2022年01月01日
道ひらく、海わたる
私は将棋が好きで、最近は藤井聡太竜王の活躍を応援しています。将棋そのものも面白いのですが、それよりも興味があるのが藤井さんの考え方だったり生き方です。
そんな好奇心から読んだのが、先日紹介した「藤井聡太のいる時代」という本でした。どういう性格なのか、どういう育ち方をしたのかなど、私の好奇心に応えてくれる内容でした。
一方で私は、野球も好きでした。今はTVを見ないのでプロ野球のこととかよくわかりませんが、それでも野球は好きで、大谷翔平選手の活躍は知っていました。
知ってはいましたが、それほど関心を持っていませんでした。ところが、メジャーで活躍している大谷選手の情報の中に、ゴミを拾うとか誠実な態度を崩さないというようなものがあり、少し興味をいだきました。
そんな時にふと気づいたのが、大谷選手と藤井竜王は似ているのでは、ということでした。
それぞれの分野で大活躍している若者というだけではありません。謙虚で誠実という態度も似ているのです。
これは、周りによって作られたイメージではなく、ご本人の生き様が現れたものだと感じました。
それで大谷選手の考え方や育ち方などにも興味が湧いて、そういう本がないかと探しました。
この本は、そういう中で見つけたものです。副題が「素顔の大谷翔平」となっており、その期待に応えてくれる内容だったと感じました。
著者は、大谷選手を追いかけてきたスポーツライターの佐々木亨(ささき・とおる)氏です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「良くても悪くても、どんどん変えていくっていうのは良いところじゃないかなと思いますね。なんて言うんだろう……現状を守りにいかないという性格ではあるので、まあ、すごくいい状態のときでも、それを維持していこうというよりも、それを超える技術をもう一つ試してみようかなと思う。挑戦してみよかなというマインドがあるのは、得なところだと思います」(p.10)
大谷選手の自己評価です。変化を恐れない、現状に固執しないという考え方が見て取れます。
「自分がどこまでできるのか、人間としても、どこまで成長できのか楽しみです。二刀流を叶えたとき、そこには大きな価値があると思う。自分が成功すれば、同じように二刀流に挑戦する選手が続くと思いますし、いろんな可能性が広がるはずです。今はとにかく頑張って、新たな道を作れるような選手になりたいと思っています」(p.13)
プロ入り前の18歳の大谷選手の言葉です。パイオニアとして生きることを楽しんでいるようです。
花巻東高を卒業した大谷選手は、一旦はメジャー入りを決意します。しかし、日本ハムファイターズからドラフト1位指名されて、けっきょく日本のプロ野球入りを決めました。
日本ハムファイターズの栗山監督は、大谷選手と定期的に面談し、彼のメジャーへの意志を確認してきたそうです。
「翔平は本当に、お金の話を一回もしたことがなかった。彼にとっての価値観はそういうところにはないんですよね。アイツ(翔平)、やっぱり誰もやったことのないことをやりたいんだと思うんです。結果じゃなくて、それをまずやってみる。翔平は、チャレンジしてみることが嬉しくてしょうがないという価値観を持っているんです。」(p.39)
結果が残せそうだからやるのではなく、結果がどうなるかわからなくても、やることが面白そうだからやるという価値観なのですね。
前後際断ができていて、結果を得ることではなく行為に情熱を燃やす、という考え方で生きていることがわかります。
「「野球が好きだから」
それが大谷の答えだった。そして、いつも彼はまだ見ぬ自分との出会いに胸を躍らせるのだ。
「野球をやっているからには『てっぺん』を目指したいんです。すごいレベルの高いところで野球をやってみたいなと思っていたので、まずはプロ野球選手になりたいと思って、そこに近づいていったら、さらにその上でやってみたいと思う。僕はいろんなことにチャレンジしていきたいんです。」(p.50−51)
なぜプロ野球選手になりたいのかという問いに、大谷選手はこう答えたそうです。自分の可能性を極めたい、まだ見ぬ素晴らしい自分と出会いたい。こういうところも、藤井竜王と似ているなぁと思います。
「大谷翔平という人間も、どこかで「自分はできる」と感じているから言う。160キロを出したいんだ。今、メジャーへ行きたいんだと。」(p.53−54)
一見すると無鉄砲とも思える若者の「内なる声」の中に、根拠はなくても「できる」と感じていることを、日本ハムファイターズのスカウト部長は見抜いていました。
仕事柄、若者の可能性を引き出すこと、最大限の力を発揮させることを考えているので、そういうものを察知する能力にも秀でているのでしょう。
「《先入観は可能を不可能にする》
佐々木監督は言う。
「たとえば160キロの球を投げるというイメージがそもそもなければ、絶対にそこまでたどり着かないものだと思います。できると思うから、そのために頑張る。途中で蓋をしたり、限界を作ってしまっては、自分の可能性を伸ばすことができないと思います。」(p.109)
夢というものは、可能性がわずかでもあることと、その可能性を信じられる時にしか実現しないのですね。大谷選手は、結果を手放して挑戦することに情熱を燃やしてはいても、結果を捨てたわけではないのです。
子育てに関しては、割りと自由にさせていたようです。
「これといった躾みたいなものはありませんでしたよ。ごくごく普通。私たち親が『おはようございます』『お休みなさい』を言う。あるいは、自分が食べたものは自分で片づける。そんなごく当たり前の普通のことを親が率先してやれば、その姿を子供たちは見て自然とやるようになるのかなあとは思っていましたけれど、思い当たるのはそれぐらいですね」(p.71)
大谷選手の育て方として、家庭内での躾に関して父親はこう答えています。口うるさく言うのではなく、自ら率先してやって範を示すというやり方なのですね。
「翔平自身にも、怒られた記憶がほとんどない。
「お父さんから怒られたのは、グランドでの野球のときだけですね。家に帰ってからはほぼなかったと思いますよ」
家族間にある風通しの良さが深く影響したと思うが、翔平にはいわゆる思春期を迎えた中学生の頃によくある『反抗期』はなかったと、加代子さんは言う。」(p.74)
子ども部屋はあっても籠もることが少なく、みんなで居間で過ごすことが多かったそうです。テレビは1台居間にあるだけにしたのも、そういう家庭を母親が望んだからのようです。
「「いろんなことを考えながら子育てをされている方が多いと思いますが、本当に申し訳ないぐらいに、私たちは子育てに関して『こうやって育てよう』とか『絶対にこれだけはしよう』というものが特になかったんです」
ただ、子供は大好きなんです。そう言って話を続ける。
「子供はそれぞれに育ち、いつかは巣立っていくわけですが、いつになっても実家は実家。親はいくつになっても子供たちのことを大好きなんです。私たち親の『いつまでも見ているよ』『大事にしているよ』ということが伝われば、子供も家族のことを大事に思ってくれると信じてきました。」(p.95-96)
大谷選手のお母さんは、子育てに関してこう言っています。ありのままの子どもを受け入れ、信頼していることが伺えます。
「お父さんは社会人野球までプレイされた方ですが、我々の指導や起用法について何も口を挟むことなく、ただ黙って見守っている。あれだけの息子がいても決して天狗になるようなところがないんです。親の姿勢は子供が見ていますからね。大谷は、高校に入学してくる前の十五年間は親の姿勢を見て、親の言葉を受けて、親の指導を受けて育ってきているわけです。大谷の行動を見ていれば、ご両親のすばらしさがよくわかります。」(p.98)
花巻東高校の佐々木監督は、このように大谷選手の両親のことを評しています。
「今でもそうですが、親には本当に自分がやりたいように自由にやらせてもらってきました。父親には、やりたければやればいいし、やりたくなければ自己責任でという感じで接してもらいましたし、母親にも『勉強をやりなさい』と言われたことがなかったですし、たくさん支えてもらいながら、これまで自由にやらせてもらってきたと感じています」(p.99-100)
親が子を信頼し、自由にさせたからこそ、子の自主性や、自分の決断に対する責任感が育ったと言えるでしょう。
大谷選手の性格に関しては、次のような記述がありました。
「「無頓着な性格です」
母はそう言い、「プロに入ってからも、最初は服装や髪型にしても気にしている様子がなかったですよね」と言葉を足す。
自分が「これだ」と思うことに対しては一心不乱に気持ちを込める。スイッチのオンとオフをうまく使い分けながら。ただ、感性に触れないものに関しては、どことなく他人事。無頓着さが表れてしまう。子供の頃からそうだったという。」(p.78)
興味があるかどうかでエネルギーの注ぎ方に雲泥の差がある性格のようです。
「「知らないところでやるときはワクワクしますね。プロ野球の世界に入るときもそうでした。もっともっと自分よりすごい選手がいるんだろうなと思って、ワクワクしたのを覚えています。経験のないこと、知らない場所というのは、実際にやってみないとわからないものがたくさんありますし、その場所に行ってみないと自分の実力がわからないものだと思います。」(p.101-102)
大谷選手は、失敗を恐れていないと言うか、結果を心配していないことがわかります。やってみることが楽しくて、そこだけを見ているようです。
「これまで多くの媒体が紹介して今ではすっかりと馴染み深いものになったかもしれないが、『目標設定シート』とも呼ばれるそれは、選手たちが入学後すぐに書くものだ。正方形の枠を大きく九つに分け、その一マスをさらに九分割した用紙には、目標や、その目標を達成するために必要とされる要素が細かく記されている。それは実際に一般企業が取り入れている人材育成のシステムやビジネス書を参考に佐々木監督が作り出したものだ。」(p.129-130)
大谷選手の目標設定シートの中心には、ドラフト1位で8球団から指名されることが書かれていたそうです。そのために必要な要素には、「キレ」「コントロール」などの野球技術の要素の他に、「人間性」や「運」ということも書かれていたとか。
「本人の野球人生においては、あそこで怪我をしたことがその後の未来を変えたと言ってもいいかもしれません。ピッチャーを意識するなかで、二〇一二年のセンバツ大会前のバッティングを見たときは『こんなに打球が飛ぶのか』と思うぐらい、果てしなくボールを飛ばしていた。あの期間の練習というのは『バッター・大谷翔平』の基礎をつくるには大事な期間だったと思います」(p.150)
高校生という成長期は、怪我をしやすい時期でもある。慎重に体作りをやっていた大谷選手でしたが、それでも怪我によって投げられない時期がありました。
しかし、そういうことも不運として捉えるのではなく、幸運として捉えて前向きにやってきたのですね。その結果、二刀流の花が咲くことになったのです。
「目指すべき道、すなわち、自分をさらに高めてくれる道。
大谷にとってのそれは、プロの世界で投手として打者として、ともに技術を高めて互いの最高のパフォーマンスを見せる「二刀流」の道だった。」(p.198)
「そこばかりに固執しているわけではないですけど、他人と違うことをやったときに、どういう結果になるのか、そんな自分自身に対する興味が、あの当時は大きかった。いまでもそうですけど、どうなるのかという不安よりも興味のほうが勝っていたと思います」(p.218)
「両方をやることに対して、自分の気持ちがブレることはなかったですね。もともとがあまり周りを気にしない性格というのもあるんですが、どれが正解ということもないですし、たとえ両方をやることが失敗だったとしても、自分にプラスになると思っていました。」(p.219)
高校卒業後、最終的に大谷選手は、ファイターズ入りを決めます。その決め手が、二刀流でやらせてもらえるということだったようです。
メジャーは、日本のプロ野球よりも高レベルな世界かもしれないけれど、二刀流でやらせてもらえる可能性は低い。そうであれば、日本のプロ野球で二刀流の実績を残し、最初から二刀流でメジャーを目指した方が良い。そう考えたのですね。
パイオニアでありたいと願う大谷選手にとって、二刀流でやらせてもらえる日本のプロ野球は、とても魅力的に見えてきたのでしょう。
しかし、テレビの解説者など世間の風は厳しかったようです。無理だとか、プロ野球をバカにするなとか、いろいろ聞こえてきました。
けれども大谷選手は、そういう批判の声さえ立ち向かう原動力に変えて、実績を築いたのです。
「大谷はマイペースというか、いい意味で『計算をしていない』ところがあると思います。たとえばゴールが決まっていて、そこにいくために一番効率の良い答えや方法を求めようとしていない感覚みたいなものがある。もちろん野球の技術などはそういう考え方かもしれないですけど、彼の生き方として、計算して物事を判断するのではなくて何か湧き出てくるものに従って行こうという、すごく自然な生き方をしていると思います。何かをしたいと思えば自分の湧き出る思いに従ってするし、したくないと思ったらしない。寝たいと思えば休日は寝ている。自分の本能に従って生きている感じはします。」(p.208−209)
防御率のタイトルが取れるかどうかがかかっていても、そこに固執しないのが大谷選手のようです。見ているところが違うのですね。
こういうところも、将棋の藤井聡太竜王と似ています。おそらく、もっと高い境地を目指しているから、タイトルとかはどうでもいいのでしょう。
「その継続の力を持ち合わせていることを前提としながら、大谷は「一種の閃きみたいなものも大事」だと話す。
「休んでいる間でも『こういうふうにやってみようかな』と閃いたりすることがあります。ノートに書くこともありますが、僕はそのままウエイトルーム、室内練習場へ行って、その閃きを試すことが多いですね」」(p.224)
大谷選手は、直観を大事にするようです。頭で考えるのではなく、思いついたら行動してみる。自分の体で試して、感覚として理解しようとするタイプのようです。
「実感できたときは、野球が面白いですしね。トレーニング自体も面白いんです。トレーニングで追い込めているときも、そこで新しいことをやってみることも面白い。知識が増えていくこともそうですし、トレーニングでやったものが成果として実感するときも、やっぱり僕にとっては面白いんです」(p.281)
やらねばならないからやるのではなく、また、できるからやるのでもない。ただ面白いからやる。だから厳しい練習でも楽しめる。それが大谷選手の生き方なのでしょう。
大谷選手は、スポーツ選手としての才能はもちろんですが、生き方に関する才能も持ち合わせているようです。
それは、生まれ持った資質というのもありますが、育ってきた環境、特に親や身近な大人からの影響も大きかった。この本を読んで、そう思いました。
同じことをすれば、誰もが大谷選手のようになれるわけではありません。しかし、彼の生き様を真似ることや、自分の生き方を考える上で参考になることは多々あるように思いました。
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