2017年06月02日

宮本武蔵



吉川英治氏の小説「宮本武蔵」、文庫本全8冊を読みました。私が20歳くらいの時、友人から借りて読んだのが最初でした。その時、3回くらい読み返したと思います。私の原点とも言える小説です。

あの頃は引きこもり中で大学へも行かず、部屋の中でゴロゴロしているだけでした。なので、時間はたっぷりあったのです。

小説を読みながら、「武蔵のように生きたい」と思いました。しかし現実は、自分の弱さに負けて、武蔵の友人の又八のような自分だったのです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

われ事において後悔せず」(第三巻p.176)

「宮本武蔵」と言えば、この言葉が思い浮かびます。武蔵も、自分自身を戒める意味で、この言葉を使っていました。私自身も、後悔しないで生きたいという思いがあって、この言葉を記憶していたのだと思います。


−−人間の眼に映って初めて自然は偉大なのである。人間の心に通じ得て初めて神の存在はあるのだ。だから、人間こそは、最も巨(おお)きな顕現と行動をする−−しかも生きたる霊物ではないか。
 −−おまえという人間と、神、また宇宙というものとは、決して遠くない。おまえのさしている三尺の刀を通してすら届きうるほど近くにあるのだ。いや、そんな差別のあるうちはまだだめで、達人、名人の域にも遠い者といわなければなるまい。
」(第五巻 p.186 - 187)

富士と比べて小さい自分、小さい人間と思った刹那、武蔵の心に聞こえてきた声です。

自然や宇宙は雄大ですが、だからと言って自己卑下するのはおかしいのです。人が存在しなかったとするなら、この宇宙に何の意味があるでしょう? これは1つの考え方ですが、深遠な真理につながることが、小説の中で表現されています。

それにしてもこれ、読みようによっては神や宇宙と自分は一体である、つまりすべての存在は「ひとつのもの」という真理を語っているようにも思えますね。


「富士山をごらん」
「富士山にゃなれないよ」
「あれになろう、これに成ろうと焦心(あせ)るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作りあげろ。世間に媚びずに、世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値打ちは世の人がきめてくれる
」」(第六巻 p.113)

これは武蔵と弟子の伊織との会話です。相手によってどうこうするのではなく、まず不動の自分をつくる。そうすれば、いかなる問題が起ころうとも関係なく、ゆうゆうとしていられるのです。

この考え方は、莊子の「木鶏」に似ています。闘鶏を育てる名人に預けた鶏の様子を聞きに行くと、最後に木鶏(=木でできた鶏)のようだと名人が答えたのです。どんなにけしかけられても泰然自若としている。そうなれば、もう闘おうとする相手もいなくなるのです。


死んだ鳥の肉は不味かった。自分だけの身を考えて、あわててそんな死肉で腹を膨らましてしまった伊織は後悔した。−−自分を捨てて、大勢のために考えれば、食物はひとりでに、誰かが与えてくれるのだということを覚えた。」(第七巻 p.85)

嵐で自分たちの住まいが壊れた後、武蔵は弟子の伊織を残して、水が出た様子を見に行ったのです。その間に伊織は、水の出た様子を見るより自分たちが住む家を何とかする方が先だろう、と考えていたのでした。

しかし、武蔵は水が出た様子を観察し、村人たちに適切な処置を指示していました。それによって村人たちは難を逃れることができ、武蔵に感謝して食べ物を持ってきたり、家の修理を手伝ったりしたのです。

自分のことを後回しにしても他人のことを心配する。「情けは人のためならず 巡り巡って己が身のため」という言葉があるように、他人を生かせば自分が生かされるという真理を語っています。


この小説は、剣豪宮本武蔵がいかに活躍したか、いかに強かったかには、それほどスポットを当てていません。それどころか、人間臭くて悩み苦しむ姿が描かれています。

また、登場人物の多くが、何かしらの苦しみを抱えています。それぞれにそれぞれの人生があり、いかんともしがたい苦悩を抱えながら、それでも生きているのです。

そんな複雑な人の心理をみごとに描いている小説。それがこの「宮本武蔵」なのだと思います。

戦前に書かれた小説ですが、今読んでみてもまったく古びた感じがしません。お勧めの小説です。

宮本武蔵
 
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2017年06月05日

人生をバラ色に変えるコミュニケーション講座



日本の教育を研究し、教員養成講座などで学生を指導しているKim pitt氏の本を読みました。この本を買ったきっかけは、たしか「みやざき中央新聞」のFacebookページにあった編集長の投稿で紹介されていたからです。それを読んで、とても面白く感じたので。

本のタイトルとか気にしなかたのですが、読み終えてから見ると、少し違和感を感じます。この本は、Kim氏のブログから抽出した文章を並べたもので、特にコミュニケーションのとり方を体系的に解説するようなものではないからです。

コミュニケーション力が大事だという話や、エピソードからコミュニケーション方法を学ぶということは可能だとは思います。けれども、そんなことを考えるよりも、読んで単純に楽しめばいいのかなって思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

また、皆さんの周りに、常に否定的な人がいれば、自身も否定的になるので、近寄らない方が良いのです。幸せになりたい人は、自分が幸せだと思っている人、明るい人と友達になりなさい。間違いなく幸せになれる。幸せは伝染、つまりうつるものだから」(p.11)

授業の最初に、Kim氏は必ず「幸せですか?」と学生たちに質問をして、コミュニケーションをとるそうです。そのKim氏が説く幸せになる方法は、幸せな人と一緒にいることなのですね。


腸からセロトニン分泌司令を出すのに最適な食品があります。それはなんと、あの「カレー」らしいのです。スパイスが多く含まれ、たんぱく質、脂質、炭水化物がバランスよく摂取できるカレーは、腸を温める効果が抜群だそうです。腸を温めると、セロトニンをドバドバ出すよう脳に司令が届き、幸せを感じるというのです。」(p.45)

セロトニンは幸せホルモンとも呼ばれますが、その95%は脳ではなく腸から出ているということが、最近の研究で明らかになったとKim氏は言います。生物学的に脳は後からできたもので、最初は腸だったのです。生きるために、食べて満足するという回路ができているのでしょうね。


人間関係を良くするには、次のような5つの法則があります。
 1番目はノックの法則です。相手の心の扉を開こうとするなら、先に自分からノックしなさいという意味です。先に自分のありのままの素直な姿を見せると、相手も自分の心の扉を開いてくれます。
 2番目は、鏡の法則です。鏡は絶対に先に笑わない。しかし、自分が笑うと必ず笑ってくれます。つまり、常に相手に対する配慮が必要だということです。
 3番目は、相互性の法則です。他人に好かれたいなら、自分からその人を好きになる必要があります。そして、自分のことが好きな人なら、他人のことも好きになります。
」(p.76)

途中までですが引用しました。短い説明文ですが、奥深い内容が含まれています。続きを知りたい方は、ぜひ本を読んでみてくださいね。ブログを探せば、見つかるかもしれませんけどね。


今の日本が世界で生き残るためには、どんな教育を行うべきなのでしょうか? それは、「子どもたちが自ら自分で生き方を決める力」を育てることではないでしょうか。さらに「社会参加できる力」を育てることです。こうしたことができないなら、人間ではなく奴隷に過ぎません。つまり、ものを言う動物に過ぎないのです。
 大切なのは、親や学校の先生に、「私の人生は私のもの、だから私にお任せください」といえる力です。
」(p.139)

教育の目標は自立させること。アドラー心理学でもそう言っています。従順にさせることではないのです。


ブログの体裁なので、横書きの本になっています。ページ数は150ページなのですが、段落間や行間が空いてないこともあり、多少読みづらく感じます。

でも、読んでいて何となくほっこりしたり、ニヤッとしたくなる内容です。まじめにお勉強するような本ではなく、暇つぶしに読んで楽しく、それでいていろいろ考えさせられる内容だと思います。

人生をバラ色に変えるコミュニケーション講座
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:36 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月06日

西洋占星術で鑑定してもらいました

最近、ココナラでいろいろ依頼することが増えています。1コイン500円(税別)で依頼できる手軽さがいいですね。

今回は、西洋占星術で鑑定してもらいました。鑑定人は琉架<ルカ>さんです。

西洋占星術を使用してカウンセリングを行います 【1日2名様限定】本気でお悩みの方のみ【恋愛・人生】

1日2名限定ということで、申し込もうとした日は先客があって申し込めませんでした。1日待って、やっと申し込みましたよ。

すぐに連絡があって、方角に関しては東洋占星術の方が正確だから、そちらを受けた方が良いのではというアドバイスでした。

私は特にこだわりがなかったので、その正直さが気に入って、鑑定していただくことにしました。


とてもボリュームのある鑑定結果をいただきましたが、参考までに引用しますね。

まず、お引越しをすべきかどうか、行くとしたらどこが良いか、ということですが、akakiさんは元々地元などに定住し、あまりお引越しをされないほうが良さそうです。
貴方様は一つこれといったものを見定めると、どこまでも頑張れるお方です。
そのため、住まい、つまり自分の居場所を、あまり変えないほうが力を発揮できます。

ただ、その才能が発揮されるのが人より少し遅いため、「結果が出ない」と変化を加えたくなってしまうのです。
しんどいかもしれませんが、少しだけ動くのをやめてみてはいかがでしょうか。
目に見える形での良さ、幸運というものが、貴方様の場合は見えにくい傾向にあります。
「やってみたけどダメだった。じゃあ次にいこう。」となってしまいやすいのですが、実はそれはダメだったわけではなく、まだ表面に出てきていなかっただけの場合が多いようです。

じっくりと熟成されるのを待つような慎重さも、時には持っていただけると変化を感じられるようになるかと思います。

地を動かすということは、エネルギーを非常に使いますので、体調が悪いなどの時期はオススメいたしません。

もしどうしてもお引越しをされたいという場合ですが、2017年9月ごろで、東南か東北の方角が良さそうです。
近距離でのお引越しの場合はどの方角でもあまり影響はないのですが、20km以上離れた場所にお引越しされたい場合は、方角も考慮していただければと思います。

また、土用の時期は避けていただきたいです。
夏の土用:7月19日〜8月6日
秋の土用:10月20日〜11月6日

この時期にお引越しをされると、良い物件であったとしても、何らかの事情でまた引越しをせざるを得ない状況になりやすいのでご注意ください。

***
次に、どういうお仕事に就いたらいいのか、ということについて回答いたします。

akakiさんは伝統的なもの、職人や公務員など、いわゆるお堅い職業と呼ばれるものと関わると良いでしょう。
貴方様がその職業そのものになる、というよりは、教える立場が向いております。
やっていることはずっと同じだけれど、人や環境が違う。などの変化があると、続けやすくなります。
1つのものを作り続けるのではなく、いろんな人とコミュニケーションをとり、様々な教えを発信し続けると良いでしょう。

占いやスピリチュアルなことにも興味を持ちやすいですので、そういったことでも良いのですが、歴史の浅いものではなく、古くからある占術の方が良さそうです。
わたくしが使用している西洋占星術は、ここ50年ほどの歴史の短い、発展途上の占術です。
ルーツはもっと昔からありますが、確立されてきたのは最近であるということですね。
時代が違えば解釈も変わってきてしまうのが難点です。

akakiさんは、そういった時代に左右されない、確固としたものを選択されると良いでしょう。

いまお仕事をされていて、転職を考えておられるようでしたら、もう少しお待ちいただければと思います。
時期としては、2年後の2019年後半以降が良いです。
その頃に始めたことは、生涯ずっと続けていけることになります。
逆に、苦手なこと、やりたくないことを始めてしまった場合は、中々抜け出せなくなりますのでご注意ください。
悪習慣が身につきやすい時期でもありますので、良い習慣を身につけるきっかけにしよう、と前向きに準備されるとよろしいかと思います。

今年は右か左か、やるべきかやめるべきか、と極端に決断したくなりやすい時期です。
一度決断してしまうと梃子でも動けなくなってしまいがちですので、もう少し楽観的になられても良いかと思いますよ。

星の刺激は今年の9月半ばまで続きますが、それを過ぎると落ち着いてくるでしょう。
今は焦らず、何故か動きたくなる時期なのだ、と受け入れていただければと思います。

どうしても何かしたくてたまらない。もしくは、新たに働かなくてはならない。という場合は、何かを教える講師などが良いでしょう。
akakiさんは頭の回転が良い方なので、勉強でも技術でも、何でもかまいません。
生徒さんは若い方よりも、年配の方のほうが上手くいきやすいです。

最後にアドバイスカードを1枚引きましたのでお伝えいたします。

【女教皇】逆位置

このカードには、白黒ハッキリさせない、という意味があります。
今はまだ決断のときではないということです。
時期がきたら、自然と天秤は傾くものなのです。
無理に決める必要などどこにもありません。



引っ越ししないほうが良いという鑑定は、先日の湯汲大悟さんの鑑定とも一致しています。やはりそうなのかなぁと思いました。

そして、向いている職業は何か伝統的なものを教える講師とのこと。そうなると今思い当たるのは、やはりレイキしかありません。およそ100年の伝統がありますからね。

そして、今は動きたくて仕方ないと感じる時期だけれども、じっとしていた方が良いとのこと。たしかに、そういう時期なんですよね。(笑)


とは言え、前にも書いたように私は占いを鵜呑みにはしません。良い占い結果は信じますが、悪いことは気にしません。

なので、この鑑定結果は参考にするとしても、それだけで決めるつもりもありません。それよりも、自分の内から湧き上がる直感を信じて、行動しようと思っています。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:41 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月07日

肩こりも、首痛・腰痛・ひざ痛も体をゆるめるだけで9割完治する



ずっと以前に買った「さとう式リンパケア」佐藤青児(さとう・せいじ)さんの本ですが、やっと読むことができました。

タイ・バンコクにも「さとう式リンパケア」のインストラクターさんが来られ、実演されていたのです。それで、そう言えば本を買っていた気がするなと思い出し、読んでみたという次第です。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

強い力だ加わった筋肉は当然、筋膜も破れるし、筋繊維は断裂してしまうのです。「イタ気持ちいい」の正体は、なんとなんと、筋肉の破壊だったのです。」(p.27)

肩こりなどでは、マッサージや按摩、指圧などをしてもらう方も多いと思います。子どもが親孝行にと肩たたきをすることもありますね。ところがそれら叩く、揉むという行為は、筋肉を傷つけているのだと言うのです。

当然、破壊された筋繊維も再生しますが、困ったことにそのときは、筋繊維が以前よりも硬くなってしまうのです。極端にいえば、マッサージをすればするほど、その部分の筋肉はガチガチになってしまうということです。」(p.29)

傷ついた筋肉が再生する時、筋肉が硬くなるのですね。さらに、一度破れた筋膜からは、筋肉がはみ出て固定化されてしまうこともあるのだとか。それが慢性的な痛みの原因になるとも言います。


硬くなった筋肉の”弊害”はすでにお話したとおりです。
 ということは、筋肉を生き生きとさせるためには、逆に軟らかくすれば(ゆるめれば)いいのでしょうか? そのとおりです。
 では、どのようにゆるめればいいのでしょうか?
 その方法こそが、私たちが提唱している「筋(きん)ゆる」なのです。
」(p.38)

ストレッチは、筋肉を軟らかくするのではなく、かえって緊張させるものだと言います。筋肉を軟らかくするのは、緊張の反対で緩めること。そうすることでリンパなどの体液が流れやすくなり、身体の健康が保たれるという考え方なのです。


では、「筋ゆる」で筋肉をふにゃふにゃにするには、どうすればいいのでしょうか。
 ストレッチではなく、もちろんスポーツでもなく、筋肉やその周辺を広い範囲で、ごくごく弱い力で揺すってあげればいいのです。
」(p.44)

具体的には、20gくらいの圧をかけて揺することだと言います。これは、非常に弱い力です。直接緊張した筋肉だけに働きかけるのではなく、その周囲を揺らして、間接的に緩むようにする。これが「筋ゆる」なんですね。

こうして筋肉を弛緩させることで、正常な収縮と弛緩によるポンプ機能が復活します。筋肉のポンプ運動があるから、静脈の血液もよく流れるし、リンパや体液も流れるようになるのです。

なお、詳細なやり方は図解されていますが、これを読んだだけでは難しい部分があるかもしれません。非常に多岐にわたっていますし、圧の程度だとか、揺らし方だとか、判断の難しいこともあるからです。なので、インストラクターさんから習うのが手っ取り早いと思います。


もとをただせば、ヒトの身体は一本の筒なのです。
 ヒトの身体をリフレッシュしたり正したりするときは、このことを頭に置いて対処しなければなりません。
 ここがわかっていないから、身体の痛みを叩いたり揉んだりして解消しようなどという、間違った対処法がはびこってしまうのです。
 筒を叩いたらつぶれてしまいますよね? つぶれたら、治るものも治りません。
」(p.115)

佐藤さんは、人体はツーバイフォー工法に似ていると言います。いわばマッチ箱を積み重ねたような構造です。背骨など骨による柱があるのではなく、筋肉や骨などがそれぞれ構造物となっていて、それの集合体だと言うのです。

筒構造は、圧力が均等にかかる場合には、非常に頑強です。円筒形のスチール缶に、人が乗ってもつぶれませんから。しかし、それが一部にかかってくると、簡単につぶれてしまいます。「バランスを崩した攻撃には弱い」と佐藤さんは言います。

したがって、約6kgの頭が身体の筒の上にまっすぐ乗っている時は問題ないのですが、前に飛び出してしまうと筒構造が壊れてしまいます。それが猫背であり、それによって肩こりなどの障害が生じるのです。


ですから、身体全体の空洞を広げ、「腔を立てる」ためには、口腔を広げることが基本となります。口腔の動きに合わせて胸腔も腹腔も広がっていくのです。

 この3つの「腔」を広げるためには、第2章で紹介した「耳たぶ回し」をおこなうのが効果的です。
」(p.136 - 137)

佐藤さんは、身体は構造からできているという理論のもと、それぞれの構造を広げてやることが重要だと言われます。ここでは口腔、胸腔、腹腔の3つをあげ、それぞれを正常に広げること。そのためには、まず口腔からだと言われるのです。

「耳たぶ回し」は、両手で左右の耳たぶを軽くつまみ、ごく弱い力で後ろに4回回すというものです。これだけではなく、頬をなでるとかあごを揺らすなど、いくつかの運動が組み合わさっています。これが肩こりの解消や頭痛の軽減につながるのだと言います。


この「さとう式リンパケア」は、Youtubeでやり方が紹介されていますので、そちらを見られるのも良いと思います。

「本当にそんな弱い刺激で良くなるの?」という疑問もありますが、それによって痛みが解消したという実例が多数あります。不思議なことだと思っていましたが、事実なのでしょう。

今回は本を読むことで、その理論について知ることができました。まだすべてを納得したわけではありませんが、そういうこともあるのかな、という気持ちにはなれました。

肩こりも、首痛・腰痛・ひざ痛も体をゆるめるだけで9割完治する
 
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2017年06月09日

神との対話 25のコア・メッセージ



「神との対話」シリーズになるニール・ドナルド・ウォルシュ氏の本を読みました。翻訳は、最初から変わらずに吉田利子さんです。

この本は、これまでに受けた神からのメッセージの中で、ニール氏が重要だと思う25のメッセージに絞って紹介するものです。

そして、それぞれのメッセージが関連しあっていて、この本を読んでいくうちに深遠な世界へと誘われるようになっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

手っ取り早く最大の効果をあげられるよう、わたしは「神との対話」シリーズのエッセンスである二十五のコア・メッセージを第2章にまとめた。
「神との対話」のなかで最も重要だと思う洞察を最もわかりやすく提示し、最も実用的に応用できるようにしたものだ。一度読めばすべて完璧に理解できるというわけにはいかないだろう。わたし自身、一度では理解できなかった。だからこそ、そのあとに詳しい説明がある。
」(p.24)

第1章でニール氏は、この本のスタイルを明確にします。ここで示される25のコア・メッセージは、「神との対話」シリーズのエッセンスです。そして、これは実際に応用できるものなのです。


「神に関する世界の考え方を変える!」
 なんと! すごい目標ではないか!
 それが、「新しい霊性(スピリチュアリティ)」の目標なのだ。それが、「神との対話」シリーズの目標だ。それが神を知って愛しているすべての魂の、復讐心が強くて暴力的な恐ろしい「神」の教えと人々が取り組んでいるのを、これ以上見過ごしていられない、またそのような信念が人類にもたらしている破壊的な結果を無視していられないひとたちの目標である。
」(p.50 - 51)

「神がそう命じた。」そう言って、テロ行為をする人たちがいます。そういう人たちは、特別な存在ではありません。誰もがそうなり得ます。なぜなら、権威的に命じる人の声に従う人たちが、敬虔な信者と呼ばれるからです。

神は何も求めないし、何も命じません。それが「神との対話」が言う神の姿です。どうして、そんな神なのか? それが、この本でも語られています。


だが、「まず幸せになる、あるいは自分が求めるような−−たとえばもっと豊かな、もっと愛に恵まれた−−存在になることは、どうすれば可能なのか? だって、その『存在』になるのに必要なものがないのに」と疑問に思われるかもしれない。
 答えは、必要なものをもっているかのように行動することにある。なぜなら、あなたはほんとうはもっているのであり、ただ、それを知らないだけだから。これが「シークレットの公式」で最も大切な部分だ。
 あなたはすでに幸せを、満足を、豊かさを、平和を、喜びを、智慧を、その他すべての「神性」の面をもっている。すべてはあなたのなかにある。それが「あなた」だから。それらが「あなた」なのだから。どこかでそれを見つける必要はない。あなたはただ、自分自身のなかから、それらを引き出せばいい。「ほんとうのあなた」になるだけでいい。
」(p.171)

必要なものはすでに備わっている。だから、この世の条件が整うのを待つことなく、さっさとそうであるがごとく行動すればいいのです。

幸せになりたいなら、幸せだと知って行動すればいい。豊かになりたいなら、豊かだと知って行動すればいい。それだけのことなのですね。

ただし、そうしたからそういう結果が現れることを期待していると、上手くいかないかもしれません。どのような結果が現れたとして、原因であることを忘れないことです。


「神との対話」シリーズは、すべての真実は主観的だという。つまり、自分にとってだけの「真実」だ。わたしにとっての真実は、あなたにとっての真実ではないかもしれない。ほとんどの場合は、違うだろう。」(p.234)

真実が主観的だというのは、多くの人が受け入れがたいことだと思います。どこかに絶対的(客観的)な真実があると思い、それを求め、それに従おうとしてきたのでしょうから。

しかし、実際には自分が主人公である以上、自分が決めた真実以外に真実はありません。だから主観的なのです。そして神は無限だから、どんな真実を選択しようと、それが不正解にはならないのです。


わたしたちは人殺しを防ぐためにひとを殺し、なぜ殺人がなくならないのか、といぶかる。テロを起こすひとたちをテロの対照にして、なぜテロが続くのか、といぶかる。ひとに怒るひとに対して怒り、なぜ怒りが消えないのか、といぶかる。ひとを虐待するひとを虐待して、なぜ虐待が続くのか、といぶかる。ひとを憎むひとを憎み、なぜ憎悪が続くのか、といぶかる。ひとを糾弾するひとを糾弾し、なぜ糾弾が続くのかといぶかる。」(p.370)

すべて、自分が蒔いた種です。自分の思考こそが原因であり、現実は結果に過ぎません。その結果に翻弄されて、また同じような原因を自分が作っている。それだけのことではありませんか。

このことがわかったなら、自分の心の持ちようを変えたいと思うはずです。本気で幸せを、豊かさを、愛を現実にしたいと思うのであれば。


「神との対話」シリーズは、私にとっては原点とも言える存在です。この本との出会いによって、私はスピリチュアルがうさんくさいものではなく、論理的にまっとうなものだと思えたからです。

どの本から入っても良いのですが、今から初めて読もうと思われるなら、第1作の「神との対話」かこの本がいいのではないかと思います。

神との対話 25のコア・メッセージ
 

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2017年06月11日

夫のちんぽが入らない



ネットで話題になっていた本を読みました。著者は主婦のこだまさん。同人誌即売会の「文学フリマ」に参加し、同人誌「なし水」に載せたエッセイが好評で、単行本化された小説です。

タイトルがあまりに過激だということで、ネット上で話題になっていました。何となく読んでみたくなって、取り寄せてみたのです。


ではさっそく、一部を引用しながら・・・と言いたかったのですが、この小説では特に引用したいフレーズはありません。簡単にあらすじを紹介しましょう。

主人公は北海道の田舎で育ち、大学進学のために東北地方の地方都市に出てきました。誰とも上手く交われない性格は、母親に拒否され続けてこられたから、と想像されます。その母親や、閉塞的な田舎から出たくて、一人暮らしができる進学先を見つけたのです。

住むことに決めたのは、まるで学生寮のような下宿。室内にキッチンがあるものの、トイレと風呂は共同。ちょっと珍しい形態ですね。まあ最近は、下宿のようなアパートそのものが少なくなりましたからね。

そこで、1年先輩の気さくな男性と出会います。そしていつしか男女の関係に。ところが、タイトルにもあるように、どうやっても挿入できないのだそうです。彼の息子がデカすぎるのか、それとも主人公に問題があるのか。

その後、2人は結婚することになります。しかし、ローションを使ったりしても、まともに性交できません。夫は風俗へ通って性欲を満たし、妻は出会い系のブログで知り合った不特定多数の男性と関係を持ちます。そういう相手だと、普通に性交できるのが不思議なところ。

主人公も夫も、学校の教師として働くようになります。そこでは学級崩壊という問題と出会います。様々な葛藤を抱えて、「死」すら考えるように・・・。

また、そもそも挿入できないのですから、夫婦に子どもができるはずもありません。諦めかけていたころ、ふと、妊活をしようという気持ちになります。しかしその努力は・・・。


これは主人公の波乱万丈の人生です。少しコミカルでもあり、また深刻な悩みでもあります。そして、誰もが数人の登場人物のいずれかの思いに、多かれ少なかれ共感することでしょう。

そして主人公が、悩みながらも成長していく様がよく描かれていると思います。他の人の考え方に共感できるようになっていくのです。


タイトルがセンセーショナルなだけに、逆に反感を覚えるという人もいるかもしれません。ただ、夫婦間の性の悩みを赤裸々に語るということは、これまでにあまりなかったことです。そして、多くの人が夫婦間の性の問題で悩んでいたりもするのです。

主人公が様々な経験によって傷つきながらも、新たな視点を見出していく。そういう中に、自分自身の姿を見つけられるのではないでしょうか。

「かくあるべし」という価値観の押しつけではなく、こんな人がいますと素っ裸でさらけ出した感じの小説。そういう無防備な中に、何かしら感じることがあるように思うのです。

夫のちんぽが入らない
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:33 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月12日

ダラダラ気分を一瞬で変える小さな習慣



もう6年前になるでしょうか。箱根ブランディング合宿で同室になった大平信孝さんの4冊目の本を読みました。今回は奥様の大平朝子さんも共著になっています。

以前に紹介したのは、「本気で変わりたい人の 行動イノベーション」「今すぐ変わりたい人の行動イノベーション」「「続けられない自分」を変える本」です。

友人と呼べるほど親しい関係ではありませんが、それでも同じ部屋に泊まり、将来を語り合った仲。そういう人がベストセラー作家になっているというのは、何となく誇らしい気持ちになります。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

ダラダラしてしまうのは、何もあなたが悪いわけではありません。
 あなたがダラダラしてしまうのには、ちゃんとした理由があります。
 じつは、あなたが「コントロールできないものをコントロールしようとする」から、気疲れしたり、心が折れたりしてしまって、仕事がはかどらないのです。
」(P.5)

冒頭でこのように説明しています。ついダラダラして行動できないのは、本来コントロールできるものに意識を向けず、他のことを考えているからですね。

ですから、対策は簡単です。コントロールできることに意識を向けるよう、工夫すれば良いのです。


では、「適度な緊張」を保つために、具体的にどうしたらいいのか?
 適度な緊張を保つ手段は3つあります。私は、これを「緊張スイッチ」と呼んでいます。次にあげる「3つの緊張スイッチ」のうちのどれか1つをオンにするだけで、適度な緊張を作ることができます。

@緊張を緩める(ユルメル)
A緊張を高める(タカメル)
B気持ちを切り替える(キリカエ)
」(P.33)

緊張が高すぎるプレッシャーも、緩すぎるダラダラも、仕事に集中するのにふさわしくありません。また、適度な緊張感があっても長過ぎてマンネリ化すれば、こても効率が下がります。ですから、適度な緊張の持続を目指す必要があるのです。

そのための方法を大きく分けると、上記の3つになるのですね。ここで紹介する全部で50個のルーティン(小さくて簡単にできる行動習慣)は、上記の3つに分類して紹介してある、というわけです。


ポイントは、会社のためでも、お客さんのためでもない、あなた自身の自己投資のために時間を使うこと、個人的に興味があって、あなたの理想の未来につながることに、1分間集中して取り組むことです。
 1分間経過したところで気分がよければそのまま続け、気分が乗らなければスパッとやめればいいのです。
」(P.60)

これは6番目の「タカメル」のルーティンにある「通勤電車で時間を持て余すときは「1分間勉強」する」に書かれています。

このように、ルーティンは簡単で、ハードルが低いものになっています。1分間の勉強で何ができるのかと否定的に考える人は、結局何もしません。しかし、とりあえずやってみるという人は、1分のつもりが10分になったりして、日々の時間を合わせると、かなりの勉強時間を確保したりもするのです。

ですから、簡単だから、ハードルが低いから、無意味とは言えないのです。まず第一歩を踏み出してみる。そこから始めることですね。


以上をふまえて、出勤時にたった5秒で、仕事のパフォーマンスを上げられるルーティンをご紹介します。「オフィスの入口で、(オフィスという場に)お辞儀をする」です。
 オフィス(という場)に対して挨拶することで、アウェイ感が減り、オフィスがホームに近づきます。
」(P.70)

これは9番目の「ユルメル」のルーティンです。オフィスがホームになれば、緊張せずにマイペースで仕事ができますからね。

実はこれに似たことを、私はやっていました。それは、一番最初に出勤してオフィスの鍵を開けるというものです。これでオフィスが完全に私の居場所になりました。ついでに机の上を拭いたり、こっそり社長の椅子に座ってみたりもしましたけどね。(笑)

野球などでは、グランドに入る時に帽子を取ってグランドに挨拶します。それは礼儀でもありましたが、そこに愛着を感じる一因になっているようにも思います。


このようなルーティンが50個紹介されています。そして最後に、ルーティンに関してこう言っています。

ルーティンは、自分で決めた行動の積み重ね。ルーティンを活用することで、あなたがコントロールできるものにフォーカスできるようになります。その結果、あなたの人生に主体的な流れが生まれるのです。」(p.218)

ルーティンそのものは簡単で、実行するのにハードルが低いものばかりです。しかし、その目的は大きなことを行うことにあるのではなく、コントロールできないものから自分でコントロールできるものへと、意識を向け変えることあります。


この本にも書かれていますが、この50個をすべて行う必要はありません。それに、この通りに実行する必要もないと思います。自分に合うもの、必要なものを選んで、あるいは自分で工夫して、ルーティンとしてやればよいと思います。

そうすることで、日々の単調な生活にもマンネリせず、また進歩がないことに将来を悲観せず、やるべきことを淡々とやれるようになる。それがルーティンの力だと感じました。

なかなか思った通りにやれないと感じている方には、ぜひお勧めしたい本だと思います。

ダラダラ気分を一瞬で変える小さな習慣
 



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2017年06月15日

セックスは、神さまからの贈りもの



友人からもらった本を読みました。著者はチャック・スペザーノ博士。対話形式になっていて、質問者はVOICEの喜多見龍一(きたみ・りゅういち)氏、通訳は大空夢湧子(おおそら・ゆうこ)氏、監修は栗原弘美(くりはら・ひろみ)氏となっています。

帯にもあるように、コミカルな一コマ漫画がたくさんあり、また対話形式にすることで、インタビューを聞いているかのような内容になっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

つまりセックスは、人生のなかで大きな比重を占めているにもかかわらず、私たちは、その翌日の会社で「きのうはさあ、二回もセックスしちゃってね」と語ったりは、決してしない……。社会的には口にはしない。しかし頭の中にはしっかり定位置の居場所があって、時折、救急車の赤色灯のようにピーフォンピーフォンと光ったりもするのだ。」(p.4)

つまり、セックスについて大っぴらに語ることは滅多に(まずほとんど)ないにもかかわらず、頭の中に占める割合が大きく、重要なポジションを得ている、ということなのです。このことには、おそらく誰もが納得されると思います。

この本は、そのセックスの重要性を心理学的アプローチで、途中からはスピリチュアル的アプローチで、つまびらかにしていくものと言えるでしょう。


さげまんの意識の下に隠れているのは、素晴らしいギフト(才能)です。さげまんの人も、実はあげまんなのです。ただ、あげまんの部分が隠されているだけです。問題の下には、必ずギフトが隠されています。そのギフトはクリエイティビティであり、ミラクルであり、また、トゥルー・ラブ(真実の愛・真実のパートナー)です。」(p.34)

カップルは、お互いが対等な関係になるよう、パワーを与えたり吸い取ったりするのだそうです。そして対等になると、さらにコミットし続けて、全体でパワーがアップする。その時、「パートナーのひとりは世界に対して大きな貢献をしていくようになり、もうひとりは相手に対して徹底的に与え続けていくようになる」のだとか。これが「あげまん」の構造だと言います。

「あげまん」とは、「ナチュラルな形で流れに乗っている人のこと」で、その人からは常にエネルギーが流れ出ています。その逆が「さげまん」で、「被害者、加害者のパターン」を持っているなど、流れからそれている人だと言います。

そんな「さげまん」でも、「セクシャリティを持ってリーダーシップを発揮できる存在なのかもしれない」と言います。隠されたギフトを発見することで、大きく変わることができるのですね。


さげまんは、怖れという言葉に置き換えることができます。自分がどんどん縮こまっていくことであり、罪悪感や恥という間違った自己概念を信じている。つまり、自然な流れに乗っていかない道にいるわけです。
もし、あなたが流れに乗っていったなら、あなたはあなた自身になっていきます。すごく魅力的になるばかりか、自分はいいことをたくさん受け取って当然だし、自分には受け取るだけの価値があると信じられるようになります。しかしさげまんは、自分には悪運がついているという間違った自己概念を信じている。その上、自分は物事を台無しにする存在なんだと考え、それを楽しんでいる向きがあるのです。
」(p.44)

自尊心がない、自信がない。だから高い評価を受け取れないし、罪悪感を感じる。それが「さげまん」の傾向です。そして、あえてそういう自分であろうとしている。アドラー心理学で言うなら、そうすることが都合が良いからなのでしょう。


あなたのパートナーは、愛なる神、大いなる宇宙の力に至るためのゲートウェイ(入り口)なのです。エンライトメント(悟り)の最初の段階は、マインドの悟りです。ここで、私たちはワンネスを経験します。」(p.170)

パートナーを通じて悟りに至る。悟りとはワンネスを経験すること。ここまで来ると、完全にスピリチュアルですね。

ワンネスは、時間も空間も超越していますから、それ自体は変わることがあり得ません。私たちは、本来はワンネスの中にいます。つまり、私たちは「ワンネスから離れている」という夢を見ているに過ぎないのです。だから、私たちはパートナーとの関係を通して学び、夢から覚めようとしているのです。それは、とりもなおさず、自らがマスターになること。ブッダやキリストになり、そして、神とひとつになるということにほかなりません。」(p.178)

「神との対話」を読まれているなら、ここに書かれていることにうなずかれることでしょう。人間関係においてのみ、私たちは進化成長します。したがって、その人間関係の中でも特に重要なパートナーとの関係が、私たちの進化成長、その行き着く先の悟り(覚醒)のために、重要な役割を果すのです。


この本では、セクシャリティな内容が、面白おかしく、そして真面目に書かれています。そしてその行き着く先が、私たちの魂の目的であり、悟りにあることも示されています。

ただ、正直なところわかりづらいです。説明が端折られているように感じます。それは、質問者にある程度の知識があるために、細部を突っ込んで尋ねていない、ということがあるのではないかと思いました。

また、途中に博士のセッションの様子が書かれているのですが、対象者がスムーズにイメージし、博士の質問にスラスラと答えていることに違和感を覚えます。まあそういうすぐにイメージできる人もいるので、これが偽りとは思いませんが、私にはできないなと感じたので。

そういったことはありますが、パートナーとの関係、セックスについて、一歩踏み込んだ内容であることはたしかです。

セックスは、神さまからの贈りもの
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:10 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月18日

タッチハンガー



何で知ったのかわかりませんが、三砂ちづる(みさご・ちづる)さんの本を読みました。読み始めて気づいたのですが、これはエッセイ集なのですね。「ウフ.」という雑誌に連載された「タッチハンガー〜ふれられなかったあなたへ〜」に、加筆・訂正して制作された単行本です。

サブタイトルに、「がんばり続けてなお、満たされないあなたへ」とあります。本の帯には、「Touch(タッチ)=ふれあい Hunger(ハンガー)=飢え 欲しいのは包み込む優しさ、無償の愛。」と書かれています。触れられるだけで、すべてを受け入れてもらえるような愛を感じる。そんなことがテーマかと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

恋人が欲しい、誰かにそばにいてほしい、という思いは、しかし、ひょっとしたら、そっと誰かに抱きとめられ、受けとめられ、背中をなでてもらいたいということではないでしょうか。今の日本では、恋愛を通じてしか抱きしめらられ、やさしくなでてもらうことができなくなってしまっています。セクシャルなニーズのもっともっと前に、そっとふれられたい、しっかり抱きしめられたいという人としてのニーズがあるということに、なかなか気づけずにいます。」(p.6)

たしかに日本では、「触れる」ということが、すごく特別なことになっていますからね。恋人同士とか、まだ子どもが小さい頃の親子しか手をつながない。それが当たり前という空気があります。

でも、三砂さんが長く滞在されたブラジルでは、普通にハグし合ったりするのだとか。そういう経験によって、人として人肌に触れたいという欲求があり、触れてもらいという欲求があるという気付きになったのだと思います。

ブラジルでは家族は必ず抱擁しあうし、親しい友達同士もいつもハグしています。同性の友人だけではありません。異性の、恋人でもない友人と会ったときもしっかり抱きしめます。そのときの気分や会わなかった時間の長さや思いによって抱き方は微妙に変わります。別に恋人にならなくてもいいけどちょっと素敵だな、と魅力を感じる人は、周囲に一人二人はいるものです。特別な関係にならなくてもいいけどちょっと抱きしめてみたい、という人もいるでしょう。日本ではそういう気持ちは行き場がありません。手を取ってしまったり抱きしめてしまったりしたら、それはもう特別な関係になるしかありません。絶対に手を出さないか、あるいは「最終的な関係」までいってしまうか、どちらかしか魅力的に感じている人に接するすべはありません。」(p.10)

このように、日本の杓子定規な関係のあり方について、疑問を呈しておられます。もちろんこれは、日本が間違っているという意味ではなく、ちょっと不便じゃないかなぁというくらいの感じだと思います。


「タッチハンガー」はふれられなかったわたしたち、みんなが持つ心の渇望です。だからと言って、今、すぐには人にはふれられない。今の日本を生きるわたしたちの世代は、そうやってふれてもよいと思えずに生きてきたのでしょうから。ならばせめて時折、「もの」の所有に対するルーズさ、いい加減さを取り戻しながら暮らすことから始められるのかもしれません。」(p.111)

スペインの人とルームシェアをしたとき、冷蔵庫の中の物は、どっちが買ったかに関係なく自由に使うのが当然という感じだったのだそうです。また沖縄でも、「この鉛筆借りましょうねー」という言い方で、貸して欲しいという意味になるのだとか。

誰の持ち物という厳格な区別をせず、所有に対するルーズさがある。そういうルーズさがあると、生きることが楽になると三砂さんは考えるのです。


最近の母親と子どもはあんまり肌と肌でふれあってないんじゃないかなあ。昔は、日本は、みんなすぐ裸になってたからね。だからおっぱいなんてずいぶん大きくなるまで吸っていたなあ。ほら、昔の女の人って、みんな日本髪結っていたじゃない。あれ、上半身裸で結うんだよね。ぼくの母もよく鏡の前で、きものを半身脱いで髪を結っていた。ぼくはさ、高校生になっても、学校から帰って母が半身脱いで髪結っていると、母のおっぱいさわったり吸ったりしてたもんだよ。」(p.130)

三砂さんの知り合いの70代のドクターが、このように話されたそうです。さすがに私は経験ありませんが、私の祖母などは、暑い夏は上半身裸で過ごしてましたし、郵便配達の方が来られても、そのままのかっこうで受取りに出たりしていました。

銭湯が普通にあったので、少なくとも同性間なら、裸を見せ合うことに抵抗はありませんでした。けっきょくこういうのは、慣れの問題なのかなって思います。


「子育てはストレス」という言い方をやめたいなと思います。言葉には力があります。言い続けるとそのような気がしてきます。かわりに「子育てが一番楽しい」と言ってみたらどうでしょう。あれ、でもそうすると、女に子育てを押しつけるな、男も協力せよと鋭意努力してきたわたしたちの今までの主張はどうなるのか。たくさん子どもを産まされて(ということになっている)、苦しんできた昔の女性たちの苦しみはどうなのか。そう思いはします。でも、「楽しいから、一緒にやりましょうよ」と言えるようになるほうがいいのではないかなあ。「これがストレス」と親に思いながら育てられることを、あなたが子どもなら望むでしょうか?」p.167)

たしかにそうですね。子育ては大変だという一面があることも事実ですが、そう言われたら子どもとしては立場がありません。


幼い人ほど丁寧に接していたい。ゆったりとした気持ちでやさしい手でそっとふれていたい。おだやかな声で語りかけていたい。しっかり抱きしめて、あなたのことをわかっているよと言ってあげたい。大丈夫、少しずつ楽になるからと語りかけてあげたい。言葉で説明できないってつらいよね、言葉で説明できないから泣きたくなるんだよねと泣いている子には寄り添っていたい。言葉が話せるようになった子の話はないがしろにしないで、丁寧に聞いてあげよう。たくさんたくさんの思いが一言に込められているはずだから。小学生には、こんなに大変なのに、生きているだけでえらいと言ってあげよう。中学生には、まだまだしんどいよね、でも大丈夫だよと言ってあげたい。」(p.211)

辛くて自殺する人が大勢います。大人には大人の辛さがありますが、子どもには子どもの辛さがあります。それが大人からすれば「たいしたことないじゃない」と思えたとしても、子どもにとってはどうにもできない大変さだったりもするのです。

そういう三砂さんの経験を重ね合わせながら、三砂さんは大人の方がまだ自由だなと言います。子どもには選択の余地がないことが多いけれど、大人には自分で選べることが増えるからです。だからこそ、子どもに寄り添いたいと言われるのですね。


エッセイなので、「かくあるべし」というよな話はないし、体系立てて何かを説明するものでもありません。一つひとつのエッセイを読みながら、「なるほど。うん、そうだな。」とか「いや、ここは私ならこうだよ。」みたいな、自分の思いを確認するような読み方になりました。

タッチハンガーという言葉は初めて聞いたのですが、たしかに「人肌が恋しい」という思いは、普遍的にあるのかもしれないと思います。チンパンジーの赤ちゃんも、母親に抱かれないとうつ病になるそうですからね。

寄り添うこと、抱くこと、触れること。そんなことを、この本を読みながら考えてみるのも、いいのではないかと思いました。私がやっているレイキは、ただ触れているだけなのですが、私はこれは愛だと思っています。ただ触れているだけ。それだけで癒されるものがあるのです。

タッチハンガー
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 23:13 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月19日

ブレイクスルー



先日、喜多川泰さんの講演会へ行き、書店「読書のすすめ」で行われたサイン会へも参加しました。その時、喜多川さんが松尾健史(まつお・たけし)さんの本を紹介されていました。

松尾さんのことは全く知らなかったですが、喜多川さんがそこまで勧められるならと思い、買ってみることにしました。

本の帯には、作家・喜多川泰さんの推薦文(?)として、こう書かれていました。「「突き抜けろ!に心震える、圧倒的爽快感!」

この小説の特異な点は、主人公が複数いることです。同じ時期の登場人物を、それぞれを主人公にした物語と言えばよいのでしょうか。表現方法はわかりませんが、短編のようなそれぞれの登場人物を主人公にしたような物語が、他の短編の物語と関連しています。

ですから、誰が本当の主人公なのかということはよくわからないのですが、それぞれにそれぞれの人生があり、その中でそれぞれが「突き抜ける!」ということをテーマにして、自分の人生を戦っているように感じました。


それではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただ、これは小説ということもあるし、まとまった文でメッセージを伝えられそうなところも少なかったので、引用はごく一部にします。

知っていると見えるけど、知らないと見えないことっていうの、世の中にはあるじゃん。ウミガメ一つをとってもそうだよね。これから俺がウミガメを見たときにはさ、今までよりもたくさんのことを読み取ることができると思うんだ。一つの情報から、より多くより深く読み取れることを、俺は『知性』って言うと思ってるんだ。」(p.112)

ハワイの海でサーフボードに乗って波を待っていた時、ウミガメに出会って乗ってみたくなったのだそうです。でも、人間がウミガメに触れたら人間の匂いが残るので、そのウミガメは群れからはじき出されるのだとか。

そういうことを知ることが、実は人生や社会にとって、重要な判断をする上でのポイントになる。だから、どんな出来事が自分に役立つかは、何とも言えないのです。だから、何でもないがしろにすることなく、今の人生を受け入れて、そこから学ぶことが重要なのでしょうね。


「突き抜ける!(ブレイクスルー)」というのは自分の限界を超えるということです。ちょっとしたことでもかまわないけど、自分が「ここが限界だ」と勝手に決めたことを、「そうじゃないんじゃないの?」と思って超えてみる。そうやって突き抜ける経験を増やすことで、自分の変化が加速するのだろうと思います。

この小説は、それぞれの立場で課題を抱えながら、それを突き抜けようとする人々の物語と言えるでしょう。どこにでもいる普通の若者が、それぞれの人生の中で、自分の限界に挑戦する。こういう話を読むと、自分ももっと突き抜けなくちゃなぁと思うのです。

ブレイクスルー
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 23:44 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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