「「神との対話」シリーズを読む」というメルマガをまぐまぐで発行しています。
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(※章、ページは単行本をもとにしています。またページは、メルマガに出てくる最も大きいページですが、メルマガで紹介する都合上、ページが前後する場合もあります。参考程度にご覧ください。)
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それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
どうぞ、ご利用ください。
「明日の神」
※「神との対話」シリーズの書籍紹介は、リンク先のページをご覧ください。
◆第一部 神をつくり変える
●第1章,第2章
01「新しい神が必要だ」
(2019年6月3)1回目(〜p.31)
●第3章
02「「昨日の神」と「明日の神」の違い」
(2019年6月4)1回目(〜p.43)
03「創造主は被造物でもある」
(2019年6月5)2回目(〜p.50)
04「すべてはひとつという生き方」
(2019年6月6)3回目(〜p.55)
●第4章
05「「先に仕える」ことが重要」
(2019年6月7)1回目(〜p.64)
06「生命を最高の価値とする」
(2019年6月10)2回目(〜p.67)
07「瞑想法による意識の拡大」
(2019年6月11)3回目(〜p.72)
08「ブレスワークと意識の拡大」
(2019年6月12)4回目(〜p.81)
●第5章
09「神とは生命というプロセスである」
(2019年6月13)1回目(〜p.90)
●第6章
10「神とは変化のプロセスだ」
(2019年6月14)1回目(〜p.100)
11「分離から統合への循環」
(2019年6月17)2回目(〜p.106)
●第7章
12「神は生命でありシステムだ」
(2019年6月18)1回目(〜p.117)
●第8章
13「生命を最高の価値とする」
(2019年6月19)1回目(〜p.123)
14「誤解に気づいて信念を変える」
(2019年6月20)2回目(〜p.131)
●第9章
15「人々が信じているのは「二つの顔をもつ神」」
(2019年6月21)1回目(〜p.151)
●第10章
16「すべては自分が創っている」
(2019年6月24)1回目(〜p.160)
17「すべて癒すたった1つのメッセージ」
(2019年6月25)2回目(〜p.167)
●第11章
18「マスターとして生きる」
(2019年6月26)1回目(〜p.174)
19「良い世話役として生きる」
(2019年6月27)2回目(〜p.177)
●第12章
20「私たちは人類の希望だ」
(2019年6月28)1回目(〜p.191)
●第13章
21「「明日の神」は何も必要としない」
(2019年7月1)1回目(〜p.203)
●第14章
22「神は生命に仕える」
(2019年7月2)1回目(〜p.209)
23「お互いに目覚めさせる」
(2019年7月3)2回目(〜p.217)
●第15章
24「何も必要としない神」
(2019年7月4)1回目(〜p.222)
25「神には条件はない」
(2019年7月5)2回目(〜p.231)
●第16章
26「聖なる源はそれぞれの人にある」
(2019年7月8)1回目(〜p.238)
◆第二部 第四の大変化
●第17章
27「「第四の大変化」が起こる」
(2019年7月9)1回目(〜p.250)
●第18章
28「自分で自分の面倒をみよ」
(2019年7月10)1回目(〜p.255)
29「すべての本は聖なる書物」
(2019年7月11)2回目(〜p.262)
30「神は「あれであり、これである」」
(2019年7月12)3回目(〜p.267)
31「天使の無邪気さ」
(2019年7月15)4回目(〜p.273)
●第19章
32「霊性と政治の関係」
(2019年7月16)1回目(〜p.284)
33「「明日の神」を受け入れた世界」
(2019年7月17)2回目(〜p.305)
●第20章
34「所有から利用へ」
(2019年7月18)1回目(〜p.328)
●第21章
35「子どもの教育のためのメッセージ」
(2019年7月19)1回目(〜p.334)
36「「明日の神」の「創造教育」」
(2019年7月22)2回目(〜p.345)
37「新しい「三つのR」とは」
(2019年7月23)3回目(〜p.351)
38「松下村塾のような創造教育」
(2019年7月24)4回目(〜p.360)
●第22章
39「人間関係の目的」
(2019年7月25)1回目(〜p.369)
40「人間関係の意味は自分が与えている」
(2019年7月26)2回目(〜p.374)
41「内側にあるものを外側で経験する」
(2019年7月29)3回目(〜p.379)
42「人は全面的に自由である」
(2019年7月30)4回目(〜p.385)
43「いつでも自由に選択している」
(2019年7月31)5回目(〜p.391)
●第23章
44「抑圧が性犯罪を助長する (18禁)」
(2019年8月1)1回目(〜p.406)
●第24章
45「悟りの道とは?」
(2019年8月2)1回目(〜p.420)
46「悟りに到達する最速の方法」
(2019年8月5)2回目(〜p.427)
●第25章
47「新しい霊性の担い手となれ!」
(2019年8月6)1回目(〜p.430)
2019年06月05日
2019年06月08日
運転者
喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの最新刊を読みました。期待に違わぬ喜多川ワールドですね。
読み終えた直後、閉じた本に向かって姿勢を正して、「ありがとうございました」と深々とお辞儀をしました。こんな素晴らしい小説を読ませていただけることに対して、感謝の念が自然と湧いてきたのです。
※喜多川さんの本などの一覧は、こちら「喜多川泰」のページをご覧ください。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただし、これは小説なので、ネタバレしない範囲に留めたいと思います。
物語のあらすじを書くと、完全歩合制の保険の営業マンである岡田修一は、大量契約した保険がすべて解約されたため、絶体絶命のピンチに陥ります。その時、ひょんなことから不思議なタクシーに乗ることになり、その運転手の導きで幸運への道を歩み始める、というものです。
「「そうですか。そんな人の運を変えるのが私の仕事です」
「どんな仕事だよ、それ」
「だから、運転手……です。最初から言ってるじゃないですか。私はあなたの運転手だって」」
(p.37)
運がいい方かとタクシー運転手に尋ねられた修一は、ついてないことばかりだと嘆きます。それに対して、運転手はこのように答えたのです。運を転ずる仕事だと。まあ、普通のタクシー運転手ではありませんね。(笑)
「運が劇的に変わるとき、そんな場、というのが人生にはあるんですよ。それを捕まえられるアンテナがすべての人にあると思ってください。そのアンテナの感度は、上機嫌のときに最大になるんです。」(p.54 - 55)
斎藤一人さんも、上機嫌でいることが重要だと言われてましたね。自分の機嫌は自分でとれと。他人や出来事のせいにして、起源を悪くしていたらアンテナが働かなくなるのです。
「運は<いい>か<悪い>で表現するものじゃないんですよ。<使う><貯める>で表現するものなんです。」(p.65)
ポイントカードのように、貯めることでいつかそれを使えるようになる。それが運の仕組みだと言うのですね。
「岡田さんは面白いと思えないことでも、それが「面白い」と思っている人がそこにいるんですよね。じゃあ、「何が楽しいんだろう」って興味をもつことはできるじゃないですか」(p.94)
上機嫌という基本姿勢が幸せのために重要なのですが、何もないのにどうすれば上機嫌を保てるのかという修一の問いに、運転手はこう答えたのでした。相手に興味をもつこと、関心をもつことで、上機嫌でいられるのだと。
だいたい不機嫌な人は、自分のことしか考えません。自分がいかに不幸か、他人や出来事のせいで今の不幸があるとしか思わないのです。だから、他人に対して関心が向きません。自分が知らない面白いことに対して興味が出てこないのです。
「収入がなくなっても、仕事がなくなっても終わりなんてないです。そこからまた始めるだけです。その強さは誰にだってあります。だから心配しなくていい」(p.100)
あとになってみれば、「あそこが始まりだったな」と言える。「人間万事塞翁が馬」の故事にあるように、不幸と思える出来事が幸運の始まりということは往々にしてあるのです。
「痛みがあってようやく身体はそれをやるにふさわしい仕様に仕上がる。柔らかいのは、何にでもなれる証で、痛みを経験して初めてスペシャリストになれる」(p.114)
ギターが上達するには、張った弦をしっかり押さえられるように指先の皮膚が固くなる必要があります。ギターを弾く練習を通じて、最初は痛みを感じます。しかし、その痛みを通過することで、身体が適応するのですね。私たちも何かを始めようとすれば、まず痛みを感じ、それを乗り越えることで適応します。
赤ちゃんが柔らかいのでは、何にでも適応できる可能性があるということ。そう考えると人間という存在は、何にでも適応する素晴らしい存在ですね。つまり、私たちには無限の可能性があるというわけです。ただし、痛みを乗り越えれば。
「世の中の人はみんな、そうやって誰かの努力する姿にエネルギーをもらって自分を動かしているくせに、こと自分が努力をするということになると、運にしても成果にしても、<今の自分>という、ものすごく狭い世界の、短い期間でしか判断しないので、<運が悪い><努力は報われない>と簡単に結論づけてしまいます。」(p.168)
実は私も、報われない努力はあると思っていました。いくら努力しても、オリンピックで金メダルを取るのは1人です。その他の金メダルを目指した人たちの努力は報われない、と考えたからです。プロ野球選手になるのだって、努力した野球少年の一部に過ぎませんし、活躍するとなれば、さらにその一部でしょう。
けれども、努力の成果というのを、自分が期待した期間の期待したことだけに限定していたと思い知らされました。誰か、特に子どもなど愛する人の努力する姿を見れば、それだけで力をもらえます。自分ももっと頑張らなきゃと感じて、力が湧いてきます。それは、子どもの努力が親の頑張るエネルギーになったことになります。つまり、誰かの努力が報われたことになるのではないでしょうか?
さらに、時間による範囲を区切らなければ、前の世代の努力によって、今の豊かな社会があり、今を生きる人たちが恩恵を受けるとも言えます。「恩送り」という言葉がありますが、必ずしも自分が成果を受け取らなくてもいいのではないでしょうか。
「人間の一生が、自分だけの物語の完結だと思って生きるのであれば、生まれたときに与えられた条件を使って、できるだけ自分の欲望を満たした方がいい人生だということになってしまうかもしれませんが、実際には人間の一生は、延々と続く命の物語のほんの一部でしかありません。」(p.169)
私がお勧めしている「神との対話」シリーズで言われているように、私たちは全体で1つの生命なのです。そう考えれば、自分が損するか得するかなど、どうでもいいことだと思えるでしょう。私の努力は、必ず誰かに報われるのです。
「本当のプラス思考というのは、自分の人生でどんなことが起っても、それが自分の人生においてどうしても必要だから起った大切な経験だと思えるってことでしょう」(p.176)
出来事が起ったとき、すぐにプラス(得)かマイナス(損)かを判断してしまいがちです。しかし、本当にそうかどうかは、時間空間の枠を広げてみなければわかりません。
だから最後には、「あの出来事も、自分の人生において必要だからこそ起こった大切な経験だ」と言えるかもしれません。その可能性を信じることが、本当のプラス思考だと言うのです。
この小説も、いろいろな出来事があちこちで関連していて、あとになって「なるほど、そうだったのか」と唸らされます。喜多川さんの真骨頂ですね。
物語の後半では、私は何度も泣きました。ボロボロと涙がこぼれて仕方なくなるのです。喜多川さん、さすがだなぁ。そう思いました。
2019年06月17日
心で勝つプレゼン
福島正伸(ふくしま・まさのぶ)さんの本を読みました。
コンサルタントであり、人災育成、組織活性化、新規事業立ち上げの専門家である福島さんは、「夢(ドリーム)プラン・プレゼンテーション(略称:ドリプラ)」の創設者でもあります。10分間で人々に共感されるプレゼンを競うこの大会は、今や海外にも広がっています。
この共感されるプレゼンのノウハウが、この本には書かれています。これからは他人の助けを借りながら大きなことをしていく時代ですから、共感してもらえることが重要になってきます。そのポイントを知りたくて、この本を読みました。
まあそれもありますが、久しぶりに何か福島さんの本を読みたくなったんですよね。ネットで探したところ、これくらいしか見当たらなかったので、これを選んだというこでもあります。
※福島さんの本などの一覧は、こちら「福島正伸」のページをご覧ください。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「つまり、プレゼンテーションの成功とは、相手が共感して一緒に行動するようになることです。それは人の心を動かすことです。プレゼンテーションの目的は、人の心を動かすことによって、自分に足りないものを集めることにあるのです。」(p.5)
重要なのは、相手が共感して、自主的に応援しようという気持ちにさせることなのですね。
「人の心が動くためには、説得や説明ではなく、感動と共感が必要になります。」(p.6)
いくら論理的に理性に訴えても人は動きません。感動しなければ、人は自主的に動かないのです。そして自主的に動かない限り、何らかの見返りを求められることになるでしょう。逆に自主的に動く人は、助けるという行為だけで満足するのです。
その感動させるプレゼンの特徴は、次の3つだと言います。
「(1)プレゼンテーションの時間は10分間
(2)説明禁止、最高の価値を「物語」で伝える
(3)「あきらめない理由」がある」(p.6)
聞き手が飽きずに集中して聞いていられるのは10分程度。内容を説明するのではなく、それが実現するとどうなるのかという価値を物語で伝えることで、感動を与える。自分に能力があるかどうか、できるかどうかではなく、やりたいという情熱と、その情熱が消えることがない証拠を提示するのです。
「共感者とは、「損か、得か」、あるいは「うまくいくか、いかないか」で判断するのではなく、どんなに実現が難しい夢であったとしても、プレゼンター(発表者)とともに力を合わせて困難に挑んでいくかけがえのない存在です。
ですから、「うまくいきそうだから支援しよう」という人は、共感者ではありません。どんなにうまくいきそうにないことであったとしても、一緒にうまくいくまで苦労することができるのが共感者なのです。」(p.19)
どんなに素晴らしい夢を描いても、その夢が素晴らしいから支援しようとする人は、共感者ではないのですね。共感者でなければ、上手くいきそうにないと判断すると、支援をやめてしまうでしょう。だから重要なのは、プレゼンターと一緒にやりたいと思ってくれる共感者を得ることなのです。
「人は説得されると思った時、言われたことの欠点を探して反論するようになります。なぜなら、そもそも説得は、相手を否定することになることが多いからです。」(p.24)
たしかに、説得するとは、考え方を変えさせることですからね。誰でも変えさせられそうになると、抵抗するものです。
「危機感によって人が動くことがあります。危機感は最も人を動かす力を持っているからです。
しかし危機感で人を動かしたとしても、それが長続きすることはないでしょう。なぜなら、危機感で動かされた人々は、次第に疲れ果てていくからです。」(p.25)
脅したり、不安を煽ったりするやり方は、一時的には成功しても、長続きしないと言うのですね。同様に、同情を買うやり方も一時的だと福島さんは言います。
セールスマンは、不安を煽ったり泣き落としで物を買わせようとすることがありますが、このやり方は買い手を幸せにはしないのです。
夢の共感には最高の価値の疑似体験が重要だ、と福島さんは言います。私たちは映画やドラマ、アニメなどを観て感動しますが、それは疑似体験しているのです。さも自分がそこにいるかのように感動の物語を体験する。そのために、画像や音楽、語りで伝えるのです。
「そのためには、まず夢が実現した時の光景をはっきりイメージすることが必要になります。夢が実現した時に、社会がどのように変わるのか、誰がどのように幸せになるのかを、物語で伝えるのです。つまり、最も感動的なシーンを物語として描き切り、その場面を誰もが今自分がそこで体験しているかのように、五感に訴えて伝えるのです。」(p.29)
「そして、その世界観には必ず、どのように人が幸せになるのかという「価値」が必要です。つまり、「価値」を明確にするとは、人が幸せになる最高の物語を描ききるということです。言い換えると、プレゼンテーションで伝えたいことを伝えるということは、最も伝えたい「価値」以外をできる限り排除していくということでもあります。伝えたいことは絞り込むほど伝わるようになります。」(p.31)
そもそも10分間という短い時間ですから、あれもこれもと詰め込むと、説明だけに終わってしまいます。福島さんは1つに絞り込むのが理想と言います。
「その方法は、さもプレゼンター自身がそこにいるかのように、オリジナルの画像と音楽、そして語りで伝えるということです。つまり、ワクワクする最高の一日を過ごすシーン、商品を購入して幸せになっている象徴的なシーンなどを、誰が見ても、たとえ子どもたちが見たとしてもわかるように伝えるのです。」(p.33)
画像や音楽にオリジナルを使うというのは、著作権の関係もあります。したがって、著作権フリーのものがあれば、それも使用できます。しかし、細部にこだわれば、特に画像はオリジナルにならざるを得ないように思います。
※使い方の詳細は、ここに引用しませんので本をご覧ください。
次はあきらめない理由です。
「それは、どんなにうまくいかなくても、どんなに苦しくても、夢が実現するまであきらめない自分にとって最も重要な理由です。
そのためには、プレゼンターの人生観が実現したい夢とリンクしていることが必要になります。」(p.43)
自分の人生の中で、何がなんでもこれをやり抜かずにはおかないという理由を生む体験があったはずです。そうでなければ、強い動機になりませんから。それが自分の人生観になっているはず。それを表現するのですね。
「つまり、プレゼンターの「夢」である「人を幸せにする価値」と「あきらめない理由」がつながっていて、まさしく人生を賭けていることがわかると、見ている人々は心を奪われ、無条件で応援したくなるのです。
その意味で、プレゼンターと支援者の心をつなぐのが「あきらめない理由」と言ってもいいでしょう。」(p.44)
プレゼンターと同じか、それに準じるくらい熱い想いで活動してくれる支援者は、何があってもぜったいにあきらめないというプレゼンターの姿勢、そしてそのプレゼンターの人生から生まれた人生観に共感するのです。
「また、自分の過去を語ることは、相手を信頼していることの意思表明でもあります。人間関係では、自分が相手を信頼するほど相手も自分を信頼してくれるようになります。」(p.52)
あきらめない理由を示す時に自分の過去を語ることが、信頼関係を築く上でも役に立つのですね。
「信頼を得るためには、何をやってきたか以上に、どのような考え方、生き方をしているかが重要です。そしてプレゼンテーションでは、その人の生き方が何気ない言葉や表情から勝手に伝わってしまいます。」(p.163)
付け焼き刃的にプレゼンだけ上手にやろうとしてもダメなのですね。普段のその人の生き様が大きく物を言います。
「プレゼンテーションでは、画像だけではなくプレゼンターの心の中まで見られてしまいます。「人前に立つ」ということは、自分のすべてをさらけ出すこと、といっても過言ではないでしょう。」(p.164)
自分のすべてを見せることになるし、そうしなければ共感は得られません。
福島さんは、わからないことは「わからない」と言って、他人のアドバイスを求めるようにと言います。しかし、その場合でも注意すべきことがあります。
「どれだけ的確なアドバイスをもらったとしても、他人の中に自分の答えがあるわけではありません。あくまでも、参考にするだけです。どのようなアドバイスも一度は自分に落とし込み、自分が一歩踏み出すきっかけにすればいいのです。」(p.178 - 179)
他人のアドバイスを鵜呑みにしないということですね。
「また、新しいことは、必ずと言っていいほど賛否両論になります。さらに、多くの人に相談するほど、それぞれの意見はバラバラでかえって迷ってしまうこともあるでしょう。
しかし、答えは、プレゼンター自身の中にあります。最後の判断は、プレゼンターが自分で決めるものです。」(p.179)
「他人が自分の人生を決めることはできません。自分の人生を決めることができるのは自分自身しかいないのです。」(p.179)
最後に決めるのは自分であり、自分が責任を持たなければならないということです。
「プレゼンテーションでは、正解を探すよりも自分がワクワクするものを創るようにしましょう。つまり、何かに迷ったら、自分がワクワクする方を選択すればいいのです。」(p.180)
「人生に正解はありません。自分自身の感性を信じ、それを基準に判断して選んだものが正解です。最後の選択基準は、自分自身の感性なのです。」
「どの道を進めばいいのか迷ったら、楽にできる道を選択するよりも、苦労しても行きたい道を選択しましょう。」(p.180)
「理屈で考えるよりも、感じること、感性を大切にします。うまく言葉で説明できなくてもかまいません。私利私欲を越えた純粋な感覚で判断して、これが正しいと思ったら、その直感を信じることです。正解は自分の中以外にありません。ですから、自分の中の感覚を信じることが大切です。」(p.181)
絶対的な正解というものはありませんからね。やってみなければわからないことが多いのです。
その時、理性で判断しようとすれば、安全な道を選びがちです。できるかどうかより、やりたいかどうか。そういう基準で感覚的に選択せよと福島さんは言うのです。
最後に、福島さん自身の夢を、次のように語っています。
「私は、すべての人の夢が叶う社会を創りたいと思っています。
それは競争ではなく、共存共栄の社会です。勝ち負けではなく、誰もが輝く社会です。落ちこぼれはつくらない、落ちこぼれはいりません。誰もがつながり、誰もが夢でワクワクしている社会。そんな社会ができれば、孤独死や戦争といった人間社会の多くの問題が解決できるかもしれません。
そんな社会を、まずこの日本という国から実現させたいと思います。」(p.189)
これが、ガンによる死の淵から生還した、小柄だけれどもエネルギッシュな男の夢です。
私は、福島さんのセミナーに参加して、直接お会いしたことがあります。第一印象は小柄で、目立たない感じでした。しかし、ひとたび前に立って話を始められると、ピンと伸びた背筋と胸を張った姿勢が、実際以上に福島さんの姿を大きく印象づけてくれました。そして、話される一言一言に惹き込まれていったのです。
だから、また福島さんの本を読みたくなるのです。今がどうであろうと関係なく夢を持って一歩を踏み出せ、と福島さんはいつも励ましてくれます。そんな福島さんのことが、私は大好きなのですね。
2019年06月27日
授業創造
松田昭一(まつだ・しょういち)氏の本を読みました。おそらく「みやざき中央新聞」で紹介されていたから買ったのだと思いますが、忘れてしまいました。ずいぶんと長い間、積読(つんどく)していたもので。(笑)
内容は、著者の教育実践の記録的なものです。毎日新聞で連載された松田氏の授業の様子をベースに、松田氏の授業に対する取り組み方について書かれています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「子どもが元気よく戸だなを開けようとしたその時、「ストップ」を掛けた。
「戸だなを開ける時、なぜノックしないの?」
教室の中は一瞬ざわめいた。」(p.17)
これは小学校1年生の授業での一コマ。当たり前と思われがちなことに光を当てる松田氏の素晴らしい質問です。子どもたちは自分で考え、中に人がいるかもしれない時はノックをするのだと思い至ります。
「ノックしなさい」と命じられるからするのと、ノックせずに開けたら中の人が困るかもしれないなと思ってするのでは、雲泥の違いがあるのです。
子どもたちに、自分の頭で考え、想像し、自分の行動を決めるという、自主的な生き方を身に着けさせようとしているのですね。
「37-19の答えが、どうしても28になる子どもがいた。よくノートをみてみると、一度は18としているが、その後消して28としているのである。その子の言い分はこうである。
「10かりてきたでしょう。かりてきたらかえさにゃいかんでしょう」」(p.29)
この意表を突く発想の素晴らしさに、すごいなぁとうなってしまいました。1の位は「7−9」で引けないから、10の位から10借りてきて、「(7+10)−9=8」と計算するのですね。10の位は「(3−1)−1=1」です。合わせて「18」となりますが、計算途中の「借りてきた」という言葉がひかかっていたのです。
この問題は、「借りてくる」ではなく「もらってくる」と言いかえればよいと他の子どもが発言したことで解決しました。松田氏は、子どもに教えられたのです。子どもから学ぶ姿勢を忘れてはならないと思われたとか。
「まずモノを感性的にとらえ、理性的に認識していく。「心と形をうまくとらえた時、初めてわかったと言える」というのが先生の持論だ。」(p.68)
「先生は、小学校へ入学する前の子どもたちの”形式的な知識”を認めない。
「入学前に九九が出来るようになったとか、漢字をたくさん覚えさせることに一喜一憂する前に、お母さんたちはもっとわが子の”心のアンテナ”をみがかせることに力を入れて欲しい」と強調する。」(p.69)
対象をよく見て、まずはそれを感性的に知る。どんな色、形、動き、質感、音などを把握する。それを理性的に判断して、共通点、異質点、関連性などを理解する。そこまで導くのが教育だと言うのですね。
「子どものテンポに合わせるのは、教師として当然のことです。仮にカベに突き当たることがあっても、長い成長過程の中で、決してマイナスではない。カベを突き破る知恵、勇気、力を子どもたちは自然と身につけていくでしょう。」(p.96)
理解の早い子、遅い子など様々ですが、松田氏はそれぞれの子どものペースで進むことが大事だと言います。定められた内容をすべて伝えることより、遅れても、その子が一歩一歩理解を進めていくことが重要なのです。
「宿題とは別に、家庭でなければ学べない学習がたくさんあると思う。両親から学ぶものがたくさんある。宿題を出して欲しいという保護者に、私は「家で勉強したくなるような授業を学校でしてくれ」という要求に変えて欲しい、と逆にお願いしているんです。」(p.96)
あまり宿題を出さない松田氏の持論です。それにしても、自らの授業に高いハードルを課していることがわかる言葉ですね。
子どもたちが好奇心を持つよう励まし、それを調べたい、学びたいという意欲にまで高める。それが松田氏の目指す授業なのでしょう。
「私たちの教育活動の大半は授業であろう。その授業は、たとえば「相手の気持ちがわかる子ども育て」が学級経営の目標だと言うならば、そこへ向けて積極的に参加するものでなければならない。」(p.119)
「「相手の気持ちがわかる」というのは、いわば「視点の移動ができる」ということではないか。とするならば、「視点の移動」がなされている文学作品、「視点の移動」の価値が子どもたちに理解できる作品を教材として探し求める努力がなされるべきではないか。」(p.119)
松田氏は、教師が立てた目標に対して、教師は積極的に関わり、授業をづくりを考えるべきであると言います。単に「思いやりを持ちましょう」みたいにスローガンを繰り返しても、何の意味もない。科学的、論理的に、授業を作っていくべきであると。
この例では、金子みすゞの「大漁」という詩を教材として取り上げます。漁師にとっては大漁で大喜びだが、海の中では弔いをしているという詩です。漁師から魚へと「視点の移動」がある詩ですね。
「『重症患者お断り』という看板をかけた病院がありますか」’
「とんでもない。そんな病院なんてある筈がありませんよ」
慌てて、真面目に答える若い医師。」(p.206)
松田氏が入院していた時、若い医師と教育談義をしたというエピソードからです。病院は重症患者を断らないのに、学校は問題児を断るという話です。
問題児だけに限らず、障害者も排除されますよね。教師が進める授業におとなしくついて来れる生徒だけを相手にしたい。それが学校の本音なのではないでしょうか。
しかし松田氏は、それではいけないと思っているのですね。その子どもがどんな状態であろうと関係なく受け入れ、より良い方向に進めるように助ける。それが教師であり、学校のあり方だと思っておられるのです。
思想的なものはさておき、松田氏が授業にいかに真剣に取り組んで来られたかがよくわかる内容です。
感覚的なものではなく、理性的に考えて、効果を実証しようとされています。時に失敗したというエピソードもあり、その理由も分析されています。
教師として子どもに教えている人はもちろん、子育て中のお父さんやお母さんにも、参考になる本ではないかと思います。
私も、職業として何かを教えているわけではありませんが、人に何かを教えるということはたまにあります。そういう時の、考え方として参考にしたいと思いました。
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