盲導犬の訓練で不合格になった犬たちの物語を読みました。アマゾンリンクは文庫になっていますが、私が買ったのは単行本です。これもおそらく、「みやちゅう」こと「みやざき中央新聞」で紹介していた本ではないかと思います。著者は沢田俊子(さわだ・としこ)さん。子ども向けの本を書かれている方のようです。
単行本は学研の出版です。この売り上げの一部が、日本ライトハウス行動訓練所に送られ、盲導犬の育成に使われると書かれています。私も、盲導犬支援のための寄付を何度かしたこともあり、盲導犬育成については応援したいと思っています。
それにしても気づかなかったのは、盲導犬の訓練を受けても、すべての犬が盲導犬になれるわけではない、という事実です。うっかりしていました。考えてみれば当たり前のことなのですけどね。では、試験に落ちた犬たちは、いったいどうなるのでしょう?
まあ、普通に考えれば、一般の家庭で飼われることになるでしょう。少なくとも盲導犬の訓練を受けた犬ですから、聞き分けもよくて、利口で、飼いやすいことが予想されます。でも、これを読んで知ったのですが、いろいろな人生ならぬ犬生が待っているのですね。
詳細は本を読んでもらうとして、その一部を引用しながら、内容を紹介することにしましょう。
「盲導犬は、飼い主がレストランなどで食事をしている間も、テーブルの下でじっと待っている。
「それって、食べたいのをがまんしているのではないんですか? かわいそうだと思います。」
「そうじゃないの。人間の食べ物をたべたことがないので、ほしいと思わないのよ。盲導犬は、何かにつけてしんぼうさせられて、かわいそうだと思っている人もいるかもしれないけれど……。それは、まちがいなのよ。」
と高橋さんはいった。」(p.8)
小学校へ行って、盲導犬のことを知ってもらう活動をした時の話です。この時に連れて行った犬は、本当の盲導犬ではなく、盲導犬になれなかった犬。この本では不合格犬と言っていますが、正式にはキャリアチェンジ犬とか不適格犬と呼ぶそうです。
それでも、盲導犬の訓練を受けているので、だいたい同じようなことができます。不合格になるのは、ほんのちょっとしたことなのです。しかし、使う人が盲目の人ですから、たとえば突然あまがみとかされたら驚いて恐怖を感じるかもしれません。犬の方にそんな意図がないとしても。なので、かなり厳しい基準で選んでいるのです。
そんな盲導犬は、人の役に立つための訓練を受けます。ですから、好き勝手にトイレへ行ったりしないし、食べ物も定められた時間と場所でしか口にしない。指示されるまで、じっと待つという訓練を受けています。それは人間のエゴで、犬にとってはかわいそうなことなのか? そのことについて、私は何とも言えません。しかし訓練士の方は、犬はそれが喜びなのだと言うのです。
盲導犬になれなかった不合格件は、まずは介助犬や麻薬探知犬としての適性検査を受け、合格すればそちらへ行くことになります。そのための新たな訓練は必要ですが、基本的なことは盲導犬として訓練されているので、それほどハードルは高くないようです。
次に、その犬を育ててくれたパピーウォーカーさんに飼ってもらえるかどうか打診します。パピーウォーカーというのは、盲導犬になる犬が子犬の時、約1年ほど愛情を注いで育てるボランティアです。人間とともに生きることの喜びを、この子犬の時に覚えるのです。
最後は、不合格犬が出たら飼いたいと登録しておいた一般の家庭に引き取られます。その時も、慎重に適正を見極め、相性が合わないなら他を探すというようにしているそうです。このように、不合格犬と言っても、それですべてが否定されるわけではないのですね。
「基本的に盲導犬を、さわってはいけない。でも、みんなさわりたい。トゥリッシュは、盲導犬にさわりたいというみんなの気持ちを満足させている。」(p.77)
不合格犬には、盲導犬というものを知ってもらうための仕事もあります。最初にあったように小学校へ行ったり、街中で募金活動に同行したりします。その時、多くの人は盲導犬に触ってみたいのです。でも、本当の盲導犬には触ることはできません。ですから代わりに、不合格犬が触らせてくれながら宣伝活動をしているのです。
「中村さんから盲導犬をプレゼントされた一人の蔦田さんは、おとなになってから視力を失った。蔦田さんが、鍼灸師のしかくをえるために、国立視力障害センターで勉強することになったのは三年前のことだ。三年間、寮生活をしなければならないので、盲導犬をつれていった。すると、
「犬なんかつれてきて。」
と、センターの人に蔦田さんはしかられた。」(p.99)
国の機関であり、しかも盲目の人のための機関であるのに、それでも盲導犬が認知されていなかったのですね。そんな状態ですから、民間の施設ではさもありなんでしょう。レストランで拒否されたという話を、ニュースで耳にすることも多いです。
「学校に介助犬をつれていくのには、行政の認定が必要だそうだ。つまり、ロックが、「介助犬」としてみとめられるために、認定団体で定められたテストを受けなければならない。そのテストは、認定事業を行えるしせつまで、からだの不自由なあやのちゃんもいっしょに出向かないと、受けられない。」(p.103 - 104)
介助犬を連れて学校に行くということでさえ、ハードルが高いのが現実です。介助犬というのは、介助を受ける人の機能によって、さまざまなことをします。一定のやり方ではないのです。ですから、介助を受ける人と介助犬が一体となって、どんなことができるかが重要になります。
その認定試験を受けるのに、わざわざ特定の場所まで出かけなければならない。健常者でも面倒なことを、身体の機能が衰えている人にやらせる。そんなことをしなくても、検査官が出向けばいいのに、そういうことはしない。それが、現状なのです。
「くり返しいいますが、不合格犬は、盲導犬に向いていなかっただけなのです。
みんなちがっていて、あたりまえ。その犬らしく生きるってことが、輝くということで、それは、人間にもいえることだと思います。
わたしたちも、まずは、なりたいものを目指しましょう。でも、目指している何かになれなかったからといって、その人の価値が変わるものではありません。」(p.108)
不合格犬だからダメではないのです。ただ、向いていないとわかっただけ。向いていないとわかったなら、他の道に進めば良いのですね。それは人間も同じ。目指しているものになれなかったとしても、それでダメではないのです。
ここで紹介されている不合格犬たちの活躍を知ると、なんだか力が湧いてきますね。それぞれでいいんだ。こういう自分を「良い」と言ってくれる人もいるんだ。そういうことが、わかるのではないかと思います。
