2017年03月25日

「生まれ変わり」が科学的に証明された!



前世療法によって過去世があることを証明したという内容の本を読みました。著者は前世療法セラピストの稲垣勝己(いながき・かつみ)さんです。

サブタイトルには、「ネパール人男性の前世をもつ女性の実証検証」とあります。現在、生きておられる日本人女性の前世が、ネパール人男性だったことが証明されたということのようです。

この本で語られている実証例は、里沙(仮名)さんという日本人女性を退行催眠によって、何度か前世療法した時のものです。その中には、昔の日本人として生まれた「タエの事例」と呼ばれるものと、ネパール人男性として生まれた「ラタラジューの事例」の2つが取り上げられています。

どちらもテレビ番組として放送され、反響を呼んだもののようです。この本では、その時の会話も詳細に書かれています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

筆者は過去に二度、里沙さんの守護霊とおぼしき霊的存在に憑依してもらい、対話実験をおこなっています。セッションに入った最初の段階で同様の対話実験を試みました。それまでの前世療法をおこなってきた過程で生まれた、いくつかの疑問を尋ねてみたいと思ったからです。
 そして、その一番の目的は、こうした生まれ変わりを実証するための実験セッションが、われわれ人間に許されるかどうかを尋ねてみることでした。守護的存在からの許可が下りなければ、その警告を尊重し、それに従うのが、霊的存在を認めるようになっていた実験者としての敬虔、誠実な態度であると思っていたからです。
」(p.41 - 42)

いきなりこのようにサラッと書かれているのですが、その方が驚きでした。これまで、前世の自分を語る人の話はあっても、そこに守護霊が出てくるという、いわばチャネリング的なことを前世療法でやったという話は聞いたことがなかったからです。

ただし守護霊が下りてきても、それを科学的に証明するのは難しいので、稲垣さんは本の中で重きを置かなかったのかもしれません。けれども、稲垣さん自身は信じるようになっていたため、前世療法を進める上で重視されたということのようです。


このあと日本語で、ラタラジューが魂となって霊界に行ったあとの記憶を尋ねてみました。そこは光の世界で、「大きな人」に出会い、その一部となって吸収され、現世に生まれ変わるときには、そこからまた魂が分離して出てくる、という解答でした。生まれ変わるに際して、守護霊とともにどのような人生を選ぶかについて相談した記憶は少しだけ残っているが、詳細については思い出せない、記憶が消されたのかどうかは分からない、という回答でした。」(p.90)

これは「ラタラジューの事例」で、ネパール語で会話した後の話です。ネパール人男性の過去世よりも、私としてはこっちの方が気になります。

この本は、「ラタラジューの事例」をメインにしています。なぜなら、たとえ詳細に知らない事実を語ったとしても、それは様々な理由でどこからか得た知識かもしれないという疑いが残るからです。しかし、知らない言語を使って会話をするには知識だけでなく、訓練期間が必要になります。だから、里沙さんが知らないネパール語で会話することが重要だったのです。


つまり、催眠に入るという体験はそれまでの日常的な対処の仕方をいったん放棄し、催眠者を信頼し、すべてを委ね、非現実的、非論理的な対処の仕方へと転換していくという体験をすることだ、と言うことができます。」(p.155)

私自身、友人のヒプノセラピーを受けてみたことがあります。誘導に従って何かを見ようとするのですが、はっきりとしたイメージは出てきませんでした。「何も見えません」と答えることも可能でしたが、そう言ってしまっては、せっかくのセッションが無駄になる。そう思って、何か些細なことでも感じたら、それを言葉にしようと思いました。

このように、催眠者を信頼して、協力する姿勢が必要になると思います。催眠者に操られるわけではないのです。

体験者は、そうした非日常的体験の過程で、自分を拘束し、抑圧していたものから解放され、自由になる仕方を学んでいくことになると思われます。それは、現実的な意識世界からいったん離脱し、非現実的な意識世界を選択することであり、そこに立ち現れる豊かな未知の意識世界へと世界を広げていくことでもあります。そうした意識世界でこそ可能になる普段の自分を乗り越える体験が、普段の自分には隠されていた能力への気づきや目覚めを促し、そうした気づきと目覚めによって、自分への信頼感ないし自尊感情を獲得させていくと考えることができます。」(p.155 - 156)

つまり、日常では自分で自分を制限しているため、本当の自分がわからなくなっていると言えます。そういう状態で、何らかの問題を抱え込むことになる。それを非日常の催眠状態で解放することで、本当の自分と出会い、統合される、日常の問題が解決されることになる、ということです。

このように催眠をとらえるなら、催眠は子どもに限らず成人においても、広く自己実現を援助する有効な教育手段という位置付けができるのではないかと考えるに至りました。」(p.156)

これが催眠療法だと稲垣さんは言うのですね。


過去世が存在するという科学的な証明のために、考えられる可能性をすべて挙げ、それを一つひとつ潰していくという地道な作業がありました。この本では、その検証過程も詳細に語られています。その結果として、稲垣さんは生まれ変わりがあると言われています。

ただ読み物としては、170ページからの「第五章 生まれ変わりを示す「タエの事例」」が圧巻でした。その中で、守護霊的存在との会話があるのですが、会話もスムーズで、これはもう驚くばかりです。

私はすでに、輪廻転生を信じていますから、この本の内容を知ることで考え方が変わるようなことはありませんでした。しかし、こうやって科学的に証明されるということは、素晴らしいことだなあと思います。

「生まれ変わり」が科学的に証明された!
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:38 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スマホで音楽を探す

ここ半年くらい、サロン・オ・デュ・タン「スマホ会」にボランティア講師として参加しています。スマホ初心者のシニアの生徒を相手に、スマホの使い方をほぼマンツーマンで教えるというスタイルの教室です。

ただ、主目的はスマホの使い方ではなく、それを名目にして、シニア層の交流やシニア層と若者層との交流を図るというもののようです。

したがって、「スマホ会」で取り扱う内容は、ごく初心者向けです。スマホを初めて使う人には電話の使い方、メールの使い方、アプリのインストールや設定方法などから入ります。他にLINEの使い方、写真の送り方なども指導します。


こういうスマホの利用方法を指導する立場になって初めて、いろいろとスマホの使い方を極めることができたことがあります。今回は、そのうちの1つをシェアしましょう。

私が、とても便利だと思っているアプリです。それは、聞き覚えのある曲(歌)を探すアプリです。「SoundHound」という名前のアプリですので、ストアで検索してインストールしてみましょう。もちろん無料です。


これをインストールして開くと、以下のような画面になります。

SoundHound

この画面のオレンジの丸をタップして、探したい音楽を口ずさみます。「タラタッタッタッター、タラタータッタッター・・・」みたいな感じでOKです。

音楽聴き取り中

その曲を聴き取らせている間は、上記のように「聴き取り中」などと表示され、オレンジの丸の縁をぐるりのインジケーターがなぞっていきます。聴き取りの時間が終わりに近づくと、次のように表示されます。

聴かせ終わったらタップ

もう十分に聴かせたら、ここをタップします。タップしなくても、自動的に終わり、検索タイムに入ります。

検索後、候補が見つかればいくつか表示されますし、候補なしと表示された場合でも、近そうなものが表示されます。なるべくサビの部分を聴かせるといいですね。もし、今、かかっている曲のタイトルを知りたいのであれば、画面をスピーカーに向けたほうが、余分な音を拾わなくて検索の精度が上がります。

見つかった候補を聞いてみることで、それが正しいかどうかがわかります。正しいタイトルがわかったら、それを「iTunes Store」などで探して、購入するのもいいでしょう。私が探して購入した曲の一覧は、今現在、以下のようになっています。

曲の一覧

1曲あたり200円から250円くらいです。最新の曲は、もう少し高いかもしれませんけどね。アルバムごと購入することも可能です。購入した音源データは、iTunesやiCloudでバックアップすることが可能です。こうしておけば、スマホを紛失しても、購入したデータが無駄になりません。


音楽を聴かない人にはまったく関係がなかったかもしれませんが、昔の懐かしい曲を探して、インストールしておくと、いつでも聞くことができて楽しいですよ。

また、お気に入りの曲を、電話の呼出音に設定することも可能です。この場合、40秒以内の音源でなければならないようですので、待受音となっているものを購入するのが簡単です。自分でも作れるみたいですので、作り方は、WEBサイトで探してみてください。

待受音は、電話やメッセージの全般として使用できる他、個別の待受音に設定することも可能です。つまり、この人からかかってきたら、この音楽が鳴るというように設定できます。これによって、気になる誰かから電話がかかってきたときは、呼び出し音だけで区別することが可能になります。


どれほど役に立つかは人それぞれだと思います。でも、知っていると、意外と助かることもあるようです。バンコク在住のシニアの方で、こういう情報を知りたい方は、原則木曜日の13時〜15時で行っている「スマホ会」へご参加ください。

参加費は、お1人200B(2017年3月現在)となっています。コーヒーなども無料で飲めますし、同年代の方々や、若い世代の方(講師)との会話も楽しめます。詳細は、サロン・オ・デュ・タンさんへお問い合わせくださいね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:48 | Comment(0) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

スマホアプリの言語をタイ語から英語に変える方法

最近は、非常に多くのタイ人がスマートフォン(スマホ)を利用していますね。安い価格のスマホが出回っていることもありますが、タイ人にとってスマホの重要性が増していることもあるようです。

世界中で利用されるスマホですが、言語の設定も多国語に対応しています。たくさんの言語が利用できるわけですが、それだけに、かえって設定が難しいということもあるようです。


最近、私が困ったのは、「GRAB TAXI」のアプリです。以前、iPhone5でインストールした時は、何の問題もなく英語の表記になっていました。したがって、問題を感じることもなく使っていたのです。

ところが、数日前にiPhone7に買い替えた時、問題が起こりました。スマホを買い替え、以前と同じアプリをインストールしてもらい、いざ使ってみようとしたとき、「GRAB TAXI」メニューの表記がタイ語になっていたのです。


タイに15年以上住んでいる私ですが、さすがにタイ文字はほとんど読めません。どこかに言語設定を変換できるところがあるはずだと思い、あちこち探してみましたが、まったく見つかりませんでした。

通常、アプリ内で設定変更できる場合、現在、アプリがタイ語や日本語表記だったとしても、「Eng.」などのように、ボタンがアルファベット表記されるのが普通です。だって、「言語設定」というような意味の言葉が書かれていても、それを読めなければ意味がありませんから。

ところが、「GRAB TAXI」のアプリでは、どこを探しても「Eng.」みたいな表記がありません。タイ人の妻に探してもらいましたが、それでもみつかりません。それでネットで調べたところ、まったく違うところに問題がありそうだとわかりました。

→ 「アプリが意図せず中国語や英語になってしまう原因と対処法」


これによると、スマホの言語設定で上位に設定されているものが優先されるとのことでした。(アンドロイドはわかりません。)それでスマホを調べてみると、「日本語」「タイ語」「英語」の順番になっていました。それを「日本語」「英語」「タイ語」の順番に変えたところ、ちゃんと英語で表記されるようになりました。

おそらくタイの「GRAB TAXI」アプリは、英語とタイ語しか表記がなくて、どちらを表記するかをスマホの言語設定順に依存しているのでしょうね。やってみて初めてわかったことですが、知らなければ使えずに困ったことになったと思います。

ちなみに「GRAB TAXI」の英語表記のメニューは以下のようになっています。

GRAB TAXI メニュー

iPhone7の「設定」に、「一般」-「言語と地域」というのがあって、ここで「使用する言語の優先順位」「地域」を設定できます。(上部の「編集」をタップして、順番を入れ替える。)

使用する言語の優先順位


このように、スマホを使う場合に、言語の設定などでなかなか気付かないことはけっこうあります。海外在住者ならではの悩みかもしれませんけどね。

先日も、「Kindle」のアプリで、Amazonにサインインできないという現象が起こって困りました。アマゾンのアカウントは、以前から持っています。それにもかかわらず、そのID(メールアドレス)とパスワードでサインインできないのです。WEBサイトではサインインできるのに、Kindleアプリではサインインできない。そういう現象が起こりました。

これは、アマゾンに問い合わせて解決しました。Kindleアプリをインストール後にアマゾンにサインインする画面の下部枠外に、どこのアマゾンサイトかを選択するようになっていたのです。

ところがそれが、日本語なら「「サインイン先:デフォルト」と表示されているそうですが、タイにいると「Sign in using:Defult」と表示されていて、まったく気づかなかったのです。これをデフォルトではなく、「Amazon.co.jp」に変えないとサインインできないということでした。

言われてみればなるほどとも思いますが、普通は気づきませんよね。だって、私にとってのアマゾンは、日本のアマゾンだけでしたから、Kindleアプリをインストールしたとたんに、他のアマゾンの可能性が出てくるなど予想もしていませんでしたから。


このように、海外でスマホやPCを使おうとすると、急に言語の壁が立ちはだかることがあります。そういう時も、あわてず騒がず、対処方法を探してみましょう。意外なところに解決方法が見つかるものです。

私がよく行くサロン・オ・デュ・タンさんでは、毎週木曜日のシニア向けの「スマホ会」の他に、「パソコン教室」という名のマンツーマン指導もやっています。こちらは、シニアの方は30分300B(2017年3月現在)とのこと。こういう、よくわからない時の駆け込み寺みたいなところも、知っておくと役に立ちますよ。詳細はサロンにお尋ねください。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 23:36 | Comment(2) | └ タイのお役立ち情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月29日

かさじぞう



絵本を読みました。すでによく知っている昔話ではありますが、いつも行く「サロン文庫」に、この物語の絵本を置きたくなったのです。

「かさじぞう」という話は、全国各地に残っている昔話のようです。話の内容は大体似ているのですが、微妙に違いがあるようです。この絵本の作者は山下明生氏、絵は西村敏雄氏です。


ではさっそく、一部を引用しながら・・・と言いたいところですが、これは絵本ですから、それほど引用するところもありません。

話の大筋は、以前にブログ記事「笠地蔵が教えてくれる豊かになる生き方」で書いてますので、そちらをご覧ください。


私が覚えている話では、お地蔵さんは7体で、おじいさんが持っていたのが6つの傘でした。それで、おじいさんがかぶっていた傘を、残りの1体にかぶせてあげるというもの。

この絵本では、お地蔵さんは6体で、おじいさんが持っている傘は4つになっています。さらに、一つひとつ傘をかぶせていくのに、いちいち木の雪が落ちてくるという細かな設定まであります。

そういう違いはあるものの、おばあさんが温かく迎えてくれること、お地蔵さんがお米など年越しに必要なものをたくさん運んできてくれることなどは、どうやら同じようです。


前のブログ記事では、「良いことをしましょう」という道徳的なことだけではなく、「引き寄せの法則」を示していると書きました。そのポイントが少しあいまいだったので、ここで捕捉します。

まず1つは、「結果に執着していない」ということがあります。おじいさんもおばあさんも、お地蔵さんによくしてあげたから、良い結果が得られるなどと思っていません。

ただ良くしてあげたかったからしてあげた。それだけなのです。それで満足しています。「神との対話」で言うように、行為への情熱はあっても、結果への執着がないのです。

次に、「神との対話」シリーズ「神よりしあわせ」という本でパーソナルな引き寄せについて書いてあるのですが、その本質に適っていると言えます。

それは、黄金律の実践です。「あなたがしてほしいと思うことを、他の人にもしてあげなさい。」聖書だけでなく、世界中の多くの古典で、このことが語られています。

自分に良いことをと願うと、私たちは後ろめたさを感じます。しかし、他の人の良きことを願い、自分を少し犠牲にする場合は、私たちは心地よさを感じるのです。

「かさじぞう」のおじいさんもおばあさんも、お地蔵さんに良くしてあげたことで満足しています。お地蔵さんが寒さに震えなければ、それで良かったのです。たとえ自分が寒さに震えたとしても。

その結果、他人(=お地蔵さん)が得られた結果(=寒さに震えない=豊か)が、自分たちのものとなったのです。


「神との対話」でも言ってますが、これは計算してやっても効果は薄いようです。本心から他人の幸せや喜び、豊かさなどを願って助けると、それが自分にもやってくるのです。

なぜなら、この世に他人は存在しないから。すべてが「ひとつのもの」であるなら、他人にしてあげることは、自分にしてあげることになるのです。


この昔話が、そういう深遠な内容を知った上で作られたかどうかは知りません。しかし、この世の本質に気づいた人たちがいたからこそ、今に語り継がれているのだろうと思います。

こういう昔話は、ぜひこれからの子どもたちに読んでほしいと思いました。だから、「サロン文庫」に寄贈するために、この絵本を買ったのです。

かさじぞう
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:58 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月30日

泣いた赤おに



これも昔話の絵本です。作者は浜田広介氏と、絵はつちだのぶこ氏です。

話の詳細は、言い伝えや作者によって違いがあるようです。しかし、大筋はだいたい同じです。話の大筋を以下に書いておきます。


人間と仲良くなりたかった心優しい赤鬼ですが、人間はなかなか信じてくれません。そんな時、親友の青鬼が尋ねてきて、妙策を授けてくれました。

それは、青鬼が村で暴れるので、そこに赤鬼が現れて青鬼をとっちめて追い払う芝居を打つというもの。そうすれば、赤鬼は優しくて信用できると村人が思うから、人間と仲良くなれるというものでした。

さっそくその策の通りにやってみると、村人たちは赤鬼に感謝し、親しくなることができました。赤鬼は大喜びです。

ところが、親友の青鬼が、まったくやってこなくなりました。赤鬼が心配して青鬼の家に行くと、置き手紙がありました。

そこには、こんなことが書かれていました。「ボクはこれから旅に出ます。なぜなら、もしキミ(赤鬼)と会っているところを村人に見られたら、キミが疑われてしまうからです。もうキミとは会えません。村人たちと仲良く、楽しく暮らしてください。」

その手紙を読んだ赤鬼は、ひとしきり泣いたのでした。



この物語から、どんなことが学べるでしょうか?

青鬼の友情を称えることもできます。本当の友情を失った赤鬼のようにならないように、という戒めともとれます。赤鬼を信用しなかったために、赤鬼にも青鬼にも悲しい思いをさせたという、村人の狭量さを示しているとも言えるでしょう。

この物語の良いところは、どれが正解だと示していないことだと思います。読み手によって、どうにでも受け取ることができます。だからこそ、大人になっても心に残っている、味わい深い物語になっているように思います。

こういう素敵な物語を、子どもたちにも読んでもらいたいです。そう思って、この本を買いました。

泣いた赤おに
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年03月31日

いのちをいただく



みやざき中央新聞の社説で紹介されていた絵本を読みました。作者は内田美智子さん、絵は諸江和美さん、監修は佐藤剛史さんです。

この物語の主人公は、牛の屠殺を仕事にしている食肉加工センターの坂本義喜さんです。そしてこの物語は、坂本さんが体験した実話です。坂本さんの話を聞いた内田さんが、ぜひこれを絵本にさせてほしいとお願いして、この絵本ができたということです。


話のあらすじを紹介しましょう。

坂本さんは、自分の仕事があまり好きではありませんでした。授業参観の時、坂本さんの息子のしのぶくんは、お父さんの仕事を「普通の肉屋です」と答えたのだとか。お父さんが自信を持っていないことが、息子さんにも伝わったのでしょう。

しかし、その授業参観の日、戻ってきた息子さんは、こう言ったそうです。「お父さんが仕事ばせんと みんなが肉ば食べれんとやね」

授業で「普通の肉屋」と答えたしのぶくんのことが気になった先生が、いろいろ話してきかせたようです。それによってしのぶくんは、お父さんの仕事に誇りを感じたのでしょう。

ある日、1頭の牛が食肉加工センターに運ばれてきました。しかし、そのそばには小さな女の子がいました。女の子は牛に話しかけていました。「みいちゃん、ごめんねぇ。」「みいちゃんが肉にならんとお正月が来んて、じいちゃんの言わすけん。」坂本さんは、見なければ良かったと思ったそうです。

坂本さんは、次の日の仕事を休もうと思いました。その話をしのぶくんにも話しました。するとしのぶくんは、坂本さんにこう言いました。「お父さん、やっぱりお父さんがしてやった方がよかよ。心の無か人がしたら、牛が苦しむけん。お父さんがしてやんなっせ」

坂本さんは、仕方なく仕事へ行きました。みいちゃんの所へ行くと、最初は暴れたそうです。しかし、坂本さんの気持ちが次第に伝わり、みいちゃんもおとなしくなりました。

「じっとしとけよ」そう坂本さんが言うと、みいちゃんの目から涙がこぼれたそうです。坂本さんは、初めて牛が泣くのを見たと言います。

後日、牛を連れてきたおじいさんが、坂本さんにお礼を言ったそうです。肉の一部をもらって、食べたとのこと。女の子は食べようとしなかったけど、おじいさんはこう言ったそうです。「みいちゃんにありがとうと言うて食べてやらな、みいちゃんがかわいそかろ? 食べてやんなっせ」

女の子は泣きながら、みいちゃんの肉を食べたそうです。「みいちゃん、いただきます。おいしかぁ、おいしかぁ」と言いいながら食べたのです。



私たちが「食べる」ということは、必ず「命をいただく」ことになります。それは、対象が植物であっても同じことです。

この物語は、「命をいただく」ことがどういうことなのかを、深く考えさせる内容です。「良い」「悪い」と簡単に決めつけられるものではなく、いろいろなことを考えさせてくれるのです。

こういう話を、子どもたちに伝えたいと思いました。それで、この絵本を買ったのです。

いのちをいただく
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 06:51 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なんていいんだぼくのせかい



坂爪圭吾さんが絶賛する絵本を買って読みました。作者は荒井良二さんです。坂爪さんは、ブログ「いばや通信」「自分を殺してひとに好かれるくらいなら、自分を出してひとに嫌われるほうがずっといい。」の記事の中で、「わたり文庫」としてこの本を紹介しています。


読んでみた感想は、「・・・」というものです。大人が読むとしたら、いろいろなことを考えさせられます。でも、子どもが読んで、何かわかるのでしょうか?

ただ子どもが生まれて、成長する中で、「なんでいいんだ ぼくのせかい」と言うだけなのです。ただ笑い、ただ泣き、ただ走る。それだけの絵本です。


そう思ったのですが、はたと考え直しました。そう思うこと自体が、子どもの可能性を制限していると感じたからです。

子どもは子どもで、この絵本を通じて何かを感じるのかもしれない。その可能性を、最初から決めつける必要はないのではないか。そういう気がしました。


何とも言えない不思議な絵本です。絵画で言えば、ピカソなどの抽象画のようなものかもしれません。私にはピカソの良さがよくわかりません。写実的な絵画の方がわかりやすいです。

けれども、こういう作品の中に、何かを感じる人もいるのでしょう。坂爪さんは、そういう人の1人なのだと思います。

子どもがどう感じるかは何とも言えませんが、少なくとも大人の私からすると、いろいろ考えさせられる内容の絵本だと思います。

なんていいんだぼくのせかい
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 21:19 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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