2018年11月18日

世界史で学べ! 間違いだらけの民主主義



Facebookには、様々な投稿があります。その中で、アゴラというメディアサイトのページがあり、私はよくそのサイトの記事を読んでいます。そこに記事を投稿されている宇山卓栄(うやま・たくえい)さんの本を読みました。

宇山さんの本を読もうと思ったのは、宇山さんが私のFacebookの投稿にコメントしてくださったことがきっかけです。それまで宇山さんのことを意識していなかったのですが、歴史のことに関して、同感する記事を書かれていました。それで、それなら一度、ご著書を拝読したいと思い、Kindle版ですが読んでみたというわけです。

一見、「幸せ」とは無関係だと思われるかもしれませんが、政治の在り方は庶民の幸せに影響します「神との対話」シリーズでも、政治の霊性化が必要だと言っています。そのこともありますが、この本の内容は論理的で独自な視点もあり、とても役に立つと思いました。なので、ここで紹介したいと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なお、Kindle版ですのでページはありません。コピペの制限もあるので、途中からはKindle版の位置情報が一部なくなります。ご了承ください。

自由・平等 を 標榜 する 民主主義 において、 なぜ、 これ ほどの 格差 が 生じ、 貧困 が 弱者 を 追い詰め て いく の でしょ う か。   民衆 は、 歴史 の 中 で 貧困 や 隷属 を 断ち切る ため に 戦っ て き まし た。 民主主義 は その よう な 歴史 の 中 から 生まれ た もの です。   なぜ、 その 民主主義 の 国 が 弱肉強食 を 増長 さ せ て いる の でしょ う か。」(Kindle の位置No.23-27)

宇山さんは冒頭で、このように問題提起します。日本は豊かになったとはいえ、まだまだ暮らしにくさを感じている底辺の人々が大勢います。民主主義なのに、どうして上手く機能しないのでしょうか?

民主主義は完璧な制度とは言えないとされています。では、その問題の本質はどこにあるのか? 宇山さんはそれらの疑問に、歴史の事実を明らかにしながら、民主主義の本質をあぶりだしていこうとされます。


民主主義 とは 何 でしょ う か。 それ は、 皆 で 分かち 合う こと を 重要視 する 考え方 です。 王様 や 貴族 などの 一部 の 人間 だけが 富 や 権力 を 独占 する のでは なく、 すべて の 人 が 富 や 権力 を 分かち 合う システム、 これ が 民主主義 です。」 (Kindle の位置No.343-346)

民主主義とは、富と権力の分かち合いのシステムである。これは、なるほどと腑に落ちました。みんなが平等に価値がある存在なのだから、公平に分かち合うことが重要。これは、スピリチュアル的な考え方とも合致します。


「一人 の 満腹」 よりも「 三人 のほど よい 腹 足し」 が 優先 さ れる よう な 状態 を、 イギリス の 哲学者 ベン サム は「 最大 多数 の 最大 幸福」 と 表現 し まし た。 これ は 民主主義 の 運営 の 中核 と なる 理念 です。   限ら れ た 富 を できるだけ 多数 に 分配 し、 彼ら の 幸福 を 最大 化 する こと、 これ が 民主主義 の 求める 理想 で あり、 民主主義 の 政治 は その 理想 を 達成 する ため に 存在 し ます。」(Kindle の位置No.354-358)

「最大多数の最大幸福」という言葉は覚えていましたが、こういう文脈では理解していませんでした。先ほどの分かち合いのシステムとも関連しますが、少数者の幸福と多数者の不幸を選ばない仕組みが民主主義なのです。


憲法 は、 国民 が 国家 を 一緒 に 作る こと を 約束 し た 証文 で あり、 権力 者 や 為政者 で あっ ても 破る こと の でき ない 掟 の よう な もの です。」 (Kindle の位置No.395-396)

民主主義は富だけでなく、権力も分かち合います。その中核が憲法を頂点とする法体系です。君主などの独裁ではなく、法治が民主主義の根幹となります。

そこに至るまでには、民衆対王侯貴族の血を流す対立が繰り返されます。近代憲法の発祥とされる「マグナ・カルタ(大憲章)」がイギリスで生まれたのも、そういう対決の中で、王権を制限するためでした。

かつては民衆に人権などなかったという宇山さんの指摘は、考えてみれば当たり前のことながら、現代の私たちは忘れてしまいがちです。ヨーロッパでは市民革命などで人権意識が確立していくのですが、日本ではそういう革命が起こっていません。上から与えられたと指摘されていますが、だからあまりありがたみを感じないのかもしれませんね。


軍事力 を 統率 する 者 は 一人 で なけれ ば なり ませ ん。 同 程度 の 権力 者 が 存在 する と、 指揮 系統 が バラバラ になり、 軍団 そのもの の 機能 が マヒ し て しまう から です。   その ため、 独裁 者 は、 軍事 が 全て に 優先 する 封建時代 に あっ て 必然 でし た。」(Kindle の位置No.473-476)

独裁体制は必然だったと宇山さんは指摘します。たしかに、そうなのでしょうね。そしてそのことが、民衆の人権を認めないことともつながっています。

武力 で 土地 所有 を 守る こと と 比べ、 法的 な 保障 は 証書 紙 一枚 で 済む 話 で、 はるか に 合理的 で ある こと に 人々 が 気付き はじめ まし た。   こうして、 所有権 などの 個人 の 権利 が 認め られ、 法的 な 所有権 の 考え方 が 社会 全体 に 一般化 さ れ て いき ます。」(Kindle の位置No.525-528)

個人の権利意識の拡大は、民主主義につながっていきます。その過程では、政治と軍事の分離が起こったり、法の支配が始まったりしています。そういう歴史の流れの中で、少しずつ民主主義へと向っていくのです。


では、 奴隷 的 な 労働 酷使 が 民主主義 国家 において 消え て なくなっ た のかと いう と、 実は そう では あり ませ ん。 奴隷 的 労働 は 現在 でも 必要 とさ れ て い ます。   しかし、 それ が、 国内 で 許さ れ て い ない ため 国外 に 求め られる の です。 日本 の 企業 は 安い 労働力 を 求め て、 東南アジア、 インド、 中国 に 進出 し、 現地 の 貧困 層 を 大量 に 雇い 入れ て 生産 に 従事 さ せて い ます。   彼ら は 一日 中 働い て 数 百 円 の 賃金 しか 貰え ませ ん。 一日中、 数 百 円 の 賃金 で 酷使 する こと が 人道的 と 言え ない こと は 明らか です。   では、 彼ら に 数 千 円 の「 人道的」 な 賃金 を 払え ば どう なる でしょ う か。 我々 の 周り の 全て の 生活 物品 が 値上がり、 我々 が 生活 に 困窮 し ます。「 一 〇 〇 円 ショップ」 が「 一 〇 〇 〇 円 ショップ」 に なっ て しまい ます。 つまり、 我々 の 豊か な 生活 は、見え ざる 労働力 の 搾取 によって 成り立っ て い ます。」 (Kindle の位置No.661-668)

これは、指摘されてみるとたしかにそうですね。「貧しい彼らに仕事を与えているんだ」という言い訳は、とても虚しいものです。私たちは間違いなく、発展途上国からの搾取で豊かさを享受しているのです。


かつて、 選挙権 付与 には、 国家 や その 政治 への「 真摯 な 関心」 を 持つ という 条件 が 前提 として あり、 それ を 客観的 に 証明 する ため に 納税 額 や 土地 所有 面積 を 基準 に 用い まし た。   民主主義 を 歴史的 に 見 た とき、 そもそも 民主主義 には 国民 の 全て が 参政権 を 有する「 国民主権」 という 考え方 は あり ませ ん でし た。 今日 の 我々 が持っ て いる「 民主主義 = 全員 参加 の 政治」 という 概念 は 後世 に 付け足さ れ た もの に 過ぎ ず、 決して、 民主主義 の 普遍 の 論理 では あり ませ ん。」 (Kindle の位置No.833-838)

これもたしかにそうです。政治を行うだけの知識や教養があり、政策のためのお金(税金)を出せる人が政治に参加したのです。そして、そういう人たちだから「真摯な関心」がありました。しかし今は、誰もが参加できるために、関心が薄れているのです。宇山さんは、これを民主主義の危機だと指摘されています。

また、民衆が「有徳性」を持っているかどうかも重要だと宇山さんは指摘します。仮に自分が損するように見える政策であっても、全体にとって必要なことであれば、その政策を支持するという特性です。矜持(きょうじ)と言ってもよいでしょう。それを民衆がどれだけ持っているかで、民主主義の持続可能性が決まると言います。


近代 工業化 の 中 で、 ブルジョワ と 呼ば れる 商工 業者 が 台頭 し、 前 時代 の 守旧 勢力 と 社会的 な 対立 が 大きく なり ます。   この 対立 の 対処 の 方法 が、 リンカーン と ビスマルク で 異なり まし た。   大規模 な 内戦 となり、 50 万人 とも いわ れる 犠牲者 を 出す こと に なっ た のが リンカーン。 内戦 を 巧み に 回避 し た のが ビスマルク です。」(Kindle の位置No.1212-1215)

ここは認識を改めさせられた部分です。今でも人気が高いリンカーンは、内戦を引き起こさせ、非常に多くの犠牲者を出すことで対立を乗り越えました。一方で鉄血宰相と呼ばれたビスマルクは、外的を作ることで内部の協力関係を引き出したのです。そのため、アメリカのような多大な犠牲者を出さなかったのだとか。

リンカーンは対立構造を鮮明にし、二者択一を迫ったのです。そこはどうしても譲れない線だったため、南部は戦争を選ぶしかありませんでした。第二次大戦に引き込まれていった日本みたいですね。一方のビスマルクは、プロイセンに従わない南部を直接叩くことはせず、南部を支持していたオーストリアやフランスと戦争をします。ドイツ人同士で戦えば恨みが残る。ドイツ統一のために、融和政策をとったのです。

ただ、このリンカーンのやり方は、民主主義がはらむ構造的な欠陥だと宇山さんは指摘します。多数決でどちらか一方に決める方式だからです。特にアメリカの二大政党のようになると、国民が2つに分かれて対立する構図になりやすいものです。民衆が感情的になってくると、冷静に議論することもできなくなります。そうなると、行き着くところまで行くしかなくなるのです。

国民から選挙で選ばれたリンカーンが50万人もの国民を殺す政策を行い、一方で国王に対してのみ責任を負ったビスマルクは国民を殺さない政策を行った。選ばれ方は民主的ではないのに、その政治は民主的なものだった。本当に皮肉なものです。

また宇山さんは、民主主義には民衆を制御するメカニズムがないと指摘しています。感情的になった民衆は、その感情を抑えようとする為政者を排除し、煽る為政者を好むからです。暴走し始めると止まらないのが民主主義。これは第二次大戦の時の日本にも当てはまりますね。


大久保 は、 一般 民衆 を 愚民 扱い する 反 民主主義 的 な 独裁 者 という イメージ が あり ます が、 彼 の 政策 の 一つひとつ を 見る と、 国民 の 成熟 や 政治 への 参加 を 願う 意識 が 読み取れ ます。」(Kindle の位置No.1517-1519)

日本の明治維新では、大久保利通という有能な政治家がいたことが日本にとって幸いだったと宇山さんは指摘します。大久保はビスマルクと直接会い、いろいろ指導を受けたようです。弱小国のプロイセンからドイツ統一を成し遂げたビスマルクの手法に、大久保は学んだのでしょう。

大久保は、身分の差なく学べる「学制」という教育制度を施行したり、地方議会を開き、成年男子による普通選挙を実施しています。独裁的なやり方が反発を受けて暗殺されますが、独裁でなければできないこともあったのだろうと思います。


欧米各国は、市民革命によって民主主義を進めていく際に、特権階級を大量処刑せざるを得ませんでした。民主主義を勝ち取るために、多くの犠牲者が出たのです。
 これに対し、日本の民主主義への移行は流血が伴いませんでした。最後の将軍徳川慶喜は、大政奉還で権力を平和的に譲り渡しました。
 伊藤博文のような維新の元勲も、権力に固執しませんでした。
」(Kindle の位置No.1595-1597)

日本の民主化は、本当に奇跡の連続です。政党政治を導入した伊藤博文は、元勲の権力に固執せず、一介の野人として政党を組織し、国民の政治参加を可能にしたのです。宇山さんはこれを、「第二の維新」とも言うべきことだと高く評価しています。

日本は政治エリートの支配によって、ゆっくりと情勢に合わせながら民主化が進んだと宇山さんは指摘します。そして民衆もまた政治エリートを信頼し、協調していたのだと。しかし、1925年に普通選挙が始まると、民衆は迎合的な政治を選ぶようになったと言います。それに伴って、政治化の質が劣化したとも指摘します。


政治的に成熟していない民衆であるからこそ、このような「改革」イメージの詐欺的な手法に引っ掛かり、先導されてしまいます。政治を劣化させていく最大の原因がここにあります。」(Kindle の位置No.1714)

宇山さんは、日本の民衆は政治的に成熟していないと指摘します。まず政治について学ぶ機会が与えられていないし、議論をすることをしないからだと。一見、議論しているように見えても、それは単に感情的になって罵り合っているだけだったりします。ネットのコメント欄が荒れるのは、たいていこれですね。民衆が政治的に成熟しなければ、民主主義もまた危ういものなのです。

ヒトラーのナチスも、ドイツ国民が選んだのです。民衆の多大な信任を経て、ヒトラーは独裁者になりました。大多数のドイツ人がヒトラーを支持し、彼の支配を受け入れた。民主主義が独裁を生んだのです。ヒトラーは、こういうことを言っているそうです。

大衆は弱者に従って行くよりも、強者に引っ張って行ってもらうことを望む。大衆とはそのように怠惰で無責任な存在である。」(Kindle の位置No.1919)

ヒトラーは大衆の本質を見抜き、上手に利用したとも言えます。一方で大衆は、自らの意思で民主主義を捨てたのです。


民主主義の本質を突くためには、「民主主義とは何か」と問うことを止めて、「民主主義の目的とは何か」と新たに問い直すべきです。
 民主主義の目的は民を幸福にすることです。具体的には、一部の限られた民だけでなく、全体の隅々にまで幸福を行き渡らせるということです。
」(Kindle の位置No.2006)

宇山さんは、民主主義の定義を議論しても意味がないと指摘します。それよりその目的から考えるべきだと。そして民衆の幸福とは、物質的充足と精神的充足の2つがあり、まずは物質的充足を達成することが重要な政治課題なのだと言います。そして精神的な充足に関しては国家が介入せず、自由にさせるべきであると。

ナポレオンは独裁でしたが、ナポレオン法典によって民法を確立し、財産所有権を明確に示すことによって、フランスの経済活動は盛んになりました。こうして物質的充足を達成したナポレオンは、民衆から圧倒的に支持されたのだと宇山さんは言います。


歴史的に民主主義の変遷を検証してみると、「民主主義が豊かさをもたらす」のではなく、「豊かさが民主主義をもたらす」という現実に気が付きます。」(Kindle の位置No.2095)

無理に革命を起こして民主主義を導入しても、それでは国家運営が上手くいかないのです。独裁が悪いかのように思われますが、実はある時期には独裁が必要なことがある、ということですね。たしかに独裁には、民衆が犠牲になる面があります。しかし政治エリートの支配の方が、効率よく運営することができて、民衆が恩恵をうけることもあるのです。

宇山さんは、中東情勢についても、そういう目で分析します。ISが生まれたのは、思想問題ではなく経済問題であると。豊かさが足りないから、過激派勢力が出てくるのです。宇山さんは、彼らは銃を振り回して仕事をしているのだと言います。豊かさを得ようと働いているのです。


民主主義は富や権力を分かち合う制度です。社会主義は富を分かち合うシステムであるかもしれませんが、権力の分かち合いがなされません。政府の要人や官僚たちだけが権力を行使し、一方的に社会を管理統制するシステムであるからです。
 自由主義において、権力は分散され、国民の一人ひとりにまで行き渡り、国民は主権を持ちます。主権が国民にあるということが民主主義の一つの前提条件であり、自由主義はこれを満たしています。
」(Kindle の位置No.2355)

富と権力を分かち合い、全体の幸福を満たすことが民主主義だと宇山さんは言います。ただ、自由主義はまだ格差の問題を解決していないとも指摘します。所有権を認めれば格差が生まれ、認めなければ民主主義ではなくなります。相矛盾する命題なのですね。

民主主義国における政府は、第一義的に人々の自由や権利を守るために存在します。」(Kindle の位置No.2564)

自由にさせれば格差が生じ、搾取が起こります。それを防ぐのは政府の役割だと宇山さんは言います。


政治は言論です。言論による説得です。政治的なコミュニケーションの成熟がなければ、民主主義の成熟もあり得ません。」(Kindle の位置No.3229)

あとがきで宇山さんは、このように指摘します。歴史を学ぶこと、政治を学ぶこと、冷静に議論する能力を身につけること。民衆のそういう努力なくして、民主主義は成熟しないのですね。


この本は、実に広範囲の知識をベースに書かれています。私が知らなかったことや、新たな視点がたくさんありました。ここで紹介した部分の倍以上、印をつけながらこの本を読みました。とても参考になる内容でした。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:38 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月28日

にぎやかだけど、たったひとりで



バリ島に暮らす日本人大富豪、兄貴こと丸尾孝俊(まるお・たかとし)さんの本を読みました。
今回の本は、作家の吉本ばななさんが兄貴の元を訪れ、共に過ごした3日間の中で見聞きしたことをまとめたものになっています。

サブタイトルに「人生が変わる、大富豪の33の教え」とあります。章立てに番号がないので、どう33なのかはよくわかりませんが、3章の中に数項目ずつ兄貴の話やエピソードがまとめてありますが、数えると34あるんですよね。
章の最後には「ばななより」と題して、吉本さんの感じたことなどが書かれています。第4章は、いろいろな人が兄貴に質問したQ&A集となっています。

吉本さんは、兄貴から単に成功の秘訣を得たいというより、女性の視点で兄貴の生き方をまとめたいと思われたそうです。そういう点では、白駒妃登美さん「幸せの神様に愛される生き方」と共通点があるようにも思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

バリのあらゆる地域の大家さんだったり、系列会社の社長たちをまとめたり、バリの人たちの相談に乗るだけでも充分忙しいんだから、夜はご家族といっしょに贅沢な食事をして、好きな映画を観たり、たくさん睡眠を取ったり、静かに過ごすことだってできるわけなのに、兄貴は日本のみんなと過ごすことを選んでくれたんだ、だからこうして会えるんだと思います。」(p.17)

兄貴は兄貴なりの理由で、毎日のように見ず知らずに日本人を招いて一緒に時間を過ごすという生き方をされています。誰にでも真似ができることではないと思います。
また、無理に真似をする必要もないと私は思っています。ただ、すごいなぁと思います。そして、有り難いと思うのです。


兄貴は、それよりも地方の移住者を受け入れているところに移住して、自然があって、食べ物もおいしくて、家賃が安いようなところで、もう一度新しく人生のステージを大きく変えて始めたほうがいい、今の生きがいで生計が立てられないのなら、それもやめたほうがいい、どんなに好きなことでもだ、と彼女に言いました。」(p.24)

これは、ご主人を亡くされて、住まいはあるが生計が不安定で、どうしたらいいかと質問した女性に対する兄貴の回答です。
兄貴は常々、田舎に行けと言われてました。どんな好きなことでも、それで充分に稼げないならやめろというアドバイスは、兄貴がリアリストであることを示しているように思います。

この回答、私の心にも突き刺さるんですよね。なので、ここに取り上げました。


どういう人が儲かって、どういう人が儲からへんか、ちゃんと見つけた。
 ええ人が儲かるんやって。五百円札くれよったのは、三つしかごみ落ちてなかったおばちゃん。整理整頓されてない粉まみれゴミまみれの店では、「何でお前に金やらなあかんねん。お前が勝手に掃除したんやないかい、おっちゃん知らんで。帰れ、早よ」となる。
」(p.27)

兄貴がまだ小学生のころ、勝手に掃除をして手を差し出したら、お金がもらえたという体験の中で学んだことだそうです。
日々のことを手を抜かずにきちんとやる。一生懸命にやる。そういう人が儲かると兄貴は言います。気遣い、気配りが重要なのだと。


子供にとって、一番素晴らしい、いい育て方っていうのは、大人と接する数を増やすことやと思う。
 おじいちゃん、おばあちゃん、おっちゃん、おばちゃん、近所の姉ちゃん、兄ちゃん、こういう者の中に置いてもらえるかにあると思います。そこで一気に人間の成長率が変わってくるから。
」(p.31)

兄貴は、自分を「完全におじいちゃんっ子、おばあちゃんっ子です」と言います。父親が母親を放り出し、その後も面倒を見てくれなかったので、近所の大人たちの中で育ったのです。
そういう環境が子どもを育てるには最適だと言います。一方、現代は、学校へ行けば同年齢の子どもの社会に大人の教師が1人という状態です。そういう中で成長する。これでは、子どもは大人を見て学ぶことができないと言うのです。

私も、そう思います。同年齢の中でしか過ごさないから、いじめなどの問題も起こるのです。年齢を超えたつながりを持つということは、子どもにとって重要なことだと思います。


結局自分の事にかまける社会、かまけざるを得ない社会なんや。忙しくさせられてる訳やんな。それを何とかせなあかんと思うねん。合理的な考え方って、全部分けることになっちゃうからな。分け隔てないのが人間社会やったやん。それを分けまくりよるのや、今は。」(p.40)

兄貴は、人と人とを分断する社会、分断する考え方に問題があると指摘します。
たしかにそうですね。コミュニティが崩壊しています。コミュニティがあって、互いに互いを思いやる社会であれば、暮らしやすいのではないかと思います。

それと、分断が問題だという指摘は、「神との対話」でも言っていることで、スピリチュアル的にも納得です。これからは、分断から一体化へとシフトしていく。まさに兄貴が目指す方向性と合致しているように思うのです。


人間というのはたまにはそういう「明日起きたくない」「全てを捨てて逃げてしまいたい」というような気持ちにまっすぐに向き合って、ひとりでなんとか乗り越えることをしないと人生の階段を上がれない生き物なのだと思う。」(p.54)

若かったころの兄貴が、暴力団の組長に気に入られ、旅行に誘われたけど断らないとやばいと思い、何とか切り抜けたというエピソードを引き合いに、吉本さんはこのように言われます。

人生には、そうやって自分で決断し、切り抜けなければならないことがあるのかもしれませんね。私自身も、兄貴のような派手なエピソードはありませんが、何度か人生の転機がありました。きっとこれからもまだあるのでしょう。


残せなくなったら、社会的に失敗やと僕は考えているので、残せなくしてしまった日本の社会は、もうすでに失敗なんだよ。
 なんか人に残してやろうってことが、本当に微笑ましくて素敵な事やん。これから来る人に。みんなそうやったよな。公園行って遊んでも、何してもゴミ持って帰れよっていうのは、その考え。
」(p.84)

兄貴は、不動産は残せるからいいのだと言います。後の世代に残すこと。だから伝統や文化も、残していくことが重要なのです。
しかし日本では、相続税が高くて、子孫に家や土地を残せなくなっています。それを指摘して、そういうのではダメになると兄貴は言うのです。

兄貴が残すことを大切にするのは、他の人や子孫への思いやりなのですね。だから美しい自然を残す、快適な社会を残す。そういうことを常に考えておられるのです。

この部分を読んだ時、私の頭には佐藤一斎の言葉が浮かびました。
「当今(とうこん)の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。後世の毀誉は懼るべし。一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。子孫の得喪は慮るべし。」(言志録89条)
兄貴は、そういう気持ちを持って生きておられるのだと感じました。
※言葉の意味は「佐藤一斎「言志四録」を読む」の記事をご覧ください。


お金が手元に十七万円しかなくなったとき、その人のほんとうの考えとか才能とかが出てこなかったらうそだと思う。逆に言うと、お金がたくさんあるのが前提の生活しか知らない人は脆(もろ)い。」(p.90)

兄貴は、8千万円くらい持ってバリに来たものの、使いまくって貸しまくって、気がついたら17万円になっていたのだそうです。そのエピソードから吉本さんは、兄貴の輝きはお金持ちだからではなく、いくらであろうと関係ない兄貴自身の輝きにあると言います。

兄貴は、毎日大勢の客をもてなしています。そこには、兄貴自身のお金も時間もふんだんに使われています。兄貴は恩返しだと言います。和橋として、国外から日本を応援しているのだと。その生き方が魅力となって、兄貴を輝かせているのです。


マルガラナ英雄墓地行ったらいい。第二次世界大戦が終わっているのにインドネシアの独立戦争に参加した日本人兵士たち、自分達にとっての正義で死んでもいいやって思ってたっていうのはすごかったと思いますよね。
 玉砕した日本兵はほぼ誰の為に頑張りましたか。九十九・九九パーセント赤の他人の為に玉砕したんや。家族の為は〇・〇一パーセントや。僕はそういう風に思う。これは結果論や。思いは母親にあった。嫁にあったかもしれん。
 ところが結果をちゃんとひもとけば、我々の為の玉砕やったよ。日本人を残そうと思ったんや、日本の未来をや。ということは、それを継承せんかったら、何を継承すんねんって話や。
」(p.120)

マルガラナ英雄墓地というのは、インドネシア独立戦争で戦士した英霊を祀る墓地です。そこに、日本人でありながら帰国せずに残って戦った人々も葬られています。兄貴は、彼らは日本の未来を残そうとしたのだと言います。だからこそ、その思いを継承するべきではないかと。

私も、ここへ行きました。「バリ島2日目はマルガ英雄墓地へ行きました」の記事に書きましたので、よければお読みください。そして、やはりこういう「想い」を持つことが大切だと思うのです。


やらかしてごらんよ。そしたら、もっと表情とか感情が豊かになるはずで、えらいことしてもうたっていう。えらいことしてみるんやって。そのために自然を置いてくれたんや。相手も本気、こっちも本気や。命を頂くという尊さをもう一度きちっと噛みしめる必要があると僕は考えてる。」(p.124)

兄貴は、リミッターを外すことが大切で、そのためには小さな殺生をするなどして、「やらかした」感情を取り戻すことだと言います。
童心に戻ってザリガニを取って殺して、餌にして魚を釣って食べる。その時、湧いてくる様々な思いを逃げずに味わうことで、生きることを本当に考えるようになるのだと。

リミッターが外れない人間は自分の命を大切にします。例えばね、自分の考え方を最重要視します。とにかく自分が大切です。この状態から遠くかけ離れた人、これがリミッターの外れる状態。
 だから僕には元々、自分がないので。人のことばっか考えてます。
」(p.126 - 127)

兄貴は、自分のことにかまけてられないと言います。それがリミッターが外れた状態なのですね。貸し借りのような取引ではなく、ただ与える。相手のことが大切だから。それが、結果的に自分が豊かになることだと言うのです。

これって、まさに「愛」ですね。自分は大丈夫だとわかっているから。だから、自分はどうでもいいのです。そして他の人のことばかり考える。兄貴は、完全に突き抜けている方なのだなぁと思います。


あのね、幸せっていうものは人が運んでくるもので、自分自身が構成出来るものではないということを、まずは認識しないとダメなんや。
 残念やけど、そういう事なんや。人が運んでくるんやもん。全部普通にきれいな海も、青い海も、見て幸せだなって感じることは、僕たちの先人が残してくれたこと。それは手塩にかけたり、必死の思いだったかもしれませんねってことを、汲み取る人間がどれくらいいてるかなってこと。
」(p.130 - 131)

兄貴は、他の人が残してくれたもの、持ってきてくれたものによって、自分の幸せがあると言います。すでにあるものの中に、これまで関わってきた人たちの「想い」を、兄貴は見ているのでしょう。


一度出会った人とは縁を切らないという考えをそのまま発展させていくと、大目に見るということになる、と兄貴は何回もくりかえした。」(p.142)

吉本さんは、兄貴が自分から縁を切ることはない、と言われたことに着目します。それは、相手を選ばずに受け入れること、そして何かダメだと感じることがあっても大目に見て咎めないことになるのです。そうしないから、「キリキリしたヒステリックな大人」が自分の中に出来上がってしまうのですね。


敵を生まん、敵をつくらんことに、そこに一生懸命努力が必要、今の日本は。日本一丸を目指すなら、敵をつくらないことに限るんや。やくざでもそうやろ。反目がおることで大変や。そんでおらへんようになってみ、王様やな。そういうことや。」(p.147)

兄貴は、他人から応援してもらうことが重要だと言います。だから同じ業界の人を敵に回すのではなく、仲間にすることだと。
すべてを受け入れて包み込んでいく兄貴の大きさには、もうかなわないなぁと感じます。


お金を稼いだからってなにをしたいんですか?
 お金持ちの友だちがたくさんできたとして、その人たちと何をして、どんな人生にしたいんですか?
 どこに住んで、だれといっしょにいたいですか?

 それに対して兄貴の人生が出したにぎやかだけれど一人でやっていくという答えが私は大好きだ。
 私は男じゃないからこんな言い方しかできない。成功哲学やお金の観点から兄貴を見ることはできない。でもこう思う。同じようにこう思っている日本の人たちに届けばいいと思う。
」(p.168 - 169)

吉本さんは、このように兄貴の印象を語ります。そして、人それぞれの道を、大目に見ながらリラックスして生きる。あくせくと成功を目指すよりも、その方が自分らしいのではないかと。それぞれの人がそれぞれに輝いて生きれば、世界はより素晴らしいものになる。吉本さんは、そのような考えを持つようになったのです。


私自身、兄貴のような生き方ができるかと言われれば、おそらくできないと思います。今のところ、そうしたいとも思いません。
でも兄貴は、そんな私でも受け入れてくれます。だから兄貴の前では、安心して自分でいられるのです。
できれば私も、そんな兄貴のような寛容な人間でありたいと思います。そんなことを、この本を読んで思いました。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:17 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月29日

ナチュラル・レイキの教科書

10月末から書き始めて1ヶ月で、ナチュラル・レイキ教科書とも言えるものをノート(note)に書き終え、マガジンにしました。

タイトルは、「犬はナメるが人は手を当てる」です。

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私が提唱するナチュラル・レイキの観点から、レイキ全般を解説する内容となっています。

レイキがどんなものかというところから、具体的な手の当て方、遠隔ヒーリングのやり方、そしてレイキの本質的な意義など、広範囲に渡るもので、ある意味でレイキの集大成とも言えるものになっています。

ぜひこれを読んで、レイキの実践にお役立てください。

また、この「幸せ実践塾」の実践の1つとして、このナチュラル・レイキをご活用いただければと思います。


 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:41 | Comment(0) | レイキ・ヒーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月30日

少食の実行で世界は救われる



1日青汁1杯だけという超少食で健康に仕事をされている森美智代さん(以前に「食べない生き方」など紹介しています)は、甲田療法を実践することで難病を克服されました。その甲田療法を提唱されている甲田光雄(こうだ・みつお)氏の本を読みました。

甲田療法では、断食や少食をメインに、生菜食などによって宿便を溜めないことが健康の秘訣だとしています。さらに、西式健康法と組み合わせることで、ほとんどの病気は治るとしています。

この本は、サブタイトルに「「甲田メソッド」の決定総集編」とあります。甲田療法のすべてが書かれているということで、期待して読んでみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

以来約四〇年余りの間、何万人という大多数の患者さんたちに断食療法の指導を行ってきましたが、その中でわかったことは、「宿便」が万病のもとであるということです。
 この宿便を排泄し、また溜めないように予防するのにはどうしたらよいかとの研究に全力を注いできたわけです。その結果、日常の食生活を「少食」にするのが、宿便を溜めない秘訣であるということがわかってきたのです。したがって、少食は、健康長寿の秘訣と断言しても間違いではないと確信できるようになったのです。
 すなわち「少食に病なし」であります。少食というのはなるべく動・植物の「いのち」を殺生しないという、愛と慈悲の具体的表現であるということもよくわかるようになってきました。この愛と慈悲の少食を実行する者に天は「すこやかに老いる」という幸せを与えたもうのであります。してみると、少食(正食)こそ健康生活の原点であると言えましょうか。
 さらに少食の実行で、二十一世紀の人類がぜひ克服しなければならない大問題、すなわち地球環境の汚染、それに世界の食料不足の危機などを解決することもできるということがよくわかってきました。
」(p.6)

ちょっと長かったのですが、「はじめに」に書かれているこの部分が、この本の結論です。もうすべてと言ってもいいでしょう。


筆者はこの五〇年余り前から、断食療法や少食療法の研究に全力を注いできましたが、その間、何万人というたくさんの患者さんたちに、断食・少食の指導を行なってまいりました。それら多数の臨床経験から「宿便」が万病のもとであることを確認できるようになったのです。
 その結果、認知症はもちろん、脳卒中や心筋梗塞、関節リウマチ、それにアトピー性皮膚炎なども宿便を完全に排泄することによって、予防もできるし、また根治もできると自信をもって言えるようになりました。
 中国の古い道書に「抱朴子(ほうぼくし)」という著書がありますが、その中に次のような小文がみられます。

 欲得長生腸中当清
 欲得不死腸中無滓

 これを意訳すると、「長生きをしたいと思ったら、腸の中はいつもキレイにしておかねばならない。不死を得ようと思ったら、腸の中に滓(かす)(宿便)を溜めていてはいけない」となります。
」(p.20 - 21)

ここも少し長く、また繰り返しになるのですが、具体的な病名と、甲田氏の考え方の根拠が表れているので引用しました。
「腹八分目で医者いらず。腹六分目で老いを忘れる。腹四分目で神に近づく」という水野南北の言葉もあるように、古今東西、昔から少食が健康に良いことは言われていました。しかしここで甲田氏が引用しているように、宿便が問題なのだという指摘は少ないかもしれません。


まるで麻薬中毒のようなものです。筆者はこれを「甘いもの中毒」と名づけていますが、この甘いもの中毒でいかほど苦しい思いをしてきたか。
 拙著に『白砂糖の害は恐ろしい』(人間医学社)という著書があります。この本の中で筆者が甘いもの中毒のため、いかほど苦しい思いをしてきたか、また、甘いもの中毒から抜け出すのがいかに難しいものなのかということを詳しく述べておきました。
」(p.27)

甲田氏も、白砂糖は中毒性があるという指摘を、実体験に基づいてされていたのですね。私は、すでに紹介しているように「白米中毒」などで、このことを知っていました。精製されたものには中毒性がある。心しておきたいものです。


食べものはじつは「いのち」であるのです。この大切な「いのち」を私たちは天からいただいて、生かされているのだということを、はっきり自覚しなければならないのです。
 このことが「食育」でのもっとも大切な基本とならねばなりません。
」(p.46)

1日30品目を食べましょうという指導がありますが、これは食べ物を栄養としてしか見ていないという指摘です。「いのち」と見れば、自ずと感謝の気持ちが起こります。

そして、自分の大切な「いのち」を犠牲にして私たちに捧げてくれた、動物や植物、つまり魚や肉、あるいは米や野菜などに、「ありがとうございます」、これからその「いのち」を「いただきます」という感謝のお祈りをしてから、箸を取っていただく。これが正しい食事作法というものです。」(p.46)

最近は、食前の「いただきます」を給食で指導するのをやめた学校もあるとか。私自身、忘れてやらないことが多いのですが、こういう「いのち」に対する感謝の気持ちは、持ち続けたいと思います。


冷え性の身体を温めるというのは、それで身体は冷えないけれども、冷え症は治らないのです。いや、温めれば温めるほど、冷えに弱い身体になってしまうのです。
 そこで、冷え性を治すには、冷える身体をむしろ積極的に冷やすという非合理的な方法を考え、それを実行する必要があるわけです。
 西式健康法の中にある、裸療法や温冷浴もその一つであります。
」(p.106)

私は冷え症ということでもありませんが、手足は冷たい方です。まあそれで苦痛ではないので、私はぜんぜん問題ないのですが、冷え症にこういう逆の対策が考えられるのですね。これは驚きでした。


そして、不思議なことに、一日数回もの下痢が何カ月間も続いているのに、断食中に大量の宿便が排泄されるという人も少なくありません。なんと不思議なことではありませんか。」(p.132)

これは潰瘍(かいよう)性大腸炎の治療で、3日間断食から始めて、慣れてくるにつれ10日間とか2週間の断食を行うという話の中で出てきます。下痢をするから宿便はないはず、ということにはならないのですね。


人間というものは、痛いところがあると自然と無意識的にそこへ手を当てるのです。
 これがまたたいへん気持ちがよいのです。「手当て療法」とはこのことかと、後日わかってきたわけです。
」(p.141)

手当て療法について触れているのはここだけですが、甲田氏も手当て療法の効能をよく知っておられたのですね。


白米めしは、胸やけが特にひどくなる。やはり白米ガユのほうが楽になります。ここでカユの効用を一つ覚えたわけです。
 ところで、玄米ガユで胸やけは楽になるが、痛みのほうはどうもあまりパッとしない。そこで今度は玄米を粉にして、玄米クリームにして食べてみると、胸やけもしなければ、痛みも出てこないではありませんか。
 「うん、これだ!」とわかったのです。
」(p.141)

これは胃・十二指腸潰瘍(かいよう)の治療の話です。玄米クリームというのは、玄米の粉末120gに水540ccを加えて煮て、クリーム状にして塩を加えたもの(1食分)を言います。胃や腸の病気には、これが一番いいそうです。


煮た野菜はどうか、これはあまりすすめられません。
 食物センイの多い野菜は胃にもよかろうと思われるでしょうが、やはり、胃の具合があまりよくないとわかるでしょう。
 野菜は煮てしまうと、少しアルカリ性になってしまうので、胃にはあまりよくないのです。
」(p.143)

これは胃下垂症・胃弱の治療で、玄米クリームのおかずに何が良いかという話です。甲田氏は、豆腐や白身魚のような消化に良いものを勧めています。


吸収されなかった食物の残りは全部「宿便」となって腹の中で腐り、それから猛毒が発生して体内へ吸収されるとなれば、それがいったいどのようなことになるか、よく考えてみてください。」(p.171)

いくら食べても太らないよう、吸収を阻害する薬をダイエットのために服用する人がいます。そういう人への警告です。
たしかに、問題が宿便にあるのであれば、吸収されるかどうかとはまた別のことなのです。食べ過ぎによって食物が腸内で渋滞を起こし、腸が拡張してそこに食物が溜まって腐敗発酵する。それが宿便と言われているのですから。


私たちは本来、やはり「神の子、神の分けみたま」であることは間違いございません。
 大宇宙の親神様の分身です。だから元来は光っているはずです(図4参照)。
 ところが、この本体にべっとりと厚く業想念が取り巻いているので、光るどころか曇ってしまい、いろいろな苦悩が現れ、それが不幸の原因となっているわけです。
 少食を実行しても、それがなかなかうまくゆかず食べすぎて失敗してしまうのも、貪欲という業想念に振りまわされてしまうからです。
 この業想念を浄化し、消え去るようにすれば、本来の「神の子」としての光明が現れ、本当に幸せな人生となってくるのです。
」(p.188)

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私たちが一方で「神の子」などと言われながら、もう一方で「罪根深重の凡夫」と言われる理由について、甲田氏はこのように考えるそうです。ですから、重要なのは「業想念」を浄化することで、そのためには「西式健康法の背腹運動」とともに「世界平和の祈り」が効果的だと言います。

この「世界平和の祈り」は、五井昌久氏によって作られたものだそうです。世界人類と日本の平和、人々の健康、幸せ、そして自分の業想念が浄化されること、すべての「いのち」が天命をまっとうすることを願います。その上で守護霊様、守護神様、大宇宙の親神様に感謝を捧げるという祈りです。

肉体の宿便を溜めないためには「腹七分目」の食事を行い、心の宿便(業想念)を浄化するには「背腹運動」と「世界平和の祈り」を行う。これを、甲田氏は勧めているのです。


その中で、平らな板の上に寝て、半円形の木枕を使用する。それに金魚運動、背腹運動のいずれも、背骨の狂いを治す効果があるのです。
 背骨の狂いは「万病のもと」といわれるほど、私たちの健康に大きな影響を及ぼすのです。
」(p.201)

西式健康法の紹介の部分です。四足歩行から二足歩行になったために、「必然的に背骨に狂いが生ずるようになった」と甲田氏は言います。ですから、常にこの狂いを直すようにする必要があり、これは人類の宿命だと言います。したがって、この西式健康法は、世界のすべての人が行う必要があるのだと言うのです。

う〜ん、これはどうかなぁというのが、私の正直な気持ちです。たしかに二足歩行によって無理が生じているのだと言われますけど、本当にそうでしょうか? そんな出来損ないを、神が創ったとは思えませんが。


それは病人が激減し医療費が大幅に、おそらく二〇兆円くらい節約できたとして、その金で補償費を出すということによいでしょう。」(p.221)

腹七分目の食事をみんなが実行するようになると、病人が激減し、食料品が売れなくなるため、食品製造企業、料理店、医療機関から反対運動が起こると甲田氏は言います。したがって、そうなった時は、減った医療費から補填してあげればいいと言うのですね。

う〜ん、これもちょっと賛同できない内容ですね。まず、仮に腹七分目運動が広まったとしても、そう急激に変化は起こらないでしょうから。それに、それらはもう必要ない産業なのですから、撤退してもらわないといけないのです。そこに補償費を出して存続させてどうするんですか。まったく無意味なことだと思います。

もちろん、すべての人が上手くいくよう考えたいという気持ちはわかります。しかし、変化によって不要になる産業というのは、必ず出てくるのです。レコードやビデオテープが無くなったように。


この他にも、世界の飢えている人々を救うのに「腹七分目」が役立つと言われてますが、これもちょっと違うように思います。食糧不足だから飢えている人が多いのではありませんから。貧困が原因です。仕事がないこと、経済が上手く回っていないことが原因です。実際、市場経済と関係が希薄な田舎では、飢えている人はそう多くはありません。

したがって、人口爆発による食糧危機に、「腹七分目」が解決策になるとは思えません。腹七分目であろうと、一定量を必要とするのであれば、それ以上に人工が増えれば同じことではありませんか。

まあそういうのは、甲田氏の本職ではないので、理論的な詰めが甘いのは仕方がないと思います。ただ、甲田氏が、このことで世界の問題を解決したいという気持ちを持たれていることは事実ですし、その思いそのものは尊重したいと思います。


たとえば三〇軒で一家に平均四人の家族が住んでいるとして、合計一二〇名の方が少食の実験に入る。
 これらの人々が少食生活に入ってから、どのように健康状態が変わるかを医学的に調べる必要があるわけです。
 健康になったとか、元気になったとかいってもそれはだめです。やはりだれがみてもはっきり納得できるようなデータをつくって、それを見せてあげることです。
」(p.224)

甲田氏は、全国に健康村を作って、そこで実験を行い、その成果をベースに政策として取り入れてもらうようにするのが良いと言います。そのためには、まずは一部の地域で20〜30軒程度の家を選び、実験をするのがいいと言われます。

この本を読んでいて、まったく数値が出てこない理由がわかったような気がしました。約50年間、数万人の人に対して断食療法や少食健康法を指導してこられたのに、科学的な検証はされてなかったのですね。だから改めてやらなければ他人を納得させられない。

最初に紹介した森さんなど、何人かの方については、その詳細がわかります。しかし、科学的に証明できるほどのデータは揃っていない、というのが現実なのでしょう。ちょっと残念ではありますが、ないものはしょうがありません。こういう実験を、ぜひやっていただきたいものだと思います。


私自身は、断食とか少食に、健康になるための効果があることは信じています。それは、不調の時に動物は食べずにじっとうずくまっている、ということからもわかるからです。また、人類も動物も、満腹という時はほとんどなく、空腹が常態化していて、身体はそれに適応しているということも、理屈でわかるからです。

なので、後はこれが科学的に証明され、世界の常識になればいいなと思っています。そして実際にそれが広まり、健康な人が増え、医療費が少なくなることも願っています。

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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:06 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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