フィンドホーンという共同体を創り、スピリチュアルな生き方を提唱されたアイリーン・キャディさんの本を読みました。レイキの仲間で、Facebookにこの本の言葉を紹介されてる方がおられたので、それを見て興味を持って、買ってみたのです。
随分前に購入したのですが、いろいろあって読むのがのびのびになっていました。内容について、だいたい知ってることだなと感じていたのも、遅れた理由の1つですけどね。
この本は、1ページに1つのテーマで、アイリーンさんの言葉を紹介しています。ちょうど1年で読めるように、月日が振り当てられています。月ごとのテーマに、特に関連性はないようです。また、似たような内容も多いです。
翻訳は、スピリチュアル界の大御所でもある山川紘矢氏と、川瀬勝氏、羽成行央氏の3人です。3人が4ヶ月ごとに翻訳を担当されたとか。それぞれの思いで表現された言葉そのままで、3人の書き方の調整はしてないそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「過去のあやまちを、くよくよ考えて時間をむだにしてはいけません。過去からは、ただ学ぶべきことだけを学んで、先へ進み、人生をエンジョイしなさい。そしてあらゆるものにたえず感謝をささげなさい。」(1・21 p.26)
1月21日の「素晴らしい人生に感謝しなさい」というタイトルの文章です。感謝を捧げることがテーマなのですが、いつまでも過去にとらわれていてはいけない、という内容に注目しました。「神との対話」でも、罪悪感は敵だと言っていますから。
「手を休めてわたしの言葉を待ち望むことは、どんなに困難な状況をも解決する、秘密の鍵なのです。あなたはなぜ、それを証明してみようとはしないのですか。なぜ、それを実行に移して成果を確かめようとはしないのですか。どんなにすばらしい考えも、実際に試みてみるまでは、たんなる理論にすぎません。」(3・4 p.71)
「神との対話」でも、自分の人生でそこに書かれていることを証明するよう言っています。アイリーンさんも、自分の中にいる神の言葉を聞き、それに従うように言われています。そして、それを行動に移して、その素晴らしさを証明せよと言われるのです。
「あなたの仕事は新しい世界を創ることです。ですから、個人の悩みごとやトラブルにかかずらわっていてはいけません。病気や苦しみ、世の中のもめごとや争いに心を奪われていてはいけません。」(3・14 p.81)
個人の悩みごとやトラブルだけでなく、世間のもめごとや争いさえ、無視しろと言います。たとえば、北朝鮮がどうしたとか、自民党がどうだとか、そんなことは放っておけと言うのです。実際、スピリチュアル的な考え方がわかってくると、こうあるべきだなと思えてきます。ついついとらわれてしまうので、自戒を込めて引用しました。
「あなたの中に競争意識を住まわせないようにしなさい。すべての人がそれぞれの役割をになって全体に奉仕していることを悟れば、競争心はすっかり消えて、あなたはリラックスし、自分自身になることができるのです。
(中略)
あなたには、全体の中で果たさなければならない独自の役割があるのです。あなたの能力を最大限に発揮して、その役割を果たしなさい。
(中略)
あなたは、わたしと一体であることを受け入れられたときはじめて、あなたがたがお互いどうし一体であることを受け入れられるのです。」(3・16 p.83)
神と一体であること、全体が一体であることを、アイリーンさんも語っています。それぞれに異なる役割があるのですから、競争する必要もないし、価値の軽重を比べる必要もありません。
「生活をできるかぎり単純にし、単純なものの美しさと、すばらしさを充分に味わいなさい。
(中略)
幼な子のようになって、一見なんの意味もない日常のささやかなことに、美しさとすばらしさを発見し、楽しめるようになりなさい。花の美しさ、小鳥のさえずり、日の出の荘厳な眺め、窓のガラスをゆっくりと流れ落ちる雨のしずく。ほんとうにものを見る目で眺めたとき、それはなんと単純で、しかも、なんと美しいことでしょう!」(3・29 p.96)
シンプルライフの勧めです。単純にすることで、本質的な美しさが浮き彫りにされます。そして、そういう美しさ、素晴らしさに気づく生き方が、スピリチュアルな生き方として重要なのですね。
「愛は、けっして所有することではありません。愛は、愛する人たちを解き放つものです。所有欲に駆られていては、相手を助けることなどかないません。すべての人には、自分自身を見つけ、わたしが導いていくそれぞれの人生を生きるという、完璧な自由がなければいけないからです。」(5・2 p.133)
愛が所有ではなく、相手を解き放ち、自由であることを、アイリーンさんも言っています。
「わたしを真に愛し、すべてにおいてわたしを第一に考える人たちにとっては、すべてがうまくいくのだということを世界に示してあげてはどうでしょうか。奇跡がつぎつぎと起きるのを予期して、それが実現するのを目にしましょう。」(7・2 p.197)
ここでも試してみるように言っています。神を第一に考えるなら、すべて上手く行く。しかも奇跡が次々に起こるから、それを期待して、現実のものにしようと言います。これは勇気を与えられますね。
「現在の世界にある、多くの混沌と混乱に対する答えを求めている人がたくさんいます。日一日と、それは悪化しています。でも恐れることはありません。ものごとが良い方向に向かうためには、まず悪くなる必要があるからです。
(中略)
憎しみ、強欲、嫉妬や、利己主義などの毒が排出され、癒しが起こる前に、世界の状況は、まず大きく「腫れて」、最悪の状態まで至らねばならないのです。あなたには、内面が完全なやすらぎの状態でいてもらわなくてはなりません。
(中略)
自分が巻き込まれるのを許してしまっては、世界の状況を救うことはできないのです。」(7・16 p.211)
ここでも、世間のことを心配するなと言っています。それどころか、環境問題とか世界情勢など、悪い方向に向かう必要があるのだから、それを恐れずに内面の平和を保つように言います。逆説的ですが、世界を救うにはまず自分を救うこと。自分が安心していなかったら、世界は救えないのです。
「自然に振る舞い、直観で行動することを学びなさい。それが妥当であり分別ある選択だとあなたの理性が言うことだけでなく、心の命ずるままを行うことを学びなさい。純粋な愛だけの行為は、他の人の目から見れば、あまりに妥当性を欠き、ばからしいとさえ映ることもあるかもしれませんが、それはどうでもいいことです。つき動かされたなら、すぐに行動しなさい。立ち止まって天秤にかけてはいけません。なぜそれをするのか考えたりすることさえしてはいけないのです。」(8・2 p.229)
直観で動くこと。理性にじゃまさせないこと。そのためにも、思い立ったらすぐに行動すること。「神との対話」でも、理性を黙らせるよう言っていますね。
「自然な形ではなく、意図的に誰かを愛そうとするのは、最初から負けがわかっている戦いのようなものです。
(中略)
霊(たましい)が成長し、わたしの神なる愛の意味がわかるにつれて、普遍の愛の意味もわかってきます。とくに努力を傾けることなく、ごく自然にそれが花開いていくのに任せなさい。もっと愛したいという深い内面の切望だけがあればいいのです。」(8・15 p.242)
無理して愛そうとすると、それは愛からかけ離れてしまいます。愛は自然に流れるものですから。ただ、本当の愛でありたいという思いだけ持っていれば、それでいいと言うのです。
「あなたには与えるものがたくさんありますが、与えるということについてあまり考えないほうがうまくいく、ということがわかるでしょう。人のことを考え、人のために生き、人に尽くすために自分のことはすべて忘れて、人生から何かを得ようなどと考えもしないようになればなるほど、もっと幸せになれるのです。
(中略)
与えるときには気前よく与えなさい。そのせいで何か足りなくなることなどけっして恐れてはいけません。それを恐れているなら、真の意味で与えているのではないのです。」(8・25 p.252)
「与えている」という意識が強いと、かえって「無くなるのでは?」という不安が強くなります。だから、与えているとも思わず、無くなることを気にせず、気前よく与えよと言うのですね。恐れなければ足りなくなることはないのだと。なかなか難しいかもしれませんが、これもまた挑戦ですね。
「もし、世界に平和と調和をもたらしたいと望むならば、まず最初に、自分の心に平和と調和を見つけなさい。平和についていろいろ議論を戦わすことは時間のむだです。ただ平和を求め、平和を発見し、平和になることが必要です。心が平和になった時、あなたは多くの人々の人生に平和と調和をもたらします。」(9・2 p.261)
前にもありましたが、世間がどうのこうのと心配する以前に、自分の心に平和を築くことが重要なのです。「平和のために戦うぞー!」なんてのは、ナンセンス極まりないってことですね。マザー・テレサさんが、反戦集会には参加しなくても、平和集会には参加したいと言われた意味が、これでもわかるかと思います。
「すべてを正すための第一歩は、あなた自身の中にあります。それはあなたが、日々接する人びととの個人的な関係を改善することから始まります。あなたとうまくゆかない人々をあげつらい批判することはやめましょう。」(9.12 p.271)
これは、私への警句です。自分と意見が違う人を糾弾することは、分離を認め、広めることになります。すべての問題の根源は、自分自身の中にあるのだと認めること。自分の心を治めなければ、世界の平和はないのです。
「私を知るためには、心の中に愛を持たなくてはなりません。なぜなら、愛がなければ、私を知ることはできないからです。
(中略)
ただ愛し、その費用のことは考えてはなりません。けっして報酬を求めてはなりません。愛を与えすぎることはありません。だから恐れることなく、あなたが行きづまっている時でさえ、愛の流れをとめないようにしなさい。人生が大変な時、人は心を閉じて、傷つかないように身をひいてしまうものです。でも、そうしないでください。そうすれば、もっと苦しくなり、こわれやすくなるだけです。」(9・17 p.276)
ここでも、恐れることなく与えること、それが愛だと知り、実践することを求めています。無条件に与え、報酬すら求めないこと。それでも行き詰まることはないから恐れるな。それを人生で証明せよということなのでしょうね。
「多くの人々は、まわりのものすべてに目を閉じたまま、一生を過ごし、自然の奇跡も目に入りません。つまり、人生の奇跡を見そこなってしまうのです。あなたが美しさ、調和、平和、のどけさをまわりの小さなものたちの中に気づくようになると、その気づきはどんどん深まって、人生のすべてが不思議の国になり、あなたは子供のように起こることすべてに、目を見開いて人生を歩むようになります。そして最もすばらしいことが起こることを期待するようになり、しかも、それを実際に引き起こしてしまいます。人生にいっときもたいくつすることはありません。なにごとも、当然のこととして受けとめなくなり、すべてに感謝できるようになります。」(11・4 p.327)
奇跡は、日々、瞬間瞬間に起こっています。ただ、そう見ない人が多いだけで。たとえば、蒔いた種から芽が出るのだって、どうして「当たり前」と言えるのでしょう? 眼の前のものが見えるのは、「当たり前」でしょうか? それらを「当たり前」だと考える人は、奇跡を信じません。だから感謝できないのです。「当たり前」の反対が「有り難い(=奇跡)」ですから。
「人生において一番大切なレッスンは愛を学ぶことです。
(中略)
愛は不変で、しかも全体なのです。愛に限界はありません。愛に壁はありません。愛と共に自由があります。人をしばりつけ、限界づけているのはおそれです。」(11・16 p.339)
ここも愛の定義ですが、愛は自由であること、その反対は恐れ(不安)であることが示されています。これは「神との対話」で示されていることそのものですね。
「あなたの安心が、銀行の貯蓄に頼っていて、好きな時にそのお金が引き出せる時、信仰によって生きることについて語っても、意味のないことです。あなたの信仰と安心が真に私に根ざし、地についた時、あなたは何も持たなくても、高い崖のふちから飛び降りることができ、不可能と思えることが可能となります。その時初めて、あなたは信仰に生きることについて語り、証明することができるのです。」(11・21 p.344)
自分の身を安全な(と思われる)状態に置いて、信仰を証明することは不可能だと言います。何もない状態で、つまり背水の陣を敷いて、それでも断崖絶壁から平然と飛び降りることができる。そのことによってのみ、信仰を証明できるのです。これは、この世にどっぷりと浸かった人としてはハードルが高いのですが、そこまでしてでも神の奇跡の証(あかし)を立てよ、ということなのだろうと思いました。
「今日一日のペースを決めるために、朝起きたらすぐ、一日の雑事にまきこまれる前に、静かにすわり、神と同調する時間を保つ練習をしましょう。
(中略)
それらを愛とインスピレーションで満たし、今日一日は最高のものとなるという期待で心をいっぱいにしましょう。」(12・9 p.364)
昨年亡くなった母の誕生日のメッセージですから、きっと何か意味があるのでしょう。私は、瞑想するというのは、どうにも性に合いません。これまで何度もやろうとしましたが、そのたびに続かなかったのです。ですが、「朝」、「神と同調する」ということは、心がけたいと思います。そのことを忘れないために、引用しておきました。
この本は、「神との対話」とは違い、「なぜそうなのか?」という疑問には答えてくれません。ただ、自分の中に神があり、その思いにしたがって生きるべきだということ、そうすればすべては上手く行くということが、言葉を変えて示されています。
すでに信仰を持っている人にとって、こういう言葉は励みになるでしょうね。私もそう感じました。でも、まだそういうことがわかっていない人にとっては、あまり力にならないかもしれません。
ただ、そうであったとしても、ここに書かれた言葉の中の1つに感応し、そこから信仰が深まることもあり得ます。あんなにわけがわからない聖書でさえ、多くの人を引き寄せたのですから。
そういう意味で、この本もまた、それに感応する人であれば、それなりに意味があるのだろうと思います。ここには私が感応した言葉を引用しましたが、それで何かピンとくるものがあれば、ぜひ本を手にとって読んでみてくださいね。
