2016年12月01日
二つの祖国
近代日本史について書かれた記事か何かに、山崎豊子さんのことが書かれていました。それでこの著者に興味を持ち、代表作を1つでも読みたいと思ったのです。
いくつかある候補の中で、なぜかこの小説を選びました。発表時は連載小説ですが、買ったのは文庫本です。他にもいろいろな形態の本があるようです。
なぜこの小説を選んだのか、その理由ははっきりしません。けれども、読み終えた今、これを選んで正解だったと思います。
これは小説ですから、引用するのはやめて、大まかなあらすじと感じたことを書きたいと思います。
主人公は天羽賢治。日系移民一世の両親のもとに生まれた日系二世です。アメリカは、生まれた土地がアメリカならアメリカ国籍を取得できるので、賢治は両親が日本人ながらアメリカ人として育ちます。
しかし、第二次世界大戦前のアメリカでは、有色人種に対する差別が当たり前のようにありました。同じアメリカ人であっても、有色人種と言うだけで差別されたのです。
第二次世界大戦が始まると、露骨な差別がありました。ドイツ移民やイタリア移民は何もないのに、日本移民だけが収容所に入れられ、ひどい待遇を受けました。それは日系移民一世だけでなく、アメリカ人である日系二世もそうだったのです。
聞いたことがある歴史ですが、このように小説の形で読むと、当時の日系移民の苦労がいかばかりかと、想いを寄せずにはおられません。
さらにアメリカは、日系二世を戦争に使おうとします。これは、日系二世側からの要請もありました。アメリカ国民としての忠誠心を示すことによって、自分たちの立場を守ろうとしたのです。
賢治は日系二世として、戦争に参加することになります。賢治の弟たちも、それぞれの立場で戦争に参加します。日本に戻った次男は日本軍に入り、三男はアメリカ軍としてヨーロッパ戦線へ。
兄弟が戦場で敵味方として相まみえるかもしれない。そんな状況が生まれました。賢治の両親の思いは、いかばかりだったでしょうか。
そして、終戦を迎えます。広島、長崎に落とされた原子爆弾。勝者が敗者を裁く東京裁判。賢治は、それらに深く関わっていきます。
自分がアメリカ人として忠義を示し、アメリカは正義の国であるべきだという賢治の考えは、受け入れられることはありませんでした。そして、忠義を示した賢治ですが、アメリカはそれでも疑いの目を向けるのです。
自分はアメリカ人なのか、日本人なのか。どういう人間として生きれば良いのか。深く深く悩む賢治の心に思いを馳せる時、国籍とは何なのか、人とは何なのか、様々な思いが去来します。
ここで描かれている東京裁判の様子が、どこまで本当のことかはわかりません。しかし、詳細に描かれています。それぞれの被告に、それぞれの思いがあったのだろうと思います。
裁かれて犯罪者となったから悪い人だ。そんな単純なことが言えるのか? 私は、そうは思えません。もちろんだからと言って、正しかったとも簡単には言えないのです。
それぞれに、それぞれの正義があった。そして、その自分の正義を貫いた。その結果が、この歴史なのだろうと思います。
近代史を深く知る上でも、この小説は役に立つと思います。もちろん、純粋に小説として楽しむのも、悪くないと思います。特に若い人には、ぜひ読んでいただきたい小説です。
2016年12月02日
心晴日和
また喜多川泰さんの本を読みました。「心晴日和」というタイトルですが、何と読むかわかりますか?
なかなか読めませんよね? 私も読めませんでした。どうやら「こはるびより」と読むようです。
「こはるびより」なら「小春日和」という漢字があるのですから、これで良いのではないかと思います。でも喜多川さんは、この漢字を使うことに意味があると思われたのでしょう。
そう言えば、「がんばる」と「頑張る」と書かずに「顔晴る」と書く人もおられますよね。なんか力んでやるんじゃなくて、晴れやかな顔で意欲的にやるという雰囲気が伝わってきます。
今回の小説も、本当に素晴らしかったです。読みながら、何度泣いたかわかりません。魂が揺さぶられるのです。喜多川さんの本は、どうしてこんなに素敵なのでしょうね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言っても小説ですから、ネタバレしない程度にあらすじを紹介し、ポイントとなる一部を引用しますね。
主人公は中学生の美輝。親しかった友人から急にシカトされるようになり、学校へ行けなくなっていました。学校へ行こうとすると、頭痛や腹痛などが起こるのです。
検査をしてもらうために病院へ行った時、不思議な老人と出会います。その出会いによって美輝は、これまでとはまったく違う考え方があることを教えてもらうのです。
「そもそも起こっている出来事によって、幸せとか不幸が決まるわけではないんじゃよ。まったく同じ出来事が起こっても幸せだと感じることもあれば、不幸だと感じることもある。ようは、受け取る側がその出来事をどうとらえるかの問題なんじゃ」(p.13)
老人はそう美輝に言いました。出来事で決まるのではなく、その出来事に対する考え方で決まるのだと。
「お前さんが春らしいものを探して歩いていると、道は春らしいものであふれていることに気づくじゃろ。ところがお前さんが歩いた道は、初めて歩くような外国の道じゃない。いつもお前さんが歩いている道じゃ。
(中略)
人間は、自分が探しているものしか見つけることができないんじゃよ」(p.26)
出来事は、様々なものが同時に起こっています。けれども、私たちが何に意識をフォーカスするかによって、その見え方が変わります。自分がそこにあると信じているものしか見えないのです。
「みんなが自分に対して優しい中で、自分が強いかどうかなんてわからんじゃろ。自分に対して辛く当たる人がいるからこそ、自分が弱いということがわかる。そしてその経験から自分なりに対処法を考え出し、それを続けることでどんなことに対しても負けない強さを持つことができるようになる」(p.39)
困難を乗り越えれば、自分の強さを体験できます。逆に言えば、自分が強いことを体験する(知る)ためには、困難が必要なのです。
ピンチはチャンスと言いますけれども、試練によってしか体験できないことがあります。だから自分に試練を与えてくれることは、これまで知らなかった自分に気づかせてくれる恩寵なのだと言えるのです。
「まずはお金を稼いで自分が生きていくことが先決だから、そういうことは考えようとしないというか。俺もそうだったんだけどね、自分の周りにいる人を幸せにするためにも何か始めないといけなくなったんだよ。時代のせいにしたり、社会のせいにして文句ばかり言っても、何も変わらないからね。」(p.146)
今のままではつぶれてしまう。中小企業だからこそ感じる危機感。でも、その危機感があったからこそ、自分で何とかしようとするしかないと気づけるのです。
上手くいくかどうかはわかりません。でも、重要なのは結果ではなく、やってみることです。結果は後からついてくるもの。できるとわかっているからやるのではなく、やるしかないと自分で思ったからやるのです。
「子供の頃は親に依存して、大人になったら会社に依存して、年をとったら国に依存して……」(p.157)
自立するとは依存しないこと。他の誰かから支えられることと依存することは違います。支えてもらえなければ生きられないとわかっているからこそ、自分も誰かを支えようと決める。それが自立なのですね。
それにしても、年金をあてにして生きることも依存だという視点にはハッとさせられました。私もまだまだ依存してますね。
「年金なんて返ってこなくても、今の老人たちを支えるために必要なんだからみんなで払えば」(p.157)
今の若い世代の人は、払った年金保険料より少ない額しかもらえなくなる。だから年金制度そのものが破綻していると言われます。けれどもこの小説では、別の視点からそのことを見つめます。
今の老人の立場から考えてみることを勧めるのです。国のために戦争に駆り出されたり、不自由な生活を強いられたりして、それでも敗戦の苦難を味わわされました。そして、そこから必死に復興して、世界第2位の経済大国にまで発展させた。インフラが整備され、今は何不自由なく平和な社会で便利に暮らすことができます。それもこれも、今の老人たちの努力によるものです。
そうしたときに、若者たちが自分の利益しか考えない大人になって、自分に返ってこないなら年金を払いたくない、なんて言い出したらどう思うか。
それに、仮に自分が年金保険料を10万円払って、老後にもらう年金が15万円だったとしても、それだけで元が取れるわけではありません。お金の価値が時代で変わるからです。
そうだとしたら、どうなるかわからない年金にしがみついている(依存している)ことが、無意味なことだと言うのです。
「起こることはすべて、いいことも、悪いことも、過去の自分のしたことが原因なんだよ。そして、その出来事が幸、不幸を決めているわけではない。同じことが起こっても幸せだと感じることも在れば、不幸だと感じることもある。大切なのは受け取る側がその出来事をどうとらえるかでしかない」(P.170)
自分の人生の起こることの原因はすべて自分にある。自分が自分の人生の創造者なのです。しかし、起こる出来事に良し悪しがあるのではありません。良し悪しを決めるのも自分なのです。
主人公の美輝は、自分の生き方を考え直します。ただひたすら安定を求めていた生き方から、自立した生き方へ。それはリスクを伴うことになります。けれども、本当の幸せはリスクの先にあるのです。
この小説を読みながら、またしてもボロボロと泣いてしまいました。知らず知らずに私も、安定を求めて依存的な生き方をしていたからです。
もっと挑戦的に生きなければ、もっと自分を輝かせて生きなければ。主人公の名前は美輝。自分を美しく輝かせるのは、自分が決めた生き方なのだと思いました。
2016年12月04日
母さんのコロッケ
また喜多川泰さんの本を読みました。サロン文庫に寄贈したくて買った喜多川さんの小説すべての中から、まだ読んでいなかった本の1冊です。
「懸命に命をつなぐ、ひとつの家族の物語」というサブタイトルがあります。私たちは、命のタスキを託すことによって、連綿とこの地球で生きていました。それがどういうことなのか? 普段はあまり考えてみることもありませんが、この小説は、そういうことを考えさせてくれます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言っても物語ですから、ネタバレしない程度のあらすじと、ポイントとなる文を紹介しますね。
主人公は松本秀平。将来を約束された大企業をやめ、個人経営の塾を始めたばかりです。なぜ塾をはじめたのか? それは、子どもの教育に対して思うことがあって、それを実行することが世のため人のためになると思っていたからです。
けれども、世間はそんなに甘くありません。どれほど高邁な理想を掲げたとしても、思うようにならないことは多いのです。
そんなとき、駅のコンビニで不思議な店員と出会います。そして、そこで買ったのど飴を舐めると、とんでもないことが起こったのです。
その出来事によって、秀平は多くのことに気付かされます。それは秀平が知らなかったことかもしれませんが、想像すればわかるようなこと。でも、それまで想像しようとしてこなかったことなのです。
本の冒頭に家系図が載っています。なぜ家系図? そう不思議に思いながら読み始めましたが、読み進めるに連れて、その意味がわかってきました。
また秀平の妻、涼子の出産が迫り、秀平の実家へ行って出産することになりました。そのとき、何でもかんでも持って行こうとする涼子に、秀平は声をかけます。その何気ない一言が、実に深い意味があったことに、あとになって気づくのです。
のど飴を舐めてからの展開は、惹き込まれるものがありました。そして、最後の1粒となったのど飴を舐めてからの出来事も、涙をボロボロ流しながら読みましたよ。
「自分の人生は、自分以外のものに生かされてきた歴史だ。
祖父の代が、命をかけてつないでくれた命を、両親がまた命をかけてつないでくれた。それは子供たちのために自分の命をかける決意をしてくれた人たちの歴史でもあった。」(p.174)
サブタイトルにもあるように、先祖の誰1人欠けても、私たちが生まれては来なかったのです。その壮大な物語が私たちの歴史であり、その歴史の最後に登場しているのが私たちなのです。
そしてこの歴史は、これからも続きます。私たちが子どもたちにタスキを渡して、次は子どもたちが命をつないでいくのです。
「すべての人間に使命があり、それを果たすために必要なものはちゃんと持って生まれている。自分が持ってこなかったものを嘆く必要などない。それは、自分の使命を果たすために必要ないと自分で判断して置いてきたものだからね」(p.203)
私たちは、この世に何のために生まれてくるのかを、自分で決めて生まれてきます。それが使命です。そして、その使命を果たすために必要な能力は、すべて備えていると言います。
自分で使命を決めて生まれてくるなら、必要なものはすべて持っているということは、当然だと思います。けれども私たちはつい、自己卑下してしまいます。それを言い訳にして、使命に生きることを諦めるのです。
では、どうすれば自分を信じて、使命に生きられるのでしょう? 何に希望を抱けば良いのでしょう?
「わしがしたのは覚悟じゃ。どんなことが起ころうとも、それを受け入れて、今を精一杯生きるという覚悟じゃ。未来を不安に思おうが、どれほど絶望視しようが、わしらにできることは受け入れること。そして、永遠に続く今に集中して今この瞬間に幸せを感じる生き方をすることだけじゃった」(p.215 - 216)
希望がないとしても、今をそのままに受け入れ、そこから始めると覚悟すること。それが重要だと言います。
良いことが起こるから使命を果たせるのではなく、何が起ころうとも使命を果たすと決断するから果たせるのです。いえ、使命を果たせるかどうかさえ関係なく、果たすと決めて生きることが重要なのだと思います。
喜多川さんの小説は、どれもハズレがありません。そして、どの小説でもボロボロと泣けてきます。心の琴線に触れるからでしょうね。
まとめて買った喜多川さんの本も、残り1冊となりました。年末までには新刊が発売されるそうなので、それもすぐに買おうと思っています。
2016年12月06日
株式会社タイムカプセル社
喜多川泰さんの本を読みました。私が本を寄贈したサロン文庫に喜多川さんの小説すべてを揃えたくて買った本の最後の1冊になります。
この本は、昨年発行されたものです。喜多川さんのデビュー10年目の記念作。最初に発行された「賢者の書」と同じディスカヴァー・トゥエンティワンからの出版になります。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。いつも言うことですが、これは物語ですから、ネタバレしない範囲でのあらすじと、ポイントのみの引用に留めます。
主人公は40歳代半ばの新井英雄。経営していた会社が破綻し、妻と娘に逃げられて、1人でだらしない生活をしていました。
生きていくには、何か仕事をしなければならない。そんな中で得られた面接に英雄は向かいます。そしてそこで採用されることになったのです。
その会社は、株式会社タイムカプセル社と言います。何年後かの自分に宛てて書いた手紙を、本人に届けることを請け負う会社です。
しかし、それはただ手紙を渡して終わりという仕事ではありませんでした。自分が出した手紙によって、受け取った本人の生き方が変わる。人生を悲観し、自暴自棄になりかけた人が、今一度、人生に立ち向かっていこうという勇気を与えられる。そのためのお手伝いをすることが、その会社の仕事でした。
「俺を救ってほしい、俺をなんとかしてほしい……と思って生きてる人にとって会社は、自らを奴隷にする場にしかなりません。でも、会社を救ってあげたい、会社を何とかしたい……と思って生きている人は、決して会社の奴隷なんかじゃありませんよ。むしろ会社の救世主、ヒーローです。」(p.132)
自分がどんな意識で仕事をしているのかが重要なのですね。自分の生き方は、自分で決められるのです。
「人間は放っておくと、頭の中に自分の経験をもとに新しいものを創り始めます。それがいい想像であれば『希望』と呼び、悪い想像であれば『不安』と呼びます。でも、どちらもまだ、この世に存在しない、新しいもの、自分の頭の中だけに存在するものでしかありません。それを、不安のほうだけをさも事実のように思い込んで生きるというのは、自分の中に、自分でオバケを想像して、それに怯えて生きて、実際に自分で創造して、やっぱり思ったとおりだ、と納得しているということです」(p.166)
私たちには「今」しかありません。過去は過ぎ去ったものだし、未来はまだ来ないもの。そのまだ来ないものを勝手に決めつけてしまいがちです。特に、悪い想像をしては不安になり、そうに違いないと決めつける。これをオバケと言っているのですね。
そうやって決めつけたオバケが現実になると、思った通りだと言って安心する。なんだかおかしいですよね? それならいっそのこと、希望を胸に抱いている方が良いと思います。どうせ決めつけるのであれば。
「そして、良くも悪くも一瞬にして人生は転機を迎えると。一寸先は闇だし、一寸先に光がある。その連続だと。そんななかで幸せに生きるためには、今日だけを、精一杯生きるしかないような気がしてきました」(p.200)
一寸先は闇だと言いますが、必ずしも未来は闇なわけではありません。一夜にして状況が劇的に好転することもあるのです。ですから、一寸先は光だと言うこともできるのです。
そして、どちらも可能性としてあるなら、今の自分にできることは、未来を不安視するのではなく、今を精一杯生きること。結局、これに行き着くのだろうと思います。
今朝、目が覚めたということは、今日生きる意義がある、何らかの役割があるということです。無為に将来を心配するのではなく、生かされた今日を大切に生きる。それだけでいいのだと思います。
「最後に作成していた書類を開くと、これから書こうとしていた内容が、箇条書きでまとめられているものでした。その最後に書いてある言葉が『それでも、誰も恨むな、人を嫌いになるな』でした」(P.215)
1986年の年の暮れに、「白虎隊」というテレビドラマがありました。その中で、国広富之さんが演じる会津藩士の神保修理が、妻子に対してこう言い残します。「誰も恨むな!」
時代は、過酷な運命を自分や家族に与えるかもしれない。しかし、それを誰か他者のせいにするのではなく、従容として受け入れる。そういう生き方を、私は素晴らしいと思います。
「結局、『誰も』や『人間』の中には、僕自身、つまり自分が入っていたわけです。」(p.225)
自分を傷つけるのは、必ずしも他人ではありません。自己卑下とか罪悪感によって、自分自身を傷つけたりします。ですから、「自分を恨むな、自分を嫌いになるな」ということでもあるのですね。
ダメな自分かもしれない。でも、嫌いにならない、諦めない。それを許して受け入れる。そうすることで、自分を責めた他人をも、許して受け入れることができるようになるのです。
「だから、初対面の人に、いや、会ったこともない人に、『あなた、気持ち悪いんですけど』なんて平気で書ける。ネットにそんな書き込みをする人でも、初めて会う他人に面と向かって『笑顔が下品』とか言った経験はないはずだよ。
だから、他人がどうこうじゃない。自分がそういうのを口にしない強さを持たなきゃいけないって、ただそれだけのことだ。」(p.223 - 224)
面と向かっては言えないことを、その人がいない場では平気で言えてしまう。その言葉が、巡り巡って本人に届くかもしれないのに。そういう想像をしてみないのが、私も含めて大多数の人なのですね。そして、そういう人がSNSなどで、会ったこともない人を平気でディスるのだと思います。
そうだからこそ、重要なのは自分がそれをしないと決断することなのだと言います。仮にそう思ったとしても、本人を目の前にして言えないことなら言わない。第三者にも漏らさない。これは、なかなか難しいことかもしれませんが、重要なことだと思いました。
主人公は、仕事で出会った人々の変化を通じて、自分自身も変化していきます。自分が新たに心の火を灯そうとするのは難しい。けれども、他の人の心に灯った火を分けてもらうことで、自分の心に火を灯すことは容易なのです。
この本は、これを読む人々の心に火を灯してくれると思います。登場する人々の心にある火を分けてもらえるからです。そして自分の心に火が灯れば、それを他の人に分け与えることができます。その連鎖が続いて行くのだろうと思うのです。
2016年12月07日
ガンを自分で治した医師の「ガン治し」本気塾
レイキの先生から勧められて買った本です。著者は橋本豪(はしもと・つよし)氏。e-クリニックの顧問医師になっています。
自らが癌になり、それを克服したという体験を持たれています。その体験と、その他の実例をもとに、ガンとどう向き合っていけばよいかが書かれた本です。
なぜレイキの先生がこの本を勧めたかというと、橋本氏はレイキを治療の一環として使われていたからです。レイキだけでガンが治るとは言えませんが、レイキは心身を癒やして免疫力を高めることに、大いに役立つ方法だろうと思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「ガンを宣告されたときの私のように、「人生の主役は自分」=「死ぬわけない」と現実から目をそらしていたのでは、決して前には進めません。しかし、「人生の主役は自分。だからこそ、自分自身が病気と向き合い、自分自身が病気を治すリーダーになろう」というように、治療に主体的に取り組む気持ちが持てたら、それはガン克服への大きな一歩になるのではないでしょうか。」(p.2)
現実逃避するのではなく、正面から向き合う。そして、自分が主体なのだと考えて、他人に過度に頼らないようにする。ガンの治療に限らず、重要な姿勢だと思います。
「現在、ガンで苦しんでいる人に、私は自信を持っていえます。食事療法だけでガンは消すことができます。私がその証人です。」(p.24 - 25)
ゲルソン療法によって橋本氏はガンを克服されました。ゲルソン療法の中心は絶食(断食,少食)で、ガンに栄養を与えないことです。ただ、自分の身体を維持しなければならないので、最小限のエネルギーと必要な栄養素を摂ることは大事です。
そこで、カロリーの高い肉や魚、油もの、そして砂糖、塩、添加物を避け、イモ類、野菜、果物、キノコ類、未精白の穀物(玄米)、海藻などを中心とした食事にします。特に、人参と少量のリンゴとレモンで作るリンゴジュースや、キャベツや青野菜(クレソン、カブの葉、ピーマンなど)で作る野菜ジュースを大量(1日2リットル)に飲むことが良いそうです。
橋本氏は、自らがガンになって4つのことがわかったと言います。1つ目は、原因は1つではないということです。食事、飲酒、喫煙、ストレス、活性酸素など、様々な要因が長年重なってできるもの。ですから治療においても、1つだけ正せば良いというものではない、と言うのです。
次に、自律神経のバランスを崩すことが病気に関係していると言います。
「どうやら病気の発症と治療には、自律神経が大きくかかわっているようです。ガンを克服するには、自律神経のバランスを整える必要があるといえそうです。」(p.34 - 35)
そして3つ目は、医師にたよるだけでは、ガンは克服できないということです。
「というのも、手術・抗ガン剤・放射線という現代医学の三大療法は、急性期には多大な力を発揮し、ガンの進行を遅らせる時間稼ぎになる一方で、人間が本来持っている自己治癒力を低下させてしまいます。治療によって低下した自己治癒力のケアまでは、医療機関ではやってくれません。何よりも、ガンは自分自身の生活の中でつくりだされた病気です。それらを正すのは自分にしかできないのです。医師だのみではない、「自立した心」を持つことは、ガンに打ち克つために絶対に必要だと思います。」(p.35)
最後4つ目は、自分が変わる勇気が必要だということです。
「ガンになった原因が、それまでの生活にある以上、それを変えなければ同じことのくり返しになってしまいます。生活習慣はもちろん、生き方や考え方を変えるのは決してたやすいことではありません。それでも、自分が変わらなければ状況は決して変わりません。」(p.36)
ガンという状況も、自分自身が創り出したもの。そういうように原因が自分にあると受け入れて、自分が変わることが重要なのですね。
「私は精神的な安定を求めて、さまざまな治療法の情報収集に務めました。
まずとり入れたのは「レイキ療法」です。レイキとは、人間の体を含む万物すべてがこの世に生み出されるときの宇宙エネルギーのことです。レイキ療法の世界では、私たちは絶えず宇宙エネルギーの流入・循環・流出をくり返すことで、心身の健康を保っていると考えられています。そこで、この宇宙エネルギーの流れをよくすることで、心身をすこやかにしようとするのがレイキ療法です。」(p.48)
「結果的に、レイキ療法は精神的不安定を立て直す手段の一つとしてとても役立ったと思います。私はやり方を教えてもらって、腫瘍のあるおなかにエネルギーを当てることと、朝陽や星空に向かってレイキの言葉を唱えながら免疫力を高めることを実践しました。すると、しだいに体が温かくなってきて、気持ちが落ち着くのを感じました。脳にα波が出るのだと思います。さらに続けていくと、手がビリビリしてくるのを感じるようになりました。まるで、ものすごく元気な大木の横を通ったときのような、満ちあふれるエネルギーを浴びたような感覚です。指の先までビリビリと感じるということは、やはり通りがよくなっているのかもしれません。」(p.50)
このように橋本氏は、レイキ療法を取り入れることを勧めておられます。
「「考え方を変えなさい」といきなりいわれても、すぐに実行できる人はまずいないでしょう。そこで、私が提案するのは「行動すること」です。じっとしたまま頭の中だけで考え方を変えるというのは、悟りの境地に達したお釈迦様ならいざしらず、私たち凡人にはとうてい不可能です。私たちが考え方を変えようと思ったら、行動を伴うことで、新しい考え方に慣れていくことが得策です。」(p.101 - 102)
これは「神との対話」でも言われていますが、根になる考え方を変えるには、まず行動を変える方が楽なのです。たとえば積極的な考え方をしたいなら、積極的な考え方をする人がとる行動を意図的にすることで、徐々にその考え方が身に付きます。
ここで橋本氏は、その考え方を変える行動の例をあげています。食生活を見直すこと、爪もみや足湯、深呼吸などの治療法も行動を変えることになると言います。そして、もう少し精神面にアプローチする方法として、レイキも勧めています。
後半に、ガンを克服された他の方の体験談が載っています。
「ふだんの生活でも、楽しいこと、好きなことをして、心を喜ばすことを心がけてきました。「○○すべきだからする」のではなく、「楽しいからする」という生き方が、ガンになってから、すっかり身につきました。」(p.135)
義務感から行動するのではなく、自発的に楽しいから行動するようにする。こういう考え方の変化が、ガンの治療に効果的だと感じておられるのですね。
「ガンになったときに、その事実をどう受け止め、どのように考えるか、ガンを克服するためにはそれまでの自分の考え方をどう変えていけばよいのか、それがいちばんのキーポイントだ、と多くの人が答えているのです。
ガンを宣告されて相談に来られた人に、私が最初にアドバイスするのは「もう少しいい加減になりましょう」ということです。」(p.161)
ガンになられる方の多くが真面目な方で、義務感で行動するタイプの人なのだそうです。ですからそういう人たちは、「考え方を変えること」が、ガン治療にもっとも重要なポイントであると答えたのでしょう。
橋本氏は最初に、食事療法だけでガンは消えると言っています。しかし、この本全体でもっとも重要だと言っているのは、考え方を変えることです。食事療法もまた、考え方を変えた結果でしかないのですね。
レイキだけでガンを克服できるということはないかもしれませんが、レイキもまた、ガン治療に役立つことを橋本氏は言われています。私も、レイキをそういうものとして役立てていければと思いました。
2016年12月10日
GRIT やり抜く力
この本を買うきっかけは、TEDの動画を見たからです。そのスピーチで著者のアンジェラ・ダックワース氏は、次のように明言しました。競争に勝ち抜いて成果をあげるのはIQなどの才能ではなく、「やり抜く力」なのだと。スピーチの翻訳もありますので、そちらもご覧ください。
つまり、成功したり一流になるのにもっとも重要なことは、才能ではないということです。才能が優れていることよりも、「やり抜く力=GRIT」があるかどうかが重要だと言うのです。
にわかには信じられませんでした。だって、才能がなければそもそも、挑戦することすらしないのではないか、さっさとあきらめてしまうのではないか、という気持ちがあったからです。
たとえば、若いころ私はドラムを習いに行きましたが、後から入った女子高生の進歩の早さに圧倒されて、ドラム教室をやめてしまいました。どれだけ練習しても、すぐに上達する彼女にはかなわなかったからです。それでも「やり抜く力」の方が重要なのでしょうか?
たしかに「うさぎとかめ」の寓話にあるように、コツコツと努力し続けることは大事なのでしょう。でも、それが才能に勝ると言えるのか、私には何とも言えません。それで、この本を読んで見ることにしたのです。翻訳は神崎朗子(かんざき・あきこ)さんです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「要するに、どんな分野であれ、大きな成功を収めた人たちには断固たる強い決意があり、それがふたつの形となって表れていた。第一に、このような模範となる人たちは、並外れて粘り強く、努力家だった。第二に、自分がなにを求めているのかをよく理解していた。決意だけでなく、方向性も定まっていたということだ。
このように、みごとに結果を出した人たちの特徴は、「情熱」と「粘り強さ」をあわせ持っていることだった。つまり、「グリット」(やり抜く力)が強かったのだ。」(p.23)
つまりグリット(やり抜く力)を持っている人が成功するということです。そしてグリットには、2つの要素があると言っています。それが「情熱」と「粘り強さ」です。
多くの場合、私も含めて、才能の方が重要だと思いがちです。成功するかどうかの要因としてもっとも重要なのは才能だと。しかし、アンジェラ氏はそうではなく、グリットが最重要だと指摘します。では、どうして多くの人は才能だと思いがちなのでしょう?
「「我々の虚栄心や利己心によって、天才崇拝にはますます拍車がかかる。天才というのは神がかった存在だと思えば、それにくらべて引け目を感じる必要がないからだ。『あの人は超人的だ』というのは、『張り合ってもしからない』という意味なのだ」
言い換えれば、「天賦の才を持つ人」を神格化してしまったほうがラクなのだ。そうすれば、やすやすと現状に甘んじていられる。」(p.66)
前半はニーチェの言葉からの引用です。世間から天才と称せられる人は、本当は誰にも負けない努力家だということが多々あります。たとえば大リーガーのイチロー選手もそうです。けれども人々は天才と称することで、自分が努力しなくて済む理由にしているのです。
「「才能」とは、努力によってスキルが上達する速さのこと。いっぽう「達成」は、習得したスキルを活用することによって表れる成果のことだ。」(p.70)
「才能×努力=スキル」であり、「スキル×努力=達成」であると、アンジェラ氏は図解します。つまり、才能だけで達成(成功)が得られるのではなく、2段階の努力が重要だということです。
まずはスキルを作る段階があり、その後でそのスキルを活かして達成する段階がある。その両方の段階において、「努力」という要素があるのだと指摘しているわけです。時系列的なものを除くと、「才能×努力×努力=達成」ということですから、才能より努力の方が重要だということを示しているとも言えます。
「肝心なときにどれだけがんばれるかは、もちろん重要なことだが、進歩の妨げとなるのは途中でやめてしまうことだ。コーチやアスリートたちも言っているとおり、長い目で見れば「継続は力なり」の一語に尽きる。
私たちは、新しいことを始めても長続きしないことが多い。しかし「やり抜く力」のある人にとっては、一日にどれだけ努力するかより、くる日もくる日も、目が覚めたとたんに「きょうもがんばろう」と気合を入れ、トレッドミルに乗り続けることが重要なのだ。」(p.77)
才能があれば有利に働くことはたしかでしょう。しかし、最後にものを言うのは努力。しかも毎日続ける努力なのですね。
では、どうすれば努力を継続させられるのでしょう? その情熱はどこから生まれてくるのでしょう? その答えを、アンジェラ氏は学生との質疑応答の中に示します。
「「そして、これがいちばん重要なこと。やり抜く力は、、自分にとってかけがえのないことに取り組んでこそ発揮されるの。だからこそ、ひたむきにがんばれるのよ」
「自分が本当に好きなことに打ち込む、ってことですね。わかりました」
「そう、自分が本当に好きなことに打ち込むの。でも、好きになるだけじゃだめなのよ。愛し続けないとね」」(p.81)
対象が好きで情熱を掻き立てるものであることが重要です。そして、日々その情熱を自分で温めることが、さらに重要になってきます。そのためには、その対象に意義を感じていること。いわば使命感のようなものです。何が何でも達成せずにはおかないという意思が、日々の努力のモチベーションとなるのです。
「ところが、実際にインタビューで話を聞いてみると、ほとんどの人は「これだ」と思うものが見つかるまでに何年もかかっており、そのあいだ、さまざまなことに興味をもって挑戦してきたことがわかった。いまは寝ても覚めても、そのことばかり考えてしまうほど夢中になっていることも、最初から「これが自分の天職だ」と悟っていたわけではなかったのだ。」(p.142)
つまり、幼い頃から何か秀でた才能があり、その才能を伸ばしたから成功する、というパターンばかりではなく、後になって使命を発見し、花が開く例のほうが多いと言います。日本地図を作った伊能忠敬などもそうですね。彼が天文学を習い始めたのは、隠居した50歳以降のことですから。
ですから、試行錯誤はやむを得ないのです。まずは生活費を稼ぐ手段として、できれば自分の興味のあることを、とりあえずはやってみることです。それも本気でやってみること。結局、常に本気で取り組んでいなければ、天職を発見することはできないのです。
「ふつうの人びととちがって、エキスパートたちは、ただ何千時間もの練習を積み重ねているだけではなく、エリクソンのいう「意図的な練習」(deliberate practice)を行っている。」(p.169)
闇雲に努力するだけというのでは、なかなか上達することはできません。今より少し高い目標を目指し、その練習を集中して行い、改善点が見つかったら改善する。この3つの流れが、「意図的な練習」だと言います。
「「やり抜く力」の強い人は、ふつうの人よりも「意図的な練習」を多く行い、フロー体験も多い。
このことは、ふたつの理由によって矛盾しない。第一に、「意図的な練習」は行為であり、フローは体験である。」(p.186)
「意図的な練習」は、かなり苦しいものと言えます。常に自分の限界に直面するからです。それはフロー(たとえばランナーズ・ハイなど)が起こるから乗り越えられるものではない、と言います。フローは結果的に起こるものであり、それに関わらず「意図的な練習」をするグリットこそが重要だと言います。
私たちが達成する前に挫折してしまうのはなぜでしょう? 生まれつき、グリットが弱いからでしょうか? もしそうだとすれば、赤ちゃんはどうなのでしょう?
「児童の学習心理学が専門の心理学者、エレナ・ボドロヴァとデボラ・レオンも、やはり赤ちゃんや幼児は、失敗から学ぶことが苦にならないと言っている。赤ちゃんが座りかたを覚えたり、幼児が歩きかたを覚えたりするようすを見てみよう。なかなかうまく行かず、何度も失敗しても、がんばって挑戦している。ものすごく集中して、周りからたくさんのフィードバックをもらって、多くのことを学んでいる。
そんなとき、幼い子どもたちはいったいどう感じているのか、訊いて確かめることはできないが、つらそうに見えないことはたしかだ。」(p.200)
大人になると失敗を恐れ、失敗すると立ち上がれなくなったりします。けれでもそれは先天的なことではなく、後天的にそうなったのです。大人が子どもの失敗を責め、恥ずかしく感じるように仕向けることで、子どもが学んだに過ぎません。
では、大人になってもグリットが強い人は、子どものころからそうだったのでしょうか? そういうこともあるかもしれませんが、「目的」が重要だとアンジェラ氏は言います。
「これはべつに、「やり抜く力」の鉄人たちはみな聖人だという意味ではない。「やり抜く力」のきわめて強い人は、自分にとっての究極の目標は、自分という枠を超えて、人びとと深くつながっていると考えている、ということだ。」(p.208)
日本の女子ソフトボールが世界一になったときもそうでした。単に自分が1番になりたいからではなく、世界一になることによって東日本大震災の被災者たちに勇気を与える、という使命感を共有したのです。自分のためだけなら頑張れなくても、他の人のためなら頑張れる。人は、そういうものかもしれません。
「実際に、これまでの研究事例を振り返っても、確固たる「目的」を抱くようになった人は、必ず若いときに、「目的」を持った生き方の手本となる人物(ロールモデル)に出会っているという。」(p.220)
天職とか使命を発見する上で重要なことは、そういうものを持って生きた先人に出会うことが重要なのだそうです。こういう人になりたいというあこがれが、そういう生き方への動機となるのです。
「この画期的な実験によって、「無力感」をもたらすのは苦痛そのものではなく、「苦痛を回避できないと思うこと」だということが初めて証明された。」(p.230)
マウスなどの動物実験です。けれども、それは人も同じこと。苦痛を与えられるから無力感を抱くのではなく、自分にはそれを回避できないと「思う」から、無力感を抱くのです。
「楽観主義者も悲観主義者も同じようにつらいできごとを経験するが、受けとめ方が異なるのだ。楽観主義者は自分の苦しみは一方的で特定の原因があると考えるが、悲観主義者は自分の苦しみを変えようがない原因のせいにして、自分にはどうすることもできないと考えてしまう。」(p.233)
才能が成功の主因だと考えれば、自分にはどうにもできないと考えることができます。そうやって自分で無力感を抱え、努力しないですむ理由を作り、挑戦をあきらめるのです。
これは、自分にはどうすることもできない要素で人生は決まるという「固定思考」か、努力次第で人生は変わるという「成長思考」か、という問題でもあります。「成長思考」の人は、同時に「やり抜く力」が強いとアンジェラ氏は言います。そして、子どもがどちらの思考になるかは、大人の接し方によって決まるのだと。
「じつはおとなになって成功や失敗をしたとき、その原因を自分の才能に結びつけるか、それとも努力に結びつけるかは、子どものころの「ほめられ方」によって決まる確率が高い。」(p.242)
才能があることを褒められ、できなくても才能がないのだからしょうがないと慰められると、「固定思考」になる。一方で、努力を褒められ、できなくてもいつかできるようになると励まされると、「成長志向」になる。そういう傾向があるそうです。
これはつまり、子どもに対する親や周りの大人が、あるいは部下に対する上司が、相手をどう見ているかによるということです。「この人はダメだ」と存在を否定するのか、その成長した先を見ているのか、ということです。
「結局、「やり抜く力」を発揮するための視点を取り入れるには、「人間は何でもやればうまくなる」「人は成長する」という認識が欠かせない。私たちは、たとえ人生で打ちのめされても、這い上がるだけの力を持っていたいと思っている。」(p.247)
子育てにおいて、グリットを強化するようなやり方は、とても重要だと言えます。では、どうすれば子どものグリットを強化できるのでしょう? 厳しく育てるのが良いのか? それとも、放任主義が良いのか?
「子育て研究による大きな発見のひとつは、親が子どもにどんなメッセージを伝えようとしているかよりも、子どもがそのメッセージをどう受け取っているかのほうが重要だという点だ。「テレビを見せない」「汚い言葉遣いを許さない」など、いかにも独裁的な育て方に見えることでも、子どもが必ずしもそれを威圧的だと思うかどうかはわからない。」(p.284)
厳しく育てられたからと言って、子どもが窮屈に感じるかどうかはわからないし、放任されて育てられたからと言って、子どもが自由を感じてのびのびとしているかどうかはわからないのです。
「親からの支援を受け、自主性を尊重されながらも高い水準を要求されて育つことには、たくさんの利点があるが、とりわけ「やり抜く力」にはおおいに関連性がある。賢明な育て方は、子どもが親を見習うように促すのだ。」(p.286)
厳しいにせよ放任にせよ、重要なのは子どもの気持ちを尊重し、それを支援することです。その上で、さらに高い水準を目指すように仕向ける。また、親自身が常に自分の限界に挑戦する生き方をして見せることが重要なのです。
「もしあなたが自分の子どもの「やり抜く力」を引き出したいなら、まず、「自分が人生の目標に対してどれくらいの情熱と粘り強さをもって取り組んでいるか」、つぎに、「子どもが自分を手本にしたくなるような育て方をしていると思うか」、考えてみよう。
もし前者の質問に対する答えが「大きな情熱と粘り強さをもっている」、後者に対する答えが「とてもそう思う」であれば、あなたはすでに「やり抜く力」を伸ばす育て方をしている証拠だ。」(p.289)
子どもに手本としたいと思われるには、まずは子どもを信頼することです。好きになること、愛することです。批判せずに励ますこと。愛情深く見守ること。そうすることで、子どもから信頼され、好きになってもらえ、こうなりたいと思ってもらえるからです。
「自分の「やり抜く力」を強化したいなら、「やり抜く力」の強い文化を見つけ、その一員となること。あなたがリーダーの立場にあり、組織のメンバーの「やり抜く力」を強化したいなら、「やり抜く力」の強い文化をつくりだすことだ。」(p.331)
人は、周りに染まりやすいものです。だから、そうありたいと思う環境に身を置くことが、とても大事になります。周りがだらけている状況で、1人だけ勤勉に過ごすことは困難なのです。
そして、逆説的ではありますが、周りに影響を与えたければ、自分から始めることです。特に自分がその組織の中でリーダー的な存在であれば、それが効果的と言えます。他人に対して「やれ!」と言うよりも、自分自身がやってみせる。そうやって、自分が文化を作り出すのです。
グリット(やり抜く力)が達成する(成功する)ためにもっとも重要な要素であることを、本書では指摘しています。そのグリットを強化するには、情熱を持つこと、なければ探すこと、そして努力を継続すること、そのためにそういう環境を選ぶことが、重要であると言います。
この他に、指導者との出会いによって大きな影響があることも指摘されています。ただこれは、自分の努力でどうにかなるものとも言えないので、ここでは引用しませんでした。でも、自分がそう思い続けていれば、あるいは自分にそういう使命があるなら、必然的にそういう人に出会うような気もします。
本書は、自分自身が成功するための道標にもなりますが、子育てに悩んでいる方にも、ヒントを与えてくれるものではないかと思います。
2016年12月18日
しなやかに困難を跳ね返す力
一時帰国中に、「テラ・スタイル東京」という月に1回の講演会に参加してきました。これは、「テラ・ルネッサンス」というNPOの活動を支援するためのものだそうです。
以前に読んだマンガの「テラ・ルネッサンスT,U」が素晴らしくて、いつか鬼丸昌也さんいお会いしたいと思っていましたが、やっと念願が叶いました。
そのときのことを12月15日のメルマガで書いたので、その内容をここに紹介することにします。
さて今日は、しなやかに困難を跳ね返す力という話です。
昨夜、テラ・ルネッサンスの講演会、テラ・スタイル東京に参加してきました。
これは、NPOのテラ・ルネッサンスを支えるために、有志が毎月1回開催しているものだそうです。
「テラ・ルネッサンス」
「テラ・スタイル東京」
講演は最初、アフリカで支援をしている小川慎吾さんが、支援活動の内容などを画像を示しながら紹介されました。
その後、テラ・ルネッサンスの創設者、鬼丸昌也さんと小川さんが、支援のポイントなどを話されました。
この中で、とても印象に残ったことがあるので、それをシェアしたいと思います。
支援においては、「レジリエンス」という概念が重視されてきたのだそうです。
レジリエンスとは、しなやかに困難を跳ね返す力(能力)です。
たとえば、トラウマになるような出来事があった時、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する人がいます。
一方で、同じ出来事を体験しても、PTSDにならない人もいます。
その違いがどこから生まれるかというと、困難があっても跳ね返す力があるかどうかということが重要なのだそうです。
では、そのレジリエンスが高い人は、どういう特徴があるのでしょう?
答えは「自尊心が高い」という特徴なのだそうです。
自尊心が高い人は、少々の困難があっても潰れない。
たしかに、そうだろうなと思いました。
では、どうすれば自尊心を高められるのでしょう?
その答えは、「他者へ貢献している」という自覚なのだそうです。
テラ・ルネッサンスで支援している人は、元少年兵とか内紛でレイプされた女性たちです。
そういう人たちは、コミュニティーや家族からも拒絶される傾向があります。
彼らが手に職を持つということは、コミュニティーや家族に貢献することになるのです。
どんなひどい仕打ちを受けたとか、今、どんな困難な状況にあるとか、そういうものは関係ないのだそうです。
どんな状況であっても、今、できることに注目する。
できることをやって自立し、他者へ貢献することが重要なのです。
この考え方は、アドラー心理学でも示されていますね。
したがって大事なことは、問題をなくすことではありません。
今、問題があるかどうかは関係ありません。
それよりも、問題に対してどう立ち向かうかということが重要なのです。
鬼丸さんが、こんなことを言われていました。
「私は英語をしゃべれないし、シャイだから飛行機に乗る時、窓際に座れないんですよ。だってトイレに行きたい時、なんて言ったらいいかわからなくて、ずっと我慢しなくちゃならないから。」
そんな人が、海外の人たちの支援をどうやって始めたのでしょう?
とても興味があったので、それを質問してみました。
すると鬼丸さんは、こう答えてくれました。
「結果論ですが、ないことが良かったんです。」
英語をしゃべれなかったから、しゃべれる人に任せるしかなかった。
自分は日本語がしゃべれるのだから、自分の理念や考えを日本人に伝えることができる。
そのできることをやって、あとは他の人に任せることにした。
それによって支援の輪が広がり、優秀なスタッフが集まってきた。
すべての話がつながっていると思いました。
そしてこのメッセージが、まさに私に対してのものだと思いました。
鬼丸さんと小川さんは、最後にこういう話をしてくれました。
「理念は重要ですが、それは自らに問いかけるものです。他者を裁くために使ってはいけません。」
とても学びの多い1日でした。
以上がメルマガの内容です。
この講演会で、売られていた本を4冊買いました。そのうちの2冊は、すでに読んだマンガです。またサロン文庫に寄贈したいと思ったからです。
今日、改めてそのマンガを読んでみました。鬼丸さんの英語ができないエピソードとか、小川さんの話など、すべてこの本に載っていましたね。すっかり忘れていました。
この本の中で、とても共感する部分があったので紹介しましょう。それは、ウガンダで小型武器を禁止するための行動ネットワークが設立された後、アフリカ10ヶ国でも同様の組織が作られ、ついにはそれらの連合組織も作られたというエピソードに関してです。その組織の責任者に、人と人を結びつける秘訣を尋ねたところ、こう答えてくれたそうです。
「ネットワークをつくるために大切な鍵…まずは
それぞれの個人や団体が全く違う存在であることを理解すること。
設立の背景や目的も違うのだから価値観や考え方が違って当たり前。
そして次は、そんな価値観や考え方が違う物同士の中にも、「共通して実現したいコトがある」と信じることが大切なんだ。
それは「平和」という目的かもしれないし、武器規制という願いや目標かもしれない。具体的でなくてもいいんだよ。
みんなが何か同じものをめざしていることをイメージしていると、そのうちに、必ずはっきりとしてくる。
すると次第に他人や他団体の活動が他人事とは思えなくなってきて、他の活動の成功をまるで自分のことのように喜べるようになるんだ。
そうなるとネットワークは自然とできてくるものだよ。」(「テラ・ルネッサンスT」p.135 - 136)
また、戦闘で視力をなくした元兵士は、他の視力を失った人に教えることで、生きる希望を見出しました。
「見えるものが全てではなく、信じることが全てなんだ。
私は目が見えなくても幸せです。
現在(いま)に幸せを感じることが大切なんです。
幸せであれば何でもできます。
私の子ども達にも、学ぶことによって自分の人生を切り拓くことができると、伝えていきたいのです!」(「テラ・ルネッサンスU」p.74 - 75)
それから、鬼丸さんがNGO活動を始めるきっかけとなった、アジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞されたアリヤラトネ博士の言葉を紹介しましょう。
「君が何かを始めようとする時に、特別な知識や、財産はいらないんだよ。
ただ、一つだけ忘れないでほしい。それは、障がいの有無や、性別、年齢にかかわらず、どんな人にも自分と社会の未来を創造する能力があるということだ。
そして、その能力を人と比べる必要もない。
大事なのは一人ひとりに必ず能力があると信じることが。
それが人間の信頼につながり、社会を変革する勇気になる。だから、『特別』なことは何もいらないんだよ。」(「テラ・ルネッサンスU」p.82 - 83)
本を購入した時、鬼丸さんと小川さんにサインをしていただきました。
テラ・ルネッサンスは、カンボジアやラオスでも活動しています。タイはそれらの隣国ですから、またタイに来られることもあるとか。その時はぜひ、タイでも講演をしていただけたらと思っています。
以前に読んだマンガの「テラ・ルネッサンスT,U」が素晴らしくて、いつか鬼丸昌也さんいお会いしたいと思っていましたが、やっと念願が叶いました。
そのときのことを12月15日のメルマガで書いたので、その内容をここに紹介することにします。
さて今日は、しなやかに困難を跳ね返す力という話です。
昨夜、テラ・ルネッサンスの講演会、テラ・スタイル東京に参加してきました。
これは、NPOのテラ・ルネッサンスを支えるために、有志が毎月1回開催しているものだそうです。
「テラ・ルネッサンス」
「テラ・スタイル東京」
講演は最初、アフリカで支援をしている小川慎吾さんが、支援活動の内容などを画像を示しながら紹介されました。
その後、テラ・ルネッサンスの創設者、鬼丸昌也さんと小川さんが、支援のポイントなどを話されました。
この中で、とても印象に残ったことがあるので、それをシェアしたいと思います。
支援においては、「レジリエンス」という概念が重視されてきたのだそうです。
レジリエンスとは、しなやかに困難を跳ね返す力(能力)です。
たとえば、トラウマになるような出来事があった時、PTSD(心的外傷後ストレス障害)を発症する人がいます。
一方で、同じ出来事を体験しても、PTSDにならない人もいます。
その違いがどこから生まれるかというと、困難があっても跳ね返す力があるかどうかということが重要なのだそうです。
では、そのレジリエンスが高い人は、どういう特徴があるのでしょう?
答えは「自尊心が高い」という特徴なのだそうです。
自尊心が高い人は、少々の困難があっても潰れない。
たしかに、そうだろうなと思いました。
では、どうすれば自尊心を高められるのでしょう?
その答えは、「他者へ貢献している」という自覚なのだそうです。
テラ・ルネッサンスで支援している人は、元少年兵とか内紛でレイプされた女性たちです。
そういう人たちは、コミュニティーや家族からも拒絶される傾向があります。
彼らが手に職を持つということは、コミュニティーや家族に貢献することになるのです。
どんなひどい仕打ちを受けたとか、今、どんな困難な状況にあるとか、そういうものは関係ないのだそうです。
どんな状況であっても、今、できることに注目する。
できることをやって自立し、他者へ貢献することが重要なのです。
この考え方は、アドラー心理学でも示されていますね。
したがって大事なことは、問題をなくすことではありません。
今、問題があるかどうかは関係ありません。
それよりも、問題に対してどう立ち向かうかということが重要なのです。
鬼丸さんが、こんなことを言われていました。
「私は英語をしゃべれないし、シャイだから飛行機に乗る時、窓際に座れないんですよ。だってトイレに行きたい時、なんて言ったらいいかわからなくて、ずっと我慢しなくちゃならないから。」
そんな人が、海外の人たちの支援をどうやって始めたのでしょう?
とても興味があったので、それを質問してみました。
すると鬼丸さんは、こう答えてくれました。
「結果論ですが、ないことが良かったんです。」
英語をしゃべれなかったから、しゃべれる人に任せるしかなかった。
自分は日本語がしゃべれるのだから、自分の理念や考えを日本人に伝えることができる。
そのできることをやって、あとは他の人に任せることにした。
それによって支援の輪が広がり、優秀なスタッフが集まってきた。
すべての話がつながっていると思いました。
そしてこのメッセージが、まさに私に対してのものだと思いました。
鬼丸さんと小川さんは、最後にこういう話をしてくれました。
「理念は重要ですが、それは自らに問いかけるものです。他者を裁くために使ってはいけません。」
とても学びの多い1日でした。
以上がメルマガの内容です。
この講演会で、売られていた本を4冊買いました。そのうちの2冊は、すでに読んだマンガです。またサロン文庫に寄贈したいと思ったからです。
今日、改めてそのマンガを読んでみました。鬼丸さんの英語ができないエピソードとか、小川さんの話など、すべてこの本に載っていましたね。すっかり忘れていました。
この本の中で、とても共感する部分があったので紹介しましょう。それは、ウガンダで小型武器を禁止するための行動ネットワークが設立された後、アフリカ10ヶ国でも同様の組織が作られ、ついにはそれらの連合組織も作られたというエピソードに関してです。その組織の責任者に、人と人を結びつける秘訣を尋ねたところ、こう答えてくれたそうです。
「ネットワークをつくるために大切な鍵…まずは
それぞれの個人や団体が全く違う存在であることを理解すること。
設立の背景や目的も違うのだから価値観や考え方が違って当たり前。
そして次は、そんな価値観や考え方が違う物同士の中にも、「共通して実現したいコトがある」と信じることが大切なんだ。
それは「平和」という目的かもしれないし、武器規制という願いや目標かもしれない。具体的でなくてもいいんだよ。
みんなが何か同じものをめざしていることをイメージしていると、そのうちに、必ずはっきりとしてくる。
すると次第に他人や他団体の活動が他人事とは思えなくなってきて、他の活動の成功をまるで自分のことのように喜べるようになるんだ。
そうなるとネットワークは自然とできてくるものだよ。」(「テラ・ルネッサンスT」p.135 - 136)
また、戦闘で視力をなくした元兵士は、他の視力を失った人に教えることで、生きる希望を見出しました。
「見えるものが全てではなく、信じることが全てなんだ。
私は目が見えなくても幸せです。
現在(いま)に幸せを感じることが大切なんです。
幸せであれば何でもできます。
私の子ども達にも、学ぶことによって自分の人生を切り拓くことができると、伝えていきたいのです!」(「テラ・ルネッサンスU」p.74 - 75)
それから、鬼丸さんがNGO活動を始めるきっかけとなった、アジアのノーベル賞と呼ばれるマグサイサイ賞を受賞されたアリヤラトネ博士の言葉を紹介しましょう。
「君が何かを始めようとする時に、特別な知識や、財産はいらないんだよ。
ただ、一つだけ忘れないでほしい。それは、障がいの有無や、性別、年齢にかかわらず、どんな人にも自分と社会の未来を創造する能力があるということだ。
そして、その能力を人と比べる必要もない。
大事なのは一人ひとりに必ず能力があると信じることが。
それが人間の信頼につながり、社会を変革する勇気になる。だから、『特別』なことは何もいらないんだよ。」(「テラ・ルネッサンスU」p.82 - 83)
本を購入した時、鬼丸さんと小川さんにサインをしていただきました。
テラ・ルネッサンスは、カンボジアやラオスでも活動しています。タイはそれらの隣国ですから、またタイに来られることもあるとか。その時はぜひ、タイでも講演をしていただけたらと思っています。
2016年12月24日
『夜と霧』ビクトール・フランクルの言葉
アウシュビッツ強制収容を生き抜いた精神神経科医のビクトール・フランクル氏のことが何かで取り上げられていて、それで彼の本を読んでみたいと思いました。
代表作の「夜と霧」を読もうと思ったのですが、間違って解説書を買ってしまったようです。著者は諸富祥彦(もろとみ・よしひこ)氏。明治大学の教授などをされていて、フランクル氏の研究家でもあるようです。
1冊目は、フランクル氏の著書から引用する形で、そのエッセンスを紹介したものです。2冊目は、フランクル氏の著書から引用して紹介し、諸富氏が解説するような形になっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。まずは「『夜と霧』ビクトール・フランクルの言葉」からです。
「つまり人間はひとりひとり、このような状況にあってもなお、収容所に入れられた自分がどのような精神的存在になるかについて、なんらかの決断を下せるのだ。典型的な『被収容者』になるか、あるいは収容所にいてもなお人間として踏みとどまり、おのれの尊厳を守る人間になるかは、自分自身が決めることなのだ。」(p.36)
「夜と霧」からの引用です。人間は環境の犠牲者ではなく、どんな環境下でも自主的に自分の在り方を決めることができる。これがフランクル氏の考え方です。
「人間が生きることには、つねに、どんな状況でも、意味がある。
この存在することの無限の意味には、苦しむことや死ぬことも
つまり、苦と死さえも含まれているのだ。」(p.41)
これも「夜と霧」からの引用で、フランクル氏が他の囚人を鼓舞するために語った言葉だそうです。全編を読めばわかりますが、フランクル氏は「生きる意味」について、独特な考え方をしています。
「はじめに」で諸富氏は、フランクルの考え方を以下のようにまとめています。
「■どんな時も、人生には、意味がある。
■なすべきこと、満たすべき意味が与えられている。
■この人生のどこかに、あなたを必要とする「何か」があり、あなたを必要とする「誰か」がいる。
■そしてその「何か」や「誰か」は、あなたに発見され実現されるのを「待って」いる。」(p.4)
このように私たちは、「何か」や「誰か」に必要とされているのだから、それを希望とすれば、どんな状況でも生き抜くことができると言うのです。
「「幸福の追求」は幸福を妨げる。」(p.135)
「意味への意志」という本からの引用です。これだけではわかりにくいですが、他のところでわかりやすく説明してあります。要は、幸福になるために何かを得ようとしたり、何かになろうとすると、かえって幸福から遠ざかるということですね。
次は、「ビクトール・フランクル 絶望の果てに光がある」という本から引用します。
「フランクルの心理学の独自性、その大きな存在理由の一つは、「苦しみの持つ意味」に焦点を当てた点にあると言っていいと思います。」(p.50)
このように諸富氏は言います。多くの心理学では、苦しみを取り除くこと、問題を解決することに焦点を当てます。しかしフランクル氏は、苦悩そのものは問題ではないと言います。それよりも何のために苦悩するかがわからないことが問題なのだと。
人は、無意味な苦労には耐えられませんが、意味のある苦労なら積極的に取り組んで、ストレスを感じないものです。また、そうやって困難に挑戦することによって、人は成長するものです。ですから、苦悩するということは、素晴らしいことだとも言えるのです。
「人間がある辛い運命に置かれたことそのものが苦しみを生み出すのではなくて、その運命を敢えて引き受けること、自分の苦しい運命を「よし、私はこういう人生を生きていこう」と、苦しむべき運命を受け入れることに大きな意味があると言うわけです。」(p.59)
「その悩みから両手を放してしまいなさい。そして、ただ上を見上げてみましょう。そうすれば、そこにあるはずです。生きる意味が、もう既にそこに、送り届けられているはずです。人生の希望は、あなたを超えたどこかから、常に送り続けられてきているのです」(p.143 - 144)
これはフランクル氏の言葉です。悩んで悩んで、苦しんで苦しんで、もうどうにもならないとなった時、それを手放せば良いといいます。するとそこに、最初からあった「生きる意味」が見つかるからと。
探しているときは見つからないものが、放り出したとたんに見つかるということは、私たちもよく経験することですね。
両書を通じての感想ですが、はっきり言えば「わかりにくい」です。ところどころ「そうだなあ」と共感する部分はあるものの、「何を言っているのかよくわからない」と感じる部分が多かったです。
特に、フランクル氏が意味は勝手に作るものではないと言っている点です。絶対的なただ1つの意味が存在するのだと。では、どうやってそれが正解だとわかるのかについては、何も解説されていません。したがって、なぜそう言い切れるのかもわかりません。
私のように理屈からではなく、言葉から感じるだけで納得できるという人には、何も問題ないかもしれませんけどね。
2016年12月25日
聖の青春
Facebookの友人の紹介で、この本を買いました。私自身、将棋が大好きだったこともあり、興味を覚えたのです。と言っても、最近は自分で将棋を指すこともなく、将棋界のことにも疎くなっていました。せいぜい、PCのゲームで将棋をするくらいだったのです。
なので、「村山聖」という名前に、まったく記憶がありませんでした。羽生善治さんのことは、もちろん知っていましたが。彼と争うほどの天才棋士のことは、まったく知らなかったのです。
本はネットで購入しましたが、受け取るまでには時間がかかりました。タイに住んでいるので、実家に届いても、すぐには受け取れなかったのです。今月、東京に行く機会があり、ホテルに本などを送ってもらいました。それでやっとこの本を受け取ることができました。
その東京滞在中に、映画を観る機会がありました。お目当ては「海賊とよばれた男」でしたが、その映画館の上映一覧の中に「聖の青春」があることに気づきました。朝一番の1回だけの上映でしたが、私は迷わずそれを観ることにしました。
映画を観て、私は初めてタイトルの「聖の青春」にある「聖」が「さとし」だと知りました。窓口でチケットを買う時、「ひじりのせいしゅん」と言ったくらいですから。それほど、何も知らずに観たのです。
映画では、奔放に生きながらも、将棋への熱い思いを心に燃やす青年が描かれていました。ただ、それにしては不摂生だなと感じたことも事実です。
タイに戻ってから、小説を読みました。そして、「小説の方が映画より10倍も素晴らしい」と言っていた友人の言葉を思い出しました。まさに、その通りだと感じたからです。著者は大崎善生(おおさき・よしお)氏。今は作家のようですが、村山さんが活躍されていたころは、将棋連盟の雑誌編集をされていたようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。と言ってもこれは物語ですから、ネタバレしないように、ごく一部に留めます。
奨励会に入りたいという聖さんを、両親は止めようとします。なかなか納得しないので、親族会議を開いて、そこで親族全員からの反対を取り付けて、阻止する作戦に出ました。
親族会議では、両親の思惑通りに話が進みます。しかし、終盤の起死回生の一手を放つことで、聖さんは自分の思いを成し遂げます。
「と、そのとき、
「いかせてくれ」と聖が皆の前で頭を下げた。
「頼みます。僕を大阪にいかせてください」
しかし、そう言ってもなあ、健康が一番だからなあ、というようなことを誰かが言った。
そのとき、聖はひるむことなく教師をしている大人たちの前でこう言い放った。
「いかせてくれ」
そしてつづけた。
「谷川を倒すには、いま、いまいくしかないんじゃ」
それは、魂の根源からしぼり出されたような純粋な叫びだった。」(p.70 - 71)
ネフローゼという難病と闘いながら、それでも名人を目指したいという彼の執念が、大人たちの気持ちを変えたのです。
彼が大阪で暮らすようになって、母親のトミコさんはしばしば大阪を訪れました。そのとき、彼とこんな会話をしたそうです。
「「母さん、淀川で昨日人が溺れて死んだって新聞に出ていた」
「まあ」
「でも誰も助けにいかんかったそうじゃ」
「泳げる人がおらんかったんでしょう」
「母さんなぜそんなこと言うの?」
「えっ?」
「僕だったら助けに飛び込んだ」
「だって、聖泳げないでしょう」
「泳げなくても、僕は飛び込んだ」」(p.154)
自分の命がいつどうなるかわからないという状況だからこそ、命への優しい思いやりが聖さんの中で育っていったのでしょう。
彼は、髪や髭、爪などをなかなか切らなかったそうです。伸びるには意味があるのだから、切るのは「かわいそうだ」と言うのです。
「C級1組に昇級した18歳の村山がまずはじめたことは、日本フォスター・プラン協会というボランティアへの寄付活動であった。東南アジアやアフリカの環境の厳しい国に暮らし、何らかの理由で親と別れ孤児になってしまった子供たちに毎月仕送りをして、金銭的な親代わりになろうというものである。」(p.189)
私も、このNGOに寄付をしていたので、彼の気持ちがよくわかります。弱い者へのいたわり。そうせざるを得ない気持ち。彼が本当に優しかったことを物語るエピソードです。
本の最後に、お父さんの手記がありました。その中で、聖さんのメモを披露しておられます。
「人間は悲しみ、苦しむために生まれた。
それが人間の宿命であり、幸せだ。
僕は、死んでも、
もう一度人間に生まれたい。」(p.417 - 418)
先日紹介したビクトール・フランクル氏も、同じようなことを言われていましたね。苦しむことに意味があるのだと。
小説を読んでみて、映画がいかに表層的だったかがわかりました。駆け足で流れるエピソードの背景に、もっともっと深い世界があった。そのことがよくわかったのです。
映画を観られた方も、ぜひ小説を読まれることをお勧めします。生きるとはどういうことなのか、深く考えさせられる内容です。
2016年12月29日
2016年の終わりに
今年もいよいよ、残すところあと3日を切りました。あっという間に2016年も終わりになります。
今日は、今年最後の新月だそうです。妻はタンブン(タイ語で「功徳を積む」という意味)しに、お寺に出かけました。
新月の日は、いろいろなお願い事をするのが良いのだそうです。私はまったく知りませんが、そういうことをおっしゃる方がとてもたくさんおられるので。
そういうことはあまり信じない私ですが、まあ年の瀬でもあるし、何かお願い事をしてみようと思いました。
いろいろ考えたのですが、やはり自分がこうしてほしいとか、こうなりたい、というようなお願い事は思い浮かびません。なるようになればいいと、普段から思っているからでしょうね。
でも、やっと思いつきました。私を支えてくれる妻が幸せであるように、いつも安心して笑っていられるように、という思いです。
そう思ったら、私の両親にも、そうなってほしいと思えてきました。姉と妹、その家族にも。そして、妻の家族にも。
私に深い関係がある人たちが、みんな安心して笑顔で過ごせるようになってほしい。それが私の願い事なのです。
さて、この1年を振り返ってみると、大きな変化がありました。まずは、私がリストラされて無職になったことです。
過去の記事に経緯を詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。
「リストラされました!」
「リストラされてわかったこと」
まあリストラされる経験なんて、なかなかできることではありませんからね。大変、貴重な経験をさせていただきました。
今でこそ平然としていますが、解雇通告を受け取った時は、さすがに狼狽しました。ある程度覚悟していたとは言え、「まさか!?」という思いが強かったのです。
しかし、「人生に起こることは、すべて必然で無駄がない」というのが私の信条ですから、この出来事を受け止めようとしました。でも、なかなか受け止めることができません。やっと、「しょうがないよね」と受け入れることにしたのです。
しかし、その小さな一歩を踏み出したことで、運命が変わってきたように感じます。塩漬けにしていた投資用マンションが高値で売れて、当面のお金に心配せずに済んだからです。
「奇跡が起こったのかもしれない」
特に重要なのはビザの問題です。それまではビジネスビザで滞在していましたが、離職すれば家族ビザ、リタイヤメントビザ、旅行ビザなどに切り替えないと、タイに滞在することができません。
旅行ビザは、せいぜい3ヶ月しか滞在できません。リタイヤメントビザなら1年滞在できますが、預金80万バーツが必要です。家族ビザも1年滞在できますが、預金40万バーツが必要な上に、手続きがけっこう面倒です。
私は、とりあえずリタイヤメントビザに切り替えました。それができたのも、マンションが売れてまとまったお金が手に入ったからです。そして、ビジネスビザを期限いっぱいまで使わせてもらえたからです。
考えてみれば、奇跡の連続でタイに滞在できていると言えます。本当にありがたいことです。
思わぬお金が手に入ったので、パーッと使うことにしました。妻に喜んでもらいたくて、一時帰国に連れて行くことにしたのです。
「夏の思い出はヤマメ釣りと花火」
これが最後になるかもしれないのだから。そんな思いで、妻との最高の贅沢を楽しんだのです。いわゆる思い出作りってやつですね。
その後、妻とパタヤ旅行もしました。妻と一緒にタイ国内旅行というのも、初めての体験でした。無職だから、思い立ったらいつでも旅行できる。それが大きかったのですね。
「パタヤ旅行」
その後、リーディングをするバンビさんとの出会いがありました。タイにときどき来られていることは知っていましたが、私はそういうのはあまり信じないので、関心を示さなかったのです。
ところが、私の友人がバンビさんのリーディングを受け、素晴らしいという感想を話してくれました。そのことがあったので、まあ話のネタにいいかな、くらいのノリで受けてみたのです。このちょっとした思いつきが、その後に大きな影響を与えることになるとは、この時予想もしていませんでした。
そうしてリーディングを受けたところ、たった20分のリーディング中に私は確信しました。「この人は本物だ!」
私が無意識に気付いていることを、ビシビシと指摘されたのです。それによって、方向性が定まりました。就活をするのはやめて、レイキで生きていこうと。また、11月の旅行は2週間きっかりにしようと。
11月にも、妻と一緒に一時帰国することにしていました。九州旅行をしたことがなかったので、妻との(最後の)思い出にと、旅行を計画していたのです。
でも私は、何か躊躇するものがあって、10日間くらいの旅程にしていたのです。半分は実家への帰省ですけどね。そんな話をしたらバンビさんが、「2週間ちょうどにしてください」と、ズバリと言われたのです。
無職なのだし、お金のことも気にしなければ、2週間の旅行は可能なのです。それがわかっていながら、私の中でブレーキを踏んでいたのですね。
バンビさんから言われて、すぐに方針を変えました。2週間の旅行にする。そして、その通りに実行しました。お陰で、日本(福山市)でもバンビさんに会えたし、九州の東半分でしたが、初めて鹿児島へ行って桜島を眺め、宮崎では「みやざき中央新聞」を表敬訪問し、大分ではたまちゃん先生とも会えて、とても有意義な旅行となりました。
バンビさんと出会うことで、レイキをするチャンスも広がりました。いつも行くサロンの1dayマーケット「コラボん」に出店を勧められたので、それを実行したからです。
6月から書斎兼レイキ施術所としてアパートの一室を借りて、「レイキ癒し処」と名付けて、レイキの活動をしてきました。レイキ練習交流会を月に1回やっていましたが、その開催場所を確保したいという思いもあったので借りたのです。
私はこれから、レイキをやって生きていく。そんな思いが、少しずつ固まってきたように思います。
しかし、人生は順風満帆には行きません。12月に、直傳靈氣の講習を受けるなどの目的で一時帰国して、戻ってきた時のことです。「レイキ癒し処」へ行くと、1枚の紙がドアに挟んでありました。そこには、「来年3月15日までに退去するように」と書かれていたのです。
6月に入居したばかりです。まだ半年ほどなのに、もう3ヶ月で出て行けだなんて・・・。なんだか理不尽だなぁと思いました。
これまでの私なら、その理不尽さに腹を立て、どうやって抵抗しようかと考えたでしょう。けれどもその時、不思議なほど腹が立ちませんでした。「まあ、しょうがないよね。」
これまで、SMS1本で婚約解消された破談事件や、メール1本で解雇通告されたリストラ事件など、たくさんの理不尽さを経験してきました。その経験によって鍛えられ、どういう状況でも自分らしく生きることが、容易になってきていたのです。
昨日、またバンビさんとお会いできました。その時、妻も一緒に行ったんですが、バンビさんがされているエステを紹介してもらいました。
妻はエステを体験して、その効果に驚いていました。そして、自分でもやってみたくなったようです。もし、妻がエステをして、自分で稼ぐ方法を身に着けたなら、私の心の負担も軽くなります。私一人なら、どうにでもして行きていけますから。
今年は、ここまでです。これから先、どんな展開になるのか、今は予想もできません。けれども、何とかなるのではないかと思っています。
ただ、安心していること。それだけでいいと言うのが、私が得た究極の生き方です。それだけで人生は上手く行くのだと、私は自分の人生で実証してみたいと思っています。
今年一年、いろいろとありがとうございました。来年もどうぞ、よろしくお願いします。では、みなさん、良いお年をお迎えください。
今日は、今年最後の新月だそうです。妻はタンブン(タイ語で「功徳を積む」という意味)しに、お寺に出かけました。
新月の日は、いろいろなお願い事をするのが良いのだそうです。私はまったく知りませんが、そういうことをおっしゃる方がとてもたくさんおられるので。
そういうことはあまり信じない私ですが、まあ年の瀬でもあるし、何かお願い事をしてみようと思いました。
いろいろ考えたのですが、やはり自分がこうしてほしいとか、こうなりたい、というようなお願い事は思い浮かびません。なるようになればいいと、普段から思っているからでしょうね。
でも、やっと思いつきました。私を支えてくれる妻が幸せであるように、いつも安心して笑っていられるように、という思いです。
そう思ったら、私の両親にも、そうなってほしいと思えてきました。姉と妹、その家族にも。そして、妻の家族にも。
私に深い関係がある人たちが、みんな安心して笑顔で過ごせるようになってほしい。それが私の願い事なのです。
さて、この1年を振り返ってみると、大きな変化がありました。まずは、私がリストラされて無職になったことです。
過去の記事に経緯を詳しく書いていますので、そちらをご覧ください。
「リストラされました!」
「リストラされてわかったこと」
まあリストラされる経験なんて、なかなかできることではありませんからね。大変、貴重な経験をさせていただきました。
今でこそ平然としていますが、解雇通告を受け取った時は、さすがに狼狽しました。ある程度覚悟していたとは言え、「まさか!?」という思いが強かったのです。
しかし、「人生に起こることは、すべて必然で無駄がない」というのが私の信条ですから、この出来事を受け止めようとしました。でも、なかなか受け止めることができません。やっと、「しょうがないよね」と受け入れることにしたのです。
しかし、その小さな一歩を踏み出したことで、運命が変わってきたように感じます。塩漬けにしていた投資用マンションが高値で売れて、当面のお金に心配せずに済んだからです。
「奇跡が起こったのかもしれない」
特に重要なのはビザの問題です。それまではビジネスビザで滞在していましたが、離職すれば家族ビザ、リタイヤメントビザ、旅行ビザなどに切り替えないと、タイに滞在することができません。
旅行ビザは、せいぜい3ヶ月しか滞在できません。リタイヤメントビザなら1年滞在できますが、預金80万バーツが必要です。家族ビザも1年滞在できますが、預金40万バーツが必要な上に、手続きがけっこう面倒です。
私は、とりあえずリタイヤメントビザに切り替えました。それができたのも、マンションが売れてまとまったお金が手に入ったからです。そして、ビジネスビザを期限いっぱいまで使わせてもらえたからです。
考えてみれば、奇跡の連続でタイに滞在できていると言えます。本当にありがたいことです。
思わぬお金が手に入ったので、パーッと使うことにしました。妻に喜んでもらいたくて、一時帰国に連れて行くことにしたのです。
「夏の思い出はヤマメ釣りと花火」
これが最後になるかもしれないのだから。そんな思いで、妻との最高の贅沢を楽しんだのです。いわゆる思い出作りってやつですね。
その後、妻とパタヤ旅行もしました。妻と一緒にタイ国内旅行というのも、初めての体験でした。無職だから、思い立ったらいつでも旅行できる。それが大きかったのですね。
「パタヤ旅行」
その後、リーディングをするバンビさんとの出会いがありました。タイにときどき来られていることは知っていましたが、私はそういうのはあまり信じないので、関心を示さなかったのです。
ところが、私の友人がバンビさんのリーディングを受け、素晴らしいという感想を話してくれました。そのことがあったので、まあ話のネタにいいかな、くらいのノリで受けてみたのです。このちょっとした思いつきが、その後に大きな影響を与えることになるとは、この時予想もしていませんでした。
そうしてリーディングを受けたところ、たった20分のリーディング中に私は確信しました。「この人は本物だ!」
私が無意識に気付いていることを、ビシビシと指摘されたのです。それによって、方向性が定まりました。就活をするのはやめて、レイキで生きていこうと。また、11月の旅行は2週間きっかりにしようと。
11月にも、妻と一緒に一時帰国することにしていました。九州旅行をしたことがなかったので、妻との(最後の)思い出にと、旅行を計画していたのです。
でも私は、何か躊躇するものがあって、10日間くらいの旅程にしていたのです。半分は実家への帰省ですけどね。そんな話をしたらバンビさんが、「2週間ちょうどにしてください」と、ズバリと言われたのです。
無職なのだし、お金のことも気にしなければ、2週間の旅行は可能なのです。それがわかっていながら、私の中でブレーキを踏んでいたのですね。
バンビさんから言われて、すぐに方針を変えました。2週間の旅行にする。そして、その通りに実行しました。お陰で、日本(福山市)でもバンビさんに会えたし、九州の東半分でしたが、初めて鹿児島へ行って桜島を眺め、宮崎では「みやざき中央新聞」を表敬訪問し、大分ではたまちゃん先生とも会えて、とても有意義な旅行となりました。
バンビさんと出会うことで、レイキをするチャンスも広がりました。いつも行くサロンの1dayマーケット「コラボん」に出店を勧められたので、それを実行したからです。
6月から書斎兼レイキ施術所としてアパートの一室を借りて、「レイキ癒し処」と名付けて、レイキの活動をしてきました。レイキ練習交流会を月に1回やっていましたが、その開催場所を確保したいという思いもあったので借りたのです。
私はこれから、レイキをやって生きていく。そんな思いが、少しずつ固まってきたように思います。
しかし、人生は順風満帆には行きません。12月に、直傳靈氣の講習を受けるなどの目的で一時帰国して、戻ってきた時のことです。「レイキ癒し処」へ行くと、1枚の紙がドアに挟んでありました。そこには、「来年3月15日までに退去するように」と書かれていたのです。
6月に入居したばかりです。まだ半年ほどなのに、もう3ヶ月で出て行けだなんて・・・。なんだか理不尽だなぁと思いました。
これまでの私なら、その理不尽さに腹を立て、どうやって抵抗しようかと考えたでしょう。けれどもその時、不思議なほど腹が立ちませんでした。「まあ、しょうがないよね。」
これまで、SMS1本で婚約解消された破談事件や、メール1本で解雇通告されたリストラ事件など、たくさんの理不尽さを経験してきました。その経験によって鍛えられ、どういう状況でも自分らしく生きることが、容易になってきていたのです。
昨日、またバンビさんとお会いできました。その時、妻も一緒に行ったんですが、バンビさんがされているエステを紹介してもらいました。
妻はエステを体験して、その効果に驚いていました。そして、自分でもやってみたくなったようです。もし、妻がエステをして、自分で稼ぐ方法を身に着けたなら、私の心の負担も軽くなります。私一人なら、どうにでもして行きていけますから。
今年は、ここまでです。これから先、どんな展開になるのか、今は予想もできません。けれども、何とかなるのではないかと思っています。
ただ、安心していること。それだけでいいと言うのが、私が得た究極の生き方です。それだけで人生は上手く行くのだと、私は自分の人生で実証してみたいと思っています。
今年一年、いろいろとありがとうございました。来年もどうぞ、よろしくお願いします。では、みなさん、良いお年をお迎えください。
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