まれており、筋トレを繰り返すことで全身の炎症が改善していきます。」(p.23)
以前紹介したスロースクワットの本では「マイオカイン」と言っていましたが、本書では「ミオカイン」となっていますね。いろいろ言い方があるのでしょう。
「がんは体の中の慢性炎症が持続することによって発生します(Immunity.2019)。全身の炎症が起これば筋肉はどんどん退縮していきます。僕がおなかの手術をした多くのがん患者さんの筋肉が萎縮していたのは、慢性炎症の結果だったのです。がんを予防するためには慢性炎症を改善することです。そのためにはまず、良い食習慣を形成することが重要です。しかしそれだけでは十分ではありません。筋トレをして筋肉自身から出る抗炎症物質を使って全身の炎症を改善することも併せて必要です。」(p.23-24)
慢性炎症には、やはりまずは食事を見直すことですね。その上での筋トレです。
「あらゆる原因での死亡に関しては、筋トレでも有酸素運動でも死亡率の低下を認めました。しかしがんによる死亡率だけを検討したところ、筋トレのみの群、筋トレ+有酸素運動の群は、がん死亡率の有意な低下を認めましたが、有酸素運動のみの人はがん死亡リスクの低下は認められませんでした(Am J Epidemiol.2018)。」(p.24)
運動が健康に良いことは確かですが、有酸素運動と筋トレ、つまり遅筋と速筋のどちらを鍛えるかによって、効果に違いがあるようです。
「リンパ管はリンパ球、樹状細胞などの免疫細胞や抗体などの免疫因子を運ぶ役割があります(Cell Mol Life Sci.2013)。リンパ管の途中途中にはリンパ節と呼ばれる結節状の組織が存在します。リンパ節は免疫細胞の貯蔵庫として働きます。
血管とリンパ管の最大の違いは、血管は心臓がポンプとして血液を送り出すのに対して、リンパ管にはポンプにあたるものが存在しないことです。静脈と同じく逆流防止の弁はついていますが、そのリンパ液をリンパ管の中を流すためには外力が必要です。呼吸の動きや皮膚の緊張、動脈の拍動、姿勢の変化などでもリンパ液は移動しますが、最大の外力は筋肉を動かすことです(Physiol Rev.1990)。リンパは平均分速20ml程度で流れていますが、運動時にはこの速度が10倍以上になります。」(p.25)
免疫を効果的に働かせるためには、リンパ液の循環を良くすることが大事ですが、そのためにも運動が良いようですね。
「絶食時間が経過するにつれて成長ホルモンの分泌量は亢進(こうしん)していきますので、空腹であればあるほど成長ホルモンの分泌が刺激されやすい状態と言えます。そのため、いつ筋トレをするのがいいのか?という疑問に対しては、1日の最初に食事をとる直前に行うのが最も効率的だ、と言えます。そのため多くの方にとっては朝行うことが成長ホルモン分泌刺激の効果が一番良い時間帯となります。」(p.32)
運動は習慣化しなくては意味がありませんが、では1日のうちのいつやるのがいいかと言うと、成長ホルモンの分泌の観点からは、朝食前が良いということですね。
それとともに、朝起きてすぐというのは、比較的に予定が立てやすい時間帯とも言えます。私も今、朝起きてから間もない時間帯に運動をやっています。
「健康のために行うトレーニングはあくまでも継続することが一番の目的です。そのためには毎日できるようなトレーニングを行う必要があります。自宅での自分の体重のみでのトレーニング(1回11分)を週3回行うだけで身体能力は向上します(Int J Exerc Sci.2021)。逆に毎日行うには、翌日に疲れを残さないように気をつけなくてはいけません。」(p.33)
筋トレは、高荷重の運動ですが、筋肉量を増やすには筋肉を休ませる時間が必要です。ボディービルのような目的だと、トレーニング後2〜3日は休ませないといけません。筋トレをする場合は、こういうことも考えないといけませんね。
ここから、日本人に多い大腸がん、乳がんについて取り上げ、その対処法としての筋トレを解説しています。まずは大腸がんから。
「大腸がんの大部分はポリープから発生しますが、大腸ポリープを引き起こす原因は大腸粘膜の慢性炎症です(Int J Mol Sci.2020)。腸の中の炎症を引き起こす原因には、食事、環境要因、運動不足、ストレス、毒素など様々なものがあり、原因を1つに絞ることはできませんが、最もわかりやすい腸の中に炎症を起こす状態といえば便秘です。」(p.40)
大腸がんの予防には、まずは便秘を改善することですね。
便秘の改善には食事なども重要です。本書では、排便に役立つ筋肉を鍛えることも重要だとして、いくつかの筋トレメニューが紹介されています。
次は乳がんです。
「看護師の健康調査を扱った研究では、夜勤で夜にライトを浴びている人は進行乳がんのリスクが上昇することが報告されています(Environ Health Perspect.2017)。世界保健機関(WHO)の一機関である国際がん研究機関(IARC)は、「概日リズムの乱れを伴う交代勤務は、ヒトに対しておそらく発がん性がある」としています。」(p.66)
夜勤がある仕事はリズムが乱れやすく、それが乳がんリスクに影響しているようです。私はやっていませんが、老人介護施設でも夜勤はつきものです。ある意味で職業病とも言えるのでしょうかね。
「50歳から79歳のアメリカの女性7万4000人のデータからの解析では、1週間あたり40メッツ運動する人は全く運動しない人に比べて22%乳がんのリスクが低下します(JAMA.2003)。これは週あたりの運動量が増加するにつれてリスクは低下していました。メッツ値40は、週5日1時間のジョギングの運動に相当するのでかなりの運動量です。
実際には週3回30分程度の運動(10メッツ)でも、18%低下します。特にやせ形の人(BMI>24.13)ではその傾向が顕著で、1週間あたり40メッツ運動する人は37%、10メッツでも30%の乳がんリスクの低下を認めています。」(p.70)
運動が乳がんリスクを下げるという研究もあるのですね。ただ太っている人は、運動だけでは効果が薄く、やはり減量が必要になるようです。
「サルコペニアの人はサルコペニアではない人に比べて、5年後、10年後の生存率が明らかに低下し、その死亡リスクは2.9倍でした。サルコペニアの人は、筋肉量が正常な人に比べて年齢が高く、脂肪の量も少ない傾向であったため、この影響を取り除いた解析を行いましたが結果は同じく筋肉量が少ないと死亡リスクは上昇していました(J Cancer Surviv.2012)。特に閉経後乳がんの患者(年齢55歳以上)ではサルコペニアの人ほど死亡リスクが高くなります(BMC Cancer.2020)。」(p.73)
筋肉量が一定量より少ない状態をサルコペニアと呼んで、健康に対する大きなリスクがあるとされています。そういう筋肉量が減少した状態だと、ガンに罹った時の死亡率が上昇するようです。
「褐色脂肪を増加させる一番の刺激は寒冷刺激です(Diabetes.2015)。寒くなると熱を産生しなくてはいけないので体は褐色細胞を増やします。そして運動もまた褐色脂肪を増加させると考えられています。」(p.79)
首周りから背中にかけて多くある褐色脂肪は、通常の脂肪細胞と異なり、熱を産生して代謝を高める働きがあります。その部分を筋トレで刺激して褐色脂肪を増やすことで、肥満の解消につながります。また、背中の肩甲骨周りの筋肉を鍛えることは、乳がんのリスクを下げることにもなるそうです。
この後、本書では、乳がん予防のための筋トレメニューも紹介されています。
次はガンから離れて「転倒骨折」を予防するテーマになります。歳を取って恐いのは転倒ですね。すぐに骨折し、動けなくなります。もちろん、運動そのものができなくなりますから、筋肉量が著しく減少しますね。
「転倒して背骨や大腿骨頭(大腿骨の骨盤側の根本)が骨折して動けなくなり、入院することによって全身の筋肉が萎縮し、立ち上がれないほどのダメージを受けます。高齢者は10日間の安静入院で全身の筋肉の30%を失ってしまいます(Extrem Physiol Med.2015)。その中でも特に失われるのは足の筋肉です。高齢になるとたかが1回の入院で回復不能なレベルまで弱ってしまう可能性があるのです。」(p.92)
私も老人介護施設で働いているので、この現実を経験しています。
「しかしいくら骨の密度を上げる薬を使っても骨折する人は減少していません。それはなぜか? 骨折する一番の理由は骨が弱いからではないのです。転倒するから骨が折れるのです。高齢者全体の約20%に少なくとも年間1回は転倒し、転倒の5%程度に骨折が生じます。」(p.93)
骨粗鬆症の対策として、骨密度を高める薬を飲んだり、カルシウムを補給したりしていますが、あまり効果はないようですね。
「骨折の多くは尻餅をついて倒れたときに起こります。臀部の筋肉が少ないためにショックを吸収できず骨が折れるのです。」(p.93)
つまり、転倒しても骨折しないためには、クッション代わりになるお尻の筋肉量を増やすことが重要なのですね。
「もちろん、足の筋肉、体幹の筋肉は重要ですが、重点的に鍛えて欲しい筋肉があります。それはお尻の筋肉、中殿筋(103ページ参照)です。
中殿筋は、骨盤横側の筋肉で、片足で立つとき歩くときによく使う筋肉です。骨盤が安定すればより長い時間片足で立っていることができるので歩幅が広がります。」(p.94-95)
高齢者ですり足で歩く人が多くいますが、それも転倒のしやすさにつながってます。そしてすり足になる原因は、中殿筋の衰えなのですね。
「要介護となる一番の原因は転倒、骨折や膝や腰の関節痛などが原因で、自力で動くことができなくなることです。動けなくなると筋肉量が減少しさらに歩行能力が低下します。すると外出しようとする気力がなくなり、その結果、家に引きこもってしまいます。動けなくなることが精神的・心理的なフレイルを憎悪していきます。」(p.96)
以前、「道路を渡れない老人たち」という本を読みました。歩く速度が遅すぎて、青信号の間に道路が渡れなくなって、外出しなくなるお年寄りの問題を取り上げていました。
筋力の衰えは、生活力や生きる意欲にまで影響してくるのです。
「筋肉をつけたいと思っている人で、筋トレの前後でプロテインを熱心に飲んでいる姿を見かけますが、僕自身はプロテインをサプリメントとしてとってはいません。理由は、たんぱく質をたくさんとれば筋肉がたくさんつくわけではないからです。」(p.96)
「よってある程度の年齢になると、いくらたくさんたんぱく質を摂取しても分解されにくいため、十分なアミノ酸を吸収することができなくなります。」(p.97)
筋肉を合成するにはタンパク質が必要ですが、それは一旦アミノ酸に消化分解されてから吸収されます。消化のためにはペプシンという酵素が働かなければなりませんが、胃酸が十分に出て強酸性にならないと効果が高まらないのだそうです。けれども加齢によって胃酸の分泌が少なくなる。だから、タンパク質を多く摂っても、アミノ酸に分解されなくなるのです。
「まずは筋トレを行いつつ内臓脂肪を落とし慢性炎症を改善することがプロテインを摂取することよりも先決です。」(p.98)
吸収されたアミノ酸から筋肉を合成するには、インスリンが働く必要があるのだそうです。けれども糖質を過剰に摂取していたり、体内に慢性炎症があると、インスリンの効果が減弱してしまうと石黒さんは言います。
したがって、タンパク質を多く摂取することよりも、まずは肥満を解消し慢性炎症を改善することを優先すべきなのですね。
「すなわち安静時と異なり、筋力トレーニングを行った場合はそのトレーニング直後には年齢が上がるにつれて多くのたんぱく質摂取をした方が筋肉合成には効果がいいということになります。無理して40gのたんぱく質を摂取する必要はありませんが、少なくとも20g程度はとりたいです。20gのたんぱく質は肉や魚では100g程度ですので、プロテインパウダーなど使用しなくても十分食事から摂取できる量だと思います。」(p.99-100)
消化吸収が十分な状態で筋肉合成を誘導するのに必要なタンパク質の量は、安静時の1食あたりは22歳で0.4g/kg、71歳で0.24g/kgという研究があるそうです。つまり高齢者は1日3食で0.72g/kg(体重50kgの人なら36g)のタンパク質を摂取すれば良いことになります。
筋トレをした場合は、高齢者は少なくとも1食20gのタンパク質摂取が必要だと石黒さんは言います。さらに40g摂取すると、20gの時より32%ほど筋肉合成の反応が向上するという研究もあるそうです。
1食20gのタンパク質を3食まんべんなく摂取するのがよいという話は、他でも聞いたことがあります。タンパク質は肉や魚、卵、大豆などに多く含まれますが、穀物や野菜などにも少なからず含まれています。なので、意識して肉、魚、卵、大豆などを食べていれば、自ずと達成できる量ではないかと思っています。
「元々やせ形で筋肉量が少なく、運動経験、筋トレ経験がない人は筋トレを開始してもなかなか目に見える変化が起きません。それは筋たんぱく質の合成反応(同化反応)が減弱している同化抵抗性(アナポリックレジスタンス)の状態にあるからです(Front Nutr.2021)。同じく、同化抵抗性のある人がプロテインを飲んでアミノ酸吸収量を増やしても、筋細胞そのもののたんぱく質合成を起こしにくいため効果はありません。」(p.100)
「よって継続的にトレーニングを繰り返すと、同化抵抗性があってもどこかの段階で筋肉合成が促進されてきますので、信じてトレーニングを継続すればいいのです。」(p.101)
筋肉内の毛細血管が少ないと、同化抵抗性というものが出てくるようです。なので、まずは筋トレで刺激を与えて十分な毛細血管が作られるのを待つ必要があるのですね。
ここまでで、筋肉量を増やして筋力を高めることが重要だという話は終わりです。ここからは、そのための筋トレをどうやって行うかという話になります。
「ですが知識として理解したとしても、実際に筋トレを開始する人は少ないはずです。そして筋トレを継続できる人はおそらく1%もいないのではないでしょうか? 実際に日常生活に筋トレを導入していくためには作戦が必要です。」(p.112)
「では、全く運動習慣のない人がこのような運動習慣を身につけるのにどれくらいの期間が必要だと思いますか?
僕の個人的な経験では2年から3年かかると思っています。」(p.112)
自重トレーニングだと1日30分を週6日、ジムなどで高負荷トレーニングを行うなら週3日だそうです。このような習慣を身につけることが重要なのですが、その習慣が身につくのに2〜3年かかるのですね。
私も今は朝のHIITやスロトレをやっていますが、まだ始めて3ヶ月にもなりません。この程度だと、いったん休んでしまうと、そのままなし崩し的にやめてしまう可能性が高いですね。
「筋トレ開始の最初の1ヶ月の目標は毎日2分間の筋トレを行うことです。」(p.112)
「運動を行う時間はなるべく一定にすることも習慣化には必要です。おすすめなのは朝行うこと。1日のなかで予定が最も狂いにくいのは朝です。」(p.114)
私も毎朝2分間のHIITをやっています。運動を習慣化するには、まずはハードルを思いっきり下げることが重要なのですね。
以前、ジョギングを習慣化するための方法として、着替えて運動靴を履いたらOKにする、というものがありました。続けることが最優先なので、何をするかは二の次なのです。
「実際筋トレを始めても最初は見た目の筋肉は全く変わりません。そしておなかやお尻の脂肪も減ることはありません。それは初めは筋肉組織そのものが炎症状態にあるから。筋トレを行って炎症状態からまず脱出しないと筋肉組織は筋繊維の合成を増加できないのです。」(p.115-116)
「そのため筋トレ開始時は、筋トレをする楽しみを別のところに見いだした方が継続できます。それは筋トレすることが楽しいと感じる人と一緒に筋トレすることです。」(p.116)
筋トレによる数値の変化や見た目の変化に期待すると、上手く行かないようです。筋トレ仲間は、家族や近所にいなくても、今はオンラインのコミュニティもありますからね。筋トレ仲間を作って、筋トレを楽しんでやることが継続のためのコツのようです。
「ノルマが2分間の筋トレの習慣は3〜4か月で習慣化します。もちろんノルマが2分間なのであって、実際は2分以上行うことの方が多いはずです。2分をクリアできたら次の段階は、4分から5分の筋トレです。」(p.117)
「4分の筋トレを欠かさず毎日できるようにする意識付けには、6か月から1年かかります。その間は筋肉がついたり、脂肪が減ったりするといった短期的な結果が目に見えなくても、継続していれば筋肉の代謝機能は格段に改善していきます。」(p.117)
少しずつハードルを上げていって、目標とする筋トレ量へと近づけていくことですね。それにしても、貯筋習慣を身につけることは、なかなか根気がいることです。
「たった2分、たった4分の筋トレで効果があるのか? と疑問に思うかも知れません。もちろん残りの23時間56分を全く運動しなければ、効果がないことは明らかです。筋肉を使えるようになるためには筋肉自体にも筋肉を動かすことに慣れてもらうしかありません。そのためにはいつも動かし続けることです。」(p.118)
「1回のスキマ筋トレは30秒から1分で十分です。そのとき重要なことは立ったまま気軽にできることです。」(p.118)
ノルマは朝の2分とか4分の筋トレだとしても、それ以外の日常生活の中で、思いついた時に立ったまま、あるいは座ったままでできる筋トレをどんどんやることが重要なのですね。
もちろん本書には、そういう筋トレについても解説してあります。
「医学文献を読みながら感じたことは、筋トレの重要性に関する知見の集積の高まりは、この20年あまりで腸内細菌が健康の鍵であると認識されて研究が加速度的に進んでいるのと同じ現象です。これからの健康の鍵は、薬やサプリメントで達成されることはなく、腸内環境と筋肉を維持する生活習慣であることには疑いがありません。」(p.138)
本書では、たくさんの論文から研究結果が引用されています。筆者の思い込みではなく、こういう事実を前提とした論理展開は、私の好むところです。
そして私も、健康のためには食事、運動、睡眠が大切なのは当然ですが、食事で言えば腸内環境を整えること、慢性炎症を抑えること、酸化(活性酸素)や糖化(AGE)を抑えることが重要で、それらはいろいろ関連しあっていると思っています。また、食事とともに重要なのが筋肉量や筋力を増やして維持することだとも感じています。
たしかに筋肉量や筋力を増やして維持するには運動、とりわけ筋トレが大事なのですが、それがわかっていても継続できないという問題があります。本書は、そこに鋭く切り込んでいると思いました。
まずは毎朝2分間の筋トレ習慣からですね。私も継続しようと思います。
2022年12月29日
病気がイヤなら、これを食べなさい
これも本の要約をしているYoutube動画を観て、興味を持って買った本になります。
これまでにも、健康のために何を食べればよいのか、何を食べてはいけないのかという、食に関する本を数多く読んできました。なので、この本の内容そのものには、特段目立った新情報があったわけではありません。
ただ、本書の特徴は、市販されている商品を具体的に示している点にあります。自分が実際に行動に移そうとした時、何を買えばよいのか考えた時、参考になると思います。
著者はフリーの科学ジャーナリストの渡辺雄二(わたなべ・ゆうじ)さんです。医者かと思っていましたが、そうではなかったようですね。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「その答えは、「まず血液の流れを正常に保つこと」です。人間の体はさまざまな臓器や組織によって成り立っていますが、それらの細胞が活動できるのは、常に血液が酸素と栄養素をせっせと運んでいるからです。」(p.2-3)
冒頭で、重い病気になりたくないと思うなら、まずは血液の流れを良くすることを考えよと言います。
こういう言い切っているところから、医師だろうと思い込んでいたんですね。
「そのためには、まず血管を丈夫でしなやかな状態に保つことです。」(p.4)
「血管を構成する繊維質は、主にコラーゲンというたんぱく質でできています。したがって、体内でこのコラーゲンが十分に生成されれば、血管は丈夫になります。
その方法として、私が長年実践し、みなさんにオススメしたいのが、ゼラチンパウダーを摂ることです。」(p.4)
血液の流れを良くするには、丈夫でしなやかな血管を作ること。そして、その材料になるコラーゲンを摂取することが重要だと言われます。
この時点で疑問を感じますが、それについては後ほど。
「それは緑茶を積極的に飲むことです。これによって、体内の中性脂肪や悪玉コレステロールが減って、血栓ができにくくなります。その結果、脳梗塞や心筋梗塞になりにくくなると考えられます。」(p.5)
血管に関わる重篤な病気として、動脈に血栓ができる心筋梗塞や脳梗塞があります。この予防のために、緑茶を常用することを勧めておられます。
「その腸をよい状態に保つ方法として私が長年実践しているのが、プレーンヨーグルトを積極的に食べることです。これによって腸内環境がよくなって、便秘や下痢などの不調を改善することができます。
さらに、最近になって腸は体の免疫と深い関係があることがわかってきています。ですから、腸内環境を整えて免疫を高めることができれば、全世界で脅威となっている新型コロナウイルスの感染を防止できる可能性もあるのです。」(p.5)
日本人に多い大腸がんの予防のために、また摂取した食品の栄養を効果的に取り込むためにも、腸の状態を良くしておくことが重要だとして、プレーンヨーグルトを勧めておられます。
「ところで私は、今66歳(1954年9月生まれ)ですが、もう20年以上病院のお世話になったことがありません。」(p.6)
私とは7歳違うようですね。私も、ここ10年近くは病院のお世話になっていないと思います。これについて、本書を読んで共感する部分がありましたが、これもまたのちほど紹介しましょう。
本書ではこのように、まずはゼラチン、緑茶、プレーンヨーグルト、ココアの商品を具体的に示しながら、その効能について書かれています。
まずはゼラチン、つまりコラーゲンに関してです。
「たんぱく質は体の基本物質といえますが、実はそのたんぱく質のうち約30%がコラーゲンなのです。コラーゲンは、皮膚、血管、軟骨、骨、歯、目、腱、内蔵など全身に分布していて、体にとって不可欠なものです。」(p.50-51)
「このコラーゲンの生成にはビタミンCが必要なのです。
仮にビタミンCが不足して、コラーゲンが十分に作られなかったとします。すると、皮膚や血管、軟骨などへのコラーゲンの供給が減ってしまい、それらの組織に障害が現れることになります。その障害がまず現れるのが、細くてもろい毛細血管なのです。」(p.51)
身体を構成するたんぱく質の中でもコラーゲンが重要であり、身体はそのコラーゲンを日々生成していますが、そのためにビタミンCが必要だということです。
壊血病がビタミンC不足で起こることはよく知られていますが、それはコラーゲンの生成が妨げられるからなのですね。
調べてみると、プロリンというアミノ酸からヒドロキシプロリンを生成する酵素を働かせるためにビタミンCが必要なようですね。ヒドロキシプロリンが減ると、コラーゲンの安定度が低下してしまうそうです。また、ヒドロキシプロリンを経口摂取しても、消化されたりするので効果はないとのこと。やはりたんぱく質とビタミンCの摂取が必要なようです。
「コラーゲンを構成するアミノ酸、すなわちグリシン、プロリン、ヒドロキシプロリン、アラニンですが、これらはどれも必須アミノ酸ではありません。ということは、これらは私たちの体でも作られているのです。ただし、食事によってこれらを積極的に補給してあげたほうが、コラーゲンの原料がより豊富となって、それが盛んに作られるようになると考えられます。」(p.60)
これが渡辺さんのコラーゲンを摂取することが有効だとする根拠ですが、ちょっと希薄な根拠だなぁと感じます。
体内で生成されるコラーゲンの元は4種のアミノ酸であり、たんぱく質はアミノ酸にまで分解されてから吸収され、代謝されます。そうであれば、摂取するのはコラーゲンと言うよりも、十分な量のたんぱく質(アミノ酸)であるべきではないでしょうか?
そして、それと同等に重要なのは、ビタミンCの摂取になるかと思うのです。
「「では、コラーゲンを摂るためには何を食べればいいのか?」ということなのですが、コラーゲンは、動物の体に含まれるたんぱく質であり、とくに牛すじ、鶏軟骨、鶏もも肉、鶏皮、豚レバー、豚スペアリブ、ハモの皮、ウナギ、サケの皮などに多く含まれています。これらを意識して多く食べるようにすればコラーゲンを摂取できるのですが、実際にはなかなか大変です。そこで、容易に摂取できる食品として私がオススメしたいのが、「ゼラチンパウダー」なのです。」(p.61)
動物や魚のコラーゲンに熱を加えて作ったものがゼラチン。煮こごりのように、プルプルしたものですね。それを乾燥させて粉末にしたのがゼラチンパウダーとのことです。
ゼラチンにもコラーゲンと同じ4種類のアミノ酸が含まれており、コラーゲンと同等だと渡辺さんは言います。そして渡辺さんはこのゼラチンを、15年以上毎日摂取していて、さまざまなメリットを実感しておられるそうです。
「ゼラチンパウダーを摂るようになってからほんの数週間で、膝の痛みをあまり感じなくなったのです。」(p.64-65)
膝の痛みがきっかけで、ゼラチンを摂取するようになったのだそうです。そこで効果があったから、食べ続けておられるようです。
「前述のようにコラーゲンは、骨の土台となる骨基質の大部分を占めています。したがって、ゼラチンを摂取することでコラーゲンが生成されやすくなり、骨基質の造りがよくなったことで、骨の強度が増したり、骨密度が増えたりという結果になったと考えられます。」(p.70)
加齢によって骨粗鬆症になる問題がありますが、それにもゼラチンが効果があると考えられるようです。これはラットの実験ですが、ゼラチンを餌のカゼインに添加するかどうかの比較試験で、添加した方が大腿骨の強度が増したというものですね。
しかし、明確にゼラチンが人の骨粗鬆症改善に役立ったという研究結果はないようです。こんな簡単な研究をやらないはずがないのに、それが書かれていないということは、おそらくそういう結果は出ていないのでしょう。
「1日に摂っていいコラーゲンの量は諸説ありますが、私は1日に約1g(小さじに2/3くらい)のゼラチンパウダーを摂取しています。毎日摂るなら、そのくらいがよいと思います。どんな栄養素でも、摂りすぎると弊害が現れることがあるので注意してください。」(p.85)
少な!というのが正直な感想です。だって、1日に必要とされるタンパク質量が約60gだとすると、わずか1/60以下にしかなりません。たったそれだけコラーゲンを摂取したからと言って、それで劇的な変化が起こるとは思えないのです。
もちろん、その摂取したコラーゲンが引き金となって、代謝に変化が生じる可能性までは否定しませんよ。何が起こっているかなんて、誰にも正確にはわからないのですから。
ただ、私の妻も美容のための高価なコラーゲン商品を買って飲んでいましたが、それならゼラチンでいいのではないかと思ってしまいました。膝痛の人も、高価なヒアルロン酸やコンドロイチンなどを買って飲んでいますが、それほど効かないという話もあります。ゼラチンで効果があるなら、もっと広まっているでしょう。
それに、やはり有効なのはコラーゲンを摂取することを考えるより、十分な量のたんぱく質(アミノ酸)とビタミンCを摂取することだと思うのです。
それを大前提として、ゼラチンを使ってたんぱく質を摂取するという考えも悪くないかなと思いました。
次は緑茶についてです。
「茶葉には茶独特の成分が含まれています。テニアン、カテキン、フラボノイド、カフェインなどで、これらが複合的に働いてコレステロールや中性脂肪を低下させると考えられます。とくにポリフェノールの一種のカテキンの働きが大きいとされます。」(p.90)
「それからというもの、意識して緑茶を1日に2〜3杯飲むようにし、それをずっと続けました。そして、いよいよ年に1回の特定健診の日(2011年12月6日)がやってきて検査を受けたところ、中性脂肪が85mg/dlに減っていたのです。これは紛れもない事実で、その数値が書かれた検査報告書は今も手元に持っています。
「緑茶以外にも、何か影響していたのでは?」と言う人もいるかもしれませんが、緑茶を飲むようにしたこと以外、食事は以前とほとんど変わりませんでしたし、運動も以前と同様にそれほど行っていませんでした。したがって、やはり緑茶の働きによって中性脂肪が減ったと考えられるのです。」(p.93)
2010年の特定健診では202mg/dlも中性脂肪があったのに、それ以降、緑茶を飲み続けたら正常になったと渡辺さんは言います。それ以外のことは何もしていないのだから、緑茶の効果に間違いないと。
この本全体を通じて言えることですが、この効果って、著者自身の1例に過ぎないのです。本人は他に何もやっていないと言いますが、それが本当かどうかもわからない。単に忘れているだけかもしれませんから。つまり、厳密な実験ではないということです。
もちろん、だからと言って、効果がないと否定できるものでもありません。科学的には一定の効果が認められているのですから。しかし、それが万人に如実に効果として表れるものでないことも事実です。
ですから、要因は他にもあるかもしれない、ということを忘れてはならないと思うのです。つまり、何ごとも決めつけないことですね。
「ところが、緑茶を意識して飲むようになって中性脂肪が減ってからは、熱いお風呂に入っても鼓動が激しくならず、また温泉にもふつうに入れるようになったのです。これはどう解釈すればよいのか難しいのですが(おそらくお医者さんに話しても信じてもらえないと思いますが)、多分血行がよくなることによって心臓に対する負担が少なくなって、それで暑いお風呂や温泉に入っても鼓動が激しくならなくなったのではないかと考えられます。」(p.94)
熱いお湯に入れるようになったとか、鼓動が激しくならなくなった、ということは事実なのでしょう。しかし、渡辺さん自身がおっしゃるように、その変化のメカニズムは不明です。
「総コレステロールの基準値は150〜219mg/dlです(前出の特定健診「総合検査報告書」より)。つまり、この基準値を超えている220〜260mg/dlの人がもっとも死亡率が低く、基準値内に下がった180mg/dl未満の人のほうが死亡率が高く、がんになる人も多かったということです。」(p.100)
コレステロール低下剤を使った臨床試験の結果、それでもコレステロール値が高い人の方が死亡率が低くなったということですね。これは、コレステロールが減ったことで免疫力が下がったと推測されます。
血圧も同様ですが、身体がコレステロール値を高くしているのは、そうする必要があるからではないかと思います。つまり、自然治癒力の働きですね。しかし現代医学では、高血圧であることとか高コレステロール値であることそのものを病気と捉え、その数値を変えることにやっきになっています。そうやって無理に数値を変えることによって、かえって体の機能を阻害しているように思います。
「病院で高血圧と診断されると、お医者さんは「これを飲みなさい」と言って降圧剤を処方しますが、抗コレステロール剤と同様に、できるだけ服用しないほうがよさそうです。」(p.103)
私も同感です。もっと自分の身体を信頼し、その声に耳を傾けながら、身体が喜ぶようなことをした方がよいように思います。
「ですから、コラーゲンの新陳代謝がよくなって、常に新しいコラーゲンが生成されてそれが血管に供給されれば、血管は弾力性を保つことができると考えられます。そうなれば、高血圧は回避できる、あるいは回避できないまでも血圧の上昇の度合いを減らすことができると考えられます。」(p.108)
緑茶を飲んで中性脂肪を減らせば、血液がサラサラ状態になるので高血圧も解消されると渡辺さんは言います。また、高血圧の原因は他に、血管の弾力性が失われることもあって、それを解消するにはコラーゲンの代謝を促進することも有効だと。なので、高血圧への対処法としては、緑茶を飲むことも、前出のコラーゲンつまりゼラチンを摂取することも、効果があると言われるのですね。
次は3つ目のプレーンヨーグルトについてです。
「この木クレオソートには大腸の蠕動(ぜんどう)運動を抑制し、また、腸内の細菌の活動を抑えるという働きがあります。そのため、下痢が止まるのです。
しかし、それが体にとってよいことなのかというと、はなはだ疑問です。下痢をよく起こす人は、「お腹が弱い」と見られがちですが、一概にそうともいえません。なぜなら、下痢は体にとってよくないものが消化管に入り込んできた際に、それをいち早く体外に排泄してしまおうという働きでもあるからです。その意味では、体を有害なものから守る現象ともいえるのです。」(p.119)
下痢になったら正露丸。私が子どもの頃、当然のように飲んでいましたが、その正露丸の主成分が木クレオソートだそうです。
正露丸よりも整腸剤、と言われる時期もありましたが、今では下痢止めも整腸剤も飲まなくなりました。自然が一番だと思うし、下痢そのものを病気とは考えなくなったからです。
レイキでは、下痢も嘔吐も身体の浄化作用だと考えます。つまり自然治癒力の働きです。その点、渡辺さんの考えにも賛同します。
「なお、製品名の[R-1]とは、ブルガリア菌の一種のラクトバチルスブルガリカスOLL1073R-1(乳酸菌1073R-1)の最後の[R-1]をとったものです。明治によると、この菌は特定の多糖体を作り出すため、それが免疫力を高めて風邪やインフルエンザの感染を防ぐといいます。」(p.124)
ひと言でヨーグルトと言っても、その乳酸菌の種類によって働きも様々なようです。明治の[R-1]という商品のうわさは、私も聞いたことがあります。ブルガリア菌が優秀なようですが、その中でも特に優れているとうわさされていますね。
実際、明治も実験をしたようで、[R-1]を飲んだ人たちは風邪をひくリスクが明らかに低かったとか。しかし、薬として売ろうとしたわけでもないので、「強さひきだす乳酸菌」というキャッチコピーで、暗に免疫力を高めることを謳っているようです。
腸内の環境を整えるのに、発酵食品が良いという話はいろいろ知っています。水溶性食物繊維が良いとか、オリゴ糖が良いとか、いろいろありますね。なので、ヨーグルトももちろん良いと思います。
ただ、値段が高いのが玉に瑕。[R-1]も2020年3月から[R-1 プレーン]というのが発売されたそうですが、1個(336g)で408円(税込み)するそうです。渡辺さんは、ヨーグルトメーカーを使って、購入したヨーグルトから新たにヨーグルトを作って増殖させて食べているとか。たしかに、そうした方がコスパは良いでしょうねぇ。
次は4つ目のココアです。
カカオポリフェノールや食物繊維を摂取するなら、高カカオチョコレートよりも、カカオ粉末でもあるココア(カカオ脂肪を取り除いたもの)を飲むのが良いそうです。便秘の解消や、インフルエンザの感染防止にも役立つそうですよ。
私は、前に紹介した「医師が教える最強の間食術」の影響で、高カカオチョコレートを「チョコちょこ食べ」しています。
このあと、他のオススメ商品について話が続きます。
とりあげられているのは、ハチミツ、ニンニク、日本そば、漢方薬となっています。
これらについては、特に引用しません。気になる人は、ぜひ本書をお読みください。
いずれも健康に役立つであろうことは、容易に推測できるかと思います。薬やサプリよりも、自然な食品を継続的に摂取すること。これは私も重要だと思います。
最後の漢方薬は疑問もありますが、薬とも言えますが、自然のものですから、食品とも言えますからね。
ハチミツを舐めるのに、口に突っ込んで容器の口から直接舐めるという方法は、なかなかいいなと思いました。自分専用の容器にすれば、手間もムダもありませんからね。
「それから何より重要なのは、「自分の体は自分でケアする」という意識を持つことです。誰かに頼ってはいけません。「他人に助けてもらおう」という甘い考えは捨てたほうがよいでしょう。「自分のことは自分で」という意識を持つか持たないかで、残りの人生がずいぶん変わってくるように思います。」(p.214-215)
「おわりに」に書かれたこの一文がたいへん秀逸だと思いました。この一文を読むだけでも、この本を買う価値があると思えるくらいです。
これまでにも言ったように、本書は科学的な情報を伝えるものと言うより、渡辺さんが自分自身で試してみて、自分に効果があった商品や方法をお勧めするという内容になっています。つまり、万人にとって正しいものではありませんし、そんな保障もしていません。
そこでこの一文になるのです。渡辺さんが実践してこられたことを参考にして、自分の頭で考えて、自分でやって、検証してみたらいいでしょう、ということです。
ですから、渡辺さんが言うことを鵜呑みにする必要はないし、むしろ鵜呑みにしてはいけません。それでは他人に頼ることになり、それは他人に助けてもらおうとする甘い考え方ですから。それではダメなのです。
いろいろな情報を元に自分なりに考えて、自分で実践していく。他人には効果があっても、自分には効かないかもしれませんし、その逆もありますからね。
だから、自分のやり方を他人に押し付ける必要もありません。単に自分はこれが良いと思ってこうしている、と伝えるだけでいいのです。
本書はまさに、そういう本だと思いました。そういう生き方を知って、自分の中に取り入れればいいのではないかと思います。
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