2018年02月04日

人生を照らす禅の言葉



白駒妃登美さんが紹介されていたので、この本を買ってみました。臨済宗円覚寺派館長の横田南嶺(よこた・なんれい)氏の本です。月刊雑誌「致知」に「禅語に学ぶ」と題して連載されたものを元に、1冊の本にまとめられたものになります。

横田氏は、高校生の頃から坂村真民さんに傾倒しておられました。そういうこともあり、真民さんの詩を数多く紹介されています。禅と聞くと、何だかわかりにくい禅問答を思い浮かべますが、とてもわかり易い表現で解説しておられ、読みやすい本でした。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

江戸末期に神道の一派を開いた黒住宗忠(くろずみ・むねただ)は、毎朝の日の光を拝むことを大切に説かれた。お日様の光を吸い込む、日拝(にっぱい)という修行が今でも黒住教で大切に行われている。「天地万物はお日様の光あたたまりの中に養い育てられている」「各々からだのあたたまりはお日様からいただいたものである」など、簡明な教えを説かれている。」(p.35)

森信三先生も黒住教の教えを評価されていたそうです。そして真民さんもその教を学び、毎朝の光を吸う「初光吸飲」という行を続けておられました。真理を体得された先人の教えは、相通じるところがあると横田氏は言います。

私の友人にも、毎朝のように日の出の写真をFacebookにアップする人がいます。日の出を拝むという感性は、日本人にはもう当たり前のことのように感じます。


古来禅の修行は行雲流水などと言われ、自由自在に師を求めて行脚(あんぎゃ)をした。それも大事である。しかし、どこにいてもその師や道場の欠点ばかりを目にしていてはものにはならない。」(p.57)

これは、「法遠(ほうおん)去らず」という禅語の紹介に書かれています。この禅語の意味は、法遠という修行僧の話です。厳しい師のもとで修行しようと通っても、なかなか許してもらえない。そればかりか、雪の舞うある日、入門を求める僧たちに頭から水をかけたのだそうです。多くの僧は去っていきましたが、法遠だけは去らなかったとか。

こうして入門を認められた法遠ですが、これで終わりではありません。たびたび怒りに触れ、無理難題を押し付けられる。それでも自分は道を求めて来たのだからと、そこを去ることなく修行を続けたのです。

人生には、理不尽な出来事が多々あります。その時、そういう自分の外のものに原因を押し付け、自分の生きる道を見失ってしまいがちです。そういう時こそ、この「法遠去らず」という禅語を思い出してほしいと、横田氏は言われるのです。


お釈迦様は、自ら人間において道を求め、人間において悟りを得たと語られたが、お釈迦様を尊崇するあまりに、時代が経つにつれて、お釈迦様を神格化し、我々にはとても及ばない高いお方だとして、我々はただあがめ奉るようになっていった。仏や祖師を尊崇することは尊いことには違いないが、禅はそのようなあり方を否定した。」(p.84)

これは「一無位の真人(しんにん)」という禅語の話です。つまり人には誰にもその中に、「一無位の真人」という素晴らしい存在があるのだということです。

「一無位の真人」は常にお互いの眼でものを見ており、耳で聞いており、鼻で匂いを嗅いでおり、舌で味わい、身体に触れて感じている。この生きてはたらいているいのちそのものにほかならない。」(p.84)

私たちは、本質である「生命(いのち)」を見るのではなく、属性的なものを見て判断しがちです。お釈迦さまが素晴らしく、自分は凡人だという見方も、属性的な見方なのです。お釈迦さまにも自分にも、素晴らしい生命が宿っており、その生命こそが何にも代えがたい素晴らしいものであると見る。そういう見方が重要なのですね。


そんな一時の感情を苦にしなくてもいいのです。それよりも、いま自分は泣いていると自分を認める。気がついているもう一人の自分が、あなたの中にいることに気がついたことがありますか。今僕が喜んでいると、喜んでいる自分を知るもう一人の自分が、あなたの心の中にいることを考えてください。このもう一人の自分を身体で学ぶのが禅の修行なのです。」(p.95)

これは松原泰道氏の「一期一会」という書物に載っていた話だそうです。「本来の面目」という禅語の話の中にあります。「本来の面目」とは本当の自分のこと。それは、自分が何をしているか、何を感じているかを観察している自分のこと。それが「生命(いのち)」そのものなのです。


果たして私たちは、このように自分のいのちをなげうってまで人を救えるであろうか。それは難しいことであろう。かといってできない人を責めることはない。
 ただ、こうして今この世に生まれて、生きていられるということは、不思議なこと、ありがたいこと、賜ったいのちなのだと真摯に受け止めて、自分の都合ばかりを考えずにこのいのちを何かのお役に立つように勤めようと願いたい。誰かのお役に立ってこそ、初めて本当の利益であり、真の功徳でもあろう。
」(p.111)

これは「無功徳」という禅語の話です。禅宗の開祖である達磨大師が梁(りょう)の国に入られた時、その王は熱心な仏教の信者だったので、達磨大師を厚くもてなしたそうです。そして、自分が行ったことを示して、どんな功徳があるかと尋ねたとか。その時の達磨大師の答えが「無功徳」だったのです。

利益を求めて信心に励む人は多いですが、利益というのは「他人のためになること」だと言います。自分の益を求めるようなエゴイスティックなものではないのだと。したがって、自分の益になるかどうかを度外視して、ただ自分がそうあるべきと思うあり方を体現しようとすること。それが真の功徳なのだろうと思います。


和するということは、強制し統一するのでなく、お互いを認め合うことである。違いを認め合ってこそ和することができよう。自らの利益ばかりを求め、他に強制し統一しようとばかりしていては、ますます大宇宙の大念願から逸れてしまうであろう。」(p.186)

これは「和気(わき)、豊年を兆(きざ)す」という禅語の話です。「「和気」は、穏やかな気分、和らいだ心、相和合した陰陽の気、暖かい陽気という意味がある。」とあります。「和して同ぜず」や「和え物」という言葉が示すように、「和する」というのは、それぞれの個性を活かして調和することです。

最近の日本では、「常識に従え」とばかりに均一化することが調和だとする傾向があります。しかし、本来はそうではないのです。それぞれ、性格も考え方も価値観も違う人が集まり、互いにその違いを認めあって一緒に暮らす。その違いをよしとして、その上でどうするのが互いのためにいいかを考える。最初から相手を否定したり、自分たちの考えを押し付けることではないのです。


妻よ
 三人の子よ
 法要もいらぬ
 墓まいりもいらぬ
 わたしは墓の下にはいないんだ
 虫が鳴いていたら
 それがわたしかも知れぬ
 鳥が呼んでいたら
 それがわたしかも知れぬ
 魚が泳いでいたら
 それがわたしかも知れぬ
 花が咲いていたら
 それがわたしかも知れぬ
 わたしはいたるところに
 いろいろな姿をして
 とびまわっているのだ
 墓のなかなどに
 じっとしてはいないことを知っておくれ
」(p.198)

真民さんの「坂村真民全詩集 第五巻」からの引用です。この真民さんの詩は、まったく知りませんでした。まるで「1000の風になって」という歌のようですね。

しかし、多くの人がこう言うように、私たちは肉体ではなく、本質は不死の魂なのだと思います。だからこそ、肉体がなくなった後も、様々な姿となってこの世に存在する。いえ、この世そのものが幻想だから、本質的な世界には存在し続けるのだから、幻想であるこの世に偏在できるのです。


古代中国において、禹王(うおう)が船に乗って河を渡ろうとすると、竜が襲ってきた。船に乗っている人はみな恐れおののいた。しかし禹王は「生は寄(き)なり、死は帰(き)なり」と言って、平然として取り乱すことがなかったという。」(p.213)

「生は寄なり、死は帰なり」というのは、魂の故郷はあの世であり、生とはあの世からこの世に立ち寄ったもので、死とはあの世へ帰るものだから、何ら死を恐れることはない、という意味になります。

私も、子どもの頃には死が恐くて、その恐さから泣きながら眠った夜もありました。自分というものがまったくなくなってしまう虚しさ、二度と愛する人と会えない、つまり愛されることのない悲しさを感じたのだろうと思います。しかし今は、魂は不滅だということを受け入れているので、死そのものへの恐さはあまりありません。ただ、痛いのは嫌だなぁと思うくらいです。


白駒さんの紹介なら間違いないだろうと思い、あまり内容も吟味せずに購入しました。読んだ結果は、大正解でしたね。後でわかったのですが、これは雑誌「致知」に連載されたものがベースです。それならもう間違いありません。今でこそ購読していませんが、おそらく20年か30年くらい前に10年くらい購読しました。とても内容の濃い雑誌で、最近話題の無意味なゴシップ雑誌とはまったく異なります。

「致知」では、真民さんの話もたくさん紹介されていましたね。横田氏の連載も、そういうところからつながったのかもしれません。雑誌を購読されている方には、同じ内容の繰り返しになるかもしれません。しかし、繰り返して読んでみるのも良いものです。それだけ深い内容がありますから。

人生を照らす禅の言葉
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:55 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月12日

おクジラさま



予想外に素晴らしい本でした。そう最初に結論を書きたくなるほど、すごい内容だったのです。あとで引用したいと感じるページには折り目を入れながら読むのですが、それがなんと34ページもあります。さすがにそれだけ引用することは難しいので、この紹介記事をどう書こうかと頭を悩ませています。

著者は佐々木芽生(ささき・めぐみ)さん。大ヒット映画「ハーブ&ドロシー」の監督です。その最新作の映画が、同名の「おクジラさま ふたつの正義の物語」。2017年9月9日より日本国内で公開となっています。これは、「ザ・コーヴ」で話題になった太地町のこと、捕鯨のことなどを、賛成派反対派双方の視点から問い直してみる映画なのだそうです。

この本は、その映画公開と同時に発行されました。サブタイトルに「ふたつの正義の物語」とあります。これは映画のタイトルにも付けられています。どっちに正義があるのか、はたまた別の真実があるのか。そんな問題に取り組んだドキュメンタリーのような内容です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

この映画制作者の独善性と、漁師に一方的に向けられたカメラの暴力性が、『ザ・コーヴ』への最大の不快感であり、違和感だった。ドキュメンタリー作家としての倫理の許容範囲を超えているように思えた。」(p.11)

佐々木さんは、アメリカで上映された「ザ・コーヴ」を観て、このように感じたそうです。自分たちが正義だから相手を悪だと決めつける独善性、その正義のためなら相手を騙すことも平気で行う手段を選ばない態度などに、不快感を感じたと言います。


私は、『ザ・コーヴ』のような映画がアカデミー賞を取ったこともさることながら、日本側から『ザ・コーヴ』制作者へのきちんとした反論が聞こえてこないこと、そして太地という町がピンポイントで国際社会からやり玉にあげられてしまった不運に、驚きと大きな憤りを感じた。」(p.16 - 16)

「ザ・コーヴ」がアカデミー賞を受賞した時、太地町の町長は声明を発表しました。その内容は、映画が科学的根拠に基づかない虚偽のものであるし、太地町の漁は県の許可を受けた正当なものだ、というような内容でした。しかし、アメリカに届いたのはこの町長のコメントくらいで、日本政府や知識人などからの有効な反論は届かなかったのだとか。


しかし実際のドキュメンタリー「映画」とは、作家が独自の視点で事実を自由に切り貼りして、言いたいことを訴える表現手段というのが世界的理解だ。」(p.31 - 32)

ドキュメンタリーとは、客観的な立場から事実を伝えるもの、という観点から「ザ・コーヴ」を批判する人が多かったそうですが、それに対して佐々木さんは無意味な議論だと感じたそうです。

『ザ・コーヴ』がドキュメンタリー映画というジャンルに当てはまるかどうかはどうでもいいことで、それよりも北教育長が証言したように、取材者への不誠実な態度、制作者の独善的な姿勢、事実誤認の部分など内容そのものを検証し、正面から批判すべきだったと思う。」(p.33)

これは、映画が何を伝えるかということが、問題の本質にあるからです。仮にそれがフィクションであっても、日本が第2次大戦で残虐なことをしたという映画が多数作られ、年中上映したら、人々はそれを真実だと受取ります。そしてそういうことが起こっています。(日本人は無関心ですが。)でも、そこが問題なのです。


まずアメリカ人は自分たちで考えることを教育されている。だからきちんとした情報さえあれば、公平に判断してくれるはずだ。
 ところが捕鯨問題に関しては、反捕鯨を唱える環境保護団体からの情報しかない。そのためアメリカ人は、反捕鯨側の意見だけで判断するしかない。
」(p.33)

効果的な反論や適切な情報開示が行われないために、大衆を敵に回すことになっていると言うのですね。これは渡部昇一さんも、アメリカは大衆の意見で動くのだから、政府を相手にするより「みなの衆」を相手にすべきだと言われていたことと符合します。大衆に対して、血の通う言葉で訴える必要があるのです。


この映画が提示するものは、クジラやイルカの問題をはるかに超えるテーマではないか。北が言うように、違う価値観や文化、歴史を持つ人間たちが、地球の限られた資源をどう共有し、共存していくのか。映画は、そこまで問いかけなければならない。」(p.36)

佐々木さんはこう言って、今回の映画に取り組む姿勢を示しています。まさにこれこそが、この本のテーマにもなっています。


交わることのない考え方や価値観の違いは、気が遠くなるほど大きいように見える。ここに歩み寄りを期待するほうが、間違っているのかもしれない。何だか絶望的な気持ちになる。戦争とは、こうして始まるのかもしれないと思う。」(p.85)

私も、こういう絶望感を感じることが多々あります。歩み寄る姿勢とは、自分を曲げることではありません。相手の中に、自分が気づかなかった真実があるかもしれないという、可能性を持ち続ける姿勢です。根本的に相手に対する敬意を持ち続ける姿勢だと思います。


これだけ世界の批判が日本に集中しているのに、日本側から有効な反論が聞こえてこないことへのもどかしさ、その原因のひとつは、英語での情報の欠如と、日本側からの情報発信の仕方がまずいと気がついていること。」(p.116)

佐々木さんは、きちんとした反論が英語でなされないために、問題が深刻になっていると考えているようです。そのために、互いが憎しみ合い、対立し合っている。そのことが悲しいのだと。これはまさに、慰安婦問題などの構図です。遠慮してきちんと反論しないから、誤解され続けているのです。相手を誤解させておいて、誤解する相手を非難する。そんな関係になっています。


私たちは、人間と似たような動作や感情表現をする生き物を賢くかわいいと思う。だからと言って、人間らしい生き物だけを優れていると決めつけて、優先的に保護しようという考え方は、いかがなものだろうか。」(p.134)

たしかに、イルカやクジラは、人間に近いコミュニケーションを示します。しかし、だから優れているとか、だから保護されなければならないと線引きをすることに、私も違和感を覚えます。そういう考え方を否定するつもりはありませんが、その考え方だけが絶対的に正しいとは言えないと思うからです。では、何を基準にするのか? そこに絶対的な基準はないと思います。だからこそ、他人の価値観を否定することは、対立を煽るだけで無意味なのです。


私は、玉林のことを知り画像や映像を見たことで初めて、太地を訪れる外国人活動家の気持ちに寄り添ってこの問題を考える機会を得た気がした。彼らがイルカやクジラに抱く強烈な感情は、きっと私の玉林の犬に対する思いに近いのだろう。しかし、外国人が現地に行って自分の考えを地元の人に押し付けたり、「残酷」や「野蛮」というレッテルを一方的に貼って世界に発信すれば、それは差別ととられても仕方がないし、地元の人の反発を買うのは当然だ。」(p.157)

犬を食べる習慣がある中国の玉林でも、一方的に報道され、批判されたことがあったそうです。その時、地元住民は声を大にして言い返しました。また報道記事へは、中国系アメリカ人から相当な反論があったそうです。こうやって反論があることによって、大衆は偏った意見だけに洗脳されることがなくなります。


この時ハンターが持っていたある明快なビジョンこそが、その後のグリーンピースを巨大組織に成長させ、環境保護活動の手本となった。
 それは、現場へ行って「クジラの命を救う」ことではなかった。救うために活動している自分たちの姿を「映像に収める」ことだったのだ。具体的には、ソ連の捕鯨船が放つ銛(もり)とクジラの間に、自分たちが船で突入するところを、確実に映像で捉えることだった。
」(p.210)

自分たちをヒーローとして描くことが支援者を増やすことになる。いくらクジラを助けに行って何頭助かったと報告しても、それでは支援者は増えないのです。ストーリーを映像で伝える。これは人の感情にストレートに訴えかける方法なのです。

一握りの若者たちのグループが、世界最大の環境保護団体に発展したのは、何よりも優れたメディア戦略があったからだ。というよりグリーンピースそのものが、環境保護を訴える「メディア組織」そのものだったからだ。」(p.213)

映像でストーリーを語るということが、どれだけ人々を根拠なく動かすことができるかということだと思います。もし、洗脳ということを言うのであれば、まさにこれが洗脳だと言えるでしょう。


結果として、良識を持ったジャーナリストがどんなに中立でありたいと思っても、太地側から何の情報も得られないまま記事を書くことになり、情報源としてシーシェパードのような団体に頼らざるを得なくなってしまう現実がある。」(p.215)

小さな町に、英語で海外のメディアに対応するような組織はありません。営業時間が終われば、対応は明日に持ち越されます。一方、シーシェパードのような団体は、つねにWEBサイトなどで大量の情報を英語で発信しています。締切のあるメディアは、中立にしたいと思っても、それができない現実があるのです。だからこそ、日本政府がもっと危機感を持って、こういうことに対応すべきだと私は思います。慰安婦問題もそうですね。


言葉は武器になる。毒に満ちた言葉によって、人は病に倒れることさえある。彼らが私に向けて放った強力な毒を私は身体で感じ取った。そしてベッドから起き上がれなくなった。」(p.225)

佐々木さんが中立的な映画を創っているという情報が新聞の英語版で流れた途端、シーシェパードなどから散々に叩かれたようです。彼らは佐々木さんのことを恐れ、まだ力が弱いうちに叩こうとしたのでしょう。言論の自由というものはありますが、言葉は人を殺すことさえ可能な武器なのだと思います。


日本で捕鯨に反対する活動家を批判する時、よく聞くのが彼らの目的が「金儲け」だというものだ。しかし企業が利益を上げるのと、環境保護団体のようなNPOが利益を上げることが、まったく別問題であることはあまり理解されていない。」(p.241)

人は、相手の行動が理解できない時、自分の価値観を当てはめて理解しようとします。それがまさに、シーシェパードなどは金儲けのためにやっているという考え方です。しかし、そういう思い込みで相手を決めつけ、思考をストップさせることが、相互の理解を妨げる結果となっています。


捕鯨に反対する海外の活動家と日本の捕鯨推進派は、実は奇妙な共存関係にあるのかもしれない。海外の活動家にとって、クジラやイルカ問題は効率良く活動資金を集めるための材料だ。クジラ、イルカ以外の動物を使って、同じ規模の資金を集めるのは難しいだろう。だから、やめられない。一方、日本の捕鯨推進派にとって、シーシェパードなど海外の活動団体は、日本の文化や伝統を攻撃する「敵」である。「敵と戦う」という理由で日本の世論を簡単に味方につけられる。」(p.247)

日本人で、今、クジラ肉や、ましてやイルカ肉を食べる人は、ほとんどいないと言っていいでしょう。しかし、捕鯨に賛成する人は60%に達すると言います。つまり、外国から土足で踏み入られ、潰されそうになっている日本の文化を守ろうという意識なのです。もし、こういう責め立てるようなことをしなければ、日本人は自らの意思として捕鯨をやめるかもしれない。そういうことを佐々木さんは指摘しています。


今、世界を動かしているのは、日々人間の「感情」に大きく揺さぶりをかける、インターネットとソーシャルメディアの拡散力と、そこを通じて発信される単純化されたメッセージだ。」(p.274)

この例として、ツイッターをうまく使ったトランプ大統領の当選や、イギリスのEU離脱をあげています。サイレントマジョリティたちが、インターネットの情報などから、自分たちの主張を示したのだと。

それが本当かどうかはわかりませんが、単純化されたメッセージが感情に大きく揺さぶりをかけるというのは本当だろうと思います。本当は人は千差万別であり、様々な考え方の違いがあるのに、レッテル貼りをする(単純化)ことでまったく交わることができない異分子という認識を作り、それを敵とみなすような考え方が広まっています。

そうやって作られた敵同士がネット上で様々なバッシングを行い、ヘイトスピーチを繰り返し、いがみ合っているのです。


『ザ・コーヴ』は、我々をサディストのように描いた」という、刺激的な英語の見出しがつき、記事は全世界に配信された。太地の一行は、思いを伝えることができて、心のつかえが少し取れたようだった。三軒町長が、取材を終えてホテルへ帰る時にポツリと言った。「これからは、ちゃんと発信していかなければなりませんね。今回釜山に来て、その大切さがわかりました。」

 和歌山県の小さな町で起きている紛争を観ながら、戦争とはこうして始まるのだと思った。
」(p.277)

2016年10月に、映画「おクジラさま ふたつの正義の物語」は、韓国の釜山国際映画祭で世界初公開されました。その時、太地から町長もかけつけ、海外メディアからの取材を受けたのです。観客の多くは、太地町に同情的だったと佐々木さんは言っています。


この本を読んで思ったのは、本当に正義は人それぞれにあるのだということです。太地町には太地町の、シーシェパードにはシーシェパードの正義がありました。その争いに関連して、日本人には日本人の、アメリカ人にはアメリカ人の、そしてその他にもたくさんの、その人なりの正義があるということです。

まずはそれを認識することが重要だと思いますが、認識できない人もいます。そういう人には助けが必要です。その助けの一つが、自らの情報を発信するということです。決して相手を批判するのではなく、自分はこう考えるのだという冷静な考え方です。他の人をリスペクトしながらも自分をリスペクトする。そうやって自分の情報を発信することが、自分だけでなく相手を救うことにもなるのです。

もちろん、そう簡単にことは解決しないかもしれません。しかし私たちは、この地球上で一緒に暮らしていかなければならない人間同士だという関係でもあります。そんな人間同士が、いがみ合っていた方が良いのでしょうか?

だんだんと距離感が縮まってきた現代。他と関係を持たずに1人で暮らしていくことなど不可能です。そうだとすれば、他人との関係をどう築けば良いのかを、考えて見る必要があるのだろうと思います。そのためにもこの本は、重要な視点を与えてくれると思いました。

おクジラさま
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:47 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

ナチュラル・レイキを始めました

今年(2018年)の1月に、日本伝統のレイキである直傳靈氣の師範格を取得しました。

これで、レイキを極めるための活動は、一段落かなと思っています。西洋レイキもマスターになってアチューンメントができるようになりましたし、直傳靈氣も霊授ができるようになったので。

massage_obaasan.png
しかし、今月末には妻の実家があるタイの田舎、イサン地方へ引っ越します。そこには日本人はほとんどいませんから、レイキの施術はできたとしても、講習を行うことができません。私がタイ語をあまり話せないことや、日本語での講習しかできないという制約があるからです。


そんな時、かねてから考えていたタイ人にレイキを伝えるために、大胆に簡略化したレイキがあってもいいのではないかと思ったのです。そしてそれを、「ナチュラル・レイキ」と名付けました。

なぜこんな名前にしたかと言うと、レイキの本来の姿は自然であり、本能だと感じたからです。人は、お腹が痛ければ手を当てます。怪我をした場合も、痛ければ手を当てます。なぜですか?

おそらく誰も、その理由を答えられないでしょう。それは、「本能だから」としか言いようがないのです。

その証拠に、お腹が痛い時に手を当てている犬や猫はいますか? 怪我をしたとき、手を当てている動物はいますか? いませんよね? 人間だけなのです。

犬や猫は、怪我をしたときに傷口を舐めます。なぜですか? 舐めると傷の治りが早くなると知っているからですか? 違いますよね? 犬や猫は、本能で舐めるのです。

生命の智恵は偉大だと思います。本能でそういう行動をさせているのですから。ですから、病気や怪我を癒やすためには、ただ手を当てれば良いというのが人間の本能であり、自然な所作なのです。


ナチュラル・レイキは、そういう人間の本能に従うことによって行うレイキです。そもそもレイキは、そういうものでした。創設者の臼井甕男(うすい・みかお)氏は、けつまづいて親指の爪が剥がれる大怪我をしたとき、痛さから思わず手を当てたのです。するとたちどころに痛みが消え、傷が癒えた。それがレイキの始まりです。

選ばれた人だけができる特別な能力ではなく、元々誰もが使える能力。それがレイキです。ですから、アチューンメントや霊授を受けなければレイキができないということはありません。もしそうしなければできないと言うなら、それは本能ではないことになってしまいます。


ただし、人は本能で歩けるとしても、赤ちゃんは歩けませんよね? 歩く能力があることと、歩けることは別なのです。レイキも同じように、手を当てれば癒す能力があることと、実際に癒せるかどうかは別です。

本来、アチューンメントや霊授は、元々ある能力を開花させるものです。しかし、開花させるのに特定の方法が必要なわけではありません。赤ちゃんがいつしか自然と歩けるようになるのと同様に、レイキができるようになるのにも様々な方法があり、いつしかできるようになるものなのです。


これが、「ナチュラル・レイキ」の重要なポイントです。詳細は、「レイキ癒し処」「ナチュラル・レイキ」の各記事をご覧ください。

この考え方にしたがえば、あまり小難しいことを教える必要性がなくなります。私のたどたどしいタイ語でも、タイ人に伝えられるのではないかと思っています。
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:12 | Comment(0) | レイキ・ヒーリング | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月16日

飼い喰い 三匹の豚とわたし



何を見て買ったのか忘れましたが、読み始めたら興味深くて、一気に読んでしまいました。イラストルポライターの内澤旬子(うちざわ・じゅんこ)さんが2008年10月から2009年9月まで、3頭の豚を飼い育て、屠畜場に出荷し、みんなで食べ比べをするまでのルポルタージュです。

昔はけっこうあったと思いますが、自分が育てた豚を自分で食べるということは、現代ではなかなか経験できません。「かわいそう」という感覚はないのか? そもそも、なぜこんなことを始めたのか? 様々な興味があって、この本を買ったのです。そして読んでみたところ、実に面白い。そして、いろいろと考えさせられました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

ちなみに畜魂碑を建てるという文化を持つ国は、日本の他にない。いや、探しているのだが、いまだ見つからない。」(p.3)

日本の屠畜場には、必ず畜魂碑や記念碑があり、畜霊祭のような家畜の魂を慰める行事があるそうです。日本人的には「さもありなん」と感じますが、こういうことが外国にないということに驚きました。


とはいえ現在は、アメリカやヨーロッパをはじめとする多くの経済発展国に住む人々が、動物の愛玩と食肉利用の境界には、堅固な壁があると信じこんでいるようにも思える。自分だって屠畜を取材するために各地を訪ねる以前は、そこに明確な境界があると信じていた。しかしそれはほんとうに不動の壁なのだろうかと、取材を重ねるうちに思うようになっていた。
 今回の計画は自分だけで気ままに行う試みなのだから、あえて名前をつけてかわいがった上で、つぶしてみてもいいのではないか。そもそも豚をかわいがったらどこまでかわいくなるのかということにも、興味がそそられる。
」(p.10)

何千頭もの屠畜を見てきた中澤さんは、それに対して「かわいそう」という感覚は持たなかったと言います。それが愛玩動物になったら違いがあるのだろうか、という疑問があって、今回のことを計画されたようです。

私の家では、鶏を飼っていたことがあり、卵を産まなくなるとつぶして食べていました。子どものころ、鶏に餌をやることがあったのですが、名前まではつけないものの、性格がおとなしい鶏には、「かわいい」ほどではなくても、少し思い入れがありました。その鶏が潰されたとき、その肉を食べるのに抵抗を感じたことを覚えています。


しかし生まれるそばから死んでいく豚に対面することで、何かが変わった。もし私があの時濡れた赤ちゃんを掴んで母豚の乳房につけてやったら、生きたのだろうか。それで助けてやっていればショックを受けなかったのだろうか。違う。そうではない。今自分が圧倒されているのは、生まれることの、死と隣り合わせの、文字通り紙一重の、どうしようもないはかなさだ。」(p.62)

豚の妊娠出産から立ち会うことにした中澤さんですが、出産ではショックを受けたようです。豚の排卵は20個ほどで、生れてくるのは10匹くらいなのだとか。しかし、死産も多いし、生まれても虚弱ですぐに死んでしまったり、猫が入ってきて襲われる子豚もいるのだそうです。

これまで、屠畜されていく豚を見てもショックを受けなかったのですが、この光景には何か違うものを感じたと言います。それは、生と死を分ける運命とも言うべき厳しさだったのかもしれません。


周りの反応を聞けば聞くほど、結局は何がかわいそうで何がかわいそうでないか、何を食べて何を食べないかという基準のもとになるものが、わからなくなる。結構いい加減な、単なる習慣に基づいているだけにすぎないのではと思わされる。なのにほとんどの人は、それを絶対的な確固たるものだと思い込んでいる。時にはタブーであるかのように、騒ぐ。実に不思議だ。」(p.140)

豚に名前を付けて飼おうとしたとき、屠畜関係の人からも反発を受けたそうです。農家が小規模に豚を飼っていた時でさえ、つぶす時は隣の農家と豚を取り替えたとか言って。一方で千葉のこの町には漁港があり、イルカをよく獲って食べているとか。欧米からは猛反発を受けていますが、イルカを食べるのは平気なのです。

たしかに、何を食べるかについては、それぞれ基準が違いそうです。この辺のことは、この前紹介した「おクジラさま」という本にも、同じようなことが書かれていますね。


二〇一〇年、宮崎県で起きた口蹄疫騒ぎで、感染を防ぐために殺処分せざるをえなかった牛豚に対し、もともと商売として飼って屠畜場に送り出すものなのに「かわいそう」と言う農家に違和感を持ったという意見が、ネットに上った。畜産の現場から離れたところから見れば、そう思えるのかもしれない。
 でも違うのだ。畜産は、そんな単純なものではない。自分がやってみて思ったのは、生き物を育てていれば、愛情は自然に湧く、ということだ。
」(p.171)

肉食用の家畜を育てていても、健やかに育って欲しいという愛情が湧くと言います。それは単に、それによって経済的な恩恵があるからだけではないのだと。

「健やかに育て」と愛情をこめて育てることと、それを出荷して、つまり殺して肉にして、換金すること。動物の死と生と、自分の生存とが(たとえ金銭が介在したとしても)有機的に共存することに、私はある種の豊かさを感じるのだ。」(p.172)

前に紹介した「いのちをいただく」という本では、屠殺をしている坂本さんの話があります。農耕用の牛だったと思いますが、いずれ使えなくなれば食肉になる運命だったのでしょう。私の実家の向かいも、農耕用の牛を飼っていました。どうしたのかは知りませんが、おそらく肉牛として売ったことがあったと思います。そういうことが、以前は普通にありました。


これまで私と三頭が交わしていたものが、どこに消えてしまうのかが、皆目見当がつかなかった。消えたら消えたでいいような気もするし、とても寂しい気もする。
 ペットではない。まして家族や友人でもない。彼らは家畜だ。かなりペットに近い形で飼ったかもしれないけれど、家畜だ。でも、たしかに愛情を交わし積み重ねてきたのだ。
 豚を食べるために殺すのに躊躇はないけれど、豚をずっと飼い続けていたい。
」(p.207 - 208)

屠畜の日が近づくにつれ、中澤さんの心には矛盾する思いが湧いてきたようです。最終的には、やはり食べることに決めるのですが。


しかも豚を一一〇キロまで育てるのにその三倍、三三〇キロの餌を食べさせている。肉はエコロジカルな食品ではないから、食べるのをやめるべき、と主張している団体の言うことも、わかる。ちなみに牛の場合は六五〇キロの体重の三割である、二〇二キロしか精肉は取れない。
 ただし、肉は美味い。私たちの生活文化に深く入り込んでいる。すべての人が地球環境のためを思って、植物だけを食べて生きる暮らしにシフトできるかといえば、非常に難しいのではないかと思う。
」(p.245)

豚の精肉は正体重の5割以下。牛になると3割。もちろん、内臓も食べられるし、骨も利用されますが、あくまでも精肉として私たちの口に入る精肉で考えると、それだけなのです。たしかに非効率と言えるかもしれません。その事実は私も認めます。ですが、私も肉は美味しいと思います。そして、肉を食べてきた文化を持つ民族もいます。一概に否定されるべきものではないと思うのです。


帰ってきてくれた。
 夢も秀も伸も、殺して肉にして、それでこの世からいなくなったのではない。私のところに戻って来てくれた。今、三頭は私の中にちゃんといる。これからもずっと一緒だ。たとえ肉が消化されて排便しようが、私が死ぬまで私の中にずっと一緒にいてくれる。
 こんな奇妙な感覚に襲われるとは、私自身、ほんとうにほんとうに思いもしなかった。
」(p.277)

3頭の肉を料理して食べた中澤さんは、こんな不思議な感覚を感じたのだそうです。


肉食をやめる、つまりとりこむ生命体を選んだところで、何かを殺していること自体に変わりはない。どこにボーダーを引くのかは、人間の暮らす社会の都合次第でいかようにでも変わる。そこに正義も善悪も真理もない。その生物を食べたいのか、食べたくないのか、種として残したいのか、残したくないのかがあるだけだ。それは人間の意思であり、エゴと言ったら言い過ぎだろうか。
 むしろ肉として食べながら、殺すこと、屠畜することを忌み嫌うように仕向け、時には屠畜どころか食肉全般の仕事に対して差別すら生んでしまう社会のありかたや、宗教、人々の気持ちと向き合い、なぜなのか、なぜなのか、と繰り返し問うてきたのだ。
」(p.277 - 278)

中澤さんは、答えは出ないと言います。感謝して食べたからと言っても、それすら罪悪感に被せる免罪符のように思えるとも言います。これとて、その考え方が「正しい」とも言えません。それぞれにそれぞのれの考え方があり、絶対的なものではないのす。

中澤さんは今回のプロジェクトによって、名前を付けた豚を殺すことを「かわいそう」と感じる人の気持ちも理解できると言います。しかしそれ以上に、生産、屠畜、解体、料理と、様々に関わってくれた人々への感謝の気持ちの方が大きいと言います。


今回の震災で、改めて電気と石油と水がなければ、どうにもならない大規模養豚の現実を知った。放射能事故では、不思議な逆転現象がおきた。これまでずっと輸入肉よりも国産肉の方が安心安全であるともてはやされてきたのに一転、輸入肉の方が安全、と思われるようになった。被ばく量以外のことに関して、輸入肉の衛生基準や安全対策について、何か進歩があったと言うわけでは、もちろんない。
(中略)
 非常に複雑な気持ちになる。被ばくを恐れるのは当然のことなのであるが、国産飼料にも、放牧養豚にも、それぞれ志を持って挑戦していた人たちがいると思うと、ほんとうに悲しい。」(p.302)

飼養頭数が増えることで、1頭の価格は安くなりました。しかし、大規模化によって、電気、石油、水が大量になければ畜産はなりたたなくなりました。東日本大震災の時は、電気が止まっただけで、日本の畜産は大変な状態になったのですね。

理想を描いて放牧をしていたところは、逆に放射能汚染の風評被害にさらされることになりました。恐がる気持ちもわかるけれど、様々な矛盾を感じ、中澤さんは忸怩(じくじ)たる思いを抱かれたようです。


最近、教育現場でも、こういう取り組みはあるようです。家畜を飼育して、それをつぶして食べるというものです。それに対して、賛成反対いろいろ意見があるようです。そういうこともあって、私はこの本のテーマに関心を持ちました。

そもそも、生命をいただかなければ生きていけないのが、この世界の生き物です。人間とて例外ではありません。「かわいそう」と感じれば、食べることを否定できるのか? 愛情をかけることと食べることは矛盾するのか? 「かわいそう」は愛情なのか? とても深遠なテーマだと思います。

おそらくこれは、絶対的な正解などないのです。現時点での私にとっての「正しさ」が存在するだけです。だからこそ、他人に押し付けるべきものではないと思います。それぞれが、このテーマについて考えを深めてもらえるといいかと思います。この本は、そのために役立つと思います。

飼い喰い 三匹の豚とわたし
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:26 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月17日

今月末にタイの田舎へ引越します

2001年11月にバンコクに移住してから約16年になりますが、このたび、タイの田舎、イサン地方へ引っ越すことになりました。

すでにお知らせしている通りですが、妻の実家へ移住します。妻の実家には、妻の母と弟夫婦、その子どもが暮らしていますが、そこに同居することになります。まあ、言うなればマスオさんですね。しかも無職の。(笑)

他のブログですが、「引っ越しまで1ヶ月を切りました」という記事を書いています。こちらでは、「リストラブログ」と呼ばれて、リストラされてから後のことを語っていますので、よろしければ読んでみてください。

またこちらのブログを主催されている吉江さんも、私の記事をメルマガで紹介してくださいました。その内容は、「これからの時代に支持されるミッション」という記事になっていますので、こちらでご覧ください。


どんな生活が待っているのか、それはまだわかりません。ただ、この田舎暮らしのことを、こちらのブログに載せようと思って、新たなカテゴリー「タイの田舎・イサン地方暮らし」を作りました。今日は、その最初の記事になります。

これまでの経緯などは、先程紹介したリストラブログをご覧くださるか、こちらのカテゴリー「ブログ」に2016年5月22日に載せた「リストラされてわかったこと」以降の記事をご覧くださると、だいたいわかるかと思います。

もし興味がありましたら、左サイドバーにあるメルマガの、「幸せ実践塾通信(SJ通信)」に登録してください。そこに詳しく書いていますので。こちらのまぐまぐ配信になって以降の過去ログは見られますから、そちらもご覧になってください。


さて、それではまず妻の実家があるタイの田舎のことをお話しましょう。

タイには76の県とバンコク都があり、国土面積は日本の約1.4倍もあります。大きく4つの地域に分けられていて、北部、中央部、南部、そして東北部です。その東北部のことをイサン地方と呼びます。それぞれ言語や文化に特徴があります。

私の妻の実家は、イサン地方にあります。日本の東北地方とイメージが重なるのですが、多くの人が首都バンコクなどに出稼ぎへ出ています。バンコクのタクシーの運転手やメイド(メーバーンと言います)のほとんどは、イサン地方出身者です。タイで運転手やメイドという職業は、学歴のない人がやる仕事とされています。奴隷制度の名残でもあるように感じます。

タイの経済は、中央部が最も豊かで、次が南部です。肥沃な土地があることから、2毛作や3毛作が可能だったり、暖かくてゴム園を経営できるなど、土地が豊かだったことが大きい要因のようです。北部は高い山が多いのですが、土地そのものは肥えているようです。

一方、タイで最も人口が多いイサン地方は、赤土の大地で、灌漑が整っておらず、乾季には作物を育てることができません。したがって、米作も年に1度の1毛作です。多くの農家がカオニァオ(もち米)を作っており、主食はカオニァオです。経済的に、タイの中で最も厳しい地域となっています。(だから出稼ぎに出るわけですけどね。)


妻の実家は、そんなイサン地方の中のサコンナコーン県にあります。イサン地方の中では比較的に経済的に豊かなウドンタニー県の東側になります。北はノーンカーイ県、ブンカーン県、西はナコーンパノム県です。この3県はメコン川に接していて、その対岸はラオスとなっています。ラオスは言葉がイサン語と近いものがあり、民族的にも同じと言われています。

妻の実家は、サコンナコーン県の中でも最も北に位置するバーンムアン郡にあります。したがって、ウドンターニー県、ノーンカーイ県、ブンカーン県と県境を接しています。空港はサコンナコーン県の県庁所在地のムアンサコンナコーン郡にもありますが、地理的にはムアンウドンターニー郡の空港の方が近いです。

バンコクからだと、北バスターミナル(モーチット2)から深夜バスも出ていて、約10時間で終点のバーンムアン郡の中心に到着します。飛行機ならドンムアン空港からノックエアかエアーアジアでウドンターニー、またはスワンナプーム空港からタイスマイルでウドンターニーへ行き、そこからロットゥーなどでバーンムアン郡の中心まで来られます。しかし、そこから妻の実家までは、さらに10km以上離れてます。


isan2016.jpg

そんな辺鄙なところへ、今月末には引越します。これまで、もう10回くらいは泊まりに行ったでしょうか。ですので、生活の様子などはよくわかっています。しかし、行く度に思ったのは、「もう二度と来るものか!」ということです。それほど、私にとって快適な場所ではなかったのです。

それでも、そこに移住することに決めました。さて、どうなりますか。そんなことを、このカテゴリに書いて行こうと思いますので、どうぞ応援してくださいね。
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:49 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月19日

私は、悲しみも劣情も、静やかに眺める。



誰の紹介だったかすっかり忘れましたが、黒田充代(くろだ・みつよ)さんの本を読みました。スピリチュアル関係のようですが、黒田さんがどういう方なのかよくわかりません。紹介文にはこう書いてあります。「目に見えるものと目に見えないもの。世界に溢れる陰陽両極のバランスを、独自の見渡し方で捉えなおし、どんな現実も「私らしく」受け入れる中庸の心で生活している。」

これでは、どんな仕事をされているのかとか、よくわかりません。しかし、おそらく、どんな仕事かが気になるのは、私がいわゆる「世間的な」見方をしているからでしょう。黒田さんにとっては、それはどうでもいいのです。それよりも、「中庸の心」で生きているかどうかが重要なのだろうと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

中庸な心は自分自身さえも見渡します。
 物事に「〜べき」を定めず、「良い」「悪い」、両極を見渡して受け入れる「中庸な生き方」は、最初から目指してできるものではありませんが、どんな感情に襲われても、真っ先に自分自身に還ることができたなら、いつか真の中庸さに辿り着きます。自分をすり減らすことなく、どんな感情も行き着くところまで味わい尽くす、その全体を見渡す行為こそが、「調和」なのだと気づいたのです。

 良くしよう、巧くやろう、じゃなく。
 自分の考えや思いを「そのまま」に見渡し始めたら、自分の小さな世界は必ず動き出し始めます。
」(p.4)

黒田さんは、印象的な言葉を使われます。「中庸」とか「見渡す」は、そのままではなかなか理解しづらいと思います。その意味をこの本では説明していますが、必ずしも論理的なものではないため、私などはよくわからないという気持ちになります。しかし、感覚的にとらえる人には、伝わりやすいのかもしれませんね。

ここで語られていることは、スピリチュアル系ではよく言われていることです。決めつけないことや可能性を認めること。価値観は人それぞれだし、自分も変わるということ。すべての感情を受け入れて味わうこと。結論としては同じでも、そのとらえ方に黒田さんの感じ方があるのでしょうね。


動搖するとき。
 心の中にある「中庸な場所」を思い出してほしいのである。

 動揺する自分があること。
 それを愛(いと)しむ、いまの私がいる。

 否定も肯定もなく、心が揺れるということを感じられるようになったとき。
 初めてそこに、心地よさというものがやってくるのだと思う。
」(p.33)

動揺するというのは、感情に振り回されそうな時でしょうね。その動揺してしまう自分を愛しむ自分がいると黒田さんは言います。スピリチュアル系では、観察する自分という言い方をしますが、そういう存在でしょう。

観察する自分は、それをいちいち「良い」「悪い」などと決めつけたりせず、ただただ観察しています。だから、否定も肯定もせず、「心が揺れているんだなぁ」と感じる。こうして観察する自分こそが本当の自分なのだと気づくと、そこに平安がやってきます。


私の考える「中庸」とは、人間は極端に偏っていてもいいし、相反するものを持っていてもいいという概念。この世の中には、有っていいものも、無くていいものも、同じく存在しているという定義である。

 相反するという意味を「両極」とするなら、それらを持ち合わせる感覚とは、すでに調和されている状態。どちらかを、少数を、切り捨てながら綺麗に調和させるのではなく、両極を見渡してどちらも持ち、それがどんな状態だとしても、否定も肯定もなく見渡す感覚が中庸である。
」(p.36 - 37)

他の文章と違って、ここでは論理的な説明をしています。「中庸」「見渡す」という意味が、ここで説明されていました。ただ、偏っていてもいいのであれば、両極がないので調和していないことになってしまいます。概ね理解できるものの、こういう矛盾点が少し気になります。


欲しいものや願うものだけを選び取り、意図的に引き寄せたとしても。
 なくていいものや、思わず視線を逸らしてしまいたいものを引き寄せたとしても。

 実は、それはひとつの塊の両極であり、すべては両極で創られている世界であるということを、無作為に「引き寄せ」という形で、私たちに気づかせてくれているのかもしれない。

 すべての物事には両極がある。
」(p.78 - 79)

すべてに両極があるというのは、スピリチュアル系でよく言われていることです。コインの裏表という言い方もしますね。ですから、表(良い面)だけ引き寄せたくても、それは不可能です。裏(悪い面)も同時に引き寄せられるのだと。黒田さんも、そういうことを言われているのだろうと思うのですが、ややわかりづらいです。


なにものにも決めつけるということがない、私は自由だ。
 中庸な人はそれだけで自由な人。
」(p.156)

決めつけないから自由でいられる。その感覚は私もわかります。決めつけるというのは、「こうでなければならない」と必要性にとらわれることだからです。


世間の喧騒に甚だ敏感であるなら、正直それらには、少々鈍感であってもいいくらいの話だ。だが、こと自分自身からの騒(ざわ)めきというものには、スッと反射的に立ち上がるような直感力が、とても大切になってくる。

 感覚を研ぎ澄ます! というこの行為が、現実的に活かせたとき、落とし込めたときに初めて、自分らしいスピリチュアルに触れることができると筆者は思う。
」(p.196)

世間の雑音、つまり常識がどうのこうのというような声には、鈍感であっていいと黒田さんは言います。しかし、自分の心の声には敏感であるべきだと。スピリチュアル系では、常に内なる自分を重視すべきと考えます。真実は外ではなく、内にあるからです。黒田さんも、同じことを言われているのでしょう。


黒田さんの文章は散文的で、正直に言えば私はあまりしっくり来ません。重要なことを語られていることはわかりますが、言葉が心に染みてこないのです。なので、目は字面を追っているものの、意味が頭に入ってきてこず、「あれっ?さっきのところはどんなことが書いてあったんだっけ?」と読み返すことが多かったです。

でも最初にも書いたように、こういう散文的な表現がしっくりするという人もいると思います。感じ方は人それぞれですから。書かれている主題的なことで、特におかしい(間違い)と感じることはないので、合う人にとっては役立つ本ではないかと思います。

私は、悲しみも劣情も、静やかに眺める。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:33 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

みかづき



友だちから紹介されて、内容もよくわからずに買った本です。森絵都(もり・えと)さんの小説になります。帯を見ると、書店員さんが選ぶ「本屋大賞」の第2位や、「王様のブランチ ブックアワード2016」の大賞を受賞した作品のようです。

私は作者の銛さんのことをまったく知らなかったのですが、初めて読ませていただいて、とても面白い小説を書かれるなと思いました。500ページ近い大作ですが、内容に惹かれて3日かからずに読み終えてしました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。その前に小説なので、その概要を説明しますね。

これは、千葉県の片田舎、八千代台から始まった塾とそれに関わる人々が、様々な問題を乗り越えながらも発展し、成長していく物語となっています。塾のことがテーマですが、広く学校教育を含む子どもへの教育にまで話題が及びます。

時代は、私が生れた昭和36年から平成20年代まで。その間の教育に関わる出来事はもちろん、流行っていたもの、その時代の問題、使われていたものなど、実に多くの点でその時代背景にマッチしたものが登場します。私もまさにこの時代を生きてきましたが、その出来事などが実際にいつどろだったのかなど、まったく覚えていません。ですから、よくこれを綿密に調べたものだなぁと感心しました。

そして、その間の教育がどのように変化していったかを、見事なまでにトレースしています。そしてそういう教育界の出来事が、この塾の方針や、その方針をめぐる対立などに、実に上手く反映されているのです。ひょっとしたらこれは森さんの自伝ではないかと思ってしまうほどに。(森さんは昭和43年生れですね。)

主人公は、大島家の人々です。塾を立ち上げることに情熱を燃やす千明。その千明に見初められた用務員の吾郎。千明の母の頼子、千明の連れ子の蕗子(ふきこ)、二人の子どもの蘭、菜々美、蕗子の子の一郎など。この家族が、変遷する教育に関わる価値観に翻弄されつつも、自分の教育観に正直であろうとします。時には挫折し、道を踏み外しながらも、たくましく生きていくのです。


塾教師の役目って、私、その気になればいくらでものびていく子どもたちの火つけ役になることだと思うんです。つまりはマッチですよね。頭こすって、こすって、最後は自分が燃えつきて灰になったとしても、縁あって出会った子たちの中に意義ある炎を残すことができたななら、それはすばらしく価値のある人生じゃないかって。」(p.71 - 72)

吾郎と意気投合し、小さい塾同士の合併相手となった勝見のセリフです。塾教師という仕事に、情熱を持って取り組んでいる勝見は、教育の役目は、子どもの心に火をつけることだと言います。これはまさに、喜多川泰さんの考え方と一緒ですね。喜多川さんは今、そういう思いで塾を経営されながら、子どもたちを啓蒙するような小説を書かれています。


そこに手をのばせば届く高等教育があるのに、求めるなと誰が言えますか。どんだけきれいごとをならべたところで、貧乏暮らしからぬけだすには、まずは勉強するしかないんです。だとしたらせめて、私は彼らに意味のある勉強をさせてやりたい。試験対策をつめこむだけの授業に可能性はありません。火ですよ、火。」(p.73)

同じく勝見のセリフです。昔の日本は、身分制度がありました。ですから競争などありませんでした。しかし、明治に敷かれた学制によって、教育次第で誰でもいい仕事につけるようになった。だから、教育において競争が生じるのは当然だと勝見は言います。

「受験戦争」という言葉が生れたのは、この頃だったでしょうか。それとも、偏差値が導入されたもうちょっと後だったでしょうか。いずれにせよ、私が中学生の頃には偏差値があり、受験戦争とマスコミは呼んでいました。少しでも良い点を取って、少しでも良い高校、良い大学に入り、良い会社に就職する。それが勝ち組の生き方だったのです。


「蕗子は心配いらないわ。あの子は人を許せる子だから、きっと幸せになれるでしょう。菜々美も大丈夫。おおらかというか、鈍感というか、あの子は、もともと人を裁かないから。ただ、蘭がねえ」
「やっぱり?」
「あの子は人を裁いて、そして、許さない。あの子、幸せになれるのかしら。」
」(p.152 - 153)

3人の孫の行末を案じる義母の頼子と吾郎の会話です。ここで思ったのは、「人を許せる」「人を裁かない」という資質が、本人の「幸せ」と直結しているという考え方です。なるほどと思いました。


目的は達せられずとも、蕗子と語らい、孫を抱いた。それだけでも遠路訪ねた甲斐はあった。来た道を戻っていくあいだ、数歩ごとに天を仰いでは、千明は自分に言いきかせた。もうこれ以上を望むまい、と。
 よくも悪くも自分は自分の道を行く。娘は娘の道を。たとえそれが永遠に交差しない運命のもとにあったとしても。
」(p.224)

家を飛び出した蕗子が、以前に塾の教師をしていた上田と結婚し、孫ができていると知った千明は、蕗子を訪ねて秋田まで行きます。その目的は、蕗子をこれから立ち上げようとする私学の教師として迎え入れるためでした。しかし、蕗子はその申し出を断ります。反発して家を飛び出したこともありますが、それ以上に蕗子は、制限のある公教育の中に自分の目指す教育を見つけたいと思ったのです。

母と娘の、教育に対する情熱の対象は違っていました。しかしそれを、千明は受け入れることにしたのです。娘には娘の人生がある。ある意味で、子離れ、親離れができた瞬間と言えるかもしれません。


蕗ねえが言ってた、お兄ちゃんは、挫折を知っている人なんだって。青春時代の一番多感な時期に、大事な何かを賭けて闘って、徹底的に負けている。だから強いし、だから優しいんだって」(p.239)

菜々美が千明に話したセリフです。蕗子の夫の上田は、角棒を持ってデモをやっていたということですから、学生運動に傾倒していたのでしょうね。そのことを言っています。この考え方も面白いなと感じました。多感な時に、大事な何かのために闘い、徹底的に負けることによって、強さと優しさが備わる。そういうことがあるのかもしれませんね。


詰まる処(ところ)、それが役人の本音なのでした。ごく一部のエリートと、その他大勢の庶民。国民を二分し、各々に相応しい教育を施すことで日本の国際競争力を高める。」(p.255)

千明が、文部官僚のA氏と出会った頃の話です。高校進学が5割を超えた頃、文部省はあえて高校新設を急がなかったと言います。それは、エリートだけが高等教育を受ければよいと考えていたからです。庶民は最初から高等教育など目指さず、おとなしく従うことで安定した生活が送れる社会に甘んじると考えたのです。

しかし、その目論見は外れ、エリートの椅子を巡って熾烈な競争が繰り広げられることになりました。たしかに、そんな時代があったのですね。千明は、この教育に関わる意見の不一致もあって、A氏との結婚を諦めたのです。


今は万事小器用な人間がウケる時代かもしれんが、要領のいいタイプというのは、その場その場の小さな成功に満足してしまうきらいもある。時間をかけて大きな仕事を成すのは、要領よりもむしろ粘りに長けたタイプだ」(p.383)

孫の一郎に語る吾郎のセリフです。吾郎は一郎のことを、一度も将来を悲観しなかったと言います。むしろ大きなことを成しとげるのではないかと思っていると。これも面白い考え方ですね。儒教にも、こういう考え方があります。「巧言令色鮮し仁(こうげんれいしょくすくなしじん)」大器は晩成するのです。


ああ、そりゃ楽じゃないさ。うちにかぎらず、少子化と平成不況のダブルパンチで、この業界はのきなみ青色吐息だ。が、それでも、わくわくするもんはしょうがない」(p.399)

一郎から塾の新人研修ノウハウを知りたいと言われた国分寺のセリフです。経営が楽でもないのに、一郎のために一肌脱ごうとしたのです。なぜなら、ワクワクするから。損得ではなく、それが教育に情熱を捧げる自分の生きる道だから。それが自分らしいから。そういう生き方を選ぶのですね。


絶対評価って、早い話が、主観ですよね。入試の選抜資料になる内申点だから、極端な話、担任に嫌われたら高校受験で不利に働く怖さもあるんです。それって、ものすっごいストレスなわけですよ」(p.415)

内申を気にしすぎる子どもたちを見て、一郎が不思議に思っていた時、仲間の阿里が語ったセリフです。数年前から始まった絶対評価は、内申点に対するこういう問題を起こしていました。阿里はそのころ、周りの空気を読まなければというようなプレッシャーを感じるようになったと言います。KYという言葉が流行りましたが、こういうことも一因としてあったのかもしれませんね。


最近の教育はなっていない、これでは子どもがまともに育たないと、誰もが憂い嘆いている。もっと改善が必要だ。改革が必要だと叫んでいる。読んでも読んでも否定的な声しか聞かれないのに最初は辟易したけれど、次第に、それはそれでいいのかもしれないと妻は考えはじめたそうです。常に何かが欠けている三日月。教育も自分と同様、そのようなものであるのかもしれない。欠けている自覚があればこそ、人は満ちよう、満ちようと研鑽を積むのかもしれない、と」(p.464)

吾郎が妻の千明について回顧する場面のセリフです。教育に欠けているものがあると責める声は、昔からずっと続いていました。どこまで教育に関する本を読んでも、それがなくなることがない。常に「欠けている」と指摘しているのです。そのことに辟易した千明ですが、ある時、それでいいのではと思ったのですね。なぜなら、それはもっと成長できるということだから。不完全であっても完璧なのだという悟りです。


私もかつては、教育の道を目指していました。(詳しくはプロフィールをご覧ください。)その道を断念してからも、何かにつけ教育に関係するようなことをやってきました。そして今も、このように「幸せ実践塾」というものをやっています。つくづく、教育に関わることが好きなんだなと思います。

そんな私ですから、この小説はツボにはまりました。ちょうど私が生きた時代ですし、その間にあった様々な出来事が心に蘇ります。それに、上記でも一部紹介しましたが、面白い考え方がいくつかあります。面白いというのは、「なるほどな」と感じるということです。これは、私自身へのメッセージなのかもしれない。そんなふうに感じたのです。

みかづき
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:31 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

1リットルの涙



これはおそらく「みやざき中央新聞」で紹介されていた本だと思います。サブタイトルに「難病と闘い続ける少女 亜也の日記」とあります。著者は木藤亜也(きとう・あや)さん。難病(脊髄小脳変性症)を患う亜也さんが発病した14歳から自力で書けなくなる20歳までつづった日記を本にしたものです。

闘病する亜也さんの励みになればと、1986年に単行本として出版されました。亜也さんは、その2年後に亡くなられています。2005年には文庫化されました。私は文庫本で購入しましたが、2017年に発行された54版となっています。この本が、いかに多くの人から支持されているかを物語っています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。なるべく私の解説を入れずに引用してみますね。

歩くたびに、そう、一歩踏み出すごとに感じる体の不安定さ、頼りなさ、みんなができることがやれない屈辱感、惨めさ。そんな気持ちは実際に体験しなければ理解できないものなのか? 本当にその人の気持ちになれなくても、少しくらいは、わたしの立場に立ってほしい。
 でも難しいことだと思い直した。わたしだって、こうなって初めてわかったことだから……。
」(p.23 - 24)

体育の授業を受ける代わりに自習を言い渡された時、クラスメイトたちから羨ましがられた時のエピソードです。動く身体があれば、自習より授業を受けたかった。亜也さんはそう感じたのです。


たった三メートルの幅の廊下が渡れない。
 人間は精神だけで生きていけないものか?
 上半身だけで、歩くことはできないものか!?

 わたしは空気のような存在の人になりたい。いなくなって初めて大切な存在であったことがわかるような、ともかく優しくて、にじみでてくるような、そんな人格の持ち主になりたい。
」(p.63)


わたしは、生まれ変わりました。
 身障者であっても、知能は健常者と同じつもりでいました。
 着実に一段ずつ上った階段を、踏みはずして下まで転げ落ちた、そんな感じです。
 先生も友達も、みな健康です。悲しいけど、この差はどうしようもありません。
 わたしは東高を去ります。
 そして、身障者という重い荷物を、ひとりでしょって生きていきます。
 こう決断を自分に下すのに、少なくとも一リットルの涙が必要だったし、これからはもっともっといると思います。
」(p.75 - 76)

東高の先生から養護学校へ移るよう勧められていました。と言うより、遠回しにみんなのじゃまになるから、移りなさいと言われていたのです。

担当した山本医師は、その時のことをこのように書いています。

教育の現場では、亜也ちゃんの扱いに困り、このような子のために養護学校ができていると判断されての処置であろう。だが亜也ちゃんは他の生徒にとって迷惑なだけの存在だったのだろうか。同級生の中には体の不自由な友達を助け労(いたわ)る気持ちがごく自然に芽生えて来ていたし、また亜也ちゃんの生きる真剣な態度に学ぶことも多かったのではないかと思われる。病気に関しての問い合わせもなく、規約通りにことを運ぶ教育に少なからず失望させられた。」(p.244)


もしも、わたしの体がもっと機敏に動けるならば、喜んでトイレの掃除もやりに行ったでしょう。自分の意志をはっきり主張できず、結局、わたしは「このやろう」と思いながら、何も言わずに退散した。
 部屋の外に出たとたん、悔しくて泣いてしまった。
 寮母さんが通りがかって、「集団生活の中で泣いてはいけません」。わたしは、どうしたらいいのでしょう?
」(p.108 - 109)

養護学校は寮生活です。亜也さんは、自分の体が思うように動かず何もかも遅くなるので、早く起きて半分だけ部屋の掃除を済ませ、ラジオ体操へ行って帰ってきました。すると部屋長から、部屋の掃除は無理だからトイレのタオルと汚物の始末をやってくれと言われたのです。亜也さんは、無理だからと勝手に決めつけられたことが悔しかったのですね。

それにしても、集団生活は泣くことさえ許されないのでしょうか? 自分が自分であることを否定される集団って、いったい何なのでしょうね?


後で気づいたことだが、資料館の中で広島の小学生たちといっしょになった。その子らは、展示物と車椅子の私を同じような気味悪いものを見るような目つきで見るのです。人の目など、気にしていてはだめだと思った。きっと車椅子や車椅子に乗った人が珍しいのだろう。そう考えて、ただ展示物にじっとくいいっていたような気がする。」(p.150)

養護学校の修学旅行で、お母さんが同伴して広島の原爆資料館へ行った時の話です。皮膚が焼けただれた人がさまようような人形が、まだ展示してあった頃のことですね。

車椅子で出歩く身体障害者と出会う機会が少ない。だから、奇異の目で見てしまうのでしょう。「見慣れる」ということが、健常者と身障者を近づけるカギになると、私は思っています。


十二年間の学校生活で学んだ知識、先生や友人から受けた教えを生かして、社会の役に立ちたかった。
 たとえどんな小さな弱い力であっても、喜んで与えたかった。お世話になった、せめてもの恩返しにしたかった。
 わたしが世の中に貢献できることは、死んだあと、医学の進歩のために体を提供して、腎臓、角膜、使えるところはみんなバラバラにしてもらって、病んでいる人にあげることぐらいしかないのか……。
」(p.165)

18歳になり、養護学校の卒業が近づいてきた頃です。徐々に動かなくなっていく体、将来への不安が、亜也さんに迫ってきます。


「良くはならない」と先生に言われてから、燃えてパッと散りたい、短命を願う、なんて覚悟までしているんだ。
 お母さん、心配ばかりかけ、何の恩返しもできなくてごめんね。
 弟妹よ、姉らしいことしてあげられなくてそのうえお母さんまで取り上げてしまって、許してね。
 これからの幾年月、のたうちまわって生きていくのがわたしの一生。
 ああ一体、どうしたらいいのだろう。
」(p.180)

病気が治ってくれたらという見果てぬ夢を、否定しながら生きる亜也さんです。


老人(わたし)の生活。
 若さがない、張りがない、生きがいがない、目標がない……。
 あるのは衰えていく体だけだ。
 何で生きてなきゃあならんかと思う。反面、生きたいと思う。
 楽しいことといったら、食べる、読書、書くことしかない。他の十九歳の人ってどんなことを楽しんでいるのかなあ。
」(p.193)


一年前は立っていたのです。話もできたし、笑うこともできたのです。
 それなのに、歯ぎしりしても、まゆをしかめてふんばっても、もう歩けないのです。
 涙をこらえて、
「お母さん、もう歩けない。ものにつかまっても、立つことができなくなりました」
 と紙に書いて、戸を少し開けて渡した。
 顔を見られるのがいやだったし、母の顔を見るのもつらかったので、急いで戸を閉めた。
」(p.202)


亜也が養護学校へ転校するのを機会に、中学生になっていた弟妹に、
「病気は治る見込みがなく、数年の内には目が離せない状態になると思うが、私が中心になって世話するから、あなた達は自分の将来の設計をしっかり立て、健康に充分注意していくように」と話した。
 黙って真剣に聞いていたが、数日して妹は肩まで伸ばしていた自慢の黒髪をばっさり切ってしまった。
「どうして切ったの?」
「うん、ちょっと変身してみたかっただけ」
 と答えたが、その後の行動の変化は、自分の生き方を定めたか、何か覚悟したな、と感じさせるものがあった。
」(p.256)

お母さんの述懐です。妹さんは、亜也さんが果たせなかった東高を卒業し、看護士を目指しているとありました。弟さんは、お母さんのことを気づかい、警察官になってからは少しずつ貯金をして、その通帳を「お姉のために使っていいよ」と言って置いていったそうです。

亜也の将来の世話について「あんた達がやるんだよ」と強要したこともないけど、自然と母なき後は自分達で世話しようと、土台固めしてくれている様子が窺(うかが)えることが、私にとっては何より嬉しいことである。」(p.258)


亜也さんという存在は、いったい何だったのでしょう? 何だと考えれば良いのでしょう? もし、身近に亜也さんのような人がいたら、いったい何と言葉をかけるのでしょうか? 「かわいそう」は上から目線だし、「がんばって」は酷だと感じます。ただただ見守ることしかできない。そんな気がします。

運命というのは、時に過酷なものだし、壮絶な人生を生きた人は多いことでしょう。そして亜也さんもまた、その1人です。もし亜也さんの立場だったら、事故や事件ですぐに死んだなら、その方が幸せだと感じるかもしれません。まるで真綿で首を絞められるがごとく、徐々に失っていく自分の機能と対峙する。それがどれほど過酷なことか、想像もつきません。

でも、亜也さんという存在は、無意味ではないことは確かです。最後のお母さんの述懐にあるように、亜也さんと出会ったことで、妹さんや弟さんは自立されたのです。きっと東高のクラスメイトたちも、亜也さんから何かしらの贈り物を受取り、その後の人生に生かされたことと思います。

人は、何かをして役立つだけが存在意義ではありません。どんな生き方であっても、その生きる姿を他の人にさらすことによって、何らかの贈り物をします。それは間違いないことです。だから、ただ生きたというだけで、充分に存在意義があると、私は思うのです。

1リットルの涙
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:31 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月24日

「絶望」に声を与えよう



誰の紹介で買ったのか忘れましたが、ジョン・キム氏の本を読みました。キム氏は、韓国の方のようですね。日本に留学されたことがあり、その後、慶応大学の特任准教授をされたりしています。サブタイトルは英語で書かれていますが、その訳が帯に書かれています。「感情を解放して、本当の自分と出会う。」こちらの方がタイトルよりわかりやすいですね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「絶望に声を与える」というのは、
 それまで無視され、ないがしろにされてきた
 自分の感情に対して

 関心を寄せ、
 ありのまま受けとめ、
 愛という光を与えることです。
」(p.3)

つまり、無視されたり押さえつけられてきた感情は、徐々に「絶望」に変化するということなのです。ですから、その絶望の声をもう一度聞いてあげること、抑圧してきた感情を受け入れ、解放してあげることが、「声を与える」ということになるのだそうです。


感情をコントロールするためには、まず、ネガティブな感情に対するネガティブな印象を捨てることから始めるとよい。」(p.26)

ネガティブな印象を持つから、見ないことにしようとするのだと言います。なかったことにされたネガティブな感情は、コントロールできなくなり、いつか爆発することになりかねません。ですからそうならないよう、ネガティブな感情を直視し、それがあることを受け入れる必要があるのだそうです。


この本を一番に読んでほしいのは、泣きたいのに泣けない人たちである。」(p.30)

泣きたいのに泣けない人は、心優しい人たちだとキム氏は言います。自分を抑えてでも、他人のことを思いやろうとする。他人に与えても、自分は受け取らない。そういう人は、他人に迷惑をかけられないと思うから、人前で泣けないのです。キム氏は、そういう人たちがこの本を読んで、いっぱい泣ける人が出てくることを望んでおられます。


関心や時間や愛情や言葉を与えられたネガティブな感情は、癒やされ、浄化されていき、最終的には、ポジティブなエネルギーに転換され、自分の人生をより強く、より美しく、より豊かにする方向へと作用してくれる。」(p.34)

ネガティブな感情に愛を注ぐと、それがポジティブな感情の起点になると言います。ですから、ネガティブな感情がない方が良いのではなく、むしろあった方が、ポジティブな感情をより増やしていけると言えそうです。


すべての感情は神聖なもので、どんな感情にもそれが生まれた理由があり、その理由をちゃんと考えてあげることによって、なぜその感情が生まれたか、ということがわかってくる。」(p.46)

感情がネガティブに作用するのは、泣き叫ぶ子どものように、自分に注目してほしいから。それを無視すれば、子どもは非行に走ったり、さらに暴れたりして注目されようとします。注目してあげれば、おとなしくなるのです。感情も同様だとキム氏は言います。だから無視をせず、その感情が生じた理由を考えてあげることが大事なのです。


誰かと会ったときに、その人と自分の差異ではなく、まずは類似性を見出すようにしてみる。究極的に言えば、その人と自分とのあいだの、存在としての区別を消していくことを目標とする。」(p.118)

これは、バリ島の大富豪、兄貴こと丸尾孝俊さんも言われてますね。まず共通点を探すのだと。そうして、仲間意識、友達関係を作ることが何より重要なのだと。キム氏も、区別する方向ではなく、統合する方向に考えることが大事だと言っています。


日常の幸せは自ら気づこうとしないと、喪失してはじめて気づかされることになる。その喪失が訪れる前に、日常のすべてのギフトを感謝の気持ちをもって受けとりたい。」(p.127)

これもよく言われることですが、ついついこういうことを忘れがちです。朝目覚めることも、目が見えることや耳が聞こえることも、歩けることや走れることも、すべて「当たり前」ではありません。それを失って初めて、それがいかに「有り難い」ことであったかに気づきます。だからこそ、そうなる前に、そのことに気づいて感謝することが重要なのです。


死に対するある種の割り切りを持つことで、日常の幸せを増やすことができる。
 終わりを意識することで、瞬間に対する感謝と緊張感が生まれてくる。
」(p.129)

人は、生まれた時から死に向かって歩いていると言われます。死亡率100%なんて表現もあるように、生まれた人は必ず死にます。それなのに、そのことを忘れたかのように暮らし、時間を無駄にしてしまうことが多いです。ですから、日常の中で死を意識することで、人生を充実させるべきだとキム氏は言うのです。


自分の意志よりも、他者の期待を優先する。そしてそれを意識すらできず(もしくは意識しているのに意識していないふりをしながら、またはその期待は自分からして明らかに理不尽であるということを認識しながら)、子どもの頃からの長年の刷り込みの結果として、習慣的にそして無意識に、他者の期待に沿うための意思決定を日々の生活で行ってしまう。すると、いつのまにか人生の指揮権は、自分の手から離れていき、期待という鎖につけられたままの無気力で絶望的な人生を生きることになる。」(p.156)

私たちは子どもの頃から、あれをしろ、これをするな、それはおかしい、こうすべきだろう、などと大人たちから指示されて育ちます。自分の考えで生きることを否定され、他人の価値観や意見に従うことを求められるのです。これがつまり「期待」だとキム氏は言います。

そしていつしか、他人の期待に応えることが人生だと錯覚してしまいます。しかしこれは、自分の人生の手綱を他人に握らせることです。もはや自分の人生ではありません。奴隷としての人生になります。

日々の生活の中で、自分自身の精神性を高め、その精神性から生まれた自分の信念に基づき、すべての選択を主体的に行い、その結果への責任は自分で負うという決意さえあれば、決して後悔する人生にはならないはずだ。」(p.158)

すべての選択は、自分の信念に基づいて、主体的に行うべきなのです。他人の意見に唯々諾々と従う生き方を敢然と拒否する。その第一歩を踏み出す勇気を持つことが重要なのです。


自分の自由を抑圧するものは、断固として拒否し、
 他者の自由を抑圧することは、すべてやめよう。
」(p.170)

自由には究極の価値があるのだと、キム氏は言います。だからこそ、自分の自由も、他人の自由も、共に尊重すべきなのだと。


この本に書かれていることは、特に珍しい話ではありません。感情をしっかりと味わうことの重要性は、他でも多くの人が言っています。また、自分に正直であること、主体的に選択するということも、多くの人が言っています。しかし、それがわかっていても、なかなかできないという人が多いのではないでしょうか。

そのために必要なのは、一歩を踏み出す勇気なのだと思います。ほんの一歩でいいから、踏み出してみることです。行動を起こすのです。そうすれば、少しずつ自分を変えていけるのではないでしょうか。

そのためにも、そもそも人は自由なのだということを知っておくのも良いと思います。他人に従うべきという価値観は、もう捨て去っても良いのです。もっとわがままでいい。そして他人のわがままも許容するのです。他人が自分に何かを要求するのは、それは他人の自由です。でも、それに従うかどうかは、自分の自由です。いつも他人の要求に応える必要はありませんから。

「絶望」に声を与えよう
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:57 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

いよいよ引越しします

いよいよ引っ越しの日がやってきました。

すでに梱包はほぼ終わりました。と言っても、ほとんど妻がやったんですけどね。
私がやろうとすると妻が怒るので、妻の自由にさせています。

梱包した荷物

たとえば、買物のレジ袋など、妻はさっさと梱包してしまいました。
こんなのは一番最後でいいんですよね。だって、袋はゴミや小物をまとめたりなど、いろいろ使えるし、場所を取らないから、最後の箱に緩衝材代わりに押し込むことだってできますから。

それで、私がすぐにそういう口出しをするものだから、妻がうるさがるのです。
まあそれなら好きにさせようと思って、手出しも口出しもしないことにしたのです。


引越しの手配は、妻が全部やりました。

業者に依頼したものだとばかり思っていたら、友だち関係に依頼したようです。
そんなんで車の大きさとか大丈夫かなぁ?とも思いますが、これも口出ししないことにしました。
やってダメならダメなときだし、最終的には何とかなっちゃうのがタイですから。

大きなものは、冷蔵庫、洗濯機、それと食器棚です。それ以外は、郵便局で買った大きなダンボール箱やスーツケースなどに詰めました。
他に小さな棚や、バラしたパイプ棚があります。

予想では、バンでは無理ですが、2トントラックくらいで充分ではないかと思います。
そう言えば、前の場所から業者に依頼して引越したときも、たしかホロ付きの2トントラックでした。


荷物は、今日(2018年2月26日)の夕方にはトラックに積み込む予定です。
そして、明日の朝、トラックに乗って妻の実家へ向かいます。

おそらく、8時間から10時間くらいかかると思います。
長旅ですが、がんばって行ってきます!
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:54 | Comment(0) | ├ タイの田舎・イサン地方暮らし | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。

ランキングに登録しています。面白かったらボタンをポチッと押してね。
↓↓↓↓
にほんブログ村 ライフスタイルブログ 自分らしさへ

スポンサーリンク