2018年08月06日

心の扉を開く



フィンドホーンという共同体を創り、スピリチュアルな生き方を提唱されたアイリーン・キャディさんの本を読みました。レイキの仲間で、Facebookにこの本の言葉を紹介されてる方がおられたので、それを見て興味を持って、買ってみたのです。

随分前に購入したのですが、いろいろあって読むのがのびのびになっていました。内容について、だいたい知ってることだなと感じていたのも、遅れた理由の1つですけどね。

この本は、1ページに1つのテーマで、アイリーンさんの言葉を紹介しています。ちょうど1年で読めるように、月日が振り当てられています。月ごとのテーマに、特に関連性はないようです。また、似たような内容も多いです。

翻訳は、スピリチュアル界の大御所でもある山川紘矢氏と、川瀬勝氏羽成行央氏の3人です。3人が4ヶ月ごとに翻訳を担当されたとか。それぞれの思いで表現された言葉そのままで、3人の書き方の調整はしてないそうです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

過去のあやまちを、くよくよ考えて時間をむだにしてはいけません。過去からは、ただ学ぶべきことだけを学んで、先へ進み、人生をエンジョイしなさい。そしてあらゆるものにたえず感謝をささげなさい。」(1・21 p.26)

1月21日の「素晴らしい人生に感謝しなさい」というタイトルの文章です。感謝を捧げることがテーマなのですが、いつまでも過去にとらわれていてはいけない、という内容に注目しました。「神との対話」でも、罪悪感は敵だと言っていますから。


手を休めてわたしの言葉を待ち望むことは、どんなに困難な状況をも解決する、秘密の鍵なのです。あなたはなぜ、それを証明してみようとはしないのですか。なぜ、それを実行に移して成果を確かめようとはしないのですか。どんなにすばらしい考えも、実際に試みてみるまでは、たんなる理論にすぎません。」(3・4 p.71)

「神との対話」でも、自分の人生でそこに書かれていることを証明するよう言っています。アイリーンさんも、自分の中にいる神の言葉を聞き、それに従うように言われています。そして、それを行動に移して、その素晴らしさを証明せよと言われるのです。


あなたの仕事は新しい世界を創ることです。ですから、個人の悩みごとやトラブルにかかずらわっていてはいけません。病気や苦しみ、世の中のもめごとや争いに心を奪われていてはいけません。」(3・14 p.81)

個人の悩みごとやトラブルだけでなく、世間のもめごとや争いさえ、無視しろと言います。たとえば、北朝鮮がどうしたとか、自民党がどうだとか、そんなことは放っておけと言うのです。実際、スピリチュアル的な考え方がわかってくると、こうあるべきだなと思えてきます。ついついとらわれてしまうので、自戒を込めて引用しました。


あなたの中に競争意識を住まわせないようにしなさい。すべての人がそれぞれの役割をになって全体に奉仕していることを悟れば、競争心はすっかり消えて、あなたはリラックスし、自分自身になることができるのです。
(中略)
あなたには、全体の中で果たさなければならない独自の役割があるのです。あなたの能力を最大限に発揮して、その役割を果たしなさい。
(中略)
あなたは、わたしと一体であることを受け入れられたときはじめて、あなたがたがお互いどうし一体であることを受け入れられるのです。」(3・16 p.83)

神と一体であること、全体が一体であることを、アイリーンさんも語っています。それぞれに異なる役割があるのですから、競争する必要もないし、価値の軽重を比べる必要もありません。


生活をできるかぎり単純にし、単純なものの美しさと、すばらしさを充分に味わいなさい。
(中略)
幼な子のようになって、一見なんの意味もない日常のささやかなことに、美しさとすばらしさを発見し、楽しめるようになりなさい。花の美しさ、小鳥のさえずり、日の出の荘厳な眺め、窓のガラスをゆっくりと流れ落ちる雨のしずく。ほんとうにものを見る目で眺めたとき、それはなんと単純で、しかも、なんと美しいことでしょう!」(3・29 p.96)

シンプルライフの勧めです。単純にすることで、本質的な美しさが浮き彫りにされます。そして、そういう美しさ、素晴らしさに気づく生き方が、スピリチュアルな生き方として重要なのですね。


愛は、けっして所有することではありません。愛は、愛する人たちを解き放つものです。所有欲に駆られていては、相手を助けることなどかないません。すべての人には、自分自身を見つけ、わたしが導いていくそれぞれの人生を生きるという、完璧な自由がなければいけないからです。」(5・2 p.133)

愛が所有ではなく、相手を解き放ち、自由であることを、アイリーンさんも言っています。


わたしを真に愛し、すべてにおいてわたしを第一に考える人たちにとっては、すべてがうまくいくのだということを世界に示してあげてはどうでしょうか。奇跡がつぎつぎと起きるのを予期して、それが実現するのを目にしましょう。」(7・2 p.197)

ここでも試してみるように言っています。神を第一に考えるなら、すべて上手く行く。しかも奇跡が次々に起こるから、それを期待して、現実のものにしようと言います。これは勇気を与えられますね。


現在の世界にある、多くの混沌と混乱に対する答えを求めている人がたくさんいます。日一日と、それは悪化しています。でも恐れることはありません。ものごとが良い方向に向かうためには、まず悪くなる必要があるからです。
(中略)
憎しみ、強欲、嫉妬や、利己主義などの毒が排出され、癒しが起こる前に、世界の状況は、まず大きく「腫れて」、最悪の状態まで至らねばならないのです。あなたには、内面が完全なやすらぎの状態でいてもらわなくてはなりません。
(中略)
自分が巻き込まれるのを許してしまっては、世界の状況を救うことはできないのです。」(7・16 p.211)

ここでも、世間のことを心配するなと言っています。それどころか、環境問題とか世界情勢など、悪い方向に向かう必要があるのだから、それを恐れずに内面の平和を保つように言います。逆説的ですが、世界を救うにはまず自分を救うこと。自分が安心していなかったら、世界は救えないのです。


自然に振る舞い、直観で行動することを学びなさい。それが妥当であり分別ある選択だとあなたの理性が言うことだけでなく、心の命ずるままを行うことを学びなさい。純粋な愛だけの行為は、他の人の目から見れば、あまりに妥当性を欠き、ばからしいとさえ映ることもあるかもしれませんが、それはどうでもいいことです。つき動かされたなら、すぐに行動しなさい。立ち止まって天秤にかけてはいけません。なぜそれをするのか考えたりすることさえしてはいけないのです。」(8・2 p.229)

直観で動くこと。理性にじゃまさせないこと。そのためにも、思い立ったらすぐに行動すること。「神との対話」でも、理性を黙らせるよう言っていますね。


自然な形ではなく、意図的に誰かを愛そうとするのは、最初から負けがわかっている戦いのようなものです。
(中略)
霊(たましい)が成長し、わたしの神なる愛の意味がわかるにつれて、普遍の愛の意味もわかってきます。とくに努力を傾けることなく、ごく自然にそれが花開いていくのに任せなさい。もっと愛したいという深い内面の切望だけがあればいいのです。」(8・15 p.242)

無理して愛そうとすると、それは愛からかけ離れてしまいます。愛は自然に流れるものですから。ただ、本当の愛でありたいという思いだけ持っていれば、それでいいと言うのです。


あなたには与えるものがたくさんありますが、与えるということについてあまり考えないほうがうまくいく、ということがわかるでしょう。人のことを考え、人のために生き、人に尽くすために自分のことはすべて忘れて、人生から何かを得ようなどと考えもしないようになればなるほど、もっと幸せになれるのです。
(中略)
与えるときには気前よく与えなさい。そのせいで何か足りなくなることなどけっして恐れてはいけません。それを恐れているなら、真の意味で与えているのではないのです。」(8・25 p.252)

「与えている」という意識が強いと、かえって「無くなるのでは?」という不安が強くなります。だから、与えているとも思わず、無くなることを気にせず、気前よく与えよと言うのですね。恐れなければ足りなくなることはないのだと。なかなか難しいかもしれませんが、これもまた挑戦ですね。


もし、世界に平和と調和をもたらしたいと望むならば、まず最初に、自分の心に平和と調和を見つけなさい。平和についていろいろ議論を戦わすことは時間のむだです。ただ平和を求め、平和を発見し、平和になることが必要です。心が平和になった時、あなたは多くの人々の人生に平和と調和をもたらします。」(9・2 p.261)

前にもありましたが、世間がどうのこうのと心配する以前に、自分の心に平和を築くことが重要なのです。「平和のために戦うぞー!」なんてのは、ナンセンス極まりないってことですね。マザー・テレサさんが、反戦集会には参加しなくても、平和集会には参加したいと言われた意味が、これでもわかるかと思います。


すべてを正すための第一歩は、あなた自身の中にあります。それはあなたが、日々接する人びととの個人的な関係を改善することから始まります。あなたとうまくゆかない人々をあげつらい批判することはやめましょう。」(9.12 p.271)

これは、私への警句です。自分と意見が違う人を糾弾することは、分離を認め、広めることになります。すべての問題の根源は、自分自身の中にあるのだと認めること。自分の心を治めなければ、世界の平和はないのです。


私を知るためには、心の中に愛を持たなくてはなりません。なぜなら、愛がなければ、私を知ることはできないからです。
(中略)
ただ愛し、その費用のことは考えてはなりません。けっして報酬を求めてはなりません。愛を与えすぎることはありません。だから恐れることなく、あなたが行きづまっている時でさえ、愛の流れをとめないようにしなさい。人生が大変な時、人は心を閉じて、傷つかないように身をひいてしまうものです。でも、そうしないでください。そうすれば、もっと苦しくなり、こわれやすくなるだけです。」(9・17 p.276)

ここでも、恐れることなく与えること、それが愛だと知り、実践することを求めています。無条件に与え、報酬すら求めないこと。それでも行き詰まることはないから恐れるな。それを人生で証明せよということなのでしょうね。


多くの人々は、まわりのものすべてに目を閉じたまま、一生を過ごし、自然の奇跡も目に入りません。つまり、人生の奇跡を見そこなってしまうのです。あなたが美しさ、調和、平和、のどけさをまわりの小さなものたちの中に気づくようになると、その気づきはどんどん深まって、人生のすべてが不思議の国になり、あなたは子供のように起こることすべてに、目を見開いて人生を歩むようになります。そして最もすばらしいことが起こることを期待するようになり、しかも、それを実際に引き起こしてしまいます。人生にいっときもたいくつすることはありません。なにごとも、当然のこととして受けとめなくなり、すべてに感謝できるようになります。」(11・4 p.327)

奇跡は、日々、瞬間瞬間に起こっています。ただ、そう見ない人が多いだけで。たとえば、蒔いた種から芽が出るのだって、どうして「当たり前」と言えるのでしょう? 眼の前のものが見えるのは、「当たり前」でしょうか? それらを「当たり前」だと考える人は、奇跡を信じません。だから感謝できないのです。「当たり前」の反対が「有り難い(=奇跡)」ですから。


人生において一番大切なレッスンは愛を学ぶことです。
(中略)
愛は不変で、しかも全体なのです。愛に限界はありません。愛に壁はありません。愛と共に自由があります。人をしばりつけ、限界づけているのはおそれです。」(11・16 p.339)

ここも愛の定義ですが、愛は自由であること、その反対は恐れ(不安)であることが示されています。これは「神との対話」で示されていることそのものですね。


あなたの安心が、銀行の貯蓄に頼っていて、好きな時にそのお金が引き出せる時、信仰によって生きることについて語っても、意味のないことです。あなたの信仰と安心が真に私に根ざし、地についた時、あなたは何も持たなくても、高い崖のふちから飛び降りることができ、不可能と思えることが可能となります。その時初めて、あなたは信仰に生きることについて語り、証明することができるのです。」(11・21 p.344)

自分の身を安全な(と思われる)状態に置いて、信仰を証明することは不可能だと言います。何もない状態で、つまり背水の陣を敷いて、それでも断崖絶壁から平然と飛び降りることができる。そのことによってのみ、信仰を証明できるのです。これは、この世にどっぷりと浸かった人としてはハードルが高いのですが、そこまでしてでも神の奇跡の証(あかし)を立てよ、ということなのだろうと思いました。


今日一日のペースを決めるために、朝起きたらすぐ、一日の雑事にまきこまれる前に、静かにすわり、神と同調する時間を保つ練習をしましょう。
(中略)
それらを愛とインスピレーションで満たし、今日一日は最高のものとなるという期待で心をいっぱいにしましょう。」(12・9 p.364)

昨年亡くなった母の誕生日のメッセージですから、きっと何か意味があるのでしょう。私は、瞑想するというのは、どうにも性に合いません。これまで何度もやろうとしましたが、そのたびに続かなかったのです。ですが、「朝」、「神と同調する」ということは、心がけたいと思います。そのことを忘れないために、引用しておきました。


この本は、「神との対話」とは違い、「なぜそうなのか?」という疑問には答えてくれません。ただ、自分の中に神があり、その思いにしたがって生きるべきだということ、そうすればすべては上手く行くということが、言葉を変えて示されています。

すでに信仰を持っている人にとって、こういう言葉は励みになるでしょうね。私もそう感じました。でも、まだそういうことがわかっていない人にとっては、あまり力にならないかもしれません。

ただ、そうであったとしても、ここに書かれた言葉の中の1つに感応し、そこから信仰が深まることもあり得ます。あんなにわけがわからない聖書でさえ、多くの人を引き寄せたのですから。

そういう意味で、この本もまた、それに感応する人であれば、それなりに意味があるのだろうと思います。ここには私が感応した言葉を引用しましたが、それで何かピンとくるものがあれば、ぜひ本を手にとって読んでみてくださいね。

心の扉を開く
 
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2018年08月07日

神との友情・上下(目次)

「「神との対話」シリーズを読む」というメルマガをまぐまぐで発行しています。
過去ログを読めるのですが、順番にしか読めないので、こちらにリンクを貼って目次を作っておきます。
(※章、ページは単行本をもとにしています。またページは、メルマガに出てくる最も大きいページですが、メルマガで紹介する都合上、ページが前後する場合もあります。参考程度にご覧ください。)

また、露骨な性描写を含むような時は、メルマガのタイトルに「(18禁)」とつけます。
もしそういう内容は読みたくない方は、それを目印にしてください。

それからこちらで、過去ログ内の検索もできます。
 


どうぞ、ご利用ください。


「神との友情・上下」

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「神との対話」シリーズの書籍紹介は、リンク先のページをご覧ください。

●上 第2章
01「幻想を打ち砕くことが使命」
 (2018年8月1日)1回目(〜上 p.31)
02「神と友情を結ぶ出発点」
 (2018年8月2日)2回目(〜上 p.49)

●上 第3章
03「恐れない勇気が重要」
 (2018年8月3日)1回目(〜上 p.64)
04「真の友情は壊れず役に立つ」
 (2018年8月6日)2回目(〜上 p.73)

●上 第4章
05「友情を結ぶ7つのステップ」
 (2018年8月7日)1回目(〜上 p.81)

●上 第5章
06「ステップ1:神を知ること」
 (2018年8月8日)1回目(〜上 p.84)
07「神を知るには意志が重要」
 (2018年8月9日)2回目(〜上 p.87)
08「身体をチェックする」
 (2018年8月10日)3回目(〜上 p.94)
09「まず自己と友情を結ぶ」
 (2018年8月13日)4回目(〜上 p.100)
10「真の自分でないもの」
 (2018年8月14日)5回目(〜上 p.107)
11「真の自分は自分が決める」
 (2018年8月15日)6回目(〜上 p.111)
12「罪悪感を捨てるのがカギ」
 (2018年8月16日)7回目(〜上 p.117)

●上 第6章
13「ステップ2:神を信じること」
 (2018年8月17日)1回目(〜上 p.134)
14「意図と期待や要求は違う」
 (2018年8月20日)2回目(〜上 p.136)
15「引き寄せが上手くいかない理由」
 (2018年8月21日)3回目(〜上 p.142)
16「経験の三つの段階」
 (2018年8月22日)4回目(〜上 p.146)
17「問題は自動的に解決される」
 (2018年8月23日)5回目(〜上 p.147)

●上 第7章
18「脅すことは教育か?」
 (2018年8月24日)1回目(〜上 p.158)
19「神は指示しない」
 (2018年8月27日)2回目(〜上 p.169)
20「神の栄光を表現せよ」
 (2018年8月28日)3回目(〜上 p.181)
21「他よりすぐれた民はいない」
 (2018年8月29日)4回目(〜上 p.183)
22「純粋な真の愛は誰も傷つけない」
 (2018年8月30日)5回目(〜上 p.188)

●上 第8章
23「ステップ3:神を愛すること」
 (2018年8月31日)1回目(〜上 p.193)
24「幸せのために必要なものはない」
 (2018年9月3日)2回目(〜上 p.198)
25「内側に入るということ」
 (2018年9月4日)3回目(〜上 p.200)
26「期待は自由を損なう」
 (2018年9月5日)4回目(〜上 p.203)
27「嫉妬が人を殺す」
 (2018年9月6日)5回目(〜上 p.206)
28「神はすべてを平等に愛する」
 (2018年9月7日)6回目(〜上 p.210)
29「自分に真実であること」
 (2018年9月10日)7回目(〜上 p.213)
30「自由が私たちの本質」
 (2018年9月11日)8回目(〜上 p.217)
31「関係は終わらない」
 (2018年9月12日)9回目(〜上 p.219)

●上 第9章
32「すべての関係が祝福だ」
 (2018年9月13日)1回目(〜上 p.223)
33「理性を止めなさい」
 (2018年9月14日)2回目(〜上 p.228)
34「「在り方」を選べばよい」
 (2018年9月17日)3回目(〜上 p.232)
35「思考から離れることで目覚める」
 (2018年9月18日)4回目(〜上 p.235)
36「思考を止めてみる」
 (2018年9月19日)5回目(〜上 p.238)
37「ステップ4:神を抱きしめること」
 (2018年9月20日)6回目(〜上 p.244)
38「すべての対象と友だちになる」
 (2018年9月21日)7回目(〜上 p.246)

●上 第10章
39「すべては完璧で偶然はない」
 (2018年9月24日)1回目(〜上 p.261)
40「もし神が人を利用するとしたら」
 (2018年9月25日)2回目(〜上 p.266)
41「ステップ5:神を利用すること」
 (2018年9月26日)3回目(〜上 p.269)

●下 第11章
42「ステップ6:神を助けること」
 (2018年9月27日)1回目(〜下 p.11)
43「純粋な愛を活用する」
 (2018年9月28日)2回目(〜下 p.17)

●下 第12章
44「ステップ7:神に感謝すること」
 (2018年10月1日)1回目(〜下 p.29)
45「思考より速い創造」
 (2018年10月2日)2回目(〜下 p.31)
46「創造についての新しい理解」
 (2018年10月3日)3回目(〜下 p.35)
47「七つのステップをひっくり返す」
 (2018年10月4日)4回目(〜下 p.38)

●下 第13章
48「魂は喜びだ」
 (2018年10月5日)1回目(〜下 p.45)
49「他者の喜びを引き出す」
 (2018年10月8日)2回目(〜下 p.56)

●下 第14章
50「孤独はあり得ないと知ること」
 (2018年10月9日)1回目(〜下 p.76)
51「一体であることが喜び」
 (2018年10月10日)2回目(〜下 p.78)
52「メッセンジャーとして生きる」
 (2018年10月11日)3回目(〜下 p.83)

●下 第15章
53「神の第二の姿勢は全面的な愛」
 (2018年10月12日)1回目(〜下 p.88)
54「全面的な愛は自然」
 (2018年10月15日)2回目(〜下 p.99)
55「全面的な愛とは全面的な自由だ」
 (2018年10月16日)3回目(〜下 p.102)
56「子どもに自分で選択させる」
 (2018年10月17日)4回目(〜下 p.105)
57「愛なら何をするか?」
 (2018年10月18日)5回目(〜下 p.107)

 
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2018年08月14日

道ありき

 

久しぶりに三浦綾子さんの小説を読みました。もう30年ぶりくらいになるでしょうか。たしか「氷点」「塩狩峠」を以前は読んだのだと思います。「塩狩峠」は映画かドラマで観ただけかもしれません。記憶があいまいです。

この小説を読もうと思ったのは、友人がFacebookで三浦さんの言葉を紹介されていて、その言葉に真理を感じたので興味を持ったのです。三浦さんはクリスチャンですが、一般的な教会の教えを超えた真理に気づいておられるのかもしれない、そう思いました。それでその友人に、お勧めの本を紹介してもらったのです。

「道ありき」で検索すると、数冊出てきました。同じタイトルで単行本と文庫本があり、一方には「青春編」とありました。それで私は、同じタイトルで「青春編」とオリジナルの2冊があるのだと勘違いし、両方を買ってしまいました。届いてから見ると、どちらにも「青春編」と書かれていて、実は同じ小説だったようです。

ただ、単行本には、文庫本にない「太陽は再び没せず」という短編が収められていました。これは、三浦さんがデビューするきっかけになった小説だそうです。私が生まれた年でもある1961年に雑誌「主婦の友」が募集した「婦人の書いた実話」に林田律子のペンネームで応募し、当選した作品で、「道ありき」の原型になっています。

文庫本には、単行本にない解説が収められていて、どちらを読んでもそれぞれに楽しめるかと思います。また、この「道ありき」には続編が2冊あるようで、それらも文庫本で購入しました。これから読むのを楽しみにしています。


ではさっそく一部を引用して、内容を紹介します。
その前に、これは小説ですから、あらすじを簡単に紹介しましょう。

ここに書かれているのは、三浦さんの青春時代の実話のようです。
小学校教師として勤めていた三浦さんは、終戦後に退職します。価値観の大きな転換に接して、教えるということができなくなったのです。

その後、結核に罹ります。さらにそれは脊椎カリエスとなり、寝たきりの状態にまでなります。そんな中で、素敵な男性(前川正)と巡り会い、その人がクリスチャンだったこともあって聖書を読むようになり、様々な経験を経て、洗礼を受けることになります。

出会った男性も結核で、先に亡くなってしまいます。そんな傷心の時に、その男性とそっくりの別の男性(三浦光世)と出会います。その男性もまた素晴らしく魅力的な人で、三浦さんは惹かれていくのです。そして長年の闘病生活の後、三浦さんの病気は治り、その男性と結婚します。

小説には、ここまでの様々な出来事や三浦さんの思いが、交わした手紙や、その時に詠んだ短歌などとともに書かれています。

三浦さんはご自身を「美しくない」と言われていますが、多くの男性を惹き付ける魅力があったことは間違いないようです。病気で寝たきりでありながら、愛を語る男性が他にも何人かおられたとのことですから。

このようにあらすじを書くと、女性からすると嫌味な感じに受け取られるかもしれません。ただ、この小説が語る本質的な部分は、そういうところにあるのではなく、三浦さんの様々な気付きにあると感じています。真理を感じ取る三浦さんの感性は、本当に素晴らしいものがあると思うのです。


生きる気力もなく、タバコを吸おうとする三浦さんを、前川正は止めようとします。しかし、三浦さんを責めるのではなく、自分の足に石を打ちつけることで、自分の不甲斐なさ、信仰の薄さを責めたのです。自分の命を捧げてもいいから三浦さんの病気が治るようにと祈る。そんな男性が、三浦さんの側にいたのですね。

いつの間にかわたしは泣いていた。久しぶりに流す、人間らしい涙であった。」(p.90)

そう述懐されているように、それまでの三浦さんは荒んだ心でいたのです。

自分を責めて、自分の身に石打つ姿の背後に、わたしはかつて知らなかった光を見たような気がした。彼の背後にある不思議な光は何だろうと、わたしは思った。それは、あるいはキリスト教ではないかと思いながら、わたしを女としてではなく、人間として、人格として愛してくれたこの人の信じるキリストを、わたしはわたしなりに尋ね求めたいと思った。」(p.90 - 91)

しかし、信じて子どもたちに教えていたことが、一夜にして引っくり返されたことを経験している三浦さんです。それなのにまた何かを信じるということは、愚かなことだとも感じられました。けれども、自らを石打つ彼の姿に、三浦さんは、その愛を信じてみようという気持ちになるのです。


虚無は、この世のすべてのものを否定するむなしい考え方であり、ついには自分自身をも否定することになるわけだが、そこまで追いつめられた時に、何かが開けるということを、伝道の書にわたしは感じた。」(p.106)

釈迦も同じように人生に虚しさを感じて、出家を選んだと三浦さんは言います。ご自身も、敗戦によって信じていたものが打ち砕かれ、虚しさの中に生きていました。そういう虚しさの極限まで行った時、通じるものがある。三浦さんはそのことを感じて、まじめに求めるようになっていったのです。


わたしは、男性の、わたしへの愛の言葉を、幼子がおとぎ話を聞くような、熱心さと、まじめさと、興味とあこがれをもって聞いたのです。なぜなら、男が女を愛すること、女が男を愛することは、わたしにとって大切な問題であったからです。」(p.116)

女に「魂」の生活があるってことを知らない男性たちが、何と多いことでしょう。」(p.117)

三浦さんには多くの取り巻き男性がいたことで、他の女性からは「妖婦(ヴァンプ)」と噂されていたそうです。三浦さんは、心から興味を持って男性の話を聞いたのでしょうね。その聞き上手な態度が、男性を惹きつけたのでしょう。わかる気がします。

しかし、三浦さんは男性の軽薄な愛の言葉に惹かれることはなかったようです。そういったものへの興味はまったくなく、心から魂の救いを求めていたように感じます。


いま生きたいと思っていることも、確かにそれはわたしの願いであり意志であるはずなのに、何とわたしたち人間の意志は、簡単にふみにじられることだろう。
 そう考えてくると、わたしはこの世に、自分の意志よりも更に強固な、大きな意志のあることを感ぜずにはいられなかった。
」(p.123)

自殺しようとしても死ねなかった。生きたいと思っても死んでしまう。そういう重大なことだけでなく、日常生活においてさえ、私たちの計画(意志)は、その思い通りにはなりません。三浦さんはそこに、絶対者である神の存在を感じられたそうです。


人間は、見たところしあわせそうに見えたとしても、必ずしもしあわせとは言えませんからね。」(p.147)

ひょっとしたらあの看護婦さんは、昨日縁談がこわれたかもしれない、と恋人の前川正は言います。たしかに、その人にどんな事情があるかは、その人しかわかりません。そしてその事情を、その人がどう捉えているのかも。

だからね、断定的にあの人たちは幸福だなどと、羨ましがってはいけませんよ。言えることは、いまぼくは、綾ちゃんと二人でこの芝生を歩いているだけで、じゅうぶんしあわせだということですよ」(p.147)

こんなことを語ってくれる素敵な男性が、三浦さんの恋人だったのですね。


ほんとうに人を愛するということは、その人が一人でいても、生きていけるようにしてあげることだと思った。」(p.179)

親が子を愛することも、男が女を愛することも、相手を精神的に自立せしめるということが、ほんとうの愛なのかもしれない。「あなたなしでは生きることができない」などと言ううちは、まだ真の愛のきびしさを知らないということになるのだろうか。」(p.179)

親子の間だけでなく男女においても、依存させることではなく自立させることが本当の愛。そういう真理に、三浦さんは気づかれたのですね。


人の見舞物も、この太陽の光と同じように、わたしに降りそそぐ人間の愛ではないだろうかと思った。人の愛を受けるのに必要なのは、素直に感謝して受けるということではないだろうか。」(p.182)

西村という人が見舞物を持って来た時、三浦さんは断ったそうです。すると西村は、太陽の光を受けるのに、どっちから受けるかなどとしゃちほこばって受けるか?と言うのです。

そう言われてみると、太陽の光は礼を言うこともなく平気で受け取っています。天の愛を、そのように何の気兼ねもせずに受け取るのなら、人の愛も同じではないか。そう三浦さんは思われたのです。


だが、翌日訪ねて来た彼の顔を見ると、わたしは、別段何の悪いこともしていないのだと思ってしまうのであった。彼は彼で妻を愛し、わたしはわたしで前川正を愛している。その二人が、こうしてつきあっているからと言って、なぜ悪いのかと開きなおる気持ちがわたしの中にあった。」(p.192)

入院中、同室の女性がご主人のことを話したそうです。ご主人は、会社の女の子とよくコーヒーを飲みに行っているのだとか。何もないと言うらしいのですが、そう言われても仲良くしている姿を想像すると嫌でたまらないのだと。それを聞いた三浦さんは、同情して相槌を打ったそうです。

もし自分が彼女と同じだったら、と考えたのです。三浦さんの恋人が他の女の子と親しくしていたら・・・と。ところがその時、三浦さんはかつての婚約者の見舞いを受けていました。その婚約者はすでに結婚しています。これは同じことではなかろうかと思われたのですね。

それでも、自分の立場からすると悪いことをしているとは思えない。もし恋人がそのことを悩むなら、くだらないと笑い飛ばしたくなる。まさに相談してきた女性の夫と同じなのです。

人は、それぞれの立場で感じ方や考え方が違います。どっちが正しいわけではなく、それぞれに正しさがあるのですね。


神の御計画が、人間のわたしにわかるわけがなかった。しかし神が愛の方である以上、前川正の死は、それなりに神の定めた時であり、最もよしとした終わりであったにちがいない。わたしはそう思うようになって行った。」(p.251)

早すぎる恋人の死を嘆き、神に不満を言っていた三浦さんですが、ある時、自分の態度が間違っていたと気づかれたのです。神が愛であり、正しい方であるなら、間違ったことをされるはずがない。そうであるなら、今の自分には理解できないとしても、恋人の死は、最も良い時に、最も良いこととしてなされたことに違いないのだと。

「神との対話」でも、このことは示されています。だからマスターは、起こったことをすべて「好ましい」として受け入れるのです。


どんなにわたしが彼を愛していたところで、神がわたしに彼を与えてくださらないのなら、それもまた仕方のないことだと思った。この頃からわたしは「必要なものは必ず神が与え給う。与えられないのは、不必要だという証拠である」と信ずるようになって行った。わたしは以前ほどあくせくしなくなった。」(p.285)

旧約聖書のヨナ書の話を聞いて、三浦さんは信仰を深められたそうです。後に結婚された男性との関係で悩んでおられたのですが、このことから執着せずにいられるようになったのだとか。

これも「神との対話」に示されていることでもあります。起こることが良いことなら、何が起こるか、起こらないのかと、いちいち気にする必要はないのです。


この小説は、三浦さんの人生に実際に起こったことです。事実は小説より奇なりと言いますが、まさにそうですね。
三浦さんがどういう出来事を通して信仰を深めて行かれたのか、そのことがよくわかります。小説と言うより、三浦さんの信仰の歴史であり、告白であるように思いました。

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2018年08月15日

なでしこ歴史物語



博多の歴女、白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの本を読みました。今年、白駒さんが主催する兄貴を訪ねるバリ島ツアーでお会いさせていただいたので、とても親しみを感じる著者の1人です。今回は、女性の視点から日本の歴史上の女性にフォーカスした内容です。

面白いのは、歴史(History)は彼の(His)物語(Story)だから、基本的には男性中心なのだと言われているところ。指摘されてみると、たしかにそうですね。そんな中でも、女性が表舞台に登場することはままあります。しかし白駒さんは、表舞台に登場する女性というより、女性らしい活躍をした女性に魅力を感じ、それを「なでしこ」と呼んで取り上げています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

この時、私は気づきました。人間には二種類の悩みがあることに。一つは”過去”に対する後悔。もう一つは”未来”への不安です。この二つに縛られている限り悩みは尽きず、”今”は輝きません。子規や先人たちがそうであったように。過去も未来も手放して、いつでも”今”を懸命に生きる。そうすれば、たとえ後悔するような過去でも、その過去のおかげで今があると感謝できます。未来だって、天がベストなものを用意してくれていると、安心できるはずです。”今”に生きること、そして人と自分を比べたり、人からどう思われているかを気にしたりせずに、”ここ”に集中すること。それが、命を輝かせることにつながるのです。」(p.6)

白駒さんは、子宮頸ガンが肺に転移し、医者からもさじを投げられた状態になったことがありました。その時、脊椎カリエスで苦しんだ正岡子規の姿が目に浮かび、子規のように死の瞬間まで平然と生きようと腹をくくったそうです。それによって心が落ち着き、不安なく夜も眠れるようになったとか。

仏教ではこれを「前後際断」と言います。過去がどうであれ未来がどうであれ、それは完璧なのだと信じて受け入れ、今ここに意識を集中する。そういう生き方をすれば、過去に感謝できるようになると白駒さんは言います。その過去は歴史もそうで、そういう目で歴史を見るなら、歴史が輝き出すのだと。ここで紹介する内容は、白駒さんがそういう目で見て、輝いて見えたエピソードなのですね。


幸せになりたいと願う女性の多くは「こんな相手なら」という枠を作り、条件に適った人を探し続ける傾向があります。
 でも残念ですが、それでは相手に依存しながら幸せをつかむようなもの。どんなに大恋愛の末に結ばれたカップルでも、互いの依存心が強ければ、どうしても相手のあら探しになっていくものです。
 きっとお市の方には分かっていたんですね。幸せは、自分自身が生み出すもの、もらうことより与えることのほうが尊いと。
」(p.27)

織田信長の妹、お市の方は、時代に翻弄された薄幸な女性というイメージもありますが、白駒さんは別の見方をされます。起きる出来事を受け入れ、その中で自分らしく積極的に生きようとした。そういう強さがあり、傍目とは別に幸せな人生ではなかったかと。


いったい、慶はどんな思いで彼らを庇護(ひご)したのでしょうか。彼女の心意気を示す、こんな言葉が残っています。
 「田地田畑を買いこんでも、うちの場合は人任せにしてただ寝かせておくだけでしょ。それではお金に申しわけなかと思うとよ。そんなお金があれば、うちはこれと見込んだ人たちに使うてみたか。その人たちがうちのお金で、何かうちにできん仕事ばしてくれる。それを思うと楽しかとよ。だいいち世間さまへの恩返しにもなるでっしょ」
」(p.42)

嬉野茶(うれしのちゃ)の輸出で莫大な富を手に入れた大浦慶は、その私財で幕末の志士たちを支援したそうです。しかし明治になると、詐欺にひかかって財産を失います。けれども慶は、出世したかつての志士たちに何一つ要求せず、恩に着せることもなかったとか。

不遇な最後とも言えますが、白駒さんは、慶はきっと晴れやかな気持ちではなかったかと想像します。支援した志士たちの活躍によって、明治維新が成し遂げられたのですから。


でも、成長するに伴い、この祖母の言葉には、もう一つの意味があることに気づきました。「どんな時でも、お天道様が見守ってくれている。だから安心して自分の道を歩んでいきなさい」という励ましの意味です。そのことに気づいてから、私は人知を超えた大いなる存在に、なんとなく信頼を寄せるようになりました。それからというもの、たとえ思いどおりにいかなくても、「天が導いてくれるから大丈夫」と、いつも前向きで、安心していられるようになったんですね。」(p.99)

NHK連続テレビ小説「あさが来た」のモデル、広岡浅子は七転び八起きを超える「九転十起生」を座右の銘として生き、襲いかかるピンチを乗り越えてきた人です。彼女の人生を紹介しながら白駒さんは、ご自身のお祖母様の「どんな時もお天道様が見ているからね」という言葉にまつわるエピソードを紹介されます。

白駒さんは、「大丈夫、思い通りにはいっていないけど、きっとうまくはいっているはず」と思うことの重要性を説きます。人が思う「思い通り」は、必ずしも最善ではありません。それよりも大いなるものにお任せして、最善のことが行われているのだと信じる。浅子の生き方は、そういうものだったのだろうと白駒さんは言うのです。


篤姫は大奥の女性を率いて城内を掃き清め、磨き上げた状態で新政府軍に引き渡しました。「敵に明け渡すのだから、汚れた状態でもいいじゃないか」とは考えないのです。私はそこに、日本の一時代を牽引した徳川家の人間としての矜持(きょうじ)を、感じずにはいられません。
 私が歴史物語に触れるたびに思うのは、”美しい生き方”を遺した日本人がいかに多いかということ。美しい生き方を遺すことは、莫大な資産や強大な組織を遺すよりも、価値が高いと思います。
」(p.113)

私もNHK大河ドラマ「篤姫」を観て感動しました。私の名前と同じ漢字ということや、主演の宮崎あおいさんが魅力的だということもあって、このドラマは毎回欠かさず観ました。

白駒さんも紹介しているように、このドラマでは架空の養育係の老女の心に残るセリフがあります。「女の道は一本道にございます。定めに背き、引き返すは恥にございます−−」今、ここに、こういう状態でいるということは、定め(運命)なのです。それに抗うのではなく、受け入れて、その中で自分の最善を尽くす。美しく生きる。そういう生き方を遺すことは、内村鑑三氏も言うように、「後世への最大遺物」なのだと思います。


「人には、命よりも大事なものがある」というトメさんの真意を、私は「命に代えても守りたいものを持ちなさい」というメッセージと受け止めています。命に代えてでも守りたいものがあれば、人はそのために命を使うのですから、どうでもいいことには無駄死(むだじに)できなくなります。そして他の人たちに対しても、「大切なもののために命を使わせてあげたい」という思いが、自然とわき起こってくるはずです。
 つまり、命に代えてでも守りたいと思えるぐらい大切なものを持つことが、自分の命も、ひいては他者の命も慈しむことにつながるのです。
」(p.121)

特攻隊で知られる知覧で、陸軍の指定食堂「富屋食堂」を営んでいた鳥濱(とりはま)トメは、こんな言葉を遺していたそうです。「人には命よりも大事なものがある。それは徳を貫くこと−−」白駒さんはこのメッセージを、上記のように読み解かれたのです。

私も知覧へ行ったのですが、知らなくて、特攻平和会館しか見ませんでした。近くにホタル館富屋食堂があって、そちらにはトメさんに託された遺書などが展示してあるのだそうです。白駒さんは、ぜひ両方へ行くように勧めておられます。


男性は、家族や国を守る。そして女性は、子どもを生み、男性をも育む。そうした役割分担を、年齢は違えども晋作と望東尼が行い、そして互いがその役割を見事に演じきったという歴史物語に、私は感動します。」(p.181)

男女平等だからと言って、女性が男性のようにふるまうことが良いのではなく、性差があるのだと白駒さんは言います。それぞれの性にあった生き方があり、それを全うすることで補完し合えるのだと。高杉晋作を育んだ野村望東尼、望東尼を慕いその危機を救った晋作。その生き方は、理想の男女のあり方ではないかと白駒さんは感じたのです。

私も、男性と女性は違いがあると思っています。男女平等だから、同じ仕事をすべきとは思いません。ただそこに、男性はかくあるべし、女性はかくあるべしという、価値観の一方的な押しつけがあってはならないと思います。その人の生き方は、その人が自由に決める。そうする中で、ハーモニーが生まれると思うのです。


都育ちで貴族社会しか知らなかった源氏が、田舎に来て、初めて農業や漁業を営む人々に出会ったのです。源氏は親友に告げます。「貴族は天皇に仕え、彼らは自然に仕えている。仕える相手が違うだけで、職業や役割に上下貴賤はないのだ」と。」(p.211)

源氏物語の光源氏が都落ちした「須磨」の巻を紹介しながら、作者の紫式部も田舎で暮らしたのだろうと白駒さんは想像します。紫式部も、田舎で不遇な時を過ごした。そうであれば、未来に希望が持てると言います。

だって、自分にとっては不本意であったり、不遇に思えたりする境遇は、きっと未来の自分に必要だから、わざわざ来てくれたのです。後は受けて立てばいい。」(p.211)

起こる出来事はすべて完璧で最善です。たとえそれが「思い通り」でなかったとしても。ガンが肺に転移して、もう人生も終わりと感じたご自身の体験を重ねながら、白駒さんはこのように言われるのです。


これまでの歴史では、女性の方が男性に比べて自由が少なかったと思います。それでけに、理不尽なことを押し付けられたり、思い通りにならないことが、女性の方が多かったでしょう。そんな女性にスポットを当てることで、このような素敵な物語がたくさん発掘されました。そこには、ただ不遇に耐えただけでなく、希望を見出し、どうにもならないことは受け入れた上で自分を輝かせた女性がいました。

今は、それに比べたら自由度が高まりました。男性ができることで女性ができないことは、もうわずかしかない時代です。しかし、自由が広まることによって、かえって輝きを失ってしまうこともあるかもしれませんね。そんな時代だからこそ、こういう本が役立つのではないかと思います。

思い通りにならないとしても、上手く行っている。そう見定めて安心して生きる。無意味な抵抗をするのではなく、自分を輝かせる美しい生き方をする。そういう生き方の素晴らしさが、この本から伝わるのではないかと思います。

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2018年08月21日

前祝いの法則



ひすいこたろうさんの最新刊を読みました。今回は、居酒屋甲子園などで有名な大嶋啓介(おおしま・けいすけ)さんとの共著になります。

大嶋さんの本は、以前に「てっぺん!の朝礼」「僕たちの“夢のつかみ方”をすべて語ろう!」を紹介しています。それに関連して、「自分で考え、自分で決める」「人生には失敗も成功もありません」という記事を書いていますので、ぜひそちらもご覧ください。ひすいさんの本は、著者別まとめの「ひすいこたろう」にあります。

今回の本は、「日本古来 最強の引き寄せ 予祝のススメ」とサブタイトルにあるように、「予祝」による「引き寄せ」を紹介するものです。「予祝」というのは「前祝い」のこと。日本では伝統的に、前祝いが行われてきました。花見や盆踊りも、秋の豊作に対する予祝だとか。まだその結果が起こる前に祝うことで、その現実を引き寄せるのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

予祝のポイントはなにを言うかではなく、未来に待っている喜びを想像し、先に味わうことにあります。」(p.39)

言葉(理性)よりも感情を重視するということですね。
ここでは「予祝インタビュー」という未来にそれが実現した状況にあると仮定して、気持ちや成功のポイントなどをインタビューして答えるという方法を紹介しています。そこでは、「聞かれたら、即座に出まかせで答えなければいけない」というルールがあります。ノリで適当に答えて盛り上がる。その感情が重要なのです。


行動は大事です。でも、その前に、どんな心の状態で行動するのかが、もっと大事だったんです。」(p.66)

ここでも、どんな感情を感じているかが重要だというわけです。もし不安から駆り立てられるように行動してしまったなら、それは逆効果になるのです。


問題が起きたことが問題ではなく、
 問題をどう考えるかがほんとうの問題なのです。

 問題の先に、チャンスを見いだす。それこそ喜びの先取り、予祝です。
 道を阻むすべての「壁」は、ワクワクした瞬間に、
 あなたを新しい時空へ導く「扉」となるのです。
」(p.120)

トヨタからカーラジオの20%コストダウンという要求を突きつけられた松下通信工業(現パナソニック)は、会社存続にも影響しかねない危機的な状況に陥りました。その時、松下幸之助氏は、トヨタの立場で考えてみさせることで、会議の雰囲気を一変させます。トヨタの要求はたしかに無茶だが、それはトヨタが日本の産業の発展、ひいては日本の発展のために世界と戦っているためだから、その戦いに自分たちも協力しようと呼びかけたのです。

このことによって松下通工はコストダウンに成功し、カーラジオのトップメーカーになっていきます。ピンチをチャンスに変えたのです。


そのなかで、りお君は難病で生まれてきた理由をこう言っているのです。
 「病気で生まれてきたから、ぼくはいろいろな体験ができる。ママもいろいろな体験ができる。だからママは喜んでいいよ」
 喘息になったときにはこう言ったそうです。
 「ママ、僕が喘息になったのは、喘息を治すのが面白いからだよ。」
」(p.133)

「自分をえらんで生まれてきたよ」にあるいんやくりお君の言葉を紹介しています。ひすいさんは、「思いどおりにならないからこそ、面白いのです。」と言います。まさにその通りですね。高杉晋作氏が辞世の句で言ったように、どう面白くするかは、自分の考え方、見方次第なのです。


手紙を書くことで、意識をしっかり向けると、感謝があふれます。それをしっかり感じることで変容が起こります。
 さらに、その思いをシェアするなかで、人は自然にその感謝の恩にむくいたくなるんです。誰かを心から喜ばせたいと思うのです。
 そのとき、感謝のエネルギーが誰かを喜ばせたいという「決意」に変わるのです。
」(p.195)

感謝の手紙を書くことを勧めています。特に親への感謝ですね。書いて言葉にすることが、より効果を高めます。内観(ないかん)という手法がありますが、小さいころから順に、してもらったことを思い出していくことで、自然と感謝の気持ちが湧いてくる方法です。同様の効果があるように思います。

そして、感謝の気持ちが湧いてきたら、それが他の人を喜ばせたいという情熱になり、行動につながっていくのです。この感謝のエネルギーは、創造のための大きなエネルギーになる。そのことは、「神との対話」でも語られていました。

 

しかしここまで、どうやって現実を変えるか、思い通りのことを引き寄せるか、ということばかりが書かれていて、少し物足りなく感じていました。所詮は引き寄せ本の1つに過ぎないのではないかと。

しかし、さすがにひすいさんです。ここからさらに深い境地に導いてくれました。


起きてほしいことがベストではないんです。
 起きたことがベストなのです。

 自分は、ベストを尽くし、その結果は天の采配にお任せすればいい。
 そうすれば、プロセスを思い切り楽しめます。
 そのとき、あなたの心は晴れ上がり、予祝は次々に開花していくことでしょう。

 苦しいとき、心から喜べないことは、当然あります。それはそれでいいんです。
 でも、いつの日か、この苦しみがベストな体験に変わると、人生を信頼することはできます。

 それが、人生を面白がるってことなんです。
 喜びが人を大きくし、哀しみが人を強くするのです。
」(p.246)

ここまで予祝によって、大会に優勝したなどの事例がたくさん紹介されています。では、相手も予祝をしてたらどうなるのでしょう?
どんなに予祝をしたって、思い通りにならないことはあるはずなのです。

「思い通り」がベストだと考えているから、思い通りにすることにこだわってしまうでしょう。しかし、本当にベストなのは何か、自分にはわからないのです。人生は、もっと素晴らしいことを用意してくれているかもしれないのですから。

だから、人生を信頼することが重要なのですね。人生を信頼すれば、起こったことがベストだと思うことができます。そう考えていれば、結果に執着することなく、プロセスを楽しめるのです。


結果がすべてなのではなく、そこを目指すことで、どんな人になれたのか、そこが一番大事なのです。

 ほんとうの結果とは勝ち負けではないんです。
 あなたの愛が深まることがほんとうの結果です。

 ほんとうの奇跡とは、外側で起きるものではなく、
 あなたの内側(心のなか)で起きるものなのです。

 進化とは、目に見える、すごい結果を出すことではなく、すごい誰かになることでもなく、愛が深まり、君が君らしくなることなんです。
」(p.249)

結果は単に結果です。それよりも、その結果を目指す過程(プロセス)を通じて、自分が進化すること、より自分らしい自分になること、愛が深まることが、もっと素晴らしいことなのですね。


このとき、すねてしまったアマテラスは、なにをやっても出て来てくれない。
 そこで、困った神様たちがやったことはなにか?

 なんと、岩戸の前で楽しく踊り、お祭りをしたのです。

 すると、その楽しそうな、笑い声につられて、絶対に出て来なかったアマテラスが岩戸から顔を出したのです。
 その瞬間、皆の顔(面)がいっせいに光で白くなりました。それが「面白い」という言葉の語源になり、そのとき、神々は手(た)を伸ばして(のし)、喜びを表現しました。
 それが「たのしい」の語源になったのだとか。

 光が閉ざされ世界が闇夜になったときに、日本人は、踊り、楽しみ、喜びのなかで、この世界に光を取り戻したのです。

 日本の夜明けは、闇に包まれた世界を、
 面白がり、盛り上がり、喜ぶことから始まったのです。
」(p.267 - 268)

古事記にある岩戸神話です。宴会の真ん中で踊り狂ったのは天鈿女命(あまのうずめのみこと)。あまりに踊り狂ったために服ははだけ、半裸状態になったとか。その姿を見て、神々はさらに盛り上がり、やんややんやの喝采を贈ったそうです。

私の田舎では石見神楽(いわみかぐら)というのがあって、その演目の1つに岩戸(いわと)があります。こちらの記事で、そのストーリーと神楽のダイジェスト版動画を紹介していますので、ご覧になってください。

「面白い」と「たのしい」という言葉の語源がこの通りなのかどうかはわかりませんが、日本の神話はとても重要なことを教えてくれます。ピンチの時には深刻になるのではなく、楽しんで、面白がって、切り抜けたらいいのだと。


この本を読み終えたいま、あなたがいますぐやるべきことは、
 いま、一番したいことをすることです。
 わかる範囲でOK。
 できないことはしなくていいし、
 無理なくできることのなかで、いま、一番したいことをすればいいんです。
」(p.290 - 291)

おまけの実話だそうです。ひすいさんの知人のカウンセラー、ケルマディックさんが、いつか本当にやりたいことをやりたいと願いつつも何もできていないというクライアントに、「4つのルール」を伝えて、その通りにやってもらったという話です。

その「4つのルール」とは、「いま、一番したいことをしてください」「わからないことは、しなくて良いです」「できないことは、しなくて良いです」「無理はしなくて良いです!」の4つです。思いついたやりたいことが、ルール2〜4で否定されるならやらずに、その次に「一番したいこと」を探していきます。

このクライアントさんは、15番目に「美味しいコーヒーが飲みたい」という欲求にたどり着きました。そしてすぐにそれをやり、「いま、一番したいことをしている」という感慨に浸ったのです。そんなことを続けているうちに、いろいろな縁があって、最初に言った「一番やりたいこと」をやっている自分になれたのだとか。

重要なのは、否定する気持ちが湧いてくるものはとりあえず脇に置いて、できることの中で「一番やりたいこと」をさっさとやることなのです。その時、「一番やりたいことをやっている」という思いに浸ることなのです。これなら簡単で、誰でもできますよね?

バシャールもそう言っています。今、ワクワクすることをやりなさいと。重要度とか関係ないのです。ともかく、「今」、「やりたい」と感じたことをやる。それだけでいいのです。

 

この他に、「まなゆい」「未来レター」「予祝マンダラ」など、様々な手法が紹介してあります。それらは、今の状態が必ずしも「悪い」ことではなく、ピンチはチャンスに転換されるのだということを、実践的に試してみることができる手法だと思います。詳細はぜひ、本を読んでみてくださいね。

私は、上記に書いたように、単に「思い通りにする」ということではなく、「思い通り」以上の素晴らしいことが、この人生ではすでに起こりつつあるのだという視点に共感します。だから、安心していていいんです。どんなピンチであっても。

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2018年08月29日

癒しの手



望月俊孝(もちづき・としたか)さんの本を読みました。望月さんの本はこれまでに、「幸せブーメランの法則」「幸せな宝地図であなたの夢がかなう」など多数紹介しています。

望月さんは、宝地図エネルギーマスターなどを教えておられますが、その原点はレイキです。私も、望月さんのところで最初にレイキを習いました。その時、受講するかどうかを検討するために読んだのが、「癒しの手 心もからだも元気にするレイキ・ヒーリング」でした。2014年4月に紹介していますが、これを読んで受講を決めて申し込み、2014年6月に受講したのでした。そのことは、「レイキヒーラーになりました」に詳しく書いています。

その後、この「癒しの手」の漫画版として、「超カンタン癒しの手」が出されています。これが2017年2月の紹介でしたね。そして今年、最初の「癒しの手」のリニューアル版として、今回の本が出版されたのです。まったく新たに書き起こされたことで、前の本とはまったく違う内容になっています。しかし、レイキの素晴らしさを伝えるという本質においては、同じものだと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「人には誰でも無限の可能性がある」
 僕は、この1つの言葉とともに生きてきました。
」(p.32)

第1章は「レイキと出会うということ」で、望月さんがレイキと出会い、人生を切り開いていかれる様子が描かれています。6000万円の借金、全身アトピーという困難な状況があったが故に、レイキと出会い、レイキと共に生きる決心をされたのではないかと思います。


その過程で臼井先生は1つの悟りを開かれました。
 「人生の究極は、安心立命(あんじんりゅうめい)を得ることだ」と。
」(p.71 - 72)

レイキの創設者、臼井甕男氏は、自らの人生に悩み、「安心立命」を求めたと言われています。この言葉の意味をググってみると、「天命を知って心を安らかにし、物事に動じないこと。」とありました。この人生はこのためにあるのだと悟り、安心してお任せして生きることですね。

しかし、臼井氏はどれだけ修行を積んでも、なかなかこの境地に至りません。それで禅の師から「一度死んでごらん」と言われ、京都の鞍馬山に登って断食修行をされたのです。この辺の歴史は、別のブログに「臼井甕男氏が創設」として紹介していますので、そちらをご覧ください。


その時、臼井先生は悟られました。

 宇宙の霊氣と、体内の霊氣が相互に交流し、大宇宙と人体はまったく同一のものという「宇宙即我」「我即宇宙」という境地を。
」(p.75)

この部分に関しては、臼井氏自らの言葉を残した資料はないと思います。したがって、お弟子さんの口伝によるであろうと思われるものを、現代レイキの土居氏が本の中で伝えたものが、唯一の資料ではないかと。土井氏は「癒しの現代霊気法」の中で、「すなわち自らが体得された悟りの境地である「宇宙即我、我即宇宙」の教えです。」(p.151)と書かれています。


レイキは目に見えるものではありません。
 形のあるものではありません。

 だから「言葉」でしっかりと伝えることがまだできていないから、この素晴らしいレイキが日本では広がっていないのだ。
」(p.139)

レイキを広めようと思っても、ただ「いいものだから」と言っても、誰も耳を貸しません。そこで望月さんは、ブログもSNSもなかった1990年代に、以前勤めていた会社の会員様向け会報誌の一部に載せてもらうよう働きかけたのです。毎回2ページの記事は反響を呼び、そこからレイキの受講者が広がっていきます。

この言葉にするという作業が、後の小冊子、そして1冊目の「癒しの手」へとつながっていきます。この1冊目の本は爆発的に売れ、日本にレイキを広める上で大きな役割を果たしたと言われています。もし、望月さんがレイキを広めていなかったら、今ほどもレイキは広まっていなかったでしょう。


その中で、僕はある大きなことに氣がつきました。
 それは、「セミナーの学びは、会場のエネルギーによって変わる」ということです。
」(p.163)

大人数で盛り上がることで、学びの実感度が違うというのですね。ですから望月さんのところ(ヴォルテックス)の講座は、毎回30名くらいの人が参加しています。地方会場では人数が少ないこともありますが、東京会場では毎回このくらいです。


そのためにアチューンメントを受けた後のその効果を実感するワーク・実習の工夫に情熱を注いでいます。
 なぜならば、人は圧倒的な変化をその場で体感すると、「自分ごと」として深い興味を覚え、工夫を始め、日常に帰っても試し続けてくれるからです。
」(p.225)

これは、現在、ヴォルテックスのレイキ講座を一手に引き受けている慎ちゃん先生こと廣野慎一さんのパートに書かれている言葉です。私も慎ちゃん先生の講座を受講していますが、ともかく氣や、シンボル・マントラの効果を実感するワークが多いです。本当かなぁと思いながら半信半疑でやってみると、実際にその効果が目に見えます。これは驚くばかりです。

もちろん、中には「これはレイキとは関係ないだろう」と思うようなものもありますが、慎ちゃん先生は気功の先生でもありますからね。気功の要素も取り入れながら、同じ氣を体感することを重視しておられるようです。


自分と相手との境目がなくなります。
 そして相手のことを「我がこと」のように感じる体験ができます。
」(p.252)

これはレイキをずっとやっていると、おそらく誰でも体感する瞬間があるのではないかと思います。もちろん、私にもあります。だから私は、「レイキは愛だ」として、レイキを広めようとしているのですから。


今回の本には、特典として未発表原稿や「レイキ読本」、レイキ体験エピソードのPDFがついてきます。特に他の方のレイキ体験は、レイキはこんな効果があるんだ、こんなことができるんだ、ということを知る上で、貴重なものかと思います。


また、ここでついでに紹介しておきますが、似たようなタイトルで「癒しの力」という本があります。



この中で望月さんは、こういうことを言われています。Kindle版なのでページがありませんが、第3章2節になります。

「癒し」の力とは、新しく付加する能力ではありません。もう既にあなたの中に存在しているが、まだ引き出されていない能力です。
 つまり、「癒し」の力を身につけるとは、「癒し」の力を「思い出す」ことなのです。


つまり、レイキもそうですが、もともと人間に備わっている能力なのです。ただそれを思い出し、使えば良いだけのこと。望月さんが他にされている宝地図(引き寄せ)もエネルギーマスターも、同じことなのですね。


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