2019年04月01日

82年生まれ、キム・ジョン



話題になっていた小説を読みました。著者は韓国人のチョ・ナムジュ氏。訳は斎藤真理子氏です。

韓国で100万部売れたというのですから、韓国人の心を捉えた内容なのだろうと思いました。帯にあるように、映画化も決定し、この翻訳された本も、日本国内でかなり売れているようです。女性の共感者が多いようですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

まず、この小説はとても風変わりです。そのことが訳者あとがきに書かれていたので、それを引用します。

一人の患者のカルテという形で展開された、一冊まるごと問題提起の書である。カルテではあるが、処方箋はない。そのことがかえって、読者に強く思考を促す。
 小説らしくない小説だともいえる。文芸とジャーナリズムの両方に足をつけている点が特徴だ。リーダブルな文体、ノンフィクションのような筆致、等身大のヒロイン、身近なエピソード。統計数値や歴史的背景の説明が挿入されて副読本のようでもある。「文学っぽさ」を用心深く排除しつつ、小説としてのしかけはキム・ジョンの憑依体験に絞りこんで最大の効果を上げている。
」(p.186)

主人公のキム・ジョンが、ある時、まるで他の人が憑依したかのように、多重人格の症状を見せます。それを心配した夫が精神科医に診てもらうようにしたのですが、その精神科医のカルテという形で、キム・ジョンの生い立ちが書かれていきます。

しかし、正直に言うと、読みながら飽きました。面白くないのです。それは、ここにも書かれているように、まったく小説らしくないからです。延々と女性差別の実体が語られているような内容です。


キム・ジョンの両親は、貧乏の中で子どもたちを育てました。内職をする母に対して父は、苦労をかけることを詫ます。すると母は、次のように言ったそうです。

あなたが私に苦労させてるわけじゃなくて、私たち二人が苦労してんの。謝らなくていいから、一人で一家を背負ってるみたいな深刻な顔しなさんな。そんなこと誰も命令してないし、実際、そうじゃないんだし」(p.27)

このセリフの背景を考えると、夫が家族を支えるのが当たり前という社会的風潮が根底にあることが伺われます。

ただ、たしかに正論なんですが、そういう社会的背景があることを前提にするなら、もう少し夫を思いやる言い方があってもいいのではないか、とも思うのです。女性だけが差別を受けて苦しんでいる、という被害者意識が、かえって生きづらくしているのではないか、と感じました。


この本には、学校や家庭や会社や社会での、様々な女性蔑視が描かれています。セクハラもあります。話題になったトイレの盗撮という事件も描かれています。子どもを生むのかどうか、生むなら男かどうかなど、家族や親戚からの干渉も描かれています。

ここで描かれた内容は、かつての日本にも普通にあったと思いました。しかし、日本ではかなり改善されていると思うのですけどね。それは、私が男性だからそう思うのでしょうか?

たしかに、そうかもしれません。いまだに、子どもをつくるのかどうかで干渉する人は多数いますから。でも、そうでない人も、日本では多いと思います。跡取り息子という言葉も死語に近くなってきたし、「家」という概念がほぼなくなっているように感じます。


キム・ジョンが大学の時、付き合っていた彼氏と別れた直後に、ある事件がありました。
前からキム・ジョンに好意を抱いていた先輩に対して、他のサークル仲間が応援するから頑張れと話しているのを、キム・ジョンは聞いてしまったのです。寝具に埋もれてうたた寝していたので、他の人たちは本人がいることに気づかなかったのですね。

その時、頑張れと言われた先輩は、みんなにこう言い返しました。

要らないよ。人が噛んで捨てたガムなんか」(p.85)

キム・ジョンは、優しい先輩だと思っていただけに、この言葉にショックを受けます。

酔っているのかもしれない。照れているのかもしれない。または、友だちがよけいなお世話をするのではと思って、わざと乱暴な言い方をしたのかも。可能性はいろいろあったかもしれないが、だからといってキム・ジョン氏のすさまじく傷ついた心は癒されなかった。」(p.86)

こういうところも、なんだかなぁと思うのです。本人を傷つけようと言ったわけではないし、面と向かって言った言葉でもありません。それに、彼の立場を充分に想像できるのに、と。

とは言え、そう言われたらショックを受ける気持ちもわかります。ここにも背景があって、男の女性経験は問題にされないのに、女は1人の男に仕えるべきだという考え方です。処女信仰という言葉もありましたね。

ただ、この部分も現代の日本では、ほぼなくなった社会背景ではないかと思うのです。韓国ではまだあるのでしょうけど。


日本では考えられない女性蔑視が、韓国にはまだまだあるのだろうと思います。たとえば、キム・ジョンが就職面接に行く時にタクシーを拾ったら、運転手からこう言われたのです。

ふだんは最初の客に女は乗せないんだけどね、ぱっと見て面接だなと思ったから、乗せてやったんだよ」(p.93)

いやいや、こんな運転手は日本では絶対にいないでしょう。でも、韓国ではよくいるのでしょうね。

たしかにかつての日本にも、女は汚れているという考え方がありました。大相撲では女性を土俵に登らせないとかありますからね。でも、そういう特別な場所以外で、女性が汚れてるという価値観を持つ人は、まずいないと思うのですけどね。


しかし、韓国の方が進んでいるところもあります。

結局、戸主制度は廃止された。二〇〇五年二月、戸主制度は憲法で保証された両性平等の原則に違反し、憲法に合致しないとの決定が下され、まもなく戸主制度廃止を主たる内容とする改正民法が交付され、二〇〇八年一月一日から施行された。」(p.124)

韓国は、夫婦別姓なのですが、子どもは父親の姓を名乗っていました。戸主は男と決まっています。日本にも家制度がありましたが、それが続いていたのですね。

日本は、家制度そのものは廃止したものの、戸籍は残ったままです。そこには戸主が記載されます。もちろん、女性でもいいのですけどね。ただ、家制度の名残があるために、相変わらず男性が一家の大黒柱という考え方が残っています。学校でも「父兄参観」のように、「父兄」という言葉がいまだに使われているようです。


これに腹を立てたキム・ジョン氏は、時差出勤する気はありませんからと言ってしまった。みんなと同じ期間に出勤して同じように働き、一分も丸もうけする気はないと。だが、だからといって破裂しそうな地獄の通勤列車には耐えられそうにない。結局キム・ジョン氏は一時間早く出勤することにし、うっかり言ってしまったあの一言を後悔しつづけた。それにもしかしたら、女性の後輩の権利を奪ったのかもしれないという気もする。与えられた権利や特典を行使しようとすれば丸もうけだと言われ、それが嫌で必死に働けば同じ立場の同僚を苦しめることになるという、このジレンマ。」(p.132)

妊娠したキム・ジョンは、会社の規定で30分のフレックスが利用できたにも関わらず、それを選ばなかったのです。

この葛藤はよくわかります。もちろん、男性社員の「いいよなぁ女性は」と言いたくなる気持ちもわかるのですけどね。「だったら女になって子どもを産めよ!」と言い返されたら、シュンとするより他にないのですが。

ただこれは女性差別というより、違いを理解し合えてない、受け入れていない、ということではないかと思うのです。会社側(男性社会)にも、女性に優しくしようという気持ちはあって、それでこのような制度を創ったのでしょうから。

女性の側にも、甘えてはいけないというような価値観があって、素直に恩恵を受けられないという問題もありそうです。

そもそも違いがあるのですから、男女をまったく同じように扱うことは不可能です。生理休暇や妊娠休暇などが男性に認められないからと言って、不公平とは言えないでしょう。では何日だったら公平なのか? 質が異なるのですから、どう決めたとしても、万人が公平とは感じない可能性があります。それでもどこかに線を引いて、公平と思われる基準を打ち立てるしかないのだろうと思うのです。


その後、出産を機に、キム・ジョンは退職することになります。夫の方が稼ぎが多かったし、その方が一般的だったから。その時、夫から言われたことにキム・ジョンは反発します。

「子どもがちょっと大きくなったら短時間のお手伝いさんに来てもらえばいいし、保育園にも入れよう。それまで君は勉強したり、他の仕事を探してみればいいよ。この機会に新しい仕事を始めることだってできるじゃないか。僕が手伝うよ」
 チョン・デヒョン氏は本心からそう言い、それが本心であることはよくわかっていたけれど、キム・ジョン氏はかっとなった。
 「その「手伝う」っての、ちょっとやめてくれる? 家事も手伝う、子育ても手伝う、私が働くのも手伝うって、何よそれ。この家はあなたの家でしょ? あなたの家事でしょ? 子どもだってあなたの子じゃないの? それに、私が働いたらそのお金は私一人が使うとでも思ってんの? どうして他人に施しをするみたいな言い方するの?」
」(p.136 - 137)

妊娠うつのような状態だったのかもしれません。しかし、これを言われたら夫の立つ瀬がないよなぁとも思うのです。

もちろん正論ではあるのですが、それぞれに分業しているのですから、相手の業務を「手伝う」と言っても悪くはないでしょ。もちろん、「産む」という仕事は女性にしかできませんが、子育てや家事は夫がやってもいいのです。キム・ジョンが復職して、夫のチョン・デヒョンが主夫になることだってできるでしょう。

ただこの部分は、最初のキム・ジョンの母親の言葉とよく似ています。おそらく背景に、ずっと抑えつけられてきたという無意識の思いがあるのでしょうね。


全編を通して、何だか重い空気を感じます。キム・ジョンの被害妄想的なものを感じるからです。
訳者あとがきで「処方箋がない」という言葉がありましたが、まさに何ら解決策が示されません。明確に悪者がいるわけでもないため、怒りの持っていきようがない感じです。

けっきょく、私たち一人ひとりが意識を変えていくしかないのでしょうね。そのためには、現状がどうなのかを知ることも大事なのでしょう。
男性から見れば「大したことない」と思えることも、女性からすれば「大したこと」と感じることがある。それは、個人差もありますが社会背景や性差もあるでしょう。

違いは、理解し合えるなら理解した方がよいのですが、理解できないなら相手の思いをそのまま受け入れるしかないのだろうと思います。相手がそう感じていることは事実なのですから。たとえそれが理由がないことに思えても、理解できない何かがあると思って、受け入れるしかないと思うのです。

本の内容としては、私は申し訳ないけれども面白いとは思えませんでした。でも、読んでみる価値がないとは思いません。いろいろと考えさせられましたから。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:33 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年04月06日

いのちの讃歌



神渡良平(かみわたり・りょうへい)さんの新刊を読みました。副題に「自らの人生を切り拓いた8人の物語」とあります。人生の困難を乗り越えた方々の生き様が紹介されていました。

神渡さんの本は、小説というスタイルと、安岡正篤氏中村天風氏などの思想を紹介するスタイル、そして今回のように、人の生き様を紹介するスタイルがあります。いずれも、人間としていかに生きるべきか、という問いに答えを出そうとするものです。神渡さんの他の本の紹介は、こちらからどうぞ。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

二十五歳で二歳年上の女性と結婚しました。しかし、奥さんは貴裕さんに頼りがいのある父親を求め、一方貴裕さんは、自分を捨てていった母親の傷を埋めてくれる愛を求めるので、次第にすれ違ってしまいました。夫婦それぞれが相手に依存し、相手から何かを得たいと思っているので、楽しいはずの新婚家庭がなかなかうまくいきません。」(p.19)

真永工業株式会社の久松貴裕社長の人生を紹介する部分です。温かい家庭を欲しながら、夫婦喧嘩をくり返して離婚してしまったそうです。

「神との対話」にも書かれていますが、間違った目的で関係を結ぶと、どうしてもこうなりがちですね。相手に何かを求めていると、だんだんと苦しくなってくるのです。


五十二歳になっていた私は、母と小学生の自分が裁ち板に向って紙袋作りの手内職をしている情景を、あたかも色褪(あ)せた記録映画でも見るように天井から見つめている。母と自分を同じ距離感で見ている。すると、母の気持ちが透けて見えてくる。」(p.37)

内観を紹介する部分ですが、ノンフィクション作家の柳田邦男さんが「気づきの力」(新潮社)に書かれた部分の引用です。

これはまるで死後の体験みたいですね。「神との対話」では、死後に人生を振り返ることができて、その時、自分の感覚だけでなく関係者の感覚も感じるとありました。

こういう相手の感覚を知ることによって、自分の思い込みに気付かされるのです。柳田さんは、母を手伝ってあげたつもりでしたが、母の苦しみを理解しておらず、むしろ迷惑をかけたことだったと気づきます。その気付きによって、本心からの謝罪をします。そしてそれが感謝に変わります。

内観が深くなっていくと、迷惑をかけた相手の心にまで思いが届くようになるから不思議です。相手の心がわかってくると、そこまで思いが至らなかったと、お詫びする気持ちになっていきます。すると、自己否定の中から、逆に感謝の気持ちが湧き起こってきます。一見矛盾しているようですが、これはもう体験の世界です。私たちは”謝意”を感じるから、無意識の内に”感謝”と書いているんですね。」(p.58 - 59)

内観研究所の清水所長の言葉です。神渡さんは内観をよく勧めておられます。1週間くらいの集中内観と、日々の内観(瞑想)を組み合わせるといいそうです。


この誦句は、自分のいのちは大宇宙に直結し、さらにはその結晶であるから、私という魂は宇宙と同じように完全で無欠なのだと確信し、一見障害と見えるものに勇猛果敢に挑戦していこうという気迫に満ちています。事実この確信さえあれば、いかなる障害も乗り越えていけます。自分という存在に置く全幅の信頼こそは天風先生の覚醒の確信です。」(p.65)

中村天風氏の「大偈(だいげ)の辞」を引用し、このように言われています。天風氏の悟りは、まさに「神との対話」で示されているように宇宙(神)との一体感なのだと思います。


高山さんは「人生のスイッチ」が入ったと強調します。地雷撤去活動に端を発し、村での日本語やパソコンの教育、井戸の設置、ゴミ減運動の指導、日本企業の誘致、日本留学の世話、地場産業の育成と、八面六臂の活躍です。」(p.122)

PKO活動でカンボジアの地雷撤去活動を行った高山良二さんは、自衛隊退職後に、まだやり残したことがあるとして、カンボジアに戻ってきたのです。高山さんの物語は、とても感動するとともに、頭が下がります。


なぜ、他者の生き方がこれほどまで自己の人間形成に影響を与えるのだろう。
 その理由のひとつは、人間がだれしも善さを求めて生きる存在であることによる。何が善いのか、どのように行動することが善い生き方なのかをつねに自分に問いかけ、同時に、夢や理想に向って生きようとしているのが人間である。
」(p.145 - 146)

鳥取県の八頭町立船岡小学校の林敦司校長の言葉です。林校長は伝記による道徳教育を推進しておられます。この本でも、ヘレン・ケラーが励まされたという塙保己一の話、世界的な博物学者の南方熊楠の話が紹介されています。

ここで林校長が、誰もが「善さ」を求めていると言われていました。そして、他の人の生き様に感動することで、「自分もあのように生きよう」と思うのですね。つまり、道徳的価値観、倫理観を教え込ませるのではなく、自分が気づくことが大切なのです。

「神との対話」でも、同じようなことが書かれています。私たちは常に選択を迫られており、愛と不安のどちらを選ぶのかが重要です。なので、「愛ならどうする?」「それは自分らしいか?」と自問することだと言うのです。


字がかけるようになったことは大きな自信につながりました。誠さんの目に力が入り、生き生きしてきました。そして毎月一回開かれる真民さんのファンの集い「朴(ほお)の会」で知りあった人々に、たった二本だけ動く指で積極的にハガキを書き始めました。
「指二本動いて、幸せのおすそ分け!」
」(p.206)

パン屋の主人、次家誠さんは、頚椎損傷によって首から下がまったく動かなくなったそうです。自暴自棄になりそうになりながらも、リハビリを重ねてこられ、やっと指が少し動くようになったのです。

私たちは、歩いたり運動したりすることを「当たり前」だと思っているから、身体が正常に動くことに感謝しません。だから幸せになれないのですね。次家さんは、全身のマヒを体験することによって、それが「当たり前」ではないことを身にしみて知ったのです。

同じような体験をしたいとは思いませんが、こういう方がおられるのだなぁと想像してみると、自分の身体に対して「ありがたい」という気持ちが湧いてきますね。


この本には、多くの無名の人が登場します。無名であっても、その生き様はどれも素晴らしいと感じます。神渡さんがこうやって紹介してくださることで、私たちは居ながらにしてそういう素晴らしい生き様を知ることができます。

伝記で道徳教育の話がありましたが、人の生き様を知ることは、自分の生き様を考える上でとても役立つと思います。そして私たちも、自分の生き様によって、他の人に影響を与えるのでしょう。どう生きるのか? それを深く考えさせてくれる本でした。

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2019年04月10日

いま知っておきたい「みらいのお金」の話



Youtube動画で主に政治に関して話しておられる松田学(まつだ・まなぶ)教授の本を読みました。経歴を見ると、元財務官僚だそうで、今は東京大学大学院客員教授であり、松田政策研究所代表など、いくつもの顔をお持ちのようです。(「松田まなぶの公式ホームページ」はこちら)

松田氏は、まもなく本格的な「仮想通貨の時代」がやってくると言います。それによって、私たちの生活が大きく変わる可能性があると言われるのですね。そこでこの本では、「お金とはなにか」「仮想通貨の本当の存在意義」「お金を使いこなすための基礎」について、わかりやすく解説しているのです。

この本を読むのに、ITや金融の知識は必要ありません。社会人1年生のカナちゃん、その友だちのトシくん、そして「みらいのお金」の専門家マツダ先生の会話形式で書かれています。物語を読んでいる内に、自然と必要な知識が身につくという仕掛けですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

インターネットで海外の情報に簡単にアクセスできるように、仮想通貨は経済の国境を軽々と超えていくんだ。これは日本に暮らすみんなの仕事や生活にも大きくかかわってくる。」(p.38)

仮想通貨は、本来は暗号通貨と表現するのが正しいようです。インターネットにつながっていれば、どこの国にいても使うことができるお金。その国の貨幣に両替しなくても使用することが可能です。

とは言え、今現在ではそれほど多くの店では使えないし、決済に時間がかかるというデメリットもあります。その辺の改善がされないと、仮想通貨でお買い物、という時代にはならないでしょうね。


ブロックチェーンは、正直者しか使えないシステムと言っていい。後ろめたいことや、悪い考えのある人は使いたがらないだろう。まともにビジネスをしている会社はすべて帳簿をつけている。お金を使う人のすべてが、帳簿を正しくつけて、お金の流れが完璧に把握できるようになる世界が、仮想通貨では当たり前になるんだ。お金の流れはそもそも隠すものではない。もし隠したいという人がいれば、その人は脱税やマネーロンダリング(資金洗浄)など、後ろ暗いことをして儲けているかもしれない。」(p.90)

ブロックチェーンは、お金のやり取りの記録台帳を、すべて保持する仕組みです。ビットコインでは、それを誰もが閲覧できるようにしてあるそうです。ただビットコインでは、参加者は匿名なので、個人情報が明らかにされるわけではありません。

しかし、お金のやり取りを見える化するということは、「神との対話」にも書かれていましたが、正直に生きる社会につながるように思います。


より正確に言えば、お金は「価値」を保存したり交換したり測ったりするものであって、「価値」そのものじゃないんだ。」(p.174)

お金そのものには価値がなく、道具に過ぎないという話は聞いたことがあります。実際、無人島に1人でいたら、どれだけ大金があっても意味ありませんから。それより、ペットボトルの水が1本でもある方が役立つでしょう。


日本の財政は深刻な状態にありますが、政府が暗号通貨を発行することで、これを救う手立てがあります。」(p.285)

以上の「松田プラン」は、@財政再建(赤字国債の消滅と将来の金利負担の軽減)、A日銀の出口戦略(バランスシート縮小)の円滑化、B新たな通貨基盤の創出、C国民の利便性の増大、を一挙に実現することになる施策です。」(p.287)

ここに簡単に「松田プラン」が説明されていましたが、私にはよくわかりませんでした。詳しく知りたい方は、松田氏の「サイバーセキュリティと仮想通貨が日本を救う」(創藝舎)第8章、または「米中知られざる「仮想通貨」戦争の内幕」(宝島社)第3章を読むようにとのことです。


三菱UFJ銀行は、独自の仮想通貨を「1コイン=ほぼ1円」の価値に調整すると発表している。」(p.309 - 310)

法定通貨を扱う銀行が、あえて仮想通貨の世界に進出するのは、これからは手数料ビジネスが成り立たなくなるという危機感があるからだと松田氏は言います。仮想通貨は「P2P」でスムーズに送金できるし、ATMも必要としませんから。

大手銀行が仮想通貨に参入するのは、新たなプラットフォームを提供することで、別の儲け口を得ようとしているのでしょう。


欧州中央銀行も500ユーロ紙幣の廃止を決定している。いずれも主な理由は犯罪対策だ。日本でもそれにならって、一万円紙幣を廃止できないかと考えている人もいる。現金は偽札のリスクもあるし、マネーロンダリングにも使われる。」(p.314)

日本で流通している紙幣の9割は1万円札なのだそうです。私たちの感覚では、千円札の方が多そうですよね。これは、それだけ現金がどこかでストックされていることを示しているのです。

それが犯罪に使われると、当然、裏のお金は税金にはつながりません。そういうこともあって、各国は最高額紙幣を廃止しようとしているのですね。


絵画の世界では伝統的に「誰がその絵の持ち主であったか」が重要視されてきたが、ブロックチェーンによってその履歴もたどりやすくなると期待されているんだ。農業分野でも、生産者まで記録が辿れるような安全な食物が求められているね。」(p.319 - 320)

ブロックチェーンの仕組みを使って、データ管理を行う企業が出てきたのだそうです。これまでの履歴がはっきりしていると、絵画では贋作が混じることを防げるのですね。

このようにブロックチェーンは、そのデータに「信用」を与えることになるので、価値の交換や保存ができて、お金に似たものになると松田氏は言います。仮想通貨は何種類もできて、それらを交換しながら、適切な仮想通貨を使う時代になると考えておられるようです。


このように契約などの手続きを自動的に済ませてしまう仕組みを「スマートコントラクト」といって、ブロックチェーンの活用方法として注目されているんだ。」(p.331)

たとえば、不動産を買ったと同時に登記の移転まで済ませるようなことができて、あちこちへ書類を出したり、何枚も署名捺印しなければならないという手間も省略できるのだそうです。

それぞれの場所で、それぞれの書類を必要とするのは、要はデータが共有化されておらず、かつ信用がないからです。それを一挙に解決できるのがブロックチェーンの仕組みだというわけですね。


「改ざんが不可能な形でデータを管理できる」「スマートコントラクトでさまざまな手続きを一度にまとめて行える」「仮想通貨でいろいろな価値を移転できる」。この三つだ。」(p.334)

これがブロックチェーンの革命的なところだそうです。これまでは、データ管理はコンピュータ、手続きは手動、価値の移転はお金を使っています。それが同一の仕組みの中で行われれば、社会は大きく変わると松田氏は言います。

なぜなら、これによって人びとにとっては非常に便利になるからです。また一方で、無用な作業が解消されます。単純なルーチンワークは少なくなり、人々はより創造的な仕事に取り組むようになるだろうと思われるのですね。


インターネットの世界では、「投げ銭」という仕組みがあって、歌や小説など気に入ったコンテンツがあったらその作者を支援する意味で、少額のお金を簡単にあげられるようになっています。これまでなら、振り込むのにも手数料がかかるため、そう気軽にお金を渡せなかったのに、その敷居が低くなったのです。

仮想通貨も、取引の手数料が安いので、人々が気軽にお金のやり取りをするようになり、経済が活性化するのではないかと思われます。

その仕組みを完全に理解するまでに至りませんが、入門書としてはとてもよい1冊ではないかと思います。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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