リタイヤメントビザの更新ができない(3ヶ月間80万Bの預金残高がない)ため、いったんビザを切ってノービザでタイに入国し、結婚ビザ(ノン・イミグラント-O)を申請することにしました。
業者に依頼しようかとも思ったのですが、時間はたっぷりあるのだし、失敗してもともとと思い、自分でやってみることにしました。
いくつかのサイトに、自分で結婚ビザを申請したという方の話があったので、そちらを参考にさせていただきました。
結論としては、失敗でした。たしかにできるとは思うのですが、なかなかハードルが高いです。私は、このハードルを頑張って超えるより、他の方法の方が良いと判断したため、今年の結婚ビザ申請は、この失敗編で終わりになります。
●独身証明書を取得する
まず第1のハードルは、独身証明書を取得することです。
すでに結婚しているのに独身証明書って、おかしくないですか? もちろんすでに独身ではないので、求められているのは結婚届を出した時の独身証明書です。
それだけイミグレーションはタイの役所を信用していないか、結婚証明書の偽造があり得るという判断なのかもしれませんね。
6年ほど前に結婚届を出したバーンラック区役所へ行きました。タイ語でバーンは家、ラックは愛という意味ですので、バーンラックは愛の家という意味になります。こんな素敵な地名がついてる役所なので、結婚届をここに出す人が多いのです。
妻と一緒に行き、妻がすべてやり取りをしてくれて、書類をもらいました。費用は無料でした。(本当かなぁ?)あとで見ると、結婚届の書類の一式でした。その中に、独身証明書がありました。
これは、戸籍謄本などを元に日本大使館で作成してもらった英語版の証明書を、代書屋でタイ語訳してもらい、そこにタイ外務省の証明印をもらって提出した書類のコピーになります。
※結婚手続きの詳細は、「わかりやすい!タイ人との国際結婚手続き」をご覧ください。
●銀行預金残高の証明書を取得する
年収40万バーツ以上の所得証明か、銀行預金の残高が40万バーツ以上ある証明書が必要になります。
それで私は、銀行預金の残高の証明書を提出することにしました。今は無職ですから、それしか方法がありませんので。
規則では提出日の当日とあるのですが、前日でも良いそうなので、前日に銀行へ行きました。
タイ語で「バイラップローン・ブランチ・タナカーン」と言うのだとあるサイトにあったのですが、タイ語の意味がよくわかりません。バイラップローンは証明書、タナカーンは銀行なのですが、ブランチが不明なのです。まさか英語の支店じゃないですよね? (バンチーなら預金口座ですが)
※2017.11.03追記:結婚ビザを諦め、リタイヤメントビザを申請した時に思いました。やはり「バイ・ラップ・ローン・バンチー・タナカーン(ใบรับรองบัญชีธนาคาร)」だと。
それで不安があったので、「バイラップローン(証明書)」が欲しいと告げ、「ヨートコンルア(ยอดคงเหลึอ,残高)」に関するもので、ビザの取得に使うのだと説明したのです。
ところが、それではなかなか上手く伝わりません。結局、「バイラップローン・ブランチ・タナカーン」というようなことを担当者が口にしたので、それだと伝えて納得してもらいました。(笑)
しかしその後、「タイ語か?英語か?」とか、「残高は日本円か?タイバーツか?」など尋ねられます。そんな違い、どのサイトにも書いてなかったよ。ということで、私が確認できるよう英語にし、バーツでの残高が基準ですからバーツを選びました。(正式にはタイ語だとあります。)
待つこと数分、書類が出来上がりました。しかし、何かを感じて、私は残高がどこに書かれているか探したのです。でも、いくら探しても見つかりません。「残高はどこに書かれているのですか?」と尋ねると、担当者も気づいてくれました。
あぶない、あぶない。危うく大失敗するところでした。こんなことですら気を抜けないのがタイなのです。もう1回作り直してもらって、やっと手に入れました。費用は100バーツでした。
出かけたついでに、街の写真屋でビザ用の写真を撮ってもらいました。襟付きの服を着ていることが望ましいようだったので、Tシャツの上に持って行った長袖シャツを着て写り、待つこと15分ほどでできあがりました。費用は180バーツでした。
●申請書類を整える
申請書類については、タイ政府のサイトを見るのが確かなのですが、グーグルが警告を出すので怖くて見られません。実は、申請した時に担当者から示された資料に書かれていて、私は後で知ったのですけどね。
申請資料は、その時の最新の情報を元にしないと上手く行きません。ですので、本当は上記サイトで確認しておきたいところです。実際、私もこれで失敗したのですから。
以下、私が用意した資料です。
・ビザ申請書(新規:TM87、継続:TM7)
イミグレーションの入り口のカウンターでもらえますが、ただ結婚ビザと言うとTM7しかくれません。
ひょっとしたら、新規でもTM7に書いていいのかもしれませんけどね。
※2017年11月3日追記:おそらく新規はTM87が原則だと思います。他のノンイミグラントビザからの切り替えは別だと思いますが。これも、リタイヤメントビザの記事に書いています。
これに申請用の写真(4cm✕6cm)を貼ります。
・パスポートとそのコピー
パスポートは18ヶ月以上の有効期間が必要と書いてあるサイトもありましたが、イミグレの資料には何も書かれていません。ただ、ビザの期限は、パスポートの期限より長くなることはあり得ませんので、1年を切っている場合は、先にパスポートを更新しておく方が良いでしょう。
コピーは、顔写真、最新の入国スタンプ、出国カード(TM6)、現在適用中のビザ、前回の入国時のビザと入国スタンプ、のページだそうです。
・月収4万バーツ以上の証明書または40万バーツ以上の銀行預金残高の証明書
イミグレの担当者からもらった資料では、タイ語の残高証明書バイラップローン・ブランチ・タナカーン)と、普通預金または定期預金の預金通帳とその全ページのコピーとあります。
どこにも2ヶ月間維持とは書かれていませんが、おそらくそういう運用があるのかもしれませんね。
ちなみにイミグレの資料には英語でこう書かれています。
「A guarantee letter in Thai language from the commercial bank in Thailand (Attention: Immigration Commissioner) and a copy of all entries of the applicant's passbook showing that the applicant has a saving or fixed deposit account of not less than Baht 400,000*」
私は2ヶ月維持していないので、外貨の持込み証明書(空港の税関でもらう)と両替の証明書(銀行や大きな両替商でもらえます)を付けました。担当者からは両替の証明書は要らないと言われましたが。(スワンナプーム空港ではBと書かれたブースへ行き、マネー・ステートメントがほしいと言えば、だいたい伝わります。)
なお、残高証明書と通帳の記帳は、ビザ申請当日と書かれています。実際は、残高証明書は前日でもOKのようです。通帳は、当日、イミグレの下にある銀行のADMで100Bを預金してから記帳(UPDATE)します。預金(あるいは出金)しないと記帳されませんので。
念のために言うと、仕事をしている人はワークパミットとそのコピー、会社が発行する所得証明書が必要になります。これで月収4万バーツ以上あるなら、こっちの方が簡単ですけどね。
・結婚証明書(タビアーン・ガーン・ソムロット,ทะเบียนงานสมรส)とそのコピー(表裏)
結婚届を出すと、同じものを2枚もらえます。夫婦でそれぞれ1枚ずつ保持するように、ということかもしれません。これの表と裏をコピーします。
・自宅で家族が写っている写真をA4用紙に貼り付けるか直接印刷したもの
イミグレの資料には4枚の家族写真と住居の住所を示してある部分の写真、とあります。
実際は、家の外、部屋の中、ベッドの上などで夫婦が仲睦まじく写っている写真が10枚くらい必要という話もあります。これも担当者次第です。
・家までの最寄り地図(手書き)
なぜか手書きなのだそうです。Googleマップにピンを立てたものはダメだという話がよくありますね。
・住居を証明する書類とそのコピー
賃貸住宅の場合は、その契約書とコピーが必要になります。
私が失敗したのはここです。実は最新の資料では、これに賃貸住宅のオーナーのIDカードのコピー、それと住宅登録証(?)が必要だとあるのです。実際の書かれている英語は以下の通りです。
「Rental Agreement between the Applicant and the Landload.
`With a copy the ID card and House Registration If the Landload, signed by the Landload.」
これはなかなかハードルが高いです。だって、アパートのオーナーにしてみれば、そんな資料を手間ひまかけて渡す必要性がないのですから。妻もこれは面倒だと言うので、私はバンコクでの結婚ビザを諦めました。
もちろん、やってみる方法もあると思います。実際、結婚ビザではなくパタヤのリタイヤメントビザだったと思いますが、それを提出した方の話をサイトで見ましたので。
・結婚の際の独身証明書(バイラップローン・クワームペンソーット,ใบรับรองความเป็นโสด)とそのコピー
上記で書いたとおりです。
・タイ人女性のIDカード(バット・プラチャーチョン,บัตรประชาชน)とそのコピー(表裏)
・タイ人女性の住民票(タビアン・バーン,ทะเบียนบ้าน)とそのコピー(記載の全ページ)
・申請費用:2,000バーツ
なお、申請書類にはすべて申請者のサインが必要だとあります。
現物とコピーを求めているものについては、コピーの方にサインをします。現物はそこで見せるだけですからね。
私は、妻のIDカードとタビアン・バーンのコピーには、妻にサインをしてもらいました。写真にはサインをしませんでした。これが正しいかどうかわかりませんが、言われたらサインしようと思って、青ボールペンは持参して行きました。
●結婚ビザを申請する
バンコクのイミグレーションはチェーンワッタナーにあります。(Google Map)
タクシーで行く場合は、「トーモー、チェーンワッタナー、ソイ7」と言えば良いようです。たくさんの政府機関があるので、「アーカーンB」とか「トゥックB」(建物B)と言うと、入り口まで連れて行ってもらえます。あとは、自分のスマホでGoogleマップを使って確認することですね。
入り口を入るとすぐ、パスポートのチェックと荷物検査があります。そこを通り過ぎると、右前方に四角いテーブルのような椅子を並べたエリアがあり、その右手がイミグレーションの入り口です。
時間は8時半から開いています。12時から13時まで昼休憩で、イミグレのエリアから締め出されます。午後は15時半までとなっています。
ブースに入ると右手に、申請書をもらうカウンターがあり、その部屋で申請書を書いている人がいます。その先の入口を入ると、待ち行列の番号札をもらうカウンターが3つあり、そのどこかに並んで、順番が来たら目的を告げて番号札をもらいます。
私はパスポートを渡し、申請書を見えるように置いたら、何も言われずに番号札をくれました。申請書のTM87を見ただけでわかるのかと思い込んだのですが、これが失敗でした。
最初、K1に行って番号が来るのを待ち、1時間ほどでブースに入りました。そこで資料を出すと、怪訝そうな顔をされるのです。それで「結婚ビザの申請だ」と告げると、「それはここじゃない。C1へ行け。」と言われてしまいました。待っている途中で「ひょっとしたら場所が違うんじゃないか?」と思ったのですが、嫌な予感が的中しました。
それでC1へ行ったものの、番号札がないのですからどうしたらいいかわかりません。それで、ブースを覗いて事情を妻に説明してもらったところ、やはり番号札を取り直せとのこと。1時間以上無駄にして、正しい番号をもらいました。やはり、相手を信じてはいけませんね。
その時点(10時半過ぎ)で36番まで進んでいたのですが、私がもらった番号は71番。当然、午前中に呼ばれることはなく、午後になってしまいました。午後2時くらいにやっと呼ばれ、入ったところ、こちらもすぐに「オーナーのIDカードコピーなどがない」と却下されてしまいました。
その際、「何歳か?」と問われたので「56歳です」と答えたところ、「どうしてその年令でリタイヤできるんだ?」とか、「リタイヤメントビザの方が簡単なのに、どうしてそっちを取らないんだ?」など、余計なお世話みたいな質問をされてしまいました。
※2017年11月3日追記:この質問の意図も、リタイヤメントビザの申請をしたことで理解できました。意地悪な質問ではなく、逆に親切な質問だったのです。私が理解できなかっただけで。
けっこう念入りに準備したつもりだったのですが、なかなか上手く行きませんね。リタイヤメントビザでも、オーナーのIDカードのコピーなどが必要だという話もあります。なので、今はどうすれば良いのか、ちょっとよくわからなくなってきました。
手数料が高いのですが、業者にお願いするのも悪いことではないなと思えてきましたよ。いずれにせよ、今月25日に滞在期限が来るので、ビザ申請をするならその15日前までにしなければなりません。しばらく考えて、行動したいと思います。
と言うことで、今回は失敗に終わってしまった結婚ビザ申請の顛末記となりました。もしまた自力でビザ申請するようなことがあれば、ここで報告したいと思います。
※イミグレでもらった結婚ビザ申請の必要書類に関する資料です。クリックして、あるいはダウンロードしてご覧ください。
◇◆◇ 注 ◆◇◆
この記事に書かれているのは、記事が書かれた時点で私が集めた情報や、私が体験してそう思ったというものです。
したがって、これらの情報が絶対的に正しいとか、どこでも適用されるなどと思わないでください。
仮に正しいとしても、何があるかわからないのがタイです。その辺のことをご承知おきください。
2017年11月01日
2017年11月03日
タイ・バンコクでリタイヤメントビザを自力で取得する
つい先日、結婚ビザを取ろうとして失敗したばかりですが、じっとしているわけにはいきません。調べ直して、リタイヤメントビザを取ることにしました。
まず基本的に知識がない方のために書いておくと、タイの結婚ビザは、結婚しているだけでなく、年間40万バーツ程度以上の資力が求められます。これは外国人男性のみで、タイ人男性と結婚する外国人女性は不要です。(不公平だとは思いますが。)そのため、銀行預金口座に40万バーツ以上の残高があるとか、月収4万バーツ以上あるなどの証明が必要になるのです。
一方、リタイヤメントビザというのは、年金ビザと呼ばれたりもしますが、タイに外国人の(裕福な)お年寄りを呼び寄せるためのビザです。要件は、満年齢で50歳以上であることと、年間80万バーツ程度以上の資力が求められます。銀行口座に80万バーツ以上の残高があるか、月6.5万バーツ以上の年金受取が必要で、そのための証明書が必要になります。
前回、結婚ビザを取ろうとして失敗したのは、その提出資料の中に、賃貸契約の場合はオーナーのIDとカードコピーと住居登録が必要とされたからです。こんなの、オーナーにとっては何のメリットもないので、もらうのが大変だと感じたのです。リタイヤメントビザでは、それは必要ないとのことでした。(パタヤでリタイヤメントビザを取られた方は、必要だと言われて苦労したと、ブログに書かれていますけどね。)
そう考えてみると、リタイヤメントビザを取るより、結婚ビザの方がハードルが高いってことですよね。おかしくないですか?って思いますが、そんなことを言っても仕方ありません。それがタイのルールですし、ここはタイですから。
そこで気を取り直して、結婚ビザを諦めてリタイヤメントビザを取ることにしました。実は私、1回リタイヤメントビザを取っています。昨年、リストラされた時に、ビジネスビザ(Bビザ)から切り替えたのです。厳密にはBビザをキャンセルし、7日間の滞在猶予をもらってから、その日の内にリタイヤメントビザを申請したのです。
すでに3ヶ月間80万バーツ以上の預金残高があったため、1年間のリタイヤメントビザが問題なく取得できました。通常は、ノンイミグラントO(オー)というビザの3ヶ月ビザを取得し、そこから1年のリタイヤメントビザに切り替えるのだそうです。BビザはノンイミグラントBですから、そこでノンイミグラントビザ3ヶ月というのがクリアされたのでしょう。
今回、自分でリタイヤメントビザを取るにあたって、いろいろ調べました。そこでよくわからないことがいくつかあったのですが、自分で手続きする中で見えてきたことが多々あります。それについて書きますね。
まず、日本でリタイヤメントビザを取ろうとすると、けっこう大変なようです。そこで業者さんもお勧めしているのが、タイに来てノンイミグラントOの3ヶ月ビザを取得し、そこからリタイヤメントビザに切り替える方法です。業者によっては15ヶ月ビザと言ったりしていますが、この方法です。
その最初のノンイミグラントOの3ヶ月ビザですが、ラオスなど国外で取ってくる方法もあるようです。しかし、タイ国内で取得することも可能です。その要件は、お金をタイに持ち込んだという証明書があるということです。
いずれ1年のリタイヤメントビザに切り替える際は、銀行預金残高が3ヶ月以上キープされていること、というのが条件となるようです。その3ヶ月というのは、このノンイミグラントビザの期間を表しているのではないかと思います。
したがって、厳密には3ヶ月でなくても良いはずです。ノービザでノンイミグラントOを申請し、15日後にノンイミグラントの3ヶ月(正確には90日)ビザを取得しますが、60日後には1年ビザへの更新が可能になります。となると、最短だと銀行預金口座に80万Bをキープできるのが75日になるからです。(ただし、1年のビザが切れて更新する際は、きっかり90日(3ヶ月)が適用されるとは思います。)
●書類を整える
申請書類については、タイ政府のサイトを見るのが確かです。前の記事にも書いたようにグーグルが警告を出すので怖くて見られません。私は、業者の方や、自力でビザを取られた方のサイトを参照しました。「タイ リタイヤメントビザ 書類」などで検索してみてください。
以下、私が用意した資料です。
・ビザ申請書(ノービザから新規:TM87、旅行ビザから新規:TM86、継続:TM7)
イミグレーションの入り口のカウンターでもらえますが、ただリタイヤメントビザと言うとTM7しかくれません。
ひょっとしたら、新規でもTM7に書いていいのかもしれないと思ったのですが、今回の件で、やはり違うと感じました。TM87とかTM86と言って、正式な書類をもらう方が無難です。
これに申請用の写真(4cm✕6cm)を貼ります。
結婚ビザの時に書いたものをそのまま日付だけ変えて提出しました。申請理由に「リタイヤメントビザが欲しい(I want Retirement Visa)」と書けと言われたので、それを付け加えました。あとは携帯電話番号をサインの下に書けと言われて書きました。
滞在期間が残り15日以上という話もあれば21日以上という話もあります。私は、申請日を含めず残り22日で申請しました。
・パスポートとそのコピー
イミグレの資料には何も書かれていませんが、ビザの期限は、パスポートの期限より長くなることはあり得ませんので、1年を切っている場合は、先にパスポートを更新しておく方が良いでしょう。
コピーは、顔写真、最新の入国スタンプ、出国カード(TM6)、現在適用中のビザ、前回の入国時のビザと入国スタンプ、のページだそうです。
・月収6.5万バーツ以上の年金所得の証明書または80万バーツ以上の銀行預金残高の証明書
結婚ビザと同様、タイ語の残高証明書と、普通預金または定期預金の預金通帳とその全ページのコピーだと思います。
※銀行で、この残高証明書は何と呼ぶのかと尋ねました。答えは「ナンスー・ラップ・ローン・バンチー(หนังสือรับรองบัญชี)」でした。ナンスーというのは普通は本のことですが、書類のことも指すのでしょうね。ラップ・ローンは証明・保証する、バンチーは経理・口座です。したがって、前に「バイ・ラップ・ローン・ブランチ・タナカーン」と紹介したのですが、おそらく正確には「バイ・ラップ・ローン・バンチー・タナカーン(ใบรับรองบัญชีธนาคาร)」だと思います。バイは紙1枚、タナカーンは銀行です。
3ヶ月間維持とは、規則に書かれていないと思います。おそらくそういう運用なのでしょう。
私は3ヶ月維持していない(というよりノンイミグラント3ヶ月以上のビザではない)ので、外貨の持込み証明書(空港の税関でもらう)と両替の証明書(銀行や大きな両替商でもらえます)を付けました。結婚ビザの時は担当者にはじかれた両替の証明書ですが、今回も同じ担当者でしたが、外貨の持込み証明書と一緒にホチキスでとめてましたね。一応、用意した方が無難なようです。
(外貨の持込み証明書はスワンナプーム空港ではBと書かれたブースへ行き、マネー・ステートメントがほしいと言えば、だいたい伝わります。)
なお、残高証明書と通帳の記帳は、ビザ申請当日と書かれています。前日(前々日でもOKという話もあります)でもOKのようですが、今回はまずイミグレーションの下の銀行でもらいました。通帳もイミグレの下にある銀行のATMで、今回は3000Bを引き出してから記帳(UPDATE)しました。預金(あるいは出金)しないと記帳されませんので。
通帳に当日の記帳をした後で、そのページのコピーを取る必要があります。何ヶ所かコピーをしてくれるところがあるようですが、私はエスカレーターを降りたところに目立つ看板があったので、その看板を頼りに奥の左手にある店へ行き、1枚2バーツくらいでコピーしてもらいました。
・住居を証明する書類とそのコピー
賃貸住宅の場合は、その契約書とコピーが必要になります。
アパートは妻が契約しているので、契約書に私の名前はありません。それで何か言われたらと思い、結婚していることを証明する結婚証明書(タビアーン・ガーン・ソムロット)のコピーと、妻のIDカード(バット・プラチャーチョン)のコピー(表裏)を持っていきました。しかし、数日前に結婚ビザで見てくれた担当官だったということがあるのか、何も言われませんでした。
念のために結婚ビザで用意した地図もつけましたが、これも要らないとはじかれました。
※<2018年9月9日追記> リタイヤメントビザの審査が厳しくなり、住所を示す地図の提出が義務付けられたとの情報がフリーペーパーにありました。必要書類はよく変わりますので、最新の情報を入手するようにしてください。
・追加書類
何の書類かわかりませんが、ビザ申請の書類をその場で書かされました。と言っても、「Mr. Atsushi Akaki」という名前と、年齢、それから申請理由として「Retirement Visa」と書いてサインしただけですけどね。
●リタイヤメントビザを申請する
昨年、リタイヤメントビザを申請したのはLカウンターでした。今回、待ち行列の番号札をもらうとき、「リタイヤメントビザ」と言ってパスポートをチェックしてもらったらLカウンターの札をくれたので、これで間違いないと思っていました。
しかし、約1時間して呼ばれて行くと、またしてもものの1分でダメ出しされました。独り言のように担当官が言ったのは、「なぜTM87の人がここに来るの?」です。この言葉によって、あとでわかったことがありました。
そして今度は親切に待ち行列の番号札をもらうカウンターに案内され、そこで新たな番号をもらい、C1カンターの前まで連れて行ってもらいました。
前回、結婚ビザの申請で回されたところです。「また間違っているんじゃないの?」最初はそう思いました。しかし、先ほどの担当官の言葉がひかかります。それでやっと気づいたのです。このC1カウンターは、ノービザとか旅行ビザから、ノンイミグラントO(オー)のビザに切り替え、最初の3ヶ月ビザを発給するカウンターなのだと。申請書がTM87かTM86ということです。(LカウンターはTM7(継続)を受け付けるのだと思います。)
隣のC2では、最初に何かを提出し次に何かを受け取るという形で、番号が次々と呼ばれていました。もしC1と関係しているとすると話は簡単です。つまり、C1で申請した場合、2週間の審査期間を経て、正式に3ヶ月ビザを受け取るのですが、おそらくC2に受け取りに来たことを申請し、順番を待ってビザを受け取るのでしょう。(これは2週間後に私が受け取りに行った時に判明します。)
※判明しました。C2カウンターは無関係でした。C1カウンターで受け付けていました。詳細は、「タイ・バンコクで3ヶ月ビザを受け取りました」をご覧ください。
これで、前の結婚ビザの申請の時、担当官が「なぜリタイヤメントにしないのか?」とぶしつけな質問をした意図がわかりました。彼女(担当官)は、結婚ビザだとオーナーの書類が足りないから受け付けられないけど、リタイヤメントビザなら今の書類でそのまま受け付けられると言いたかったのでしょう。
書類をチェックしてもらい、いくつか追記したりして、今回は午前中にビザ申請が無事に完了しました。担当官にビザ代の2,000バーツを支払った時、これで3ヶ月のビザがもらえるんだとホッとしましたよ。
領収書には、今月20日に受け取るように書かれています。この日程は、他のサイトを読むと、その日しか受け取れないようです。万難を排して行く必要がありますね。
実はBビザの時、受取日に出国していてタイにいないということがありました。それで後から、すでに航空券を発券していることを伝えて、受取日を変更してもらったことがあります。ですから、本当は変更できるのです。おそらく、その日に受け取りに来る予定の人の資料を、それまでに準備するのでしょう。その変更が面倒だから、必ずこの日に来いと言っているだけのように思います。
まあでも、こちらもわざわざ面倒なことはしたくないので、指定日に受け取りに行こうと思います。これで、2月半ばくらいまでの90日間のビザを手にできます。60日を過ぎると1年ビザに更新ができるので、妻の実家へ引っ越すまでに、1年ビザに切り替えようと思います。
チェーンワッタナーのイミグレへの行き方は、前回の結婚ビザの顛末に書いてありますので、そちらをご覧ください。
バンコクでリタイヤメントビザを取得するなら自力でもできます。とは言え、前の結婚ビザの失敗などで慣れていたから簡単にできた、とも言えます。そう考えると、業者さんの助けを借りて一発で済ませるのも1つの方法ですし、失敗を重ねながら知識を増やしていくというのも1つの方法かと思います。
●番外編
チェーンワッタナーのイミグレの外に、こんな標識を天井に見つけました。
だいたい絵で意味はわかるのですが、赤丸の絵だけわかりませんでした。それで妻に尋ねると、イスラム教徒のための祈りの部屋だそうです。
そう言われてみて、なるほどと思いました。日本に比べるとイスラム教徒の数も多いので、こういう気配りが必要なのですね。そう言われれば、私がいた前の会社でもイスラム教徒の社員を採用した時、会議室を祈りの部屋として使ってよいという許可を出したことがありました。
いろいろ体験しながら、たくさん学ばせてもらっています。ともかく今は、3ヶ月のビザがもらえることになってホッとしています。
◇◆◇ 注 ◆◇◆
この記事に書かれているのは、記事が書かれた時点で私が集めた情報や、私が体験してそう思ったというものです。
したがって、これらの情報が絶対的に正しいとか、どこでも適用されるなどと思わないでください。
仮に正しいとしても、何があるかわからないのがタイです。その辺のことをご承知おきください。
まず基本的に知識がない方のために書いておくと、タイの結婚ビザは、結婚しているだけでなく、年間40万バーツ程度以上の資力が求められます。これは外国人男性のみで、タイ人男性と結婚する外国人女性は不要です。(不公平だとは思いますが。)そのため、銀行預金口座に40万バーツ以上の残高があるとか、月収4万バーツ以上あるなどの証明が必要になるのです。
一方、リタイヤメントビザというのは、年金ビザと呼ばれたりもしますが、タイに外国人の(裕福な)お年寄りを呼び寄せるためのビザです。要件は、満年齢で50歳以上であることと、年間80万バーツ程度以上の資力が求められます。銀行口座に80万バーツ以上の残高があるか、月6.5万バーツ以上の年金受取が必要で、そのための証明書が必要になります。
前回、結婚ビザを取ろうとして失敗したのは、その提出資料の中に、賃貸契約の場合はオーナーのIDとカードコピーと住居登録が必要とされたからです。こんなの、オーナーにとっては何のメリットもないので、もらうのが大変だと感じたのです。リタイヤメントビザでは、それは必要ないとのことでした。(パタヤでリタイヤメントビザを取られた方は、必要だと言われて苦労したと、ブログに書かれていますけどね。)
そう考えてみると、リタイヤメントビザを取るより、結婚ビザの方がハードルが高いってことですよね。おかしくないですか?って思いますが、そんなことを言っても仕方ありません。それがタイのルールですし、ここはタイですから。
そこで気を取り直して、結婚ビザを諦めてリタイヤメントビザを取ることにしました。実は私、1回リタイヤメントビザを取っています。昨年、リストラされた時に、ビジネスビザ(Bビザ)から切り替えたのです。厳密にはBビザをキャンセルし、7日間の滞在猶予をもらってから、その日の内にリタイヤメントビザを申請したのです。
すでに3ヶ月間80万バーツ以上の預金残高があったため、1年間のリタイヤメントビザが問題なく取得できました。通常は、ノンイミグラントO(オー)というビザの3ヶ月ビザを取得し、そこから1年のリタイヤメントビザに切り替えるのだそうです。BビザはノンイミグラントBですから、そこでノンイミグラントビザ3ヶ月というのがクリアされたのでしょう。
今回、自分でリタイヤメントビザを取るにあたって、いろいろ調べました。そこでよくわからないことがいくつかあったのですが、自分で手続きする中で見えてきたことが多々あります。それについて書きますね。
まず、日本でリタイヤメントビザを取ろうとすると、けっこう大変なようです。そこで業者さんもお勧めしているのが、タイに来てノンイミグラントOの3ヶ月ビザを取得し、そこからリタイヤメントビザに切り替える方法です。業者によっては15ヶ月ビザと言ったりしていますが、この方法です。
その最初のノンイミグラントOの3ヶ月ビザですが、ラオスなど国外で取ってくる方法もあるようです。しかし、タイ国内で取得することも可能です。その要件は、お金をタイに持ち込んだという証明書があるということです。
いずれ1年のリタイヤメントビザに切り替える際は、銀行預金残高が3ヶ月以上キープされていること、というのが条件となるようです。その3ヶ月というのは、このノンイミグラントビザの期間を表しているのではないかと思います。
したがって、厳密には3ヶ月でなくても良いはずです。ノービザでノンイミグラントOを申請し、15日後にノンイミグラントの3ヶ月(正確には90日)ビザを取得しますが、60日後には1年ビザへの更新が可能になります。となると、最短だと銀行預金口座に80万Bをキープできるのが75日になるからです。(ただし、1年のビザが切れて更新する際は、きっかり90日(3ヶ月)が適用されるとは思います。)
●書類を整える
申請書類については、タイ政府のサイトを見るのが確かです。前の記事にも書いたようにグーグルが警告を出すので怖くて見られません。私は、業者の方や、自力でビザを取られた方のサイトを参照しました。「タイ リタイヤメントビザ 書類」などで検索してみてください。
以下、私が用意した資料です。
・ビザ申請書(ノービザから新規:TM87、旅行ビザから新規:TM86、継続:TM7)
イミグレーションの入り口のカウンターでもらえますが、ただリタイヤメントビザと言うとTM7しかくれません。
ひょっとしたら、新規でもTM7に書いていいのかもしれないと思ったのですが、今回の件で、やはり違うと感じました。TM87とかTM86と言って、正式な書類をもらう方が無難です。
これに申請用の写真(4cm✕6cm)を貼ります。
結婚ビザの時に書いたものをそのまま日付だけ変えて提出しました。申請理由に「リタイヤメントビザが欲しい(I want Retirement Visa)」と書けと言われたので、それを付け加えました。あとは携帯電話番号をサインの下に書けと言われて書きました。
滞在期間が残り15日以上という話もあれば21日以上という話もあります。私は、申請日を含めず残り22日で申請しました。
・パスポートとそのコピー
イミグレの資料には何も書かれていませんが、ビザの期限は、パスポートの期限より長くなることはあり得ませんので、1年を切っている場合は、先にパスポートを更新しておく方が良いでしょう。
コピーは、顔写真、最新の入国スタンプ、出国カード(TM6)、現在適用中のビザ、前回の入国時のビザと入国スタンプ、のページだそうです。
・月収6.5万バーツ以上の年金所得の証明書または80万バーツ以上の銀行預金残高の証明書
結婚ビザと同様、タイ語の残高証明書と、普通預金または定期預金の預金通帳とその全ページのコピーだと思います。
※銀行で、この残高証明書は何と呼ぶのかと尋ねました。答えは「ナンスー・ラップ・ローン・バンチー(หนังสือรับรองบัญชี)」でした。ナンスーというのは普通は本のことですが、書類のことも指すのでしょうね。ラップ・ローンは証明・保証する、バンチーは経理・口座です。したがって、前に「バイ・ラップ・ローン・ブランチ・タナカーン」と紹介したのですが、おそらく正確には「バイ・ラップ・ローン・バンチー・タナカーン(ใบรับรองบัญชีธนาคาร)」だと思います。バイは紙1枚、タナカーンは銀行です。
3ヶ月間維持とは、規則に書かれていないと思います。おそらくそういう運用なのでしょう。
私は3ヶ月維持していない(というよりノンイミグラント3ヶ月以上のビザではない)ので、外貨の持込み証明書(空港の税関でもらう)と両替の証明書(銀行や大きな両替商でもらえます)を付けました。結婚ビザの時は担当者にはじかれた両替の証明書ですが、今回も同じ担当者でしたが、外貨の持込み証明書と一緒にホチキスでとめてましたね。一応、用意した方が無難なようです。
(外貨の持込み証明書はスワンナプーム空港ではBと書かれたブースへ行き、マネー・ステートメントがほしいと言えば、だいたい伝わります。)
なお、残高証明書と通帳の記帳は、ビザ申請当日と書かれています。前日(前々日でもOKという話もあります)でもOKのようですが、今回はまずイミグレーションの下の銀行でもらいました。通帳もイミグレの下にある銀行のATMで、今回は3000Bを引き出してから記帳(UPDATE)しました。預金(あるいは出金)しないと記帳されませんので。
通帳に当日の記帳をした後で、そのページのコピーを取る必要があります。何ヶ所かコピーをしてくれるところがあるようですが、私はエスカレーターを降りたところに目立つ看板があったので、その看板を頼りに奥の左手にある店へ行き、1枚2バーツくらいでコピーしてもらいました。
・住居を証明する書類とそのコピー
賃貸住宅の場合は、その契約書とコピーが必要になります。
アパートは妻が契約しているので、契約書に私の名前はありません。それで何か言われたらと思い、結婚していることを証明する結婚証明書(タビアーン・ガーン・ソムロット)のコピーと、妻のIDカード(バット・プラチャーチョン)のコピー(表裏)を持っていきました。しかし、数日前に結婚ビザで見てくれた担当官だったということがあるのか、何も言われませんでした。
念のために結婚ビザで用意した地図もつけましたが、これも要らないとはじかれました。
※<2018年9月9日追記> リタイヤメントビザの審査が厳しくなり、住所を示す地図の提出が義務付けられたとの情報がフリーペーパーにありました。必要書類はよく変わりますので、最新の情報を入手するようにしてください。
・追加書類
何の書類かわかりませんが、ビザ申請の書類をその場で書かされました。と言っても、「Mr. Atsushi Akaki」という名前と、年齢、それから申請理由として「Retirement Visa」と書いてサインしただけですけどね。
●リタイヤメントビザを申請する
昨年、リタイヤメントビザを申請したのはLカウンターでした。今回、待ち行列の番号札をもらうとき、「リタイヤメントビザ」と言ってパスポートをチェックしてもらったらLカウンターの札をくれたので、これで間違いないと思っていました。
しかし、約1時間して呼ばれて行くと、またしてもものの1分でダメ出しされました。独り言のように担当官が言ったのは、「なぜTM87の人がここに来るの?」です。この言葉によって、あとでわかったことがありました。
そして今度は親切に待ち行列の番号札をもらうカウンターに案内され、そこで新たな番号をもらい、C1カンターの前まで連れて行ってもらいました。
前回、結婚ビザの申請で回されたところです。「また間違っているんじゃないの?」最初はそう思いました。しかし、先ほどの担当官の言葉がひかかります。それでやっと気づいたのです。このC1カウンターは、ノービザとか旅行ビザから、ノンイミグラントO(オー)のビザに切り替え、最初の3ヶ月ビザを発給するカウンターなのだと。申請書がTM87かTM86ということです。(LカウンターはTM7(継続)を受け付けるのだと思います。)
隣のC2では、最初に何かを提出し次に何かを受け取るという形で、番号が次々と呼ばれていました。もしC1と関係しているとすると話は簡単です。つまり、C1で申請した場合、2週間の審査期間を経て、正式に3ヶ月ビザを受け取るのですが、おそらくC2に受け取りに来たことを申請し、順番を待ってビザを受け取るのでしょう。(これは2週間後に私が受け取りに行った時に判明します。)
※判明しました。C2カウンターは無関係でした。C1カウンターで受け付けていました。詳細は、「タイ・バンコクで3ヶ月ビザを受け取りました」をご覧ください。
これで、前の結婚ビザの申請の時、担当官が「なぜリタイヤメントにしないのか?」とぶしつけな質問をした意図がわかりました。彼女(担当官)は、結婚ビザだとオーナーの書類が足りないから受け付けられないけど、リタイヤメントビザなら今の書類でそのまま受け付けられると言いたかったのでしょう。
書類をチェックしてもらい、いくつか追記したりして、今回は午前中にビザ申請が無事に完了しました。担当官にビザ代の2,000バーツを支払った時、これで3ヶ月のビザがもらえるんだとホッとしましたよ。
領収書には、今月20日に受け取るように書かれています。この日程は、他のサイトを読むと、その日しか受け取れないようです。万難を排して行く必要がありますね。
実はBビザの時、受取日に出国していてタイにいないということがありました。それで後から、すでに航空券を発券していることを伝えて、受取日を変更してもらったことがあります。ですから、本当は変更できるのです。おそらく、その日に受け取りに来る予定の人の資料を、それまでに準備するのでしょう。その変更が面倒だから、必ずこの日に来いと言っているだけのように思います。
まあでも、こちらもわざわざ面倒なことはしたくないので、指定日に受け取りに行こうと思います。これで、2月半ばくらいまでの90日間のビザを手にできます。60日を過ぎると1年ビザに更新ができるので、妻の実家へ引っ越すまでに、1年ビザに切り替えようと思います。
チェーンワッタナーのイミグレへの行き方は、前回の結婚ビザの顛末に書いてありますので、そちらをご覧ください。
バンコクでリタイヤメントビザを取得するなら自力でもできます。とは言え、前の結婚ビザの失敗などで慣れていたから簡単にできた、とも言えます。そう考えると、業者さんの助けを借りて一発で済ませるのも1つの方法ですし、失敗を重ねながら知識を増やしていくというのも1つの方法かと思います。
●番外編
チェーンワッタナーのイミグレの外に、こんな標識を天井に見つけました。
だいたい絵で意味はわかるのですが、赤丸の絵だけわかりませんでした。それで妻に尋ねると、イスラム教徒のための祈りの部屋だそうです。
そう言われてみて、なるほどと思いました。日本に比べるとイスラム教徒の数も多いので、こういう気配りが必要なのですね。そう言われれば、私がいた前の会社でもイスラム教徒の社員を採用した時、会議室を祈りの部屋として使ってよいという許可を出したことがありました。
いろいろ体験しながら、たくさん学ばせてもらっています。ともかく今は、3ヶ月のビザがもらえることになってホッとしています。
◇◆◇ 注 ◆◇◆
この記事に書かれているのは、記事が書かれた時点で私が集めた情報や、私が体験してそう思ったというものです。
したがって、これらの情報が絶対的に正しいとか、どこでも適用されるなどと思わないでください。
仮に正しいとしても、何があるかわからないのがタイです。その辺のことをご承知おきください。
2017年11月16日
「憧れ」の思想
「読書のすすめ」にあった白駒妃登美さんのおすすめ本3冊の中の3冊目になります。これまでに読んだ2冊は、鍵山秀三郎さんの「凛とした日本人の生き方」と「すぐに結果を求めない生き方」でした。
3冊目となるこの本は、私が知らない著者の執行草舟(しぎょう・そうしゅう)氏。何や難しげなお名前ですが、著述家、歌人などをされているようです。そして読み始めて感じたのは、お名前のように「難しい」ということでした。(笑)
それで読み終わるまでに、かなり時間がかかってしまいました。300ページもある上に、文字も小さめで行間も詰まっています。ルビのついていない漢字がほとんどで、読めなかった(辞書を引いた)ものが10個くらいあったでしょうか。
そんな難しい本に部類されるような内容でしたが、読むにつれて徐々に引き込まれ、最後の方は集中して読み切ることができました。「魂が震える」というのは、まさにこういう本のことを指すのかもしれません。久しぶりに読んだ本格的な本です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
この本は、「憧れ」について探求する内容になっています。唐突に出てくる「憧れ」という言葉に、最初はよくわからなくて戸惑いました。しかし、少しずつその片鱗が見えてくると、この本の魅力を感じられるようになるのです。
いつもなら引用の都度、解説をしているのですが、なるべく解説を省いて紹介したいと思います。わからないなりに読み進め、そこに何かを感じていただきたいからです。
「人間は、宇宙の意志である。私は、そう思っている。生命の中で、人間だけが「精神」を志向することが出来るからだ。精神のために死することが出来るからだ。命よりも大切なものがあるからだ。私は、それを「憧れ」と呼ぶ。あらゆる生命の中で、唯一人間だけが、生命的進化を可能にする「精神」を有している。その精神が志向する故郷を、私はともしびと感じているに違いない。そして、そのともしびは、高く遠い彼方にある。垂直に伸びる、永遠の彼方にあるのだ。」(p.21)
「キリスト教は、信ずれば現世的には「損しかしない」宗教であった。そのことが、キリスト教を歴史的で世界的な宗教に育て上げたと私は思っている。(中略)信仰のゆえに死後に与えられる「永遠の生」は、「憧れ」の宗教的解釈であると言ってもいい。私の言う「憧れ」は、もっと生命的なものであるが、もちろん近いことに違いはない。ただ、私は現世における生命の「燃焼」の方が、死後の生よりも重要だと言っているのだ。」(p.28)
「憧れは、肉体を顧みない人間にしか実感できない。それは、憧れを抱く本源が、人間の魂であるからに他ならない。魂とは、人間の精神が生れ出づる源泉を形創っている。それは、混沌の中に煌(きら)めく重い「質量」である。その「質量」が、人間の憧れを見つめる原動力となるエネルギーを吸い込んでくれるのだ。そして、垂直を仰ぎ見る自己を創り上げる。垂直とは、自己の魂が憧れに命じられるままに目指すものと言うことが出来る。そして、肉体が憧れを知ることは出来ない。」(p.31)
「魂とは、肉体が逃げ出そうとする時、それを逃がさない「何ものか」である。恐怖に立ち向かう勇気の淵源と見て差し支えない。その魂が慕うものこそを、私は憧れと言っているのだ。」(p.31)
ここまで、前半部で執行氏は、「憧れ」がどのようなものかを語っています。この世の生命、この肉体を超えて希求するもの。それが「憧れ」です。その情熱は魂から生まれ、肉体の恐れをも克服する勇気を生み出している。そんなふうにまとめられるのではないでしょうか。
「核兵器と核利用社会が出現したのは、人間がその精神に「憧れ」を失ったからに他ならない。人間が、精神の崇高を求めなくなったからなのだ。核は、物質文明の頂点に位置し、豊かさと便利さの代名詞なのである。ここに核問題の難しさがある。我々は、肉体的豊かさだけを求める物質文明を見直さなければ、核を捨てることなど出来ない。」(p.36)
「その当時、他のアジア諸国は「羊のように」おとなしかった。それゆえに、西洋人はアジアにおいて、絶対的な「権力」をふるっていた。先ほど触れたように、アジア人たちは利に聡(さと)く、そのゆえに極めておとなしかったと言えよう。西洋人の差し出す目前の利益に嬉々とし、逆に欲を張ったり不満をもらせば、完膚なきまでに打ちのめされるだけであった。飴と鞭が、欧米帝国主義諸国の植民地支配を支える根本思想であった。その根本を揺るがしたのが、日本の武士がもつ「狂気」であったと言っても過言ではない。」(p.120 - 121)
豊かさを捨てる勇気、どんなに不利益であろうと筋を通す勇気がなければ、この世に高い精神性を打ち立てることはできません。幕末、大名行列の前を乗馬のままに横切った英国人を斬った生麦事件、その後の薩英戦争、馬関海峡で攘夷を決行した長州。これらは日本人の、武士の、「狂」を表していると言います。
「そして、その展開として「理解しようとするな、わからぬままに突き進むのだ」という考え方を提唱実践しているのだ。今の自分にとって悪なるものであっても、突き進むうちにその意味が理解できるときが必ず来る。それを信じ、善も悪も正も邪もすべてを抱き締めなければならない。理解も不安も不明も、それらのすべてを自己の肚(はら)に収め、ただただ突き進むのである。勇気が、すべての矛盾を融合してくれる日が来る。」(p.124)
「つまり、生きようとしないことによって、この世の不合理をすべて呑み込むことが出来るようになっていったのではないか。いつしか私は、死を想い続ける人間になっていた。死を想い続ける人間は、生命の垂直を仰ぎ見ることになる。現世的な不合理を、不合理とすら考えない人間となっていた。生きようとする意志が立てば、生への執着が消える。それと同時に、この世の不合理も消失したように感じている。これが、その後に「死に狂い」の思想に発展したのだ。」(p.128)
わからなくていい。一歩進めて、むしろ理解しようとするなと言います。価値判断せずに、そのまま受け入れ、いつかはそれがわかる時が来ると信じて、ただ突き進む。その勇気を持てと、執行氏は言うのです。
「つまり、花も草も、その違いは何もないのだ。愛されることも、嫌われることも、どちらも自己の生命の価値には何の差し障りもないということなのだ。
人生には、正しいも間違いもない。ただ、自分に与えられた生命に正直なことが一番大切なのだ。それが、自分にとって正しい。」(p.144 - 145)
道元の正法眼蔵の思想を、執行氏はこのように受け止めたようです。これにより、「自らの人生で遭遇するであろう不合理と不幸をすべて受け容れる覚悟が出来た」と言います。
「ヨーロッパと日本だけが、本格的な「中世」を経験した。それが、どれほどの価値であったかは、それ以後の歴史を見ればわかることだ。中世は、人間の「精神化」が行われた時代である。宗教を中心として、人間が真の「憧れ」に向かって生きる存在となった。」(p.153)
中世を経験し、精神的に高まったことで、その後の近代化と工業化を成し遂げられたと執行氏は言います。
「だから、我々の生存の根底を支えているものが愛ということになる。それを知れば、我々は愛に生きることを願わずにはいられない。そして、愛こそが、無限の「犠牲的精神」を支えている法則となっている事実を知ることになるのだ。この世において、生命の本質が犠牲的精神にあることの根源がここに存する。我々は、愛を求めなければならない。つまり、愛に死ぬのである。
愛が、革命を創り出している。革命の精神は、愛に基づくことによって宇宙と生命の根源に帰一していくと言えよう。不断の革命が、正しい宇宙を営み、正しい生命の活動を行なわしめ、正しい文明の推進を為していくのだ。革命とは、破壊のことだ。しかし、それは生成のための破壊である。破壊なくして、生成はない。」(p.194)
「不毛は、未完という意味に近い。不毛を恐れることが、生命の敵なのだ。不毛を本当の幸福と認識することが自己の生命を燃焼させる。それは、失敗することも多いに決まっている。しかし、失敗してもいいのだ。失敗の中に、生命の真実がある。つまり、生きるための「涙」が光っている。不毛であろうが、未完であろうが、そのようなことを恐れずに突進することに自己の生命の価値がある。生命は、燃焼することに、その幸福がある。革命に死することが、自己の生命の真の幸福を創る。」(p.196)
「革命に生きることを、最も阻害する考え方がある。それは、自己の価値を他者に認めてもらいたいという生き方と言えよう。その成果の頂点にあるものが、「勲章」ではないだろうか。」(p.198)
「だから、国家が国家のために国民に死を強制できるような時代は、現代よりも却ってそれぞれの人の生命が燃えさかっていたのだ。命をかけることが出来る「何ものか」を感ずることが大切になる。家族が大切なら、そのために死なねばならぬ。会社の仕事を真に愛するなら、仕事に死なねばならぬ。国もまたしかりだ。自分が「他者」に対して何が出来るかなのだ。その精神の中に、存在の革命が生きている。自己の運命を知ることが、革命に繋がっていくのだ。
そして、叫ぶことだ。誰が何と言おうといっさい構う必要はない。自分が本当に正しいと思う「考え方」をこの世に対して叫ぶ。それが、自分の「存在の革命」を否応なく創り上げてくれるだろう。自己の仕事に「死に狂い」が出来る人間なら、叫ぶことは必ず出来る。どのように損をしても、叫ぶのだ。嫌われることなどは問題外である。そんなことは、特に関係ない。革命に生きる者は、自己の生命と生存の根源に対して正直でなければならない。」(p.200)
「武士道は、革命の精神である。信ずるものに対して身を捨てる精神こそが、革命の精神に他ならない。この意味において言えば、殉教を尊ぶ原始キリスト教も革命の精神なのだ。それも自己の死を、犬死にでいいとする思想である。そう思い、そう確信することで、私は初めて命がけの生き方が出来るようになった。我々現代人は、それほどに、自己の人生に固執しているのだ。私は、犬死にでいいと思うことによって、初めてその固執から抜けた。」(p.206)
「ブロッホの革命思想は、変転する歴史の中で、無念のうちに命を落とし、名を残すこともなく死んでいった者たちの存在を照らし出す、愛に満ちた思想だと私は思った。人類は、絶えず生の躍動を繰り返していかなければならない存在なのだ。そうならば、個々人が未完に終わることは、次の世代が行なうさらなる生の躍動を遂げるための希望を残すということにもなる。だからこそ、自らの願いに挑(いど)むことに恐怖してはいけない、とブロッホは言っているに違いない。
憧れに向かうときにだけ、人間には真の希望がある。希望とは、永遠に続く「魂の渇望」を言っている。それは、人間にとって無限の旅となるだろう。」(p.237)
ここまで怒涛の引用をしましたが、だいたい本の雰囲気がわかっていただけたでしょうか。不完全でいい、失敗していい、完遂しなくていい、ともかく勇気を出して突き進む。その先に人類の希望がある。希望の中に生きる。それは愛することなのです。
「書物から放射する「憧れ」のエネルギーが、私の人生を限り無い幸福へと導いてくれているのである。私の人生が、結果として如何なるものであっても、私は秀れた先人の魂と共に歩む人生を愛してやまない。書物と共に生き、書物と共に死する私の人生は、最高のものであると断言できる。それは、書物によって「憧れに向かう人生」を与えられたからに他ならない。現世の「食い物」には興味の無い自分を築けたことに尽きるだろう。」(p.247)
「読書とは、精神を養うものを言っている。活字を読むことが読書ではないのだ。読書とは、心の共感を求めるものに他ならない。つまり、読書は自己の憧れに向かうための唯一の手段なのだ。自己の生命が、燃焼を果たしていくための唯一の武器となる。」(p.268)
「本は、現代の剣である。それは、ただ自己の生命を燃焼させるためだけに読まなければならない。そのために、自己の「情熱」を読書によって喚起し、不断の読書によってそれを持続する。つまり、読書によって「危険を顧みない」生き方を学ぶということに尽きるだろう。そして、燃焼の果てに死する。それ以外のものは、何も望まない。その覚悟が大切だと思う。」(p.277)
「人間は、一人ひとりが別々に宇宙の根源と繋がっている。だから、根源を志向しなければ、我々はわかり合うことは出来ない。誰もが同じ精神であるはずがない。だから、流行している書物によって根源的な生命が燃焼することなどはないのだ。生命の燃焼は、自分独自のものでしかない。だから、自分が「共感」する本がいい本なのだ。それが、自分の読むべき本である。その正邪などは問題外としなければならない。」(p.287)
読書は心の糧と言いますが、執行氏は読書によってこそ憧れに生きることができると言います。知識を得るためではなく、共感するために読む。だから、わからなくてもいいのだと。そしてその共感は、個々によって違います。ですから、自分がこれだと感じる本を読むことが重要なのです。そうして個々人が自分の憧れを追求していけば、その先に他の人との理解が生まれるのだと。
「私は、ただ独りで死ぬ。そう決心した。それが、私の憧れに向かう人生を支えてくれた本源的思想なのだ。信ずれば、それは思想になる。どのように簡単なものでも、信ずれば、それは持続する思考の根底にすわって来るのだ。私は、このパスカルの思想によって、憧れに向かう人生を手に入れたと思っている。
その幸福を、述べてきたつもりである。憧れに向かう幸福を、味わってほしい。それを伝えたいと思った。幸福は伝えなければならない。それが、私が読書から得た核心の一つなのだ。私の生命は、独りで死ぬ覚悟を決めたことによって、立つことが出来た。ただ独りで死ぬとは、それほどに大きな思想であったのだ。何があろうと、私はただ独りで死ぬ。だからこそ、私の生命は躍動するのだ。」(p.306)
友のために大切な生命を投げ出す。これほど大きな愛があろうかと、聖書の中で語っています。財産も名誉も求めず、何かを成し遂げようともしない。ただ独りで死ぬ覚悟を決める。そのことによって人生は輝くのだと、執行氏は言うのです。
久々に硬派な本を読みました。貫徹していることは、生き方の「美学」だと思います。「美学」にこだわるからこそ、あらゆる執着を手放すことができる。それをするのに必要なのは、決断することです。そのための勇気です。そして、それを持続する情熱です。
読書は、そういうためにするのだという言葉、心に沁みました。読書は心の糧でもありますが、魂の糧でもあるのですね。
2017年11月19日
手をつなげば、あたたかい。
かっこちゃんこと山元加津子さんの本を読みました。前回、「違うってことはもっと仲良くなれること」と「約束 般若心経は「愛の詩」」を紹介しましたが、この本も同じ時期に「読書のすすめ」さんで購入したものです。
かっこちゃんの本を読むと、そのピュアな心に触れてホッとします。そしてそれだけではなく、とても深遠な世界を垣間見せてくれるのです。今回のは特に、これはスピリチュアル系の本かと思うような内容でした。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「私は特別な宗教を信仰しているわけではありません。
けれど、神様か仏様か、何か目に見えない大きな力があって、私たちが、すべて、一番いいようにつくってくださっているということ、だからこそ、宇宙の何もかも全部うまくいくようにできているのに違いないと、あの日、自分の中で確信したのだと思います。
一つの物がそれだけであるのではなくて、何もかもが関わり合って、支え合って、しっかりとつながり合って、まるで一つの命のようにうまくできている。そして、私もその一部なのだということを、子どもだったので、しっかり言葉にすることはできなかったかもしれないけれど、感じたのだと思います。」(p.8 - 9)
かっこちゃんが子どものころ、そういう体験があったのですね。大人になったかっこちゃんは、障害者の子どもたちなどと接する中で、この子どものころの体験を、追体験しているかのようです。それが、この本を読むとわかってきます。
「象が未消化でウンチをしてやがて森をつくるということ、ウンチがアリ塚に変わること、みんなが食べ分けを行っていること、どの一つだって、誰かが設計図を書かなければありえないことのように、私には思えてきたのでした。」(p.26)
かっこちゃんがサバンナで体験したことです。自然界は共存共栄しています。それは偶然とは言えないと、かっこちゃんは言うのです。
「「はじめにことばがあった」つまり、最初の一点には、この宇宙がどんなふうにできていくかという設計図があったのだ。そして、その設計図には、全体としても個としても、何もかもがすべてうまくいくように、私たちの周りで起きることも何もかもが、うまくいくように書かれてあるのだと思いました。」(p.33)
新約聖書に「はじめに ことばがあった」と書かれていたのだそうです。「ことば」は「ロゴス」と書かれているものもあります。その意味を調べている中で、これを「設計図」と読み替えるとぴったりくると感じたようです。
「私、決めていることがあるの。
この目が物を映さなくなったら目に、
そして、この足が動かなくなったら足に、
「ありがとう」って言おうと決めているの。」(p.134)
かっこちゃんの本によく登場する雪絵ちゃんの「ありがとう」という詩の冒頭の言葉です。雪絵ちゃんはMSという難病にかかっていて、発作が起きる都度、機能が損なわれていくのです。それでも雪絵ちゃんは、MSになってよかったと言います。MSの自分が好きだとも。そんな雪絵ちゃんにまつわるエピソードです。
「そこで私は思ったのです。
今、私たちが明日へ向かって元気に歩いていくことができるのは、過去に病気や障害を持って、そのために苦しみながらも生きていてくれた人がいるおかげなのだと。」(p.137)
マラリアに感染しても、死ぬ人と死なない人がいます。その研究から、鎌状赤血球が関係しているとわかったそうです。調査すると、鎌状赤血球を持っていて重い障害がある人が4分の1、鎌状赤血球を持っていて症状がない人が4分の2、鎌状赤血球を持たない人が4分の1。
マラリアにかかったとき、鎌状赤血球を持たない人は亡くなります。しかし、鎌状赤血球を持ちながら症状のない4分の2の人は生き残ります。だから、村は全滅せずに済むのです。しかしそのためには、どうしても重い症状のある4分の1の鎌状赤血球を持つ人が必要なのです。その人がその障害を引き受けてくれたから、全滅を逃れられているということになります。
この話は、前に紹介した「1/4の奇跡」という本にも書かれています。同名の映画やこの本も、実は雪絵ちゃんの「このことをかっこちゃんが世界の人に知らしめて」という遺言から始まったのです。
「人と人とが交わると、
人はいろんな大切なことに気づくことができて、
変われるのだなあと思うのです。
それが、人がいろいろに生まれる理由なのかな?
それが出会っていくことの意味なのかな?
誰かと出会ったとき、
長い時の流れの中、広い宇宙の中、
お互いが必要だから神様が出会わせてくださるのだなと
私はいつも思うのです。」(p.143)
いろいろな人がいて、それが絶妙なタイミングで出会っていく。それは自分が変わるための神の図らいではないかと、かっこちゃんは言います。
「つまり、私の中にも、誰の中にも、宇宙に存在するすべてのデータが入っているということになります。
手は、手の部分をONにするスイッチのようなものがあって、そこがONになって細胞が手になるのと同じように、私が存在している(再生されている)のは、宇宙全体の中で、私の部分がONになっているからじゃないかなあと、いつもぼんやり考えています。」(p.146)
動植物の細胞は、最初は1個です。それが分裂して私たちが目にする形になります。どうしてそうなるのか? それは、手の細胞は、細胞の中のDNAの手の部分がONになることで、手の形になるのだと言います。それと同じように、宇宙には無数のドットがあって、その1つのドットにはすべてのものの設計図が含まれていると言うのです。そのどこがONになるかによって、自分になったり、他の誰かになったり、花になったりするのだと。
スピリチュアル系でも、同様のことを言っています。個の中に全体があるのだと。ですから、たまたま私は「私」として再生されているだけで、スイッチが変われば「あなた」にもなるというわけです。
「誰かを責めようとしたら、誰かの責任だと思うから前向きになれないけれど、「これはいつかの良い日のためにあるんだ」とか、「神様の計画の一つなんだな」と思ったら、自分に今できることをしようと思えるようになりました。」(p.173)
かっこちゃんでも、他の車に割り込みされるなどで、つい責めたくなることがあるそうです。しかし、そういうふうに思うと、「心がぎゅーって痛くなって苦しくなる」と言います。だから、上記のように考えて、誰かを責めないようにしているそうです。
「ユダはもしかしたら、生まれる前に神様に「イエスを裏切る役をしてほしい。これからいっぱいつらい目にあわせてしまうけれど、そうしてほしい」と望まれて、ユダも、「わかりました。そうしましょう」と自分でユダになることを選んだのかもしれません。」(p.191)
これは斬新な発想ですね。しかし、言われてみると、そうに違いないと思えます。だって、すべて自分で選んで生まれてくるのですし、起こることはすべて必然なのですから。
「つまり、どんな自分であろうとも、大きな宇宙が、その姿かたち、そして、この状況においてくれたといういことには、きっときっと大きな意味があるはず。
私が私であることが、一番いいことだったから、私は今の私に生まれたんだと思うのです。そして、それは、「自分のことを好きでいていいんだよ」ということなんだと思います。」(p.195)
ユダでさえそうなのです。どんな人にも、そうである必然性があるから、そのように生まれてきた。だからどんな自分であっても、あるがままの自分を好きになっていいのです。
「私はこの世界の最初の一点に愛をこめてつくられた神様は、「必要なものを必要な形に、お互いが関わり合いながら、全体として一つになって生きていけるように世界をつくったのだから、すべて思い煩(わずら)わなくてもいいんだよ。大丈夫だよ」と知ってほしいと思われたのだと思いました。
苦しみも悲しみも大丈夫だし、相手は自分の一部でもあるのだし、自分も相手の一部でもあるのだから、恨む必要もない。みんなで、愛でいっぱいの宇宙につながりながら生きていくんですよと、神様が伝えてほしいと思っておられるんだなと思いました。」(p.219)
イエスや仏陀がこの世に現れたのは、神の愛だとかっこちゃんは言います。ですから、何があってもいつかのいい日のためにあるのだからと思って、安心していればいいのですね。
「本当は、誰でも今が幸せなのだと、私には思えてなりません。
花も蝶も、風が吹けば風に吹かれ、お日様が照ればお日様に照らされ、雨が降れば雨に打たれる毎日を送っています。あるときは、命を落とすこともあるかもしれません。けれど、本当は何も心配いらないのだなあと思います。
生きることも亡くなることも、みんな神様の手のひらの上。
本当はその手のひらの上で、誰もが幸せなんだと、今、そう思っています。」(p.221)
私がこれまで様々な本から学んできた中で、究極の教えは何かと問われれば、それは「安心していること」だと思っています。かっこちゃんも、そういう考えを持たれているようですね。何が起ころうとも大丈夫。間違ったことにはならない。だから安心して、幸せでいればいいのだと。
かっこちゃんのことを、何かを持っている人だと思っていました。しかし、ここまで本質に迫る内容を聞かされるとは思っていませんでした。やはり、通じる人は通じるのですね。
2017年11月20日
君たちはどう生きるか
この前、「読書のすすめ」さんへ行ったとき、どうにも気になって買った本です。帯に「日本を代表する歴史的名著」とあり、「マンガ版と同時発売!」と書いてありました。そのマンガ版はなかったのですが、本の表紙は、おそらくそのマンガ版の主人公の絵なのでしょう。
1937年発行ですから戦前です。そんな古い小説だとすれば、文章も読みづらいのではないかと思います。それなのに、主人公の名前がコペル君という、なんともモダンな名前。(笑) そういうこともあって、とても気になったのです。
作者は吉野源三郎氏。児童文学者であるとともに編集者。岩波書店の雑誌「世界」の初代編集長です。治安維持法違反で逮捕投獄された経歴もあり、左がかった人だという印象を受けました。それなのに「読書のすすめ」に置いてあるのですから、これは何かあるに違いありません。気になって読んだ結果は、・・・思った通りでした。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。主人公はコペル君という15歳の少年。その少年のおじさんなどの影響を受けながら成長していきます。おじさんはコペル君のために1冊のノートを用意します。そこへ、コペル君への教えを書き記しているのです。
「だから、君もこれから、だんだんにそういう書物を読み、立派な人々の思想を学んでゆかなければいけないんだが、しかし、それにしても最後の鍵は、−−コペル君、やっぱり君なのだ。君自身のほかにはないのだ。君自身が生きてみて、そこで感じたさまざまな思いをもとにして、はじめて、そういう偉い人たちの言葉の真実も理解することができるのだ。数学や科学を学ぶように、ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決していかない。
だから、こういうことについてまず肝心なことは、いつでも自分が本当に感じたことや、真実心を動かされたことから出発して、その意味を考えてゆくことだと思う。君が何かしみじみと感じたり、心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。そうして、どういう場合に、どういう事について、どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。
そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、くりかえすことのないただ一度の経験の中に、その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる。それが、本当の君の思想というものだ。」(p.60 - 61)
「肝心なことは、世間の目よりも何よりも、君自身がまず、人間の立派さがどこにあるか、それを本当に君の魂で知ることだ。」(p.63)
おじさんがノートに記した内容です。おじさんはコペル君に、書物で学ぶことの大切さを伝えながら、一方で、もっと重要なのは体験だと言います。体験して、自分の心で感じること。魂で知ることが重要だと言うのです。
これはある意味で驚きです。スピリチュアルな考え方などなかった時代に、すでに魂の重要性が説かれているのですね。しかも、世間の常識などというような、本に書かれた他の人の意見にしたがっているだけではダメだと言っています。実に先進的な考え方だと思います。
「だけど人間は、英雄的精神に燃えれば、そのこわさを忘れてしまえるんだわ。どんな苦しいことでも乗り越えてゆく勇気がわいて、惜しい命さえ惜しくなくなってしまうんだわ。あたし、それが第一すばらしいことだと思うの。人間が人間以上になることだもの−−」(p.164)
これは、コペル君の友人の水谷君のお姉さん、かつ子さんのセリフです。正月休みに集まったコペル君たちを前に、ナポレオンの話をしたのです。ナポレオンがロシアに攻め入ったとき、ロシアのコサック兵が、何度も何度も新手を送って責めてきたとき、その勇猛果敢さに見とれて、ナポレオンは危険な地域から離れられなかったというんですね。
自分の命以上に大事なものがある。それをナポレオンはわかっていたのでしょう。彼にとっては、戦闘における「美しさ」こそが、何よりも勝っていたのかもしれません。
「人間は、自分をあわれなものだと認めることによってその偉大さがあらわれるほど、それほど偉大である。樹木は、自分をあわれだとは認めない。
なるほど、『自分を哀れだと認めることが、とりもなおさず、あわれであるということだ』というのは真理だが、しかしまた、ひとが自分自身をあわれだと認める場合、それがすなわち偉大であるということだというのも、同時に真理である。
だから、こういう人間のあわれさは、すべての人間の偉大さを証明するものである。
……それは、王位を奪われた国王のあわれさである。」(p.265)
自分を「あわれだ」と感じるのは、人間だけです。人間は自分を「あわれだ」と感じて自己卑下し、自己嫌悪し、罪悪感を抱いたりします。しかし、そんなことをするのは人間だけだ、ということに着目すると、「あわれだ」と感じることが「偉大だ」とも言えるわけです。
自分を「あわれだ」と感じるということは、自己批判ができる、それだけ客観的に自分を見ようという気持ちがある、ということですから。本来は、「自分」というものの中にあるはずの自分が「自分」を客観的に見て批判し、「自分」を正そうとするって、論理的にはおかしなことなんですよね。
と言うことは、自分を責めずにはおれない恥ずかしい行為をしてしまったなら、その経験自体が素晴らしいとも言えるのです。かつて王位にあったからこそ、王位を追われる恥ずかしさがわかります。これまで王位についたことがなければ、その恥ずかしさはわかりません。したがって、王位につくことのすばらしさもわかっていないのです。
人生は、必ずしも順風満帆ではありません。上手く行かないこと、傷つくことなど、いろいろあります。そんな人生を丸ごと肯定し、だからどうなっていかなければいけないと、方向を示してくれる小説になっています。
しかも、児童文学作者らしく、15歳程度の子どもなら、十分に理解できる内容になっているのが素晴らしい。本当に、80年くらい前の小説とは思えないほど、現代に蘇らせたい小説ですね。なお、文体や言葉遣いなどは、現代語に一部書き換えられているそうです。
2017年11月22日
タイ・バンコクで3ヶ月ビザを受け取りました
タイの長期ビザを自力で取得しようとしていますが、その一連の報告の3回目です。
1回目は、結婚ビザを取得しようとして失敗しました。
「タイ・バンコクで結婚ビザを自力で取得する(失敗編)」
それでリタイヤメントビザに変更して、再度申請しました。
「タイ・バンコクでリタイヤメントビザを自力で取得する」
申請が認められ、約2週間の審査期間を経て、3ヶ月ビザを受け取ることになったのです。
今回は、ノンイミグラントO(オー)の3ヶ月ビザを受け取りに、またチェーンワッタナーのイミグレーションへ行きました。イミグレーションへの行き方は、結婚ビザの件を書いた記事をご覧ください。
●入場整理券を受け取る
なるべく早めに済ませようと思い、8時半くらいにイミグレーションに到着しました。入口付近は大勢の人でごった返しています。しかし、以前に見たような長蛇の列がありません。おかしいなと思って近寄ってみると、入場整理番号のようなものを配ったようで、その番号順に入室させていました。
「もう8時半を過ぎているし、整理券は配っていないんだろうな。まあそのうち、みんな入れるようになるさ。」そう高をくくってみたものの、みんなが整理券を持っているので、ちょっと心配になりました。それで入口近くまで行ってみると、その横で係官が整理券を発行していました。さっそく私もいただきました。
283番でした。私の前にもう280人もの人がいるのかと思うと、なんだか気が遠くなりそうです。最初に見たとき、すでに100〜120番の人を入場させていました。整理券をもらった後は、160番くらい。しばらく待っていると、180〜200番となり、その後はもう自由に入れということになったので、押し合いへし合いしながら私も入りました。
●待ち行列番号の札をもらう
3つある待ち行列番号を発券するカウンターの真ん中に並び、5〜10分ほどで順番が回ってきました。前回もらった領収書とパスポートを見せ、ビザを受け取りに来たと告げました。タイ語で「ラップ・ビザー」と言っただけですけどね。
領収書を見た係官が、すぐにわかったようで発券してくれました。しかし、そこにはC1のカウンターが書かれていました。「C2」じゃないの? また新たな疑問発生です。
●3ヶ月ビザを受け取る
C1のカウンターの前で待つこと約20分。やっと順番が回ってきました。また前と同じ担当官のブースでした。3つブースがあるにも関わらず、3回連続でその担当官というのも、何かの縁ですかね。
担当官に挨拶し、領収書とパスポートを見せ、ビザを受け取りに来たと伝えます。すると、それを受け取るなり、すぐに隣のテーブルの研修中の学生にそれを渡し、私には外で待つようにと言いました。
「え〜!それだけなのー!?」この日は5番でしたからすぐに順番が来ましたけど、前回のような感じだと1時間以上待たないといけないのです。ただ渡すだけなのに1時間以上も待たせる今の仕組みってどうよ。それなら、整理券と一緒に受付箱か何かに入れるようにすればいいじゃないですか。申請の受付けとビザの受取りが同じカウンターというのは、ちょっと驚きました。
どうやら、その研修中の学生が、受け取りに来た人のパスポートを預かり、申請資料を引っ張り出してきて、奥の担当官に渡すようです。奥の担当官はそれらをチェックして、ビザのスタンプを押して、日付や番号などを書き入れます。
待つこと約20分、研修中の学生がパスポートを持って、受け取る人を探しに来ます。名前を読み上げるのはまだしも、顔写真ページをみんなに見せるのはやめてよね。そう思いましたが、まあここはタイですから。何でもありです。
こうして無事に、3ヶ月のノンイミグラントO(オー)ビザを受け取りました。見ると、期限は来年1月末になっていました。申請した日から3ヶ月間なのですね。この2週間は、ノービザでの滞在だったはずですが、ビザの申請が通ったときから、ノンイミグラントビザでの滞在になるようです。ですから、もしこの2週間の間に出国する時は、リエントリーパーミット(再入国許可)を取るようにと言われたのです。
したがって、11月3日の申請した日から60日を経過すると、1年のリタイヤメントビザの申請が可能になります。これもおそらく申請日から1年間ですから、なるべくギリギリに行った方が良さそうです。なので、来年1月の20日以降くらいの都合が良い日に、リタイヤメントビザの申請をしたいと思います。
ビザのページに、出国時はリエントリーパーミットを取るよう書かれています。受け取ったあとでリエントリーの申請もしようかと思いました。1月初旬に東京へ行くことが決まっているので。でも、まだ空港でリエントリーを取ったことがなかったので、今度はそれに挑戦してみようと思います。
1回目は、結婚ビザを取得しようとして失敗しました。
「タイ・バンコクで結婚ビザを自力で取得する(失敗編)」
それでリタイヤメントビザに変更して、再度申請しました。
「タイ・バンコクでリタイヤメントビザを自力で取得する」
申請が認められ、約2週間の審査期間を経て、3ヶ月ビザを受け取ることになったのです。
今回は、ノンイミグラントO(オー)の3ヶ月ビザを受け取りに、またチェーンワッタナーのイミグレーションへ行きました。イミグレーションへの行き方は、結婚ビザの件を書いた記事をご覧ください。
●入場整理券を受け取る
なるべく早めに済ませようと思い、8時半くらいにイミグレーションに到着しました。入口付近は大勢の人でごった返しています。しかし、以前に見たような長蛇の列がありません。おかしいなと思って近寄ってみると、入場整理番号のようなものを配ったようで、その番号順に入室させていました。
「もう8時半を過ぎているし、整理券は配っていないんだろうな。まあそのうち、みんな入れるようになるさ。」そう高をくくってみたものの、みんなが整理券を持っているので、ちょっと心配になりました。それで入口近くまで行ってみると、その横で係官が整理券を発行していました。さっそく私もいただきました。
283番でした。私の前にもう280人もの人がいるのかと思うと、なんだか気が遠くなりそうです。最初に見たとき、すでに100〜120番の人を入場させていました。整理券をもらった後は、160番くらい。しばらく待っていると、180〜200番となり、その後はもう自由に入れということになったので、押し合いへし合いしながら私も入りました。
●待ち行列番号の札をもらう
3つある待ち行列番号を発券するカウンターの真ん中に並び、5〜10分ほどで順番が回ってきました。前回もらった領収書とパスポートを見せ、ビザを受け取りに来たと告げました。タイ語で「ラップ・ビザー」と言っただけですけどね。
領収書を見た係官が、すぐにわかったようで発券してくれました。しかし、そこにはC1のカウンターが書かれていました。「C2」じゃないの? また新たな疑問発生です。
●3ヶ月ビザを受け取る
C1のカウンターの前で待つこと約20分。やっと順番が回ってきました。また前と同じ担当官のブースでした。3つブースがあるにも関わらず、3回連続でその担当官というのも、何かの縁ですかね。
担当官に挨拶し、領収書とパスポートを見せ、ビザを受け取りに来たと伝えます。すると、それを受け取るなり、すぐに隣のテーブルの研修中の学生にそれを渡し、私には外で待つようにと言いました。
「え〜!それだけなのー!?」この日は5番でしたからすぐに順番が来ましたけど、前回のような感じだと1時間以上待たないといけないのです。ただ渡すだけなのに1時間以上も待たせる今の仕組みってどうよ。それなら、整理券と一緒に受付箱か何かに入れるようにすればいいじゃないですか。申請の受付けとビザの受取りが同じカウンターというのは、ちょっと驚きました。
どうやら、その研修中の学生が、受け取りに来た人のパスポートを預かり、申請資料を引っ張り出してきて、奥の担当官に渡すようです。奥の担当官はそれらをチェックして、ビザのスタンプを押して、日付や番号などを書き入れます。
待つこと約20分、研修中の学生がパスポートを持って、受け取る人を探しに来ます。名前を読み上げるのはまだしも、顔写真ページをみんなに見せるのはやめてよね。そう思いましたが、まあここはタイですから。何でもありです。
こうして無事に、3ヶ月のノンイミグラントO(オー)ビザを受け取りました。見ると、期限は来年1月末になっていました。申請した日から3ヶ月間なのですね。この2週間は、ノービザでの滞在だったはずですが、ビザの申請が通ったときから、ノンイミグラントビザでの滞在になるようです。ですから、もしこの2週間の間に出国する時は、リエントリーパーミット(再入国許可)を取るようにと言われたのです。
したがって、11月3日の申請した日から60日を経過すると、1年のリタイヤメントビザの申請が可能になります。これもおそらく申請日から1年間ですから、なるべくギリギリに行った方が良さそうです。なので、来年1月の20日以降くらいの都合が良い日に、リタイヤメントビザの申請をしたいと思います。
ビザのページに、出国時はリエントリーパーミットを取るよう書かれています。受け取ったあとでリエントリーの申請もしようかと思いました。1月初旬に東京へ行くことが決まっているので。でも、まだ空港でリエントリーを取ったことがなかったので、今度はそれに挑戦してみようと思います。
2017年11月23日
はやく六十歳になりなさい
西田文郎(にしだ・ふみお)さんの本を読みました。西田さんの本は、これまでにも「ツバメの法則」や「驚きの最強思考「赤ちゃん脳」」を紹介しています。イメージトレーニングのパイオニアで、オリンピック選手の指導などもされています。
考え方次第でどうにでもなると説く西田さんの考えは、とてもわかりやすく、また共感できます。今回は、誰もが忌み嫌う「老い」をテーマにして、むしろ老いが素晴らしいんだという視点を見せてくれます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「脳はイメージを実現するために全力で働き、全身はその指示によって動きます。
つまり、脳が何をイメージするかによって、人間の行動が変わってきます。この脳の機能を利用して行っているのが、トップアスリートのイメージトレーニングです。」(p.27)
つまり、私たちが「老い」とか「六十代」に対してどんなイメージを持っているか、それが重要だと言われるのですね。「パッとしない」とか「しょぼくれてる」「もう終わりだ」なんてイメージを持っていませんか? どうせ持つのなら、「まだ若い」「モテモテ」などの明るいイメージを持った方が得だというものです。
「六十歳を過ぎたら、ほとんど怖いものはなくなります。
(中略)
怖いものがないとは、いくらでも自由に大胆になれるということです。
若いときは妻や子といった守るべきものがありました。また、大事にしなければならない、遠い未来もありました。取り返しのつかない失敗をすることで、その未来を台無しにしてしまうことも怖かったはずです。」(p.76 - 77)
六十代ともなると、守るべき家族というのもほとんどありません。それぞれが自立しているでしょうから。(自立していなかったら、すぐにでも自立させることです。)また、もうそんなに遠い未来もないので、思い切ったことができます。どうせ後はたかが知れてますから。だから自由に、やりたいことがやれると言うのです。
「三浦さんに、もし特別なものがあるとしたら、五〇〇メートルの裏山級の山にも登れなかった六十代が、「エベレストに登ろう。五年後、七十歳で登ろう」と、常識人ならとても思わないようなことを、平気で思えてしまったというそのことだけです。」(p.90)
冒険家の三浦雄一郎さんの話です。53歳で7大大陸の最高峰全峰から滑降を成し遂げて、バーン・アウトしてしまったそうです。その後は164cmの身長なのに体重が90kgまで増え、198もの高血圧、糖尿病や高脂血症などの生活習慣病に侵され、7回の大手術の後に余命3年と告げられたのです。
しかし、そこからが普通の老人ではありませんでした。思い立ったのは何と65歳。エベレスト登頂の目標を立て、毎日少しずつ鍛錬し、ついにエベレストの最高齢登頂を成し遂げたのです。
西田さんは、そんな三浦さんを他の人と大して違いはないと言います。違いがあるとすれば、「できる」と考えたことだと。では、三浦さんは、どうしてそんな無謀なことができると考えたのでしょうか?
「その原動力となったのが、本人の言葉によれば「自分自身も周りも、三浦雄一郎はもう終わったものと思っていた。けれどそんなところから復活できたら、ひょっとして面白いんじゃないか」という思いだったのです。」(p.92)
遊び心と言いますが、何か楽しそうだと思ったことを否定しないことが重要なのですね。結果に執着して失敗を恐れていると、この「ワクワク感」に生きることができません。ともかく「できる」と思ってやってみることが重要なのです。
「これまでの人生はすべて練習であり、ウォーミングアップである。
これからがスタートだ!」(p.96)
この言葉は、脳を良い状態にして力を発揮するための、最も効果的な自己暗示だと西田さんは言います。実際、これまでの経験は無駄にはなりません。常に今、この時がスタートです。これまでの経験を武器にして、より高いレベルで本番に臨めるのです。
「経験知も経験値もピークにあり、お金や人脈だっておそらくこれまでで一番豊富でしょう。若いときに比べれば体力こそ低下しますが、まだまだ健康であり、脳科学のさまざまな実験が示すように、脳の機能はさらに成長しようとしています。
そういう最高のコンディションであなたは、「競争」や「成功」「優越」「優位」といった社会的な価値から解放され、本当に自分のやりたいことを追求できるのです。
これまでの六十年は、すべて六十代からを充実させるためにあったのではないか。そんなふうにさえ思えるほどです。いや、間違いなく六十代からが人生の黄金期であり、それまでの努力や苦労がもたらした実りを収穫するときです。」(p.206 - 207)
会社勤めをしている時は、否応なく競争の世界で生きなければならなかったかもしれません。それは幼い子どもがいて、家のローンがあって、家族の生活を守らなければならなかったからです。しかし、その努力によって、充実した60代を迎えられるのだと西田さんは言います。
だからこそ、この充実した60代を、自由に自分らしく生きるべきだと言うのです。何かを得るためでも、何かを守るためでもなく、ただ自分らしく生きる。何かをしてあげて感謝を求めるのではなく、ただそうすることが楽しいからそうする、というような生き方です。
この本は、否定的に捉えられがちな「老い」を、無理に肯定的に捉えようという内容ではありません。人として、より本質的に生きることが最高の生き方であり、それをするのに、60代は最適だという西田さんの考え方なのです。
したがって、何も60代まで待つ必要もないし、70代、80代であってもできることだと思います。結果に執着するのではなく、ただそうするのが面白いから、楽しいから、自分らしいからという理由でやる。そういう生き方に憧れるなら、常に「今」がスタートの時なのだと思いました。
2017年11月24日
極楽飯店
久しぶりに雲黒斎さんの本を読みました。本名は黒澤一樹さんです。一時期、本名で活動されてましたが、また元の雲黒斎に戻されたようです。雲黒斎さんの本は、これまでに「あの世に聞いた、この世の仕組み」や「降参のススメ」を紹介しています。本名で出された本は、「ラブ、安堵、ピース」でしたね。
今回の本は小説です。これもブログで発表されたもののようで、帯に「人気ブログランキング小説部門1位」とありました。死んで地獄に落ちた主人公が、悟りを得て守護霊として復活する。そんな内容になっています。そこには、雲黒斎さんの守護霊さん(雲さん)のことも出てきますよ。
この本は、今年(2017年)9月26日に、雲黒斎さんの「平日のお話会「月イチ☆」」に参加した時、その場で購入したものです。購入した本には、しっかりとサインをしていただきました。(写真は記事の最後にあります。)
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言ってもこれは小説ですから、引用は一部にとどめますね。
「私の人生って、いったい何だったんでしょう。なぜ神は、これほどまでに私たちを苦しめるんでしょう。なぜ全知全能であるはずの創造主は、わざわざ罰せねばならぬ者や、それを可能にする世界を創り出したんでしょう。多くの宗教家が言うように、神が愛や平和そのものであるなら、最初から苦しみなど創らなければよかったのに」(p.62)
自殺して地獄に落ちた白井さんの嘆きです。この疑問に対する答えは、ずっと後ででてきます。しかし、こことのつながりが書かれていないため、読者はおそらく気づかないでしょうね。
「「全てが思い通りの世界で求める最後の望み…。それって、もしかしたら『思い通りにならない』ってことじゃないっスか…」
藪内の答えに、閻魔はパチパチと手を打って嬉しそうにはしゃいだ。」(p.177)
「神との対話」を読んでいれば、ここに答えがあるとすぐにわかります。天国(本質的な世界)では何でも思い通りになる(全知全能)のですが、それだけだと面白くないんですね。たとえて言えば、何回投げても必ず300点満点が取れてしまうボーリングゲームのようなものです。最初の数回は楽しくても、すぐに飽きてしまうでしょう。
「これまで君たちは大きな錯覚を抱え続けたまま生きてきた。それは、『分離』という名の錯覚。本当は一つの同じものなのにもかかわらず、『自分と自分以外がある』という誤った感覚を持ち続けていたんだ。たとえるなら、虹の中に見える鮮やかなグラデーションの一部を切り取り、赤、橙(だいだい)、黄、緑、青、藍、紫と名前を付けているようなものでね。」(p.194)
グラデーションですから、どこからどこまでが赤だなどという明確な区切りはありません。それなのに勝手に「この部分が赤」と決めているだけなのです。「私」という認識も、それと同じなのですね。
雲黒斎さんは他の本で、飲んだ水は私か、私でないか、という問いかけをしています。コップに入った水は私ではないと考えるでしょうけど、飲んだ水は、いつから私になるのでしょう? そこには明確な区別は存在しないのです。
「最初から、個別の命などない。元からないのだから、それを消失できるはずもない。だからこそ、人間が思っているような死、つまり「命を失う」ということはありえないのだと閻魔は言う。」(p.200 - 201)
私たちの命は、どこから生まれるかと閻魔はみんなに問いました。母親の体内にいる胎児の時から、個としての命はあるように見えます。また、受精卵が着床する前から細胞分裂しているので、命はその前からあるように見えます。では、受精の瞬間でしょうか?
しかし、その前から卵子も精子も生きています。受精の前から命はあるのです。では、卵子はお母さんの命で、精子はお父さんの命なのでしょうか? 受精卵には、2人の命が宿っているのでしょうか?
このように考えると、個別の命などというものがないのだと理屈でわかると思います。それは錯覚なのです。
「神を探し求めている当の本人が神自身だからね。自分自身が神であることに気づく以外、どこに神を求めても、決して見つかりはしないんだ。」(p.209)
モーセの十戒の最初に、答えが書かれていると言います。「あなたはわたしのほかに、何者をも神としてはならない」ここで言う「わたし」とは、私のことなのです。そう思って読むと、この意味がわかります。英語で言えば「I(アイ)」です。「I」と言う者が神なのです。
このあと、偶像を崇拝するなという話が続きます。偶像とは、「わたし」ではないものです。私は「わたし」のみの頼りにすべきなのです。
「時には、「笑うしかない」といった言葉が表すように、いま目の前にある八方塞がりの状況に対しての完全降伏を意味することもあろう。しかしその降伏は、決して「負け」を意味するものではない。白井のボキャブラリーを借りるなら、笑い声はそのまま「神の思し召すままに」といった宣言となり得るということだ。」(p.222)
「状況(いま)を受け入れる」という態度が重要だと言います。笑いとは、思考と恐れを手放したところにあるもの。現実を創造する主導権を「分離した自己(自我、エゴ)」から「本来の自己(源、ソース)」へ渡すことが、笑いなのです。
腹から笑っている時は無防備で、安心しています。完全に信頼し、結果を手放しています。ですから、「笑う門には福来る」と言うのですね。
小説としてもとても楽しいですし、そのやり取りの中で深い気付きが得られます。最初は死後の世界がこういう感じだと言いたいのかなと思ったのですが、そうではありませんね。これは、死後の世界というシチュエーションを利用して、現世のことを語っているのだと思いました。
2017年11月28日
春風を斬る 小説・山岡鉄舟
神渡良平(かみわたり・りょうへい)さんの本を読みました。2000年9月に出版されたもので、もう中古でしか手に入らない小説です。小説でありながらPHP研究所から出版されているというのも珍しいです。それだけ、「生き方」を考える上で役に立つ本と言えるでしょう。
神渡さんには、「天翔ける日本武尊」という小説もあります。その登場人物の苦悩、悟りが、手に取るように伝わってくるので、まるでその人が目の前にいるかのように感じます。神渡さんが書かれた本を紹介する記事の一覧もありますので、参考にしてみてください。
なお、山岡鉄舟という人はご存知ですよね? 勝海舟、高橋泥舟と並んで、幕末の三舟と呼ばれた3人の中の1人です。江戸城無血開城に尽力した人物ですが、多くの人は西郷隆盛と勝海舟の間で決まったと思っているようです。実は私も昔はそう思っていました。でも本当は、西郷を訪ねた鉄舟が、事前にその条件を認めさせていたのです。
その西郷が鉄舟を評してこう言っています。
「生命も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に困るものです。」(p.248)
官軍の前線を突破して西郷に会いに行き、江戸総攻撃をやめるよう西郷を説得し、徳川家の存続を約束させました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「歴史小説とは、歴史上の人物が置かれた立場を追体験することによって、自分の魂を磨くためにあると思うようになった。」(p.472)
神渡さんは4年かけてこの小説を書かれています。その中で、ご自身の過去と向き合い、魂を磨くという体験をされてこられたのですね。そういうこともあって、この小説の中では鉄舟が悟りを開く様子が、ありありと描かれているのだと思います。
「天は私に何かをさせるために、この危急存亡のときに、敢えて私を送り出しておられる。
まだそれは何なのかわからない、わからないけれども、何かあることは確かだ。そう思えたとき、人は自分を信頼することができる。自分を信頼するということは、自分を守り導いておられる天を信じることだ」(p.88)
貧しくて妻に十分に食べさせてやれず、我が子を失った苦悩から立ち直った時の鉄舟のセリフです。どういう理由かは定かでないとしても、天から送り出された自分の命であるという見方をしたのです。そうであるなら、必ず何か役目がある。そう信じることで、他人と比べて自分を嘆くことがなくなるのです。
「後年、鉄太郎が料亭でも大変もてたのは、仲居であろうと酌婦であろうと、一人前の人格として付き合ったからである。」(p.101)
アドラーも、子どもに対して信頼し尊敬することを求めています。つまり、自分より下の者という見方をしないのです。
これは「神との対話」でも同様のことを言っています。相手の魂を見るという見方です。完璧な魂を見れば、上から目線にはなり得ません。
「特に「宇宙と人間」という題名には、宇宙森羅万象の根源者の体現者としての人間という深い覚醒が表されているのではないか。鉄太郎は宇宙界を図示して、「日月星辰の諸世界」と「地世界」とに分け、さらに「地世界」を「諸外国」と「日本国」に分け、詳細を叙述している。」(p.121)
直参旗本のわずか22歳の鉄舟が、「宇宙と人間」という小論を書いているそうです。哲学的と言うか、その精神性の高さがわかります。
「さあ、みんな、富士のお山のようになろう。世の中はどうであろうと、富士の山は泰然自若と構えて、いつもそこにある。毀誉褒貶に惑わされることがない人間になろう。それこそが明治国家がつくり上げたい人間像なんだ」(p.295)
明治維新後、政府から請われて静岡から茨城へ旅立つ時、朝日に照らされた富士山を見て言った鉄舟のセリフです。鉄舟は西郷とも親しい関係にあり、「敬天愛人」という生き方に感服していました。人を相手にせず、天のみを相手にする。他人からどう思われるかなどということを気にしなかったのです。
鉄舟が作った歌に、こういうのがあります。この歌にも、鉄舟の気持ちがよく表れています。
「晴れてよし曇りてもよし不二の山
元の姿は変はらざりけり」(p.334)
「帝王学という言葉がある。人は国家や企業を司る後継者たちに、人心の機微を読み、収攬(しゅうらん)する何か特別な方法があるかのように考えるが、そうではないのであって、すべては自分を修めることからしか始まらないのだ」(p.320)
若き明治天皇を元田永孚(ながざね)が漢学を講義した場面に、神渡さんが書かれた言葉です。元田は、「修己治人(しゅうこちじん)」という教えを説きます。己を修めてのち初めて、人を治めることができるという意味です。他人をどうこう動かそうとする前にまずは自分をしっかりさせなければ、他人はついてきません。
このことも「神との対話」に書かれています。他人を変えるのは難しいが、自分を変えれば他人はそれを見て影響を受けると。他人を悟らせたければ、自分が悟って見せればよいのです。とやかく言う必要はありません。
「誘惑に負けて、人に迷惑を掛け、人生を駄目にしてしまう人もある。手酷い失敗をしたために、今度は心を入れ替えて、再起を図る人もある。人の失敗を他山の石として学び、自分の人生に活かす人もある。人それぞれです。時を経、さまざまな経験をして気付き、正されていく。私は天を信じます。天を信じるがゆえに、人間も信じます……。」(p.362)
征韓論に敗れて下野し、鹿児島に引っ込んだ西郷を、明治天皇の依頼で連れ戻しに来た鉄舟のセリフです。ここで鉄舟は、徳川幕府が薩長幕府に置き換わっただけだと嘆く西郷に対して、自分は楽観視していると語ったのです。
人間の物欲などの煩悩は、規制すべきものではなく、自発的に研鑽して自分を高めていくもの。だから、上手く行ったり、行かなかったりする状況や出来事は、自分を高めるために起こっているのだと。それをそのように利用できるかどうかは、それぞれの人に任されているのだと鉄舟は言うのです。
「一個の料理が心眼を開く−−。
一つのものに心魂を傾けるとき、そこから宇宙の真髄が見えてくる。物がわれわれを人にしてくれるといってもいい。だから人生というものほど味があるものはない。」(p.394)
鉄舟から「二葉の料理に禅味を持ってみよ」という命題を与えられた忠七が、「禅味」の意図を探りながら工夫を重ね、独自の海苔飯を作った場面の鉄舟のセリフです。「忠七めし」と名づけられたこの料理は、今も埼玉県の小川町にある割烹旅館二葉で出されているようです。
一心不乱に料理に打ち込めば、その中に何かを悟ることができる。「一芸に秀でたものは多芸に通ず」と言いますが、そういうことなのでしょうね。
「それからというもの、心が平明なとき、前後左右のことを踏まえて決断するようにしました。いったん仕事に手をつけたら、結果に執着することなく、やるべきことをやる。するとどの事業も成功し、お蔭様で今では商人と呼べるような部類に入ることができました」(p.398)
鉄舟の弟子の平沼のセリフです。武士になりたいと言っていた平沼を、鉄舟は実業家にさせたのです。それがみごとに成功して名を馳せる実業家になったので、鉄舟は商売のコツを尋ねました。その答えとして平沼は、最初は不安や強気などに翻弄されて失敗したと言います。その中で、執着から自由になることが重要だと悟ったのです。
その方法が、先ほどのセリフです。まずは心が穏やかな状態の時に、よく考えて決める。そして決めたなら、もう結果がどうなるかを考えずに、ただ目の前のことを黙々とやる。結果を手放すことが必要なのですね。
「−−光の存在が三次元の世界に現れるとき、なにがしかの衣をまとわなければ、相対の世界に現れることはできない。その衣は種の存続のために、一方はオス、もう一方はメスという二相に分かれる。そして再び合体して、ダイナミックに新しい世代が身籠られる。無から有が生まれるとはこのことだ。すべてはいのちの存続と継承発展のために行われていることである!」(p.446)
鉄舟を悩ませた情欲に対して、48歳でついに解を得たときの鉄舟のセリフです。単なる色情については、30歳の頃に乗り越えた鉄舟ですが、男女という相対的意識観念が超えられなくて苦しんでいたのです。
これによって女性という見方から生命という見方に変わった鉄舟は、芸者や酌婦も安心して鉄舟の側に近づくようになり、モテるようになったなったそうです。
「禅がわしに与えてくれたものは、わしは一人ではない、いつも天が見守り導いてくださっているという実感だ。その実感があるから、自分の行動に自信が持てるんだ。これは天の行動だと思うから、少しも怖気(おじけ)づかない。だから”自分を信じる”ことと、自分を地上に遣わされて”天を信じる”とは同じことだよ。」(p.453 - 454)
自分を信じるとは、宇宙の愛を信じるということです。もしそれを信じるなら、何に対しても怖がる必要はありません。不安に感じる必要もありません。「神との対話」で言うように「不安(恐れ)」の反対は「愛」です。不安がなければ愛に至るのです。
500ページもの長編小説ですが、一気に読んでしまいました。それだけ没入できるんです。これまで、山岡鉄舟という人のことはあまり知らなかったのですが、いかに素晴らしい人物であったかがよくわかりました。幕末から明治にかけて、非常に優秀な人がたくさん現れています。また1人、私の好きな人が増えました。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。