私はよく自撮りをして、Facebookに載せています。
これはもともと、自分の恥ずかしさを超えるための一歩だったのですが、最近はもう慣れてしまいました。
先日、たまたま撮った1枚をアップしたところ、「何だか似ているなぁ」という気がして仕方なかったのです。
それで、Wikipediaにある写真を見たら、やはり似ていました。レイキの創設者、臼井甕男(うすい・みかお)氏の写真とそっくりなのです。
ご覧ください。
どうですか? 似ていると思いませんか?
私は、普段はメガネはしません。PC作業をする時だけ、ブルーライトカットのメガネをします。
普段は作務衣を着ません。冷房が効きすぎて寒い時だけ着られるよう、上着を常時携帯してますけどね。
髭を生やし始めたのは、10月中旬からですから、ほんの1ヶ月ほどです。それも、別に臼井氏を意識したわけではなく、単にひげ剃りが面倒だったのと、イメチェンです。
アングルまでほぼ同じって、なかなかあり得ないでしょう。
もちろん、だからと言って「臼井氏の生まれ変わりだ」なんて言うつもりはありませんよ。そこまで面の皮は厚くないので。
でもね、なんかあるなぁって思うのです。
先日完成したナチュラル・レイキの教科書的なもの、「犬はナメるが人は手を当てる」ですが、これを臼井氏のエネルギーも認めてくれているのではないかなぁという気がします。
そうだったら嬉しいな。ただただ、嬉しいなと思うのです。
2018年12月04日
2018年12月05日
神との対話 完結編
ついに、この本を紹介することができる日がやってきました。昨年、アメリカで「神との対話C」として発売された本です。
今年1月に、古宮昇さんが「神との対話C」のお話し会をされるというので、参加しました。その時に、この本の内容を一部、教えてもらいました。
そのお話し会のことは、私のメルマガ【SJ通信】に書きましたので、そちらもご覧ください。(「旅の第1目的を達成しました」,「私たちはすでに覚醒している」)
その「神との対話C」ですが、翻訳されたものは「神との対話 完結編」となっています。おそらく、もうこれ以上「神との対話」という名前では出版されないということなのでしょうね。
著者はニール・ドナルド・ウォルシュさん、翻訳は吉田利子さんです。読み慣れているせいもあるのか、吉田さんの翻訳は読みやすいです。なお、
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
神は最初、ニール氏にまだすることがあると言います。もう1つの招待があるのだと。ニール氏はこう答えます。
「すでに、二つは受け取っていますよね。ひとつは神についての世界の思い・考えを変えること。もうひとつは、ひとびとを自分自身に返してやること。」(p.16)
それに対して神は、もう1つの招待があり、その時機がやってきたと言います。しかもこれが最後の招待で、ニール氏だけにではなく、すべての人に宛てたものだと。そして、その3つ目の招待について語ります。
「さて、今度は三つめの、そして最後の招待だ。なぜなら、いまはあなたがたの星では、前進するのに絶好のとき(Perfect Time for Advancement)だからね。」(p.17)
そして、その絶好の時機の意味を、こう説明します。
「たいせつなのは「起こるべき」とか「起こるべきではない」ということではない。何が−−あなた個人の高度に個人的な経験と、人類と呼ばれる集団的な経験の両方で−−起こっているのか、それから、最悪だと感じているらしい部分を、どうすれば変えられるのか、それもどちらかと言えば劇的に変えられるのか、ということだよ。
いまは、あなたがたがその変更を始めるのに絶好のときなのだ。なぜなら、いま−−環境面で、政治の世界で、経済界で、社会で、そして霊的(スピリチュアル)に−−起こっていることは、どうすればそれが実行できるのかについて、明白で間違えようのない、議論の余地のない、まったく曇りのないシグナルをあなたがたに送っているのだからね。
だからこそ、いまは三つめの招待のときなのだよ。」(p.18)
大切なのは、私たちの経験で最悪だと感じている部分をどうしたら劇的に変えられるかということだ、と神は言います。そしてそのことを始めるのに、今は絶好のタイミングだというわけですね。
その理由は、政治や経済、社会などで起こっていることは、どうすればそれができるかということについて、間違いようのないメッセージを送っていることだから、ということなのです。
そこで、この3つ目の招待を神は話します。
「人類という種を目覚めさせることだ。」(p.18)
これまでの2つは、自分を目覚めさせること、人びとを目覚めさせることでした。3つ目は、人類を目覚めさせること。
ここまでの話ではまだ、明白なシグナルということも、人類を目覚めさせるという意味も、わかりにくいと思います。その話が、ここから始まるのです。
自分でさえ目覚めているとは言えないのに、人類を目覚めさせるなんて絶対に無理でしょ、と思いたくなるかもしれません。
神は、自分が目覚めるには、他人を目覚めさせることだと言います。他人にすることは自分にすることですから。
そして、このように語ります。
「さて真実は、あなたは目覚めているが、自分が目覚めているのに気づいていないということだ。だから、その意味ではあなたは目覚めていない。
あなたは自分が目覚めているという事実に目覚めていない。それで、自分が目覚めていないかのように感じている。」(p.22)
本当は、私たちはすでに目覚めていると言うのです。それに気づいていないから、いまだに目覚めていないかのように行動するのだと。
だから私たちに必要なのは、目覚めることではなく、目覚めていることに気づくことなのです。
そこで、人類を目覚めさせるということとの関連で、次のように語ります。
「三つめの招待とは目覚めさせること、あなたの個人的な進化のプロセスの一部として、人類という種の多くのメンバーを、すでに目覚めているひとたちを、自分が目覚めているという事実に目覚めさせることだ。それから、その事実にあった行動をしようという気を起こさせること、お手本となり、まだ眠っているひとたちにも目覚めた者らしい行動をしようという気を起こさせることだ−−それもこれも、あなたの個人的な進化がそうせよと呼びかけているからなのだよ。」(p.25)
目覚めた者として行動してお手本となり、人々に同じように生きようという気持ちを起こさせること。そうすることが3つ目の招待なのです。
それでも、人類全体の方向を変えさせるということは、簡単なことではないようにも思えます。そこで神は、そのための方法を見つけている者たちの助けを借りる時かもしれないとして、次のように言います。
「地球上の存在ではない者たちからの助けを得るときではないのかね。地球上の生命/人生についてすべてを知っているが、しかし地球の出身ではない者たちの。」(p.53)
「わたしはべつの次元に存在する生命体のことを言っている。」(p.79)
バシャールなども、その中に入るのかもしれません。物質的な肉体を持たない生命体です。
不思議なことですが、ここ数日間、やたらとUFOに関する情報が目に飛び込んできます。ニュースで、Facebookで、なぜかUFOについての情報が出てくるのです。
これも、この3つ目の招待に関するメッセージなのかなぁと思いました。
今回も、印をつけながら読んだのですが、ほぼすべてのページに印をつける勢いですから、とてもここにそのすべてを引用することはできません。
またいずれ、「「神との対話」シリーズを読む」というメルマガの方で解説したいと思います。
「神との対話」シリーズの最終作。これもお勧めです。
2018年12月07日
神とひとつになること(目次)
「「神との対話」シリーズを読む」というメルマガをまぐまぐで発行しています。
過去ログを他のブログで公開していますので、こちらにリンクを貼って目次を作っておきます。
(※章、ページは単行本をもとにしています。またページは、メルマガに出てくる最も大きいページですが、メルマガで紹介する都合上、ページが前後する場合もあります。参考程度にご覧ください。)
また、露骨な性描写を含むような時は、メルマガのタイトルに「(18禁)」とつけます。
もしそういう内容は読みたくない方は、それを目印にしてください。
それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
どうぞ、ご利用ください。
「神とひとつになること」
※「神との対話」シリーズの書籍紹介は、リンク先のページをご覧ください。
●はじめに
01「自分の真実に気づくこと」
(2018年12月3)1回目(〜p.10)
●プレリュード
02「私たちはひとつの声で語る」
(2018年12月4)1回目(〜p.23)
03「原始的な文化からの脱出」
(2018年12月5)2回目(〜p.34)
●第1章
04「1.必要性という幻想」
(2018年12月6)1回目(〜p.40)
05「幻想を活用すればよかっただけ」
(2018年12月7)2回目(〜p.43)
●第2章
06「2.失敗という幻想」
(2018年12月10)1回目(〜p.45)
●第3章
07「3.分裂という幻想」
(2018年12月11)1回目(〜p.51)
08「罰では変わらない」
(2018年12月12)2回目(〜p.54)
●第4章
09「4.不足という幻想」
(2018年12月13)1回目(〜p.59)
10「充分でないから競い合う」
(2018年12月14)1回目(〜p.63)
●第5章
11「5.課題という幻想」
(2018年12月17)1回目(〜p.69)
●第6章
12「6.裁きという幻想」
(2018年12月18)1回目(〜p.76)
●第7章
13「7.罪の宣告という幻想」
(2018年12月19)1回目(〜p.83)
14「毎瞬が死である」
(2018年12月20)2回目(〜p.86)
●第8章
15「8.条件という幻想」
(2018年12月21)1回目(〜p.93)
●第9章
16「9.優越という幻想」
(2018年12月24)1回目(〜p.101)
●第10章
17「10.無知という幻想」
(2018年12月25)1回目(〜p.108)
●第11章
18「子供たちへの教え」
(2018年12月26)1回目(〜p.114)
19「進化の第二段階」
(2018年12月27)2回目(〜p.118)
●第12章
20「幻想を幻想として見抜く」
(2018年12月28)1回目(〜p.123)
21「自分で幻想を選択する」
(2019年1月3)2回目(〜p.128)
●第13章
22「幻想の目的を理解する」
(2019年1月4)1回目(〜p.133)
●第14章
23「幻想について考える」
(2019年1月7)1回目(〜p.136)
24「私たちは人間という神の奇跡」
(2019年1月8)2回目(〜p.139)
●第15章
25「私たちは魔術師」
(2019年1月9)1回目(〜p.144)
26「幻想を活用するプロセス」
(2019年1月10)2回目(〜p.147)
27「必要性という幻想を活用する」
(2019年1月11)3回目(〜p.150)
28「深く知れば幻想を捨てられる」
(2019年1月14)4回目(〜p.154)
29「失敗という幻想を活用する」
(2019年1月15)5回目(〜p.157)
30「分裂と不足という幻想を活用する」
(2019年1月16)6回目(〜p.161)
31「課題という幻想を活用する」
(2019年1月17)7回目(〜p.165)
32「愛は何も要求しない」
(2019年1月18)8回目(〜p.167)
33「裁きという幻想を活用する」
(2019年1月21)9回目(〜p.171)
34「罪の宣告という幻想を活用する」
(2019年1月22)10回目(〜p.175)
35「条件という幻想を活用する」
(2019年1月23)11回目(〜p.179)
36「優越という幻想を活用する」
(2019年1月24)12回目(〜p.185)
37「無知という幻想を活用する」
(2019年1月25)13回目(〜p.188)
38「意識的に幻想を利用しなさい」
(2019年1月28)14回目(〜p.192)
●第16章
39「マスターへの道を歩く」
(2019年1月29)1回目(〜p.196)
40「幸せになれると決めればいい」
(2019年1月30)2回目(〜p.200)
41「幻想に自分で対処する」
(2019年1月31)3回目(〜p.206)
●第17章
42「身体のコントロール」
(2019年2月1)1回目(〜p.212)
●第18章
43「感情のコントロール」
(2019年2月4)1回目(〜p.217)
●第19章
44「意志をもつ」
(2019年2月5)1回目(〜p.224)
●第20章
45「創造者のメッセージ」
(2019年2月6)1回目(〜p.227)
●第21章
46「恵みの時をつかむこと」
(2019年2月7)1回目(〜p.231)
47「愛になりなさい」
(2019年2月8)1回目(〜p.236)
●おわりに
48「力を合わせて世界を変える」
(2019年2月11)1回目(〜p.239)
過去ログを他のブログで公開していますので、こちらにリンクを貼って目次を作っておきます。
(※章、ページは単行本をもとにしています。またページは、メルマガに出てくる最も大きいページですが、メルマガで紹介する都合上、ページが前後する場合もあります。参考程度にご覧ください。)
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もしそういう内容は読みたくない方は、それを目印にしてください。
それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
どうぞ、ご利用ください。
「神とひとつになること」
※「神との対話」シリーズの書籍紹介は、リンク先のページをご覧ください。
●はじめに
01「自分の真実に気づくこと」
(2018年12月3)1回目(〜p.10)
●プレリュード
02「私たちはひとつの声で語る」
(2018年12月4)1回目(〜p.23)
03「原始的な文化からの脱出」
(2018年12月5)2回目(〜p.34)
●第1章
04「1.必要性という幻想」
(2018年12月6)1回目(〜p.40)
05「幻想を活用すればよかっただけ」
(2018年12月7)2回目(〜p.43)
●第2章
06「2.失敗という幻想」
(2018年12月10)1回目(〜p.45)
●第3章
07「3.分裂という幻想」
(2018年12月11)1回目(〜p.51)
08「罰では変わらない」
(2018年12月12)2回目(〜p.54)
●第4章
09「4.不足という幻想」
(2018年12月13)1回目(〜p.59)
10「充分でないから競い合う」
(2018年12月14)1回目(〜p.63)
●第5章
11「5.課題という幻想」
(2018年12月17)1回目(〜p.69)
●第6章
12「6.裁きという幻想」
(2018年12月18)1回目(〜p.76)
●第7章
13「7.罪の宣告という幻想」
(2018年12月19)1回目(〜p.83)
14「毎瞬が死である」
(2018年12月20)2回目(〜p.86)
●第8章
15「8.条件という幻想」
(2018年12月21)1回目(〜p.93)
●第9章
16「9.優越という幻想」
(2018年12月24)1回目(〜p.101)
●第10章
17「10.無知という幻想」
(2018年12月25)1回目(〜p.108)
●第11章
18「子供たちへの教え」
(2018年12月26)1回目(〜p.114)
19「進化の第二段階」
(2018年12月27)2回目(〜p.118)
●第12章
20「幻想を幻想として見抜く」
(2018年12月28)1回目(〜p.123)
21「自分で幻想を選択する」
(2019年1月3)2回目(〜p.128)
●第13章
22「幻想の目的を理解する」
(2019年1月4)1回目(〜p.133)
●第14章
23「幻想について考える」
(2019年1月7)1回目(〜p.136)
24「私たちは人間という神の奇跡」
(2019年1月8)2回目(〜p.139)
●第15章
25「私たちは魔術師」
(2019年1月9)1回目(〜p.144)
26「幻想を活用するプロセス」
(2019年1月10)2回目(〜p.147)
27「必要性という幻想を活用する」
(2019年1月11)3回目(〜p.150)
28「深く知れば幻想を捨てられる」
(2019年1月14)4回目(〜p.154)
29「失敗という幻想を活用する」
(2019年1月15)5回目(〜p.157)
30「分裂と不足という幻想を活用する」
(2019年1月16)6回目(〜p.161)
31「課題という幻想を活用する」
(2019年1月17)7回目(〜p.165)
32「愛は何も要求しない」
(2019年1月18)8回目(〜p.167)
33「裁きという幻想を活用する」
(2019年1月21)9回目(〜p.171)
34「罪の宣告という幻想を活用する」
(2019年1月22)10回目(〜p.175)
35「条件という幻想を活用する」
(2019年1月23)11回目(〜p.179)
36「優越という幻想を活用する」
(2019年1月24)12回目(〜p.185)
37「無知という幻想を活用する」
(2019年1月25)13回目(〜p.188)
38「意識的に幻想を利用しなさい」
(2019年1月28)14回目(〜p.192)
●第16章
39「マスターへの道を歩く」
(2019年1月29)1回目(〜p.196)
40「幸せになれると決めればいい」
(2019年1月30)2回目(〜p.200)
41「幻想に自分で対処する」
(2019年1月31)3回目(〜p.206)
●第17章
42「身体のコントロール」
(2019年2月1)1回目(〜p.212)
●第18章
43「感情のコントロール」
(2019年2月4)1回目(〜p.217)
●第19章
44「意志をもつ」
(2019年2月5)1回目(〜p.224)
●第20章
45「創造者のメッセージ」
(2019年2月6)1回目(〜p.227)
●第21章
46「恵みの時をつかむこと」
(2019年2月7)1回目(〜p.231)
47「愛になりなさい」
(2019年2月8)1回目(〜p.236)
●おわりに
48「力を合わせて世界を変える」
(2019年2月11)1回目(〜p.239)
2018年12月15日
妻の実家へ行ってきました
5ヶ月ぶりに妻の実家へ行ってきました。妻の実家は、タイの東北部(イサン地方)のサコンナコーン県にあります。
例によって、北バスターミナル(モーチット2)から深夜バスに乗って行きました。
※右上にあるFacebookのマークをクリックすると、その投稿を見ることができるようです。Facebookの仕様で変わる可能性はあります。
このFacebook投稿にも載せたのですが、最初に驚いたのはバスの乗り場が見つからないこと。以前は65番くらいだったのですが、チケットを見ると88番になっていました。
なので、65番辺りから番号が大きくなる方向へ向ったのですが、80番くらいでその先がありません。周りを見回しても、それより大きい番号が見えません。
それで係員に尋ねてみると、反対方向へ行けとのこと。いや、そっちは小さい番号の方だし・・・。ひょっとしたらその途中で、別のプラットホームがあるとか・・・。
そう思いながらも不安で、途中で2回も係員に尋ねちゃいましたよ。そして、一番端まで到着したら、そこにありました。
この写真は88番ではありませんが、81番以降の大きな番号が、1番より先のプラットホームの先端にまとめてありました。
こういう付け方、するかな〜? まあこれがタイらしいところですね。日本だったら、仮に後から付け足してこうなったとしても、途中に何ヶ所も案内を出すでしょうね。
バスに乗っても驚きがあります。これは前から知っていたことですが、座席番号がわかりづらいのです。
私の座席は3Cなのですが、目の前の座席の背中中央に、前の座席の座席番号が貼ってあります。これ、誰がどういう状況で見ることを想定しているのでしょうね?
乗ってきた人が自分の座席を探すためであれば、座席番号は上の荷物入れか、座席の肩の部分に貼るでしょう。背部の中央なんて、後の座席に座った人くらいしか見ませんよ。
まあ、座席はそれほど多くないので、前から順番に数えればわかりますけどね。最初はわからなくて戸惑いました。こういうところも、いかにもタイらしいなぁと思います。
到着してからのことも、Facebookに投稿しましたので、そちらをご覧くださいね。
そして、また浮島の聖地、カムチャノーツへ行ってきました。もう何回目か忘れましたが、以前、行った時の様子は記事「浮島の聖地カンチャノートへ行きました」に書いています。
タイ語は「คำชะโนด」なのですが、この発音に近い表記は、カンチャノート、カムチャノート、カムチャノー(ト)などいろいろあります。今回はカムチャノーツと書きましたが、同じものです。
観光地でもありますが、妻は純粋にお祈りに行くようです。幸運祈願ですね。私はついて行っただけです。
この辺りは、前にもお勧めした妻のおじさんが経営するリゾートという宿泊施設から40kmほどなので、車で来るのも簡単です。
近くに、イチゴ農園のようなところもあるし、バンドゥンの街の方へ行くと塩湖があるので、道端で塩を売っています。こういうのもお土産としていいかもしれませんよ。
ということで、今回の旅は無事に終わりました。
今回の旅の目的は2つありました。
1つは、お義母さんのために溜めてきたビールの空き缶と飲料水の空ペットボトルを持って行くことです。お義母さんが、そういうのを溜めていて、売って小遣いにしているのです。それに協力するため、5ヶ月間溜めたものを大きなスーツケース2つに詰めて持って行きました。
もう1つは、妻の実家に置いてある本など必要なものを持って来ることです。「神との対話」シリーズやレイキ関係の本、それから帰国する可能性も考えて防寒服なども。行きのスーツケースはパンパンで軽かったのですが、帰りはかなり重くなりました。
これで準備は万端なので、しばらくは妻の実家へ行かなくても大丈夫だと思います。妻は、来年のソンクラーン(4月にあるタイ正月)は一緒に実家へ帰るようにと言っていますが、さてどうなりますか。帰国することになれば、おそらく難しいでしょうからね。
やることはやっているので、後は運を天に任せています。
例によって、北バスターミナル(モーチット2)から深夜バスに乗って行きました。
※右上にあるFacebookのマークをクリックすると、その投稿を見ることができるようです。Facebookの仕様で変わる可能性はあります。
このFacebook投稿にも載せたのですが、最初に驚いたのはバスの乗り場が見つからないこと。以前は65番くらいだったのですが、チケットを見ると88番になっていました。
なので、65番辺りから番号が大きくなる方向へ向ったのですが、80番くらいでその先がありません。周りを見回しても、それより大きい番号が見えません。
それで係員に尋ねてみると、反対方向へ行けとのこと。いや、そっちは小さい番号の方だし・・・。ひょっとしたらその途中で、別のプラットホームがあるとか・・・。
そう思いながらも不安で、途中で2回も係員に尋ねちゃいましたよ。そして、一番端まで到着したら、そこにありました。
この写真は88番ではありませんが、81番以降の大きな番号が、1番より先のプラットホームの先端にまとめてありました。
こういう付け方、するかな〜? まあこれがタイらしいところですね。日本だったら、仮に後から付け足してこうなったとしても、途中に何ヶ所も案内を出すでしょうね。
バスに乗っても驚きがあります。これは前から知っていたことですが、座席番号がわかりづらいのです。
私の座席は3Cなのですが、目の前の座席の背中中央に、前の座席の座席番号が貼ってあります。これ、誰がどういう状況で見ることを想定しているのでしょうね?
乗ってきた人が自分の座席を探すためであれば、座席番号は上の荷物入れか、座席の肩の部分に貼るでしょう。背部の中央なんて、後の座席に座った人くらいしか見ませんよ。
まあ、座席はそれほど多くないので、前から順番に数えればわかりますけどね。最初はわからなくて戸惑いました。こういうところも、いかにもタイらしいなぁと思います。
到着してからのことも、Facebookに投稿しましたので、そちらをご覧くださいね。
そして、また浮島の聖地、カムチャノーツへ行ってきました。もう何回目か忘れましたが、以前、行った時の様子は記事「浮島の聖地カンチャノートへ行きました」に書いています。
タイ語は「คำชะโนด」なのですが、この発音に近い表記は、カンチャノート、カムチャノート、カムチャノー(ト)などいろいろあります。今回はカムチャノーツと書きましたが、同じものです。
観光地でもありますが、妻は純粋にお祈りに行くようです。幸運祈願ですね。私はついて行っただけです。
この辺りは、前にもお勧めした妻のおじさんが経営するリゾートという宿泊施設から40kmほどなので、車で来るのも簡単です。
近くに、イチゴ農園のようなところもあるし、バンドゥンの街の方へ行くと塩湖があるので、道端で塩を売っています。こういうのもお土産としていいかもしれませんよ。
ということで、今回の旅は無事に終わりました。
今回の旅の目的は2つありました。
1つは、お義母さんのために溜めてきたビールの空き缶と飲料水の空ペットボトルを持って行くことです。お義母さんが、そういうのを溜めていて、売って小遣いにしているのです。それに協力するため、5ヶ月間溜めたものを大きなスーツケース2つに詰めて持って行きました。
もう1つは、妻の実家に置いてある本など必要なものを持って来ることです。「神との対話」シリーズやレイキ関係の本、それから帰国する可能性も考えて防寒服なども。行きのスーツケースはパンパンで軽かったのですが、帰りはかなり重くなりました。
これで準備は万端なので、しばらくは妻の実家へ行かなくても大丈夫だと思います。妻は、来年のソンクラーン(4月にあるタイ正月)は一緒に実家へ帰るようにと言っていますが、さてどうなりますか。帰国することになれば、おそらく難しいでしょうからね。
やることはやっているので、後は運を天に任せています。
2018年12月19日
ひざ・股関節の痛みは週1スクワットで治せる
「人生を変える幸せの腰痛学校」の伊藤かよこさんのFacebook投稿で知った本を読みました。伊藤さんは、腰痛のほとんどは認知の問題だとして、適度な運動が重要と言われていました。そんな中でこの本は、週1回のスクワットで腰痛はもちろん、膝痛、股関節痛も改善すると言っているのです。
著者は、自称「筋肉ドクター」の小島央(こじま・ひさし)医師。医療の縦割りによって、整形外科医がリハビリに口出しできず、理学療法士も医師の介入を嫌うという現状で、自らクリニックを開業して効果的な筋トレを指導するようになられたのだとか。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。私が読んだのはKindle版ですので、またページの表記がありません。電子書籍の位置情報はありますが、コピペの限界を過ぎると目安になりますので、ご了承ください。
「初期 に 激烈 な 痛み が あっ たり、 患部 が 炎症 を 起こし たり し て いる 場合 には、 炎症 や 痛み が ある程度 治まる まで、 安静 を 保つ 必要 が ある でしょ う。 しかし 初期 症状 が 治まっ たら、 まだ 痛み が 多少 残っ て い ても、 なるべく 早く 体 を 動かし た ほう が いい。 これ が、 医学 的 には 正しい 対処 法 で ある こと が 判明 し て い ます。」(Kindle の位置No.165-168)
たとえばぎっくり腰など、急性期には安静にした方がいいのだそうです。しかし、その後はなるべく早く、動ける範囲で動く方がいいのだとか。
「そこで、「 運動 不足 は 世界的 伝染病 で ある」 とさ れ、 運動 不足 が、 肥満、 ガン、 糖尿病、 脂質異常症、 うつ、 認知症 などを 引き起こす もの として 指弾 さ れ て い ます。」(Kindle の位置No.173-175)
これは、世界的権威のイギリスの医学誌「ランセット」の論文から、安静を支持するものは1つもないと言います。逆に安静を続けることのデメリットが大きいのです。
これは目からウロコでした。何かあればすぐに安静にするようにと言われましたから。私は小学生の時、腎盂炎で1ヶ月ほど入院したのですが、最初はトイレすら歩いて行かせてもらえませんでした。最近は少し違うのでしょうかね。
「前 に ふれ た とおり、 実際 に 損傷 が ある 場合 は、 安静 の 必要 な ケース が ある こと は 事実 です。 しかし、 初期 症状 が 軽快 し た 後、「 できるだけ 早く 体 を 動かし た ほう が( 患部 にも) いい です よ」 と 親切 に くぎ を 刺し て くれる 医師 や 医療 関係者 は、 そう 多く は あり ませ ん。」(Kindle の位置No.191-193)
医者がそういうことを知っていない、ということも1つの原因なのでしょうね。
「つまり、 通常 なら 1 年 かけ て 起こる はず の 筋肉 の 加齢 的 変化 が、 横 に なっ て 安静 に する と、 たった 2 日 で 起こっ て しまう こと になり ます。」(Kindle の位置No.208-209)
安静を続けているとどうなるかと言うと、筋肉量が減っていくのです。20歳を過ぎると、日常の行動しかしてない場合、年に1%の筋肉低下が起こるそうです。それが、1日重ベッドで安静しているような生活だと、1日で0.5%の筋肉低下が起こるとか。つまり、2日で1年年を取るようなものです。
「そもそも 炎症( と それ に 伴う 痛み) とは、 体 が 自然治癒 し て いく 過程 で 通る、 欠か せ ない ステップ です。 その 炎症 を 痛み 止め によって おさえ て しまう の です から、 自然治癒 の 進行 は、 必然的 に 遅れる こと に なる の です。」(Kindle の位置No.343-345)
これは、痛み止めの薬は対処療法で、根治療法ではないと主張されている部分に書かれていました。熱や下痢、嘔吐、咳などの症状は、自然治癒力の働きです。対処療法の薬は、その自然治癒力の働きを妨げます。ここで小島医師は、炎症も自然治癒力の働きだと言っていますね。
「しかし、 結論 から いえ ば、 歩い ても、 筋力 アップ は 望め ませ ん。」(Kindle の位置No.427)
何か運動をすべきだと言われると、私たちはすぐにジョギングとかウォーキングを思い浮かべます。お年寄りにはウォーキングや散歩などが良いと思いがちです。しかし小島医師は、それでは筋力アップにならないと言い切られます。なぜならそれは日常行動であり、それだけしていても老化による変化(筋力低下)を止められないことが明らかになっているからです。
「無酸素運動 は 高 強度 で、 筋肉 に 大きな 負荷 を かける 運動( = ストレス) です。 こうした ストレス が かかる と、 体 が、 筋肉 を 強く 大きく し なけれ ば 対応 でき ない 状況 に 置か れる ため、 それに「 適応」 し、 筋肉 が 強く なる という 現象 が 起こり ます。」(Kindle の位置No.480-482)
運動には、日常生活動作(低強度)、有酸素運動(中強度)、無酸素運動(高強度)の3種類があると小島医師は言います。日常生活動作は、これまで示した通り、筋力アップには役立ちません。有酸素運動は心配に負担がかかるため、高齢者には負担が大きい場合もあります。その点、無酸素運動は短時間でできるため、負担が少ないと言うのですね。
自分の限界に近い力を出すことによって、身体の細胞が筋肉を大きくして対応しようとする。これが動的平衡に基づく適応だと言います。私たちの身体の全細胞は、3ヶ月で生まれ変わるので、私たちは日々、状況に適応しているのです。
「心理 社会的 因子 とは、 ストレス や 不安、 疲れ といった 心理的 な 要素 です。 それら の ほう が、 腰 への 負担、 姿勢 よりも、 高い 相関 が 認め られ、 腰痛 の 原因 で ある 可能性 が 高い と 考え られる よう に なっ て い ます。」(Kindle の位置No.746-747)
同じ重い物を運ぶ作業をさせても、片方には常に罵声を浴びる状態にしておくと、そちらの人々は腰痛を起こしやすいのだそうです。小島医師自身もぎっくり腰を経験されていますが、きっかけは重い物を持ったことであったとしても、本当の原因は仕事のストレスだったと分析されています。
「私 の ケース で いう と、「 巨大 な ヘルニア が 腰椎 から 飛び出 て いる」 と、 画像診断 で 指摘 さ れ た 事実 を 何度 も 思い返し たり、「 筋 トレ が 悪かっ た ん だ。 あんな 重たい 物 を 持た なけれ ば よかっ た」 と、 腰痛 の 原因 について アレコレ 思い悩ん だり し ては いけ ませ ん。そう する と、 それ が 本当 の 呪い の よう に 働い て、いつ まで たっ ても 腰痛 が 治ら ないということになるのです。」(Kindle の位置No.763)
ヘルニアでさえ腰痛の原因ではないし、ヘルニアは筋トレしていれば勝手に治ることがあることも、小島医師は実証されたのです。
「痛くても、「安静のほうが腰に悪い」と思いつつ、体を動かすことが大事です。
「こんな筋トレをやったら腰に悪いだろうな」「ひょっとしたら、痛くなるかもしれないな」などと思いながら運動するのは、よくありません。」(Kindle の位置No.772)
筋トレで腰や足が悪くなることはない、という絶対的な安心感の中で、筋トレすることが重要だと言います。ストレス、不安というものが、悪い影響を与えるのですから。
小島医師が唱える筋トレとは、次のようなものだと言います。
「「高強度」な運動「習慣」で、筋肉に「適応」を起こさせること。」(Kindle の位置No.872)
それが無酸素運動であり、限界的なスクワットなどなのです。
「このスクワットに使う時間は、せいぜい30秒。長くても、1分です。」(Kindle の位置No.901)
「しかも、原則として、この筋トレの頻度は、1週間に1回。それ以上、間隔を詰めて行っては、きつい運動なだけに、かえって故障の原因になります。」(Kindle の位置No.903)
つまりどういうことかと言うと、せいぜい10回くらいしかできないような負荷をかけて1セットのスクワットをする、ということです。これを1週間に1回行うだけなのですね。
しかも、小島医師の筋トレでは、個別の筋肉を鍛えるというやり方をしません。大きな筋肉を中心に、その周りの筋肉も同時に鍛えられる運動をするのです。
「全体を鍛える筋トレとして、私がクリニックで皆さんにお勧めしているものに、「スクワット」「ローイング」「ベンチプレス」があります。
これらの筋トレは、体の中でも大きな筋肉が使われています。と同時に、多くの補助筋肉群が使われています。これにより、全身的にハイパワーのエクササイズができます。」(Kindle の位置No.970)
スクワットは大臀筋や大腿四頭筋など、ローイングは広背筋や僧帽筋、ベンチプレスは大胸筋などの大きな筋肉が鍛えられる運動ですね。これらの他に補助筋肉群が同時に鍛えられるのです。
「私の筋トレの基本的な考え方は、発揮できる最大限のパワーの運動習慣に、「適応」を促すことです。
筋トレのポイントは、「パワーを出すときは全力を出す。できるだけ速く動かす」「運動を始めたら、止まらない。動き続ける」です。」(Kindle の位置No.1068)
最初のポイントは全力を出すよう負荷をかけることですね。せいぜい10回くらい繰り返せるくらい負荷をかけます。
そして、たとえばスクワットで立ち上がる時は、できるだけ素早く立ち上がります。これが、速く動かすというポイントになります。
複数回の動きをするのですが、その間に筋肉が休む時間を作らないというのがポイントの1つです。たとえばスクワットなら、足が伸び切らないようにする、ということですね。それから、しゃがむ時はゆっくりしゃがむことで負荷をかけ続けます。こうすることで、止まらず動き続けることになります。
「重たい物を持って不安に思ったときは、「筋トレをするのは、体にいいんだな」と自分にささやきましょう。それが事実ですし、よい自己暗示にもなります。
筋トレという運動は、自分でできる範囲内でしか行えません。だから適切に行えば、なんらリスクはありません。「筋トレで体が壊れるわけはない」と自信を持って体を動かすことが肝心です。」(Kindle の位置No.1207)
痛みがある時は、どうしても不安になりがちです。そんな時は自己暗示を使ってでも実行すること。そうすれば、その実践が自信となって、筋力がアップして腰痛など起こりにくくなる、という好循環につながるのだと言います。
「骨の強さは、筋力に比例するとされています。有効な筋トレを継続して行って、筋力強化が進めば、それに従って骨も強くなります。」(Kindle の位置No.1287)
特に女性の場合は、骨粗鬆症という骨が弱くなっている状態の人が多く、重いものを持つことに恐怖感があるかもしれません。しかし小島医師は、そういう人だからこそ短時間でできるこの筋トレが良いのだと言います。これによって筋力がアップすれば転びにくくなるし、骨折もしにくくなるのだからと。
「筋肉量がへると、インスリンを分泌する、すい臓のβ細胞の機能低下が起こるという相関関係のあることがわかっています。」(Kindle の位置No.1327)
これは糖尿病に対する効果について語っている部分です。糖尿病に対しても、筋肉量を増やすことが効果があると言われるのですね。
「動物には筋トレができません。だから、加齢的変化に抗うことができず、年々、体が衰えていきます。私の提案している筋トレは、唯一、加齢に抵抗できる手段です。私は、高齢者にこそ、筋トレをお勧めしたいと考えています。」(Kindle の位置No.1528)
動物は自ら筋トレをしないので、自然と加齢によって衰えていきます。しかし人間は、自ら筋トレをすることができ、それによって加齢による変化に抗うことができるのですね。
週に1回、わずか数分の筋トレで筋肉量や筋力をアップさせることができる。そんなことができるのだとしたら、やらない手はないでしょう。
今、膝や腰が痛くない人も、予防のために行っても良さそうです。80歳のお年寄りが80kgのバーベルをかついでスクワットをしているなんて、何だか超人的にも思えますが、訓練すれば誰でもそうなるのでしょう。そしてそれは、それだけの筋力がついているということ。元気に老後を過ごすために、とても役立つことだと思います。
2018年12月22日
凡人のための地域再生入門
Facebookのダイヤモンド社の投稿で紹介されていて、面白そうだと感じたのでKindle版を買って読みました。著者は木下斉(きのした・ひとし)さん。高校1年の時から早稲田の商店街活性化プロジェクトに参加するなどして、それ以来「まちづくり」の世界で活躍されて来られたそうです。
最近は特に、若者が過去のしがらみを排して、事業などを起こして活躍する例があるように思います。なので、木下さんはどんな視点でまちづくりに取り組まれたのか、そこに興味がありました。
この本は、読みやすく小説になっています。さびれた地元を再生する主人公たちが、様々な問題にぶつかりながら、助け合って地域を盛り上げていく内容です。この小説の中で起こっている問題は、木下さんが実際に体験されたものだとか。まちづくりだけでなく、通常の会社運営にも役立つ内容だと思いました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、Kindle版ですのでページの表記がありません。電子書籍の位置情報はありますが、コピペの限界を過ぎると目安になりますので、ご了承ください。
「どの 地域 にも、 人 と 人 とが 向き合う 仕事 だ から こそ の 失敗 や 挫折 が あり、 その 浮き沈み の 中 でも 折れ ず に 前 を やってき た 人 たち だけが、 いま も 事業 を 続け られ て いる に すぎ ませ ん。 それ が、 まち づくり の リアル です。
では、 どう やっ たら、 そんな 中 で 成功 する こと が できる のか。 逆説的 に 聞こえる かも しれ ませ ん が、 私 は いつも、 人 と 人 の 仕事 だ から こそ「 ロジック」 が 大切 だ、 と 発信 し て き まし た。」(Kindle の位置No.15-19)
地元愛のような思いだけでは成功に導けないと木下さんは言われます。どう対処するかというロジック(論理)があり、情に流されずに論理的に判断して実行することが大切なのだと。
もちろん、エモーション(情)も重要な要素です。その両方が重要ということで、それが伝わるようにということもあり、小説形式にされたそうです。
「なん でも できる スーパーマン が 一人 で 成果 を 挙げ て まち を 変え て くれる なんて こと は、 あなた の まち でも、 そして 他 の まち でも 起こり え ませ ん。」(Kindle の位置No.38-40)
まちおこしを成功させるのは、有能なスーパーマンが現れてやってくれる、というようなことではないのですね。だからこそ本のタイトルにも「凡人のための」という言葉が入っているのです。
「だからこそ 大切 なのは、「 失敗 せ ず に 成功 できる か」 という 発想 そのもの を 捨てる こと。 まずは 一歩 を 踏み出し て みる こと です。」(Kindle の位置No.54-55)
重要なのは、まず始めることだと木下さんは言います。最初から100%上手く行くという計画がなければ動かないというやり方では、絶対に成功はしないのだと。動き始めて、不都合なことにぶつかっては対処し、修正しながら、段々と成功する計画になっていくのです。
「完全 な 車 社会 に なっ て みな 車 で 移動 し て いる のに、 鉄道 なんて 高校生 が 朝 と 夕方 に 使う くらいが せいぜい だ。 本数 が これ 以上 減ら ない よう に 沿線 の 市長 や 町長 は 運動 し て いる そう だ が、 そんな 運動 を し て いる 本人 たち が もう 10 年 以上 は 使っ て い ない という の だ から、 説得 力 なんて あっ た もん じゃ ない。」(Kindle の位置No.434-438)
こういうこととってありますね。私の実家も、三江線が廃止されるかどうかが議論された時、母は廃止に反対していました。まさに、自分で乗りもしないのに、ってことです。
「車 社会 の 地方 では、 店前 の 人通り 頼り で 商売 し て い た 店 は ほとんど 潰れ て しまっ た。 逆 に 人通り が ない 路地裏 で あろ う と 山 の 上 だろ う と、 しっかり と 顧客 を 絞っ て、 いい サービス を 提供 する 店 は 経営 が 成り立っ て いる。 もの が ない 時代 の よう に、 店 の 前 を 歩く 人 が たまたま もの を 買っ て くれる こと を 当て に し た 商売 を する のでは なく、 自分 の 店 を 目指し て 来 て くれる 人 が いる よう な 商売 を し なく ては なら ない。」(Kindle の位置No.489-493)
立地が良ければ上手くいく、という発想そのものが古いのですね。郊外型店舗の時代が終わり、今やネットで注文して配送してもらう時代です。情報や行動の自由度が大きくなるにつれ、場所という要因よりも消費者にダイレクトに訴求する力の方が大きくなったのです。
「ちゃんと 儲け が 出る なら 民間 で やっ とる ゆう 話 や。 役所 が 予算 なんか 出し て やっ ても あか ん。 誰 も 身銭 切っ て ない から 本気 に なら へん ねん。 儲かり も せ ん こと に みんな で 時間 使っ てりゃ、 そりゃ 活性化 どころか 衰退 する わ。」(Kindle の位置No.525-527)
この物語では、役所主導の補助金事業をこき下ろしています。実際、そうなのだろうと思います。と言うことは、最初に多額の資金があれば上手く行くわけではない、ということなのです。重要なのは、本気になる人なのです。
「意味 不明 な 予算 消化 イベント より、 補助金 で 立派 に 改装 し た 店 を つくる より、 まず は 儲け させる 機会 を つくる ほう が 確実 や」(Kindle の位置No.570-571)
そもそも通常で黒字化できない事業は、補助金がなくなればすぐに潰れます。けっきょく、いつまでも補助金に頼る金食い虫になってしまうのです。
「一方 で、 P/ L 面 でも 収支 が 合わ ない 事業 を 続け て しまっ て い ます。 地域 を ひとつ の 会社 として 見 た とき「 外」 から 来る 稼ぎ は 何 か。 地方 によって は 年金 が 一番 の 稼ぎ 頭 で ある 地域 も あり ます し、 国 からの 交付金・補助金 が 稼ぎ の 大半 を 占める 地域 も あり ます。 怖い のは、 この よう に 毎年 配ら れる 予算 で、 地方 に「 稼ぐ 事業」 では なく「 金 食い 虫 の 事業」 が たくさん 生まれる こと です。 結果 として、「 儲から ない 事業」 だ から こそ 国 からの 支援 が つく という 歪ん だ 構造 が 生まれ、 赤字 を 拡大 し て 支援 をより 多く もらう という、 まさに「 貧乏 父さん」 を 地 で 行く よう な 構造 に なっ て い ます。」(Kindle の位置No.631-636)
事業が金食い虫である以上、赤字の垂れ流しです。いつか良い時代がやってくる、などということはないのです。
「結局、 地域 活性化 の 成否 は、 明るく 楽しく、 覚悟 を 決め て 事業 に 取り組む メンバー が 集まる かに かかっ て いる。」(Kindle の位置No.761-762)
「覚悟 を 決め て、 失敗 も 重ね ながら も、 学ぶ こと を 諦め ず、 常に 工夫 を し ながら 前 に 進ん で いく と、 気づけ ば すごい レベル に 達し て い た という ケース は 多く あり ます。」(Kindle の位置No.1021-1023)
「もう 一つ 重要 なのは、 目立つ リーダー の 背後 には 必ず それ を 支える チーム メンバー が いる という こと です。」(Kindle の位置No.1025-1026)
覚悟を決めて事業に取り組む人は、自ずとポジティブになります。類は友を呼ぶと言うように、そういう人の店には、同じように明るく楽しいお客さんが集まります。けっきょく、覚悟を決めて前向きに取り組む人がいるかどうかが、もっとも重要な要因になるのです。
「本気 で やっ て みたい なら いい ん じゃ ない? どうせ、 死 には し ない わよ。 私 だって、 そもそも 商売 も よく わから ない 状態 で お父さん の ところ に 嫁い で、 先 に 死な れ ても どうにか やってこ られ た ん だ から。 その かわり、 やる なら 本気 で やり なさい」(Kindle の位置No.1902-1904)
主人公を励ますお母さんのセリフです。重要なのは、誰かを頼るのではなく、自分自身が覚悟を決めてやることなのです。
「落ち込ん で いる とき に 落ち込ん だ 顔 を し て い たら、 誰 も あなた と 仕事 なんて し たく なくなる わよ。 おじいちゃん が『 落ち込ん だ とき ほど、 意味 が なく ても いい から とりあえず 笑っ てろ』 って よく 言っ て た わ」(Kindle の位置No.2678-2681)
これもお母さんのセリフです。落ち込んでいても、誰も助けてはくれません。上手くいかない時こそ、意図的に笑うことですね。
「人間 って の はな、 失敗 し た とき では なく、 失敗 し た あと に どう 行動 する かで 価値 が 決まる もん じゃ。 そして、 本当 の 挑戦 って のは、 初めて 何 かを やる とき では なく、 失敗 し て、 その 次に 再び 立ち上がっ て する とき の こと を 言う の じゃ よ。 お前 は まだ、 その 入り口 に 立っ た ばかり じゃ」(Kindle の位置No.2742-2745)
行動すれば必ず失敗します。その時、どうするかが最も重要なのです。
「やる こと を 明確 に し、 事業 の 内容 が 固まっ て いけ ば いく ほど、 必然的 に 賛否 両論 と なる。 逆 に、 万人 が 賛成 する よう な もの は 平凡 すぎ て 今 の 地域 に 特別 必要 でも ない( みんな の 意見 を まとめ た 公共 施設 に 人 が 集まら ない のは その 典型)。 多少 の 批判 は、 事業 が シャープ に なっ て いる 証拠 だ と 前向き に 捉える 心持ち が 必要 だ。」(Kindle の位置No.2937-2939)
地方は特に、大企業がやるようなことを真似してやってもダメなのですね。なるべくとんがらせること。そこにしかないから、人が集まるのです。
「そう なの だ。 みんな 個人 では 違和感 を 覚え て いる のに、 それ を 口 に 出さ ない のが この 国 の 病 なの だ。 口 に 出さ ず に、 ぐっと こらえ て、 みんな が やる こと を 同じ よう に やる のが「 大人 の 作法」 だ とさ れ て いる から こそ、 間違い は 繰り返さ れ て いく。」(Kindle の位置No.3323-3325)
保身に走る人には変革していく力がありません。覚悟を決め、リスクを負って動かなければ、事業を成功させることはできないのです。
「だけど、 人 の ため って 思わ ない ほう が いい わよ。 何事 も 自分 の ため だ と 思え ば、 割り切れる こと も ある わ。 私 も、 お父さん が 死ん でからは 何度 も そう 思っ て 仕事 を し て き た。 批判 を 受ける こと も あっ た けど、 そういう とき でも 褒め て くれる 人 が いる って こと を 忘れ ちゃ いけ ない わよ」(Kindle の位置No.3624-3628)
何かする時、私たちはつい誰か他の人のためにと考えてしまいます。それが愛だと思うし、誰かを愛している自分を素晴らしいと感じるからです。しかし、他の人の評価を期待していると、裏切られることになります。
他人からの評価を期待しないことです。自分の評価は、自分がすればいいのです。ただ自分がしたいからそうするという、利己主義であるべきだと思います。
「お客 さん から お金 を 貰う こと より、 役所 に 行っ て お金 を 貰う こと を 優先 し て 発展 する 地域 や 国 なんて ない。 それ が 僕ら の 出し た ひとつ の 結論 だっ た。」(Kindle の位置No.4021-4023)
お客さんからお金をもらうということは、お客さんを満足させているということです。それができないから補助金をもらっていては、いつまでたってもお客さんを満足させられません。
「新しい こと は、 今 ある 組織 では なく、 新しい 組織 で 立ち 上げ、 新しい 人 を 入れ て やる のが 近道 です。 なぜ か 日本 は、 今 ある 組織 を どうにか 立て直す という こと に 変 な 使命感 を 抱く 人 が い ます が、 所詮 は 会社 も 組織 も 人間 が つくっ た 概念 上 の 仕組み に 過ぎ ず、 機能 し なく なっ たら 別 の もの で 代替 する ほう が 効率的 です。組織 は 単なる 目的 達成 の ため の 器 で あり、目的や機能を終えた組織を闇雲に存続させてもいいことはありません。」(Kindle の位置No.4329-4332)
既存の青年会とか商工会など、そういう組織を利用してやろうとしても、上手くいかないのですね。なぜなら、組織は人そのものであり、その組織にいる人たちがそうだったから、上手く行かなかったのです。「新しいぶどう酒は新しい革袋に」という聖句がありますが、そういうことなのでしょう。
私自身、企業の経営者となり、上手く行った経験もあれば、上手く行かなかった経験もあります。だからこそ、身に沁みて感じることがありました。
重要なのは、自分がやると覚悟を決めて動き始めること、同じ匂いがする仲間を作ることですね。そして、上手く行かなかった時ほど明るく、次の一歩を踏み出すことなのだろうと思いました。
2018年12月29日
多くの人が、この本で変わった。
津留晃一(つる・こういち)さんの本を読みました。これは友人からもらった本です。
津留さんの言葉は、Facebookに「津留晃一の世界」というページがあり、ここが毎週土曜日に投稿されていて、それをよく読んでいます。
私は「神との対話」シリーズをお勧めしているのですが、ある時、同じようなことを語っている人がいると言われて、津留さんのことが書かれているWEBサイト「津留晃一の世界」を知りました。そこにある津留さんが語られていることを読んでみると、まさに「神との対話」に書かれていることとそっくりでした。後で知ったのですが、津留さんもまた「神との対話」を推奨されていました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「今、目の前に展開している状況は、すべて皆さん方自身が表現した現象です。皆さん方の意識が、この物理世界に現れたものを<現実>と呼んでいます。
それがあなたの表面意識によるか、潜在意識によるかは別にして、あなたの見ている、感じている現実はすべて、あなたの意識を原因として現されたものに、ほかなりません。
この宇宙に存在する唯一の法則は「あなたの与えるものが、あなたの受けとるもの」です。あなたの与えた喜びが、あなたに喜びをもたらすように、心配することは、その心配ごとを現実に引きつけます。」(p.9)
もう何も解説が不要だと感じるくらい、私にとっては当然のことです。まさに「神との対話」やバシャールが言っていることそのものですね。
「そして、この無限の力は、だれかには備わっているが、だれかにはないという性質のものではありません。
すべての人に、平等に初めから備わっている力なのです。そのことに気づく旅、そのことを思い出す旅、それが人生です。」(p.11)
誰にでも備わっている無限の力とは、信じたものを見るという力です。先ほどの与えたものを受けとると表現したことと同じですね。
そして素晴らしいのは、「そのことを思い出す旅」が人生だとしていることです。「思い出す」とは、「神との対話」でよく言われているように、すでに知っていることだからですね。
「今いる場所が、意識の進化のためには、最も良い場所なのです。その場所こそ、ハイヤーセルフ<大いなる自己>がしつらえた<最高の学びのステージ>なのだと思ってください。」(p.12)
「今、ここが自分にとって最高の場所と真に思えたとき、次なるステージが、あなたの前に現れてくることになります。」(p.12)
今が最善であり、起こることは完璧なのです。だから安心していれば、勝手に進化成長していくのです。
「「幸せになりたい」というのは、「今が幸せでない」という気持ちの現れです。
すなわち「今に不足があると認識している」ということです。その欠落意識からとった行動で、あなたが満足することはありません。」(p.14)
「今、満たされているか、不足しているか−−それはあなたの選択に過ぎません。
足りているものに意識の焦点を合わせた人が、満たされた人であり、不足しているものに焦点を合わせている人が、満たされない人です。」(p.14)
幸せは、自分が選択するものです。どこに意識をフォーカスするかだけの意志の問題であり、その選択によって、次の現実が創造されるのです。
「そして、それこそがこの三次元世界の存在理由であると知らされました。
<無限の快適さの世界>から、そうでない環境を体験したいと考えた意識体が、その<不快さ>なるものを体験してみたくて、この二極対立の世界へわざわざ入ってきた、というのが真相のようです。」(p.22)
「黒が白を際だたせ、悪が善を引き立てます。三次元物質世界とは、そういうところなのです。英雄にはどうしても敵役が必要なように。」(p.22)
この部分も、まさに「神との対話」で語られていることそのままです。
「自分を愛するとは、自分の意識を広げるということです。自分を大切にしたい人は、人を拒絶するのではなく、受け入れていくことです。
嫌いな人を受け入れるたびに、意識は拡大します。都合の悪い出来事を受け入れたとき、あなたの意識が広がります。」(p.24)
自分を拡大させていくことが自分への愛です。自分を拡大させるとは、自分は「存在のすべて」であることを思い出すことになりますから。
「私はあなたに<無限者>、すなわち「創造主の立場を選択しなさい」と言っているのです。
選択するとは、単に選ぶだけのことです。」(p.30)
「あなたが創造主の立場を選択したとき、すべての他人は、あなたを進化へと導く協力者以外の何者でもなくなります。
敵がいなくなるということです。すなわち<無敵>となります。
起きてくる現実のすべてが、<自我>に気づくためのメッセージへと変わります。あなたを取り巻く環境すべてが、愛の化身であったことに気づきます。
もう、周りのだれも気にすることなく、だれとも競う必要がなくなります。」(p.32)
まず在り方を選択する、という話が「神との対話」にもあります。ただ選択すればよいのです。そして、私たちのもとに送られてくるのは天使だけだともありましたね。まさに、そのことがここに書かれています。
「あなたには、改めるべき点など何もありません。欠点というものは存在しないのです。人には、それぞれ異なった特質が備わっており、その特質を役立てたとき、人々はそれを<長所>と呼び、特質を生かしきれなかったとき、その現れ方を<欠点>と呼んでいます。長所、短所はひとつの特質の表裏です。ですから、あなたに改めるべき点など何もありません。ひとつだけ改めるべき点を指摘するならば、あなたのその『改めなければならない点があるという考え方』だけです」(p.34 - 35)
津留さんは、人類のために貢献したいから何を改めたら良いか、と大いなるものに尋ねた時、このように回答されたと言っています。
「<今、ここが完全>であることを確信したとき、そこにはもはや学ぶことがなくなり、次なるステージへとシフトアップします。
「まだダメだ」と思うなら、まだそこで学べるということですから、あなたはそこに居続けることになります。まだそこを楽しむことができるということです。
あなたの目的は<今、そこで遊ぶ>ことです。」(p.36)
進化成長は自然に起こります。その現実に満足し、これで良いと完全に思えたら、次のステージへ行くのです。
「そんな本来のあり方に目覚めた人々が、一定の臨界点を超えたそのとき、地球は輝く太陽のように、自ら光を放つ星へと生まれ変わります。物質的でない地球となります。」(p.37)
「神との対話」でも、いずれ進化したあかつきには、非物質的な存在になることが書かれています。まさにバシャールのように、肉体を持たずに生きるのです。その時、地球もまた非物質化するのかもしれませんね。
「あなたを不自由にしているのは、この<ねばならない>とする考え方です。あなたに、しなければならないことなど何もありません。
もともと、神そのものであるあなたに、何かしなければならないことなどあろうはずもありません。」(p.43)
私たちが神そのものであり、だからやるべきことは何もないということも、「神との対話」に書かれていましたね。
「あなたは、創造する者です。何ごとであっても、人を裁いたり、咎めたりする必要などありません。どんなこともただ体験し学んでいるだけです。
目の前に起きてくるすべての出来事は、あなたが自分の考え方に気づき、意識の変容を遂げられるようにと起こってきます。」(p.52)
すべてのことは、私たちの進化成長のために起こります。だから批判非難する必要はないし、してはいけないのです。
「今こんない不細工で、ノロマで、意地悪で、自己嫌悪症の自分でも、これで完璧なのだと気づけば、ただそれだけで変容が起こってきます。」(p.54)
完璧だと気づくだけ。それだけでいいのです。
「この世に<良いこと>と<悪いこと>はないのだ、本当にそんなものはないのだ、右を選べば右の道があり、左を選べば左の道があるだけである、と伝えられました。
その左右の体験に、良いも悪いもありません。ただそれを体験しているだけで、右の道を体験し尽くした人は、その体験による学びが終わり、次は自ずと左の体験を望むようになってきます。」(p.57)
私たちの目的はすべてを体験すること。だから、自分が選ばないものを批判非難する必要はないのです。
「人から馬鹿にされたように感じたり、否定されたような感じを受けてしまうのは、実はその人自身の中に「自分の欠点を直そう」という想いがあって、それが反映しているからです。」(p.73)
他人から否定されたと感じて傷つくのは、自分が欠点があると感じているからなのですね。自分が今あるままで完全だと思っていたら、否定されても傷つかないのです。
「目的を遂げるためには、何かを我慢しなければ達成できないとする固定観念は、そろそろ手放してもいい時期にきているのではないでしょうか。」(p.79)
「でもこれからは<今を楽しむゲーム>に変えてみることもできるのです。」(p.79)
私たちはこれまで、今を我慢して未来に何かを達成することで達成感を味わうゲームをやってきたのです。それはそれで魅力的なのですが、単純に今を楽しむゲームに変える時期に来ていると津留さんは言います。
「お金とは、その先にある目的のための手段でしかありません。
手段に大半の時間を割くのではなく、目的を生み出すことにあなたの意志の力を使いませんか。そうすれば、あなたの望む現実が確実にやってきます。」(p.83)
何かをするために、何かになるために、何かを得るために、今は我慢してお金を稼ぐ、お金を貯める。そういう生き方ではなく、幸せになりたいなら幸せを選択すればいいのです。
「「お金なんかなくても生きていけるんだ」−−だれかがそんな生き方の手本を示すことによって、これまでどおりの生活に嫌気を感じていた人たちが、新しい生き方に同調してきます。
だれかが勇気を奮って、これまでどおりの因習的な生き方にサヨナラをして、新しい生き方をしてみせる必要があります。きっと、あなたもそんな人たちの中のひとりではないでしょうか。」(p.96)
ドキリとしますね。(笑)家も仕事ももたない人生を送っておられる坂爪圭吾さんなどは、まさにこういう人でしょうね。まあ私も、この2年半は仕事をせずに生きていますが。
「どうして社会が変化するのか。あなたの抱く信念を変えることによって社会が変わります。革命や活動によって社会が変わるわけではありません。」(p.99)
「まず初めに、皆さんに選択してほしいのは「幸せになるために必要なものなど何もない」という考え方です。」(p.99)
「そして、次に手放してほしいのが「働かないと生きていけない」という固定観念です。現代社会の根底になる固い価値観です。」(p.100)
「「豊かになるにはお金が必要」という考え方を手放し、「私には、無限の豊かさがもともと内在している。無限に豊かな私には、もはやどんなものも必要がない」というシンプルな考え方を選んでみてください。」(p.101)
わかった、そうするよ、とばかりに選ぶだけでいいのだと言います。それで自分が変わるし、自分が変われば社会も変わります。なぜなら、私たち自身が自分の人生の創造者だからです。
「今、決心すればそうなります。自分が変わったら受け入れるのではなくて、受け入れたらあなたが変わるのです。
あなたが主人公で、創造主なのですから。逆はあり得ないのです。」(p.120)
自分が原因なのです。自分の選択から始まるのです。
「エネルギーの次元から見れば<絶望的だ!>という状態とは、覚醒へのポテンシャル(可能性)が最も高くなるということです。
バネでいえば、その弾性限界ギリギリまで引き伸ばされた、最も反発力を蓄えた理想的状態です。」(p.133)
だから、絶望のドン底だということは、祝福すべきことなのだと言います。陰極まれば陽に転ずると言われる通りですね。
「もし、創造主に戻りたければ、計画を立てるという行為を即刻やめることです。
計画とは<今>使える、未来を創造するパワーをドブに捨てる行為です。」(p.137)
「神との対話」でも理性を働かせるな、というようなことを言っています。計画するというのは、自分を限定する行為なのです。
「自分のために、わがままに生きれば生きるほど、あなたの肉体の中を流れるエネルギー量が、徐々に増えていきます。
「よく分からない」などという想いは不必要です。うまく感じられないというのなら、是非もっとわがままになってみてください。あなたにはその勇気が必要です。」(p.162)
わがままになれば、他の人から文句を言われるでしょう。その葛藤を恐れるなと言います。心屋仁之助さんが「ゲスくなれ」と言われているのと同じことですね。
「精神世界のコーナーを見つけ、私の目は書棚をゆっくりとスキャンニングし始めます。
ハッと1冊の本が目に留まりました。さっとその本を手に取り、パッと開いたページの1行を読んだところで「何だ、この本を買いに来たのか」と分かりました。
こうして私は『神との対話』という本と出合いました。」(p.169)
津留さんは、このように「神との対話」を読んだ時のことを語っています。こういう出合いって、偶然ではなく必然なのですよね。
「本来、豊かなのですから、豊かさを追求する必要はありません。
「豊かになりたい」という欲求は邪魔にさえなります。それは「自分は豊かでない」という想いの裏返しであるからです。」(p.174)
「少なくとも、お金を手に入れる方法論を考えている暇があるのなら、<方法を考える>などという無駄なことをやめて、豊かであった瞬間、瞬間にたっぷりと浸っていてください。今という瞬間が未来を創り続けるのだということを感じていてください。」(p.174 - 175)
豊かになりたいから、どうやってお金を稼ごうかという発想をやめることだと言います。それよりも今、この瞬間に豊かだということに意識をフォーカスすること。その豊かさに浸ることが重要なのですね。
「こうであるべきことも、しなければならないことも、してはいけないことも、何もありません。
何かのほうが何かより優れていることも、だれかのほうが、だれかより偉いはずも決してありません。」(p.192)
「神との対話」でも、何かが他より優れているなどということはない、と言っていますね。
何かに反応するなら、そこに古くなった価値観があるのだと津留さんは言います。
「違和感は、そのことをあなたに教えてくれるメッセージです。自分の感じる違和感を大切にしてください。そんな違和感を愛してください。そんなメッセージを投げかけてくれているその対象には感謝を送りましょう。」(p.192)
「自分の想念と感情を見張ってください。いいえ、感情が起こる以前の、些細な反応に気づいてください。これは覚醒の最終段階です。」(p.192)
ちょっとした違和感を感じた時、そこに古くなった価値観があるのです。それを書き換えることで、より進化していきます。そうやって自分の思考や感情を見張って生きることは、「神との対話」でも勧めいています。
「「思いどおりにしよう」と考えているときというのは、今はその思いどおりにいっていないのです。ですから、その想いのとおりにあるわけです。
「体の具合が悪いから治療しよう」と考えます。ですから、具合が悪いという想いが、具合の悪い明日をまた創ります。」(p.194)
思い通りにしたいと思うのは、今が思い通りになっていない、という認識があるからですね。だからその認識によって、未来が創造されるのです。
「自分の会社をあまり良い会社だとは思っていなかったはずです。すなわち、あなたは自分の会社を「良い会社ではない」という想いによって赤字化させているわけです。」(p.196)
これもズキーンと来る言葉ですね。たしかにそうです。もっといい会社にしなければと考えていました。すなわち、今は良い会社ではない、と考えていたのです。
本当に、どの言葉も心に突き刺さります。「神との対話」を読んでいるような感じがします。
この本もまた、繰り返し読みたいと思いました。
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