2021年07月08日
気もちの授業
これも日本講演新聞(旧:みやざき中央新聞)で紹介されていた本です。スキーの事故によって手足がまったく動かないという障害を負いながら、また教壇に立ちたいという思いでリハビリに励み、見事に復帰された腰塚勇人(こしづか・はやと)さん。この方の体験が「命の授業」という動画になり、多くの人に感動を与えました。
しかしその後、腰塚さんは立ち上がれなくなるほどのどん底に突き落とされていたのですね。
1年から受け持った3年生のクラスは、腰塚さんの復帰を喜んでくれて、授業でも助けてくれたそうです。その感動の中で、クラスの生徒たちは卒業していきました。ところが、その後新たに受け持った新1年生には、腰塚さんはまともに授業ができない障害者の教師に過ぎなかったのです。
どうしてもまた教壇に立ちたいという思いで辛いリハビリに耐え、頑張ってこられた腰塚さんでしたが、その人生を全否定されたような気持ちになったようです。そして精神的に病んでしまい、教壇に立てなくなってしまわれたとか。
そういうどん底を味わったことで、腰塚さんは1つのことに気づかれたそうです。それは、自分が自分の気持ちを大事にしてこなかったということ。腰塚さんはそのことを伝えたくて教師を辞め、講演家として活動されるようになられました。その講演が本のタイトルの「気もちの授業」なのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「ほんとうは誰かに分かってほしい! 気づいてほしいんです。良い悪いではなく、今そういう気もちなんだよネ……って。だからこそ、まずは自分で自分の気もちに気づいてあげてほしいのです。」(p.48)
自分の反省を踏まえながら、腰塚さんは子どもたちにそう語るのです。子どもたちが、自分のように押しつぶされてしまわないために。
「苦しいときイライラしていいんだよ、ブチ切れていいんだよ、文句言って、悪口言っていいんだよ。その中で自分の今の気もちに気づいてほしい。その練習をくり返しながら、気づいてほしい。自分のいちばんの理解者は自分だと。そして、人の気もちがわかる人になってもらいたいです。」(p.55)
ネガティブな感情を否定すると、どうしても自分の気持ちを抑圧することになってしまいます。抑圧する前に、気づいて受け入れることが大切なのです。
気づけば、コントロールすることが可能になります。腰塚さんは、気持ちが波立った時に平穏な状態に戻すためのツールを用意することも勧めておられます。たとえば、気持ちが落ち着く場所へ行くとか、ご機嫌になれる食べ物を食べるなど。音楽を聴く、運動をする、笑顔を作る、ともかく寝るなど、自分にとって効果的なツールを用意するようにと言われるのです。
腰塚さんは、笑顔を作ることや「ありがとう」を言うこと、自分で自分を抱きしめるように「がんばってるね」と声をかけるなどの方法を行っていると言います。私も腰塚さんのように、自分で自分に語りかけていますね。
「怒りは第二感情といわれ、怒りの背後には本来の感情(第一感情)が隠れています。」(p.57)
他で紹介していますが、こういう心理学的な知識を持つことも役立つでしょうね。(関連本の紹介記事:「反省させると犯罪者になります」「子どもが変わる怒らない子育て」)
つまり、「怒り」は第一感情の「がっかり」「寂しい」「悲しい」などを受け入れずに抑圧することで起こる第二感情であるということ。そうであれば、最終的に気づいて受け入れる必要があるのは、その第一感情なのです。
「私が思う本当の自信とは「自分を信じると自分が決める」ただそれだけです。なぜなら自分を信じるのに根拠や理由は必要ないから。それまでの経験や実績は関係なく、今、このときから自分を信じると自分が決める。」(p.125 - 126)
他人からの評価や、何らかの理由(根拠)によって自信を持つというやり方は、外的要因が変わればあっと言う間に崩れてしまいます。だから私も、「根拠のない自信」を持つことを勧めています。
(「根拠のない自信」に関する過去記事:「謙虚さと自信を併せ持つこと」「目標は高い方が良いか?それとも...」「自信があれば楽しく生きられる」「不安を取り除けば自信が持てる」「私が一番受けたいココロの授業」「キラッキラの君になるために」)
「寄り添うというより受け止めてあげる。アンダースタンド。だから共感ではありません。受け止めて、理解する。私のキーワードは、「そうなんだ」。
そうなんだ。きみはそう思ってるんだ。私は家族やいろいろな人たちの話を聞いたときに言う言葉は、それです。
「そうなんだ」と、受け止める。あなたのその気もちと考え方に共感しているわけでも、納得しているわけでもない。でも、考え方や気もちは尊重するよと。」(p.129)
つまり、相手の気もちや考え方に「同意」する必要はないのです。「あなたはそう考える(感じる)のですね。」と受け止める。その考え方、感じ方を否定しないことを伝える。あなたはそれでいいと思う。そういうことです。
腰塚さんは、そこで相手からどう思うかと問われれば、自分の考え方、感じ方を話すが、それを相手に押し付けることはしないと言います。あくまでも自分はどう考えるか、感じるかというだけのことで、どっちが正しいかということではないからです。
「「私はこうだけど」ということは言えるけど、決めるのはあなたです。強制、コントロールはしません。相手を受け止めてあげると、自分の意見も受け止めてもらえます。そうなんですネ。そう考えているのですネ。でも決めるのは自分です。」(p.129)
人はそれぞれ違うし、違って当然なのです。そして人はそれぞれに自由です。そのことがわかっていれば、当然、こういう考え方になるだろうなぁと思います。
「私が今とっても大事にしていることです。
健全な集団、健全な家庭はそれぞれが、みんな「境界線」をちゃんと持ってるということ。」(p.130)
つまり、個として独立・自立しているってことです。それを受け入れ合うということですね。
腰塚さんの家族では、それに関して3つのルールがあるそうです。「1つは、境界線を必ずつくる。」「2つ目が、コントロールしない、押し付けない。」「3つ目は、それぞれの感情を引き受けない。」
たとえば、子供部屋には親と言えども勝手に立ち入らないとか。夫婦であっても勝手に覗いてはいけないものがあるとか。それが境界線です。そして、「かくあるべし」「かくあるべからず」を相手に押し付けないこと。相手がたとえ子どもでも妻でも、独立した一人前の人間だとみなすということです。
3つ目は、相手の感情を変えようとしないということです。イライラしたいならさせておく。機嫌を取る必要はないし、そんなこともしないということ。相手の自由に任せるということです。したがって、自分の機嫌は自分で取らなくてはならなくなります。他人に甘えて機嫌を取ってもらえないのですから。
腰塚さんは、心理学で有名な「ゲシュタルトの祈り」をアレンジして、次のように自分自身に語りかけているそうです。
「私は私のことをする。
あなたはあなたのことをする。
私はあなたの期待に応えるために生きているわけではない。
そしてあなたも私の期待に応えるために生きてるわけではない。
私は私。あなたはあなた。」(p.132)
ゲシュタルトの祈りは知りませんでしたが、これはまさにアドラー心理学の言う「課題の分離」ですね。一見すると冷たく感じるかもしれませんが、これが理解できると、これこそが愛だなぁとわかると思います。
腰塚さんは、自分の気もちに気づくことで、さらに大きくなれたと自分のことを思っておられるのではないでしょうか。
けっきょく、すべてのことは「気づき」のためにあるのであり、気づきによって私たちは成長します。その自己の成長こそが、私たちに深い満足と喜びを与えます。それがわかると、私たちは強く生きていけるようになるのではないかと思うのです。
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