2020年11月13日
明日を笑顔に
日本講演新聞(旧「みやざき中央新聞」)に、とても魅力的な記事を書かれる人がいます。現在は中部支局長をされている山本孝弘(やまもと・たかひろ)さんです。最近は時々、社説も書かれるようです。随分と出世されたなぁと思いながら、注目していました。
その山本さんが、本を出版されたと聞きました。最初のご著書ですから、これは買わずにはおれません。さっそくネットで注文しました。
新聞でも、センスの良いコラムを書かれていた山本さんが、いったいどんな本を出版されたのかと思ったら、文庫本サイズのエッセイ集のような本でした。
旅がお好きで、経験豊富な山本さんのエッセイは、読んでいてほっこりしたり、ホロリとしたり。そんな見開き2ページにぴったり収まるエッセイが、36話、収められていました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。それほど長い文章ではないので、特に気に入ったエッセイを2つ選び、そこからの引用です。
「今では口癖になっているという桜井さんの台詞に心を打たれた。
「私は不運ではあったが不幸ではない」
不運を不幸だと思わない生き方をする人に幸福はやってくるようだ。」(p.55)
「不運を不幸と思わない生き方」と題したエッセイで、桜井昌司さんという冤罪被害者の方の話です。あの冤罪があったからこそ幸せに生きられる。そう桜井さんは本気で思っておられるようです。
「妻の無言の励ましを受けて世間の攻撃と戦ってきたと言う河野さんは、さらにこう言った。
「人は間違えるものです。仕方ありません。人を恨むことで人生に与えられた貴重な時間を費やすくらいなら他のことに使いたい。私は人格者ではありません。許す方が楽だからそうしているだけです」
平穏に常に感謝し、今は釣りが楽しみだと語る彼に真の強さを見た。」(p.57)
これは「その男は「許す方が楽だ」と言った」と題するエッセイで、松本サリン事件の被害者でありながら、犯人扱いされた河野義行さんの話です。
河野さんは、刑を終えた犯人を自宅に優しく迎え入れました。何の落ち度もないのに、しかも被害者なのに、犯人扱いされて苦しめられた。その原因となった犯人を、河野さんはいとも簡単に許されたのです。
それは、14年間、意識が戻らずに亡くなられた奥様から、いつも見守られ、励まされてきたという思いがあったからのようです。恨んで生きるのも人生なら、許して生きるのもまた人生。河野さんは、それが楽だからと言って、許す人生を選ばれたのです。
山本さんのエッセイには、いろいろな人が登場します。そこで語られるエピソードは、山本さんご自身の経験の深さによって培われた人間観察力によって掘り出された、一級品の彫刻のような感じがします。だから私は、山本さんの文章が好きなんですね。
2020年11月21日
リト
かっこちゃんこと山元加津子(やまもと・かつこ)さんの新刊を読みました。
今回の本は、Amazonなど書店での購入ができないようです。モナ森出版さんかエコ・ブランチ【樺゚田商会】鶴田紀子さんから購入することができます。
※Youtube動画でも本の紹介をしています。また、かっこちゃんの本の一覧もありますので、ぜひご利用ください。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
この本は物語になっていて、子犬のリトが生きることの意味を探しながら旅をする話です。その過程で、ガシューダという不思議な存在が語られます。おそらくそれは「神」とか「サムシンググレート」と呼ばれる存在なのでしょう。
そして物語の中に、世界を襲う流行り病が出てきます。これはもちろん、今流行っているコロナウイルスを暗示しています。
「誰のせいとか、誰が悪いとか思っても、流行り病いがおさまるわけではないのよ。誰かを恨んではだめ。恨むことは返って、ことを悪い方向へ進ませるわ。できることは、今、何をしたらいいか考えること。前を向いて歩いていくことよ。
どんなことも必要で起きるとママは思っているの。だから、あの恐ろしい流行り病いにもきっと理由がある。でもね、その理由はずいぶん時間が経たないとわからないのかもしれない。
ママもオリーもリトもいつかみんな死んでしまって、もっともっと時間がかかってようやくわかることもあるんだわ」(p.85)
「悪い」という決めつけは、問題を解決することにはつながりません。起こることはすべて必要なこと、完璧で最善なのです。
「「すべて必要で起きることなんだね」
「うんそう。必要なんだ。全部だよ。ものも、ことも、人も、動物も、起きることも、何もかもがみんな必要」」(p.107)
「人間万事塞翁が馬」と言いますが、「悪い」と感じることであっても、それが「良い」につながっている。だから、すべてが必要なのです。
「出会いというものは、片方のためだけにあるわけではありません。いつも両方にとって必要なのです。」(p.123)
「神との対話」でも、人は贈り物を持って現れると言います。その贈り物を相手に与え、そして相手からも贈り物を受け取る。だから出会いは神聖なのです。互いにプレゼントを与え合うのです。その贈り物によって、私たちは気づきを得られるのですから。
「覚えておいてね。この世界には約束ごとがある。それはどんなこともいつかのいい日のためにあるということ。
ガシューダは私たちをいつも愛してくださっている。ガシューダの魂の声に耳をすませて生きていけば大丈夫。私はいつもそう信じているわ」(p.132)
ママは娘のオリーとリトに対して、こう語っています。これが、かっこちゃんがみんなに伝えたいメッセージだろうと思いました。
「あとがき」でかっこちゃんは、この物語を作るきっかけになった雪絵ちゃんという女の子のことを語ります。雪絵ちゃんはMS(多発性硬化症)という難病で、やがて体が動かなくなって死んでいく病気です。症状が現れるたびに、目が見えにくくなったり、手足が動かしにくくなっていきます。
「けれども雪絵ちゃんはいつも前向きで、いつも「私は私でよかった」ということを繰り返し伝えてくれました。
「もし目が見えなくなったら、手や足が動かなくなったら、私は、目や手や足にありがとうと言うよ。私のために頑張ってくれたのに、なんでよーなんて言ってはあんまりだから。ありがとうって言うよ」
「私は12月28日に生まれました。1分1秒間違いなくこの私になるために生まれてきたよ」
そんな雪絵ちゃんが亡くなるときに、私に言いました。
「世界中の人に、一人ひとりが違ってそれが素晴らしいということ、みんなが素敵で大切だということ。すべてがいつかのいい日のためにあることをかっこちゃん(私のことです)が伝えて。約束して」
それが雪絵ちゃんの遺言になりました。」(p.150)
雪絵ちゃんの想いに応えようとして、かっこちゃんは講演をしたり、本を書いたりしているのです。
それにしても、雪絵ちゃんという少女は、天使なのだなぁと思いませんか? 私はそう思います。
かっこちゃんは、天使から見初められたのでしょう。そして、このメッセージを伝えてくれるかっこちゃんは、私たちにとっての天使なのだと思います。
だからこそ私は、そのメッセージを他の人に伝える天使になりたいと思うのです。
今回の本は、Amazonなど書店での購入ができないようです。モナ森出版さんかエコ・ブランチ【樺゚田商会】鶴田紀子さんから購入することができます。
※Youtube動画でも本の紹介をしています。また、かっこちゃんの本の一覧もありますので、ぜひご利用ください。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
この本は物語になっていて、子犬のリトが生きることの意味を探しながら旅をする話です。その過程で、ガシューダという不思議な存在が語られます。おそらくそれは「神」とか「サムシンググレート」と呼ばれる存在なのでしょう。
そして物語の中に、世界を襲う流行り病が出てきます。これはもちろん、今流行っているコロナウイルスを暗示しています。
「誰のせいとか、誰が悪いとか思っても、流行り病いがおさまるわけではないのよ。誰かを恨んではだめ。恨むことは返って、ことを悪い方向へ進ませるわ。できることは、今、何をしたらいいか考えること。前を向いて歩いていくことよ。
どんなことも必要で起きるとママは思っているの。だから、あの恐ろしい流行り病いにもきっと理由がある。でもね、その理由はずいぶん時間が経たないとわからないのかもしれない。
ママもオリーもリトもいつかみんな死んでしまって、もっともっと時間がかかってようやくわかることもあるんだわ」(p.85)
「悪い」という決めつけは、問題を解決することにはつながりません。起こることはすべて必要なこと、完璧で最善なのです。
「「すべて必要で起きることなんだね」
「うんそう。必要なんだ。全部だよ。ものも、ことも、人も、動物も、起きることも、何もかもがみんな必要」」(p.107)
「人間万事塞翁が馬」と言いますが、「悪い」と感じることであっても、それが「良い」につながっている。だから、すべてが必要なのです。
「出会いというものは、片方のためだけにあるわけではありません。いつも両方にとって必要なのです。」(p.123)
「神との対話」でも、人は贈り物を持って現れると言います。その贈り物を相手に与え、そして相手からも贈り物を受け取る。だから出会いは神聖なのです。互いにプレゼントを与え合うのです。その贈り物によって、私たちは気づきを得られるのですから。
「覚えておいてね。この世界には約束ごとがある。それはどんなこともいつかのいい日のためにあるということ。
ガシューダは私たちをいつも愛してくださっている。ガシューダの魂の声に耳をすませて生きていけば大丈夫。私はいつもそう信じているわ」(p.132)
ママは娘のオリーとリトに対して、こう語っています。これが、かっこちゃんがみんなに伝えたいメッセージだろうと思いました。
「あとがき」でかっこちゃんは、この物語を作るきっかけになった雪絵ちゃんという女の子のことを語ります。雪絵ちゃんはMS(多発性硬化症)という難病で、やがて体が動かなくなって死んでいく病気です。症状が現れるたびに、目が見えにくくなったり、手足が動かしにくくなっていきます。
「けれども雪絵ちゃんはいつも前向きで、いつも「私は私でよかった」ということを繰り返し伝えてくれました。
「もし目が見えなくなったら、手や足が動かなくなったら、私は、目や手や足にありがとうと言うよ。私のために頑張ってくれたのに、なんでよーなんて言ってはあんまりだから。ありがとうって言うよ」
「私は12月28日に生まれました。1分1秒間違いなくこの私になるために生まれてきたよ」
そんな雪絵ちゃんが亡くなるときに、私に言いました。
「世界中の人に、一人ひとりが違ってそれが素晴らしいということ、みんなが素敵で大切だということ。すべてがいつかのいい日のためにあることをかっこちゃん(私のことです)が伝えて。約束して」
それが雪絵ちゃんの遺言になりました。」(p.150)
雪絵ちゃんの想いに応えようとして、かっこちゃんは講演をしたり、本を書いたりしているのです。
それにしても、雪絵ちゃんという少女は、天使なのだなぁと思いませんか? 私はそう思います。
かっこちゃんは、天使から見初められたのでしょう。そして、このメッセージを伝えてくれるかっこちゃんは、私たちにとっての天使なのだと思います。
だからこそ私は、そのメッセージを他の人に伝える天使になりたいと思うのです。
2020年11月30日
ずるい生き方
心屋仁之助(こころや・じんのすけ)さんの新刊を読みました。数多くの本を出版してこられた心屋さんですが、心屋さんとしての本は、これが最後になるのだそうです。心屋さんは、これまでのカウンセラーとしての活動を完全に辞めて、シンガーとしての活動を行われるとのこと。記念となる最後の本を読ませていただきました。
この本は、これまで語ってこられた心屋さんの考えの集大成になるものだそうです。したがって、ある意味で、この本さえ読めば、これまでの本に書かれている内容はすべてわかるということですね。
ではさっそく、一部を引用しながら、内容を紹介していきましょう。
「「やらねば」とか「やるべき」をやめて、「やりたい」ことだけをする。生き方の優先順位を逆転させてしまうのです。
それが人として、心の豊かな時間を過ごし、しかもお金も稼げて人からも愛される方法です。」(p.17)
心屋さんは、これを「ずるい生き方」だと言います。努力もせず、頑張りもせず、我慢もしない。それでいて愛されて、豊かになる。そんな「ずるい生き方」を勧めているのです。
「どっちにしても、お母さんを幸せにしてあげたいという気持ちが働くから、頑張ってしまう。
これが、小さいときから刷り込まれる記憶なんです。お母さんとの関係が、自分を作るんですね。不思議なことに、このときお父さんの存在は一切出てこない。」(p.61 - 62)
映画「かみさまとのやくそく」でも、子どもはお母さんを選び、このお母さんを幸せにしたくて生まれてくると言っていますね。そのことによって、無意識に自分自身を強制してしまうのかもしれません。
「「お母さんを困らせてはいけない」「幸せにしなければいけない」と思っている人は、お母さんのことを「不幸」だと思っているのです。だから助けて「あげないと」と思う。
なんて上から目線で、なんて失礼な(笑)。」(p.64)
実際のところ、お母さんはそうしたくてそうしているのです。不幸だとすれば、不幸になりたくて不幸を選んでいるのです。不幸を選ぶことが幸せなのですね。
だから、親不孝していいのだと心屋さんは言います。親に感謝する必要もないし、何なら悲しませてもいい。お母さんはすでに幸せなのだ、という目で見てあげることが、本当の意味でお母さんの幸せに役立つし、自分も幸せになれるのです。
「「僕が『自分はすごい』と言うことで、あなたに何か迷惑かけましたっけ?」
というぐらいの態度で堂々としていたら、結果的にすごいと言われることがどんどん増えていくんですよね。」(p.174)
福山雅治さんのコンサートで、心屋さんが感じたことです。福山さんは、ステージでは堂々としていて、自分を卑下することがない。だから、見ている方は安心して、その素晴らしさにハマることができるのです。
だから、前提を「自分はすごい」にすればいいのだと心屋さんは言います。根拠は不要なのです。前提ですから。
「でも自分のほうが頑張っているはずなのにとか、面白いものを書いているはずなのにとか、そう思ったら嫉妬やねたみが生まれる。
でもあるときふと思ったんです。
どうして僕は、その100万部いった人のことを「見せられている」んだろう、「知らされている」んだろうと。そう考えたとき、
「あ、そうか。これ、予告編なんだな」
と思うようになったんです。」(p.184)
羨ましいと感じるのは、自分もそうなれるからだ、という考えがありますよね。そもそもそうなりたくもないし、なれるとも思っていなければ、羨ましくも妬(ねた)ましくもないからだと。それを心屋さんはさらに進化させ、それは予告編なのだと考えます。
つまり、「いつかこんなふうになるよ」ということを、人生が見せてくれているんだというわけです。そう考えることによって、妬みという自分の進化を止めてしまう思考から解放されるのですね。
「たとえば、何か問題が起きたときに「なんとかしなきゃ!」「解決しなきゃ!」とやっきになればなるほど、問題はそこに存在し続け、時に大きくなります。大切なのは「なんとかなる」と信じるかどうかなのです。」(p.197)
「自分のことも他人のことも、目の前のことも「大丈夫だ」「これでいいのだ」。
なんなら、
「私がやらねば誰がやる!」
ではなく、
「私がやらねば誰かやる!」
ぐらいに全部信頼してしまう。ずるいでしょ?(笑)」(p.197 - 198)
自分のことも他人のこと、大丈夫だって思うことが大事なのですね。自分には何の責任もない。周りが何とかしてくれるからと。
「つまり、
他人へのアドバイスや忠告は、
自分へのアドバイス。
だから、あなたが誰かに何かを言いたい気持ちになったり、ネットのコメントで悪口を書きたくなったりしたらちょっと立ち止まってください。
(中略)
それは自分自身へのアドバイス。気になる人へ投げたブーメランが、後ろから自分の頭に飛んできて刺さる! みたいな。」(p.204 - 205)
私も、SNSでコメントする時、これを意識するよう心がけています。この言ったことは、自分へ言うべきことではないかと。
投稿する時は、まさにそうだなぁと思いながら投稿するのですけどね。でも、つい誰かのコメントに反応してコメントを返す時は、忘れがちになります。でも、これがわかっていれば、後から自分のコメントを読み返すことで、気づくことも多いかと思います。
「じゃあ、どんな人が幸せかというと、
成功してもしなくても自分は認められていて、
愛されていると感じている人なんですね。」(p.211)
つまり、今あるがままで「これで充分だ」と感じているということです。そして、そう感じるためには、自分の好きなことを遠慮せずにやってみることなのだと。
そうしていれば、自然と成功するのだと心屋さんは言います。成功してから幸せになるのではなく、幸せを感じたら成功するようになるのです。
大丈夫だから、「ずるい生き方」をしよう! 心屋さんが、カウンセラー活動の中で最も伝えたかったことは、そういうことなのだろうと思います。
私も、「大丈夫だ、何とかなる!」ということが、この幸せ実践塾の究極のメッセージだと思っています。心屋さんには、たくさんの気づきをいただきました。今後のご活躍をお祈りしています。
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