「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」で紹介されていた本を読みました。タイトルからして衝撃的ですが、著者、宮本延春(みやもと・まさはる)さんの生い立ちはもっと衝撃的でした。
小学校からいじめに合い、それは中学校を卒業するまで続きます。勉強をする気力すらなくし、中3で九九は2の段までで、分数の計算などまったくできません。知っている英単語はbookだけ。書ける漢字は自分の名前のみ。16歳で母を亡くし、18歳で父も他界。中卒後に大工の見習いになるも、相変わらずいじめられる過酷な職場で、そこを2年で退職。
もう人生の前半だけで「終わってる」と感じられるほどですが、ここから大逆転が始まります。きっかけは、NHKの番組でアインシュタイン博士の偉業を取り上げたものを見たこと。そこで物理を勉強したいという強い衝動を覚え、働きながら定時制高校に通い、名古屋大学に合格します。
こんな波乱万丈な人生ですから、どうしてそれが可能だったのか、どこにつまづいたのか、興味が尽きません。それを知りたくて、すでに文庫化されていたこの本を買って読んだのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「どんなに勉強ができない子供でも輝かしい可能性があることも知っています。
ちょっとした”キッカケ”があれば誰でも頑張れる!
これは私がこれから伝えたいことです。」(p.19)
「はじめに」で宮本さんは、このように言っています。宮本さんはこのことを、子どもたち自身に知ってもらいたくて、この本の対象を小学校5年生に定め、それ以上で習う漢字に読みがなを付けたと言っています。
「そして、この信頼があってこそ、初めて私の言葉が相手に届くのです。
言葉は、信頼の上に立ってこそ、言葉の本当の力を発揮できるのです。」(p.29)
何を話す(伝える)かではなく、誰が話すかが重要なのですね。信頼されていなければ、何も伝わらないのだと。
そして、その信頼関係を築くには、まずは教師の側から生徒を信頼することです。大人が子どもを信頼することです。日常の挨拶など、日々、教師の側から生徒に働きかける姿勢が重要なのだと宮本さんは言います。
「人から褒めてもらう、評価してもらう、認めてもらうことで、自分に価値を見出すことができるのです。そしてこれが、自信へとつながるのです。」(p.42)
単純に「褒める」ということには、アドラーを知っている私としては違和感を感じますが、こういう効果があることも事実だと思います。ただしこれだけでは主体的に勉強する気持ちにはならないでしょうけどね。
宮本さんはこれに加えて、わからない生徒にはわかる部分まで遡って指導することと、質問してきた生徒にはわかるまで説明するというスタイルを貫かれているそうです。
ただそうすることで、クラス全体の授業進度の問題も出てくるので、それが課題だと書かれています。わかる生徒にとっては、かったるく感じて興味を失いますからね。
「世の中が甘いか甘くないかは、私が生きていく以上、私が決めることであり、他人に決めてもらうことではありません。決定権は自分にあるのです。決定権が自分にあるからこそ、自分の人生の責任は自分にある。他人の物差しではなく、自分の物差しで測らなくては、私にとっては意味のある人生にならないのです。」(p.72)
大工見習いをしていた時、親方や同僚のひどい仕打ちに耐えられず、1週間ほど引きこもったことがあったそうです。その時、納得できる生き方とはどういうものかを考え続け、ノートに記していったのだとか。そうして1週間後、今の仕事は辞めて、好きな音楽に没頭しようと決めたそうです。
もし1年後に死ぬとしたら、10年後に死ぬとしたら・・・。両親を早く亡くしていることが、死は突然やってくるという思いを抱かせたのでしょう。そして、だからこそ今を悔いなく生きようという思いになったのです。
「さまざまな考えが頭を駆けめぐりました。
が、私は自分に言い聞かせました。将来への不安は今に始まったことではなく、これまでの悲惨な生活の中では何度も経験してきたことではないか。ここで尻込みしてどうなる。」(p.122)
定時制高校に通っていた1年生の終わりに、学校から理科実験助手の仕事をしないかと持ちかけられます。目標が名古屋大学ですから、このまま工務店の仕事をしながらでは、勉強時間が確保できないからです。
しかし、とても良くしてもらっている工務店を辞め、一時的な仕事で給料もこれまでの1/3になる理科実験助手をすることは、リスキーだと感じたのです。
けれども、ここでも挑戦しなかったという後悔だけはしたくないという思いから、宮本さんはこの話を受けることを決断しました。こうして勉強の時間を確保し、現役で名古屋大学に合格することになるのです。
「理解できることの嬉しさのほうが大きく、成績のことはあまり気にならず、また、自分自身に妙な自信があり、いつか私が一番になると信じていました。そして、この自信は二年生の二学期に実現するのです。」(p.126)
好きな物理でしたが、2年生になって勉強を初めて半年くらいは、校内で10番に入るかどうかというところだったそうです。進学校ではないので、名古屋大学を目指すなら最低でも校内トップでなければならない。そういう思いがあったようですが、それでも途中の成績は気にならなかったそうです。
結果を追い求めながらも、結果を手放している感じが伝わってきますね。結果を気にせず、その時その時を楽しむ。それによって、望む結果が得られるのです。
「「ささやかな目標であっても、自分にとって価値のあるものならば、それを見つけただけでも素晴らしいことであり、その目標に向かって努力することは、この上なく尊いことです。そして、その目標を達成させるための努力こそが、『学ぶ』という行為そのものなのです」
これが、「学ぶ意味」を見出だせないでいる生徒たちに伝える私からのメッセージです。つまり、目標を持ち努力することに意味があるのであり、その過程に「学ぶ」ことが付随してくるのです。」(p.186)
宮本さんは、途中、プロのミュージシャンを目指したこともありました。このことからすると、そのために音楽の知識を得、技術を磨いたわけですが、それも「学ぶ」ということになります。
そう考えると、「学ぶ」という行為は、必ずしも学生の特権でも義務でもありません。目標や夢がある限り、人は誰から言われなくても「学ぶ」のです。
しかし宮本さんは、学校の勉強は基礎だという一般論を、この本の中でも持ち出されます。昔の寺子屋の読み書き算盤のようなもので、基礎力がなければ、夢や目標が見つかってもそこから先に進めないからと。
「オール1」からでも、しっかりとした目標が見つかれば学びながら成長していけるのだという実例を示しておきながら、目標がないうちからしっかり勉強をすべきという結論を出されていることには、少し違和感を感じます。
宮本さんは、だから目標は「褒められる」というような小さなものでもいいのだと言われます。しかし、勉強は自分のためにするものであって、誰かから褒められるためにするものではありません。結果的にそれが将来役立てばいいのでしょうか? その将来があるかどうかさえわからないのに。
宮本さんは、もし1年後に死んだとしたら・・・ということを考え、その職場を辞めて、無謀とも思える音楽への挑戦を決めたのです。それなら、今すぐ大きな目標がないとしても、学業よりも今やりたいことを優先するという考え方になっても良いと思います。そうなっていないことが、この本を読んでいて、少し残念だなと感じた部分です。
「私は、人生でいろいろな壁にぶち当たりました。いじめや落ちこぼれをはじめ、両親との死別や社会の荒波、それらはとても厳しく辛いものでした。
そんな苦しい生活をしていても、社会のどん底で生活していても、「夢」や「希望」を捨てなければ幸せになれるチャンスはやってくることを知りました。
その一番のきっかけは、「人との出会い」でした。
そんな人との触れ合いや出会いが今の私を作っているのです。」(p.253 - 254)
この本には、宮本さんの人生に大きな影響を与えた方々との出会いが数多く書かれています。宮本さん自身は、奥様との出会いが大きな意味があったと述懐されています。
しかし、本当はすべての出会いに大きな意味があったのではないかと私は思います。なぜなら、すべての経験が今の宮本さんを創っているからです。いじめた同級生も、無関心だった先生も、辛く当たった大工の親方も同僚も、早く亡くなられた両親も、すべての方が宮本さんに必要な経験をもたらした。
この「あとがき」に書かれているこの文章を読むと、ここまで書かれていたこととは、何だか結論が違うぞという気持ちになります。宮本さんは、奥様との出会いによってアインシュタインとの出会いが導かれ、そこで夢や目標が生まれました。また、定時制高校での素晴らしい先生方との出会いによって名古屋大学に合格し、その出会いが教師という目標を与えてくれました。つまり、夢や目標も、出会いから始まっています。
その出会いは、宮本さんが努力して得た結果ではありません。いわば「偶然」とも言えるものです。たまたまそういう出会いがあり、目標を持つことになり、その目標に向けて頑張っていたらさらによい出会いがあり、人生が好転した。
そう考えると、たとえ今、不遇のどん底だったとしても、人生を見限る必要はないということになるかと思います。どんなどん底からでも逆転できる。だとしたら、勉強ができなくても気にするな、勉強が嫌いなら他の好きなことをやれ、という結論になっても良いように思いますが、どうなのでしょうね?
もちろん、嫌だけど頑張って勉強するという人生も、悪いことではないでしょう。人生は、どうなったとしても上手くいくのですから。そう思っている限り、人生は何をしてもあきらめる必要はないのだと思います。
そして、私がこの本を読んで感じた宮本さんの人生が好転した理由ですが、それは勇気を出して決断したことだと思います。
上記に引用したように、大工見習いを辞めて好きな音楽の道に進むと決断したことがありました。人生は結果ではない。やるか、やらないかだ。やらないで後悔したくはない。やって結果が伴わないなら、それで本望だ。そう思って一歩を踏み出したことが、好転のきっかけだったのではないかと思います。
そして次は、そこまでよくしてもらっていた工務店を辞め、定時制高校の理科実験助手になるという決断です。居心地がよく安定した経済状況を手放し、それでも好きなことをやると決断したのです。
おそらくこれ以外にも、小さな決断が何度もあったことでしょう。そしてその度に、宮本さんは好きなことをやる道を選んだのだと思います。好きなことだから主体的になれるし、努力しても辛くはありません。そのことが、また良い出会いへと導いてくれたのではないか。私はそう感じるのです。
