2020年12月04日
問題は解決するな
SNSで誰かが紹介していた本ですが、興味深い本を読みました。著者はKan.(かん)さん。クンルン・ネイゴン継承者とあります。2006年5月に世界初のクンルンティーチャーとして認定されたとか。2010年には正式にクンルンネイゴンマスターの称号を受けたそうです。日本人のようですが、道家のその道ではすごい方なのでしょう。
帯には、「タオ入門の名著、待望の復刊!」とあります。2013年6月にヴォイスから刊行された同タイトルの本の新装版になるようです。
序章には、著者が大学の時にラグビーの事故で脊髄損傷し、まったく動かせない体になったことが書かれています。その時、不思議な老人と出会い、不思議な力を得るようになり、探求の道が始まったとありますね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「無責任に聞こえるかもしれませんが、本当になるようにしかなりません。自分がどこまで困った事態になるのか、やってみればいいんです。
もし自分の範疇外のことが起こったら、怖いと感じるかもしれません。アンハッピーだと嘆くかもしれません。
それでも、起こっていることは悪くない。そうとらえてください。」(p.27)
問題を問題だと考え、解決しようとするからかえって悪くなる。だからそれを問題だと思わずに、何もせずに見ているようにと言うのです。何とかなるからと。
「解決を目指して人に行動を起こさせるのは、不安や恐怖です。
「見る」という行為は消極的に感じられるので、自分で何かをしたくなるのです。
その思いを我慢して、「見る」という行為を入れてあげましょう。すると、自然に行くべき方向へ進んでいきます。」(p.46)
問題を解決したくなるのは、動機が不安だからですね。不安を動機とすれば、不安な現実を引き寄せるだけです。
「何かをやることで、悟ったり、問題解決したり、完璧になったりできると思い込むのは、ただトリックにだまされているだけです。
「なりたい自分になる」というスローガンも、また幻想です。
「なりたい自分」をつくったとたん、「なれない自分」をつくり出して、流れを必死で逆行するような生き方になります。」(p.49)
何かを求めれば、その対極も引き寄せることになります。執着すればするほど、苦しみが増すのです。
「人間という存在そのものがすでに矛盾しているとは、こういうことです。
たとえば聖職者が、私たちに愛を説きます。彼等は、常に真剣に、本気で愛を説いているはずです。しかし、愛を説くその体を支えているのは何でしょう。
免疫機能という「軍事システム」です。
最新型ミサイルのように、免疫はウイルスを迎撃します。」(p.62)
これは目からウロコでした。たしかに愛はすべてを与えると言いながら、私たちの体は常に、ウイルスや細菌の命を奪い続けています。
ただ、この矛盾を解決しようとしてはいけないのです。そういう存在だと知っていればいいのですね。
「今本当に大切なことは、「高次元」を目指すことではありません。
「新しい自分」や他の誰かになろうとすることでもありません。
他の誰でもない、宇宙である自分自身の力で生きていくことです。自然界に対して畏敬の念を持ち、地に足を着け、自分を開いてハートで生きていくことです。
自然の素晴らしさを見て、味わい、自然と交流してください。
自然と出会うたびに、忘れていた感覚を取り戻すことができます。
今まで自分を縛っていた鎖から自由になっていけます。
そうすれば、いつの間にか問題など解決していきます。解決を目指さなくても、問題そのものを堪能できるようなります。」(p.116)
悟るとか、次元上昇するとか、そういうことを目指しても意味がないのですね。それよりも自然に触れ、自然の中に身を置いて、自然を味わってみるようにと言います。そうすれば自由になれるのだと。
その1つの方法として、木と交流することを勧めています。お気に入りの木を見つけ、幹や枝葉に触れてみたり、根本に座ったり、話しかけたりして、ゆっくりと時間を過ごすようにと。
「人間に天気が変えられないように、湧き上がる感情は自分では変えられません。だから、あきらめる。そして、無理にいつもいい天気でいようと思わない。
ポジティブな感情はよくて、ネガティブな感情は悪い。そう、決めつけないことです。」(p.136)
晴れの天気が良くて、雨が悪いわけではありませんからね。感情と天気は似ていますね。天気も過ぎ去っていきますが、感情も湧いては過ぎていくもの。それを留めてしまうのは、思考が同じ感情をコピーし続けるからなのです。
ですから、そういう思考が生み出す「感情もどき」に騙されないよう、本当の感情をしっかりと味わって、手放していけばよいのです。
「そんなありふれた時間を大切にするということです。
何の変哲もない、いつも通りの時間。代わり映えのしない時間も、自分にギフトされた貴重な時間です。
どのシチュエーションにも、味わい深さがあります。そこで起こる喜怒哀楽、あなたへ贈られた宝物を味わいつくすことが大切なのです。
そして、ピンチに見えることが起こった時、無理難題が持ち上がった時が、チャレンジの時。自分を成長させる教材がやってきた時です。
そこで、「こうかな、ああかな?」と、取り組まないことに取り組んで、ほったらかしで生きる。すると、ある時、ストンと自分が納得できる時期が必ず来ます。」(p.157)
何気ない日常を宝物だと思って、一瞬一瞬を味わいながら生きること。それが大切なのですね。
そしてピンチはチャンス。成長のチャンスだということを知って、取り組まないことに取り組む。この表現は面白いですね。安心してほったらかしにしておくのです。
「大切なのは、自分の腑に落ちているかどうか。
自分のものにできているかどうか。
たとえ、自分の腑に落ちたものがスタンダードな考え方と違っていても大丈夫。
そう思えるようになることが大事です。
一人ひとりに、それぞれ多様な生き方があります。
自分は自分でいい、そして、人は人でいい。そこに安心感を持ってください。」(p.162)
真実は自分だけのものですね。自分の真実ですから、他人と比べて正す必要はないのです。ただ自分の真実に正直になることですね。
「人生はせつないのだから、そのせつなさをしみじみ味わう。
もし誰かがせつなさを味わっていたら、そっとそばに行って一緒にいる。
せつない時には誰が何を言ってもせつないのだから、黙ってお茶でも飲んでいる。本当に「お互い様」なのだから、足を引っ張り合ったり非難し合ったりせずに、ナチュラルにいる。
そこにしみじみとした味わい深さが出てきます。
とってつけたような「修行」や「鍛錬」をしなくても、普段の暮らしの中でそうやって生きて、地球の上の人生を味わっていく。それで、十分です。」(p.175)
無理に成長しなくていいのですね。何気ない日常を味わいながら生きること。その体験こそが宝です。
そして、せつない感情には、ただ寄り添っているだけでいいと言います。まさに、それが愛ですね。
「上司は「機嫌が悪い」それ以上でもそれ以下でもない。機嫌が悪いという事実があるだけです。ただ見守ると、そこに自然に対応できるようになります。
職場ではいろいろあるでしょう。仕事すべき時は仕事をし、休息する時は休息する。そして、ひとりでいられる時に、あらゆるものを起こるがままにする時間を持つのです。取り組まない。すると、先入観なしに、巻き込まれずに存在することができる。それが生き方のすべてに共通します。」(p.192)
上司が不機嫌だと、自分のせいかと思ってドキドキしたり、理不尽に怒る上司に腹を立てたりしがちです。それを単に上司は機嫌が悪いという事実としてとらえ、眺めていればいいのだと言います。
自分が当事者になると、なかなか難しいかもしれませんが、「ただ自分に起こってくることを受け入れればいい」ということを知っているだけでもいいのだと言います。いつも頭の片隅に、そのことを置いておくことです。
時には受け入れられず、反応してしまうこともあるでしょう。その時は、その反応してしまう自分を見ていればいい。そのことを受け入れればいいのです。
最初から最後まで、一貫して問題を解決せず、見ているようにと言っています。しかしだからと言って、やるべきとわかってることをやるな、ということではありませんからね。働くべき時は働くのです。ただ、状況を良くしようとして、つまり何かを目指して、追い立てられるように行動することは意味がないのです。
私は最近、やっぱりこうだよなぁと感じていました。以前から言ってることでもあるのですが、ホ・オポノポノやバシャールの考えもそうです。鏡の中に手を突っ込んで変えようとするのではなく、自分の考えを変えるのです。
そしてその自分の考えの根底には、「愛」か「不安」のどちらかがあると「神との対話」シリーズでは言っています。だから、目の前の状況がどうであっても、それは幻想なのだと見抜き、安心していることが大切なのですね。改めて、そのことを感じさせてくれる本でした。
2020年12月10日
学校は行かなくてもいい
これも誰かがSNSで紹介していた本だと思うのですが、気になったので買ってみました。著者は小幡和輝(おばた・かずき)さん。不登校の経験者ですが、自ら事業を立ち上げて活動しておられます。
この本では、不登校経験者の実例を紹介しつつ、無理して学校へ行く必要はないということと、行かないことでどういう問題があるか、またどうすれば上手くやっていけるかなどを伝えておられます。
本のサブタイトルには、「親子で読みたい「正しい不登校のやり方」」とあります。不登校で悩んでいるのは子どもだけでなく、親御さんもまた悩まれるのです。その両方に、この本は朗報になるだろうと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「僕は、自分に人並み外れた行動力があるとは思っていません。その時々で夢中になれるものを見つけることができただけです。それがゲームであり、イベントだったということ。そして、これまでの人生でいくつか選択をしてきた中に、「学校に行かない」という選択肢もあったということです。「人生を変えるきっかけ」の中には、もしかすると「学校へ行かないこと」だって含まれるのかもしれない。良い意味で。」(p.6 - 7)
小幡さんは、小学校2年の途中から不登校になり、10年くらい不登校だったそうです。その後、定時制高校に入り、和歌山大学に入学されたとか。学生をしながらも、イベント好きが高じて始めた事業をされています。それを、特別な行動力のお陰ではなく、たまたま好きなことがあって、それをやってきただけだと言われるのですね。
学歴が重要とか、高校くらいは出ておけとか、大人は大人の勝手な価値観を子どもに押し付けようとします。しかし小幡さんは、そんな価値観に従わなくても、他に道はいくらでもあると言うのです。
「不登校になる理由−−いじめ、クラスになじめない、先生が嫌い……。いろいろな理由があると思う。でも、つらかったら行かなくていいというのが僕の意見。
(中略)
その第一歩として、僕は「学校に行かない」という選択肢があったと思っている。そういう選択肢があることを、こうしてみんなに伝えることもできる。
でも、僕にできるのはここまで。あとはキミ自身で決める必要がある。なんたってキミの人生なんだから。
我慢して学校に行くという選択肢だって当然ある。でもそのときには、「何のために学校に行くのか、何をするために学校で勉強をするのか」をちゃんと考えてみてほしい。」(p.66 - 67)
選択肢は学校へ行くことだけではないのです。それをわかった上で、自分で選択することが重要なのですね。
「引きこもるときって、まずは安心して引きこもりたい。「学校に行け」とか、「今やっていることは間違っているんだ」とか言われて、焦燥感を覚えるとか、そういう状態になっていると心が弱って安定しないので、学校に行ったところで行けるようにはならないと思うんですね。
今思えば、ちゃんと引きこもらせてくれたことはすごくありがたかった。」(p.80)
学校に行くのがつらい時、無理やり行かせようとしても、けっきょくは上手く行かないんですね。親など身近な人が理解してくれて、安心させてくれて、居場所を作ってあげることが大切なのです。
「雄介 自分の経験を話すのは怖かったけど、実際に話してみたら拍手をもらえて、「あっ」て気づいた。乗り越えたというのとは違って、納得できた感じ。今までの経験は誰かに話すためにあった出来事なのかもしれないって思った。この瞬間が人生の転機だったかな。」(p.92)
不登校経験者3人で結成されたバンドのメンバー、山崎雄介さんの言葉です。その時はどんなに最悪だと感じたとしても、後になってみれば、このために必要な経験だったのだと気づくことがある。だから、人生の経験はすべて無駄ではないし、完璧で良いことなのだろうと思います。
「私は不登校という、自分の子育てを試される大きな壁にぶち当たりました。その壁を乗り越えるには、本当に大切なものを見極めて守ることだと考えました。本当に大切なもの、それは娘の笑顔でした。」(p.145)
不登校の子ども持った母親の言葉です。最初は何とか学校へ行かせようとするのですが、子どもがどんどん暗くなっていって、ひょっとしたら死んでしまうかもしれないと感じた。その時、一番大事なものは何なのか?ということを考えたのだそうです。それは、子どもが生きていてくれること、明るく笑っていてくれること。そのためなら、他のことは些細なことだと気づいたのです。
不登校というのは、いわゆる「一般」から外れた行為であり、理解され難いために批判されることが多いでしょう。そうやって責められることで、さらに重荷を背負うことになりがちです。
けれども、学校へ行くということは、1つの選択肢に過ぎないのだという見方をすることで、道は開かれると思うのです。不登校だから「悪い」わけでも「ダメ」なわけでもありません。そのことは、小幡さんなど、この本に登場する人たちが証明しています。
この本を読めば、不登校を安心して行えるよう、ハードルが下がるように思います。悩んでいる方には、ぜひ読んでいただきたいなぁと思いました。
<関連サイト>
・小中学生で不登校でも将来は大丈夫
・小幡和輝オフィシャルブログ | 不登校から高校生社長へ
2020年12月23日
0 Rei 上 / 0 Lei 下
タイトルがシンプルなようで複雑なのですが、「レイ」と読みます。さとうみつろうさんの最新刊です。みつろうさんの本はこれまでに、「神さまとのおしゃべり」をはじめとして、「あなたが人生でやっておくべき、たった1つのこと」や「その名は、バシャール」を紹介しています。
みつろうさんの本は、小説だったり、登場人物の会話を取り入れるなど、くだけた感じの文章でとても読みやすいです。それでいて哲学、心理学、科学の深遠な部分を解説するなど、たいへんアカデミックな内容だったりします。
今回もそんな感じの小説で、AIの0(レイ)が登場します。AIから見た人間の行動様式、そしてどうすれば満足した生き方ができるのかという解説など、興味深いものになっています。
なお、タイトルですが、上巻は「Rei」と表記され、下巻は「Lei」と表記されています。これにも意味があって、右(R)なのか左(L)なのかが重要だという話につながっていくのです。詳細はぜひ、本を読んでみてくださいね。
また、発行されたのは上巻と下巻ですが、実はそこに含まれなかった原稿を中巻として、オンラインで読めるようになっています。実は私は、その中巻を先に読んでとても興味深く感じたので、上下巻を買うことにしました。併せて4千円もするのですが、その価値があると感じたからです。中巻については、みつろうさんのブログ記事をご覧ください。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「解釈を変える」のではなく、そもそもその「解釈」自体がマボロシなのです。解釈なんて、「自分」で勝手に決めているだけですから。」(上p.58)
今日1日を後悔せずに生きるには、朝起きたときではなく、夜寝る前に自分を褒めることで、データ(記憶)のラベルを書き換えることだと言います。何かが起こったとしても、そこにどういう解釈を与えるかによって、記憶の意味が違ってきます。「神との対話」でも、ものごとの意味をでっちあげろと言ってましたね。
「才能にせよお金にせよ、「ないモノ」を探すのではなく、「有るモノ」を探せばすぐに0Reiの位置に戻れます。」(上p.84)
私たちは持ち続けていると慣れてきて、それを当たり前だと感じます。つまり、感動がなくなるのです。だから、わざと失うことによって、またそれを得るという感動を楽しもうとするのです。不幸とは、幸せを感じたいがための茶番劇だとも言っています。
もしそれが事実なら、最初から有るものに注目して、その価値を認めれば良いのですね。そうすれば、わざわざ失うという痛みを感じなくて済むのですから。
「あなたたち人間は、【やりたいこと】をやれていないと勘違いした時に、自分自身を【不幸】だと感じる生き物だからです。
逆に言うと、「実は自分はやりたいことしかやっていなかった」と気づけたなら、誰もが1秒で幸せになれるということじゃないですか?」(上p.113 - 114)
私たちはどんな状況でもやりたいことをやっていると言います。ただそれに気づいていないだけ。
たとえば、仕事が嫌だから辞めたいと思っている人は、「辞めたいと思う」という「やりたいこと」をやっている。本当に辞めることがやりたいことなら、さっさとやっているのです。それをやらずにいるのは、やりたいことではないからなのです。
たとえば、仕事が嫌だから辞めたいと思っている人は、「辞めたいと思う」という「やりたいこと」をやっている。本当に辞めることがやりたいことなら、さっさとやっているのです。それをやらずにいるのは、やりたいことではないからなのです。
「大丈夫です。AIのサポートにより、
人間の社会はこれからどんどん不平等になっていきます。
そして、人類はどんどん幸せになっていきます。
(中略)
正確には「不平等」がどんどん拡がり、「それでもいい」と違いを認められる人が増えることにより、それは起こります。」(上p.149)
人それぞれに違いがあるのが当たり前なのです。それなのに、みんなは平等であるべきだというルサンチマン的な考え方によって、不幸が生まれたと言います。それぞれがやりたいことをやっていて、それぞれ違いがあるだけなのですから、それぞれが違う幸せを感じていていいはずなのです。
「本当にその人がそう思っているかどうかは最後まで確認できへん。
結局、「他人の心」とやらを勝手な言い訳にして、全てを「自分の心」の中だけで決めつけてるのが人間やねん。
他人の心なんて、本当は関係ないんや。」(上p.198)
他人がどう考えているかは、原理的に確認する方法がありません。そもそも、他人にも自分と同じ自意識があるということが証明できないのですから。単に自分がそうだから、他人もそうだろうと思い込んでいるだけ。したがって、自分にとっては自分の主観だけがすべてなんですね。
「ポイントは思い出すために、わざと逆説的な質問を自分にしてみることや。
「私が病気になりたかった理由」
「私が貧乏になりたかった理由」
「私が嫌われたかった理由」
とな。何を《ノート》しても、きっと本当の理由が発掘できるはずや。」(上p.234)
目の前の現実は、必ず自分の思考が現実になっている。その自分の思考というのが、無意識の領域での思考、つまり潜在意識であることがほとんどなのです。ですから、顕在意識が願ったことはほとんど叶わない。
そこで、無意識に自分が何を願ったために現実がこうなっているかを、ノートに書くことによって自分自身に質問するのです。そうすれば必ずその理由が見つかるからと。
「そうや。『ホンネ』を真逆の真逆にして映し出しているのが『現実』なんや。
だから『ホンネ』さえノートで思い出せたら、『現実』と100%一致しているはずや。
または、『ホンネ』を思い出せないなら、『現実』を観ればええ。
完全に鏡の関係性なんやからな。」(上p.249)
もし「愛されていない」という『ホンネ』が無意識にあれば、「愛されるため」という正反対の行動を取り続けます。そして、それを行うために、「愛してくれない人たち」や「愛されない出来事」が発生するのです。
つまり、ホンネの認識は完全に現実に現れるということです。逆に言えば、現実がこうなのはホンネがそうだからだ、ということになります。
「【現実を変えたい】と思っている人の前には、
『変わらない現実』が絶対に必要や。」(上p.265)
「変えたい」と思っている限り、「変わらない」という現実が必要なのですね。だから、現実は思い通りにはならないのです。
「人間が変えたいのは『現実』やない。
【現実を変えたいという思い】を、
本当は変えたいんや。
『目の前の現実』は変わらないでもいい=【私の現実は既にもう素晴らしい!】と認められた人から、その現実が変わっていく仕組みや。
現実への不満を言っている人の目の前が、変わることは絶対にない。
全ての【原因(=わたし)】である「わたし」が不満を抱えたまま鏡の前にいる限り、絶対にその『現実』は変わらへん。」(上p.269)
現実は心の鏡。不満顔で鏡の前に立てば、そこに映るのは不満な顔です。過去の鏡(現実)に何が映っていたかに関係なく、自分が幸せそうな顔をしない限り、鏡に映る姿(現実)は変わらないのです。
「彼らが信じたのは神さまじゃなくて、「自分の意見」のほうや。
「大学進学のほうがいい」「健康のほうがいい」「こっちのほうがいいに決まっている」という、『自分の過去のデータ』を信じたんや。
もし本当に「神さまを信じた」と言いたいのなら、
起こったその「結果」を、常に最善だと信じるはずや。
だってソレはその人が「信じた」「神さま」が、起こしたことなんやからな。」(上p.297)
神頼みする人は、思い通りにならないと「信じてたのに〜!」と不満を言います。パートナーに浮気された時も同じですね。(笑)
しかしそれは、本当に相手を信じてはいないのです。信じていたなら、その相手がそうしたのですから、それが最善に決まっているではありませんか。
しかしそれは、本当に相手を信じてはいないのです。信じていたなら、その相手がそうしたのですから、それが最善に決まっているではありませんか。
「@やりたい時に、
Aやりたいことを、
Bやれている状態が「幸福」
ということは?
@焦っていれば焦っている時ほど、
Aその「瞬間」に勇気を持って自分に「ゆとり」を与えれば、
B最高の幸福を味わえる
ということになる。
要するに、焦っている「今」こそが、座るチャンスなんじゃよ。」(上p.337)
「焦る」というのは、「ほっとしたい」がためにそうしているんだというわけですね。だから、焦って行った結果に「ほっとする」を求めるのではなく、焦りを感じた時にすぐほっとすればいいのです。
なんだかんだと理由をつけて、やりたいことを先延ばしするから、なかなか幸せを感じられないのです。
なんだかんだと理由をつけて、やりたいことを先延ばしするから、なかなか幸せを感じられないのです。
「じゃあ、その人に伝えてあげるとよい。
「人生で一番最悪な時期だということは、
人生で一番幸せになり時」じゃと。」(上p.374)
空腹の時が、最高に美味しい食事ができる時です。人は、その感動(プラス)を味わうために、あえてマイナスに振れるのです。
「誘因が外側にあるのに対して、動因は人間の心の中にある。
この「誘因」と「動因」の2つが同時に発生し、それが人体を動かす「モチベーション」というエネルギーを生み出しておる。」(p.393)
たとえば、美味しいものを食べたいという動因があれば、美味しそうな食べ物という誘因を見た時、食べるという行動を引き起こします。
単に美味しそうな食べ物があっても、お腹が一杯で食べたくない時には、食べるという行動は起きません。また、美味しいものを食べたいという動因があっても、誘因となる食べ物がなければ、やはり食べるという行為は起きません。
単に美味しそうな食べ物があっても、お腹が一杯で食べたくない時には、食べるという行動は起きません。また、美味しいものを食べたいという動因があっても、誘因となる食べ物がなければ、やはり食べるという行為は起きません。
つまり、人の行為には必ず内的な動因と外的な誘因が必要だということです。馬はニンジンをぶら下げれば走りますが、お金をぶら下げても走らないのです。
「@「足りない」という「気持ち」が心にあり(動因)
Aそれを「埋めてくれるモノ」(誘因)を外側の世界に探して
B【動く】。
それが人間の【行動】じゃ。」(p.396)
この動因の大きさに見合った誘因を手に入れるまで、行動は続きます。つまり、足りない(マイナス)の大きさと、行動によって得られるもの(プラス)の大きさは同じです。
「人間の行動の全ては、実は「0(レイ)」を目指しているんじゃよ。」(上p.398)
自分の心にマイナスを作り、それを外のモノ(プラス)で埋めて0(レイ)に戻そうとする。それが人間がやっていることだと言うのですね。
「「なりたい」と感じたいのか、
それとも、
「なれている」と感じたいのか。」(上p.446)
たとえば、安全に「なりたい」と感じたいのでしょうか? それとも、安全に「なれている」と感じたいのでしょうか?
おそらく、本当は後者のはずです。それなのに私たちは、往々にして前者のように考えるのです。
おそらく、本当は後者のはずです。それなのに私たちは、往々にして前者のように考えるのです。
「外側の『誘因』を使わず、心の内側の『動因』を消せばいい。」(上p.444)
つまり、「足りない」という考え方をやめればいいのです。不足しているのではなく、充分にあるという考え方をすればいいのです。
最初からマイナスではなく0(レイ)の位置にいれば、苦しむ必要はないのです。すでに充分なのですから。そして、無意識の思いが「充分」であれば、豊かな現実が現れます。それが鏡像ですから。
「過去に自分が「やりたかった」のに「抑圧した」から、イラつくのです。
なので、解決方法は簡単です。
「やりたかったこと」なのですから、「やれば」いいのです。」(下p.50)
これは心屋仁之助さんも言われていたことですね。ズルくなれと。ズルい人を見てイライラするのは、それが自分がやりたかったことだからなのです。
「どのような【行為】であれ、人間が他者に対して行なう【行為】には、「お前もな!」というツッコミが成立するんじゃよ。
他人を使って自分の内側にある
「ひっかかり」を解消しようとしておるんじゃから当然じゃな。」(下p.161)
怒られた時、「お前もな!」というツッコミは万能だと言います。なぜなら、「怒る」という感情の原因が自分にあるからです。
人は、自分が抑圧してやれないでいることをやっている他人を見て、イラッとして怒るのです。ですから、起こっている人には「お前もな!」という返し文句が刺さります。
人は、自分が抑圧してやれないでいることをやっている他人を見て、イラッとして怒るのです。ですから、起こっている人には「お前もな!」という返し文句が刺さります。
「自分が他人へ文句を言いそうになった時に、
自分自身へ「お前もな!(私もな!)」と心の中でツッコむんじゃよ。」(下p.165)
このツッコミの使い方は、他人をギャフンと言わせるためではなく、自分の気付きのために使うのが正しいのですね。
ずるい、卑怯だ、と糾弾したくなったら、それらが自分の内側にあるということなのです。そこに気づかない限り、いくら外を変えようとしても上手く行かないし、満足する結果は得られないのです。
「大切にしなさい。ムカつくヤツを。
君のペルソナを脱がすために、踏ん張り続けてくれている者だ。
そして、彼の頑張りに応えるために君に必要なのは「勇気」だけだ。
ムカつくヤツを、許す勇気……か。」(下p.260)
ムカつく(怒る)原因は自分にあります。その原因を「ムカつくヤツ」は教えてくれているのです。
その原因は、本当の自分を隠すためにかぶってしまった仮面(ペルソナ)。それがいつしか、仮面なのか素顔なのかわからなくなる。本当の自分を見失うのです。
その原因は、本当の自分を隠すためにかぶってしまった仮面(ペルソナ)。それがいつしか、仮面なのか素顔なのかわからなくなる。本当の自分を見失うのです。
「全ての現象は、「得た」とも「失った」とも言えないんじゃよ。
どちらも、マボロシだからじゃよ。
プラスとマイナスは必ず同時に起こる。それが観測者の「視点」で変わるだけじゃ。」(下p.369)
コップの水をこぼせば、水を失ったとも言えますが、空気を得たとも言えるのです。「得る(プラス)」か「失う(マイナス)」かは、その人の見方次第です。
「『まったく新しい環境(ミルク)』を手に入れるためには、
コップの中のオレンジジュースがすっからかん、
つまり「1滴も」残っていない状態にしないといけないのです。
0(レイ)だということです。
勇気を持って0(レイ)にした後にだけ、最高の幸せはやってくるのです。」(下p.450)
先に捨てなければ入ってこない。まったく別のものにしたければ、残さないように完全に捨てなければならないのです。卒業しなければ入学はできません。捨てる勇気が大切なのですね。
分厚い本が2冊ですが、割と一気に読み終えました。特に下巻は、1日で読み切りましたよ。小説で、対話形式なので、とても読みやすいです。そして、ためになる話が満載でした。
それにしても、みつろうさんって天才ですかね? よくこんな小説仕立てにできるなぁと感心します。ぜひ、読んでみてほしい本です。
それにしても、みつろうさんって天才ですかね? よくこんな小説仕立てにできるなぁと感心します。ぜひ、読んでみてほしい本です。
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