2022年09月05日
あきらめの「幸福論」
私の友人でもある「ぱっさん」こと木場秀俊(きば・ひでとし)さんが初めて本を出版されるとのことだったので、予約して買いました。
発行は2022年8月24日となっていますが、一般への販売開始は9月2日から。9月3日に届いて、4日から読み始めました。
180ページほどだし行間も広めで、ボリュームはそれほどありません。1〜2時間もあればサクサクと読める内容です。
体裁は、19の質問に対して、ぱっさんが答える形になっています。
カウンセリングや相談業もされていたぱっさんが、多くの人の悩みに答えてくれます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「例えば、やりたいことが2つあったら、どっちかを優先しなきゃいけないし、どっちか諦めなきゃいけないわけじゃないですか。それが幸せなのか、不幸なのか。ずっと幸せでいられるっていうのは、幸せだって思い込むこと以外、可能にする方法がないと思うんですよね。」(p.5)
つまり、何かすること、達成する、所有する、というような外部要因で幸せを考えていると、幸せだったり不幸だったりするんです。常に幸せでいるためには、「幸せ」を選ぶしかない。つまり、自分のあり方の問題だということです。
「幸せになる必要性というか、義務がなくなると、ようやく自分の人生の本質と向き合わなきゃいけなくなる。たぶん老後とかに起きてくる問題なんですよね。どうやって生きていこうか、どうやって死んでいこうかといういう問題。やるべきことはもうない。じゃあ自分っていうものは、一体何者なんだろうかっていうことと、毎日向き合うことになる。」(p.6-7)
「禍福は糾える縄の如し」と言うように、外部要因を根拠としていれば、幸せだったり不幸だったりという人生です。その時、幸せにならなきゃと「幸せ」に執着していると、もっと大事なものが見えてこないとぱっさんは言います。
それが自分自身と向き合うということですね。自分と向き合うことで気づきに至る。まあその伏線として、導入として、幸せに執着し、がんばっても上手くいかないことを経験するってことがあるんだと私は思います。
Q02「「生きる」ってどういうことですか?」という質問に、「煩わしさ、そのものです。」と答えている章です。
「みんな外側を整えるために、スピリチュアルやろうとするんですよ。スピリチュアルって違う、もっと内側なんですよ。本当のスピリチュアルって、人生って面倒くさいよね、って気づいてからなんですよ。そこの面倒くさいよね、じゃあそっちはそっち、こっちはこっちって考えて、内側のことに集中し始めると、外側のことも付随して整っていくのです。」(p.23)
「悟りって、なんか魔法みたいな感じで説明している人とかいらっしゃるんですけど、そういうものではなくて、もう本当に全部諦めて、諦めるっていうのも内側を向くために諦めるんです。どこを幸せにするの? っていうことなんです。」(p.25)
「引き寄せの法則」を駆使しようとする人は、まさに「外側を整える」ことを目的として、スピリチュアルを利用しようとしているんです。スピリチュアルが手段で、外側世界が目的になっています。
けれども本当は、外側世界のことはもうどうでもいいや、と切り離しておいて、自分の内側に入っていく。本当の自分に正直になろうとする。そうすることで、いつの間にか勝手に外側の世界が上手くいくようになる。私も、そんなふうに考えています。
「死ぬときにどんな状態が理想的なのかというと、内側の自分ですよね。外側で満たそうとしていた自分っていうのにまず気づいて、そうじゃない、外側で満たすのではなくて、内側で自分を自分のために大事にする。そんな状態です。そんな生き方をしようと、まず決めることですよね。」(p.26-27)
「外側に興味があるうちはね、思う存分やったほうがいいです。やりたいことがあるのに、内側に目を向けるっていうのって無理なんです。」(p.27)
人それぞれ発達進化の段階があるので、赤ちゃんにいきなり立って走れと言ったって無理。それは「助長」です。だから私も、暴走族をやりたいならやらせてあげたらいいと言うのです。
いずれその時が来れば、自然と自分の内側を見つめるようになります。そのためにも、無理をして背伸びをしちゃダメなのです。
次はQ07「何もかもうまくいかないときの乗り越え方を教えてください。」という問いに、「理想の人生をイメージして追求していくだけで充分なんです。」と答えている章です。
「私の動画の中で、ひたすら「大丈夫」って唱え続ける動画があるんですけど、「これ以上のヒーリング動画はないです」みたいな感じで出ていたんです。そのブログを書かれた方が、その「大丈夫」を、ひたすら聞いてくださったそうなんです。
それと一緒だと思うんです。結局今の現状って、八方塞がりだって思ってるとしても、八方塞がりの状態っていうのはいつか抜けるんですよ。それは何でかと言うと、生きていれば状況は変化するんですよ。
そのときに、八方塞がりなままなんだって思っていてもね、状況は変わるんです。結局時間が経つっていうことが一番有効なんですよね。」(p.67-68)
私も大失恋した時、時間が心を癒やしてくれたって実感しました。そして仏教でも「諸行無常」と言っていますが、お勧めする「神との対話」でも、すべては変化すると言っています。だから、何とかなるんですね。
次はQ12「「自分軸で生きる」にはどうすればいいですか?」という問いに、「自由に生きてください。」と答えている章です。
「あるものに対して、抵抗するから病気になる。流されてたらどうですかね。どうせ、できることしかやってないですよ。
自分軸って、常に自分のことを見つめてあげる心のことだと思うんです。自分軸って定まっているんだと思い込んでいるとしたら、その人は絶対自分軸じゃなくて、理想の自分を思い描いてるだけで、嘘つきですよ。そんな不自然な生き方している生物いないですよ。」(p.111-112)
「かくあるべし」という考え方にしがみついて、そういう執着心を手放さないから本当の自分が見えてこない、自分に正直になれないんですね。
次はQ16「友達が少ないのですが、どうしたらいいですか?」という問いに、「”仲の良さ”ではなく尊重し合えるかどうか。会う頻度も関係ありません。」と答えている章です。
「その人はね、いついかなるときでも、自分が無理のない範囲で私のことを助けようとしてくれるんです。私と意見が対立することもあるんですよ。意見が対立するときも、その友人は私を認めてくれるんです。対立しながら認めてくれるってすごいですよね。その友人は、私と相反する考え方もするんです。ただ共通してるところっていうのは、お互い自由でいようとするところなんです。この部分は、他の友達よりも遥かにお互い尊重し合ってるんです。
実は、今まで実際に対面で会ったことって1回しかないんです。けれども5年ぐらいずっと友達です。私がいついかなる、どんな状態のときでも、同じように接してくれたのって彼だけなんです。」(p.142-143)
実はこれ、私のことなんです。本当ですって。ぱっさんがYoutube動画で親友をカミングアウトしていて、そこで私の名前が出たのでびっくりしたことがありました。たしかに少しは期待していましたが、本当に私とは・・・と絶句しましたよ。
この相手を自由にさせるってことは、私が常に心がけていることでもあるんです。なぜなら、愛とは自由だから。そして、私はそのように生きようと決めたから。
だから妻に対しても「あなたは自由だよ」って伝えてきました。妻の友人から、彼女が私を気に入っている点は自由にさせてくれることだ、と聞いたことがありました。その時、本当に嬉しい気がしました。
ぱっさんが私のことをそう思ってくれて、喜んでくれている、認めてくれているというのが、私にとっても喜びです。
次はQ18「死んだあとも輪廻転生が続くのですか?」という問いに、「そんなことより「今」に集中しましょう。」と答えている章です。
「自分が死んだら、魂は次の生を迎えると考えていると思うんですけど、Aさんが転生して、Aさんの魂として次の人生を歩むかどうかは、そうなる可能性も、ならない可能性も両方ありえると思ってください。魂を一つの個体として考えすぎているんですね。」(p.154)
「ということは、自分がもし死んだとしても、この世の中に何か影響していくわけです。何かに影響を与えている、誰かに影響を及ぼしているんです。その誰かに及ぼした影響というものが、どこかの誰かのエッセンスになっている。これが、現実的に考えるといわゆる輪廻なんです。」(p.159-160)
つまり1つの魂が、何回も生まれ変わるという時間軸で考えると、真実が見えてこないんですよ。だって真実の世界は時空がないのですから。
喜多川泰さんの小説「ソバニイルヨ」では、死んだ犬の原子が世界中に均等に散らばるとすると、常に身の回りに(あるいは自分自身の中に)その犬の原子が何百個も存在することになることを示しています。また、新井満さんの訳詞で有名になった「千の風になって」でも、死んだ後は1000の風になって、つまり無限の存在として宇宙に遍在していることを示しています。
だからスピリチュアルでは、「あなたは私だ」みたいなことや「ワンネス」などと言うのです。そして、ある特定の有名人の生まれ変わりだという人が多数いるということも、これで説明できるかと思います。
最後はQ19「占いやスピリチュアルって本当に役に立ちますか?」という問いに、「「役に立つか」頼るのではなくて武器として使う。」と答えている章です。
「占いで、ここが未来ですよって言われて、当たっても当たらなくても極論どちらでもいいんです。占いなんて、当たっても当たらなくてもよくて、前に進めるようになったら気分が良くなるじゃないですか。そういうときに、未来がここだよって言ってあげると、前に進み始めることができる。そのことに価値があるんです。」(p.165-166)
「未来がこうなるから、あなたはこうしなさいって言われる類の占いを信じるのは不健全ですね。それは支配だと思います。選択肢が広がるような、占いの仕方が一番いいと、そう思うんです。」(p.168)
私は基本的に占いは信じません。と言うか、占いに身を委ねるような信じ方はしません。
なので、基本的には占いをしてもらうことはありませんが、おみくじを引くことはあります。またネットで「○月生まれの人は・・・」という情報を見たりもします。
それを見て、当たってるなぁとか、当たってないなぁとか、楽しむだけですね。また悪い占いは信じなくて良いと小林正観さんも言われるように、私も信じません。なので、その占いが悪い方角とか示していても、無視して自分がやりたいようにやります。
けっきょく、何を選択しようと魂の導きから外れることはないので、それが現世的に不利益であろうとどうしようと、魂レベルでは大したことはないし、そうなっても大成功なんですよ。
私はそういうふうに考えます。でも、それをまだ絶対的に信じられない人は、占いを少し頼ってみるのも、悪いことではないでしょうね。
質問に対して、明後日の方向の答えをバンとぶつけてきて、それがいかに筋が通っていて、また質問者の問いの本質に対して的確な答えになっているかを、後から説明するようなスタイルですね。いかにもぱっさんらしいスタイルです。
きっと頭がいいのでしょうね。私も自分で頭はいい方だと思うのですが、おそらく種類が違うのでしょう。私はどちらかと言うと、地道に積み上げていくような考え方なので。
そういう違う論の進め方は、とっても刺激になります。また論の進め方は違っていても、本質的な部分で一致している部分が多いというのも、「やっぱりそうだよねぇ」と感じられて心地よかったです。
2022年09月09日
被爆三世だから言う 日本は核武装せよ!
Youtubeで、著者の橋本琴絵(はしもと・ことえ)さんが出演している動画を観て、本を書かれているんだと知ったので買ってみました。
被爆三世で核武装を推進するという考え方に興味を覚えたのです。どうやら広島の方のようですね。そして、希望の党で衆議院選挙に立候補されたこともあったようです。若い(1988年生まれ)のにすごいなと感じたのですが、この本を読んで素晴らしく頭の良い方だなぁと思いました。
本のタイトルからすると核武装に関する内容だと感じるのですが、それだけではありませんでした。むしろそれは1つの話題であり、保守本流としての政治的なあり方について語られている内容だと思いました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「ところで、「非核を貫く」という信念と、「日本も核抑止力を持つ」という物理的事実の対立軸は、何を意味しているのだろうか。それは、宗教と科学である。宗教とはあくまで「思想」であり形は無い。一方で、科学とは物理的事実である。問題は、「日本に再度核攻撃をさせない」という目的を実現するにあたって、宗教と科学という全く異なるアプローチのどちらが、国益に資するのかという判断が重要である。
言うまでもなく、宗教とは同じ信仰心を共有するコミュニティーのあいだでのみ効力を持ち、科学とは人であろうと動物であろうと無制限に効力を持つ。つまり、日本人が非核を唱えても、核兵器を持つ近隣国の為政者がその観念を信仰しない限り、なにも意味はない。しかし、科学であれば、「日本を核攻撃したら自らも核攻撃される」という現実は当然、近隣の為政者と共有できる認識となる。」(p.4)
平和憲法至上主義に見られる「こちらが攻撃する意図を示さなければ攻撃されることはない」という思想は、観念論であり、宗教にすぎないということですね。そういう思想を共有しない相手には通用しません。
「つまり、「客観的根拠」ではなく、感情や期待という主観的観念論で作戦を実行した結果、日本は敗北しているのである。ところで現在の非核三原則は、まさに「白旗を挙げていれば攻撃されないだろう」という期待や感情ではないのか。日本はあの戦争を全く反省していないのである。ただ戦争がつらかったという話は、食中毒のときに「お腹が痛かったです」というだけでその原因菌を特定しないことと同じ愚かさである。」(p.6-7)
昭和19年の秋、日本海軍航空隊が台湾沖で米艦隊を壊滅させたという発表がありましたが、後になってこれが虚偽だと判明します。この時、堀栄三参謀が虚偽を疑ってパイロットに尋問したのそうですが、誰一人明確な回答をしなかったとか。
堀参謀は、海軍の虚偽発表と結論付け、フィリピン防衛作戦展開中の山下泰文陸軍将軍に上申しましたが、すでにルソン島からレイテ島へ無防備の兵力移送を開始していたそうです。そのため米艦隊に全滅させられたのです。
このような歴史的事実がありながら、それに何も学んでいないのが主観的で観念的な平和主義による国防思想と言えるでしょう。
「日本が核攻撃される要因は複数あり、それはどのような人間の推論も超える。核保有国為政者の精神作用の機序、装置の誤作動、突発的暴発などの現実(自然)の複雑さを人間が予め知ることは不可能である。
しかし、核報復能力は「恐怖」を相手方へ確実に与える。恐怖は精度の高い自律を促進し、決して誤作動さえ起きないような緊張の必要性を心理的に強制し、軽挙を抑える。少なくとも他の核保有国へ阿諛(あゆ)を繰りかえす、「非核三原則」という観念よりも遥かに核抑止効果を持つ。」(p.8)
「私が選挙に出た時、核防衛自体が無理でもせめて核シェルターの普及を訴えた。世界をみても、スイスが普及率百%、アメリカが八十二%、イギリスが六十七%に対して、日本は〇・〇二%という後進性があるからだ。」(p.9)
核兵器の保有を嫌うのはまだしも、核シェルターを装備する必要性を感じる人も少ないのが日本なのですね。
平和ボケとよく言われますが、何もしなくても平和は守られるものだと、根拠もなく確信しているかのようです。
「つまり、「死の恐怖」を多くの民間人に与えることで根治不可能な心的外傷を負わせ、パニック状態にすることが戦略爆撃の目的だ。パニックになれば、選挙権を有する民衆が錯乱を起こして、その戦争が侵略であろうと防衛であろうと、政府は戦争能力を喪失するという期待が戦略爆撃論の支柱である(ただし、民主国家でなければ民衆の錯乱は統治行為に影響しないので、戦略爆撃をしても戦争に影響しない)。戦略爆撃の目的はインフラの破壊ではなく、精神の破壊にある。」(p.24)
「この錯乱の中で、「非核三原則」という経典が宗教的な価値を有したのではないか。そして、非核三原則に異議を唱えることは許されないかりそめの普遍的真理と化した。つまり、核の議論を政治的論争と考え違いしていては、正しい結論は得られない。これは、被爆した苦しみを少しでも癒すために用意された経典に対する宗教論争だととらえなければならないのだ。
それは、非核三原則ではなく「議論させず」と「考えさせず」が加えられ、非核五原則となっている現実からもわかるだろう。」(p.25)
日本は、広島と長崎の核攻撃だけでなく、東京大空襲などの戦略爆撃も受けています。このように一般民衆を大量に殺戮する作戦は、インフラの破壊ではなく、日本国民の精神を破壊することが目的だったと考えるのが合理的と言えるのですね。
そのパニックの中で、日本人は宗教にすがるしかないという思考になっていった。それが非核三原則であると。
「しかし、今回改めてマッハ二十まで加速して絶対に撃墜できない新型極超音速ミサイルを持つ国から、しかも侵略戦争を起こした国から核の脅迫を実際に受けて、今までのぼんやりとした恐怖の源が他国の核兵器にあることを日本人は再認識した。よって、殺されたくないという生存本能が刺激され、もはや非核三原則が持つ宗教の領域に合理的理由を見出せなくなったのだ。」(p.28)
「私の祖母は最後まで「日本が核を持っていればやられなかった」と言っていた。世界で唯一の被爆国だからこそ、核を持つ正当な権利がある。核兵器の恐ろしさを、想像ではなく経験から知っているからだ。だからこそ、被爆者の記憶を継ぐ子孫は核に賛成する資格がある。「非核による被爆」という過ちを繰り返さないために、岸田首相には被爆者の声に耳を傾けるようお願い申し上げる。」(p.29)
被爆者やその関係者が、必ずしも非核思考ではないのです。事実、被爆一世の橋本さんのお祖母様は、対抗手段を持たなかったから好きなように攻撃された、と核心を突く言葉を述べられたのですね。
「しかし、そうはいっても日本に核兵器はないから、核攻撃されれば一巻の終わりである。よって、いくら米国の強い求めがあったとしても、ウクライナ支援に及び腰となっても仕方がない側面があることも否定できない。
なればこそ、米国が期待する国際秩序に向けて全面協力(自衛隊の北方領土派兵を含む)を約束する代わりに、日米安保に核報復義務を盛り込む要求を米国になすべき時局である。」(p.37)
アメリカの求めに応じて国際協調を取ることを条件に、核保有国から核攻撃された時は、アメリカが代わりに核報復攻撃をすることを条約として明文化するよう求めることが、国益に適う外交だと言うのですね。
「つまり、戦争中や戦争が終わった直後のように「市場介入=破壊された分など」を政府が把握することは容易であるから計画経済は成功するが、平時においてはひとの需要はきわめて複雑化するため政府は市場の情報を把握できない。市場の情報を全て知るのはどんな知識人(政府)でも不可能だから、介入は無意味であり、専門的な情報に熟達した人々がいる市場に任せるべきであるというのがハイエクの結論だ。」(p.99-100)
「ハイエクがこの論文を発表した当時(一九四四年)、そのような「記録装置」すなわち人々の「欲する気持ちやその原因」という市場の情報を把握するビッグデータを保存する方法は技術的に存在しなかった。ところが、今は「ある」かもしれないのだ。ご存じの通り、クラウド化された膨大な情報の蓄積である。つまり、ハイエクが「計画経済は出来ない」という前提条件がいま崩れているかもしれないのだ。
このため、「いまなら平時でも市場の情報を政府が把握して計画経済ができるかもしれない」と岸田政権は考えたのではないだろうか。
しかし、著者はこれに懐疑的だ。いくらビッグデータの蓄積があるとはいえ、人の購買心理とは瞬間的に変わるものであり、それこそどのように微細な情報(移動・購入・売却・閲覧)も逃さず国家が把握収集するようにしなくてはならないからだ。それはもはや、自由主義の社会ではない。中国がいま現実にしつつある「ディストピア」だ。徹底した監視社会にするという前提の上で計画経済は機能する可能性秘める。」(p.101-102)
計画経済のケインズと、自由経済のハイエクを比較し、平時には需要を正確に把握することは不可能だから、市場に任せるべきだという考えですね。
これは、岸田首相が新資本主義と銘打って、市場任せではなく政府が一定のコントロールをすべきだと打ち出した政策方針に対するアンチテーゼです。
私もかねてより、経済は市場に任せるべきだと考えています。政府が事業をやったりして市場に介入するから、保育も介護も上手くいかないと思っていますから。
「繰り返すが、法的根拠のない河野談話は「従軍慰安婦」の語句を使用し、菅義偉内閣は「従軍慰安婦という語句は無い」との立場を明らかにしているという矛盾がある。そもそも、河野談話の根拠とされた従軍慰安婦報道を当の朝日新聞が虚報であった旨を認めた以上、「河野談話」が果たして私たち日本国の国益にどのように資するというのだろうか。
そして、河野太郎氏は「河野談話の見直し」ではなく「歴代内閣の歴史観を踏襲する」と表明している。」(p.108-109)
日本人には、相手の立場を慮ってあいまいにすることを良しとする気風があります。この「河野談話」もまさにそうでしょう。
しかし、これまでの経緯から明らかなように、はっきりと明言することが相手のためにもなることを、再認識すべき時ではないかと思います。
「慰安婦捏造報道から約四十年の歳月をかけて、憎悪は大きく膨らんだ。次は、実際に海外の日本人が被害を受ける段階に至っても不思議ではないだろう。実体験として、私はイギリス留学中に「慰安婦を強制連行したのだから、日本人のお前を俺が強姦しても文句はないよな」といった脅迫を何度も外国人から受けている。」(p.127)
たとえ真実でなくても、当の日本政府でさえ明確に否定しないなら、世界はその嘘を真実だと信じてしまいます。
情報戦が常に行われている国際社会において、情報戦に後れを取ることは、それだけで国益を損なうことになるのです。
「敗戦直後、アメリカ軍による集団強姦が連日起きており、日本の警察は、捜査はできなくても必死に事件を記録していた。女子校に乱入して生徒を集団強姦してトラックで連れ去った例、病院に乱入して看護婦らをトラックで連れ去った例、女子小学生や女子幼稚園児らの肛門と膣をナイフで切り裂いて「強姦できるサイズ」に加工した例など、残虐な性犯罪の記録は今も残っている。
このような状況下で、特殊慰安婦として「強制連行」(主権がないので任意契約であることを証明する権限を持つ司法機関が存在しない)された日本人女性たちが米兵の相手をしていた一方で、女性を面白半分に銃殺して遊ぶなどの事例も記録されている。「主権が存在しない」とは、このようなものであると後世の日本人に語り継ぐべき史実である。」(p.129-130)
私たちは、こういうことを教育の場で教えることをしません。価値観や考え方は教え込まなくてもいいのですが、事実は事実として教えるべきではないでしょうか。
「しかし、対外危機が高まる中、「平和憲法」の理想的な観念だけが先行して現実の問題に対応する能力を失い、竹島や尖閣諸島という領土侵犯、拉致問題という基本的人権の侵害まで起こることとなった。つまり、現行憲法制定時には可能性の低かった「国家の危機」という点に誤謬が発生している状況だ。にもかかわらず、その現状に対して憲法を変えるハードルがあまりにも高いと言わざるを得ない。まさにアメリカ憲法起草者が懸念した「一部の凝り固まった思想の人々によって国民全体の要望が圧殺される」状況が現出しているのだ。
経験は付け足すことはあっても変えることは出来ない。筆者は、「平和憲法」という”理想的”観念がこの国を毒し続け、国民の基本的人権を侵害し続けた(拉致問題の三十年以上の放置)という歴史的事実を後世に伝えるためにも、アメリカ式の「修正条項」という概念を日本国でも採用すべきであると強く主張する。」(p.137-138)
人が考えて作ったものである以上、変化に耐えられなくなることはあります。これまで、私たちの常識とされてきたものが、どんどん変化してきた事実を見るだけで、そのことは明らかです。そうであれば、憲法であっても変化するべきだし、変化させないことは害悪であるとさえ思います。
橋本さんは、ワン・イシューでの改憲をまずは行うことだと主張します。憲法は改正できるという既成事実が何よりも重要だということですね。
私も、まずは改憲するという事実が重要だと思っています。なので、どんな条項であってもいいのですが、橋本さんは9条に自衛隊を明記することだと言います。
私は、両院の2/3以上で改憲の発議というハードルを下げることを、真っ先にやってもいいのではないかと思っています。両院の1/2以上で発議し、国民投票を行う。これだけでも十分に高いハードルなので、憲法を時代に合わせて変えていくことを良しとする価値観を、まずは共有することが大事だと思います。
「戦後の日本共産党には「武装闘争」の路線と「平和路線」の内部対立があった。日本共産党自身の説明によれば、現在は「武装闘争」の方針は廃止していると主張しているが、「暴力革命」の路線は前述の通り廃止していない。一見すると矛盾するようであるが、次のように考えれば矛盾しない。
平和路線、すなわち憲法第九条を守り続け、日米安全保障条約を廃止して在日米軍基地を日本国外に追放すれば、日本の防衛力は裸同然となり、容易に他国の侵略を受けることになる。この他国とは「共産国」だ。」(p.152-153)
「「外国の共産軍によって日本が占領されてしまえば、武力闘争を日本国内でしなくても暴力革命が達成できる」という考え方は、非現実的なものではない。このまま日本が憲法第九条を保持したまま日米同盟を廃止すれば、容易に可能である。
そのため、今日では日本共産党は「護憲」に転換し、「日米安保廃止」を党是としているのではないだろうか。「平和」という聞こえのよい表現を多用しているが、その実態は日本人に対する殺人思想と変わりがない。」(p.153)
たしかに、こう考えれば暴力革命を捨てずに平和路線へ転換した意味がわかります。自ら暴力革命を行う武装闘争では目的を達成できないという判断があったから、この平和路線による暴力革命へと転換した。だから中国の核を容認したり、日米安保に反対したりしているのですね。
「良心と共感能力を持つ健常人こそ、彼ら彼女らの特徴を正確に把握する必要がある。彼らに対して何も知識が無ければ「議論」や「説得」という方向性に関心が向いてしまう。そうなれば向こうの思うツボだ。問答無用のデマと中傷の攻撃を浴びる。サイコパスに必要なのは対話ではないのだ。この価値基準をいわゆる「リベラル」と呼ばれる人々に対してあてはめるべきではないだろうか。嘘をつき続けることは政治的思想ではなく、彼らの性質の一様態なのだから。」(p.162)
メディアやリベラルを標榜する人々に対して、彼らはサイコパスではないかと痛烈に批判します。たしかに、そう感じる部分はあります。理屈が通じないからです。
しかし、だからと言って斬り捨ててよいとは私は思いません。そこは橋本さんと違う部分ですね。けれども、議論や説得は不要という部分は共感します。エネルギーはそこにつぎ込むものではなく、そうでない一般の人々の理解を深めるためにこそ使うべきだと思います。
「令和四年一月二十八日、公明党の支持母体である創価学会は、同年七月に行われる参議院選での候補者支援について、政治姿勢や実績など「人物本位」で評価し、「党派を問わず見極める」とした基本方針を発表した。これは、事実上「反中は認めない」という方針であると解釈できるだろう。実際に、令和四年の参院選では岡山県の小野田紀美氏に対して選挙協力しないことを表明した。」(p.190)
「私は今まで、公明党が何度も外国人参政権法案を提出するなどしている様子を「行き過ぎた人権意識」ゆえのことと錯誤していた。過保護ともいえる深い慈しみの念が強すぎる人々であるからこそ、マイノリティーの権利拡大政策に勤しんでいる「向こう見ずな善人」であると思い違いをしていた。しかし、今回の「ウイグル人の人権保護は必要ない」という明確な人種差別思想を目の当たりにして、これまでの政策も善意ではなく、憎悪に基づく悪意であったことが明確な事実になったのではないか。」(p.191)
小野田議員の国会での活躍を見ていると、国民目線で政治を良くしようとされてることが伝わってきます。その小野田議員を公明党が支援しないということはSNSを通じて知ったのですが、こういう背景があったのですね。
「こうした観点から、「描画」という本来的にフェミニズムの対象とはなり得ないものに対して執拗に抗議をし、かつ五年間も問題視されなかった「温泉むすめ」がいまになって突如として抗議対象とされた背景がうっすらと見えてくる。それは「台湾の観光大使に任命された」という政治的事実である。当の日本人にしてみれば、「ただの観光大使」と思うかもしれないが、中国共産党の政治方針にしてみれば重大な「国土侵犯の政治工作」と受け取られても不思議はない。そこで、中華人民共和国の軍事作戦として「抗議宣伝活動」が始まったと考えれば、合理的な説明がつく。
現代における戦争とは、必ずしも銃や大砲を使うとは限らない。情報とプロパガンダの応酬から既に始まっているのだ。形而下の侵略のみに気を取られて、形而上の侵略を放置する不作為は許されない。」(p.198)
情報戦は常に行われており、自国に有利な世論へと誘導することだったり、敵国内の人心を撹乱して分離分断させることだったり、様々なことをやっていると思っています。
この事例も、その一環だと考えると合理的ですね。真実かどうかはわかりませんが、背後で操作している国があるかもしれない。そういうことは、常に警戒しておいた方がいいように思います。
「多様性の社会とは、肌の色や目の色といった、精神とは無関係の、あくまで外見的かつ表層的な要素で一切を判断する排他性を許さない社会であり、倫理観の共有まで否定するものではない。
なればこそ、この残された「慣習の芽」を絶やすことなく今以上に大切にし、日本を愛するすべての人びとがその出自にかかわらず日本の伝統に回帰しなければならない。それが、日本を救うのである。「財布をお盆に置いたままでも盗まれない社会」を取り戻すのが、私たち日本の保守主義者の責務である。」(p.247)
橋本さんは、移民政策には明確に反対だと言います。つまり、価値観を共有できない人が大量に日本に居着くことになり、日本国籍を与えることにつながるからです。
したがって、父または母のどちらか一方が日本人なら子にも日本国籍を与えるという今の国籍法は、改めるべきだと主張します。両親が日本人なら無条件に与えますが、片親が日本人なら、他の国で国籍が与えられない場合に限って与えるべきだと。
見た目が日本人であることは重要な要素ではなく、価値観の共有が重要なのですね。
難しい問題ではありますが、こういう考え方には共感できる部分は多いです。いつかは世界中が日本のように、財布を落としてもそのまま返ってくるのが「ふつう」というようになってほしい。しかし、今すぐは無理だという現実を見ることも大事だと思うのです。
そうであれば、日本が日本であり続けるためにも、基本的な価値観を共有できない人を日本人として迎え入れることはやめた方がいい。それが双方のために良いことなのだ、という考え方も理解できます。
Youtube動画で見た時は、これほど激しい保守論者だとは感じませんでしたが、本を読むと、頭脳も明晰だし、ブレない軸をお持ちの方だとわかりました。
こういう方にはぜひ、国政の場で活躍してほしいなぁと思います。
ただし、私は是々非々なので、保守の方が選択的夫婦別姓制度や同性婚に反対する理屈には賛同できません。私にとっては、「自由」こそが最高の価値観ですから。
2022年09月13日
98キロの私が1年で40キロやせた 16時間断食
Youtubeの本の紹介動画で16時間断食のことを知りました。実は以前から知ってはいたのですが、本を読んだことがなかったのです。
それで、16時間断食を提唱されてる医学博士の青木厚(あおき・あつし)さんという方がおられるとわかったので、その本を買ってみようと思ったのです。探してみたところ、98kgから40kgも痩せたという実体験を持つ小堀智未(こぼり・ともみ)さんという歯科衛生士の方との共著があり、読みやすそうだし興味深かったので買ってみたというわけです。
実際、漫画を多用してあるし、行間も広めで、とても読みやすいです。科学的な根拠を探るというより、実際に自分がやってみるためのガイドとして、役立つのではないかと思いました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「従来のような「食べものの内容を制限する」ことではなく、
「食べない時間を増やす」
たったこれだけで、肥満解消に向かい、健康的に体質改善できるというものです。」(p.34)
「そのメインルールはただ一つ。
16時間連続して、なにも食べない時間を作る
これを実践するだけで、自然に食べすぎを防ぐことができます。さらに、体内では、
・脂肪が分解され、肥満によるさまざまな問題が改善される。
・内臓の疲れがとれて内蔵の機能が高まり、免疫力がアップする。
・細胞が生まれ変わり、体や皮膚の不調や老化の進行が改善される。
・血糖値が下がり、血管障害が改善される。
といった効果が期待でき、美容と健康、若さを維持できるというのです。」(p.35)
この部分に本書の主張が集約されてますね。もうあとは読まなくてもよいくらいです。(笑)
「10時間ものを食べずにいると、体は脂肪を分解して、エネルギー源に変えようとします。
さらに16時間に達すると、オートファジーという仕組みによって細胞が新しく生まれ変わり、病気や肌などのコンディションを改善に向かわせます。」(p.39)
空腹時間が長ければ、体に溜め込んだものでエネルギーを作り出そうとするし、さらに新陳代謝が活性化するということですね。
「毎日、空腹の時間を作ることができれば、より早く、より大きな効果が期待できます。しかし、週に1回でも、まとまった空腹の時間を作れば、体は確実にリフレッシュします。」(p.44)
16時間断食は、毎日必ずやらなければならないというような、ガチガチの規則ではないのです。
「「16時間断食」の間はゼロカロリーの水分以外はとらない。
これが理想です。
しかし、最初のうちはお腹がすくこともあるでしょう。そのようなときはどうしたらいいか。
青木医師は、ナッツ類(できれば味つけなし、素焼きのもの)を食べることを提案しています。
ナッツ類が苦手だという人やアレルギーがある人は、「チーズ」「野菜」「ヨーグルト」でも構いません。
ただし、16時間中、トータルで200キロカロリー以下を目安にしてください。」(p.46-47)
基本は空腹の時間を作るということですから、ゆるゆるのやり方でも、それなりに効果は出るということですね。時間も16時間を死守する必要はなく、最初は12時間から始めてみてはどうかと言っています。
「空腹の時間をつくらず、一日3食、常に食べている状態では、全身の細胞は「ブドウ糖代謝」をしています。ところが、空腹になるとブドウ糖の供給が減少し、細胞の代謝状態は「ケトン体代謝」に変化します(「メタボリックスイッチ」といいます)。
細胞がケトン体代謝になると、「抗酸化作用が発揮される(活性酸素が減る)」「傷ついたDNAが修復される」といった体に素晴らしい変化が起こります。」(p.54-55)
ブドウ糖だけが身体の栄養ではなく、ケトン体がその代わりになり得ることは、他の少食に関する本でもありました。
これまでにも少食の本は多数紹介しています。少食によって健康が保たれるということは、以前から知られていることなのです。
ちなみに、以前に紹介した一部の本を、ここにも示しておきましょう。「少食の実行で世界は救われる」、「食べない生き方」、「白米中毒」、「3日食べなきゃ、7割治る!」、「「食べない」健康法」、「「食べること、やめました」」。同じ著者の本もありますが、参考にしてみてください。
「「16時間断食」でダイエットに成功できるのは、「これは糖質」「これは高カロリー」といった選択をしなくてもいい点です。」(p.62)
食べられる時間帯が限られているため、自ずと少食になるということでしょう。
私も、低糖質ダイエットを実践してきましたが、ルールは緩やかで、主食を食べない、ということだけでした。それよりも大事なのは少食だと思っていたからです。
「現在、小堀さんが16時間以外の食事で心がけているのは、次の3つ。
@オメガ3を摂る
A腸内環境を整える
B筋肉アップを促す」(p.70-71)
特に意識する必要はないのですが、これを意識することでより効果が高まるということですね。
「このオートファジーは「16時間断食」だけではなく、オメガ3脂肪酸を摂ることによっても活性化されることが、研究段階ですがわかってきました。」(p.72)
オートファジーを活性化させるのにオメガ3脂肪酸の摂取が有効だということです。オメガ3脂肪酸を多く含む食べものは、ナッツ類、えごま油、アマニ油、魚介類だそうです。
「腸内環境が悪い状態では、インスリン抵抗性が増大して肥満になりやすい、というのをご存じでしょうか。さらに、脂肪の燃焼に必要な栄養素(ビタミンやミネラルなど)がうまく吸収できず、脂肪がつきやすくなる、というのも問題です。」(p.75)
腸内環境を整えるのに効果的な食べものもというものもあって、それは発酵食品、水溶性食物繊維、オメガ3だとか。私は納豆を好んで食べますが、これは発酵食品でもあるし、水溶性食物繊維も多く含まれています。
「また、「16時間断食」で自然に糖質の摂取量が減ることによっても筋肉量は減ってしまいます。脂肪やたんぱく質を構成しているアミノ酸を糖に作り替え、エネルギーにしようとするからです。
筋肉量が減少すると、基礎代謝量が減るため、かえって太りやすくなってしまいます。筋肉でエネルギーとして消費される糖質や脂肪の量が減ってしまうのがその理由です。」(p.76-77)
ケトン体代謝になると、脂肪からだけでなく筋肉からもエネルギーを作ろうとします。だから筋肉が細るのです。
そこで筋肉を増やすことが重要になるのですが、そのためには運動することはもちろんのこと、たんぱく質を多く含む食物を摂ることも大事なのですね。
「このように「16時間断食」を続けることで、健康、そしてアンチエイジングや美容にも素晴らしい影響があるのです。
事実、断食はドイツやロシアでは公式な医療として認められ、保険が適用されます。日本も近い将来、そうなる日がくるかもしれません。
日本癌学会の発表では、がんが発生する主要な原因は、たばこ(30%)と肥満(30%)となっています。肥満を解消することは、禁煙と同じくらい重要ということです。」(p.106-107)
肥満であれば、足腰に負担がかかって痛めやすくなったり、睡眠時無呼吸症候群のリスクを高めたり、高血圧や心不全、糖尿病、脳卒中、虚血性心疾患、がんなどのリスクが高まるとされています。
それらのリスクを放置しておいて、よく平気でいられるなぁと私などは思います。
「さらに、「オートファジーは、抗炎症作用や抗酸化作用を通して、慢性腎臓病の進展を遅らせる」という研究結果が多数報告されています。また、「ラットを使った研究で、間欠的断食が糖尿病腎症の進展を遅らせた」という内容の論文も発表されています(間欠的断食とは「16時間断食」のように数時間ものを食べない時間を作ること)。オートファジーが活発になり、腎臓の働きが改善されれば、むくみの解消と同時に、さまざまな体の不調や病気を遠ざけることもできるのです。」(p.119)
老人介護施設で働いていて思うのは、お年寄りの多くが腎機能が低下することで、身体に不調が現れてくるということです。沈黙の臓器と呼ばれる腎臓は、血液中の汚れを排出する重要な機能があるので、これを健康に保つことは大切なことだと思います。
「空腹の時間中に運動を行うとオートファジーが活発化すること、また、運動によって筋肉を動かすとその部分にオートファジーが起こりやすくなることが、明らかになったのです。」(p.152)
私も実感として、食事後の満腹時に運動するより、食事前の空腹時に運動した方が、ダイエット効果が高いと感じています。空腹時の運動は、重要な要素かもしれませんね。
「「セカンドミール効果」といって、朝食をとらないと昼食時の血糖は急激に上昇しやすくなります(グルコーススパイク)。これも「16時間断食」の”デメリット”のひとつです。また、朝食を欠食すると胆石もできやすくなります。これも「16時間断食」の”デメリット”のひっとうです。
これらの”デメリット”と「16時間断食」による”メリット”を検討して、「16時間断食」を実施するかしないかを判断していただければと思います。」(p.178)
何事にもメリットがあればデメリットもあります。それらを総合的に判断して、選択することですね。そういう意味で、デメリットも正直に書かれる姿勢には共感します。
人類は歴史的に、空腹に耐え、空腹と闘ってきました。したがって人体は、空腹に対処する機能が発達しているのです。
しかし現代は飽食の時代です。毎日3食の食事、さらに間食も食べることができます。それらの食べ物には、必ずしも人体に良いものではないものが含まれているし、偏った食事になりがちです。
そういうことを勘案すると、私は「少食」であることがいちばん重要なのではないか、と考えているのです。
その「少食」を実践するのに、この「16時間断食」という方法は効果的だと思っています。
実際、私は、知らずにこれを実践していました。単に朝食を抜いただけなのですが、朝早いシフトに合わせて生活リズムを作ったため、13時くらいの昼食から20時くらいの夕食までの約8時間に食べる時間が集まり、それ以外の約16時間が、必然的に空腹の時間となっていたのです。
以前、一日1食という方法もやったことがありましたが、長続きしませんでした。
もちろん、それができる人、それが体調に合う人は、そういう方法でも良いと思います。
ともかく「空腹の時間」を作ることで、多くのメリットが得られると思うのです。
2022年09月15日
医師が教える最強の間食術
これもYoutubeの本の要約動画で知ったものです。著者は鈴木幹啓(すずき・みきひろ)医師。冒頭に写真付きで紹介されていますが、93kgから69kgへと4ヶ月で24kgのダイエットに成功されたそうです。
その秘密が間食として高カカオチョコレートを食べること。1日75g食べたと言われますから、ほぼ市販の1箱を毎日食べられたことになります。
もちろん、他の食事においてのカロリー制限などと併用であることは言うまでもありません。これまでと同じ食事をして、チョコレートだけ余分に食べたら、それは体重も減らないでしょう。
鈴木医師は、この高カカオチョコレートを間食として食べることが、単にダイエットに役立つだけでなく、様々な健康のための要因になっていると言います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「確かに、「間食」で食べるものには、砂糖がたっぷりで、
健康にいいとはいいがたいものが多くあります。
しかし、適度な量で、さらに健康効果が高いものを
食べれば、「間食」は、食事では摂れなかった
体にいい栄養素を補給する、最高の機会となるのです。」(p.3)
「健康のために、サプリメントを摂るよりも、
おいしい「間食」のほうが、摂り忘れる回数が、
ぐっと少なくなりそうな気がしないでしょうか?
栄養価の高いものを
「間食」で摂る食事術こそ、
継続性が高く実践しやすい健康法だと
気がついたのです。」(p.4-5)
食事を吟味して健康的なものを食べることは大事ですが、毎食毎食、栄養価を考えながら食事を作る(する)というのは、なかなか大変なことですからね。
鈴木医師は、味気ないサプリメントで栄養素を補給するより、間食を利用した方が効果的だと気付かれたようです。
「ただ、栄養面、手軽さどちらも抜群で、
私がおすすめするのが、
高カカオチョコレートです。
(カカオ成分が70%以上のチョコレート)」(p.6)
フルーツはおいしいし栄養価も高いと言えますが、日本では値段も高いし、基本的に生モノですから、扱いもそんなに簡単ではありません。
けれどもこれがチョコレートなら、保存も容易だし、好きな時に好きな量を食べられる手軽さがありますね。
「ちなみに、人類史上、最高齢122歳まで生きたフランス人のジャンヌ・カルマンさんは、
週に1kg近くのチョコレートを食べていた
といいます。」(p.13)
高カカオチョコレートには、様々な健康効果が期待できると言います。もちろんだからと言って、チョコレートさえ食べれば誰もが長生きできるわけではないでしょう。
ただ、この健康効果を知れば、上手に間食に取り入れたくなると思います。私も読後、そう思いましたから。
「では、「適切な間食」とはどのようなものでしょうか。
一番大切なのは、何を食べるかということです。
私がおすすめするのは、次の3つの要素を含んだ食べ物です。
・老化を防ぐ「ポリフェノール」がたっぷり入ったもの
・太りにくいもの(GI値が低いもの)
・おいしくて、手軽に食べられるあまいもの」(p.28-29)
間食で摂りたい要素としては、栄養面ではポリフェノールであり、食べても太りにくい(食物繊維が多い)ものであり、かつ甘くて手軽なものということですね。
「血管が老化すれば、血の巡りが悪くなり、高血圧、糖尿病といった生活習慣病、心筋梗塞や脳梗塞といったもののリスクが高まりますし、脳の老化によって認知症、免疫細胞の老化によってがんなどが引き起こされることもあります。
そんな体の老化を防ぐ成分として、私が注目するのがポリフェノールです。」(p.29)
抗酸化作用のあるポリフェノールが老化防止に役立つことは、すでによく知られていますね。
「そしてポリフェノールは、次のグラフのように体内で蓄積ができず、摂取してから効果が続くのが3〜4時間なので、できるだけこまめに摂りたい栄養素です。」(p.30)
摂取後2時間で、血中濃度のピークになるようです。その後は急速に血中濃度が下がっていき、4時間でピークの半分くらいになってしまう。8時間経つと1/3くらいになるのですね。
「フルーツと異なり、高カカオチョコレートには、食べる際に皮をむいたり、切ったりする下処理が必要ありません。
小分けにされているものも多くあり、それをパクっと食べればいい。そして砂糖も含まれているので、あまくておいしい。
いい意味で中毒性があり、継続性にとても優れたものです。」(p.41)
最近ではスーパーやコンビニでも高カカオチョコレートがよく売られており、手軽に手に入れることもできます。
「では、毎日どれぐらいの量を食べていけばよいのでしょう。
国立がん研究センターのがん対策研究所予防関連プロジェクトのウエブページで発表されている「多目的コホート研究(JPHC研究)からの成果報告」から考えると、日本人は、大よそ男性で1000mg/日、女性で900mg/日のポリフェノールを摂取しているようです。
そして、1日の理想のポリフェノール摂取量は1500mg以上と一般的にいわれています。
つまり、足りていないのです。
チョコレートの種類によって異なりますが、72%以上の高カカオチョコレートを25gほど接種すれば、680mg以上のポリフェノールが接種できるので、不足分は十分に補える計算となります。
したがって、1日に摂りたい分量の目安は25g。例えば、1ピース5gを5ピース、5回に分けて食べる「チョコちょこ食べ」はいかがでしょう。」(p.42-43)
「まずは、朝起きてからの「目覚ましチョコ」。
起きたてに高カカオチョコレートをひと口。体に活動モードのスイッチが入ります。
次に、3食食べる前の「チョコファースト」。」(p.45)
食事の前に食物繊維の多い野菜を食べるベジファーストという食べ方がありますが、その野菜の代わりにチョコを食べる方法ですね。
「もうひとつがおやつとして、がんばっている自分への「ごほうびチョコ」。
昼食と夕食の間、仕事や家事の途中でパクリと食べてみてください。
おすすめは14時〜16時まで。この間は、脂肪を蓄積するホルモンBMAL-1(ビーマルワン)の値が少なくなるからです」(p.47)
このような「チョコちょこ食べ」という食べ方を勧めておられます。
「ダイエットをしている場合は、高カカオチョコレートを間食で食べるぶん、食事で摂る炭水化物を減らしてみてください。」(p.50)
摂取カロリーの総量というものは、注意すべきだということですね。
「高カカオチョコレートを食べ慣れていない人は、まずはカカオ70%台のものからスタートしてみてください。
これを苦いと感じるようなら、要注意。味覚があまさに慣れきっている証拠です。
食べ続けることで味覚は正常に戻っていき、自然と砂糖の多い食べ物を欲さないような体に。体質改善もできて、さらに大きな効果が得られます。」(p.51-52)
砂糖中毒になっている場合も、この苦味が美味しいと感じるようになるまで続けることが大事なようです。
「カカオマス、ココアパウダー、ココアバター、といったものは、すべてカカオの含有量として計算されますが、ポリフェノールがたっぷりなのは、カカオマスです。
そのため、同じカカオの含有量の数値が記載されていても、カカオマスの量が違えば、ポリフェノール量が違います。」(p.52)
高カカオチョコレートを買う時は、パッケージにポリフェノール量が書かれているものを買うのが良さそうですね。
「健康でいたいなら、「脳」「血管」「腸」を大切にしましょう!
体のこの3つの機関を「いい状態にキープしておく」ことこそ、「健康でいる」ために重要なのだ、と覚えておいてください。」(p.55)
最重要なのは脳、血管、腸の健康を保つことだと鈴木医師は言います。
「カカオポリフェノールを接種することで、脳の血流量が増え、BDNFを含む血流が増加することによって、脳の認知機能が高まる可能性があるのです。
さらに、ポリフェノールといえば、抗酸化作用。抗酸化作用=アンチエイジングで知られていますが、脳の疲れを癒やし、BDNFを増やすのにも有効です。
もうひとつの「テオプロミン」は、カカオから発見された成分で、自然界ではカカオのほか限られた植物にのみ含まれる苦味成分。血管を拡張させる作用があり、中枢神経の血管を拡張させることによって、記憶力や集中力を高める働きがあるといわれています。」(p.66)
BDNFというのは、脳の活動をサポートする栄養分だそうです。このように、脳の健康や活性化に役立つことが期待されるようですね。
「その点、高カカオチョコレートには、血管を修復し、強くする成分が含まれています。
代表的なのが「カカオポリフェノール」。これには血管の炎症を抑え、血液をサラサラにして血流をよくする作用があることがわかっています。
また、近年ではカカオポリフェノールに含まれるフラボノイドにも、血管をしなやかにする働きがあることも発見されました」(p.68)
他にも悪玉コレステロールを抑制する効果があるなど、血管や血流の状態を良くするのに役立つ成分も、多く含まれているようです。
「意外かもしれませんが、高カカオチョコレートには「食物繊維」が豊富です。」(p.69)
不溶性食物繊維が豊富で、便のかさを増したり、善玉菌のエサになって腸内フローラの状態を良くするのに役立ちそうです。
「強い抗酸化力を持つポリフェノールは、直接的に活性酸素を退治し、体の老化から身を守り、アンチエイジングや生活習慣病の予防などにも力を発揮してくれる、「老化防止バリア」のような存在です。
そして同じポリフェノールの中でも、チョコレートに含まれる「カカオポリフェノール」は、より高い抗酸化力が期待できます。」(p.79)
カカオポリフェノールは数種類のポリフェノールの化合物だそうで、抗酸化作用の高いエピカテキンの含有量が多いという特徴があるそうです。
「脳由来神経栄養因子であるBDNFは、記憶や認知機能と関連し、うつ病やアルツハイマー型認知症などの中枢神経系疾患との関連が、論文で報告されています。
このBDNFは歳をとるとともに減っていくのですが、愛知県蒲郡市で行われた高カカオチョコレートの実証研究「蒲郡スタディ」(蒲郡市、株式会社明治、愛知学院大学による共同研究。45〜69歳までの347名を対象に実施)での実験で、チョコレートを摂取する前と後の血液中のBDNFを調べたところ、摂取後に増えていたことがわかりました。
これは脳の認知機能や記憶力の向上に、カカオポリフェノールが役立つ可能性を示唆しています。」(p.84-85)
チョコレートメーカーにとっては、これは朗報ですね。
「次ページの表を見てもわかるように、高カカオチョコレートは低GI食品。GI値で見れば、太りにくい食品なのです。」(p.90)
カカオ72%のチョコレートが29なのに対し、バナナは51、フライドポテトは63、食パンは95などとGI値が示されています。
ちなみに55以下は低GI、56〜69は中GI、70以上は高GIという分類になるようです。
「「脂肪=デブの素」。そう思うのも当然です。
しかし、カカオ豆に含まれる脂肪は、ほかの脂肪と比べ「体内に吸収されにくい」性質があります。」(p.96)
ステアリン酸が多くて、吸収されにくいのだそうです。
「また、ステアリン酸、パルミチン酸のふたつの脂肪酸は、構造が安定している飽和脂肪酸。構造が不安定な不飽和脂肪酸は酸化しやすく、食品をダメにしやすいですが、飽和脂肪酸であるステアリン酸は変質しにくく、酸化しにくいのです。
これが、チョコレートが長期保存できる理由でもあります。
これらの理由から、カカオ豆に含まれる脂肪は体脂肪になりにくいうえ、酸化して体を傷つけることのない脂肪といえます。」(p.97)
含まれる糖質も吸収が穏やかで、脂質も体に良いものだということですね。
「前ページでご紹介した通り、高カカオチョコレートには、さつまいもの約4倍、ごぼうの約2.6倍もの食物繊維が含まれています(カカオ成分86%の場合)。」(p.100)
食物繊維は注目されている栄養素ですが、血糖値の上昇を抑えたり、便通を良くするなどの効果がありますね。
また善玉菌のエサにもなって腸内フローラの環境を良くしてくれる。腸を元気にする栄養素と言えるでしょう。
「72%の高カカオチョコレートを「チョコちょこ食べ」習慣で1日25g食べるとすると摂れる食物繊維は3g。1日の不足分の半分もの量を補えるのです。」(p.103)
食物繊維以外にも、腸を元気にしてくれる栄養が高カカオチョコレートにはあるそうです。
「カカオプロテインは食物繊維同様、大腸までしっかり届く「難消化性たんぱく質」。日本人に消化しにくい人が多いといわれる、牛乳に含まれるカゼインの消化率を100とすると、カカオプロテインはもっと消化しにくく33.3しか消化されないといいます(※帝京大学と株式会社明治の共同研究結果による)。
つまり、カカオプロテインは多くが小腸で消化されずに大腸まで届き、善玉菌のエサとなって善玉菌を増やしてくれるのです。」(p.106)
「また、カカオプロテインを摂取すると、「フィーカリバクテリウム」という善玉菌が増えることもわかっています。
102ページでもふれましたが、善玉菌が出す短鎖脂肪酸は、大腸のエネルギー源でもあり、大腸を健全にしてくれる大切な存在です。
フィーカリバクテリウムも、この短鎖脂肪酸を大量に作り出す働きがあり、長寿の人の腸に多く存在することから「長寿菌」とも呼ばれています。」(p.107)
初めて聞くような話でしたが、こういうことがあるのですね。
「カカオプロテインには、その免疫力を高める働きもあります。
前のページで、カカオプロテインに腸内環境を整える効果があることをご説明しましたが、腸内環境がよくなることは、免疫力を高めることにもつながります。
なぜなら、感染症や病気などから体を守る「免疫細胞」の約70%が、腸内に住んでいるからです。」(p.110)
腸の健康状態が良くなれば、身体全体の免疫力にも良い結果をもたらすと言えそうです。
「テオプロミンを含有する植物はごくわずか。カカオ豆のほかにマテ茶の原料の灌木(かんぼく)やコーヒーの木など、限られた植物にのみ含まれる貴重な成分です。
その働きは、大脳皮質に作用して集中力や記憶力を高めたり、自律神経を調整して、脳や体をリラックスさせたりする効果があります。
また、幸せホルモンといわれるセロトニンの働きを助ける作用もあるので、イライラや緊張を感じた時に、チョコレートを食べると脳が落ち着きます。」(p.114-115)
脳の働きを良くし、リラクゼーション効果をもたらすようです。
「チョコレートは、これまでご紹介してきた栄養素のほかにも、さまざまな種類の「ミネラル」を含んでいます。
亜鉛、鉄、マグネシウム、カルシウム、リンなどなど……。」(p.121)
「まさに、高カカオチョコレートは、「天然のマルチサプリメント」といえます。」(p.124)
意外にも多くのミネラル成分が含まれていますね。特にマグネシウムは、骨粗鬆症予防には必須です。
「20歳以上、50歳未満の便秘を自覚する女性に、高カカオチョコレートとカカオ成分の少ないホワイトチョコレートを2週間食べてもらい、排便の回数や量などを検証。その結果、高カカオチョコレートを食べたグループは、1週間で排便回数が2.8回から3.9回に増え、2週間後には4.9回に。一方、ホワイトチョコレートを食べたグループは2週間後にも排便回数は増えませんでした(173ページのグラフを参照)。
便の量も173ページのグラフのように、高カカオチョコレートを食べたグループでは、2週間後には2倍以上に増えていました。」(p.171-172)
これも高カカオチョコレートの食物繊維の効果と言えそうですね。
「東海学園女子大学の西堀すき江教授の研究によると、ダークチョコレートを食べたほとんどの人の血液の流れが摂取前よりよくなったという結果が出ています(左ページ下のグラフ参照)。
高カカオチョコレートにも、それ以上の結果が期待できるのではないでしょうか。
サラサラの血液が血管をスムーズに流れてくれれば血圧も下がり、血管にムダな負担がかかることもなくなります。」(p.180)
高カカオチョコレートに、様々な病気の予防や治療においても、効果が期待されるということですね。
「高カカオチョコレートは、いつまでも若々しい体を手に入れるための優秀な天然サプリである−−実体験からも、さまざまな研究結果を見ても、私が運営する介護施設の方に試していただいた結果からも、決していいすぎではないと思っています。」(p.205)
「また、今回、介護施設で高カカオチョコレートを試してもらった方の中で、便通の改善を見られたこと、便秘薬を飲む量を減らせたという方がいらっしゃったのは、非常に喜ばしいことでした。
ご本人の健康課題が解決するということはもちろんのこと、これが、便臭の改善につながる可能性があるからです。
たかが便の臭いと思われるかもしれませんが、これが介護従事者や面会に来る方のストレスにつながっており、大きな課題となっています。」(p.205-206)
私も高齢者介護施設で働いているので、この気持ちはよくわかります。
便秘の解消が、そのまますぐに便臭の改善に直結するとは思えませんが、何らかの良い影響を与えるようには思います。
実際、その効果がどの程度のものかは何とも言えませんが、これは自分で試してみるのが一番だと思います。なにせ、安価に手軽に買えるものですし、その摂取習慣を身につけるのも簡単にできそうです。
まずは自分でやってみる。その上で、この本の内容を改めて評価したいと思います。
2022年09月21日
生まれが9割の世界をどう生きるか
以前に紹介した「ただしさに殺されないために」の中で「親ガチャ」についての記述がありました。
「若者たちにとっては「努力すれば報われる」という、ひと昔前までであれば多くの人から素朴に信じられ肯定されてきたような美しい物語を、真っ向から否定し叩き壊す「不都合な真実(ネタバレ)」があまりにも数多く提供されすぎてしまったのである。」(p.212-213)
つまり、遺伝によってほぼ決まっているのだから、努力すれば何とかなるというの幻想であると。それが「親ガチャ」という言葉を生み出し、それが共感的に受け入れられる土壌になっているのではないか、というわけですね。
このことに興味を覚えたので、ここで紹介されていた安藤氏の本を読んでみることにしたのです。
ネットで検索して探したのですが、紹介されていた本の後に出版されたこちらの本が面白そうだと感じました。サブタイトルには「遺伝と環境による不平等な現実を生き抜く処方箋」とあり、そういうどうにもならない現実を生きる方法について言及されていると思ったからです。
著者は安藤寿康(あんどう・じゅこう)氏。慶応大学の文学部卒となっています。遺伝学は理系かと思ったのですが、教育心理学や行動遺伝学などの専門分野で、遺伝が与える影響などを研究しておられるようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「世界は親ガチャと環境ガチャでほとんどが説明できてしまう不平等なものですが、世界の誰もがガチャのもとで不平等であるという意味で平等であり、遺伝子が生み出した脳が、ガチャな環境に対して能動的に未来を描いていくことのできる臓器なのだとすれば、その働きがもたらす内的感覚に気づくことによって、その不平等さを生かして、前向きに生きることができるのではないでしょうか。」(p.6)
これが結論的なことですね。詳しく説明されていますが、遺伝によって50%くらいは決まっており、生活環境によって30〜40%が決まるのであれば、自分の努力ではほぼどうにもならないということになります。これが本の帯に書かれている「人生は「運」と「偶然」で決まります」ということなのですね。
けれども、そういう他律的な部分があることを前提として、自分の意思でそれをどう受け止めるかを決めることができます。それによって、幸せにもなれれば、不幸にもなれるのです。
「個々のパーツは、確かにお父さん、お母さんに似ているわけですが、出来上がった子どもの顔は、お父さんそのものでもなければ、お母さんそのものでもありません。お父さん、お母さんからいくつかのパーツが伝達された結果、まったく別の顔立ちが作られたのです。どんなパーツが伝達されてどんな顔立ちになるのかは、父と母それぞれの生殖細胞で減数分裂が行われた後、受精卵になった時点で決まります。こうして作られた顔立ちが遺伝だと考えればよいでしょう。」(p.37)
遺伝でほとんどが決まると言っても、その遺伝のされ方は様々です。同じ両親のもとに生まれる兄弟姉妹で違いが多々あることからも明らかでしょう。
「どんな役柄を演じる舞台や脚本を与えられるかが、つまりは環境ということです。そういう意味で、人の顔は、親から伝達されたパーツで構成された顔立ちと、どういう表情をすることになるかという環境によってできていると言うことができます。」(p.38)
普段どんな表情をしているかがシワに刻み込まれて、その人の顔を作り上げる。そうであれば、苦悩に満ちた人生環境なのか、それともニコニコ笑顔で過ごせる環境なのかで、作られる顔(表情)はまったく違ってくるのです。
「人間のABO血液型も非相加的遺伝ですね。遺伝子型がAAまたはAOならA型、BBまたはBOならB型、OOならO型、ABならAB型になるということはよく知られています。
もっとも、人間のさまざまな形質の大部分は相加的遺伝で説明でき、知能や学力なども相加的遺伝の傾向が強い形質です。」(p.44)
私も子どもの頃に読みましたが、メンデルの法則で知られている遺伝の話が、「親に似る子似ない子」という本で紹介されていました。これが非相加的遺伝と呼ばれるものだそうです。
しかし、遺伝の多くは相加的遺伝であり、これは両親のいくつかの遺伝子の組み合わせでONとOFFが決まり、そのONの集積によって、その特性がどの程度現れるかが決まるというものです。したがって、同じ両親の子どもであっても、その効果量が合わせて1のこともあれば10のこともある。どういう子どもとして生まれるかは、遺伝子の組み合わせ次第というわけです。
「ある時点で同じ景色や出来事を経験しても、次の瞬間にはそれぞれ別の景色や出来事に出会い、違う経験の連鎖となってゆく。その異なる経験の連鎖から何を切り取り、何を知識として積み重ねてゆくかに、環境の偶然と遺伝の必然が相互作用していきます。」(p.51-52)
「また、親としてはどの子も同じように褒めたり叱ったりしているつもりでも、その受け取り方は子どもによって違います。叱られたことをものすごく気にする子もいれば、まったく気にしない子もいます。どういう影響を受けるかは、子どもの遺伝的素質によって変わってきます。それどころか遺伝的素質が同じはずの一卵性双生児の間でも変わってくるのです。」(p.53)
つまり一言で「環境」と言っても、まったく同じ環境を経験できるわけではなく、その違いによって受け止め方(経験)が違ってくるということが1つあるのです。さらに、仮にまったく同じ環境であったとしても、それをどう受け止めるか(経験するか)は、それぞれの遺伝に影響された素質によっても違うということですね。
「ですから言うまでもないことですが、子育ての影響が少ないというのは、親が子どもの世話をしなくてもいい、関わりを持たなくていいということではありません。子育て(共有環境)の影響が少ないといいますが、これは「こう育てればこうなる」という一般的な子育ての法則があるわけではないと言っているのです。」(p.54-55)
同じように育てたからと言って、同じように育つわけではありません。どう育つかは、何とも言えないのです。
「ただ世の中、ごく稀にへそ曲がりがいて、遺伝的素質のセットポイントが2の人がたまたま出会ったセットポイント2の指導者の持つ何かに強烈にインスパイアされて、いきなり4の能力を発揮してしまうということがないとは限りません。これを遺伝と環境の相互作用と言います。こんな稀な出来事が生ずるメカニズムは複雑すぎて解明不能です。」(p.58)
立派な親や指導者だから、立派な子どもや選手が育つわけでもないのですね。
「以上をまとめると、環境というのは膨大な要因で構成されており、一つ一つの要因の効果量は極めて微小、なおかつしばしば遺伝的素質と複雑な交互作用をしているということです。誰にとっても同様に作用する、単純な環境というものは存在しません。あらゆる形質は、遺伝と環境が複雑に作用して形成されているのです。」(p.60)
結局、遺伝とか環境によってほとんどが決まってしまうのですが、それらは本人がどうすればどうなるかという予測が不可能なものだ、ということになるのです。
「音楽的な才能だとか大上段に構えなくても、何かを好むということ自体がすでに「その人らしさ」の表れであり、能力の萌芽なのです。
自分の中にある「これが好き」、「これは得意」、「これならできそう」、そういったポジティヴな内的な感覚は、自分の能力に関する重要な手がかりです。」(p.77)
才能というのも、両親の才能とか指導者などの環境だけで決まるわけではありません。その子にどんな才能があるか、周りからは知る由もなく、本人が何を好むか、どんなことに直感を感じるのかによってのみ、知ることができる可能性がある、ということですね。
「遺伝的素質という観点からすれば、きょうだいも他人と同じくらいに違うと言っても過言ではありません。ある形質について、他人と比べて一喜一憂しても仕方ないのと同じくらいに、きょうだいと比べても仕方ないのです。」(p.94)
遺伝によってほとんどが決まるという意味は、同じ両親からは同じ才能の子どもが生まれるわけではないのです。
「その結果は、教育年数の差は賃金に一定の差を生みますが、どの大学に行くかは将来の賃金に影響しない。特に一卵性双生児のきょうだいが、一方は偏差値の高い高校、他方がそうでない高校に行き、大学も偏差値の違う大学に行ったとしても、その差はその後の賃金には影響していないことがわかりました。」(p.105)
つまり、受験の成功や失敗で人生が決まるわけではないのですね。それが統計が示していることなのです。
「では、資産の多寡に関係なく、誰もが学校で読み書きを習うようになったら現代の読解力のグラフはどうなるでしょうか。その場合は、グラフはきれいな正規分布を描くでしょう。
つまり、環境側の圧力が低下すればするほど、遺伝的な能力の差がストレートに出てくるようになるということです。」(p.134-135)
かつてのように、貴族とか武士など上流階級の人にしか学ぶ機会が与えられないような社会的な制約があるなら、当然、その恩恵が得られる階級に属しているかどうかで人生が決まると言えるでしょう。
しかし現代の日本のように、そういう差別が許されない社会においては、基本的に遺伝的な能力差が顕著に現れるのです。
「あまりにも自分と合わない環境だと感じたら、別の居場所を持つようにする。それは空想の世界でも、思索の世界でもかまいません。その先に何か豊かな世界が予感できるのであればいいのです。」(p.142)
ほとんどのことが遺伝的に決まっているなら、特定の環境に合わせて能力を伸ばそうなどと無理な努力を重ねるより、自分が居心地が良いと感じる環境、つまり自分に合った環境を選んでいくことが賢い生き方だと言えるのではないでしょうか。
「確かに、子どもの能力が「特定の領域に対してフィットしている」という稀な幸運はありえますが、そのためにいくつもの習いごとをさせて適性を見るというのは分のよい方法だとは思えません。なぜならいわゆる才能を発揮している人が、子どもの頃にたくさんの習いごとをする中で、その才能の素質に出会ったというエビデンスはないからです。むしろ遺伝的な能力は、どんな状況でも自らそれを育てる環境を選び取っていくようです。」(p.157)
「では、児童期の学力や知能に影響がある共有環境の具体的な中身、どんな子育てをすると、子どもの知能を高めることができるのかについては、正確なところはわかりません。これは研究されていないのではなく、数ある要因一つ一つの効果量が小さいため、「○○をしたら、決定的に知能を高める効果がある」と答えるほどのものがないということです。」(p.177)
「しかしこれまでの研究で、子どもの知能や学力に効果がありそうな要因を2つ挙げることができます。それは「静かで落ち着いた雰囲気の中で、きちんとした生活をさせること」と「本の読み聞かせをすること」です。」(p.177)
何が子どもの教育に役立つかははっきりしないものの、自堕落的ではなく、落ち着いて何かに没頭できるような静かな環境と、知的好奇心をくすぐるような読書の習慣を身に着けさせる読み聞かせが良いと安藤氏は言います。
「また、素質がない人が何かに挑戦することが無駄とも私は思いません。この世のあらゆる知識は何らかの形でつながっていますから、自分の中にある別の能力に気づくきっかけになるかもしれません。素質がなかったからこそ、素質がある人がどれほどすごいのかを深く理解できるようになり、その世界のよきサポーターになることも大いにありえます。」(p.184)
自分が大成しないとしても、挑戦することのメリットはありますからね。
「タークハイマーらの研究結果から言えるのは、SES(社会経済状況)が高くなるとさまざまな能力についての遺伝率が上がる傾向があるということ。つまり、お金の制約など環境側の圧力が低くなることにより、その人が持っていた遺伝的素質が出やすくなると言えます。」(p.206-207)
「遺伝的素質の高い子どもにとって、SESの高低はそれほど問題にはならないと言えそうです。もちろんSESが高い方が素質を発揮する文化資本にアクセスしやすく有利ですが、それに恵まれていないSESの低い環境にいても、遺伝的素質があれば、それが自ずと発現し、自らがその才能に気づき、周りの人もそれを支えようとして、引き上げてくれる可能性があるでしょう。」(p.207)
つまり、才能がある子どもは、たとえ環境が整っていなくても、どうにかしてその才能が発揮されるようになっていく、ということですね。
逆に言えば、環境が整わないから才能が発揮できなかったと考えるのは間違いで、そもそもそういう才能がなかったのだと考えるべきだということです。
「優生学は否定されましたが、同時に心理的形質の遺伝がタブーになったことで、逆に「優生的現実」、すなわち遺伝的に優秀な人が有利に生きられる社会はそのまま残ってしまったのです。人々は「優れた人」をあがめ、自分もそうなろうとし、そうでない人の価値を貶めます。そういう優生思想は生き延びてしまいました。そのことに、私たちはもっと自覚的であるべきでしょう。
遺伝的素質の差異があるにもかかわらず、特に知能や学力という基準で人を序列化する。そうした暗黙的な序列に基づいて、社会的地位や収入が決まっていく。これこそ、「優生社会」ではないでしょうか?」(p.227)
ナチスが、アーリア人こそが遺伝的に優れているという優生思想を掲げ、遺伝的に劣っている人種を見下したことは有名です。そのことへの反省(忌避)から、優生的遺伝を否定し、教育次第で才能を伸ばせるとするのは、科学的とは言えません。
能力は遺伝的に決まるものですが、能力は多岐にわたっています。学力とか知力だけが能力ではないし、それだけで人の優劣が決まるものではありません。
「しかし、人間の能力の生かされ方は、突出した個人技ではなく、複数のローカルな人間関係の中で現れてくるものです。いや仮に突出した人だけが輝いていたとしても、その人の周りには、その人を輝かせているたくさんの人たちの協力によるネットワークが成り立っています。そのネットワークの中で、他の人にはできない働きをする時、その能力にはやはりその人の遺伝的素質が発揮されているのです。」(p.230)
たとえば野球の才能がある人でも、誰もが野球を知らない国へ行けば、その才能を発揮できません。野球のことを知って、その才能を高く評価してくれる大勢の人がいるからこそ、その才能が社会の役に立つのです。
「能力の個人差について研究してきた行動遺伝学者がこんなことを言うのは意外かもしれませんが、そもそも論で言うなら、人より抜きん出た能力を伸ばして輝くという考え方そのものに無理があるのではないでしょうか。」(p.233-234)
「小さな集落の中で、自分の持っている能力を自然に発揮してリアルに生きる。そうした生き方は、これからのロールモデルになりうると感じました。ハーバード大学が1938年から行っている成人の発達研究でも、家族、友人、コミュニティとつながりのある人は幸福で健康、長生きすることが示されています。
高度知識社会の幻想にとらわれていると、世界には高い知能を備えた少数のエリートとその他大勢の凡人しかいないように見えるかもしれませんが、リアルな社会はたくさんのローカルをその中に包含しています。」(p.236)
「たくさんの仕事が生まれるということは、たくさんの「隙間」ができるということ。その隙間を埋めれば埋めるほどさらに多くの隙間ができます。お金になる仕事に限らず、同好の士が集まるコミュニティも生まれます。生まれた場所とは違うところに居心地のよい時間を見つけてそこで仲間になった人たちと過ごすもよし、自分自身で隙間を作ってそこに人を呼び込んでもよいのです。起業というほど大層なものでなくても、居心地のよいコミュニティはそれだけで価値があります。」(p.239-240)
見えない他人と比較して、自分の才能の無さをなげいていても意味がありません。それより、現実的に身近なコミュニティにおいて、自分の居心地のよい居場所を見つけることですね。その中で自分らしく生きれば、それが自分の才能を発揮する最高の場所になるのですから。
「いますぐ解決することは難しいですが、私はこれらは移行期ゆえの問題だと見ています。まともに食っていけるだけの報酬を得られる人がグローバルな序列の上の方だけということになれば、結局はその上の方の人たちがせっかく作ったモノやサービスを買う人間はいなくなってしまうのですから。」(p.241)
経済格差の問題に関して、最近は格差が拡大したというニュースもあります。それに対して、一時的なものと見ておられるようです。
「言うまでもなく、私たちの社会はとても不平等です。その不平等をもたらす大きな原因の一つが、偶然親から配られた遺伝子の組み合わせが生む遺伝的な素質の格差だということが行動遺伝学によって明らかになりました。それからもう一つの原因は偶然の環境です。遺伝も環境もガチャであり、それで9割が説明されてしまいます。」(p.245)
「興味を持ったことを学んでいく中で、社会における自分の役割を見出す。同時に、他者の持つ素質を見出し、学んだことを伝えていく−−。
それこそが、はるか未来でもAIにはできない、人間の役割ではないでしょうか。」(p.246)
不平等ということは、「違い」があるということです。人それぞれ違うのです。つまり、多様であるということ。
だからこそ、自分や子どもの才能を見つけようと努力することは良いとしても、他人の才能を見つけ出したり、それを称えたりすることによって、共に生きていくことが、全体で素晴らしい社会にしていくことにつながるのではないでしょうか。
このことが、タイトルの「生まれが9割の世界をどう生きるか」という問いへの答えになるかと思います。
遺伝や環境で9割が決まるということは、最初に想像していたのとは違う意味でした。いわば宿命というものだと思います。自分が意識してどうこうできるものではありません。
また、生まれた後のことであれば、運命とも言えます。運命は自分の努力でどうにかなるとも言えますが、それでも思い通りにはならないものです。
したがって、ただ起こったことを必然であり、最善であり、完璧なのだと受け止める。その上で、どう生きるかが問われている。
どんな才能が与えられているかはわからないけれど、何らかの才能が与えられているのだと信じて、今の自分を受けれ入れて、自分に正直に生きること。
そんなことを考えさせてくれる本でした。
2022年09月25日
テレビは見るな! 新聞は取るな!
Youtube動画でテレビや新聞に洗脳されてるから、テレビなんか見るな!というような話をした矢先、こういう本があることを知りました。
著者は船瀬俊介(ふなせ・しゅんすけ)さんです。船瀬さんの本は以前にも「3日食べなきゃ、7割治る!」を読んでいます。
今回も、最近、健康&ダイエットに関する本を読んでいて、その流れで船瀬さんの本が紹介されていて、その関連本としてこの本が表示されたので、タイトルにピンときて買ったのでした。
しかし、読み始めてから、思っていたのと少し違うなと感じました。
それで前に紹介した本の記事を読み直したのですが、やはり船瀬さんの過激に批判的な部分に賛同できない気持ちが書かれていました。
今回の本も、批判が強すぎて感情的になりすぎており、事実の認定に客観性が欠落している部分が散見されました。
ただ、だからと言って船瀬さんの言うことを否定できないことも事実です。
私は、こういう考えもあるなというくらいで読みました。そういう前置きをして、本を紹介したいと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「……本当のことが、書けないんだ」
なんど、この嘆きの声を聞いたことだろう。
わたしには、若い頃より何人もの新聞記者の先輩、友人たちがいた(本書第一章参照)。
みな、正義漢で、やさしいひとたちばかりだった。
その彼らが、苦渋と諦めの表情でこうつぶやくのだった。
朝日のK記者は「辞めたい」と嘆き、読売のH記者は「ナベツネが白といえば白」と自嘲した。日経のM君は「企業批判は一行も書けない」。
共同のT先輩は「わが社は腐ってます!」と号泣した。」(p.17)
確かに、こういうことがあったのでしょう。
マスコミといえども企業ですから、儲けのために圧力を受け、真実を捻じ曲げることがあっても不思議ではありません。
「『ほんものの酒を!』は三一書房から新書判で刊行されるやベストセラーとなった。
勇気づけられたのが、地方の名酒造である。そこから優良な地酒ブームに火がついた。
その品質向上の勢いは、火付け役のわたしですら、驚嘆するほどだ。」(p.67)
確かに、日本酒の品質が大幅に改善された時期がありました。その流れを作ったのは、船瀬さんの本がきっかけだったのですね。
ただ、品質を隠して偽の酒が造られていたかのように書かれていますが、それはどうだろう? と思うのです。当時、三倍増醸酒というのは知られており、二級酒や一級酒の区分けにはあまり意味がないことも言われていました。
私も、甘ったるい日本酒は頭痛がするし、悪酔いするので敬遠していました。その中で、新潟へ行った時に「八海山」という日本酒を飲んで、千鳥足になりながらも気持ちよく酔い、二日酔いもしなかったことがきっかけで、純米酒というのば別の酒だと気づいたのです。
それ以降、飲むなら純米酒か、せいぜい本醸造と決めていました。今では、純米酒や本醸造以外の日本酒は存在しないのではないでしょうか。日本酒がワイン並に世界に受け入れられるようになったことは、本当に素晴らしいことだと思います。
「これら「タレント証言」「商品テスト結果」「各社回答」の”証拠”を固めて、記者会見の案内を出した。テーマは「洗剤CMはインチキだ!」
マスコミ各社が詰めかけた。なかでも活躍したのがNHKの池上彰さんだ。」(p.78)
そう言えば、そんなことがありましたね。洗剤のCMで「こんなにきれいになります!」という誇大広告。実は新品と差し替えていたことがわかり、告発されたようです。その当時、池上さんはNHKの記者だったようです。
まあ、あんなCMがウソだということは、多くの人が気づいていただろうと思います。なぜなら、実際に洗ってみればわかるからです。私の姉も、小学校の時の自由研究で、洗濯方法による汚れ落ちの違いを研究発表しましたが、どれ一つきれいに落ちたものはありませんでしたよ。
こういう過去の告発したデタラメを書かれているのですが、ちょっと盛りすぎているんじゃないかなと感じる部分も目立ちます。
たとえば、化粧品による「女子顔面黒皮症」という被害についての記述が56ページからあるのですが、そこには代表的なメーカー大手7社とその代表取締役を、詐欺罪、薬事法・景表法違反の罪状で刑事告発したとあります。資生堂も入っています。しかし、ネットで検索してみると、公害訴訟になっており、資生堂は入っていません。
これは、化粧品に含まれていた色素によるアレルギー反応が原因だということになったようです。資生堂の製品には、それが使われていなかったのだとか。そして、多額の和解金を払って和解決着したようです。
もし本当に詐欺罪で告発し、勝訴していたのだとすれば、大問題になっていたはずですが、そんな記憶もありません。
化粧品被害は、使用者の全員とか大多数に及んだわけではなく、一部の人だけでした。そして、そういうアレルギー反応があることを予見できなかったということで、そういうことはあり得ると思うのです。
そうであれば、騙して毒を買わせたなんてことではなく、安全に対する配慮が少し足りなかった、今後は改めます、という程度のものとも言えるのではないでしょうか。
「子どもは大人のおよそ一〇倍、胎児は一〇〇倍、悪影響を受けると考えるべきだ。
だから妊娠中こそ、電磁波を母体から遠ざけなければならない。
たとえば、IH調理器を普通に使っているだけで数十ミリガウスは被ばくする。
すると、流産が五・七倍急増する、という研究報告がある。
さらに恐ろしいのが電気カーペットや電気毛布だ。表面は三〇〇ミリガウスを超える。
つまり、安全基準の三〇〇倍超。電磁波の発ガン性、催奇形性を思い出してほしい。
妊娠初期三ヵ月間、電気毛布を使った妊婦を悲劇がおそっていた。
胎児の先天異常(奇形)が一〇倍に急増していたのだ。」(p.93)
「スカイツリー周辺住民には、これから数倍から数十倍、ガンや白血病、奇形が発生することだろう。」(p.97)
「だから門真市民は、全員退避しなければならない。
福島原発と同じ。それなのに、門真市民は、電磁波の脅威について、何ひとつ知らされていない。
一人の自治会長がコツコツと調査を進めた結果、衝撃事実が判った。門真市の白血病死亡率は、大阪府の平均の約一五〇倍にたっしていた……。」(p.103-104)
電磁波が健康を害するということは、昔から指摘されてきました。それについても多くの研究がなされていますが、いまだに確たる結論が得られていないと思います。
しかし船瀬さんは、このように10倍とか100倍とか、ガンや奇形が増えているという何とも恐ろしい結論を断定されています。
では、実際はどうなのでしょう? ネットで検索した限り、そういう統計結果を見つけることはできませんでした。もし、10倍とか、まして100倍もガン患者やガン死亡者が増えていたなら、統計数値も歪な急増が見られるのではないでしょうか?
それとも、そういう統計数値でさえも、後で出てくる闇の支配者によってもみ消されているのでしょうか?
「だれも知らされていないが、電磁波被ばく以上に、リニアには致命的欠陥がある。
それが”クエンチ”現象だ。これは、超電導磁石が、突然、磁力を失う。
その原因は、いまだに不明。
つまり、原因が不明ということは、対策も不能ということだ。
この謎の”クエンチ”がいかに恐ろしいか。リニアの全路線の九割はトンネルだ。それも、南アルプスの頂から三〇〇〇メートルも地下の暗黒の世界。そこを時速五〇〇キロで疾走する。その瞬間、”クエンチ”が起きたらどうなる?
一瞬で乗客は火ダルマに包まれる。約一〇〇〇人の乗客は火炎地獄で苦悩死する。」(p.109)
だからJR東日本の社長も絶対に乗らないと言っているのだとか。
表現は詩的で、いかにも恐怖を煽るような書き方です。トンネルの中での衝突火災事故において、地下3000mかどうかなど、どうでもいいことでしょう。
それに、そんな事故が起こる可能性を無視して開発し運行しても、大惨事が起こったら会社が潰れますよ。そんな博打みたいなことをやるでしょうか? 私には疑問です。
「3Gガラケーでも害がある。
一〇年間耳に当てて使う。それだけで五倍も脳しゅようができる(二〇代)。
おそるべき発ガン性だ。」(p.121)
「「5Gにはタバコと同じレベルの発ガン性がある」
ガン研究の世界的権威A・ミラー博士(トロント大名誉教授)は断言する。
これは、人類全員にタバコを強制的に吸わせるのと同じだ。」(p.121)
これも電磁波による発ガン性の指摘ですが、たしかタバコのガン死の可能性は5%上昇させるというものではなかったでしょうか?(厚労省の資料) それなのに、5Gより3Gの方がガンの危険性が高くなるのでしょうか?
たしかに発ガン性に関しては、数倍と指摘する研究があることも事実です。しかし、そういう一部の研究があるからと言って、それが絶対的に正しいと言い切れません。
船瀬さんの主張は、一部の自分にとって都合の良い事実を切り取って取り上げ、不安(恐れ)を煽るような表現で紹介しているように感じられます。そういう意味では、船瀬さんのやり方こそ、まさに洗脳ではないか、という気もするのです。
「なら、人類にも同じ被害が確実に生じる。それは、だれでもわかる。
なのに、なぜ”かれら”は5Gを強行しようとしているのか?
目的は三つだ。
@巨利収奪
A洗脳操作
B人口削減」(p.125)
よく言われていることですね。しかし、儲けのためということは理解できますが、人口削減というのは、私には眉唾です。本当に人口削減が目的なら、こんなまどろっこしいことはしないと思うからです。
さらに言えば、携帯電話(スマホ)という超便利なものが普及した社会において、その「かれら」は利用しないのでしょうか? もし利用すれば、自分たちを殺すことになりますけど。
いやそれは、5Gを使わない地域があるんだ。そう言う人もいます。でも、先ほど引用したように、3Gでも害があるんですよね? そのうち固定電話なんてなくなりますよ。電磁波が問題なのであれば、アマチュア無線もトランシーバーもダメでしょ。
「アメリカでは食事療法など自然な治療でガンを治す医者が数百人暗殺された……という。ガン食事療法で世界的な権威マックス・ゲルソン博士も、ロックフェラー財閥が放った刺客に暗殺されている。」(p.138)
まず、根拠がまったく示されていません。そして伝聞を示すことで、暗にそれが事実だと思い込ませようとしています。根拠を示さずに言い切るのは、洗脳の常套手段ですよね。
「Aの毒物反射は、血圧低下だけではない。
その他、何十という毒反射の症状が出ている。しかし、医者も製薬会社も、これらには眼をつぶる。「副作用」のひと括りで片付ける。彼らが望むのは、血圧低下という”毒反射”だけ。それを「主作用」として、大々的に宣伝し、売りまくる。」(p.147)
「西洋医学の、もう一つの致命的な過ちは「病気」と「症状」を混同したことだ。
東洋医学は、「症状」を「病気」の「治癒反応」ととらえる。こちらが正解だ。
風邪という「病気」のとき、「発熱」「咳」「下痢」などの「症状」が現れる。
それらはすべて、「風邪」を治すための「治癒反応」だ。」(p.149)
「あらゆる病気の原因は、”体毒”に帰する。
”体毒”のルーツには二つある。口の毒と、心の毒である。それは過食と苦悩……。
代謝能力を超えた過食と苦悩が二つの毒素を体内にめぐらす。それが「老廃物」と神経ホルモン「アドレナリン」だ。後者は毒蛇の毒素の三〜四倍というほど猛毒だ。それが、体内を巡る。ムカムカ気分が悪くなり、イライラする。
万病は、これら”体毒”によって生じる。
だから、”体毒”を消せば、万病も消える。
これが、「断食」(ファスティング)で病気が治る基本メカニズムだ。」(p.152)
薬というものは、私もこういうものだと思っています。基本的に人体の症状を抑えることを目的にしています。その症状が病気そのものであるかのように見なしているからです。
しかし、船瀬さんも指摘しているように、症状とは自然治癒力が病気を治して健康に向かおうとするために引き起こしているものです。発熱も下痢も嘔吐も痛みも高血圧も、すべてそうです。
そこを見誤っているのが西洋医学だという指摘は、私も賛同します。そして、断食を含む少食によって健康を取り戻す、つまり、自然治癒力を助けるという考え方にも賛同しています。理屈的に筋が通っていると思うからです。
「肉類をはじめとする動物たんぱく質は、腸内悪玉菌の大好物。やつらは「肉」をエサにして大増殖して、アミン類、インドール、スカトール、アンモニアなど、猛毒、発ガン物質を排泄する。それが、まず腸壁を刺激する。だから、アメリカに渡った日系人の三世の大腸ガン死亡率は、母国日本の五倍にも達する。
さらに、発ガン物質は腸壁から吸収されて、全身をめぐる。
だから肉食者は、あらゆる発ガンリスクが高まる。
さらに、心臓病や糖尿病リスクは、跳ね上がる。」(p.160)
これも、一方的な決めつけかと思います。5倍も発がんしているのであれば、それが統計に表れるはずです。しかし、日本人とアメリカ人を比べてみても、そこまでの差はありませんよ。むしろアメリカ人の方が、ガン死が減少しているという統計もあります。
それに、人口削減を目論んでいる人たちがいるのなら、アメリカとかイスラエルとか、残したい地域の人たちは健康食を食べられるように策謀するんじゃないでしょうか。
もちろん、だからと言って、菜食の方が健康的だという説を否定するつもりはありません。私自身、いずれ人類は肉食をやめるだろうし、究極的には食べることをやめるんじゃないかとさえ思っています。
「私たち人類は、大きく騙されてきた。そして、今も騙されている。
だれから? それを、私は本書では”闇の支配者”などと表している。
その正体も明記してきた。国際秘密結社フリーメイソンであり、その中枢を支配するイルミナティである。ロスチャイルド、ロックフェラー両財閥は、その”双頭の悪魔”である。」(p.177-178)
船瀬さんは、陰謀論が正しいのだということを堂々と主張されています。しかし、私は懐疑的です。
理由は単純です。なぜ、そんな秘密を船瀬さんは知ることができるのか? そして、それを知りながら、なぜ船瀬さんは暗殺されないのか? これだけ著作で暴露しているにも関わらず。
もし、船瀬さんの暴露が、闇の支配勢力にとって大して問題になってないのだとすれば、それはすなわち重要な秘密を暴いていないことになります。もし暴いているなら、確実に殺されているでしょう。だって、ガンの自然療法を推進する医者ですら暗殺されたんですからね、船瀬さんによれば。
ここに大きな矛盾を感じています。この矛盾について、この本でもそうですが、陰謀論者から的確な説明を聞いたことがありません。だから私は懐疑的なのです。もちろん、だから真実ではないと断定するものではありませんがね。
この他にも、日航機の墜落事故、マレーシア航空370便の失踪事件、9.11テロなど、いくつかの事件や事故での陰謀説を展開されています。
私も、一部に関してはかなり疑問を持っているものがあります。しかし、だからと言って、絶対的に陰謀だと決めつけるだけの根拠も持ち合わせていません。
「しかし、わたしの周辺で、マスコミ出口調査を受けた者は皆無だ。
わたしが主催する「船瀬塾」全員にも聞いたが、一人の手も挙がらない。
つまり、「出口調査」「アンケート」もポーズだけ。
他方で、二〇一二年、ネット上ではロイター通信による市民による出口調査が公表されている。
その結果は、選挙速報とはまったく正反対だ。
じっさいの出口調査では、「未来の党」が八倍、自民に大勝している。
しかし、フタを開けてみたら……自公の”圧勝”。」(p.248)
2012年の衆院選で自公が圧勝したことも、マスコミの意図的な情報操作であり、さらには投票の改ざんだと船瀬さんは決めつけています。
しかし、これも私には眉唾です。まず、仮に船瀬さんの身近な人たちが出口調査を受けていないとしても、出口調査をしていないという決定的な証拠にはなりません。それに、マスコミの出口調査はウソだと決めつけながら、ロイターの調査は本当だと、どうして断定できるのでしょう?
さらに、地方局の報道だと与党が1%で野党が99%の得票だったというようなことを取り上げていますが、その方がおかしいでしょう。だって、地方で与党がほとんど支持されないなんてことはありませんから。そんなに国民のリテラシーは高くありませんて。
このように、船瀬さんにとって都合の良い情報は無条件に正しいと断定し、受け入れたくない情報は間違っているとか、意図的に捏造されていると決めつけている。そして、それを示すのに都合の良い情報のみを証拠として取り上げている。
私には、そのように感じられます。もちろん、絶対にそうだとは言い切りませんがね。
「なるほど、「真実」を知ることは、楽しいことではない。
「真言」は「耳に痛く」「心は惑う」。
しかし、「真実」に耳をふさぎ目を閉じる。
そうして生きることは、まさに「真実からの逃亡」だ。
その先には、やはり、「底無しの地獄」が待つ。」(p.300)
私も、真実を追求することは重要だと思います。あくまでも決めつけずに、可能性に心を開きながら。
だからこそ、船瀬さんが主張する「真実」に対しても、懐疑的な態度を持ち続けたいと思うのです。
すでに何度も言っているように、船瀬さんの話は、決めつけていることが多いように感じます。根拠が足りないのです。
もちろん、何を信じるかは人それぞれですから、船瀬さんの陰謀論を信じたい人は信じればよいと思いますよ。しかし、私はまだ懐疑的だということです。
大手のマスコミだけでなく、こういう本であっても、必ずしも真実を語っているわけではない。私は、そのように思っています。
だからこそ、自分で判断することが大切であり、そのための能力を磨くことが重要ではないかと思うのです。
そういうことをお伝えしたくて、あえてこの本を紹介しました。私が絶賛お勧めする本ではありませんが、参考にはなるかと思います。
2022年09月29日
よくがんばりました。
喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの新刊が出ることをFacebookで知って、すぐに予約しました。その本がやっと届いたので、他の本を差し置いて真っ先に読みましたよ。
小説なのでサクサク読めますが、さすがの喜多川節ですね。喜多川テイスト満載の小説になっていました。
本によって想いを伝える。「手紙屋」に始まる喜多川さんのこの考えは、この小説にも生かされていました。
今回のテーマは、父と息子。そして、それぞれの人の生き様です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言っても、これは物語なので、ネタバレしない程度に収めますね。
最初にあらすじですが、前書きに「陽子ちゃん」の話が出てきます。これがあとから種明かしされる前フリになっています。
主人公は石橋嘉人。中学の数学教師です。結婚していて、2人の子ども(姉と弟)がいます。その嘉人の人生にも、いろいろなものがありました。
愛媛の西条の出身ですが、飲んだくれの父の元から逃げて、母子家庭で育ったのです。それ以来、音信不通だった父。その父が亡くなったと、地元警察から連絡が来ます。
遠い過去の故郷に戻った嘉人でしたが、西条祭りの思い出が蘇ります。非日常の祭りがあるからこそ、人は日常を暮らしていけるのかもしれない。
その西条祭りは10月半ば。2020年から2年間は、コロナ禍で中止されていましたが、2022年には3年ぶりに行われるとか。今はまだ9月ですが、小説では、それが行われた様子が描かれています。
「そうなってからは、年に数回程度あるかどうかわからない「自分の父親」というものを思い出すときも、愛するでも憎むでもなく、あくまで他人として感情に揺さぶられることなく振り返ることができるようになっていた。
ところが、自分が知らない哲治の暮らしぶりや、別れてからのことを知ることで、それがいいものであれ、悪いものであれ、嘉人の感情を揺さぶる何かに変わってしまうのではないかという懸念があった。どうせ変わるのであれば、憎い、許せないという方向に変わってくれたほうが楽だろうと思っていたが、思い出したのは哲治の父としての優しい一面だった。」(p.115-115)
記憶というのは、自分に都合の良いものと言うか、思い込んでいることが断片的に残っているだけのことが多いようです。
私自身も父については、「怖い」という印象しかなかったのですが、しかし、よくよく思い出してみれば、楽しかったこと、優しかった父のことも、本当はあったはずなのです。
「あなただって父親がいないのに立派に育ったじゃない。きっといいなくて寂しい思いや辛い思いもたくさんしたんだろうけど、そのぶん強くなったり、優しくなったりもしたでしょ。あなたが、父親に甘えたかったのにそうさせてもらえなかったことを恨む気持ちもわかるの。ただ、一方で、そのおかげで今のあなたのように強く優しくなれたのも事実でしょう。あなたは可哀想ではない」(p.148-149)
物事は多面的です。それによって「悪い」とも言えれば、「良い」と言える面もあります。
「可哀想」というのは、1つの見方に過ぎないのです。そして、他人(や自分)を「可哀想」と見ることは、その人の価値を認めないということでもあるのですね。
「一言で言えば”石橋嘉人”の人生を生きている。人から見れば幸せそうでも、順風満帆でも、そこにはあなたにしかわからない苦しみや悩みがたくさんあったでしょうし、今もあるはずよ。どんなに親しい人でもそれを理解することはできない。たった一人でその苦しみと向き合って生きている。そんなことができるのはあなたしかいない。他の誰も”石橋嘉人”の人生を生きるだけの強さはないわ。それこそが人間の凄みだと私は思うの」(p.195-196)
それぞれの人に、それぞれの人生があります。そしてそれは、その人にしか生きられないもの。他人は、ああだこうだと好き勝手に評価するけど、実際にその人生を生きられるのは、その人だけなのです。
だからこそ、その「違い」こそが素晴らしいものであり、その人のかけがえのなさだと思います。
「いつも明るいって言う人もいれば、いつも暗いと言う人もいる。すべて同じ一人の人間について言ってるとは思えないほど、聞く人によって答えが違うの。つまり人の性格なんて、周りの人の価値観という光をその人に当てて見えた投影図でしかないということよ」
「なるほど。その人に光を当てるというのは、観察者の価値観でその人を見るという意味なんですね」」(p.199)
他の人を見れあれこれ評価するとしても、それはその人の価値観という光によって浮かび上がる投影図であって、その人そのものではないのです。
だから、他人からどう評価されるかなんて気にする必要はないし、自分のことは自分が評価すればいいし、評価するしかないのだって思うのです。
それぞれの人に、それぞれの思いがあります。他の人によって、「良い」だの「悪い」だの決めつけられるようなものではありません。
ですから、それを他人がどう評価しようと、放っておけばよいのです。それより、自分が自分をどう評価するかが重要であり、自分が「良い」と思う自分、そして自分の人生であるように、自分がやっていくことですよ。
もちろんそれで、思いどおりに変えていけることもあれば、そうならないこともあるでしょう。それでも、それを含めて自分であり、自分の人生です。それをまるごと受け入れて、「よくがんばりました。」と言ってあげればいいんじゃないかなぁ。
これも、ぜひ読んでいただきたい本です。読んで、自分で感じて、自分で考えてください。
きっと、もっと自分のことが好きになるでしょう。そして、それによって、他人のことも好きになっていけるでしょう。
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