2018年01月13日

盲導犬不合格物語



盲導犬の訓練で不合格になった犬たちの物語を読みました。アマゾンリンクは文庫になっていますが、私が買ったのは単行本です。これもおそらく、「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」で紹介していた本ではないかと思います。著者は沢田俊子(さわだ・としこ)さん。子ども向けの本を書かれている方のようです。

単行本は学研の出版です。この売り上げの一部が、日本ライトハウス行動訓練所に送られ、盲導犬の育成に使われると書かれています。私も、盲導犬支援のための寄付を何度かしたこともあり、盲導犬育成については応援したいと思っています。

それにしても気づかなかったのは、盲導犬の訓練を受けても、すべての犬が盲導犬になれるわけではない、という事実です。うっかりしていました。考えてみれば当たり前のことなのですけどね。では、試験に落ちた犬たちは、いったいどうなるのでしょう?

まあ、普通に考えれば、一般の家庭で飼われることになるでしょう。少なくとも盲導犬の訓練を受けた犬ですから、聞き分けもよくて、利口で、飼いやすいことが予想されます。でも、これを読んで知ったのですが、いろいろな人生ならぬ犬生が待っているのですね。


詳細は本を読んでもらうとして、その一部を引用しながら、内容を紹介することにしましょう。

盲導犬は、飼い主がレストランなどで食事をしている間も、テーブルの下でじっと待っている。
「それって、食べたいのをがまんしているのではないんですか? かわいそうだと思います。」
「そうじゃないの。人間の食べ物をたべたことがないので、ほしいと思わないのよ。盲導犬は、何かにつけてしんぼうさせられて、かわいそうだと思っている人もいるかもしれないけれど……。それは、まちがいなのよ。」
と高橋さんはいった。
」(p.8)

小学校へ行って、盲導犬のことを知ってもらう活動をした時の話です。この時に連れて行った犬は、本当の盲導犬ではなく、盲導犬になれなかった犬。この本では不合格犬と言っていますが、正式にはキャリアチェンジ犬とか不適格犬と呼ぶそうです。

それでも、盲導犬の訓練を受けているので、だいたい同じようなことができます。不合格になるのは、ほんのちょっとしたことなのです。しかし、使う人が盲目の人ですから、たとえば突然あまがみとかされたら驚いて恐怖を感じるかもしれません。犬の方にそんな意図がないとしても。なので、かなり厳しい基準で選んでいるのです。

そんな盲導犬は、人の役に立つための訓練を受けます。ですから、好き勝手にトイレへ行ったりしないし、食べ物も定められた時間と場所でしか口にしない。指示されるまで、じっと待つという訓練を受けています。それは人間のエゴで、犬にとってはかわいそうなことなのか? そのことについて、私は何とも言えません。しかし訓練士の方は、犬はそれが喜びなのだと言うのです。


盲導犬になれなかった不合格件は、まずは介助犬麻薬探知犬としての適性検査を受け、合格すればそちらへ行くことになります。そのための新たな訓練は必要ですが、基本的なことは盲導犬として訓練されているので、それほどハードルは高くないようです。

次に、その犬を育ててくれたパピーウォーカーさんに飼ってもらえるかどうか打診します。パピーウォーカーというのは、盲導犬になる犬が子犬の時、約1年ほど愛情を注いで育てるボランティアです。人間とともに生きることの喜びを、この子犬の時に覚えるのです。

最後は、不合格犬が出たら飼いたいと登録しておいた一般の家庭に引き取られます。その時も、慎重に適正を見極め、相性が合わないなら他を探すというようにしているそうです。このように、不合格犬と言っても、それですべてが否定されるわけではないのですね。


基本的に盲導犬を、さわってはいけない。でも、みんなさわりたい。トゥリッシュは、盲導犬にさわりたいというみんなの気持ちを満足させている。」(p.77)

不合格犬には、盲導犬というものを知ってもらうための仕事もあります。最初にあったように小学校へ行ったり、街中で募金活動に同行したりします。その時、多くの人は盲導犬に触ってみたいのです。でも、本当の盲導犬には触ることはできません。ですから代わりに、不合格犬が触らせてくれながら宣伝活動をしているのです。


中村さんから盲導犬をプレゼントされた一人の蔦田さんは、おとなになってから視力を失った。蔦田さんが、鍼灸師のしかくをえるために、国立視力障害センターで勉強することになったのは三年前のことだ。三年間、寮生活をしなければならないので、盲導犬をつれていった。すると、
「犬なんかつれてきて。」
と、センターの人に蔦田さんはしかられた。
」(p.99)

国の機関であり、しかも盲目の人のための機関であるのに、それでも盲導犬が認知されていなかったのですね。そんな状態ですから、民間の施設ではさもありなんでしょう。レストランで拒否されたという話を、ニュースで耳にすることも多いです。


学校に介助犬をつれていくのには、行政の認定が必要だそうだ。つまり、ロックが、「介助犬」としてみとめられるために、認定団体で定められたテストを受けなければならない。そのテストは、認定事業を行えるしせつまで、からだの不自由なあやのちゃんもいっしょに出向かないと、受けられない。」(p.103 - 104)

介助犬を連れて学校に行くということでさえ、ハードルが高いのが現実です。介助犬というのは、介助を受ける人の機能によって、さまざまなことをします。一定のやり方ではないのです。ですから、介助を受ける人と介助犬が一体となって、どんなことができるかが重要になります。

その認定試験を受けるのに、わざわざ特定の場所まで出かけなければならない。健常者でも面倒なことを、身体の機能が衰えている人にやらせる。そんなことをしなくても、検査官が出向けばいいのに、そういうことはしない。それが、現状なのです。


くり返しいいますが、不合格犬は、盲導犬に向いていなかっただけなのです。
 みんなちがっていて、あたりまえ。その犬らしく生きるってことが、輝くということで、それは、人間にもいえることだと思います。
 わたしたちも、まずは、なりたいものを目指しましょう。でも、目指している何かになれなかったからといって、その人の価値が変わるものではありません。
」(p.108)

不合格犬だからダメではないのです。ただ、向いていないとわかっただけ。向いていないとわかったなら、他の道に進めば良いのですね。それは人間も同じ。目指しているものになれなかったとしても、それでダメではないのです。


ここで紹介されている不合格犬たちの活躍を知ると、なんだか力が湧いてきますね。それぞれでいいんだ。こういう自分を「良い」と言ってくれる人もいるんだ。そういうことが、わかるのではないかと思います。

盲導犬不合格物語
 
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2018年01月16日

ありがとうの魔法



小林正観(こばやし・せいかん)さんの本を読みました。正観さんは、すでに6年くらい前に亡くなられているので、これはこれまでの講演や著作から再編したものになります。ダイヤモンド社のこのシリーズは3冊目。これまでに「ありがとうの神様」「ありがとうの奇跡」を紹介しています。正観さんの「ありがとう3部作」と呼んでもよいかもしれませんね。

この本も、これまでと同様に4〜6ページで1つの話が終わるように見事に構成されています。帯には、「神様が味方になる68の習慣」とあって、「人間関係」「仕事」「お金」などをテーマにして、その悩みの解決のために正観さんが話されたことが紹介されています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

世の中は、自分が思っている「正義」や「道義」にしたがって、できているのではないようです。
「正義」や「道義」や「道徳観」を持つのは自由ですが、必ずしも、自分以外の人も同じ考えを持っているわけではありません。
」(p.13 - 14)

私たちは、理不尽なことや不条理なことがあると、それを糾弾し、批判避難しようとしがちです。自分が考える「正義」こそが絶対的な「正義」であり、誰もがそれに従うべきだと考えるからです。ですから、汚職まみれの政治家が当選したり、ずるいことをする企業が繁盛することが許せません。

しかし正観さんは、そういう理不尽さや不条理は、受け入れなさいと言います。自分の「正義」で裁いたり糾弾したりするのではなく、単に自分はそういうことは絶対にやらないと決意するだけでいいのです。


「病気をすること」も、「事故に遭う」ことも、「それによって、悩み苦しみが生じること」も、ついには「死を迎える」ことも、全部が「シナリオ」通りに進むようなのです。

 未来は確定的に存在していて、「自分が生れてくる前に書いたシナリオ通り」に進んでいくとするならば、「未来を心配すること」に意味はないということになります。
」(p.19)

正観さんは、運命は最初から決まっていると言います。しかし、こういう決定論の立場に立つと、では自分で努力することは無意味だということになりかねません。ここは難しいところなのですが、そこで努力しなくなるか、あるいはそれでも努力し続けるかさえ、予め決まっているということなのでしょう。

ただ、多くの場合、私たちは未来を心配します。その不安を動機として何かをしようとします。それが決定論の立場に立てば、心配することがナンセンスになります。だって、もう変えようがないのですから。すると今度は、その安心を動機として何かをすることになります。そうすることで、少なくとも苦悩からは離れられると思います。

「自分の魂」が決めたことであり、死因が病気であろうと、事故であろうと「予定通りに死んでいく」ことにほかならないと考えられます。

 そう考えれば、人の死は、不幸でも悲劇でもない、ととらえることができるのではないでしょうか?
」(p.21)

死で予定通りであるとするなら、その死因を心配する必要はありません。事故か、事件に巻き込まれるか、あるいは病気か。何であろうと、死ぬべき時には死にます。それだけのことなのです。

「神との対話」でも、同様のことが書かれています。偶然に何かが起こることはないし、神が認めないとは何も起こらないと。魂は、生まれることも死ぬことも、人生でのテーマもすべて自分で決めています。その通りに人生は進むのです。


「幸せ」という名の絶対的な現象は、地球上に存在しない。しかし、「幸せ」という名の現象が存在するときがあります。どういうことかというと、「私」が「幸せ」だと決めたとき、それが、その人にとっての「幸せ」になります。
 つまり、「幸せ」という現象は、個人にのみ帰属するものであって、他人が口をはさんだり、意見を言うべきものではないということです。「幸せ」は、「幸せを感じた人にのみ存在する」という構造になっているようです。
」(p.94)

同じ一杯の水を飲んでも、一日汗水たらして働いた後に飲んだ人は、それを幸せと感じるかもしれません。けれども、室内にいて、常にそこに水があって、さっきも飲んだばかりであれば、当たり前としか感じないかもしれません。さらに言えば、その状況が同じだとしても、人によって違いがあるのです。


「あのとき、あんなことをしてしまった」と思ったとしても、それを受け入れ、肯定して、「しょうがないよね」と言いながら、自分自身とつき合っていけばいいのだと思います。未熟な私を受け入れること。「ああ、あのときは未熟だったな。不十分だったな」と受け入れるだけでいい。
 いつまでも過去にとらわれ、後悔や反省をする必要はないのだと思います。
」(p.107)

正観さんは、後悔は必要ないと言います。なぜなら、その時点では最高の判断をしたのだからと。今、その時点の判断を振り返って未熟だと感じるのは、その時点より今が成長しているからです。成長した自分が過去の未熟な自分を裁く必要はないのです。

「神との対話」でも、罪悪感を抱くなと言っています。正観さんはここで「反省」という言葉を使われていますが、これは「罪悪感」に近いものでしょうね。本当の「反省」は、これからどうすれば良いかという判断の材料を定めることです。悔いることではありません。


相手がニコッと笑ったからなのか、「ありがとう」を言ったからなのか、どちらなのかはわかりません。しかし、どうも、「ニコっと笑って、『ありがとう』を言う」と、光が発せられて、周囲が明るくなることがあるらしいのです。」(p.128 - 129)

たまたま先日参加した小宮昇さんのお話し会の中でも、こういう話がありました。詳細は忘れましたが、喜んだり感動したりすると、光子が発せられるのだと。その話と符合するので引用しました。私にはどうなのかわかりませんが、ひょっとしたら物質的にそういうことがあるのかもしれません。なぜなら、物質は思い(思考)から創られているからです。


人生を最大に楽しむための大きなキーワードが「3つ」あります。この3つを実践すると、奥の奥まで人生を楽しんで、もっと楽しめるようになるらしいのです。
 そのキーワードは、「そ」(掃除)と、「わ」(笑い)と、「か」(感謝)。

・「トイレ掃除」をすると、お金に困らないらしい
・「笑う」と、体が丈夫になるらしい
・「感謝」をすると(「ありがとう」を言うと)、まわりが味方になってくれるらしい

 私は、それぞれの頭文字を取って、「そ・わ・かの法則」と名付けました。これが、40年間、宇宙の現象を見続けてきた、私の結論です。
」(p.133)

正観さんの有名な話ですので、他でも聞かれていると思います。実際私も、正観さんの文を読んだのは、このトイレ掃除の話が最初でした。でも、この3つはそんなに難しいことではありませんし、やって悪いことでもありません。そうなら、騙されたと思ってやってみてもいいのではないでしょうか。


人は、涙を流すと、怒らなくなり、怒鳴らなくなり、イライラしなくなるようです。
 どうやら人は、「やさしくなる」ことで、病気を改善できることがあるらしいのです。
」(p.197)

この話の事例は、50年間心臓病で苦しんだ女性の話です。ある時、3泊4日の座禅体験会に参加したそうですが、最初から最後までわけもわからず涙を流し続けたのだとか。その後、「妙な感じ」を味わったそうです。それは「静けさ」。それまで、ドキンドキンと聞こえて耳を離れなかった自分の心臓の鼓動が聞こえなくなったのです。その日以降、女性は心臓が楽になったと言います。

ただこの事例では、なぜ涙が流れたのかがわかりません。その前に正観さんの事例があって、NHKドラマ「おしん」を観て泣くと、やさしくなれるとあります。ですから正観さんは、どんな理由であっても泣くことは、やさしくなることにつながり、やさしくなると病気を癒す効果があると言われるのですね。

これは何とも言えませんが、私自身、年をとってよく泣くようになりました。悲しくてと言うより、感動して泣くのですけどね。ドラマを観ていて泣くこともよくあります。本を読んでいても泣きます。妻に笑われますが。(笑) きっと、良いことにつながっているのでしょう。


人生は、「修行の場」でないとしたら、何でしょうか?

 人生は、「喜ばれるための場」であり、「感謝をするための場」であり、なによりも、「楽しむため」に存在しているようなのです。
」(p.290)

他で「人生は修業の場」というような表現もされている正観さんですが、それは方便なのでしょうね。「修業の場」でもいいけれど、「楽しむ場」と考える方がなお良いということなのです。孔子も、「知る」より「好む」、「好む」より「楽しむ」方が上だと言っています。ただ理解して、でも修行だから仕方がないと思ってやるより、それが楽しいからやる人の方がより成長するのですね。


人間の潜在能力や超能力は、「こうでなければ嫌だ」「こうならなければダメだ」と思った瞬間に、出てこなくなるようです。反対に「そうならなくてもいい。でもなるといいな。でも、ならなくてもかまわない」と考えると、潜在能力が花開くらしい。」(p.333)

これは、私がいつも言っている日本の格言、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということですね。思い通りにしようとして力むのは、結果に執着(依存)しているからです。その結果に必要性を感じるのは、そうならなかった時の不安が強いからです。ですから、その不安が現実を引き寄せます。

これが、「引き寄せの法則」を駆使しようとする人が陥る罠です。正観さんも言うように、そうなったらいいけど、ならなくてもいい、というように結果を手放すことが重要です。「神との対話」では、必要性を好みに変えると説明しています。


この他にこの本でよく出てくるのが、「三禁五戒」です。

「三禁」・・・「恨み・憎しみ・呪い」
この「う・に・の」を禁止すること。それが三禁です。

「五戒」・・・「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」
この5つを口にしないようにすること。それが五戒です。

五戒が守れるようであれば、三禁に至ることはないと言います。
そして、五戒を3ヶ月から6ヶ月くらい守っていると、「頼まれごと」が始まると言います。

「頼まれごと」を「はい、はい」と引き受けていくと、3年ほどで「ある方向に自分が動かされている」「どうも、自分の使命はこのあたりにあるらしい」と気がつきます。」(p.28)

このようにして「頼まれごと」をやりながら感謝して生きていると、神様が味方をしてくれて、幸せに生きられると言います。「幸せ」とは、「喜ばれる存在」になることなのだと。


正観さんの本も何冊も読みましたが、この本もとてもよくまとまっていると思います。昔の本はなかなか手に入りづらくなっているようですので、この「ありがとう3部作」だけでも読んでみると良いかもしれませんね。それだけでも十分に、正観さんのお考えがわかると思います。

ありがとうの魔法
 
タグ:小林正観
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2018年01月17日

日本人だけが知らない世界の真実



池間哲郎(いけま・てつろう)さんの本を読みました。池間さんの本は、以前に「懸命に生きる子どもたち」「日本はなぜアジアの国々から愛されるのか」を紹介しています。NPO法人アジアチャイルドサポートの代表理事として支援活動の陣頭指揮をされる一方で、年間200回もの講演をされています。

Facebookでお見かけして、いつもいいことを言われているなぁと思って興味を持ったのが、池間さんを知ったきっかけです。書店の「読書のすすめ」でも池間さんの本を勧めておられたので、この本を買ってみました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

たまたまテレビの視聴率に関するデータを見ていたのだが、驚いたことに、男女関係、不倫報道になると、「グググ〜ッ」と数字が跳ね上がる。北朝鮮がミサイルをぶっ放してもどこ吹く風。国民の多くは不倫の方に興味があるようだ。トホホ。」(p.8)

冒頭で池間さんは、このように日本国民の意識の低さを嘆きます。メディアが悪い、政治家が悪いと言うけれど、それをささえているのは国民。国民の意識が変わらない限り、メディアも政治も変わらない。おそらく池間さんには、そういう思いがあるのでしょう。だからこそ池間さんは、日本民族の素晴らしさを伝えて、もっと高い意識を持ってもらおうとしているのです。


隣国同士はどこもかしこも仲が悪い。カンボジアはタイ、ベトナムを心底嫌う。タイはミャンマーを嫌がる。ミクロネシアのヤップはパラオに対して憎しみさえ持っている。メキシコ、カナダはアメリカを嫌い、ニュージーランドはオーストラリアに対してよき感情は持っていない。隣国同士は互いに攻め合い、奪い合った歴史があるからだ。それでも、喧嘩しながらも付き合っていく。これが外交だと思う。隣国と仲良くという幻想は、なくした方がいい。」(p.21)

隣国なのだから韓国や中国、北朝鮮と仲良くすべしと考えている人への警鐘です。隣人同士は仲良くした方がいいでしょうけど、国同士となると、なかなか難しいものがありますね。


日本を貶める戦略もほとんどが成功している。作り話の「南京大虐殺」は世界に定着した。「日本は悪の国、侵略国家、日本人は残虐」とのイメージが世界に刷り込まれている。
 だからどうするかが問題だ。
 日本もチャイナのように強(したた)かにならねばと思う。
」(p.26)

たしかに、韓国や中国を見ていると、明らかな嘘を堂々と吹聴しています。さも真実であるかのように、何度も何度も発信しています。だから慰安婦問題も、南京大虐殺も、その根拠が乏しいにも関わらず、世界に広まっているのです。

特に小説とか映画、TVドラマの中で、さりげなくそういう話を混ぜられると、「やっぱりそうなんだ」と人は思ってしまいます。タイでも中国の映画が放送されますが、たいていひどいことをする日本軍や、悪い日本人が登場します。竹島や尖閣諸島の領有権でも、中国や韓国の多くの人は、根拠もなく自分たちのものだと信じています。宣伝の力というのは大きいのです。


30年近くの支援活動の経験で、教育がいかに大事かを身に染みて感じている。教育があればこそ希望が湧いて来ると断言してよい。」(p.55)

子どもの教育こそが、その国が自立するための力になる。私もそう思います。またその教育によって、自国を愛し、祖先を尊敬する人が育たなければ、亡国の道を進むことになるでしょう。


かなり昔のことだが、日本人であることに自信と誇りを失いかけていた頃、この言葉に出合い、泣いた。
 タイ国元首相ククリット・プラモート氏がタイの有力紙に寄稿された文章だ。
「日本のおかげでアジアのすべての諸国は独立した。日本というお母さんは難産をして母体を損なったが、生まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジア諸国民が米・英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。12月8日(真珠湾攻撃の日)は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが身を賭して重大決意をされた日である。我々は、この日を忘れてはならない」
」(p.72)

このことは、私もつい数年前まで知りませんでした。けれども、白人国家に蹂躙されていた東南アジアでは、日本のお陰で独立できたという思いを持つ人が多いのです。日本の戦争目的の1つは、アジアの解放でした。日本は戦争には負けましたが、戦争目的は達成したのです。


「日本嫌いの台湾人がいてもしかるべし」と自分は思う。だが「多くの台湾人は我が国を愛している」と大声で叫びたい。東日本大震災における義援金は、世界でダントツ1位の220億円あまり。誰に聞いても「私も募金したよ。日本が困っている時は助けるよ」と語る。ありがたい国である。」(p.88 - 89)

台湾の烏山頭ダム建設や灌漑整備を行った八田與一氏は、台湾人の多くから尊敬されている日本人の1人です。その銅像の首が切り落とされるという事件がありました。戦後にやってきた国民党の時代に日本を貶める教育を徹底したので、その影響かもしれないと、台湾のお年寄りたちは言われたそうです。しかし、多くのお年寄りは日本が大好きで、尊敬していると池間さんは言います。そのことが、日本の支配の実態を物語っているのです。


約30年間の日本統治の歴史を持つパラオの人々は日本が大好きだ。子供たちも「日本は最高だよ」と笑顔を見せる。日本時代の教育を受けた先輩方も「日本は素晴らしかった」と口々に語り、若者たちも「日本人は真面目で誠実だ」と絶賛する。日本統治時代は悲惨だった。苦しめられた。虐殺されたなどと口にする人はほとんどいない。」(p.92 - 93)

パラオでは、お年寄りの多くが日本語を話せるそうです。台湾と同じですね。また、タロウ、ハナコなどの日本語名を感じさせる言葉を名前の一部にしている人も多いとか。今もなお、パラオの言葉には1500もの日本語がそのまま残っていて、使われているそうです。

このように言うと、現地の言葉を禁止して日本語を強制したと思われがちですが、実態は違います。特に台湾では、少数民族もたくさんあったため、共通の言語がありません。しかも、日本人教師がいきなり現地の言葉を習得するのも大変です。ですから、まず教育を与えることを優先して、日本語による教育を始めたのです。


チュークで最高の日本名を持つ30代前半の青年とも遭遇した。彼の名前は「愛してるよ」だ。」(p.113)

ミクロネシア連邦のチューク諸島は、当時はトラック諸島と呼ばれた地域です。人口6万人の約3割が、日本人の血を引いているとか。日本軍が進駐したことで、日本人と結婚する人も多かったのでしょう。それがレイプでないことは、チュークの人々の親日度を見ればわかります。チュークでも500ほどの日本語がそのまま使われていて、「こんにちは」「ありがとう」などの挨拶も通じるそうです。


「ガンジーの非暴力運動で独立なんかできるワケがない。インド国民軍、ボースの戦いがあったからこそ、イギリスの魔の手から逃れることができた」と断言する人も多かった。街や村にはチャンドラ・ボースの銅像が至る所に立ち、肖像画が掲げられている。
 そのインドの英雄を助けたのが我が日本だったのである。
」(p.120)

昭和18年、東京で、近代史上初の有色人種国家のみの首脳会議、大東亜会議が開催されたそうです。そこで日本政府は、ボースに対して軍事的支援を約束し、インパール作戦が決行されたのです。

つまり、インパール作戦は「宇宙戦艦ヤマト」だったのです。成功の可能性は低い。それでも誰かがやらなければならない。イギリスを追い出してインドが独立するために、日本の力が必要だと言われたら、漢なら立ち上がらないわけにはいかないでしょう。無謀な作戦を遂行したのは、大東亜戦争の大義を遂行するためだったのです。

インパール作戦そのものは日本が敗れました。そして、共に戦ったインド国民軍の兵士たちは、イギリスによって弾劾され、上層部には銃殺刑が降されたのです。ところが、国の英雄たちが処刑されることに怒ったインドの人々が各地で暴動を起こしたため、イギリスは統治することを諦めざるを得ませんでした。1947年8月15日、インドは独立したのです。

戦争で勝ち取った独立ではありませんが、ガンジーの非暴力による抵抗だけが独立に導いたのではないのです。そして、インドの人びとを怒らせる原因を作ったのは、日本と共に戦ったインパール作戦だったのです。

山奥に暮らす85歳の爺ちゃんにも、
「日本兵の中には食料を奪い、女性に乱暴をはたらく者がいたのでは?」
 と聞くと、
「オーッ! 何てことを言うんだ。とんでもない。日本の兵士たちは立派だった」
 と悲しげに答えた。
」(p.124 - 125)

インパールから約30kmほど離れた山村に行って、池間さんは進駐した日本軍が残虐な行為をしたのではないかと尋ねたそうです。まず最初に、そうやって残虐行為があったかもしれないという前提で質問をするのが、池間さんのやり方だそうです。しかし、多くの地域ではそんな日本兵はいなかったと言われたそうです。

某公共放送局は、2017年8月15日に、インパール作戦の「戦慄の記録」に関する番組を放送した。
 たしかに、戦時中ゆえに人道に悖(もと)る行為をした日本兵もいたであろう。だが、そんな日本兵は一部に過ぎない。ほとんどの日本男児は紳士だった。私がインパールで出会った人々は、全員が日本兵を賞賛し、尊敬していた。現場に足を運び、土地の先輩方と直接話してきただけに、戦前の日本を悪と断罪する番組に対しては、胸が張り裂けるほどの悲しみを感じる。
」(p.126)

私は番組を見ていませんが、何度も現地に足を運んでいる池間さんは、残虐行為はほとんどないと言い切ります。公共放送であるなら、一部を切り取って大きく示すのではなく、全容を適切に報道すべきだろうと思います。少なくとも池間さんのような方の意見も、番組に入れるべきではなかったかと。

※NHKのインパール作戦の番組内容には、次のような指摘があります。ぜひ、両方を見て判断していただきたいです。
「NHKスペシャル「インパール作戦」とメディアの戦争責任」(『メディアの権力』を監視する)
「NHKスペシャル「インパール作戦」。大事なことを報じない視野の狭いタコツボ史観そのもののNHK。」(さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」)

戦略、戦術なき戦いだったと言われるインパール作戦で、多くの日本兵が亡くなった。あろうことか半分以上は病死と餓死だったという。日本兵はフラフラと亡霊のように逃げ回る。イギリス軍は日本兵を皆殺しにしろと追い回す。その時、先人たちを助けてくれたのがバゴーやエヤワディの人々だった。」(p.166)

敗走の兵も、多くは残虐な行為をしていないと池間さんは言います。ミャンマー(当時のビルマ)でも、現地の人びとから助けられています。それは、あの戦争がアジアを解放する戦争だったことを意味しています。実際ミャンマーの人びとは、ビルマ独立のために奔走した日本人、鈴木敬司大佐をボモージョ(雷帝)と呼んで、いまだに敬愛しているそうです。


我が国は世界的に見ると不思議な国。自国を守る軍人を尊敬しない唯一の国。50ヵ国を超える異国を200回あまり訪ねて来たからこそ分かる。どこの国へ行っても軍人は尊敬されていた。自衛隊を罵倒し、非難する日本国民もいると聞く。情けないかぎりだ。」(p.190)

これは私も同感です。タイでは、軍人はとても尊敬されます。もちろん、正しいことをする人ばかりではありません。でも、全体的には尊敬されます。日本の自衛隊員は、おそらく戦前の軍人に勝るとも劣らぬほど、素晴らしい人たちだと思います。

そして日本ではこれまで、自衛隊の活躍の場は主に災害時の救助復興活動でした。東日本大震災での活躍は、誰もが知るところです。さらに沖縄では、離島の救急医療にも貢献しているそうです。どんな嵐でもヘリコプターで救助に向かう。これまでに、何人かが殉職されているそうです。それなのに日本人から罵倒される。何ともやるせない気持ちになります。


この本のタイトルからすると、もっと多くの世界の真実が書かれているかのように感じられるのですが、実際はそうではありません。大きく2つのことが示されています。1つ目は、日本人は、日本は戦争でひどいことをしたという自虐史観を植え付けられていますが、世界はそうは思っていないということ。2つ目は、日本は自分たちが日本を守ろうという気概もなく、愛国心と言うだけで好戦的とみなされるけれど、世界は自国は自分たちで守るという気概があり、それが当然だということ。この2つを示すために、様々な事例を上げておられるのです。

そういう意味では、これまでに紹介した本の内容と、それほど違うものではありません。ただ、こういうことはある意味で情報戦なのです。嘘も100回言えば真実になるというように、真実も語られなければ忘れられるのです。ですから、日本人の多くが知らないことを、情報発信し続ける必要があるのだと思います。

日本人だけが知らない世界の真実
 
タグ:池間哲郎
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2018年01月20日

見る見る幸せが見えてくる授業



ひすいこたろうさんの最新刊を読みました。ひすいさんの本は、これまでにもたくさん読んでいて、その紹介記事は著者別一覧にまとめてあります。どうぞ、そちらもご覧になってくださいね。

しかしひすいさんは、そこで紹介した本よりはるかに多くの本を書かれていて、さすがにすべてはカバーできていません。どれもこれも素晴らしい内容なので、この本も期待できます。これまで、「天才コピーライター」と名乗っておられましたが、この本には「幸せの翻訳家」という肩書になっていますね。

この本は、ひすいさんが先生となり、1時限目の理科の授業から、給食を挟んで7時限目の図工の時間まで、授業を続けるという体裁になっています。最後はおわりの会で1日の学校生活が終わります。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「幸」は、両手にはめる刑罰の道具である手枷(てかせ)(手錠)の象形文字だったわけです。
 なんで「手錠」が「幸せ」の意味になったのか?
「ふ−−。手錠をはめられなくてマジでよかったね!」
 語源的にも、「不幸(雲)がない状態」=「幸せ」というわけです。
」(p.9)

「はじまりの会」で、幸せを「晴れ」にたとえて説明します。雲の上はいつも晴れています。ですから幸せは常にそこにあって、ただ雲を取り払えば良いのだと言うのです。「ない」ものを探すのではなく、すでに「ある」ものに気づくだけ。それが雲を取り払うということ。つまり「見える化」すること。この本は、そんな幸せが見えてくる本なのです。


1時限目の理科の授業では、ビーカーに入った水について話をします。実はこれ、小林正観さんの話にも出てくる内容ですけどね。

この水の入ったビーカーを見て、3つの見方があると言います。1つ目は「水が半分しか入っていない」と不平不満を言う見方。2つ目は「水が半分もある」と喜ぶ見方。では3つ目の見方は…。

B「半分も残してくれていてありがたい」と感謝で受け取る見方。」(p.25)

出来事をポジティブに捉える2つ目の見方でもいいのですが、「当たり前」というものはないという3つ目の見方がより素晴らしいと言います。「当たり前」の反対は「有り難い」ですからね。感謝のあるところには幸せがあるのです。


ネガティブな感情こそ、傷ついたあなたをゆるし、寄り添い、守ってくれる優しい存在なのです。
ほんとうのポジティブとは、ネガティブさえ抱きしめることです。
」(p.54)

ネガティブな感情は良くないとして押さえ込もうとすると、自分が受け入れられていないと感じて苦しくなります。ネガティブな感情は悪いものではありません。感情は感じ切ることが重要なのです。

そのための方法は、感じていることを口にすることです。「怒っているんだね」「寂しかったんだね」というように。このあと、「ふーん」とか「よしよし」というような言葉をつけて、俯瞰して見るのも良いと思います。


「空腹」が「おいしい」という体験をするための「幸せの前半分」ってことです。
 式にするとこう。
 [空腹]+[おいしい]=[幸せ]
実は、空腹は幸せの一部だったんです。
」(p.179)

「神との対話」でも、否定したい半分がなければ望む半分も存在しないと言っています。下がなければ上もなく、貧乏がなければ金持ちもいないのです。ひすいさんはそれを一歩進めて、その否定したい半分は、「前半分」だと説明します。空腹という体験がなければ美味しいという体験もなく、つまり幸せにはなれないのだと。


以下は、あなたの自我(表面意識)は納得しないでしょうが、ストレートに真実を言います。
僕らの命は、全部を体験したいんです。
 良いも悪いも。不幸も幸福も。
 すべての体験を味わいたいんです。
」(p.189)

まるで「神との対話」みたいな話になってきましたね。(笑) しかし、すべてはこういうことになるのではないかと思います。この世は、あえて苦難を創り出し、難しい条件を課して、達成できたりできなかったり、上手く行ったり行かなかったりという、すべてを体験する場。魂はそれを体験して楽しんでいるのです。

だから、言わばこの世界は、自作自演の紙(神)芝居。」(p.192)

ですから、何も心配することはいらないのです。体験が目的ですから、難しくて達成できないなんてことはありません。怖れずに体験してやろうと考え、ネガティブな感情もすべて感じ尽くせばいいだけです。そしてあの世へ行けば、「あー楽しかった。次はどんな体験をしようかな。」とワクワクして、次の生を待つのです。


幸せとは?
 不幸がなくなることだけじゃないんです!
幸せとは、この涙の先に笑顔の自分がいるって信じられることを言うんです。
」(p.254)

不幸がないのが幸せだと考えると、不幸を味わっている時は幸せになれません。その不幸な状態を何とかしなければと考え、もがき苦しむことになるでしょう。

しかし、本当の幸せは、この不幸な状態も含めて幸せだと知っていることです。この不幸な状態の先に、それすら感謝の気持ちで受け入れる自分がいると知っていることです。そうなれば、もう何も恐れるものはありません。それが最強の幸せです。


答えはいつも愛なんです。
 お母さんが勉強をしない子どもにイライラするのは、子どもに幸せになってほしいからです。
 だから、隣の家の子がどんなに勉強しなくてもイライラしない(笑)。
」(p.284)

私たちは、常に愛を求めているんですね。愛であろうとしているのです。どんな行為の動機にも、必ず愛があります。このことからも、私たちは愛そのものだとわかります。

ですから逆に言えば、すべての中に愛を見つけることができます。その愛を発見した時、愛に気づいた時、感謝の思いが込み上げてきます。感動の波が押し寄せてきます。それは、「ここに本当の自分がいた!」という魂の歓喜の叫びです。


ひすいさんの本に慣れたせいか、今回の本は今まで以上にスラスラと読めました。「ふんふん、なるほどね」くらいの軽い気持ちで。しかし、こうやってブログにまとめようとしてみると、その言葉の背後にある深い思いに触れて、しばしば筆が止まります。「あー、いいこと言ってるなぁ!」そんな気持ちに浸りたくなるのです。

ひすいさんの本はどれもお勧めですが、この本は「幸せ」というテーマに絞って書かれています。ひすいさんの「幸せ」観の集大成。そんな気がしました。

見る見る幸せが見えてくる授業
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:32 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

約束された道



岡部明美(おかべ・あけみ)さんの最新刊を読みました。岡部さんの本は、以前に「私に帰る旅」を紹介しています。脳腫瘍という大病を経験され、自分自身を探求したお話でした。今回の本は、岡部さんの半生をつづったような内容です。

この本を知ったのは、Facebookで岡部さんと友だちになったのがきっかけです。どうして岡部さんと友だちになったかと言うと、共通の友人として神渡良平さんがいらしたからです。神渡さんの投稿に岡部さんが登場されてて、以前にご著書を読ませていただきましたという話から、友だちにしていただいたのです。岡部さんが神渡さんと出会われたのも、とても奇跡的なことがあったようですね。そのこともこの本に書かれていました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

人には、それぞれ人生で何回か脱皮の季節があり、それが病気や人間関係の確執、不慮の事故、倒産、リストラ失業、転職、失恋、離婚、愛するものとの別離の悲しみといった様々な試練による苦しみとして表れるのだろう。
 それぞれ現象は違っても、その季節の訪れは、一様に、耐えがたい程の痛みや苦しみ、不安や葛藤、恐怖を伴う点では同じだ。試練という形でやってくる脱皮の季節のメッセージは、一人ひとり違うはずだから、その苦しみを自分の成長の課題として引き受け、心の深いところから聞こえてくる声に耳を澄ますことが、その季節を乗り越えていく力になるのだと思う。自分の心の深いところから聴こえてくる声は、実は、彼方から聴こえてくる声と同じ声だった。
 人生に退屈していた時、人生に行き詰まっていた時というのは、この声に全く耳を傾けようとしていなかったのだということが今となってはよくわかる。すでに人生の川の流れが変わり始めているのに、未知のものはこわいから無意識に抵抗して流れに抗(あらが)っていたのだ。
」(p.78)

これは私も同感です。日常の中でちょっとした抵抗を感じた時、それは自分が変わるべき時だというメッセージなのです。そのメッセージに耳を貸さないから、どうしようもない痛みや苦悩が与えられる。私は苦しい失恋を通じて、「愛する」ということを気づかされました。


自分の中で、本来の自分が目覚める時、自分の中から新しい自分が生まれる時、人はいっぱい涙を流す。そんな”魂の産声”とでも呼ぶべき泣き声、喜びの声をたくさん聴いてきた。
 私も本当によく泣いた。よくこんなに泣けるものだと思うくらい涙があふれてきた。いのちが歓(よろこ)ぶ涙は、いろいろなものを過去に流しながら、海に、空に、還(かえ)ってゆくような気がした。
 いっぱい泣いたら、いっぱい元気になれたし、いっぱい怒ったら、いっぱい笑えるようになった。「話す」ことは「放す」ことにつながり、「言える」ことは「癒える」ことにつながるのだということを知った。
」(p.99 - 100)

私も、年をとってからよく泣くようになりました。たいていはドラマや映画を観たり、本(小説)を読んだ時ですけどね。あと夫婦喧嘩をした時も。(笑) 男は泣くものではないという価値観を植え付けられた年代です。でも、泣くと本当にスッキリしますね。

感情を抑圧するのではなく、それを受け入れること。しっかり感じ切ることが重要だと言います。「神との対話」では、感情は魂の声だと言っています。ですから、しっかりと感じて、魂の声をよく聞くことが大切なのだろうと思います。


自分が最も苦しんできたことが、実は、他者への贈り物なのだ。人生の不条理を体験してきた人というのは、他者を助ける仕事をするために、絶望の淵に佇(たたず)む人を癒やし、希望や勇気を与えるために、その苦しみを味わうことを神さまから与えられるのだと思う。」(p.109)

「人は悲しみが多いほど、人には優しくできるのだから」と、「三年B組金八先生」の主題歌「贈る言葉」の詩にあります。武田鉄矢さんの歌ですね。人生で大変なことを経験した人は、それだけで他の人の役に立つのですね。

だから重要なのは、その出来事に負けてマイナス思考をするのではなく、そこから立ち上がることなのだろうと思います。強いからではなく、弱くて叩きのめされたからこそ、諦めて受け入れるしかなかった。それが転機になるのだと思います。


私が若い頃から心の奥底にもっていた「一人ひとりの人生には、宇宙・神の計らいがあるというのは本当なのだろうか」という問いに対する答えを、宇宙はこの一連の出来事を通して私に教えようとしているのではないかと思った。私は正直に言って、この一連のシンクロにだけは畏怖を覚えたのだ。これまでもこうしたことは頻繁に起こっていたし、すでに何度も私は”それ”の存在を認めざるを得ない体験をしていたのだけれど、私は初めて全面的に「降参」したのだ。「降伏」と言ってもいいかも知れない。
 今、「こうふく」とパソコンで打ったら「幸福」という字が最初に出てきてちょっと驚いた。ああ、確かに人の心の幸福、心の平安とは、大いなる存在=神への全面的な信頼、明け渡しなのかもしれない。小さな自分の明け渡しと、大いなる存在への全託。私は、この「降参」「降伏」を心の深いところでどれだけ待ち望んでいたことだろう。
」(p.158 - 159)

先ほどの文と関連しますが、人生の流れに抵抗していると、必ず大きな障害がやってきます。乗り越えられずに打ちのめされます。でも、それが良いことなのです。打ちのめされて降参する。もうどうなってもいいと、抵抗するのをやめて結果を受け入れる。そうすると人生が変わるのです。

このことは、雲谷斎さん阿部敏郎さん「降参(サレンダー)のススメ」にも書かれていますね。私はよく、日本の格言の「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」を引用します。こういうすべての結果を受け入れる態度、安心していることが、降参なのです。


なぜ人は、時間のあるこの三次元の世界に肉体をもってはるばるやってくるのだろう。きっと、この三次元の世界の”体”を通して、一つひとつ順番に、その時には、そのことだけを体験するために時間があるのではないだろう。文字通り、体とは、”体験”するための道具、ツールだ。
 体があるということは、同時にふたつの体験はできない。違う場所に同時にいられない。体があるからこそ、”今・ここ”での体験に集中し、そこから私たちはかけがえのないものを味わうことができ、大切なことにも気づける。
」(p.224 - 225)

これは面白い視点ですね。なぜ時間があるのか、ということを「神との対話」では、「あれ」と「これ」に分けて相対的な世界を創るためと説明しています。時間とは空間を移動する尺度ですから。そしてその相対的な世界は、体験するために創られたと説明しています。岡部さんは、一度に一つのことを体験するためと言います。そうすることで、じっくりと体験ができるからと。

たしかに同時に2つのことが体験できたら、それは体験とも呼べないかもしれません。その体験を味わえませんから。ですから逆に体験は、じっくりと味わい尽くすことが大切なのだろうと思います。


私たちが今、生きているこの三次元の世界は二項対立、二元論の相対的世界だ。しかし、この二極のものが実はひとつのものであるという理解、目覚め。二元論を止揚した第三の道を模索していくこと、これまで対立してきたものの統合、融合がこれからの時代の大きな潮流になっていくのは間違いないことなのだろう。
 生と死、光と影、善と悪、幸と不幸、成功と失敗、愛と憎しみ、喜びと悲しみ、男性原理と女性原理。片方がなかったら、片方は存在できない。片方の体験がなかったら、もう片方の体験は生れない。片方を感じることなしに、もう片方を真に味わうこと、真に理解することはできない。片方だけの働き、片方だけの体験では、世界の半分、人間の半分、人生の半分なのだ。
 悪がなかったら、善とは何かはわからないわけだし、悲しみを知らずして、喜びを知ることはできない。もし自分にエゴがなかったら、自己の内奥(ないおう)にある純粋無垢(むく)さ、天真爛漫さ、愛、神性さに触れた時に、あれほどの感動を味わうことはできるだろうか。病むことの苦しさを知らずして、健康であることの真の有り難さはわからないように、孤独の痛みを知らずして、愛の至福も歓喜も味わうことはできない。
」(p.241)

もうまるで「神との対話」を読んでいるかのようですね。まさにこういうことが、「神との対話」に書かれています。相対的な世界は、体験するために存在しています。ですから神は、「悪」を否定しません。「悪」がなければ「善」も存在しないからです。私たちは、その両方を体験したがっている神なのです。

ですから、多くの生が必要だと「神との対話」では言っています。わずか100年ほどの生では、そのすべてを体験することはできませんから。そして十分に体験することで、私たちは成長していきます。まだつらい体験があるでしょうけど、それは徐々になくなっていくのです。


この本の帯に、「あなたには天があたえた仕事がある。」と書かれています。それを読むと、人生に迷っている人に何かを教える本であるかのように感じるかもしれませんね。でもこの本は、どちらかと言えばエッセイのように、岡部さん自身の体験や感じたことをつづったものです。ですから、この本は使命を見つけるためのノウハウを提供しているわけではありません。

ただ、岡部さん自身が自分の使命と出会う過程で、どんなことを考えたのか、どんな失敗をしたのか、どんな導かれ方をしたのかを知ることは、読者の役に立つだろうと思います。ただし、誰もが岡部さんのように生きるわけではありません。むしろ、まったく違うと言ってよいでしょう。そうでなければ、自分として生きる意味がないからです。

ですが、ここで引用した部分などを読んでいただけると、どう人生と向き合うのが良いのかということの、参考になると思います。ちょっと文字が小さくて読みづらいのが難点ですが、文章そのものは読みやすいので、サラサラと読めます。これを普通の文字にすると、おそらく500ページくらいになるのでしょうね。それだけぎっしりと内容が詰まった本です。

約束された道
 
タグ:岡部明美
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2018年01月25日

タイ・バンコクでリタイヤメントビザの更新をしました

昨日(2018年1月23日)、リタイヤメントビザの更新に行ってきました。今回は、90日(3ヶ月)の短期のO(オー)ビザからの更新になります。結果は無事に1年ビザを取得できました。

Facebookでは、リアルタイムでその様子をお届けしましたが、ブログで詳細をまとめておくことにします。
「イミグレーションへ行った」「お昼休み」「帰宅」

これまでブログに書いてきたように、昨年、リタイヤメントビザを取得するために、短期のOビザを取得しました。そのOビザを受け取ったのは、申請から2週間経過した日でした。これで、3ヶ月間タイに滞在できます。期限は2018年1月31日でした。

その期間中に日本へ行く予定ができたので、空港でリエントリーパーミットを取得しました。これで、ビザを失うことなく再入国できます。

そして、今回のビザ更新になります。短期のOビザの60日経過以降、期限までに更新すれば、1年のリタイヤメントビザがもらえます。リタイヤメントビザは即日発行されるので、1年の長期ビザの中では、とても取りやすいビザと言えるでしょう。


●イミグレーションへ行く

今回は、わざと少し遅い時間に行ってみました。早い時間だと、BTS(高架鉄道)も混むし、その後のタクシーでも道路が渋滞しているからです。

9時にアパートを出発し、すぐ近くのBTSトンロー駅から乗り、終点のモーチット駅の1つ手前のサパーンクワーイ駅で降りてタクシーを拾いました。モーチット駅まで行かなかったのは、前回に行った時、タクシー待ちの人が多かったからです。

BTSもタクシーに乗ってからの道路も、前回ほど混んではいませんでした。10時前後にチェーンワッタナーのイミグレーションに到着しました。前回までより、30分くらい早いでしょうか。

※タクシーは、「チェーンワッタナー・ソイ・ジェット(7)」と言えば通じます。ただし、これでは目的地まで行けません。「トーモー」(イミグレーション)と言って通じれば、行ったことがある運転手さんでしょう。ラッキーです。
そうでなければ、Googleマップで確認しつつ、ソイ7に入ったら「アーカーンB(ビー)」(B棟)と伝えます。でもそれだけだと、B棟の側面の入口に連れて行かれることがあります。「パイ・スッ・ターイ・レオ・コー・リィアオ・クワー」(突き当りまで行って右折)と伝えます。まあ、それでもなかなか行き着かないことがありますので、間違ってもあせらず、正しい行き方を伝えましょう。そのためにも、Googleマップで自分が行き方を把握しておくことですね。


まずは銀行へ行って通帳の更新と残高証明書の取得を行いました。通帳の更新は、ADMで100バーツ入れてからUPDATEで通帳に記載します。そうしないと、今日の残高がわからないからです。今回はあえて、ATMで100バーツおろして、それから記入しました。要は今日の残高が記載されていればいいので、預けようとおろそうと、同じだと思ったからです。

残高証明書は、前に経験しているので簡単にもらえました。私が行った銀行(クルンタイ・バンク)では、2番のボタンを押して待ち番号の札をもらいます。

待ち番号札をもらう

前回は最初よくわからなくて、番号札を取り直したんですよね。こういうことも、1回経験するとスムーズに行きますね。

ここで残高証明書をもらったのですが、ついでに預金通帳のコピーももらいました。通帳の最初のページと、最後のページでした。私の場合、その日まで3ヶ月の記録が最後のページにすべて入っていました。ですから、記載された最後のページが必要というより、直近3ヶ月の記載内容のコピーが必要なのでしょうね。

ともかく、これで通帳のコピーを取る必要がなくなりました。ラッキーです。

その後、コピー屋さんへ行って、パスポートのコピーを依頼しました。「こことこことここをコピーして」と依頼したのですが、面倒くさそうに「私はわかっているから大丈夫」と言って、指示しなかったページもコピーされちゃいました。すでにコピーがあったので、顔写真ページは要らなかったのですけどね。まあでも、安い(1枚2バーツ)ので「よし」としましょう。

書類が揃ったら、イミグレーションへ行って待ち番号札をもらいます。リタイヤメントビザの取得と告げると、パスポートを確認した上で、今回は間違いなくLカウンターの札をもらいました。これで一安心です。

待ち番号札をもらう

本当は、先に番号札を取っておく方が良いと思います。仮に書類を整備している間に番号が呼ばれて、飛ばされたとしても、その後で番号札を取り直せば同じことですから。今回は、どのくらい時間がかかるか試したかったので、あえてそれはやりませんでした。


●書類を整える

今回は、なるべく必要最小限の書類でやってみて、ダメならその時に追加書類を見せようと思いました。

・ビザ申請書(継続:TM7)
前回の時、イミグレーションの受付で書類をもらっておきました。前回のTM87と、書式はほぼ同じです。最後の「Reasons for extension.(更新の理由)」には、「I want to have a Retirement Visa.(リタイヤメントビザが欲しい)」と書きました。これで正解かどうか知りませんが、前回の申請の時、リタイヤメントビザが欲しいと書けと言われたので、今回はそれを踏襲したのです。実際、TM7は様々なビザの更新に使われる書類なので、ビザの種類を書く欄は、そこしかないのです。

・パスポートとそのコピー
これは前回と同様に、顔写真、最新の入国スタンプ、出国カード(TM6)、現在適用中のビザ、前回の入国時のビザと入国スタンプ、のページです。リエントリーパーミットを取っているので、それは「前回の入国時のビザ」ということで必須ですね。まあこれも、1階(階下)のコピー屋さんはわかっているので、お任せすれば大丈夫です。

・月収6.5万バーツ以上の年金所得の証明書または80万バーツ以上の銀行預金残高の証明書
これも前回と同様ですが、通帳のコピーは最小限にしました。前回は全ページをコピーしましたが、最初の通帳の持ち主が記載されているページと、直近3ヶ月の残高がわかるページの2ページだけです。一応、他のページのコピーは持っていきましたが、使うことはありませんでした。

残高証明書は、「ナンスー・ラップ・ローン・バンチー(หนังสือรับรองบัญชี)」をくださいと言ってもらいました。「バイ・ラップ・ローン・バンチー・タナカーン(ใบรับรองบัญชีธนาคาร)」でも通じると思います。

提出した書類はこれだけです。前回はアパートの契約書も持って行って見せましたが、今回は出しませんでした。少なくとも更新の時は、住居の証明は不要なようです。(ただしこれはバンコクだけ、という話もあります。パタヤでは、住居登録証とかオーナーのIDカードのコピーを求められたという話もあるので。)

・追加書類
その場で新たな書類3通をもらい、名前や住所などを記入し、サインをして提出しました。何なのかよくわかりませんが、おそらく内部で必要な資料なのでしょう。


●ビザ申請の受け付け

10時半近くにLカウンターの前へ行くと、43番まで終わっていました。しかし私の番号は102番です。1時間以上はかかりそうだなと思いましたが、もっとかかりました。午後2時半くらいに、やっと順番が回ってきましたから。

最初は、書類が揃っているかだけのチェックでした。そのカウンターで追加書類をもらい、それを記載してから、他のカウンターで呼ばれるからそこへ行けと指示されました。

それでその書類を書いていたら、全部書き終えるまでに次のカウンターで呼ばれました。おそらく10分もなかったと思います。かなりいい加減に書いたのですが、特に何も言われませんでしたね。

そこで書類をチェックしてもらったのですが、その時、とんでもないことがわかりました。詳しく説明されなかったのですが、職員の方があわただしく動き、見習い(大学生のインターンシップ)の女性に指示して、私をK1カウンターへ連れて行ってくれました。そこで申請書と手続きを確認したようです。

どうやら、前回の入国時に問題があったようです。たしかにその時、私も違和感を感じていたのです。あの時、入国スタンプのところに書かれる滞在期限が、2月8日になっていたのです。ビザの期限は1月31日ですから、おかしいと思いました。でも、ノービザだと30日の滞在期限がもらえるので、より長期の方にしたのかなと、勝手に解釈していました。

しかし、それが間違いでした。やはりビザがある人の入国ということで、ビザの期限までにならなければおかしかったのです。入国時に提出する入国カードに、ちゃんとビザ番号を書いたのですけどね。このため、前回の入国時の処理を変更するための対応が必要になったのです。

ただ、この時にすでにビザ代の1900バーツを支払ったので、ビザをもらえることは確実でした。それがあったので、少し安心していました。


●前回入国時の情報の変更手続き

もう時間は3時を回っています。そこから新たな手続きが始まりました。見習いの女性に連れられ、再度、待ち番号札をもらいに行きました。今度はK1カウンターです。

見習いの女性は、私に指示をします。パスポートの指定したページのコピーを取り、申請書に記載して、K1カウンターで手続きをするようにと。

再度コピー屋さんへ行き、指定されたページをコピーしてもらいます。そして、それを持ってK1カウンターへ。180番でしたが、すでに178番が呼ばれていました。まだ申請書に書いていないし、コピーにサインもしていません。あわてて書いているうちに、私の番号が呼ばれました。

しょうがないのでカウンターへ行き、その場で申請書に記入して提出しました。パスポートの発行場所とか記入していなかったのですが、それでもOKだったみたいです。パスポートのコピーのサインも、そこでしました。

「書類が準備できていないじゃないか!」と怒られることもなく、着ていた作務衣の上着が着物みたいでかっこいいなんて言ってもらい、タイの大らかさを感じました。

あとは、パスポートをもらってLカウンターに戻り、ビザを受け取るだけです。しかし、ここから時間がかかりました。結局30分以上待たされて、パスポートを受け取ったのは4時を過ぎていました。変更手続きの料金は無料でした。

入国時の滞在許可の訂正


●ビザを受け取る

4時過ぎに、やっとLカウンターに戻りました。変更した記録のページをそこでコピーしてもらい、それにサインをして、あとは受け取るのを待つばかりです。

しかし、なかなか私のパスポートが返ってきません。営業時間は4時半までですが、もうとっくに過ぎています。それなのに、まだ受け付けをしているのですね。Lカウンターの待ち番号は150番代に入っていました。

リタイヤメントビザを受け取る

結局、5時前になって、やっとビザを受け取りました。これで、来年(2019年)の1月31日まで、タイに滞在することができます。

簡単な作業だと思っていましたが、1日がかりの作業になりました。帰りはタクシーでBTSモーチット駅まで行き、そこからBTSで帰りました。アパート到着は6時を過ぎていました。まあでも、いろいろ経験できたので「よし」としましょう。
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 01:13 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

常識を疑うことから始めよう



また、ひすいこたろうさんの本を読みました。この本は、企画プロデューサーの石井しおりさんとの共著になります。「常識を疑う」というタイトルの言葉にピンと来て、買った本になります。

サブタイトルは「嵐の時代を生き抜くヒント」です。常識外れの生き方によって、道を切り開いた人の話が読めそうです。帯には、「あなたの常識、押しつけないでよ!」とあります。痛烈な風刺ですね。たしかに、常識を押し付けたがる人が多いですからね。そういう人の言葉に流されず、自分らしく生きるヒントが得られそうです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

嫌な感情がでてきたら、それは、自分の思い込みや価値観に気づくチャンスです。

 気づいたら、「それ、ほんと?」と疑ってみましょう。
 ほんとうではない、もしくは、もう必要ではない価値観なら、「そう思うことで自分を守ろうとしてきたんだよね。でも、もう大丈夫。今までありがとう」と、感謝で手放せばいいんです。
」(p.29)

「神との対話」では、感情は魂の声だと言っています。嫌な感情が湧くということは、魂が「これは私じゃない」と言っているのだと思います。ですからその声をしっかり聞いて、不要だと感じたなら、もうそういう考え方(価値観)はしないと決めることです。

「みんなと仲良くしなければいけない」「他人に迷惑をかけてはいけない」「遅刻してはいけない」「失敗するのは恥ずかしいこと」などなど、単なる思い込みの価値観を、どれだけしっかりと握りしめていることか。そうそう、「不倫は良くない」というのもね。「勝手な常識を押しつけないで!」と反発することで、自分らしい生き方ができますね。


「天才とは1%のひらめきと99%の努力である」
 これはエジソンの言葉だと知られていますが、ロイスは最高の作品を作るのに、ひらめきと努力は10%に過ぎないと断言します。もっとも大切なのは、自分のアイデアを正当化する力だと。
」(p.69)

伝説の広告マン、ジョージ・ロイスの話です。アイデア(ひらめき)が優れているかどうかよりも、自分のアイデアに惚れ込む力の方が重要だと考えたのですね。しかも90%がそうですから、どれだけナルシストなんだという気がします。(笑)

しかし、そうやって完全に自己肯定する人は、失敗しても自分を責めません。ですから何度でも挑戦します。だから最後には成功してしまうのでしょう。おそらくエジソンも、「努力」という言葉に悲壮感はなかったと思います。彼は研究を楽しんで、それに没頭していたのですから。自分のアイデアは実現するはずだという信念は、完全な自己肯定感から生まれるのだと思います。


例えば、ご主人や奥様に不満がある場合。
 うちの旦那はこんなとこがダメ、あんなことがダメっていろいろあると思いますが、
 「ご主人が隣のおじさんだと考えてみたら」
 と正観さんは言います。
 隣のおじさんが、毎月給料を届けてくれたら、
 それは涙がでるほど有り難いことですよね?(笑)
」(p.168 - 169)

小林正観さんの話です。正観さんは、「私は夢も希望もない男です」と言われたそうです。その真意は、夢や希望があるというのは、今は不足があるということであり、現状に不満があることになるからです。その不足、不満の心があれば、どんなに多くのものを手に入れても幸せにはなれないのです。

しかし、そんな不足、不満な現状も、見方を変えれば「感謝」になる。それが上記の話です。たしかに、「私の旦那」と思っているから不満に感じますが、「隣のおじさん」だったらすごいことです。奇跡としか言いようがありませんよね。

夢や希望が悪いってわけじゃないんです。
 恵まれていることに、気づいたうえで、夢があるなら、大いにそこに向かえばいい。不足から出発するか、感謝から出発するか、これでたどり着く先が大きく違います。
」(p.170)

たしかに、夢や希望を否定されると、楽しみが消えてしまうように感じて、受け入れづらいかもしれません。しかし、正観さんが言われたのは、今の自分の在り方なのです。「神との対話」でも、「所有」や「行為」が「存在(在り方)」にはつながらないと言います。逆なのです。まず「在り方」を決め、そういう自分として考え、行動する時、それが「所有」につながるのだと。


僕らは普段考え事をするけれど、その考え事をしている自分を外から意識したことがあるだろうか。
 例えば、深刻になっているときに、「あ、わたし、いますごく深刻になっていた」
 と、深刻な自分にふっと気づく自分です。
「考え事をしている自分」の背後にいる、考え事をしている自分に「気づいている自分」こそ、人生を自由に選択できるあなたなんです。
」(p.186)

これは驚きました。スピリチュアル系では、こういう話はよく出てきます。「観察者」としての自分です。瞑想も、こういう自分に気づくことが1つの目的でもあります。観察者としての自分は、この肉体を持った自分がどんな窮地に陥っていても、冷静に観察しています。

「人生RPG」のところで触れた、考え事をしているあなたがゲームのキャラクターで、考え事に気づいている自分があなたというキャラを動かすプレイヤーの方です。」(p.186 - 187)

ゲームを楽しんでいても、ゲームのキャラに自己同一化はしません。たとえキャラがやられて死んでも、どーってことないはずです。「しょうがない、また最初からやるか。」くらいなものでしょう。そのプレイヤーこそが本当の自分であると言います。そうだからこそ、何があろうと人生を楽しめるのです。


あとがきに、石井さんの文が載っています。この本ができる経緯が書かれていました。石井さんが、俳優の浅野忠信さんに人生相談したことが書かれていました。試験前だったので緊張がほぐれる一言を求めたら、「0点でもいいよね」と言われたとか。

「神との対話」でも、私たちには何かをしなければならないとか、何かにならなければならないということはない、と言っています。私たちは、ただ存在するだけでOKなのです。なぜなら、体験することだけが人生の目的だからです。

生きているだけでOKなんだ!
 「じゃあ、何する?」
 って。何かしたとしても、成果は0点でもいいんです。
」(p.198)

体験すればいいのであれば、成功するとか失敗するとか、行為の結果はどうでもいいことになります。その結果が何であれ、その結果を基にまた考え、行動することになります。それが次の体験です。体験は続くのです。どんな結果であれ、体験が得られます。それを楽しめばいいのですね。


いつものように、サラッと読めてしまうひすいさんの本です。すでに知っている内容も含まれていますが、何度も同じようなことを読み、考えることは、とても重要だと思います。「刷り込み」という言葉がありますが、繰り返すことで習慣化するからです。

ネットを見ていると、自分の価値観こそが絶対的に正しいという信念を持って、他人を批判非難する人が大勢います。そういう人たちは、他人からの評価が得られないと不満に感じるようです。だから執拗に自分の価値観を押し付けてきます。そういうのを見ると、「あぁ、この人たちは苦しんでいるなぁ。」と感じます。「他の価値観があってもいいよね」と思えさえすれば、もっと自由になって楽になるのにと。そのためにも、ぜひこの本を読んでみてくださいね。

常識を疑うことから始めよう
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月27日

BASHAR2017



バシャールの最新刊を読みました。これまでと同様に、チャネリングするのはダリル・アンカ氏で、今回、バシャールと会話をするのは出版元VOICEの喜多見龍一氏です。通訳・翻訳は島田真喜子さんになっています。3日間に渡って、バシャールと対談した様子が収められています。

これまでも、バシャールに関する本は数多く紹介しています。本田健さんが対談した「未来は、えらべる!」や、須藤元気さん「バシャール スドウゲンキ」、ダリル・アンカ氏が来日した時のまとめの「BASHAR (バシャールペーパーバック@〜G)」、最近になって、さとうみつろうさんが対談した「その名は、バシャール」というのもあります。一覧はこちらにありますので、参考にしてくださいね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

皆さんは今現在もこの非物質次元にちゃんと存在しています。非物質次元から離れることはないのです。

物質現実とは「自分が非物質次元を離れたという夢を見ている状態です。
だから、物質現実は「幻想」だと言われます。

自分が非物質次元の状態にありながら、物質次元の夢を見ている。だから、「死ぬのは、夢から覚めること」です。
」(p.29)

「死」についてバシャールは、このように言っています。非物質次元とは、魂などの次元です。そちらが本体であり、物質次元つまり肉体はその反映に過ぎず、夢のようなものだと言います。だから「死」は、夢から醒めること。そう考えてみると、死ぬことが怖くなくなるのではないでしょうか。


なぜ感情的な反応をしてしまったのか、その背景にある「観念・信念」が分かれば、その観念・信念を持ち続けたいのか、あるいは変えたいのか選択できるようになります。

そのことで人は丸くなることができ、成長することができます。
」(p.43)

感情は魂の声だと「神との対話」では言っています。魂の声を聞いて、その感情が起こった自分の信念に気づけば、信念を変えることができます。そうすれば、また違う感情が起こる。それを成長だと、バシャールも言っています。


私たちの社会だけでなく、皆さんの現実においても、すべては起きるべくして理由があって起きています。

その理由を理解し、それに対応していけば、私たちが起きたことに対応するのと同じような形で対応することができます。

つまり起きた内容そのものが大事なのではなくて、「それにどう対応するか」が大事だということです。

私たちの文明でも予期せぬ出来事は起きますが、それを私たちは、「お祝いして、好奇心をもって」捉えます。
」(p.48)

思い通りにならないこと(=予期せぬ出来事)は、進化したバシャールの世界でも起こると言います。しかし、それに対する捉え方が違うのですね。私たちは、思い通りでなければ不都合なことだと考え、身構えてしまいがちです。しかしバシャールは、お祝いして、好奇心を持つと言っています。この違いが大事なのだと思います。


「わたし」は、オール・ザット・イズのひとつの観点、見方として存在しているので、「わたし」はなくなりません。

今言っている死への怖れは、「これかあれか」という考え方をするので怖くなるのですが、実際は、「これとあれの両方」なのです。

死んだら神と一体になる、神と合一するという考え方があります。

そのときも、自分がなくなるのではなく、「わたしが神になった」という感覚になります。
」(p.99)

「わたし」という個の存在が、死後も残るのかという質問への答えです。バシャールは、自意識はあると言い切ります。

このことは巻末にも考察があるのですが、まさにバシャールが言うように、どちらかではなくどちらもなのだと思います。そもそも「ひとつのもの(オール・ザット・イズ)」で、そこから分化したのが個々の魂です。では、どのレベルで意識しているのか、という問題なのですが、すべてと答える他ないと思います。したがって、自意識は残るけれど、そもそも個別ではないので、全体に融合することでもあるのです。


自分の生きていた人生を振り返り、「あのときのあの選択はポジティブだった」、「あれはネガティブだった」というアセスメント(assessment情報分析)はありえますが、ジャジメント(judgment批判・判断)はありません。

それは学びであり、今後、スピリットの世界で、あるいはさらにその先で、どんな選択をしていこうかと決めることができるわけです。

そして、存在(=オール・ザット・イズ)は常に「無条件」です。それがポジティブかネガティブか、ジャッジせず、罰することもありません。
」(p.108)

死後、地獄のようなものがあるのかという話です。この辺も「神との対話」と同様に、魂は自由に行い、それを分析し、再挑戦するかどうかを決めるだけです。審判して罰を与えて特定の行動をさせるなんて発想は、神(オール・ザット・イズ)にはないのです。


そしてそのことで「自分の波動が上がる」と、「その病気が発生しうる周波数」を超えてしまうので、病気にならなくなります。

一番最初は、病気を「よりポジティブな形で活用」していきました。

つまり、最初の一歩は、病気になったのには、なにか「ポジティブな理由」があるはずだ、というところを見ていくことから始めたのです。
」(p.170)

バシャールの世界では、病気というものは存在しないそうです。それは、「自分自身に正直でいる」ことができるからです。裏を返せば、自分に正直でないから病気になるのです。しかし、それができないレベルでは、まずは病気になったことにポジティブな面を見ることが、病気にならない状態へ移行するのに役立つと教えてくれています。


すでにお伝えした通り、自分の最高の情熱にしたがって、自分の能力の最大限に行動して、結果にまったく執着しないことです。

これらをやっていくと、もっともっとたくさんの「シンクロニシティ」が起きてきます。
」(p.177)

バシャールはいつも、「ワクワクすることをやる」と言っています。それは、最高の情熱に従うことなのですが、そこで自分の能力の最大限に行動することが重要だと言っています。つまり、ワクワクすることをやろうと決めたら、躊躇せずに思い切り行動することです。

さらに、結果に執着するなと言っています。つまり行動するのは、ワクワクする情熱からであって、結果への期待ではないのです。こういう点も、「神との対話」とよく似てますね。


最初にやらなければならないのは、物事を、「実際よりもつまらなく感じさせてしまう観念・信念」が自分にないか、を見ることです。

それをやったうえで、今度は非常に正直に、自分の情熱や喜びやワクワクってなんだろう、ということを見ていきます。

そして、「自分の情熱で自分の生活が維持できない」と信じている間は、すまらない職場であっても、そこにいる必要があります。
」(p.181)

ワクワクすることだけやっていれば、それだけで生活していけるのか? そういう問いへの答えになります。

結局、すべては私たち自身が創造しているのです。ですから自分が、こんなことをしていても食べていけない、と信じているのであれば、そういう現実(幻想)が創造されます。まあ、当たり前のことですね。ですからバシャールは、信じられないなら無理をするなと言うのです。


この本には、多次元世界のこととか、時間の概念だとか、かなり理解が難しいことが多々書かれています。しかし私は、そういうことを無理して正確に知る必要はないと思っています。なぜなら、所詮は三次元の世界に縛られて生きている私たちですから、それを超える世界を正しく把握することはできないからです。

もしそうなら、無理してそれらを知ったとしても、何の約にも立たないと思うのです。もちろん、多次元空間があるとか、時間は幻想だということそのものは、「ふーん、そんなものか」と思っているだけでも、役立つことはあります。つまり、本質的には現実は意味がない(=幻想)ことがわかるからです。しかし、それくらいでいいのではないでしょうか?どうせ理解できないのですから。

あと、フリーエネルギーについての記述もあります。これも、それはある、と言っているだけであって、どうすればそれが得られるかまで、詳しい言及はありません。いずれ、そういうフリーエネルギーを得て、戦争のない世界がやってくる。そう思っているだけでいいのではないかと思います。

質問者の問いに答えることがほとんどのため、どう生きるかより、この世の構造はどうなっているのか、という疑問に対する答えが多いように思います。そして、それらが明確に解明されることはないと思うし、実際にこの本でも、まだあいまいなままです。それなら、この世がどうかはさておき、どう生きるかにフォーカスして尋ねた方が役立つのでは? という気もしました。まあでも、これはこれで興味をそそられますけどね。

BASHAR2017
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:15 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月31日

セーラー服の歌人 鳥居



たしか「みやざき中央新聞」で取り上げていたセーラー服を着た歌人に興味を覚え、本を探してみました。歌集もあったのですが、それよりこちらの方が面白そうに感じたので買った本を読みました。サブタイトルに「拾った新聞で字を覚えたホームレス少女の物語」とあります。帯には「母の自殺、小学校中退、施設での虐待、ホームレス生活−−」とあります。いったいどれだけの逆境を乗り越えてきたのか、その人生に興味が湧いたのです。

作者は岩岡千景さん。中日新聞(東京新聞)の方のようです。2人の娘さんを持つシングルマザーとのこと。本の中にも書かれていましたが、この主人公の鳥居さんに共感される部分が多々あったのだろうと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

大人になった今でもセーラー服を着ているのは、「小学校や中学校の勉強をやり直す場を確保したい」という気持ちを表現するためです。」(p.17)

義務教育の場合、たとえ学校に通えなくなっても、卒業させられるのだそうです。そして、この件は後で触れますが、一度卒業してしまうと、もう二度と入り直すことができなかった。鳥居さんの場合、自分で新聞を読んで漢字を覚えたりしたものの、英語も算数も習っていないため、いわば知識がチグハグなようです。それを自覚されていて、小学校の勉強からやり直したかったと思われたようです。肩書は一応、高校中退のようですね。


「虐待」とは通常、保護下にある者に対して行われる暴力や嫌がらせなどの行為を指します。しかし鳥居は、施設で年長の男の子や女の子から受けた暴力やいじめのことも、あえて「虐待」と呼んできました。
 保護者である大人たちがそうした状況を、見て見ぬふりをしていたからです。
 そして、そうしたひどい状況に置かれた子たちがいることを、「多くの人に知ってほしいし、関心を持ってほしい」と思っています。また、「多くの人に知られることが、状況を変えることにつながる」とも思っています。
」(p.82)

たくさんの虐待を受けた鳥居さんですが、施設の先生や子どもたちに対して恨みはないと言っています。そういう人たちには、そういう人たちの理由があり、それぞれに大変な思いをしていたのだろうと思い遣るのです。

私たちが何か声を上げれば、すぐに改善されるわけではありません。また虐待をしていた人を責めたとしても、問題を矮小化してしまうだけだと私は思います。鳥居さんが言われるように、まずは知ること、関心を持って知ろうとすることが重要なのではないかと思います。


母が他人の痛みを自分のことと感じる人だったように、鳥居も、事件のニュースを見聞きすると、被害者だけでなく被害者を守れなかった家族の思い、事件を起こすまで誰にも鬱屈(うっくつ)した気持ちに気づいてもらえなかった加害者の思いなども痛々しく感じてしまうようです。」(p.86)

サブタイトルからすると、ホームレスをしながら落ちていた新聞を拾って字を覚えたかのように感じられたのですが、そうではなかったようです。施設の中に積まれていた職員が読み終えて捨てるばかりの新聞を読んでいたのです。

テレビで「通り魔殺人」などのニュースを見聞きするのは、耐えられなかったと言います。一方、新聞は冷静に淡々と書かれているので、安心して読めたそうです。鳥居さんの感受性の豊かさ、想像力の深さが感じられます。


それらの短歌と出会って以来、鳥居にとって、短歌は”目の前の「生きづらい現実」を異なる視点でとらえ直すもの”になりました。
 自分を否定しなくて済む「居場所」となったのです。
」(p.142)

鳥居さんは、人は誰でも生きていくのに、現実以外の場所が必要なのだと言います。それが映画だったり、ディズニーランドだったりします。鳥居さんにとっては、短歌の世界がそうだったのですね。

「居場所」という言葉は、前に読んだ「だから、居場所が欲しかった。」という本で出会った言葉です。そこにいれば安心していられる。人は、どこかでありのままの自分で安心していられる場所を探しているのだと思います。


鳥居の先祖は、「八百万の神が集まる場所」とされる出雲の出身です。
 また鳥居自身も、伊勢神宮(天照大御神(アマテラスオオミカミ)などを祀(まつ)った日本を代表する神社)がある三重県の空気を吸って育ちました。
 また、見えざる世界と現世との「境界に立つということ」に興味があることも、このペンネームをつけた大きな理由だそうです。
」(p.163)

鳥居さんのペンネームには、こういう理由があったのですね。それにしても、私の故郷、島根県とも縁があったとは。なんだかそれだけで親しみを感じます。


それでも、短歌に限らず、芸術がもっと広まったらいいのに、とその時も思ったんです。世界を美しく切り取った芸術に出会えて感動できたら、うつの人も、人生に面白みを感じて生きていけるんじゃないか。生きていると、つらいことばっかりだから……感動がなかったら、とてもやっていけない。そして、つらい思いが勝ったら、死のほうに心の針が振り切れてしまう。だから、人を感動させて、生かす、芸術家には尊敬の念と感謝の気持ちを抱いています。」(p.180)

鳥居さんは、大阪の梅田駅の前で、短歌の魅力を伝えるビラを印刷して配ったこともあるそうです。そういう行動に駆り立てたのは、芸術に感動すれば、誰かの死を止められるかもしれない、という思いだったようです。しかし、そういうビラ配りは、空回りだったようですね。


慰(なぐさ)めに「勉強など」と人は言う その勉強がしたかったのです

 「大学生って、うらやましいな、”星が光っている理由”とか、知らないことを知れるって楽しいな、と思います。大学の先生が、”参考文献はこれこれです”と教えてくれると、良い本にもすぐに巡り会える。これは、すごく幸せだと思います。
 でも一方で、中学から不登校だった子で、独学で国立の医学部に入った人を知っていますが、その人は苦労して入った念願のその大学を辞めてしまいました。理由は、”周囲になじめない”でした。この気持ちが、私にはすごくよくわかります。
」(p.189 - 190)

勉強をしたい。でも、ストレートに進学している人たちと一緒だと馴染めない。そういう裏腹の思いがあるのですね。


しかし、形式卒業で中卒の資格を得た人は、夜間中学校に入学できないのです。
 形式卒業者でも、学び直したい人がいつでも学べる場所にしたい。それは、学ぶ機会を失った形式卒業者たち、そして夜間中学校の教壇に立つ先生たちの悲願でした。
」(p.194)

そして2015年7月。文部科学省は、形式卒業者も夜間中学校へ入学できるようにするよう、全国の都道府県教育委員会に通知を出しました。
 形式卒業者・関係者たちの60年越しの願いが、ついにかなえられたのです。
」(p.196)

鳥居さんも関わったこの取り組みが、みごとに花開いたのですね。それにしても、60年間も放置し続けたお役人さんたちって、いったいどういう考え方をしているのでしょうね。


「私が今まで出会った人の中には、風俗やストリップの世界で働く人もいます。彼女たちは性行為が好きなわけでも、ブランドもののバッグがほしいわけでもない。学歴も、お金も、頼る人もなくて、生きていくための選択肢がほかにないんです。この連作には、女性には収入の少ない仕事が多いこと、貧困の子が学校に行くことの難しさ……いろいろな思いを込めました」

 姉さんは煙草(たばこ)を咥(くわ)へ笑ひたくない時だって笑へとふかす
」(p.205)

鳥居さんは、自分や自分の母親、DVシェルターで出会った女性たちを重ねて合わせ、「鈴木しづ子さんに捧ぐ」と題した短歌十首を作ったそうです。その1つが上記の歌ですね。


不登校などを経験してきた参加者たちはみな、「学校に毎日通わなくてはいけない」「先生のいうことを聞かないといけない」といった、今の日本社会で当然とされているルールや価値観を、一度はとらえ直そうとしたことのある人たちでもあります。」(p.216)

鳥居さんは、「生きづら短歌会」(通称づらたん)という生きづらさを抱えた人たちが集まる歌会を開いたそうです。そこには、それぞれの人生の問題と向き合い、より深く人生を見つめ直した人たちがいたのですね。そういう人たちに短歌が役立つかもしれない。そして、そういう人たちと出会う中で、鳥居さん自身も生きる力を得られたのではないかと思います。


短歌を作って、それで生きていけるのか? そんなことが役に立つのか? 面と向かって、そんなことを言われたこともあったと言います。それでも鳥居さんは、自分を救ってくれた短歌こそが、自分が生きる道だと考えておられるようです。

ところどころに散りばめられた鳥居さんの歌は、とても小学校中退という学力レベルで書かれた歌とは思えません。しかし、普通ではない生き方をしてきたからこそ、その歌に力がこもっているように感じます。

セーラー服の歌人 鳥居
 
タグ:岩岡千景
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:09 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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