2017年04月26日

それもすべて、神さまのはからい。



心屋仁之助さんの本を読みました。前回の「「好きなこと」だけして生きていく。」と同様、武道館ライブに触発されて買った2冊のうちの1冊になります。こちらは三笠書房の王様文庫に入っていますが、最初から文庫本として作られた作品のようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

生きていたら、イヤなこともあるし、うまくいかないこともある。だからこそ、「あーでもない、こーでもない」と悩んでしまうことがあるものです。
 でも、そんなときこそ、
「もしかしたら、これは”神さまのはからい”なのかもしれない」
 と考えてみられたらいいなぁと思います。
」(p.3)

前に紹介した本でも言いましたが、心屋さんはカウンセラーなのですが、どうみてもスピリチュアル系なんですよね。はっきりと「神」ということを言われているのですから、スピリチュアル・カウンセラーでもいいのではないかと思うくらいです。

冒頭で言われていることは、この本の結論でもあります。自分的に「上手くいく」あるいは「上手く行かない」ということがあったとしても、それはすべて「神さまのはからい」なのだから、最終的には「上手くいく」ということなのです。


僕たちは、「できる」「役に立つ」ことが素晴らしいという呪いから、早く抜けださないといけません。
「何の役に立っていなくても、自分は素晴らしい」
 そういう「前提」だけ持っていればいいのです。
」(p.48)

自分の価値は、何かを持っているとか、何かができるとかから生じるものではありません。存在しているだけで価値があるのです。よく、「Doing」「Having」ではなく「Being」だというのと同じですね。


ちなみに、「価値」というのは、自分からは提供しなくてもいいものです。
 なぜなら、”あなたの存在そのもの”に価値があるから。
 あなたがもらえるお金とは、労働の対価ではなく、
「あなたの存在に対する報酬」
 です。これを心屋では「存在給」と名づけました。
」(p.135)

存在そのものが価値を生み出す。それは豊かさ(お金)でもあります。だから、存在しているだけでお金が手に入るということを、心屋さんは「存在給」という言葉で説明しています。


「自分は素晴らしい」という”証拠”を集める必要もありません。
 そんなことをせず、ただ「自分は素晴らしい」と思えばいいのです。
 根拠も証拠も証明書も何もなく、ただ自分で「そう思う」と決めるしかないのです。だって、そう思いたくてがんばっているのですから。
」(p.204)

私たちが頑張ってしまうのは、「自分は素晴らしい」を確認したいからだと言います。他人からそう評価され、「やっぱり自分は素晴らしいんだ」と思いたい。そのために頑張っているのですね。

心屋さんは、だったら最初からそう決めてしまえと言います。証拠集めをせず、そう決めてしまったなら、頑張る必要がなくなるのだと。


心配してもしなくても、結果は同じなのです。「心配をしている時間」を省いていったら、もっとたくさんの「楽しいこと」ができるようになります。
 そして、たくさんの「楽しいこと」をヒラヒラとしているうちに、ちゃんと「結果」が出てくるものなのです。
」(p.211)

心配しようとしまいと、上手く行くものは上手く行くし、上手く行かないものは上手く行かない。だったら心配するだけ無駄じゃないかと、心屋さんは言います。

そして、心配せずに楽しいことだけをやっていれば、自ずと結果がついてくるのだと言います。自分の努力や頑張りでどうにかなるのではなく、自分が自分を「価値ある存在」だと思っていれば、それに見合った現実が現れるということですね。


心屋さんの考え方は、完全にスピリチュアル系だと言っていいと思います。どうしてそういう考え方に至ったのかは明らかにされていませんが、ある時、考え方を変えたことによって、上手く行く現実が現れたという訳です。

それは心屋さんだから上手く行ったのではないか? そういう疑問は残ります。この本でも、そう言われるけれどもそうはじゃないと、心屋さんは言われます。しかし、その証拠は示されていません。

一方では、好きなことだけやれば上手く行くと言いながら、上手く行かないこともあるという言い方もされています。上手く行くことが確率的に高まるというような表現もありました。こういう点は、イマイチわかりずらいと感じました。


書かれている内容は、スピリチュアル系を知っている人にとっては、特に目新しいものはありません。具体的なやり方についても、特に「これなら上手く行きそう」と感じるものもありません。なので、正直に言えば、読んでいて少々飽きてきました。

もう少し正直に、退職した時の気持ちとか、その時の不安だとか、自己開示していただけると読み応えがあったかなと思います。ご自身の事例で言えば、夜中の2時に帰ってこられる奥さんとのやりとりくらいですから。

まあそれでも、普通の人にとっては異常な例とも言えるので、心が動かされるかもしれません。残念ながらうちは、妻が夜中の2時どころか朝帰りすることもたまにあり、それに対して私は文句を言うつもりもないので、心屋さんの事例は驚くようなことでもなかったのです。


また、Facebookなどで展開されている前者後者論の説明もありましたが、何度聞いても納得できません。後者は頭が白くなることだけでわかると言われながら、読んでもわからないなら後者だとも言われます。どっちやねん?と言いたくなります。私自身、後者と言われますが、ぜんぜん理解できません。

それに、そうやってタイプ分けすることの意味がわかりません。前者アプリを搭載した後者とか、さらに細分化したものも示しながら、前者と後者しかないと言い切る根拠も不明です。そして、この分類の意味が、互いを理解するためと言われるのですが、だったら「人はそれぞれ違いがある」だけでいいのではないかと、私などは思ってしまうのです。


そういうこともあって、今の私には、ちょっと物足りない内容だと感じました。ですが、これまでの一般的な考え方に取りつかれている方にとっては、これだけでも十分に目新しく、心を揺すぶられる内容だと思います。

それもすべて、神さまのはからい。

オマケのワッペン
※本の最後に、ワッペンが綴じてありました。「それで、いいにゃ」という言葉。天才バカボンのパパの「それでいいのだ〜」という言葉を思い出します。起こることはすべて必然で無駄がない。だから上手く行っていても上手く行っていなくても、そのままで完璧なのです。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:29 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法



金城幸政(きんじょう・ゆきまさ)さんの本を読みました。どこでこの本を知ったのか忘れましたが、おそらくFacebookで共通の友人である野田智弘さんの紹介ではなかったかと思います。

私は金城さんのことはまったく知らなかったのですが、沖縄在住のカウンセラーだそうです。「5万人の人生を変えた「心」の伝道師」という肩書がすごいですね。時々、東京でもセミナーを開かれているようです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「それそれ! 気づいて!」「本当の私はこう思ってるよ」という、あなたのなかの本当のあなたの声、「本音」に導いてくれるサイン。
 それが、感情なんです。
 だから、どんな感情でも、それをひとつ押し殺し、見て見ぬふりをすると、ひとつ自分にウソをつき、自分を見失っていくんです。
」(p.25)

まずは自分の感情をしっかりと受け入れることが重要だと言います。こういう点は、多くの心理学でも語られていることですね。「神との対話」でも、感情は魂の声と言っています。魂の声をよく聞いて、魂の導きに任せることが重要なのです。

感情をひもといて本音にたどりつくことができたら、人間関係に表れているすべての問題は、自分でつくりあげていた幻だった、ということがわかります。」(p.24)

すべての問題は人間関係から生じると、アドラー心理学では言います。そうであるなら、すべての問題は自分で作り上げている幻であり、それに気づくには自分の感情を受け入れ、本音にたどり着くことが重要だということになります。


料理をつくるのも旦那さんに認められるためだし、仕事をがんばるのも上司に認められるため。自分がやってみたいから、自分の成長のために何かをする、という発想がないので、永遠に人の評価ばかり気にして、「承認」を探してさまようようになってしまいます。
 母親に愛されなかったと思っていることが原因で、人は何歳になっても、母親や周囲の人、他人にまで、どう思われるかを気にして生きるようになるんです。
」(p.43 - 44)

親に愛されなかったということを引きずって、他人の評価を気にするということが、すべての問題の元凶とも言えます。そのことを、金城さんも指摘しています。


本当の愛って、とっても自由なものなんですよ。なのに、この地球では、愛する人を自分のものにしたがるって、おかしくないですか?
 恋愛や結婚って、本来、お互いの自由を尊重するためのもの。でも、そのことをすっかり忘れて相手を所有物のように扱うから、さまざまなトラブルが起きるのです。
」(p.51 - 52)

愛は自由だという考え方は、私は「神との対話」で初めて知りました。金城さんも、同じようなことを言われているのでビックリです。

たとえば、自分の恋人が浮気をしたらゆるさない、という男性は、女性を飼い殺しにすると公言しているようなものです。」(p.52)

自由を極論すれば、浮気も自由ということになります。私は極論が大好きなので、常々そういうことを言っては、批判を受けたりもしたのですが、金城さんも同じことを言われているのですね。


本物の罪悪感の正体は、「自分が自分をしないことへの罪の意識」です。
「自分をする」というのは、自分に素直、実直、誠実であること。自分のほんとうの気持ちをちゃんと見てあげて、自分の思いにウソをつかないということです。
 自分を生きていない分、自分にウソをついた分、澱(おり)のようにたまっていくエネルギー。それが罪悪感なのです。
」(p.82 - 83)

罪悪感は、最悪の精神活動だと「神との対話」でも言っています。その罪悪感を金城さんは、自分を正直に出さないことへの罪の意識だと言います。自分に正直でないこと、自分を騙していること、それに耐えられなくなって行くのですね。


そんな神さまの世界は、愛と調和のエネルギーがただあるだけ。私たちの本質は愛です。
 でも、それだと愛とは何かがわからないので、愛でない体験をすることで、再度愛を感じようと、「不安」と「愛情」という段階を、この物理的次元の地球に生み出したのです。
」(p.103)

これは、「神との対話」を読んでいる人にはよくわかっていることですが、これだけ言われても「なんで?」と感じるかもしれませんね。それにしても、こういうことを当たり前のように話す金城さんて何者?という気がします。


感情をひもとくためのもっとも有効な方法は、問いかけのベクトルを外側ではなく、内側に向けることです。
「なんであんたはいつも自分勝手なの?」と外側に向けるのではなく、「どうして自分はこんな感情を持つんだろう?」と内側に問いかけるのです。
」(p.114)

すべての原因は自分にあり、感情を受け入れ、その感情がどうして起こるかを紐解くことが、解決への第一歩になると言っています。そのための方法として、他者を責める方向に問うのではなく、自分がなぜその感情を抱いたのか、その思考を尋ねるようにと言います。これはたしかに、良い方法だと思います。


本来、本音って素晴らしいに決まっています。いわれたほうは、図星なだけに心が痛むかもしれません。でも、それが自分を改めるきっかけになると知れば、人は本音をいってくれた人に感謝するようになるはずです。」(p.127)

これは、そうだなあとも思いますが、やや疑問もあります。と言うのは、金城さん自身が紹介で入社した会社で、社長の奥さんに面と向かってその非を指摘し、辞めさせられています。それで、奥さんが金城さんに感謝したならわかりますが、そうはなっていないのです。

お母さんやお父さんに対しても、金城さんは子どものころから歯に衣着せぬ言い方をしていたようです。それでご両親が生き方を改めて幸せになったのなら別ですが、どうもそうはなっていないようです。

考えてみれば当たり前のことですが、人は自分に対してだけ責任を持ちます。たしかに直言することで、相手に考えさせるきっかけを与えることができるかもしれません。けれども、それをどう受け取るかは、相手次第なのです。

ですから、自分に正直になることは重要だとしても、それを相手に直接言うことが重要だとは思えないのです。どっちが正しいかではなく、私はそう感じるということですね。


実は、望むことだけオーダーできるようになるには、「自分に疲れ果てる」ことが必要です。人は自分に疲れ果てたとき、初めて「本当に変わりたい」って思えるんです。」(p.175)

金城さんも、引き寄せの法則を上手に働かせる方法について言及しています。いろいろ書かれていますが、ただ「思う」だけでいいという部分の説明は、よくわかりません。けれど、ここに書かれているように、自分に疲れることで変わるというのは、よくわかります。

私も、それを体験しているからです。失恋ばかりしていて、そういう自分にうんざりして、これまでの執着を解き放ったのです。詳しくは、ブログ記事「50歳の私が結婚できた理由」に書いていますので、そちらをご覧ください。

とにかく、悩みに悩んで一度、自分を不安だらけにしてみる。すると、いつまでも不安のループをぐるぐる回っている状態って、ものすごく疲れることがわかります。悩むってすごいパワーが必要だって、理解するんです。
 そして、もうこれ以上ない、ってくらい悩みに悩んで悩みつくすと、人間、さすがに疲れ果てます。
 結局、「あ〜もう悩むの疲れちゃった。やめよう。不安を考えていてもきりがない。同じパワーを使うなら、自分を幸せにするために使いたい」って気持ちが自然に湧きあがってくる。人はそんなふうにできているのです。
」(p.178)

金城さんは、わざと悩み倒してみる方法を勧めておられます。けっきょく、「もうこんなことどうでもいいや。どうにでもなれ。」という気持ちになって結果を手放さないと、変われないのではないかと思います。


たとえば、流れのない水は腐りますよね。それと同じで、停滞したものは腐るので、死ぬと決まっています。エネルギーが止まったことを「死」というように、停滞すると死へ向かってしまう。
 だから、宇宙は変化を拒む人がいると、なんとかその人を動かそうとして、動く必要性をもたらすのです。それが、事故や病気、大きなトラブルなど、いわゆる「不幸」と呼ばれるもの。
」(p.202)

一見、悪い出来事のように見えて、それは自分が変わるチャンスなのですね。その出来事をしっかりと受け入れれば、自然と変わっていく。そして自分が変われば、状況もまた変わっていくのです。


金城さんが、どうやってこういう考え方を身に着けたのか、それはわかりません。ただ、5歳の時に、すでに母親を諭すような感じだったことからして、生まれ持った才能かもしれません。

書かれている内容は、「神との対話」などですでに知っていることなので、特に目新しいことはありません。ただ、その表現方法には違いがあり、なるほどと感じる部分が多かったです。

それにしても、世の中にはこういう方がおられるのですね。これまでまったく存じ上げなかっただけに、びっくりしました。きっと、こういう方が、もっとたくさんおられるのだろうと思います。人類は安泰だなあと思います。

あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:32 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月30日

ガラスの地球を救え



手塚治虫さんの本を読みました。手塚さんが亡くなられたのは、平成元年(1989年)2月9日だそうです。これは手塚さんのエッセイで、同年4月に未完だったものに手を加えて、単行本として出版されました。私が買ったのは文庫本で、1996年の発行となっています。

どうしてこの本を買おうと思ったのか忘れましたが、何かを見てピンと来たのだと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

「食糧難で餓死する人がたくさんいたり、食物を奪い合って、殺し合いが起こる」「核戦争で人類滅亡だよ」「きっと大地震が起こって壊滅する」「放射能に世界中が汚染されると思う」こんな具合です。
 同様の不安はぼく自身のなかにも確かにあるし、前述したように事実、全地球規模で危機感は増大しているにはちがいありません。さらに、テレビやSF映画、マンガが、子どもたちの不安感に拍車をかけているのかもしれませんが、未来人として二十一世紀の担い手になるべき子どもたちの未来像をおおう、この絶望感はどうでしょう。
 子どもたちの明るく輝く未来は、いったいどこへ行ってしまったのでしょう。
 こんなさびしいところへ子どもたちを追いつめてしまったのは、ほかならぬぼくら大人なのです。
」(p.33 - 34)

手塚さんは、人類の未来に不安は抱くものの、それ以上に未来を担う子どもたちに希望がないことが心配だと思われているようです。そして、子どもたちがそうであるのは、大人たちに原因があるのだと。


どんな国も、それぞれの”正義”をふりかざして戦争をしてきましたし、いまもしています。”正義”とはじつに便利な言葉で、国家の数だけ、あるいは人間の数だけあるとも言えそうです。」(p.61)

これは私も同感です。さすが手塚さん、よくわかっていらっしゃる。


幼いころから生命の大切さ、生物をいたわる心を持つための教育が徹底すれば、子どもをめぐる現在のような悲惨な事態は解消していくだろうと信じます。
 今、ここから始めればいいのです。ただ、繰り返しますが、そのためには”豊かな自然”が残されていなければならない。
 自然というものは人の心を癒やす不思議な力を宿していて、自然こそ、子どもにとっては最高の教師だとぼくは思います。
」(p.64 - 65)

子どもは時に残酷で、小動物を傷つけたり殺したりして遊びます。私も、そんなことをしたことがありました。手塚さんは、そういう経験もまた、生命の尊さを学ぶために必要なのだと言います。


”ダメな子”とか、”わるい子”なんて子どもは、ひとりだっていないのです。もし、そんなレッテルのついた子どもがいるとしたら、それはもう、その子たちをそんなふうに見ることしかできない大人たちの精神が貧しいのだ、ときっぱり言うことができると思います。」(p.67)

どんな子どもの中にも、素晴らしい本性が宿っている。手塚さんは、そういう見方をされるのですね。


なにが必要な情報か、ということですが、ぼくはとどのつまり、生命の尊厳を伝える情報が最も必要でかつ重要な情報だと思います。
 現在の暴力非行や、親子の断絶や、生命の軽視は、子どもや若者たちがこれまで育って来た期間に得た情報の吸収、蓄積によってもたらされた結果です。大人たち、あるいは子どもの身のまわりや社会に繰り返し行われる暴力や犯罪、享楽的な性描写などの情報が、子どもを倫理的に麻痺させてしまったことは確かです。これが十倍、百倍になって嵐のように襲う時、どうしようもない人間喪失の社会が実現してしまうでしょう。
」(p.113)

手塚さんは、このように情報の重要性を指摘します。情報とは、映画やテレビ、マンガもそうです。大人が子どもに与えているもの。それが問題なのです。

しかし、これは手塚さんの主張としては矛盾があると思います。手塚さん自身、「鉄腕アトム」などの作品で、多数の暴力を描いています。アメリカにアニメを輸出しようとした時、その暴力性を指摘されたにも関わらず、手塚さんは修正に応じなかったと書かれています。

また、戦後間もないころ、マンガにキスシーンを描いて批判されたことも書かれています。当時の日本の常識としては、キスシーンはそれこそ「享楽的な性描写」だったと思います。正義(価値観)は人それぞれなのですから、一方的な基準で「享楽的」と決めつけるのは、おかしなことだと思います。

自ら暴力を描き、性描写を描きながら、そういうものが子どもをダメにするのだという主張には、少々説得力がないようにも思うのです。


動きというものに性行為と同じような存在感を感じるわけです。
 形にしても、たとえば雲がある形から別の形に移行する、その変化の過程に色気を感じるのです。形が定まってしまうともうダメ。
 だからこそ、動きの色っぽさを追求するためにアニメを始めたともいえます。それでぼくは一種のオナニーをしているのかもしれません。
」(p.166)

こういう告白は好きですね。セックスをタブー視するのではなく、むしろ尊いものとして感じているからこそ、こう言えるのでしょう。「動き」の中にエロティシズムを感じるなんて、とても共感しますね。

「そこになぜエロティシズムを感じるかといえば、そこに生命力を感じるからなのです。動いているという感触があって、なまなましさというか、なまめかしさを感じるのです。」(p.167)

私も、ダンスなどを見るのは好きです。自分では踊れませんが。きっと手塚さんと似たような感覚があるのでしょう。


しかし、地獄へ真っ逆さまに堕ちる悪の魅力、負のエネルギーのすさまじさを知れば知るほど、生命の輝きの美しさ、すばらしさもより鮮やかに浮き上がってくるともいえそうです。」(p.170)

手塚さんは、悪を否定しません。むしろ魅力さえ感じておられます。なぜなら、その背後には生命を感じておられるからのようです。


最後に未来予想を書かれていますが、いったん沈んだ後、また浮かび上がるという未来です。どんなにダメになっても希望を失わないという、手塚さんらしいものだと思います。

善も悪もあって人間。まるごとの人間を、生命そのものを、尊いものとして畏敬する。それが手塚さんの考え方なのだろうと思います。

人間というのは、そもそも矛盾しているものだと思います。そういう意味では、手塚さんのある意味で矛盾した主張というのも、人間らしさということではないかと思います。
 
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posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:08 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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