2017年09月01日
このママにきーめた!
のぶみさんの絵本を買いました。この前、「おこらせるくん」を紹介しましたが、のぶみさんの絵本では親子関係、特に母子関係がメインテーマのようです。
絵本なので、特に引用はしません。その代わり、物語の概要を説明しましょう。
生まれる前の子どもたちが、天の上から神様と共に地上を見ています。そして、どのママの子どもになるかを自分で決めるのです。
他の子どもたちから不評で、神様もやめておいたほうが良いと忠告するくらいの女性がいました。その女性を、ある子どもは選びます。
自分が何かをしてほしいからではなく、あのママを喜ばせるために生まれるのだと言って。
映画「かみさまとのやくそく〜あなたは親を選んで生まれてきた〜」を見たことがあります。その中でも、何人もの子どもが、自分でママを選んだと証言しています。
この映画には登場していない多くの子も、同じように言っていることを、映画に登場する池川明医師は証言しています。
そして、子どもたちが生まれてくる目的は、その多くが「ママを助けるため」とか「ママを喜ばせるため」だと言っているそうです。
以前紹介した絵本「うまれるまえのおはなし」も、同じテーマの内容でした。
こういう話が本当かどうか、それは何とも言えません。多くの証言があることは事実のようですが、だからと言って、それが必ずしも事実とは言えないからです。
今の段階では、それを信じるかどうかだけです。ですから、それぞれが自分で決めるしかないのですね。
「子どもが虐待する親を選んで生まれたりしない。」と言う人もいます。しかし、あえて困難を背負って生まれることを、自分で決めたと証言する子どももいます。
前に紹介した本ですが、「自分をえらんで生まれてきたよ」の中で、いんやくりおくんは、「病気を選んで生まれてきた」と証言しています。そのことによって「ママもいろいろな体験ができる。だからママは喜んでいいよ」と言っているのです。
もし、自分で環境や親を選んで生まれてきたとするなら、すべては自分の責任です。自分が選んだ現実の中で、自分がどうするかだけが問われています。
そういう考え方は、まさに「神との対話」などが示す考え方だと思います。自分が幸せになるためには、他者から翻弄される生き方を捨てることです。自分がすべての責任を引き受けることによって初めて、自分で変えることができるのです。
2017年09月02日
父という病
前に「母という病」を読みました。その本を買う時、著者の岡田尊司(おかだ・たかし)氏がこちらの本も書かれているのを知って、一緒に買いました。
子どもに対する親の影響は、母だけではないだろうという思いがあったので、父がどう関係するのかを知りたいと思ったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「しかし、父親となると、生まれてくる一年近くも前に、母親となる女性と愛し合い、精子を提供したということ以外に、生物学的な結びつきは乏しく、父親が果たすべき生物学的役割は、これといって存在しない。」(p.10)
考えてみればたしかに、父親の生物的な役割は、種を与えることでしかありません。事実多くの生物が、父親と関係なく生まれて育ちます。そのような中で、人間の父親とは、いったいどういう役割があるのでしょうか?
「こうした父権的な社会においては、父親は畏怖すべき絶対の存在であり、逆らうことは許されなかった。父親は一家のリーダーであると同時に、教育者であり、精神的な支柱であった。」(p.14)
家父長制度があった時代に、父親は一定の役割を果たしていたと思われます。しかし現代は、そういう制度そのものが崩壊し、父親の役割も変わりつつあります。
「父親の存在感が、かつてとは比べられないほど希薄な時代を迎えたのだ。父親がさほど重要性をもたないとなると女性たちが、元々そうしていたように、自分の力で子育てをしようと考えるのも自然な成り行きだった。」(p.14)
こうして、かつての母系社会への回帰が起こっていると岡田氏は言います。
「時代はさらに進んで、母親さえも働き手として、子どもにかかわる時間を切り詰めるようになり、不在の存在となる。母親さえも不在の事態が、稀(まれ)ならず起きるようになっている。子育てよりも、仕事や自分の楽しみを優先する母親も例外的な存在ではなくなった。どうしても母性の部分を犠牲にせざるを得なくなった。母親の不在や母性の欠如した子育ては、さらに深刻な「母という病」をもたらすことになった。」(p.25)
子育てから父性も母性も欠如する時代が、「母という病」を生み出していると言います。
「このように、本来、父親とは、情け容赦のない、恐ろしい存在だった。そのことは、母親への欲望を禁じるという性愛的な意味よりも、社会の掟やルールを教える、もっとも厳しい師という意味においてだった。言い換えれば、子どもを家から追い出し、自立させるという役割を担っていたのだ。憎まれ役になってでも、一切妥協せず、「死刑宣告」を下したのだ。」(p.78)
父親の役割は、厳しくとも子どもを社会へ放り出し、自立させることにある、ということです。母親への性愛というのは、エディプス・コンプレックスを念頭に置いた言葉です。
「父親の一つの重要な役割は、子どもにストップをかける抑止機能として作用し、やがてそれが、子ども自身の中に、自己コントロールする力として取り込まれていくのを助けることだ。」(p.84)
何でも子どもの思い通りにさせるのではなく、その希望を打ち砕く。そうすることで、子どもの中に自己コントロールする力を培うのだと言います。実際、そういう父親のもとで育った子どもは、成績が良く、よく努力し、非行に走るリスクも少ないという研究結果があるそうです。
「一方、別の研究では、父親に対して子どもが親近感をもち、父親から受容されていると感じている子どもの方が、自己肯定感が高く、身体的な不調が少なかった。父親が抑えるだけでなく、子どもを受容することも、子どもの安定には必要なのだろう。」(p.85)
父親が厳しく接するだけでなく、子どもを受け入れていることも、子どもへ良い影響を与えるということです。
「精神分析の関心は、エディプス・コンプレックスに偏りがちだが、父親との葛藤を克服するということ以上に、重要なのは、子ども、ことに息子は父親を通して、社会で生きていく技を学ぶということだ。
その場合、子どもが社会適応を学んでいくうえにおいて、重要な手段の一つが同一化だ。子どもは理想化した相手に自分を同一化し、その一挙手一投足を真似、喋り方や感情的な反応の仕方までコピーし、取り込んでいく。
実際、この年代の子どもは、父親のしていることを真似ようとする。」(p.115)
つまり父親が理想的な男性像となって、子どもが真似るに値する存在であることが重要なのです。
「息子にしがみつき、手放したがらない母親が、その思いを断ち、息子を自由の身にするためには、父親が防波堤となる必要があるのだが、父親が防波堤として機能するためには、父親と母親との関係が恒常性をもったものとして維持されるとともに、わが子の巣立ちの淋しさを共有し、その自立を共に喜ぶ方向に、気持ちが切り替わっていく必要がある。父親がいることで、そのプロセスは円滑に進みやすくなる。父親が母親のそばにいてくれることで、子どもは安心して母親から離れ、自立していくことができる。」(p.126)
子どもに愛着する母親を上手に子どもから引き離すのが、父親の役割なのです。
「父親が不在でも、母親が心の中にしっかりとした父親像をもち、子どもの父親に対して、肯定的な気持ちをもっていれば、子どもは父親の不在を乗り越え、良い父親像を手に入れ、それを自分の中に取り込むことができる。それが、社会の掟や秩序に対する敬意をもち、その中でうまくやっていくことにつながる。」(p.185)
父親の存在は重要ですが、たとえ父親がいなくても、母親がしっかりとした父親像を持っていれば、子どもに対して良い影響があるということです。
「母親への執着を諦めるというプロセスは、思い通りにならないものは、すべて敵だ、悪だという二分法的で両極端な受け止め方を克服し、より成熟した関係を獲得する道でもある。思い通りにならないものを受け入れることができず、攻撃するという段階から、思い通りにならないものであっても受け入れ、共感するという新たな段階へと導くのだ。父親という第三の存在がいることで、思い通りにならない状況を子どもに乗り越えさせることによって、そのプロセスは促される。」(p.190)
泣き叫べば何でも言うことを聞いてくれるのが母親。一方の父親は、泣き叫んでもダメなものはダメと言って思い通りにさせてくれない存在。子どもは、その存在を受け入れられていながらも、思い通りにならないことを経験し、社会に適応して行くのです。
「この段階を乗り越えられなかった子どもは、フラストレーションに対して脆(もろ)くなりやすい。全面的に自分を受け入れ、守ってくれる存在としかやっていくことができない。少しでも非難されたり攻撃を受けると、立ち直れないほど傷ついてしまう。不快さを押しのけ、自分を主張するということが難しいのだ。
実際、多くの研究が、父親が、子どもの自立を促すだけでなく、ストレスに対する復元力(レジリアンス)を高めるのにも役立っていることを裏付けている。」(p.195)
父親の存在と言うか、要は適度な抵抗に遭うことが、フラストレーションに対する耐性を獲得するのに必要だということだと思います。
「現実の父親が目の前にいれば、ほどよく満たされ、ほどよく失望を味わいながら、幼い頃、理想化された幻影も、やがて現実サイズのものに修正されていく。
だが、その不在ゆえに、父親を求める気持ちが強く、「父親飢餓(ファザー・ハンガー)」と呼ぶべき状態を呈することもある。」(p.216)
理想的な父親が存在すれば、子どもはその父親と同一化しようとします。残念ながら理想的でない場合は、傷ついた父親像を回復するために、父親代わりの存在を求めるようになると言います。
しかし、実在の父親がいない場合は、空想の中に理想的な父親像を求めて、理想に近い男性に出会っても、すぐにその不足部分が目につき、他に理想的な男性がいるのではないかと追い求めることになるのです。
「父親と母親という異質な存在の間に、微妙なバランスをとることの方が、自己確立を成し遂げやすい。二つの極の間にあるが、どちらの極からも自由であるという関係が、主体性や個性を育む上で、具合がいいのだ。」(p.275)
子どもは本来、父親と母親の両方を必要としている存在だと言います。ですから、離婚によってどちらか一方に育てられるということは、もう一方を奪われたということになるのです。
「パートナー同士のかかわりは、夫婦間、恋人間の愛着を安定化させることもあれば、逆に不安定にすることもある。愛着は、対人関係の土台であり、精神的な安定の土台でもある。愛着が安定しているとき、パートナーが安全基地として機能している。パートナーとの関係がうまくいっているとき、お互いが安全基地となっている。
安全基地とは、困ったことがあったとき、何でも打ち明け、受け止めてもらえる存在だ。どんなときも、大丈夫だと言ってくれる存在だ。」(p.294)
パートナーが安全基地としての役割を果たせなくなった時、子どもと同様に「非行」に走ると言います。アルコール依存、浮気、DVといった非行です。
ですから、そういう問題が起こった時は、本人を責めたり突き放したりするのは逆効果です。それではパートナー間の信頼を取り戻せません。
むしろ安全基地としての機能を取り戻すこと、つまり非行を受け入れ、それでも大丈夫だと言うことの方が有効だと言うのです。
しかし、事態が深刻化した場合は、第三者を安全基地として、当人同士は距離を置き、冷静さを取り戻す方が有効だと言います。
「逆にケースによっては、離婚が積極的な意味で必要な場合もある。離婚しない限り、その人の主体的人生を取り戻すことが困難だという状況に陥っている場合だ。」(p.298)
離婚というのは最終手段で、できればそれまでの早い段階で手を打つ必要があります。ですから、すぐに「被害者」と「加害者」というように分けるのではなく、関係を修復するための措置が大切なのです。子どもがいなければ影響は少ないかもしれませんが、離婚が子どもに与える影響はあまりに大きいのですから。
しかし、だからと言って子どもを理由に離婚せずに我慢し続けるのが良いわけではありません。我慢は当人の心身に悪影響を与えますし、子どもへも同様です。そして、離婚が最善というケースもあるのですね。
「その典型は、女性が、父親代わりの存在と悪しき依存関係に陥ってしまっている場合だ。そうした状況において、女性は自分の主体性を放棄し、相手の庇護によってしか行きていけないと思い込んでいて、精神的、経済的に依存する。性的にも精神的にも経済的にも男性に隷属し、男性の所有物としての自分を受け入れることで、心の安定を保とうとする。こうした状況に、配偶者間暴力が伴っている場合も多い。」(p.299)
このように結婚が「鳥かご」になっているなら、離婚することが先決になると言います。自立できない関係なら、その関係を解消することが優先されるのです。
「ただ、幸いなことに、父親の不在や拒否は、母親の不在や拒否よりも克服しやすい。母親との不安定な関係は、存在の土台そのものを揺さぶるが、父親との関係は、通常、そこまで強い影響力はない。母親との関係が安定していれば、父親が不在であったり、父親との葛藤が強かったりしても、その影響は存在の根底を揺るがすまでには至らない。」(p.306)
父親の存在が重要であるとは言っても、やはり母親の方が重要なのです。
「相手に理想の父親像を求め、それと比べて失望するのではなく、ありのままの相手を見ることだ。裏切られたと思っているのなら、それは間違っている。最初から、勝手な期待をかけただけなのだ。自分の期待に反したからといって、相手を責めるのは、相手からすれば、まったく不当な仕打ちとしか思えないだろう。相手を祀り上げたのは、あなたなのだ。」(p.321)
相手の男性に理想の父親像を求めてしまう女性は、まず自分が、理想の父親像を求めているだけなのだと自覚することが重要だと言います。それがない限り、互いに不幸になるしかないのです。
「母親が父親を否定したり、貶す言葉に、あなたの判断は影響されていないだろうか。あなたが、父親から受け継いだもの、授けられたものは、そんなにひどいことばかりだろうか。
父親のした”悪い”行動が、どういう状況でなされていたのか、どういう意味をもっていたのかを、もう一度考えてみることだ。母親があなたに教え込んだ見方ではなく、できるだけ客観的な視点で、父親に何が起きていたのかに、思いを巡らしてみることだ。」(p.328)
父親の実像がどうであれ、母親が父親をどう語るかが、子どもへ影響することを岡田氏は言っています。ですから、もし自分が父親に対して悪い印象を持っているとしたら、それは母親のフィルターを通したものかもしれないと言うのです。
実際問題、酔っ払って暴力を振るう父親も、そうせざるを得ない何らかの事情があるのです。それは、父親が育てられた環境(親)に原因があるかもしれないし、母親の言動が、何かを刺激するのかもしれません。
いずれにせよ、そうやって共感的に対等な1人の人間として父親を見ることが、父という病を克服する上で有効な方法だと岡田氏は言うのです。
人間関係は、幸せの源泉であるとともに、不幸の源でもあります。これはアドラーも指摘している通りです。「神との対話」でも、人間関係なしには、私たちは成長できないと言っています。その人間関係の中でも、特に重要なのが親子関係とパートナー関係だと思います。
岡田氏の「母という病」と「父という病」を読むと、親子関係がパートナー関係にも影響を与えていることがよくわかります。生まれて初めて結ぶ人間関係が親子関係ですから、さもありなんという気がします。
この本を読む人は、すでに大人になっている人だと思います。もうすでに子どもには戻れない年齢かもしれませんが、知ることが自分で親子関係を修復する力になるように思います。ぜひ、この2冊を一緒に読むことをお勧めします。
2017年09月03日
植松電機T
植松努さんの半生を描いた本を読みました。Facebookで、このコミックのクラウドファンディングをしていることを知りました。主催はインフィニティという広島の会社です。
実は私、ここの求人に応募したことがありました。およそ20年前の話です。おそらく面接までもいかず、書類選考で落とされたと思いますけどね。
植松努さんのことは、TEDの講演で知ってから、ずっと注目していました。ご著書の「好奇心を”天職”に変える空想教室」も購入しています。そういうこともあり、縁のある会社がしえんしているからと思って、私も少し支援することにしたのです。
このコミックは、「『心を育てる』感動コミックシリーズ」と言うのですね。インフィニティさんで発売しています。その中に、以前読んだ「テラ・ルネッサンスT,U」も入っていたことを、今回初めて知りました。
こういうマンガは、ぜひ多くの人に読んでほしいと思います。一般の書籍と比べると読みやすいですから。そしてこれに感動したら、ぜひ一般の書籍も読んでみて欲しい。あるいは講演会に足を運んで欲しい。そう思うのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。とは言え、マンガですから引用はごく一部に留めます。
「負けそうな時、
いつも支えて
くれたのは、
本で出会った
たくさんの
仲間でした。
ライト兄弟!
エジソン!
野口英世!
キュリー
夫人!
ツタン
カーメン!
ベーブ
ルース!
だーい
じょうぶ!
俺達、
東大行って
ないから。
伝記には、
あきらめ方が
書いて
なかったんです。」
飛行機やロケットの研究をしたいと言う努少年に学校の先生は、「東大へ行かなきゃ無理」と言って否定しました。しかし努少年は、親しんでいた伝記から力を得て、「どうせ無理」を跳ね返したのです。
「思うは招く。
思ってたら
そうなる
って事だよ。
母のこの一言が
僕の人生を支え、
この言葉によって、
ここまで
歩んできました。
ある時、
NASAの門に
ある言葉が
刻んであるのを
知りました。
Dream can do,
Reality can do.
「思い描くことが
できれば夢は叶う」
母はこれと同じ事を
教えてくれたのです。」
坂村真民さんの詩にもあるように、「念ずれば花ひらく」ということなのです。思考は現実化するのですね。
学校の先生からは否定されても、父親、母親、祖父、祖母から愛され、否定されずに応援されたことによって、植松さんの今があるように思います。
今度は植松さんが、子どもたちの支援者になろうとされています。そして、自らの姿勢を見せることによって、「どうせ無理」を社会からなくそうとされているのです。
2017年09月04日
沖縄教育出版T
また「『心を育てる』感動コミックシリーズ」の本(マンガ)を読みました。これは、この前に紹介した「植松電機T」を買った時、プレゼントとしてつけてもらった本です。
このコミックの主人公は沖縄教育出版という会社です。とは言え、教育とはまったく関係のない健康食品や化粧品の通信販売をしています。もともとは出版社として始めて、そのまま社名を変えずにいるのです。それは、この会社のテーマが商品の販売ではなく、人育てだからと言います。
見学者が後を絶たないという「日本一長い朝礼」が有名で、なんと1時間から2時間もの朝礼を毎朝やっているそうです。
そんな変わった会社を創ったのは社長の川畑保夫さん。前半の第一話は、川畑さんが今のような会社を創るようになるまでの人生を描いています。営業をバリバリこなしていた川畑さんは、腎臓がんにかかってしまいます。やっとそのピンチを克服し、会社に復帰したところ、今度は会社の先行きに不安を持った社員が次々と退社し、60名から一気に半分にまでなってしまったそうです。
そんなピンチを、アウシュビッツから生還したフランクルの言葉によって、川畑さんは救われます。
「ならば私がガンになったこと…
手術が成功して生きながらえたこと…!!
その後の度重なる試練もすべて…!!
意味があることなんだ!!!!」
経営の神様、松下幸之助氏の言葉にも励まされます。
「ならば…!!
この逆境は
私が成長できる
チャンスなんだ…」
こうして川畑さんは、逆境を乗り越えて行ったのです。
第二話は、名物の日本一長い朝礼がどういうものかという紹介です。そして第三話は、「めだかの学校」というタイトルです。
童謡にある「めだかの学校」は、誰が生徒で誰が先生かわからないくらい、みんなでお遊戯をしながら楽しんでいます。いっぽう「すずめの学校」は、先生がムチを振り振り指導します。沖縄教育出版は、「めだかの学校」を目指しているのだそうです。
アフターさん(パートスタッフのこと)たちは、お客さまに役立つことを主体的に考える。社員はアフターさんたちが気持ちよく働けるように心を配る。上司や管理職は、社員が生き生き働くことを気遣う。管理して指導するのではなく、サポートし合っているのです。幕末の松下村塾もきっと、こんな感じだったのでしょうね。
「私たちは
「通信販売」ではなく
「通心販売」
…を自負しているのです。」
ただ物を売ってお金を儲けることが目的なのではなく、お客さまと心を通わせ、社員と心を通わせ、希望を届けて生きる意味を大きくすることが、会社の目的なのだと川畑さんは言います。
この会社で働いているだけで表情が明るくなり、生き生きと生きられるようになる。それが沖縄教育出版という会社なのですね。
私はこの会社の存在を初めて知ったのですが、こういうことも手軽に知ることができるコミックって素晴らしいですね。
2017年09月06日
感動の条件
今回も「『心を育てる』感動コミックシリーズ」の本(マンガ)を読みました。これは、この前に紹介した「植松電機T」を買った時、プレゼントとしてつけてもらった本です。
コミックの表紙を見ても、どういう内容なのかよくわかりませんでした。でも読み進めていくうちに、どこかで聞いたことがある話だなと思いました。大分県中津市のちょっと変わったたこ焼き屋。その名も「陽なた家(ひなたや)」。そのオーナーの永松茂久さんの物語です。1章は、陽なた家がどんな店かということを描いています。
なぜかたこ焼き屋に惹かれた永松さんは、たこ焼き屋になることを夢見て、大学進学、就職という人生の一大事を、たこ焼き屋になるために捧げます。
いろいろな出会いがあって念願のたこ焼き屋になれるのですが、必ずしも順風満帆ではありません。そんな中でも苦労しながら店舗を増やし、売上を増加させていきました。しかしある時、松永さんは何かこれは違うんじゃないかと感じます。そして悩んだ末に、ある方向性を定めるのです。
「みんあ、
聞いてくれ。
何年で年商何億とか
店をドンドン増やすのは
もうやめにするぞ。
数字の目標はキリがない。
ずっとそればっかり
追っていたら
大切なものを
失くしてしまう。
今、目の前にある幸せに
気づくことが
できなかったら
どんなに成功しても
幸せにはなれない。
お客さまや
周りの人たちに感謝して
今できることを
全力でやれば
俺たちのコップに
ハッピーが増えていくk。
それがあふれ出した時
間違いなく
俺たちは
でっかくなってる。」
その後、永松さんは、「読書のすすめ」店長の清水克衛さんの引合せもあって、斎藤一人さんと出会います。そして「陽なた家」は、一人さんからも認められるほどの光となって、田舎に人を引き寄せる観光スポットになるのです。
「陽なた家」の話は、以前どこかで読んだ記憶があります。「みやざき中央新聞」だったかもしれませんが、もう忘れました。昨年の11月に中津市には行ったのですが、その時はまったく気づきませんでした。もし知っていたら、絶対に行ってみたかった。そう思います。
世の中には、光となって輝いている人がたくさんいますね。そして、そういう人がお店や会社をやれば、それがまた輝きます。そういう影響を与える人々のことを、本当にすごいなあと思います。
2017年09月08日
アナスタシア
話題になっているというので買って読んでみました。「響き渡るシベリア杉シリーズ1」になるそうで、その後も何冊かシリーズが続いています。(「The Ringing Cedars」シリーズは現在10巻あるようです。)私はこれを含め、シリーズ3までの3冊を買いました。
作者は起業家のウラジーミル・メグレ氏。翻訳は水木綾子さん、監修は岩砂晶子さんです。ウラジーミル氏は河川用汽船による通商を行っていました。1995年にオビ川沿いでアナスタシアという若い女性と出会い、タイガの森の奥深くで3日間を共に過ごしました。この本は、そこで起こった一部始終だそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「世界ははじめから、人間が何を食べようか、どこでそれを得ようかなどということに、思考のエネルギーを費やす必要がないように創られているの。
すべてのものが人間の必要に応じて熟すようになっているから、人は呼吸をするように食べて栄養など気にせず、もっと大切なことに意識を集中していればいい。」(p.67 - 68)
まだ1歳にもならないアナスタシアを、彼女の母親は草地に1日中残したことがあったそうです。どうして餓死しなかったのかというウラジーミル氏の質問に対して、アナスタシアはこのように答えました。
アナスタシアは、リスなどが採って渡してくれる木の実などを食べているようです。決まった時間に食事を摂るのではなく、食べたいときに、食べたいだけ食べる。しかも歩きながらだったり。
上記の答えは、聖書にある一節と類似しています。ですから、たしかにそういうことなのかもしれない、という気もします。実際、オーストラリアのアボリジニなどは砂漠を横断する時、食べ物は与えられると言います。まあ彼らの場合は、獲物が目の前にやってくるので、狩りをするのですけどね。
「たとえば、闇の勢力がどういう手段を用いてこんなにも女性たちをだましているのか、そこがまだつかみきれていない。」(p.100)
またモスクワへ行って、都会の生活の状況を確かめたいと言うアナスタシアです。その理由が、闇の勢力のことを知りたいからだと。この後も何度か、闇の勢力のことが出てきますが、それが何なのかははっきりと語られていません。
「考えてみて。いったい誰がたんなる肉体的快楽の結果としてこの世に生まれてきたいと思う?
人はだれでも、たんなる快楽の結果としてではなく、偉大な愛の高まりと創造への熱望のもとに生まれてきたいと願っている。」(p.109)
アナスタシアと過ごしている時、ウラジーミル氏は一夜を共にします。それは「これまでの人生で味わったことのない、歓喜に満ち満ちた、壮大な感覚に包まれている」感覚だったとか。妻との間に生まれなかった息子を思い、息子が欲しいという欲求があった。そういう思いで交わったことで、単に快感を味わうだけのセックスとは違うものになったと言うのでしょう。
しかし、ウラジーミル氏は結婚しているのでしょうか? 他には妻や子どもの話が出てこないので、どうなっているのかわかりません。また、この本には結婚観とか、不倫や浮気についての倫理観にも、まったく触れている箇所がありません。
「「きみはセックスだけの関係は悪だと言うのか?」
「そう、とてつもない悪。人を真実から切り離し、家庭を破壊する。あまりにも大きなエネルギーが行き場を失ってしまう」」(p.111)
ウラジーミル氏とアナスタシアは、結婚もしていないのに魅力に惹かれてセックスをしました。しかしそれは、息子が欲しいという思いからだからOKだと言うのでしょうね。そうではなく、ただ相手の肉体的魅力に惹かれてセックスをした関係は良くないのだと。子どもを創る目的でなければ、セックスしてはいけないと言いたいのでしょうか? よくわかりません。
ウラジーミル氏はアナスタシアに、ではなぜ雑誌などは官能的なポーズをした女性の写真を載せたりしているのかと尋ねます。つまり、それこそが人間性ではないかと言うのです。
アナスタシアは、それは闇の勢力の仕業によるもので、本来の人間の性質ではないと言います。そして、女性たちが真実に気づいて闇の勢力と闘い、いつかは女性自身を解放するのだと。そういう女性たちによって、男性も変わると言います。
「光の勢力の対極にある闇の勢力は、人間がこのプライドという罪を手放さないよう秒刻みで働いていて、お金はその主要な道具。お金を考えだしたのは彼ら闇の勢力。」(p.212)
人間の世界に起こる悪いことは、すべて人間自身が、「霊的存在としてのルールに違反して、自然とのつながりを失ったときに自ら引き起こしている」とアナスタシアは言います。その中でもプライドという自尊心は、人間に死をもたらす大罪であると。
闇の勢力は、そこにつけ込んで人間に死をもたらそうとしている、ということなのでしょうね。そのための道具がお金であると。
最後まで読んだのですが、私はまだこの本の評価ができません。書かれていることはどれも核心に迫っておらず、中途半端でどうにでも受け取れるような内容だからです。闇の勢力というのもよくわからないし、霊的存在としてのルールというのもさっぱりです。
ウラジーミルは、アナスタシアの知識を確かめるためにUFOの飛行原理を聞き出しています。それとて、微生物が空気を吸い吐き出すことを利用しているようなことが書かれているだけで、どんな微生物なのかとか、それをどう操作するのかなど、肝心なことはまったく書かれていません。それに、真空の宇宙空間ではどうするのでしょうね?
また、この話は3日間の出来事のはずなのですが、時間的な経過が明確でなく、内容を読む限りはとても3日間で終わったこととは思えないのです。そういう点も、この本の内容を信じる気持ちになれない理由です。それにしてはアマゾンなどの評価が高いのが驚きですけどね。
もちろんだからと言って、これがすべてウソだなどと言うつもりはありません。ただ、信じるに足りるだけの論理と事実が書かれてないと、私が思っているだけです。論理性ではなく、感性で感じる何かがあるのかもしれませんから。まだシリーズがあと2冊ありますので、それもまた読んで、合わせて評価したいと思います。
かっこちゃんT
今回も「『心を育てる』感動コミックシリーズ」の本(マンガ)を読みました。これは、この前に紹介した「植松電機T」を買った時、プレゼントとしてつけてもらった本です。
かっこちゃんというのは山元加津子さんのこと。障害児教育をされている方ですが、とても魅力的な方なのです。ちょっと(かなり?)おっちょこちょいですが、心がとてもピュアなのです。だからでしょうか、子どもたちからとても好かれています。それどころか、強面のヤーさんからも好かれてしまうかっこちゃんなのです。
この本にも、これまで紹介した「本当のことだから」、「1/4の奇跡」、「僕のうしろに道はできる」、「大切な花を心にひとつ」で出てきたエピソードが紹介されていました。すでに知っていることなのに、読みながら大泣きしてしまいましたよ。改めてかっこちゃんの本を読んでみたい、という気持ちになりました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「極道の世界の人間を世間は
とてつもなく悪い人のように言う」
「けれどもこの世界は
人を生まれや育ちでは
差別しないんです。
そういうことは抜きにしている」
「みんなつらい苦しい思いをして
他の者からバカにされ、
差別されてきたんです。
つまり、いわれのない差別を受けた者が
この世界に入ってくるのです」
「言うなれば社会が
僕らや若い衆を
作ったんです」」
(p.64)
電車内で、ヤクザっぽい人が若者に対して怒り、殴っていた場面にかっこちゃんは出くわしました。その時、かっこちゃんはとっさに、ヤクザっぽい人を抱きしめて、こう言ったのです。
「大丈夫です
怖くないから
大丈夫です!」
(p.53)
普通なら、殴られている若者に言うべき言葉のように感じますが、かっこちゃんは殴っている方にそう言いました。なぜなら、障害者のクラスでは、障害者が暴れることがよくあったからです。その時かっこちゃんは、障害者の子がつらそうにしていると感じるのだとか。それでよく、「大丈夫だよ」と言って、抱きしめていたそうです。
ヤクザっぽい人はかっこちゃんから抱きしめられ、ポロポロと涙をこぼしました。怒っている方は、実は傷ついているのですね。
次の引用は少し長いですが、MSという発作の度にだんだんと体が動かなくなる病気の雪絵ちゃんの詩です。
「「ありがとう」
ありがとう、
私決めていることがあるの。
この目が物をうつさなくなったら目に、
そしてこの足が動かなくなったら、足に
「ありがとう」って言おうって決めているの。
今まで見えにくい目が一生懸命見よう、見ようと
してくれて、私を喜ばせてくれたんだもん。
いっぱいいろんな物、素敵な物見せてくれた。
夜の道も暗いのにがんばってくれた。
足もそう。
私のために信じられないほど歩いてくれた。
一緒にいっぱいいろんなところへ行った。
私を一日でも長く、喜ばせようとして
目も足もがんばってくれた。
なのに、見えなくなったり、歩けなくなったとき
「なんでよ!」なんて言ってはあまりだと思う。
今まで弱い弱い目、足がどれだけ私を強く強くしてくれたか。
だからちゃんと「ありがとう」って言うの。
大好きな目、足だから
こんなに弱いけど大好きだから
「ありがとう。もういいよ。休もうね」
って言ってあげるの。
たぶんだれよりもうーんと
疲れていると思うので……。」
(p.119 - 121)
かっこちゃんは雪絵ちゃんから、たくさんのことを教わったと言います。そして、雪絵ちゃんから使命を託されました。障害や病気がとても大切で、人々の役に立っているのだということを世界中に知らしめること。それが雪絵ちゃんの望みであり、かっこちゃんの使命となったのです。
すぐに忘れ物をしたり、車をぶつけたり、電車の乗り換えが上手くできなかったりするかっこちゃん。そんなダメダメな部分を丸ごと受け入れ、いつも明るいかっこちゃんをみんなが助けます。
才能があるから立派なことができるのではありません。やると決めて一歩を踏み出すことで、すべてがその決意を応援しようとするのです。
私も、かっこちゃんを応援しています。このコミック、また改めて買い直しました。母校の中学校に寄贈したいと思います。そして、まだ読んでいなかったかっこちゃんの本も注文しました。かっこちゃんの、そして雪絵ちゃんの望みが叶いますように。
山元加津子(かっこちゃん)
かっこちゃんこと山元加津子さんは、養護学校の普通の先生です。ただし、とてもピュアで、とてもおっちょこちょいなのです。
まず、電車の乗り換えが上手にできません。すぐに迷ってしまいます。さらに忘れ物をよくします。車をよくぶつけます。他の人が普通にできるようなことが、普通にはできないのがかっこちゃんなのです。
でも、心がとてもピュアだから、子どもたちはかっこちゃんに心を開きます。そしてかっこちゃんは、子どもたちからたくさんのことを学びました。また、自分がダメダメだけに、多くの人がかっこちゃんを助けます。そのことによってかっこちゃんは、ただの養護学校の先生ではなく、週末になれば全国を飛び回って公演するようなスーパー先生になったのです。
◆山元加津子さんの本」
・「本当のことだから」
・「1/4の奇跡」
・「僕のうしろに道はできる」
・「大切な花を心にひとつ」
・「かっこちゃんT」 (主人公はかっこちゃんですが、かっこちゃんが書いた本ではありません。)
・「約束 般若心経は「愛の詩」」
・「違うってことはもっと仲良くなれること」
・「手をつなげば、あたたかい。」
・「リト」
かっこちゃんの講演の動画を見たことがあります。何か特別にスピーチが上手いとか、見栄えがするわけではありません。淡々と、でも一所懸命に、子どもたちのことを伝えよう、命のことを伝えようという思いが溢れています。
見ていると、何だか「守ってあげたい」とか「応援したい」という気持ちになるんですよね。そして、ピュアな心で触れ合った子どもたちの話は、とても感動的です。本を読んでも、何度も何度も号泣してしまいます。だからその感動を、他の誰かにも伝えたいと思うのです。
まず、電車の乗り換えが上手にできません。すぐに迷ってしまいます。さらに忘れ物をよくします。車をよくぶつけます。他の人が普通にできるようなことが、普通にはできないのがかっこちゃんなのです。
でも、心がとてもピュアだから、子どもたちはかっこちゃんに心を開きます。そしてかっこちゃんは、子どもたちからたくさんのことを学びました。また、自分がダメダメだけに、多くの人がかっこちゃんを助けます。そのことによってかっこちゃんは、ただの養護学校の先生ではなく、週末になれば全国を飛び回って公演するようなスーパー先生になったのです。
◆山元加津子さんの本」
・「本当のことだから」
・「1/4の奇跡」
・「僕のうしろに道はできる」
・「大切な花を心にひとつ」
・「かっこちゃんT」 (主人公はかっこちゃんですが、かっこちゃんが書いた本ではありません。)
・「約束 般若心経は「愛の詩」」
・「違うってことはもっと仲良くなれること」
・「手をつなげば、あたたかい。」
・「リト」
かっこちゃんの講演の動画を見たことがあります。何か特別にスピーチが上手いとか、見栄えがするわけではありません。淡々と、でも一所懸命に、子どもたちのことを伝えよう、命のことを伝えようという思いが溢れています。
見ていると、何だか「守ってあげたい」とか「応援したい」という気持ちになるんですよね。そして、ピュアな心で触れ合った子どもたちの話は、とても感動的です。本を読んでも、何度も何度も号泣してしまいます。だからその感動を、他の誰かにも伝えたいと思うのです。
2017年09月11日
バグジーT,U
今回も「『心を育てる』感動コミックシリーズ」の本(マンガ)を読みました。これは、この前に紹介した「植松電機T」を買った時、プレゼントとしてつけてもらった本です。
最初に思ったのは「バグジーって何?」ということでした。読んでみてやっとわかりましたが、北九州市にある美容院のことなのですね。オーナーは久保華図八(くぼ・かずや)さんです。
カリスマ美容師として活躍し、贅沢を尽くした久保さんでした。しかし、それが行き詰まります。出店のために大きな借金をした状態で、信頼していた社員が一斉に退職。その事件があって、久保さんは自分の考え方を改めます。
そういうことがあってBAGZY(バグジー)は、儲けることよりお客さまに喜んでもらうこと、従業員が幸せになれることにフォーカスした美容院として、生まれ変わったのです。この本は、そのバグジーの物語です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「彼は常々言う
「投げたものは・・・
返ってくる」
と・・・」
(T p.13-14)
バシャールは、この世の法則は1つしかないと言っています。それが、「投げたものが返ってくる」という法則です。「鏡の法則」とも呼ばれます。
これは、実は「引き寄せの法則」でもあり、「類は友を呼ぶ」と言われてきたことです。「思考が現実化する」というのも、同じことなのです。
なぜなら、この世には「ひとつのもの」しか存在せず、現実は幻想であり、私たち(=ひとつのもの)が思ったことを反映しているだけだからです。
こういうことを、久保さんは実感されたのですね。
「あなたの
今日の仕事は
たった一人でもよい
あなたに「ありがとう」
と心からお礼を
いいたいと思う
お客という名の
友をつくることだ」
(U p.139)
バグジーは、こういう精神で営業しているのだそうです。仕事というのは、生活費を稼ぐ手段ではなく、友達を作ることなのです。
「先生は、
「リーダーの
第一歩はね、
人に喜びを与えて
自分を輝かせること
なんだよ。」
と言われます。」
(U p.168)
久保さんが目覚めた1つの要因として、師として仰ぐ北川八郎さんとの出会いがあったようです。このことは詳しく語られていませんが、北川さんから多くのことを学んだようです。
感銘することも多いのですが、従業員への厳しい規則もあり、私としては「それはどうなんだろう?」と思うところもあります。
ですが、利益重視ではない営業で発展しているバグジーは、注目して良いかと思います。ぜひ、読んでみてくださいね。
2017年09月17日
響き渡るシベリア杉
前に紹介した「アナスタシア」の続編で、「響き渡るシベリア杉シリーズ2」になります。著者はウラジーミル・メグレ氏、翻訳は水木綾子さん、監修は岩砂晶子さんです。前回が、シベリアのタイガでアナスタシアと過ごした3日間を書いたものになりますが、これは、その後のことや、その中で思い出した3日間の中での追加情報が書かれています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「人間は創造主の子ども。すべての親がそうであるように、創造主はご自身がもつものより多くを子に与えたいと願われた。人間にすべてを与えられたうえに、さらにもうひとつ、選択する自由を与えられた。人間は自身の意識の力で世界を創り、完成させることができる。」(p.12)
これはアナスタシアの言葉です。こういうところは、実に本質的だと感じるのですがね。
「神は誰をも罰しないし、大災害など必要としない。
神は愛よ。でも創造の初めから計画され、創られていたことがある。人間が真理の本質に目覚めないまま、ある限界に達したとき。人間の中に現れる闇の原理が臨界点に達したとき。
そのとき、総体的な自己壊滅を回避するために、地球の大災害は、多くの人間の生命を奪って、有害で人工的な生活システムを破壊する。大災害は生きて残された者たちへの教訓となる。」(p.74)
これもアナスタシアの言葉です。つまり、神は愛だが、人間がサタンにそそのかされて神から離れて行けば、大災害によって多くの生命を奪い、それが残された者への教訓ともなって、再び神の側に帰ってくる、と言いたいのでしょうね。
こういう部分を読むと、イマイチだなと感じます。これでは、ノアの箱舟やバベルの塔と同じ理屈ではありませんか。「神との対話」では、こういう部分の矛盾を鋭く指摘しています。神が愛だと言いながら、人間が従わなければ罰するというなら、それは本当に愛でしょうか?
「そうだ、もっといいのは、きみの本に私がダーチュニクのことを書いて、政府や国会に電報を送るよう読者に頼むんだ。『われわれはあなたがたに、”ダーチュニクと全地球の日”を制定することを求める』って。ところで、それをいつにするんだい?」
「七月二十三日」」(p.92)
地球改革の第一歩として、ダーチュニクというロシアの小菜園主たちを称える銅像を建てるとか、祝日を作るというプランを、ウラジーミル氏とアナスタシアは話します。そして、7月23日がウラジーミル氏の誕生日だからという理由で、アナスタシアはこの日をダーチュニクの祝日にするのがよいと言ったのです。
もし、これが本当で、アナスタシアにそれだけの力があり、この本がロシアに影響を与えてるとするなら、もうとっくに祝日になっているはずですよね? ウラジーミル氏がアナスタシアと会ったのは1995年、本の出版は翌年です。少なくとも20年経過しているのですから。しかし、調べてみた限り、ロシアの祝日に7月23日は含まれていないようです。
「私はひとつひとつの言葉の奥に、たくさんの行事と喜びに満ちた情景を再現した。だから、それらはすべて現実になる。そもそも、思考と言葉は、偉大なる創造主がもつ主要な道具で、体をもった全創造物の中で、人間だけがこの道具を与えられている」(p.100)
アナスタシアはこう言って、ダーチュニクの祝日が現実になると言います。多くの人々の思考や言葉が現実にならないのは、魂と切り離されているからだとも言っています。これが本当だとすると、どうしてまだ祝日が現実になっていないのでしょう?
思考や言葉が現実を創造することは、多くの人が言っています。「神との対話」でもそう書かれています。ですから、特に目新しいことではありません。ただ、その使い方を充分に理解しているアナスタシアが、祝日でさえ簡単に実現するとするなら、どうしてウラジーミル氏の協力を必要とするのでしょう? それに、とっくに地球を救うこともできているし、ロシアのチェチェン紛争も起きなかったのではないでしょうか。こういうところが、論理的にちぐはぐな感じがします。
「基本的な情報はすべて、確実に人間の内に備えられているのよ、ウラジーミル。ひとりひとりの内に、最初から、人間は誕生の瞬間にそれを与えられる。腕や脚や心臓や髪の毛と同じように。世界中の教えや発見のすべては、この源からのみ生まれたもの。」(p.169)
アナスタシアの言葉です。これもよく言われていることですね。叡智は内から湧き上がってくるもの。だから外に求めるのではなく、内に求めなさいと。
「「彼女はきみを選んだわけじゃないのだよ、ウラジーミル。今は役に立たなくなってしまって誰も必要としないものを拾うように、彼女はきみを拾いあげたのだよ。われわれもすぐにはそれがわからなかった。傷ついたかな?」
「まったく同感とは言い難いです。私には家族、妻と娘がいましたし、私のビジネスも順調でした。特別すぐれたところはないにしても、乞食や、誰にも必要とされず見捨てられた人のように、拾いあげてもらわなければならないほどひどい状況ではありません」」(p.194)
これは、出版後にアナスタシアの祖父とウラジーミル氏が再会した時の会話です。このあと祖父は、実態はもう崩壊寸前で、崩壊したのも同様だったと断定します。ウラジーミル氏は、それが何の関係があるのか、彼女にどんな計算があったと言うのかと迫ります。
それに対して祖父は、「彼女はただ単純にきみを愛するようになったのだよ」と答えます。するとウラジーミル氏は、単なる思いつきで拾いあげたと言うのかと食い付きます。しかし祖父は、そうではないと言うものの、わかりやすい説明は避けます。そして、アナスタシアの「愛はきみの奥さんの愛情と娘さんの尊敬を取り戻すようになるよ」と謎の言葉を投げかけるのです。
これについて、ウラジーミル氏は何も言及しません。私にはさっぱりですが、彼には疑問に感じることもなかったのでしょうか? ここのやり取りの意味は、私にはよくわかりません。
ただ、ここではっきりしたことがあります。彼は妻子ある状態でアナスタシアと会い、セックスしたのです。男の子が欲しいという思いにとらわれながら。おそらくアナスタシアも、彼に妻子があることはわかっていたのでしょう。私は、浮気や不倫を「悪い」とは思いませんが、このことに対してまったく言及がないというのは、どう考えたら良いのでしょう?
「私の孫娘がきみに開示した最初の秘密を明らかにしなさい。杉の実からどのようにして癒しのオイルがとれるかを本に書きなさい。何も隠してはいけない」(p.237)
これも祖父の言葉です。シベリア杉のオイルを特別な方法で抽出すると、それは万病に効くのだそうです。その抽出方法については、この後、実に抽象的な表現で書かれています。まったく科学的でない方法です。
しかし、だからと言って、それが間違っているとは言えません。可能性に扉を開いておくべきだと、私は思いますから。ただ、本の出版から20年経って、ロシアから病気の大半がなくなったとか、驚異的な生存率を示したなどという話は聞こえてきません。日本で万病に効く杉オイルが大ヒットしているという話も聞きません。これは、何を物語っているのでしょうか?
この本のアマゾンレビューを見ると、現時点で27件のレビューで平均4.7点となっています。悪いレビューでも星3つが2件です。これを読んだ人は、いったいどこに感動したのでしょう? おそらく、私とは感性が違うのだろうと思うしかありません。
メモや録音もせずにアナスタシアや祖父との会話を逐一記憶し、後からまるでその場にいるかのように再現できるウラジーミル氏の能力は、それが本物であるなら、ものすごいものだと思います。そして、肝心なところで話をごまかしてしまうアナスタシアや祖父の能力か、あるいはそのように書けるウラジーミル氏の文章力も、並大抵ではないかと。
私は今のところ、このシリーズにそれほど高い評価はしていません。肝心なことは何もわからないままですから。ただ、他の方が高く評価しているということは、本当なのでしょう。通常、私が評価しない本はこうやって紹介しないのですが、まだ私自身の中にもはっきりしない部分もあるので、現時点での評価とともに紹介しておきます。
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