2017年01月03日
思考のすごい力
もう随分と前に買った本ですが、やっと読むことができました。どうしても分厚い本は、後回しになってしまうんですよね。
著者は細胞生物学車のブルース・リプトン氏。翻訳は西尾香苗さんです。
細胞を研究する中でリプトン氏は、心が細胞に影響を与えること、細胞は遺伝子よりも環境の影響を受けること、環境と細胞は一体のものであるということなどを、発見したと言います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「遺伝子は分子でできた単なる設計図で、細胞や組織、器官をつくるときに参照される図面にすぎない。遺伝子が”設計図”ならば、環境は”建設業者”にあたる。建設業者は設計図を読みとり、必要な部分をうまく組み合わせ、責任をもって細胞を構築する。つまり環境こそが細胞の生命のあり方を左右する。そして何より、その細胞が環境を「認識」することによって、生命のメカニズムが動き始めるのだ。」(p.13 - 14)
これまで遺伝子(DNA)こそが細胞にとって最も重要なものであり、遺伝子によって細胞が操作されると考えられてきました。その定説に対してリプトン氏は、遺伝子は単なる設計図だと言います。そうではなく、細胞のあり方を最終決定しているのは環境の方なのだと。
「わかっていただきたいと心から願うのは、あなたの人生を動かしている”信念”の多くが間違っていること、あなたがそれに縛られていることだ。それがわかれば、誤った”信念”を変えることもできるのに気づくだろう。思考や知覚に細胞がどのように反応するのか、科学的なレベルで理解すれば、あなたは力を授かる。この新しい生物学を通じてわたしたちが得る洞察は、意識と奇跡の力を解き放ってくれるのである。
『「思考」のすごい力』は自立を助ける(セルフ・ヘルプ)本ではない。”自らに力を授ける(セルフ・エンパワーメント)”本なのだ。本書を読めば、”自分(セルフ)”についての知識が得られ、その知識はあなたの人生をコントロールする力を与えてくれるのである。」(p.19)
私たちが持っている信念の多くが間違っており、それは自分で変えることができます。それを変えることによって、自分自身を変えることができる。それが、リプトン氏が得た結論なのです。
私たちは、他の動物や植物などを知性がないものとして見下すことがあります。たしかに、私たちと彼らとには決定的な違いがあるように見えますから。しかし、この見方は正しくないとリプトン氏は言います。
「けれども、もしも細胞の大きさまで縮んで、その観点から身体を見たとしたらどうだろう?
世界の見方はまったく違ったものになってしまう。細胞レベルの観点から我が身を振り返れば、それはもはや一個の実体とは見えない。そこに見えるのは、五〇兆個以上の独立した細胞からなる、活気あふれる共同体なのだ。」(p.60)
「また、それぞれの細胞は知性のある存在だということも強調した。細胞は一つだけでもなんとか生きていくことができる。これは科学者が身体から細胞を取り出して培養しているのを見れば明らかだ。わたしは子どものときに直感的にわかっていたのだが、この賢い細胞たちは意志や目的を持っている。」(p.61 - 62)
人間をはじめどんな生物も、知性ある細胞の集合体であるという見方が正しいと言います。そうであれば、細胞レベルで見るなら、すべての生物が同等なのです。
「DNAが生物をコントロールするのではない。核は細胞の脳ではない。
わたしたち誰もがそうであるように、細胞は生活している環境に合わせて形を変える。
つまり「環境こそが問題」なのだ!」(p.118)
リプトン氏は、同じDNAを持つことは、細胞同士が共同体を形成する上で重要なのだと言います。仲間だと認識できるからです。したがって、重要なのはDNAがどうかではなく、細胞を変化させる契機となる環境だと言うのです。
「細胞膜は環境からの信号をキャッチしてそれに反応し、その結果、細胞の行動が引き起こされる。膜はある種の情報処理を行っているのだから、「知性的に(inteligently)」活動しているのだとすると、細胞膜こそが細胞の真の脳であるといえる。」(p.137 - 138)
「細胞が「知性的」にふるまうためには、レセプタータンパク質とエフェクタータンパク質が必要なのだ。レセプターが環境を認識し、エフェクターの働きによって細胞が活動する。両者の複合体は細胞の知能の基本的なユニットであり、事実上、このユニットが「知覚」の単位だと言ってもよいかもしれない。」(p.138)
細胞膜にある様々なタンパク質が、レセプターやエフェクターとして機能することで、細胞は環境からの情報に反応して自らを変えます。餌があれば捕食し、外敵があれば逃げる。そういう基本的な生命維持のための反応も、細胞膜の働きなのです。
「二十世紀を迎えることには、新世代の物理学者たちが出現し、エネルギーと物質との関係の探求という使命に邁進した。その後、十年もたたないうちに、物理学者は、世界は物質でできているとするニュートン的な世界観を信奉するのをやめた。物質という概念は幻想だと理解するようになったのだ。宇宙にあるものはすべてエネルギーで構成されている、と認識したからである。」(p.160 - 161)
物質という確実なものが存在すると思われていましたが、アインシュタインによって物質はエネルギーから作られていることが示されました。そして量子物理学では、物質をさらに細かく見ていくと、質量もなく、存在もはっきりしない素粒子で構成されることがわかってきました。
原子のレベルで人間を見れば、そこにはスカスカの空間しか見えません。その原子核でさえ、ボーッとしたものでしかなく、実体があるのかどうかはっきりしない存在なのです。
「わたしたちが暮らしているこの宇宙は、確固たる実質的な物体が何もない空間に浮かんでいるのではない。宇宙は一つにして分かつことのできない、ダイナミックで全体的な存在であり、エネルギーと物質がからまり合っているので、両者を別々のものとして考えるのは不可能なのだ。」(p.163)
1952年、イギリスのメイソンという医師がミスをしました。イボを催眠療法で治したのですが、後になってそれはイボではなく、先天性魚鱗癬(ぎょりんせん)という別の病気だとわかったのです。催眠療法は、イボに対して効果があることは実証されていましたが、先天性魚鱗癬という命にかかわる遺伝病では、その効果がなかったのです。では、どうして治ったのでしょうか?
メイソン医師は、その後も先天性魚鱗癬の患者に対して催眠療法を試みます。しかし、それによって治癒することはありませんでした。
「メイソンは、治療に対する確信のなさが失敗の原因だと考えた。少年を治療したときは悪性の疣(いぼ)だと思いこんでいて、必ず治せると自信満々だったのだが、そのあとの患者の治療にはそういう態度で臨むことができなかったという。自分が相手にしている症例が先天的かつ「治療不可能」なこと、経験を積んだ医師ならそれは承知しているはずだということを、いやというほど思い知らされた。」(p.197)
つまり、これで治ると確信を持った医師の態度、そしてそれを信じた患者の態度が、病気にも影響を与えるということなのです。これは、前に紹介した「シーゲル博士の心の健康法」でも言われていることですね。
「”信念効果”はすばらしいものだ。これこそ、身体/心には治癒能力が備わっていることを示す、驚くべき証拠である。」(p.221)
プラシーボ(偽薬)効果と言われますが、ニセの薬であっても、それで治ると信じれば、効果があることが明確になっています。
「結果は衝撃的だった。もちろん、手術を受けた患者の症状は改善した。これは予想通りである。だが、偽手術を施したフループにも、手術を受けた二つのグループと同じ程度の治療効果が見られたのだ!」(p.225)
プラシーボは薬だけでなく、手術したと見せかけただけでも効果があることが実証されたのです。
「ほとんどすべての生物は、生命にかかわる刺激を実際に直接経験している。ところが人間は、脳がもつ知覚を「学習する」力がたいへん進んでいる。そのため、わたしたちは他人から間接的に知覚の仕方を教わることがある。ひとたび他人の知覚を受け入れ、それが「真実」だと思ってしまうと、他人の知覚が自分の脳内の回路として固定してしまい、自分の「真実」となってしまう。」(p.215)
つまり脳が発達しているので、他人の知覚を受け入れて、自分の知覚としてしまうのです。「そんな危ないことをしてはいけません!」と言われて育ち、それを「危ないこと」と信じて疑わない、というようなことです。
この脳の発達は、危険を未然に防ぐという意味で効果があるものの、逆に言えば、自分で体験するということをやめてしまう危険があります。
「ここで大事なポイントは、何を見るのかは、自分で選択できるということだ。あなたは信念(フィルター)を通して人生を見ることができる。バラ色の信念(フィルター)を選んで、身体を構成する細胞が活発に活動する手助けをすることもできる。逆に、暗い信念(フィルター)を選んで、すべてにダークな影を投げかけ、心も身体も病気になりやすい状態にすることもあり得る。恐怖の人生を送るのも愛の人生を送るのもあなた次第だ。選択権はあなた自身にある!」(p.232 - 233)
ここで信念をフィルターと呼んでいるのは、その前にフィルターを通して物を見ると見え方が変わるという例を出しているからです。出来事や現実が重要なのではなく、それをどう捉えるかということが重要だと、リプトン氏は言います。そして、その見方の決定権は、私たち自身にあるのだと。
「といっても、生命の秘密は秘密でもなんでもない。一千年以上も前から、ブッダやキリストのような導師がわたしたちに語りかけていることだ。現代では、科学も同じ方向に向かっている。人生をコントロールしているのは遺伝子ではなく思考である。……ほんのちょっとした思考が鍵なのだ!」(p.233)
大昔から言われてきたことを、最近の科学がやっと追随してきた。重要なのは思考なのです。
「親から「バカな子だ」とか、「おまえなんか何の価値もない」「何の役にもたたない」「生まれてこなければよかったのに」「病気がちで、身体が弱い」などと言われて育ったら、どういう結果になるだろうか?
子供たちに向けて発せられたこの手のメッセージは、絶対的な「事実」として、潜在意識のメモリーにダウンロードされる。」(p.267)
リプトン氏は、同じ意識でも潜在意識の方が顕在意識よりも、身体に与える影響が大きいと言います。たとえばいくら目をつむらないようにと顕在意識で思っていても、ボールが顔面に向かって飛んでくれば、思わず目をつむってしまうようなものです。
そして、何度も繰り返されて受け入れてきた考え方は、潜在意識にダウンロードされ、自然に身体が反応するようになります。特に、6歳までのシータ波が脳波を支配している状況では、入ってくる情報がどんどん潜在意識にダウンロードされるのです。
「わたしは本書に出てくることはすべて、以前から頭では理解していた。だが、わたし自身が変わろうと努力するまでは、人生は何一つ変わらなかった。」(p.294 - 295)
ただ知っているだけでは意味がないと、リプトン氏は言います。本気でそれを受け入れて、変わろうとしなければ変わらないのです。
「ここであなたに課題を出そう。
根拠のない不安は捨ててしまうこと。
不必要な恐怖や限界を定めてしまう思考を、あなたの子どもの潜在意識に埋め込まないように、気をつけること。
何より大事なのは、遺伝子決定主義による運命論的メッセージを受け入れないこと。子どもたちの可能性を目一杯手助けすることができるし、あなた自身の人生を変えることもできる。あなたは遺伝子に、”縛られた”存在ではないのだから。」(p.295)
無意味に不安がったり、恐れたりしていては、自分の可能性を自分で潰すことになります。そして、そうやって自分の可能性をあきらめた大人が、今度は子どもの可能性を潰そうとするのです。ですから、まずは自分が変わろうとすることが重要なのです。
「細胞膜のメカニズムの美しさと見事さを見極めて、わたしがたどりついた結論はこうだ。わたしたちは不滅の霊的(スピリチュアル)な存在であり、身体とは別に存在しているのである。」(p.300)
環境が細胞をコントロールできるのは、細胞の中に環境に反応するそれぞれの機能があるからです。それはつまり、細胞が単独で存在しているのではなく、環境の中で一体として存在していると言えます。ですからリプトン氏は、「地球は一つの生命体」だと言います。
全体としての生命、つまり魂(スピリット)というものがあって、私たちの本質は魂なのだと言うのです。科学がついにスピリチュアルな世界を証明し始めた。そんな感慨がありますね。
「レセプターは白人でも黒人でもアジア人でも、あるいは男性でも女性でも、いずれにも現れ得る。それがわかれば、性差別や人種差別は不道徳的であるばかりか、ばからしいことであるのがわかるだろう。環境は「あるものすべて」(すなわち神)の表象であり、自己レセプターのアンテナがダウンロードするのは、全体のなかのほんの一部である。だから、わたしたちは全体のごく一部分の現れなのだ……つまり、わたしたちは、神の一部分の現れなのである。」(p.314)
差別は、道徳的でないからしてはいけないのではなく、単に無知から来るものなのです。かつてイエスが神に祈ったように、彼らは何も知らないから、ひどいことができるに過ぎないのです。
私たちの本来の姿は、全体である生命、魂、神の一部だとリプトン氏は言います。しかし、それなのに今の世界は、いまだに争いを続けています。そんな人類に未来はあるのでしょうか?
「これと同様に、人口増大によるストレスが、進化の階段をもう一段昇るという結果につながるだろうとわたしは信じている。わたしたちは必ずや、”地球規模”の共同体に結集するはずだ。」(p.324)
かつて単細胞が飽和状態になったとき、生き延びるために細胞同士の共同体が作られたと考えられます。そうだとすると、人口増大によるストレスは、生き延びるために人間同士の共同体を作る方向に進むと、リプトン氏は言うのです。
それにしても、単細胞の機能の話が、こういう話にまで展開してくるとは思いもよりませんでした。けれども、科学者が科学的に考えた上での指摘だけに、そこには説得力があります。
分厚い本ですが、読み始めると一気に読めてしまいます。科学的に生命の神秘に触れる上でも、お勧めの本だと思います。
2017年01月04日
ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?
テラ・ルネッサンスの小川慎吾(おがわ・しんご)さんの本を読みました。これは先月、テラ・スタイル東京という講演会に行き、小川さんの講演などを聞いて感銘を受けたので、そこで買った4冊の本の中の1冊になります。
小川さんは、2005年に単身アフリカに渡り、テラ・ルネッサンスのアフリカ駐在代表として、子ども兵などの支援活動をされています。
あちこちで内戦をやっているアフリカですが、中でもコンゴの内戦はもっとも犠牲者が多いのだとか。ニュースであまり報道されないので、私たちはそういうことさえ知らずにいます。そしてその内戦の原因を、アフリカ人の民度の低さだと考える人が多いと小川さんは言います。私も、その程度の認識でした。
しかし、この本を読むと、どうしてアフリカで内戦が続くのかがよくわかります。それはアフリカ人が原因と言うより、アフリカに進出した欧米諸国の白人に原因があったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「一方、自然の豊かさとは対象的に、この国では、1998年以降、540万人もの人びとが紛争の犠牲になっています。この死者の数は、第2次世界対戦後の紛争で最大です。それにもかかわらず、コンゴの紛争は国際的に注目されることはなく、「忘れられた紛争」ともいわれています。とくに日本ではほとんど関心がもたれませんでした。」(p.13)
これがアフリカ大陸南部の内陸にあるコンゴ共和国の紛争です。1999年の人道支援の額は、東ティモールに送られた額の1/10だそうです。死亡者数は東ティモールの500倍以上だったのに。日本が1999年から9年間でコンゴに送った緊急支援の総額は、コソボ紛争に対しておこなった額の1年分です。死亡者数はコソボ紛争の540倍だと言うのに。
「第1次世界対戦では、民間人の死傷者は全体の10%にも満たなかったのが、第2次世界対戦では50%近くに上昇し、その後、20世紀後半に入ってからアフリカで起こっている紛争では、死者の92%が民間人です。
そして、冷戦後、世界で起こった紛争では、200万人の子どもが命を失い、600万人の子どもが障害や重症を負っています。この10年間、絶え間なく、3分間に1人の子どもが手足を失ったり、大けがを負っているのです。」(p.34 - 35)
戦争というのは本来、国と国との外交の延長にあって、国際法に定められたルールを守って行うものです。もし、そのルールを守ったなら、やたらと民間人が犠牲になることはありません。しかし、第2次世界対戦では、国際法無視の大虐殺が行われました。日本も大連で絨毯爆撃をしましたが、アメリカも東京大空襲や原爆など、民間人を標的とした攻撃をためらわずに行ったのです。
その後の紛争では、そもそも国と国との争いでもないので、ギャングの襲撃のようなものです。ですから、殺戮対象は軍人である必要はなく、抵抗の少ない民間人を攻撃して成果を上げるという方法が取られたのでしょう。
ジェノサイドと呼ばれる大量虐殺が、アフリカの各地で行われました。これは、アフリカ人の民度が低いからでしょうか?
「しかし、ピグミーたちは自然を破壊するどころか、自然の一部として何千年にもわたり生きつづけ、狩りで動物を絶滅させてしまうこともなければ、森を切りすぎて資源を枯渇させてしまうこともありませんでした。また、それらの資源を奪い合って一部の人びとが富を蓄積するということもありません。」(p.42)
つまり、アフリカ人の気質や文化によって、自然破壊や虐殺が起きているとは言えないのです。
では、伝統的なアフリカ人の文化では、紛争解決をどのようにして行ったのでしょうか?
「暴力事件があったばあいには、加害者がその事実(罪)を告白するのを待って、被害者に対する償い方を伝統的な慣習をもとにリーダーたちが話し合い、決定します。」(p.50)
「つまり、無罪を主張している者に有罪だと決め付けることはせず、当事者の「自発的」な言動を促して、最終的には、加害者と被害者が、ふたたびおなじ社会で共に生きていくことに目的が置かれていたのです。どんな罪であったとしても、アチョリの伝統では加害者を刑務所のような隔離した場所に閉じ込めたり、死刑を執行したりすることはありませんでした。」(p.51)
これではどちらが進んでいるかわかりませんね。先進国が見習わなければならないような、問題解決方法だと思います。でも、それで本当に自発的に告白するものでしょうか?
「アチョリの信仰では、タブーを犯した人間が、事実を隠したり、嘘をついたりすることは本人やその家族、属する氏族に病気やけがなどの災いを起こすと強く信じられています。紛争のなかで人を死なせてしまったばあいでも、悪霊が取り付いて災いを引き起こすので浄化儀礼をおこなう必要があると考えられていました。」(p.51)
なるほど、伝統的な信仰によって、正直に生きることが担保されていたようです。
「そして、もう一つ重要なことは、かりに氏族同士で大きな衝突があったとしても、そのときに子どもが戦場に送られたり、女性が性的暴力の対象になるということはなかったということです。」(p.52)
結婚していない男性は、まだ未熟な者とみなされて、戦闘に加わる資格がなかったのです。弱い立場の子どもや女性を守ることが、最優先だったのでしょう。
では、どうしてこういうアフリカの伝統が壊され、大虐殺や子どもを誘拐して兵士にしたり、襲った村の女性や誘拐した女子をレイプしたりするようなことになったのでしょう?
そこには、アフリカに来た西洋人がやってきたことと、深い関わりがあるようです。
「大航海時代、アフリカに侵入したヨーロッパ人は、現地住民を野生動物のように捕らえ、抵抗すると容赦なく虐殺しました。捕らえられた人びとは、鎖につながれ、腕や胸に焼印を押されて、まるで家畜のようにアメリカ大陸や西インド諸島へ運ばれていったのです。
これが15世紀末にポルトガル人がアフリカ大陸にやってきて以来、約400年間つづいた「奴隷貿易」と呼ばれるものです。この間に奴隷として連れ出されたアフリカ人の数は1500万人にも上るといわれています。」(p.61 - 62)
奴隷貿易に関わる西洋人は、アフリカ人を使って奴隷を調達させたそうです。つまり、アフリカ人がアフリカ人を虐殺するという文化を、この時、植え付けたのです。奴隷貿易に関しては、神渡良平さんの「アメイジング・グレイス 魂の夜明け」という小説にも書かれています。
「いまでは、人権問題や野生動物の保護に熱心なイギリスこそが、世界最大の人権侵害を引き起こした国であったということは忘れてはならない事実です。そして、いまだにイギリスは、たったの一度もこの蛮行を謝罪していませんし、このことを議論しようとすらしません。」(p.65)
白人至上主義に風穴を開けたのが20世紀の日本でしたが、まだまだその価値観は欧米に残っています。「人道に反する罪」という事後法でドイツを裁きながら、自らの人道に対する罪を償おうともしない。それが、欧米の白人国家なのです。
白人が、いかに有色人種を差別的に扱っていたか、よくわかる逸話がありました。18世紀の「啓蒙時代」と呼ばれるころ、ヨーロッパでは人権を守ることが主張されるようになりました。その代表的な人物がモンテスキューです。
「たとえば、モンテスキューは、「キリスト教徒である私たちがアフリカ人を人間として認めることはできない。それは神の意思に背くことになる」などと主張しました。キリスト教(神)の名のもとに「アフリカ黒人=人間以下の存在」であるという考え方が広まったのです。」(p.73 - 74)
奴隷貿易は、欧米の経済発展のためです。安価な労働力を確保することが、経済発展に欠かせなかったからです。ヨーロッパ各国は競うようにアフリカ大陸を切り取り、勝手に線引をし、自国の利益を確保しようとしたのです。だからアフリカの国境線に、不自然な直線が多く見られるのだと言います。
彼らのやり方は、まず宣教師を派遣して、自分たちの意のままになるアフリカ人を探します。彼らに武器を与え、兵士として訓練し、他の人々を襲わせたのです。その際、武器が白人への抵抗運動に使われないように、銃弾を使うたびに殺した人間の手首を持ち帰るよう命令したレオポルド2世のような例もありました。
「そして、白人たちは優遇した一部のグループ以外を冷遇することで、仲間割れが起きるように仕向け、部族同士が団結しないような仕掛けを作りました。
たとえば、一部の”部族”だけに教育をあたえ、役人に取り立てて優遇し、その見返りに強制労働を監督させたり、白人への反逆を鎮圧させたりしました。このため住民たちの怒りは、白人の支配者ではなく、おなじアフリカ人に向かったのです。このように統治する方法を「分断統治」と呼びますが、このことが、のちの”部族”対立を作り出す大きな要因になりました。」(p.85)
なんと狡猾なやり方でしょうか。しかし、このやり方が今もずっと続いています。白人が世界を支配し続けるために。
「中・東部アフリカの人びとはもともと、氏族(クラン)という小さな集団で暮らしていたので、部族や民族に属しているという意識はありませんでした。19世紀に入ってからも王国内の一部の人をのぞいては、自分の部族の名前すら知らない人びとがいました。
しかし、白人たちによる植民地支配によって、アフリカ社会は激変していきました。ベルギーの支配下だったルワンダやブルンジでは、部族名を記した身分証明書が発行され、「自分は『ツチ族』、あの人は『フツ族』である」といった意識が徹底的に植え付けられました。」(p.95)
アフリカには元々、民族対立だとか部族対立などというものはなかったのです。白人が自分たちの経済のために、巧みに支配する手段として、民族対立を持ち込んだのです。
「冷戦後、大国の軍事費は減少しましたが、それでも、世界の武器(通常兵器)の約9割は五大国(英、米、仏、露、中)で取引されており、その3分の2はアフリカなど貧しい途上国を対象にしています。」(p.113)
ODAで多少の援助をしたとしても、それ以上の収益を武器取引で得ている。そうやって潤っているのが欧米です。
「それぞれの植民地が一つの宗主国によって独占されていた時代から、いくつもの国々がアフリカでの権益を求めて、自由に、激しく奪い合う時代がはじまったともいえるでしょう。」(p.115)
奴隷貿易は、産業革命によって終演を迎えたと言います。つまり経済発展のためには、安価な労働力よりも、資源の確保の方が重要になってきたからです。
そして第2次世界対戦後、アフリカの各国も独立しました。しかし、欧米の権益を排除して独自に政治を行おうとすると、欧米は反政府勢力に支援するなどして政権転覆を狙いました。このようなやり方で、相変わらず自分たちの意のままになる為政者を置いて、間接統治しているのです。
この本を読んで、白人の罪はこれほどまでに重いのかと、ため息が漏れました。日本がやっと風穴を開けたとは言え、まだまだ白人至上主義の価値観が残ります。そして経済至上主義のために、武器を売ることをやめようともしません。アフリカの誰かが困っていようと、自分たちが幸せならそれで良い。それで幸せを感じられるほど、白人の心はまだまだ進化していないようです。
しかし、ただ白人を責めれば良いかと言えば、そうではないと思います。そういう白人支配があったことにも、何か意味があるからです。重要なのは、これからどうするか、ということだろうと思います。
日本人は、有色人種で最初に先進国に入りました。その勤勉さ、正直さなど、白人社会からも一目置かれています。だからこそ、日本人が間に入ることによって、白人にも黒人にも歩み寄りを促し、お互いが手を取り合える社会にしていけるのではないかと思うのです。
そういう意味で、小川さんが取り組まれているテラ・ルネッサンスの活動は、その先駆けであろうと思います。いきなり世界を変えようとするのではなく、まずは知ることから始める。そうすれば自ずと、自分がやるべきことが見えてくるように思います。
2017年01月05日
プロフェッショナルの習慣力
今、野口嘉則さんのオンライン講座を受講していて、その課題図書としてこの本を読みました。著者は森本貴義(もりもと・たかよし)氏。プロ野球オリックスや大リーグのマリナーズでトレーナーをされていた方です。
マリナーズと言えばイチロー選手。森本氏はイチロー選手などの一流アスリートを間近に見ながら、ルーティンの重要性を感じたようです。それでサブタイトルに、「トップアスリートが実践する「ルーティン」の秘密」と書かれています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「これら日米のプロ野球の現場を通して、私はひとつのことに気づきました。それは、卓越した成功者には、特に日本人が備える「ある力」があるということです。それが「ルーティン力」です。」(p.23)
ここでルーティンの重要性と、それを日本人が基本的に持っているものと言われています。
まずルーティンですが、これは1日の習慣という意味です。何時に起きるのか、食事はいつするのか、何を食べるのかなど。特にイチロー選手はかつて、朝食は毎日カレーだったという話も伝わっています。また、グランドにどっちの足から踏み入れるかも決めていたとか。
ルーティンをすることで、平常心を養うことができ、自信を生むこともできると言います。無意識にそれができるようになると、余分なことに気が散ることもなくなりますから。
そして、ルーティンとは別に「型」というものもあると言います。1日の行動パターンをルーティンと呼ぶのに対して、ある行動ごとのパターンを型と言うのだそうです。イチロー選手の場合、打席に入って構えるまでの一連の動作を型と呼びます。
ゴルフの場合は、これも含めてルーティンと呼びますね。ティーグランドに立ってからティーショットを打つまで、流れるように同じ行動が繰り返されます。たとえば、ボールを設置して後ろから眺め、ポジションに付いてから1回素振りをして、クラブをボールに合わせて打つ、というような感じです。
これらのルーティンがどうして日本人に基本的に備わっているのかと言うと、それは「道」の考え方があるからだと言います。たとえば茶道などは、決まりきった型にしたがってお茶を点てます。このような道の考え方に慣れているので、日本人はルーティンを取り入れやすいということのようです。
「しかし、マイナスであれプラスであれ、ひとつのエネルギーに変わりはありません。その感情と向き合うことで、「自分が心から欲していること」「自分の本気度」を理解することができますし、自分を変えるエネルギーになります。」(p.93)
悔しいとか羨ましいというある意味マイナスの感情も、その背後には「本当は自分がそれをやりたい」という思いがあるのですね。ですから、そのマイナス感情を否定したり、そういう気持ちが湧いた自分を卑下するのではなく、しっかりと感情を受け止めることが重要だと言います。
特にマイナス感情には、隠された自分の願望があるので、それを前向きに受け取ることが大切なのですね。それをルーティンによって育てること。そうすることで、自分を成長させて行くことが重要です。
ルーティンは、一気に成長させる魔法の杖ではありません。コツコツと積み重ねていくことで、自分のパフォーマンスを最大にするものです。
この本には、三日坊主で続かないという人のために、上手にルーティンを作る方法も書かれています。「習慣は力」と昔から言われるように、自分のルーティンを作って、自分を最大限に生かすことを考えてみてはどうでしょうか。
2017年01月07日
丸2週間の国内旅行
2016年11月に、丸2週間かけて日本国内を旅行しました。
元々、妻と一緒に帰省を兼ねて九州旅行をしようと計画していました。しかし、2週間はあまりに長すぎるので、せいぜい10日くらいと考えていたのです。
帰省して両親ともたっぷり一緒に過ごしたいし、妻に九州をたっぷり見てもらいたい。あちらを立てればこちらが立たずで、ちょっと迷っていました。
そんなとき、リーディング(チャネリング)してもらったバンビさんから、ズバリとこう言われたのです。「旅行はぴったり2週間にしてください。」
たしかに、できない話ではないのです。だって無職ですから、時間はたっぷりあります。でも、お金のこととか、その間何もできないことへの、言葉にならない不安があったのですね。それをズバリと指摘されたので、私も踏ん切りがつきました。
●実家へ帰省
・0日目:11月2日(水)21:30ごろ空港に向かって出発しました。
・1日目:11月3日(木)01:00発のTG648にて福岡へ。翌朝08:00福岡着。タクシーで博多駅へ。新幹線で広島駅へ。11時ごろレンタカーを借りて、まずは景勝地の三段峡を目指します。
三段峡へ行く前に、江葉がきれいだと言われる「筒賀の大銀杏」を見に行きました。ところが、残念ながら江葉にはまだ早かったようです。
その後、三段峡へ向かいましたが、結構歩かなくてはなりません。歩き疲れた妻が「こっちが近いから二段滝へ行こう」と言うので、そのまましたがったのが間違いでした。
二段滝は船で渡らないと見れません。その船待ち時間がなんと40分。あきらめて引き返しました。こんなことなら最初から、予定通りに三段滝へ向かえば良かったと思ったのでした。
でも、良いこともありました。狭い道の山歩きなので、すれ違う時に挨拶を交わす人が多いのです。それを妻が喜んで、積極的に「こんにちは」と声をかけたりして楽しんでいました。
夕方には島根県の実家へ到着。それから11月7日(月)のお昼ごろまで実家で過ごしました。
実家滞在中は父方と母方の両方の墓参りをし、母の入院先に毎日行きました。実家から車で30分ほどの病院です。ただ、相部屋なので長居もできず、レイキもあまりしてあげられませんでした。それがちょっと残念でしたね。
●帝釈峡からバンビさんの古民家へ
・5日目:11月7日(月)12:00実家を出発。カーナビが正しく機能せず、高速から降りるべきところを通過してしまい、1つ先で降りることに。まあ、こういうこともあります。マイペンライです。
夕方には帝釈峡のホテルにチェックイン。ログハウスなので料理をしようと、近くのスーパーで買い出し。夜は妻の料理を楽しみました。
・6日目:11月8日(火)神龍湖の観光船に乗ったり、遊歩道を散策したりして楽しみました。雨はそれほど降らず、あまり困りませんでした。
時おり雨が降るあいにくの天気でしたが、江葉も見られたし、雄橋(おんばし)などの観光スポットも楽しむことができました。
・7日目:11月9日(水)10:00チェックアウト。福山市のバンビさんの古民家へ向かう。
バンビさんと再会し、私はビジネスの指導を受けました。一方、妻はゆうこさんからネイルをしてもらいました。
バンビさんと別れた後、福山駅の近くでレンタカーを返し、新幹線で鹿児島へ向かいました。最初からさくらで乗換なしに行きたかったのですが、指定席はすべて満席とのころ。それで博多までのぞみに乗り、そこでさくらに乗り換えました。
でも、乗った後で気付いたのですが、けっこうがらがらなんですよね。JRの予約システムは、席の移動なしに座れなければ満席になるのでしょうね。こんなことなら、自由席で行けば良かったと思ったのでした。
20時くらいに鹿児島駅に到着し、バンビさんのお勧めにしたがい、有名な「いちにいさん」で豚しゃぶを堪能。
●九州旅行
・8日目:11月10日(木)10:00鹿児島のホテルをチェックアウト。近くでレンタカーを借りる。あいにくの雨。知覧へ向かう。いよいよ九州旅行の始まりです。
雨が降っていても、知覧特攻平和会館の室内なら問題はありません。撮影禁止というのが残念ですが、特攻隊員の手紙などを真剣に読みました。ここでお土産に、DVDを2本(「ホタル」「俺は、君のためにこそ死ににいく」)買いました。
雨が降り続き、城山公園へ行くも桜島は見えず。桜島へ渡るのはあきらめて、国分のホテルへ向かいました。
・9日目:11月11日(金)10:00霧島神社へ向けて出発。ナビに霧島神社を入れると、2時間くらいかかるとのこと。ちょうど良いドライブです。途中、高速を鹿児島方面へ向かう時、桜島がきれいに見えました。
2時間後、霧島神社の近くに到着。何だか様子が変です。有名な場所のはずなのに、何の標識もありません。近くのコンビニで尋ねると、近くにあるのは小さな霧島神社で、有名なのは霧島神宮だとのこと。あちゃー!やってもうた。
考えてみれば、ここまでの間、間違いに気づくチャンスは何度もありました。そもそも国分のホテルを選んだのは霧島神宮が近いから。それなのに2時間もかかると出た時に、おかしいと気づくべきです。さらに、霧島神宮からは桜島が眺められると書いてあったのに、高速でとうに行き過ぎてしまったのですから。
まあでも、旅に失敗はつきものです。気を取り直してまた60kmほど戻りました。午後、ようやく霧島神宮へ到着。
たしかに桜島もよく見えます。本当なら午前中に観光できたのに・・・。ということで、霧島やえびの高原はあきらめて、一路宮崎へ。みやざき中央新聞さんへ表敬訪問しました。
もう夕方でしたが、急いで近くの青島神社へ。この日は霧島神宮へ行ったし、青島神社へも行って鬼の洗濯岩も見たし、なんとか観光したと言えそうです。
・10日目:11月12日(土)10:00宮崎市内のホテルをチェックアウトし、高千穂峡へ向かう。「高千穂峡観光MAP」を見てナビに行き先を入れようとしたのですが、思い通りの場所が入らないので、高千穂神社に設定しました。
高千穂神社の近くに大橋駐車場があるはずと思って走っていると、神社を通り越したらすぐに橋を越えました。「あ、行き過ぎた」と思って引き返したら、すぐに道の駅が。道の駅の反対側だったなと思い、反対へ行くと「第二駐車場」とあります。まあいいかと、ここに駐めましたが、これ、単に道の駅の第二駐車場なのですね。
大橋駐車場から遊歩道を下って行く予定が、第二駐車場すぐ近くの高千穂神社へ行くことに。しかも、そこにはちゃんと駐車場もあります。だったらこっちで良かったのに。さんざん妻から怒られました。
さらにそこから高千穂峡まで降りていったのですが、けっこう距離があります。そして、下まで車でも行けたのですね。また妻から怒られます。まあでも、いい運動になったからと、笑ってもらいました。
そこから上流へ歩いて行こうとしたら、何と通行止め。だとしたら、大橋から下ってくることもできなかったのかも。よくわかりませんが、よく写真で見るトンネルのような岩のある渓谷は見事でしたが、「え、これだけ?」という感じもしますね。
高千穂神社、高千穂峡と見た後は、近くの天岩戸神社へ。神楽が大好きな私です。そして、岩戸に出てくる天宇受売命(あまのうずめのみこと)が好きなのです。音楽やダンスの神様として有名だそうですが、岩戸にこもった天照大神(あまてらすおおみかみ)をおびき出すために、神々が岩戸の前で宴会をした時、その中心で半裸になりながら踊り狂った神様です。
参考までに、神楽の動画をどうぞ。
女性神の像があったので写真を撮ったのですが、残念ながらこれは天照大神でした。
その後、ホテルを目指して阿蘇へ向かいます。外輪山を越えると、中岳などの姿が見えてきます。
まだ噴火しているようで、少し煙も見えていました。
・11日目:11月13日(日)10:00ホテルをチェックアウトして魚の釣り堀へ。夏の旅行でやった釣りに目覚めた妻の要望です。
しかし、ここはあまり良くありませんでした。初心者や一見さんには不親切です。何をどこでどう用意すればいいのかも、丁寧に教えてはくれません。釣った魚も、自分でさばいてから持っていかないと焼いてくれません。さばくためのナイフを借りるのにもレンタル料を取られます。
そして、なかなか釣れない。(泣)3時間くらいねばって、やっと3匹です。高いヤマメを食べました。
他のお客で大量に釣っていた方もおられるので、単に私たちに技術がないだけでしょうけどね。なので、初心者向きではない、ということです。
気を取り直して、高森殿の杉(たかもりどんのすぎ)を目指します。ナビにも載っていないので、だいたい近くまで行き、近所の人に道を尋ねて行きました。やっと到着しても、それらしい杉は見えず。きっとこっちだろうという方向へ歩きましたよ。途中で引き返そうとする妻をなだめながら、歩くこと約10分、やっと杉が見えました。
大きな杉が、ヤブの中に隠れるように生えていました。これを見た時、ここまで来て良かったと思いました。妻も喜んでくれました。なお、写真ではあまり大きそうに見えませんが、これは遠近法で顔がでかいからです。本当は人が10人くらい束になったくらいの太さがありますから。
次は近くのらくだ山公園。これもわかりづらい。案内標識がないんですもの。ナビで近くまで行くものの通り過ぎ、また戻ってきました。「ここは駐車場なの?」と、よくわからないところに駐車し、歩いて登ります。あとから車で登ってきた人もいましたが、すれちがう場所のない山道ですから、歩きで正解でしたね。
写真では見えませんが、この近くに仏舎利があり、そこへ登る道でした。じゃあらくだ山公園って、どこ? いまだに謎です。なお、写真はらくだ山の山頂付近です。小山の上に岩が飛び出している部分だけ切り取っています。
続いて阿蘇神社へ向かいます。草千里まで行くのはやめました。
阿蘇に来たのは、ここに来たかったからです。地震の影響がひどいとは聞いていましたが、こんなにひどいままとは思いませんでした。寄付を兼ねてお賽銭を多めに入れました。
阿蘇の観光を終えて、宿泊する別府を目指します。しかし、この途中の外輪山の風景が素晴らしかったです。西日が高原いっぱいに生えたススキにあたって、それはそれは美しい風景でした。妻はもう興奮して、車酔いするのも忘れてビデオを撮り続けていましたから。外輪山の内側は別世界です。
・12日目:11月14日(月)別府のホテルをチェックアウトし、地獄巡りへ。
まずは海地獄へ。ここの駐車場に車を駐めて、近くの地獄は歩いて回ります。雨も少しずつ小降りになりました。それにしてもラッキーなのは、前日の阿蘇で雨が降らなかったこと。あの景色は、晴れていてこそのものですから。
さすがにこういう風景はタイでは見られないので、妻も興味津々です。温泉卵もしっかり食べました。
次は血の池地獄と龍巻地獄。この2つは離れているので車で移動します。
それにしてもわかりづらい。気がついたら血の池地獄を通り過ぎ、龍巻地獄の目の前でした。入口近くの駐車場に突っ込んだ後、その先に大きな駐車場があるし、手前に血の池地獄があったことに気づきました。まあ単に私の不注意とも言えますが。
間欠泉のお湯が吹き出すまでに時間があるとのことなので、先に血の池地獄へ。正直な感想は、「えっ、たったこれだけ?」でした。まあ、そこまでにたくさん地獄を見てきたので、あまり感動しなかったのかも。
続いて龍巻地獄へ行きました。ここも間欠泉だけなのですね。それなら血の池地獄と一緒にしてしまえばいいのに。待つこと5分、間欠泉が吹き上げました。
しばらくその様子を見て、写真やビデオを撮る人もいましたが、すぐに飽きてしまうようです。あっと言う間の観光でした。
この日はたまちゃんファームへ行く予定でしたが、まだ時間がたっぷりあります。それで、臼杵の石仏が近くだったなと思い、行くことにしました。高速に乗ると、何やら霧で通行止めが出ているようです。幸い、臼杵まで行くと言うと、通してくれました。
ここへは大学生のころ、いとこに連れてきてもらったことがあります。その時の記憶はもうほとんどないので、とても新鮮でした。
しかし、臼杵へ足を伸ばしたのは失敗でした。たまちゃんファームは国東(くにさき)半島ですから、逆方向なんですよね。行く途中、「なんで宮崎までの距離が近くなるんだろう?」なんて思ったのですが、別府から南下していたのです。ナビに頼りっぱなしで土地勘がないと、こういうことになります。
そこからまた別府まで戻ると、やはり霧でその先へ行けません。一般道へ降りて、渋滞の中、国東半島へ向かいます。ラッキーだったのは、大分空港道路という有料道路があって、しかも無料だったこと。これでかなり時間を挽回しました。
それでもたまちゃんファームに到着したのは15時半になっていました。秋の日はつるべ落としと言いますが、あっと言う間に夕方になってしまいました。
たまちゃんと奥さんのひばりくんに歓迎され、美味しいコーヒーを飲みながら1時間ほど談笑しました。そして、かなり暗くなってきたころに、たまちゃんファームの田んぼの前で記念写真を摂りました。
実はこの後、大変なことになります。もと来た道を戻ろうとしたのですが、途中で妻が買い物をしたいというのでスーパーへ立ち寄ったのです。その後、時間も遅いし、少しでも早い方をと思って、国東半島の山越え道を通るルートに変更しました。
ところが、山道は暗くて道がよく見えません。幸い途中で、快調に走る先行車を見つけ、必死で後を追いました。離されたら、またよく見えない道を注意深く見ながらトロトロ走らなくてはなりませんから。先行車がいれば、カーブの度合いや対向車のこともよくわかります。なんとか山道を抜けた時、ホッとしましたよ。今回の旅でもっとも緊張した運転でした。
・13日目:11月15日(火)10:00中津のホテルをチェックアウトし、宇佐八幡宮へ向かいます。多少雨が降っていますが、このくらいなら大丈夫です。
まだ朝早いからか、それほど参拝客がいません。駐車場はガラガラでした。と思ったら、団体旅行の大型バスが乗り付け、中国人だか韓国人の大きな声が聞こえてきます。妻がせかすので、急いで参拝しましたよ。
それから耶馬渓へ向かいます。その途中、ピシッという大きな音が聞こえました。一瞬、何かやばそうだなと感じたのですが、見回しても特に異変はありません。あとでわかったのですが、この時、フロントガラスに何か異物が直撃したようです。
耶馬渓ではまず青の洞門へ。トンネルの前の駐車場をすぐに見つけて、そこに停めることができました。観光バスはここで降り、バスは向こうへ行って駐車場で待つようです。
「ここがね、昔、人が手で掘ったトンネルなんだよ」なんて話を妻に話しながら、遊歩道を通り過ぎます。しかし、ここも「えっ、これだけですか?」という感じでしたね。この先は何もなさそうだと判断し、引き返して車に戻りました。
この時、フロントガラスのヒビを発見しました。ショックでしたよ。レンタカー会社へ連絡した方がいいのだろうか? でも、警察に届けろと言われても、どこに届けたらいいのか困ってしまいます。それに、翌日は空港からタイに戻らなければならないし・・・。ということで、連絡するのはやめて、残りの観光を楽しむことにしました。
でも、妻がこう言ってくれたので救われました。「このくらいで済んで良かったね。きっとこのお陰で、大事故を免れたんだと思う。」なんて素晴らしい妻なのでしょう。妻に感謝です。
耶馬渓では、他に羅漢寺へ行きました。ここも撮影禁止なのが残念ですね。歩いて登ると妻が言うので、それにしたがったのでとっても疲れました。ロープウェイがあるのに・・・。
その後は福岡へ。時間があるので、太宰府天満宮へ行きました。
ここも来たことがあるはずですが、まったく覚えていません。神社よりも参道の方が面白いですね。いろいろなお店がありました。タイ語で「アロイ(おいしい)」と書かれたものもありましたよ。誰かタイ人の観光客がお店の人と仲良くなって、書いてあげたのかもしれません。
こうなると妻の購買意欲がそそられます。あちこちで買い物をして、けっこう高くつきましたよ。買い物は妻でも、財布は私ですから。妻のお土産以外の買い物は、全部私持ちなのです。
ついでに、使っている途中で壊れた私の折りたたみ傘もここで買うことになりました。修理して使おうと思っていたのですが、妻が新しいものを買えと言うので。妻には逆らわないのが私のモットーです。
夕方、大濠公園近くのホテルにチェックインしました。約束していた読者の方と落ち合い、夕食をともにしながら歓談しました。妻はホテルの部屋で、荷物を整理していましたけどね。
・14日目:11月16日9:00ホテルをチェックアウトし、空港近くのレンタカー屋へ。事情を説明し、2万円を支払うことに。まあこのくらいで済んで何よりです。
国際線ターミナルまでの送迎はないとのことなので、国内線の方へ歩いて行って、タクシーで国際線ターミナルへ。
11:45発のTG649でバンコクに戻りました。
●総括
いろいろなことがありましたが、まずは無事に2週間の旅を終えることができて良かったです。妻との旅行では、必ず1〜2回は妻が切れます。今回はいつもより長いので、ある程度は覚悟していました。でも、目立ってブチ切れることはありませんでした。
妻は車に酔いやすいのですが、今回はそんなに酔わなかったようです。車を運転すると「あなたは運転がへたくそだ」と妻からなじられるのですが、今回はそれも少なかったように思います。
見事な紅葉を妻に見せたいと思った九州旅行ですが、完璧な紅葉ってなかなか難しいですね。まあでも、その中にあって阿蘇山のあの風景は、本当に素晴らしいものでした。
私自身も、九州地方で唯一行っていなかった鹿児島へ、今回初めて足を踏み入れることができました。桜島へ渡れなかったのは残念ですが、またいつか機会があれば行ってみたいと思います。
元々、妻と一緒に帰省を兼ねて九州旅行をしようと計画していました。しかし、2週間はあまりに長すぎるので、せいぜい10日くらいと考えていたのです。
帰省して両親ともたっぷり一緒に過ごしたいし、妻に九州をたっぷり見てもらいたい。あちらを立てればこちらが立たずで、ちょっと迷っていました。
そんなとき、リーディング(チャネリング)してもらったバンビさんから、ズバリとこう言われたのです。「旅行はぴったり2週間にしてください。」
たしかに、できない話ではないのです。だって無職ですから、時間はたっぷりあります。でも、お金のこととか、その間何もできないことへの、言葉にならない不安があったのですね。それをズバリと指摘されたので、私も踏ん切りがつきました。
●実家へ帰省
・0日目:11月2日(水)21:30ごろ空港に向かって出発しました。
・1日目:11月3日(木)01:00発のTG648にて福岡へ。翌朝08:00福岡着。タクシーで博多駅へ。新幹線で広島駅へ。11時ごろレンタカーを借りて、まずは景勝地の三段峡を目指します。
三段峡へ行く前に、江葉がきれいだと言われる「筒賀の大銀杏」を見に行きました。ところが、残念ながら江葉にはまだ早かったようです。
その後、三段峡へ向かいましたが、結構歩かなくてはなりません。歩き疲れた妻が「こっちが近いから二段滝へ行こう」と言うので、そのまましたがったのが間違いでした。
二段滝は船で渡らないと見れません。その船待ち時間がなんと40分。あきらめて引き返しました。こんなことなら最初から、予定通りに三段滝へ向かえば良かったと思ったのでした。
でも、良いこともありました。狭い道の山歩きなので、すれ違う時に挨拶を交わす人が多いのです。それを妻が喜んで、積極的に「こんにちは」と声をかけたりして楽しんでいました。
夕方には島根県の実家へ到着。それから11月7日(月)のお昼ごろまで実家で過ごしました。
実家滞在中は父方と母方の両方の墓参りをし、母の入院先に毎日行きました。実家から車で30分ほどの病院です。ただ、相部屋なので長居もできず、レイキもあまりしてあげられませんでした。それがちょっと残念でしたね。
●帝釈峡からバンビさんの古民家へ
・5日目:11月7日(月)12:00実家を出発。カーナビが正しく機能せず、高速から降りるべきところを通過してしまい、1つ先で降りることに。まあ、こういうこともあります。マイペンライです。
夕方には帝釈峡のホテルにチェックイン。ログハウスなので料理をしようと、近くのスーパーで買い出し。夜は妻の料理を楽しみました。
・6日目:11月8日(火)神龍湖の観光船に乗ったり、遊歩道を散策したりして楽しみました。雨はそれほど降らず、あまり困りませんでした。
時おり雨が降るあいにくの天気でしたが、江葉も見られたし、雄橋(おんばし)などの観光スポットも楽しむことができました。
・7日目:11月9日(水)10:00チェックアウト。福山市のバンビさんの古民家へ向かう。
バンビさんと再会し、私はビジネスの指導を受けました。一方、妻はゆうこさんからネイルをしてもらいました。
バンビさんと別れた後、福山駅の近くでレンタカーを返し、新幹線で鹿児島へ向かいました。最初からさくらで乗換なしに行きたかったのですが、指定席はすべて満席とのころ。それで博多までのぞみに乗り、そこでさくらに乗り換えました。
でも、乗った後で気付いたのですが、けっこうがらがらなんですよね。JRの予約システムは、席の移動なしに座れなければ満席になるのでしょうね。こんなことなら、自由席で行けば良かったと思ったのでした。
20時くらいに鹿児島駅に到着し、バンビさんのお勧めにしたがい、有名な「いちにいさん」で豚しゃぶを堪能。
●九州旅行
・8日目:11月10日(木)10:00鹿児島のホテルをチェックアウト。近くでレンタカーを借りる。あいにくの雨。知覧へ向かう。いよいよ九州旅行の始まりです。
雨が降っていても、知覧特攻平和会館の室内なら問題はありません。撮影禁止というのが残念ですが、特攻隊員の手紙などを真剣に読みました。ここでお土産に、DVDを2本(「ホタル」「俺は、君のためにこそ死ににいく」)買いました。
雨が降り続き、城山公園へ行くも桜島は見えず。桜島へ渡るのはあきらめて、国分のホテルへ向かいました。
・9日目:11月11日(金)10:00霧島神社へ向けて出発。ナビに霧島神社を入れると、2時間くらいかかるとのこと。ちょうど良いドライブです。途中、高速を鹿児島方面へ向かう時、桜島がきれいに見えました。
2時間後、霧島神社の近くに到着。何だか様子が変です。有名な場所のはずなのに、何の標識もありません。近くのコンビニで尋ねると、近くにあるのは小さな霧島神社で、有名なのは霧島神宮だとのこと。あちゃー!やってもうた。
考えてみれば、ここまでの間、間違いに気づくチャンスは何度もありました。そもそも国分のホテルを選んだのは霧島神宮が近いから。それなのに2時間もかかると出た時に、おかしいと気づくべきです。さらに、霧島神宮からは桜島が眺められると書いてあったのに、高速でとうに行き過ぎてしまったのですから。
まあでも、旅に失敗はつきものです。気を取り直してまた60kmほど戻りました。午後、ようやく霧島神宮へ到着。
たしかに桜島もよく見えます。本当なら午前中に観光できたのに・・・。ということで、霧島やえびの高原はあきらめて、一路宮崎へ。みやざき中央新聞さんへ表敬訪問しました。
もう夕方でしたが、急いで近くの青島神社へ。この日は霧島神宮へ行ったし、青島神社へも行って鬼の洗濯岩も見たし、なんとか観光したと言えそうです。
・10日目:11月12日(土)10:00宮崎市内のホテルをチェックアウトし、高千穂峡へ向かう。「高千穂峡観光MAP」を見てナビに行き先を入れようとしたのですが、思い通りの場所が入らないので、高千穂神社に設定しました。
高千穂神社の近くに大橋駐車場があるはずと思って走っていると、神社を通り越したらすぐに橋を越えました。「あ、行き過ぎた」と思って引き返したら、すぐに道の駅が。道の駅の反対側だったなと思い、反対へ行くと「第二駐車場」とあります。まあいいかと、ここに駐めましたが、これ、単に道の駅の第二駐車場なのですね。
大橋駐車場から遊歩道を下って行く予定が、第二駐車場すぐ近くの高千穂神社へ行くことに。しかも、そこにはちゃんと駐車場もあります。だったらこっちで良かったのに。さんざん妻から怒られました。
さらにそこから高千穂峡まで降りていったのですが、けっこう距離があります。そして、下まで車でも行けたのですね。また妻から怒られます。まあでも、いい運動になったからと、笑ってもらいました。
そこから上流へ歩いて行こうとしたら、何と通行止め。だとしたら、大橋から下ってくることもできなかったのかも。よくわかりませんが、よく写真で見るトンネルのような岩のある渓谷は見事でしたが、「え、これだけ?」という感じもしますね。
高千穂神社、高千穂峡と見た後は、近くの天岩戸神社へ。神楽が大好きな私です。そして、岩戸に出てくる天宇受売命(あまのうずめのみこと)が好きなのです。音楽やダンスの神様として有名だそうですが、岩戸にこもった天照大神(あまてらすおおみかみ)をおびき出すために、神々が岩戸の前で宴会をした時、その中心で半裸になりながら踊り狂った神様です。
参考までに、神楽の動画をどうぞ。
女性神の像があったので写真を撮ったのですが、残念ながらこれは天照大神でした。
その後、ホテルを目指して阿蘇へ向かいます。外輪山を越えると、中岳などの姿が見えてきます。
まだ噴火しているようで、少し煙も見えていました。
・11日目:11月13日(日)10:00ホテルをチェックアウトして魚の釣り堀へ。夏の旅行でやった釣りに目覚めた妻の要望です。
しかし、ここはあまり良くありませんでした。初心者や一見さんには不親切です。何をどこでどう用意すればいいのかも、丁寧に教えてはくれません。釣った魚も、自分でさばいてから持っていかないと焼いてくれません。さばくためのナイフを借りるのにもレンタル料を取られます。
そして、なかなか釣れない。(泣)3時間くらいねばって、やっと3匹です。高いヤマメを食べました。
他のお客で大量に釣っていた方もおられるので、単に私たちに技術がないだけでしょうけどね。なので、初心者向きではない、ということです。
気を取り直して、高森殿の杉(たかもりどんのすぎ)を目指します。ナビにも載っていないので、だいたい近くまで行き、近所の人に道を尋ねて行きました。やっと到着しても、それらしい杉は見えず。きっとこっちだろうという方向へ歩きましたよ。途中で引き返そうとする妻をなだめながら、歩くこと約10分、やっと杉が見えました。
大きな杉が、ヤブの中に隠れるように生えていました。これを見た時、ここまで来て良かったと思いました。妻も喜んでくれました。なお、写真ではあまり大きそうに見えませんが、これは遠近法で顔がでかいからです。本当は人が10人くらい束になったくらいの太さがありますから。
次は近くのらくだ山公園。これもわかりづらい。案内標識がないんですもの。ナビで近くまで行くものの通り過ぎ、また戻ってきました。「ここは駐車場なの?」と、よくわからないところに駐車し、歩いて登ります。あとから車で登ってきた人もいましたが、すれちがう場所のない山道ですから、歩きで正解でしたね。
写真では見えませんが、この近くに仏舎利があり、そこへ登る道でした。じゃあらくだ山公園って、どこ? いまだに謎です。なお、写真はらくだ山の山頂付近です。小山の上に岩が飛び出している部分だけ切り取っています。
続いて阿蘇神社へ向かいます。草千里まで行くのはやめました。
阿蘇に来たのは、ここに来たかったからです。地震の影響がひどいとは聞いていましたが、こんなにひどいままとは思いませんでした。寄付を兼ねてお賽銭を多めに入れました。
阿蘇の観光を終えて、宿泊する別府を目指します。しかし、この途中の外輪山の風景が素晴らしかったです。西日が高原いっぱいに生えたススキにあたって、それはそれは美しい風景でした。妻はもう興奮して、車酔いするのも忘れてビデオを撮り続けていましたから。外輪山の内側は別世界です。
・12日目:11月14日(月)別府のホテルをチェックアウトし、地獄巡りへ。
まずは海地獄へ。ここの駐車場に車を駐めて、近くの地獄は歩いて回ります。雨も少しずつ小降りになりました。それにしてもラッキーなのは、前日の阿蘇で雨が降らなかったこと。あの景色は、晴れていてこそのものですから。
さすがにこういう風景はタイでは見られないので、妻も興味津々です。温泉卵もしっかり食べました。
次は血の池地獄と龍巻地獄。この2つは離れているので車で移動します。
それにしてもわかりづらい。気がついたら血の池地獄を通り過ぎ、龍巻地獄の目の前でした。入口近くの駐車場に突っ込んだ後、その先に大きな駐車場があるし、手前に血の池地獄があったことに気づきました。まあ単に私の不注意とも言えますが。
間欠泉のお湯が吹き出すまでに時間があるとのことなので、先に血の池地獄へ。正直な感想は、「えっ、たったこれだけ?」でした。まあ、そこまでにたくさん地獄を見てきたので、あまり感動しなかったのかも。
続いて龍巻地獄へ行きました。ここも間欠泉だけなのですね。それなら血の池地獄と一緒にしてしまえばいいのに。待つこと5分、間欠泉が吹き上げました。
しばらくその様子を見て、写真やビデオを撮る人もいましたが、すぐに飽きてしまうようです。あっと言う間の観光でした。
この日はたまちゃんファームへ行く予定でしたが、まだ時間がたっぷりあります。それで、臼杵の石仏が近くだったなと思い、行くことにしました。高速に乗ると、何やら霧で通行止めが出ているようです。幸い、臼杵まで行くと言うと、通してくれました。
ここへは大学生のころ、いとこに連れてきてもらったことがあります。その時の記憶はもうほとんどないので、とても新鮮でした。
しかし、臼杵へ足を伸ばしたのは失敗でした。たまちゃんファームは国東(くにさき)半島ですから、逆方向なんですよね。行く途中、「なんで宮崎までの距離が近くなるんだろう?」なんて思ったのですが、別府から南下していたのです。ナビに頼りっぱなしで土地勘がないと、こういうことになります。
そこからまた別府まで戻ると、やはり霧でその先へ行けません。一般道へ降りて、渋滞の中、国東半島へ向かいます。ラッキーだったのは、大分空港道路という有料道路があって、しかも無料だったこと。これでかなり時間を挽回しました。
それでもたまちゃんファームに到着したのは15時半になっていました。秋の日はつるべ落としと言いますが、あっと言う間に夕方になってしまいました。
たまちゃんと奥さんのひばりくんに歓迎され、美味しいコーヒーを飲みながら1時間ほど談笑しました。そして、かなり暗くなってきたころに、たまちゃんファームの田んぼの前で記念写真を摂りました。
実はこの後、大変なことになります。もと来た道を戻ろうとしたのですが、途中で妻が買い物をしたいというのでスーパーへ立ち寄ったのです。その後、時間も遅いし、少しでも早い方をと思って、国東半島の山越え道を通るルートに変更しました。
ところが、山道は暗くて道がよく見えません。幸い途中で、快調に走る先行車を見つけ、必死で後を追いました。離されたら、またよく見えない道を注意深く見ながらトロトロ走らなくてはなりませんから。先行車がいれば、カーブの度合いや対向車のこともよくわかります。なんとか山道を抜けた時、ホッとしましたよ。今回の旅でもっとも緊張した運転でした。
・13日目:11月15日(火)10:00中津のホテルをチェックアウトし、宇佐八幡宮へ向かいます。多少雨が降っていますが、このくらいなら大丈夫です。
まだ朝早いからか、それほど参拝客がいません。駐車場はガラガラでした。と思ったら、団体旅行の大型バスが乗り付け、中国人だか韓国人の大きな声が聞こえてきます。妻がせかすので、急いで参拝しましたよ。
それから耶馬渓へ向かいます。その途中、ピシッという大きな音が聞こえました。一瞬、何かやばそうだなと感じたのですが、見回しても特に異変はありません。あとでわかったのですが、この時、フロントガラスに何か異物が直撃したようです。
耶馬渓ではまず青の洞門へ。トンネルの前の駐車場をすぐに見つけて、そこに停めることができました。観光バスはここで降り、バスは向こうへ行って駐車場で待つようです。
「ここがね、昔、人が手で掘ったトンネルなんだよ」なんて話を妻に話しながら、遊歩道を通り過ぎます。しかし、ここも「えっ、これだけですか?」という感じでしたね。この先は何もなさそうだと判断し、引き返して車に戻りました。
この時、フロントガラスのヒビを発見しました。ショックでしたよ。レンタカー会社へ連絡した方がいいのだろうか? でも、警察に届けろと言われても、どこに届けたらいいのか困ってしまいます。それに、翌日は空港からタイに戻らなければならないし・・・。ということで、連絡するのはやめて、残りの観光を楽しむことにしました。
でも、妻がこう言ってくれたので救われました。「このくらいで済んで良かったね。きっとこのお陰で、大事故を免れたんだと思う。」なんて素晴らしい妻なのでしょう。妻に感謝です。
耶馬渓では、他に羅漢寺へ行きました。ここも撮影禁止なのが残念ですね。歩いて登ると妻が言うので、それにしたがったのでとっても疲れました。ロープウェイがあるのに・・・。
その後は福岡へ。時間があるので、太宰府天満宮へ行きました。
ここも来たことがあるはずですが、まったく覚えていません。神社よりも参道の方が面白いですね。いろいろなお店がありました。タイ語で「アロイ(おいしい)」と書かれたものもありましたよ。誰かタイ人の観光客がお店の人と仲良くなって、書いてあげたのかもしれません。
こうなると妻の購買意欲がそそられます。あちこちで買い物をして、けっこう高くつきましたよ。買い物は妻でも、財布は私ですから。妻のお土産以外の買い物は、全部私持ちなのです。
ついでに、使っている途中で壊れた私の折りたたみ傘もここで買うことになりました。修理して使おうと思っていたのですが、妻が新しいものを買えと言うので。妻には逆らわないのが私のモットーです。
夕方、大濠公園近くのホテルにチェックインしました。約束していた読者の方と落ち合い、夕食をともにしながら歓談しました。妻はホテルの部屋で、荷物を整理していましたけどね。
・14日目:11月16日9:00ホテルをチェックアウトし、空港近くのレンタカー屋へ。事情を説明し、2万円を支払うことに。まあこのくらいで済んで何よりです。
国際線ターミナルまでの送迎はないとのことなので、国内線の方へ歩いて行って、タクシーで国際線ターミナルへ。
11:45発のTG649でバンコクに戻りました。
●総括
いろいろなことがありましたが、まずは無事に2週間の旅を終えることができて良かったです。妻との旅行では、必ず1〜2回は妻が切れます。今回はいつもより長いので、ある程度は覚悟していました。でも、目立ってブチ切れることはありませんでした。
妻は車に酔いやすいのですが、今回はそんなに酔わなかったようです。車を運転すると「あなたは運転がへたくそだ」と妻からなじられるのですが、今回はそれも少なかったように思います。
見事な紅葉を妻に見せたいと思った九州旅行ですが、完璧な紅葉ってなかなか難しいですね。まあでも、その中にあって阿蘇山のあの風景は、本当に素晴らしいものでした。
私自身も、九州地方で唯一行っていなかった鹿児島へ、今回初めて足を踏み入れることができました。桜島へ渡れなかったのは残念ですが、またいつか機会があれば行ってみたいと思います。
2017年01月10日
僕が学んだゼロから始める世界の変え方
テラ・ルネッサンスの鬼丸昌也(おにまる・まさや)さんの本を読みました。これは先月、テラ・スタイル東京という講演会へ行った時、買って帰った4冊のうちの1冊です。
このうちの2冊はマンガで、すでに紹介していた「テラ・ルネッサンスT,U」です。1冊は先日紹介した「ぼくらのアフリカに戦争がなくならないのはなぜ?」です。今回が、一連の本の最後になります。
どんな内容か確かめもせず買ったのですが、今回の本は驚きでした。これは鬼丸さんの生き方に関する本なのですね。あまりに素晴らしいと感じたので、読み終えると同時に、同じ本と、もう1冊他の鬼丸さんの本を注文してしまいました。同じ本を買ったのは、この本を手元に置いて、新たに買う1冊を「サロン文庫」に寄贈したいからです。鬼丸さんのファンになってしまいそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「この13年で、僕は確信することができた。
すべての人に、未来をつくる力がある。
世界は、一人ひとりの力で変えることができる。
それを教えてくれたのは、テラ・ルネッサンスを支え、共に歩んでくれた人たちであり、過酷な現実から自分たちの力で立ち上がっていったカンボジアの地雷被害者、ウガンダの元子ども兵たち、そして、大槌復興刺し子プロジェクトに取り組む大槌町の皆さんだ。」(p.6 - 7)
「「世界を変えるなんて大げさだ」と感じるかもしれない。「自分にできるわけがない」と思うかもしれない。
でも、今の自分にできること、無理をせずに始められること。
そんな小さな一歩を踏み出すことが、自分や周囲を変え、世界を変えていく。
すべての人に、その力がある。僕は、そう信じている。」(p.7)
自分が踏み出した小さな一歩によって自分が変わり、周囲が変わり、いつかは世界が変わる。その実感を、鬼丸さんはこの本で語ろうとしています。
鬼丸さんは、どんなにあがいても支援が受けられないこともあると言います。しかし、必ず誰かが見ていてくれるのだから、自分が信頼に値する人間であろうとすればいいのだと。そうすれば、必ず救いの手が差し出されるからと。
故・船井幸雄さんに成功や成長の秘訣を問うたところ、こう答えてくれたそうです。
「鬼丸君、それはね、目の前のことに全力投球することだよ。これしかない」(p.28)
策を弄することではなく、ただ目の前のことに愚直に取り組む。そうすれば、必ず誰かが見ていて引き上げてくれる。そういうことなのですね。
もう1人、鬼丸さんが大きな影響を受けた人物として、スリランカのA.T.アリヤラトネ博士をあげています。彼は鬼丸さんに、こう言ったそうです。
「もし、君が何かを始めようと思ったとき特別な知識や財産は必要ないんだ。
ただ、次のことを覚えていてほしい。
君も含めた、すべての人に、未来をつくる力がある。
どんな人も、可能性に満ちている。
大事なことは、未来をつくる力が誰にでもあると信じることだ。
そうすれば、もし君やほかの誰かがダメになったとしても、君が人に裏切られたとしても、君も含めて、人は変わることができる。
それさえ信じることができたら、君は何でもできる。
すべての人に、未来をつくる力がある。」(p.31 - 32)
この言葉が、鬼丸さんが生きる上で重要な役割を果たします。条件は何も必要ないのです。ですから、どんな人であっても、未来をつくる力があるのです。それを信じられるかどうか。重要なのはそこにあるのです。
「支援する側ができることは、援助を受ける「受益者」が自立していくために寄り添うことだけだ。
僕たちが大事にしている支援の考え方に「レジリエンス(回復力)」がある。
問題を抱えた当事者だからこそ、その問題に立ち向かう力が生まれるし、家族や地域と連携して再び立ち上がる力が生まれるという考え方だ。
ウガンダの元子ども兵たちのレジリエンス、問題を解決する力は、彼らの中にある。だから僕たちは寄り添い、お手伝いするだけでいい。」(p.68)
支援とは、上から目線で与えるものではなく、相手には問題を解決する力があると信じて寄り添うことだと言います。これは、レイキと同じ考え方です。病気を治すのは、当事者の自然治癒力です。レイキはその人に寄り添い、それをお手伝いするもの。共通点を感じました。
「人と自分は違う。自分と同じように感じ、自分の望みどおりに行動してもらえるはずがない。まして、命令やコントロールなどできるはずがない。
だから、人のせいにはできない。期待もしない。
こう書くと、とても冷たい考え方のように思うかもしれない。
しかし、お互いに違う存在だからこそ、人は人とつながれるし、人を信じることができる。そして、それぞれの夢を応援し合えると僕は思っています。」(p.82)
人はそれぞれで違っていていい。違うからこそ協力し合える。無理に支配したり従わせたりするのではなく、自発的に助け合える関係になれる。そう鬼丸さんは言います。
「自信なんて、なくてもいい。自信や勇気は、必要になったら湧いてくる。」(p.83)
人前で話すことに自信があった鬼丸さんも、最初の報告会では大失敗をして、その自信は粉々に砕け散ったと言います。その次は、怖くて仕方なかったと。けれども、やり続けるしかなかった。それが自分らしいことだから。そうしたとき、不安を乗り越える勇気が湧いてくるのです。
また鬼丸さん、恐れや不安は、それを踏み台にするのだと言います。
「それは、恐れを前進するためのエネルギーに変えること。恐れを真っ直ぐ診て、自分がなぜ恐れているかをじっくり考え、力に変えるということだ。
(中略)
つまり、恐れが生じるのは、「やりたい!」という強い欲求があるということだ。
自分がやりたいと思っていなかったら、ドキドキもしないし、不安もない。
(中略)
「恐れてはいけない」「恐れている自分はダメだ」と考えていると、それを見極めることはできない。
まず、自分の中にある感情をとことん感じてみる。」(p.86)
恐れをしっかりと感じ、見極めることによって、それを踏み台にすることができる。それを乗り越える勇気を手にすることができる。そう鬼丸さんは言います。
「何も行動できないと、きっと焦るだろう。でも、焦ってもいいのだと思う。
「自分はこれでいいのだろうか」「社会の役に立つ人間なのだろうか」と悩むことは素晴らしいことだ。焦りがあるのは、それだけ「何かをしたい」という欲求があるということだからだ。換言すれば、道を求める心”求道心”があるということだ。」(p.92)
湧き起こる感情は否定しない。焦りでさえ、それは求道心の現れだと評価します。
「「でも今は、一歩を踏み出す勇気がないんです」という人に、僕はこう言う。
「無理して、今踏み出さなくてもいいんじゃないですか」と。
動き出す気力や意欲がどうしても感じられないのなら、今は、自分の中にエネルギーをためている時期かもしれない。
人は、それぞれタイミングがある。」(p.97)
他の人と比べる必要はないし、同じようにしなくてもいい。徹底的に自分を肯定し、湧き起こる感情を受け入れる。そんな姿勢を、鬼丸くんは教えてくれます。
「臨界点に達して、心や習慣の変化が起きるまで、自分自身が変わりつつあることになかなか気づけないかもしれない。
しかし、あきらめないことが肝心だ。
それまでの経験や試行錯誤はすべて蓄積されている。
臨界点に達するまでは、それぞれのパーツはバラバラに見えるだろう。でも、それがあるとき、ひとつになって本物の変化を起こす。さまざまな蓄積があったからこそ、ひとつの体験や言葉がきっかけとなって変化が起きるのだ。」(p.107)
量から質への転換と、マルキシズムでは言いますが、まさにそういうことなのでしょう。まったく進歩していないように見えても、目に見える変化の礎は、着実に刻まれているのです。
「出会う人や起きた出来事は、すべて必然なんだと僕は思う。
そのときはベストだとは思えないような悲しい出来事や、恥ずかしい失敗であったとしてもあとから振り返ると、必要な変化を促すためのきっかけになっていたりするからだ。」(p.107 - 108)
自分に不都合なことも、すべて自分のために起こっている。自分の学びや、自分を鍛えるために。だから、必然で無駄がないのですね。
「社会起業する際にもっとも心配なのが「食べていけるかどうか」ということかもしれない。「いつごろから食べていける自信がついたのですか?」と聞かれることがあるが、今まで、そんな自信をもったことは一度もない。今でも、不安や怖れは抱き続けている。
実際、資金調達が順調にできているわけではないので、今でも運営は自転車操業だ。
でも、僕はこの活動をやると決めている。だから、やる。ただ、それだけだ。
(中略)
自分のやりたいことだから、好きなことだから、お金を払ってでもやりたいと思う。
(中略)
「お金がたまったら」「仲間が集ったら」「仕事が一段落ついたら」と、条件が整うのを待っていては、いつまでたっても動けない。「やる」と決意するから、条件が整うのだと僕は思う。
(中略)
どんな条件でも、どんな自分でも、決めた以上はやる。すると、やるかやらないかではなく、「どのようにやるか」になってくる。
「どのように」と必死で考えていくと、そこに必ず知恵が浮かんでくる。
それが、本気になるということだ。」(p.189 - 190)
このあたりは、福島正伸さんの考え方が色濃く現れているように感じます。漫画本には福島さんの推薦もありましたから、おそらく鬼丸さんも福島さんの影響を受けたのでしょう。
「どんなに傷つき、つらい目に遭ったとしても、その人の内部にはコンクリートを突き抜ける新芽のような強さがある。
僕たちは、アジアやアフリカの人たち、大槌町の皆さんから、そのことを学んだ。
テラ・ルネッサンスの活動は、彼らのなかにある「種」が発芽する環境を整えることだ。
種を潤す雨水になり、根を張る大地になり、発芽を促す太陽になることだ。
その活動をとおして、スタッフや支援者のなかにある「種」も発芽し、成長していく。それぞれにつながりながら、自らの力で天に向かって伸びていく。」(p.238)
どんな大病を患った人の中にも自然治癒力があります。それが、その人の病気を治すのです。レイキと支援は、まさに同じようなもの。患者の自然治癒力を支援するのがレイキです。そして、レイキをすることによって、施術者の心の成長も促されます。
「僕たちが目指してきたのは、受益者に寄り添う支援だ。
しかし、自分が弱さも醜さもあわせ持つ人間だと認められなかったら、本当の意味で寄り添うことはむずかしい。彼らの弱さや醜さを認めることができないからだ。」(p.256 - 257)
「でも、自分が人間だと認めたとき、相手も同じ人間だと認められた。
そのとき、僕と彼らは本当の意味で対等な人間になった。「強い者」が「弱い者」を助けているのではない。できることがあるほうが、自分にできることをする。それだけなのだ。
だから、相手が期待したように変わらなくても、待つ勇気が生まれた。」(p.257)
相手を哀れな人と下に見れば、コントロールしようとしてしまいます。助けてやっているんだから、感謝くらいしろよと言いたくなります。しかし、支援とは本来、そういうものではないのです。
お互いが対等であることがベースです。ただ、自分にできることと相手にできることには違いがある。それだけです。だから、自分にできることをやって寄り添う。相手の自由を奪わない。それが重要なのですね。
「テラ・ルネッサンスを設立するときに決めていたことがある。
それは、闘わない平和運動をすることだ。
「平和を勝ち取るために闘う」とよく言う。しかし、「闘う」というプロセス自体、すでに平和には程遠いと僕は思う。」(p.265)
マザー・テレサさんも、そう反戦運動には参加しないと言われてましたね。
「一人ひとりの顔が違うように、受け止め方も考え方もみんな違う。
100人いれば、100人それぞれの「いい選択」がある。
だから、自分の受け止め方を、考え方を、選択する力を大事にしてほしい。
どんな選択をして、どんな未来をつくるかは、自分自身で決められるのだから。
最後に、もう一度言いたい。
僕たちは、微力ではあるが、無力ではない。
ひとつの笑顔が、ひとつの行動が、世界を変えていく。
あなたにしかできないことが、僕にしかできないことが、世界を変えていく。」(p.281)
小さいことから始めれば良いのだと、鬼丸さんは言います。無理をする必要はないのだからと。そして、自分らしい選択をすることです。他人に迎合せず、自分で判断することです。
自分には何もできないと言ってしまえば、そこでストップします。できるかどうかではなく、やるかどうかだけをまず決める。そして、小さな一歩を踏み出すのです。
これを読んで感じたのは、若いのになんと素晴らしい考え方をしているのだろう、ということでした。こういう人がいるなら、日本の、世界の、未来は安泰だと思ったのです。
けっしてスピリチュアルなことは語っていませんが、内容はスピリチュアルの本質そのものです。鬼丸さんに励まされて、私自身もこういう生き方をしたいなと思いました。
2017年01月15日
一緒にいてラクな人疲れる人
随分と前に購入した小宮昇(こみや・のぼる)さんの本を読みました。2年近く前に新刊で購入したのですが、積ん読(つんどく)状態で放置してました。遅ればせながら、紹介したいと思います。
小宮さんはカウンセラーですが、「神との対話」もよく読まれており、スピリチュアル的な考え方にも精通されています。本の帯には宝地図の望月俊孝さんの推薦もあり、交友関係も広いようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「幸せな人生になるか不幸な人生になるか、それを左右するもっとも重要なカギは人間関係なのです。」(p.1)
「人間関係に恵まれて楽しく幸せに生きるためにもっとも大切なことは、「一緒にいてラク」ということなんです。」(p.2)
人間関係が重要だということは、アドラー心理学でも言っていますね。小宮さんは人間関係において、「一緒にいてラク」ということが重要な要素だと言われるのです。
どんな人が一緒にいてラクなのか、逆に疲れるのか。前半にそういう分類があります。その最初に、内向的で自分から声をかけられない人が疲れる人の例としてありました。まさに私のようなタイプですね。
「なぜならこういう人は「わたしからあなたに与えることは拒否します。わたしに一方的に与えてください」と言っているのと同じだからです。自分から人に「声をかけること」「関心を向けること」は拒否し、人から一方的にそうしてもらうことを求めているのです。」(p.15)
耳が痛いですが、そういうことだと思います。
「あなたも、人に与えることをすればするほど人望が得られ、一緒にいてラクどころか、求められる人になるのです。」(p.17)
「自分がどう思われるか、を心配するんじゃなく、「いいことを与えよう」と相手に集中しましょう。あなたが人に与えられるいいことって、たくさんあります。」(p.18)
「「あなたと仲良くなりたい!」というメッセージを行動で伝えること。言い換えれば、「好意を向ける」「関心を向ける」こと。それが、「一緒にいてラクな人」になって人から好かれるために、いちばん強力です。」(p.18)
まず自分から人に与えること。それもたいそうなものじゃなく、好意とか関心を向けるだけでいいし、それがもっとも強力なのだと言います。
自分から与えることは重要ですが、そこには3つのポイントがあると言います。
「一つ目は、人に自分から進んで良いこと・ものを与え、人のために何かをするのは、そんな自分が好きだと思えるからするんだ、ということ。それがしたいから、するのです。」(p.27)
「二つ目にお伝えしたいことは、受け取ることも与えることだということです。人が厚意や優しさを差し出してくれたときには、感謝してたっぷり受け取りましょう。
自分を大切にしない人って、受け取るのが苦手なことが多いもの。」(p.28)
自分が与えたいから与えるのだという姿勢と、相手の好意はありがたく受け取ることですね。そして3つ目はこういうことだと言います。
「それは、あなたが何かをしてあげたとき、相手が感謝してくれるかどうかに重点を置くと、人に振り回されてしまう、ということです。ですから、「良いことを与える自分でいる」ことを中心に置いてほしいな、と思います。」(p.29)
「ですから、「ラクな人、と思ってくれるかな?」「好いてくれるかな?」と相手の反応を気にするよりも、「良いことを与える自分でいる」ことを中心軸に置くよう、心がけてください。」(p.30)
1つ目の重なる部分がありますが、相手の反応を気にしない、感謝を求めない、ということです。結果を気にしすぎず、行動に意識をフォーカスすることが大切なのです。
「誰かがあなたの意見に反対したとき、あなたという人間を否定したわけではありません。あることがらについて、あなたと異なる意見を持っただけです。
また、誰かがあなたを批判したり、あらぬ疑いをかけたりしたとしても、それはその人があなたの人間性をよく理解して、あなたのことを「信頼に値しない」と判断しているわけではありません。単にその人は過剰に攻撃的だったり疑い深かったりする人か、何かを誤解しているだけなのです。
ですから人の意図を正しく理解するように努めましょう。」(p.54)
人というのは、他人の行為を勝手に誤解して腹を立てたりしがちなものです。そうされるのが嫌なら、自分はそうしないようにすることですね。
「幸せな人は自分の欠点を隠さず、人にこころを開き、おおらかでゆとりのある生き方をしているため、周りもラクでいられます。
だから、一緒にいてラクな人になるには、自分の幸せ度をアップさせることが大切です。」(p.63)
まず、自分が幸せであることが重要なのです。
「多くの人々を追跡調査して幸せ度を調べたところ、いま幸せに生きている人は、去年もおととしも幸せだったことが分かりました。そして幸せな人のほとんどは、来年も再来年も、たぶん十年後も幸せなんです。同様に、いま不幸な人は去年も不幸だったし、おそらく十年後も、同じくらい不幸なんです。」(p.64)
「幸せ度が年月を経ても一定だということは、幸せ度は、出来事によってはあまり変化しないということでもあります。」(p.64)
これは面白い指摘ですね。「幸せ度」というのは、出来事によって決まるのではない、というこです。そのために、一定の「幸せ度」をキープするのですね。
「幸せ度をアップするには、良いこと、うれしいことに意識的に注意を向けることが大切です。プラスのことに努めて注意を払うほど、それが習慣になります。」(p.68)
つまり自分の意識的な選択によって、今の幸せばかりか将来の幸せも決まるのです。
「意識して、幸せなことを探しましょう。それによってあなたはより幸せな人になります。するとあなたは、周囲の人々にとって一緒にいてラクな人になります。」(p.74)
本書では、「感謝ノート」をつける方法など、幸せなことに注意を向ける方法を紹介しています。
「ただ、「堂々といてください」と言われても、他人に対する怯えを消せと言われても、それができないから苦労している、と思うかもしれませんね。
それであれば、試してほしいことがあります。
それは、「わたしは周囲の人たちから愛されている」と信じ込むことです。」(p.80)
心屋仁之助さんなども、こういうことを言われています。自分は愛されていると自分に言い聞かせることで、自分に信じ込ませるのです。
カリフォルニア大学バークレー校の心理学者チームが、ある女子大の卒業生を追跡調査したそうです。そして、彼女たちの卒業アルバムから笑顔かどうかを基準に分類して分析したところ、面白い結果が出たそうです。
「つまり、大学生のときに笑顔の多かった人は、それから何十年たったときでもより幸せだったのです。
このことだけでも、笑顔を多くする十分な理由になるんじゃないでしょうか。」(p.126 - 127)
笑顔を作ることによっても、幸せになれます。
本書の後半には、聞き上手になるという意味で、カウンセリング手法の「傾聴」についても詳しく説明してあります。
「一緒にいてラクな人」になるための様々なアプローチがありますが、どれか1つでも実践すれば、人生が変わると思いますよ。
2017年01月18日
なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?
ひすいこたろうさんの新刊を買って読みました。この本は、フェス「旅祭」のオーガナイザー、滝本洋平(たきもと・ようへい)さんとの共著になっています。
長いタイトルですが、興味を惹かれますよね。そう言われれば確かにジョブズ氏は、いつも同じ格好でした。まさか洗濯とか入浴が嫌いな無精者というわけでもないでしょうに。
そして、そのこととと幸せとにどういう関係があるのでしょう?「真の幸せを生きるためのマイルール28」というサブタイトルにもあるように、この本は著名人のマイルールを紹介するものになっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。本当はすべてのマイルールを紹介したいくらいですが、さすがにそれは無理なので、ほんの一部を紹介しますね。
ジョブズ氏のマイルールは、大切なもののために大切でないものをやめる、ということから来ていました。服を選ぶことは、彼にとってはどうでもいいこと。だから、最初からスタイルを決めてしまったのです。
このマイルールを、ひすいさんは「美学」だと言います。自分らしさとも言えますね。なんだか最初からワクワクする内容です。
矢沢永吉さんは、自分とYAZAWAを区別していたそうです。
「ただYAZAWAがなんて言うかな?」(p.32)
自分はYAZAWAという人物を演じているだけ。物語の主人公であるYAZAWAを客観的に観ていたのです。
矢沢さんと言えば、親しい仲間に騙されて35億円の負債を背負ったことがありました。それを6年間で返済したのです。負債を負った時、矢沢さんはこう考えたそうです。
「「これは映画だと思えばいいや」
35億円はYAZAWAに返せない金額ではない。
YAZAWA、お前ならやれる!
これは俺が主演の映画だ。」(p.35)
これは、矢沢さんだけの話ではありません。一人ひとりみなそうなのです。全員が、自分を主人公とする物語を演じているのです。
「なぜ、つらいことがあなたの身に起きるのかわかりますか?
そう。あなたが主人公だからです。」(p.38)
自分が主役というドラマをどんなふうに演じるのか。それを決めるのは自分自身なのです。
私は寡聞にして存じ上げなかったのですが、著作累計200万部を超えるベストセラー作家であり、超自由人である高橋歩(たかはし・あゆむ)さんのことが取り上げられていました。あまりにすごい方だとわかったので、すぐにネットで本を3冊注文したくらいです。
高橋さんは、何か事業を立ち上げては知人に譲り、また自分は一から新しいことを始めるという人です。さらに、思い立ってすぐに世界旅行へ何ヶ月も出かける。子どもが小学校より世界旅行へ行きたいと言えば、一緒に連れて行く。そんな人です。
高橋さんが、どうしてそういう人に育ったのか。そのルーツを母親のマイルールに求めています。お母さんは毎日、「今日はなんかいいことあった?」と高橋少年に尋ねたのだそうです。それに答えたくて、高橋少年は「いいこと」を探すようになったのだとか。
その高橋さんが滝本さんに自分の夢を語ったことがあったそうです。
「世界は広いし、楽しいこともいっぱいあるけど、俺の人生最大の夢、それは、すごくシンプルだよ。『妻であるさやかにとってのヒーローであり続けること』。それだけだね」(p.68)
愛する人に「かっこいい」と思われるかどうか。それだけが行動指針なのです。これもまた、美しさを追い求める生き方ですね。
その高橋さんの奥さんであるさやかさんも、実は並大抵の人ではありませんでした。結婚式の3日後には無期限の世界一周ハネムーンに出かけ、モンゴルでは遊牧民の移動式住居「ゲル」で一緒に生活する。言葉もわからず、電気も水道もない生活。普通なら耐えられなくなりそうですよね?
なぜさやかさんは、そんな自由過ぎる高橋さんについていくのか?なぜついていけるのか?それは、高橋さんとの出会いの時に理由がありました。まだ19歳の専門学校生の時、大学生の高橋さんと出会いました。何度か2人で会うようになったころ、高橋さんから夢は何かと尋ねられます。その時、さやかさんはこう答えました。
「知りあって3回目くらいで言うのはなんだけど……。あえて言えば、わたしの夢は、あゆむクンの妻を極めることだと思う」(p.81)
まだ付き合い始める前の告白です。さやかさんは、結果がどうかに関係なく、自分がどうしたいかで決めたのです。勇気を出したのではなく、覚悟を決めたのです。だから、何が起ころうともついて行けたのだと思います。
マイルールには、互いに矛盾することもあります。たとえば、嫌いな人とは会わないという星野リゾートの星野佳路社長もいれば、あえて嫌いな人と会うという作詞家の秋元康さんのような方もおられます。スピルバーグ監督のようにラストシーン(目標)を先に明確に描くという人もいれば、カーネル・サンダース氏のように最終的な結果にはこだわらずに「惜しみなく人のためにお金を使う」という行為に徹する人もいます。
どのマイルールが正しいかではなく、どの生き方が自分にとって美しいかなのです。損得で考えるのではなく、そうすることが美しいと感じるかどうかが重要なのです。
タイガー・ウッズ氏の有名なエピソードも載っていました。2005年のアメリカン・エキスプレス選手権最終日。プレーオフで先にパットを沈めたタイガーは、ライバルのジョンのパットを待っていました。その時タイガーは、「ジョン、入れろ!」と心の中で祈っていたのです。
その祈りがどれだけ真剣だったか、ジョンのパットが外れた瞬間にわかりました。タイガーは、なんとも言えない悲しい表情を見せたのです。自分が優勝したにも関わらず。
ただ勝てばいいのではない。美しくなければ意味がない。最高の力を互いに出し合って、その上で自分が勝とうとする。それがタイガーの美学だったのです。
「すべての戦争は、「私が正しい。あなたが間違っている」とお互いに思っているからこそ置きています。正しさを基準にする限り、そこには永遠に争いがあります。
だから、美しいか美しくないかを基準にして、どんな相手にも、そこに聖なるものを見出だせたら、きっと、そこにあるのは人類初の世界平和です。
正しさで争う時代を終わらせて、美しさで魅せ合う時代を僕らはつくっていく使命があると思っています。
古代日本人が大事にしてきたその感性を、今こそ復活させるときだと思います。」(p.230)
古事記には、八百万の神々のことが書かれています。その中には、ウンコ、オシッコ、ゲロといったものにさえ、神様がいると書かれています。あらゆるものに聖なるものを見た日本人の感性ですね。
その日本の縄文時代には、人と人が争った形跡がないのだそうです。1万年以上も。狩りのための道具はあっても、闘うための武器が存在しないのだとか。その代わりに装飾がたくさんあり、おしゃれを楽しんでいたようです。
そんな日本人に伝えられてきたのが神道です。世界で唯一、教えのない宗教。宗教とも言えない宗教ですが、教えがないからこそ、正誤、正邪で裁くことがありません。その代わりに、美しいかどうかが行動指針だったのです。
イエス・キリストと孔子についても、マイルールを取り上げていました。黄金律(ゴールデン・ルール)と呼ばれるものです。孔子は一言で重要なルールを言うとするなら、それは「恕(じょ)」だと言っています。
「「自分がされたくないことは人にしてはならない、それが恕だ」と。」(p.235)
そしてイエスは、山上の垂訓で重要な教えをこう言いました。
「「自分がしてほしいことを相手にしなさい」です。」(p.236)
つまり、自分を愛するのと同じように他人を愛しなさい、ということです。自分と他人を同一視しなさい、ということでもあります。
私たちは元々分離した存在ではなく、本質的に「ひとつのもの」です。同じ木の別々の葉に過ぎないのです。
「僕らは
「Alone」(ひとりぼっち)じゃないんです。
「All one」(すべてひとつ)なんです。
だから、相手にしてあげることは、自分にしていることとイコールなのです。
わたしはあなた。
あなたはわたし。」(p.242)
ついにひすいさんも、スピリチュアルな世界に来てしまったか、という感じですね。(笑)けれども、すべての行き着く先がここにあるのだとも感じています。量子物理学も心理学も、すべてがここに。
最後にひすいさんは、「神との対話」のことも紹介されています。そして、すべての背後に愛があることを言われています。
いろいろなマイルールがありますが、それはすべて自分が美しく生きるために、自分が自分に課したもの。自分を美しく輝かせる以上に楽しいことはありませんからね。
この本を読むと、生きるのがラクに感じられるようになります。そして、自分のマイルールを持ちたくなるでしょう。
2017年01月20日
ひすいこたろう
ひすいこたろうさんは、自称「天才コピーライター」です。どれだけの自信家かと思ったらさにあらず。そういう名前をつけることによって、自分の可能性を広げられた方なのです。
見方次第で幸せになれるという考え方を、ひすいさんがどこから得たのか不思議だったのですが、どうやら小林正観さんの5日間のセミナーに参加されたことが、大きなきっかけとなったようです。今では、ベストセラーを次々と生み出す作家さんとして、確固たる地位を築かれています。
ひすいさんは、埋もれている人を掘り起こす名人でもあります。それまで、あまり知られてはいなかったけれども実はすごい人と、共著を出版することで応援されています。おそらくだから、共著者名を書く時、ひすいさんは自分を後に書かれるのでしょうね。
◆ひすいこたろうさんの本
・「起こることは全部マル!」(共著:はせくらみゆき)
・「あした死ぬかもよ?」
・「ゆるんだ人からうまくいく。」(共著:植原紘治(うえはら・こうじ))
・「絶望は神さまからの贈りもの」(共著:柴田エリー)
・「ゆるんだ人からうまくいく。 CDブック」(共著:植原紘治)
・「人生に悩んだら「日本史」に聞こう」(共著:白駒妃登美(しらこま・ひとみ))
・「なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?」(共著:滝本洋平(たきもと・ようへい))
・「あなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。」
・「心が折れそうなときキミに力をくれる奇跡の言葉」
・「ものの見方検定」
・「ダメなときほど運はたまる」)(共著:柴田エリー)
・「運命の流れを変える! しあわせの「スイッチ」」(共著:ひたかみひろ)
・「名言セラピー幕末スペシャル」
・「見る見る幸せが見えてくる授業」
・「常識を疑うことから始めよう」(共著:石井しおり)
・「前祝いの法則」(共著:大嶋啓介)
・「人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方」
・「今日、誰のために生きる?」(共著:SHOGEN)
「起こることは全部マル!」は、最初に読んだひすいさんの本です。ひすいさんに興味を持ったのは、Facebookなどで名言セラピーとして載っていた、ちょっとした言葉の魅力だったように思います。それでひすいさんの本を読みたくて買ったら、たまたまはせくらさんと共著だったのです。
上記の本の一覧を見てもわかるように、最近の本のほとんどが共著になっています。それだけ多くの人と出会い、多くの人から学び、多くの人を引き立てて来られたのでしょうね。
出版社のヒカルランドの記念講演会で、ひすいさんと植原さん、はせくらさんも出演されると言うので、参加したことがありました。その時、初めてひすいさんとお会いしました。ちょっとシャイで、誠実そうな方でした。私がタイから来たと言うと、発言の機会まで与えてくださいました。
ひすいさんの本は、どれを読んでも感動的です。なので、どの本から読まれてもハズレがないと思います。
見方次第で幸せになれるという考え方を、ひすいさんがどこから得たのか不思議だったのですが、どうやら小林正観さんの5日間のセミナーに参加されたことが、大きなきっかけとなったようです。今では、ベストセラーを次々と生み出す作家さんとして、確固たる地位を築かれています。
ひすいさんは、埋もれている人を掘り起こす名人でもあります。それまで、あまり知られてはいなかったけれども実はすごい人と、共著を出版することで応援されています。おそらくだから、共著者名を書く時、ひすいさんは自分を後に書かれるのでしょうね。
◆ひすいこたろうさんの本
・「起こることは全部マル!」(共著:はせくらみゆき)
・「あした死ぬかもよ?」
・「ゆるんだ人からうまくいく。」(共著:植原紘治(うえはら・こうじ))
・「絶望は神さまからの贈りもの」(共著:柴田エリー)
・「ゆるんだ人からうまくいく。 CDブック」(共著:植原紘治)
・「人生に悩んだら「日本史」に聞こう」(共著:白駒妃登美(しらこま・ひとみ))
・「なぜジョブズは、黒いタートルネックしか着なかったのか?」(共著:滝本洋平(たきもと・ようへい))
・「あなたの人生がつまらないと思うんなら、それはあなた自身がつまらなくしているんだぜ。」
・「心が折れそうなときキミに力をくれる奇跡の言葉」
・「ものの見方検定」
・「ダメなときほど運はたまる」)(共著:柴田エリー)
・「運命の流れを変える! しあわせの「スイッチ」」(共著:ひたかみひろ)
・「名言セラピー幕末スペシャル」
・「見る見る幸せが見えてくる授業」
・「常識を疑うことから始めよう」(共著:石井しおり)
・「前祝いの法則」(共著:大嶋啓介)
・「人生最後の日にガッツポーズして死ねるたったひとつの生き方」
・「今日、誰のために生きる?」(共著:SHOGEN)
「起こることは全部マル!」は、最初に読んだひすいさんの本です。ひすいさんに興味を持ったのは、Facebookなどで名言セラピーとして載っていた、ちょっとした言葉の魅力だったように思います。それでひすいさんの本を読みたくて買ったら、たまたまはせくらさんと共著だったのです。
上記の本の一覧を見てもわかるように、最近の本のほとんどが共著になっています。それだけ多くの人と出会い、多くの人から学び、多くの人を引き立てて来られたのでしょうね。
出版社のヒカルランドの記念講演会で、ひすいさんと植原さん、はせくらさんも出演されると言うので、参加したことがありました。その時、初めてひすいさんとお会いしました。ちょっとシャイで、誠実そうな方でした。私がタイから来たと言うと、発言の機会まで与えてくださいました。
ひすいさんの本は、どれを読んでも感動的です。なので、どの本から読まれてもハズレがないと思います。
ありがとうの奇跡
小林正観さんの最新作を読みました。と言っても、すでに亡くなられていますので、これはかつての正観さんの言葉をまとめたものになります。前に出版された「ありがとうの神様」の続編となります。
この本も同様の形式で、1つの話を4ページにまとめてあります。それが全部で70あります。大きく9つのカテゴリに分けて、章立てしてあります。
このような形式ですから、1つ1つの話には密接なつながりがありません。章の中での関連性とか、本全体での共通項のようなものはありますけどね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「自分がわかままを言って、言いたい放題、望みたい放題やっていると、体中がチクチクと痛むらしい。このしくみは、神様からのプレゼントかもしれません。
チクチクきた瞬間に、「あっ、そうか。私は、自分のことばかり考えて、ほかの人に喜ばれる存在になっていなかったかもしれない」と気づくと、どうやら、痛みは軽くなるようです。」(p.135)
ちょうど今、私が背中痛を抱えていたので、この話が印象に残りました。全身リウマチのAさんに正観さんは、「人に何かやってあげたことはありますか?」と尋ねたのだそうです。Aさんは、体がこんな状態だから、ほとんど何もしてあげてない、と答えたそうです。
そこで、ある施設に通っていたリウマチの人の話をしたのだそうです。先生に診察してもらいに行くと、「おじいさんの包帯を巻き直して」とか「おばあさんをお風呂に連れて行って」など、用事を頼まれるのだそうです。
まったく診察はされずに用事ばかり頼まれる。そんなことが続いたある日、その方が先生にどういうつもりかと尋ねると、先生は「今、痛みはありますか?」と言われたそうです。その時、いつの間にか痛みが軽減していたことに気づかれたそうです。
身体の痛みは、自分に何かを教えてくれるメッセージだと思います。いつもよく働いている身体のことを考え、生かされていることに感謝して、他の人を喜ばせることに心を砕く。そういうチャンスを与えてくれているのかもしれません。
「人間は病気で死ぬこともないし、事故で死ぬこともないようです。人間が死ぬ理由はたったひとつ。「寿命」というものです。そして、自分の「寿命」は、生まれる前から決まっているようです。」(p.139)
霊氣(レイキ)の創設者、臼井甕男(うすい・みかお)氏は、霊氣はどんな病気にも効果があると言われています。ただし、たった1つを除いては、と。その1つとは、「寿命」だと言われました。私たちは、病気や事故が原因で人が死ぬと思い込んでいますが、実はそうではないのかもしれません。
もし、魂が生まれる環境を自分で選んで生まれてくるなら、その人生での課題をどうクリアするかというストーリーも決めていて当然です。そして、いつこの世を去るかも、自分で決めていることでしょう。そうだとすれば、すべては魂のストーリー通りなのです。
「人は、生まれる前から、「自分の寿命」を「自分が書いたシナリオ」で決めてきているらしいのです。」(p.138)
たまたま新しい治療法に出合って延命できたとしても、その「たまたまの出合い」そのものが、シナリオ通りなのだと言います。こういう話は証明できることではありません。ですが、生前記憶のある多くの子どもが、自分の意思で生まれてきたと言っています。そうであるなら、この話もまんざら嘘とは言い切れない、と思うのです。
「どんな子どもも、全員が「天才の芽」を持って生まれてきています。その芽を開かせる方法は、「子どものあらさがしをせず、賞賛すること」です。
「あなたが私の思い通りになったら愛してあげるけれど、思い通りにならないあなたは嫌い」と条件をつけるのだとしたら、それは「愛していない」といいます。
「あなたがあなただから、愛している」と言ってあげられること、「私の思い通りになっても、ならなくても、愛している」といえることが「愛している」ということです。」(p.156 - 157)
愛は無条件です。言うことを聞こうが聞くまいが関係なく、受け入れて好きでいることが愛です。相手を自由にさせ、相手が自由でいることを喜ぶのが愛です。子育ての極意は、単に「愛する」だけなのです。
「「空腹」という前半の現象がなければ、後半に「おいしい」と感じることもありません。「幸せ」という現象を「私」が感じるためには、その前半分の現象として、一般的に「つらく、悲しく、苦しい」といわれていることが、どうしても必要だったのです。
そのことがわかったら、起きている現象について、一つひとつ「よい、悪い」「幸、不幸」と、評価・論評しなくなるのではないでしょうか?」(p.293)
「低い」がなければ「高い」もない。「愛でない」ものがなければ「愛」もない。「神との対話」でも、そのように言っています。私たちは相対的な世界の中で、神の素晴らしさを体験的に知るために、ありとあらゆるものを体験しているのです。
ですから、出来事に一喜一憂する必要はないのです。どんな体験もまた、神の一部を体験しているのであり、その体験があるからこそ、その反対のことを体験できるのですから。
「「思いを強く持って、それを長く、強く念じていれば、そうなる」という法則は、どうやら、宇宙にはないようです。
人生の悩みのほとんどは、「自分の思い通りの人生を生きたい」という思いが発端になっています。だとすれば、悩みを克服する究極の方法は、「自分の思いを持たないこと」なのではないでしょうか。」(p.341)
このように正観さんは、意図的に「引き寄せの法則」を使えるものではないと言われます。世の中を自分の思い通りに変えようとする生き方そのものが、間違っていると言うのです。
このことは、私自身も同感です。正観さんの例にもあるように、どんなに野球をやりたいと願っても、それがかなわない少年もいます。どんなに健常者のように歩きたいと願っても、両足を切断した人にはできないのです。
もちろん、片腕で大リーガーになった人もいます。しかしだからと言って、強く願えば誰でも何でも願いが叶うわけではないでしょう。それが叶うのなら、死なない人が無数に出てきていいはずですから。
この世に生まれてきたのが魂の意図であるなら、顕在意識の「私」とは別の意図があるはずです。魂は、その青写真を忘れない、と「神との対話」でも言っています。つまり、魂の意図に反して何かをすることは不可能なのです。魂はあらゆる手を使って、意図に適った状況を与えるでしょうから。
ですから、ある意味で「あきらめ」が必要なのだと思います。「おまかせ」と言ってもいいかもしれません。正観さんはこれを、「自分の思いを持たないこと」と言われています。
前作も素晴らしい内容でしたが、今回もとても感動しました。1日1話を読む、という読み方もいいかもしれませんね。
全体としては、「はじめに」の部分で次のようにまとめてあります。
「「思いを持たず」、よき仲間からの「頼まれごと」を淡々とやって、どんな問題が起こっても、すべてに「ありがとう」と感謝する(受け入れる)こと。
「そ・わ・かの法則(掃除・笑い・感謝)」を生活の中で実践することであり、「ありがとう」を口に出して言い、逆に、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言わないこと。
すると、神さまが味方をしてくれて、すべての問題も出来事も、幸せに感じて、「よき仲間に囲まれる」ことになり、「喜ばれる存在」になる。」(p.31)
これが正観さんの言う「人生の目的」であり、「幸せの本質」なのです。すべては魂の導きのままに上手く行っている。だから安心して委ねて、感謝しながら生きればいいのですね。
2017年01月22日
正観さんと「わたしたち」のちいさな物語
小林正観(こばやし・せいかん)さん関連の本を読みました。この本は、一般の書店などでは売られていません。正観さん関連のグッズなどを販売している全国の「うたしショップ」で販売されているものです。私はこれを、青森のうたしショップで購入(通販)しました。
厳密に言うとこれは正観さんの本ではなく、その周りにおられた方々の本になります。正観さんと接して、どんなことがあったとか、どんなふうに教わったなど、そのエピソードがそれぞれの方によって語られています。
私がこの本を知ったのは、Facebookでアーナンダこと津原明宏さんと友だちになっているからです。うたしショップを経営されるとともに、気功整体もされています。YouTubeに多くの動画をアップされてますが、スプーン曲げの秘訣を語られている動画は、なかなかのものだと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
正観さんから「みなさんに超能力者になってほしい」と言われた高島亮さんは、違和感を感じました。なぜなら、正観さんはいつも「がんばらなくていいんですよ」とか、「人より抜きん出よう、大したものになろうとする必要はありません」と言われていたからです。すると正観さんは、こう言われました。
「人が潜在能力を発揮することはいいことだと私は思っています。そのほうが、人生が楽しいものになりますから」(p.17 - 18)
超能力というのは、特別な人にだけ与えられたものではなく、人なら誰でも持っている力なのですね。ただそれが隠されたままになっている。だからその潜在能力を発揮するようになれば、人生が楽しくなるのだと言われるのです。
正観さん自身、人相を観たりスプーン曲げをするなど、超能力とも言えることをされていました。では、どうすれば超能力が使えるようになるのでしょうか? その問に正観さんは、ズバリとこう答えられたそうです。
「人間が超能力や潜在能力を発揮するために、必要不可欠な条件があります。それは、力を抜くこと。リラックスすることです」(p.18)
頑張って、努力して、力を込めるというのが、これまでの世間のやり方でした。でもそれでは執着になってしまうと正観さんは言います。
「そうではなく、執着を手放して、脱力すること、おもしろがって、楽しむこと。それが、潜在能力を開花させるためには絶対不可欠なんですよ」(p.19)
これはまさにレイキの極意そのものだったので、とても驚きました。レイキも脱力して、ふにゃっという感じでお任せする意識が重要だと言われます。「この病気を治してあげたい」という強い思いは、レイキからはかけ離れるのです。
超能力の秘訣も、レイキの極意も、人生を上手に生きるコツも、この「脱力」と「楽しむ」ことにあるように思いました。
「人間が生きていく上で必要なものは『衣・食・住』と三つ言われていますが、人間が成長する上で必要なものは『本』と『友人』と『旅』なんです。
若くてお金がないかもしれませんが、『本』と『友人』と『旅』は、時間とお金を惜しまないほうが良い『ベスト3』と考えています」(p.27)
これは私も同感です。本にはお金を惜しまない、というのが私のモットーです。自分のためには贅沢しなくても、友人(後輩)と一緒のときはケチらずお金を使う、というのもそうです。そして、自分が変わるためには旅、特に一人旅が良いと勧めています。正観さんが旅を勧める理由は、次のようなものです。
「日本語で言う『旅』の語源は『他火』。他人の火にあたることと考えています。
その昔は、家族で囲炉裏をかこんでご飯を食べていました。テレビもラジオもない時代、家の人との会話だけでは視野が狭くなりがちです。
視野が狭くなると、この世でこんなに悩んでいるのは自分だけかも……と考えてしまう。
だから旅が大事。」(p.28)
新鮮な環境、新鮮な人の言葉に触れることによって、自分の枠を大きくすることができる。私もその通りだと思います。だからこそ、仲間内で群れるだけのツアーより、現地の人との出会いが多い一人旅がお勧めなのです。
野口さんという女性の話です。お姉さんをガンと脳梗塞で亡くされたそうです。野口さんは正観さんの本を読み、直接お会いすることができました。その時、もしお姉さんが正観さんと出会っていれば、死なずに治ったのではないか、と正観さんに尋ねたそうです。すると正観さんは、次のように言われました。
「お姉さんのおかげて私の話を聞くようになり、縁をいただいたのだから、お姉さんに感謝しなさい」(p.91)
「99%の人が私の話を聞かずに亡くなっていきます。だから1%の縁を持てた人は本当についている人ですよ」(p.91)
出来事のどの部分に意識をフォーカスするのか。正観さんは常に、プラスの面を見るようにと諭されたのです。
お父さんのことが好きだけど、退職後にゴロゴロしてばかりの姿を見ると、口出ししたくなって「ありがとう」となかなか言えない、という方がおられました。その方に正観さんは、次のように言われました。
「直接本人にありがとうが言えなければ、水蒸気に言えばいいんですよ」(p.98)
「水蒸気は連続分布だから、空気中に『ありがとう、ありがとう……』と言っていたら、その情報を持った水蒸気を、相手が吸い込んで伝わります。縦(年代など)にも横(距離など)にもつながっているから、生きているかいないかは関係がないんです」(p.98)
この世の本質は時空を超えたものですから、言葉の波動が伝わるということになります。だから目の前にいないとしても、その人のことを思って「ありがとう」と感謝すればいいのですね。
リストラされた高島亮さんに正観さんが、新しく会社を立ち上げるようにと言われました。そして、そのコンセプトを説明されたのです。
「『きそわない・くらべない・あらそわない』というコンセプトで、そういう考え方や生き方をしている人だけを招いて、講演会をする会社です。講師は、有名かどうかで選ぶのではなく、『き・く・あ』な生き方をしているかどうか、そこだけで判断するのです」(p.109)
「世の中には、競って比べて争って、人より抜きん出よう、がんばって目標や願望を達成しようと謳(うた)うセミナー会社が多いでしょう。でも、その方向性では、人は幸せにはなれないんですよ。目標を達成したら次の目標が生まれるし、何かを得たり成し遂げたりしても、もっともっとと欲しくなり、その欲望には際限がありません。人と比べると、そこから不幸が生まれます。がんばれがんばれという方向性は人を壊します。幸せとは何かを成し遂げた先にあるのではなく、自分が気づくものであって、今あるものに感謝できたときに人はしあわせを感じることができるんです。それは、きそわない・くらべない・あらそわないという生き方の中でこそ、感じられるものなのですよ。これからの時代は、そういう価値観や生き方が大事になります」(p.109 - 110)
このように「き・く・あ」という正観さんの考え方を説明されたのです。たしかに、これまでとは真逆の価値観のように思います。そして、そうだからこそ、行き詰った今の社会を変えていく力があるように思います。
人生に行き詰まった時、人は滝行のような苦難を伴う行をすることで、道を切り開こうとすることがあります。悟りを開くための断食修行などもそうですね。それに対して正観さんは、次のように言われたそうです。
「私も、それ(修行)をやらなければ悟れない、ということならやります。でも、やらなくてもいいのです。悟りとは、『受け入れること』だからです。エネルギーが余って体を動かしたいというのならばジムに行って汗を流せばいい。『肉体行はやらなくてもいい』と釈迦も言っているのです」(p.196)
私も同感です。お釈迦様は苦行の末、苦行は必要ではなかったと悟られたのです。それなのにどうして、現代の僧が苦行をするのでしょうね? 不思議な気がします。
正観さんは、ただ受け入れればいい、と言われました。これはつまり、執着を捨てるということです。お釈迦様も、そのことを言われています。昔から言われていることなのですね。
正観さんの本はいくつかありますが、周囲の方たちが、どういう感じで正観さんと接しておられたかを知る本は、そう多くはありません。この本はそういう意味で、貴重な本だと感じました。
正観さんが生きておられた当時に行われていた茶話会などは、今もお弟子さんたちによって引き継がれているようです。正観さんの生き方を取り入れたいと思う人が、少しずつ増えているのかもしれません。
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