2018年05月02日

オール1の落ちこぼれ、教師になる



「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」で紹介されていた本を読みました。タイトルからして衝撃的ですが、著者、宮本延春(みやもと・まさはる)さんの生い立ちはもっと衝撃的でした。

小学校からいじめに合い、それは中学校を卒業するまで続きます。勉強をする気力すらなくし、中3で九九は2の段までで、分数の計算などまったくできません。知っている英単語はbookだけ。書ける漢字は自分の名前のみ。16歳で母を亡くし、18歳で父も他界。中卒後に大工の見習いになるも、相変わらずいじめられる過酷な職場で、そこを2年で退職。

もう人生の前半だけで「終わってる」と感じられるほどですが、ここから大逆転が始まります。きっかけは、NHKの番組でアインシュタイン博士の偉業を取り上げたものを見たこと。そこで物理を勉強したいという強い衝動を覚え、働きながら定時制高校に通い、名古屋大学に合格します。

こんな波乱万丈な人生ですから、どうしてそれが可能だったのか、どこにつまづいたのか、興味が尽きません。それを知りたくて、すでに文庫化されていたこの本を買って読んだのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

どんなに勉強ができない子供でも輝かしい可能性があることも知っています。
ちょっとした”キッカケ”があれば誰でも頑張れる!
これは私がこれから伝えたいことです。
」(p.19)

「はじめに」で宮本さんは、このように言っています。宮本さんはこのことを、子どもたち自身に知ってもらいたくて、この本の対象を小学校5年生に定め、それ以上で習う漢字に読みがなを付けたと言っています。


そして、この信頼があってこそ、初めて私の言葉が相手に届くのです。
 言葉は、信頼の上に立ってこそ、言葉の本当の力を発揮できるのです。
」(p.29)

何を話す(伝える)かではなく、誰が話すかが重要なのですね。信頼されていなければ、何も伝わらないのだと。

そして、その信頼関係を築くには、まずは教師の側から生徒を信頼することです。大人が子どもを信頼することです。日常の挨拶など、日々、教師の側から生徒に働きかける姿勢が重要なのだと宮本さんは言います。


人から褒めてもらう、評価してもらう、認めてもらうことで、自分に価値を見出すことができるのです。そしてこれが、自信へとつながるのです。」(p.42)

単純に「褒める」ということには、アドラーを知っている私としては違和感を感じますが、こういう効果があることも事実だと思います。ただしこれだけでは主体的に勉強する気持ちにはならないでしょうけどね。

宮本さんはこれに加えて、わからない生徒にはわかる部分まで遡って指導することと、質問してきた生徒にはわかるまで説明するというスタイルを貫かれているそうです。

ただそうすることで、クラス全体の授業進度の問題も出てくるので、それが課題だと書かれています。わかる生徒にとっては、かったるく感じて興味を失いますからね。


世の中が甘いか甘くないかは、私が生きていく以上、私が決めることであり、他人に決めてもらうことではありません。決定権は自分にあるのです。決定権が自分にあるからこそ、自分の人生の責任は自分にある。他人の物差しではなく、自分の物差しで測らなくては、私にとっては意味のある人生にならないのです。」(p.72)

大工見習いをしていた時、親方や同僚のひどい仕打ちに耐えられず、1週間ほど引きこもったことがあったそうです。その時、納得できる生き方とはどういうものかを考え続け、ノートに記していったのだとか。そうして1週間後、今の仕事は辞めて、好きな音楽に没頭しようと決めたそうです。

もし1年後に死ぬとしたら、10年後に死ぬとしたら・・・。両親を早く亡くしていることが、死は突然やってくるという思いを抱かせたのでしょう。そして、だからこそ今を悔いなく生きようという思いになったのです。


さまざまな考えが頭を駆けめぐりました。
 が、私は自分に言い聞かせました。将来への不安は今に始まったことではなく、これまでの悲惨な生活の中では何度も経験してきたことではないか。ここで尻込みしてどうなる。
」(p.122)

定時制高校に通っていた1年生の終わりに、学校から理科実験助手の仕事をしないかと持ちかけられます。目標が名古屋大学ですから、このまま工務店の仕事をしながらでは、勉強時間が確保できないからです。

しかし、とても良くしてもらっている工務店を辞め、一時的な仕事で給料もこれまでの1/3になる理科実験助手をすることは、リスキーだと感じたのです。

けれども、ここでも挑戦しなかったという後悔だけはしたくないという思いから、宮本さんはこの話を受けることを決断しました。こうして勉強の時間を確保し、現役で名古屋大学に合格することになるのです。


理解できることの嬉しさのほうが大きく、成績のことはあまり気にならず、また、自分自身に妙な自信があり、いつか私が一番になると信じていました。そして、この自信は二年生の二学期に実現するのです。」(p.126)

好きな物理でしたが、2年生になって勉強を初めて半年くらいは、校内で10番に入るかどうかというところだったそうです。進学校ではないので、名古屋大学を目指すなら最低でも校内トップでなければならない。そういう思いがあったようですが、それでも途中の成績は気にならなかったそうです。

結果を追い求めながらも、結果を手放している感じが伝わってきますね。結果を気にせず、その時その時を楽しむ。それによって、望む結果が得られるのです。


「ささやかな目標であっても、自分にとって価値のあるものならば、それを見つけただけでも素晴らしいことであり、その目標に向かって努力することは、この上なく尊いことです。そして、その目標を達成させるための努力こそが、『学ぶ』という行為そのものなのです」
 これが、「学ぶ意味」を見出だせないでいる生徒たちに伝える私からのメッセージです。つまり、目標を持ち努力することに意味があるのであり、その過程に「学ぶ」ことが付随してくるのです。
」(p.186)

宮本さんは、途中、プロのミュージシャンを目指したこともありました。このことからすると、そのために音楽の知識を得、技術を磨いたわけですが、それも「学ぶ」ということになります。

そう考えると、「学ぶ」という行為は、必ずしも学生の特権でも義務でもありません。目標や夢がある限り、人は誰から言われなくても「学ぶ」のです。


しかし宮本さんは、学校の勉強は基礎だという一般論を、この本の中でも持ち出されます。昔の寺子屋の読み書き算盤のようなもので、基礎力がなければ、夢や目標が見つかってもそこから先に進めないからと。

「オール1」からでも、しっかりとした目標が見つかれば学びながら成長していけるのだという実例を示しておきながら、目標がないうちからしっかり勉強をすべきという結論を出されていることには、少し違和感を感じます。

宮本さんは、だから目標は「褒められる」というような小さなものでもいいのだと言われます。しかし、勉強は自分のためにするものであって、誰かから褒められるためにするものではありません。結果的にそれが将来役立てばいいのでしょうか? その将来があるかどうかさえわからないのに。

宮本さんは、もし1年後に死んだとしたら・・・ということを考え、その職場を辞めて、無謀とも思える音楽への挑戦を決めたのです。それなら、今すぐ大きな目標がないとしても、学業よりも今やりたいことを優先するという考え方になっても良いと思います。そうなっていないことが、この本を読んでいて、少し残念だなと感じた部分です。


私は、人生でいろいろな壁にぶち当たりました。いじめや落ちこぼれをはじめ、両親との死別や社会の荒波、それらはとても厳しく辛いものでした。
 そんな苦しい生活をしていても、社会のどん底で生活していても、「夢」や「希望」を捨てなければ幸せになれるチャンスはやってくることを知りました。
 その一番のきっかけは、「人との出会い」でした。
 そんな人との触れ合いや出会いが今の私を作っているのです。
」(p.253 - 254)

この本には、宮本さんの人生に大きな影響を与えた方々との出会いが数多く書かれています。宮本さん自身は、奥様との出会いが大きな意味があったと述懐されています。

しかし、本当はすべての出会いに大きな意味があったのではないかと私は思います。なぜなら、すべての経験が今の宮本さんを創っているからです。いじめた同級生も、無関心だった先生も、辛く当たった大工の親方も同僚も、早く亡くなられた両親も、すべての方が宮本さんに必要な経験をもたらした。


この「あとがき」に書かれているこの文章を読むと、ここまで書かれていたこととは、何だか結論が違うぞという気持ちになります。宮本さんは、奥様との出会いによってアインシュタインとの出会いが導かれ、そこで夢や目標が生まれました。また、定時制高校での素晴らしい先生方との出会いによって名古屋大学に合格し、その出会いが教師という目標を与えてくれました。つまり、夢や目標も、出会いから始まっています。

その出会いは、宮本さんが努力して得た結果ではありません。いわば「偶然」とも言えるものです。たまたまそういう出会いがあり、目標を持つことになり、その目標に向けて頑張っていたらさらによい出会いがあり、人生が好転した。

そう考えると、たとえ今、不遇のどん底だったとしても、人生を見限る必要はないということになるかと思います。どんなどん底からでも逆転できる。だとしたら、勉強ができなくても気にするな、勉強が嫌いなら他の好きなことをやれ、という結論になっても良いように思いますが、どうなのでしょうね?

もちろん、嫌だけど頑張って勉強するという人生も、悪いことではないでしょう。人生は、どうなったとしても上手くいくのですから。そう思っている限り、人生は何をしてもあきらめる必要はないのだと思います。


そして、私がこの本を読んで感じた宮本さんの人生が好転した理由ですが、それは勇気を出して決断したことだと思います。

上記に引用したように、大工見習いを辞めて好きな音楽の道に進むと決断したことがありました。人生は結果ではない。やるか、やらないかだ。やらないで後悔したくはない。やって結果が伴わないなら、それで本望だ。そう思って一歩を踏み出したことが、好転のきっかけだったのではないかと思います。

そして次は、そこまでよくしてもらっていた工務店を辞め、定時制高校の理科実験助手になるという決断です。居心地がよく安定した経済状況を手放し、それでも好きなことをやると決断したのです。

おそらくこれ以外にも、小さな決断が何度もあったことでしょう。そしてその度に、宮本さんは好きなことをやる道を選んだのだと思います。好きなことだから主体的になれるし、努力しても辛くはありません。そのことが、また良い出会いへと導いてくれたのではないか。私はそう感じるのです。

オール1の落ちこぼれ、教師になる
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:53 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月03日

僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。



これもたしか「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」の紹介で知った本です。2012年にダイヤモンド社で出版された単行本を、2017年に小学館で新書として売り出したものです。

これまでに、ミドリムシが将来有望だという情報は、いろいろなところで目にしてきました。しかし、あまり興味を抱かなかったのです。クロレラに次ぐ新しいサプリメントくらいの認識しかなかったのです。

しかし、今回この本を読もうと思ったのは、著者でもある出雲充(いずも・みつる)さんは単なる金儲けとしてミドリムシに注目したのではなく、これで世界を救えると思ってやってこられたことを知ったからです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

でも、さっき僕が書いた、ミドリムシが地球を救うというのは、何一つ偽りがない、本当のことだ。
 植物と動物の間の生き物で、藻の一種でもあるミドリムシは、植物と動物の栄養素の両方を作ることができる。その数は、なんと59種類に及ぶ。
 しかも体内に葉緑素を持つため、二酸化炭素を取り入れ、太陽のエネルギーから光合成を行うことができる。すなわち、CO2 削減という意味でも、救世主となりうる。
 さらにそれだけではなく、ミドリムシが光合成により作り出し、体内に蓄えた油を石油と同じように精製すれば、ロケットやジェット機の燃料として使えるバイオ燃料が得られる。
 食料、栄養、地球温暖化、エネルギー。これら途方もない問題は、ミドリムシが解決するのだ。
」(p.6 - 7)

出雲さんは冒頭で、このようにミドリムシの可能性を語ります。もしこれが本当に実現したら、どんなに素晴らしいことでしょう。食糧問題もエネルギー問題も大きく改善されます。


そんな素晴らしい可能性を秘めたミドリムシですが、実は出雲さんより以前から、国家的なプロジェクトとして研究が続けられていました。サンシャイン計画やニューサンシャイン計画として、長年培養方法が研究されてきたのです。

しかし、ミドリムシは食物連鎖の底辺に位置しており、あまりに「美味しい」ために、他の細菌などに食べられてしまうという運命がありました。大量培養することが非常に困難、というより不可能に近い運命を背負っていたのです。

そのため、ニューサンシャイン計画も頓挫していました。ちょうどそんな時に、出雲さんたちはミドリムシの大量培養に着手したのです。

「ミドリムシが培養できたら、もうほかに培養できないものはないと思います」
 なぜかといえば、ミドリムシの栄養価があらゆる微生物の中でもトップレベルにあるからだ。栄養があればあるほど、他の微生物に狙われやすい。だから培養は極めて難しく、ちょっとの汚染で全滅してしまう。
」(p.72)

出雲さんが天才と言う同志の鈴木さんは、そのように言いながらも大量培養を研究し続けたのですね。


原さんの心からの言葉を噛みしめていたら、途中から涙が出てきた。自分もこのまま居心地のいい銀行で働いていては、いつかミドリムシのことを忘れてしまうだろう。最後に僕はこう言った。
「ありがとうございます。自分は、銀行を辞めます」
」(p.87)

出雲さんは、10年以上先にミドリムシのベンチャー企業を立ち上げることを計画し、最初は大手都市銀行に就職したそうです。心のどこかに逃げ道を用意したいという思いがあったのですね。

それでも1年して、このままでいいのかと悩みます。その時、知り合いの編集者である原氏に悩みを打ち明けたそうです。原氏は、自分も映画を撮りたいと夢があったのに、居心地のいい編集者で収まってしまった悔いを語り、出雲さんの背中を押したのです。


だが、もしもその確実な道を選択することが本当に正しいならば、世の中にはもっとたくさんのイノベーションが生まれているはずだ。現実がそうなっていないということは、イノベーションを起こす人間には、何かしら渡らなければならない川があるのではないか。」(p.91)

ベンチャーの社長に聞いてみても、最初からそのビジネスで成功するという確信があって始めた人はほとんどいなかったそうです。むしろ、何ら確証もないのに退路を断って飛び込む。そうしなければベンチャーは成功しない。出雲さんは、あとからそう思うようになったようです。


すぐに創業しなかったのは、ミドリムシの培養の目処が立たなかったことや、事業資金のあてがないという現実的な理由もあった。でも本当は、自分の精神的な弱さが理由だ。」(p.98)

銀行を辞めた出雲さんでしたが、それでもまだ躊躇するところがあったのですね。会社を起こしたら、お金を回していかなければなりません。そんな目処も立っていないのに飛び込めない。そんな気持ちが無意識の中にあったのでしょう。

それを出雲さんは、自分の精神的な弱さだと言います。そして、そういう弱さがあるとわかっているからこそ、退路を断ったのでしょう。自分で自分を追い込むためです。


「ミドリムシを天敵から守る環境をセッティングする」という発想から、「ミドリムシ以外は生きられない環境をセッティングする」という発想への切り替え。これが鈴木と僕が生み出したミドリムシ培養の切り札となるアイデアだった。」(p.145)

こうして、これまで不可能と思われていたミドリムシの大量培養が成功することになります。


この2006年2月17日の午後3時から、僕には株式会社ユーグレナ以外は何もなくなった。応援してくれていた堀江さんも、間借りしていたライブドアのオフィスと資金はもちろん、机も椅子もなくなった。ともに事業を進めようとしていた協力会社だって、ほぼすべて去っていった。
 しかし自分には、まだミドリムシがいてくれた。5億年の昔から、地球上のすべての生物の暮らしを根底で支え続けてきた、ミドリムシが。
 自分で事業をやることを決意したのは、「僕がここでミドリムシを見捨ててしまっていいのか」という想いだった。
」(p.163 - 164)

将来性を買われてライブドアからの出資を受け、起業したユーグレナでしたが、あのライブドア事件によってすべてが吹っ飛んだのです。出雲さんは、ライブドアの支援なしでユーグレナを続けるために、自己資産をはたいてライブドアから株式を買い戻しました。

出雲さんの預金残高は32万円ほど。その時から、出雲さんは1人でもやって行くという決意をされたのでしょう。もし失敗すれば野垂れ死にするだけ。そう覚悟を決めた瞬間なのです。


ミドリムシのよさが理解してもらえていないのは、自分の努力が足りないから、そして伝え方が悪いからだ、と気づいたのもこの頃だった。」(p.178)

それまで出雲さんは、なかなかミドリムシの良さを受け入れてもらえずに、世間に対して腹を立て、自暴自棄になってライブドアのせいにしたこともあったそうです。

しかし、ある購入者から、その効果に感謝し、子どもにも飲ませたいという感想のFAXが届いたことで、出雲さんは勇気をもらったのでした。そして、他人のせいではなく自分に原因があると、考え方を改めたのです。


だがこの頃から、その発想を変えた。堂々とミドリムシということで、世間に正しく理解してもらったほうが、結果的に商品の売れ行きにもつながるし、ミドリムシのためにもなると考えたのだ。」(p.191)

それまで出雲さんは、ミドリムシという名前が青虫や芋虫などをイメージさせると感じていて、どこかうしろめたさを持っていたのですね。だから、「ユーグレナV22」という製品名を付け、「ミドリムシ」であることを目立たないようにしていたのです。

しかし、ミドリムシのイメージそのものを変えるという決意によって、その後のサプリメントの売上も伸びていったようです。


相手に認められず、ふてくされる暇があるなら、四の五の言わずに、別の人を探して、とにかく一人でも多くの人に会う。またダメだったらすぐに次のアポイントをとる。そうして、会って会って会いまくっていれば、そのうち必ず聞いてくれる人が出てくる。」(p.195)

全国のほぼすべての可能性のある会社に出かけてミドリムシのことを説明したという自負を、出雲さんは持っているそうです。アイデアが良いから受け入れられるのではなく、受け入れてもらえるまでドアを叩き続けることが重要なのだということです。


僕はこれからのテクノロジーやビジネスも、ハイブリッドでなければならないと考えている。科学的な思考と、感情的な共感、その両方がハイブリッドされて、初めて人は安心してその技術を受け入れ、使いこなすことができる。」(p.229 - 230)

いくら科学的に正しいからと言って、人々が受け入れてくれるわけではありません。たとえば原発もそうですね。科学的には、現状では原発を使用するのがベストの選択だと言えても、多くの人はそれを受け入れません。科学的な根拠なしに、感情的に反発しているのです。

ミドリムシも同様で、どれだけ科学的に素晴らしいものだと訴えても、青虫や芋虫をイメージされて嫌われていると、受け入れてはもらえないのです。信頼できる大手企業が共同出資しているとか、そういう感情に訴えるものが必要なのでしょう。

それを、世間の連中は頭が悪いと批判したところで、ミドリムシによって世界を救うという夢が実現されるわけではありません。感情的に共感してもらうための方策も実施することが重要なのです。


しかし思い切って銀行を辞めて、夜行バスに乗ってミドリムシの研究者を日本じゅう訪ね歩いているうちに、いつしかある一つの確信がめばえてきた。
 それは、「いま世界で、自分ほど、ミドリムシについて真剣に考えている人間はいないはずだ」という思いだった。技術的にはまだどうなるかわからなかったし、経営者として自分に適性があるかもまったく自信がなかったが、「ミドリムシについては世界で自分が1番だ」という思いは、揺らぐことがなかった。
」(p.232)

初めてのことを成し遂げようとする時、能力とか資質が重視されがちですが、本当は情熱こそが重要なのだと思います。初めて行うのですから、困難なことは当たり前。それでも推し進めていくには、情熱という推進力が必要なのです。

実際、出雲さんも、ライブドア・ショックの後で事業を継続することを決めた時、この確信が後押ししてくれたと感じているようです。できるという根拠はなくても、やりたいという思いが強ければ、人は前に進めるのです。


私はこの本を、自分のことと重ねながら読みました。レイキを広めたいという思いを持ちながら、「どこまで情熱を持っているのか?」、「どこまで本気でやろうとしているのか?」ということを、自分自身に問うたのです。まだ本気度が足りない。まだ環境や他人のせいにしている部分がある。反省することしきりです。

この本は、これから起業したいという人はもちろんですが、ささいなことでも何かを始めたい、挑戦したいと考えている人に、いろいろ気づかせてくれるものがあると思います。

僕はミドリムシで世界を救うことに決めた。
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:48 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月08日

バンコク旅行に行きました

2018年4月27日の夜に出立して、バンコク旅行に行ってきました。
戻ってきたのは5月7日の朝です。8泊11日(車中泊2日)の旅行でした。

と言っても、取り立てて何か目的があったわけではありません。
妻が友だちと遊ぶ予定があり、それに合わせてついていったというわけです。

妻の遊びにまでは付き合いませんけどね。
妻のいない妻の実家で、お義母さんと一緒に店番というのも・・・。
そんなことで、しばしの自由を満喫してきました。


4月28日の朝、バンコクに到着したのは4時過ぎ。
まだどこも開いてないので、北バスターミナルのフードコートで時間を潰します。

8時半を回ったころ、ようやくタクシーに乗って以前住んでいたアパートに向かいました。

雨が降りそうな天気

タクシーから見ると、今にも雨が降ってきそうな空です。
アパートに着くころ、ちょうど降り出しました。ギリギリセーフ。

ここは、普通のアパート以外に1日貸しもやっています。
すぐに部屋に入れたのはラッキーでした。

部屋でビール

アパートの下のコンビニでは、時間に関係なくビールを売ってくれるので助かります。
さっそくビールを買って飲みました。そしてしばらく爆睡。さすがに夜行バスは、あまり眠れないので。


午後になって、以前よく行ったカフェへ行ってみました。

いつものカフェでノマド

よくこの席に座って、BTSの駅にエスカレーターで上っていく人などを眺めたものです。
まあそれは気晴らしで、目的はノマドです。ブログを書いたり、メルマガを書いたり、本を読んだり・・・。


翌29日(日)はソフトボールに参加する予定でしたが、前日の雨で中止に。
日中はダラダラと過ごし、夜はソフトボール仲間と食事。
日本語で気兼ねなく話ができるって、どれだけ素晴らしいことなんでしょう。

月末の30日(月)には、よく行っていたサロンの、「サロン文庫」というイベントに行ってみました。
サロンの1部屋を開放し、本の閲覧や貸出、軽食などの販売をやっています。

サロン文庫

顔なじみの方々とおしゃべりしたり、レイキをして差し上げたり、本を読んだりして過ごしました。
親しい方から、ご自身で作成された句集をいただきました。

いただいた句集

私が読んだ多くの本を、この「サロン文庫」に寄贈しています。
お陰様で、勝手に押しかけていた身分でありながら、スタッフ同様に扱っていただきました。

そればかりか、私が久しぶりにバンコクに来ることを知られて、わざわざ差し入れを持ってきてくださる方もいらっしゃいました。

差し入れのベトナムビール

私への差し入れならビールというわけで、ベトナムのビールだそうです。
本当にありがたいことですね。



月が変わって5月1日(火)には、またソフトボールの仲間と会食することになりました。
ソフトボール後によく行く中華料理屋です。

そこへ行く前に、エッカマイのメジャー・シネプレックスにあるKFCに立ち寄りました。
田舎でガイポップという名のチキンフライを売っていますが、これはKFCのパクリなんです。

私は本場のKFCのガイポップを食べたことがなかったので、どんなものか試しに食べてみることにしました。

KFCのガイポップ

量はほぼ同じくらいですが、値段は3倍くらい違います。うちは10バーツですが、こっちは32バーツ。
見た目も、丸く仕上がっているうちの方がいいですね。

しかし、食べてみてびっくりしました。だんぜんKFCのが美味しいです!
生パン粉がしっとりしていて、中の鶏肉の食感をじゃましません。
うちのはパン粉や生地を食べてる感じがするのに、こっちはちゃんと鶏肉を食べてる感じがします。

これは3倍の値段差があるとはいえ、KFCの方を買いたくなりますね。(笑)


バンコク滞在中、特に用事がない限り、部屋でごろごろしながら朝からビールを飲んでいました。
こんなことができるのも、妻の実家から離れた時だけですから。


5月3日(木)は、これもよく行っていたサロンの「スマホを楽しむ会(シニア向けスマホ教室)」に参加しました。
その前に、それに参加する時はいつも行っていたカフェにも行きましたよ。

いつものカフェでノマド

見慣れたスタッフの方が、私がいつも注文するものを覚えていてくれました。
「ホットアメリカーノー ミディアムサイズ」

日本では「ブレンド」とかありますが、こっちにはそれがありません。
なので、普通にホットコーヒーが飲みたい時は、「アメリカーノ」になるんです。

そして、スマホ会に臨時講師として参加しました。
久しぶりにお会いした生徒さんたちの歓迎を受け、スマホ会なのに冒頭で私の近況発表会になってしまいました。

スマホ会のあとは、恒例の二次会。近くのバービアでビールを飲みましたよ。


4日(金)は、句集をくださった方のご自宅におじゃまして、ビールとコーヒーをご馳走になりました。

ご馳走になったビール

ビールのアテは辛子明太子。
「こんなものしかなくて」とおっしゃいますが、こんなものは滅多に食べられませんよ。

ご馳走になったコーヒー

コーヒーは、手回しミルで挽いたレギュラーコーヒー。
それを、ベンジャロン焼きのカップに入れてくださいました。

私も1時間ほどレイキをして差し上げながら、おしゃべりを楽しみました。


5日(土)は、主に買い物をして過ごしました。
田舎では、なかなか買い物ができませんから。

LED照明を使えるようにするために線をつなぐのに必要なハンダゴテも買いました。
ハンダゴテを使ったのは、小学校か中学校くらいが最後だったと思います。
5球スーパーラジオという真空管ラジオの組み立てなどをしました。

他にも金づち、ペンチ、釘などDIY用の工具などをいくつか買いました。

それから、炊飯器を買いました。
ご飯を炊くためではなく、肉の低温調理用です。


6日(日)は、午前中は部屋で過ごし、最後のビールを飲みました。
バスターミナルではもう飲めませんから。

正午にチェックアウトをして、タクシーに乗ってバスターミナルへ。
妻が引越し時に残しておいた洗濯物を引き取るなどしたため、荷物は来る時の1.5倍ほどあります。

妻からさんざん「こんな不要な炊飯器なんか買うから荷物がいっぱいじゃないの!」と嫌味を言われたのですが、荷物が増えたのは、それよりも引き取った洗濯物ですからね。
そんなものを預けておいたことも、引き取るということも、私はまったく知りませんでしたよ。

バスターミナルではビールを売っていないので、水を飲みながら過ごしました。
妻は、ウイークエンドマーケットのチャトチャック市場へ行って、さらに仕入れをしてきました。

そうやって時間を過ごし、20時出発の夜行バスに乗り、田舎に戻りました。
いつもより早く、到着は6時前でした。
運転手さんに起こされ、降りた時はもうすでに荷物が降ろされた後で、私たちが最後だったようです。

バイクにたくさんの荷物を積み、妻と2人乗り(運転は妻です)で帰宅しました。
バンコクで過ごした時間が、何だか夢のような気がしました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:35 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月09日

いつもの生活に戻ります

2018年5月7日の朝、バンコク旅行から妻の実家に戻ってきました。
その日からすぐに、これまで通りのルークチン屋さんになります。

すでにお店の開店準備は終わっていたので、あとはお義母さんから店番を引き継ぎます。


夕方はいつも通りに19時まで営業し、店を閉めました。
店を閉める時、家の壁にトッケーがいるのが見えました。しかも3匹います。

壁のトッケー
前の日の夜は夜行バスの中なので、充分な睡眠が取れませんでした。

前の夜に雨が降ったようで、羽虫がたくさん出てきたのです。
その羽虫を狙って、トッケーがやってきたようです。


トッケーについては、以前のブログ記事でも紹介しています。
この時は「トゥッケー」と呼んでましたが、どっちでもOKです。書くのが面倒なのでここではトッケーと書きますね。

トッケーを見るとラッキーだと言われますが、この時は3匹のトッケーが、さかんに餌を食べていました。
普段は動かないトッケーしか見ないのですが、けっこう激しく動くのですね。びっくりしました。

トッケーの捕食の様子をビデオに撮りましたので、そちらもご覧ください。




翌日、5月8日は、蒸し暑い一日でした。
なんだかじっとしているだけで疲れます。

お客さんも少なくて、売上は500バーツ行かなかったと思います。
18時半には店じまいして、20時には床に就きました。

この日、私がやったのは新しい看板作りです。
店の売り物をすべて、同じようなスタイルでまとめました。

新しい看板をつけました

店の向かって右側に、ずらっと並べてみましたよ。

新しい看板

すべて写真付きです。
写真は自前で撮ったのもありますが、ネットから拝借したものも。(許してね。)

ルークチントート(練り物揚げ)、バービーキゥヤーン(BBQ焼き)、ナムケンサイ(かき氷)、フレンフライトート(フライドポテト)、ガイポップ(チキンフライ)、ソムタム、タムスア、タムパー、タムタレーです。

ソムタム以降は、ソムタムのアレンジ。素麺を入れたり、パパイヤ以外の具材を入れたり。最後のは、タレー(海)の具材が入っているものです。エビなどを入れるようです。


そして今朝。5月9日(水)の朝は、遠くで雷鳴が聞こえました。
夜中に少し雨も降ったようです。

今朝の空


いつものように5時に起きて開店準備。6時にはすでに開店していました。
8時くらいに少し雨がパラつきましたが、すぐにやみました。

朝のうちはお客さんも少なかったのですが、甥っ子の遊び仲間が4〜5人やってきてから、けっこう売れました。
まだ6時間ほど営業時間が残っていますが、きっと午後もよく売れることでしょう。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:53 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月10日

女を巡る争いがありました

田舎というのは、同じような時間がゆったりと流れていく、の〜んびりした世界を想像されますよね?
ところがどっこい、意外にもいろいろなことが毎日のように起こるのです。

朝日が昇る

今朝も5時に起きて開店準備をしました。
いつもと違う物の配置と経路に戸惑いました(理由は後で)が、6時前には開店していました。

これは6時10分の朝日です。
えっ、見えません?
あの樹の向こうに少しだけ顔を出しているの。シャイな太陽さんです。


毎朝、犬たちが出迎えてくれるのですが、日々様相が変わります。
まずは関係者(犬)紹介をしましょう。

うちで飼っているのはまだら模様のオスで気性の荒いスア(虎)と、真っ黒で小さいメスのミー(熊)です。
この2頭とつるんでいるのが、隣の茶色い中型犬のモムとトゥムです。

トゥムは耳が中から折れていますが、我が道を行くという孤高のタイプ。
一方のモムは、意外と気の小さい甘えん坊。どちらもオスです。


バンコクから戻ってくると、ミーとモムが仲が良くなっていました。
ええ、ピーガン(○○X)してました。(笑)

モムは隣の家の犬ですから、隣の家で食事をもらえます。(その割にはしょっちゅううちの犬のを横取りに来ますが。)
呼ばれてモムが行くと、なぜかミーが一緒についていきます。

モムが餌を横取りに来ると、すぐ明け渡してしまうミーですが、どうしたんだろうと思って見ると、何とモムがミーに餌を食べさせていました。
お前たち、そうかー、もうそういう仲なんだね。(笑)


ところが、昨日あたりから様子がおかしいのです。
そして夕方くらいには、完全に状態が変化しました。

ミーの周りにトゥムがまとわりついて、他の犬を寄せ付けません。
私がミーを呼んでも必ずついてきて、唸り声をあげて他の犬を威嚇します。

ミーとトゥム

今朝もこんな感じです。
一方のモムは、遠くから2頭を眺めています。

遠くで眺めるモム

どうしたモム、彼女を奪われちまったのかい?


ミーは、まだトゥムに心を許していないようです。
トゥムがマウンティングしようとすると、牙をむいて抵抗します。

これにはさすがのトゥムも困っているようです。
力づくで、あるいは酒などで酩酊させて女を手込めにするのは、どうやら人間くらいなようですね。(笑)


今朝、ついにモムとトゥムが衝突しました。
女(メス)を巡って、本気で噛み合う取っ組み合いのケンカ。

ほぼ同じサイズの中型犬同士のケンカは、なかなか迫力がありますね。
妻が、近くにあった金網を投げつけてもやめません。

結果は、どうやら引き分けのようです。
ということで、ミーを巡るトゥムとモムの争いは、今後も目が話せませんね。


ちなみにスアは、蚊帳の外のようです。
ミーに興味があるのかどうかわかりませんが、時々モムやトゥムにやられてキャンキャン言ってますので。

しかし、誰もミーをやっつけたりはしません。
女という立場によるものなのか、一番強いのは意外とミーかもしれないなぁなんて思っています。


話は変わりますが、実は数日前から家の裏に新たな資材が運び込まれていました。
そして昨日、ついに工事が始まりました。

家の裏の工事

元々コンクリートを敷いてあったのですが、それがかなり傷んでいました。
それに傾斜もあったので、それを補修改善しています。

昨日はコンクリートを敷いたので、表の出入り口が使えなくなりました。
それで、テラス側か裏口から出入りする必要があるため、店の用具類の置き場所が変わりました。

置き場が変わると、何がどこにあるか探すことが増えて大変です。
しばらくはテラスに物を置くことになりそうです。


しかし、これはついでの工事で、メインは壁を作ることにあるようです。
犬や鶏が入ってこれないようにするもの。

またここでも1万バーツ出させられました。
妻も1万バーツ出したので、総額2万バーツの工事です。

工事をしておられるのは親戚の方のようで、今日で3日目ですが、夫婦と女の子が一緒に来ています。
女の子は、ここで遊んでいるだけですけどね。

今日は他に手伝いの方も来られているようです。
きっとまた、昼食を一緒に食べるのでしょう。


昼食は、それぞれがカオニァオの入ったおひつと、おかずを少し持ち寄ります。
おかずは中央に出して、みんなでつまんで食べます。

こういう分け合って食べる習慣は、自分にはないものだけに、すごいなぁと思います。
田舎らしいところですね。


さらに今朝、また秘密基地(お店のこと)の要塞化が進みました。
店の内部、厨房を他と分けるために網を張ったのです。

網で仕切りを作った

写真は、これまで自転車で仕切っていたところです。
ここだけではなく、反対側の壁からずっと網を張り、写真の右側にある店の後ろ側の柱まで張りました。

これによって、店の三方が囲われたことになります。
犬対策というより、子ども対策ですね。(笑)


先日、バンコクで買ってきた道具類が役立ちました。

DIY用具

DIYと言うんでしたっけ?
トンカチ、ペンチ、スパナ、ドライバーという基本的なものに加え、電気関係にも対応するためラジオペンチ、はんだごてもあります。
今回買ったのは、トンカチ、ペンチ、はんだごて、それと工具箱です。

1つ失敗したのは、トンカチがぎりぎり工具箱に入らなかったこと。
もう1つ柄が超短いトンカチがあったのですが、それは使いづらいだろうと思ってやめたんですよね。


そう言えば、以前はブリキ製の工具箱を持っていたなぁと、今更ながら思い出しました。
たしかペンチも持っていたはずです。

あれ、どうしたんだっけ?
たぶん、引っ越しの時に妻が邪魔だと言うので、捨てたような気がします。

捨てなきゃよかったなぁ。
まあでも、捨てたから新しいのを買えたとも言えるわけで、まあこれで良かったということですかね。
 
タグ:DIY 事件
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:52 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月14日

田舎の空は飽きません

ここ数日、朝夕の空の写真を撮ってみました。
空は、ただ眺めているだけで飽きません。特に田舎の空は。
どうしてでしょうね?

そんな思いが伝わるかな?
撮りためた写真を紹介します。
※写真をクリックすると大きくしてご覧いただけます。
 さらにその拡大写真をクリックすると、別タブでさらに拡大表示されます。



●夜明け

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ほぼ同じ位置から撮った夜明けの空の写真を並べてみました。
別アングルの朝の写真はこちら。

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●夕暮れ

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1枚目と2枚目は、約15分の時間差で撮った東の空です。
西日を受けた雲が輝いていますね。

夕暮れに見えないかもしれませんが、5枚目の写真がその時の西の空。
太陽はもうすぐ沈むところです。(18時過ぎの写真です。)

いかがでしたでしょうか。
何の説明もありませんが、ただ空を眺めてみるという気分に浸っていただけたらと思います。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:31 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

女を巡る争い、その後

先日、「女を巡る争いがありました」という記事で、私の身の回りの事件をお伝えしました。
まあ、犬の話ですけどね。


登場人(犬)物は、4頭の犬。メス1頭にオス3頭です。

うちで飼っているのはまだら模様のオスで気性の荒いスア(虎)と、真っ黒で小さいメスのミー(熊)。
この2頭とつるんでいるのが、隣の家で飼っている茶色い中型犬のオス、モムトゥムです。

トゥムは耳が中から折れていますが、我が道を行くという孤高のタイプ。
一方のモムは、意外と気の小さい甘えん坊。

バンコクから戻ってみると、モムとミーがいい仲になっていました。
ピーガン(いわゆる性交)してたので。


そこに割って入ったのがトゥム。
モムやスアがミーに近付こうものなら、間に入って威嚇します。

そしてミーと二人(頭)きりになると、クンクンと甘えたように鳴きながら、ひたすら低姿勢で許しを請います。

しかし、ミーはまったく許そうとしません。
不意をついてマウンティングしようものなら、牙をむいて反撃します。

犬も、この人(犬)と決めたら、一途なのでしょうか?


しかしトゥムも、24時間ずっと張り付いているわけにもいきません。
そのスキを突いて、モムとミーがまたピーガンしてました。

ところが、どういうことが起こったのかわかりませんが、しばらくして見ると、互いにお尻をくっつけた状態でじっとしています。
うすうす勘付きましたが、かわいそうなのでその時の写真は撮りませんでした。

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これは、離れた後の写真。
犬でも、抜けないなんてことがあるんですね。(笑)

それと、根元の部分は柔軟で、後ろに180度まで折れても平気なんですね。
改めて、人間と同じところや違うところがわかりました。


トゥムは、一生懸命にライバルを蹴散らしてミーにアピールするのですが、まったく見向きもしてくれません。
何だかトゥムが可愛そうになって、私のところへ来た時は、頭を撫でて慰めてあげました。

男なら当たって砕けろだよ。とことんやってみようよ。
ダメならダメでいいじゃないか。とことんやれば、後悔しないからさ。
それに女はなにもミーだけじゃないだろ。フラれたっていいじゃないか。


なんだか私自身のことを思い出しながら、そんな言葉をかけてあげましたよ。


そんなことをしていましたが、2日くらい前から様子が違います。
これまで、モムに出会えば威嚇していたトゥムですが、一緒に歩いていたりします。

ひょっとして、仲直りしたのでしょうか?
それとも、・・・

その理由が、昨日わかりました。

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トゥムは、向かいの家のメス犬と、いい仲になりつつあるようです。

向かいの家でも数頭の犬を飼っているのですが、最近、うちの店の前のタライに溜まった水を飲みに来る犬がいたのです。
これまでそんなことなかったのに、どうしてだろうと思ったのですが、その理由もわかりました。

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このメス犬には、子犬が2頭いるようです。
少なくともそのうちの1頭はメスのようですね。


ところがどうしたことか、ミーといい仲のはずのモムが、そのメス犬にマウンティングしかけます。

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おい、モム! てめえ浮気してんじゃねぇよ!

そう思って気づいたのですが、最近、ミーと一緒に寄り添って歩く姿がありません。
モムはミーと別れたのでしょうか?


ここからは想像ですが、おそらくミーは、妊娠する期間(発情期)が過ぎたのだと思います。
すでに妊娠したかどうかはわかりません。

発情期のオスは、メスのお尻を嗅いで、妊娠できるかどうかを判断するのでしょう。
そして、そうとわかればピーガンしようと誘いかけるわけです。

一方のメスは、発情期でなければオスの誘いを受けません。
それだけでなく、気に入ったオスの誘いだけを受けるのです。


ということで、うちの女を巡る男の争いは終わったようです。
今朝は、みんな一緒にまとわりついてきましたから。

それにしても、1頭だけ蚊帳の外のスアは、大丈夫ですかね?
時々なめてきれいに保ってはいるようですが。
 

タグ: 発情期
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:47 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

田舎で暮らすということ

私は今、タイの田舎で暮らしています。

携帯電話のインフラは以前から整っていましたが、ネットのインフラは最近になってやっとです。
そのためか、停電すると基地局のアンテナ装置がシャットダウンしてしまうようで、立ち上げ直しに時間がかかります。

集落のメインストリートは舗装されていますが、それ以外はあまり舗装されていません。
ここの集落から街に出る幹線道路に出るまでに、1ヶ所だけ未舗装部分があります。
以前は半分以上が未舗装でしたが、今は数百メートルほどになりました。


そんな田舎で暮らしているのですが、ある意味で私の子どものころ(昭和30年代後半から40年代前半)の生活に似ていると思います。
一言でそれを表現するなら、こうなります。

「虫と一緒の生活」


はい、もうおわかりでしょう。
田舎で生活するというのは、自然の中で生活するということ。
自然の中で生活するということは、虫がうようよいるってことですよ。

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さっそくお見せしちゃいました。
ハエ取り紙です。

こちらのハエ取り紙は、2つ折りの紙を開いて置くタイプなのですね。
私が子どものころは、天井から吊るすタイプでした。

この写真は、朝6時くらいから夕方5時くらいまで置いた結果です。
もちろん、これですべてのハエが取れたわけではありません。
翌日も、その翌日も、またその翌日も、これと同じくらい取れますから。(笑)


考えてみれば当然ですが、ハエだけ異常発生しているわけではありません。
ハエが多ければ蚊も多い。

ということで、露出した部分はもちろん、汗でへばりついた薄手のTシャツの上からも刺されます。
半ズボンを履くことが多いこともあって、ヒザから下は刺されっぱなし。痒くてかきむしるので、あちこち血が出てます。


そうするとどんなことが起こるかというと、・・・

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傷口に出ている体液を吸おうとして、ハエや他の虫がやってくるのです。
これがね、チクッと痛かったりするんです。知ってました?

ハエのそばの小さい虫は、何という虫か知りません。
そんな知らない虫がいっぱいいるんです。

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たとえばこういうの。
ハエみたいな感じですが、通常のハエより圧倒的に数が少ないし、動きもそれほどすばやくありません。

ついでに、ピーガン中の虫もいました。
前回の記事の犬に次いで第2弾です。(笑)

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これも何という虫でしょうかね。
かれこれ3時間以上、この態勢でじっとしてました。

 

虫が多ければ、虫を食べる動物も多いです。
前にも紹介したトッケーくんに、また登場してもらいましょう。

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初めてのアングルですが、天井にいるトッケー(やもり)です。
ヤモリですから、天井にいてもおかしくはありませんが、何せ図体がでかいですから。

天井のトッケーは、しっぽが切れているため、それほど大きく見えないかもしれません。
ということで、うちにお住まいの巨大トッケーくんに登場してもらいましょう。

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体長(頭から尻尾の先まで)30cmはあろうかというトッケーです。
ちなみにヤモリもトカゲと同じで、しっぽを自分で切って危険を回避します。


このトッケーくんは、あまり姿を見せないそうで、鳴き声は聞いたことがあっても姿を見たことがない人が多いのです。
なので、トッケーを見るとラッキーだという説もあります。

でもね、彼らも生きてますからね、やっぱウンチをするんです。
5mm×25mmくらいの円筒状のウンチが、時々落ちています。

他にもネズミのウンチもあるし、わけのわかんないウンチがいっぱい。
さすがに人のウンチは落ちてませんけどね。(笑)

※トッケーの捕食の動画は、こちらで紹介しています。
 「いつもの生活に戻ります」


もっと小さいサイズのヤモリもいます。チンチョックです。
これはチンチョックかな? それともトッケーの子どもかな?

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チンチョックにしては、ややでかいサイズのヤモリでした。
ちなみにチンチョックも鳴きます。「ケケケケ」みたいに。

 

夜寝る時は、蚊帳を吊って寝ています。(これまで数日間の訪問の時は、蚊帳などなかったんですけどね。)
蚊帳があるので、蚊など飛んでる虫の襲撃は、ある程度防げます。
ついでに、天井から落ちてくるトッケーのウンチ避けにもなります。

しかし、それでも虫を完全に防げるわけではありません。
まずは広げた布団の中にいる虫を丹念に拾って外へ出すのですが、それでもまたやってきます。


結局ね、田舎で暮らすということは、虫と同居するってことなのですよ。(ウンチもね。)
虫がいてもしょうがない。虫がいるのは当たり前。
ほら、またこれを書いてる間も、変な虫が顔の周りを飛び回ってるし・・・。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:24 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月17日

おじさんの誕生祝いパーティーがありました

タイの田舎、イサン地方で暮らしていますが、何もない田舎でも日々変化があります。

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3日前、妻が自作したサンドバッグです。
中身は砂ではないと思います。

バンコクでムエタイを習っていたので、その練習をしたいのだとか。
ムエタイが好きだからではなく、ダイエットのための運動です。

閉店後は晩飯を食べずに、サンドバッグを叩いたり、腹筋したりしてます。


家の横の改装工事も進んでいます。

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これは2日前の写真です。
傾いていた床は平らになり、横にブロック塀もできました。

この後、奥の壁も作っています。
その後どうなるのかわかりませんが、昨日、今日は誰も工事に来ないようです。


さて、昨日の話です。
いつものように晩ご飯は食べないと言っていた妻ですが、急に食べると言いだしました。

ルークチンの傷みかけたのがあるので、それを揚げて食べてしまおうということです。
それでルークチンを揚げて食べ始めたところ、隣のおばさんと何か話したかと思うと、急に言いました。

「おじさんの誕生日祝いのパーティーに行くよ!」

え〜、聞いてないよ〜! この食べかけの夕食、どうするの!?
と言ったところでどうしようもありません。
妻が言い出したからには絶対ですから。


急遽、閉店して片付けをしました。

「終わった? まだ? 早くシャワー浴びて!」

片付けをしている私に、さっさとアップナーム(水浴び,シャワー)を済ませた妻が言います。
あのねぇ、だったら手伝ったらいいじゃないの。ブツブツ。


やっと片付けが終わり、すぐさまアップナームして着替えます。
それからバイクの後ろにまたがり、いざ出発!

そうです。バイクの運転は妻がします。
私の方が上手いと思いますが、妻は自分が運転することにこだわるのです。
なので私は、抵抗せずに妻に任せています。


前にも紹介したリゾートへ行きます。
おじさんは、ここの経営者ですから。

と思ったら、バイクはリゾートの前を通り過ぎます。
あれ? リゾートでやるんじゃないの?

妻に問うと、その前にプレゼントを買いに街まで行くのだとか。
それならそうと最初に言ってくれたって・・・。
と思うものの、まあそれを知ったからと言って、何がどう変わるわけでもありませんからね。


ようやくリゾートに到着したのは、もう20時を回っていました。

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しばらく待ってから、みんなで席に尽きます。
何の司会もなく、それぞれ適当に飲み食いし始めます。
これがタイスタイルですね。

私はもちろん、リオーをいただきました。

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LEOと書いてありますが、タイ人はリオーと呼びます。
ちなみに私が着ているTシャツもLEOですね。(グッドタイミング)


しばらくして会場の照明が消え、いつもの曲がかかりました。
バースデーケーキの登場です。



タイで誕生日のお祝いをする時は、必ずと言っていいほど、この曲がかかります。
そしてろうそくを立てたケーキがやってきて、その火を吹き消すのです。


それからまたしばらくは、飲み食いタイムです。
食事はガイヤーンと豚(牛?)モツのタイ式焼き肉です。

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これはケーキの写真。
もう取り分けた後ですけどね。


最後におじさんのワンマンショー。(笑)

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ここの大食堂には舞台とカラオケが用意してあって、カラオケも楽しめます。
もちろん、別途、カラオケルームもありますよ。

動画でもどうぞ。



おじさんは気持ちよさそうに歌っていましたが、私たちは途中でおいとましたました。
翌朝もまた5時起きですからね。


タイでは、宴会を開く人がみんなにご馳走するのが普通です。
なのでこの日は、タダ飯タダ飲みです。

宴会とかパーティーはタイ語で「งานเลี้ยง(ンガーン・リアン)」と言います。
ンガーンは式というような意味で、リアンは養うという意味があります。
つまり、言葉からして振る舞い会みたいな感じなのです。


帰宅して寝たのは、もう23時近くでした。
いつもは20〜21時には寝るので、随分と夜更かしです。

でも、最近はバンコクに行ったときしか街にも出てなかったので、久しぶりに娑婆(しゃば)に出た気分になりました。
タダでビールも飲めたしね。(これが大きい)

おじさん、おめでとう!
そして、ありがとうね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:21 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

新学期が始まりました

タイの学校は、だいたい5月始まりのようです。
3月半ばから5月半ばまで、長いところで2ヶ月間の年度末休暇になります。

タイはこの間にソンクラーンがあり、ちょうど一番暑い時期でもあるので、ある意味で夏休みです。

そんな長い休みも、先週でだいたい終わりました。
ここの集落の学生たちも、それぞれの方法で通学しているようです。


タイは、だいたいどこもスクールバスが走っています。
人数によってはバン(ロットゥー)になったりもしますが、多いのはやはりソンテウでしょうか。

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ピックアップトラック(ロットガバ)の荷台を改装した乗合バスです。

スクールバスは、どこでも乗れるわけではないので、乗れる場所まで出てくる必要があります。
うちは集落のメインストリートに面しているため、だいたいこの近くにバスが停まります。


バス以外で多いのは、バイクです。
高校生以上なら普通だと思われるかもしれませんが、どう見ても小学生(高学年)と思える子どもが運転しています。

近所や仲の良い友だちと2人乗り、3人乗りで通学します。

しかし、年齢的にバイクの免許は取れないはずです。
それで本当に乗っていいの? 先生や警察は何も言わないの?

そういう疑問を妻にぶつけてみたところ、「大丈夫だ(マイペンライ)」とのこと。
田舎はそれでいいのだと。

まあ、大丈夫だからみんな乗っているんでしょうけどね。
それにしても・・・アメージング・タイランド!(笑)

しかも、みんなノーヘルです。
昨夜も街までおじさんのプレゼントを買いに行ったのですが、セブンイレブンの近くにいると、ノーヘルの男女がバイクで来ては去って行きました。


考えてみれば、私の田舎でもそれに近いものがありましたからね。
私の同級生でも、すでに車を運転していましたから。

田舎では、自分で足を確保できないと不便でしかたありません。
チャリ(自転車)では機動力がありませんから、やはりオートバイか自動車になるのです。

こういうところも、時代と共に変わっていくのでしょうね。

なお、私たちはもちろんヘルメットを被りましたよ。
だって私は、妻の後ろに座るのですから。(笑)

 

●家の周りで撮った写真

店番しながら撮った写真を載せます。
写真をクリックすれば、大きくして見られます。さらにクリックすれば、最大サイズ(新タブ)になりますよ。

まずは空の写真から。

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次は家の周りです。

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画像ですが、田舎の風景を楽しんでください。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:26 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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