2022年06月07日
さとりをひらいた犬
メンターのお一人、吉江勝さんがメルマガで絶賛して紹介されていたので買いました。
小説なので読みやすく、自然と真実について理解できるようになっていますね。著者は利根健(とね・たけし)さん。プロフィールを読むと、ステージ4の癌から生還され、その際に神秘体験をされたのだそうです。
神秘体験によって悟りを得た方は多くいらっしゃいます。そういうのを羨ましいと思ったころもありましたが、最近は、私は私らしい生き方でいいと思っています。なので、羨ましいと感じることはなくなり、そういう体験をする方が増えることで、世の中全体が気づきと成長へ加速しているんだなぁと喜ばしく感じています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
と言っても、これは小説ですから、あまりネタバレにならないよう注意しながら、ごく一部を引用したいと思います。
まずストーリーの概要ですが、人に飼われている猟犬のジョンが、狼のダルシャとの出会いによって「自由」に目覚め、勧められた「ハイランド」を目指して旅立ち、様々な出会いと経験を繰り返しながら「悟り」を得ていく、というものです。
「ハイランド…そこはわしらやおぬしのように、ほんとうの自分に目覚めた者たちが目指す場所。ほんとうの自分を探す旅…ほんとうの自由を見つける旅…それがハイランドへの旅なのじゃ。ハイランドを目指して旅をしても、全ての者がたどり着けるわけではない。ほんとうの自分、ほんとうの自由を理解できた者のみがたどり着く場所、それが『ハイランド』なんじゃ」(p.57)
ダルシャの友人でイノシシのコウザは、このようにハイランドを説明しています。
「”危険”は『いま、ここ』で対処すればいいものだ。その”危険”を恐れ、未来を憂い、未来を不安視して心の中に創り出す影、それが”恐怖”だ。したがって、”恐怖”というものは実在しない。幻想だ。目の前には危険しかない。恐怖などないのだ」(p.107)
「恐怖の中で生きるということは、幻想の中で生きることと同じ意味なのだ。この幻想に気づくこと、幻想を見抜くこと、それがほんとうの自分への、ほんとうの自由への第一歩なのだ」(p.107)
赤い魔獣と呼ばれた大熊のゾバックは、ジョンが感じた「恐怖」について、こう説明しています。
「よいか、物事には偶然はない。全てが必然じゃ。起こるべくして物事は起こる。ダルシャとの出会い、ゾバックとの出会い、おんしたちの出会い、そしてわしとの出会い…。これを魂の計画と呼ぶ」(p.168)
予言者様と呼ばれるネズミのクーヨは、この他にも様々なことをジョンに話して聞かせています。
「シーザー、君の考えが間違っているとは言わないよ。でも、僕はどの種族が優れていて、どの種族が劣っているとは思わない。それは”優劣”じゃなくて”違い”なんじゃないかな」(p.187)
猟犬仲間のシーザーに対して、ジョンはこう語っています。
「全ての攻撃は、愛してほしいという心の声なのです。私には、あなたが助けを呼ぶ子犬にしか見えません。あなたは、自分でそれがわからないのですか?」(p.229)
白帝の妹という白馬のシャーレーンは、自分を襲おうとしているシーザーに対してこう言いました。
「こ、この世界に、優れているも、劣っているもない。みんな同じだ。お、俺がここで死ぬのは、俺自身が、それを選択したからだ…。俺は、俺の意志によって死ぬのだ。俺は俺の魂の声に従って、死ぬのだ」(p.240-241)
「ほ…ほんとうに大事なことは”どう生きたか?”なのだ…。死ぬとき、それはその者の”存在”が、まさに、問われるときなのだ。何を持っていようと、どんな地位にいようと、どんな実績や勲章や証があろうと、そんなものはいっさい関係ない。あっちの世界には、そんなガラクタは持ってはいけないのだ。死ぬときに問われるのは、『どう生きたのか? どういう存在であったのか?』そ…それだけだ」(p.241)
シャーレーンを守るために戦い、傷ついた赤目の狼のゲトリクスは、死ぬ間際にシーザーに対してこう語ります。
「全ては必然。お前の住んでいる世界の出来事は、全てお互いの魂の計画なのだ。全ては体験による学びと遊びだ。私たちはお互いの芝居の演目を演じる役者同士なのだよ。だから、そちらの世界にいるときは、その芝居を楽しむことだ。私は十分に楽しんだから、なんの悔いもない」(p.277)
臨死体験をしたジョンは、かつてジョンによってとどめを刺された白帝と呼ばれる白馬と出会います。そこで白帝はジョンに、こう語ったのです。
「感情とは、さかのぼると二つに集約される。それは愛と恐れだ」(p.284)
臨死体験から生還したジョンに、大熊のゾバックはこう言います。
「永遠の時間が流れる中で、あるとき、そのたった一つの大いなる存在は、自分という存在を、自分を知りたいと思いました」(p.290)
「自分の顔を外から見るために、大いなる存在は自分を分離しました。つまり、見る者と見られる者に分かれたのです。大いなる存在は自らを分離することによって、自分を外側から見ることができるようになり、自分をより詳しく知ることができるようになりました。こうして大いなる存在の、分離の物語が始まったのです」(p.290-291)
「ほんとうの世界、真理の世界では、優劣はありません。”敵”も”味方”もありません。それはただ単なる個性や役割の”違い”であって、あなたが考えているような優劣や”勝ち負け”は存在しません。なぜなら、元をたどれば、全ては一つの存在(Being)だからです。私たちひとりひとりの存在は、大いなる存在の別の側面を、それぞれが表現しているだけなのです」(p.292)
自分を襲おうとしたシーザーが傷ついた時、シャーレーンはシーザーを癒そうとします。その時、シャーレーンはこう語りました。
「ほんとうの自由とは、外側の何かから自由になることではありませんでした。身体やエゴの声といった”自分”からの自由…これがほんとうの自由です」(p.351)
年老いた狼のレドルクと出会い、瞑想を続けたジョンは、その気づきをこう語ります。
「”私”は分裂した個ではなく、宇宙、全体、大いなる存在、そう、”それ”そのものだということが、三つの存在を通して、腹の底からわかる。それが、”さとり”じゃ」(p.353)
レドルクは、ジョンが十分に体感したことを察して、「悟り」についてこうまとめるのです。
登場者のセリフを集めてみましたが、内容についてはいちいち論評しません。なぜなら、これはすべて私がお勧めする「神との対話」シリーズで言われていることだからです。
なので、私にとってはよく知っていること。けれども、この物語を読みながら、感極まって泣いたことも白状しておきます。
けれども、それを言葉にして説明しても意味がありません。ぜひ読んで、自分で感じてみてください。「神との対話」シリーズはお勧めですが、そのエッセンスを物語として読むのも良いことだと思います。
2022年06月11日
パンツを脱いだあの日から 日本という国で生きる
日本講演新聞の5月9日号(2929号)の社説は、魂の編集長・水谷謹人さんが書かれたもので、そこでマホムッド・ジャケルさんのことが書かれていました。その最後にこの本が紹介されていたので、買ってみたというわけです。
社説では、水谷さんがプラン・インターナショナルで精神的里子の支援をしており、その子がバングラディシュの子であること、そのタイミングでジャケルさんの本の帯メッセージの依頼があったことが書かれていました。
私もかつて、プラン・インターナショナルでフィリピンの子の支援をしたことがありました。その後、タイでは、EDFを通じてタイの子の支援もしました。
世界の貧困問題、そこから派生する様々な問題を、必然的に考えることになりました。しかし、個人の力ではいかんともしがたい。そういう現実があります。
私は、ジャケルさんが運良く日本に留学することになって、日本で生きることを決意したきっかけとなった「パンツを脱ぐ」という体験に興味を持ちました。銭湯で言われたのだろうということは、容易に想像がつきました。でも、それだけではない大きな文化の違いがあると思ったのです。
正直に言って、私はバングラデシュという国の名前は知っていても、正確な場所さえも知りませんでした。この本を読んで、ミャンマーとインドの間にある国だと初めて知ったくらいです。さらに、かつては東パキスタンと呼ばれていたことも。
そう言えばたしかに昔、東パキスタンと西パキスタンとあったなぁと、おぼろげながら思い出しました。飛び地のように分かれた経緯や、その後の独立戦争のことも、この本で初めて知りました。
けれどもバングラデシュの人たちは、以前から日本のことを慕っていたようです。同じアジア人の国で、第二次大戦でボコボコにされながら、わずか20年で先進国の仲間入りをした日本。自分たちの国も、いつか日本のような豊かな国にしたい。多くのアジアの国の人がそう感じるようですが、バングラデシュもまた、そう感じる人が多いそうです。
それにしても、この本を読んで知ったバングラデシュの現実は、ある意味で悲惨としか言いようがありません。私はタイで暮らしていましたが、タイはかなりマシな国なのだと思いました。
でも、ジャケルさんのような人が増えていくことで、少しずつ変わっていくようにも思います。人は意識が変われば変わるのです。そのためにも、日本はお手本であり続けたいし、その日本を支える日本人として、その素晴らしい文化を後世に残さなければと、改めて思いました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「母さんは、私を里子に出そうと考えました。
運よくお金持ちの家にもらわれたら、食べるものに困らない。なにより生命が保障してもらえる。この子の将来を考えたら、いまここで手放してあげたほうが、この子にとってもいいかもしれない。幸せになるのかもしれない。
母さんは必死でした。
そんな母さんの話を聞きつけて、ひとりの男が訪ねてきます。
「この子を、お米3kgで買いますよ」
私は、お米3kg分でした。それは飢えた家族にとって、喉から手が出るほどほしいものでした。」(p.13)
日本にもかつて、そういう時代があったと聞いています。頭を下げて近所から食べ物をもらうしか生きる方法がない。そんな現実は、アジアでは普通だったのです。
たったお米3kg分の命でしかない。それでいいのでしょうか? お母さんは申し出を断りました。断腸の思いで。今のジャケルさんがあるのは、こういう生かしてくれた人たちの重荷を背負う決断によるものだったのです。
「「大学には合格しなかったかもしれない。でも僕は、僕が本当に学びたかった文学を大学受験を通じて、たっぷりと学ぶことができた。それがなによりの財産なんだ」
彼は合格するためではなく、文学を学ぶために勉強していたのです。そして彼はその後、バングラデシュの作家として暮らしています。
自分はこれからどう生きていきたいのだろう。
バングラデシュという社会にいても「本当の目的」を見失わなければ、それはやがて自分を助ける「経験」となって返ってくる。
だから人生には、失敗も後悔もない。彼からそのことを教わりました。」(p.67)
ジャケルさんが大学受験に合格した時、一緒に受験した友だちは落ちたそうです。しかし、その友だちの言葉を通じて、ジャケルさんは大切なことを学んだのですね。
「おじいちゃんたちはだれに言われたわけでもないのに、毎朝、マンションのまわりや道路のごみ拾いをしたり、お花に水をあげたりしています。
その光景は、私たちの心を幸せにしてくれます。
バングラデシュ人に必要なのは、そういう「行動」です。
挨拶をすれば、返してくれて、ときには会話にも花が咲きます。
お金のため、自分のためだけではなく、人のため、社会のために「行動する」という考えが、残念ながらバングラデシュではまだ根づいていないように思います。
また日本は、ルールやマナーを守ります。
日本人からすれば「当たり前じゃないか」と思われるかもしれませんが、この「当たり前」を守ることこそ、「経済成長」するうえで欠かせないものなのです。」(p.226-227)
「もしかしたら生きているうちに結果が出ないかもしれない。それでも未来の子どもたち、未来の地球のことを考えて努力していました。
日本人は、あきらめないのです。
いつ報われるかわからないことでも、努力をつづけます。そしてそれはやがて大きな実を結び、いま日本は世界に名だたる先進国となっています。」(p.228)
ジャケルさんは、バングラデシュにない日本の優れた文化を、このように言います。自分のことだけでなく他人のこと、社会のこと、未来の子孫のことを考えて行動する。そして信頼されることに重きを置く。たしかに、日本人の良さかもしれませんね。
最後に吹田市長の後藤氏の寄稿文がありました。その中で後藤氏はこう言っています。
「結局、彼ジャケルはこの著書で、人が生きる上でいかに「愛」が」必要か、様々な形の愛の中でしか人は生きられないのだ、という事を極限の人生経験から伝えたかったに違いない。
愛に包まれ”豊かな”社会で暮らすことを当たり前に感じる、日本の若者に対して。」(p.236)
ジャケルさんの悲惨な体験、苦労の体験は、たしかに日本人の想像を超えたものだと感じます。その数々のピンチを、ジャケルさんを支える多くの人の愛によって乗り越えてきた。ジャケルさんの今は、まさに奇跡の連続の後にあるものなのです。
この本を読めば、いかに私たちが恵まれた環境にあるのかがわかります。そして、そういう社会を作ってくれた先祖の方々の苦労をしのばずにはおれないでしょう。
ジャケルさんは、日本語の会話は何とかなっても、本を書くレベルの読み書きはできなかったようです。では、どうしてこの本が生まれたのか?
ジャケルさんをサポートしてくれる盲目の友人、西亀さんの提案があったからだそうです。ジャケルさんの話を電話で聞いて、西亀さんがパソコンにタイプする。そうやって原稿を作っていったのだとか。
「取材の話を聞くうちに、目は見えなくても、言葉が通じて助けてもらえること、ビザの心配がないこと、仕事を自由に選べること、そして日本に生まれ、日本で当たり前に生活出来ていることなど、これまで当たり前と思っていたことが、全部「有難いこと」と思えるようになりました。」(p.238)
目が見えないというハンディを抱えて、健常者よりはるかに多くの苦労があったでしょう。それでもジャケルさんの経験を知ると、今の自分がいかに恵まれているかと再認識するのです。
どんな経験をジャケルさんがしてきたのか、ここでは引用しませんでした。あまりに多いからです。ぜひ、本を読んでみてください。その方が、より感動が伝わることでしょう。
私は、今の日本があるのは、2千年以上も昔から、日本人らしく生きることをずっと続けてきたご先祖の方々のお陰だと思っています。そのDNAによって、私たちは自然と日本人らしい価値観を持ち、考え方をするようになっているのだと。
だから、ジャケルさんが褒める日本人の特性は、私が優れているのではなく、多くのご先祖様たちによって培われ、受け継がれたものだと思うのです。
その結果が今の社会であり、私たちという現代に生きる日本人なのです。そうであるなら、今の私たちがやるべきことは、ご先祖様たちがされたのと同じように、今度は未来の日本人のために、優れた日本人らしく生き、そのDNAを伝えていくことだろうと思います。
そうすることによって、日本人は世界の人々のお手本となり、世界を豊かにし、平和にすることに貢献できる。私はこの本を読みながら、そんなことを思いました。
タグ:マホムッド・ジャケル 本
2022年06月15日
ぼけますから、よろしくお願いします。 おかえりお母さん
認知症になった母親、それを支える年上の父親。その家族のありさまを、娘の立場で書き綴ったエッセー集です。
この物語は映画になっています。著者の信友直子(のぶとも・なおこ)さんが、自ら撮影した動画をもとにしたドキュメンタリー映画です。
私の母親も認知症(レビー小体型認知症)になり、父親が老々介護をしました。そういうこともあり、このテーマには非常に関心があります。
さらに、私は今、老人介護施設で認知症のお年寄りと向き合っています。どう対処すればいいのか、悩む日々です。だからこそ、このテーマを扱った本書に関心を持ったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「私が、母に対する胸の奥のどす黒い思いを吐き出した回では、
「うちだけじゃないんだ、と思ったら励まされました」
というお手紙もいただきました。そして私は「ああ、私はこの人の役に立てたんだ」という喜びを、取り戻すことができたのです。
やっぱり私、誰かの役に立ちたいんですよね。役に立てたことで、私はいてもいいんだな、と安心できる。認知症になって「私はもう家族の役に立てんようになった。この家におってもええんじゃろうか」と悩んでいた母と同じです。」(p.4)
この考え方は、ある意味で麻薬のようなものだと思っています。役に立つから存在意義がある。その考え方をする限り、究極的に人は幸せになれない。私はそう思うのです。
「でも母に理不尽に怒られてばかりの父はよく我慢しているなあ。それが不思議だったのですが、ある時、父がポツリとこう言ったのです。
「直子もお母さんを傷つけるようなことは言うなよ。お母さんが一番不安なんじゃけんの」
ああ、父は全部わかっているんだ。その上で母をいたわり、支えようとしているんだ。私は父の度量の広さに感動しました。」(p.21)
認知症になった人が一番苦しんでいる。たしかにそう思います。だから、周りが支えてあげなければならない。たしかにそうです。でも、その思いによって、支える側が苦しむこともあるんですよね。だから、この問題は難しいのです。
「「母が認知症になったからといって不幸なことばかりだろうか? だからこそ気づけた素敵なこともあるんじゃないか?」
私にとって認知症からの最大の贈り物は、父が案外「いい男」だと気づけたことでした。」(p.32)
何が「良い」か「悪い」かなど、一概には言えません。大変な問題でもある認知症においても、「良い」と見ることができるのですね。
「母が認知症になって、父と母の距離はぐっと縮まりました。娘としては目のやり場に困りますが、それでも60年連れ添った人生の最終章にこんなスキンシップが取れるなんて、幸せなことではないでしょうか。」(p.37)
認知症になったことで、理性のバリアが取っ払われて、素直に甘えられるようになった母親。そしてそれを受け止める父親。たしかにそれは、素敵なことだと思います。
「私も決して、母の認知症を最初から「贈り物」だなんて思えていたわけではありません。大好きな母が壊れてゆくのを見るのは怖く、悲しく、目を背けたくもなりました。
でも気づいたのです。いくら目を背けたところで現実は変わらない。ならば潔く受け止めて、その上で少しでも前向きに、楽しく生きる方法を工夫した方が得じゃないかと。これは、長く暗いトンネルを抜けてつかみ取った、生きるコツのようなものです。」(p.38-39)
すべては見方次第です。そこに気づくために、認知症という困難な状況に向き合う必要があった。そうとも言えるのですね。
「そして気づいたのです。ああ、こうやって笑いが生まれたら、母も安心するんだな、と。母は自分の居場所がないと感じているのですから、「お母さんがおっても、お父さんも私もこんなに楽しいんよ」と態度で示せばいいのです。そうすれば母も「ああ、私はここにおってもええんじゃね」と安心します。」(p.53)
認知症になると、どうなっていくのかわからない「不安(恐れ)」から、疑心暗鬼になりがちです。家族が自分を邪魔者にしているのではないか? その疑念を払拭してあげることが大切なのですね。
お父さんの「何じゃ? わしゃ聞こえんわい」という聞いてないふりというのも、大いなる愛なのではないか。そうやってボケて笑いを取ることで、余裕が生まれるのです。
「母に疎外感を与えるのが一番良くないので、父も私も必死でご機嫌を取りました。そうしないと「私が邪魔なんね」「おらん方がええんじゃろ」と被害妄想が膨らんで、手に負えなくなるからです。そして、父も私も次第に母に気を遣うことに疲れてきました。」(p.64)
認知症の人の「不安(恐れ)」を刺激しないようにするために、機嫌を取ったり、あえて介入しなかったり、何が正解かはわかりませんが、介護者にはいろいろと苦労があるのです。
でも、そういう気遣いを重ねることによって、介護者が疲れてくるのです。
「父にとって母の介護サービスを受け入れることは、自分の限界を認めることです。手に負えなくなったから助けてください、と白旗を揚げることです。私は父の誇りを傷つけてしまったんじゃないか? 私の安心のために、父を傷つけてもいいのか?
でも、こうも思うんです。
人は必ず年をとる。父だって一人で母の面倒を見られなくなる日がいつかはやってくる。今、父が感じているだろう無力感は、いつかは味わわなければならないものなんだ……。」(p.77)
介護保険ができても、他人の介護を受け入れるということが、昔の人には理解できないのでしょう。それもまたその人の生き方ですからね。
でも、老人介護は、家族だけでは大変すぎると思うのです。だからこそ、老人介護を公的(社会みんなの責任)にすることは、良いことだと思うのです。
「つい最近、父がつぶやいた名言があります。
「年寄りにとって、「社会参加」いうのは社会に甘えることなんじゃのう。かわいい年寄になって、何かしてもろうたら「ありがとう」言うんが、わしらの社会参加じゃわい」」(p.80)
まさにそうだなぁと思う反面、そうしないと介護してもらえない悲しさも感じます。
「「介護はプロとシェアしなさい。家族の役割はその人を愛することと割り切って」……今井先生からこう教わって初めて、自分が「介護の責任」を履き違えていたことに気づきました。
娘の私がいるのに、母の世話を他人のヘルパーさんに押しつけるなんて、責任逃れ……それまで内心そう思ってきました。でもそれは言葉を変えれば、世間体を気にしていたということです。」(p.106)
介護保険制度の素晴らしい点は、「介護」を家族の義務(役割)から解放したことです。家族には、家族にしかできないことがあるのですから、たとえ介護をするとしても、それが最重要だと考えないことですね。
「そう、近所の人たちは本当にやさしかったのです。人生100年時代と言われ、誰が認知症になってもおかしくない今、「あそこのおばあさんはぼけた」と陰口をたたく人はいないのです。誰もが人ごとでなく自分ごととして認知症を捉えているから、母のことも親身になってくれる。そう実感しました。もっと早くご近所に話して、頼ればよかったな。」(p.108-109)
昔ながらのコミュニティがあると、認知症はずいぶんと助けてもらえますよね。それは、他の本でもそう感じました。
でも、そういうコミュニティのない都会ではどうでしょうか? あるいは、たとえ田舎だとしても、全員が全員、認知症に優しいわけではないという現実もありますよね。
事実、私が勤める施設でも、認知症の人を同じ認知症の人が責めるという現実があります。だから、必ずしも認知症であることを公開しても、それで上手くいくわけではないと思うのです。
「大好きだった母がどんどん別人になってゆく。おもらししても知らん顔。指摘するととぼけ、そのうち逆ギレして、
「私はおらん方がええんじゃろ!」
こんな姿を見せられて、心が揺れないはずはありません。
悲しさ、情けなさ、絶望感。認知症の肉親を介護している人なら、誰もが思い当たる葛藤ではないでしょうか。」(p.110)
認知症と排泄の問題は、本当に深刻だと思います。指摘したからと言って、上手くいくわけではありません。
では、どうすればいいのか!? それがわからないから、周囲は苦労するし、だからこそ認知症にだけはなりたくないと思うのです。
「母はこんな思いまでして生きていたくないんじゃないだろうか。いっそ死んだ方が楽なんじゃないだろうか。そんな思いが頭をよぎったことも一度や二度ではありませんでした。」(p.128)
そうまでして生きていたいのか? そうまでして生かせておくことが、その人の助けになるのか?
この疑問は、究極的なものだと思います。
「もはや認めざるを得ません。母が認知症になってから、私は努力しないと母を愛せなくなりました。取り乱し泣き叫ぶ姿を見ていると、大好きだったあの母と同じ人だとは、どうしても思えないからです。」(p.130)
認知症であることを受け入れられないと、認知症に負けてしまう患者(家族)を受け入れられなくなるんですね。
「認知症になった母を「努力しなければ愛せなくなった」と感じた私。でも同時に思ったのです。ならば努力をすればいい。形からでもいいから、ありのままの母を愛することを始めよう。それが、今までさんざん愛情を注いでくれた母への恩返しなんだと。」(p.134)
思い通りにならない認知症の家族を、あるがままに受け入れるしかない。そこから初めて、「愛」のなんたるかがわかるようになる。私もそう思います。
正直に言って、信友直子さんのお母様の認知症の程度は、大したことないと思います。私の母の認知症の程度は、それ以上に大したことないと思います。
けれども、実際にその介護をする人にとっては大変なことなのです。だからこそ、この認知症の問題、特に排泄の問題は、大事だなぁと思うのです。
簡単に答えは出ませんが、どんな風になっても愛するという思い、その決意が重要なのではないでしょうか。たとえ施設に預けるとしてもね。
2022年06月18日
続・老後はひとり暮らしが幸せ
以前に紹介した「老後はひとり暮らしが幸せ」の続編です。
前回の本で、なぜか一人暮らしの方が満足度が高く、幸せを感じられる人が多いという現実が紹介されていました。今回は、なぜそうなるのかということについて、さらに深く追求したものとなっています。著者は辻川覚志(つじかわ・さとし)医師です。
アンケート結果を重視して、できるだけ客観的に事実を積み重ねて結論を導き出そうとする姿勢に共感できます。
結論は、「さもありなん」ということに落ち着くのですが、事実の積み重ねがあるからこそ、その結論にも重さが感じられると思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「しかし、少しくらい悩みが減っても、ひとり暮らしには、どうしても寂しさや不安が残ってしまいます。これらの感情は暮らしの質を低下させるものです。それなのに、なぜ、ひとりで老後を暮らすことが、満足することにつながるのでしょうか。そのことを追求するために、本書では、この寂しさや不安という感情に焦点を絞り、皆様方から教えていただいた結果をまとめたいと思います。
今回は、60歳以上の男女570名の方々に、寂しさと不安を中心に、詳細なアンケート調査をお願いしました。」(p.6)
前作で老後は同居より独居の方が満足度が高く、幸せに生きられるという結果が出ていました。アンケートの詳細は巻末に載っていますが、今回はその理由を探っていこうというものになっています。
「しかし、前章で触れましたように、寂しさは多くの場合、一過性です。ある一定の時期を乗り越えれば、慣れるということがありえる感情です。しかも、短期間だけ、家族が家を訪問して、にぎやかに過ごしてしまうと、家族が帰ってしまい、また、ひとりになったときが寂しいので困るという声すらあります。
つまり、あまり波風を立てずにひとりで暮らしているかぎりでは、それほど強く寂しさを感じることはないともいえそうです。」(p.52)
そもそも寂しさは一過性であり、満足度に大きく影響しない感情ではないか、というわけですね。
私もひとり暮らしが長かったのですが、寂しいと感じたことはありません。むしろわずらわしさがなくて、気楽だったという気がします。
「悩みも、寂しさと同様に、ひとり暮らしで不安がない人が最低で、同居で不安があるとされたグループが、一番悩みが多いという結果でした。
つまり、不安に関して考えても、満足度や悩みの程度という観点からみると、同居はあまりよくありません。
結局、ひとり暮らしで不安のない人がひとり勝ち、ということになりました。満足するひとり暮らしを牽引しているのは、このグループの人たちだったわけです。」(p.66)
「ひとり暮らし」で「不安がない」ことが、満足して生きるポイントになりそうだということですね。
「ですから、ここで注目すべきは、体調が落ちてきてしまったら、ひとり暮らしも、家族と同居されていても、同じ程度まで悪化してくるということになります。体がいよいよ弱ってきてしまうような段階になってくると、寂しいとか、不安だという感情においても、家族と暮らしているということはあまり関係がなくなって、結局は、自分自身の問題だということがわかってくるからかもしれません。」(p.78)
身体が弱って思い通りにならなくなってきた時の不安は、同居も独居も同じであり、同居の家族の支えは不安解消に役立たないということですね。
「結局、厳しい言いかたになってしまうかもしれませんが、厳しい暮らしのなかで、うまく満足して暮らしておられる人とそうでない人の違いは、最終的には、その人がどのように思い、感じておられるかということにかかっているといえそうです。」(p.80)
「ここまできますと、大きな役割を果たすものは、その人がもつ死生観ではないかと思えてきます。別に宗教的に帰依されておられなくても、死に対するとらえかたや考えかたをはっきりと描けている人は、心が安定しているように感じます。
また、宗教と結びついていなくても、毎日、先立たれた家族のことを思い、その人の思い出と一体となり、日々の暮らしのなかで、共存しているような雰囲気をもたれている人は、いかに厳しい状況に追い込まれても、心静かに暮らされているように思えます。」(p.81)
自分なりの死生観があったり、先に亡くなられた愛する家族のことを思い、対話できる人は、現状が厳しくても静かな心を保つことができ、日々の生活に満足できるということですね。
「そうしますと、睡眠時間とゆとり時間には、両者とも大きな差を認めませんでしたが、何もやることがなく暇だと思う時間は、図のごとく、寂しさや不安を感じる人とそうでない人とで、はっきりとした差を認めました。やはり、暇な時間が少ない人は、寂しいとか、不安だという感情をもつことが少なかったのです。」(p.85)
寂しさや不安をできるだけ感じないようにするには、忙しくしていることがポイントのようです。
何かやるべきことがあるというのは、大変なことである反面、無駄な思考を巡らす機会が減ることでもあり、充実した生活に役立つようです。
「アルコールを適量で抑えることができている方のお話をうかがうと、自分の体調が知らせてくれるので、抑えられるとおっしゃいます。つまり、自分自身と対話しながらお酒を楽しんでおられる姿が浮かびます。おそらく、このような方は、アルコールを、食欲増進と生活のリズム管理、体調維持に利用されておられ、けっして、寂しさや不安を消すために使っていないということになります。」(p.118-119)
アルコール依存症というのがありますが、私はここにこの病気の本質が書かれていると思いました。
依存症になるのは、その依存対象によって不安や寂しさを消そうとしているからです。しかし、それでは消えないのが不安や寂しさなのです。方法が間違っているのに気づかずに、もっともっとと求めるようになる。これが依存症です。依存物質が原因ではないのです。
「難病になり、治療法も限られてくると、体を動かすのもおっくうになってきて、もう何もする気が起きなくなるかもしれません。しかし、そんなときでも、人によっては、いろいろ工夫しながら、マッサージや体を温めたり冷やしたりして、なんとか症状を軽くしようと毎日努力されています。たとえば、理学療法士の人から教えてもらった方法をやってみたり、ご自分で試行錯誤した結果、体が楽だと思われるやりかたでやってみたりして、とにかく、自分がよいと感じたやりかたを探しておられます。そうすると、一番、長く続くわけで、それを毎日やっておられるわけです。」(p.128-129)
自分の身体と対話しながら、自分に合った方法を探して実践するから、長く続けることができる。自分の身体は自分がケアすることですよ。
そして、自分の身体のケアのために時間を使っているから、それだけでも日々を充実して過ごせるのですね。
「私はあまり信心深い人間ではありませんが、結局、信仰心はあろうとなかろうと、形見の品を肌身離さず身につけたり、毎日念じて声を出したりするだけで、寂しさや不安が減るわけですから助かります。非常に厳しい環境に陥ってしまっておられても、なんとか元気に暮らされている多くの方々からいただいた秘訣は、結局、心のなかで念じたり、実際に声を出して祈ったりすることでした。」(p.145)
宗教の信仰に限らず、何かを信じて実践することが、寂しさや不安から救ってくれるのかもしれませんね。
「せいぜい、私たちにできることは、寂しさや不安を少しでも軽くしながら、いかにできるだけ満足しながら暮らせる時間を長くするように、頭と体を同時に使い続けるように工夫するしかないわけです。具体的には、3章で説明いたしましたように、体が丈夫な間は、思いっきり自分が有意義だと思う活動をしながら、好きな暮らしをします。そして、徐々に体の自由がきかなくなってきたら、4章で述べましたように、自分の身体が許す範囲で、考えてもしかたがないことを考える暇をつくらないように努力します。そうすることで、できるだけ自分の意思で暮らし、意味のある暮らしを楽しむことができる時間を長く保つことができると信じるしかないわけです。そして、結局、それを実現するためには、他を頼らず、なんでも自分でやれることはやるようにして暮らすことが、最終的には自分にとって最良の選択肢になりうるということを多くの方々から教えていただきました。」(p.152-153)
これが本書のまとめとも言える部分だと思います。
「ひとり暮らしは大変です。何もかも自分ひとりでやらなければいけません。衰えていく心身を感じながら、自らでもできることは最後までできるだけ自分でやろうとされ、もし、他の人から親切をもらえば感謝しつつ、見守ってくれている人に安堵させるよう情報を提供し続けている人こそ、もっとも満足しながら老後を暮らしておられるように感じます。」(p.171)
私の父も、ほぼ見えなくなった今でも、ひとり暮らしを続けています。だから私は父を信頼し、満足した人生を送ってほしいと思うのです。
「今回のアンケート結果は、たしかに、ひとり暮らしは、寂しさも不安も多いということがわかりました。しかしながら、これらは満足度には決定的な影響を与えないということもわかりました。別の見方をすれば、ひとり暮らしがあまりに厳しい環境なので、自ら悟りに似た自立した感情をもつしかなかったと解釈することもできるかもしれません。しかし、それが結果的にひとり暮らしの満足度を引き上げてくれているとも理解できるわけで、厳しい環境に置かれているからこそ、人の情けをありがたく感じ、自らの暮らしを厳しく律することができているのかもしれません。
できるだけ、他の人の迷惑にならずに、あちらに逝きたいと皆様はおっしゃいます。今回のアンケート結果からいえば、そのためには、結局、自分自身だけで生きていくように努力しなさい、人を頼ってはいけませんという非常に明快な答えをいただいたと思います。」(p.185-186)
たしかに、そういうことなのでしょうね。甘えるとは依存することです。依存するとは、自分の外に執着することです。その執着心があるから、それが得られないことが不安になり、満足度が下がるのです。
満足度を高めたいなら、執着心を捨てること。自分ひとりで最後はどうにでもすると決意すること。その覚悟によってこそ、依存心を断ち切って、幸せで生きたれるのだと思います。
悟りを得たから満足してひとり暮らしができるのではありません。はからずもひとり暮らしをせざるを得なくなったから、悟りに近い境地で、生きる覚悟ができたのです。
私たちの魂は、私たちが幸せに生きられるように常に導いている。私は、そのことを本書を読んで感じました。
2022年06月27日
人生で大切なことはすべて学年通信のコラムに書いてあった
日本講演新聞で紹介されていた本です。著者の末松孝治(すえまつ・たかはる)さんは、「ふくしまの男性家庭教諭」という肩書です。
男性で家庭科を教えているというのも珍しいのですが、この本は、末松さんが学年通信の裏に書き続けたコラムの集大成となっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「哀しいのは、大人になったいまでも、長く継続することがなかなか難しいということです。ですから、私にとって「自分との約束」というのはそれほど信用できるものではありませんでした。他の人との約束は一生懸命に守ろうと努力できるのですが…。
「自分との約束」とは、自分で決めたことを実行するということです。では、なぜ自分と約束するのかというと、それはきっと現状の何かを変えたいという決意があるからだと思います。」(p.43)
「継続は力」という格言がありますが、私の高校の時の陸上部の顧問の先生が座右の銘だと言っていました。どんな凡庸な人であっても、継続していれば必ず大成するのだと。
末松さんは、自分が継続できない性格だと告白します。他人との約束は守ろうとするけど、自分との約束を守れないのだと。そこで、次のような方法を提案します。
「それなら一層のこと、「もう『自分との約束』はあきらめ、他人との約束に変えてしまおう」と考えてみてはいかがでしょうか。そうすれば、「あの人と約束したんだからやらなければならない」に変換できるので、きっと成功率はあがるだろうと思うのです。」(p.44)
そう言って、生徒たちに自分と約束しようと呼びかけます。これが効果があるのかどうかはわかりませんが、生徒指導というのは、こういうものかもしれませんね。
「「偶然」という漢字を分解すると、「人」+「禺」(会うという意味)+「然」(然るべくして、必然という意味)になります。つまり偶然は、「人が出会うのは必然」と書くのです。不思議ですね。」(p.47)
学年通信のコラムを書こうとしてアンテナを張っていると、こういう引き出し(うんちく)がどんどん増えてくるのだそうです。
それにしても、偶然という言葉が実は必然を示しているとは、面白い考え方だなぁと思いました。
「片腕で見事に打ち、片腕で守るピートのプレーは、見ている人々に大きな感動を与えたのです。」(p.69)
片腕でメジャーリーガーになったピート・グレイの話を取り上げています。私はまったく知らなかったので、言われるがままに「ピート・グレイ」で検索してみましたよ。
メジャー在籍は1年間で、それほど活躍できたわけではなかったようですね。けれども、そういう選手がいたからこそ、後のアボット投手のような選手も出てこれたのかもしれません。
「最後に、ピート・グレイの座右の銘を紹介します。
「A winner never quits. (勝者は絶対にあきらめない)」」(p.70)
先程の継続の話とも重なりますが、「あきらめない」こと、「続ける」ことが、成功への唯一の道なのだと思います。
鶴ヶ城には縦横2.5m以上ある推定7.5トンの巨石が石垣に組み込まれているそうです。東山温泉の入り口にある山から約1kmの距離を運ばれてきたのですが、これをどうやって運んだかという話です。男衆が約100人で運んだと言うのですが、1人あたり約70kgを持って1kmも進めるでしょうか?
これを可能にする秘策があったと言うのですね。これが実に面白かった。
「実は、石の上に「あるもの」を乗せてさらに重くしたのです。そんな逆転の発想で石を動かしたというのです。では、いったいなにを乗せたのでしょうか?
それは、「女性」でした。石の上に美しく着飾った心動かされるほどの魅力的な女性たちを乗せ、歌い踊らせたといいます。それを見た男たちのテンションは最高潮にまで上がり、その勢いで7.5トンもの石を持ち上げて1キロ先まで運びきってしまったというのです。」(p.141)
男というものは、なぜにこうなのでしょうね。(笑)
いずれにせよ、こういうワクワクする動機があると、不可能も可能になるってことですね。
この話で思い出すのは、天岩戸伝説です。天照大神がお隠れになった時、神々が相談してやったのが大宴会。その中心には天宇受売命が半裸状態で踊っています。それにやんやと喝采を贈る神々。楽しかったのでしょうね。私は、こういう話が好きです。
「この二つの話に共通する視点は、「落ちたりんご」、「流された工場」を見たのではなく、「落ちなかったりんご」、「流されなかった缶詰」という残されたものに目を向けたということです。
これから皆さんは人生において、どうにもならないピンチが一度や二度は訪れるかもしれません。そんなときは、「ものの見方や考えかたを変えてみる」ということを心がけてみるといいでしょう。すると、それまで最大のピンチだと思っていたことが最高のチャンスに変わることもあるかもしれません。」(p.225-226)
有名な話ですが、平成3年9月の最大瞬間風速50mを超える台風によって、青森県津軽地方の特産のリンゴの約9割が落ちてしまったという話です。売り物にならなくなったリングを見て意気消沈したリンゴ農家の方々。その中で、落ちなかったリンゴに注目し、受験生への贈り物にしたらいいと考えた人がいたのですね。
また、2011年の東日本大震災の津波で缶詰工場が大打撃を受けた時、流されなかった缶詰に注目して、「希望の缶詰」として販売し、復興の一歩にしたという話です。
すべては見方次第ですね。末松さんは、ひすいこたろうさんの本をたくさん読まれているようです。そういう点、私とも親和性がありますね。
これも話題になった2013年3月のWBCアジア予選「日本対台湾」戦での出来事です。試合は日本が逆転で勝ったのですが、試合終了後に台湾の選手がマウンドを囲んで円になり、全員がスタンドの方を向いて一礼したという出来事です。
これには伏線があって、試合の2日前にTwitterで、東日本大震災の時に台湾から多大な支援をしてもらったことのお礼を、スタンドから発信してほしいという訴えがあり、その試合では、「謝謝台湾」のようなプラカードがたくさん掲げられました。それを見た台湾の選手が感動し、試合後のこの行動になったのです。
「野球は、台湾で最も人気のあるスポーツです。WBCの日本戦も台湾各地の大型ビジョンでも放送され、2300万人の人口の半数を超える1200万人が視聴しました。この東京ドームの映像は国際映像で台湾の人たちへと届けられ、日本人にとって台湾の方々への感謝を伝える機会となりました。
台湾が震災後、他国以上の支援を日本に対してしてくれたのはなぜでしょうか。その理由を知りたい人は、私のクラスの書棚にある白駒妃登美著『感動する!日本史』(中経出版)のP84〜を読んで下さい。」(p.235-236)
白駒妃登美さんの「感動する!日本史」は、私もブログ記事で紹介しています。P84から書かれているのは、台湾のために尽くした日本人、八田與一さんなどのことです。その恩を台湾の人たちは忘れずにいてくれたのです。
同じようなことは、他の国でもありますね。トルコが親日なのは、エルトゥールル号遭難事件のことを知って、日本人をリスペクトしてくれているからです。
これも白駒妃登美さんがいくつかの書籍で紹介してくださっています。「海難1890」という映画がありますが、このトルコの人たちの恩返しによって、イラン・イラク戦争時の日本人の危機が救われました。
また、イランも親日国です。これは、イランが石油を輸出できなくなった時、メジャーに対して喧嘩を売った出光興産の出光佐三氏の活躍によるものです。この話は、映画「海賊と呼ばれた男」になってますね。ひすいこたろうさんも「心が折れそうなときキミに力をくれる奇跡の言葉」という本の中で、この話を紹介されています。
私はこの映画を観て、出光佐三氏に興味を持ち、「マルクスが日本に生まれていたら」という同氏の本を読んでみました。これもお勧めの1冊です。
本書は、高校生向けに末松さんが書かれたコラムを集めたものです。なので、一つひとつのコラムを読みながら、「ふ〜ん、なるほどね。」と感じ入りながら読めるものになっています。
子どもへの贈り物としても良いと思いますし、大人が読んでみても、読み応えがあると思いました。
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