2017年08月01日
マレーシア大富豪の教え
インドネシアはバリ島に兄貴こと丸尾孝俊さんという大富豪がいることは知っていました。丸尾さんに関する本は、「成功を引き寄せるアニキのオキテ」などいくつか買っています。
それが今度は、近くのマレーシアにも日本人大富豪がいると言うのです。この本はおそらく、ダイヤモンド社の飯沼一洋さんのFacebook投稿で見て、買ったのだと思います。
この本は、とある大企業の会長からマレーシアの大富豪を紹介された編集者が、5日間掛けてインタビューして書いた体裁になっています。しかし著者名はその大富豪の小西史彦(こにし・ふみひこ)さんになっています。
最初はそれほど期待していなかったのですが、読み進めるごとに惹きつけられ、一気に読み切ってしまいました。また、ここはと感じてページにつけた折り目は、非常に多く、ここで引用すると長くなるだろうなと感じたほどです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「だから、私は、自分の夢をかなえるためには、「戦う場所」を選ばなければならないと、はっきりと自覚していました。」(p.32)
小西さんがマレーシアに渡ったのは、最初から事業家になりたかったからです。日本ではすでに高度成長が始まって大資本が支配していた。だから競争が少なくて、しかもインフラが整っているマレーシアを選んだのだそうです。
「「持たざる者」であることが、自分にとっての最大の強みであることに気づいたのです。「持たざる者」であるがゆえに、たとえ失敗したとしても失うものが何もない。だからこそ、ハイリスクが取れる。」(p.40)
いくら「戦う場所」を選ぶとは言え、いきなり国外に飛び出すというのはハイリスクです。しかし小西さんは、もともと失うものがないから、思い切ったことができたと言います。逆転の発想ですね。
もちろん無謀なことをしたのではなく、用意周到に準備したとも語っています。
「あなたの言うとおり、人生には想定外のことが起きるのです。未来のことは誰にもわからない。どんなに慎重にリスクを量っても、想定外の事態に巻き込まれるのが人生。だからこそ、先ほども言ったように、最悪の事態が生じても生き残る術を確保したうえで、リスクをとらなければなりません。」(p.53)
小西さん自身、様々な想定外を経験されています。そして窮地に陥りながらも、復活してこられたのです。そういう想定外があることも含めて、リスクを取らなければ何も得られないと言います。
「そして、人物を見極めるひとつの指標が、窮地に陥ったときに、「目の前」の問題解決にどれだけ誠実に向き合うか、ということです。多少、不器用でも構わない。トラブルから逃げずに、全力を尽くす人間は信用できる。そして、そのような人物には、自然と支援の手が差し伸べられる。人生が切り拓かれていくのです。」(p.56)
人生にピンチは付きものです。でも、そんな時でも逃げようとせず、腹を据えて向き合うこと。そういう誠実さと粘り強さがあれば、必ず道が開かれると言うのですね。そして、それができる人間なら信用できると。周りから信用される人間は、必ず助けられるのです。
「要するに、「先輩にかわいがられなければしょうがない」ということです。そのためには「下積み」「下働き」は非常に有効なのです。どんな頼み事でも、イヤな顔ひとつせず笑顔でやる。しかも、頼まれた以上の成果をお返しするつもりでやる。すると、さらに頼まれます。そうやって頼まれたことを全部こなすうちに、信頼されるようになる。」(p.70)
頼まれごとを断らずにやるというのは、小林正観さんも言われてますね。そうすれば先輩からかわいがられ、信頼され、チャンスが巡ってくるのだと小西さんは言います。
「重要なのは「損得」ではなく「好き」という感情です。「好き」だからこそ、どんなにひどい目にあっても、あきらめずにがんばることができる。そして、ひとつの場所で粘り強く努力することによって、本物の実力を身につけるのです。」(p.86)
「戦う場所」を選ぶにしても、そこが「好きな場所」でなければいけないと小西さんは言います。損得よりも好きかどうか。それが重要なのですね。
また、若いうちは自分の「好き」が何かよくわからないことも多いと言います。だから決めつけずに、いろいろ経験してみることだとも。
「成功したければ、チャンスが来たら迷わず飛び乗ることです。チャンスの女神に後ろ髪はない、と言われるとおり、訪れたチャンスは瞬時につかまえなければ、すぐに過ぎ去ってしまいます。そして、二度と戻ってはこないのです。」(p.97 - 98)
チャンスは必ず巡ってくると信じて待ち、やってきたら恐れずに飛び乗ること。これが成功する秘訣だと小西さんは言います。
「"I trust you, before you trust me." これが、私の信条です。「あなたが私を信頼する前に、私はあなたを信頼する」。この言葉を胸に日々のビジネスに向き合っています。もちろん、この言葉を発する前には、じっくりと人物を見極めます。」(p.103)
人物を見極めた上で、この人だと思えば徹底して信頼する。それが小西さんのやり方です。人物を見極めるには、「動物的な勘」を研ぎ澄ますことが重要だと言います。年の功というものもあると。そうだとしても、「人を信頼する経験をする」ことが重要だと言います。失敗を重ねながら、その能力を身につけるということです。
「自分にとってフェアであることが、相手にとってはアンフェアである可能性は捨てきれない。これを認識することこそが、謙虚であることだと私は思います。そして、フェアネスを保つためには、この謙虚さこそが不可欠だと自分に言い聞かせているのです。」(p.121)
何事もフェアであるべきだと主張する小西さんですが、相手には相手のフェア(正義)があることも知っておくことが重要だと言います。だから、まずは「相手を理解し、尊重し、助ける」ことなのだと。異文化の中で暮らす上で、大切な指針だと思います。
「何よりも大切なのは、世の中にとって価値があるもの、自分にとって価値があるものに投資して汗をかくこと。価値あるものを生み出すためにお金を使うことに、意味があるのです。これが、私の金銭哲学です。」(p.153)
ただお金を集めれば良いわけではない。自分が贅沢をすれば良いわけではない。それによって世の中に役立つ何かを生み出すためにお金を使うことが重要だ。そう小西さんが考えておられます。
「世の中の「悩み」や「問題」をつかみ、それを解決するためにビジネスをオーガナイズする「媒介」となる。重要なのは、相手の気持ちをよく理解して、相手を動かすようなコミュニケーションをとること。これは、セールスマンシップそのものなのです。
このセールスマンシップは、いわば私の人生の背骨のようなもの。私のビジネスを根本で支えるバックボーンなのです。そして、これは座学だけでは決して学ぶことのできないものです。現場で汗をかいて、ときには痛烈な失敗をしながら身体でつかみ取っていくほかないものなのです。」(p.159)
セールスに物は要らないと小西さんは言います。物を売ったり買ったりするのがセールスではなく、ここで言うセールスマンシップこそが重要なのです。
こういうバックボーンを持つことが重要だと小西さんは言います。それはセールスマンシップでなくても良くて、経理・会計の技術などでもかまわないのだと。自分の強みを軸にして、自分の背骨を作ることが大切なのです。
「覚悟を決めた人間は強い。
そして、人間はひとりになるから覚悟が決まるのです。」(p.186)
小西さんは、すべて自分1人でやってきたと言います。たとえそれが大企業が相手でも。相手方はぞろぞろと十人くらい交渉の場に出てきたりしますが、小西さんの気迫は、それを跳ね返すものがあったとか。小西さんに言わせれば、人数を頼むのは自信がないからで、烏合の衆に見えてしまうそうです。
「だから、ひどいショックに襲われたときは、そこから一旦立ち退くことです。努めて、そのことを考えないようにする。そして、運動をして身体を疲れさせて、ぐっすりの眠るのです。」(p.217)
ショックを受けた時、慌てて何かをすると必ず墓穴を掘ると言います。まずは落ちついて、冷静な精神状態になってから決断することが重要なのです。
「だから、自信をもとうとする必要はないと思うのです。それよりも、世の中に対して「畏(おそ)れ」をもつこと。そして、不安を味方にすることです。不安に打ち勝つために、出来る限りのことをする。その結果、あなたのなかに自信などなくとも、相手にはあたかも自信があるかのように映るのです。」(p.224)
小西さんは、自分は自信を持ったことがないと言い切ります。しかし周りからは自信たっぷりに見られるのだと。
小西さんは、畏れを持ちながらも必死になって生きているから、気迫が生まれるのだと言います。それが相手には自信と映るのですね。そういう、相手から自信と見られる気迫は重要だとも言います。
これは言葉の意味次第のようにも感じます。小西さんが言う自信は、過信に近いもののように思うからです。謙虚さを兼ね備えた自信、たとえ失敗しても自分は大丈夫だという自信、それが本当の自信だと思います。小西さんはそれを「貫禄」という言葉でも表現されています。
「重要なのは「楽観主義」です。成功するためには根性が必要ですが、それだけでは足りません。そのうえで、楽観主義者であってほしいのです。事業家として成功している人は、根性があって楽観主義者。絶対にこのふたつを兼ね備えているのです。」(p.262)
「楽観主義とは意志です。どんなにひどい状況になっても「いや、まだ手はあるはずだ」「解決策はあるはずだ」と信じて、考え抜くこと。そして、行動を起こすこと。この楽観主義こそが、窮地から私たちを救い出してくれるのです。」(p.262)
先ほど「畏れ」を持てと言った小西さんですが、一方で楽観主義であれと言います。これも一見、矛盾しているように感じますが、そうではありません。細心の注意を怠らず、可能性はあきらめない。そういう姿勢なのです。
「そんな私を支えてくれているのが、「心に太陽をもて、唇に歌をもて、そうすりゃなんだって怖くないんだ」という言葉なのです。太陽とは「明るさ、情熱、希望」の象徴。どんなにつらいときでも、心に太陽をもち、どんなに落ち込んでいても、歌をうたってそれを跳ね返すという意味でしょう。そうすれば、どんな恐怖にも打ち勝てる。そう励ましてくれる言葉なのです。」(p.281 - 282)
小西さんは、子どものころ吃音があって、小学校3年生の夏に1ヶ月ほど、矯正するための学校に通ったそうです。その学校で毎朝唱和したというのが、先ほどの詩なのだそうです。その詩が、小西さんを支えてきたのですね。
「しかし、こう思うのです。結局のところ、私たちは人生で遭遇する出来事に、そのときそのときの最大の知恵で対処するしかないのだ、と。そこには客観的な正解などないのではないでしょうか? 精いっぱいの知恵で決断をする。そして、その結果として起こる出来事を引き受けていくほかないではありませんか。できるのは、どんな事態を招いたとしても、「心に太陽をもて、唇に歌をもて」という言葉を胸に、ひたすら明るい方へ明るい方へと歩み続けること。それ以外にないと思うのです。」(p.204 - 205)
小西さんでも、後から自分が下した決断に、本当にそれが正解だったのかと迷うことがあると言います。しかし、絶対的な正解というものはないのですね。その時点ではそれが正解だと決めた。それだけなのです。
「むしろ、今は自分にこう言い聞かせています。
自分を苦しめた人物に感謝できるような生き方をしよう、と。」(p.295 - 296)
今は大富豪として成功していると見られる小西さんですが、たくさんの辛酸を嘗めるような出来事があったそうです。多くの人から苦しめられ、侮辱され、騙されてきたと。しかしその度に、その屈辱をバネにして頑張ってきたそうです。
そういう頑張りがあったからこそ今の自分がある。だから、自分を苦しめてきた人びとにも、「成長させてくれてありがとう」と感謝できる日が来るのではないかと考えているそうです。
「いまだに、そんな心境になっているわけではありません。しかし、ネガティブな感情に囚われてしまうよりも、その努力をするほうが清々しい気持ちでいられます。それこそ、「心に太陽をもて、唇に歌をもて」という生き方だと思うのです。」(p.296)
これが、小西さんの生き方なのですね。相手を信頼する。環境を恨まない。目の前のことに全力で取り組む。決して諦めない。そうやって、「自分の人生に不満なし」という境地に至られたのだと思います。
読み終えて、期待以上の内容に感無量です。こういう日本人がおられるということは、とても励みになります。
ただ、小西さんは平凡な人間だと自分のことを言われますが、私にはそうは思えません。やはり非凡です。そして、私には小西さんと同じことはできないなあと思ってしまいます。やはりブレーキ(怖れ)があるからです。
でも、無理に小西さんのようにならなくても良いと思うのです。私には私の特徴があるのですから、その特徴を活かせば良いのだと。
その上で、小西さんの生き方には感銘を受けます。共感します。そして、その生き方を参考にし、自分のために役立てたいと思うのです。
2017年08月05日
病気は才能
またちょっと変わったタイトルの本を読みました。著者は自然治癒力学校理事長のおのころ心平(おのころ・しんぺい)さんです。
この本もどこで紹介されたか覚えていないのですが、ピンと来てすぐに注文したように記憶しています。
まずは表紙や帯に書かれている内容を紹介しましょう。「病気のエネルギーをプラスに変える意識革命」というサブタイトルです。「病気やカラダの症状のとらえ方が180度変わる本。」というキャッチコピーがあります。そして、冒頭にずらっと並んだ推薦の言葉の数々。これだけで、これはただならぬ本だと予感しました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「本書では、決定的かつ根幹的な問いを提示したいと思います。
病気とは、本当にネガティブなものなのか?
病気には、そうならざるを得なかった理由があります。」(p.6)
「はじめに」の最初に、このように疑問を提示します。様々な健康法があふれていますが、その多くは食事や運動の習慣に関するものです。病気を忌み嫌い、病気を避けるという点で同じようなものです。しかしこの本は、その考え方を完全にひっくり返すものだと言うのです。
「本人にも気づかない才能が、
本人にも気づかない生活上の制約によって抑圧され、
本人にも気づかない葛藤をカラダに生み、
それが、カラダの症状として表現されてしまっている……。」(p.9)
病気とは、自分の才能を教えてくれるサインだと言うのですね。その葛藤のエネルギーを解放してやることで、気づかなかった才能が花開く。病気は、才能開花の序章だとも言えるわけです。
「本当の意味で
自分は健康になってもよい、
自分は幸せになってもよい、
という許可は、その人の潜在的なココロがカギを握っているのです。」(p.27)
病気になると、「治ってもよい」という許可を、なかなか自分に出せないものだとおのころさんは言います。潜在意識のブロックがあるのですね。その葛藤のエネルギーを解放してやることが、許可を出すということなのです。
「病気を克服した先にどんな自分像を描くことができるか?
自分らしく生きるということはいったいどういうことなのか?
私はこれが、病気の治癒に許可を出す強力なスイッチになると考えています。」(p.29)
病気によって、本来の自分の生き方に気づくこと。それが許可を出すスイッチだとおのころさんは言います。
「そもそも病気のエネルギーをまったく消してしまうということはできないはずなのです。病気や困難にどう対処するかは、自分を塗り替え、新しい適応力を「創り出す」以外に方法がないからです。」(p.29)
エネルギー保存則というものがあるように、エネルギー量は一定です。ですから病気になるエネルギーは、何か別の形に変わらない限り、消えてなくなることはないのだと言います。
「私は、そのクライアントさん自身に「その病気を治せる人になってもらう」ことは可能だと思っています。クライアントさんの適応力が広がれば、病気を病気でなくすることは可能なのです。これは、いわばカラダの能力開発。
そして、それは、病気を否定することからは生まれないのです。」(p.31)
病気を忌み嫌い、否定しているうちは病気のエネルギーを他に変えることができません。まずは受け入れることが重要なのですね。
「つまり、病気にしろ、人間関係にしろ、経済的なことにしろ、あなたがしっかりとその問題を解こうと直面したとき、その問題には、必ず答えは用意されているということなのです。」(p.41)
問題があれば、同時に回答がある。今すぐ回答がわからないとしても、回答はあるし、必ず見つかると信じて臨むこと。それが重要なのです。
「がんを、「悪性新生物」という呼び方をすることもありますが、10億個もの新生物を生み出すなんて、相当なエネルギーです。つまり、それだけのエネルギーをカラダの内側に溜めてしまっているということです。
そのエネルギーの根源はというと、私は、何かを実現したいというその人の欲求だと考えています。」(p.55)
わずか1cmの癌でも10億個の細胞を生み出したことになるのだとか。そのエネルギーの根源が、「何かを実現したい」という欲求だと、おのころさんは言います。
「葛藤は、欲求と障壁のぶつかり合いによって生まれます。そして、障壁とは言い換えるなら、あなたの欲求を抑え込むあなた自身のジャッジです。」(p.57)
自分の中から湧き上がってくる欲求。それを自分のジャッジによって抑えこ込んでいる。その葛藤が限界を超えると、病気となって表出すると言います。
「つまり、内臓や血流のはたらきのキャパを広げようとしたときにこそ、風邪をひくようになっているわけです。」(p.130)
私たちの身体は、知らず知らずに毒素を溜め込んでいく。いわば下水に泥が溜まっていくようなものだそうです。ですから時に大掃除をして、毒素を追い出してやる必要がある。それが風邪だと言うのですね。
これは以前に読んだ野口整体の「風邪の効用」という本でも、同じようなことが書かれていました。風邪を上手に経過させてやると、ガンが良くなったりするのだと。
「生活習慣病とは、そうせずにはおれない欲求が、形を変えてカラダに現れた結果だということができます。つまりそれは、あなたのその何気ない行為の中に「無意識の欲求」が、絶えずサインを出しているということです。だから、お酒はダメ、タバコはダメ、と頭ごなしに言うよりも、なぜそうした習慣を手放せないのか、背景となる心理を探るほうが、はるかに効果的です。」(p.176)
身体に悪いとわかっていてもやめられないのがタバコや飲酒です。暴飲暴食、夜更かし、運動不足など、わかっていてもできないことがいっぱいありますね。こういう時も、ダメ出しをして否定するのではなく、まずはそれを受け入れることです。そして、そうせざるを得ない心理を自分の内に尋ねてみる。
こうして、自分が無意識にジャッジして欲求を押さえ込んでいることに、気づくことが重要なのです。
「臓器は、宿主(つまり私たち)の意識がこちらに向くだけでとても喜びます。こうした簡単な習慣だけでも、心臓も腎臓も肝臓も肺も脾臓も、とてもやる気を出してくれるのです。」(p.254)
私は、シャワーを浴びながら身体の各部位をいたわり、感謝の気持ちを伝えることを習慣にしています。それぞれの臓器のあたりに手を置いて、臓器の声を尋ねてみるのもいいなあと思いました。レイキをすることにもなりますしね。
「病気のカラダはいわば、固定化されたバイブレーションパターンにとらわれているのです。
固定化されたパターンは、それを消し去ることはできません。では、どうすればよいかというと、新たなバイブレーションを「上書き」してやるしかないのです。
それを起こすのにもっとも強力な方法は、何といっても「感動」です。「感動に打ち震える」と言いますが、感じて動くと書いて「感動」。
涙や笑いも含めて、「感動」することは、カラダの内側に新たなバイブレーションを起こし、新たな自分を受け入れる役割をしてくれるのです。」(p.259 - 260)
交感神経と副交感神経の開閉のパターンのことを、ここではバイブレーションパターンと呼んでいます。だいたい交感神経が優位になるとリズムが狂い、病気になると言われます。ですから、そのバイブレーションパターンを正常に戻してやることが必要なのです。
そのための強力な方法が「感動」することなのですね。笑ったり、泣いたりして、自分の感情を解放してやること。それが自分が変わるきっかけになるのです。
「考えてみれば、人類史上、病気は一度もなくなったことがありません。
病気そのものが、私たちのカラダに新たな経験、そして新しい環境への適応力をもたらしてきた……。それはまさしく『才能』を獲得して生きたプロセスである……。」(p.265)
イスラエルの動物園で飼われていた猿の「ナターシャ」が、原因不明の高熱がおさまった後、突然に二足歩行を始めたという例を挙げています。病気が才能の発現につながるということです。
私たちは病気を、不要なもの、邪魔なもの、撲滅すべきものと考えがちですが、そうではないのではないかと思えてきました。この世に不必要なものは何もないのだとすれば、病気もまた重要な役割があるはずです。
この本は、そういったことを考えさせてくれました。個々の病気について、どういう才能が隠れているのかという記述も多数ありますが、それはここでは引用しません。ぜひ本を読んでみてください。
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2017年08月07日
5分で涙があふれて止まらないお話
これは月刊誌「PHP」に連載された短編小説をまとめた本です。どこで紹介されていたのか忘れましたが、気になって買ってみました。
著者は作家の志賀内泰弘(しがない・やすひろ)さん。この短編集の面白いところは、舞台が同じ場所で、登場人物がその地域の人たちだという点です。
ではさっそく一部を引用して・・・と言いたいところですが、これは小説なので、あまりネタバレにならないよう紹介したいと思います。
個々の短編では、よく出てくるフレーズがあります。
「都心から私鉄で、二つの大きな川を越えて一時間余り。終点手前の駅を降りると、「八起稲荷(やおきいなり)商店街」のアーチが出迎えてくれる。「七転び八起き、九難を払う」ご利益があると伝えられる稲荷神社の門前町だ。」(p.59)
書き方は微妙に違ったりするものの、書かれている内容はだいたい上記の通りです。このフレーズで、この小説の舞台を説明しているのです。
この小さな街で、人々は稲荷神社と関わりながら暮らしています。そこに起こる日常の悲喜こもごも。涙あり、笑いありのドラマなのです。
タイトルにある「5分で」というのは、短編小説を1つ読み終える時間なのでしょうね。プロローグとエピローグを含めて18編の短編小説からなります。それぞれには月の名前がつけれれており、1年4ヶ月の期間を表しているように感じられます。
この中から1つ、気に入ったものを紹介しましょう。文月の「甘えてもいいの?」というタイトルの物語です。
主人公は翔太くん。薬局ハセガワの夫婦、長谷川徳一と朝子に子どもができないため、施設から養子として迎えられた子どもです。とても行儀が良い子どもでしたが、2年たってもどこかよそよそしい。
そんな翔太くんは、近くの喫茶店へ行くのが好きでした。そこには脳性小児麻痺で言葉を話せない正くんがいて、翔太くんは正くんと一緒に過ごすのが好きだったのです。
正くんは、とても手のかかる子です。だって、自分では何もできないのですから。お母さんは喫茶店で働きながら、正くんの面倒を見ています。お母さんが忙しそうにしていても、しょっちゅう「あ〜あ〜」と言ってはお母さんを呼びます。
「「正君、わがままだよね、いつもお母さんに甘えてばかりいて」
「そうよね」
「甘えてばかりいちゃいけないよね」
「ううん、いいのよ」
「え……?」
「だって、甘えられると嬉しいからよ」」(p.101)
自分は甘えていてはいけないのだ、自立して迷惑をかけないようにしないと嫌われるのだと、翔太くんは無意識に思い込んでいたのでしょう。実の親から愛されず、施設で過ごしてきた翔太くんは、養父母にも素直に甘えられなかったのです。
喫茶店から帰ってきた翔太くんは、唐突にこう言いました。
「「あのね、お父さん……、ぼく、一つお願いをしてもいいかな」
徳一は、グラスを手に眼を開いた。翔太の様子がいつもと違うように感じられたからだ。それを悟られぬように答える。
「なんだい、翔太」
「うん……ぼく、お父さんの膝で一緒に野球を見てもいいかな」」(p.108)
勇気を出して甘えてみたのです。そして長谷川夫婦は気づきます。壁を作っていたのは翔太くんではなく、自分たちではなかったのかと。
こういう気持ちの行き違いって、よくあることですね。私も経験があります。
子どものころ、父はとても怖い存在でした。甘えていけるような父ではなかったのです。ですから、話をするのはいつも母とだけ。父の逆鱗に触れないよう、逃げていたのです。
ある日、趣味で集めていた切手の、国宝シリーズがどうしても欲しくなりました。でも、小遣いで買えるような値段ではありません。私は母に買ってくれないかとお願いしました。母から父に頼んでほしいと。母には甘えやすかったのです。
しかし母は、「直接お父さんにお願いしてみなさい。きっと買ってくれるよ。」と言うだけです。私には、とても信じられませんでした。あの父が、私に何か買ってくれるなんて、あり得ないと思っていたのです。「甘えるな!」と怒鳴られるのがオチだと。
でも、国宝シリーズが欲しいという気持ちには勝てず、母の言葉を受け入れて、恐る恐る父にお願いしてみました。
父は、「カタログを持って来い。いくらするんだ?」と、無表情な感じで言いました。私も感情を隠したようにしてカタログを渡し、「○○円だって」とよそよそしく答えました。
すると父が言ったのです。「わかった。こうちゃる(買ってやる)。」とても信じられない言葉でした。
でも、その時は父の愛を感じたのではなく、ただ災難を避けられた、欲しいものが手に入った、という喜びだけでした。
今になって思えば、父もまた私を愛したかったのです。甘えてほしかったのでしょう。そのことが重なって、この短編を読むと、自然と涙がこぼれて来るのです。
2017年08月10日
スタンフォードの脳外科医が教わった 人生の扉を開く最強のマジック
長いタイトルの本を読みました。これも、どこで紹介されたのか忘れましたが、帯にある「マインドフルネスが人生を変える鍵となる」という言葉にピンときたように記憶しています。
著者はジェームズ・ドゥティ教授、翻訳は関美和さんです。ジェームズ氏は脳外科医として活躍しておられます。読むまでよくわからなかったのですが、これはいわゆる「引き寄せの法則」を使って現実を思い通りにするマジックのことのようです。
内容は回顧録かノンフィクション小説のような体裁なので、とても読みやすいし、読んでいるうちに引き込まれていきます。貧乏で勉強もあまりできなかったジェームズ氏が、手品用品店で不思議な女性ルースと出会い、人生を変えるマジックを教えてもらうのです。
その方法がマインドフルネスと呼ばれる瞑想法で、それを実行することで、紆余曲折がありながらも最高の人生を手に入れるに至ったという自伝です。
ジェームズ氏は、事故に合うことで臨死体験もしていますが、それほどスピリチュアルな世界に踏み込んでいるわけでもありません。ただ、脳がすべてを創り出しているわけではない、という気づきはあるようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「人生にはどうしようもないことがたくさんあるわ。とくに子供のときは、すべてが思いどおりになるなんて考えられないわよね。なんでも変えられるなんてね。でも、からだを思いどおりにできれば、心も思いどおりになるの。たいしたことじゃないように聞こえるかもしれないけど、それがすごく力になるの。すべてが変わるのよ」(p.57)
ジェームズ氏は、ルースからこう言われて、まずは身体をリラックスさせる訓練を始めます。体を緩めることが、まず最初にやるべき重要なことなのです。
「心の傷も同じよ。注意を向けてあげないと治らないの。そうしないと、傷が痛み続けるわ。ずっとそれが続くこともある。誰でもかならず傷つくの。そういうものなのよ。でも、傷や痛みにはすごい目的があるのよ。心は傷ついたときに開くものなの。痛みを通して人は成長するの。難しい経験を通して大きくなるの。だから、人生で出遭う困難はすべてありがたいと思わないといけないの。」(p.100)
ルースのマジックは、1.体を緩める、2.頭の中の声を止める、3.心を開く、4.なりたい自分を描く、という4つからなります。後から出てくるのですが、ジェームズ氏はこの「心を開く」が上手くできなかったと言っています。
「「他人を傷つける人こそ、いちばん深く傷ついているの」
そのとおりだった。ルースが伝えたかったのは、そこだった。自分の傷を癒すことができれば、痛みはなくなるし、他人を傷つけることもない。」(p.104)
愛する気持ちを周りの人に送る。それが上手くできないのは、自分自身が癒されていないから。だから、まずは自分に愛を送ることが重要なのです。
「この数十年のあいだに結果を信じることと結果にこだわることはまったく違うことを僕は学び、何を実現させたいのかを慎重に選ばなければいけないことを、つらい思いをして学んできた。また、人間の意志にはものすごい力があることも学んだ。」(p.161)
ジェームズ氏は、人生で欲しいものを目に浮かべれば、「そのときが来れば必ずはっきりと見えるようになると絶対の確信を持って」いると言います。そうすれば、自分が望むタイミングではないとしても、だいたい実現するのだと。
仮に実現しないとしても、「それなりのもっともな理由がある」とも言います。このように、結果を信じてはいても、それが実現しないということも許容し、結果にこだわらない姿勢を持っています。
「脳が変わると、人は変わる。それは科学で証明された真実だ。でも、もっとすごい真実は、心が変わるとすべてが変わるということだ。世界に対する自分の見方が変わるだけでなく、自分に対する世界の見方が変わる。そして自分に対する世界の反応が変わる。」(p.163)
脳とは別に心があるということに、ジェームズ氏は気づいています。そして、その心を変えることで、世界が変わると言っているのです。
「毎朝毎晩、心の目にその姿を映し出した。どんな結果になるかは心配していなかった。結果から自分を切り離して、なりたい姿を思い浮かべられるようになっていた。いつかなれる。そう知っていた。やるべきことをやって、細かいことはなりゆきにまかせよう、と思った。」(p.197)
一般的には無理と思われることであっても、ジェームズ氏はできると信じて疑いませんでした。しかし、結果にこだわっていない点が注目すべきことだと思います。
「わたしたちの誰もが、人生の中で痛みを感じる状況を経験するの
それを「心の傷」って呼ぶのよ
それを無視するといつまでも治らない
でもときには、心に傷を負ったときこそ、心が開くものよ
心の傷がいちばんの成長のチャンスになるの
困難は魔法の贈り物なのよ」(p.241)
「心はコンパスなの。いちばん大切な贈り物よ、ジム。もしいつか道に迷ったら心を開きなさい。そうすれば、正しい方向に導いてくれるわ」(p.241)
ジェームズ氏がルースから聞いた言葉です。ピンチこそがチャンス。困難な時ほど喜ぶことです。心を閉ざさず開いていれば、心が進むべき方向を指し示してくれるのですね。
「頭は、人間を区別し、一人ひとりが別の人間だということにしたがる。自分と他人をくらべ、違いを見出し、限られた資源の取り分を確保する方法を教えてくれる。でも心は人をつなげ、分かち合おうとする。人間には違いがなく、結局僕たちはみんな同じなのだと教えてくれる。心はそれ自体が知性を持つ。そこから学ぶことができれば、僕たちは何かを与えることによってのみ、何かを持ち続けることができるとわかる。幸せになりたければ、他人を幸せにするしかない。」(p.246)
億万長者に上り詰めたジェームズ氏でしたが、一瞬にして奈落の底に突き落とされます。全財産を失って、さらに借金がある。そんな状態で、取り消し不可として寄付を申し出ていた優良株が、手違いで手続きが完了していなかったと知るのです。
不安を動機とすれば、そこにしがみつくでしょう。そんな状態で寄付をやめても、誰も責めたりはしないでしょう。しかしジェームズ氏は、当初の予定通りに寄付の手続きを進めることにしたのです。
本当の意味では、何も失うものはない。そして、与えることが得ることなのだという、心の声にしたがったのです。
「僕は最後に残った資産を差し出すことで、ルースと過ごしたときには幼すぎて理解できなかったレッスンを学んだ。ルースが教えてくれたマジックのグランドフィナーレは、人生をよりよい方向に変えるには他者の人生を助けるしかないという、究極のレッスンだった。
ルースはテクニックと練習法を教えてくれたけれど、僕と一緒に過ごし、僕に関心を注ぐことで、いちばん大切な本物のマジックは何かを教えてくれた。それは、自分の心の傷だけでなく、周囲の心の傷を癒す、共感の力だ。」(p.249)
他者に共感すること。他者につながること。他者と一体になること。それが究極のマジックなのです。
「人間は動物よりさらに本能的な共感の力を持っている。人の脳には、お互いを助けたいという願望が埋め込まれている。他者を助けたいという願望は、幼い子供にも見られる。」(p.275)
「つまり人間は、助けを必要としている人を助け励ますようにできている。また、他者に何かを分け与えると、脳の快楽と報酬系が刺激され、何かをもらったときよりも大きな快楽を感じる。誰かが親切にふるまったり、他人を助けているのを見ると、自分も思いやりのある行動をとるようになる。」(p.275)
共感は人間の本能だと言います。動物が同じ種の仲間や、時には別の種であっても助けようとすることは、よく報告されています。それよりも人間の共感力は強いと言うのです。
「人生が僕をどこまで連れていってくれるかに、いつも驚かされてばかりだ。
あとになって振り返れば、人生の点と点をつなげることはたやすいが、渦中にいるときには、点と点がつながって美しい姿を描き出してくれるとはとても思えないものだ。僕は人生の成功も失敗も予想できなかったけれど、そのすべてが僕を以前よりもいい夫に、いい父親に、いい医師に、いい人間にしてくれた。」(p.283)
順境も逆境も、自分の為になるのです。「あの出来事があったからこそ今がある。」と、後になれば思えるのです。
「僕たちはつながりの旅の途中にいる。それはこの地上で他者に心を開き、全員が兄弟姉妹であることに気づく旅だ。ひとつの共感の行いに気づけば、それが次の共感の行いにつながり、地球全体に広がっていく。最後には、人がどれだけ深く愛し合うか、お互いを大切にし合うかが、この星と人類の生き残りを左右することになる。」(p.286)
私たちは、愛に近づこうとしています。それが、私たちの人生の目的です。それが進まなければ、地球の破壊や人類の滅亡につながる可能性もある。そう、ジェームズ氏は言います。
浮き沈みの激しい人生を通じて、人生を変えるマジックを習得したジェームズ氏は、それを多くの人に伝えるためにこの本を書きました。ルースから教えてもらった手法は、マインドフルネスと呼ばれる瞑想法と、イメージングによる引き寄せの法則を活用するものです。
しかし、それだけではありませんでした。ただ思い通りのものを現実化することが重要なのではなく、その過程において、心を開いて他者に共感し、一体化する方向に自分の気持ちを向けることが重要なのです。一言で言えば、愛に生きるということ。
愛こそがすべてを解決するマジック。この本を読んで、私はそう感じました。
2017年08月13日
プロは逆境でこそ笑う
これはどこで買った本か覚えていないのですが、ひょっとしたら「読書のすすめ」さんへ行った時、購入したのかもしれません。Facebookで、喜多川さんの本で小説でないのがあると聞いて、それでネットで注文したのかもしれません。
著者は著名な5人の方々。「読書のすすめ」の清水克衛(しみず・かつよし)さん、西田塾の西田文郎(にしだ・ふみお)さん、学習塾「聡明舎」を運営し作家でもある喜多川泰(きたがわ・やすし)さん、「ちょっとアホ!理論」の著者の出路雅明(でみち・まさあき)さん、北海道で宇宙開発に取り組んでおられる植松努(うえまつ・つとむ)さんです。
それぞれの方が、ほんのテーマである逆境をどう乗り越えるのか、どう乗り越えてきたのか、そもそも逆境とは何か、というような内容を語っています。
この本は、「本調子U」とタイトルの前に付けられていて、「本調子」シリーズの2冊目になります。1冊目は「強運の持ち主になる読書道」というタイトルで、清水さんを始め、これまた著名な方々が執筆されています。私はこのシリーズを知らなかったので、すぐにこの1冊目も買い求めました。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「彼らは皆、ユニークで変な人ばっかりです(笑)。
しかし,彼らの共通した考えは、「壁にぶち当たるのが当たり前なんだ」と早く気づいてほしいということなのです。
そうすれば「安心」という心の位置を早くつかむことができてしまうからです。」(p.2)
「まえがき」の中で清水さんは、このように言って各執筆者を紹介します。どんな話になるのか、楽しみです。
「自分に起きたピンチを他人はけっして解決してくれません。
それどころか、自分自身の中に答えは元々あったりするものです。そう信じてみてください。」(清水p.22)
自分のピンチは、自分が解決するもの。そしてその答えは自分の中にある。まずそう信じてかかることが大切なのですね。
「ですから、不安って当たり前のことだったんですね。肝心なのは、不安な気持ちを嫌わないことだと思います。
むしろ不安な気持ちは良きことなんだと思ったほうが成長が早いような気すらいたします。」(清水p.27)
釈迦が「無常」という言葉を遺したように、世の中は安定していないのが当たり前なのだと言います。問題は、その不安定な状態を嫌うかどうかなのです。
「成功者と言われる皆様は、逆境や苦しい環境に置かれても、その苦しみを苦しみと感じず、むしろそれをワクワク楽しんでしまいエネルギーに変える能力をお持ちなのです。」(西田p.66)
ここで西田さんは、エジソン氏の言葉を紹介しています。有名な「天才とは1%の・・・」ではない別の言葉です。
「ほとんどすべての人は、もうこれ以上アイディアを考えるのは不可能だという所まで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。いよいよこれからだというのに−−」(西田p.66 - 67)
エジソン氏がいかに逆境を楽しんでいたかがわかりますよね。
「重要なのは子供も大人も脳に成功を信じる力をつけることです。」(西田p.72)
成功を信じる力をつけるために、座禅や滝行よりも近道があると言います。
「それはズバリ「脳を肯定的に錯覚させる」問いかけを行うことです。
人間の脳はすべての問いかけに応えてくるのです。嫌だなと脳に問いかければ嫌だという応えを出し、楽しいなと問いかければ楽しいと応えてくるのです。」(西田p.72)
西田さんは、遅く帰宅した時に奥様が怒っていても、「ありがたい」というキーワードを使って、「ありがたい、私のことを心から心配してくれて」と心の中で言うのだそうです。これが否定的な状況を肯定的な錯覚に切り替える問いかけだと言います。
つらいことも苦しいことも、肯定的なキーワードで脳を錯覚させる。こうすることで、苦しいことを苦しいと気づかない「精神力=成信力」の持ち主になれると言います。
「もし、今あなたがとてつもなく苦しい環境にいたとしたら、それは本気になるチャンスであるということです。
なぜなら、甘えが許されない状態というのは「あきらめた状態」でもあるからです。
一度どん底に落ちた人間ほど強い人はいません。
どん底を経験すると、後がなく他人をあてにせず、がむしゃらに生きるしかないからです。」(西田p.79)
順境によって成功するのではなく、「本気」になるかどうかが重要なのだと言います。松下幸之助氏も、健康、学歴、お金の3つがなかったことが成功の要因だと言われたそうですが、それはそのことによって本気になれたからだと西田さんは言います。逆境は本気にさせてくれるのですね。
「あなたも今日から逆境を楽しみ、逆境こそ自分の生きる道と思い、人生のハードルをクリアして下さい。
それには「この世はディズニーランドだ!」と思うことです。遊園地は、オバケ屋敷やジェットコースターという恐怖を楽しむ所です。
人生も同じです。あなたも今日からすべての不安を楽しんで、人生最大のチャンスの「逆境」を生かしましょう。」(西田p.115)
ピンチこそがチャンス。だから、ピンチを楽しめと西田さんは言います。この世は遊ぶところ。遊園地を楽しむように、人生を楽しむことが大切なのですね。
「このとき初めて、「当時の自分にとって都合が悪かった結果」が「失敗」ではなく、「成幸のためにどうしても必要な材料」だったということが分かります。
おまけに、自分で考える能力や、あきらめない姿勢、学ぶ姿勢、謙虚な態度、素直さ、仲間との協力、そして感動・感謝を学ぶ機会だって手に入るのです。
もし、初めから「成功した」と喜べる結果だったとしたら、これらすべてに関して手に入れる機会を失っていたということになります。」(喜多川p.124)
成功の反対が失敗ではないのです。成功の反対は挑戦しないこと。挑戦する限り、その結果が不都合なものであっても、自分にとって良いものが得られます。むしろ、不都合な結果が出た方が、より良いものが得られると言います。
「思うようにいかない出来事は、自分の人生をより楽しく感動的にする、退屈しのぎのための道具でしかない」(喜多川p.126)
これは喜多川さんのお父様の言葉だそうです。喜多川さんは、この言葉に、次のようなご自分の言葉を加えるようになったと言います。
「今の逆境は、将来の自分にとってどうしても必要な幸せの種だ。それは僕の人生を自分が思っている以上にドラマティックにする新たな展開のスタートの合図だ」(喜多川p.126 - 127)
逆境によって人生は感動的で幸せなものになる。逆境はそのドラマの開始を知らせてくれる合図なのです。
「ある学校のひとりの先生が生徒に言ってしまった失言に、日本全国が過剰反応する世の中は、すべての学校の先生の挑戦する勇気を奪い取ってしまいます。」(喜多川p.145)
子どもたちの成長のためには、失敗を恐れずに挑戦する勇気を持たせることが重要です。その子どもたちを指導する先生たちが、世間からのバッシングによって挑戦できなくなっている。おかしな話ですよね。
「大人は、子供たちにとって皆「先生」です。
その大人たちが、ひとりの人間の持つ可能性に目覚めたとき、それを見ている子供たちは自分にも世界を動かす力があることに気づきます。」(喜多川p.157)
子どもたちの可能性を広げるには、まずは大人であるわたしたちが、夢を持って挑戦する生き方をしなければなりません。大人たちが手本を示すのです。
「夢を持って生きる人は、必ず逆境に出会います。
そういうときこそ笑って、自分の辞書を見直してみましょう。
そしてもう一歩前に出るのです。」(喜多川p.157 - 158)
常識とは自分が決めるものだと喜多川さんは言います。「失敗」をどう定義するのか。これも自分が決めることです。世間の考え方を押し付けられる必要はないのです。その言葉に自分がどう意味づけをしているのか、本当にそれでいいのか、見直すようにと言うのです。
「たくさんの人から「ありがとう」と言ってもらえることが夢を実現するということなのです。
あなたが夢をあきらめてしまうと、この人たちは手に入れられたはずの感動や経験を手にすることができなくなります。
つまり、あなたは自分のためではなく、あなたが夢を実現することによって幸せになるたくさんの人たちのために成幸しなければならないのです。」(喜多川p.160)
私が夢を諦めれば、夢を実現したあかつきに感動し、喜んでくれるはずの人々から、その機会を奪うことになる。なんという発想なのでしょう。でも、たしかにそういうことですよね。
「はっきり言って私は「つらくて逆境から逃げ出した」としか思えてなりません。
それなのに多くの気づきや学びを得たし、大きく成長でき心から感謝しています。
そう考えると逆境とは乗り越えることができなくても、そのつらさを味わうことができるだけでも充分なのかもしれませんね。」(出路p.175)
部下との軋轢から退職を選んだ出路さん。ただ、すぐには辞められなくて、半年間は誠実に仕事をされたそうです。その経験から、逆境に耐えられなくて逃げてもいいと言います。ただし、そのつらさに不平不満を言い続けるのか、それとも気づきを得られたことに感謝して前向きに生きるのか、それによって違いが出てくるのだと。
「私がこのプチ逆境をいかに乗り越えたかということを一言で言うなら、自分の気持ちを「正直」に伝えた! ということになるでしょう。」(出路p.178)
自分の気持ちに対して正直であること。それが逆境を乗り越えるポイントだと言います。正直に伝えることは、時として恥ずかしかったり惨めだったりします。それでも、相手に対して誠実であろうとするとき、それを乗り越えて自分の気持ちを伝えなければならないのですね。
「ある意味、これが究極の答えになるかもしれませんが逆境の真っ只中だからって暗くなっていても何のプラスもないと思うのです。
そんなときこそ明るい笑顔でいるから逆境を乗り越えられるのではないかと思います。」(出路p.193)
開き直ることを勧めています。これも見方によれば逃げているようにも見えますが、開き直ってスッキリすれば、逆境に立ち向かう強さが得られると出路さんは言います。
「だから私はつらいときには「時間が解決してくれる」と自分に言い聞かせています。
まさにこれが「長い目で見ると!」っていう逆境を忘れちゃう作戦なんです。」(出路p.210)
逆境を乗り越えられなくても、時間が解決すると思えば気が軽くなります。今の逆境を見つめるのではなく、中長期的に考えれば、仕事の失敗も、パートナーからフラれることも、いずれ忘れてしまうようなことです。そんなに気にすることでもないなという気持ちで、今を生きることですね。
「不景気とは、価値観の変化です。市場のニーズの大幅な変化です。そこでは、変化を追い越したものだけが生き残ります。
今僕らがすべきは、維持や延命ではありません。「変化」です。」(植松p.223 - 224)
この世は常に変化しているのですから、景気も変化し続けます。不況は、価値観が変化したからだと植松さんは言います。それなのに、古い価値観を維持しようとすることが無理なのです。
しかし私たちは、不安になると、つい守りに入ってしまいます。今までの安定を手放したくなくて、しがみついてしまうのです。でもそれを変えていかなくてはなりません。
「すべての人が、自分の心の中に閉じこめられている、幼児の記憶を呼び覚まし、「どーせ無理」という言葉を使うのをやめ、「だったらこうしてみたら」と提案し続ければ、必ず社会は変わります。」(植松p.285)
私たちは失敗を怖れて挑戦することをやめてしまいます。ですから変化していくことができません。赤ちゃんにはそういう不安はなかったのに、大人たちからダメ出しされることによって、挑戦しない生き方を身に着けてしまうのです。
「いま、世界は逆境です。つらいことや悲しいことがいっぱいです。
でもそのつらさや悲しさを知り、怒ることができれば、解決すべき問題を見出せるんです。それは、新しい仕事の種なんです。だから、種だらけです。」(植松p.285 - 286)
植松さんの言う「怒り」は、この状況を何とかしなければおかないと発奮することだと思います。誰もやらないなら自分がやる。そういう決意です。
それぞれの執筆者ごとに、捉え方や表現に違いがありますが、共通していることがあります。それは、逆境は悪いことではなく、むしろ自分のためになることだという視点です。
ですから、不安になって逆境を避けようとする必要はないのです。逆境になってしまったらなってしまったで、それを淡々と受け入れ、そこからどうするかと考える。そこを出発点として生きる決意をすることなのだと思います。すべては、自分から始まるのですね。
2017年08月14日
「リストラブログ」が佳境に入りました
私が書いている通称「リストラブログ」が、いよいよ佳境に入ってきました!(笑)
これは、「人生に革命を起こすスーパービジネスマン養成ブログ」と題して、メンターの吉江勝さんが運営されているブログに寄稿しているものです。
私も執筆陣の1人として、ときどき投稿していました。
こちらのブログでも、昨年にリストラにあってからのことを書いていますが、あちらでは主にリストラに関係している記事を投稿しています。
思い起こせば1年前の5月、1本のメールで解雇宣告を受けたのが始まりでした。
そして6月に失職し、私は無職になりました。元経営者がただの無職。これはショックでしたね。
しかし、奇跡が起きて大金を手に入れることになりました。
そのお金を元に、「よし、1年間好きなことをして暮らそう!」と、臆病な私らしからぬことを考えたのです。
そして今年の7月末で、予定していた期限となりました。
好きなことをやってきた1年間に、まったく悔いはありません。
しかし、それで暮らしていけるようになったかと言うと・・・。
さて、これからどうなっていくのでしょう? 私のリストラ後の人生は、まだまだ続きます。
どうぞ、佳境に入ってきた「リストラブログ」もお楽しみください。(笑)
※私の投稿記事を連続で読みたい場合は、ブログ右サイドバーのカテゴリから私の名前を選んでください。私の記事の一覧が表示されますので。
あるいは、プロフィールの下にも記事一覧へのリンクがあります。
2017年08月21日
マルクスが日本に生まれていたら
これもどなたからか紹介された本です。「海賊とよばれた男」という映画を見て、出光佐三(いでみつ・さぞう)氏のことを知りました。その原作は百田尚樹氏が書かれたもので、その小説の中でこの本が紹介されているのだそうです。
元々は社内の勉強会の記録をまとめたもので、社長室のメンバーの質問に出光氏が答える形になっています。出光氏とマルクスの理想が同じではないかという気付きから、ではマルクスとどう違っているのかという点を掘り下げながら話が進みます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「いまの人はあまりに過去の知識、自分の学んだことにとらわれてしまって、平和に仲良く暮らすという、人間の本質を忘れてしまっている。そこに今日の世界の行き詰まりと混乱の源があるように思うが、どうかね。」(p.6)
移動の時間が短縮された現代では、「昔の武蔵の国一国ぐらいのところに百以上の異民族が雑居している形だ」と出光氏は言います。そんなところで対立闘争していては上手くいくはずがない。仲良く平和に暮らすことを中心に考えなければならないと言うのです。
「言い換えれば、資本主義における資本家の搾取は否定するが、資本主義の能率的ないいところは、採っていく。社会主義・共産主義の働く大衆のためとか、社会全体のためとかいういいところは採って、社会主義・共産主義から出てくる非能率な国営や、人間平等論は採っていない。資本主義と社会主義・共産主義を咀嚼していたということだね。」(p.22 - 23)
それぞれの主義の良いところだけを採る。それが出光氏の考え方だと説明します。
「ぼくは共産主義というものは、それまで研究したことはなかったが、主義を唱える人は真剣に考えて言い出したことだろうから、必ずいいところがあるに違いない、それを採れ。しかし人間中心の国、人間が中心でつくる社会、それが日本の国であるが、この日本の国体を乱すようなものは不倶戴天の仇である。」(p.24)
出光氏は、共産主義(マルキシズム)のことを詳しくは知らなかったようです。ただ、必ず良いところがあるはず、という確信はあったのですね。ただし、中心は日本の国体であり、人間中心の社会であるという信念を持っていたようです。
「人間が平和にしあわせに暮らせるような社会を目指している点では、マルクスも出光も同じだと思うね。しかし福祉・しあわせの内容、その目標に達する手段になると、全然正反対だ。マルクスは人間の福祉の根本を物に置き、目標に達する手段を階級の対立闘争に求めているようだが、ぼくは違う。人間のしあわせは心にあって、それにはお互いに譲ったり助け合ったりして、仲良くするという互譲互助・日本の和の精神がなければならないと思う。」(p.32)
理想においてはマルクスと同じであっても、その手段が物を中心に考えるのか、それとも心を中心にするのかで、大きな違いがあると言います。
「日本民族は両者をはっきりと区別して、お互いに切磋琢磨しながらお互いに繁栄進歩する自由競争は採るが、対立闘争して相手を滅ぼすという考えはない。こういう区別ができるのは、日本民族のみじゃないかと思うがね。」(p.35)
自由競争と闘争とはまったく別のもので、自由競争は相手を潰すものではなく共に切磋琢磨して成長し合うためのものだと出光氏は言います。
「必要に応じて分配するということは、一見、立派に見えて公平かのごとくであるが、実行は不可能だよ。無欲・無私の神仏ならば、必要に応じてということで公平にいくだろうが、私利・私欲の人間には結局、平等に分配する以外になくなって、悪平等になってしまうんだ。」(p.35)
共産主義では「能力に応じて働き、必要に応じて分配する」ことを理想としています。それが、共産主義革命が起きたあかつきには達成されると主張したのです。しかし出光氏は、人間は神仏のような完璧な存在ではないから、そうはならないと言います。
「その人間の矛盾性、質を無視しているところに、マルクスは、根本的な誤りをおかしているといえるのではないかと思うんだ。人情を無視したものを人間社会にあてはめても、それは合わない。人間は公平に扱われなければならない。」(p.37)
いいことをする人もいれば、悪いことをする人もいる。我欲の強弱も人それぞれだし、能力も人それぞれです。そういう人間を公平に扱うとは、その良し悪し、能力の多寡に応じて扱うということなのです。
「対立の思想と信頼の思想との相違が、われわれ石油業でさえも、そのくらいの影響があるから、この日本人の信頼のあり方を世界に広めることは、世界の平和・福祉に大きな影響があると思う。それが日本人の務めじゃないか、ということをぼくは言っているわけだ。」(p.84)
商売の関係は敵対関係ではなく協力関係だと出光氏は言います。出光の大家族主義、和の経営は、日本人の信頼のあり方をベースにしたもので、それを世界に広めることが日本人の使命だと言うのです。
「そういうふうに、日本人がまず平和と福祉の実態をつくって、その実態をもって、対立闘争で行き詰まっている世界に見せてあげるようにしなければならない。
そうすれば、外国からそれを見て、どうして日本はあのように平和に仲良くいけるのかということで、興味をもって、自ら進んで日本を研究しはじめる。そうしているうちに、日本のあの和の道でなくてはならない、ということを、おのずから悟るようになると思うんだ。」(p.100)
まずは日本の社会が、闘争のない平和で弱者に優しい社会になること。そうすれば、自ずと日本の和の精神が世界に広がると言います。まずは自ら手本を示すこと。それしか他者へ影響を与える方法はないのですね。
「霊魂を否定し肉体とか知識ばかりを主張するようになったところに、今日の世界の行き詰まりがありはしないか。」(p.114)
出光氏は、個人的には霊魂の存在を確信していると言います。したがって、肉体だけと見るのではなく、肉体は人間の一部であり、むしろ霊魂とか心を中心だと考えるべきだと主張します。
「なにもぼくはマルクスのように、労働を搾取した分が利潤だ、などとは考えない。理屈ではそうなるのだろうが、それは「物の国」の考え方だと思うね。」(p.144)
出光氏はこのように、マルクスの搾取論を否定します。しかし、では利潤とは何かについての対論を示してはいません。
「そのときにぼくははじめて、商人とお客さんとは対立するものではない、専門の知識をもって働き、油のほうは私が全責任を引き受けますから、あなた方は本業に全力を注いでくださいという互助の精神を知った。そして、これが商人の使命であり、事業の社会性というものだということがわかったんだよ。
この間のスエズ動乱のときも、出光はけっして価格を上げずに、お客さんに油の供給の不安を感ぜしめなかった。
このように、金儲けに走らずに商人の使命を果たし、それの「報酬」という考えが、日本人の利益の考え方なんだよ。」(p.146)
何かを売るのは、儲けるためではなく相手を助けるため。相手を助けることによって利益が生まれ、それによって自分が助かる。その互譲互助の精神がベースであって、その作用の中でのお礼の気持ち、感謝の気持ちが、報酬(=利益)なのだと説明します。
マルキシズムでは、価値は労働によってしか生まれないと規定します。それなのに、労働をしていない資本家が利益を得るのは、労働者からの搾取だというわけです。この理論の間違いの根源は、「労働しか価値を生まない」という前提にあることは明らかです。
たとえば、マルキシズムでは物を移動させても価値は生じません。労働ではないからです。では、運送屋は価値を生まないのでしょうか? 魚を獲ってくるだけの漁師は価値を産まないのでしょうか?
また、労働が価値を生むと言いますが、不具合のある時計を生産しても価値があるのでしょうか? 素人が描いた絵とプロが描いた絵と同じ価値なのでしょうか? このように、マルキシズムが矛盾のある理論であることは明らかです。
しかし、出光氏は厳密な理論はなしに、自分も資本家の搾取に反対したと言われます。配当が2割以上もあるのは搾取で、1割以下なら搾取でないというような、あいまいな指針を示すだけです。
マルクスは、階級闘争から共産主義革命に至る唯物史観を必然的なものとするために、理論を組み立てています。ですから、資本家は価値を産まないこと、資本家が手にする利益は搾取であると、決めつける必要があったのです。
しかし出光氏は、心の観点から、情け容赦ない収奪を搾取と呼んで非難したのです。相手も同じ人間だという思い。もっと言えば、大きな家族の一員ではないかという思いです。
「そのもとは愛だよ。人類愛。愛ということは、これは簡単に言えば、相手の立場をいつも考えるということ、とくに強い人が弱い人の立場をいつも考えるということだ。相手の立場をいつも考える、ということは互譲互助だ。逆に対立闘争の国では、自分のことを主張する一方なんだ。自由を主張し権利を主張する。」(p.179)
お互いが仲良くすることをまっ先に考える。そういう出光氏の思想の原点は「愛」なのだと言います。
日本は古来より、無防備の皇室を中心に栄えてきた国だと出光氏は言います。武力闘争をして勝ち取ったのではなく、無防備でありながら、国の親として国民のことを祈り続けてこられた皇室。その国体があるからこそ、日本人は相手を思いやって平和に暮らすことを当然のように思っているのだと。
雇った社員は一人も解雇しない。解雇しないから定年もない。それが出光の考え方です。その大家族主義は社内だけでなく、商売の関係者、地域社会全体へ押し広げられます。だから、自分たちが儲かるかどうかよりも、社会のためにどうあるべきかを優先することになります。
いざとなれば、イギリスとケンカする覚悟でイランの石油を輸入する。そんなことは、こういう信念を持っていなければ、けっしてできなかったでしょう。
必ずしもすべてに共感するわけではありませんが、このような企業が日本にあることを、私は誇らしく思います。
2017年08月27日
気功革命
気功の入門書として絶賛されているようだったので、この本を買ってみました。著者は中国の方で盛鶴延(せい・かくえん)氏。奥様が日本人の方で、今は日本に永住されているようです。
日本語で会話するのは達者なようですが、書く方は難しいとのことで、編集者の森田トミオ氏が聞きとって文書にされたようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「気功法が他の健康法を大きく違うところは、効果が早く出ること。そして、最後には知恵に行き着くことです。気功法の効果は健康以上の健康なのです。」(p.3)
気功法と他の健康法との違いを、効果が出るスピードだと言い切ります。しかし、どれだけの健康法と比較されたのかよくわかりませんし、その根拠は書かれていません。おそらく、盛氏の感覚的なことだろうと思います。
「この本は、現代に生きるみなさんのための気功の本です。そして現代に生きるみなさんのための気功の本として、これまでになかった三つの「気功法の革命」を取り入れました。その三つというのは「時間」と「方法」と「考え方」です。」(p.12)
「はじめに」の中で、この本のタイトルにつながる考え方を示します。これまでの気功は、効果が出るまでに時間がかかったのだそうです。なので現代に合わせて、短時間で効果が出るものばかりを集めたと言います。
また、初心者レベルでもやりやすくて効果の高い方法を、各流派から集めたと言います。そして、動作やポーズだけを教えるのではなく、考え方を教えることで効果が出やすくなるとしています。
それだけ言われるとなるほどすごいと感じるのですが、疑問がなくもありません。では、時間がかかる各流派の正当な教え方は効果がないのでしょうか? そういう教え方に意味がないのでしょうか? いいとこどりをした結果、逆に何か欠点が生じていないのでしょうか? そういうことには触れていないので、何とも言えません。
「気功では上丹田(じょうたんでん)、中丹田(ちゅうたんでん)、下丹田(しもたんでん)という考え方をします。上丹田は頭の脳の中にあります。中丹田は胸の所にあって、下丹田はへその下のお腹の中にあります。日本でもよくへそ下三寸といわれる所です。
三つの丹田にはそれぞれ役割があります。それは気の三つの力と関係しています。三つの力というのは精(せい)・気(き)・神(しん)です。気は赤字から黒字に変化させて、さらに体内で充実させて百二十パーセント、百五十パーセントと密度を高くしていくと、精・気・神と段階的に、質的に変化させていく事ができるのです。
精というのは体の力、体力です。精を充実させると活力が戻り、病気なども直っていきます。気というのはその上の段階の物質です。気が充実すると精神力が増してきます。雑念が減り、心の活力が増し、でも穏やかな気持ちになり、集中力も高まります。
そして何より、自分の意志をコントロールすることができるようになるのです。神というのはさらにその上の段階の物質です。気が充分に充実すると神の段階の物質が生まれてきます。神の段階の物質は大きな知恵です。歴史上の大きな発明や発見、思想や哲学、科学などとても人間が考え出したと思えないような偉大な考えは、気功的に見るとすべて神の段階の力の働きです。」(p.22 - 23)
長々と引用しましたが、気功法の基本的な考え方を語った部分です。「丹田」という言葉は知っていましたが、それは「下丹田」のことを差していたのですね。
「昔からの教えに「煉精化気(れんせいかき)・煉気化神(れんきかしん)・煉神還虚(れんしんかんきょ)」という言葉があります。精を練って気に変え、気を練って神に変え、神を練って虚に帰るという教えです。虚というのは虚しいという意味ではなく、自分よりもっと大きな存在の知恵という意味です。
三つの力、精、気、神はそれぞれ下丹田、中丹田、上丹田と対応しています。
気功の修行は必ず、下丹田の精から始めなければなりません。それは、ピラミッドのような安定感を作るためです。」(p.23)
「気を練る」という言葉も知っていましたが、3段階の1つに過ぎないのですね。なかなか奥深そうです。
「磁石の反発感のように、自分の体の外側に感じられる気を「外気(がいき)といい、体の内側に感じられる気を「内気(ないき)」といいます。
外気というのは、例えば森林浴などという言葉でいわれていますが、自然界にあまねく偏在する生命エネルギーの元になる物質です。それを体内に取り入れ、内気に変えて、さらに密度を高くして質的に変化させていくことに気功法の特別の効果があるのです。」(p.25)
レイキは外気だと言われるのは、こういうことですね。自分の中のエネルギーではなく、宇宙のエネルギーをそのまま身体を通して流すからです。
気功の練習はこのように、外気を取り入れて内気に変えていくこと、内気を充実させて流れを力強くする(気を練る)ということになります。
「気功の目的は気を精・気・神と変化させ、最後には天地、宇宙とひとつになって、そこから知恵を得ることです。体の調子を整え、活力を取り戻し、病気を直していくというのはその過程です。最後に出てくるものは知恵なのです。気功ではそれを「天人合一(てんじんごういち)」といいます。」(p.31)
最終的には宇宙との一体化を通じて、宇宙の叡智を体現する。それが気功の目的だと言います。健康や気力精力を充実させるのは、本来の目的ではないのです。
「でも考え方を変えると、一番大きなDNAは背骨といえるのではないでしょうか。本当は、それがパワーの源です。昔からパワーのシンボルとして、中国のいい方では龍、西洋のいい方では蛇があげられてきたものです。私の考えでは、それは背骨を意味しているのです。」(p.69)
背骨には使われていないパワーの源があり、それが大人になるにつれて下がっていく。それで活力が落ちるのだと盛氏は言います。だから、下丹田(仙骨の近く)から上丹田(脳)へと、背骨を通じてパワーの源を上げていく。それが気功法では重要なのだと言います。
「気の三つの力、それは精・気・神です。精が強くなると体が丈夫になり、気が強くなると精神力がましてきます。そして神が強くなると知恵が生まれます。そこが普通の健康法と違うところです。気功法で生まれる効果は、健康以上の健康なのです。精・気・神は段階的に変化していく気の力です。」(p.136)
一部繰り返しになりますが、段階的に変化していくという点も、気功の特徴なのでしょう。
「虚に帰るというのは、最後には自然や宇宙と一体となった一段高いレベルの知恵が入ってくるようになることです。それは、例えば第六感といわれる感覚の発達です。そうすると、今まで分からなかったものが分かるようになってきます。」(p.136)
「神」のレベルを超えると「虚」のレベルですが、ここでは「帰る(還る)」という言葉が用いられています。特に説明はありませんが、人(魂)が生まれてきた大本という意味ではないかと思います。
その段階では宇宙と一体化し、宇宙の叡智を体現すると、先に書いたとおりです。それを平たく言えば、直感が働くということですね。
「また、双修の方法の他にない素晴らしい所は、セックスは考え方を変えると、最高の陰陽交流の方法なのです。間違った方法では単なる精の浪費ですが、正しい方法で行なえばそれは長生きの元になる健康法になるのです。セックスは本当の命の源だからです。」(p.138)
双修というのは、男女2人で同時に行う気功法になります。紛らわしい文章で、双修がセックスをすることのようにとられるかもしれませんが、それは違います。ただ、セックスの準備段階として、役に立つ方法でもあるようです。
「セックスが単に浪費に終わる間違った方法というのは、短い時間で終わって射精することです。正しい方法はその反対に、長い時間行ない射精しない方法です。」(p.138)
昔、「接して漏らさず」というセックスの格言を聞いたことがありましたが、ひょっとしたら気功法から来ていたのかもしれませんね。
「花とお酒を愛する仙人たちのようになりたかったらどうすればいいか、君に正直に話してあげよう。花が無かったら、お酒が無かったら、道になることはできないよ。」(p.168)
明の時代の有名な道教の達人の詩を訳したものです。「花」とは女性のことだそうです。もう1つの詩でもこう言っています。
「女性やお酒などのいろいろな欲望を直して、自分の行いを定める方法があります。それには女性が薬です。そしてお酒が給料です。お酒と女性の中で自由自在になることができたなら、それが長生きの秘密であると分かるでしょう。お酒を飲んで、女性と楽しくすごしているのを神様や鬼たちが見たら、きっと人間が羨ましいといって泣くに違いない。」(p.168)
要は、酒や女性を好みながらも溺れないということなのでしょうね。溺れるのは執着して依存することですから、自由になりません。来ればつかみ、逃げれば放す。それを楽しめる状態が自由なのだと思います。
セックスに「八益七損」というものがあるそうです。その中の七損(7つの損)は秀逸ですので、概要を紹介しましょう。
1.「セックスの時に痛いことをする、痛くても無理にすること」
2.「セックスの時に汗をびしょびしょにかくこと」
3.「セックスの数が多すぎること」
4.「自分に無理してやること、体の状態が整っていないのに頭だけでやりたいこと」
5.「自分にも相手にも不安がある時、でも、セックスしたい」
6.「女性は絶対にしたくない、でも男性は絶対にしたい、そういう場合にすること」
7.「ゆっきり話をしたり、リラックスしたりすることもなくてただ急いですること」
(p.172 - 173)
こういうセックスは、精を浪費してしまうだけなのですね。無理に急いで挿入することや、激しく動いてすぐに射精してしまうこと、体調不良があったり心配事があるときに無視して行うことなど、考えてみれば「良くない」とわかりそうな感じですね。
この本には、図解入りで様々な気功のやり方が紹介されています。最初に書かれているように、どれも簡単にできそうなものです。
一部、部位ごとに病気を治す気功も紹介されていますが、姉妹編に詳しく書かれているそうです。さらに、形や動きが図解ではわかりにくいという人のために、DVDもあるようです。
この本をまとめられた編集者の森田氏は、実際に習った気功をやっていくうちに活力が出てきて明るくなったと、「編集あとがき」に書かれています。やってみなければわからないという世界はあるのだろうと思います。
2017年08月31日
0波動の癒し[入門編]
気功の関連で誰かが紹介していた本です。著者は整体院を開業する木村仁(きむら・ひとし)氏。元は鍼灸師ですが、その後、カイロプラクティスを学ぶなど、様々な研鑽を経て、今のスタイルになっているようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「生命のあるところにはエネルギーがあり、力がある。自然治癒力は生命力の中のひとつの働きだ。根源は生命という”自然”である。生命の誕生から成長も自然の力であるし、病気や怪我を克服し、健康を保つのも自然のメカニズムがおこなうことだ。
人はだれでもその素晴らしい自然の力を体の中に持っている。それを、”イネイト・インテリジェンス=内なる自然の叡智”という。イネイト・インテリジェンスは身体の内側を流れる大いなる自然であり、生命力そのものだ。自然治癒力すら、その一部でしかない。」(p.10)
このように、聞きなれない「イネイト」のことを説明します。これはまさに生命そのものであり、生命エネルギーそのものであるように感じます。
「イネイトを目覚めさせ、流すためには”0(ゼロ)波動”を使う。0波動はわたしの長い研究と治療との中で発見したものだ。0は無ではなく、すべてを持つ数字である。そこには、足りないものも余分なものもなく、完全無比の姿がある。まさに大いなる自然そのものをあらわすものだ。」(p.11)
この本で重要だと思われる「イネイト」と「0波動」という言葉を結びつけて説明しているのは、最初のこの部分だけです。私たちの身体と宇宙とは切っても切れない関係があり、宇宙の真理であり生命という自然そのものが「イネイト」だと言っています。
その「イネイト」は、なぜか「0波動」と共鳴するそうです。「0波動」が何なのかという説明はあまりありませんが、ここに書かれたように「無」ではなく「すべて」ということになるのでしょう。それがどういう意味かは、まだよくわかりません。
「人間の身体の中には、イネイトという大自然が内包されているのだ。宇宙の生命力と同じく、人間の持つ自然の生命力、それがイネイトだ。イネイトは生命力そのものなのである。自然治癒力すらも、イネイトの一部にすぎない。イネイトは脳(脳幹)で作られ、そこから全身にめぐらされる。イネイトはつねに体内を流れ続け、わたしたちの身体を生かしているのだ。
イネイトの流れがスムーズであれば、自然治癒力も活発に働き、健康でいられる。イネイトが順調に流れているかどうかが、その人の健康状態を左右するのである。そして、それに影響するのが頚椎だ。」(p.27)
生命力そのものであるイネイトは、脳幹で作られ、頚椎を通って全身に流れると言います。その流れがスムーズであることが自然治癒力がよく働くことであり、健康でいられることなのです。
「化学薬品はすべてイネイトの邪魔だと言っても過言ではない。化学薬品にはすべて副作用があるのも周知の事実だ。身体のためを思って服んでいる薬が、実は身体に悪い結果になっているのである。
大切なのは、とにかく”邪魔をしないこと”だ。イネイトはだれもが持っている力だし、本来流れたがっているものだ。」(p.48)
不自然なことをしたり、不自然なものを食べることにより、イネイトが流れることを阻害すると言います。だから不自然なものは健康の邪魔だと言うのです。
「しかし、たとえ自然のものでも、あらゆる薬は同時に毒物であり、量が多ければ副作用を起こす。穏やかな植物のエキスでさえも、量をまちがえれば逆効果になってしまうのだ。ハーネマンは副作用を避ける方法として、与える物質を薄める、という方法を考えついた。何万分の一、何億分の一という薄さに薄め、それを服むのである。
なぜ、そんなものが効くのか、という疑問にはまだ明確な答えはない。おまけにハーネマンは、”薄めた液体を強く何十回も振ること”が大事だというのである。”振動”が薬を活性化させ、効果を生み出させるという。」(p.70)
これは、ホメオパシーについての記述です。ホメオパシーと言うのは、要は水にその物質を混ぜてどんどん希釈していくと、物質的な効果が出るはずがないのに、同じように効果が出るというものです。つまり、その物質の波動が水にコピーされることで、物質はなくてもその波動の効果が出る、ということなのです。
0波動とは直接の関係はないのですが、人体は波動に影響を受けるということが、このことからもわかるということですね。
「人間の身体には磁気が流れている。正確には磁気だけでなく、血液や酸素、気やエネルギー、イネイトなども流れている。それが全身に力を運び、身体を動かしているのだ。そして、ひとつの磁場を作っているのである。磁場は全体がひとつの世界であり、その中ではすべてがつながっている。その全体に流れがゆきわたっているのだ。」(p.89)
血行だけでなく、たくさんのものが身体を流れていて、その流れを阻害することが問題だと言います。化学製品、金属、身体を締め付けるものなどが、その自然な流れを阻害します。磁気ネックレスなども、そういう意味でよくないと言います。
「だが、注意したいのは、それをおこなうのはアディオではない、ということだ。病気を治したり元気を回復するのは、あくまでもその人のイネイトがおこなうことで、アディオがすることではない。アディオは、もともとある”内なる自然の叡智”であるイネイトを目覚めさせるにすぎない。偉大なのは、その人の持つ力なのである。」(p.100)
アディオというのは、ネックレスのようになっている脳幹と同じ波動、つまり「0(ゼロ)波動」を出すものです。これが共鳴によって、身体に本来の波動を発生させ、身体の本来の力を発揮させる。そのことによって、病気が治ったりすると言います。
アディオイフとも言われるようですが、検索すると一般的にも売られているものだとわかります。1万円くらいからですが、ガラスやアクリルなどでできているようです。ただし、どうやって波動を映しているのかということは、この本にはまったく書かれていません。
「こうした例があるものの、わたしはそれほどトラウマを重要視していない。心の傷というのは本人の思い込みによるものが多く、気持ちの偏りとも言えるものだ。イネイトが流れれば偏りは消え、バランスを取りもどすのだ。」(p.119)
アドラーもトラウマを問題視していませんが、同じようにトラウマそのものが問題なのではなく、今、イネイトが流れていないことが問題なのだ、という考え方のようです。
「子供は放っておけば、自分のしたいように振る舞う。遊びたいときに遊び、食べたいときに食べ、眠りたいときに眠る。自然のままで、実にイネイト的な存在である。しかし、それでは大人が困る。大人は仕事や家事に忙しく、時間どおりに動いてくれないと都合が悪いのである。これは社会そのものの在り方でもある。大人イコール社会なのである。
子供への教育は子供のため、という目的も含まれるだろう。皆と同じようにできなければいけない、同じように感じなければいけない、はみ出した考え方を持ってはいけない。こうした集団主義的な教育は、とくに日本において強い。イネイトの観点から見ると、日本の教育は大いに問題があるのだ。」(p.120 - 121)
このように、大人の都合に合わせた教育が、子どもを苦しめていると言います。イネイトは、自然に流れるものであり、自由であり、他からの強制を受けないものです。それを型にはめるという考え方は、イネイトの健全な流れに反するというわけです。
「ツイアビの島では、財産はすべて共有制で、皆で分かち合う。それは村人だけに限ったことではなく、旅人に対してもそうだ。あらゆるものは”大いなる心”の作ったものであり、個人が所有すべきではない、という考え方だ。”大いなる心”とは自然であり、宇宙であり、神だ。食べものも小屋も、寝るときに使うむしろも、大いなる心の創造物だと、ツイアビは言う。」(p.150)
南太平洋の西サモア諸島、ウボル島に住む酋長(しゅうちょう)ツイアビが、ヨーロッパを旅して文明に触れた後、島の人々に語ったことが、「パパラギ」という本に書かれているそうです。そこから引用しながら、文明が進歩していることが必ずしも、人間にとって良いことではないことを言うのです。
「病気というのは自我と真我が一致しないために起こるものだ。真我というのは”ユニバーサル・インテリジェンス”であり、宇宙の叡智、0波動である。母親の欲求に応えようとして、0波動から遠く離れた生き方をした結果が、病気という形であらわれるのだ。」(p.157)
教育熱心な母親の欲求にしたがって、本当は自分がやりたいわけでもない進路を目指す。そのことによって体調不良になる例をあげています。
しかし、このことから病気というものは、本来の道から離れていることを教えてくれるものでもある、と言います。間違っていることに気づき、それを改めれば自然の流れに沿うことになり、病気も治るのです。
本を読み終えて思うのは、「イネイト」が何かがまだよくわからない、ということです。カイロプラクティクの創始者が見つけたというようなことが書かれていますが、説明は不十分です。
木村氏自身が鍼治療を行う中で、仙骨とか、背骨とか、頚椎の重要性を見いだしたことはわかりました。しかし、そのこととイネイトがどう関係するのか、「気」とどう違うのか、よくわかりません。
そして、唐突に出てくるアディオイフという脳幹の波動を出すものにも、なんだかよくわからないという感じです。言っていることに共感を覚えるものもありますが、「うーんどうなんでしょう?」という気もします。
そして、この本にも書かれているのですが、この0波動の考え方による「むつう整体」なるものが、全国に多数あるということも驚きました。これは、特殊な能力を持った木村氏だけができることではなく、そのやり方を伝授できるということに他なりませんから。
では、どうやってそのやり方を伝授できるのか? 根本的に何がどうおかしいということがわかるのか? そういった疑問には、この本は答えていません。
ただし、イネイトを一般的な「気」と考えるなら、半分くらいは理解できます。「気」の流れが滞ることが悪いとするのは、気功でも同じですから。
私はまだ完全に理解したわけではありませんが、こういうこともあるのかもしれない、という気持ちにはなりました。そして、それがすでに日本国内で広がっていることに驚きました。良し悪しはそれぞれで判断していただくとして、これもまた知っておいても悪くないかと思っています。
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