2020年07月07日
チャラリーマンだった僕が人生は宝さがしだと気づいたら、世界に羽ばたくサムライ書家になっていた。
ちょっと長いタイトルなのですが、私の友人で書家の小林龍人(こばやし・りゅうじん)さんの本を読みました。小林さんの初出版ということで、買わせていただきました。
タイトルが長いのですが、「人生は宝さがし」の部分が大きく書かれています。ここだけをこの記事のタイトルにしようかとも思ったのですが、「チャラリーマン」という言葉が彼を表現するのにとても重要だと感じたので、長いままにしておきました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
小林さんは、見てくれだけを重視するチャラチャラしたチャラリーマンだったと自分のことを言います。しかし内心は、自分はできる男だと思っていたようです。そんな小林さんのプライドをズタズタしたのが、彼女にフラれた事件だったとか。
「ただフラれたのであれば「仕方がないか〜」で終わったかもしれない。けれど、僕としては別れたつもりがないのに、飲み会で彼女とほかの男の交際宣言&キスシーンの場に居合わせた。
僕の高いプライドはもうズタズタ。怒りと悲しみに打ちひしがれ、「こうなったら”できる男”になって見返してやる!」と思い立った。」(p.018)
そこから本を読み、セミナーに通うという、これまでとはまったく違う生活になったのだそうです。
小林さんはその後、会社を辞め、若者向けのカウンセリングをしようと思い、路上に座る活動を始めます。そこで立ち止まってもらうために、気に入った言葉を筆で書いて並べるようになったのだとか。
それがきっかけで、かつて習っていた書を、本格的に再開した小林さんは、ある時、龍の文字の最後のハネに龍が現れたような書ができたそうです。そこから、龍が現れる書を追求することになるのです。
「あまり狙ったり考えながら書いたりしても、ダメなのかもしれない……。
そう思った僕は、それから書を書くときは、線に集中する、体の力を抜くなど、自分の心と体の状態を意識し、特に、心で書く、右脳(感性)で書くことに意識を向けるようになった。
すると、しだいに、”龍”が現れる回数が増えていった。」(p.047)
小林さんが路上に座ってカウンセリングを始めたのは、ある人から勧められたからでした。しかし、プライドの高さが邪魔して、すぐにそのアドバイスを受け入れることができません。けれども、話をしているうちに心の奥底から突き動かす何かが湧いてきて、最終的にはやることに決めたのだそうです。
「頭(理性)と心(感情)が求めるものが食い違うとき、それまでの僕は、頭で考えることを優先してきたように思う。でもそのときは、なぜか、心が喜ぶほうを選択したのだ。
もし、路上に座り込んでカウンセリングをするという選択をしていなければ、今の僕は間違いなくいない。」(p.073)
何かを直感的に感じて、それを受け入れることによって、人生は開けていくのでしょうね。
小林さんはある時、人から紹介されてセミナーに参加したことがあったそうです。そんなに気乗りはしなかったそうですが、その人が非常に熱心に進めるので、とりあえず1回は行ってみようかと思ったのだとか。
でも、その「1回は勧めにしたがってみる」という考え方で行動したことで、師と仰ぐ白石念舟先生と出会ったと言います。幕末のことをまるで見てきたかのように語る白石先生に魅了され、人生の師と思ったのだそうです。その白石先生から、幕末の志士、坂本龍馬、西郷隆盛、吉田松陰らの直筆の書を間近で見させてもらって、そのエネルギーを感じたそうです。
「先生いわく「書体はまねできてもその人の想いや波動、気まではまねできない。本物の作品からは風が吹いてくる」とのことだった。
僕には先生のような感覚はわからないけれど、初めて本物の西郷隆盛の書を見たとき、墨の乗り具合に魅力を感じ、素直にすごい書だなと思った。」(p.115)
本物の書を見ることで、小林さんの感性が磨かれていったようです。
その後、小林さんは、海外での活動が増えていきます。これもまた、いろいろな縁があって可能になっていったのです。しかし、単に偶然だったわけではなく、すぐに行動してみる小林さんの行動力によって、多くの人とつながっていったのです。
最初のミラノ万博日本館認定芸術展に出展した時も、単に海外の展示会に出展したという実績作りだけが目的だったと言います。しかし、その飛行機がアブダビでトランジットだとわかった時、同じUAEのドバイにFacebookで知り合った友人がいることを思い出し、ドバイでも活動したいという思いが沸き起こり、すぐに行動に移したのです。
「そのとき役に立ったのは、”今”自分ができることは何なのかという意識だったように思う。物事を意識すると、それまで見えなかったいろいろなサインやつながりが見えてくる。その結果、自分が気になったものに対して行動する。」(p.178)
初めてのことをしようとすれば、不安になるものです。小林さんもそうでしたが、声がかかったなら必ず受ける。そう決めて行動していったそうです。
「なんでも気になったこと、やりたいと思ったことはやってみる。それでどうなるか、結果には執着しない。そうすることで、タイミングが合ったときに何事も自然にご縁が生まれ、物事が好転していくように思えた。」(p.193)
私と小林さんとの出会いは、2011年6月の箱根出版ブランディング合宿というセミナーでした。1泊2日のセミナーで、箱根のホテルで行われました。夜、食事の後にビールを飲みながら、話をしたのがきっかけです。
その後、小林さんの「龍」の書を買ったり、私が好きな言葉を書いてもらったりして、関係が続いていたのです。
その小林さんが、海外へ進出され、そしてついに出版もされた。しかも、「神との対話」シリーズを出版しているサンマーク出版さんから。すごいなぁと思います。本当におめでとうございます!そして、今後のますますの活躍を心からお祈りしています。
2020年07月17日
心。
JALの再建など、困難な事業を次々と成功に導いてきた稲盛和夫(いなもり・かずお)氏の本を読みました。ミリオンセラーとなった前作「生き方」の続編になるとのことです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「そんな私を見かねたのか、当時隣に住んでいたおばさんが一冊の本を貸してくれました。そこにはおよそ、次のようなことが書いてありました。
「いかなる災難もそれを引き寄せる心があるからこそ起こってくる。自分の心が呼ばないものは、何ひとつ近づいてくることはない」
ああ、たしかにそうだ、と私は思いました。病気を恐れず懸命に看病をしていた父は感染せず、また病気など気にせず平然と生活していた兄もまた罹患しなかった。病を恐れ、忌み嫌い、避けようとしていた私だけが、病気を呼び寄せてしまったのです。」(p.015)
稲盛氏は小学生のころ、肺結核の初期症状である肺浸潤にかかり、闘病生活を送ったそうです。死を間近に感じて、恐怖におののきながら過ごしたのだとか。
そんな中で1冊の本との出会いがあり、すべては自分の心が引き寄せているということを知ったのですね。私も母からある本を勧められて、同じように感じたことがありました。ひょっとしたら同じ本かもしれませんね。
「栄光に満ち、歓喜きわまる日があれば、苦難にさいなまれ、歯を食いしばって耐え忍ぶ日もあるでしょう。
そんな人生を、私たちはどう生き抜いていったらよいのでしょうか。この世という荒海をどのように漕ぎ進めばよいのか。
それは、実にシンプルなことなのです。人生で起こるあらゆる出来事はすべて自らの心が引き寄せ、つくり出したもの。そうであればこそ、目の前に起こってきた現実に対して、いかなる思いを抱き、いかなる心で対処するか−−それによって、人生は大きく変わっていくのです。」(p.035)
たとえば苦難な状況に出会った場合にも、運命を呪って自暴自棄になる人もいれば、希望を胸に困難を克服しようとする人もいます。目の前の現実がどうかではなく、自分がどういう心持ちで生きるかが重要なのですね。なぜなら、自分の心が原因だからです。
「京セラの本社の前には、連日テレビカメラが列をなし、私が頭を下げて謝る姿が幾度となくテレビで放映されました。私は身も心もすっかり疲れきってしまい、老師のところに相談に上がったのです。
老師はいつものようにお茶を点(た)てて、私の話をじっと聞いてくださいました。そして、「それはよかったですね。災難が降りかかるときは、過去の業(ごう)が消えるときなのです。それぐらいのことで業が消えるのですから、お祝いしなければなりませんな」といわれたのです。」(p.043 - 044)
京セラが人工膝関節の認可を受けずに製造、供給していたことで、世間からバッシングを受けた時の話です。認可を受けていたのは人工股関節だけでしたが、医療関係者からの急を要する強い要望があって、人工膝関節の認可を待たずに供給したのでした。
稲盛氏は一切弁明せず、ひたすら頭を下げたとのこと。それでも心身が疲弊し、元臨済宗妙心寺派館長の西片擔雪(にしかた・たんせつ)老師の話を伺いに行かれたのです。
そこで教わったのは、災難を喜ぶという考え方でした。意図的に喜ぶことです。
「喜ぶことができれば、おのずと感謝することができます。どんな災難でも喜び、感謝すれば、もうそれは消えてなくなるのです。」(p.043)
この考え方は、安岡正篤(やすおか・まさひろ)氏の「喜神を含む」という考え方に通じますね。また、良寛禅師の災難を避ける妙法の話にも通じます。起こったことは受け入れること、しかも喜んで受け入れることが大事なのです。
「瞑想でも座禅でもよいのですが、毎日短い時間でもよいので、心を平らかに鎮めるひとときをとることによって、真我の状態に少しでも近づくことができる。それは人生全般を豊かで実りあるものにしてくれる一助となることでしょう。」(p.189)
「神との対話」シリーズでも瞑想を勧めています。静かにして自分と向き合う時間が大切なのですね。
「しかし不思議なもので、進んでいくのを不安に思ったことはありませんでした。何か大きなものに守られているような安心感があり、その中で信頼と確信をもって歩いてこられたように思います。
あるいは、恐怖や躊躇を感じる余裕すらなかったというほうが正しいかもしれません。深い霧に覆われて一寸先すらも見えない、そんな道を必死懸命に、目の前の一歩を踏み出すことだけを考えてひたすら歩んできた。」(p.203 - 204)
半世紀以上も経営を続けられた稲盛氏は、危険で困難なことの連続だったが、不安を感じなかったと言われます。不安を感じる余裕もなく目の前のことに没頭したのだと。
ただ、心のどこかには、常に自分の心を磨いて自己を高めていれば、運命は必ず導いてくれるという信仰のようなものがあったとも言います。それによって安心感を得られたのではないかと。
経営の技術に関することは、ほとんど書かれていません。どういう心持ちで困難な出来事に対処してきたか、それが書かれているだけです。
常に自分の心を磨くこと。小さな自分のためではなく、全体のために「良い」と思うことを優先する。他に恥じることのない美しい心を保つ。
そういう生き方をすることで、運命は良いように導いてくれるのだということを、稲盛氏は語っておられるのです。
2020年07月29日
セールスの絶対教科書
「日本講演新聞」(旧「みやざき中央新聞」)の社説で紹介されていた本だと思います。著者は岡根芳樹(おかね・よしき)さん。以前に「オーマイ・ゴッドファーザー」という本を紹介しています。
タイトルにもあるように、これはセールス指南の本です。そうなのですが、セールスを極めると「生き方」になるのではないか。そう感じさせるくらい、素晴らしい内容なのです。そのことが社説を読んで感じられたので、ちょっと高いのですが、買ってみました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
この本はサブタイトルに「演劇の手法による」とあるように、演劇によって伝えるという体裁になっています。つまりこの本は、全体が演劇の台本なのです。この台本を読むことで、まさに目の前でそのドラマが繰り広げられており、それをイメージしながらセールスを学ぶことができます。
さらには、この台本通りに演じてみることによって、より深く学び、かつその手法を身につけることができるのです。
登場人物は7人です。主人公は、セールスの天才、桑森正春52歳、そして22歳の頃の桑森。ブチョーと呼ばれるおっさん60歳くらい。他には、ダメセールスマンの柊(ひいらぎ)、警察官のホンカンなど。
「柊 「運がよかったんすね」
桑森 「運か。まあそうかもしれんな。人生は無限にある選択肢の中から常に一つを選びながら進んでいくようなもんだからな」」(p.56)
セールスを始めたばかりの桑森は、柊と同様にダメなセールスマンでした。そんな桑森がホームレスのブチョーと出会ったとき、請われるがままに缶ビールを買ってあげたのです。なぜそんなことをしたのか? それは「理屈」ではなく「勘」だと言います。
「桑森 「俺はな、一番面白そうな道を選ぶのさ。無難でもない、楽でもない、正しいかどうかでもない。大変かもしれないし、損するかもしれないけど、面白い。ドラマになる。家賃もないし、財布に千円しかない。でも、ホームレスのじじいに缶ビールをおごってやる。面白いだろ」」(p.57)
桑森の選択基準に注目すべきですね。損得ではなく面白いかどうか。直観に従うという生き方です。
このことによって桑森の道が開かれ、ブチョーからセールスを教わることになります。
「ブチョー「感動するストーリーにするにはどんなシーンにする?」
桑森 「ああ、そうだな……失敗しても失敗しても、何度でも挑戦していくシーンだな。」
ブチョー「そういうことじゃ。それがドラマとして面白いのじゃ。しかしおめえは、失敗を恐れて挑戦をしなかった。うまくいきそうな相手をひたすら探し続けておった。はあ、まったく面白くない。そんなドラマを誰が観る?」(p.103)
セールスはドラマだとブチョーは言います。その見方が失敗を恐れないメンタルを作るのです。
「ブチョー「セールスはドラマのワンシーンじゃと思え。初めからうまくやろうと思わずに、むしろ逆じゃ。初めはドラマを盛り上げるためにわざと失敗するようにやってみろ」」(p.103)
わざと失敗するなら、失敗を恥ずかしいとは感じません。「契約数=アタック数×契約率」ですが、テクニックを磨いて契約率が高くなると、アタック数が落ちてしまう傾向があるのです。それは、アタックすることが楽しくないからですね。
「ブチョー「真面目に頑張るたあ、どういうことかわかるか? 嫌なこと、辛いことを我慢して頑張るっちゅうことじゃ」
桑森 「それのどこがダメなんだ?」
ブチョー「我慢しておるから、楽をしたくなるんじゃ。それでも契約が取れるんなら我慢もまだ報われるというもんじゃが、契約が取れなかったらどうなる。我慢に我慢を重ねた結果、心が折れてセールスの世界から去っていくんじゃ。数日前の誰かさんみたいにな」」(p.111)
人生も同じですね。真面目に我慢して頑張っている人ほど、心が折れやすいものです。そして人生から自主退場してしまう。
では、真面目でなければいいのか? 不真面目ならいいのか? それに対してブチョーは次のように言います。
「真面目も不真面目も自然界にゃぁ存在しないんじゃ。真面目なライオンや、不真面目なキリンがおるか? 真面目も不真面目もどっちも不自然なもので同じことじゃ。表裏一体ってことよ。いいか、真面目の反対は自然体、つまり『馬鹿』のことじゃ。」(p.111 - 112)
馬鹿力という言葉があるように、「馬鹿」は頭が悪いという意味ではなく、頭で制御しないという意味です。真面目に固くなるのではなく、制御せずに柔らかくあること。それが馬鹿になることなのです。
「桑森 「プレゼンテーションの極意は、心理学だけではダメなんだ。心理学に基づいた素晴らしい台本ができたとしても、客は台本に金を払うわけじゃないだろ?」
柊 「そっか、役者の演技力が必要なんすね?」
桑森 「そうだ。心理学を応用したトークが縦軸だとすれば、相手の心に響かせる表現力は横軸だ」」(p.269)
知っているだけでは不十分なのです。それに基づいて実際に表現できること、使えることが重要なのですね。
人生も同じで、何度も何度も繰り返しながら実際にできるようになっていきます。でも、こんなふうに演劇としてデモンストレーションすれば、もっと簡単に身につくのかもしれない。そんなことを思いました。
「桑森 「ああ、すごく面白い。まるで長い長い一本の映画のようにな。だから何があろうと大丈夫だ。私の人生はこれまでいい人生だった。そしてこれからもいい人生だ。そのことを知っておいて欲しい」」(p.287)
人生は長く、大変なこともたくさんあるが、「面白い」と桑森は言います。「面白い」と思えれば最強ですね。
「桑森 「君が見ている夢なのか、私が見ている夢なのか、それとも知らない誰かが見ている夢なのかもしれないな。」
桑森(三十年前)「誰かが見ている夢の中を俺は生きているっていうのか? じゃあ、昨日のことはどうなる? ゆうべ俺が夢だと思ってたことが実は夢じゃなかった……という夢? ややこしいな!」
桑森 「でも、それを否定することは誰にもできない。私が存在していることは私にはわかるが、君が存在しているかどうかは、私にはわからない。この世界は、たった一人の誰かが見ている長い長い夢なのかもしれない」
桑森(三十年前)「あるいは人類が同時に見ている夢なのかも」」(p.293)
セールスの達人となった桑森は、時空の歪みから30年前の自分自身と遭遇し、語り合います。その中でのセリフですが、私たちの本質が「ひとつのもの」だけであれば、この世は幻想であり、個々の人もまた幻想だということになります。それはまさに、「ひとつのもの」の夢なのです。
このことについて、これ以上の言及はありませんが、そう考えてみれば、人生を楽しんだらいいじゃないか、楽しめば上手くいく、という考え方が受け入れやすくなるのではないかと思います。
大ぶりで厚みのある本ですが、演劇の台本なのでスラスラと読めました。そして、セールスとは人生そのものだなぁと感じました。何度も読み返して、このように人生を演じたいと思いました。
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