心屋仁之助さんの本を読みました。前回の「「好きなこと」だけして生きていく。」と同様、武道館ライブに触発されて買った2冊のうちの1冊になります。こちらは三笠書房の王様文庫に入っていますが、最初から文庫本として作られた作品のようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「生きていたら、イヤなこともあるし、うまくいかないこともある。だからこそ、「あーでもない、こーでもない」と悩んでしまうことがあるものです。
でも、そんなときこそ、
「もしかしたら、これは”神さまのはからい”なのかもしれない」
と考えてみられたらいいなぁと思います。」(p.3)
前に紹介した本でも言いましたが、心屋さんはカウンセラーなのですが、どうみてもスピリチュアル系なんですよね。はっきりと「神」ということを言われているのですから、スピリチュアル・カウンセラーでもいいのではないかと思うくらいです。
冒頭で言われていることは、この本の結論でもあります。自分的に「上手くいく」あるいは「上手く行かない」ということがあったとしても、それはすべて「神さまのはからい」なのだから、最終的には「上手くいく」ということなのです。
「僕たちは、「できる」「役に立つ」ことが素晴らしいという呪いから、早く抜けださないといけません。
「何の役に立っていなくても、自分は素晴らしい」
そういう「前提」だけ持っていればいいのです。」(p.48)
自分の価値は、何かを持っているとか、何かができるとかから生じるものではありません。存在しているだけで価値があるのです。よく、「Doing」「Having」ではなく「Being」だというのと同じですね。
「ちなみに、「価値」というのは、自分からは提供しなくてもいいものです。
なぜなら、”あなたの存在そのもの”に価値があるから。
あなたがもらえるお金とは、労働の対価ではなく、
「あなたの存在に対する報酬」
です。これを心屋では「存在給」と名づけました。」(p.135)
存在そのものが価値を生み出す。それは豊かさ(お金)でもあります。だから、存在しているだけでお金が手に入るということを、心屋さんは「存在給」という言葉で説明しています。
「「自分は素晴らしい」という”証拠”を集める必要もありません。
そんなことをせず、ただ「自分は素晴らしい」と思えばいいのです。
根拠も証拠も証明書も何もなく、ただ自分で「そう思う」と決めるしかないのです。だって、そう思いたくてがんばっているのですから。」(p.204)
私たちが頑張ってしまうのは、「自分は素晴らしい」を確認したいからだと言います。他人からそう評価され、「やっぱり自分は素晴らしいんだ」と思いたい。そのために頑張っているのですね。
心屋さんは、だったら最初からそう決めてしまえと言います。証拠集めをせず、そう決めてしまったなら、頑張る必要がなくなるのだと。
「心配してもしなくても、結果は同じなのです。「心配をしている時間」を省いていったら、もっとたくさんの「楽しいこと」ができるようになります。
そして、たくさんの「楽しいこと」をヒラヒラとしているうちに、ちゃんと「結果」が出てくるものなのです。」(p.211)
心配しようとしまいと、上手く行くものは上手く行くし、上手く行かないものは上手く行かない。だったら心配するだけ無駄じゃないかと、心屋さんは言います。
そして、心配せずに楽しいことだけをやっていれば、自ずと結果がついてくるのだと言います。自分の努力や頑張りでどうにかなるのではなく、自分が自分を「価値ある存在」だと思っていれば、それに見合った現実が現れるということですね。
心屋さんの考え方は、完全にスピリチュアル系だと言っていいと思います。どうしてそういう考え方に至ったのかは明らかにされていませんが、ある時、考え方を変えたことによって、上手く行く現実が現れたという訳です。
それは心屋さんだから上手く行ったのではないか? そういう疑問は残ります。この本でも、そう言われるけれどもそうはじゃないと、心屋さんは言われます。しかし、その証拠は示されていません。
一方では、好きなことだけやれば上手く行くと言いながら、上手く行かないこともあるという言い方もされています。上手く行くことが確率的に高まるというような表現もありました。こういう点は、イマイチわかりずらいと感じました。
書かれている内容は、スピリチュアル系を知っている人にとっては、特に目新しいものはありません。具体的なやり方についても、特に「これなら上手く行きそう」と感じるものもありません。なので、正直に言えば、読んでいて少々飽きてきました。
もう少し正直に、退職した時の気持ちとか、その時の不安だとか、自己開示していただけると読み応えがあったかなと思います。ご自身の事例で言えば、夜中の2時に帰ってこられる奥さんとのやりとりくらいですから。
まあそれでも、普通の人にとっては異常な例とも言えるので、心が動かされるかもしれません。残念ながらうちは、妻が夜中の2時どころか朝帰りすることもたまにあり、それに対して私は文句を言うつもりもないので、心屋さんの事例は驚くようなことでもなかったのです。
また、Facebookなどで展開されている前者後者論の説明もありましたが、何度聞いても納得できません。後者は頭が白くなることだけでわかると言われながら、読んでもわからないなら後者だとも言われます。どっちやねん?と言いたくなります。私自身、後者と言われますが、ぜんぜん理解できません。
それに、そうやってタイプ分けすることの意味がわかりません。前者アプリを搭載した後者とか、さらに細分化したものも示しながら、前者と後者しかないと言い切る根拠も不明です。そして、この分類の意味が、互いを理解するためと言われるのですが、だったら「人はそれぞれ違いがある」だけでいいのではないかと、私などは思ってしまうのです。
そういうこともあって、今の私には、ちょっと物足りない内容だと感じました。ですが、これまでの一般的な考え方に取りつかれている方にとっては、これだけでも十分に目新しく、心を揺すぶられる内容だと思います。


※本の最後に、ワッペンが綴じてありました。「それで、いいにゃ」という言葉。天才バカボンのパパの「それでいいのだ〜」という言葉を思い出します。起こることはすべて必然で無駄がない。だから上手く行っていても上手く行っていなくても、そのままで完璧なのです。