2022年10月01日
2度のがんから私を救った いのちのスクワット
これもYoutube動画で紹介されていた健康法に関する本です。私自身、スクワットやランジをやって、筋力UPということを考えて実践していますが、スロースクワットというものは知りませんでした。
動画では、加圧トレーニングによって筋肉が鍛えられるのと同じ原理だとあり、面白いと感じました。タイトルに2度のガンから生還したことが書かれているのですが、これについては「どうだかなぁ?」という思いもありました。
著者は東京大学名誉教授の石井直方(いしい・なおかた)さん。筋肉に関する研究をされているようで、若い頃にはボディービルダーとして活躍しておられたようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「がんを移植したネズミは、そのままにしておけば筋肉がみるみる萎縮して死んでいきます。しかし、筋肉を増強する薬物を与えて筋肉が減らないようにすると、ネズミの寿命は著しく延びました。つまり、がんになっても、筋肉をしっかり維持できれば長生きできる可能性があるのです。まさに筋肉はいのちに直結するというわけです。」(p.4)
ご自身の2度のガン経験に加え、こういう研究結果から、本書が生まれたということですね。
「世の中が便利になると、生活のために筋肉を使う必要がなくなってきます。しかし、そのまま筋肉を使わずにいると、筋肉はどんどん衰え、やがて健康上のさまざまな不都合が生じます。これは人類社会の抱える矛盾のひとつといえます。かといって、昔の不便な生活には戻れません。そこで、筋トレで「賢く」筋肉を維持しようというわけです。」(p.6)
たしかに、あえて不便な生活にすることで筋肉が衰えないようにするなんてことは、無理がありますからね。
「スロースクワットは、「スロトレ」方式で行うスクワットです。スロトレとは、スロートレーニングの略で、私の研究室で開発した「ゆっくり動き続ける筋トレ法」のこと。ゆっくり行えば、軽い負荷(最大筋力の30%程度)でも、効率よく筋肉を鍛え増やせることが、私たちの研究で明らかになっています。
しかも、ゆっくりした動きなので安全性が高く、関節を痛めたり、血圧の急上昇を引き起こしたりするリスクがきわめて低く、体力に自信のないかたや高齢者をはじめ、どなたでもでもできます。」(p.9)
こういう効果とメリットから、著者はスロースクワットを勧めています。
「極端な場合、ベッドで寝たきりになると、脚の筋肉は、1日で0.5%も減少します。1週間なら3.5%、1ヵ月ベッドで寝て過ごせば、15%もの筋肉が減ってしまうおそれがあります。
前述の通り、40〜50代以降は、年に1%の筋肉が落ちていきますので、その計算でいけば、2日寝たきりでいると1年分の筋肉が落ちてしまうのです。」(p.32)
私も高齢者施設で働いているので、このことは実感しています。入院から戻ってこられると、驚くほど動けなくなっている。高齢者への影響は甚大です。
「「フレイル」とは、「心身の機能が大きく低下しつつある虚弱状態」を指します。
サルコペニアやロコモによって、運動機能が大きく低下し、活動量が減少することで、「フレイル」と呼ばれる状態に近づいてゆきます。
サルコペニアは、筋肉量の減少で身体機能が低下した状態ですが、フレイルは、身体機能の低下に加えて、認知機能や栄養状態、日常生活の活動性などが全般的に低下した状態です。身体的健康、心理的健康、社会的健康の三者が脅かされている状態で、介護が必要になる前段階です。」(p.47)
動かない(動けない)ことで筋力が衰え、さらに動けなくなる。動かないことによって心身の機能も虚弱になる。やる気もなくなり、認知機能も衰える。こういう悪循環にハマってしまいます。これが高齢者の差し迫った問題だと、私も感じています。
「通常のウオーキングで主に使われるのは、持続的な力を発揮する遅筋線維です。そのため、速筋線維はほとんど使われず、鍛えられることもありません。ただ歩いているだけでは、大腿四頭筋や大腰筋のサルコペニアを予防したり改善したりすることはできないでしょう。」(p.30)
フレイルの対策として散歩とかウォーキングをしても、それほど効果がないのです。
私が勤める介護施設でも、廊下を歩き回っている方はおられますが、やらないよりマシという程度の効果しか感じません。歩き回っているのに、どんどん衰えていく人がいますから。
「彼らが行ったのは、ひざの伸展・屈曲の筋トレです。80%1RMの高強度で、ひざの伸展・屈曲をそれぞれ8回×3セット。これを週に3回行いました。」(p.86-87)
「デンマークの研究では、トレーニングの結果、ひざの伸展筋力が平均38%増加し、大腿四頭筋の筋横断面積が平均9.8%も増加したと報告されています。
平均年齢89歳のグループでこれだけの効果が上がったということは、高齢者の筋トレの効果を考えるうえで貴重なエビデンスとなっています。」(p.87)
「1RM(いちあーるえむ)」というのは、1回挙げるのがやっとというその人にとっての限界の負荷強度(最大挙上重量)のことで、「80%1RM」は最大挙上重量の80%の重さのことです。ウエイトトレーニングにおいては、この80%1RMの負荷で8〜10回行うということが一般的なようです。
この筋トレを高齢者に行ってもらったところ、一定の筋肉増加が認められたということですね。
「高強度の筋トレを行えば、一時的なものであれ、血圧が急上昇することがわかっています。種目にもよりますが、若くて健康な人が最大強度の8割くらいの負荷(80%1RM)で8回行うトレーニングをすると、最大血圧(収縮期血圧)が250mmHgくらいまで上がってしまいます。」(p.88)
つまり、筋肉増強に役立つとわかってはいても、高齢者に安易に勧められる運動方法ではないということです。
「70%1RMくらいでも効果はありますが、65%1RM以下では、筋肉の増加は起こらないとされています。
一方で、最近10年ほどの間の研究から、30%1RMくらいの負荷強度でも、疲労困憊に至るまでとことん反復を繰り返すことで、筋肉が太くなることがわかってきました。」(p.90)
高強度でなければ筋肉増加は起こらないと思われていましたが、案外、低強度でも筋肉が増加するのだそうです。ただし、かなりの回数をやらなければならず、そこまでするくらいなら高強度でやるだろう、ということのようですね。
これは、疲労困憊するということは、有酸素運動であっても筋肉にとってかなり酸素不足の状態になるためと考えられています。つまり、無酸素運動によって筋肉増強が起こるということです。
「一方、ゆっくりした動きで行う「スロトレ」は、こうした問題をクリアする、画期的なトレーニング方法といえるでしょう。
スロトレでは、最大挙上負荷の8割も使いません。もっと低強度の「3割程度の負荷」で効果があります。しかも、少ない反復回数で筋肉を太く強くしてくれます。重たいものを持ち上げなくても、またへとへとになるまで反復しなくてもよいのです。スローで行うスロースクワットでも、もちろん同様です。」(p.91)
「しかし、加圧トレの研究から重要な知見が得られました。
「筋肉の血流を制限し、低酸素状態で筋トレを行うと、低強度の筋トレでも高い効果を上げることができる」ということです。」(p.93)
「筋肉が力を出すと、その筋肉の内圧が上がります。」(p.93)
「そのため、筋肉内の血管が圧迫され、血液が流れない、もしくは流れにくい状態になっています。」(p.93-94)
「つまり、「30%くらいの力を発揮したまま、力を緩めずに動作を続けていれば、加圧で血流を制限したときと同じような低酸素の環境を作ることができるのでは?」というアイデアが生まれたのです。」(p.95)
「というわけで現在は、「4秒かけてゆっくりと腰を下ろし、静止なしで、4秒かけてゆっくりと立ち上がる」やり方を推奨しています。」(p.97)
加圧トレの原理を応用した、これまでの常識を覆す筋トレ。それがスロトレなのですね。
やり方の詳細は、ぜひ本書をお読みください。スクワットにもいろいろなやり方があり、あまり動けない高齢者でも無理なくできる方法についても解説されていますから。
「筋トレで筋肉を太くするためには、速筋線維が使われなければなりません。筋トレで太くなれるのは主に速筋線維だからです。また前述の通り、加齢で著しく細くなるのも速筋線維のほうです。
しかし、通常の筋トレで最大筋力の3割程度の低負荷強度を用いた場合、最初は遅筋線維しか使われません。30回、40回、50回……と疲れ果てるくらい繰り返してやっと速筋線維の出番がきます。」(p.99)
「もとより遅筋線維は持久力のある筋繊維ですが、酸素が十分にないと活動できません。一方、速筋線維は酸素があまりなくても活動が可能です。酸素濃度が下がると、遅筋線維が早く疲れてしまうのです。そして、速筋線維が助太刀に動員されることで、速筋線維の強化が可能になります。」(p.100)
遅筋と速筋の特性からの解説です。低負荷だと遅筋が使われますが、酸素供給量が減ると速筋も使われるようになる。だから、意図的に血流を減らして酸素供給量を減らせば、低負荷でも速筋を鍛えることが可能になるというわけですね。
「筋肉を使わず、じっと座っていると、下肢の筋肉のポンプ作用が働きませんから、血液循環が悪化します。すると重力の影響で血液やリンパ液が足のほうにたまります。この状態が長く続けば、足がむくんだり、さらには血栓ができて、エコノミークラス症候群にもつながります。」(p.110)
「筋肉には熱を作り出す働きがあります。私たちの体温は常に37℃前後を保っています。これは、筋肉が熱を出してくれているからです。
私たちの体温のうちの約60%を筋肉が生み出していることがわかっています。」(p.110)
筋肉というのは、単に運動に役立つだけでなく、生命維持においても重要な役割を果たしているということですね。
「じっとしているときでも、生命を維持するためにエネルギーが消費されていて、これを基礎代謝といいます。この基礎代謝の約3〜4割は筋肉による熱の産生です。
筋肉1kgあたりの基礎代謝量は、1日約20〜50kcalとされています。トレーニングによって筋肉を1kg増やした場合、自律神経の活性化による効果も加わって、1日約50kcalも代謝が増えるという報告もあります。つまり筋肉量が増えると、特に運動をしなくてもエネルギー消費が増えることになります。」(p.111)
「脂肪は1kgあたり約7000kcalの熱量をもっていますので、トレーニングで筋肉が1kg増えれば、自然に脂肪が2.5kg減る計算になります。逆に、筋肉を1kg減らしてしまうと、脂肪が2.5kg増えてしまうことになるのです。」(p.112)
筋肉量は基礎代謝量に大きく影響を与えています。運動をしなくなって筋肉量が落ちても、体型がそれほど変わらないという経験がありますが、その分(以上に)脂肪が増えているんですよね。
「動物実験では、筋肉による熱の産生を抑えられたマウスは、冷え性になるばかりでなく、肥満となり、やがて糖尿病になることが示されています。」(p.112)
「やせているばかりでなく筋肉量が少ないと、糖をエネルギー源としてたくさん消費できません。つまり、糖を利用する能力が低下するために血糖が下がらなくなると考えられます。実際、体の中の糖のうち7割以上が筋肉によって消費されることがわかっています。」(p.113)
「糖尿病になると、余った糖が「糖化ストレス」という状態を引き起こし、動脈硬化、脳卒中、腎疾患、認知症などのさまざまな合併症へとつながっていきます。糖は重要なエネルギー源ですが、余剰になると一種の「毒」になるわけです。」(p.113)
筋肉量の低下が肥満や糖尿病につながることも、実験と理論から示されています。そして、血糖値が高い状態は、人体にとって良いことではないのです。
「マイオカインでいま注目されているもののひとつが、「イリシン(アイリシン)」です。もともと、イリシンは脂肪組織に働いて、白色脂肪を褐色化する(発熱する脂肪に変える)ことで注目されました。
しかしその後の研究から、脳にも働いて、海馬(短期記憶の中枢)の機能を活性化することがわかってきました。海馬には脳由来神経栄養因子(BDNF)という物質があり、この物質は神経細胞の働きを活性化します。BDNFが増えると、短期記憶や学習機能が向上することがわかっています。」(p.117)
「とくにイリシンが注目を集めているのは、認知症予防に役立つのではないかと考えられる点です。」(p.118)
「一方、マイオカインであるスパークが初期の大腸がんにおいて、がん化した細胞を自死(アポトーシス)に追い込む働きがあることが報告されました。
スパークを、培養した大腸がんの細胞に与えると、がんは成長しません。それどころか、縮小していくのです。」(p.119)
「筋肉をよく使い、スパークがたくさん血中に放出されていることで、運動好きな人は大腸がんになりにくいのではないかという仮説も可能です。」(p.120)
マイオカインというのは、筋肉から直接出るホルモン様物質の総称だそうです。100種類以上あるとされていますが、機能が確かなものは30種類程度だそうです。
つまり、筋肉には人体に好影響を与える仕組があり、それはまだ解明されていないものが多いということですね。
「一方、がんになっても、筋肉をしっかり維持できれば長生きできる可能性があるという、2010年に発表された有名な研究があります。
マウスの皮膚にがんを移植して、そのままにしておけば、筋肉量がみるみる減っていきマウスは死んでしまいます。しかし、同じ移植をしたマウスに筋肉増量剤を与えて筋肉量を増やしてやると、筋肉量を増やさなかったマウスよりもはるかに寿命が延びました。がんをもちながら、正常なマウスと寿命は変わらないほどでした。
つまり、がんに罹っても、筋肉の減少を抑制できれば、その分だけ延命につながる可能性があることがわかってきたのです。」(p.120-121)
本書の冒頭でも語られていたことですが、このことにもマイオカインが関係している可能性があると石井さんは考えているようです。
「筋肉と骨の関連について、日本人の高齢者数千人を対象に調べた研究があります。それによると、「筋肉の多い人ほど、骨密度が高い」という相関関係があることがわかります。筋肉がしっかりある人ほど、骨も強いということです。」(p.123-124)
相関関係であって因果関係ではありません。ですが、強い筋肉で動かせば骨にも強い刺激が与えられ、骨の強度を増す作用が高まるのではないか、ということは想像できますね。
「最近の臨床研究では、術後もできるだけベッドに寝ている時間が少ないほうがよいとされているそうです。
術前、術後の筋トレのかいもあって、11月7日に退院、術後これほど短期のうちに退院できる例はまれだそうです。」(p.136)
石井さんは、2度のガン治療を行い、その入院中でさえ筋トレを欠かさなかったそうです。
「多くの患者さんのデータの分析から、大腰筋が太いほど、つまり体幹の筋肉がしっかりしているほど、術後の回復が速いことがわかってきたということです。
実際、私自身の大腰筋はかなり太かったらしく、そのおかげで早期の退院が可能となったのかもしれません。」(p.137)
「私自身も体験しましたが、筋トレが大きな手術の成否を左右する要因のひとつとして認められて、治療の過程の中に組み込まれるケースが増えています。
手術前の筋トレ(プレコンディショニング)と、手術後の筋トレ(リハビリテーション:リハビリ)の両方が、手術の成功率や回復速度を左右する重要なファクターと見なされるようになってきているのです。」(p.138)
筋トレが、手術など病気治療に役立つ可能性があるということですね。
「私たちの研究では、高齢になっても、スロトレを行うことで、筋肉が増え筋力がアップすることがわかっています。」(p.140)
「歳を取るにつれて、私たちはがんになりやすくなっていきます。だからこそ、ロコモ・フレイル予防としてだけでなく、がん対策としても、ご高齢のかたにスロースクワットをお勧めしたいのです。」(p.140-141)
年をとったらかもう手遅れなんてことはないのですね。何歳になっても、適切に鍛えれば筋肉は増強されますから。
「まず、ご自身が健康であること自体が第一の社会貢献となり、ご家族や周囲のかたたちに幸福をもたらします。
積極的に体を動かすことによって、健康長寿が可能になります。生き方も運動もスローでいいので、心身ともに元気であり続けましょう。」(p.150-151)
石井さんは、ついつい無理をして仕事をしてしまっていたと反省されています。身体の声をしっかり聞きながら、無理をせずにストレスを減らして、スローな生き方をすることが大切ですね。
そして、自分の健康を第一に考えることが、そのまま社会貢献になると言われています。たしかに、医療費や介護費も削減されるし、家族の肉体的心理的な負担も軽減するでしょうから。
スロースクワットで筋トレになるということに興味を覚えて読み始めたのですが、意外にも健康全般につながる知識が得られ、かつ、生き方に示唆を与える内容もあって、素晴らしい本と出会ったなぁという思いがあります。
私が老人介護施設で働いていることもあり、こういう本をお年寄りの方々に読んでいただきたいなぁと思ってしまうのです。ぜひ読んで、身近なお年寄りの方にもお勧めしていただければと思います。
2022年10月02日
あにっき
バリ島の兄貴こと丸尾孝俊(まるお・たかとし)さんの元で住み込みで暮らしながら、インドネシアの方々と交流し、インドネシアには親日の、日本には親インドネシアの心を醸成する役割を担った異文化交流の制度があります。
その制度では、対象を20〜30歳の女性にすることで、将来の日本を支える良きお母さんになってもらうための修業の場、という役割も持たせています。
その異文化交流生として研鑽された多くの女性たちが、これによって何を学び、自分の人生にどう生かしているのか。それを語ったKindle版の書籍になります。
それぞれの異文化交流生が、それぞれに自分の人生を見つめ直すきっかけになったのだろうと思います。
その詳細は、本書を読んでいただくとして、私は、本書を編集された今村仁(いまむら・じん)さんの話が心に残りました。
それは、親日国として知られるインドネシアが、なぜそうなのかという歴史に関する話です。
これまでにも白駒妃登美さんの本などを読んで、ある程度は知っていることですが、改めて、私たちのご先祖様たちの偉大さを感じます。
「1995年、終戦後10年。スカルノ大統領の手腕によって、彼の生まれ故郷バンドンで第1回アジア・アフリカ会議が、インドネシアの開催議長国で開かれました。スカルノ大統領のほか、インドのネルー首相、中国の周恩来首相、エジプトのナセル大統領が中心となって準備が進められ、開催が決まったのです。アジア・アフリカの独立を果たした国や、独立を目指す国が参加しました。この会議には日本も招待されました。日本はかつて占領した敵国ではなく、仲間として招待されたのです。」(p.205)
「2015年4月22日、終戦後70年。ジャカルタでバンドン会議60周年を記念する首脳会議が開かれました。
日本の安倍晋三首相が演説に立ったとき、万雷の拍手で迎え入れられました。それは、明治時代にロシアのバルチック艦隊を破り、自分たちを白人支配から目覚めさせ、自ら欧米と戦い、アジアに独立運動の火をつけた日本に対する、賞賛と感謝の気持が込められた拍手でもあったのです。アジア・アフリカの国々の首長が、それぞれ独立国として集まっている姿が、まぶしくTV画面に映っていました。かつて大日本帝国が唱えた「アジアはひとつ」「大東亜共栄圏の実現」は、このように、大国の植民地支配から自らを開放し、民主的な別の形でアジア・アフリカに実現されたのです。」(p.206)
「三浦襄氏の熱い魂、それを引き継いだバリの英雄ングラ・ライ将軍の魂、スカルノ大統領やハッタ首相、初代バリ州プジャ知事の魂、残留日本兵たちの魂、大東亜戦争で亡くなったすべての人々の御霊は、きっと天国で喜んでいらっしゃることでしょう。」(p.207)
日本の教育では、こういう先人たちが為したことや、それによる世界の人々の思いを子どもに伝えることをしません。
しかし、これが事実であり、消すことのできない私たちのご先祖様たちの功績なのです。その恩恵によって今の私たちの状況がある。そのことを、忘れてはならないと思うのです。
そして今井さんは、兄貴がバリに聖地を造ろうとされていることを語ります。
「デヴィ・スリという双子の豊穣の女神は、きれいなお顔と、お腹に悪魔の顔を併せ持っています。正義と悪は同じ女神の中にも存在するというバリの一元論(ルアビネダ)を表わしています。バリのバロンダンスは、善と悪が共存し、永遠に勢力争いをしている様を踊りで表現しているのです。どちらかが、なくなるということは無く、絶えず善と悪は世の中に共存するという戒めです。ということは、自分の人生は、どちらにフォーカスするかによって、意味が変わるということです。どちらが多い人生が良いか、自分で決めることが出来ます。」(p.209)
「「宇宙には自分から出したものが返ってくる」という、実に分かりやすい法則があるらしいです。(小林正観さん言)。だから自分の心のお掃除が大事です。」(p.210)
「世界中にあまたの国がありますが、宗教にこだわらず、多民族国家、多言語の共存を許し、イデオロギーや人種、肌の色にもこだわらず、誰でもが自由に出入り出来る、観光に生きる島があります。
それは「神々の島」と世界中から呼ばれている、インドネシア・バリ島です。」(p.211)
「神々の島バリに、誰でもが、平等に、安全に、楽しく、世界平和を祈ることができる聖地を創ったら、さぞやアジアに眠る英霊達は喜ぶし、天国も喜びに満ちあふれることだろうと考えています。」(p.211)
「紛争解決のための、人類に残されたバリの聖地は、愛で地球を救います。
弱者を助け、お互いを助け合い、共に平和を喜び、繁栄しましょう。
憎しみは戦いでは無く、愛によって熔けます。
グローバルな地球規模の視点で世界平和、宇宙平和を考えるべきです。
「神は愛なり」を実感できる聖地を、地上に実現しましょう。
桜の園を創り、人情と和の心を呼びさましましょう。」(p.212)
自分の正義を振りかざして誰かの悪を責めるなら、それは戦争への道です。見方によって、それは正義にもなれば悪にもなるのです。
だからこそ、その違いを受け入れあって、共存し合うことが大事なのです。
異文化交流生の若い女性たちに、短い期間でそういう思いまで伝わっているかどうかは疑問ですが、兄貴の元での修行の体験は、きっと自分の人生を見直してみるきっかけになったことでしょう。
修行は一生続きます。もちろん、私も修行しています。日々、修行です。老いてなお修行です。
そして、本当の愛に、一歩でも近づけたらいいなぁと思っています。
2022年10月05日
「食べない」ひとはなぜ若い?
船瀬俊介(ふなせ・しゅんすけ)さんの少食をテーマにした本を読みました。
これまでにも「3日食べなきゃ、7割治る!」という少食に関する本を読んでいますが、改めて読んでみたくなったのです。
船瀬さんの本は、先日、「テレビは見るな! 新聞は取るな!」を読んで紹介しました。この本も、同時に買ったものです。
先日の本は、タイトルには賛同するものの、内容の陰謀論についてはやや懐疑的です。今回の本に関しても、少食が健康に役立つという観点では賛同するものの、その真実を広められては困る勢力によって暗殺まで行われているという陰謀論に関しては、やはり懐疑的に思います。
そういうことはありますが、少食に関しては、今回も素晴らしい知見が得られる内容だと思います。
信じるかどうかは別として、読んでみる価値はあると思いました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「ガリガリに痩せ細って寝たきりの子規が一日に食べた量はチリ作業員が一七日間に口にした量をはるかにしのぎます。なのに、労働者たちは元気いっぱいで地上に現れ、子規は痩せさらばえて息を引き取ります。あれほど栄養をたっぷり摂ったのに……。
「栄養学」は正しかったのでしょうか?」(p.18)
最初に、チリ鉱山の落盤事故で閉じ込められた33人の作業員の奇跡の生還物語と、若くして脊椎カリエスで亡くなった天才、正岡子規を取り上げて比較しています。
一方はほとんど食べなかったのに元気ハツラツとしていた。しかしもう一方は、飽食で吐きながらも食べ続けて亡くなった。そこに、私たちが信じてきたカロリー信仰の栄養学に対する疑問を呈するのです。
「ヨガの有名な教義がある。
「腹八分で医者いらず。腹六分で老いを忘れる。腹四分で神に近づく……」
五〇〇〇年以上も前の古代インドで起こったといわれるヨガの教訓−−。
それを、ようやく現代医学が「真理だった!」と驚愕とともに認め始めている」(p.27)
こういう教えが本当にヨガにあるのかどうか、私は知りません。けれども、同様のことは他でも言われていますね。
「−−柿食へば……の句の解説に、子規が大変な果物好きであったことが、触れられていた。
なにしろ一度に柿を一一個も食べた……云々。その数に驚愕した。」(p.34)
たしかに他にもいろいろ書かれていますが、子規の大食は異常なものだったようです。
「これら”空の熱量”を燃やすと、大量の酸化物(酸性物質)が体内に生成される。
すると血液・リンパ液などの体液が酸性に傾く。すると身体はさまざまな症状に襲われる。
これを酸血症(アシドーシス)と呼ぶ。この体液酸性化が進行すると、やがて死にいたる。
それを防ぐためには、その酸性を中和しなければならない。
その中和としてカルシウム・イオンが使われる。
カルシウムはどこから血液に供給されるか? いうまでもなく骨から供給される。すると全身の骨格はスカスカに脆くなる。そして病原菌に侵され始める。これがカリエスである。」(p.37)
白砂糖はエンプティ・カロリー(空の熱量)と呼ばれるそうですが、それを大量に摂取すると体液が酸化され、その中和作用としてカルシウムが溶け出すことでカリエスになる。子規がカリエスで苦しんだのは、果物やお菓子の食べ過ぎが原因だと見るのですね。
ただ、糖質の摂り過ぎでアシドーシスが起こるという説は、一般的なものではなさそうですけどね。
「野生の動物も怪我をすることはある。病気に襲われることもある。そのとき、かれらはどうするか? 巣穴にこもって何も食べない。じっと静かに横たわり、心身を休める。
まず「食べない」。これが最も肝要である。食を絶つことで、消化吸収に向けられていた生命エネルギーが、すべて治癒エネルギーに転化される。
意外に知られていないが人間が消化吸収に費やすエネルギーとは膨大なものだ。」(p.39)
動物が心身を癒すために食べないという選択をしているとは思いません。おそらく、食べたくても動けなくて食べられない。食べるために動くことより、食べられなくても動かない方が楽だ。あるいは、食欲がなくなるのか。理由はわかりませんが、一言で言えば本能だということなのでしょう。
「かくして、フォイト栄養学は食品業界とドイツ軍部の要請に応えるために”ねつ造”されたのである。その見返りとして、フォイトは”近代栄養学の父”としての名誉と地位を獲得した。」(p.59)
「フォイト栄養学とは、商業と戦争のための栄養学であった。
健康と生命のための栄養学では断じてなかった。」(p.59)
このように栄養学者のフォイトを断罪します。理由は、何ら根拠jもないのにたんぱく質の摂取量を現状の2.5倍が必要だと推奨したから。
それは食肉産業などから支持を得るためであり、また肉食によってガタイが良くなり、攻撃性が強くなることで、軍の要請に応えることにもなるからだと。
う〜ん、それだけで食肉業界との癒着だけならまだしも、軍の要請に応えたというのは、いかがなものかと思いますよ。だってそれによって自国民が不健康になるのだとすれば、自国を弱体化させることにつながるではありませんか。それともその時点では、健康に影響があるとは考えなかったのでしょうか?
それに、食肉業界などの支援があれば、とんでも説であっても他の学者から否定されず、栄養学の父に祭り上げられるでしょうか? ちょっと短絡的だなぁと感じます。
「動物たんぱくと植物たんぱくが同質でないのは、その後の研究で次々に明らかにされている。
−−たとえば
「肉食者は五倍も大腸ガンで死亡する」。(「マクガバン報告」参照)
「動物たんぱくは植物タンパクより八倍発ガン性が高い」(「チャイナ・スタディ」参照)
後者は動物たんぱくは”史上最悪の発ガン物質”と断じている。」(p.60)
フォイトが「すべてのたんぱく質は同質である」と仮定していたことを捉え、これもまた意図的なものだとしています。
たしかに、肉食が発ガンの危険性を高めるという研究があることは知っています。しかし、研究結果1つで事実が決まるわけではないということも、科学の常識でしょう。様々な研究と検討がなされる中で、やっと学説が固まる。そういうものだと思います。
実際、たんぱく質を摂取することで健康になるという研究結果もあるようです。だから今でも、健康長寿のためにたんぱく質を多めに取るようにと主張する人も多いのです。
「これは、アメリカ政府(上院)によるフォイト栄養学への反撃である。
「当時のアメリカは今より健康だった。いま欧米諸国では、どの国も食事改善運動を国をあげて進めている。「現代の欧米諸国の食事は、”悪い”食事だ」−−これは、各国が一致して出している結論です」(今村氏)
「二〇世紀初頭の食事」とは、フォイト栄養学とは逆の”五低食品”である。
@低カロリー、A低たんぱく、B低脂肪、C低砂糖、D低精白……の食事だ。」(p.70)
「マクガバン報告」のことを、このように語っています。つまり、フォイト栄養学が推奨されたことによって、アメリカ人は不健康になったのだと。
「「マクガバンを落とせ!」のネガティブ・キャンペーンの嵐が吹き荒れた。かくして、民主党の大統領候補であった優秀な政治家は、その政治生命を絶たれたのである。」(p.71)
まあそれが真実かもしれないし、そうでないかもしれない。船瀬さんの煽るような書き方を読むと、私はつい引いてしまうのです。
「ちなみに、「マクガバン報告」の中に、われわれ日本人にとって極めてインパクトのある一文が載せられている。
「この地球上で、もっとも理想的な食事がある。それは日本の伝統食である」。
この一文を、亡き正岡子規が読んだら、どんな感慨にとらわれただろう。」(p.72)
たしかに、そういうことがあるかもしれません。けれども、食の欧米化によって栄養が行き渡り、寿命が伸びたとも言える一面があるのではないでしょうか? そこも、この本では語られていない部分です。
「東西の自然医学の重鎮が、まったく同じ理論を述べている。
体質悪化により、体液(血液)が汚れ、その汚れをきれいにする浄化装置として登場したのがガンである−−という理論は、じつに説得力がある。」(p.100)
「血液の汚れを放置しておくと血液は腐敗していく。これが敗血症だ。
血液の腐敗とは、血液中に病原菌が入り猛繁殖していく。その毒素により中毒症状を起こす病気だ。
「『敗血症』は、あっという間に体内に毒素が拡がって死んでしまう恐ろしいものです」(森下博士)
そこで患者の生命を救うためにガンが出現した……と博士はいう。
身体の臓器や組織の弱いところが、自らを犠牲にして、血液中の毒素を引き受ける。
つまり、自らが”ゴミ溜め”となることで、全身の血液の汚れを引き受け「浄化装置」として患者の生命を救おうとしている。」(p.102)
ガンが血液浄化をしているという説です。これもまだ科学的に証明されてはいませんが、一理あるとは思います。
ただし、敗血症のメカニズムはまだ解明されていませんし、「血液の腐敗」が原因で細菌が繁殖しているかどうか、その結果として免疫不全が起こるのかどうか、まだわかっていません。それなのに、どうしてこう断定されるのでしょうね。
「現代医学は、この「断食」を完全無視・黙殺しています。
「食べない」だけで病気が治られては、病院経営は成り立ちません。
その理由は断食療法に保険はいっさい適用されないからです。保険適用は、医学的でなく、政治的に決められています。与党の政治家に強い政治力(圧力)を持つ業界が保険適用をもぎとります。つまり巨大利権を持つ−−(1)薬物療法、(2)手術療法、(3)放射線療法−−”三大療法”が保険点数を独占してきたのです。」(p.129)
これもそうかもしれないし、うがった見方とも感じます。
「栽培した農家の方に聞いた。「本当の自然の農法では、堆肥も入れません」、これには驚いた。
無農薬、無施肥、無除草さらに無耕起……。世界の自然農法の父として、国際的に尊崇を集める故・福岡正信翁は、これを「四無の農法」と名付けた。
最近では名著『奇跡のリンゴ』の著者、木村秋則氏が、同じ農法を世界に広めている。」(p.151)
自然農法については、私も本を読んでいて、素晴らしい農法だなぁと感じています。
「「植干農法」はあっけないほどカンタンだ。イネの田植えをする。そのあと水を抜く。ただ、それだけ……。」(p.152-153)
農業指導家の出口昭弘氏が提唱する「植干(うえぼし)農法」は、反あたり16俵取りの日本記録を樹立したそうです。反収10俵が農民の夢だと言われるそうですが、それがこんな簡単な農法で達成されるのだそうです。
しかし、いくら検索しても、船瀬さんの情報以上のものが出てきません。日本記録を樹立したのなら、もっと出てきそうなものですが・・・。
「「貧乏人の子だくさん」は意味があったのだ。
それは「緑健農法」のトマト。「植干農法」のイネとおなじ。
乏しいゆえに豊か。貧しいゆえに強い。」(p.153)
つまり植物も人間も、生命の危機に脅かされると子孫を作ろうとする生命作用が働くということですね。そういうことがあるのかもしれません。
「「貧乏人の子だくさん」の対極にあるのが「金持ちの不妊症」である。
ここまで解明してくると、不妊改善にも、大きな光が見えてくる。
それは、かんたんなことだ。金持ち夫婦は、貧乏人の食生活を見習えばいいのだ。
それが「少食と正食」を実行することだ。わかりやすくいえば−−@「腹六〜七分」A「ベジタリアン(菜食)」。さらに確実な性能力の回復を求めるならB「断食」である。」(p.160)
不妊治療に高額なお金をかけず、少食を実行せよということですね。ただ、貧乏人の子だくさんと菜食が関係していることの証明は、どこにもないように思います。
タイなど東南アジアで感じたのは、けっこう肉食が多いということです。主食が米で、おかずに肉、野菜は少しということが多いように感じました。もちろんそれは私の感覚なので、統計的な事実はわかりません。
また、不妊が断食で改善されるのかどうか。これもまだエビデンス的に乏しい気もします。
「ガンの原因は@「悩み過ぎ」A「働き過ぎ」B「薬の飲み過ぎ」の”三過ぎ”といわれる(安保徹教授、前出)。さらにC「動物食の食べ過ぎ」もある。
なら、これら”四過ぎ”を改めるように指導する。それが医者の第一の務めだ。しかし、ガン専門医でそんなアドバイスをする医者は皆無である。
そんな、かんたんなことで患者が治られては、医者はオマンマの食い上げになってしまうからだ。
不妊治療の現場も、似たようなものではないか。」(p.164)
ガンの原因は、糖質の摂り過ぎによる血液の汚れと書かれていたような気が・・・。
「@病院、A検査、B医者、Cクスリ……の”四大信仰”に完全に洗脳されている。
心ある良心的な医者として称えられるアメリカのロバート・メンデルソン医師は、こう断言している。現代医学は一割の救命医療は優れるが、九割の慢性医療について無力で、多くの患者を死なせている。現代医学の神とは”死に神”である。そして病院は”死の教会”なのだ。」(p.165)
たしかにそう見えなくもありません。私も、現代の医療に関しては、不審に思う点が多々ありますから。
「八〇年以上前から、カロリー制限が寿命を延ばすことが知られていた。
あなたは、その研究成果に驚かれるだろう。
これら研究結果が一般にまったく知られることがなかったのは、世界の食料市場を支配する巨大な”闇の力”によるものである。それはいうまでもない。抗齢学者たちは、さまざまな実験動物に対して、カロリー制限による寿命延長効果を確認している。
驚いたことにカロリー制限による寿命延長効果は、小は酵母やゾウリムシなどの原生動物からミジンコ、昆虫さらにはラット、サルなど哺乳類まで共通している。
食べる量を適度に制限すると、自由に食べさせた場合にくらべて例外なく老化現象や老化疾患が減少するのだ。」(p.184-185)
これも陰謀論ですね。短絡的に「闇の勢力」による陰謀だと決めつけるのは、どうかなぁと感じます。もちろん、食品業界が歓迎しない実験結果かもしれませんが、科学者の間でも、そう簡単に結論付けられないということがあるのかもしれません。
たとえば、船瀬さん自身も後で言われているように、実験動物に食べたいだけ餌を与えるという環境は、自然界のそれとはまったく違いますから。自然界では餌を食べられないことがあるのが「ふつう」であり、空腹の時間があることが当たり前なのです。
「「食わない工夫」で「トシを取らなくなる!」。これほど、ありがたい健康法はない。
なにしろ、食費が助かる。腹六〜七分にする。一食分が浮く。買物や料理の手間もはぶける。ガス代も助かる。お茶わんも洗わなくてすむ。一日一食なら、さらに節約になる。」(p.192)
たしかに。節約になる健康法ですね。
実際、著名人の中にも1日1食主義の方が多数おられます。これらはメディアでも言われていることであり、特に秘密にされてもいません。
「そのとき実験者が与えていたエサの量が自然界に比べて格段に多めだったのだ。
そもそも野生の世界では二四時間給餌という生存環境などありえない。
エサになかなかありつけない。それが”自然な状態”なのだ。
「だからミジンコの餌を”半減”したら寿命が一・七倍のびた!」と驚くほうがコッケイなのである。「エサを半減」=「自然な状態」だから、ほんらいの寿命にもどっただけの話だろう。」(p.202)
このように船瀬さんご自身も書かれているのですから、少食で寿命が伸びるというより、多食で不健康になって早死するだけ、とも言えるのです。
「そういえば、江戸時代の学者、貝原益軒の有名な「養生訓」には「子どもは少し飢えさせ、震えさせて育てよ」という一文がある。
つまり、少しの「ひもじい」思いと「寒い」思いをさせることが、強靭な身体と長寿の体質を培うのである。」(p.209)
「そういえば「大男、大女に長命なし」とも言い伝えられる。
若い頃からの栄養過多は短命に終わる、という戒めだ。一〇〇歳を超えるような長寿者は、みんな小柄だ。」(p.209)
長身が短命かどうかは何とも言えませんが、適度なストレスがある環境の方が健康で長生きするということはありそうです。
「このカリウム四〇は、自然界に存在するカリウム原子全体の〇・〇一二%だけ含まれている。「一個多い中性子が崩壊して電子を出しながら陽子になる。そのときに放射能が出て、元素周期律表で右隣に並んでいるカルシウムになるわけです」。
その原子変換のときに核エネルギーが放出されるという。ふだん食物から十分にエネルギーをとっているときは、このシステムは作動しないが、少食、断食、飢餓状態などのとき、この核エネルギーによるバックアップ・システムが作動するというわけだ。」(p.280)
「先生によると細胞内のエネルギー生産には二系統がある(図26)。
@酸素系(好気性:ミトコンドリアで発生)。A解糖系(嫌気性:ブドウ糖分解で発生)。糖が分解され乳酸を生じるときにエネルギーが発生する。」(p.281-282)
「フォイトらの「近代栄養学」のカロリー理論が破綻した理由はA解糖系のエネルギー、B原子核エネルギーの二つの存在に無知だったからだ。
一〇〇年以上も昔の学問レベルでは、それも仕方がなかった。罪はそれを金科玉条として現代まで、奉らせた連中にある。」(p.282)
前出の安保氏はこのように、核変換による核エネルギーが使われていると考えていたようです。それが正しいかどうか、まだ証明はされていません。
ただそうなると、なぜこれまで多くの人が餓死してきたのかという疑問も出てきます。学問というのは、そういう様々な事実と整合性を取りながら発展していくものだと思います。
また、ここでは船瀬さんは、フォイトは無知だっただけで、彼の主張を守り続けた人たちが悪いと矛先を変えていますね。
「「原子変換が行われてなければ理屈が通らないことがものすごくあります」。
たとえば、野菜のエサを与えたニワトリからカルシウムの多い卵が生まれる謎。
「カルシウムをほとんど含まないエサを食べているニワトリから、どうしてカルシウム豊富な卵ができるのか?」。
小学生がたずねそうな質問だ。ところが「この疑問に答えた科学者は、一人もいない」という。」(p.286)
他にも、草ばかり食べる牛や象が巨体を作り、維持するのも不思議ですね。
ただ、本当に科学的に解明されていないのかどうかは知りません。実際、まだ解明されていない謎なのかもしれませんね。
ただ、ニワトリがそれだけ核エネルギーを利用しているとも思えないのですがね。
「この小さな物体は、ごみでなかった。ソマチッドの存在を発見し、その生態を解明したのはフランスの生物学者ガストン・ネサンである。彼は超高性能の光学顕微鏡をみずから開発し、このミクロの存在の正体を極めた。それは少なくとも一六もの異なる形態に変化した(図27)。
そして、その小体は「環境が変わると急変」「次段階に変化する」など不可思議で驚異的なふるまいをしめした。ネサンは、それは生命の最小単位であることを確信し”ソマチッド”(生命小体)と命名したのだ。」(p.289)
前出の森下氏は、顕微鏡を覗いてブラウン運動する小体を見つけて先輩たちに尋ねたところ、「プラーク(ごみ)」だと言われたそうです。多くの人がよく目にしながら気に留めてなかった。そんなことがあるのかどうか知りませんが、それがソマチッドという生命の最小分子だという説があるようです。
「つまり、器官→組織→細胞→分解→ソマチッドに分化……と考えれば、ソマチッド→合成→細胞→組織→器官……と、いう逆の経路も成り立つ。
現に、森下博士は顕微鏡観察で人体内に、医学の教科書には、まったく登場しない不思議な構造体を発見している。それは原初的な組織構造体で血管などの組織に成長してくものとみられる。これこそ、ソマチッド(生命小体)が結集して、組織再生しているのだろう。」(p.292)
「むろん、ふつうの生命活動は食物をとることで、その@熱エネルギーと物質変換で営まれる。しかし、大自然(神)は、それだけでなく緊急避難時のバックアップ・システムを準備しておいてくれたのだ。それが、A解糖系エネルギーやB核エネルギーによる補助システムである。
最後には飢餓による極端な少食、不食に備えて究極の生存システムを人体に備えてくれていた。
それがC太陽光によるソマチッド造血である。
むろん、このような緊急バックアップ・システムは常に作動するものではない。
「不安」「恐れ」「迷い」などから脱却して「無」の心身調和状態になってのみ、作動するシステムなのだろう。だから古来より真理へ到達する道として瞑想、祈り、菜食、少食、断食などの修行が奨励されてきたのだ。」(p.293-294)
あまり論理性のない推測なので、論評することもはばかられますが、船瀬さんはこう考えておられるようです。
なぜ神がそういう創造をするのかという合理的な仮説でもあれば別ですが、それもないのに、悟りを開いた時にのみ発動するバックアップシステムが備わっているというのは、いささかどうかと思います。もちろん、だからと言って否定はしませんがね。
「鶴見医師が酵素医療を提案する理由は、明快です。
「医学の祖、ヒポクラテスは、「火食」(加熱食)は過食に通ず、と言っています。なんというすぐれた見識でしょうか。火を使った食事を多く摂ると病気になりやすくなることを、早くも紀元前の昔に、ヒポクラテスは見抜いていたのですから」。
「さらに、火食は病気に通ずるのです。なぜなら、人間にとって最も重要な栄養素である「酵素」が、火食によって失われてしまうからです」。」(p.311)
ヒポクラテスも少食や断食を勧めています。そうであれば、フォルト栄養学が盲信されるというのも変な話です。なぜなら学生は、一方でヒポクラテスを学び、一方でフォルトを学ぶわけで、そこの矛盾に気づくはずですから。
まあでも、それが人間というものかもしれませんね。矛盾があっても気にせず、自分が信じたいものを信じるのです。
「ウォーカー博士は、現代人の大食い、飽食についても警鐘を乱打している。
博士は、大食いの結果として「便秘」が急増している、という。
そして「便秘こそ男女を問わず老化の重大な原因になっている」という。」(p.312)
便秘が大食によって引き起こされるという話は、私は初めて知りました。そういうこともあるのかもしれません。
以前の本もそうですが、船瀬さんは自説に合致するものを「正しい」として取り上げ、それが世間に受け入れられないのは闇の勢力による陰謀で抹殺されているからだ、と考える傾向があります。それも大した証拠もなく。
そういう意味で私は、船瀬さんの言うことは話半分くらいで聞くようにと考えています。その上で、受け入れられるものは受け入れようと思っています。
今回の本でも、少食が体に良いという研究結果があることは事実ですが、それが絶対的に正しいかどうかは何とも言えないというのが私の立場です。可能性を完全に否定するまでには至らないということです。
なので私は、自分の体によって自分にとっての真実を見出そうと思っています。いろいろな考えを学びながら、自分の人生で実証する。けれども、それが普遍的に正しいかどうかは何とも言えません。他人には他人の真実がありますから。
そういうことを、改めて考えさせてくれる本でもありました。
2022年10月10日
ベーシックインカムは究極の社会保障か
これもTwitterで紹介されていて興味を持った本だと思います。
しかし、実際に手にしてみると、思っていたような内容ではありませんでした。とは言え、それはそれでまた別の見方もできます。そういう意味では、読んでみる価値はあったかと。
この本は、2010年9月に出版された「POSSE vol.8」(NPO法人POSSE)の特集「マジでベーシックインカム!?」に掲載された論文の再構成という体裁になっています。9人の論者が、それぞれの立場で意見を述べています。
そういう意味では、自分と違う考え方の人が、どういう論拠を持っているのかを知るという意味で役立つかと思います。
執筆している論者の名前は、萱野稔人(かやの・としひと)氏、坂倉昇平(さかくら・しょうへい)氏、小沢修司(おざわ・しゅうじ)氏、東浩紀(あずま・ひろき)氏、飯田泰之(いいだ・やすゆき)氏、竹信三恵子(たけのぶ・みえこ)氏、後藤道夫(ごとう・みちお)氏、佐々木隆治(ささき・りゅうじ)氏、斉藤幸平(さいとう・こうへい)氏です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「すべての人に均しく一律に、仕事をしてなくても生きていけるだけの最低限のお金を−−現金で−−給付すること。ここにベーシックインカムの基本的な特徴がある。
ベーシックインカムがあれば、たとえ仕事がなくなっても−−あるいはあえて仕事をしなくても−−何とか生きていくことができる。長時間労働や過酷なストレスのもと「うつ」になるまで働いたり、危険と隣り合わせの職場で働いたりする必要もなくなるだろう。ベーシックインカムがあればつらい仕事は誰もやらなくなるだろうから、社会全体の労働条件も向上するにちがいない。さらに、生活保護や年金といった社会保障の各制度をベーシックインカムに一本化して、福祉行政を効率化することだってできるかもしれない。」(p.4-5)
ベーシックインカムは、こういうメリットが考えられます。しかし、なぜお金持ちにまで与えるのか、という疑問を持つ人もいますね。
「たとえば、働かなくてもぎりぎり生きていけるだけの所得が保障されるのなら、最低賃金のルールは必要なくなる。働くことで生活を支える必要がなくなるからだ。
もちろん最低賃金制度の撤廃に対しては反対も賛成もありうるだろう。とはいえここで重要なのは、ベーシックインカムは働くということそのものの概念をも変えるような潜在力をもっている、ということだ。なぜならそれによって、生きるために働くということをしなくてもよくなるからである。ベーシックインカムによって労働が生活と切り離される。同じように、一律・無条件給付を求めるベーシックインカムは行政のあり方や政府の役割についても根本的な変更を迫るだろう。
ベーシックインカムは新しい社会への構想力をかきたてる。この点で、ベーシックインカムはすぐれて生産的な概念装置なのである。」(p.6-7)
たしかに、そういう一面があるかと思います。生きるために労働は必要なのか? 必要なら、働かざる者食うべからず、ということになるのか? この命題は、つねにつきまとっています。
「両者の違いは、給付付き税額控除では、低所得層は所得が増えるほど多くの給付金を受け取ることができる、という点にあらわれている。がんばって働くほど低所得者は多くの給付金を手にすることができるのだ。これに対してベーシックインカムでは、働いても働かなくても給付される金額は変わらない。
要するに、働くことを制度の根幹に据えるかどうかで、ベーシックインカムと給付付き税額控除はまったく異なっているのだ。両者では制度設計の「理念」が大きく異なる、といってもいい。働くことを社会の基盤として重視するのかしないのか、という違いである。」(p.11-12)
私は、生命はそれだけで生存する価値があると思っています。労働するかしないかに関わらず。そうであればこそ、ベーシックインカムを実現すべきだという立場です。
まずは坂倉昇平氏の論説からです。
「また、BIによって最低額の所得を保障することで、すべての人に平等な機会が与えられ、そのことで人間は本当に「自由」になるのだという考え方もあります。
さらに、BIによって働かなくても生きていけるようになれば、人々が貧困や失業への恐怖から労働に駆り立てられることもなくなり、労働者は劣悪な労働を拒否できるため、劣悪な労働条件の雇用は人気がなくなり、経営者は労働者の雇用を確保するために労働条件を改善していくのではないかという期待もされています。」(p.21)
私も、この点にベーシックインカムのメリットを見出しています。
続いて小沢修司氏の論説からです。
「今日の資本主義社会における生活原理は、生活するのに必要な所得を労働することによって、つまり稼ぐことによって得ることで生活していくというものです。だから、社会保障制度も、生活に必要な所得を働くことによって得て、その所得をもって生活するという生活原理をベースにして設計されています。ところが、そうした生活原理がいま、いたるところで機能しなくなり、社会保障制度の機能不全がいたるところで生じているわけです。となると、そもそも資本主義社会における生活原理そのものを根本から問い直す必要性が高まってくる。これが労働と所得を切り離すという本質的特徴をもつBIが登場した一番の背景です。」(p.39)
「肝心なのは、現金給付部分はこれだけ、現物給付つまり社会サービスで対応しなければならない部分はこれだけ、というふうに現金給付と現物給付のバランスを見据えた政策をあくまでも取っていくことです。BIの金額水準の設定もそういう両方の区別をした上で議論がなされるべきでしょう。」(p.43)
私も小沢氏の考えには賛同します。ベーシックインカムで給付しているのだから、あとは自己責任でと言うのは無茶です。一人ひとり、生存の条件が異なるからです。一人で生活ができる人と、誰かの助けがなければ生活できない人と、まったく同じではないでしょう。子どもと大人でも違います。
そういう個々の違う部分に関しては、別の対応が必要だと思います。ベーシックインカムは、あくまでもすべての人に共通する最低限のセーフティーネットを保障するだけです。個々の条件には、また別途、対応が必要なのは当然だと思います。
次は東浩紀氏の論説からです。
「僕はベーシックインカム(以下、BI)を支持しているわけですが、それはBIが労働と生存、いいかえれば承認と生存を切り離せるからです。労働と承認は非常に密接な関係にあります。よく、承認されないと人間は死んでしまう、それが本当の「生きづらさ」なんだって議論がありますよね。でも、そこまで国家でケアしようとするのは、嫌な言い方をすれば大変コストが高いわけですし、原理的にも無理です。
国家が一人ひとりの生き方に承認を与えるとします。でも、それは日本という国に忠誠を誓えという運動に限りなく近くなります。いわゆる「公」に忠誠を誓い、承認を与えられる臣民たちの集まりですね。だから僕は、国家は生存のみを保障し、承認は保障すべきではないと考えます。」(p.57)
「BIは究極の自己責任制で、君たちの生存を保障する、あとは君たちで自由な生活を送りなさいという原理だといえます。その「生存」とはいったい何か。もちろん難病や障害を抱えた人や、多様な生のあり方があるときに、単に一律に現金を給付すればそれでいいというわけにはいきません。それは自明です。むしろ重要なのは、BIによって、承認ではなく、生存だけを国家が保障するということです。承認を国家から切り離すことが大事だと考えます。」(p.58)
私も東氏の意見に賛同です。国家は無条件に国民の生存を保障すべきだと考えます。
「それぞれの人間に応じて、それぞれの人間の生存を保障するためには、大量の個人の生活情報が公開され、しかもそれをみんながチェックできる必要があります。BIも税金からでているわけだから、その税金を何に使っているのか、説明責任が発生します。
プライバシーはちゃんと確保するという前提のうえで、BIの使い道について、正規の請求があったら情報公開をして、ある程度匿名化の加工をしたうえで、政策立案に使うことも考えられるでしょう。」(p.58-59)
財源のために、ビッグデータの収集に協力しろという点は、私も依存はありません。しかしこの後で、やや踏み込んだことを言われています。つまり、ベーシックインカムで給付されるお金は暗号通貨にして、使い道を制限させるようなことです。これでは現行の生活保護で、パチンコなどギャンブルをするのはとんでもない、という考えと同じではありませんか。
この点においては、私は東氏の考えには賛同できません。
「それを、ひとりの個人がどんな人生を歩もうが、最低限の生存を保障し、最低限のセーフティネットを与えるところまで一回ならすと。ならしてしまったら、この生き方が正しいんだという承認は、もう誰も与えてくれません。労働についても同じです。正社員と非正規雇用との間の格差は、みんなを正社員にするという方向ではなく、同一労働同一賃金を徹底化して、同時に雇用を流動化するということが、最も正しい解決だと思います。」(p.65)
雇用の流動化については同意見です。私は、正規雇用そのものを廃止すればいいと考えています。解雇も自由にできるようにすればいい。そうすれば流動化が進むし、流動化すれば、労働者がより適切なポジションを得やすくなるのです。
「大事なのは、国家が生存を保障しながらも、個人個人が過剰に国家に依存する精神をなくすということです。さっきの特殊法人のことにしても、けしからんとよく日本人はいいますけど、そういう日本人一人ひとりが子ども手当を喜んで受け取っているのであって、基本的に上から何かふってくるのにぶら下がって生きていこう、という精神なんですよ。その精神を根本から叩き直さないと、この国は沈没しますよね。」(p.70)
ベーシックインカムだけで、十分な生活が保障されるわけではありません。あくまでも必要最低限です。それ以上を求めるなら、自分が何かを社会に提供する必要があるわけです。
私は、そういう考え方を支持します。最低限の生活ができるのですから、自分が何も提供したいと思わないのであれば、その自由も認めるべきだと思います。
そして東氏の言うように、何も提供しないくせにもっともらいたいという甘えた精神こそ、問題だと思います。
次は飯田泰之氏の論説からです。
「絶対的貧困ももちろんあるわけですが、それ以上に労働環境が大幅に悪化することによる精神的なきつさ、いわゆる「生きづらさ」問題が大きい。この「生きづらさ」はどこから来るのか。第一の理由は、会社を辞められないからです。辞めてしまうと生きていけない。辞めやすい社会をつくるためには、会社から放り出されても死なない生活保障が大事です。待遇が異常に悪い会社に人が居つかなくなるような仕組みが必要です。そうすればブラック企業には人が居つかないので、経営そのものができなくなる。」(p.81)
「現在のところ、生活保護法は非常に無茶な法律になっています。稼げないことが証明されれば無差別に配られる。その意味では超おいしい。ただし本当に無差別に配ってしまうと財源が間違いなく足りません。そうすると、支給するかどうか、役所側の裁量権が大きい制度にならざるをえません。
「生活保護=もらってるやつは悪い人」というイメージは、この役所の裁量が原因です。政治的な圧力に強く依存したかたちで受給が決まってしまう。生活保護は事実上ルールではなく、裁量に基づいたシステムの運用を前提にしているのです。その結果、本当に必要な人が生活保護を受けられないという状態を生んでいます。」(p.81)
まさに。私も飯田氏の意見に同意します。
「労働者最大の味方は人手不足であることを思い出さなければいけません。日本で法制度から退職金の税制優遇、福利厚生費の拡大など労働者の権利が認められてきたのは、高度成長期にずっと人が足りなかったからです。企業側は辞められるのが怖いから、どんどん譲ってくれた。いまそういった人不足の状態をつくるには、日本で人を雇うことが有利になる必要があります。」(p.86-87)
「しかし、これでは退職金を人質に取られて働いているようなものです。途中で辞めてしまうと退職金は大幅に減額されるので、人材流動化を妨げています。この退職金の優遇税制をやめると日本的退職金システム自体がなくなるでしょうね。」(p.90)
「辞めても困らないという環境、雇って失敗しても取り返しがつく状況、双方にとって状況を整えてやることが人材流動化の一番のポイントです。人材の流動化は、一番実力を発揮できるところにその人を動かすことですから、実はこれは一番経済成長にとって大きなエンジンになりうるわけです。」(p.91)
まったくその通りだと思います。不安(恐れ)から、人材流動化(労働市場の柔軟化)を妨げていることが、労働者側にも企業側にも不利益をもたらしていると私も思っています。
次は竹信三恵子氏の論説からです。
「だが、日本で起きかけている問題は、働ける仕組みを整えれば働けるはずの人たちまでもが、「働けない現実」を認めてしまい、働ける仕組みづくりから下りようとする動きが、ベーシックインカム論で後押しされているということだ。
「家族を養うために働けるはず」とされ、無理を強いられてきた男性にとっては、働けない現実を認めることは、重要なことかもしれない。しかし、子育てや介護を理由に、「外で働けない存在」とされて家庭での労働に押し込められ、家庭の仕事をこなすために会社をすぐやめるのだから、腰掛け扱いでいいとされ「半人前」の賃金でこき使われることの多かった女性にとっては、「働けないはず」を認めてもらうことより、働ける仕組みを充実させることの方が先決ではないのか。」(p.111)
いったいいつの時代のことを前提にして言っているのかと思ってしまいます。女性はお茶汲みで、寿退社するものという価値観は、とうの昔になくなっていますよ。もちろん、まだそういう価値観が残っている企業もありますが、だからと言って、それを廃止するためにベーシックインカムに反対するのであれば、非常にうがった見方だと感じますね。
次は萱野稔人氏の論説からです。
「そのためには、働いていようが働いていなかろうが生活が保障されるだけの現金を給付するような制度に社会保障を移行させることで、労働と社会保障を切りはなすべきだ、と。これがBIの新しさであり意義とされるものです。
しかし、ここにこそまさしくBIの問題点がある。というのもそれは「働きたいのに仕事がなくて働けない」人たちの問題を解決することができないからです。成熟社会ではどうしても労働力が余ってしまう。つまり、働きたくても仕事がなくて働けない、という人が必然的に大量に生み出されてしまう。そういった、労働市場から排除されてしまう人たちに対して、BIは現金を給付しさえすればいいと考える。しかし、「働きたいのに(仕事がなくて)働けない」人たちが欲しいのはお金ではなく仕事です。」(p.134)
「事実、多くの失業者たちが直面しているのは、もちろんお金がないという問題もありますが、同時に「自分は社会的に無力で不必要な存在かもしれない」というプレッシャーです。」(p.135)
「そもそも現金を給付された人が何をしようがBIには関係のないことなのですから、それによって賃労働以外の豊かな社会関係が構築できる(かもしれない)ということを、BIの価値のなかに含めることはできないのです。
こうした限界は、BIがパターナリズム批判をかかげる以上、避けられないものです。パターナリズム批判をするということは、人びとの生き方についてとやかくいわないということですよね。だからどれほど堕落した生活を送っていても、あるいはどれほど孤立を深めようとも、それはすべて個人の自己責任ということになる。この点でいうと、同じパターナリズム批判であっても新自由主義のほうがまだ論理的には一貫しています。」(p.140)
「要するに、BIをするぐらいの財源があるのなら、政府は公共事業をしたり、職業訓練の場を設けたり、景気対策をしたり、現物支給による社会保障の範疇を広げたりして、雇用や社会参加の場を創出すべきなのです。」(p.144)
これは要は、承認を社会(国家)に求めるべきかどうか、という東氏の意見に関連してきます。萱野氏は、それを国家が担うべきだという意見のようです。
しかし、そういうことまで国家がやるべきだとすれば、個人の自由は失われるでしょう。当たり前のことです。国家が個人に対して、「これが素晴らしいんだ!」という価値観を押し付けることになってしまうと思いますよ。
もちろん、その試みは、これまでもやってきたように上手くはいきません。なぜなら、人はそれぞれ自由であり、価値観は人それぞれだからです。
したがって、そういう全体主義的な国家が絶対的な価値観で統制しようとしても、上手くいかないのです。だからこそ、最低限の生存を保障して、あとは自由にやってというベーシックインカムが意義があるんじゃありませんかね。
次は後藤道夫氏の論説からです。
「ところで、すべての人間に保障されるべき個別的支援は、一定の現金を保障して後は市場で提供される情報やサービスを買え、という形で実現できるものではない。個別的支援の要点は、クライアントの実情にていねいによりそいながら、複雑に分節化した各社会領域ごとの必要情報を収集し、それらをつきあわせ、相互に関連づけて、総合的な解決方向を示すことである。クライアントの選択の自由は、そうした総合的な解決案の作成過程に即して、つまり、支援チームとの十分な話し合いに即して保障されるべきだろう。」(p.173-174)
高福祉の大きな政府を良しとされる考え方からは、必然的にこういうことになるでしょうね。しかし、誰がこんな複雑怪奇なことを広範囲に漏らさず、しかも平等に一律的にできますか? 今の生活保護制度ですら、それができていないではありませんか。それなのに、さらにサービスの人員を増やし、練度を上げて対応すべしということなのでしょうか? いったい、どれだけの予算があれば、それができるのでしょう。そしてその財源は?
理想はわかるのですが、現実的な実現手段を示されない。
たとえば、ちょっと生活が苦しいなと感じる人は大勢いますが、その感じ方は実態がそのまま反映されるわけではありません。その人の主観による部分が大きいのです。それを懇切丁寧にヒアリングして、あなたはもっと節約をしなさいとか、あなたはこの無料サービスを利用しなさいとか、適切公正で平等な切り分けがなされると想像できるでしょうか? 私には、もう最初から「無理だ」と感じてしまいます。
だから、多くの部分はベーシックインカムで対処すべきで、残りのそれだけでは救えない人に対処するために資源を集中すべきだと考える方が合理的だと思います。
最後は佐々木隆治氏の論説からです。
「生存を保障するにあたってもっとも重要なことは、人間が生きるのに最低限必要な基礎的な社会サービス(医療、住居、教育など)を市場の論理から切り離していくことである。すなわち、それらを普遍主義の原則にしたがって無償で保障することが必要となる。」(p.187)
「このような貨幣の力は人間の共同性を解体していくだろう。そもそも貨幣は共同性の喪失ゆえにその力が全面化されたのであり、私的個人が行使する貨幣の力が強まれば強まるほど共同性は喪失させられていく。むろん、マルクスが強調するように、貨幣の力だけが共同体を解体へと導いたのではない。そこには組織された暴力の介在が不可欠であった。しかしながら、他方、近代国家のような自立的権力の創出においては、たとえば税の貨幣化などをつうじて、自立的な価値としての貨幣が大きな力を発揮したのである。」(p.191-192)
マルクス原理主義者なのでしょうか。貨幣経済そのものが人間らしい共同体を破壊しているから、それに乗っかってるベーシックインカムでは何も解決できないという主張のようですね。
本質的な解決は、貨幣を度外視した人間的な共同性関係を強化することによってのみ達成される。そうおっしゃりたいようです。
これもまた非現実的としか言いようがありません。いったい誰がそんな社会をコントロールできるのでしょうか? 共産党の一党独裁ならできますか? ソ連はそれを実現しましたか? 中国はどうですか? 資本主義の敵国であるアメリカが存在するために、対抗に必要な軍備に予算をかけるために、それが実現できていないのでしょうか?
盲信的なマルキストは宗教にハマっているのと同じで、現実が見えてこないのでしょう。したがって、現実的な解決策を考えるということができないのだと思われます。
この本は、ベーシックインカムを礼賛するものでも否定するものでもありません。様々な考え方を紹介することで、これまで気付かなかった視点を与えてくれたり、合意を取ることそのものについて考えさせてくれるものだと思います。
私はこれまで、論理的に話し合いをするなら、現実的な解決策としてベーシックインカムの素晴らしさは誰にでも理解できると考えてきました。しかし、そもそも客観的論理的な見方ができない人、やろうとしない人もいます。やたらと論理をこねくり回して、いかにも論理的であるかのように見せるだけの人も。そうであれば、そもそもそういう人たちを説得することが不可能なのだと思います。
このことから、そもそも反対している人は放っておいて、決めかねている人に向けて情報を発信していくだけでいいのではないかと思っています。
そういうことを改めて、この本は感じさせてくれました。
2022年10月13日
善玉酵素で腸内革命
これもYoutube動画で紹介されていた本です。
食品の栄養素に注目した健康&ダイエット関連の情報は多いのですが、著者の國澤純(くにさわ・じゅん)氏は、それでは不十分だと言います。酵素がなければ、栄養を消化吸収することすらできないのだから、酵素の働きに注目し、酵素を上手に働かせるという視点が重要なのだと。
酵素というのは、その言葉は知っていても、よくわからないというのが私の本音です。なので、それなら酵素について学び直してみようという思いもあって、この本を読むことにしました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「”食事の健康効果”というのは、
食材の種類や量だけで決まるわけではありません。
じつは、食べたものが健康にいいかどうかは、
「酵素の働き」によって決まります。
私たちが食べたものは、酵素によって
”健康にいい物質”に作り変えられて、初めて役に立ちます。
酵素が働かなければ、いくら栄養のあるものを
食べてもまったく意味がありません。
つまり、
”食の効果”は
酵素が
決めているのです。」(p.6-7)
冒頭に書かれていますが、これが本書の結論ですね。
「酵素というのは何千種類もあり、それぞれ別々の働きをしています。ある食材から免疫力をアップさせる物質を作る酵素もあれば、別の食材から便秘解消に役立つ物質を作る酵素もあります。
つまり、こういう健康効果が欲しいからこの酵素に働いてもらいたい、だからこの食材を意識して食べる、というように、酵素の働きを逆算した食べ方をすることで、より健康効果が得られると考えられるのです。」(p.10)
本書で「善玉酵素」と呼ぶのは、この目的に適った働きをする酵素のことであり、その酵素を働かせるように材料や環境を整えてやることを推奨しておられます。
「結論からいえば、酵素はいくら食べても、そのまま体内で働くことはありません。むしろ、働くと危険です。」(p.20)
酵素というのはタンパク質でできている物質なので、口から取り込めば、ふつうにタンパク質として消化吸収されるだけです。なので、「酵素入り飲料」というものを飲んでも、酵素そのものを体内に取り込むことはできません。
そして、もし間違って酵素が腸に届くなんてことがあると、たとえばパイナップルに含まれるタンパク質を溶かす酵素などが体内で働くと仮定すると、胃や腸に穴が開くなんてことになりかねない。だから、危険だというわけです。
「では、酵素は食べてもまったく無意味なのかというと、じつは一部例外が。体内に吸収される前に、口や胃、腸などで働いてくれるものがあります。
「大根おろしを食べると胃もたれしない」と聞いたことがありませんか? あの大根おろしがこのケースです。大根に含まれる酵素が吸収される前に胃などで働いて、私たちの消化を助けてくれるのです。」(p.21)
大根には炭水化物を分解する酵素が含まれており、唾液に含まれる酵素のアミラーゼと同等の働きをするそうです。
「では「微生物の力」とは何かというと、それが酵素です。微生物が持っている酵素の働きによって発酵するのです。つまり、発酵させると酵素ができるのではなく、微生物の酵素があって初めて発酵が起きるわけです。」(p.23)
本来は発酵食品なのに、酵素ドリンクと銘打って販売している商品があるとか。酵素とか発酵とか、言葉はよく聞くけど、その意味を正確に理解していないことが多々あるようです。
「食べたものを私たちの生命活動にそのまま使うことはできないので、バラバラに分解したり、分解したものを必要な形に組み立てて、利用できるように変換する必要があります。そのときに働いているのが「酵素」です。
酵素は、家を建てるときの大工さんのようにイメージすると、わかりやすいかもしれません。」(p.30)
「肉に含まれるタンパク質は最終的にアミノ酸という最小単位まで酵素によって分解され、体内に吸収されます。このように、食べたものを吸収できるように細かく分解する酵素のことを「消化酵素」といいます。
体内に吸収されたアミノ酸は、今度は逆に、さまざまな酵素の働きによってアミノ酸からタンパク質が作られ、最終的に筋肉になります。このように、体に必要な物質に組み立て直す酵素のことを「代謝酵素」といい、私たちの体の中で働く酵素は、消化酵素と代謝酵素のふたつに分けることができます。」(p.32)
これはわかりやすい説明でした。つまり酵素は、古い家を解体して建材を作る消化酵素と、その建材から新しい家を組み立てる代謝酵素の2種類に大別できるということですね。しかも、酵素という大工さんは超専門職で、たった1つの作業だけに特化している。たとえば、釘を抜く、屋根を剥がす、壁を取り除く、柱を抜く、・・・などのように、一つひとつの作業ごとに専門の大工さん(酵素)がいて、その総合力によって、旧家の解体から新築の建造までを行っているのです。
「人では、どのタイプの酵素を多く持っているかは人によって異なることがわかっているため、”アレルギー改善効果の高い物質”を作る酵素をたくさん持っている人とあまり持っていない人では、アマニ油で得られる効果が違ってくる可能性があります。
つまり、健康にいいといわれる食材であっても、いい物質に変換する酵素を持っていなければ効果はあまり期待できないということです。」(p.45)
これが、同じ食材を摂取しても人によって現れる効果が違ってくることの理由の1つになっているそうです。アマニ油によってアレルギーが改善すると言われても、その効果に差が出るのです。
薬の効果に差があるのも、同じだと言われていますね。だから、その人にあった薬や食材が大事なのです。
「じつは、私たち自身が持っている酵素だけでなく、腸内細菌が持っている酵素も、私たちは利用することができるのです。」(p.46)
「腸活というと「善玉菌を増やそう!」と考えがちですが、それは手段のひとつでしかなく、最終的なゴールは、善玉菌が持っている「善玉酵素」に体にいいものを作りだしてもらうこと。それこそが、健康効果を得るための秘策なのです。」(p.47)
最近注目の短鎖脂肪酸は、私たちが消化できない食物繊維を腸内細菌(の酵素)が分解して作るものです。私たちは、腸内細菌の酵素で作られる物質も利用して、生命の維持に役立てているのですね。
「つまり、「善玉菌を増やすことが大事」、「善玉菌のエサを食べましょう」というこれまでの考え方だけでは腸活は不十分。「腸内細菌や発酵食品の微生物が持つ善玉酵素」と「食事成分」の組み合わせで、どんな物質が作られるかを考えることが大切だということです。」(p.52)
「「善玉菌を増やそう! 善玉菌のエサを食べよう!」というのがこれまでの腸活の考え方でしたが、じつは、その腸活のやりすぎが逆に腸の不調を招く場合があることが近年わかってきました。そのひとつが「SIBO(小腸内細菌増殖症)」です。
たとえば、よかれと思って腸内細菌のエサになる食物繊維を過剰に食べすぎたり、発酵食品や整腸剤をとりすぎたりすると、本来は大腸にいるべき腸内細菌が小腸にまで流入してくることがあります。」(p.54)
國澤氏は、自身や腸内細菌や発酵食品の微生物たちが酵素によって作り出す物質に注目した食事や環境づくりが重要だと主張されます。
そして、何ごとも過ぎたるは及ばざるが如しですから、やたらと腸内細菌を増やすような腸活は危険だと警鐘を鳴らしています。
ここから写真入りで、酵素によって作り出される物質に注目した献立が紹介されています。
たとえば「豚ニラしょうが炒め」は、しょうがのショウガオールが体を温めて酵素を働きやすくし、ニラのアリシンが豚肉に含まれるビタミンB1の吸収を10倍アップするなどの効果が期待されます。これによってミトコンドリアで働く酵素がビタミンB1の助けでエネルギーを作りだし、免疫細胞も活発に動けるようになるそうです。
しかし、これを読みながらなんだかうんざりしてきました。
それなら、タンパク質を食べれば筋肉がつきやすくなる、というのと大して変わらないじゃありませんか。それ以上に細分化する必要があり、その食材の組み合わせや献立を覚えるだけで一苦労です。
それに、働きが解明されていない酵素もたくさんあります。また、食材にはさまざまな成分が含まれているのであって、豚肉はビタミンB1だけではありません。すると、意図しない酵素を働かせることにもなるわけですよね。
そうだとしたら、そこまで細分化して食材や献立を考える必要があるのだろうか? と、思ってしまいます。
「ミトコンドリアを増やす働きは、オメガ3脂肪酸のEPAやDHA、また、MCTオイルやココナッツオイルに含まれる中鎖脂肪酸にあるのでおすすめです。
油以外の食材だと、ブロッコリーなどに含まれるスルフォラファンという成分も、ミトコンドリアを増やすことが知られています。スルフォラファンは、植物が有害なものから自分を守るために作りだされるファイトケミカルと呼ばれる物質のひとつ。抗酸化力もあり、健康効果が期待されている成分です。」(p.88)
オメガ3は私も意識していて、クルミを含むミックスナッツをよく食べます。また最近、冷凍ブロッコリーを買って、よく食べるようにしています。その成分がどう働くかまで記憶していませんが、身体にいいんだろうなぁと思っているのです。
「糖質制限ダイエットが注目されたこともあり、白米を敵のように思ってご飯を一切食べないという人もいるようですが、意外にも、冷めたご飯は血糖値対策の強い味方になります。」(p.93)
冷めたご飯は、酵素で分解されにくい「レジスタントスターチ」と呼ばれる複雑な形のでんぷんに変化しているのだそうです。なるほど、冷めたご飯の効用ですね。
またレジスタントスターチは、腸内細菌によって短鎖脂肪酸にもなるとか。これなら遠慮せずに冷やご飯を食べられそうです。
「さらに、舞茸などのきのこ類の”よき相棒”として働いてくれるのが、かつお出汁です。血糖値は下がりすぎてしまうと、低血糖と呼ばれるエネルギー不足の状態になってしまい、とても危険です。そのため、適当なところでインクレチンの働きを止める必要がありますが、じつはそれも酵素の役割で、「DPP-4」という酵素がインクレチンを分解して、働きをストップさせます。」(p.96)
血糖値を上げる酵素、つまり糖質からブドウ糖に変換していく酵素の、働きを邪魔する酵素があります。それが舞茸などに含まれるグルコシダーゼなどの酵素です。だから糖質と一緒に舞茸を食べると、血糖値が上がりにくくなると言うのですね。
しかし一方で、あまりに上がらないのも問題だと國澤氏は言います。短鎖脂肪酸には、血糖値を下げるインスリンの分泌を促すインクレチンというホルモンを増やす力があるのですが、そのインクレチンを止めてやることが重要な場合もあるのです。
う〜ん、なんだかマッチポンプと言うか、アクセルを踏みながらブレーキを踏むと言うか・・・。そんなことをいちいち考えて、コントロールしながら何をどれくらい食べるか決めるのでしょうか? どっちの働きがどれだけ勝るとか、食べる時点でわかるのでしょうか? 精密にコントロールできるのでしょうか?
酵素の働きはよくわかったし、酵素が重要だということもよくわかりました。しかし、本書にあるような献立を利用して食事をしていこうという気にはまったくなりませんでした。
なぜなら、まず面倒くさいし、それほど意味があるように感じられないからです。それよりも、身体に良さそうな食材を選んで、なるべくまんべんなく食べるのが良いかと思っています。
私たちが意識しなくても、身体は健康を保とうとがんばってくれている。その働きを信頼して、任せておくのが一番だと思うのです。もちろん、その身体の働きを阻害するようなことは、なるべくやらないよう気をつけますがね。
本書の意図には共感しませんが、酵素というものを見直すきっかけにはなるかと思います。もちろん、これを自分の健康のために役立てようと思われる方は、どうぞ読んで、お役立てくださいね。
2022年10月15日
腎機能がみるみる強まる食べ方大全
これもYoutube動画で紹介されていた本です。
動画では、中身の濃い本だと感じたのですが、実際に読んでみると、思っていたのとは随分と違いました。
まあ、そういうこともたまにはありますね。
本のタイトルには、前に「国立大学教授・腎臓の名医が教える」「運動を頑張らなくても」という言葉が付いています。つまり、この肩書によって洗脳しようとする姿勢が明らかで、そういう本に限って中身がないのですが、この本もそのとおりでした。
著者は東北大学名誉教授の上月正博(こうづき・まさひろ)氏。他にも立派な肩書が多数並んでいましたが、腎臓の名医と呼ばれるような実績があったのかどうか、それらからはよくわかりません。ただ、あまりエビデンスを示さずに決めつけで書いているようなことが多く、しかも一般によく言われているようなことがほとんどだったので、独自の研究や実践による知見があるとは思えませんでした。
もちろん、そうは言っても、たしかにそうだと感じる部分もあり、本書の内容を完全に否定したいわけではありませんよ。
ただ、タイトル負けしているなぁと感じられるだけです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「腎臓は「寿命を決める臓器」であることをご存じでしょうか。腎臓は、血液をろ過して、体に必要なものと不要なものを選別する臓器です。必要なものは血液に戻し、不要なものは尿として排出します。そうして、体内の水分・塩分・血圧などを一定に保ってくれているのです。」(p.2)
「その一方で、私が今とても心配していることがあります。それは腎臓病になる患者さんは減るどころか増えるいっぽうであることです。腎機能が低下した慢性腎臓病の患者数はすでに1330万人、成人の8人に1人、70代の3人に1人、80歳以上の2人に1人に達しています。その背景には、高齢化や運動不足などさまざまなな要因が考えられますが、最大の理由は「食べ方」の啓蒙が進んでいないということに尽きると思います。」(p.3)
腎臓は体内の解毒を担う臓器であり、生命維持の観点からは非常に重要です。その意識が足りないこと、とりわけ食が与える影響について考えていないことが、腎臓の健康を害することにつながっていると上月氏は言います。
ただ、たしかに食が与える影響が大きいだろうと想像できますが、それに対するエビデンスはまったく紹介されていません。これでは単に、そう思い込んでいるだけではないかという疑問も出てきます。
「腎臓にやさしい食事のカギとなるのは、主に、❶塩分、❷カロリー(糖質・脂質などのエネルギー源)、❸アルコール飲料です。これらをとりすぎると高血圧や糖尿病などの生活習慣病のリスクが高まり、腎臓の負担が増すからです。」(p.14)
ここでも何ら根拠も示さず、これまでよく言われていたような結論が述べられています。
たとえば塩分においては、摂り過ぎを心配する必要はないという研究者さえいる現代において、一般的にそう言われているから、というのでは根拠が希薄でしょう。
また、糖質も脂質もいっしょくたに「カロリー」でくくってしまうのは、前時代的ではないかとさえ感じてしまいます。
「腎臓を守る食事で盲点になりやすいのが「甘い飲み物」です。液体の糖質は吸収されやすく、血糖値を上げやすいからです。」(p.19)
「シンプルな食べ方」として10カ条を示していますが、その多くがこれまで常識とされている健康法、ダイエット法と言えるでしょう。
1つ目が栄養成分表示をチェックする習慣を身につけることで、2つ目が菓子パンやお菓子を控えること。そして3番目がこの甘い飲み物を控えること。要は高カロリーと高糖質を避けよということですね。
「肉は良質なたんぱく質の供給源となる優れた食材です。ただ、一般に、肉には脂質が多く含まれます。1グラム当たり約4キロカロリーのエネルギーとなる糖質・たんぱく質に比べると、脂質は1グラム当たり約9キロカロリーと、2倍以上のカロリーがあるため、とりすぎると肥満につながりやすいのです。
そこで、肉を食べるなら「脂質の多い脂身と皮は残す」と決めましょう。」(p.30)
これも何だかなぁという気がします。要はカロリーが高いから脂肪を排除せよということでしかありません。カロリー信仰の栄養学は、すでに否定されていると思うのですがね。
それに、赤身肉が問題だという指摘もありますよね? それについては、まったく言及されていません。
「ただ、食品添加物のリンは、天然の食材のリンよりも吸収されやすいのです。過剰なリンは腎臓でろ過されて排泄されますが、腎機能が低下すると十分に排出できなくなり、高リン血症になって骨がもろくなったり脳卒中や心筋梗塞を招いたりするばかりか、腎臓の石灰化を招き、腎機能がさらに低下する恐れがあります。」(p.21)
リンが腎臓に良くないという話は、最近知りました。食材に含まれるリン、つまり有機リンは吸収されづらいものが多いのですが、食品添加物に含まれる無機リンは吸収率が高いそうです。リンが不足する心配はほぼないとのことなので、ともかく摂り過ぎに注意するようにとのことでした。
本書でもリンを減らすようにと言っていますが、私が得ているほどの解説もありません。
6番目は朝食を無塩にすることで1日の塩分摂取量を減らすということ、7番目はファーストフードや揚げ物、ラーメンを控えるということ、8番目が一汁三菜の魚の和定食を定番化して、ご飯を最後に食べるようにすること、9番目が緑黄色野菜、淡色野菜をできるだけ増やすということ、10番目が海藻、キノコ、こんにゃくを増やすということです。
もうこれだけで、何だかなぁという気持ちになります。それに、まったくシンプルでもありません。
「腎不全から人工透析に至る最大の原因が、糖尿病を原疾患(もとになる病気)とする腎臓病「糖尿病腎症」です。ほかの原因で透析を始めた人よりも5年後の生存率が低いとされる糖尿病腎症の患者さんの死因の約15%は、糖尿病腎症の合併症といわれています。」(p.60)
つまり、血糖値が高い状態から起こる腎臓病が、もっとも注意すべき対象だから、血糖値を上げないことにもっと気を配るべきだと言うのです。
そこで高血糖対策としては、次の6つを挙げています。
1番目が、主食を減らしておかずを増やすこと、2番目は三角食べではなく、まずは野菜、次にたんぱく質や脂質の主菜、それからご飯などの主食という順番に食べること、3番目が主食をGI値の低いものに替えること、4番目が水溶性食物繊維が多い納豆やオクラなどの副菜を追加すること、5番目が酢や緑茶の糖の吸収抑制作用を活用すること、6番目がビタミンB1を多く摂って血糖をエネルギーに変えるようにすることです。
これも、低糖質ダイエットを知っている人からすれば、特に言われなくてもわかっているというような内容ですね。重要なのは、それがどの程度の効果を発揮することなのかという点だと思いますが、そういう言及はありません。
つまり、こうすると良さそうだよ、というような話を列挙しただけです。まあ、間違いはないのかもしれませんが、何だかなぁという気持ちになるのです。
「例えば、酢の酸味のもとである酢酸には、唾液に含まれるでんぷん分解酵素の作用を弱め、消化を遅らせて食後の血糖値の上昇を抑える働きのあることが報告されています。酢には、高い血圧を下げる効果や内臓脂肪の減少を助ける効果も認められており、減塩にも役立つので、高血糖や高血圧、メタボを指摘されている人は積極的に活用すべきです。」(p.66)
5番目の酢を活用することに書かれているのですが、もう場当たり的としか思えない論評ですね。
「高血圧による腎機能の低下を「腎硬化症」といい、腎不全から人工透析に至る原疾患(もとになる病気)のうち3番めに多い病気です。高血圧で腎臓の糸球体に過剰な圧がかかって痛めつけられると、毛細血管を覆ってフィルターの役割を果たしている「タコ足細胞」がはがれ、ろ過機能が低下します(34ページ参照)。」(p.70)
「腎硬化症の予防・治療では、高い血圧を下げることが基本です。尿たんぱくが見られない場合は、最高血圧130ミリ/最低血圧80ミリ未満を目標にしましょう。」(p.70)
腎硬化症と高血圧は因果関係が証明されてますか? ほんと、いいかげんにしろよ! と言いたくなるレベルです。
相関関係と因果関係は、まったく別物ですからね。そんなことすら検証しようともせず、一般論にしたがってこんな本を提供するって、害悪でしかないんじゃないかとすら思えてきました。
「減塩の目標は、1日に食塩6グラム未満、1日3食とすると1食当たり2グラム未満となり、かなり薄味に感じられるでしょう。だからといって、朝食を抜いて1日2食にしては、体内時計や自律神経(意志とは無関係に血管や内臓の働きを支配する神経)が乱れて、血圧の安定には逆効果になってしまいます。そこで考えたいのが、朝食をできるだけ「ゼロ塩」に近づけることです。」(p.74)
なぜ1日3食が最善なのでしょうか? エビデンスがありますか? もうそういう決めつけはやめていただきたい。
「近年、腸と腎臓がお互いに影響を及ぼし合う関係が明らかになっています。腸内フローラのバランスが乱れて腸が不調になると腎機能が低下することがわかってきたのです。これを「腸腎関係」といいます。」(p.112-113)
これも最近よく言われてますね。だから、腸内環境を良くすることが、腎臓機能を維持するのに役立つのだと。
しかし本書で指摘されてるのは、これくらいなことです。だったらすでに知ってることでもあるんですがね。
このように、すでに健康やダイエット考えている私にとっては、この本はまったく役立たないし、むしろ害悪があるのではないかと思えるレベルです。
しかし、こういう健康法をまったく知らない人に取ってみると、腎機能の重要性を理解する上で、役立つかもしれないなぁと思った次第です。
2022年10月18日
年収90万円で東京ハッピーライフ
これはTwitterだったかYoutubeだったか忘れましたが、紹介している投稿があり、興味を持って買った本です。
以前にも「減速して生きる ダウンシフターズ」という本を読んだことがありますが、私にはミニマリストとかシンプルな生活とかに、憧れるものがあるようです。
前の本では家族4人で年収300万円でしたが、こちらの本は、年収90万円で東京ぐらしです。著者は大原扁理(おおはら・へんり)さん。30歳で引きこもり歴や海外一人旅など、いろいろ経験されている方のようです。
私は今、長野県で暮らしていますが、年収は300万円弱くらいになるでしょうか。妻に8万円の仕送りをして、毎月5万円の天引き貯金をして、十分に暮らせています。まだまだ余裕があるので、もう少しシフトダウンしてもいいのかなと考えていて、この本はぴったりだなぁと感じました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「高校卒業後、わたしは私生活で他人と会うのを一切やめました。金は空から降ってはこないので、生活費を稼ぐためのアルバイトだけはしてましたが、それ以外の時間はぜーんぶ趣味につぎこみました。くる日もくる日も図書館で借りた本を読んだり、映画を観たり、料理を作ったり、掃除をしたり、寝たり起きたり。携帯ももちろん解約しちゃって、たまに家電にかかってくる遊びの誘いも全部断って。楽しい! ほぼひきこもり生活!
それで、気がついたら3年も経っていたんです。もう毎日毎日楽しくて、ハタチを過ぎたことも気付かなかったくらい。」(p.5-6)
「そんなこんなで、現在は適度に社会と距離を置き、週に2日ほど介護の仕事をして、たまに友達とも会ったりして、のんびり生きています。お金もモノも地位もない質素倹約生活だけれど、これはこれで、まあ楽しいもんです。」(p.10)
のっけからかなり変わった人だなぁという感じがしました。
「大人のみなさんからかわいそうな目で見られることもあります。
だけどみなさんがイメージする貧困層の苦しい生活と違って、渦中から実際どう見えるかっていうと、これはこれで幸せなんだよな〜。
だって、当然といえば当然なんです。何が幸せと思うかは人によって全然違うんですから。わたしみたいに2万円台のアパートに住んでても幸せと思える人もいれば、苦しい人もいるし、豪邸に住んでブイブイいわすのが幸せっていう人もいれば、それがしんどい人もいる。
じゃあ、どんな場合にも当てはまる、いちばん大切なことって何でしょうか? それは、「どうすれば自分が幸せか?」を、他の誰でもなく、自分自身が知っていることじゃないかな。」(p.22)
「これは、みんなもわたしを見習って隠居しよう! という話では全然ないんです。
外野がとやかく言っても、自分が本当に好きなことを優先するために、今置かれた状況でどうすればいいのかを考えるのが大切だと思うんです。」(p.23-24)
何が幸せで何が不幸なのかは人それぞれですね。だから、自分で自分にあった人生を選ぶしかないんだと思います。
「そして、好きなことなんかなくても、今すぐ見つけなくても、もっと言えば死ぬまで見つからなくたって、別にいいじゃないですか。大事なのは、嫌いなことで死なないこと。これぐらい目標を下に置いとけば、とりあえず絶望はしなくてすみます。」(p.30)
自分らしく生きることにプレッシャーを感じるのもおかしな話。今、やりたいことがないならないで、少なくとも嫌いなことで自分自身を追い詰めないことですね。
「行く先々で仲間外れにされるなら、自分に何か問題があると思うけど、そうではなかったという発見。今思うと、あの環境があってとても良かったと思う。学校では窓際族だけど、それはそこがそういうシステムになっているからで、自分がダメ人間なわけではない、と思えるから。」(p.35)
大原さんは学校ではいじめられていたようですが、英語が好きだったので、英会話スクールに通ったりして、別の集団の中で受け入れられる体験もされてこられたようです。
「いま、いじめられている子たちに言えることがあるとしたら、「いじめはずっとは続かない」ということ。小学校は6年、中学と高校は3年で終わるんです。子どもの3年なんて、永遠みたいなもんだけど、それでも3年間できちんと終わります。話のわかる大人がいれば、そんなに待たなくていいけれど、いない場合もありますからね。それまで、出来る範囲で逃げ続けましょう。そりゃもう、誰がなんと言おうと、逃げちゃっていんです。」(p.47)
状況は有限です。いつかは変化します。だから、今が耐えられないなら、逃げることですね。
「だからあわてずあせらず、ゆっくり年をとっていくといいよ。年をとればとるほど、自分が自分でいることが快適になって、イヤでもラクになってきちゃうから。たぶん、瑕疵(かし)と思えることも平気で薄目で見られるようになるんですよね。これってつくづく、テキトーに楽しく生きていく上で必要な技術だなあ、と思う。」(p.50)
自分じゃないものになろう、つまり他人に評価されることで価値のある人であろうとすると、生きるのが苦しくなるんですね。でも、子どもの頃はどうして、そういう生き方になりやすい。だって、大人の庇護がなければ生きられないから。だから、いずれ大人になったら自由になれるからと、大原さんは励ますのです。
「わたしは「ルールだからダメ」「それって常識でしょ」みたいな場に出くわしたら、五感をフル稼働して相手とその周囲をよ〜く観察してみます。その人たちが、もし目先の「社会的にオッケーとされること」しか見ていないと思ったら、適度に無視します。」(p.56)
校則だから、マナーだから、と言ってやたら他人を縛り付けたがる人は多くいますよね。けれども、それが意味がないと思うのであれば、できる範囲で無視してしまえばいい。そうやって無視する人が増えていけば、いつかルール(常識)が変わるのです。
「いい悪いとか、正しい間違ってるみたいな、相対的で対立的な価値観って、疲れると思う。間違ってる何かがないと、自分が正しい側に立てないというのは、しんどくないでしょうか。」(p.63)
自分の正しさを認めさせようとして、他人をやたらと「間違ってる」と決めつけて責める人がいますよね。たしかに、疲れる生き方だなぁと思います。
「個性は外に求めるものではなくて、日々の地道な積み重ねの中から、否応なくにじみ出てくるものだと思います。一朝一夕にではなく、毎日、コツコツ「自分」をやっていくこと。それをすっとばして、本当の意味で個性的になることはできないと思う。本当に個性的な人って、よく見るとわかるけど、人の注目を集めようとしてるっていうよりは、ただひたすら「自分」をやってるだけなんですよね。」(p.65)
個性というのも、他者との比較の中で、他者から評価されることで、あるいは評価されるために、創られるものではないんです。
「でも1日30品目バランス良くとかいうのが本当にストレスで、どうしたらそんな超人的なことができるのかサッパリわからんかった。そんなことしてたらお金がかかりすぎるじゃん。1日30品目なんて、バランスとるのもいい加減にしてください。
それでいろいろ試してみて、金銭的、健康的、精神的に自分が納得できるところとして昔ながらの日本食に行き着きました。それも、平安貴族みたいなのじゃなくて、平民が食べていたような、粗食です。結果、毎日快眠快便、総合的にすんごいラク。」(p.70)
「そんなわけでいろいろやってみて、食生活をゆるい玄米菜食にしてから、どうでもいいことにキレることが確実に減りました。そしたらすんごいラク。キレるってけっこうなエネルギー使うのね〜、なんて思ったことです。
肉を食べなくなって、欲も減った。生きていくために必要な欲求だけが残っていって、必要ないものは勝手に淘汰されていく感じ。今、デフォルトで食欲と睡眠欲。オプションで性欲。物欲や金銭欲は、必要なだけあればそれ以上欲しいって思わなくなっちゃった。」(p.76)
「わたしの食事は、俗にいう玄米菜食ってやつです。だいたい玄米、おみおつけ、漬物。納豆とか、サバの味噌煮とかを食べることもありますが、基本はこれを1日1食。あとは気分でアレンジを加えるというゆるいスタンスです。」(p.78)
あまり厳格でないゆるい玄米菜食によって、欲望も薄まり、肉を食べないからかキレることもなくなったそうです。
あとで数日間の実際のメニューが載っていますが、朝はトーストとりんごジュース、昼は蕎麦やラーメン、夜は玄米ご飯、というような感じですね。
私も以前は、玄米ご飯を炊いて冷凍保存しておいて、おじやにして食べることがよくありました。最近は、仕事の日は朝食抜き、昼はカップ麺かレトルトカレー、夜はまかないご飯、ということが多かったです。
「そもそもわたしが粗食になったのは、めんどくさがり屋だからだと思います。
料理はまあ気分転換みたいなもんだけど、毎日3回もやってたらめんどくさくなる。どうせ毎日やるんだから、手間ひまかからないほうがいいじゃん。でも健康も欲しい。そんなわたしにピッタリなのが粗食だったのです。」(p.80)
私もめんどうくさがりなので、その気持はよくわかります。そして、どうせ食べるなら健康的なものをって思いますから。
「最後に、これだけは忘れずに心がけてほしいのが、必ず「自分で実感する」というステップを踏むこと。人やテレビが言ってるからって鵜呑みにしないでください。こういう食事にしたら、どうなったのか。よく眠れるようになったか、毎日便は出るか、持病の調子は、お肌の調子はどうか、精神的・経済的に無理がないか。こういうことを照らし合わせて、自分自身で判断することを、すっとばさないでください。そして定期的に微調整していくことを、ぜひ続けてください。」(p.93)
まったく同感です。鵜呑みにしないこと、自分で判断すること、自分の身体の声をよく聞くこと、微調整し続けること。いずれも重要なことだと思います。
「心と体のバランスは、いつもいつでも自省と微調整が必要なもので、社会と距離を置いたからって、上達したり、熟練したりすることはないというのは発見でした。
自分とのズレを修正するには、とにかくボーっとするのがいちばんです。何もしないこと、何も考えないこと、何も知らなくていいし、何にも応えようとしなくていい時間を、30分でもいいから持つと、すごくいい。」(p.141)
「公園で何も考えずに日向ぼっこしたり、雨の日はアパートの床に大の字になって、雨音を聞くのもオツです。日によって違うけど、1時間でスッキリすることもあれば、3日ぐらい寝て何もしないこともある。この時間はネットもつなぎません。本も読みません。わたしは持ってないけど、テレビも見ないほうがいいでしょう。
それで、ひたすらボーッとする。何にもしないと、人間、自分と向き合うしかなくなるんですよね。」(p.142)
一人でただ静かにしていることは、「神との対話」でも勧めています。私も、基本的に一人で過ごすことが多いのですが、最近はついネットをやりながら過ごすことが多いので、なにもしないこともやってみようと思います。
「というのは、ここ数年、わたしの年収は数字だけ見たらうなぎ下がりで底打ちデフレ状態でこんな年収でやっていけるわけなくて生活が苦しいはずなんですけど、毎年、年末になってその年を振り返ると、「今年は今までの人生でいちばん良かったなあ」ってなぜか思うんです。
なんでかと考えるに、これは想像の域を出ないのですが……。上京してきたばかりの頃、働きまくって、稼いだお金の大半が生活費と税金に消えていたとき、お金は今よりずっと稼いでたけど余裕はなく、どうひいき目に見ても幸せとは思えなかった。」(p.144)
お金を大切に扱い、やってきたお金に対して愛しさを感じるほどの大原さんですが、だからと言って収入が増えるわけではないと言います。むしろ減っていると。しかし、収入は減っていても、満足度はUPしているのですね。
つまり、今の自分が幸せであるために、満足しているために、最適な生活スタイルを作れば良いということなのです。世間が週休2日がふつうだと言おうとどうしようと関係なく、自分に合った生活スタイル、仕事スタイルを見つけることです。
大原さんは、欲求というものがほとんどないため、お金を使う必要がないと言います。そのための指針として、「ひま耐性」「楽観的かどうか」「世間体」という指針を示しています。
「ひま耐性」というのは、どれくらいひまに耐えられるかということ。逆に言えば、他からの刺激が与えられない状況でどれだけ楽しんで生活できるかということですね。たしかに、大原さんのように週休5日もあれば、暇で暇で仕方ないと感じる人は多いかもしれません。
「どれくらい楽観的でいられるか、も重要なポイントです。
老後の不安とか、年金とか、病気になったときとか、考えると不安な方もいるかもしれません。不安は、育てようと思えばどこまでも大きくなるものです。
わたしは今までこんなに年収が低いのにやってきた、なんとかなるもんだという自負があるし、心配し始めるとキリがない。なるべく病気にならないように適度な運動と食事には気をつけて、今の自分のおかれた状況でできるベストは尽くしたんだからそのときはそのとき、と割り切るようにしています。わざわざ不安にエサを与えるようなことはしません。」(p.157-158)
これは私も同感です。不安になろうとすれば、いくらでも不安になれるのです。逆もまた真なり、ですね。
「どれくらい世間の目を気にしないでいられるかも、忘れてはいけません。
いつの時代も、人と違うことをすると、多かれ少なかれヘンな目で見られるみたいです。」(p.158)
「人と違うと思ったら、それはとても健康的なことですから、隠さなくても良し! むしろ、小出しにアピールしといて、自分も周囲もそれに慣らしといたほうがいいです。「あー、あの人ちょっとヘンだもんね」と言われるようになれば、何したって許されるからこっちのもんです。」(p.158)
良寛さんの例をあげておられますが、たしかに良寛さんも変人です。そもそも人は違うものですし、ヘンで当然なんですね。
「わたしには、お金がなくても時間はたくさんあるし、数は少ないけど大切な友人たちもいるし、実家に帰れば家族もいます。家がなくなってもみんなで少しずつ助け合って生きていけると思うので、そんなに慌てなくてもいい感じです。この上さらに畑でもやってたら、向かうところ敵なしだと思う。人と比べたら貯金はないけど、備えはあると言えるかもしれません。」(p.160)
いざという時の備えはお金だけじゃありませんからね。
「なぜこんなことが言えるかというと、根拠はありません。なんとかなると思ってます。だって今までも、根拠もないくせに、なんとかなってるし、してきたから。あなたも、これを読んでるってことは、今までなんとか死なずにやってこられてるわけですよ。
わたしは、できないかもしれないことにはあんまり興味がなくて、今までやってきたことにフォーカスしたほうが健康的だと思うんです。だから、いつもこれからがすごく楽しみ。」(p.164)
なぜ大丈夫と言えるか? そんなの根拠がないし、根拠もなくそう思えるから強いんですよ。
「正確に言うと、短期的な夢(たとえば、今月中に温泉に行きたいなーとか)ならある。でも、5年後や10年後にどうなっていたいか、というビジョンがまったくありません。そこは未知数にしといたほうが楽しいから。」(p.170)
「ところで不思議なんですけど、上京するときとか、ちょっと世界一周してくるわ、って親や周りに言うと、「なんのために行くの?」「行ってどうするの?」「将来何がしたいの?」とかめちゃめちゃ聞かれます。心配してもらっといて本当にすみませんけど、正直、それよけいなお世話です。その心配、自分のために使ってくださいよ、って本当に思う。」(p.171)
本当に、私もそう思います。遠い将来のことを不安に感じて今を生きるなんて、アホらしいなぁって、今の私は感じますから。
「想像力の可能性って、差別、少子高齢化、外国人労働問題、移民問題とか、いろんなことに対応できることだと思う。敵とか味方とか、背負っているものをとりあえず置いとく。そしてひとりの人間というところにみんなが立ち戻ることができたら、何をすべきで何をしないべきか、自ずと見えてくるように思います。
だから、まずは想像力。これからの時代、どんな資格よりもゲットしといて損はないものです。
では、それはどうしたら身につくか。
相手を慮る想像力は、自分が病気を経験したり、子どもを育てたりすることで培われる人もいると思うけど、そんな大きな経験しなくても、一番手っ取り早いのは本を読むこと。自分が体験しえなかった人生を疑似体験するのが目的なので、ビジネス書とかじゃなくて小説が良いです。」(p.174-175)
想像力とは、要は「思いやる力」だと思います。バリ島の兄貴に言わせるなら、「他人事を自分事として考える」ということですね。
たしかに苦労した経験は、そのために役立つでしょう。しかし、もっと簡単にその力を身につける方法が読書だと大原さんは言います。他人の体験談を知ることは、自分の想像力を養うのに役立つのです。
そう言えば、論理的で合理的な思考が得意な私に対して、母は人間としての冷たさを感じていたようで、「もっと小説を読め」とよく言っていました。読書量が多いのは良いことだが、小説を読まないから人間的に冷たくなるのだと。
私としては、そういうことはないと思っていたのですが、母にとっては心配だったのでしょう。私も、適度に小説は読んでいますよ。歴史小説もよく読んだし、三浦綾子さんや喜多川泰さんなどの小説も読んでいます。天国の母には、ぜひ安心してもらいたいですね。
「最後にもうひとつだけ、退屈な時代を平和に生き抜くために、大事なポイントがあります。全体主義屋さんにつけこまれてしまう根本的な原因は、人間が何かに頼らなきゃいられないという弱さを持っていることです。
釈迦は、「人間は、自分以外のものを本当の拠り所としては生きていけないのだ」と言ったそうです。それは親兄弟であり、恋人であり、子どもであり、街であり国であり民族であり、もっと言えば釈迦本人でさえ拠り所にはなならない。」(p.179)
たしかに釈迦は、一人で歩め、と言われてますね。群れてちゃダメなのです。自分の人生に自分で責任を持つ覚悟をする。その上で助け合うのです。
「こういう生活をしていると、「将来どうするの?」という質問をものすごくされるんです。が、わたしは世間で言われている意味での将来(老後)については、あんまり思うことはありません。
というか、将来を考えたときに、個人として出来ることっって、結局毎日をただシンプルに、きちんと生きていくしかないんじゃないかなあ。きちんと生きていくっていうのは、なるべく機嫌良くして、美味しいお水を飲んで、出来るだけ体にいいものを食べて、疲れたらしっかり寝て、たまにセックスして、あとは今日もごはんが食べられることに感謝するとか、損得勘定やおかしいと思うことに流されてしまうことなく、いつも自分でいることとか、もうダメだーと思ったら「もうダメなんでちょっと休みます」って周りに宣言するとか、そんなこと。」(p.180-181)
「わたしがもし、急病で自室で亡くなることがあったら、遺言としてここに書いておきますけど、どうぞ悲しまないでくださいね。わたしはやむにやまれずではなく、自分の意志でひとりで暮らすことを選んだんですから。死んだときはひとりだったかもしんないけど、孤独かどうかはまた別の話です。好きなように生きて、勝手に死ねたら、もうそれは大往生。むしろ喜んでほしい。」(p.185)
私も共感します。遠い将来のことを心配したって、どうにもなりません。なるようにしかならないし、それは、なるようになるってことです。
だったら、そんな未来の心配を今するより、今を大切にして生きた方が幸せじゃありませんか。そして、いつかは死ぬ時がやってきます。それは孤独死かもしれませんが、孤独かどうかとは別次元のことだと思います。
読み始めた時は、ちょっと私とは別の世界の人かと思ったのですが、読み進めていくと、私の感性に近いものを感じるようになりました。
私も、やみくもに稼ぐ生活ではなく、必要なだけ稼いで、あとは今を大切に、人生を楽しんで生きたいと、改めて思いました。
2022年10月21日
やせたければ脂肪をたくさんとりなさい
これもYoutube動画でお勧めされていた本になります。
いわゆる低糖質ダイエットになるのですが、より積極的に、三大栄養素の中でも脂質を多く摂取することを勧めています。
本書は、イギリスで食事療法を推進しておられるジョン・ブリファ博士が、これまでの多くの論文を再検証することでまとめた理論になります。
思い込みによるものではなく、科学的な知見に基づいた理論ということで、信頼性が高いと感じました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「ブリファ博士自身が、当初は従来の常識である「食べる量を減らして運動量を増やす」ことで減量が可能だと信じていました。しかし、カロリー制限をして運動をしても、ほぼ全員が減量に失敗する現実をみて、従来の常識に疑問を持ちます。そして、この20年間に発表された科学文献をしっかり読み直すことにより、栄養に関する「社会通念」のほとんどが、間違いで危険であることを認識しました。
たとえば「カロリー神話」「脂肪悪玉説」「コレステロール神話」などが、現在科学的には根底から覆っていることを、本書では根拠をもとに明らかにしています。」(p.1)
「基本は糖質摂取を減らし、脂肪とタンパク質はしっかり摂取するので、これはまさに「糖質制限食の本」と言えます。」(p.1-2)
このように、これまで常識とされていた説を、科学的な知見を元に見直しているのが本書になります。
「◎食事制限によって減る体重は、長期的には2キロ程度である。
◎食事制限に運動を加えることでさらに減る体重は、わずか1キロ程度にすぎない。
◎カロリーにもとづくダイエット法が失敗ばかりなのは、この方法には本質的に効果がないことの表れである。」(p.33-34)
本書は、「落とし穴」と題して、20の章から成り立っています。各章で、これまでの常識をくつがえすことが提示されているのです。
その第1章において、これまでのカロリー制限によるダイエット法の限界を、このようにまとめています。しっかりと指導され管理された状況下で、わずかに3kgくらいの減量しかできない。しかも、解放されればすぐにリバウンドするのです。
「ところがミネソタの実験の結果、被験者の体重減少率が20〜26パーセントだったのに対し、実際のエネルギー消費の減少率は約40パーセントでした。つまり、代謝率は体重減少から予測されるよりはるかに大幅に下がったのです。ほかの研究でも同じことが発見されています。
カロリーが不足しているとき、体は一致団結し、代謝にブレーキをかけることによってエネルギーを節約しようとすることは明らかです。」(p.38)
ダイエットのために総カロリーを制限すれば、身体は代謝率を落として抵抗しようとします。その代謝率の低下以上に摂取カロリーが減らないと、体重減にはならないのです。
「ミネソタの実験データを分析すると、ひとたび制約が解かれた被験者が示した極端な摂食行動は、本人の体重減少の程度と直接関係していることがわかります。減った体重が多ければ多いほど、食事が制限されなくなるとたくさん食べたのです。体重が増えるにつれ、食べる量はだんだんに減っていきました。しかし肝心なのは、食べる量がふつうにもどるまでに、体脂肪レベルが実験開始時より75パーセント増えたことです。」(p.42-43)
いわゆる「リバウンド」が科学的な実験から明らかにされたということです。
カロリー制限によって代謝が減った状態で、カロリー制限を解除すると、制限前よりよく食べるようになることと、代謝が減った状態で摂取カロリーが増えるために、さらに体重が増えてしまうのです。
「脂肪組織は固定しているように思えるかもしれませんが、現実には流動的な状態にあるのです。
肥満はカロリー過剰の結果ではなく、「脂肪蓄積」障害の結果と考えるべきだと言う科学者や解説者もいます。」(p.50)
「体脂肪」は、常に出たり入ったりしているのですね。これは骨を形作るカルシウムも同じです。つまり人体のほとんどの組織は、出たり入ったりしながら最適なバランスの上に成り立っているのです。
そのバランスが崩れることによって、偏った結果が現れてしまう。それが肥満なのです。
「要するに、インスリンが太るもとなのです。そして決定的なのは、インスリン濃度が低いことが、一般に体脂肪減少につながることです。」(p.52)
「脂肪は直接インスリン分泌を促進しないことが判明しているので、脂肪が太るもとになる可能性はわずかなのです。」(p.52)
「つまり、体に脂肪のみを与えることで、完全な絶食で引き起こされるのとまったく同じ状態が、体内に引き起こされるのです。」(p.53)
低糖質ダイエットを理解している人にとっては常識ですが、体脂肪を増やす元は脂肪ではなく糖質、つまり炭水化物です。炭水化物摂取によってインスリンが分泌され、それによって脂肪細胞に脂肪を蓄えることで、血糖値を下げようとするのです。
「どの食事も1日1000キロカロリーで、5〜9日間続けられました。それぞれの食事で記録された体重の変化は、
@ 高炭水化物食では体重の変化なし
A 高タンパク質食では1日0.26キロ減
B 高脂肪食では1日0.46キロ減
このような食事は極端ですが、体重への影響の差も極端でした。」(p.64)
1日1000kcalという低カロリー食を実施した実験ですが、高炭水化物食では体重が減らなかったのです。しかし、同じカロリーでも高脂肪食だと1日に約500gも体重が減ったことになります。
これは驚かずにいられません。もちろん、低糖質ダイエットをやって効果を実感している人からすれば、さもありなん、という感じですがね。
「同じカロリーの場合、主要栄養素すべてが同じだけ食欲を満足させるわけではないことが、研究によって明らかになっています。同じ重さで考えると、食欲を抑えるという意味で最も効き目がある主要栄養素は、タンパク質であることがわかっています。一般に、たとえば炭水化物の多い食事よりもタンパク質の多い食事をとった場合のほうが、食後数時間の満足感が高いのです。ということは、相対的にタンパク質の多い食事をすれば、人は自然に食べる量を減らすことができて、しかも空腹を感じないですむということです。」(p.70-71)
同じカロリーを摂取する場合のお腹の満足度に関して、炭水化物よりタンパク質の方が満足度が高いという実験結果があるようです。
「タンパク質の多い食事は心臓などの健康にリスクを負わせる、と言われることがあります。しかし実際には、高タンパク質食は心臓病のリスク上昇と関連するトリグリセリドの血中濃度を下げることが実証されています。タンパク質摂取量の増加と高血圧や心臓病のリスク低下を結びつける証拠もあります。
高タンパク質の食事は腎臓に悪いという懸念を表明する専門家もいます。しかし、腎機能が健康な人で、このことを示す証拠が見つからないとするレビュー論文が2編あります。」(p.71)
タンパク質の大量摂取が健康被害につながると主張する説があることは、私も知っています。しかし、ブリファ博士は、逆に影響がないという説もあると言うのです。
「インスリン濃度を下げる食事をとる人は、体重が減っているから食べる量が減っている、とも言えます。つまり、失われた体脂肪が「食べものになっていて」、空腹感を抑えているのです。」(p.74)
これは面白い視点ですね。つまり、インスリンが出にくい低糖質食だと、体脂肪から脂肪が血中に放出される方が優位となり、その栄養素が十分にあるから、身体がエネルギー源の摂取を求めない、ということなのです。
「正常な流れでは、体重が増えると脂肪細胞がレプチンの生成量を増やし、その結果、食べる量が減って、余分な脂肪の一部を燃やすための代謝が促されます。そして、脂肪の蓄えが減るにつれてレプチン濃度が下がるので、食べる量が少し増えて、燃やす脂肪が少し減るのです。
レプチンが働いているかぎり、個人が意識的に体重をコントロールする必要はないという説を唱える科学者もいます。意識的な努力をせずに安定した健康的な体重を維持している人たちはたぶん、とくにレプチンがうまく機能しているのでしょう。」(p.80)
インスリンとともにレプチンの働きも、体脂肪のバランス維持に大きな影響を与えています。ブリファ博士は、レプチンが正常に働いていれば、体脂肪が増えれば満腹になり、逆に減れば空腹になることで、自然と食事量がコントロールされるということなのです。
「炭水化物が少ないということは、血糖値の急上昇が少なく、炎症が少なく、トリグリセリド濃度も低いということです。そのおかげでインスリンとレプチンの両方に対する感受性が向上し、ひいてはインスリン濃度が下がり、体脂肪の検証が促される一方、元気が出て、代謝が刺激され、さらに空腹感が抑えられることがほぼ確実です。」(p.81)
このように、インスリンの過剰放出を抑制し、レプチンの働きを適正に保つ上で、炭水化物の摂取を減らすことが効果的であることが、理論的に明らかにされているのです。
「人間の最古の祖先の歯に見られる摩滅のパターンにも、肉食の証拠が示されているだけでなく、発見されている石器や骨に刻まれている傷の跡は、200万年あまり前から肉の処理が行われていたことを示しています。
90万年ほど前、地球がかなり寒冷化したため、私たちの祖先は生き延びるために狩猟に頼ることになったと考えられます。40万年ほど前の考古学的な遺物も、明らかに雑食性の食事を裏づける証拠を示しています。食事の進化に関するもっと直接的な証拠は、歯のエナメル質と骨の化学分析から出てきています。3万年前から1万3000年前まで、私たちの食事は肉と魚から得られるタンパク質が非常に豊富だったことが示されているのです。
およそ1万年前−−進化の観点から見るとごく最近−−にようやく、私たちの祖先は農業と穀物食に手を出すようになりました。動物を飼育し、それによって乳製品を食べるようになったのは、さらに5000年後だったようです。」(p.88-89)
つまり、人類の長い歴史のほとんどにおいて、私たちは狩猟採集による食事をしてきたのであり、それに適した身体になっていると考えられるのです。
狩猟採集生活においては、その時期や場所によって、何が得やすいかは異なります。しかし、農耕生活とは違い、いつでも豊富な穀物が得られたわけではないことは明らかでしょう。
「寿命が延びた理由のひとつは、太古の先祖が飢餓、極端な気候、あるいは動物からの襲撃という、今の私たちにはあまり縁のない要因に翻弄されていたことです。さらに、医学、健康法、公衆衛生の発達は、たとえば感染性疾患による死亡や幼少期の死亡のリスクを抑えるのに役立っています。」(p.96)
狩猟採集の時代の人類の寿命より、農耕時代の方が長くなっているという指摘に対する反論です。
合理的に考えるなら、より長い期間において人体が適応してきた食事環境の方が、健康の維持や寿命において効果があるはずです。しかし、現実的にはそうなっていない。そこをどう整合性をとるのか?
これは、1つの考え方だろうと思います。科学的な検証を待たなければ、何とも言えない部分ですね。
「飽和脂肪は動脈を詰まらせると、何度もやかましく言われてきたことが頭にあったら、この話はショックかもしれません。それでも、この話は原始食の原則とぴったり一致します。なにしろ飽和脂肪は赤身肉の成分であり、人類が誕生してからずっと、その食事に含まれていたのですから。
飽和脂肪が心臓病を引き起こすことの有力な証拠はないという事実に照らすと、どうしてこの考えがこれほど長く主張されているのか、疑問に思う人もいるかもしれません。」(p.102)
赤身肉とか動物性脂肪が健康に良くない、心臓病の原因になるという話は、よく知られています。けれども、最新の科学的な研究結果を見る限り、そのような主張の根拠がまったくないと言うのですね。
ではなぜ、いまだにそういう根拠のない主張がまかり通っているのか? これは、他でも言えるのですが、そうする方が都合が良い勢力があって、その宣伝によって洗脳が浸透している、ということのようです。
「現代の食事に含まれる過剰なオメガ6脂肪が、私たちの健康に大きな影響を与える場合もあります。その理由の少なくとも一部は、この脂肪が体内の炎症を促進することにあります。食事中のオメガ6の割合がオメガ3より高いと、心臓病と脳卒中や2型糖尿病のリスクが高くなるだけでなく、炎症性疾患や関節リウマチのような自己免疫疾患(体の免疫系が自分自身の組織に対して反応を起こす病気)のリスクも高まります。」(p.105)
「原始の食事に含まれていたオメガ6とオメガ3の比率は1〜3:1と推定されます。現在、典型的な欧米の食事に含まれるオメガ6とオメガ3の比率は10:1ないし30:1です。」(p.105)
不飽和脂肪酸のオメガ6とオメガ3のバランスが重要だということは、私も知っています。ふつうに食事をするとどうしてもオメガ6が優位になるので、意識してオメガ3を摂取するようにと言われていますから。
「オメガ3脂肪は、血中トリグリセリド濃度を下げることもわかっているので、レプチンが脳にアクセスするのを助ける可能性もあります。そうなると理論上は代謝のスピードが上がり、食欲が抑えられるかもしれません。オメガ3脂肪は、脂肪が「ミトコンドリア」と呼ばれる細胞内の小さなエンジンに入り込み、そこで燃やされてエネルギーになるのを促進することもわかっています。
これらの効果を総合すると、体脂肪減少が促されると期待できます。ある研究では、1日4グラムの魚油を補った人たちは、オメガ6脂肪の多い油を補った人たちと比べて、体脂肪がたくさん減りました。」(p.106)
確実な実験による証明ではありませんが、理論的に考えた結果と状況証拠から、オメガ3脂肪がダイエットにも効果がありそうだということですね。
「興味深いことにフラミンガム研究では、50歳以上の人たちはコレステロール値が上がっても、死亡リスクは上がらないことが明らかになっています。実際に高齢者の場合、高コレステロール値が心血管病(心臓発作や脳卒中)のリスク因子でも死亡全般のリスク因子でもないことを、多くの研究が示しています。
フラミンガム研究は、医学界がほとんど無視している別の興味深い結果も示しています。長期的にコレステロール値が下がった人では、心臓病による死亡リスクも全死亡リスクも上がっているのです。」(p.114)
「この結果と整合する事実があります。コレステロール値が低いと、とくにがんの死亡リスクが顕著に高いのです。低いコレステロールは高齢者の「弱さ」の指標だと言う人もいます。言い換えると、低いコレステロールそのものが問題ではなく、人が年をとると(そして死ぬ可能性が高くなると)、期せずして血中コレステロール濃度が下がることが問題だというのです。しかし実際には、高齢と弱さがコレステロール値を下げるという考え方は、低いコレステロール値と高い死亡リスクの関連性が若い人たちにも見られることを示す証拠によって、直接否定されます。」(p.114)
これも結論は出ないのですが、要はコレステロール値は高いことより、むしろ低い方が死亡リスクを高めると考えられる、ということですね。
このことも私は知っていたことです。最近では、コレステロールを気にする必要がないと言われており、高コレステロール食品の摂取も、解禁されつつありますからね。
「低炭水化物食の定義はいろいろで、1日に50〜150グラムの炭水化物を含む食事を「低炭水化物」とするべきだと提唱する評論家もいます。とくに初期段階では、もっと厳しい炭水化物制限を推奨するダイエット法もあります。たとえば、アトキンス法の誘導(初期)段階では、1日の炭水化物の量は20グラム以下になっています。炭水化物をこの程度まで制限する食事は、一般に「超低炭水化物食」と考えられています。
超低炭水化物食は、「ケトーシス」と呼ばれる状態を引き起こす可能性があることで知られています。この代謝状態は、食事の炭水化物が制限されているため、体が脂肪を主要な燃料にするときに起こります。脂肪は分解されてケトンになり、このケトンが脳を含めた体に対し、使える燃料を供給します。」(p.126)
「ケトーシスについては、体にダメージを与える本質的に不健康な状態だ、という批判もよく聞かれます。そのとおりだと信じる人は、ケトーシスを「ケトアシドーシス」と混同しているのです。ケトアシドーシスはコントロール不良の1型糖尿病で起こる、命にかかわるおそれもある代謝状態です。ケトーシスは病的状態ではなく、炭水化物の供給が不足しているとき、体がエネルギーをつくるために起こす自然な反応です。
ですから、私はケトーシスに反対はしませんが、一般論として、効果的な減量はケトーシスに頼るものではないと言っておく必要があります。」(p.127)
ブリファ博士が勧めるのは低糖質食になりますが、これは必ずしもケトーシスによるダイエット法ではない、ということですね。
ケトーシスになっても悪い影響はないと言えますが、ケトーシスにならなければならないというものでもない。それが、ブリファ博士の主張なのです。
「食事中の炭水化物の量が多ければ多いほど、肝臓の損傷を示す証拠が多く見られたのです。食事脂肪にはこれが当てはまりませんでした。この結果の説明として、炭水化物がインスリン生成を促し、それが肝臓での脂肪生成(デノボ脂質生成)を促進したとも考えられます。
炭水化物が肝臓の脂肪を増やす効果があることは、ガチョウとアヒルでフォアグラをつくる方法からもうかがえます。ガチョウやアヒルの肝臓をほぼ純粋な脂肪にするために与えられるものは何でしょう? 穀物(トウモロコシ)です。」(p.131)
穀物の大量摂取が肝臓に悪影響があることは、私たちがフォアグラを食べたいがためにやっていることからも明らかですね。
「ある研究では、5万3000人について食習慣と心臓病のリスクを10年以上にわたって調べました。そして、飽和脂肪を高GIの炭水化物と置き換えると、心臓発作のリスクが33パーセント上昇することがわかりました。別の研究(11の研究のメタ分析)では、飽和脂肪を炭水化物と交換すると、心臓発作のような「冠動脈事象」のリスクが上昇しています。
この証拠は疫学的なものですが、血糖値を乱高下させる炭水化物が体内で病気の原因となる作用を促すことを明らかにした先程の研究は、この証拠を裏づけています。」(p.134)
疫学的な研究とは、因果関係ではなく相関関係を示すものです。ただ、そのメカニズムの論理的な考察と、そのメカニズムを証明する研究から、おそらく因果関係があるだろうと推測しているのです。
「最近のあるレビュー論文の著者は「……食物繊維は結腸直腸の病気にあまり効果はないようである」と結論づけ、「食物繊維について誰もが信じさせられてきたことを、見直す必要があることを強調」したいと言い添え、「人はしばしばうそを信じることにする。なぜなら、大勢によって何度も繰り返されるうそは、真実として受け入れられるようになるからだ」と述べています。私の考えでは、最後の所見は一般に認められている栄養の「常識」の大半に当てはまります。」(p.138)
まあ、こういうことは多々ありますね。人は事実よりも、自分が信じたいものを信じるのです。
それにしても、不溶性食物繊維が腸内をきれいにして、健康に役立つと信じられてきたことが、科学的に証明されていないという事実には驚かされます。
なお、水溶性食物繊維が腸内細菌のエサになるということは、ここでは否定されていません。コンニャクなど不溶性食物繊維は、腸をお掃除してくれない、ということです。
「要約すると、穀物には以下の特徴があります。
@ 一般的に血糖値を乱高下させ、ひいては疲労、気分の問題、夜の目覚め、空腹感、甘いものへの欲求を引き起こす。
A 糖とインスリンの急増を引き起こす傾向があり、それが長期的には体重増加、2型糖尿病、心臓病を引き起こす。
B 一般的に栄養価が高くない。
C 主要栄養素の消化を妨げるフィチン酸塩を含む。
D レクチンが豊富でグルテンも含む可能性があるため、消化管の問題や、関節炎、喘息、湿疹などの食物過敏症の問題を引き起こす。
E レクチンとグルテンなどのタンパク質の消化を妨げる、プロテアーゼ阻害剤を含む。
F 中毒になるおそれがある(小麦のようなグルテンを含む穀物)。
これらのことをすべて踏まえると、政府や医療関係者が推奨しているように、穀物を中心とした食事にすることは、本当に筋が通っているのでしょうか?」(p.140)
とまあ言いたい放題に言われてますが、どう思われるでしょうか。たしかに、含まれる微量栄養素は別として、炭水化物そのものは食物繊維と糖質だけであり、食物繊維が他で摂取できるなら、糖質はエネルギー源くらいしか有用性がないとも言えます。
「体にはタンパク質を「糖新生」という作用でブドウ糖に変える能力があります。このようにして、1日に約200グラムのブドウ糖が生成できると推定されていますが、これは体が必要とする炭水化物の量を十分に超えています。
体にとって食事で絶対にとらなければならない炭水化物は実はゼロである、というのは単純明白な事実なのです。
一方、脂肪やタンパク質は大違いです。それぞれが供給する「必須脂肪酸」と「必須アミノ酸」と呼ばれるものは、食事によって供給するしかないのですから。」(p.141)
「糖新生」という能力が備わっているということからしても、人体に炭水化物は摂取しなくてかまわないもの、とも言えそうです。
「出所が何であれ、果糖はいったん体内に吸収されると、直接肝臓に運ばれます。ほかの部位には処理に必要な仕組みがないので、果糖は肝臓で代謝されなくてはなりません。一部の果糖はブドウ糖に変換されるので、間接的とはいえ、果糖が血中のブドウ糖濃度を上げる可能性はあります。」(p.145)
果糖も肝臓によってブドウ糖に変換され、血糖を上昇させる可能性があるのですね。さらに、脂肪に変換される可能性もあるそうです。
「この脂肪の一部は肝臓から抜け出せなくなって、「脂肪肝」をつくることもありそうです。果糖は腹部肥満を特徴とするメタボリック症候群にも関与しています。」(p.146)
「私が事実だと思う一般論をいくつか挙げましょう。
・果糖が血糖値を直接上昇させることはないかもしれないが、健康への影響という点で無害でないことは確実である。
・動物及び人間で、果糖がインスリン抵抗性、レプチン抵抗性、高血圧、体重増加などの問題を引き起こすおそれがあることを示す、有力で確実な証拠がある。
・大部分の人にとって、食事中の比較的少量の果糖は問題なさそうである。とくに果物のような比較的ヘルシーな食べ物に、もともと入っている場合にはそれが言える。たとえば、リンゴ1個に含まれる果糖は約6グラムなのに対し、缶コーラ1本には約20グラムである。」(p.147)
このように、果糖の摂り過ぎによる弊害を指摘しています。
「乳製品は若者の骨にはたいしたことをしませんが、年配の人たちには何か役立つのでしょうか? 乳製品の摂取は、「骨粗しょう症」と呼ばれる骨がもろくなる病気と闘ううえで、重要な栄養成分として広く推奨されています。しかしやはり、全体的に証拠はこの主張を支持していません。」(p.152)
牛乳など乳製品がカルシウムを増やして骨を強くすると信じていましたが、最近はそれすらも間違いであるという指摘を多く耳にします。
「たとえば、乳製品は子どもの喘息、湿疹、耳感染症、中耳炎、頻繁な風邪、再発性扁桃炎のような病気の一般的原因です。成人の場合、乳製品の過敏症と関連してよく起こる問題には、重度のカタル(粘膜の炎症)、副鼻腔や鼻腔の鬱血(うっけつ)、喘息、湿疹、過敏性腸症症候群などがあります。
このような問題の原因と考えられるのは、牛乳や乳製品に含まれるカゼインのようなタンパク質です。低温殺菌は乳タンパク質をとくに消化しにくくするので、問題があると考えられています。」(p.153)
乳製品は、骨を丈夫にしないだけでなく、いろいろな病気の引き金になっていそうです。
ブリファ博士は、空腹を感じないことがまず重要で、それによって健康的な食事を選ぶことが可能になると言います。
「一般論として、食欲を抑えるのに最も効果的な食事は、タンパク質と脂肪が豊富で相対的に炭水化物が少ないものです。そのような食事の大きな強みのひとつは、体脂肪の放出が促され、放出された脂肪が体によって代謝されることです。前にも言ったように、冬眠しているクマと同じです。放出された脂肪は体にとっての食べ物なので、食欲を抑えるのに役立ちます。タンパク質にも本質的に食欲を抑える特性があります。」(p.158-159)
だから大量のポップコーンより少量のナッツの方が満足度が高くなると言います。
「血糖値を安定させるように栄養素をブレンドしたサプリメントもあります。それにはクロムのほか、たいていマグネシウムとビタミンBも入っています。ほかの栄養素との組み合わせでも単独でも、毎日400〜800マイクログラムのクロムを、1日に2〜3回に分けて服用することをお勧めします。
糖類への渇望はふつう、脳が燃料不足に陥っているときに起こります。アミノ酸のグルタミン(次に出てくるMSGの成分であるグルタミン酸と混同しないでください)は、すぐに使える燃料を脳に供給し、実際に炭水化物への渇望を消すことができます。
粉末のグルタミンを買って、小さじ1杯(約4グラム)を500ミリリットルほどの水に溶かすのがお勧めです。これを一日中、ちびちび飲んでください。」(p.164)
炭水化物の渇望を軽減するための方法として、クロムやグルタミンの補給をブリファ博士は勧めています。
「たまには自分へのごほうびとして甘いものを食べたい人に、私がお勧めするのはダークチョコ(カカオ70パーセント以上)です。その理由のひとつは、カカオ自体がとても栄養のある食材だからです。心臓病の予防と関連する「ポリフェノール」という植物化学物質がとくに豊富です。」(p.167-168)
高カカオチョコレートは、前に読んだ「医師が教える最強の間食術」でも推奨されていました。
ブリファ博士は、人工甘味料については否定的です。
「私が問題だと思うのは、その甘さです。そこが肝心なのは当然ですが、ここで問題なのは、人は甘味料を摂取することで、中毒になりやすい甘い味に慣れてしまうことなのです。長期的には、甘さへの執着を避けるほうが賢明だと、私は考えています。」(p.171)
たしかに、甘さに慣れるという習慣性は、問題があるかもしれませんね。
「おなかがすいているときほど、食べるのが速くなりがちだという話は、それほど目新しくないかもしれません。しかし重要なのは、食べるのが速ければ速いほど、脳がもう十分食べたと伝える前に、たくさん食べてしまうかもしれないことです。」(p.171)
これも確かに実感します。満腹感は遅れてやってくるのです。
「私たちにとっていちばん良い食事は、自然な未加工の食物で構成されていて、とくに人間の「原始」の過去を反映したものです。重視すべきなのは、一般的に推奨されているよりも多くの脂肪を摂取することです。食物に自然に含まれている脂肪は、太るもとでもなければ、健康を害するものでもありません。健康のためになり、減量を促す可能性さえある脂肪もあり、その代表例がオメガ3です。工業的に加工された脂肪は避けるべきです。
タンパク質もある程度優先させるべきです。タンパク質はいちばん満腹になる主要栄養素であり、しかも、インスリンの脂肪蓄積作用に対抗するホルモン効果があります。タンパク質が豊富な食事は、「代謝上の優位性」によっても減量を助ける可能性があります。心臓、腎臓、骨の健康にまつわるタンパク質についての一般的な懸念は、根拠がありません。」(p.176)
ブリファ博士はこのように、脂肪そしてタンパク質を中心とした食事を勧めています。
「証拠を比較検討すると、大豆ベースの食品を取り立てて食事に加えるべきではないと思われます。とくにSPIとTVPにそれが言えます。比較的優れたタイプの大豆は、もっと自然で加工が少ない発酵食品で、テンペや納豆や味噌などです。」(p.190)
ブリファ博士は、大豆そのものは高く評価されていません。それもあってか、納豆についても、私が思っているほどは高く評価されないようです。
「尿の色を一日中薄い黄色のまま保てるくらい、たくさん水を飲むことを目指しましょう。
尿の色が濃くなって、明らかに臭いはじめたら、脱水状態になってしまっている可能性が高いです。そのような場合、たくさん水を飲むことで、だいたい30分以内に活力がもどって元気になります。」(p.201)
適切な摂取水分量は、目安を示すのが難しいのだそうです。なので、自分の尿を見て確認しながら飲むのが良いと言います。ただ、水の飲み過ぎに関しては、それほど警戒されていないようです。
「アルコール飲料はたいてい、体重増加の主要因である炭水化物を供給します。当然かもしれませんが、アルコール摂取量が多いと体重が重くなることを示す研究がいくつかあります。」(p.208)
ビールに炭水化物が多く含まれていることは、私もよく知っていますし、実感もしています。
「賢い方法のひとつは、酒(たとえばワイン1杯)を飲むたびに、水をコップ1杯飲むことです。これでたいてい飲むワインの量が減るうえ、アルコールの悪影響を薄められます。」(p.210)
つまりチェイサーですね。私は、焼酎をアルコール度数3%程度にまで薄めて飲んでいますが、これも同様の効果がありそうです。
「たいていの人は、朝食を抜くとそのあと一日中、健康に良い食べ物を選びにくくなるおそれがあることを知っています。全員ではないにしても一部の人にとって、きちんとした朝食をとると、あとで食欲が「抑え」られ、望ましい昼食と夕食をわりと選びやすくなります。」(p.213)
「朝はあまり食べる必要がなくて、午前半ばか昼近くに少しばかりのナッツと果物ひと切れで十分だという人もいます。そのやり方で午前中ずっと元気でいられて、脳の機能もきちんと働き、昼食の時間までに腹ペコにならないのであれば何も問題ありません。」(p.214)
「自宅以外で昼食をとる人にとって最大の難題は、どうやってサンドイッチを避けるか、です。ひとつの代案はサラダ。」(p.215)
「サンドイッチ店などはたいていお昼どきに、肉と野菜両方のスープを提供しています。繰り返しになりますが、そうしないもっともな理由がないかぎり、肉入りのものにしましょう。
忘れないでください。昼食前に空腹になりすぎないことがとても大切です。食欲を抑えておけば、パンや炭水化物たっぷりの添え物(チョコレート、シリアルバー、ポテトチップなど)を避けるのも簡単です。」(p.215)
後で述べられているように、食べすぎないために1食抜くということもありだと言います。その際、著者は多くの場合は朝食を抜かずに食べる方が良いと考えているようです。
また昼食においては、外食で炭水化物を摂り過ぎないことが重要で、肉入りのサラダにするとか、肉入りのスープを多めにするなど、提案されています。
昼食を外食にする場合に炭水化物多めの物を選ばないためにも、朝食を食べて空腹になりすぎないことが重要だということですね。
「お気づきかもしれませんが、この本で私は、食べ物の具体的な1人前の分量となる数や重さを示していません。その理由は、腹ペコになりすぎないようにしているかぎり、そして栄養があって腹持ちのいい本物の食べ物を食べているかぎり、食べすぎは問題にならないからです。つまり、人は自分の満腹感を信頼して、自動的に摂取量を調整することができるので、意識的に制限する必要がないのです。」(p.218)
「ひとつ単純な改善方法は、ナッツのようなおやつを必要なときに食べられるように用意しますが、目に入らないようにしまっておくことです。必要ならそこにあることはわかっていても、見えてはいけないのです。」(p.218)
自分の満腹感を信頼する食べ方に慣れることは大事ですね。そういう考えの時、いつでも手を出せるところに食べ物を置くことは、やはり避ける方が賢明だと私も思います。
私も、袋菓子の封を開けてしまうと、最後まで食べきらないと気がすまない性格ですから。(笑) なのでナッツの大袋は、離れたところに置いておいて、食べたい時は小皿に少量取ってきて食べるようにしています。
「炭水化物の摂取を抑えることでインスリン濃度が下がると、腎臓はナトリウムの排出を増やし、そのナトリウムは水分を道連れにします。つまり、人によっては数日間いつもより排尿量が増えて、ナトリウム濃度も大幅に下る可能性があります。さらに、加工食品を食べなくなるとおそらくナトリウム摂取量が減るので、ナトリウム濃度がいっそう低下します。」(p.223)
炭水化物の摂取を抑えることでナトリウム不足となり、疲労、頭痛、こむら返り、目まいなどの症状が出てくることもあるのですね。こういう場合の対策は、塩を増やすことだそうです。
ただこれも、体が慣れるまでのことであり、慣れてくればナトリウムのバランスを回復するとブリファ博士は言っています。
「1週間にわたるジョギングの努力で、脂肪約150グラムが減ります」(p.225)
ダイエットのために運動を勧める人がいますが、その効果は疑わしいものです。1回30分のジョギングを週に5回やったとして、その1週間で減る脂肪はわずが150gなのです。
これを多いと考えるか少ないと考えるかは人それぞれですが、ブリファ博士は少ないと見ています。
「もうひとつ有酸素運動による減量を邪魔するものは、運動が招きかねない空腹感です。この運動は「食欲がわく運動」なのです。」(p.225)
これはたしかに言えますね。運動でダイエットを目指す人の多くが、「これだけ運動したのだから」と自分にご褒美を与えたがるからです。
「現実には子どもたちは先に脂肪を蓄積し、そのあとあまり動かなくなったのです。この発見によって「身体活動を促すことで子どもの肥満に対処する努力が、なぜ、ほとんど成功しないのかを説明することができる」と著者は指摘しています。」(p.227)
長距離走のアスリートたちが痩せているのを見て、ジョギングが痩せるのに役立つと考えるのかもしれませんが、実は逆なのだと言うことですね。
つまり、痩せているから動くようになる。相関関係は必ずしも因果関係ならず、ということですね。
「有酸素運動は減量にはあまり役立たないかもしれませんが、慢性疾患のリスクを減らし、心身の健康を高める力はあるようです。」(p.227)
もちろんジョギングにはジョギングのメリットもあります。ダイエット目的ではなく、健康目的ならOKです。ブリファ博士は、ウオーキングの方を勧めていますが。
「高タンパク質食を抵抗運動と組み合わせると、体脂肪を落とすための非常に強力なツールになりえることが実証されています。」(p.231)
抵抗運動とは筋トレのことですね。以前に老人でも安全にできる筋トレの本を紹介しました。「2度のがんから私を救った いのちのスクワット」です。これを読んで私も、スロースクワットを実践しています。
「インスリン濃度は、何を食べるかだけでなく、いつ食べるかを調整することによって、加減することができます。インスリンは食事に反応して分泌されるので、日中は上昇し、夜に眠っているあいだは下がる傾向があります。理論上、1日のうちインスリン濃度が低い時間を延ばせば、減量を促進できるのです。これが基本的に間欠的断食のすべてです。」(p.243)
「間欠的断食」とは、「16時間断食」などのように、1日の中にある程度の長さの食事をしない時間を設ける方法です。これについては以前、「98キロの私が1年で40キロやせた 16時間断食」という本を紹介していて、私も朝食を食べないので必然的に行っている方法です。
「夜はふつうインスリン濃度が低いことを踏まえると、間欠的断食へのひとつの取り組み方は、とにかく朝食か夕食を抜くことでしょう。あなたはどちらを選ぶべきなのでしょう? 私のお勧めは、なしですませるのが簡単だと思うほうを抜くことです。」(p.246)
ブリファ博士自身も実践されたことがあって、朝食を抜かれたそうです。私と同じ考えですね。
この本を読むことで、タンパク質や脂質を摂り過ぎることへの懸念がなくなりました。むしろ、炭水化物を摂らなくてもいいから、脂肪を食べるようにする。そういうふうに、考え方をシフトして、食材を選びたいと思いました。
もちろん、それが自分に合うかどうかは、自分で試してみないと何とも言えません。食べる量もそうですが、自分の身体の声に耳を傾けて、それに対して正直であることが大事だと思います。
2022年10月25日
97歳、幸せな超ポジティブ生活
何の紹介だったか忘れましたが、面白そうだと感じたので買ってみました。
著者は鮫島純子(さめじま・すみこ)さんと言います。でも、そう言うよりも渋沢栄一氏のお孫さん、と言った方が興味深く感じるでしょうか。実は私も、気になっている渋沢翁のお孫さんだから興味を持ったのです。
また、タイトルにある「97歳」という年齢も興味を持った理由の1つです。老人介護施設で働いていることもあり、高齢のお年寄りがどういう考え方で生きておられるのか、とても興味深く思ったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「長い人生を生きていれば、プラスのことばかりではありません。マイナスに思えることも当然起きます。
「自分の思っているとおりにならない」と悩むときは、その原因を他人や社会のせいにしたり、あるいは自分はダメなんだ、と自分自身を否定し、責めたりします。誰でもそうなりがちらしいのです。
けれども、「魂は何度も生まれ変わり、今生きている人生だけではない。魂は永遠に生き続け、学びながら浄化成長していく……」。私はそんな”宇宙のルール”ともいうべき「人生のしくみ」を知ったことで、受け入れがたいツラい出来事も、不安、恐れもすべて、自分の心の浄化成長のために自分の魂が選んだ経験だったと考えられるようになりました。そして、それぞれの問題を乗り越えることで、また少し成長できたと喜べるようになりました。」(p.2-3)
素晴らしいですね。まさにこのとおり。もう、これだけで十分だと感じるくらい、本書の内容がまとめられています。
「あのとき「人間は、こんなにも長生きできるのか」と、祖父の崇高な死に顔を、畏敬の思いで眺めた記憶がありますが、そんな私も今や97歳。祖父の年齢をも超えてしまったことに驚いています。」(p.3)
鮫島さんは、新1万円札の顔に決まったことで話題になっている渋沢栄一氏のお孫さんです。そういう関係があるからこそ、鮫島さんの話を聞きたいという人が多いのでしょう。
「人は誰もが、大自然のエネルギーを与えられ、生かしていただいています。「人生のしくみ」を心にとめ、「ありがとう」という言葉を口にすれば、いつも幸せ感に満たされます。それが、私のいちばんお伝えしたいことです。
「感謝の習慣」を身につけた者は、地上に天国を創る者です。
たとえ、口先だけであったとしても、「ありがとう」という言葉は毎日がとても穏やかで楽しくなる魔法の言霊です。」(p.6)
「以前は、「ありがとう」の言葉を、何か物をいただいたり、自分にいいことをしてくださった「人」に対する感謝という意味で使っていましたが、今、感謝の対象は、宇宙の創造主、大いなるものへの感謝になりました。「大自然」といっても「神様」といってもいいと思います。
これは後述しますが、「はじめに」でもふれた”宇宙のルール”にのっとっていることで、イヤな人に会っても、イヤな目に遭っても、「神様が自分を磨いてくださる方に会わせてくださった」「自分を磨く機会を与えてくださった」と感謝の気持ちが湧きます。悪いことが起きても、いつもの習慣で「ありがとう」という言葉が、すぐ口をついて出るようになりました。」(p.17)
「詐欺に遭ったと気づき、すぐ警察署に届けましたが、犯人が憎い、悔しいという思いよりも、こんなふうに人を騙して大金を奪う犯人の、暗転するであろうこの先の人生や、親御さんの心情に心を寄せる自分がいました。
取り調べに当たった警察官には、「詐欺に遭って犯人の人生を心配する被害者なんて、初めてですよ」とあきれられました。」(p.24)
振り込め詐欺にあったことがあるそうですが、その時も身についた思考の習慣が自然と出てしまったようです。こうなると、もう最強ですね。
「そうしているうちに、「ありがとう」という感謝の言葉を声に出すと、宇宙の創造主の意志、すなわち「愛と調和」「世界人類の平和」を願う波動と同周波になり、心が穏やかになっていく自分に気づきました。
「ありがとう」の言葉には、過去世から引きずってきたマイナスの事象を、プラスに変えていく力があるのだと自覚できるようになりました。」(p.40-41)
いわゆる「カルマ」を解消するポイントも、「ありがとう」という言葉にある、ということですね。
「明治神宮創建の発起人である祖父・渋沢栄一も、「神には感謝のみ」といっていました。
神社というところは、一般にはご利益をお願いするところだと思われがちですが、そういったご利益祈願という幼いレベルの信仰対象ではなく、本当にただ感謝だけをお伝えすればいい場所のはずです。守護霊は、お願いするまでもなくすべてをご存じだと信じます。」(p.42-43)
特別な宗教的な信仰を持たない渋沢氏が、明治神宮の創建に関わっていたとは知りませんでした。
神社が感謝の祈りを捧げる場だという話は、他の方もされていますし、私もそう思います。
「私たち人間は、太陽の恵みを受け、空気を自由に吸うことができ、水も食料もいただくことができ、食事をすれば内蔵が働いて消化・吸収してくれ、排泄してくれます。一つひとつ思いを巡らせれば、何一つ自分がやっているのではなく、やっていただいているのであって、感謝する材料は満ち溢れています。
それなのに、つい感謝の気持ちを忘れて、当たり前のこととして過ごしてしまうのです。そして病気になったり、自然災害が起こったり、何か不自由なことがあって初めて、どれだけ恵まれた世界で生きていたのか気がつくのです。
私たちは、存在しているだけで宇宙の創造主から愛されています。それなのに、それに気がつかず、どれだけ感謝の気持ちを忘れて生きているのでしょう。
当たり前ではないから、有難い。いちばん大切なのは、「ありがとう」と思うポジティブな気持ちです。」(p.48)
要は見方次第であり、気づくかどうかなのです。
「魂は永遠に生き続けるのだということを信じられると、イヤな相手と感じられる人も意味がある、という真理を素直に受け止めることができます。今の生涯では身に覚えがないけれど、過去世での愛と調和からはずれた自分の言動を帳消しにするため、縁ある人が逆の立場を演じてくれている。これは厳然たる”宇宙のルール”であると信じられると、何事も「よし、受けて立とう」と肝が据わります。
過去世で乗り越えられなかった問題をクリアにするために、もう一度その問題と向き合って、今回の生涯で消せるよう、必要があるから被害者の立場となった、とわからせていただきました。」(p.57)
いわゆる「カルマ」に関してですが、私も同じように考えます。
「相手を責めて、相手のせいにしているうちは、まだ魂のエネルギー、波動が浄化されていない、低い状態といえましょう。
その波動は相手にも伝わり、事態は解決できません。相手を変えようとするのではなく、自分の受け止め方を変える。自分の心が穏やかで平安な状態を保てれば、その気持ちが相手に伝わり、好転していくはずです。」(p.58)
相手を変えようとしても意味がありません。自分を変えることを考えるべきですね。
「長野県の諏訪地方では、食事を終えたら「ごちそうさまでした」ではなく「いただきました」というそうです。」(p.68)
へぇ〜、そうなのですか。知りませんでした。今、そこで暮らしていますが、ぜひ近くの人に聞いてみたいと思います。
「最近のテレビの国会中継を見ていると、意を尽くして意見を述べるのは必要だと思いますが、感情、想念がまじって議論なのか喧嘩なのかわからないような低俗なやりとりに、これが私たちの選んだ議員さんなのかと、選んだ我々有権者のレベルを疑いたくなることがあります。」(p.75-76)
たしかに。私も観ていて残念で、何だかなぁという思いになります。それに、そういうレベルの低い波動を受けているのが嫌で、だんだんと観なくなりました。
「集中が5分ともたない自分に愛想をつかして、その代わりに、日常生活の中でこまめに感謝の思いで心を満たすことにしたのです。
ですから、「ありがとう」や「世界人類の平和を祈る訓練」は、瞑想代わりに絶えず高い波長をキープするための、私なりの苦肉の策でもあるのです。」(p.80)
私も瞑想は苦手なのですが、その代わりにレイキを行ったりしています。人それぞれに、自分に合った方法を工夫することですね。
「私たちは皆、神様の分身として、「地球を平和な愛の星にする」という使命のもと、肉体という波動をまとって地上に誕生させていただいているのだという認識に欠けています。
暮らしを便利にする発明は、人類への大いなる貢献でしたが、利用する私たちが、感謝をおろそかにして、動物的な本能のままにそれらを操ってしまうようでは、大事な地球を破滅の方向に導いてしまいかねません。」(p.96)
「今、年寄りの肉体維持のために税金を使いすぎではないかと思います。永遠の生命という考え方に立てば、そうしたことは不自然だということが自明の理なのです。
むやみに医療技術で死をおしとどめるより、「死は次のステップへの誕生」だという認識を若い頃から促すほうが、年輩者への本当の愛だと思います。」(p.97)
文明の利器は暮らしを便利にしてくれますが、それらによって傲慢になり、自然の理に反することを考えるようになっている。私も、そう感じる点がありますね。
それに、老人の不安や恐れに迎合した過剰な医療も、私は不要のものだと思います。そういうポピュリズムによって、かえってお年寄りを虐待しているとさえ感じています。
「つまり、怒りの思いでイライラしていると血液の流れが滞り、「嬉しい」「楽しい」快い気分のときは血液もサラサラ流れ、疲れのモトをつくりません。」(p.113-114)
身体の健康も心の持ちようから。そうわかれば、イライラを感じたら、思考を変えるというふうに自分を変えていけるでしょう。
「食事についても、いたってシンプル。一日3度の食事配分は、朝3、昼2、夜1の比率で、比較的少食に、腹八分を心がけています。
そして、夜8時以降は何も口にしないようにしています。」(p.116)
健康のためには日々の食事に気を使うことも大切ですね。鮫島さんの食事法が、すべての人にとって「正しい」とは思いません。それぞれに、自分に合う方法を工夫してみればよいかと。
「「世界が平和でなければみんなの幸せはなく、みんなが幸せにならなければ自分も幸せになれない」と祖父が考えていたことは、言動からもわかります。
そういったことを、直接、祖父と話したわけではありませんが、私も自然と同じような想いを持って生きてきたつもりです。」(p.132)
渋沢氏の生き方は、「公に尽くす」ということだったのだろうなぁと私も思います。
「孫の私たちがお転婆なことをすると、祖母は「おじい様がご心配なさるからおやめなさい」とたしなめるのですが、祖父が私たちを叱るということはありませんでした。
今から思い返すと、失敗もまた学びの経験ということだったと思います。体験することを「よし」として、叱られたり注意をされた覚えがありません。ですから私たちは、祖父を大変尊敬しておりました。」(p.144)
叱って思い通りにさせるのではなく、体験の中に気付かせようとした。人が成長するというのは、自分が体験することによってのみですからね。
「物もお金も名誉も、あの世にはもっていけないのです。
もっていけるのは「想いの習慣」だけ。
ですから、あるがままにその状態を受け止められたのは、よかったと思っています。」(p.158-159)
嫌な経験、辛い経験も、すべては自分が気づきを得るため。そして、そういう状況において、自分らしさを発揮するため。表現するため。それがわかれば、どんな経験もありがたく感じられますね。
「死というものは、それぞれ自分にとって経験しなくてはならないことを学んだのち、この世を卒業して次の段階へ移っていくもの。そう認識した上で、日々置かれた環境の中で愛の練習を重ね、少しでも心をグレードアップさせてこの世への執着もなく天寿を全うする。それが、いちばん望ましい「自然死」といえましょう。」(p.179)
死は卒業だということは、私もそう思っています。だからこそ、むやみに死を恐れるのではなく、むしろその時をワクワクと喜びながら迎えたい。そう思うのです。
鮫島さんの考え方には、共感する部分が多々ありました。私も、こんなふうに歳をとっていきたいなぁと感じます。
今、働いている老人介護施設の利用者様には、いろいろな方がおられます。日々、不平不満を口にされる人。自分を押し殺したように何も言わない人。しかし、鮫島さんのように明るく感謝して生きておられる方は、少ないように思います。「ありがとう」という言葉をよく言われても、すぐに不平不満や文句が出てくる。まあそれも、修行の一段階なのでしょうね。
他人のことはさておき、私自身、私の人生での修行をさらに深めていこう。改めて、そういうことを考えました。
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