2022年01月01日
道ひらく、海わたる
私は将棋が好きで、最近は藤井聡太竜王の活躍を応援しています。将棋そのものも面白いのですが、それよりも興味があるのが藤井さんの考え方だったり生き方です。
そんな好奇心から読んだのが、先日紹介した「藤井聡太のいる時代」という本でした。どういう性格なのか、どういう育ち方をしたのかなど、私の好奇心に応えてくれる内容でした。
一方で私は、野球も好きでした。今はTVを見ないのでプロ野球のこととかよくわかりませんが、それでも野球は好きで、大谷翔平選手の活躍は知っていました。
知ってはいましたが、それほど関心を持っていませんでした。ところが、メジャーで活躍している大谷選手の情報の中に、ゴミを拾うとか誠実な態度を崩さないというようなものがあり、少し興味をいだきました。
そんな時にふと気づいたのが、大谷選手と藤井竜王は似ているのでは、ということでした。
それぞれの分野で大活躍している若者というだけではありません。謙虚で誠実という態度も似ているのです。
これは、周りによって作られたイメージではなく、ご本人の生き様が現れたものだと感じました。
それで大谷選手の考え方や育ち方などにも興味が湧いて、そういう本がないかと探しました。
この本は、そういう中で見つけたものです。副題が「素顔の大谷翔平」となっており、その期待に応えてくれる内容だったと感じました。
著者は、大谷選手を追いかけてきたスポーツライターの佐々木亨(ささき・とおる)氏です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「良くても悪くても、どんどん変えていくっていうのは良いところじゃないかなと思いますね。なんて言うんだろう……現状を守りにいかないという性格ではあるので、まあ、すごくいい状態のときでも、それを維持していこうというよりも、それを超える技術をもう一つ試してみようかなと思う。挑戦してみよかなというマインドがあるのは、得なところだと思います」(p.10)
大谷選手の自己評価です。変化を恐れない、現状に固執しないという考え方が見て取れます。
「自分がどこまでできるのか、人間としても、どこまで成長できのか楽しみです。二刀流を叶えたとき、そこには大きな価値があると思う。自分が成功すれば、同じように二刀流に挑戦する選手が続くと思いますし、いろんな可能性が広がるはずです。今はとにかく頑張って、新たな道を作れるような選手になりたいと思っています」(p.13)
プロ入り前の18歳の大谷選手の言葉です。パイオニアとして生きることを楽しんでいるようです。
花巻東高を卒業した大谷選手は、一旦はメジャー入りを決意します。しかし、日本ハムファイターズからドラフト1位指名されて、けっきょく日本のプロ野球入りを決めました。
日本ハムファイターズの栗山監督は、大谷選手と定期的に面談し、彼のメジャーへの意志を確認してきたそうです。
「翔平は本当に、お金の話を一回もしたことがなかった。彼にとっての価値観はそういうところにはないんですよね。アイツ(翔平)、やっぱり誰もやったことのないことをやりたいんだと思うんです。結果じゃなくて、それをまずやってみる。翔平は、チャレンジしてみることが嬉しくてしょうがないという価値観を持っているんです。」(p.39)
結果が残せそうだからやるのではなく、結果がどうなるかわからなくても、やることが面白そうだからやるという価値観なのですね。
前後際断ができていて、結果を得ることではなく行為に情熱を燃やす、という考え方で生きていることがわかります。
「「野球が好きだから」
それが大谷の答えだった。そして、いつも彼はまだ見ぬ自分との出会いに胸を躍らせるのだ。
「野球をやっているからには『てっぺん』を目指したいんです。すごいレベルの高いところで野球をやってみたいなと思っていたので、まずはプロ野球選手になりたいと思って、そこに近づいていったら、さらにその上でやってみたいと思う。僕はいろんなことにチャレンジしていきたいんです。」(p.50−51)
なぜプロ野球選手になりたいのかという問いに、大谷選手はこう答えたそうです。自分の可能性を極めたい、まだ見ぬ素晴らしい自分と出会いたい。こういうところも、藤井竜王と似ているなぁと思います。
「大谷翔平という人間も、どこかで「自分はできる」と感じているから言う。160キロを出したいんだ。今、メジャーへ行きたいんだと。」(p.53−54)
一見すると無鉄砲とも思える若者の「内なる声」の中に、根拠はなくても「できる」と感じていることを、日本ハムファイターズのスカウト部長は見抜いていました。
仕事柄、若者の可能性を引き出すこと、最大限の力を発揮させることを考えているので、そういうものを察知する能力にも秀でているのでしょう。
「《先入観は可能を不可能にする》
佐々木監督は言う。
「たとえば160キロの球を投げるというイメージがそもそもなければ、絶対にそこまでたどり着かないものだと思います。できると思うから、そのために頑張る。途中で蓋をしたり、限界を作ってしまっては、自分の可能性を伸ばすことができないと思います。」(p.109)
夢というものは、可能性がわずかでもあることと、その可能性を信じられる時にしか実現しないのですね。大谷選手は、結果を手放して挑戦することに情熱を燃やしてはいても、結果を捨てたわけではないのです。
子育てに関しては、割りと自由にさせていたようです。
「これといった躾みたいなものはありませんでしたよ。ごくごく普通。私たち親が『おはようございます』『お休みなさい』を言う。あるいは、自分が食べたものは自分で片づける。そんなごく当たり前の普通のことを親が率先してやれば、その姿を子供たちは見て自然とやるようになるのかなあとは思っていましたけれど、思い当たるのはそれぐらいですね」(p.71)
大谷選手の育て方として、家庭内での躾に関して父親はこう答えています。口うるさく言うのではなく、自ら率先してやって範を示すというやり方なのですね。
「翔平自身にも、怒られた記憶がほとんどない。
「お父さんから怒られたのは、グランドでの野球のときだけですね。家に帰ってからはほぼなかったと思いますよ」
家族間にある風通しの良さが深く影響したと思うが、翔平にはいわゆる思春期を迎えた中学生の頃によくある『反抗期』はなかったと、加代子さんは言う。」(p.74)
子ども部屋はあっても籠もることが少なく、みんなで居間で過ごすことが多かったそうです。テレビは1台居間にあるだけにしたのも、そういう家庭を母親が望んだからのようです。
「「いろんなことを考えながら子育てをされている方が多いと思いますが、本当に申し訳ないぐらいに、私たちは子育てに関して『こうやって育てよう』とか『絶対にこれだけはしよう』というものが特になかったんです」
ただ、子供は大好きなんです。そう言って話を続ける。
「子供はそれぞれに育ち、いつかは巣立っていくわけですが、いつになっても実家は実家。親はいくつになっても子供たちのことを大好きなんです。私たち親の『いつまでも見ているよ』『大事にしているよ』ということが伝われば、子供も家族のことを大事に思ってくれると信じてきました。」(p.95-96)
大谷選手のお母さんは、子育てに関してこう言っています。ありのままの子どもを受け入れ、信頼していることが伺えます。
「お父さんは社会人野球までプレイされた方ですが、我々の指導や起用法について何も口を挟むことなく、ただ黙って見守っている。あれだけの息子がいても決して天狗になるようなところがないんです。親の姿勢は子供が見ていますからね。大谷は、高校に入学してくる前の十五年間は親の姿勢を見て、親の言葉を受けて、親の指導を受けて育ってきているわけです。大谷の行動を見ていれば、ご両親のすばらしさがよくわかります。」(p.98)
花巻東高校の佐々木監督は、このように大谷選手の両親のことを評しています。
「今でもそうですが、親には本当に自分がやりたいように自由にやらせてもらってきました。父親には、やりたければやればいいし、やりたくなければ自己責任でという感じで接してもらいましたし、母親にも『勉強をやりなさい』と言われたことがなかったですし、たくさん支えてもらいながら、これまで自由にやらせてもらってきたと感じています」(p.99-100)
親が子を信頼し、自由にさせたからこそ、子の自主性や、自分の決断に対する責任感が育ったと言えるでしょう。
大谷選手の性格に関しては、次のような記述がありました。
「「無頓着な性格です」
母はそう言い、「プロに入ってからも、最初は服装や髪型にしても気にしている様子がなかったですよね」と言葉を足す。
自分が「これだ」と思うことに対しては一心不乱に気持ちを込める。スイッチのオンとオフをうまく使い分けながら。ただ、感性に触れないものに関しては、どことなく他人事。無頓着さが表れてしまう。子供の頃からそうだったという。」(p.78)
興味があるかどうかでエネルギーの注ぎ方に雲泥の差がある性格のようです。
「「知らないところでやるときはワクワクしますね。プロ野球の世界に入るときもそうでした。もっともっと自分よりすごい選手がいるんだろうなと思って、ワクワクしたのを覚えています。経験のないこと、知らない場所というのは、実際にやってみないとわからないものがたくさんありますし、その場所に行ってみないと自分の実力がわからないものだと思います。」(p.101-102)
大谷選手は、失敗を恐れていないと言うか、結果を心配していないことがわかります。やってみることが楽しくて、そこだけを見ているようです。
「これまで多くの媒体が紹介して今ではすっかりと馴染み深いものになったかもしれないが、『目標設定シート』とも呼ばれるそれは、選手たちが入学後すぐに書くものだ。正方形の枠を大きく九つに分け、その一マスをさらに九分割した用紙には、目標や、その目標を達成するために必要とされる要素が細かく記されている。それは実際に一般企業が取り入れている人材育成のシステムやビジネス書を参考に佐々木監督が作り出したものだ。」(p.129-130)
大谷選手の目標設定シートの中心には、ドラフト1位で8球団から指名されることが書かれていたそうです。そのために必要な要素には、「キレ」「コントロール」などの野球技術の要素の他に、「人間性」や「運」ということも書かれていたとか。
「本人の野球人生においては、あそこで怪我をしたことがその後の未来を変えたと言ってもいいかもしれません。ピッチャーを意識するなかで、二〇一二年のセンバツ大会前のバッティングを見たときは『こんなに打球が飛ぶのか』と思うぐらい、果てしなくボールを飛ばしていた。あの期間の練習というのは『バッター・大谷翔平』の基礎をつくるには大事な期間だったと思います」(p.150)
高校生という成長期は、怪我をしやすい時期でもある。慎重に体作りをやっていた大谷選手でしたが、それでも怪我によって投げられない時期がありました。
しかし、そういうことも不運として捉えるのではなく、幸運として捉えて前向きにやってきたのですね。その結果、二刀流の花が咲くことになったのです。
「目指すべき道、すなわち、自分をさらに高めてくれる道。
大谷にとってのそれは、プロの世界で投手として打者として、ともに技術を高めて互いの最高のパフォーマンスを見せる「二刀流」の道だった。」(p.198)
「そこばかりに固執しているわけではないですけど、他人と違うことをやったときに、どういう結果になるのか、そんな自分自身に対する興味が、あの当時は大きかった。いまでもそうですけど、どうなるのかという不安よりも興味のほうが勝っていたと思います」(p.218)
「両方をやることに対して、自分の気持ちがブレることはなかったですね。もともとがあまり周りを気にしない性格というのもあるんですが、どれが正解ということもないですし、たとえ両方をやることが失敗だったとしても、自分にプラスになると思っていました。」(p.219)
高校卒業後、最終的に大谷選手は、ファイターズ入りを決めます。その決め手が、二刀流でやらせてもらえるということだったようです。
メジャーは、日本のプロ野球よりも高レベルな世界かもしれないけれど、二刀流でやらせてもらえる可能性は低い。そうであれば、日本のプロ野球で二刀流の実績を残し、最初から二刀流でメジャーを目指した方が良い。そう考えたのですね。
パイオニアでありたいと願う大谷選手にとって、二刀流でやらせてもらえる日本のプロ野球は、とても魅力的に見えてきたのでしょう。
しかし、テレビの解説者など世間の風は厳しかったようです。無理だとか、プロ野球をバカにするなとか、いろいろ聞こえてきました。
けれども大谷選手は、そういう批判の声さえ立ち向かう原動力に変えて、実績を築いたのです。
「大谷はマイペースというか、いい意味で『計算をしていない』ところがあると思います。たとえばゴールが決まっていて、そこにいくために一番効率の良い答えや方法を求めようとしていない感覚みたいなものがある。もちろん野球の技術などはそういう考え方かもしれないですけど、彼の生き方として、計算して物事を判断するのではなくて何か湧き出てくるものに従って行こうという、すごく自然な生き方をしていると思います。何かをしたいと思えば自分の湧き出る思いに従ってするし、したくないと思ったらしない。寝たいと思えば休日は寝ている。自分の本能に従って生きている感じはします。」(p.208−209)
防御率のタイトルが取れるかどうかがかかっていても、そこに固執しないのが大谷選手のようです。見ているところが違うのですね。
こういうところも、将棋の藤井聡太竜王と似ています。おそらく、もっと高い境地を目指しているから、タイトルとかはどうでもいいのでしょう。
「その継続の力を持ち合わせていることを前提としながら、大谷は「一種の閃きみたいなものも大事」だと話す。
「休んでいる間でも『こういうふうにやってみようかな』と閃いたりすることがあります。ノートに書くこともありますが、僕はそのままウエイトルーム、室内練習場へ行って、その閃きを試すことが多いですね」」(p.224)
大谷選手は、直観を大事にするようです。頭で考えるのではなく、思いついたら行動してみる。自分の体で試して、感覚として理解しようとするタイプのようです。
「実感できたときは、野球が面白いですしね。トレーニング自体も面白いんです。トレーニングで追い込めているときも、そこで新しいことをやってみることも面白い。知識が増えていくこともそうですし、トレーニングでやったものが成果として実感するときも、やっぱり僕にとっては面白いんです」(p.281)
やらねばならないからやるのではなく、また、できるからやるのでもない。ただ面白いからやる。だから厳しい練習でも楽しめる。それが大谷選手の生き方なのでしょう。
大谷選手は、スポーツ選手としての才能はもちろんですが、生き方に関する才能も持ち合わせているようです。
それは、生まれ持った資質というのもありますが、育ってきた環境、特に親や身近な大人からの影響も大きかった。この本を読んで、そう思いました。
同じことをすれば、誰もが大谷選手のようになれるわけではありません。しかし、彼の生き様を真似ることや、自分の生き方を考える上で参考になることは多々あるように思いました。
2022年01月08日
大谷翔平86のメッセージ
前回紹介した「道ひらく、海わたる」と同様に、大谷翔平選手のことを知りたくて買った本です。著者は追手門学院大学客員教授の児玉光雄(こだま・みつお)氏です。
後で気づいたのですが、これは三笠書房の知的生き方文庫になります。この文庫は、生き方についてのノウハウを提供するもので、私も若いころはたくさん読みました。安価な値段で有益な情報が得られるので、好んで読んでいたのです。
最近は、こういうハウツーものをあまり読まなくなったこともあり、しばらく読んでいませんでした。久しぶりに読んでみて、なるほど知的生き方文庫らしい作りだなぁと感じましたよ。良い意味でも悪い意味でもね。
この本は、タイトルにもあるように86のメッセージを紐解きつつ紹介する形になっています。1つのメッセージは見開き2ページで完結しており、右側には大谷選手の発言など、関連する言葉が大きく書かれています。
こういうスタイルのため、非常に読みやすいです。しかし、逆に言えば底が浅くなりがちです。そういう部分は、関連する2つ3つのメッセージに分けて連続させることで、深みをもたせようとしているようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「野球を始めた小学3年生のときから、
自信を持って「プロ野球選手になる」と言い続けてきた。
そして、一度として
プロ野球選手になれないんじゃないかと思ったことはなかった。」(p.10)
「なれたらいいな」じゃなく「なれる」と断定し、そういう自分を信じよう、というのが最初のメッセージです。
たしかにそうかもしれませんが、多くの人はそう簡単には思えません。あとで、アファメーションによって自己洗脳する方法が出てきますが、大谷選手は、そういうことをして自信が持てたのではなく、最初から何もなくても自信があったのです。
それは「できる」という結果への確信ではなく、「やる」という行為への確信です。そのことは、この前紹介した本から読み取れますが、そう言ってしまうと、大谷選手だからできたのだということで終わってしまい、読者へのメッセージにならないということなのでしょう。
「私たちの能力の限界を決めているのは、私たち自身。
私たちの多くが、自分には、特別な才能はないと思い込んでしまっている。しかしそれは、単なる先入観だ。その先入観があなたから夢を遠ざけている。才能があるかないか、できるかできないかは、やってみなければわからない。まず「自分の才能は無限だ!」というメッセージを何度も自分に言い聞かせて、自分の脳のプログラムを書き換えよう。「自分には無理だ」という先入観を徹底的に削除しよう。これこそ最強の成功法則だ。」(p.39)
たしかに、挑戦することなく諦めてしまっては、できるものもできないでしょう。なので、まずはとことんやってみるという姿勢は大事です。
しかしだからと言って、やれば必ずできるわけではありません。誰もが大谷選手になれるわけではないのです。
実際、大谷選手とて170km/hの球を投げられるとか、200km/hもいけるなどと言ってはいません。投げられないとも言ってはいませんが、投げようとはしていないのです。
ものごとには、今、それに挑戦することが必要か、自分らしいことか、というような観点があります。その上で挑戦したいと思った時は、勝手に限界を作らないことが大事だと思うのです。
「大谷は、あるとき自分の性格について「僕はマイナス思考なんです」と語っている。本人は、自分のことをマイナス思考だととらえているが、実は、うまくいかないときも、しっかりと現実を直視して、改善のための行動を起こせる人は、真の楽観主義者だ。大谷のような真の楽観主義者は、「うまくいかないことから目をそらさない」という思考パターンを持ち合わせている。だから逆境耐性が高い。」(p.55)
いくら本人が「自分はマイナス思考だ」と言おうと、それを真に受けてはいけませんね。言葉の定義は人それぞれですから。
いくらマイナス面に目を向けてしまう性格だとしても、そこで萎縮したり諦めたりするのでなければ、その性格は自分を拡大させるのに役立つでしょう。
逆に、虎の威を借る狐のように虚勢を張るだけなのは、本当の意味での楽観主義とは言えないでしょうね。内心は不安でビクビクしているのに、それを見透かされるのが怖くて表面を取り繕っているだけ。わざと楽観主義のふりをしているだけですから。
「楽観主義者とは、常に物事の好ましい要素とそうでない要素を、明確に客観視して、それをありのままに受け入れ、冷静に判断したうえで行動できる人のことをいう。
どんな逆境に見舞われても、楽観主義者は自信を失わず、モチベーションを高めてことに当たれる。だから大谷は実力を発揮できるのだ。」(p.147)
ネガティブな現実を見て、不安(怖れ)が湧いてくるならマイナス思考なのです。不安(怖れ)ではなく、大丈夫だという安心感をベースに、挑戦できる喜びが湧いてくるならプラス思考なのです。
「野球が頭から離れることはないです。
オフに入っても常に練習していますもん。
休みたいとも思いません。
ダルビッシュさんからアドバイスをもらったりしますが、
一人でああだこうだ考えながらトレーニングすることが好きで、
それまでできなかったことができるようになるのが楽しいんです。」(p.64)
結果を怖れていないし、他人の評価を気にしていないことがわかりますね。ただ自分がやりたいからやる、楽しいからやる、という姿勢です。
「ストイックというのは、練習が好きではないというか、
仕方なく自分に課しているイメージ。
そうではなくて、僕は単純に練習が好きなんです。」(p.66)
論語にある言葉が思い出されます。「これを知る者はこれを好む者に如(し)かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如(し)かず。」
大谷選手は、意識してこういう考え方、生き方ができるようになったのではなく、生まれながらそうだったのです。そこが大谷選手の素晴らしいところだと思います。
しかし、私たちはこのメッセージを受けて、自分もこういう生き方をしようと望むことはできます。天然の大谷選手のようにはなれないとしても、今の自分より一段高いレベルに進むことはできると思います。
「彼の目は、「相手のすごいところ」にいく。相手の最も得意なところをめがけて自分の力がどれだけ通じるか、まっこう勝負を挑むこともある。これを許した栗山英樹という監督に恵まれた大谷は幸せ者である。ベストな状態の相手に勝てれば文句なしの自信が持てるし、自分のレベルが上がるからだ。目先の勝負に勝つためには弱点の研究も必要かもしれないが、非凡な成長を遂げたいなら、長所を伸ばすことに重きを置こう。」(p.77)
大谷選手の関心事は、相手の弱点を突くことではなく、より自分を成長させることでした。つまり、勝負という結果にこだわってはいないのです。
目の前の勝負よりも、そうすることで自分がより高みに上れるかどうか、ということに関心があったのですね。
ただ、ここのメッセージは「弱点を補っても、非凡な成長にはつながらない。」とあって、ややピントがずれているようにも感じます。見開き2ページに収めるという編集の制約もあってか、こういうところに無理くり感を感じてしまいます。
「どうしてできないんだろうと考えることはあっても、
これは無理、絶対にできないといった限界を感じたことは
一度もありません。
今は難しくても、そのうち乗り越えられる、
もっともっとよくなるという確信がありました。
そのための練習は楽しかったですよ。」(p.132)
こういうところにも、生まれ持った大谷選手の素晴らしさが表れています。最初から、限界を感じていないのですから。
「特に幕末が好きですね。
日本が近代的に変わっていくための新しい取り組みが多くて、
歴史的に見ても大きく変わる時代。
革命や維新というものに惹かれるんです。」(p.160)
「大谷は高校1年生のときに「目標達成シート」を作成している。
彼が定めた目標は、「8球団からドラフト1位で指名される」だ。そしてそれを実現するための行動目標として、「メンタル」や「スピード」「キレ」「体づくり」など、8つのテーマを設けているが、そのうちの一つに、大谷は「運」と記している。
そしてその運を引き寄せる具体策として、「ゴミ拾い」「部屋そうじ」「あいさつ」「審判さんへの態度」「道具を大切に扱う」「プラス思考」「応援される人間になる」「本を読む」といった要素を挙げている。」(p.177)
大谷選手には、生まれ持った素晴らしい性格や考え方があったと思います。しかしそれだけではなく、自分でも意識してそういう面を高めようとしてきたことが伺えます。
おそらく大谷選手は、子どもの頃から読書に親しんでいたのでしょう。そうでなければ、「運」を高めるのにこういった要素は出てこないでしょうから。
大谷選手が、読書を通じて学んだものはたくさんあると思います。けれどもその前提として、もともと変化を恐れることのない性格があり、より高みに上っていくことにワクワクする性格があったのでしょう。
「(二刀流の)取り組みに否定的な人たちの考えを
変えたいとも思わない。
人の考えは変えられないので。
自分が面白ければいいかな。
もちろん、チームために徹するし、優勝も目指すけど、
それも自分のやりたいことの一つです。
誰かに評価してもらうために、というのはありません。」(p.196)
王貞治氏をはじめ、往年の名選手が二刀流に反対していました。イチロー選手も、ダルビッシュ投手も否定的でした。けれども大谷選手は、そういう評価に耳を貸さず、自らを信じたのです。
他人は他人という割り切りができていること、自分は自分に正直になること、「楽しい」を動機にすることなど、大谷選手の素晴らしさが見えてくる発言です。
途中でも書きましたが、大谷選手の発言などを取り上げてメッセージとして示していますが、無理くり感があると感じることが多々ありました。
ただ、そういう面があることは仕方ないとしても、こういう読みやすい形で自分の生き方に役立つメッセージが得られる、とも言えます。
けっきょくは、読み手がいかに自分に役立てるかですからね。
私は、やはり大谷選手には天然の素晴らしさがあるということと、そういう大谷選手も普段から自分を磨くことをやっている、という2つのことがわかる本だと思いました。
2022年01月16日
人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方
久しぶりにひすいこたろうさんの本を読みました。本当は、最新の本を予約して買おうと思っていたのですが、オススメに出てきたものを選んで買ってみました。これが大正解! 非常に素晴らしい本でした。
読み終えたあと、「小林正観さんを超えた!」と思いました。ひすいさんは、正観さんの講演を聞いて、見方を変えることの重要性を認識された方ですからね。ある意味で「師を超えた」とも言えるのです。
読みながら、いったい何度、感極まって泣いたことでしょう。話のほとんどは知っている内容です。けれども、ひすいさん独自の切り口で視点を示してくれる内容で、新たな感動があったのです。
もう超絶オススメで、引用したい部分も多々あって、この記事を書くのにどれだけ時間がかかるのだろう、と心配するほどです。でも、それくらい素晴らしいと私が思っていることを、ぜひ知っていただければと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
まず「プロローグ」で、よく使われる話を持ち出しています。壺の中に石をいっぱいに入れて、「これでもう満杯か?」と尋ねるという話です。
ご存知だとは思いますが、「満杯だ」と答えると、そこにさらに砂利を入れていきます。さらに「満杯か?」と尋ね、同様に砂を入れ、最後に水を入れるというもの。つまり、一見すると満杯のように見えても隙間があり、その隙間を埋められるものであれば、後から入れられるのです。
では、この逸話の真意は何なのか?
「ひとりの学生が、「どんなに満杯に見えても、努力をすれば、まだまだ詰め込むことができるということですか」と答えると、教授は「そうではない」と。
さて、教授の真意はなんだったのか……。
「先に大きな石を入れないと、
それが入る余地は、そのあと二度とないということだ。
この壺は人生そのものを示している。
では私たちの人生にとって、大きな石とはなんだろう?」(p.13−14)
人生にとってもっとも大事なもの、いちばん大切なものを、まっさきに壺の中に入れる、つまりそれに取り組むことが重要だということです。
「「一番大事なものに
一番大事ないのちをかける」
これは、詩人の相田みつをさんの言葉ですが、
一番大切なものを、一番大切にしながら生きる。
それが人生最後の日に、後悔なく死ねる、
たったひとつの生き方です。」(p.14−15)
これが本書の結論です。自分にとって一番大事なものは何かを明確にし、そこに自分の命を懸けること。それが「一所懸命」なのですね。
「大きな石が決まっている人は、
やらなければいけないことに追われる人生ではなく、
やる価値のあることを追いかける人生を送れます。」(p.16)
命とは時間であり、時間の奴隷として振り回されて忙しく生きるなら、それは命を大切に扱ったことにはならない。そうひすいさんは言います。
「つまり、「生きる理由」が明確になっているかどうかが、幸せか否かをわける最重要の要素なのです。」(p.18)
全米心理学会の元会長マチーン・セリグマン氏が説く「幸せ」の3つの要素を紹介し、もっとも重要なのは「生きる意味」、つまり自分の命を懸けられる大事なものだと示します。
では、その「生きる理由」、「自分は何のために生きるのか?」の答えはどうやって見いだせるのか?
ひすいさんは、そのために5つの物語を用意したと言います。それが続く5人の「サムライ」たちの生き様なのです。
その5人とは、吉田松陰、高杉晋作、野村望東尼、ジョン万次郎、坂本龍馬です。
ちょっと違和感を感じませんか? 吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬はわかるとしても、ジョン万次郎は武士ではないし、野村望東尼は女性です。
「「サムライ」の語源は「さぶらふ」という動詞です。
「さぶらふ」とは、「大切なものを守る」という意味です。
自分の命を超えて大切にしたいものを見出し、そこに生きる理由を見出した5人。
その意味において、この5人を「サムライ」と表現させてもらいました。」(p.20)
私は、野村望東尼を除いた4人の人生については、他の本などである程度は知っています。なので、野村望東尼には興味を持って、以下の物語を読み進めました。
しかし、知っていると思ったのは、私の思い込みでした。いや、実際は知っていることなのですが、ひすいさんの視点で眺めてみると、「こういう見方があるのか」と驚かされ、その生き様に感動させられたのです。
最初の吉田松陰の話から、もう涙ボロボロです。
まず最初は、吉田松陰の生き様です。
私は、松下村塾のある山口県萩市にほど近い島根県の出身です。松下村塾も何回か観光しました。
そして、縁あって国士舘大学に入学しています。世田谷にある本校の隣には、松陰神社が建っています。日本を護る国士を排出することを目的に創られた国士舘大学。当然、多数の国士を排出した松下村塾にあやかりたいと思ったことでしょう。
私は通学する時、必ず松陰神社に立ち寄って、松陰の墓にお参りしてから大学へ行きました。処刑された松陰が眠る墓。そこで独り静かに松陰と語らいたかったのです。私は遠く及ばないかも知れないけれど、あなたのように生きてみたいと。
「松陰は手紙に、このときの自分のことを「飛ぶが如し」と表現し、こう語っています。
「自分の心がそうせよと叫ぶなら、ひるむことなくすぐに従うべきだ」」(p.34)
黒船に乗り込もうとした松陰の思いです。直感に従う。できるかどうかではなく、やるかどうかだ。
情熱の塊のような松陰の性格がよく表れています。
「松陰は、兄にこの日の気持ちを、手紙でこう告げています。
「海外渡航の禁は、徳川一世のことにすぎない。今回のことは、三千年の日本の運命に関係する以上、この禁に、思い患うことなんてできなかった」(『兄梅太郎との往復書簡』)」(p.37)
規則は守るべきだ、という考え方がありますが、私は必ずしもそうとは思いません。守らないことでより大事なことが為せるなら、守らないという決断もあると思うからです。
けっきょく、海外渡航は失敗に終わります。日本との交渉を進めていたペリーは、幕府の意向を重んじたのです。ただ、松陰たちのアメリカを知りたいという気持ちも理解していたので、減刑を依頼したと言われます。
逮捕された松陰と重之輔は、江戸伝馬町の獄に送られる途中、高輪泉岳寺前で止めてもらい、眠っている赤穂浪士を拝みました。そして松陰は有名な歌を詠んだのです。
「「かくすれば かくなるものと知りながら やむにやまれぬ大和魂」
(こんなことをすれば、僕は捕らわれ、命を落としてしまうことだってあるとわかっている。しかし、この国を守りたいという大和魂は、やむにやまれないのだ)
自分以上に大切にしたいものがある。
それが大和魂です。」(p.45)
松陰たちは極刑を免れ、故郷にある野山獄と岩倉獄にそれぞれ投獄されることになりました。
しかし、過酷な環境の獄生活に耐えられず、金子重之輔は2ヶ月足らずで病死します。享年25歳。最初の弟子を死なせてしまったことで、松陰はひどく嘆き悲しんだそうです。
彼が死に、自分は生き残った。重之輔の死は、松陰に生きる意味を問わせるきっかけとなりました。
「どんなに嘆いても過去を変えることはできない。
しかし、未来なら変えることができる、と。」(p.48)
悲しみの果てに松陰がたどり着いたのは、その経験を未来に生かすことでした。無駄死にはさせない。その固い決意が、それ以降の松陰を支えていくのです。
とは言え、一生出られないとされている野山獄の中です。そこで生きるしかありません。松陰は腐ることなく読書を始め、他の囚人たちに影響を与えていきます。
「たしかに、僕らはもう二度と太陽は見られないかもしれない。
でも、死のうが死ぬまいが、学ぶしかない。
知って死ぬのと、知らずに死ぬのは違うんだ!
そこに人としての喜びがある、と。」(p.51)
できないことを嘆いて何もやらずにいるとすれば、それは命の無駄遣い。今できることをやる。
「牢獄のなかでは、行動は自由にできませんが心は自由です。
獄なら獄で、できることをすればいい。
僕らが生きる真の目的は自らの内側(魂)に変容をもたらすことです。
だから、そこがどこだろうが、何をしていようが、本当は外側の状況は関係ないのです。」(p.51)
ひすいさんは、いつからスピリチュアリストになったのでしょうか?(笑)
しかし、私もそうだと思います。置かれた環境とか条件がどうかではなく、今、自分がどう生きるかだけが重要なのだと思います。
こうした獄中の態度もあって出獄した松陰は、いよいよ松下村塾を開くことになります。
月謝は無料。身分が低かったり、経済的に苦しい家庭の子どもが通ってきました。
そこで松陰は最初に、「なんのために学ぶのか?」と学ぶ理由を問うたのだそうです。
「松陰は「なんのために学ぶのか?」を突きつけて、ひとりひとりに
「立志」(生きる理由)
ココロザシを立てさせたのです。
「何を目指すのか」よりも、もっと大事なのは、
「なぜ目指すのか」
なんのためにそれをやるのか?
なんのために生きるのか?
つまり、「生きる理由」です。
それはそのまま、人生を「あきらめない理由」となります。」(p.54−55)
おそらく松陰は、塾生たちに問うことによって、自分自身にも日々問うていたのだろうと思います。
松下村塾では、先生も生徒もなく対等でした。すべてが学ぶ友。だから互いにさん付けで呼びあったそうです。これは当時、画期的なことでした。
「私のことを「僕」、あなたのことを「君」と呼び出したのも、実は吉田松陰が最初です。本来、漢文では僕とは「しもべ」のこと、君とは「主君」のこと。どんな相手だろうが、自分を下において、相手を主君として立てて付き合うために呼び名を開発したのです。」(p.58)
このことはまったく知りませんでした。「僕」「君」という呼び方は、松陰が考え出したものだったのですね。
松陰がこのように上下の区別をなくして対等に扱うという考えに至ったのは、野山獄でのある女性との出会いがきっかけだと言われます。それが高須久子。松陰よりひと回り上の女性です。
久子は、被差別部落民の演奏家を家に呼んでいたことが問題視され、投獄されていました。身分に関係なく平等に接する。それだけで当時は、投獄されるほどの罪だったのです。
「わずか2年ほどしか存続しなかった、吉田松陰の田舎の小さな松下村塾から、革命家・久坂玄瑞、高杉晋作を生み出し、伊藤博文、山縣有朋という、ふたりの内閣総理大臣まで排出しています。
田舎の小さな塾から総理大臣をふたりも出したら、その塾はなんなんだとなりますよね?
そんな伝説の塾が松下村塾なのです。」(p.62)
それ以外にも大臣や学長などを多数排出しています。
「小さな田舎塾から、目が眩むほどキラ星のごとく偉人を排出しています。
しかも、塾のリーダー格の人間は明治維新前に、ほとんど戦士しているにもかかわらずです。」(p.62)
「いうなれば、萩市3丁目の皆さまが日本を変えてしまったのです。
3丁目っていうのはたとえですけどね。
すべての人に「真骨頂」がある。
松陰が心からそう信じていたから、3丁目の住人が続々、偉人になっていったのです。」(p.63)
松下村塾に通ったのは、歩いて通える範囲の身分の低いご近所さんたち。その人たちによって新生日本が創られたということです。
続いては高杉晋作の生き様です。
高杉晋作は、松下村塾の四天王の1人と言われています。残りの3人が次々と死んでいく中、晋作だけが生き残り、松陰の期待がかかります。
しかし、松下村塾としては珍しく名家の息子であり、お家を大事にする責務を感じていた晋作は、容易には松陰のように命を投げ出して生きることができませんでした。
そんな時、晋作は上海へ派遣され、その実情を目の当たりにすることになります。
「日本の教養人たちにとって清(中国)は憧れの国でした。漢字や儒教、たくさんの文化の恩恵を受けていたからです。その大国である清が、イギリスはじめ欧米列強に、貿易の主導権を握られて、外国人たちに奴隷のようにこき使われていたのです。」(p.92)
ステッキで殴打されたり、イギリス人しか渡れない橋があるなど、対等に扱われない清の人々。それを晋作は見ることになりました。
当時の日本は、長州藩もそうですが、「攘夷」という外国人を追い出せという考え方がありました。しかし、欧米の実力を知っている勝海舟など、それは無謀だということがわかる人もいました。晋作も、その1人になったのです。
「しかし晋作は、中国の惨状を見て、これまで自分を守ってくれた家柄という絶対的な誇りを断ちきり、家を捨て、禄を捨てると決めたのです。
このときの晋作の気持ちをあらわした一句があります。
「親も妻も 遺して独り 伊勢詣り」」(p.95)
何か新たなことを始めようとすれば、これまでの何かを捨てる必要がある。晋作は、家族や家を捨てたのです。
しかし、そう簡単には変わらないのが人というもの。これもまた、高杉晋作の愛すべき一面ですね。
「何者でもなくなった晋作は、まずは水戸出身の儒学者・加藤桜老のもとを訪ねています。すると、「あなたのような藩に大事にされている人が自分から藩を飛び出すなんて、とんでもない心得違いだ」とたしなめれれ、急に自責の念にかられ反省し、なんと晋作は藩邸にすごすごと引き返しています。」(p.95)
こういう晋作の優柔不断な部分を紹介する本って、滅多にありませんよね。私も知りませんでした。それだけに、晋作の魅力を感じます。
その後、脱藩を決行した晋作でしたが、あっさりと捕まってしまいます。そして投獄されたのが野山獄。そこで奇しくも松陰が過ごした部屋で、晋作は松陰の心と向き合うことになります。
「晋作は、松陰の言葉を獄舎の壁に書いて毎日眺めていました。晋作は知らなかったようですが、くしくもそこは野山獄・北局第二舎。10年近い歳月をはさみ、かつては師匠の松陰が同じように読書をしていたまさに同じ牢で、晋作は改めて松陰のココロザシと向き合っていたのです。」(p.99-100)
優柔不断だった晋作が、これ以降は急に精彩を放つようになります。まるで松陰の霊が乗り移ったかのようです。
長州藩は、改革派が粛清されていき、幕府への恭順派が権力を握るようになっていきます。しかしそれでは、日本の未来を潰してしまうことになる。
そこにたった1人で立ち向かうことを決意した男、それが高杉晋作でした。功山寺挙兵。この歴史の転換点とも言える奇跡は、松陰が乗り移った晋作によって始まったのです。
「しかし晋作は、もう覚悟が決まっていました。
幕府軍が15万人いようが、ひとりでもやる!
もう、これは狂ったとしかいえません。
しかし、これぞ吉田松陰から受け継いだ狂気の精神です。
常識では時代は動かない。
突破すべき一点に向けて狂う。
いまこそ狂うときだ。」(p.108−109)
狂うとは、現実を現実と見ないこと。結果を気にしないこと。ただやるべきことにのみ情熱を注ぐこと。
ドン・キホーテ。ラ・マンチャの男の生き方とは、まさにそうではないでしょうか。他人からすれば、常識のないバカ。でも、そのバカが歴史を動かすのです。
「やる気のない2千人より、
たったひとりの心意気が勝ったのです。
未来は、覚悟ができた、たったひとりの人間が切り拓くのです。」(p.122)
この功山寺挙兵にまっさきに駆けつけたのは、晋作のパシリだった伊藤俊輔。後の伊藤博文です。
伊藤博文は、自分の人生で唯一誇れるのは、一番に高杉のもとに駆けつけたことだと言っています。明治を創った首相は、高杉晋作によって育てられたとも言えるのです。
しかし、どんなに晋作が有能だったとしても、1人の力でできることはたかが知れています。そこには協力者が必要です。
面白いことに、時代は協力者を用意してくれているのです。その名は坂本龍馬。長州藩の危機を救い、日本をあげての改革を推し進めた男。薩長同盟が徳川幕府に引導を渡したことは、もう誰もが知っていることでしょう。
晋作と龍馬も、出会って意気投合しています。
「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ 大和魂」という師、吉田松陰の歌を詠んだ晋作に対し、龍馬はこう返したと伝わっているそうです。
「「かくすれば かくなるものと 我も知る なおやむべきか 大和魂」
(こんなことをすれば命がいくつあっても足りないことは私にもわかる。しかし、それでも大和魂は貫き通さずにはいられない。)」(p.130−131)
英雄は英雄を知る。龍馬には、晋作の気持ちが痛いほどわかったし、自分も同じ思いだよと伝えたかったのでしょう。
薩長同盟が成立し、長州征伐の幕府軍を晋作の騎兵隊が蹴散らしました。絶対に刃向かえない相手と信じられていた幕府が、「いや、けっこう倒せるのかも。」と多くの人に思われるようになった瞬間です。
大きく歴史が動き、幕藩体制の崩壊が始まりました。役目を終えた高杉晋作は、結核で亡くなるのです。享年29歳。
「看取り士という仕事があります。亡くなっていく方が幸せな最期を迎えられるように寄り添う仕事です。たくさんの死に立ち会ってきた、ある看取り士の方が、一例だけ、家族みんなを幸せにした死を見たというのです。普通、死はまわりの人を悲しませます。しかし、そのおじいちゃんの死はみんなを笑顔にしたというのです。亡くなる直前にガッツポーズして「やりきった」といって亡くなったのだそうです。そうなのです。自分の人生をやりきれば、死でさえもみんなをハッピーにできるのです。」(p.134)
これはおそらく、柴田久美子さんのことでしょう。「この国で死ぬということ」だったか「私は、看取り士。」だったか忘れましたが、そういうエピソードがありましたね。
高杉晋作も、やるだけのことはやった、これで松陰先生に顔向けできると思いながら、亡くなっていったのではないかと思います。
3人目は野村望東尼(のむらぼうとうに)です。女性なのに「サムライ」。
実は私もよく知りませんでした。知っていたのは、逃亡中の高杉晋作をかくまったこととか、亡くなる前の晋作の看病をしていて、晋作の辞世の句の下の句の作者だというようなことだけでした。
望東尼は、尼になる前に結婚して子どもをもうけています。しかし、生まれるとすぐに死んでしまう。そんなことが何度も繰り返されたのです。
「生老病死。そもそも生きるって切ないことです。
生まれた瞬間から、死は運命づけられていて、死へのカウントダウンは始まっています。
生まれてくること、老いること、病になること、死ぬこと、どれひとつとってみても、自分の思い通りにいくものなどありません。ひとりで生まれ、死ぬときもひとりで死んでいくのが人間です。
そして、人生最後の日には、得たものをすべて失う。
それが人生のゴールなんです。
変わっていくことを恐れていたら、不幸はどこまでもつきまとう。だから、避けることのできない悲しみを、避けようと思わないこと。ありのままを、ありのままに受け止めることから始める。」(p.148−149)
尼になり、座禅を組む日々の望東尼は、徐々に悟っていきます。
「そうか。どんなことが起きたって、心は私次第なんだ。
状況が心を決めるのではない。
自分の心は自分が決められるのだ。」(p.149)
現実に振り回されてきた自分の人生を振り返って、いかに心のありようが大切かがわかったのです。
「これからは本心にそって自由に生きよう……。
これまでは病身のため迷惑をかけないようにと、いつも周囲の目を気にするように生きてきた。女だからと自分を閉じ込めてきた。でも、これからは、心のままに楽しいことをやろう。」(p.150)
自分を制限していたのは、実は自分だったということにも気づいたのですね。
「高杉晋作の辞世の句といわれる
「おもしろき こともなき世を おもしろく……」
これは、「おもしろくもなんともない世の中を、おもしろく生きていくために、あなたならどう考える?」と晋作から望東尼への問いが上の句になっています。これを受けて、下の句を望東尼はこう結んだのです。
「すみなすものは 心なりけり」
おもしろく生きられるかどうかは、現実が決めるのではない。心が決めるのだ、と。」(p.169−170)
幸せ実践塾の幸せの公式として使わせていただいている相田みつをさんの詩も、まさにそのことを言っています。幸せはいつも、自分の心が決めるのです。
4人目はジョン万次郎です。
ひょんなことからアメリカに渡ってしまった万次郎ですが、それが日本のために大いに役立つことになりました。
これはある意味で、望まなかった運命とも言えますが、そうなるにはそうなるだけの理由があったのですね。
漁船が無人島に漂着し、それをアメリカの捕鯨船に発見されたことで九死に一生を得た万次郎たち。しかし、国交がないため、帰国することができませんでした。
他の船員たちはハワイにとどまったのに対し、万次郎はアメリカを見てみたいという好奇心もあり、船長に従ってアメリカへ渡ります。そこで船長の養子となり、教育を受けることになったのです。
自由の国アメリカでしたが、一方で人種差別もありました。白人でない万次郎は、他の人々から差別を受けます。
アメリカではキリスト教の教会が生活の中心にありましたが、そこでの差別を受けたことを機に、船長は万次郎のために、通う教会を変えているのです。
「アメリカ人が異国の少年のために教会を変えるなどよほどのこと。船長は万次郎を受け入れてくれる教会を探して、いくつもの教会をまわってくれました。申し訳なく思った万次郎は、その旨を伝えると船長はこういったのです。
「約束したはずだ。ジョンマン、私は君を育てると」」(p.187−188)
たとえ反対があろうと、思い通りにならなかろうと、育てるという意思は変わらない。なぜなら、自分がそう決めたのだから。
船長は、愛が何かがよくわかっていたのでしょう。愛は無条件です。条件次第で変わるものではなく、自分が愛すると決めたから愛するのです。
愛することが自分らしいから、そういう自分でありたいから愛する。相手がどうかとか、状況がどうかとか、まったく関係がないのです。
「革命が起きるとき、そこには”3つの者”が必要になるといわれています。
それが
・若者
・馬鹿者
・よそ者
この3者です。
この3者は、見事に明治維新にも当てはまります。幕末の志士たちは、若者が中心です。また、吉田松陰は馬鹿正直過ぎて命を落としていますし、坂本龍馬だって、先生があきれて塾をクビにするくらいでしたから、文字通り馬鹿者だったといっていいでしょう。では最後のよそ者に当たるのは誰か? それが万次郎でした。」(p.200)
時代を変えるのは若者だということは、私も感じています。そして、ドン・キホーテのような馬鹿者、命を惜しまない山岡鉄舟のような馬鹿者が、時代を変えるのです。
よそ者というのは、異なる常識を持っている人のこと。つまり、これまでの常識を覆してくれるからですね。
そしていよいよ最後の5人目、坂本龍馬です。
「ゆったり、優しく、まあるく、弱い者の立場で考える。
生涯にわたって、龍馬はそのように考えました。後に、老子からとった『自然堂(じねんどう)』という号を龍馬が名乗っていたことからも、龍馬は老子の考えが好きだったことがわかります。」(p.212)
対立の火花が散る幕末において、龍馬の行動は異色です。融和させ、どちらもが立つように仕向ける。
大政奉還によって徳川の存続を図りながら、長州を潰させないために薩摩と手を結ばせる。
龍馬の心には、悲しむ人が1人もいてほしくないという強い思いがあったようです。これも、子どもの頃にいじめられっ子だった経験が下地にあるのかもしれません。
「幕末から明治期に、500もの会社の立ち上げにかかわった渋沢栄一が掲げた「士魂商才」の先駆けといっていい存在が龍馬だったのです。
士魂商才とは、「サムライの魂」と「商売のセンス」を併せ持つ者をいいます。」(p.235)
坂本家は武家でもありますが、商売もやっていました。ですから龍馬にも商人の血が流れていたのでしょう。
薩長同盟が成立したのも、龍馬という商売に長けた存在があったから。外国から薩摩名義で最新鋭の武器を買い付け長州へ配達し、長州では米を買い付けて薩摩へ配達する。それで自分たちも利益を得る。こんなことを考えて実行できたのは、龍馬だったからと言えます。
大政奉還は、絶対に不可能と思われていました。なぜなら、絶大な力を誇る徳川幕府が、幕府を投げ出す必要性がないし、400年続いた幕府を終わらせるなどという決断ができるはずもないからです。
そこで龍馬は、幕府側であった土佐藩から働きかけてもらうことを考えます。それは、土佐藩に功績を立てさせることにもなります。
土佐藩にとっては願ってもない約目でしょう。しかし龍馬には、土佐藩に功績を立てさせることに心のしこりがあったはずです。自分の故郷とは言え、仲間をたくさん殺してきた前藩主、山内容堂を許せないからです。
「親友を殺した相手をゆるせるわけがない……。
大切な幼なじみを殺した相手をゆるせるわけがない……。
そんなの絶対にゆるせるわけがないんです。
しかし龍馬は、最も憎悪していた土佐藩、山内容堂を血のにじむ想いでゆるすのです。
本当の敵は人ではない。
憎むべきは人ではなく、社会の制度なんだと龍馬はわかっていたからこそ、社会の仕組みそのものを変えることに人生をかけたのです。」(p.238)
「龍馬は、外側に平和を結ぶために、
内側の自らの積年の恨みを解(ほど)いたのです。
先に自らの内側のエゴを解かなくては、外側で和(愛)を結ぶことはできないのです。」(p.239)
自分の愛する人たちを殺した相手を許し、受け入れ、なおかつ活躍の場を与える。これは「愛」ですね。
外の世界に平和を実現したければ、まず自分の心の内に平和を築くこと。龍馬はそれをやったのです。
しかし、そんな平和主義の龍馬は、だんだんと敵を増やしていくことになります。
新選組など幕府側から付け狙われるだけでなく、武力で幕府を倒したい薩長からも敵視されます。また、土佐藩に活躍の場を与えたということで、土佐の仲間たちからも叩かれることになりました。
「龍馬は無血革命を目指し、ニッポンの最善・最高の未来からすべてを発想していました。しかし、まわりはみんな自分の都合(過去と現在)からしか世界を見られていないのです。だから龍馬が理解できず、龍馬はもはや、どこから暗殺されてもおかしくない状況に追い込まれました。
たったひとり、闇のなかをゆく革命家の道。
ニッポンの未来のためには、まわりを敵にすることもやむなし。
それがいかに孤独な道か……。
「世の人は 我を何とも 言わば言え 我が成すことは 我のみぞ知る」
龍馬の詠んだ和歌です。」(p.240−241)
しかし、大政奉還によって大規模な内乱を防がなければ、いずれ日本は植民地化されてしまう。場合によってはイギリスとフランスで分割統治ということにもなりかねない。日本を護るためには大政奉還しかないという信念を、龍馬は貫き通したのです。
龍馬は、自分の名誉とか利益のために、そういうことをやったわけではありません。
ですから、新政府の役職になろうとは微塵にも思っていませんでした。
「「世界の海援隊でもやりますか」
龍馬の生きる理由、その源泉は遊び心だったのです。
龍馬は海援隊というカンパニーで、世界の7つの海をまたにかけて黒船で商売をしたかったのです。世界に冒険の旅に出たかったのです。龍馬の動機、それは子どものようなときめいた遊び心だったのです。
そのために、日本にフリーダムをもたらす必要があった。そのために幕府を終わらせて、日本をひとつにまとめる必要があったのです。」(p.250-252)
ただ自由に遊びたかったから。人の本質は自由であり、だからこそ自由を求める。龍馬は、余分なものを削ぎ落として、ひたすら自由を追い求めたように思います。
「かつてこの国は、職業の選択の自由も、移動の自由もなく、身分制度もガチガチで、差別もあり、好きな人と結婚する自由もゆるされていませんでした。そんな社会をぶち壊し、誰からも差別されずに、自分の才能を活かして、やりたいことができる社会を、龍馬が、松陰が、晋作が、望東尼が、ジョンマンが、僕らにプレゼントしてくれたのです。」(p.255)
「事実、いま、この瞬間も、世界のどこかで国と国が戦争、内戦、紛争をしています。
いま、この瞬間も20カ国以上で争いは続いています。
それは、心のなかに国境(分離)があるからです。
しかし、いまの日本では、東京と大阪で戦争するようなことはありません。
龍馬たちが、この列島を「日本」としてひとつにまとめてくれたからです。
薩摩人でもなく、長州人でもなく、「日本人」というものを誕生させてくれたからです。
ひとつであるところに争いはないのです。
僕らはいまこそ、「地球人」としてひとつになるときです。」(p.255−256)
龍馬から私たちへのバトン。それは、「ひとつ」への道。私たちはそれを受け取るのでしょうか? そのことが問われているように思います。
「幕末は、わずか1年の間に巨大地震が3連発できているのです。
さらには、異常気象による凶作が続き、その上、猛烈なインフレに襲われ物価が高騰。まさに泣きっ面に蜂。おまけに伝染病のコレラが上陸し猛威をふるい、江戸だけでも死者は数万人に。」(p.271)
天変地異に経済的な混乱。さらに伝染病。今の日本よりもさらにさらに深刻な非常事態だったと言えるでしょう。
そんな中でも日本は植民地にならずに済んだ。
「日本には「サムライ」がいたからです。
サムライとは、いちばん大切なものに、一番大切な命をかけた者のことをいいます。」(p.272)
命がけで日本を守ろうとするサムライたちのお陰で、今の日本があるのですね。
「「神道は教えがないんです」
と神主さんはいいました。教えがない。これ、よく考えたら、すごいことです。
神主さんの質問はまだ続きました。
「教えがないってことは、神道には何がないと思いますか?」
教えがないということは……
「善悪がないのです」」(p.272−273)
ある神社で正式参拝した時の話だそうです。他の宗教と比べて、神道には大きな違いがあります。それは教えがないこと。
それは知っていましたが、それが「善悪がない」という意味になるとは、考えてもいませんでした。
「「じゃあ、日本は、善悪のかわりに何があると思いますか?」
なんでしょうか……
「美しいかどうかという判断基準です」
美しいかどうか。
江戸時代は、それが「粋か野暮か」になったわけです。」(p.274)
善かどうか、正しいかどうかではなく、美しいかどうかで判断すること。それは元々、日本人に備わったものだったのですね。
「日本人は、お茶を道にして茶道を生み出し、剣は剣道、書は書道、弓は弓道、華は華道、なんでもそれを道にしてきたんです。
道とは、勝ち負けを競うのではなく、
美しさの追求です。
勝つか負けるかじゃない。損か得かでもない。
美しいかどうか。かっこいいかどうか。
これは突き詰めれば、みんなで笑い合えるかどうか、
より多くの人を幸せにするかどうかです。
みんながうれしいってことが、宇宙がうれしいってことです。」(p.275)
自分の生き方に、ことあるごとの判断基準に、美しさへの追求があれば、みんなで笑い合える平和で幸せな社会にしていくことができる。そういうことを、幕末のサムライたちは教えてくれているように思います。
何度も何度も感極まって泣きながら読み終えました。
私もよく「美しいかどうか」という判断基準が大切だと言っていますが、私自身がどれだけできているか、改めて問い直したいと思います。
そして、サムライたちから受け渡されたバトンを、しっかりと受け継ぎたいと思うのです。。
そんな気持ちにさせてくれた、この本に感謝です。そしてこの本を、心から皆さんへもお勧めしたいと思います。
2022年01月24日
私は私
久しぶりに斎藤一人(さいとう・ひとり)さんの本を読みました。一人さんの新刊が出ると知って、予約購入したものです。
最近は「ふわふわ」というキーワードが重要だ、というようなことを話されているようです。本書にも、それについて書かれた部分がありました。
以前は「ツイてる」というキーワードが重要だと言われてましたが、時代が少し変わってきたようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「あなたには、あなたにしか出せない愛がある。
一人さんには、一人さんなりの愛がある。
ただ個性を出せばいいわけじゃない。
個性に愛をのせ、あなただけの豊かな愛の表現をすること。
それが「私は私」です。」(p.2)
ある時ふと、「私は私」というメッセージが降りてきたのだそうです。それが本書のタイトルです。
その意味を、一人さんはこのように語っています。
なお、一人さんは自分のことを愛し、敬意を払っておられるので、自分を「一人さん」とさん付けで呼ばれています。これも有名な話ですよね。それに習って私も、「アカさん」と呼んでいますがね。(笑)
「この世界は「違う」ことが当たり前で、「違い」しかありません。
なぜ1つひとつ違うのか答えられる人はいないと思うし、それは一人さんにもわかりません。
ただ、神様がそういうふうに決めてくれているんだろうね。
神様のすることに間違いはないから、なにかそうしなきゃいけない理由があるんだろうと思います。
みんな違っていいし、すべての違いはそれが必要だから存在している。違いが求められ、違いを認めて活かすことで世界は生成発展していく。
そんなふうに、どんな違いにも重要な意味があるんじゃないかなって。」(p.13)
その必要性がどんなものかはわからなくても、この世がこうであるにはこうであるべき理由があるのだ、という確信を持たれています。
実際、すべてのものは似てはいても個々違います。それぞれに特徴があります。雪の結晶でさえ、一つひとつ違うと「神との対話」でも言っていますから。
ですから、違っていて当然だし、違っていていいのです。一人さんは、そういう「違い」を大切にしてきたそうです。
「どう見たって欠点にしか思えないような要素でも、それは間違いなくあなただけの宝物だし、ぜんぶあなたの素敵な個性です。
どんな外見だろうが性格だろうが、あなたにしか持てない、この宇宙にたったひとつの宝石なんだ。
いまはまだそこに磨きが足りていない「原石」なだけで、磨けばびっくりするほど輝きを放つようになる。
その輝きに、癒されたり救われたりする人がたくさんいるの。」(p.17)
欠点というのも個性なのですね。だから欠点をなくそうとするのではなく、それを個性だと受けとめ、磨くことが大切なのだと一人さんは言います。
たとえば飽きっぽいというのも、見方を変えればあれこれ関心を示す好奇心旺盛だとも言えるわけです。怒りっぽいも、正義を貫こうとする情熱が強いとも言えます。
だからその個性の良い面を見て、そこを活かすようにしていけばよいのです。
「いまの自分でいい、このままでいいっていう安心感がないと、誰かと比べては落ち込み、がんばっても思いどおりになれない自分に絶望するだけなの。
そういう人はなんでもいいから、まずはひとつ、自分のダメなところをゆるしてごらん。自分を無理に捻(ね)じ曲げようとせず、「それでもいいよね」って自分を認めてあげることだよ。」(p.25)
もっと自分に優しくしなさいと「神との対話」でも言っています。ありのままの自分を受け入れることは、自分を愛することですから。
「そうやって荒削りの個性を磨いたとき、あなたはあなたにしか出せない愛を放つ。
それが「私は私」っていう言葉のほんとうの意味です。
世の中では、自分らしさを勘違いしている人も多いけど、自分らしさってたんに個性を丸出しにすればいいわけじゃない。
あなたにしか出せない愛を出すことなんだ。」(p.29)
最初にも書かれていた内容ですが、ここでは具体的な個性の磨き方を示した上で、同じようにまとめています。
たとえば、人のアラ探しばかりしてしまう人なら、観察力が高いのですから、その観察力を人の良いところを探す方向で使えばいいのです。その転換をさせてくれるものが「愛」なのですね。
「深い慈愛で光り輝く神様がこの体のなかに存在するのだから、愛のない人がいるわけがない。
いくら愛がないように見える人でも、それは愛を忘れているだけで、愛を思い出せばいつだって愛の光で輝き出すんだよね。
そのために、個性を磨くの。
個性を磨くって、曇りかけている愛を磨いて光を取り戻すってことなんです。」(p.30)
愛のない人はいない。ただ愛を忘れているだけ。一人さんはそう信じて疑わないようです。
「神との対話」でも、私たちの本質は神そのものであり、神であることを忘れているだけと言っています。通じるものがありますね。
「それと愛の場合、ベースに「手伝ってあげたら相手が喜ぶかな?」「こんなふうに言ったら嫌な気持ちにならないかな?」っていう、受け取る側に寄り添う気持ちがあるものなんです。
だから、相手がどう受け取るか考えながら行動するし、もし相手にちょっとでも不快感を与えてしまったと感じたら、すぐに謝って言動を改めるんだよね。」(p.41)
愛は義務感でもないし、下心もないと一人さんは言います。ただ相手に喜んでもらいたい。だから、自分の思いを否定されたとしても、相手を恨んだり責めたりすることはないのです。
実際、相手がどう感じるかは相手次第ですから、どのやり方が正しいかどうかなんてないのです。強いて言えば、相手が喜ぶやり方が正しい。相手を喜ばせるという目的に適っているという意味で、正しいのです。
「だからあなたはただ、愛の押し売りに屈しなければいい。
愛の押し売りをされたときは、徹底的に拒否しなきゃいけないし、嫌なものは嫌だと言えばいい。
それが相手への愛だし、もちろん自分への愛でもあるよね。」(p.53)
いくら動機が良かれと思ってのことであっても、愛は押し売りをしません。ですから、押し売りするならそれは本当の愛ではないのです。
そして、自分を愛するのであれば、自分が要らないと思っている愛の押し売りは拒否すること。それが自分への愛であり、ひいては相手への愛になるのです。
一人さんは、はっきりと「ノー」と言うことを勧めていますが、どうしても角が立つことが気になるなら、馬耳東風で聞き流すのが良いとも言っています。いつかは相手も諦めるでしょうからね。
「私たちは、もともと愛と光の存在です。
いろんな常識や観念にとらわれて愛の出し方を忘れている人でも、愛の出し癖さえつけたら、いくらでも愛は出せるようになるの。
なにも特別なコツなんていりません。失敗しながらでも出しているうちにどんどんうまくなるし、大きな愛が出せるようになるから。
という意味で言えば、愛を出すコツがあるとしたら、あきらめないで出し続けることだろうね。」(p.75)
考え方というのは習慣なのです。その習慣を変えるには、つまり新しい習慣を身につけるには、失敗しながらも繰り返すことです。自転車に乗るのと同じですね。
「自分の意見をはっきり言えない人ってけっこういるんだけど、遠慮してると、自分が苦しくなるんです。
はっきり言うと角が立つとか、相手に嫌われるとか心配するんだけど、一人さんに言わせると、そんなことであなたを嫌うくらいなら、もともとその程度の関係だったんだよね。」(p.83)
人間関係においては、こういう割り切りが大事だと思います。そうでもしなければ自分に正直になれないし、自分に正直になれないということは自分を愛せないということですから。
「我慢に我慢を重ねて完全に相手を嫌いになってしまったら、その気持ちは必ず相手にも伝わるし、お互いに嫌な気持ちになるよ。憎み合うことになる。
そのほうが、よっぽど角が立つでしょ?
だからこそ、もっと軽い気持ちで自由に離れたり近づいたりすればいいんだよ。」(p.85)
友だちだからとか家族だからというような他人の価値観で自分を縛り、自分に正直になれなかったら、自分が苦しくなるし、その我慢に我慢を重ねた上で爆発すれば、相手だっていい迷惑です。爆発する前に、さらっと本音を言った方がいいんですって。
「だから、あなたが誰かを変えたいと思ったときは、あなたがいま以上にじゃんじゃん愛を出せばいい。
そしてその姿を、変えたいと思っている人に見せたらいいの。
相手があなたのことをかっこいいとか、素敵だと思ってくれたら、あとは勝手にあなたの真似をし始めるからね。」(p.91)
他人をもっと素晴らしい人に変えたくて、いろいろアドバイスしたって無意味です。その人自身が変わりたいと思わなければ、絶対に変わりませんから。
だから、自分にできることはアドバイスすることじゃなく、見本(手本)を見せることなのです。子育ても同じですね。
「経営者って、
「従業員のみんなは楽しく仕事ができているだろうか?」
「取引先のj会社に無理をさせていないだろうか?」
「お客さんは喜んでくれるだろうか?」
って、隅々まで気配りができるの。
いつもみんなに喜ばれる方法、みんなに優しい道について考えている。」(p.110)
私自身も経営者だったことがありますが、どこまでこういう考えを持っていただろうかと思うと耳が痛いですね。上手くいかないと、つい他人のせいにしてしまうことが多々ありました。
「意志はいつだって自由に変えていいし、本来そういうものなんです。
一瞬で形を変える雲みたく、ふわふわで軽やかなのが意志なの。わかるかい?
この、本来の意味を取り違えているから、意志って聞くだけでみんなガチガチなものを想像しちゃうけど、意志は別に貫き通すようなものじゃないよ。
その視点で言えば、愛が大きくなるのに比例して、意志はますます軽やかになるだろうね。
なぜなら、自分にもほかの人にも自由をゆるすのが愛だから。」(p.117)
意志は強いのが良いとか、固いのが良いと思われがちですが、一人さんはそうではないと言います。それは、過去の自分の決断にさえとらわれないという自由こそが、愛だからなのですね。
「神との対話」でも、愛は自由だと言っています。今ここに生きるなら、その時の意志を尊重することが自由であり、愛なのです。
「こういう大事な決断は、自分の気持ち以外のことで判断してはいけないんだよ。
まわりの目や常識を気にして自分の気持ちを押し殺してしまうと、ことあるごとに「あのとき貸したお金があればなぁ」って悔しさがよみがえってきたりして、結局後悔するの。
つまり、あなたからずっと負の波動が出続ける。」(p.119)
大事な人からお金を貸してと言われた時、常識や世間体など、他人の価値観で判断してはいけないのです。今の自分にできないことなら、「できない」とはっきりと断ることですね。それもまた愛なのです。
「愛があるから会社も成功するし、人生もうまくいく。
そんな背景から考えると、一人さん流のキャリアは「愛のキャリア」ってことになるんだろうね。
じゃあ愛のキャリアとはなんですかって、簡単に言うと「気づき」だよね。
魂が成長するような気づきを重ねることで、愛のキャリアも積み上がる。」(p.123)
経験を重ねることで気づきが得られます。その気づきによって、より愛に近づいていける。これが愛のキャリアであり、愛のキャリアを積めば、すべてが上手くいくようになると一人さんは言うのです。
「最近、一人さんは「ふわふわ」という言葉をみんなにお伝えしているんです(※)。
簡単に説明すると、この言葉を声に出してつぶやいたり、心のなかで唱えたりすると、言霊(言葉に宿るエネルギー)の力で心が軽くなって愛が膨らむよ。神様から応援してもらえるよってことなんだけど。
なぜ唱えるだけでそんな不思議なことが起きるのかというと、「ふわふわ」という言葉が時代を象徴しているからです。「ふわふわ」はこれからの世の中を表す言葉だし、いまの時代に必要なムードを意味するからこそ、ものすごく大きなエネルギーがのっているんだよね。
だから実際にやってみてもらえるとわかるけど、ただ「ふわふわ」って言うだけなのに心が軽くなる。いいことがいっぱい起きるんだよね。」(p.134−135)
物事を深刻に考えたからと言って上手くいくわけではない。むしろ軽く考えて、解決手段を委ねてしまった方が良いアイデアが浮かんだりして上手くいく。そのために「ふわふわ」と唱えるといいよとのことです。
これが本当かどうかは何とも言えません。おそらく一人さんにも説明できないのでしょう。けれども、やってみて損することでもないので、思いついた時は「ふわふわ」と言ってみてはどうですかね。
「たとえば、自分や大切な人に深刻な病気が発覚したとするでしょ?
そのときに、慌てふためいて「どうしよう、どうしよう」ってパニックに陥るのと、「大丈夫、大丈夫。どうせうまくいくから」って明るく考えるのとでは、その後の病状って絶対に違ってくると思うんです。
心をふわふわに軽くして、うまくいくから大丈夫、なんとかなるって思っていると、不思議だけど、ほんとうに現実もそうなる。」(p.137)
「波動の法則から言えば、暗い波動を出せば暗い現実になるのは自然の流れだし、明るい波動を出せば、いつも明るい現実が引き寄せられる。ごくごく当たり前のことなんだよね。」(p.142)
「引き寄せの法則」的には、まさにそういうことですね。ただ、それでも上手くいかないこともある。そういう結果も受け入れる覚悟が大事だと、私は思っています。
その覚悟がなければ、テクニックとしてこういう「引き寄せの法則」を使おうとするので、動機が不安(恐れ)のままだからです。執着心が残っているので、結果は上手くいったりいかなかったり、ということになるかと思います。
「ふわふわ」という言霊の使い方として、一人さんは面白い使い方を1つ示していました。これ、最幸です!
「たとえば、ものすごく腹の立つことがあるとするじゃない。誰かにムカついたり、イラッとしたり、そういうときにはこう言えばいい。
「バカヤロー! ふわふわ〜♪」
「クソジジィ、いい加減にしろ! ふわふわ〜♪」
こんなふうに、怒りの反射でつい荒っぽい言葉を使っちゃったときなんかは、お尻に「ふわふわ〜♪」って添えるの(笑)。」(p.144−145)
これは面白いですね。私もさっそく使ってみようと思います。
「だから一人さんは、どんなピンチに陥っても笑い飛ばしたし、あらゆる問題を笑ってる間に解決してきたの。大したことないと思っていれば、ほんとうに大したことない状況になるんだよね。」(p.147)
現実を深刻に捉えないだけでなく、その状況を笑い飛ばすことですね。人生は楽しむことです。何があろうとも。
「というか、そもそもこの地球上では、いくら自分の過去世を知りたくても、それを知る確実な術(すべ)はないでしょ?
つまり「地球では、不思議なことを詳細に知る必要はない」というのが神様の意向なんだよね。肉体を持って生きているあいだは、そういうのを知らないほうがいいから、よくわからないようにしてあるんじゃないかな。
不思議なことは、魂があの世に帰ればぜんぶわかるだろうし、それでいい。私はそう思っています。」(p.177)
私も同感ですね。スピリチュアルなことを完全に理解しようとする必要はないと思います。だって、わからないように生まれてきているのですから。
今、わかることをわかって、それで生きていけばいい。こういう考え方は、とっても共感しますね。
一人さんの本はどれも、とても読みやすいです。なのでサクサクと読めてしまいます。
それでいて内容が非常に濃い。引用部分もたくさんになりました。
ただ、一人さんの基本的な考え方がわかれば、どれか1冊でもしっかり読み込むことで、多くのものが得られるかと思います。
本書では、「私は私」の意味と「わくわく」という言霊の情報だけでも十分かなと思います。ぜひそのエッセンスを知って、あとは実践していただければと思います。
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