日本人の方は通常、日本のタイ大使館で就労ビザ(ビジネスビザ=Bビザ)を取ってタイに赴任されるでしょう。
私も最初はそうでした。東京の目黒にあるタイ大使館で短期(90日間)のBビザを取得してタイに赴任し、その間に1年ビザに更新しました。
今回、新たにBビザを取得する必要があり、日本で取得、タイ国内で取得などいろいろな選択肢があったのですが、ビザが取りやすいと言われているラオスで取得してくることにしました。
実は、今日(2019年2月1日)取得したばかりなのですが、ラオス・ヴィエンチャンでのビザ取得事情を書いてみたいと思います。
なお、業者に頼らずにビザを取得しようとしたので、情報をいろいろと集めました。特に参考になったのは「パタヤ千夜一夜」というサイトです。ホテルも、このサイトで紹介していたタイ大使館近くのホテルを予約しました。
ツーリストビザの場合で書かれているのですが、必要書類は申請書とパスポートのコピーのみ。簡単ですねぇ。
ただ、Bビザがやっかいだと言っても、それを揃えてくれるのは会社ですから、ツーリストビザに必要な書類にプラスして、会社からの書類を持って行けばいいだけ。と、甘く考えての出発です。
●1日目:ヴィエンチャンまで
ちょうど、ドンムアン空港が1月29日から2月1日まで滑走路を1つ閉鎖しての定期メンテナンスとのことで、エアアジアからは遅延や欠航の可能性があるという恐ろしいアナウンスがありました。
30日に到着して、タイ大使館で事前に申請書を受け取り、できれば大使館内にある代書屋で申請を完璧に書いてもらうことが最初の目論見だったので、これが叶わない可能性が出てきたのです。
なお、申請書はラオスのタイ大使館のWEBサイトからダウンロードできるようですが、私が勤める予定の会社のタイ人スタッフは、そんなものはないから現地で書けとの一点張り。
それで、私がダウンロードしたもの(※上記参照サイトにリンクがあります)に適当に書いて、事前に疑問を正して修正しておきました。これが、あとあと役立ちました。
バンナーの自宅から、BTS(高架鉄道)で終点のモーチットまで約30分。そこからA1バス(空港バス)に乗って、1時間弱で空港に到着しました。
出発ロビーに入ると、うじゃーっと人の列。いったいどの列がどのチェックインカウンターにつながっているのかさえわかりません。
しかし、幸いなことに私は、事前チェックインを済ませておりました。しかもエアアジアのアプリを使うと、スマホにバーコードが表示されるので、ボーディングパスの発給の必要もなし。
と言うことで、うじゃーっといる人を避けつつ端から裏に回り、出国審査と手荷物審査を受け、搭乗ゲートをインフォメーションで確認し、家を出てから1時間20分後に搭乗ゲートに到着しました。
心配をよそに、飛行機は定刻の出発。これなら、まだ大使館が空いている時間に行けそうです。
ヴィエンチャンの空港に到着し、入国審査をさらっと済ませ、ターンテーブルは無視して出ようとしたら、あら、ここは税関ってないのってくらいスルーで、表に出ました。
すぐに、タイ・バーツからラオス・キープへの両替をしました。2ヶ所あってレートが多少違うらしいですが、そんなこと気にするほどの両替でもありませんから。
2,000バーツを551,000キープにしてもらいました。なお、端数は切り捨てのようです。
しかし、何だか急に金持ちになった気分ですね。だって50万以上の現金を持っているんですから。(笑)
キープは5万キープが最高額紙幣なんですかね。いっぱい(10枚)いただきました。
次に、タクシーに乗ります。カウンターで「ここでタクシーを呼べるのか?」と尋ねる(実際は「タクシー、ここ?」というタイ語だけですよ)と、そうだと言うので、タイ大使館までと言ってお願いします。
最初、電卓で6万キープ強を示されたのですが、なぜかすぐに85,000キープに変更され、「タクシーじゃなくて、ロットゥーな」と言われました。
いやいや、私はタクシーをお願いしたいんだけど・・・。たまたま順番がそうだったのでしょうかね。ま、大したことでもないので、そのままOKし、バカでかいバンに1人で乗って大使館へ行きました。
この時、運ちゃんから「ビザか?」と尋ねられました。ほとんどの人はそうなので、間違えようがありませんが、タイ大使館とビザ発給の領事部は別の場所ですからね。
乗っている途中で、タイの銀行があったので激写しました。(いみふ)ヴィエンチャンはいい天気です。
到着してすぐに、タイ大使館へ入ろうとしました。時間は15時くらいでしょうか。
ところが、入門を拒否されます。「申請書(アプリケーション・フォーム)がほしい」と言っても、「明日来い」の一点張り。
参考にしたブログを読んで、事前に取得しておくといいとか、大使館内の代書屋なら安くて間違いなさそうだと思ったのですが、ちょっとつまづいてしまいました。
まあでも、入れないものはしょうがありません。明日行って申請書をもらって書くことにしましょう。
と言うことで、そこから徒歩1分ほど、斜向かいのホテルへチェックインしました。
ホテルの周辺の屋台で豚焼きとアヒル焼きを1万キープで買い、雑貨屋でビアラオ大瓶を1本1万キープで買い、ホテルの部屋で晩餐です。
私は、1万キープを約40バーツと簡易的に換算しています。日本円なら、1万キープが約100円ですかね。こういう簡易的な換算をすると、現地でとっさにいくらかわからなくなるってことがなくなるかと思います。
●2日目:ビザ申請
翌朝、5時45分には起きて準備をし、6時半に大使館前に行くと、すでに10人くらいが並んでいました。なので私も、その後に並びます。
30分すると、列はすでに50人ほどになったでしょうか。続々と業者がバンなどでビザ取り客を連れてきます。日中は暑いですが、朝は涼しくていいですね。しかもこの時期は天気がいいので最高です。
7時45分に開門しましたが、その前から少しずつ割り込み客が出てきました。さりげなく、堂々と、入口付近に押し寄せるファランたち。
業者と思われる女性がタイ語で、「今朝、こんなになってなかったじゃないの!どうしてこんなにここに人がいるのよ!?」と怒っていました。
でも、業者の中には割り込みを誘導する者もいて、そういう人に対して先ほどの女性は、「あいつは性格が悪い!」と怒っていました。
とまあ、いろいろありましたが、結局、私の順番は50番目くらいになっていたようです。
パスポートを見せて(いや、ほとんどチェックしてないな)大使館内に入るとすぐに、左右2列に分けられます。どういう意味なのかわかりませんが、指示に従うだけです。
その先は椅子が並べてあり、順に椅子に座っていきます。
2列に分かれた意味は、後でわかりました。2列の列ごとに2人の担当者がいて、受付けをしてくれるのです。
席に着いたのですが、私はまだ申請書を書いていません。業者もうろうろしてるし、スタッフが誰なのかもわかりません。とりあえず誰かそれらしい人を見つけて、「アプリケーション(申請書)はどこ?」と尋ねたのですが、意図が伝わったのかどうか。「チェックするから大丈夫だ」と言われ、そのまま席に戻りました。
その後、業者が客にパスポートや申請書を配っているようです。業者を通さない人はどうするのか、周囲を見回してもよくわかりません。
近くに来た業者に再度尋ねても、やはり同じようなことを言われます。本当かなぁ?そう思いつつ、席で待っていました。
しかし、受付けが始まる8時半の15分前になっても、誰も申請書を持ってきてくれません。意を決して再度列から離れ、スタッフらしき人に「申請書はどこか?」と尋ねました。
すると、横の建物を指さします。そこに入ると、受付カウンターらしきところに、無造作に申請書のようなものが数枚ありました。それを1枚取って列に戻り、その場で申請書を書きました。この時、下書きしておいたものが役立ったのです。
時間になると、みんなが一斉に立って、進行方向に少しずつ進みました。よく見ると、列の先頭にテーブルがあり、そこに担当者が2名ずつ座って、順に申請書を受け付けているようです。
ほとんどがツーリストビザですから、申請書とパスポートのコピーだけのチェックなので、あっという間に終わります。(なので、申請が始まってから申請書を書こうとするのは無謀ですね。)
10分ほどで私の順番になり、書類を提出すると、すぐに「申請書に写真を貼れ!」と指示されました。参考にしたブログでは、貼らなくても大丈夫だとあったのですが、そのやり方はダメになったようです。
すぐに近くのテーブルに行って、そこにあるハサミとノリで、適当にカットした写真を貼り付け、列の途中に割り込んで申請しました。
すぐに受領票を出されたので、「えっ、もうOKなの?」って思いましたが、違ってました。Bビザなので中でチェックするから、正面のカウンター前で待てとのこと。やっぱ、そうだよねぇ。
そこで10分くらい待って、カウンターに呼ばれていくと、目の前で書類をチェックしてくれて、すぐに「明日いらっしゃい」と言われました。受け付けてもらえたようです。「おっ、もうOKなんだー!」と拍子抜けしました。
ここまでくればBビザの発給は間違いありませんから、ホッと一安心です。9時前には終わりましたが、この時点で列は門の入口まで伸びていて、終わりの方は椅子がないので立って待っていました。人数で300人以上はいるのでしょうか。
後で思ったのですが、私のように時間の余裕がある人は、無理に早朝に並ばなくても、逆に終わり(11時半)近くに入れば、それほど待たずに受付してもらえるのではないかと思います。
ただし、次の日の受け取り(13時半〜15時半)も遅くなりますけどね。エアアジアを使って3泊するつもりなら、それもありかなぁと思いました。また、参考にしたブログに情報がありましたが、金曜申請の月曜受取りだと、人数は少ないでしょうね。
ホテルに戻ったのは9時前ですが、朝食のブッフェの終了時間ぎりぎりなので、レストランへは行きませんでした。
その代わり、ホテルの前のテーブルで、ビールを飲んだりして過ごしました。
この日は、特に出かけるつもりもなく、ホテルで過ごしました。表にいると、陽気なファランから声を掛けられたりして、それなりに会話らしきものもしました。
1人はドイツ人でタイ人の女性と結婚している男性で、やはりBビザを取りに来たとか。もう1人はハンガリー人で、前の彼女が日本人で京都に住んでいたとか。
途中からこの2人の英語での会話が盛り上がったので、私も半分くらいはわかるのですが、会話に参加することができなくて、途中退席しました。なんか、こういうある意味でどうでもいい会話って、飽きちゃうんですよね。
そして私は、屋台で豚焼きとムーデッディァオ(豚ジャーキー)(4本で2万キープ)を買って部屋に戻って、ビールを飲みました。
●3日目:ビザ受領
時間に余裕があるので、朝はホテルのバイキングで食事をしてみました。最近、肉ばっかりだったせいかお腹の調子がイマイチなので、野菜盛りにしてみました。
ビザの受領は午後13時半からです。13時40分くらいに行ったら、大使館内はまた多くの人で埋め尽くされてました。
また前日と同じように列に並ばされたので、おかしいなと思ったのです。ブログでは、番号順だと書かれていたので。
それで列を無視して前へ行き、横に出てから、カウンター前へ入ってみました。すると、電光掲示板に、すでに私の番号が表示されてます。
なので、カウンター前に並んでいた2番目の人に私の番号を見せ、無理やり間に入りました。(こんなの、知ってなかったらぜーったいにできねーよー!)
カウンターで受領証を見せると、申請書を見せられ、「2000バーツ」と言われました。最初、何を言われたのかわからずにプチパニクったのですが、すぐに支払いだと気づいて、財布から2000バーツを払って、パスポートと領収証を受け取りました。
これで、無事にBビザを取得できたので、後は明日の便でタイに戻るだけです。というわけで祝杯です。
案ずるより産むが易しと言いますが、最初に想定した不確定なことが、それほど的中せず、逆に想定外のことが多々あり、それでもまあ予定通りに行ったという感じでしょうか。まあでも、そういうものかもしれませんね。
なお、ラオスでのビザ取りに関しては、今日(2019年2月1日)から、予約制になるという情報がありました。日本の大使館はすでにそうなっているようです。人数が増えすぎたからですかね。
いずれにせよ、最新情報を大使館のWEBサイトから得ておくことが重要だろうと思います。
<2019年2月2日追記>
今日、ヴィエンチャンから戻ってきました。
ホテルでタクシーを呼んでもらったら8万キープとのこと。景気づけに切りよく10万キープ支払いました。
ベッドメイクのチップを置いてなかったので、最終日に3泊分を合わせて5万キープ、それと、無料でパスポートのコピーをしてくれるなどよく対応してくれた受付の人にも5万キープ、チップとしてあげました。
空港で、すでにチェクインしていてQRコードがあったので、自動搭乗券発券機を探したのですが、どうやらそんなものはなく、みんなカウンターに並ぶみたい。しかも、直前に停電があったようで、カウンターの表示が消えていて、どのカウンターがエアアジアなのかわかりません。
まあ小さな空港ですから、尋ねればいいだけですけどね。そんなこともあることを知っておくと、落ち着いて対処できるでしょう。
1月30日から2月2日まで、足掛け4日間のビザ取り旅行の精算は以下の通りです。
・ビザ代:2,000B
・ドンムアン空港までの交通費:約200B(BTS+空港バスの往復)
・エアアジアのチケット代:3,650B(席予約と預け荷物なし、保険あり)
・agodaで予約したホテル代:約2,300B(3泊)
・キープへの両替:2,000B
(約55万キープを使い切りました。内訳は以下の通り。
・現地インターネットSIM:2万キープ
・タクシー往復18.5万キープ
・豚焼きなど:3万キープ
・チップ:10万キープ
・ビール:約21万キープ)
総額は10,150Bですから、日本でビザ取りするよりかなり安くなりますね。もし、ラオスでビザ取りを考えておられる方がおられたら、参考にしてみてください。
ただし、いつ制度など変わるかわかりませんから、あくまでも参考程度に。
<2019年2月7日追記>
やはりオンライン予約しないとビザ申請できないようですね。こちらのサイトが詳しく説明していますので、参考にしてください。
2019年02月01日
2019年02月05日
幸せテクニック
また津留晃一(つる・こういち)さんの本を読みました。前回紹介した「人間らしくて、いいじゃないですか」が3冊目でしたので、これで4冊目になります。
この本は、アマゾンでは売られていないようです。なので、発行所の「集合人編集局」のリンクを貼っておきます。こちらでご注文ください。
本のサブタイトルに「どうしても幸せになりたい人へ」とあります。月刊誌「アネモネ」に1998年11月から2000年1月まで、毎月連載された「幸せテクニック講座」の第1回から第15回までを集めたもので、幸せになるための実践講座になっています。また、その実践編として公開セッションの様子が載っています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただし、これまでの本で紹介した内容は、なるべく割愛するようにします。
「真の幸せを獲得するためには、心の使い方を、今までのものとは完全に取り替える必要があります。私たちの脳は右脳と左脳のふたつで出来上がっています。そのどちらもかけがえのないものです。このふたつの脳をバランスよく使うことによって、真の自己改造が始まります。いつもこのことを意識に置いていて下さい。
あなたはこれまでの、「創られた者」としての人間から、「創る者」としての自覚を有する人間へと変化します。左脳を使い、まず知る必要があります。理解することが必要です。理解がその実質的変化を助けるからです。
そして右脳を使って、実際にエネルギーを変えていきます。あなたは「創る者」へ変わろうとしています。ですから、それを誰かにやってもらうことは出来ません。誰かにやってもらう人は「創られた者」だからです。」(p.3 - 4)
まず左脳を使ってしっかりと理解することが重要だと言います。それから右脳を使うのですから、イメージ(感性)によって実践していきます。
私の「幸せ実践塾」でも理論と実践が重要と言っていますが、まずは「知る」ということから始めるという点で、アプローチが似ていますね。
「宇宙をシンプルにとらえます。全宇宙は『小さい私』と『大いなる私』の2極構造であるというとらえかたです。「小さい私=小我」とはあなたが今自覚している私です。そして「大いなる私=大我」とは目に見えない本当の私ということです。小我は部分であり、大我は全体です。小我は創られた者であり、大我は創った者です。」(p.4)
まず、自分(宇宙)というものを、このような2極構造でとらえるのですね。神という別人格が存在するのではなく、それもまた私なのです。
「大いなる観点から見た時、自己が自分の願望を実現していくというこの世界のとらえかたと、決まったシナリオの中を歩んでいくだけだから、我々に成す事は何もないという委ねる生き方とが全く矛盾しない、単なる見えかたの違いだとわかります。
この観点を手に入れた者が「集合人」です。我々はそんな集合人間に変わっていきます。
ここがこの講座のゴールです。ここからものごとを見るようになると、全ては完璧で美しい世界にしか見えなくなります。このゴールを見据えながら、焦らずにいきましょう。」(p.5)
「思い」を持ち、それがすべて叶えられるという生き方は小我のとらえ方で、何か特別な意図を持たずに当初のシナリオ通りに動かされているだけという見方は大我のとらえ方なのですね。「神との対話」でも、神には特別な意図はないとありました。
「「幸せテクニック講座」の第一歩は、もうこれ以上ストレスの原因を増やさないというところから始まります。そのためにはまず気付くことです。自分が「意識の焦点」を合わせているものに。」(p.8)
何か不都合なものを感じると、私たちはたちまちそこに意識を向け、延々と考え続けます。「どうしてこんなことになったのか?」「なぜ私がこんな目に合わなければならないのか?」こうやって、対象にエネルギーを送り続けます。それがストレスの原因なのです。
「私はもう人は救わない。自分自身を救います。」(p.10)
「「ちょっと、そうじゃないだろう」と相手に意見を言いたくなった瞬間、このフレーズを思い出して下さい。相手を正そうとしている自分に気づいて下さい。それは他人救済なのです。」(p.10)
「自己救済」がポイントだと言います。「かわいそうに」という思いも他人救済です。私がよくやることですね。「老婆心ながら・・・」と余計なおせっかいをしたがる癖があります。重要なのは他人じゃなく自分。自分を救済することです。
「「怒っている人を見ると気分が悪くなる」という病気も、体質改善してあげれば治ります。その原因となっている、内的エネルギーを抜き取ってしまえば、アッという間に治ります。怒っている人を見て、そのまま怒らせてあげることが出来ます。」(p.14)
怒っている人にさえ反応しなくなるんですね。
「怒っている人を見ても、苦しんている人を見ても、見えている状態と、自分の幸、不幸がリンクしなくなります。いっさい外界からの影響を受けない人となります。不動心を得ます。宇宙のマスターとなります。単に自分の内的エネルギーをお掃除するだけで……。
外界の影響を受けなくなったら、どうなると思いますか。外の世界で起きている事と、自分の感情がリンクしなくなったら、未来の事などどうでもよくなります。ですから不安が消えます。これが幸せな状態です。揺らぐ事のない、絶対的幸せです。」(p.15)
まったく反応しなくなった時、私たちはただいるだけで幸せでいられるのです。
「自分の中にストレスがある場合は、それを解放してあげるしかありません。「あっ、ごめん。今、ストレスを感じているからちょっとひとりにさせてくれないか」と言ってみましょう。
そう言えたとしたら、あなたは今、自分の中にストレスがあることを自ら認めています。これだけであなたの感情は半分に減っていることでしょう。」(p.22)
怒りはもちろん、感情を感じ切ることが重要だと言われますが、そのためにはまず自分がその感情を感じていることに気付くことが重要なのですね。
「ただ次の瞬間も、またその次の瞬間も、豊かな自分のハートを感じて下さい。そんなあなたにはどんな問題も起きてくることはありません。ちょうどパニック映画を見ているあなたが、幸せを感じられるのと同じです。何を見ようと動じる必要性はありません。」(p.29)
今、この瞬間の自分のハートを感じる。そのハートが開いていれば、何も心配はないと言います。つまり、目の前の出来事がどうかに関係なく、ハートは幸せでいられるのです。
「今、あなたの目の前には、愛以外は存在してはいません。ですからどうぞどんなものも、受け入れてみて下さい。受け入れれば細胞は開きますから。どんなものも良きものと思えるようになってきます。」(p.30 - 31)
「ですが、肯定しようとしても出来ないものもあるでしょう。そこにあなたのブロックがあるからです。こんな時こそ、ブロックのお掃除のチャンスです。」(p.30)
本質的には「愛」しか存在しないのですから、私たちを害するものは存在しません。それがわかれば、心をオープンにしていられるはずです。しかし、エネルギーのブロックがあると、そこに抵抗を感じる。でも、その時こそがブロックを掃除するチャンスなのですね。
「漠然と「何だか今、胸の辺りが重苦しい、どうしてだか落ち込んでいる、辛いなー」と、ストレスを感じている時に、「どうして? どうして? どうして? どうして?」とその言葉だけに集中してください。
決して答えを求めないで下さい。答えがやってきたら「それはどうして?」と質問を切り替え、すぐにまた集中に入って下さい。これを集中力がなくなるまで続けて下さい。ほんの5分で充分ですから……。誰でもそんなに長く集中できるものではありません。慣れてくれば3分ですむようになり、やがて1分もかからなくなります。」(p.33)
これがブロックを掃除する浄化のテクニックの1つです。そのストレスをじっと見つめることが重要だそうです。
「「どうして?」という想念は、自然にその原因となっているブロックへエネルギーを向かわせます。ですから「どうして?」に意識を集中するとは、その原因に意識の光を送り込むことになります。実際には3分も意識をきっちり合わせることが出来さえすればどんなブロックもたちまち消滅してしまいます。」(p.34)
「神との対話」でも不安を見つめることを勧めています。見つめていれば、それは幻想だから、正体を現さずにはいられないのだと。ここで言われていることも、同じようなことだと思います。
「答えを受け取れない人こそ幸せな人です。浄化が終わるまでじっとそこに留まることが出来るからです。
原因は今、ここにあります。それはエネルギーブロックです。過去に起きたそのエネルギーブロックを作った出来事は、過去のことに過ぎません。ですからそんなことはどうでも良いことなのです。」(p.35)
答えを出そうとするのは自我の働きです。しかし、自我には問題解決能力はありません。ですから、答えを求めるのではなく、問題そのものを見つめることが大切なのです。
「どうしても、どうしても幸せになりたい人は、幸せを諦めることです。あえてこんな否定的言葉を使わせていただきます。「諦める」という言葉にくっついている、否定的感情のエネルギーを中和するために……。こんな表現をしてしまったらこの先を読みたくなくなるかもしれませんね。
「幸せ、そんなものどうでもいいじゃない」と思えるようになった人には、至福の方が向こうから近寄ってきます。不思議ですね。あなたがすることは、幸せになろうとすることではなく、幸せを諦めてしまうことだとしたら、何と皮肉なことでしょう。これがこの世界がパラドックスであるゆえんです。」(p.64)
私がよく言うように、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということですね。
「「もうこんなのイヤだ」と思ったら、憎しみを声に出して表現し、そんな自分をまるまる抱きしめて下さい。
憎しみを出しつくし、その想念を自分で受け入れて下さい。自分が出した想念をまた自分にもどします。
自分の出したカルマを自分自身で刈り取ります。こうしてカルマの連鎖に終止符が打たれます。」(p.66)
これが、「M2テクニック」などで示されている浄化(エネルギーブロックの掃除)の本質的なことです。沸き起こる感情を感じ切り、それをじっと見つめ、出てきてくれたこと、体験させてくれたことを喜んで、その体験を受け入れるのです。
「感情は外に出さない限り、心の中に残ります。慣性の法則です。ですから出してしまいなさいと言われます。手紙に書いて燃やしてしまう。これはカルマを発生させない、うまいやり方です。燃やして終わらせているからです。」(p.70 - 71)
イライラを他人にぶつければ、そのイライラのカルマは解消しますが、ぶつけたことによるカルマが発生するのですね。つまり、原因である思考が現実という結果を創るのです。
これまでの時代、このカルマの成就には時間がかかり、時には来世でカルマを解消することになったりしていましたが、今は成就までの時間がとても短くなっているそうです。
「でも、あなたは人の愚痴を聞きたくありません。それはあなたの中に同質のエネルギーを貯蔵したままでいるからです。愚痴を聞かされていると、あなたの中に閉じこめている古いエネルギーが動き始めてくるからです。
さあ、これもあなたのチャンスです。あなたが蓄えていることすら忘れてしまっている、古いストレスのエネルギーを解放させる時がやってきたのです。」(p.73)
愚痴を聞かされてイライラするのも、原因は自分の中のエネルギーブロックなのですね。
「まず自分を癒すことが先決です。そうでないと、愚痴をこぼす人が憎くなってしまいます。ブロックの掃除の終わった人だけが、真に同情心の持てる人へと変わります。もっとも難しい同情愛の持てる人になってしまいます。なろうとしていなくても、なってしまいます。」(p.74)
愚痴は、ただ聞いてあげるだけで相手は喜ぶもの。そうわかっていてもそれができないのは、自分がまだ癒やされていないからなのです。
「幸せは心で感じますね。ですから、あくまでも幸せというのは、心の内的作用でしかありません。すなわち、外的世界と隔絶された、全く別の世界の話です。外的条件に影響を受ける心はありますが、不幸感は外的条件によって決まるものではありません。どこまで行っても内的作用です。
外的条件に影響を受ける心は、内的世界にあるエネルギーブロックの働きです。ですからエネルギーブロックさえなければ、心はいっさいの外敵条件に影響を受けなくなります。外側で何が起きようと涼しい顔でいられます。」(p.77)
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という心境は、まさにこういうことなのでしょうね。
「怒りの感情を嫌う私が、怒りの感情を表現できるはずがありませんでした。ですから私自身の浄化の旅は確かに苦しく険しいものでした。
しかし私に続いて下さる方々が既に出始めております。一人がそうなると、その次の人はもっと容易にその道を通り抜けることが出来ます。一人一人、だんだん浄化のスピードは早まっていきます。
ですからあなたがまず変わって下さい。それが何よりの社会への奉仕です。私たちはこのシンプルな原理により、シンプルに浄化を進める準備が整いました。すぐに始めて下さい。あなたから……。」(p.84)
自分で自分を救うことが、世界の救済につながるのです。
「神になるとは、神への道を上がっていくという作業ではなく、自分自身が神であったことを思いだしていく作業そのものです。ですからその作業の工程そのものが、神への道となるわけです。
「あなたが道である」というのはこういうことです。そしてその神である記憶を閉ざしているものが、エネルギーブロックです。
ですからエネルギーブロックを掃除するという作業は、記憶を取り戻すという作業そのものです。すなわち浄化のプロセスこそ、神へと帰っていく道そのものであるわけです。」(p.111)
「ところがこのエネルギーブロックは、さまざまな現実の中に、あなたにとって厄介な問題として顔を出してきます。不快な感覚としてやってきます。
このときわれわれは、その不快な感覚が、他人や環境からやってきたと錯覚し、環境整備や、他人との人間関係の構築に注意を向けてしまいます。
でもいくらそれをやっても、問題はちっとも真の解決を見ることはありません。あなたの魂は環境構築のために、今、そこにいるわけではないからです。多くの人が、人生のゲームを取り違えています。
ここに実在しているゲームは、過去を思い出すというゲームです。今のところは過去を思い出すゲームに熱中して下さい。幸いなことに、忘れている記憶のエネルギーはちゃんと残っていますから、感情によって我々はそれを知ることが出来ます。体験した記憶がとてもつらい場合、誰でもそれを隠してしまいます。これがエネルギーブロックです。」(p.112)
問題解決手法のホ・オポノポノも、けっきょくはこういうことなのだろうなと思います。過去の記憶のクリーニング(浄化)ですから。
「演劇を見に行ったとき、ある室内の場面から、舞台がぐるりと反転して、戦場の場面になったりします。じつは意識の世界で繰り広げられているのも、こんな感じです。ちょうど夢の中での体験のように……。
でも、我々は今、そうではないと思い込んでいます。時間というものをリアルな実体として経験しているからです。リアリティーというのは真実であるという事ではありません。リアリティーとは、共通認識にすぎません。「そうである」と合意が成立しているものには共通体験をして、これをリアリティーと呼んでいます。共通体験だからといって真実であるわけではありません。」(p.128)
ここの部分は、ぜひ全文を読んで欲しいところです。意識がそれぞれの物質の空間を創り出しているという話もあり、とても興味深いです。
「人に怒るなと言うことは、神と戦おうとしている状態です。怒るなとコントロールするのではなく、貧乏ゆすりをするなと言うのではなく、怒っている人を見て平気になる、貧乏ゆすりをしている人をみて平気になる、誤解されて平気になる、これが浄化なのです。どんどん、どんどん楽になっていきます。」(p.147)
そもそも他人は変えられないと言いますが、もう他人や外界を変えようとしなくなりますね。そんな心境になりたいと思います。
「痛みというのはエネルギーが抜けている状態です。貯めているエネルギーが物質化し、それが燃焼するとき痛みを体験するわけです。だから「ああ、よかった」と思えばカルマを貯めないで終わるのです。今のようなワークで、ただ起きてくる事にまかせて「ああ、よかった」とエネルギーを抜いてあげればそれで終わるのです。起きてくる事を、ただちょっと加速してあげただけなのです。ほうっておいても抜けていくのですよ。風邪の症状などがそうです。」(p.148)
風邪の症状だけでなく、痛みさえも浄化だと言うのですね。これは驚きました。しかし、この症状が浄化だという考えは、レイキと同じですね。
「痛みが残っていたら、まだ浄化されているわけですから、加速してあげるには、今のように痛いところに意識を向けてあげればいいのです。」(p.149)
「そこにエネルギーがあっても、痛みがなければ的がないでしょ。意識の向けようがないでしょ。痛みがあれば意識が向けられるわけです。だから痛みというのは標的なのです。」(p.149)
つまり、「痛み」というのは、ここに意識を向けてくれという身体からの信号なのですね。だから安心してそこに意識を向けていてやれば、浄化が早まるのです。
津留さんの本は、これで終わりです。4冊を読み終えて、こんな日本人がおられたのに、会えなかったことが残念です。いつか講演のDVDを買って、ビデオの中の動く津留さんとお会いしたいと思いました。
この本は、アマゾンでは売られていないようです。なので、発行所の「集合人編集局」のリンクを貼っておきます。こちらでご注文ください。
本のサブタイトルに「どうしても幸せになりたい人へ」とあります。月刊誌「アネモネ」に1998年11月から2000年1月まで、毎月連載された「幸せテクニック講座」の第1回から第15回までを集めたもので、幸せになるための実践講座になっています。また、その実践編として公開セッションの様子が載っています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただし、これまでの本で紹介した内容は、なるべく割愛するようにします。
「真の幸せを獲得するためには、心の使い方を、今までのものとは完全に取り替える必要があります。私たちの脳は右脳と左脳のふたつで出来上がっています。そのどちらもかけがえのないものです。このふたつの脳をバランスよく使うことによって、真の自己改造が始まります。いつもこのことを意識に置いていて下さい。
あなたはこれまでの、「創られた者」としての人間から、「創る者」としての自覚を有する人間へと変化します。左脳を使い、まず知る必要があります。理解することが必要です。理解がその実質的変化を助けるからです。
そして右脳を使って、実際にエネルギーを変えていきます。あなたは「創る者」へ変わろうとしています。ですから、それを誰かにやってもらうことは出来ません。誰かにやってもらう人は「創られた者」だからです。」(p.3 - 4)
まず左脳を使ってしっかりと理解することが重要だと言います。それから右脳を使うのですから、イメージ(感性)によって実践していきます。
私の「幸せ実践塾」でも理論と実践が重要と言っていますが、まずは「知る」ということから始めるという点で、アプローチが似ていますね。
「宇宙をシンプルにとらえます。全宇宙は『小さい私』と『大いなる私』の2極構造であるというとらえかたです。「小さい私=小我」とはあなたが今自覚している私です。そして「大いなる私=大我」とは目に見えない本当の私ということです。小我は部分であり、大我は全体です。小我は創られた者であり、大我は創った者です。」(p.4)
まず、自分(宇宙)というものを、このような2極構造でとらえるのですね。神という別人格が存在するのではなく、それもまた私なのです。
「大いなる観点から見た時、自己が自分の願望を実現していくというこの世界のとらえかたと、決まったシナリオの中を歩んでいくだけだから、我々に成す事は何もないという委ねる生き方とが全く矛盾しない、単なる見えかたの違いだとわかります。
この観点を手に入れた者が「集合人」です。我々はそんな集合人間に変わっていきます。
ここがこの講座のゴールです。ここからものごとを見るようになると、全ては完璧で美しい世界にしか見えなくなります。このゴールを見据えながら、焦らずにいきましょう。」(p.5)
「思い」を持ち、それがすべて叶えられるという生き方は小我のとらえ方で、何か特別な意図を持たずに当初のシナリオ通りに動かされているだけという見方は大我のとらえ方なのですね。「神との対話」でも、神には特別な意図はないとありました。
「「幸せテクニック講座」の第一歩は、もうこれ以上ストレスの原因を増やさないというところから始まります。そのためにはまず気付くことです。自分が「意識の焦点」を合わせているものに。」(p.8)
何か不都合なものを感じると、私たちはたちまちそこに意識を向け、延々と考え続けます。「どうしてこんなことになったのか?」「なぜ私がこんな目に合わなければならないのか?」こうやって、対象にエネルギーを送り続けます。それがストレスの原因なのです。
「私はもう人は救わない。自分自身を救います。」(p.10)
「「ちょっと、そうじゃないだろう」と相手に意見を言いたくなった瞬間、このフレーズを思い出して下さい。相手を正そうとしている自分に気づいて下さい。それは他人救済なのです。」(p.10)
「自己救済」がポイントだと言います。「かわいそうに」という思いも他人救済です。私がよくやることですね。「老婆心ながら・・・」と余計なおせっかいをしたがる癖があります。重要なのは他人じゃなく自分。自分を救済することです。
「「怒っている人を見ると気分が悪くなる」という病気も、体質改善してあげれば治ります。その原因となっている、内的エネルギーを抜き取ってしまえば、アッという間に治ります。怒っている人を見て、そのまま怒らせてあげることが出来ます。」(p.14)
怒っている人にさえ反応しなくなるんですね。
「怒っている人を見ても、苦しんている人を見ても、見えている状態と、自分の幸、不幸がリンクしなくなります。いっさい外界からの影響を受けない人となります。不動心を得ます。宇宙のマスターとなります。単に自分の内的エネルギーをお掃除するだけで……。
外界の影響を受けなくなったら、どうなると思いますか。外の世界で起きている事と、自分の感情がリンクしなくなったら、未来の事などどうでもよくなります。ですから不安が消えます。これが幸せな状態です。揺らぐ事のない、絶対的幸せです。」(p.15)
まったく反応しなくなった時、私たちはただいるだけで幸せでいられるのです。
「自分の中にストレスがある場合は、それを解放してあげるしかありません。「あっ、ごめん。今、ストレスを感じているからちょっとひとりにさせてくれないか」と言ってみましょう。
そう言えたとしたら、あなたは今、自分の中にストレスがあることを自ら認めています。これだけであなたの感情は半分に減っていることでしょう。」(p.22)
怒りはもちろん、感情を感じ切ることが重要だと言われますが、そのためにはまず自分がその感情を感じていることに気付くことが重要なのですね。
「ただ次の瞬間も、またその次の瞬間も、豊かな自分のハートを感じて下さい。そんなあなたにはどんな問題も起きてくることはありません。ちょうどパニック映画を見ているあなたが、幸せを感じられるのと同じです。何を見ようと動じる必要性はありません。」(p.29)
今、この瞬間の自分のハートを感じる。そのハートが開いていれば、何も心配はないと言います。つまり、目の前の出来事がどうかに関係なく、ハートは幸せでいられるのです。
「今、あなたの目の前には、愛以外は存在してはいません。ですからどうぞどんなものも、受け入れてみて下さい。受け入れれば細胞は開きますから。どんなものも良きものと思えるようになってきます。」(p.30 - 31)
「ですが、肯定しようとしても出来ないものもあるでしょう。そこにあなたのブロックがあるからです。こんな時こそ、ブロックのお掃除のチャンスです。」(p.30)
本質的には「愛」しか存在しないのですから、私たちを害するものは存在しません。それがわかれば、心をオープンにしていられるはずです。しかし、エネルギーのブロックがあると、そこに抵抗を感じる。でも、その時こそがブロックを掃除するチャンスなのですね。
「漠然と「何だか今、胸の辺りが重苦しい、どうしてだか落ち込んでいる、辛いなー」と、ストレスを感じている時に、「どうして? どうして? どうして? どうして?」とその言葉だけに集中してください。
決して答えを求めないで下さい。答えがやってきたら「それはどうして?」と質問を切り替え、すぐにまた集中に入って下さい。これを集中力がなくなるまで続けて下さい。ほんの5分で充分ですから……。誰でもそんなに長く集中できるものではありません。慣れてくれば3分ですむようになり、やがて1分もかからなくなります。」(p.33)
これがブロックを掃除する浄化のテクニックの1つです。そのストレスをじっと見つめることが重要だそうです。
「「どうして?」という想念は、自然にその原因となっているブロックへエネルギーを向かわせます。ですから「どうして?」に意識を集中するとは、その原因に意識の光を送り込むことになります。実際には3分も意識をきっちり合わせることが出来さえすればどんなブロックもたちまち消滅してしまいます。」(p.34)
「神との対話」でも不安を見つめることを勧めています。見つめていれば、それは幻想だから、正体を現さずにはいられないのだと。ここで言われていることも、同じようなことだと思います。
「答えを受け取れない人こそ幸せな人です。浄化が終わるまでじっとそこに留まることが出来るからです。
原因は今、ここにあります。それはエネルギーブロックです。過去に起きたそのエネルギーブロックを作った出来事は、過去のことに過ぎません。ですからそんなことはどうでも良いことなのです。」(p.35)
答えを出そうとするのは自我の働きです。しかし、自我には問題解決能力はありません。ですから、答えを求めるのではなく、問題そのものを見つめることが大切なのです。
「どうしても、どうしても幸せになりたい人は、幸せを諦めることです。あえてこんな否定的言葉を使わせていただきます。「諦める」という言葉にくっついている、否定的感情のエネルギーを中和するために……。こんな表現をしてしまったらこの先を読みたくなくなるかもしれませんね。
「幸せ、そんなものどうでもいいじゃない」と思えるようになった人には、至福の方が向こうから近寄ってきます。不思議ですね。あなたがすることは、幸せになろうとすることではなく、幸せを諦めてしまうことだとしたら、何と皮肉なことでしょう。これがこの世界がパラドックスであるゆえんです。」(p.64)
私がよく言うように、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということですね。
「「もうこんなのイヤだ」と思ったら、憎しみを声に出して表現し、そんな自分をまるまる抱きしめて下さい。
憎しみを出しつくし、その想念を自分で受け入れて下さい。自分が出した想念をまた自分にもどします。
自分の出したカルマを自分自身で刈り取ります。こうしてカルマの連鎖に終止符が打たれます。」(p.66)
これが、「M2テクニック」などで示されている浄化(エネルギーブロックの掃除)の本質的なことです。沸き起こる感情を感じ切り、それをじっと見つめ、出てきてくれたこと、体験させてくれたことを喜んで、その体験を受け入れるのです。
「感情は外に出さない限り、心の中に残ります。慣性の法則です。ですから出してしまいなさいと言われます。手紙に書いて燃やしてしまう。これはカルマを発生させない、うまいやり方です。燃やして終わらせているからです。」(p.70 - 71)
イライラを他人にぶつければ、そのイライラのカルマは解消しますが、ぶつけたことによるカルマが発生するのですね。つまり、原因である思考が現実という結果を創るのです。
これまでの時代、このカルマの成就には時間がかかり、時には来世でカルマを解消することになったりしていましたが、今は成就までの時間がとても短くなっているそうです。
「でも、あなたは人の愚痴を聞きたくありません。それはあなたの中に同質のエネルギーを貯蔵したままでいるからです。愚痴を聞かされていると、あなたの中に閉じこめている古いエネルギーが動き始めてくるからです。
さあ、これもあなたのチャンスです。あなたが蓄えていることすら忘れてしまっている、古いストレスのエネルギーを解放させる時がやってきたのです。」(p.73)
愚痴を聞かされてイライラするのも、原因は自分の中のエネルギーブロックなのですね。
「まず自分を癒すことが先決です。そうでないと、愚痴をこぼす人が憎くなってしまいます。ブロックの掃除の終わった人だけが、真に同情心の持てる人へと変わります。もっとも難しい同情愛の持てる人になってしまいます。なろうとしていなくても、なってしまいます。」(p.74)
愚痴は、ただ聞いてあげるだけで相手は喜ぶもの。そうわかっていてもそれができないのは、自分がまだ癒やされていないからなのです。
「幸せは心で感じますね。ですから、あくまでも幸せというのは、心の内的作用でしかありません。すなわち、外的世界と隔絶された、全く別の世界の話です。外的条件に影響を受ける心はありますが、不幸感は外的条件によって決まるものではありません。どこまで行っても内的作用です。
外的条件に影響を受ける心は、内的世界にあるエネルギーブロックの働きです。ですからエネルギーブロックさえなければ、心はいっさいの外敵条件に影響を受けなくなります。外側で何が起きようと涼しい顔でいられます。」(p.77)
「心頭を滅却すれば火もまた涼し」という心境は、まさにこういうことなのでしょうね。
「怒りの感情を嫌う私が、怒りの感情を表現できるはずがありませんでした。ですから私自身の浄化の旅は確かに苦しく険しいものでした。
しかし私に続いて下さる方々が既に出始めております。一人がそうなると、その次の人はもっと容易にその道を通り抜けることが出来ます。一人一人、だんだん浄化のスピードは早まっていきます。
ですからあなたがまず変わって下さい。それが何よりの社会への奉仕です。私たちはこのシンプルな原理により、シンプルに浄化を進める準備が整いました。すぐに始めて下さい。あなたから……。」(p.84)
自分で自分を救うことが、世界の救済につながるのです。
「神になるとは、神への道を上がっていくという作業ではなく、自分自身が神であったことを思いだしていく作業そのものです。ですからその作業の工程そのものが、神への道となるわけです。
「あなたが道である」というのはこういうことです。そしてその神である記憶を閉ざしているものが、エネルギーブロックです。
ですからエネルギーブロックを掃除するという作業は、記憶を取り戻すという作業そのものです。すなわち浄化のプロセスこそ、神へと帰っていく道そのものであるわけです。」(p.111)
「ところがこのエネルギーブロックは、さまざまな現実の中に、あなたにとって厄介な問題として顔を出してきます。不快な感覚としてやってきます。
このときわれわれは、その不快な感覚が、他人や環境からやってきたと錯覚し、環境整備や、他人との人間関係の構築に注意を向けてしまいます。
でもいくらそれをやっても、問題はちっとも真の解決を見ることはありません。あなたの魂は環境構築のために、今、そこにいるわけではないからです。多くの人が、人生のゲームを取り違えています。
ここに実在しているゲームは、過去を思い出すというゲームです。今のところは過去を思い出すゲームに熱中して下さい。幸いなことに、忘れている記憶のエネルギーはちゃんと残っていますから、感情によって我々はそれを知ることが出来ます。体験した記憶がとてもつらい場合、誰でもそれを隠してしまいます。これがエネルギーブロックです。」(p.112)
問題解決手法のホ・オポノポノも、けっきょくはこういうことなのだろうなと思います。過去の記憶のクリーニング(浄化)ですから。
「演劇を見に行ったとき、ある室内の場面から、舞台がぐるりと反転して、戦場の場面になったりします。じつは意識の世界で繰り広げられているのも、こんな感じです。ちょうど夢の中での体験のように……。
でも、我々は今、そうではないと思い込んでいます。時間というものをリアルな実体として経験しているからです。リアリティーというのは真実であるという事ではありません。リアリティーとは、共通認識にすぎません。「そうである」と合意が成立しているものには共通体験をして、これをリアリティーと呼んでいます。共通体験だからといって真実であるわけではありません。」(p.128)
ここの部分は、ぜひ全文を読んで欲しいところです。意識がそれぞれの物質の空間を創り出しているという話もあり、とても興味深いです。
「人に怒るなと言うことは、神と戦おうとしている状態です。怒るなとコントロールするのではなく、貧乏ゆすりをするなと言うのではなく、怒っている人を見て平気になる、貧乏ゆすりをしている人をみて平気になる、誤解されて平気になる、これが浄化なのです。どんどん、どんどん楽になっていきます。」(p.147)
そもそも他人は変えられないと言いますが、もう他人や外界を変えようとしなくなりますね。そんな心境になりたいと思います。
「痛みというのはエネルギーが抜けている状態です。貯めているエネルギーが物質化し、それが燃焼するとき痛みを体験するわけです。だから「ああ、よかった」と思えばカルマを貯めないで終わるのです。今のようなワークで、ただ起きてくる事にまかせて「ああ、よかった」とエネルギーを抜いてあげればそれで終わるのです。起きてくる事を、ただちょっと加速してあげただけなのです。ほうっておいても抜けていくのですよ。風邪の症状などがそうです。」(p.148)
風邪の症状だけでなく、痛みさえも浄化だと言うのですね。これは驚きました。しかし、この症状が浄化だという考えは、レイキと同じですね。
「痛みが残っていたら、まだ浄化されているわけですから、加速してあげるには、今のように痛いところに意識を向けてあげればいいのです。」(p.149)
「そこにエネルギーがあっても、痛みがなければ的がないでしょ。意識の向けようがないでしょ。痛みがあれば意識が向けられるわけです。だから痛みというのは標的なのです。」(p.149)
つまり、「痛み」というのは、ここに意識を向けてくれという身体からの信号なのですね。だから安心してそこに意識を向けていてやれば、浄化が早まるのです。
津留さんの本は、これで終わりです。4冊を読み終えて、こんな日本人がおられたのに、会えなかったことが残念です。いつか講演のDVDを買って、ビデオの中の動く津留さんとお会いしたいと思いました。
2019年02月06日
元の会社に再就職しました
2016年6月にリストラされて(こちらの記事「リストラされました!」をご覧ください)以来、2年半もの間、無職(フリーター)で暮らしてきました。
しかし、さすがにそろそろ生活費を何とかしなければと窮地に追い込まれた感じになった昨年末、元の会社からオファーがあり、今年になって正式に採用が決まりました。
この辺の事情は、別のブログに記事「3つ目の奇跡と呼べるのか?」を投稿していますので、そちらをご覧ください。
以前は、役員(どころか代表取締役社長)をしていましたが、今回は単に社員という立場です。肩書は、マネージャーかジェネラル・マネージャーだと思いますが、大した意味はありません。
私に託される仕事のメインは、日本の本社(というより、通いで年に4〜6回タイに通ってこられる社長)とのコミュニケーションの円滑化です。簡単に言えば経営サポートでしょうか。
給与は、思い切り下げに下げたリストラ前の給料の半分。タイの現地採用としても平均かそれ以下くらいかと。日本で普通にアルバイト生活を送った場合と比べると、それと同等かやや少ないくらいです。
とは言え、日本で暮らすことになれば別途家賃が発生しますから、それを考えれば可処分所得的には多くなる感じです。
昨年の後半、私もそろそろ仕事をしなければと思ったので、就活も始めました。しかし、どれもこれも不調に終わったのです。
そんな中で、こちらからアプローチしたわけでもないのに、元の会社からオファーがありました。
結局、私があくせく仕事を探さなくても、仕事は与えられたのですね。
「果報は寝て待て」と言われる通り、ただ安心して待っていれば上手くいくのだろうと思った次第です。
すでに記事「ラオス・ヴィエンチャンでBビザを取ってきました」に書いたように、Bビザを取得してきました。後はワークパミット(労働許可証)を申請すれば、正式に社員になれます。
毎日出勤する必要はないので、これまで通りにのんびりやっていこうと思っています。
ただ、「就職が決まったからこれで安心」と思えるほど安定した立場ではありません。普通に考えれば、3ヶ月くらいでまたクビということも十分に考えられる、というのが私が受ける感じです。
でも、だからこそ私は安心していようと思います。
元々、ダメなら帰国してアルバイト生活でもしようと考えていたのですから、今の仕事を失ったからと言っても、元に戻るだけのこと。
焦ったり、しがみついたりして、自ら不幸を求めるような生き方はやめようと思うのです。
さて、今後どうなりますか。楽しみにしていてください。
こちらのブログでは、時折こういうお知らせ的な記事を書くだけですが、メルマガでは事細かに書いています。
興味のある方は、以下から登録してお読みくださいね。
→無料メルマガ「幸せ実践塾」通信(SJ通信)」
しかし、さすがにそろそろ生活費を何とかしなければと窮地に追い込まれた感じになった昨年末、元の会社からオファーがあり、今年になって正式に採用が決まりました。
この辺の事情は、別のブログに記事「3つ目の奇跡と呼べるのか?」を投稿していますので、そちらをご覧ください。
以前は、役員(どころか代表取締役社長)をしていましたが、今回は単に社員という立場です。肩書は、マネージャーかジェネラル・マネージャーだと思いますが、大した意味はありません。
私に託される仕事のメインは、日本の本社(というより、通いで年に4〜6回タイに通ってこられる社長)とのコミュニケーションの円滑化です。簡単に言えば経営サポートでしょうか。
給与は、思い切り下げに下げたリストラ前の給料の半分。タイの現地採用としても平均かそれ以下くらいかと。日本で普通にアルバイト生活を送った場合と比べると、それと同等かやや少ないくらいです。
とは言え、日本で暮らすことになれば別途家賃が発生しますから、それを考えれば可処分所得的には多くなる感じです。
昨年の後半、私もそろそろ仕事をしなければと思ったので、就活も始めました。しかし、どれもこれも不調に終わったのです。
そんな中で、こちらからアプローチしたわけでもないのに、元の会社からオファーがありました。
結局、私があくせく仕事を探さなくても、仕事は与えられたのですね。
「果報は寝て待て」と言われる通り、ただ安心して待っていれば上手くいくのだろうと思った次第です。
すでに記事「ラオス・ヴィエンチャンでBビザを取ってきました」に書いたように、Bビザを取得してきました。後はワークパミット(労働許可証)を申請すれば、正式に社員になれます。
毎日出勤する必要はないので、これまで通りにのんびりやっていこうと思っています。
ただ、「就職が決まったからこれで安心」と思えるほど安定した立場ではありません。普通に考えれば、3ヶ月くらいでまたクビということも十分に考えられる、というのが私が受ける感じです。
でも、だからこそ私は安心していようと思います。
元々、ダメなら帰国してアルバイト生活でもしようと考えていたのですから、今の仕事を失ったからと言っても、元に戻るだけのこと。
焦ったり、しがみついたりして、自ら不幸を求めるような生き方はやめようと思うのです。
さて、今後どうなりますか。楽しみにしていてください。
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2019年02月08日
BTSのラビットカードにスマホでチャージする方法をやってみました
タイ・バンコクで日本人(タイ人もですが)がよく利用する乗り物として、BTSがあります。
よく「モノレール」と呼ぶ人がいますが、厳密には間違いです。レールが2本ありますからね。正しくは「スカイトレイン」か「高架鉄道」になります。
とは言え、最初は地下鉄で始まったMRTも、今はパープルラインの開通で高架鉄道部分もできたので、MRTを「地下鉄」と総称するのも厳密には間違いになりました。BTSもMRTも運営する鉄道会社の名前です。東京なら「営団地下鉄」とか「小田急」と呼ぶようなものですね。
さて、前置きが長くなりましたが、昨年から盛んに、BTSのラビットカード(suicaのようなもの)にスマホからチャージ(トップアップとも言います)するCMが流されています。
ラビットカードはプリペイド方式なので、残高が少なくなれば、駅の窓口でチャージする必要があります。それがスマホでできるなら、こんな便利なことはないでしょう。ということで、さっそくやってみることにしました。
参考にしたのは、「サクのバンコク生活日記」、「phablet.jp (ファブレット.jp)」などのサイトです。
※この記事を投稿した2019年2月8日時点での情報ですのでご注意ください。
●Rabbit LINE Payに登録する
まず、私はまったく意味を理解していませんでした。
BTSのアプリをスマホに入れ、駅の窓口で連携すれば、アプリを使ってチャージができるようになる、と勝手に思っていたのです。
しかし実際は、新たにアプリを導入するのではなく、LINEの中にあるLINE Payの機能を使って、ラビットカードと連携するのです。
ついでに言うと、日本のアカウントだとLINE Payですが、タイのアカウントだとRabbit LINE Payとなり、両者は別物だということです。したがって、日本のアカウントのままだと、ラビットカードとの連携はできません。
なお、日本のアカウントからタイのアカウントへ変更ができる、というような記述が参考サイトにありましたが、やり方がよくわかりません。おそらく、LINEに登録している電話番号をタイの番号に変えればよいのではないかと思いますが・・・。
さて、一応、タイのアカウントの方(つまりRabbit LINE Payが使える方)を対象として、登録のやり方です。
参考サイトにあるように、LINEのメニューにある「ウォレット」から「BTS」を選び、指示に従って操作して、そこでラビットカードに記載されている13桁(3-1-8-1桁)の番号を入力します。また、支払い方法をチャージした残高にするかクレジットカードにするかを選びます。(後で変更できます。)
最初にLINE Payを開いて、パスポート番号などを登録する、というような記載がありますが、私はやっていません。
※後で気づいたのですが、私は2017年3月にRubbit LINE Payを何かで使っているようです。なので、ひょっとしたらその時、登録したのかもしれませんね。クレジットカードもすでに登録してありました。
ラビットカードの番号登録が終わると、駅の窓口に持って行ってアクティベートするように、というメッセージが出るのと、LINE Walletのトークに決済登録内容のお知らせというメッセージが届きます。
●駅の窓口でアクティベートする
次は、駅の窓口へ行って、ラビットカードをRubbit LINE Payと連携してもらいます。
この時、パスポートの提示が必要だとされています。タイの運転免許証ではダメなのか疑問があったので、一応両方用意しておきました。
ところが最初にラビットカードだけ出したところ、特に何も要求されずにアクティベートしてくれました。なので、運転免許証ではダメなのかどうかも確認できませんでした。
なおこの時、私は「アクティベート プリーズ」と言ってラビットカードを窓口に出したのですが、最初は理解してもらえませんでした。英語の発音が悪かったということもあるでしょうが。何回か言って、スマホを見せたりして、やっと理解してもらいました。
ところがその後、何か長々と言われたのですが、何を言っているのかさっぱりわかりません。何かいろいろ選択肢があるのかもしれませんが、それもわかりません。それで、わからないという様子を示したら、あきらめてアクティベートしてくれました。
カードの残高がRabbit LINE Payに入ったから、というような説明があり、カードに「LINE Pay」のシールを貼ってから、そのレシートとカードを渡してくれました。
その時、同時に、LINE Walletのトークにも、アクティーベーとされたことのお知らせが届きました。
●BTSに乗る
アクティベートされたラビットカードを使って、さっそくBTSに乗ってみました。
ラビットカードを読み取り機に当てると、これまでは画面に残高が表示されましたが、もう残高表示がされません。何か英語のメッセージが表示されているだけです。(毎回同じなので、大した意味はないでしょう。)
そしてBTSから降りて改札を通ると、LINE Walletのトークにメッセージが入ります。運賃がいくらだったか、ここでわかるのです。
ところが、1回目の乗車は0バーツでした。そこでやっと思い出しました。最初の乗車3回が無料になるプロモーションがあったということに。
その後、無料の乗車が終わった後、決済した運賃のメッセージが届くようになりました。
左(上)が支払い方法(決済方法)を「クレジットカード」に設定した場合で、右(下)がチャージした「残高」にした場合です。
残高に設定すると、決済後の残高もメッセージで届くようですね。それにしても、このわずかな運賃が、その都度、クレジットカードで決済されることに驚きです。
クレジットカードを使えば、残高が少なくなった時にチャージ(トップアップ)する必要がありませんから、便利だと思いました。
●チャージ(トップアップ)する方法
そもそも、プリペイド式のラビットカードにチャージ(トップアップ)するのに、その都度、駅の窓口へ行かなければならないのが面倒で、スマホでチャージできるなら便利だと思って始めたことです。肝心のチャージ方法を調べてみました。
LINEのメニューにある「ウォレット」から「BTS」を選ぶと、上の画面が開きます。ここにある「Add Money」をタップすると、「チャージ」の画面が開きます。
ここに表示されてる銀行の口座を持っていないと、銀行口座からのチャージはできないようです。
私はクルンタイ銀行の口座を持っているので登録しようとしたら、・・・できませんでした。(泣)
理由は、数字13桁のIDを入力しなければならない設定になっているからです。つまり、タイ人しか使えないのです。この銀行口座の登録をしないと、この画面をスクロールした先にある「オートチャージ」もできません。したがって、タイ人しか、残高が一定額以下になったら自動的にチャージするという方法は使えないのです。
では、ATMやバンクアプリからチャージしようと思って、「ATM / Mobile Banking」をタップすると・・・
カシコン銀行、サイアム・コマーシャル銀行、バンコク銀行の3行しか対応していませんでした。orz
したがって私がチャージするには、やはり駅の窓口などへ行かなければなりません。
その際、これまでならラビットカードを出せばよかったのですが、今度からはスマホのQRコードを提示しなければならないようですね。これはちょっと不便かもしれません。
●決済方法の設定
チャージは不便になっても、決済がクレジットカードでできるなら便利です。しかもクレジットカードなら、そのポイントも付きますから。
ということでその設定方法ですが、「ウォレット」の「BTS」にある「Setting」を開きます。
真ん中あたりに「Rabbit LINE Pay Balance Change」とあります。これは、今の設定が「残高」からの決済になっているという表示で、ここをタップして変更します。
「お支払い方法」に「残高」と「クレジットカード」とあります。お好みの方をタップして「○」に緑の色を付けて、下の「登録」をタップします。これで、決済方法を変更することができます。決済方法を変更すると、LINE Walletのトークにメッセージが届きます。
なお、この変更は、乗車ごとに切り替えることも可能なようです。私は、残高をほぼ使い切ってから、クレジットカードに変えようかと思っています。
以上になりますが、結局、当初のスマホからチャージということはできなかった、ということですね。
そのうちクルンタイ銀行のアプリにも対応するようになったら、試してみたいとは思いますが。
まあでも、クレジットカード決済ができることがわかり、そっちの方が便利だとわかったので、結果的にはやってみて良かったと思いました。
もし、これからやってみようと思われている方がおられましたら、どうぞ参考にしてみてください。
よく「モノレール」と呼ぶ人がいますが、厳密には間違いです。レールが2本ありますからね。正しくは「スカイトレイン」か「高架鉄道」になります。
とは言え、最初は地下鉄で始まったMRTも、今はパープルラインの開通で高架鉄道部分もできたので、MRTを「地下鉄」と総称するのも厳密には間違いになりました。BTSもMRTも運営する鉄道会社の名前です。東京なら「営団地下鉄」とか「小田急」と呼ぶようなものですね。
さて、前置きが長くなりましたが、昨年から盛んに、BTSのラビットカード(suicaのようなもの)にスマホからチャージ(トップアップとも言います)するCMが流されています。
ラビットカードはプリペイド方式なので、残高が少なくなれば、駅の窓口でチャージする必要があります。それがスマホでできるなら、こんな便利なことはないでしょう。ということで、さっそくやってみることにしました。
参考にしたのは、「サクのバンコク生活日記」、「phablet.jp (ファブレット.jp)」などのサイトです。
※この記事を投稿した2019年2月8日時点での情報ですのでご注意ください。
●Rabbit LINE Payに登録する
まず、私はまったく意味を理解していませんでした。
BTSのアプリをスマホに入れ、駅の窓口で連携すれば、アプリを使ってチャージができるようになる、と勝手に思っていたのです。
しかし実際は、新たにアプリを導入するのではなく、LINEの中にあるLINE Payの機能を使って、ラビットカードと連携するのです。
ついでに言うと、日本のアカウントだとLINE Payですが、タイのアカウントだとRabbit LINE Payとなり、両者は別物だということです。したがって、日本のアカウントのままだと、ラビットカードとの連携はできません。
なお、日本のアカウントからタイのアカウントへ変更ができる、というような記述が参考サイトにありましたが、やり方がよくわかりません。おそらく、LINEに登録している電話番号をタイの番号に変えればよいのではないかと思いますが・・・。
さて、一応、タイのアカウントの方(つまりRabbit LINE Payが使える方)を対象として、登録のやり方です。
参考サイトにあるように、LINEのメニューにある「ウォレット」から「BTS」を選び、指示に従って操作して、そこでラビットカードに記載されている13桁(3-1-8-1桁)の番号を入力します。また、支払い方法をチャージした残高にするかクレジットカードにするかを選びます。(後で変更できます。)
最初にLINE Payを開いて、パスポート番号などを登録する、というような記載がありますが、私はやっていません。
※後で気づいたのですが、私は2017年3月にRubbit LINE Payを何かで使っているようです。なので、ひょっとしたらその時、登録したのかもしれませんね。クレジットカードもすでに登録してありました。
ラビットカードの番号登録が終わると、駅の窓口に持って行ってアクティベートするように、というメッセージが出るのと、LINE Walletのトークに決済登録内容のお知らせというメッセージが届きます。
●駅の窓口でアクティベートする
次は、駅の窓口へ行って、ラビットカードをRubbit LINE Payと連携してもらいます。
この時、パスポートの提示が必要だとされています。タイの運転免許証ではダメなのか疑問があったので、一応両方用意しておきました。
ところが最初にラビットカードだけ出したところ、特に何も要求されずにアクティベートしてくれました。なので、運転免許証ではダメなのかどうかも確認できませんでした。
なおこの時、私は「アクティベート プリーズ」と言ってラビットカードを窓口に出したのですが、最初は理解してもらえませんでした。英語の発音が悪かったということもあるでしょうが。何回か言って、スマホを見せたりして、やっと理解してもらいました。
ところがその後、何か長々と言われたのですが、何を言っているのかさっぱりわかりません。何かいろいろ選択肢があるのかもしれませんが、それもわかりません。それで、わからないという様子を示したら、あきらめてアクティベートしてくれました。
カードの残高がRabbit LINE Payに入ったから、というような説明があり、カードに「LINE Pay」のシールを貼ってから、そのレシートとカードを渡してくれました。
その時、同時に、LINE Walletのトークにも、アクティーベーとされたことのお知らせが届きました。
●BTSに乗る
アクティベートされたラビットカードを使って、さっそくBTSに乗ってみました。
ラビットカードを読み取り機に当てると、これまでは画面に残高が表示されましたが、もう残高表示がされません。何か英語のメッセージが表示されているだけです。(毎回同じなので、大した意味はないでしょう。)
そしてBTSから降りて改札を通ると、LINE Walletのトークにメッセージが入ります。運賃がいくらだったか、ここでわかるのです。
ところが、1回目の乗車は0バーツでした。そこでやっと思い出しました。最初の乗車3回が無料になるプロモーションがあったということに。
その後、無料の乗車が終わった後、決済した運賃のメッセージが届くようになりました。
左(上)が支払い方法(決済方法)を「クレジットカード」に設定した場合で、右(下)がチャージした「残高」にした場合です。
残高に設定すると、決済後の残高もメッセージで届くようですね。それにしても、このわずかな運賃が、その都度、クレジットカードで決済されることに驚きです。
クレジットカードを使えば、残高が少なくなった時にチャージ(トップアップ)する必要がありませんから、便利だと思いました。
●チャージ(トップアップ)する方法
そもそも、プリペイド式のラビットカードにチャージ(トップアップ)するのに、その都度、駅の窓口へ行かなければならないのが面倒で、スマホでチャージできるなら便利だと思って始めたことです。肝心のチャージ方法を調べてみました。
LINEのメニューにある「ウォレット」から「BTS」を選ぶと、上の画面が開きます。ここにある「Add Money」をタップすると、「チャージ」の画面が開きます。
ここに表示されてる銀行の口座を持っていないと、銀行口座からのチャージはできないようです。
私はクルンタイ銀行の口座を持っているので登録しようとしたら、・・・できませんでした。(泣)
理由は、数字13桁のIDを入力しなければならない設定になっているからです。つまり、タイ人しか使えないのです。この銀行口座の登録をしないと、この画面をスクロールした先にある「オートチャージ」もできません。したがって、タイ人しか、残高が一定額以下になったら自動的にチャージするという方法は使えないのです。
では、ATMやバンクアプリからチャージしようと思って、「ATM / Mobile Banking」をタップすると・・・
カシコン銀行、サイアム・コマーシャル銀行、バンコク銀行の3行しか対応していませんでした。orz
したがって私がチャージするには、やはり駅の窓口などへ行かなければなりません。
その際、これまでならラビットカードを出せばよかったのですが、今度からはスマホのQRコードを提示しなければならないようですね。これはちょっと不便かもしれません。
●決済方法の設定
チャージは不便になっても、決済がクレジットカードでできるなら便利です。しかもクレジットカードなら、そのポイントも付きますから。
ということでその設定方法ですが、「ウォレット」の「BTS」にある「Setting」を開きます。
真ん中あたりに「Rabbit LINE Pay Balance Change」とあります。これは、今の設定が「残高」からの決済になっているという表示で、ここをタップして変更します。
「お支払い方法」に「残高」と「クレジットカード」とあります。お好みの方をタップして「○」に緑の色を付けて、下の「登録」をタップします。これで、決済方法を変更することができます。決済方法を変更すると、LINE Walletのトークにメッセージが届きます。
なお、この変更は、乗車ごとに切り替えることも可能なようです。私は、残高をほぼ使い切ってから、クレジットカードに変えようかと思っています。
以上になりますが、結局、当初のスマホからチャージということはできなかった、ということですね。
そのうちクルンタイ銀行のアプリにも対応するようになったら、試してみたいとは思いますが。
まあでも、クレジットカード決済ができることがわかり、そっちの方が便利だとわかったので、結果的にはやってみて良かったと思いました。
もし、これからやってみようと思われている方がおられましたら、どうぞ参考にしてみてください。
2019年02月18日
古事記が教えてくれる 天命追求型の生き方
白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの最新刊を読みました。白駒さんは最近、古事記にハマっておられるそうです。今回の本は、その古事記に込められた想いを解説するものです。
一般的には古事記を「こじき」と読みますが、本のタイトルには「ふることのふみ」とルビが振られています。昔はそのように呼んだそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「全知全能のゴッドを神話に持つ西洋の人々は、
「自分の力で物事を解決する」
ということに重きをおく傾向があります。
それに対し、日本人は、
「起こった出来事を受け入れる」
という道を選ぶのが、自然な対処法になります。」(p.31)
古事記を紐解くに当たって、まずは西洋と比較しようということです。西洋は、目標を定めてそれを追求していく生き方ですが、日本は、与えられた環境や出来事を受け入れて生きていく。それが神話に表れていると白駒さんは言います。
「『古事記』を読むと、日本の神々は仕事をしている、
つまり、働いているんですね。
『聖書』に描かれている”楽園”は、
働かなくても食べていけるところです。」(p.34)
労働に対する考え方が日本と西洋ではまったく違うということは、かねてから言われてきました。そこにも、神話が大きく影響を与えているのです。
「あいまいさや、白黒つけない姿勢が、物語を通して貫かれているのです。
西洋の神話が、「始まりはこう、終わりはこう」と、
明確に記載されているのとは、対照的です。」(p.40)
白駒さんは、日本の神話は意図的にそうしているのではないかと言います。始まりがなければ終わりもない。誰が始めたわけでもない世界は、誰も終わらせることができない。そういう永続的に続く世界観を描いているのだと。
「相手が持っているものや条件など、
内容も、将来設計もあまり関係なく、
何も決まっていない状態で、
日本の女性は男性を選んできました。
そして、その人に賭けて、ともに一歩を踏み出すのです。」(p.54)
西洋は契約が重要ですが、日本はそういう保障を求めません。見込んで信じるのです。
後で出てきますが、スサノオノミコトが八岐大蛇を退治する決心をした時、クシナダヒメは彼と結婚することを決めました。どこの馬の骨ともわからない相手ではあっても、何のゆかりもない自分たちのために命を賭ける決心をしたその心意気に惚れたのです。見通しも、保障もない。けれども、その意気込みに惚れて、一緒に歩む決意をしたのですね。
「男性は、目の前の困った人を助けようという優しさと思いやり、
そしていざとなったら、命を賭ける勇気を持つこと。
女性は、男性に対し、条件や見かけではなくて、
その人の本質を見抜き、
優しさ、勇気、さらには自分に注がれた愛の深さにほだされて
一緒になる気概を持つこと。
そして、男女ともに、役割は違えど、
力を合わせて困難を乗り切ること。」(p.64 - 65)
白駒さんは、男性の出世は女性によって決まる、というのが古事記のメッセージだと言います。それは裏返せば、女性の幸せはいかに男性の本質を見抜くかで決まる、ということでもあるのだと。
「普通なら、誰もが兄の立場をうらやむでしょう。
大国主命がしたこと(兄たちにさせられたこと)は、
普通は人が嫌がることです。
でも、大国主命は、それをやり遂げた。
「ちぇっ、なんで自分だけが……」とふてくされることもなく、
むしろ笑顔で、誇りをもって−−。」(p.73)
大国主命の兄たちは、大国主命に荷物をすべて持たせて、因幡の国の八上姫という絶世の美女を嫁取りに行ったという話です。けっきょく八上姫は、兄たちではなく大国主命を選びます。
ここにも、男性の心意気をしっかりと見抜くことが大切だというメッセージがあるのですね。
白駒さんは、貴い三柱の神様と、三種の神器と、和の心が、次のように対応していると言います。
「アマテラス大神 = 鏡 = 素直な心
スサノオ = 剣 = 困難に立ち向かう心
ツクヨミ = 勾玉 = 思いやりの心」(p.106)
ツクヨミについては、古事記には1ヶ所しか書かれておらず、謎の多い神です。しかし白駒さんは、このように並べてその意味を探ります。
そして、河合隼雄氏が西洋と日本のリーダーシップの概念を比較して述べた「中空均衡構造」について説明します。これは詳しくは本書をお読みくださいね。
簡単に説明すると、西洋はピラミッド型でトップのリーダーが引っ張るタイプです。しかし日本は、ピラミッドをひっくり返した形で、リーダーが一歩引いて、ヤジロベエのように他の2点を支えるタイプなのだと。
「ツクヨミという神様が、貴い神様でありながら、
存在感があまりにも薄いのは、
残りの二柱の神様を引き立たせているからなのです。」(p.112)
ツクヨミが出しゃばらないことが、アマテラスとスサノオを引き立て、三柱で1つの世界を成り立たせている。そう読み解くのです。
「為政者と民の根っこは一つであり、
日本は一元の国である、私はそう感じています。」(p.132)
西洋では、勝ち組と負け組、支配者と被支配者のように、対立する二元から成り立つと考えます。なので、武士道と似ている騎士道も、それは特権階級の生き方であり、庶民とは無縁だったのだと。一方の日本は、武士道を庶民が受け入れ、それと対立するのではなく、融合するものとして農民には農民の、商人には商人の、生きるべき道があると考えたと白駒さんは言います。
ですから為政者は民を子どものように慈しみ、民は為政者を親のように慕った。こういう全体で1つになる一元的な考え方が、日本の特徴だと言うのです。
「何かを始めようとする時、
”足りないもの”に目を向ければきりがありません。
足りないものに目を向けるのではなく、今あるものに目を向けること。
手持ちのものを最大限に生かして始めること。
あなたの持っているもので挑戦すること。」(p.187)
天照大神が孫のニニギノミコトにこの地を「知らす(治める)」ことを命じた時、与えたものは三種の神器と稲穂でした。万全の準備をさせたのではなく、たったこれだけを与えて放り出したようなものです。
しかし天照大神、「必要なものはすべて与えた」と言っているのだそうです。つまり、これだけで道は開けることを示しているのです。
前にも出てきたように三種の神器は、「素直な心」「困難に立ち向かう心」「思いやりの心」の象徴です。そして稲穂は、私たちの持ち味(個性)だと言います。つまり、今あるありのままの自分で挑戦できる、他には何も必要ない、というメッセージなのです。
「未知の森に分け入って、そこで経験したことを、
元いた場所に戻って、みんなに伝えて貢献する。
そういう行動をとれれば、みんなが英雄になれます。」(p.221)
神話学者のジョセフ・キャンベル氏が世界の英雄伝説を調査して発見した英雄のポイントは、2つなのだそうです。1つは、慣れ親しんだ安全な場所から未知の暗い森へ入っていき、試練に直面し、独力で歩むこと。そういう勇気が重要なのだと。そして2つ目は、元の場所に戻ってきてその経験を共有することなのだと。
成功するとか、何かを得るとか、そういうことは関係ないのですね。恐れずに困難に飛び込む勇気を示すこと。その結果の経験を分かち合うこと。それが英雄なのです。
「あなたが、あらかじめ頭で考えた目標に、辿り着くのではなく、
あなたの想像を超えた、天から授かった役割へと誘われていくのです。
そんな天命によって運ばれていくという生き方を、
”天命追求型”の生き方と呼ぶことにしましょう。」(p.241)
西洋は目標達成型と言えます。自ら目標を立て、そこに向っていく生き方だからです。ですから、目標への行く手を阻むものはすべて「悪」であり、それらを蹴散らさなければなりません。
しかし、日本の天命追求型は、まずはありのままを受け入れます。これを白駒さんは「受けて立つ」と表現しています。そこには積極的な姿勢があるからです。
日本の神話は、あまりに人間らしい個性的な神様たちが、こういう天命追求型の生き方を示しています。ある意味で、神々とは私たち自身でもあるのです。
「そして、「幸きくませ」とは、
「あなた自身が、幸せでありなさい」ということです。」(p.267)
天照大神がニニギノミコトに命じたのは、「知らせ(治めなさい)」ということと「幸きくませ」だそうです。まずは自分自身が幸せでありなさい、と命じたのですね。
幸せなあり方を選び、その状態で民を治めること。ねじ伏せるのではなく、愛し、慰撫し、懐かせることで統治する。それが日本らしい社会なのです。
古事記には、他にも多くの物語があります。そこには、私たちがどう生きるべきかという問いへのメッセージがあります。
日本が唐から攻められるかもしれないという国難の時、日本人が一致団結することを願って編纂されたという古事記。その心を受け継ぎ、私たちは次の世代に伝えていかなければならない。白駒さんのその想いに、私も共感します。
2019年02月25日
経済で読み解く世界史
宇山卓栄(うやま・たくえい)さんの本を読みました。宇山さんの本は以前に、「世界史で学べ! 間違いだらけの民主主義
」を紹介しています。実に広範で深い知識を有し、それをわかりやすく伝えてくださいます。Youtubeで動画配信もされてますが、ゆったりと穏やかで、丁寧に解説される様に好感が持てますね。
今回は、その宇山さんの新刊ということで買ったのですが、それとともに、経済から世界史(歴史)を見るという試みが斬新だったからです。
かねてより私は、「経済が国境をなくす」と言っています。
経済というのは人の基本的な欲求と深く結びついています。その欲求を追求していくと、人は自由を求めずにはいられなくなります。もちろん、揺り戻しもありますが、長いスパンで見れば自由に向っていくのです。
その結果、経済の自由を阻害している国境はなくなり、人や物の往来は自由になると予想しているのです。
現にヨーロッパは、ユーロ経済圏を構築し、人や物の往来を自由にしています。ただ現在は、あまりに急に拡大したこともあって、その弊害が目立つようになりました。けれどもいずれその問題も対処が進み、さらに大きな自由経済圏になるだろうと思っています。
さて、ではさっそく一部を引用しながら内容を紹介していきましょう。
「歴史は出来事の「過程→帰結」を示します。歴史の情報はその性質において、断片的なものではなく、帰結を伴った脈絡を持つものです。
これに対し、我々が日々、受け取る世界中で起きている出来事の膨大な情報、つまりコンテンポラリー(同時的)な情報は、帰結を伴わない断片です。断片としての情報は、それ自体では脈絡や意味を持たないので、我々は断片から、想起し得る「過程→帰結」を補足・補填して、情報を意味化し、それらを整理しようとします。
この補足・補填のために、必然的に参照されなければならないものが過去の「過程→帰結」の累積、つまり歴史なのです。現代に生きる我々にとって、歴史が必要とされる最大の理由がここにあります。」(p.16)
多くの人は歴史に学ばないものであり、それだけに歴史に学べということが強く言われるわけです。その理由を宇山さんはこう説明しています。
つまり、この出来事の意味はどんな帰結をもたらす可能性があるのか、ということを知って、その対処を事前にすること。そうすれば、より望ましい未来がもたらされるだろう、ということです。
「かつて、ローマ帝国や唐王朝は、精緻で優れた合理的制度を有していました。しかし、どのような優れた制度でも、時代の変遷とともに、次第に実社会に適合しなくなり、ズレが生じてくるものです。そのズレは目に見える形としては、つねに経済的な矛盾となって現れます。これは経済の断層と呼ぶべきものです。景気後退、格差拡大などの経済要因が人々の不安・不満心理を増幅させて、それが大きな社会的エネルギーとなり、制度・体制を転覆させる。このようなパターンの繰り返しが歴史であると言えます。」(p.21 - 22)
このことは、この本をじっくり読んでいけば理解できると思います。多くの国が生まれては滅んできましたし、同じ国でも支配層が入れ替わったりします。この原因が、人々の強い欲求である経済に対する不満だというのは、慧眼だと思います。
「富裕層の消費性向は一般層に比べ、低いとされます。つまり、金持ちは貯蓄や投資はするが、モノを買わないということです。少数の富裕層に、富が集中すると、一般層の富が減り、経済全体の消費需要は停滞します。将来的に需要の伸びが期待できない中で、設備投資なども停滞するため、経済の成長力が失われていきます。」(p.90 - 91)
富を均一に配分すると余剰が少なくなり、全体での投資効率が落ちます。したがって、社会全体の経済的な進化成長のためには、一部の人に富が集中し、貧富の差が生じることが必要なのです。しかし、その富の集中がある一定ラインを超えると、今度は貧困層の需要が減って経済は停滞することになります。
かつて日本の江戸時代では、農民を生かさず殺さずという政策が取られたという話もありますが、これは農民に対してひどい政策だったという見方もありますが、ある意味で消費意欲旺盛な貧困層を維持したとも言えるのではないか、と思いました。
「恐慌の発生、金融危機などによって、長期金利が上昇する前に、「嵐の前の静けさ」ともいうべき、不気味な金利の低迷期間が必ずと言ってよいほど続きます。
こうして、16世紀に世界経済を動かしたジェノヴァ・システムはアムステルダムやロンドンなどの新しい金融センターに侵食されていき、スペインとジェノヴァの富は流出していきました。」(p.137)
かつて大航海時代に、ポルトガルが、そしてスペインが、世界を二分して覇権を争ったことは、よく知られている歴史上の事実です。その後、オランダやイギリスが台頭するのですが、なぜポルトガルやスペインからオランダやイギリスへと移ったのか? こういうことは、学校では習いませんよね。
宇山さんは、イタリア北部のジェノヴァに集まった富がポルトガルやスペインに投資されることで、大航海時代の2国の派遣が可能だったと言います。その後、宗教改革によって「営利蓄財の肯定」を唱えたカルヴァン派新教徒が経済特区アントワープに集まり、ヨーロッパ中から資金を集めるようになり、相対的にジェノヴァの地位が低下しました。
けれども、その有望なアントワープの価値が理解できないスペインのフェリペ2世は、カトリックに固執するあまりにアントワープを弾圧して潰してしまいます。放漫経営で立ち行かなくなったスペインは、資金源のジェノヴァと共に、没落したのです。
アントワープのカルヴァン派の有能な人材は、オランダのアムステルダムに逃れます。そこで新たな金融センターを立ち上げ、今度はオランダが台頭することになりました。なおオランダは、新大陸(アメリカ)にニューアムステルダムという金融都市を作り、これが後のニューヨークになります。
つまり、富を集中させたところが発展して行くのです。しかし、先ほども書いたように、富の集中が行き過ぎればかえって停滞させることになり、転覆させられることになります。
「商船の拿捕が続き、怒ったオランダはイギリスに宣戦します。しかし、オランダは、あくまで商業大国であり、しょせん、イギリスの敵ではありませんでした。」(p.148)
経済規模でオランダに叶わなかったイギリスは、戦争を仕掛けることでオランダに対抗しようとしました。覇権国となったオランダが没落し、次にイギリスが覇権国となったのには、こういう理由があったのです。いくら経済的に発展しても、国防を忘れた国は付け込まれるということですね。
「また、ヨーロッパ諸国の高い輸入関税率に比べ、オスマン帝国は約5%程度の低い税率に抑え、貿易統制をほとんどおこないませんでした。そのため、ヨーロッパや中東、アジアの諸地域の輸入物資がオスマン帝国に大量に集まり、物流取引の決済地となりました。
オスマン帝国はヨーロッパとアジアの東西を繋ぐ、偉大なる仲介者であり、その地理上の優位性を最大限に発揮できるような優れた制度設計を有する世界帝国であったのです。」(p.158)
イスラム教の国ですが、キリスト教に対しても寛容だったと宇山さんは言います。シンガポールは自由貿易国として発展しましたが、オスマン帝国もそういう方法で発展した国だったようです。
「そもそも、覇権というものはその本質において、犯罪的な収奪によって成立するものです。ウォーラーステインは覇権国家の条件を「圧倒的な生産力」、「圧倒的な流通力」、「圧倒的な金融力」と言いましたが、これら三つの条件に加え、「圧倒的な詐術力」、「圧倒的な強奪力」の二つの条件を加えなければなりません。」(p.189)
ここではかつてイギリスが、私掠船の略奪、奴隷三角貿易、アヘン三角貿易によって富を収奪した歴史を示しています。詳細は、本書をお読みくださいね。
ところで、この部分にはジョバンニ・アリギ氏が提示した資本蓄積サイクルが書かれています。まずは1460年から180年間のジェノヴァ・サイクル。そして160年間のオランダ・サイクル、140年間のイギリス・サイクルと続き、1940年からのアメリカ・サイクルです。
180年間、160年間、140年間とサイクルは短くなっており、もしアメリカ・サイクルが120年間で終わるとすれば、2060年に終演を迎えることとなります。アメリカの覇権が永遠に続くとは思えないので、ひょっとするとこういうことが起こるのかもしれませんよ。
「イギリスは1688年の名誉革命以降、議会制民主主義を発展させていたため、税負担についての議論や意思決定が議会を通じて、情報公開されており、たとえ重税負担であったとしても、国民はその合法性と正当性を理解していたのです。」(p.206)
庶民の痛税感からフランスでは暴動が起こり、革命によってフランス王室は倒されました。しかし、その同じころ、フランスよりもイギリスの方が重税だったのですね。隠せば不審を招き、情報公開すれば信頼される。そのことを歴史は示しています。
「1934年以降、ナチス政権による大規模財政支出で、奇跡の経済復興を遂げましたが、ドイツ国民は最終的に、戦争による破壊という高いツケを支払わされることになりました。財政支出はいかなる場合にも、その代償を国民が負わねばならず、そこから逃げることはできません。返済が先送りされればされるほど、より大きなツケとなって、また、より悲惨なかたちとなって、国民に返ってくるのです。」(p.265)
放漫な財政支出をして潰れなかった国はありません。今の日本の状態に対して、日銀と政府は同じだから無限にお札を刷ればいいという理論を真面目に主張される方がおられますが、それはどうなのだろうと疑問に思わずにはいられません。
「日本は1932年、「満州国」を樹立し、満州から華北(中国北部)地方への進出を狙っていました。日本は傀儡(かいらい)の冀東(きとう)防共自治政府を樹立し、華北を蒋介石率いる国民党支配から切り離す「華北分離工作」を進めていましたが、国民党政府が通貨統一事業を達成し、中国経済圏を確立すると、次第に分離工作は困難になります。
この間、イギリスは日本に対し、中国の幣制改革で協調するように呼び掛けていました(リース・ロス、広田弘毅、重光葵との会談)。日本が協調するならば、イギリスや中国は「満州国」を承認するという条件を日本に提示していました。しかし、日本は更なる領土拡大の路線に傾斜しており、イギリスの申し出を断りました。
日本がイギリスの経済強調案に乗らなかったことが、日中戦争や太平洋戦争という災禍を招く大きな原因となります。」(p.272 - 273)
それまで銀本位制だった中国は、国際銀価格の乱高下に翻弄された経験から、貨幣を「元」に統一する通貨改革を行います。イギリスの協力を得て、ポンドとリンクさせました。さらにアメリカも中国の銀を買い取り、中国の安定的な外貨準備高の達成に協力したのです。こうして国内の通貨体制を「元」で安定させたことによって、日本は国民党政権の支配を切り崩せなかったのですね。
「17世紀のオランダ人は黄金時代の繁栄に浮かれ、商業利益のみを優先し、国防の意識をほとんど持たず、イギリスに覇権を奪われてしまいました。古代、カルタゴ市民はローマとの戦いで、「戦争は間もなく終結する」と喧伝した政権を信じ、軍事を疎かにしたことで、ローマに敗北しました。中国の宋王朝は「文治主義」を掲げ、近隣勢力との平和をカネで買おうとして、滅びました。いつの時代でも、平和・反戦を主張する人間たちの行き着く先は、それとは裏腹の殺戮・破壊なのです。」(p.297)
小室直樹氏の「新戦争論」でも示されているように、空想的平和主義者が戦争を引き起こすのです。なぜなら、戦争から逃げているからです。考えなければ戦争は現実にならない、と思っているからです。その背後には、戦争に対する不安(恐れ)があり、それが戦争を引き寄せます。このことは、「引き寄せの法則」からしても理解できるでしょう。
歴史が示しているのは、戦争は起こり得ると常に考えて準備を怠らないことによってのみ、戦争を回避できるということです。
戦争をして富が得られるという時代ではなくなったことは、本書にも示されています。自らの戦争が富を生む時代ではなくなったのです。だからこそ、戦争を回避するためにも軍備を怠ってはいけないのですね。
それにしても、宇山さんの知識は半端ではありませんね。感服しました。しかも、素人にもわかりやすく書かれています。
私も、こういう本を読んで、大いに歴史に学ぼうと思います。
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