2017年07月03日
生きていることを楽しんで
野口嘉則さんの紹介で、ターシャ・テューダーさんの本を読みました。絵本画家・作家である一方、アメリカ・バーモント州の山奥に1人で暮らして、ガーデニングをしながらナチュラル・ライフを過ごしておられます。
そんなターシャさんの絵や写真がふんだんに添えられた本です。そこに書かれた素朴な言葉が、読む人の心を打ちます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「バーモントの冬は厳しく長いので、忍耐が必要です。
でも、この忍耐の先には、いっせいに花咲く輝きの季節が待っているの。
冬の間、わたしはいつもそのことを考えているわ。
辛い時こそ、想像力を枯らさないで。」(p.24)
「冬来たりなば春遠からじ」と言いますが、自然の中で暮らすことで、それがまさに人生にも言えると納得されるのでしょうね。
「世間を騒がすような嫌な事件は、いつの時代にもありました。
そのようなケースは、ほんとうは少数なのに、
メディアが大々的に取り上げるものだから、
そこまで事件を起こさない人までが、
それをお手本にして行動してしまうのではないかしら。
まともな生き方は、ニュースにならないけれど、
そちらの方が大多数であることを、信じましょうよ。」(p.40)
「みやざき中央新聞」は、まさにそういう疑念から、良いことだけを伝える新聞として好評を博しています。
出来事はたくさんありますが、そのどこに意識をフォーカスするかが重要なのだと、スピリチュアル系でも言っています。自分が選んだことが現実になるからです。
「子どもへの期待は、どこの親にもあると思います。
でも、子どもがそれにこたえてくれるかどうかは別問題。
わたしは、期待どおりに行かなかった場合、
肩をすくめて、「まあ、いいわ。わたしはわたしで、
その時できるかぎりのことをしてやったのだから」と考えて、
やり過ごしました。」(p.83)
子どもの自由を尊重し、思い通りにさせようとはしない。これはおそらくターシャさんが、草木を育てる中でも感じられたことではないかと思います。
「生きていれば、落ち込むこともあります。
状況を好転できると思ったら、ぜひ努力すべきです。
でも、変えられないなら、
それを受け入れて歩み続けるしかありません。
何があっても「生きていることを楽しもう」という気持ちを忘れないで。」(p.162)
生きていれば、様々な出来事に遭遇します。その中には、好ましくないものも多々あるでしょう。
そういう時、状況を変えようと努力することも重要ですが、諦めることも重要なのです。諦めると言っても、捨て鉢になるのではなく、それでもいいと受け入れることなのです。
ターシャさんの本は、坂爪圭吾さんも気に入っておられるようで、多数「わたり文庫」として紹介されていました。
ターシャさんの絵や写真を見ながら、彼女が暮らす自然の中の家や庭に思いを馳せ、自然の中に溶け込む気分に浸ってみるのも良いことだと思います。
2017年07月05日
初めてのお遣い(モーチット2でバスチケットを買う)
今週、妻の田舎まで運び屋をすることになりました。
まあ、それは名目ですが、別居中の妻のところへ行きます。主な荷物は、ビールの空き缶です。お義母さんが空き缶を売っているので、そのために私が飲んだビールの空き缶を持っていくのです。
これまではゴミとして出していた(アパートの清掃担当者が売っていたと思います)のですが、それを少しでも身内のために、ということなのでしょう。
妻の田舎はタイ東北部のイサン地方です。これまでは飛行機でウドンタニーまで行き、そこから車で2時間くらいかけて行くことが多かったです。
しかし、お金の問題もありますし、利便性(空港からの車の手配が大変)も考えて、最近は長距離バス(ロッ(ト)トゥア)で行きます。私もこれまでに1回だけ妻と一緒に行きました。
それを今度は、1人で行かなければなりません。最初の壁は、チケットを買うことです。ネットでも買えそうな感じもするのですが、英語表記でよくわかりません。なので、直接、バスターミナルの窓口へ行くことにしました。まるで「初めてのお遣い」気分です。(笑)
今回は、なるべく安く(その中では便利に)行こうと思い、公共交通機関を乗り継いで行くことにしました。これからモーチット2(バンコク北バスターミナル)を利用したいと思われている方には、何か参考になるのではないかと思います。
BTS(高架鉄道)は、いつも利用しているので乗るのは簡単です。スクンビット線の終点のモーチット駅まで行きます。しかし、そこからバスターミナルまで、少し距離があります。歩くと20〜30分くらいかかります。
バンコクの日中は、20分も歩くと汗だくになりますからね。便利なオートバイタクシー(バイタク)も使えますが、今回はあえてバスで行くことを選びました。これも自分への課題です。
バス乗り場は、BTS駅内の地図や標識ですぐにわかります。駅の目の前です。ただ、非常にたくさんの路線のバスが、ここを通過していきます。いつ来るかもわからないバスを待って、しばらく時間を費やしました。
私が待つバスは3番。終点がモーチット・バスターミナル(モーチット2)です。(Googleマップだと、他の番号のでも行けるように表示されますが、尋ねてみると3番しか行かないようです。)
15分くらい待って、やっと3番のバスが来ました。バンコクのバスは、3種類に分かれます。オレンジ色のエアコンバス、白色の普通バス、赤色の格安バスです。前回は赤色の格安バスで、しかも無料バージョンだったので、タダで乗れました。今回はエアコンバスが来たので、13バーツ(約45円)かかりました。車掌が来るので、行き先を告げてお金を払います。
バンコクのバスは、バス停に名前もないし、どの路線に乗ればいいのか、なかなか難しいです。今回は3番とわかっていたので、ただ待てば良いだけですから楽でした。降りるのは終点ですし。
到着した降車場から市場の中を通過して、長距離バス用のバスターミナルへ向かいます。ここがちょっとわかりづらいのですが、人の流れに着いていけば抜けられます。目的のチケット売り場は、3Fにあります。(3Fはイサン地方方面です。1Fは北部方面です。)バス会社と行き先別に券売所のブースが違うので、これを知っていないと戸惑うでしょうね。
ただ、案内人みたいな人が大勢いるので、尋ねてみるとすぐにわかると思います。バス会社を特定しているなら、それも告げた方が間違いありません。
窓口で、行く日(複数便あれば時間も)と人数、代表者の氏名、電話番号をつげて、チケットを購入します。今回買ったのは、このチケットです。7月6日出発で、62番の搭乗ゲートから乗ります。座席は3列で、1列は1人、残り2列は並び席となっています。縦に10席くらいで、大きくリクライニングできる快適なシートです。
本来なら、次の写真のようなカバーが付くのですが、今回はプリントアウトされたチケットだけです。
なぜなら、売り場に売り子(タイ語では売り母)がいなかったのです。案内人みたいな人に尋ねたら、「売れるよ」と言われ、その人がPCを操作して発券してくれました。
いいんだか悪いんだかわかりませんが、こういういい加減さがタイですね。それと、こういう不測の事態もあるので、わからなければ「尋ねてみる」ということが重要ですね。英語でもなんでも、ともかく自分の意志を伝えようとすること。そうすれば、相手はなんとか理解しようとしてくれますから。
帰りは、来る時と逆に市場を通り抜けてバス乗り場へ行きます。ただ、どのバスに乗ればいいかはわかりません。3番に乗れば、BTSのモーチット駅へ帰れることはわかりますが、それを待つのも面倒ですし・・・。
と言うことで、端から順に尋ねて、MRT(地下鉄)のガンペンペット駅へ行くバスに乗ろうと思いました。地下鉄はスクンビットでBTSと交差しているので、そこで乗り換えれば良いので。それに、BTSのモーチット駅へ行くより、MRTのガンペンペット駅へ行く方が近くて、しかも一本道ですから。
すぐに発車するバスが、乗り場近くにエンジンを掛けて並んでいます。離れたところで待機しているバスは、発車まで時間があるバスです。
乗り場の先頭から順にと思って声を掛けた最初のバスが、そこへ行くと言います。なのでそのバスへ乗ったところ、すぐに出発しました。
私が外国人だからでしょうね。車掌さんが親切に1つ前のバス停で「次だよ」と知らせてくれました。そして目的のバス停に近づくと、「ここで降りるんだよ」と教えてくれました。タイ人は優しいです。
タイのバスは、バス停に着くやいなや乗り降りするので、到着前からかまえていないといけません。少しでも遅れれば、バスは発車してしまいますから。日本みたいに、「到着するまで立たないでください」なんてことはないのです。
バス停からMRTの駅まで少し歩きましたが、バスターミナルから歩くより快適です。MRTに乗れば、もうあとは安心。スクンビット駅でBTS(アソーク駅)に乗り換え、無事に初めてのお遣いを完遂しました。約3時間かかりました。
と言うことで、7月6日の夜に出発して、12日の朝にバンコクに戻るまで、妻の田舎に滞在する予定です。
まあ、それは名目ですが、別居中の妻のところへ行きます。主な荷物は、ビールの空き缶です。お義母さんが空き缶を売っているので、そのために私が飲んだビールの空き缶を持っていくのです。
これまではゴミとして出していた(アパートの清掃担当者が売っていたと思います)のですが、それを少しでも身内のために、ということなのでしょう。
妻の田舎はタイ東北部のイサン地方です。これまでは飛行機でウドンタニーまで行き、そこから車で2時間くらいかけて行くことが多かったです。
しかし、お金の問題もありますし、利便性(空港からの車の手配が大変)も考えて、最近は長距離バス(ロッ(ト)トゥア)で行きます。私もこれまでに1回だけ妻と一緒に行きました。
それを今度は、1人で行かなければなりません。最初の壁は、チケットを買うことです。ネットでも買えそうな感じもするのですが、英語表記でよくわかりません。なので、直接、バスターミナルの窓口へ行くことにしました。まるで「初めてのお遣い」気分です。(笑)
今回は、なるべく安く(その中では便利に)行こうと思い、公共交通機関を乗り継いで行くことにしました。これからモーチット2(バンコク北バスターミナル)を利用したいと思われている方には、何か参考になるのではないかと思います。
BTS(高架鉄道)は、いつも利用しているので乗るのは簡単です。スクンビット線の終点のモーチット駅まで行きます。しかし、そこからバスターミナルまで、少し距離があります。歩くと20〜30分くらいかかります。
バンコクの日中は、20分も歩くと汗だくになりますからね。便利なオートバイタクシー(バイタク)も使えますが、今回はあえてバスで行くことを選びました。これも自分への課題です。
バス乗り場は、BTS駅内の地図や標識ですぐにわかります。駅の目の前です。ただ、非常にたくさんの路線のバスが、ここを通過していきます。いつ来るかもわからないバスを待って、しばらく時間を費やしました。
私が待つバスは3番。終点がモーチット・バスターミナル(モーチット2)です。(Googleマップだと、他の番号のでも行けるように表示されますが、尋ねてみると3番しか行かないようです。)
15分くらい待って、やっと3番のバスが来ました。バンコクのバスは、3種類に分かれます。オレンジ色のエアコンバス、白色の普通バス、赤色の格安バスです。前回は赤色の格安バスで、しかも無料バージョンだったので、タダで乗れました。今回はエアコンバスが来たので、13バーツ(約45円)かかりました。車掌が来るので、行き先を告げてお金を払います。
バンコクのバスは、バス停に名前もないし、どの路線に乗ればいいのか、なかなか難しいです。今回は3番とわかっていたので、ただ待てば良いだけですから楽でした。降りるのは終点ですし。
到着した降車場から市場の中を通過して、長距離バス用のバスターミナルへ向かいます。ここがちょっとわかりづらいのですが、人の流れに着いていけば抜けられます。目的のチケット売り場は、3Fにあります。(3Fはイサン地方方面です。1Fは北部方面です。)バス会社と行き先別に券売所のブースが違うので、これを知っていないと戸惑うでしょうね。
ただ、案内人みたいな人が大勢いるので、尋ねてみるとすぐにわかると思います。バス会社を特定しているなら、それも告げた方が間違いありません。
窓口で、行く日(複数便あれば時間も)と人数、代表者の氏名、電話番号をつげて、チケットを購入します。今回買ったのは、このチケットです。7月6日出発で、62番の搭乗ゲートから乗ります。座席は3列で、1列は1人、残り2列は並び席となっています。縦に10席くらいで、大きくリクライニングできる快適なシートです。
本来なら、次の写真のようなカバーが付くのですが、今回はプリントアウトされたチケットだけです。
なぜなら、売り場に売り子(タイ語では売り母)がいなかったのです。案内人みたいな人に尋ねたら、「売れるよ」と言われ、その人がPCを操作して発券してくれました。
いいんだか悪いんだかわかりませんが、こういういい加減さがタイですね。それと、こういう不測の事態もあるので、わからなければ「尋ねてみる」ということが重要ですね。英語でもなんでも、ともかく自分の意志を伝えようとすること。そうすれば、相手はなんとか理解しようとしてくれますから。
帰りは、来る時と逆に市場を通り抜けてバス乗り場へ行きます。ただ、どのバスに乗ればいいかはわかりません。3番に乗れば、BTSのモーチット駅へ帰れることはわかりますが、それを待つのも面倒ですし・・・。
と言うことで、端から順に尋ねて、MRT(地下鉄)のガンペンペット駅へ行くバスに乗ろうと思いました。地下鉄はスクンビットでBTSと交差しているので、そこで乗り換えれば良いので。それに、BTSのモーチット駅へ行くより、MRTのガンペンペット駅へ行く方が近くて、しかも一本道ですから。
すぐに発車するバスが、乗り場近くにエンジンを掛けて並んでいます。離れたところで待機しているバスは、発車まで時間があるバスです。
乗り場の先頭から順にと思って声を掛けた最初のバスが、そこへ行くと言います。なのでそのバスへ乗ったところ、すぐに出発しました。
私が外国人だからでしょうね。車掌さんが親切に1つ前のバス停で「次だよ」と知らせてくれました。そして目的のバス停に近づくと、「ここで降りるんだよ」と教えてくれました。タイ人は優しいです。
タイのバスは、バス停に着くやいなや乗り降りするので、到着前からかまえていないといけません。少しでも遅れれば、バスは発車してしまいますから。日本みたいに、「到着するまで立たないでください」なんてことはないのです。
バス停からMRTの駅まで少し歩きましたが、バスターミナルから歩くより快適です。MRTに乗れば、もうあとは安心。スクンビット駅でBTS(アソーク駅)に乗り換え、無事に初めてのお遣いを完遂しました。約3時間かかりました。
と言うことで、7月6日の夜に出発して、12日の朝にバンコクに戻るまで、妻の田舎に滞在する予定です。
2017年07月06日
ダメなときほど運はたまる
欽ちゃんこと萩本欽一さんの本を読みました。これも何で紹介されていたか忘れたのですが、欽ちゃんの本があることも知らなかったので、2冊買いました。これはそのうちの1冊になります。
欽ちゃんのように大成功したお笑いタレントが「運」を語るのは、少し違和感がありました。苦労して、努力の末に這い上がったというイメージがあったからです。
しかし本を読んでみると、欽ちゃんは子どものころからずっと「運」について考えて来られたのですね。筋金入りの「運」の達人とも言えます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「でも、だれにでも運と不運は平等にきます。だから今がついていない時期なら、そのあと幸運な時期がきっとくるはずです。不運の度合いが大きければ大きいほど、これからやってくる運も大きくなるの。
だからつらくても「今は運をためてる時期なんだ」と思って耐えていれば、いつか状況は変わっていきます。運の神さまは、そうそう一人の人間ばかりいじめません。」(p.3)
「世間の人から、「かわいそうな生い立ちね」と言われる人は、僕から言わせればすごくラッキー。こういう人は、自分の境遇を恨まず、ごくふつうに生活を送っているだけで、必ず幸運がやってくるんです。
その代わり、今目の前にある現実を嘆いたり、親を罵ったり、不平不満を言うたびに運はだんだんと消えていきます。」(p.4)
本の冒頭で、欽ちゃんはこう言います。欽ちゃんの「運」に対する考え方の重要な部分です。
「禍福は糾える縄の如し」と言いますが、欽ちゃんもこのように考えていたようです。運は上がったり下がったりするから、下がった時は「運をためている」と思って耐えれば良いのです。
「今考えると、向いていなかったことがよかったんだと思います。もし最初からうまくできて「俺はコメディアンに向いている」とか「司会だってできるんだぞ」なんて思ってたら、天狗になって成功しなかった気がするの。だから、向いていない場所にこそ、運は落ちているって思います。」(p.25 - 26)
向いていないから上手くできずに謙虚になる。努力して上手くなろうとする。それもできなければ、別の方法で何とかしようとする。それが運をつかむコツだと言うのですね。
「でもスターになる人は、ちゃんと自分の欠点を自覚して、それをなんとか克服しようと思って闘っているんです。あるいは欠点を活かす方法を考えてますね。自分のいやなところとちゃんと向き合ってるから、恥ずかしいなんて思わず、人にも素直に告白できちゃう。
運の神様はこういう人が好きだから、欠点を長所にしてくれます。のちのちまで名前が残る大スターには、欠点がある種の味になった人もけっこういるんです。」(p.48 - 49)
大俳優とも仕事で出会う欽ちゃんならではの洞察です。自分の欠点を堂々と告白できるのは、そんなダメな自分をそのままに受け入れていたからでしょうね。
受け入れると言っても、そこからさらに良くなろうとしていた。諦めていたわけではないのです。そういう態度が、その人の魅力を創り出したのだと思います。
「つまりいじめてる奴って、かわいそうな人間なの。自分から運に見放されるようなことをしてるんですから。反対に、いじめられている人には必ずいい運がやってくるんだから、つらくてもこう思っていればいいんです。
「残念だね、僕をいじめてる奴ら。あいつらはこれからの人生、ぜんぜんいいことないよ。今つらい目にあってる僕には、大きな運がたまってるから、そのうちラッキーなことばっかりくるんだ」
気をつけてほしいのは、自分をいじめている人を恨んじゃうといけないってこと。」(p.58 - 59)
欽ちゃんの考え方は、辛い思いをしている人が、その状況に不服を言わずに耐えていると、運が貯まるというものです。
同じ辛い状況にあっても、文句を言ったり、自暴自棄になったりすると、運に見放されるのです。
そして、ずるいことをする人、自分だけ良い思いをしようとする人も、運から見放されるのですね。
「引き際のタイミングを逃すと人間がずるくなる気もしたし、大事な人がみんな離れていっちゃうかもしれない。だから、じたばたしないでここは潮に流されよう、と思ったの。大きな波で沖まで流されたら、大きな波に乗って戻ってこられるんですから、その波に乗って一から出直せば、新しい運がきっとついてきます。」(p.93)
売れているからといつまでもしがみついていると、運を失うというのですね。潮目が変わったなら、あえてそれに抵抗しない。
そうやって自然のリズムに逆らわずに従うことで、新たな運の波に乗ることができるのです。
「幸せになりたいと思うなら、進んで損をしたほうがいいの。人とつき合う時は、率先して損な役回りをすると、だれかが幸運を持ってきてくれます。自分のために損をしてくれた人がいたら、うれしくなるでしょ。だから人間関係が円滑になるし、一緒に仕事をするときも信頼関係が早く結べるんです。」(p.97)
得をしようとしてがっつく(しがみつく)と、かえって運から見放されます。損してもいいと思って、他の人が良くなるように考えていると、運がやってくるのです。
欽ちゃんの考え方は、とてもわかりやすいです。ただ、これは欽ちゃんがそう信じているから、そうなったのだと言えなくもないと感じました。
仕事を上手く行かせるために、あえて遊びを犠牲にするというのもそうです。遊んだ時に悪いことが起こると心配したから、そうなったとも言えます。引き寄せの法則ですね。たとえば心屋仁之助さんも、このようなことを言われています。
ですから、視聴率が下がった時、マンションを買ったスタッフを責めて、そのスタッフがマンションの鍵を投げ捨てて使わないことにしたという伝説は、ちょっと悲しい気がします。みんなの仕事のためとは言え、そのスタッフは買ったばかりのマンションをお蔵入りにしたのですから。
そういうことはあるものの、欽ちゃんの「運」に対する考え方は、わかりやすくて面白いと思いました。実際、不運が続く状況においては、とても勇気を与えてくれます。
運だけで成功したと言っている欽ちゃん。参考になる部分が多いと思います。
2017年07月08日
キミを救う言葉
ひすいこたろうさんの本を読みました。柴田エリーさんとの共著です。すでに文庫本になっています。
読み始めて、どこかで読んだことがあるなと気づきました。この本をリメイクしたのが「絶望は神さまからの贈りもの」だったのです。どおりで読んだことあるような話が続くわけです。
前の本ではエリーさんが何者かよくわからなかったのですが、こちらには書いてありました。独立したばっかりの編集者さん。エリーさんからこの本の企画があった時、ひすいさんは半分書くなら引き受ける、という条件を出したのだとか。だから共著になっているのですね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただし、「絶望は・・・」で引用した部分は除外します。
「いきなりですが、ズバリ言いましょう。今日を境に、あなたの人生から、「不幸」はなくなります!
この塾では、偉人たちの人生を題材に、これでもかと、あなたにあることを叩き込みます。それは、「ピンチ」は「チャンス」であるということです。」(p.6 - 7)
冒頭でこのように高らかに宣言します。そしてその意味がわかるのは、読み終えたときです。「そんなことがあるのか?」という疑問が氷解し、「そうだよなぁ」という気持ちに変わっているのです。
「人は”ア・ハード・ディズ・ナイト”(悲しみ)の中で本気になり、
人は”ア・ハード・ディズ・ナイト”(絶望)の中で絆を結び、
人は”ア・ハード・ディズ・ナイト”(逆境)の中で進化するのです。」(p.22 - 23)
これはジョン・レノン氏のことを取り上げた章の最後に書かれています。もちろんジョン氏もひどい逆境をくぐり抜けたのですが、ポール・マッカートニー氏はもちろん、ビートルズ全体がそうだったのです。
そのことを知ってこの歌を聴くのと、知らずに聴くのとでは、受けとめ方がまったく違ってくるでしょうね。ビートルズのヒットまでにどれほど逆境があったのか、ぜひ読んでほしいと思います。
「誰かの喜びのために心をこめたとき、
「流れ」が生まれるのです!
誰かの喜びのために一心不乱に打ち込んだとき、
「夢ってかなうじゃん!」(p.43)
今や絵本界のベストセラー作家であるのぶみさんですが、そのデビューまでは山ほどの試練がありました。書いても書いても出版社から断られる日々。書いた原稿が自分の身長を超えるくらいになった時、やっと出版が叶いました。
その絵本が大ヒットして絵本作家になったものの、その後は鳴かず飛ばず。次にヒットしたのは、なんと70冊目でした。
ヒットした絵本に共通していたことは、身近な誰かを喜ばせるために、という思いだったのです。1冊目は彼女を喜ばせるために、そして70冊目は彼女との間に生まれた子どもを喜ばせるために。
「しかし、財布を見たら、マドンナの全財産はなんとたった35ドル! いまの日本円に換算すると約3000円です。19歳の女の子が親元を離れてひとりで暮らすのに所持金が3000円とは無茶にもほどがあります。
さすがにお金がなくては生活ができません。ここでマドンナはあきらめ……ま、せん!」(p.60)
子どものころから夢だったダンサーになるために、マドンナさんは奨学金を得て通っていた大学を中退します。親の大反対を押し切って。そしてニューヨークへ行くのです。
ニューヨークへ着いたマドンナは、タクシーに乗り、「この街の真ん中で降ろしてちょうだい!」と言ったとか。そして到着した時、こう宣言したのです。
「私はこの世界で神よりも有名になる!」(p.61)
何の根拠もなく、マドンナこう宣言しました。宣言することで、背水の陣を敷いたのでしょう。
しかし、レッスンに通いながらアルバイトをする生活は、食べるものにも事欠いたようです。落ちているマクドナルドの袋から、フレンチフライの食べ残しを得ることも学んだようです。
こういう背景があって、大スターのマドンナさんが存在するのですね。
「誰が空を飛ぶ夢を引き継ぐ?
「誰の手に?」
「僕らがリリエンタールのあと継ぎになろう。ふたりで空に舞い上がるんだ」
兄弟は顔を見合わせ、そう心に誓ったのです。
とはいえ、ふたりは航空に関して専門家でもなく、科学者でもない。学歴だってありません。ふたりとも高校中退です。資金だってない。政府から研究費をもらえるような立場でもない。
できない理由、夢をあきらめる理由はいくらでもありました。逆にできる理由はひとつもなかった。」(p.73)
7年間飛行の研究を続けていたオットー・リリエンタール氏がグライダーで墜落死しました。その時、兄弟は誓ったのです。いつか必ず自分たちの夢を成し遂げようと。
それから、研究の日々が始まりました。関係しそうな新聞記事を切り抜き、本を読みました。しかし、その途中でも挫折しそうになります。イギリスのグライダー研究家、パーシー・ピルチャー氏が墜落死したからです。
しかしその後、重要なことに気づきます。それは飛行中の安定がないことが問題なのだ、ということです。そしてその安定を得るためのヒントが、ライト兄弟の仕事である自転車にあることがわかったのです。
「妻と飛行機の両方は養えない」という理由で、兄弟とも独身を貫きました。そういう一途な思いがあったお陰で、現代のように自由に世界中を行き来できる飛行機社会が作られたのです。
「そして、アンネは思い直しました。つらいことばかり考えても仕方がない。つらいのはみんな同じ。
だったら、私は楽しいことを見つける達人になろう!
そして、それを日記に書きつづろう!
アンネは、苦しい生活の中で起こった、ほんのちょっとのうれしい出来事や明るい未来を創造しては、日記帳に記していきました。」(p.108)
「アンネの日記」で有名なアンネ・フランクさんの話です。屋根裏部屋などにずっと隠れ続ける日々を綴った日記が、世界的なベストセラーになりました。しかしアンネさんは、15歳でナチスに捕らえられ、翌年亡くなっています。自由を得ることはなかったのです。
では、彼女の人生は無駄だったのでしょうか? そんなことはありません。多くの人が彼女の日記に感動し、生きる勇気を得たのです。あのネルソン・マンデラ氏もそうでした。
「マンデラの27年間に及ぶ獄中生活を支えたひとつに、アンネ・フランクの存在があります。
「アンネ・フランクの日記は、以前にも読んだことがあったけれど、牢獄の中で読むのはまったく違う印象だった。アンネの日記を読み、自分たちのいる状況と重ね合わせ、13歳の女の子が行動できるなら、自分たちにもできるはずだと勇気つけられた」
肉体は死んでも、希望は死なない。アンネの希望は、マンデラにしっかり受け継がれていたのです。」(p.116)
この部分を読んだ時、涙がこぼれて仕方ありませんでした。想いのタスキはつながる。人はこのように、想いのタスキをつなぎながら、生きることができるのです。
「「汚い顔をしていますけど、勘弁してあげてくださいね」
すると、母親は大笑いしながらチャップリンを抱きしめてキスしたそうです。
恐ろしく伝染力が強い病気にかかっているのに、何のためらいもなくです。
キスしたあと、母親のハンナはこう言いました。
「どんなに汚くてもいいわよ。本当にかわいいお前なんだから」」(p.130)
貧民院で、母親と別れて暮らすようになったチャップリン氏の子どものころの話です。伝染病のタムシに感染し、隔離病棟にいたチャップリン氏を母親が面会に来たときのエピソードです。
たとえどんな状態であっても無条件に愛してくれる存在がある。そのことが生きる勇気と希望を与えてくれます。チャップリン氏の笑いの背後には、人々の悲しさがあります。悲しさがあるからこそ、笑えるのです。
「これでもか、これでもかと頑張って、一歩踏み込んで、それでも粘ってもうひと頑張りして、もう駄目だと思ってもズカッと踏み込んで、そうしていると突き抜けるんだ」(p.174)
映画「影武者」で名を馳せた黒澤明監督の話です。
黒澤監督の映画はお金がかかりすぎるため、一時期、映画を作れなかったのです。「影武者」のときもそうでした。
しかし、そこに助け舟が現れます。それがコッポラ監督とジョージ・ルーカス監督でした。2人の支援で20世紀フォックス社から50万ドルの資金が得られ、「影武者」の撮影が始まったのです。
「命をなめんなよ!
そう言われている気がしました。
家を失っても、仕事を失っても、そして家族を失っても、それでもなお復活できる。立ち上がれる力が命にはあるんだ。
命の力をなめんなよ!
そう言われている気がしました。」(p.222)
3.11の被害で家や仕事や家族を失った人々が大勢います。岩手県山田町でひすいさんが出会った人々は、つらそうな素振りを見せることなく、明るく振る舞っていたそうです。
しかし、その背後には間違いなく悲しさがありました。悲しんでばかりいても、落ち込んでばかりいても仕方がない。そうやって乗り越えようとしている人々がいたのです。
「あの世に持って行けるのはただひとつ。
本気で生きた思い出だけです。
本気でやり切った思い出こそ、心のダイヤモンドになります。」(p.223)
人はいつか必ず死にます。その時には、持っているすべてを手放すことになるのです。
だからこそ、今を輝かせるしかありません。それがどんな状況であろうと関係なく、今、手にある札で勝負するしかないのです。
できるかどうかなど誰にもわかりません。重要なのはやるかどうか。やってダメなら、それでいいではありませんか。倒れようと前に進もうとする。その一歩が人生を輝かせるのです。
どのエピソードも、私たちに勇気と希望を与えてくれます。最初に書かれていた言葉を覚えていますか?
「「ピンチ」は「チャンス」である」ということ。「偉人ほど逆境の連続だった」のです。
そして、どんな逆境にも負けなかった。たとえその人生で花が開かなかったとしても、その想いのバトンは、必ず後世に受け継がれます。
だから人生を諦めないで。逆境にあるなら、今こそチャンスだと思って、ほくそ笑んでほしい。そういうことを、この本を読みながら思いました。
2017年07月10日
運命の流れを変える! しあわせの「スイッチ」
また、ひすいこたろうさんの本を読みました。これも編集者のひたかみひろさんとの共著で、文庫本になります。
「あなたの人生、これでいいのだ!」とサブタイトルがついています。「読むだけで、「夢」が「現実」に近づいてくる!」と、帯にキャッチコピーがあります。この本は、ありのままの自分を受け入れ、そうすることで人生が良くなる、ということを書いた本なのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「実は、僕らの魂は、80年間の休暇をとって、この地球に旅行にきていたのです。」(p.6)
まえがきで、このように言っています。旅なのだから成功も失敗もない。貧乏旅行だって貴重な体験。だから、私たちがやるべきことは1つだと言います。
「心を自由にして、いま、この瞬間を生きること。
過去を悔やむことではなく、未来を思い悩むことではなく、現在、いま、この瞬間をしっかり味わい、そして楽しむことです。」(p.6)
まさに「神との対話」などで言われている通りです。体験することが重要なのであって、何をするかはどうでもいいのです。
「心を自由にする方法は、簡単です。
あなたの人生で、いままで起きたことすべてのことを、
「これでいいのだ」
って受け入れることです。
それが旅の出発点であり、幸せになるための「スイッチ」です。」(p.7)
すべてのことを受け入れる。バカボンのパパのように「これでいいのだ〜」と言う。それが、自分を幸せにする魔法の呪文なのですね。
「かわいいのにモテない人たちは、自分の名前が好きじゃないというのです。」(p.19)
モテなかったり、恋愛が続かなかったりする人の共通点、それが自分の名前を嫌っているということ。名前は自分自身ですから、自分を嫌っているのですね。
そして自分を嫌っている人は、親を受け入れていません。どっちが先かは別として、自分を嫌う人は、他人を受け入れられない。だからモテないし、恋愛が続かないのです。
「心は見えないから、変えるのは難しい。
だから、まず、見えるところを変えてみるのです。それなら今日からできます。」(p.25)
自分を好きになるには、まず外見を変えて好きになるのが簡単だと言います。たとえば男性なら帽子をかぶってみたり、女性ならネイルをしてみるとか、普段しないようなことをしてみます。
その際、自分で選ぶのではなく、他の人に見立ててもらうのがコツだそうです。そうすることで、自分が気づいていなかったチャームポイントに、気づかせてもらえるからです。
「ブッダも、イエス・キリストも、孔子も、実はみんな同じことを考えていたように思います。
(中略)
結局、この3人の聖者が一番伝えたかったのは、自分を肯定すること。自分に”YES”ということです。」(p.32 - 33)
仏陀は「天上天下唯我独尊」と言いました。「この世界にたったひとりの自分だから尊い」という意味です。イエスは「隣人を愛せよ」と言っていますが、その前に「自分と同じように」と言っています。まず自分を愛することが大切なのです。孔子は、「名前が知られていないからと言ってくさるな」と言っています。自分のことを自分が知っていれば、それで良いではないかということです。
このように、3人に共通しているのは、自分を肯定すること、自尊心を持つこと、自分を愛することだと言うのです。
「絶対の自信なんかホントは誰ももっていない。ただ自信があるように自分に暗示をかけているだけです。」(p.42)
1000人を超える成功者に取材した結果、「彼らはすごくポジティブな人を「演じて」いる」ということがわかったそうです。演じるのであれば、今すぐにでもできますよね。
マンガ「天才バカボン」のストーリーが紹介されていました。私はまったく覚えていなかったのですが、とても驚いたので紹介します。
「天才バカボンのパパはママと結婚して子どもができた。パパが喜んで病院へ駆けつけると、生まれた子どもは頭のうしろがぜっぺきのダウン症の子どもだった。ショックを受けたパパは、ふらふらと道にでたところを車にはねられてしまう。
頭を強くうったパパ。
起き上がったときにいった言葉がこれです。
「これでいいのだ」」(p.56)
バカボンがダウン症の設定だったのか、私は知りません。こんな物語があったのかどうかも知りません。でも、さもありなんという気がします。
車にはねられたショックで、バカボンのパパは悟ったのかもしれませんね。それ以降は、何が起ころうとも「これでいいのだ〜」と言って、ひょうひょうと切り抜けていくのです。
「「大変」なとき、それは「大」きく「変」わる大チャンスなのです。」(p.62)
大変な時は、これまでと同じことをしていてもどうにもなりません。違うことをしなければならないし、自分を変えなくてはなりません。だからチャンスなのです。
「大切な人へ贈るプレゼントを選んでいる時間、そこには2つの幸せが隠れていたのです。
贈りものができるほど恵まれていることへの幸せ。
そして、プレゼントしたくなるほど、大切な人がいてくれることの幸せです。」(p.68 - 69)
アフリカには、プレゼントする側が「ありがとう」と感謝する風習を持つ部族がいるのだそうです。奇異なことに感じるかもしれませんが、上記のように考えてみれば、それもまた一理あると思えますね。
「相手の立場をちょっとでも想像してみる。すると、世界を優しく見ることができるようになります。
「あの人は機嫌が悪い」などと「印象」で判断するのは誰にでもできます。
でも、「なぜ不機嫌なのだろう?」「どうしてイライラしているのだろう?」と、その「理由」に思いを馳せることができたら、それが本当の優しさです。」(p.95)
アメリカインディアンの教えにも、「その人のモカシン(革靴)を履いて1マイル歩いてみるまでは、その人を批判してはならない」というようなものがあります。まさに、その人の印象ではなく、その人の事情を慮ってみるということですね。
「人生を楽しむとは、自分の可能性を楽しむことです。それ以上にワクワクすることなど、この宇宙にありません。
そのためにいちばん大切なことは、「人生を楽しむ!」と心から決意することです。
決めれば人生はそのとおりに動いていきますから。」(p.159)
重要なのは、人生を楽しむこと。苦労するために生まれてきたのではないのですから。
何とかなるという気持ちがあれば、人生を楽しむ余裕も生まれます。と言うより、余裕を持つことによって、人生は何とかなるのです。その安心感が、人生を創造するからです。
「さまざまな価値観を「それもいいね」「これもいいね」と受け入れることができる。だから、ケンカにならない。それができるのが「和」の心をもつ日本人ならではです。」(p.170)
キリスト教のクリスマスを祝い、仏教の除夜の鐘を撞き、神道の初詣で一年の安全幸せを祈願する。こんなことをするのは日本人くらいだと言われます。
「日本はかつて、「大和(やまと」の国といわれました。
料理では、違うもの同士を混ぜ合わせることを「和(あ)える」といいます。
「和」とは、自分とは違う価値観を楽しめることです。すると、みんなが「輪」になれるのです。」(p.171)
違うことを受け入れ、そのままに楽しめる。それが日本人の心。私もそうであってほしいと思います。
それにしては最近は、同質均一を求めてギスギスする風潮が強いように感じます。異常に他人にマナーを求めたり、ネットでの批判非難合戦など、目に余るものを感じます。
違いをそのままに認められたら、自分が自由になれるのですけどね。ぜひそういう日本の伝統を取り戻して、世界を牽引する国民になってほしいという気がします。
「僕らのいま生きている時代こそ、「革命のはじまり」と、歴史に記されることでしょう。
この時代に、この日本に生まれてきたこと。
そこに大きな意味があると思います。
時代は、いま、あなたが一歩踏み出すそのときを待っています。
革命は、はじまっています。」(p.177 - 178)
価値観は時代によって大きく変わります。ですから周りに流されることなく、自分らしく生きることが重要です。常識に従うのではなく、本音で生きるということです。
そうしたのが、幕末の坂本龍馬氏など、明治維新を推進した人々でした。彼らは、自分らしく生きることにワクワクしていたことでしょう。ワクワク生きる人々によって、時代は変わっていくのです。
「神様からもらった人生のシナリオは、一見、不幸に見えたり、つらいことに見えたりします。なぜなら、「優しい心になりたい」とお願いしたら、神様は「優しい心」が育つように、つらい環境をプレゼントしてくれるからです。人間関係に悩み、葛藤するなかから本当の優しさは生まれるのです。
自分がいまいる環境や身に起こることをすべて、「これは自分が神様にお願いしてもらったプレゼントだ」と受け入れると、あなたが望んだ、本当の望みが見えてくるはずです。」(p.182)
起こる出来事も環境も、すべて必然で無駄がありません。なぜなら魂が、自分の課題のために創ったものだからです。自分のためにならないことは、何1つ起こりません。
あとは、そのことを受け入れるかどうかだけです。神を恨み運を嘆くくらいなら、受け入れてみてはどうでしょうか? どうせ変えられないのですから。
「ピンチとチャンスは同じ状況だったのです。
あとは、あなたがどっちを「選択」するか。そこを決めればいい。」(p.228)
これは福島正伸さんのエピソードからです。福島さんは、何を尋ねられてもポジティブな回答しかしませんでした。その理由を尋ねられて、「決めているからです」と答えられたのだとか。
考え方というのは、その人の選択なのです。これを「意志」の問題です。決断の問題です。ですから、今すぐできるのですね。
「風に乗る方法、それは……、「このままでいい」と思うことです。
「このままでいい」とは、いま、この瞬間の、ありのままの自分を肯定すること。」(p.234)
自力で駆け上ることは不可能でも、風に乗れば簡単です。そのために必要なのが、今のありのままの自分を肯定することなのですね。
これでいい、今のままで十分だ、今とても幸せだ。そうありのままの自分を受け入れる。バカボンのパパのように、困ったことが起こっても「これでいいのだ〜」と言ってみる。そうやって、自分を受け入れるのです。
私は、たくさんの本を読んだり教えを聞いたりする中で、究極の教えは「安心すること」ではないかと感じました。そのことをメルマガで発信したりしています。この本もまた、そのことが間違いないと確信させられるものとなりました。
何があっても大丈夫。どんな状況でも心配ない。ただ安心して、あるがままを楽しめばいい。そういう考え方を、これからも発信したいと思いました。
2017年07月14日
ヤッさん
これも何かで紹介された本だと思いますが、誰がどこで紹介してくださったのかすっかり忘れています。原宏一(はら・こういち)さんの小説なのですね。2009年には単行本として出版され、2012年に文庫本化されています。
帯に「連続ドラマ化! テレビ東京系 金曜8時のドラマ」と書かれていたのですが、調べてみると昨年(2016年)の話でした。
では、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。まずはネタバレにならないよう、概要を書くことにしますね。
主人公は、ヤッさんというよりタカオです。転落人生でついにホームレスになったタカオは、ヤッさんと出会うことで誇りを持ってホームレスをするようになります。
ヤッさんは、ホームレスの哲学というものを持っていて、ホームレスの矜持を持たなければいけないと言います。
「ホームレスってのは都会の恩恵を受けて生きてんだ。都会っていう恵まれた環境に生かしてもらってんだ。その幸せに感謝の心ってもんを持たなきゃいけねえだろうが。だから毎日きちんと身づくろいして、すくなくとも堅気の方々に不快感を与えるようなことがあっちゃならねえんだ。わかったかっ」(p.9)
ヤッさんからそうどやされたタカオは、ヤッさんに弟子入りしてついていくことになりました。こうして、ヤス&タカのコンビ(師弟)が生まれるのです。
ヤッさんは、築地の仲買人など仕入先と、東京のレストランなど料理人とを結びつける、という活動をしています。そうすることで、互いに成り立つようになる。いわば流通の仲介役、潤滑油のような働きです。
そうすることで重宝がられ、まかない飯などをご馳走になりながら生きています。お金や食べ物を恵んでもらっているわけではないのです。
そういう中で、様々な事件が起こります。これは、ヤッさんとタカオがその事件を解決していくという物語です。
ある時、仲買人の正ちゃんたちから、しばらく顔を出さないでくれと言われることがありました。これまでの関係からすれば、何か事情があるのでしょう。けれど、誰もそれを語ってくれません。
タカオはイライラしてきます。自分たちの仲は、その程度のものだったのかと感じたのです。一方、ヤッさんは穏やかに引き下がります。その態度が、またタカオをいらだたせるのです。
「おまえってやつは、まだおれの考えがわからねえのかっ。ホームレスは家も財産も仕事も持ってねえが、唯一、矜持だけは持ってなきゃならねえと、最初に言っただろうが。だから正ちゃんたちとの付き合いも人間対人間の付き合いだ。そこんとこだけは勘違いすんじゃねえぞっ」(p.187)
無理に扉をこじ開けようとするタカオと、徹底的に相手を信頼するヤッさんと、まだ少し考え方に隔たりがあるのですね。
この小説は完全にフィクションですから、ただ読み物として読んでみても楽しめます。一方で、豊洲移転問題など、ホットな社会問題も扱われていて、それぞれの立場の考えを理解する上でも役立つでしょう。
このヤッさんのシリーズは、何冊かあるようです。その登場人物は、おそらくまた変わっていくのでしょう。ただし、ヤッさん以外です。ヤッさんの人間的な魅力に引き込まれてしまう作品です。
2017年07月17日
聖書に隠された成功法則
これも何で紹介されたのか忘れましたが、成功法則に関する本を読んでみました。著者は松島修(まつしま・おさむ)氏で、投資コンサルタントをされています。
聖書に限らず、真理は昔から明らかにされていると、私は思っています。ですから、聖書の中に真理があるという考え方には、それほど違和感はありません。ただ、そこに書かれていることをどう紐解くのか、興味があったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「むしろ聖書を読めば、宗教が大きな間違いを犯しやすいことや、宗教活動をすることで成功するわけではないこともよく分かります。宗教は人を束縛するものですが、聖書は人を自由にするものです。宗教が聖書の大事な真理を隠してきたのかもしれません。聖書から宗教のベールをはがした時に真理が光り出します。」(p.19)
まず、聖書を持ち出すものの、それは宗教とは無関係だと主張します。その根拠として、聖書は人を自由にするが、宗教は人を束縛すると言います。
私も、宗教の大きな誤りは人を束縛することだと思っています。ただ、聖書が人を自由にするという主張は、すぐさま受け入れられるものではありません。これをどう説明にするのか、楽しみにしています。
「神実現に沿って進んでいる時の判断基準は、大枠として自分がワクワクする方向に進んでいることです。その人が本来、進むべき方向に進むわけですから、まるでエスカレーターに乗るように次々と目標を達成していく体験ができます。」(p.38 - 39)
これまでの成功法則は自己実現を目指すものだが、この本では神実現を目指すと違いを主張します。その違いは、本来の自分の姿を悟ることにあるようです。本来の自分であれば、流れに乗ってスムーズに進むのですね。
「聖書には「恐れるな」という言葉が、365回出てくるといわれています。ちょうど1年のに日数と同じ数です。聖書の神が人に恐れるなと言っているように、私たちは積極的に前進する中では「恐れるな」と自分自身に言い聞かせる必要があるのでしょう。それほど私たちは恐怖にとらわれやすい傾向があるということです。」(p.71)
聖書でも「恐れる(=不安にあになる)」ことを否定しているのですね。「神との対話」では不安は愛の対極だと言っていますが、不安を捨てて愛(=安心)に留まることが重要だと思います。
「また、聖書を読んだ時、「この言葉を上司(あるいは夫・妻)に読ませてやりたい」と感じるのも間違いです。そうではなく、「私自身がこの言葉に従うように神は願っている」と感じるのが、正しい読み方です。
このような正しい心で読むなら、聖書の言葉は光り輝くラブレターのような存在です。」(p.84 - 85)
どんな教えもそうですが、それを他人を裁く手段にしてしまっては、本末転倒なのです。教えは自分を正すためでしかないのです。
「聖書の成功者とは、その人が神に似たものとなること、つまり最高のステイタスになることです。」(p.88)
一般的に成功者と言うと、お金持ちと考えがちです。しかし、聖書の成功者お金持ちではなく、神と似た存在になることだと言います。
それは、この後に具体的に示されていますが、たとえば愛を持っているとか、いつも喜んでいるとか、幸せでいるなどです。
では、「最高のステイタス」とは何なのか? そのために何をすべきなのか? その答えも、聖書に示されていると言います。
「いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。 (−テサロニケ5・16)」(p.173)
「この3つは神の命令です。この3つをお勧めします……というレベルではなく、命令形です。
これほどしっかり命令されているのは、この3つがどれも成功のための必須条件だからに他なりません。」(p.173)
この3つは、何としてでも「やれ!」と言うことですね。(笑)
「人が喜んでいることを、神は願っています。喜んでいるということは、そこに希望を見いだしている証拠だからです。
喜んでいる人はよく笑います。また、笑っている人には災難も近づきにくいものです。医学的見地からも笑うと免疫力が上がるといわれています。病人が笑うと早く病気が治癒しますし、健康な人が笑うと病気にかかりにくくなるといわれています。」(p.176 - 177)
喜ぶこと、笑うことは、とても重要だと思います。それは、つねに神とともに歩んでいるという安心感であり、自分の存在への自信がベースにあるのでしょうね。
「それでも、感謝する気持ちが、どうしても持てない場合はどうしたらいいのでしょう?
大丈夫です。その場合には、感謝の気持ちはなくても「神に感謝する」と、祈りの中で口に出して言ってみてください。心と言葉が一致していなくても、言葉に出して祈ることとでよい方向に変化していきます。」(p.189)
心が伴わなくても、まずは感謝の言葉を口にすることが重要なのだとか。こういうところは、小林正観さんなどと同じです。
「まず神を愛する。
すると自分自身を愛せる。
だからこそ周囲の人を愛せる。
これが聖書の語る真理です。人にとって神を知ること、神を愛することは最大の喜びです。魂が喜びます。そしてその結果、自分自身を愛せるようになることが大切です。」(p.192)
まず神を愛する。そして人を愛する。そう言われていますが、神を愛すれば自分を愛せるから、人を愛せるようになるという考えは、斬新だと思いました。
「与える人は与えられる。単純ですが真理です。
いつも与えましょう。そうすれば人々はあなたに与えてくれます。人によいものを与えていないと貧乏になります。与えることは大切です。」(p.195)
バシャールは、この世には1つの法則しかないと言っています。それは、「与えたものが返ってくる」です。同じことですね。
「10分の1をことごとく、宝物蔵に携えて来て、わたしの家の食物とせよ。
こうしてわたしをためしてみよ。−−万軍の主は仰せられる。−−
わたしがあなたがたのために、天の窓を開き、あふれるばかりの祝福を、あなたがたに注ぐかどうかためしてみよ。」(p.202)
「マラキ3・10-11」からの引用です。10分の1献金は、聖書では有名ですね。
驚くべきは、「ためしてみよ」とある点です。神は「こういう法則になっている」と示しながら、それを「試してみなさい」と誘っているのですね。
小林正観さんも、トイレ掃除が思いがけないお金をもたらすことを、金儲けの意図でも良いからやってみるように言っています。本当なのかどうか、自分でやってみればいいのです。
「逆に言えば、利益を得るから満足を得るのではなく、満足して満ち足りた心があるから、そこに利益が追いかけてくる、それが聖書の語る真理です。」(p.206)
「神との対話」でも、まず「在り方」を決めることが重要だと言っています。何かをすれば幸せになるのではなく、幸せであるから何かをするのだと。「幸せ」という「在り方」が先なのです。
「一方、積極思考と似てはいても、少し異なるのが聖書的な楽観思考です。楽観思考は、自分がやるべきことはやって、あとは神にゆだねる、やるべきことをやったら神頼みで結果は任せるという思考です。
「いつまでに、どれだけ何を達成するか」というのは、自分が決めることではなく、神のタイミングにゆだねます。それには、「日々、必要な食べ物、着る物、住むところ、お金などすべての備えは、自分が神実現に向けて進んでいれば、神が備えてくれる」という安心感が根底に横たわっています(詩篇127・1-2)。」(p.228 - 229)
ものごとが成就するのは、神が最適な時を選んでくれるから大丈夫。そういう安心感を持つことですね。
これは、結果を手放すという考え方にも通じます。結果は神に委ね、自分は自分がやるべきことをやる。それだけでいいのです。
本書には、この他に「獅子」「雄牛」「人」「鷲」という4つの分類をして、それぞれごとの特性や注意点なども書かれています。これも、聖書に基づくものだそうです。
バランスとか、人格を持った神とか、サタンとか、私にはイマイチ理解しがたい考え方もありました。ですが、本質的には自分は神が創った素晴らしい存在なのだと認め、すべては神の導きで上手くいくと信じ、安心している態度が重要だということだと思います。
そういう点では、「神との対話」で語られていることと共通しているように思います。けっきょく、すべての真理は隠されることなく、昔から語られているということですね。
2017年07月18日
続ダメなときほど運はたまる
欽ちゃんこと萩本欽一さんの「運」に関する本を読みました。前に紹介した「ダメなときほど運はたまる」の続編のようなタイトルですが、実はこれは3作目だそうです。2作目に「負けるが勝ち、勝ち、勝ち!」というタイトルの本も出版されているのだとか。
そのことは知らなかったので、1冊目を買う時についでに、こちらも一緒に買ったのです。この本は「運」に関する本の完結編になるとのことです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「思いついたということは縁があるということだろう。だとすればわざわざ声をかけなくても、近いうち必ずどこかで会う。会えたら声をかけよう。会えなかったらこの舞台で声をかけるのはよそう。
これが僕のやり方。で、この日、佐々木健介さんの名前を紙に書いて、自宅のテーブルの上に置きました。僕、こういう願い事みたいなものを書いておくんです。一種のおまじない。」(p.89)
欽ちゃんは、自分の力が衰えたと感じた時、「力の強い人」と一緒に組めばいいと考えたそうです。それで思いついたのがプロレスラーの佐々木健介さん。そう思いついたからと言って、すぐに声をかけないのが欽ちゃんのやり方です。
ここで注目したのは2点です。1つは、無理に自分でやろうとしないこと。導きを信じているのですね。そしてもう1つは紙に書いておくこと。紙に書くと願いが叶うという話もありますが、欽ちゃんもそういうことをやっているようです。
「人とのちょっとした出会い、わずかな会話が、のちのち物語になるんです。自分の身の周りにいる人の「伝記」に、みんな関わっているわけ。
自分が発する言葉一つ、ささいなしぐさで、相手の言葉が変わってくる、行動が変わってくる、仕事が、生活が変わってくる。それぞれがお互いの運のメッセンジャーなんだと意識すると、いい運を自分がもらうためには、自分も人にいい運をあげなくちゃ、って思いますよね。」(p.98)
私たちは、様々な形で他人と出会い、関わっています。その関わりの1つひとつが、相手の物語にもなっていくし、自分の物語にもなっていきます。
ですから、1つの言葉と言えどもおろそかにせず、相手の良い運になるような言葉を選ぶことが重要なのだと、欽ちゃんは言います。
「普通の人は、「自分はできない」と思うから努力つづける。そのうち努力をする習慣がつくので、自分がかなりいい位置まで到達しても、努力をやめようと思わない。
そうするとね、五年後ぐらいから逆転現象が起き始めるんです。スタート時にほかをぶっちぎってたトップの人は三〇人ぐらいに抜かれていく。あと二年も経つと、また二〇人に抜かれて、天才的なトップだったのが真ん中ぐらいになっちゃう。」(p.177)
天才でも、その才能にあぐらをかいていると大成しません。大成する人は、単に才能があるだけでなく、その才能に溺れない謙虚さがあるのでしょう。そういう人が一部のトップクラスになれるのです。
そういう意味で欽ちゃんは、才能がないことが幸いだと言います。トップクラスになれないとしても、今いるところから少し上を目指して努力を続ける。そうすれば運に導かれて、幸せな人生を送れるのだと。
最後に、「運を招くためにぜったい大事なこと」だと欽ちゃんが言う5つのことをまとめます。
「@運は自分で貯金する」(p.181)
運は貯金通帳と同じで、たまって増えたり、逆に使って減ったりするものです。つらい時はじっと耐えていると運はたまります。失敗したときも謙虚に反省し、希望を持って進めば運はたまります。
「A向いたいない場所に運がある」(p.183)
自分の好きなことではなく、得意になってやることではなく、苦手なことや向いていないことを受け入れて、黙々とやることで運が向いてくるのです。
「B運は言葉と行動に左右される」(p.184)
いい言葉を使い、いい行動をすると、自分の運が良くなります。身近な人に迷惑をかけない言葉を選ぶとか、やさしい言葉を選ぶようにすることが大切です。
「C運と不運はトータル五〇%ずつ」(p.186)
「禍福は糾える縄の如し」と言いますが、運と不運は交互にやってきて、トータルするとプラマイゼロなのだと言います。なので、運が良いときも調子に乗って使いすぎないように心がけ、悪いときも落ち込まずにじっと待つことが大切なのです。
「Dつらい境遇は「運のせい」にする」(p.188)
思うようにならずにつらい境遇の時、他人や環境のせいだと責めるのではなく、また自分が悪いからと自虐的になることなく、じっと耐えることが重要です。ですから、そういうつらい状況は運のせいにして、気持ちが楽になるように考えるのがよいと言います。
欽ちゃんの「運」の考え方を読んでいると、幸田露伴氏の話を思い出しました。「惜福」「分福」「植福」という「幸福三説」という考え方を、「努力論」の中で展開しているそうです。
「惜福」は福を使いすぎないよう、惜しんで使うこと。「分福」は自分の福を他の人に分け与えること。「植福」は次の運の種を蒔いて育てることです。こうすることが、上手な「福(運)」の使い方だと言います。
このことを知って欽ちゃんの考え方を見ると、よく似ていると感じるはずです。きっと露伴氏も欽ちゃんも、同じようなことを感じたのかもしれませんね。
2017年07月19日
おこらせるくん
絵本作家、のぶみさんの最新作を読みました。以前、「ママがおばけになっちゃった!」を購入しましたが、それがとても良かったので、今回も買ってみました。
のぶみさんは、ひすいこたろうさんの友人ということで、ひすいさんの本の中で何度か紹介されています。最近読んだ「キミを救う言葉」の中にも、のぶみさんの話が出てきます。
今回の本は、つい怒ってしまうお母さんがテーマです。
「怒りたくて怒っているんじゃないー!」おそらくすべてのお母さんは、そういう気持ちではないかと思います。
早く幼稚園に行かなければいけないのに、なかなか準備をしてくれない。忘れ物をしないように注意したのに忘れてしまう。子どものそんなところに、つい怒ってしまうのです。
でもそれは、子どものことを愛しているからですね。他人の子どもなら、そんなこと気にもしません。自分の子どもだから、愛しているから、良くなってほしいから、怒ってしまうのです。
そんなお母さんと子どものことを、ユーモラスに描いた作品になっています。
お子さんと一緒に絵本を読めば、お子さんも、お母さんの気持ちに気づいてくれるかも。この作品も、子どもとの距離を縮める内容だと思いました。
2017年07月22日
本日、サービスデー
朱川湊人(しゅかわ・みなと)さんの本を読みました。これは小説ですが、本と同名タイトルの中編と、「蒼い岸辺にて」など短編を4つ合わせたものになっています。
「蒼い岸辺にて」は、2017年5月6日のNHKラジオ第1の「ラジオ文芸館」で朗読放送されたようです。帯に書かれていました。
これを購入したきっかけは、また「みやざき中央新聞」で紹介されていたからです。2017年6月26日発行の記念すべき2700号の社説「生きなきゃ生かせない資源がある」の中です。社説を書かれたのは、魂の編集長・水谷謹人さん。
社説の中では、まず日本の自殺の現状を紹介します。かつて年間3万人を越え、1日あたり90人もの人が自ら命を絶っていましたが、最近は50人くらいにまで減ったのだとか。それでもまだまだ自殺者が多い現状を嘆きます。
そして、ようやく豊かさと自由が手に入る時代になったのだから、見方を変えることで、もう少しがんばってみようよと語りかけるのです。その一例として、「蒼い岸辺にて」という短編小説を紹介しています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「それもありますけど……本当は違うんです。あれだけ事件や犯罪に関係したものを見て、先生も感じませんでしたか? 殺す方なり殺される方なり、誰でも簡単に、どちらかの立場になってしまうんだなぁって」
なるほど、確かにそうだ。
明日、自分は誰かを殺してしまうかもしれない。あるいは誰かに殺されてしまうかもしれない。その可能性がゼロだと言える人間は、きっとこの世にはいない。」(「東京しあわせクラブ」p.173)
主人公は作家先生。編集者の紹介で出会った飛鳥ちゃんから、秘密クラブに出品するために作家先生の持ち物を貸してくれと言います。それは、過去の事件や犯罪にまつわる何か。それを見せ合うクラブだったのです。その時の飛鳥ちゃんのセリフと作家先生の心の中が、上記のように書かれています。
事件を丹念に見ていけば、もし自分が犯人の立場だったら同じことをしたかもしれない、と私も思います。私自身が誰かを殺めていないのは、紙一重だと感じるからです。そして、被害者になる可能性はもっと高いでしょう。
そういう想像ができるかどうかで、他者への共感や現状への感謝などができるのではないか? そう思うのです。
「「私に彼氏? そんなのできるわけないでしょ……私なんてブスだしデブだし」
「ブスでデブ? それって悪いことなのかね……長い間、ここで亡者ばっかり相手にしてきた俺に言わせれば、おまえなんか、けっこう健康的でいいと思うけどね。まぁ、本人が言うんだから、きっとブスでデブなんだろうなぁ。本人が決めちまったら、誰にもそれは引っくり返せねぇから」」(「蒼い岸辺にて」p.289)
自分の将来を悲観して自殺した早織。その早織と三途の川の渡し守の男の会話です。
考え方は人それぞれです。自分がこうだと決めたものが、自分の真実になります。もし、「今はそう思っているけど、そうではないかもしれない・・・」という考えを頭の片隅に置いておけば、もっと柔軟に他人の考えを受け入れられるし、自分が変わるのも容易になるでしょうね。
小説の中では、寿命が尽きる前に自殺した人には未来ゴミがある、と言います。生きていれば体験できたであろう未来です。男は早織の未来ゴミを捨てながら、それを早織に語ります。1年後に彼氏ができる予定だったのだと。
しかし、その彼氏は二股をかけて早織を捨てると言います。早織は、やっぱり自分はそんな運命なのだと思います。
「でも、別の角度で見れば、こいつもおまえの人生には必要だったらしいな。おまえはこいつに振られたのをバネにして、きっついダイエットに挑戦したり、化粧の勉強に精を出すことになる。それで生まれ変わったみたいにキレイになって、このバカがよりを戻そうと言ってきたのを、今度はこっちから振るってことになってたらしい」(「蒼い岸辺にて」p.289 - 290)
「禍福は糾える縄の如し」とか「人間万事塞翁が馬」などと言いますが、何が幸いするかはわかりません。そして何が幸いしたかがわかるのは、寿命が尽きるまで生きた人なのですね。
「いや、違う。才能の差は、努力じゃ越えられない。才能は神さまに愛された人だけが持っているもので、自分みたいなダメなヤツには与えられないのだ。
「おまえがそう思うなら、それでいいんじゃねぇ? 才能のないヤツは、みーんな負け犬。それで納得できるなら、楽なもんだ。どうにか人間に生まれて、せっかくもらった何十年かの命を、そう思い続けて過ごしたって悪いこたぁねぇさ。人間、何でも自由だよ」」(「蒼い岸辺にて」p.292 - 293)
どう考えるかは、それぞれの自由です。どっちが絶対的に正しいというものではありません。
重要なのは、どう考えれば自分らしいか、ということではないかと思います。幸せでいたいのであれば、どう考えれば幸せか、ということです。
本のタイトルでもある「本日、サービスデー」も、とても読み応えがありました。解説にもありましたが、朱川さんの小説は、「もし・・・だったら?」という内容の話なのですね。
「もし・・・だったら?」と考えてみると想像力が鍛えられて、いろいろな見方ができるようになると思います。見方を変えることが、自分らしく生きることにつながるのです。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。