あるFacebookページ(ここ)に、興味深いお知らせがありました。そこには、こう書かれていました。
「バンコクのコールセンターで働く、元非正規労働者、元風俗嬢、夜逃げしてきた家族、男娼の子供を生んだシングルマザーなどを取り上げたノンフィクション作品だ。
発売開始直後からその衝撃的な内容が、タイ・バンコク在住者の間で大きな話題となっている。」
作者はフィリピン在住のノンフィクションライター、水谷竹秀(みずたに・たけひで)さん。私が暮らすタイのこどでもあり、またコールセンターで働く友人も多かったことから興味を持ちました。そして、この本をプレゼントするという企画だったので、さっそく応募しました。そうしたら、みごとに当選して、本が手に入ったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「バンコクにあるコールセンターという職場には、日本社会のメインストリームから外れた、もう若くはない大人たちが集まっているということになる。バンコクへ渡った段階で「人生の落伍者」というレッテルを貼られてしまった人たちが、一つの戦場にまとまって存在しているということなのだろうか。
だが同時に、青山が口にした「居心地」という言葉も気になった。」(p.9)
プロローグで青山という女性の例を上げ、このように書いています。いわゆる「普通」に日本で生きられない日本人が集まってくる場所。そして、ここには自分の「居場所」があると感じる。それがコールセンターという職場。そういう事例を、これから示そうと言うのでしょう。
「私が取材したオペレーターたちは消したい過去を抱えていることが多かった。たとえばそれは複雑な家庭環境であったり、幼い時に大人から性的嫌がらせを強要されたり、あるいは日本で風俗嬢として働いていたり、恋人の男性に殺されかけたり、同性愛者だったり、といったことだった。それがトラウマとなり、人間不信に陥る。心が屈折し、素直さは失われ、それが強いコンプレックスにつながる。だから自信がない。どこかネガティブなオーラを放っている。次々に出会うオペレーターたちからそんなつらい過去を打ち明けられると、それが彼らの、”最大公約数”ではないかという気がしてくるのだった。」(p.38)
もちろんすべてのオペレーターがそうではないことは確かでしょう。しかし水谷さんが出会ったオペレーターたちのほとんどが、そうだったと言うのです。
「日本に居場所はなかったかもしれないが、なければないで海外という選択肢がある。他人からは「ただ単に逃げただけじゃないの?」と言われようが、重要なのは本人が生きていることを実感できるかどうかだ。幸せか否かは第三者が決めることではない。」(p.54 - 55)
夜はカオサンのクラブでDJをする吉川の話を聞いて、水谷さんはこう言います。たしかに日本の社会は閉塞感が強いですからね。「かくあらねばならない」が多いのです。
以前、日本にいたときは、私もこの「かくあらねば」を押しつける側の人間でした。そして他人がそれに従わないことにイライラしていました。しかし、タイで暮らすようになってから、タイは自由だと感じるようになりました。その逆に、日本の閉塞感に気づいたのです。そうなると、日本にいるよりタイの方が居心地が良いと感じるのです。
「それでも若者たちは何かを求めてアジアを目指した。かつてそれは「自分探し」と謳(うた)われていたが、探し物が具体的な何かである必要はなかった。たとえ現実逃避でしかなかったとしても、アジアの人々や旅先で出会った日本人たちは、そんな弱い私を優しく包み込むように受け入れてくれた。そこには確かに「居場所」があった。日本と違う景色、違う食事、違う言葉を話す現地の人々との出会いを通じた非日常的体験。そこに意味や理由付けといった小難しい理屈は不要で、ただただ楽しかった。」(p.67)
水谷さんも若いころ、アジアを放浪したと言います。同じ何かを感じたから、オペレーターたちが「居場所」を求めて集まる理由もわかるのでしょうね。
「ゴーゴーボーイなど夜遊びにハマる日本人女性の話は意外とよく耳にするという。
「ハマっている女性は本当にたくさんいるんです。でもなぜかタブー視されているんですよ。男性側からすれば俺たちはいいけど、彼女や奥さんにはこういう場所に行ってほしくないって思っているわけですよ。でも実際は行っている。そういう陰の部分を伝えたかった」
平原編集長の情報でも、ゴーゴーボーイにハマる女性の大多数は、コールセンターで働いているという。」(p.160)
かつて「アーチプラス」という女性向けのフリーペーパーで、「女の夜遊び バンコクの夜をとことん楽しむ!」という特集があったそうです。2012年9月の創刊号のこと。これまで、ゴーゴーバーやカラオケなど、男性向けの夜遊び情報を扱う情報誌は多かったものの、女性向けはこれが初めてだったとか。
スポンサーの抵抗で、ついにこの企画は続けられなくなったそうです。残念なことです。しかし、私も個人的に、ゴーゴーボーイに通う日本人女性の話は知っています。女性も本当は夜遊びをしたいと思っている人がいる。だったら男性と同じように、もっと自由にやってもいいんじゃないか。私はそう思います。
「闇は誰にでもある。ところが日本社会で生きていると、常識や世間体、他人からの評価にがんじがらめにされ、ありのままの自分をさらけだすことができない。だが、遠く離れたここバンコクであれば、周りの目をそれほど気にすることのない解放感から、より自分に純粋に、そして素直になれる。日本で抑圧されていた何かが吹き出す瞬間もあるだろう。海外に来た途端、人が変わったように輝いてみえるのはそのせいかもしれない。」(p.219)
ハメを外しすぎてしまう方もおられますが、日本社会が閉塞的であるがために、海外ではより解放的になるのでしょうね。
「タイだと普通に昼間でも男同士が手をつないで歩いている。それに対して誰も何も言わない。だから日本に比べたら暮らしやすいし、俺は公共の場でも当たり前に男同士手をつないで歩きたい。やっぱり日本は同性愛者に対する偏見が強いのかなと思いました。」(p.237)
これは、ゲイの高木のセリフです。私も日本にいる時は、同性愛者を嫌悪していました。批判はしないものの、自分の視界には入ってほしくない。そういう気持ちでした。しかし、タイに来たら慣れるんですね。だって、あちこちで目にするんですもの。
私は、障害者も同じだと思いました。障害者に対する偏見、あるいは同情的な見方も、あまり障害者を見ないからです。見慣れてしまえば、そういう違いの前に、同じ人間だという思いが先立ちます。そうならなければ、違いを受け入れられないだろうと思うのです。
「自己を過小評価するあまり、自分のことを人に話しても、耳を傾けてもらえないだろうと言い出せなかったのか。自分は社会の中心から外れ、陽の当たらない片隅でひっそりと生きているという自覚と疎外感が透けて見える。」(p.243)
インタビューを受けたオペレーターの何人かが、「聞いてくれてありがとうございます」などと言い、話を聞いてもらえることを素直に喜んだと言います。これまではなかなか自分のことを言い出せなかったのだろうと、水谷さんは推測します。
自分に自信がない。だから海外でも日本語だけでよくて、しかも誰でもできる簡単な仕事のオペレーターを選ぶ。そういうことなのかもしれません。
「自己の存在とはやはり、他者との関係性においてしか認識することができないのだろうか。
他者に認められ、あるいは他者から自分を肯定される時、人間は自分の存在意義を実感することができる。」(p.260)
たしかに、誰かから必要とされることで、自己肯定感を得ようとするのです。本当はそのやり方では上手く行かないのですが、そもそも自尊心がないために、他者の言動に依存したくなるのです。
「我々外国人には見えにくい部分なのかもしれないが、「LGBTに寛容なタイ社会」という仮面の裏には、もう一つの現実が潜んでいるのだ。」(p.269)
よく目にするため、LGBT(性的マイノリティー)の人がいても何とも思わないように見えるタイ社会ですが、そうではない一面も持っています。学校の先生とか公務員にはなれないなど、差別的な一面もあったのです。
「昔はただがむしゃらに女として認められたい、女になりたい、でもどっかでなれない、あなたは女じゃないっていう現実を突き付けられて苦しむことの繰り返しだった。でも今は自分は元男だし、完全に女にはなれないけど、それでも生きたいように生きているから苦しくはないんだと思えるようになりました」
人は多くを求めず、ありのままの自分を受け入れることで、今以上に幸せになれるのかもしれないと、水野の話を聞きながら思った。」(p.271)
ニューハーフの水野は、女になれなくてもなれない自分を、そのままに受け入れようとしているのですね。男でも女でもない。それでも自分は自分。それでいいのだ、という自己受容です。けっきょく、ありのままの自分を受容する以外に、幸せになる方法はないのだと思います。
「だから、居場所が欲しかった。
自分のことを認めてくれる環境を探し求めていた。
他人に好かれ、嫌われないような人間でありたかった。
本書に登場する人たちもおそらく、同じような思いを抱えて生きてきたのではないか。日本で居場所を見つけ出せず、バンコクで見つけて生きていこうと決めた。私がフィリピンに住むに至った経緯と大筋で変わらない。私が寄り添ってきたオペレーターたちは私にとっての隣人のような存在であり、思いどおりにならない現実を嘆く彼らの姿は私の心を映し出す鏡のようであった。」(p.278)
水谷さんは、オペレーターたちの中に自分の姿を見ています。ですから、ぎすぎすした日本社会に順応するのを諦め、飛び出すのも悪くはないと言うのです。
今の日本は、いったい何を失っているのか? そして、彼らが「居場所」を感じるタイ・バンコクには何があるのか? それを水谷さんは、このように言っています。
「「これもいいんだ」と思える心の余裕である。」(p.279)
バンコクの日本人社会には、駐在員を上に見て、現地採用を格下に見る差別意識があると水谷さんは言います。そして現地採用の中でも、オペレーターは別格なのだとか。だから、オペレーターであることを隠そうとする人もいるのだと。
起業した成功者でも、まるで自分の過去を消すかのように、オペレーターであったことを見せないようにしている人もいるそうです。つまり、それだけオペレーターという仕事、オペレーターという生き方を、自分で肯定していないということです。
それは、彼らたちの自己責任なのか? と水谷さんは問いかけます。たしかに、そういう面もあるかもしれないけど、彼らをありのままに受け入れてくれない日本社会という問題点もあるのではないかと言うのです。
私も今は無職なので、オペレーターになろうかと考えた時期もありました。ただ、給料が低いんですよね。日本でアルバイトを掛け持ちするのとどちらがいいのか、悩ましいところです。でもこの本を読むと、タイでオペレーターをやる方が、楽に生きられるのかもしれないと思いました。
そして、水谷さんが指摘するように、違いを受け入れない日本社会の閉塞感は、さまざまな問題を引き起こしていると思います。ただ問題があるということは、変わるチャンスがあるということだと思います。ですから私は、諦める気持ちはありません。この本は、そのチャンスを生かすための一歩になると思います。

