2016年11月01日
歴史が教えてくれる日本人の生き方
白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの本を読みました。白駒さんのことが気に入って買った4冊の本の最後になります。
この本は、土地ごとにお国柄というか、土地のDNAとも言えるものがあって、それが歴史にどう現れているかを紐解いたものになっています。
人は誰も故郷に愛着を持っていますが、その土地で育ったことによって育まれた価値観や考え方、そういったものがあるのですね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「人間は、与えられた場で努力を重ねたら、必ず成長します。成長すると扉が開いて、次のステージへ運ばれていくのです。そして、そこで一段と大きな役割を果たすと、また扉が開いて次のステージに運ばれていく−−。大なり小なり、そうやって人間は成長していくものだと思います。」(p.26)
これは日本で初めて実測地図を作った伊能忠敬を生んだ、千葉のDNAについて書いてある部分の一文です。彼にも見られる「利他の心を尊ぶ生き方」が、その後も続いていると書かれています。
伊能忠敬が婿入りした時、伊能家は倒産しかかっていたそうです。それを立て直すと、今度は飢饉の時に地域の人のために行動します。こういう思いやりの心で、その時できることをやってきたのです。
そして隠居した後、好きだった天文学を学ぼうとします。そしてそこでも、後世の日本のためになるようにと、精密な日本地図作りを目指すのです。
「このことは、私たちの人生にも当てはまります。つまり人間は「与える人」と「受け取る人」に二分されるのではなく、誰かに輝かせてもらいながら、同時に誰かを輝かせているのです。
そのことに気づけば、人は真の謙虚さを持つことができるのでしょう。自分は他者に何かを与えているのだと不遜になったり、逆に自分は受け取るだけで何もできないなどと、卑屈になったりする必要はないのです。」(p.42)
これは伊勢のDNAで、「限りある命を永遠の命にかえる生き方とは」と題された部分に書かれている一文です。この伊勢で出会った賀茂真淵と本居宣長の師弟関係が書かれています。
賀茂真淵は天才肌で、「道なき道を切り開いていった人」だと言います。一方の本居宣長は努力家で、師の厳しい指導を受けながら、「受け継ぎ発展させた人」なのだと。どっちが偉いではなく、「役回りが違う」のだと言います。
上に立つから偉いのではなく、上に立つ人が下の人を育てることによって、全体として1つのことを成し遂げていく。それが日本人の生き方なのだと言います。
「逆に言えば、物事の価値とは、その時点の良し悪しではないということです。物事の価値は、未来にしか決まらないのです。だから、どんなにひどい事態が起こったとしても、私たちは「この出来事があったから未来を築いていくことができるのだ」という覚悟を持って生きることが、大事だろうと思います。」(p.72)
これは福岡のDNAで、「自分の成功よりもみんなの繁栄を願う粋な町」という部分に書かれている一文です。自分だけが良くなればいいのではなく、商人みんなが良くなるようにと、豊臣方を支援した謝国明という商人などを取り上げています。
福岡の大名となった黒田官兵衛は、元々商人の町だった博多を守るように福岡城を築いたのだそうです。また幕末に人材を失った後、それでも教育に力を入れたことで、金子堅太郎や明石元二郎といった後に日露戦争で日本を救うことになる人材を排出しました。また、A級戦犯となった広田弘毅は、何もしゃべらないことで天皇制を救ったと言われます。
その中で、白駒さんが好きなのは平野国臣という幕末の志士だそうです。弾圧されて非業の死を遂げるのですが、白駒さんはそれがあったからこそ福岡は人材育成に力を入れたと言います。そしてそのことによって、日露戦争で日本を救う人材を輩出できたのです。
「それから四年後に再び起こった海難事故。誰もがノルマントン号を想起したはずです。しかし、誰も「目には目を」とは考えませんでした。むしろ、自分たちがひどい目に遭ったからこそ、外国人を全力で助けたのです。日本人がひどい扱いをされたのだから、外国人がどんな目に遭っても知らないと思うのか、自分たちが悲しい思いをしたからこそ、他国の人に同じような思いをさせたくないと願うのか、これは紙一重です。でも、その選択肢の違いが歴史にもたらす影響は、はかり知れないほど大きいと言えるでしょう。」(p.86)
これは和歌山のDNAで、「ゆかりの人々が教えてくれる開運の法則」と題した部分に書かれています。和歌山といえばエルトゥールル号遭難事件ですが、そこには1つの背景があったと言います。それがノルマントン号の沈没で、日本人乗客25人が全員水死したのに対し、イギリス人乗務員は全員助かったのです。
治外法権があったので、彼らは本国で裁かれ、「信じられないくらい軽い罪で許された」と言います。そのことを知っていたにも関わらず、村人たちはエルトゥールル号の遭難者を命懸けで助け出し、すべてを与えて介抱したのです。
この他にも、和歌山に関わる人たちを取り上げて、強運の人になるなら、相手を責めずに自分ができることを懸命にやることだと言います。
「世界史の上では、勝利した日露戦争も、そして結果的に敗れた大東亜戦争も、西欧列強に抑圧されていた人たちが希望を見出した戦いであった、そんな一面があるわけです。そのような角度から見れば、日露戦争や大東亜戦争における日本人の戦いは、武士道の美しさを貫いた河井継之助と重なるものがあると思います。
ただ、その結果は悲惨なものでした。長岡では多数の若者が死に、大東亜戦争でも二百四十万人を超える戦死者が出ました。良し悪しは別にして、そういう側面があったということです。」(p.162)
これは新潟のDNAで、「戦いに敗れても気概を失わなければ負けではない」という部分に書いてある一文です。義のために戦った上杉謙信、徳川家康を愚弄した直江状と呼ばれる手紙を送った直江兼続、そして理のない薩長と戦うことになった河井継之助の生き方を取り上げています。
戦いは勝負事ですから、勝つこともあれば負けることもあります。けれども、何のために戦うのかという気概があるなら、たとえ負けたとしても、その精神は受け継がれるというのです。そのことによって、最終的には生き残るのだと。
「もしも、あの島流しがなければ、西郷の人間力はあそこまで磨かれなかったかもしれない、そうしたら日本の独立が危ぶまれたかもしれないと思うと、あの島流しは未来の日本のために必要だったのではないかと、別の視点から考えられるようになったのです。」(p.188)
「人生が思い通りにいっているときには、もちろん感謝すべきだと思います。けれども、思い通りにいっていないときのほうが、もしかしたら、天がその人のために遣わしてくれた環境なのではないかと思うのです。そして、そうした理不尽な状況に置かれたことの答えは、過去ではなく、未来にあるのです。」(p.189)
これは鹿児島のDNAで、「この国の未来のために何をすべきかを考えた人たち」に書かれています。そして西郷隆盛について、理不尽に島流しをされて悲惨な人生のように見えて、実はあれによって磨かれたのだという見方を示しています。
「本当はどの国の歴史にも、光があり、影がある。功罪相半ばするのです。それなのに、私たちは、こと近現代史に関しては、その影の部分があまりにも強調され、教育されてきたのではないかと思います。本来「歴史を学ぶ」ということは、その光と影の両面をきちんと知って、その上で自分なりの歴史観を持つことではないでしょうか。」(p.229)
これは岡山のDNAで、「日本の独立を守った道徳心と技術力」と題した部分にある一文です。ここでは、日本人の道徳性の高さを、近江聖人と呼ばれた中江藤樹の教えを広めた、岡山の熊沢蕃山や佐藤一斎だと言っています。そして佐藤一斎から信頼されたのが岡山の山田方谷だと。
白人支配に風穴を開けようとした日本を潰すために、アメリカが仕掛けたオレンジプラン。それにまんまと乗って始めたのが大東亜戦争だと言います。しかしその戦争によって、インドネシアなどは独立することができたと言います。
仮にあの戦争が日本の侵略戦争だとされたとしても、それまでの欧米の植民地支配とはまったく違う支配が行われていた。その背景に、日本人の道徳性の高さがあると言うのです。
地域ごとのDNAというものがあるかどうかは知りませんが、地元に関わる人の生き方を知り、それがどう生かされているかがわかると、なんだか誇らしく感じますね。
こういう授業が学校教育であったら、また随分と違うのだろうなと思います。そして、白駒さんの講演を、いつか聞きに行きたいと思いました。
2016年11月05日
おひとりさま出産
七尾ゆずさんのマンガを読みました。おそらくホリエモンさんが勧めていたので買ったのだと思います。
タイトルからわかるように、シングルマザーの本です。と言っても、通常のシングルマザーとは違っています。
ではさっそく、一部を引用しながら・・・と言いたいところですが、これはマンガですから。その代わりに、あらすじを紹介しましょう。
主人公は、売れない漫画家。七尾さん自身のことです。年齢は38歳。子どもを生むためのリミットが迫っています。
付き合っている男性は30代のイケメン。ただし、金銭的にルーズで甲斐性なし。したがって、結婚して堅実な家庭を築くという可能性が感じられません。
そんなとき、七尾さんは将来の孤独が案じられて、子どもが欲しいと思うようになります。結婚してくれなくていいというより、むしろ結婚したくない。経済的に大変になるだけだから。だから男は要らないけど子どもが欲しいと思うのです。
妊娠するのに効率よく性交するための努力、結婚しないけど妊娠したことを親にどう伝えるのかなど、様々な問題が起こります。
そういう騒動を経て妊娠し、出産をどうするかを考え、いろいろな公的扶助制度を調べ、対策を考えていきます。
思い通りにならなかったり、思ってもいなかったことに気付いたりなど、いろいろなことが起こります。そういう騒動の末に、出産となるようです。
「出産となるようです」と書いたのは、この本1冊では、最後まで描かれていないからです。続編があって、出産までと、その後の子育て編とあるようです。
「でき婚」と言われる「できちゃった結婚」でさえ、20年前はなかなか受け入れられませんでした。シングルマザーも白い目で見られました。それがやっと認められるようになってきた昨今、今度は最初から男を必要としない「おひとりさま出産」なのですね。
私は、生き方はいろいろあって良いと思います。別に愛する人(男)の子どもでなくていい、自分の子どもが欲しいという考えも、アリだと思います。
もちろん、批判はあるでしょう。「子どもの人生を何だと考えているんだ!?」みたいな。けれども、だったらそういう人が、本当に子どもに完璧な人生を歩ませているでしょうか?
ただ単に自分の価値観で完璧だと思うことはあっても、子どもからすれば、いろいろ不満があるかもしれません。世の中は、そういうものではないかと思うのです。
新たな価値観を示してくれる面白いマンガだと思います。今後どういう展開(問題)があるのか気になるので、続編も買ってみたいなと思いました。
<追記>2016.12.18
続編を買って読みました。3冊セットでお勧めです。
2016年11月06日
海難1890
映画で観て、とても感動したので本を読んでみました。どうやら、この本が原作なのではなく、映画をもとに本にしたノベライズ作品のようです。著者は豊田美加(とよだ・みか)さん、映画の脚本は小松江里子(こまつ・えりこ)さんとなっています。
この映画は、昨年末(2015年)に公開されたようですが、私は最近になって、タイから日本への機内で観ました。しかもたまたま観ただけで、こんな映画があったことすら知りませんでした。
観てみると、エルトゥールル号遭難事件を扱ったものであることがわかりました。そしてそれが、イラン・テヘラン在留邦人救出事件につながっているということを、この映画では扱っていました。
このことは、白駒妃登美さんの本などで知っていましたが、改めて映像で見ると、また受ける印象が違います。いろいろな人の思いを考えてみる時、込み上げてくるものがありました。深夜便だから良かったですが、暗い機内で声を押し殺しながら、涙をボロボロと流しました。
ではさっそく、一部を引用しながら・・・と言いたいところですが、これも小説ですからね。ぜひ読んでいただきたいと思います。ここでは、簡単にあらすじを紹介しましょう。
トルコの国威発揚のために、答礼の航海に出たエルトゥールル号。様々な試練を乗り越えて日本に到着し、天皇陛下の謁見も済ませ、あとは帰るだけとなります。しかし、無理をして台風シーズンに出向したことがアダとなり、遭難することになりました。和歌山県の先端にある大島で座礁し、600人ほどの乗組員の内、生存者がわずか69人という大惨事になります。
このエルトゥールル号遭難事件で、生存者を助けたのが大島の貧しい人々でした。自らの体温で遭難者を温め、その日暮らしなのにわずかな食料を提供し、トルコの人々を助けました。
そして時が流れること95年。イラン・イラク戦争が勃発します。イランの首都テヘランに残された外国人を救うために、それぞれの本国から救援機が向かいます。しかし日本だけは、救援機が来なかったのです。日本航空は乗務員の安全が保証されないとして拒否し、自衛隊は法律の問題があって派遣できません。(※日航機は許可を待っている間に時間切れになって、飛び立てなかったと本には書いてあります。)
その時、日本人を救うために救援機を飛ばしてくれたのがトルコでした。自国の国民がまだ残っているのにも関わらず、トルコは日本人を助けることを優先し、自国民は危険な陸路を避難することになりました。
飛ばす救援機の乗務員を募集すると、居合わせた全員が率先して挙手したと言います。自分にも危険があると言うのに、日本を助けることを優先したのです。また、自国民より日本人救援を優先した政府に対して、国民はほとんど批判しなかったと言います。
どうしてトルコの人々が、こうまで日本人を助けようとしたのか? それは、およそ100年前のエルトゥールル号遭難事件を、みんなが授業で習っていたからです。今こそ恩返しをする時だと、意気に感じてくれたのだと思います。
このことが、実際の歴史であることに驚きます。人というのは、こうまで優しくなれるのだと、感動せざるを得ません。
私は、機内で観た映画をもう1度観たくて、DVDを購入しました。そして、もっと手軽に読めるようにと、本も買いました。この歴史的事実を、多くの人に知っていただきたいと思います。
2016年11月17日
子どもをのばすアドラーの言葉 子育ての勇気
アドラー心理学でおなじみの岸見一郎さんの新刊を読みました。今回は、子育てに特化したアドラー心理学です。
新書判サイズで180ページという、ボリュームがあまりない本になっています。子育てに悩む親に対し、アドラー心理学をどう応用するのかという点に特化した、ハウツー本のような感じがします。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「「あなたのためにいっている」というようなことを親はいったりしますが、多くの場合、愛情という名に隠された支配でしかありません。
受験についていえば、自分で進路を選び、その上で失敗したとしても、その失敗を通じて学べることは必ずあるはずです。もちろん、首尾よく合格するにこしたことはありませんが、親がこれくらいの覚悟をしていれば、子どもは気が楽になるでしょう。」(p.33)
「勉強についていえば何のために勉強するのかという目標について、子どもが間違った考えを持っていれば、親は子どもに自分の考えを話すことはできます。
話して子どもが受け入れてくれるかはわかりませんが、考えを押しつけなければ少なくとも話は聞いてくれるだろうと思います。」(p.34)
親が子に勉強をさせようとしたり、進路を勝手に決めたりすることは、愛情ではなく支配なのだと、岸見さんは言い切られています。ここが根本的に間違いやすいところなのですよね。
「大事なことは、親は、子どもからの援助の依頼がなければ、動くことはできないということです。
(中略)
親が勝手に動いてはならないのは、一つには、子どもの課題は基本的に子どもにしか解決できないからですが、もう一つは、親といえども、実は子どものことを本当に知っているとは限らないからです。」(p.61)
アドラー心理学では「課題の分離」と言いますが、子どもであっても他人の課題に勝手に関わることは許されないのです。そして、子どもも立派な人格があると尊重するなら、親である自分でもわからないことがあると、率直に認めるべきなのですね。
子どもの人生は親のものではなく子ども自身のものです。そんな当たり前のことを、私たちはつい忘れてしまいがちなのです。
「間違った判断をするくらいなら、子どもの言動について疑問に思うようなことがあれば、率直になずねることをお勧めします。」(p.62)
「お前はどうしてこういうことをするんだ!?」と怒る人がいますが、この言葉は疑問形ですが、実質的には否定しているだけです。そうではなく、率直に尋ねるのです。自分にはわからないから教えてほしいと。
これができるためには、前提として子どもを1人の立派な人格として尊重している必要があります。尊重することなくして、否定せずに質問することはできないからです。
「親が自分にしてきたことをおぼろげな知識をもとに自分の子どもにもしようと思っても、それはたとえてみれば、子どもの頃に手術を受けたことがある人が、大人になって、手術を受けたのだから、自分も人に手術を施すことができると思い込んでいるのと同じです。
私は悪い親がいるとは思いません。たとえ子どもを虐待することがあっても、そのような親は決して「悪い親」ではなく、「下手な親」なのです。なぜなら、子どもとどんなふうに関わればいいのかを知らないだけだからです。」(P.67)
自分が子どもの頃に育てられたのだから、自分が大人になれば同じように育てられる、と思うことが間違いなのですね。大人になったからといって、すぐに優れた親になれるわけではないのです。
ですから、「悪い親」と批判する必要はなく、ただ未熟な親だと見れば良いのです。そして未熟なら、熟練する機会を与えることです。ここでも、否定する必要はないということです。
「ほめることは、いわば能力がある人がない人に、上から下へ評価することだからです。上下の対人関係を前提として、初めてほめることができます。」(p.103)
叱ることはもちろん、褒めることもいけないと、アドラー心理学では言います。なぜ褒めてはいけないかというと、そこに上下の対人関係が生まれるからです。
子どもであっても立派な人格だと尊重するなら、そこに上下の関係はないはずです。ですから、叱ることも褒めることも不要なのです。
「率直にいって、親は子どもを信頼できていません。親が何もいわなければ、きっといつまでもゲームばかりし続けるに違いないと思っているのです。親が家でゲームをしている時に、いい加減にして早く寝なさいというようなことを子どもにいわれたら嫌だと思うのですけどね。」(p.117)
ゲームばかりして勉強しない子どもに対して、岸見さんは「親は静観すればいい」と言います。それが原因で成績が下がろうと、朝起きられなくて遅刻しようと、それは子ども自身の課題だからです。
アドラー心理学では、相手を尊重し、無条件に信頼することを勧めています。それは相手が子どもでも同じです。子どもは立派に自分の課題に取り組むはずだ。その信頼が必要なのです。
「アドラーは自分に価値があると思えたら、自分の課題に取り組もうとする勇気を持てるといっています。勉強でなくても何かで貢献し、自分に価値があると思えたら、勉強に取り組む勇気も持てるようになります。
そのためにも親は決して子どもの勇気を挫いたり、子どもを辱(はずかし)めるような言葉をいってはいけませんし、叱ってもいけません。」(p.128 - 129)
子どもが自分の課題に取り組めるよう支援することが重要で、そのためには発奮させる意味だとしても叱ってはいけないのです。そうすることは、勇気を挫くからです。
そうではなく、今のままで十分に価値があるのだと伝えることで、失敗することへの怖れを取り除いてあげることです。そして子どもが挑戦しようとしたら、励ましてあげることです。
「例えば、朝九時くらいに起きてきた子どもに、「何時だと思っているの」といわないで、「生きててよかった」というのです。実際のところ、遅く起きてきたとしても、生きていればありがたいと思えるのではありませんか。」(p.155)
出来事の悪い面に光を当てるのではなく、良い面に光を当てます。そうすることで、子どもはありのままの自分を否定されることがなくなるので、自尊心を失わずに済みます。
「次に言葉遣いについてですが、丁寧に話すことをお勧めします。いつも必ず子どもに敬語を使わなければならないということではありませんが、何かを子どもに頼む時にはせめて命令しないで、お願いしましょう。そのためには、「〜しなさい」ではなく、疑問文か、仮定文を使って、「〜してくれませんか?」とか「〜してくれると嬉しい」といってみましょう。多くの場合、子どもは、その方がはるかに気持ちよくお願いを聞いてくれるでしょう。」(p.164)
命令するということは、そこに上下関係を作り出しています。人と人は本来、対等であるべきなのです。たとえそれが子どもであっても。だから丁寧な言葉を使い、お願いをすることが重要なのです。
アドラー心理学を知っている人からすると、少々物足りない感じがするかもしれません。けれども、実際に自分の子どもや生徒に向き合う時、アドラー心理学をどう応用すれば良いのかと悩むこともあると思います。そういう時に、この本は役に立つと思いました。
この本は、特に子育て中の若いお母さんにお勧めしたいですね。まずは自分がまだ未熟な親なのだと自覚し、親として成長していこうと決めることが重要なのだと思います。
2016年11月18日
ホタル,俺は、君のためにこそ死ににいく
2週間の一時帰国の間、妻と一緒に九州旅行をしました。私は九州では鹿児島県だけ行ったことがなかったので、一番の目的を鹿児島にしました。
鹿児島と言えば、桜島と知覧でしょう。人それぞれだと思いますが、私の心に浮かんだのは、この2つでした。
あいにくの雨でしたが、知覧の特攻隊博物館は室内なので、じっくりと展示物を見て回ることができました。
ほとんどが20歳代という若さで散っていった多くの命。遺書や家族への手紙を読むと、それを書いた時の心境に思いを馳せずにはおられません。
特攻隊員の遺書や手紙は、本でも読んでいました。「第二集 きけ わだつみのこえ」です。
しかし、本人の写真を目の前にして読むと、また感慨深いものがあります。どんな思いで飛び立って行ったのかと、思わずその心情に自分を重ねてみようとするのです。
その博物館で、DVDを2本買いました。本も売っていたのですが、やはり映像の方がとっつきやすいのではないかと思ったのです。
1本は、特攻隊の生き残りの山岡秀治を演じる高倉健さんと、その妻、知子を演じる田中裕子さんが主役で、そうそうたる俳優が出演している「ホタル」です。
知覧でカンパチの養殖をする山岡は、昭和から平成になったとき、特攻隊員たちに知覧の母≠ニ呼ばれた富屋食堂の女主人、富子から頼まれます。韓国へ行って、特攻で亡くなった金山少尉(本名キム・ソンジェ)の遺品を親族に渡してほしいと。
知子は、金山少尉の許嫁(いいなずけ)だったのです。当時、韓国は日本でした。ですから、韓国人も日本人として、戦争に参加していたのです。
韓国へ行って金山少尉の遺族と会った山岡夫婦ですが、最初はこっぴどく罵倒されます。今の日韓関係を考えれば、当然のことかもしれません。
しかし、その罵倒に耐えた後に山岡は、金山少尉の遺言を伝えたいと言います。罵倒がやんだ後、山岡は言います。「自分は大日本帝国のために出撃するのではない。恋人や朝鮮民族、朝鮮にいる家族のために出撃するのだ」と。
富屋食堂の富子に、「ホタルになって戻ってくる」と言った特攻隊員がいました。そして、彼が出撃したその日の夜、富屋食堂にホタルが1匹やってきたのです。ホタルになって戻ってくる。それが特攻隊員の、せめてもの願いだったのかもしれません。
何が「正しい」のか「間違い」なのか、人それぞれの判断があると思います。しかし、間違いなくあの時代を生きて、死んでいった人々がいます。その生き様を知って、今の私たちがどう生きるのかを考えてしまう。そんな作品です。
もう1つは、その富屋食堂の富子のモデルになった鳥濱トメさん(演じるのは岸恵子さん)を主人公にした「俺は、君のためにこそ死ににいく」という作品です。
ここでも、装備もボロボロな特攻機、隼(はやぶさ)に乗って、多くの若者が特攻で飛び立っていく様子が描かれています。
勝てる見込みはなくても、有利な条件で講和するために特攻をする。そんな理屈で、無謀な特攻が繰り返されたのです。
たしかに、アメリカにとっては脅威だったでしょう。撃たれて死ぬことを当然として突っ込んでくるのですから。
しかし、戦争が終わると、神として崇められていた特攻隊員も、特攻崩れと呼ばれて蔑まれました。その人々の心変わりに、トメは心を痛めるのです。
どちらの作品も、これが完全な事実というわけではありません。フィクションです。ですから、いろいろと異論がある作品であることを知っておくべきかと思います。
それでも、その中に描かれた特攻隊員や、それを見送る人たちの心情を想像するのに、大いに参考になるのではないかと思います。
2016年11月24日
日本はこうして世界から信頼される国となった
以前に買った本ですが、やっと読み終えました。アマゾンのリンクは、なぜか単行本のものが出てこないので、Kindle版のリンクを貼っておきます。
著者は佐藤芳直(さとう・よしなお)さん。コンサルティング会社S・Yワークスの代表で、歴史観を取り入れた経営コンサルティングをされているようです。
本書は、知的障害を持たれているご子息に語りかけるような形で、伝えたい日本の歴史を解説しています。サブタイトルには「わが子へ伝えたい11の歴史」とあり、子どもたちに受け伝えたい歴史を取り上げてあります。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「二〇世紀を一言で要約すれば、日本の躍進した世紀、日本が世界を変えた一〇〇年と言ってよいでしょう。その結果、二一世紀は、「世界が日本化する世紀」と確信できます。」(p.3)
私も、世界を救うのは日本の使命だと思っています。ですから、この冒頭の一文には共感します。
「私たち大人は、先祖が築き上げてきた歴史から何を学び、どのようなかたちで次の若い世代へ語り継いでいけばいいのか。
今こそ伝えたい一一の歴史の話を通して、私たちの未来−−未来への恋文−−を心に描いていただければ幸いです。」(p.5)
今の私たちが歴史をどう認識し、どう役立てるのか。それによって、子孫に何を残すのかが決まるように私も思います。
「「親からの恩は、子に返せ」
小さい頃父さんは、君の祖父さんからよくそう言われていた。いいかい、親が死んだら、初めて親の有り難さ、恩というものが分かるんだぞ。そしてその恩はな、次の世代に返していくんだぞ。そう教えられていたんだ。
「恩送り」って字、なんて読むか分かるかい。「おんくり」って読むんだよ。受け取った祖先からの恩は、未来の子孫のためにより大きくして未来に送る。とても美しい日本語だね。」(p.23)
「恩送り」を「おんくり」と読むのは知りませんでした。けれど、受けた恩を相手に返すのではなく、子孫に送っていくという考え方は、循環という考え方にも通じます。とても素晴らしいなあと思うのです。
「先人が蒔いた福の種が、九五年の歳月を経て、二〇〇人以上の子孫の生命を助けた。それはまさに時空を超えたロマンでもある。
今を生きる私たちは、未来へと受け継がれるであろう”福の種を蒔くような生き方”ができているのだろうか。」(p.29)
これは「海難1890」でも書いた、エルトゥールル号遭難事件とイラン・テヘラン在留邦人救出事件のことを取り上げています。
今の自分の損得とかではなく、子孫の損得を考える。佐藤一斎が言志録の中でこう言っています。「当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。 後世(こうせい)の毀誉は懼る可(べ)し。 一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。 子孫の得喪は慮る可し。」そういう生き方が、恩送りになるのだと思います。
「二〇世紀初頭、広大なユーラシア大陸で有色人種の独立国家はたった二つ、日本とタイだけで、他の広大な地域はすべて白人の植民地であり、支那大陸も英国を中心とする白人国家に植民地にされている最中だった。
そんな植民地とされていた有色人種の国は、黄色人種の小国日本が白人国家ロシアを打ち破った事に興奮し、勇気を持ったという。」(p.36)
これも歴史の一面です。たしかに第二次世界大戦まで、白人至上主義がまかり通った時代でした。白人でなければ人にあらず。そういう価値観が、白人社会にはあったのです。
その流れに一石を投じたのが日本でした。そういう一面があったことは、間違いのない事実だと思います。
「近代史最大の変化を世界にもたらした日露戦争。
なぜ日本が奇跡とも言える勝利を収めることができたのか?
それは、科学的思考を大切にし、敵にすら思いを馳せ、勇敢に戦い抜く。そんな今に続いているはずの日本人の本性がもたらした勝利ではなかろうか。
そして、信頼を重んずるという、数千年来の日本人の精神文化もまた、日本を勝利に導いた一つの力だと思える。
当時の世界中の人々の眼に映った日本人は、どの国民よりも立派だったのだ。
世界のなかの日本の信頼を一気に高め、日本を一等国、世界五大国へと導いた日露戦争。私たちが語り継がなくてはならない歴史である。」(p.58)
白人至上主義が当たり前の世界において、有色人種の国が白人の強国を戦争で破った。これが世界史のターニングポイントであることは、間違いがないと思います。
「アメリカにおける現在の日本車の優位が、先人たちのどれだけの苦労と涙の結晶であるかは想像に難くない。
ダットサン210の、これらのエピソードも大切に語り継ぐべき、私たちの歴史のひとつだといえるだろう。
当時の日本人は、日本車を単に売ろうとしたのではないとは感じないだろうか?
敗戦で失われた日本の信頼、自信、未来。
そのすべてを再度手にするための一歩を刻もうと、それぞれの立場の人間が考え、精一杯行動したと、父さんは感じる。」(p.75)
現代でこそ車と言えば日本とも言えますが、戦後はアメリカの独壇場でした。1958年にアメリカで販売されたダットサン210は、走行性能が劣り、とても売れるような車ではなかったそうです。それを日々研鑽し、技術を磨き、アメ車に負けない性能にしていったのです。
その過程では、朝エンジンがかかりにくい欠点を補うために、一晩中ロウソクの火で温めるという「早朝のエンジンスタート出張サービス」という人海戦術までやったとか。そこまでして売ったのは、儲けるためだけではなく、日本人としての誇りのようなものがあったと言うのです。
「江戸時代というのは、誠に不思議な二六五年間で、戦国時代と違って、戦のない江戸時代では、支配階層であるはずの武士は、禄高も減り節制と自制を生きる規範として、非常につつましく生きており、富は商人が蓄積し、平和の中で町人たちは文化的にも豊かになっていった。
そんな、他国ではまったく考えられない、富と支配が分離する二重構造が存在していた。
それが、江戸時代の特殊な身分制度、「士農工商」だった。」(p.81)
支配と富が分離しているというのは、本当に珍しい例だと思います。ですから日本人には、戦争で勝って収奪するという発想はなかったのだと思います。
台湾や韓国を植民地として支配したときも、教育を施し、インフラを整備し、まるで日本そのものであるかのように支配したのです。西洋諸国の植民地支配とは決定的に違っていた。その思想の元が、江戸時代の気風にあるのです。
「中毒性が極度に高く、人を廃人化させる力を持つアヘンを年間二四〇〇トン以上も輸出し、貿易収支を黒字にする。そんな、現代では考えられない国策をとる国が、一九世紀の世界にはあった。
人としての権利、自由、生命、幸福の追求が認められるのは、白人だけだった。
清国政府は、度重なる輸出の禁止要請を無視する英国に業を煮やし、英国船への臨検を断行した。
そこから始まったのがアヘン戦争だった。」(p.108)
アヘン戦争は、西洋諸国がアジアやアフリカを植民地化する過程がよくわかる例です。無理難題を押しつけ、正当な権利を主張すると難癖をつけて攻撃する。圧倒的な軍事力にものを言わせたのです。
大東亜戦争も、開戦の50年前から計画が練られていたと言います。日本を含めて有色人種は、人間として認められていなかった。それがわずか数十年前の世界だった。それが事実です。
「二一世紀になっても、どうやらその図式は変わっていないようで、他国を支配するには、まず反政府勢力に資金、武器弾薬などの軍備を提供して、内戦を起こさせている。
現在のどこの紛争地域でも同じ図式が見られ、「歴史の法則」とも呼ぶべき一つのパターンと言えるだろう。」(p.114)
明治維新の時、イギリスやフランスが軍備を提供したのも同じような意図があったからでしょう。そして現代でも、旧ソビエトの東欧やアフリカ、中東などでの内戦も、この図式が当てはまります。
「戦争に反対し、自分たちの祖先の選択を批判することは簡単だろう。
しかし、忘れてはならないのは、歴史をじっくり顧みて、過去に生きた日本人の必死さや、国の独立を守り被支配民族にならないように闘った人々の「思い」を知ることなのだ。
それは、私たちが彼らから受け取ったものの大きさを知ることにもつながる。
それを知ってこそ、私たちは、子孫に何を手渡していくべきかということに思い至るのではないだろうか。」(p.170)
日本は悪いことをしたのだから裁かれて当然だと、東京裁判史観を信じる人が少なからずいます。しかし、物事には様々な面があるのです。
この本で紹介されているパラオはもちろん、台湾など、日本の統治を喜ぶ国もあります。インドネシアやミャンマー(当時はビルマ)など、日本のお陰で独立できたと日本を称える国があることも事実です。
歴史に学ぶということは、その事実を知り、その当時の人々の様々な「思い」を知ることではないかと思います。それによって、自分の中にも日本人としてのDNAが受け継がれていることを思い、自分がどう生きるべきかを考える。そういうきっかけに、この本がなればいいなと思います。
2016年11月27日
「あたりまえ」を「感謝」に変えれば「幸せの扉」が開かれる
Facebookで友人が推奨していたので買った本です。タイトルからして、まあそうだろうなと感じました。著者は来夢(らいむ)さん。もちろんペンネームでしょう。アストロロジャーとあります。私はよく知らないのですが、おそらく占星術師のことをそう呼ぶのかと。
本の帯にはこうあります。「自分の「気」を取り戻す 小さな習慣」「今日の生き方が、明日につながっていく」私もそう思っているので、内容的には思った通りのものではないかと感じ、それで購入しました。
読んでみて思ったのですが、正直に言うとわかりにくいです。言葉がスッと入ってこないのです。とは言え、決して違和感があることが書かれているのではありません。ただ、その言葉の言わんとするところが、流れるように入ってこないのです。
これは、1文が長かったりすることや、です・ます調なのに、ところどころで体言止めすることとか、何の説明もなし唐突に書かれる表現があることなど、表現が原因ではないかと私自身は解釈しています。
とは言え、書かれていることの本質は、素晴らしいものだと思います。なので、ここでも紹介したいと思います。きっと、これが合う人もおられるでしょうから。
と言うことでさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「あなたの人生には、あなたに必要なことが起きています。
それは、あなたの人生に必要なものは、すでに用意されているということでもあります。
目の前にあること、起きていることをちゃんと見たなら、あなたにはあなたしか歩めない「道」があることに気がつけるでしょう。」(p.4)
プロローグに書かれている文章ですが、これがすべてを言い尽くしているように感じます。起こることはすべて必然で無駄がない。それがわかれば、抗うこともなく、他人の真似をする必要もありません。安心して、自分の道を歩めば良いのです。
「男が稼いで女を食べさせる時代なんて、とっくに崩壊しています。
たとえ他人から後ろ指をさされるような人でも、愛してしまったらどうしようもない。他人がとやかく言うようなことではないわけです。
いまは、「これでいい」「これがいい」といった基準は、自分で決められる。「本当にそれでいいのか」という不安はあっても、それでも自分で選べる自由があるわけです。
それが、自分の活き方で行き方=生き方になっていきます。」(p.32)
常識と言われる世間の価値観、他人の価値観などは、どうでもいいのです。自分がどうしたいのか、自分がどう生きたいのか、それだけが重要なのです。
「人はそれぞれ、性分も価値観も違うから、それを認めて扱うことが大切です。それが自分としての、幸せ体質をつくっていくことにつながります。
たとえば、いくら健康を追い求めても、それを指導している先生のリズム=性分や価値観や世間一般の標準的なリズムと、自分のリズム=性分や価値観が合わなければ、バランスを崩して不健康を呼び込んでしまったりする。」(p.51)
たとえそれが師の教えだったとしても、自分の価値観と違うのであれば、自分に合わないことはあるのです。盲目的に他人に従うのではなく、自分というものを中心に持ちながら、他人の意見を参考にすることが重要なのだろうと思います。
その後で、「幸せ体質」と「不幸体質」を書き並べて比較しているところ(p.52 - 53)がありました。
・幸せ体質
「自分に起こる現象のすべては必要事項と感じる」
「素敵な人を素直に素敵と感じる」
「自分の価値観を知っていて、それでいてそれを人に強要しない」
「来るものは拒まないし、去るものも追わない」
「相手を尊重し、自分に後悔のないよう、気持ちを正直に伝える」
・不幸体質
「なんで私がこんな目に……と感じる」
「素敵な人を否定する」「妬み、やっかむ」
「その場しのぎの価値観を相手に押しつけ、他人の価値観は一切認めようとしない」
「一方的な気持ちを抱き、恨み、つらみ、または固執・執着する」
結局、他人をコントロールすることが自分の幸せに通じると信じていて、他人(あるいは環境)が自分の思い通りであることに固執していることが、不幸体質になっているように思います。幸せ体質なら、他人は他人でいていいし、自分は自分でいていいと許容できるのです。
「価値観は人それぞれだから、自分とは違う人を「すごい」と感じて見習うことも必要だけど、その先で、自分にはあてはまらないし、向いていないってわかるときが来ます。
そこで「所詮無理」って察知する気づきは敗北ではなくて、それこそが素。その経験を力とした行いは、いずれ自分だけの芯=真なる勝利へとつながっていきます。」(p.72)
ここはちょっと難しいところだと思いました。自分が何でもできるわけではないという諦めは、ある意味で敗北感と背中合わせです。それが本当に自分に合わないことなのか、それとも逃げなのか、見極めが難しいと思うのです。
けれども、自分がまったく興味がわかないことであれば、できない(やらない)ことに敗北感は感じないと思います。どこまで世間の価値観を自分が引きずっているのか、そこが見分けるポイントになると思うのです。
斎藤一人さんは、英語ができないことをまったく問題にしていません。彼は、自分には英語は必要ない、と信じているからです。もし心に不安があって、「今どき英語もできないと、困ったことになるかもしれない。」などと思っていると、なかなか思い切れないかもしれません。
「いつの時代にも、自分自身の問題を社会や親のせいにする人たちは存在しているけれど、生きている時代も親も兄弟も、当然自分が選んできているわけで、その環境でどう生きて、自分なりにどうしていくか、そのすべてが今世の自分自身の魂磨きとなるのです。」(p.80)
あまりに当然のことのように書かれているので、そういう価値観のない人には違和感を覚えるかもしれません。けれども、すべては自分(魂)が選んでいるということは、私もその通りだろうと思います。
自分が選んだ環境、自分が選んだ登場人物がいるドラマで、主人公である自分がどう生きるかを自分で決めている。それが私たちの人生ドラマだろうと思います。
「目の前に起きるすべては自分への必要事項であって、幸や不幸でくくれないってこと。
いま、一瞬起きている出来事だけで、人生は決まらない。もっと生きている自分を信頼してほしい。
自分に正直に生きるとは、自分を信頼して生きるってこと。人間は霊長類なわけで、それぞれの行く道への合図は誰にでも平等に、さまざま起きている。」(p.99)
起こることがすべて必然で無駄がないのだから、それを信頼することが重要です。あの人は導かれても自分は導かれないなどということはないのですから、自分の導きを信じていればいいのですね。
著者は星占いによるセッションをされているようですが、この本は、よくある星占いの解説本ではありません。星占いも導きの1つに過ぎないという視点から、私たちの生の本質を語っているように思います。
全体的にまとまりがないというか、話があっちこっち飛んでいる印象があります。ただそれも、著者の自由な感性の成せる技かもしれません。数多くのセッションで実績を残している方ですし、書かれている本質的なことは、私も共感します。
2016年11月28日
おいべっさんと不思議な母子
何とも不思議なタイトルの本を読みました。喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの小説です。
この本は、すでにKindle版で読んだ小説です。ですが、私がよく行くサロン・オ・デュ・タンさんの「サロン文庫」に喜多川泰さんの本をすべて揃えたくて、これまでの本もすべて買い揃えた中の1冊です。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介・・・と言いたいところですが、やはりこれは小説ですからね。あまりネタバレ的なことも書けません。簡単にあらすじと、私が感動した部分を紹介しましょう。
主人公は日高博史。小学校の教師です。中学生の娘、七海と母親と暮らしています。6年生の担任として始まった新学期、不思議な少年が転校してきます。
少年の名は石破寅之助。まるで江戸時代から抜け出してきたかのような風貌と物言いは、クラスの中で浮いてしまいます。
さっそく始まった寅之助へのいじめ。しかし、そこから物語は大きく展開していくのです。石破母子の登場は、日高に教師という仕事そのものについて、深く考えさせることになります。忘れていた重要なことを思い出させたのです。
そして、娘の七海にも事件が起こります。七海が友人と一緒に交通事故を引き起こすのです。
娘の友人の母親は、日高にとって要注意人物のクレーマーです。息子が日高のクラスにいて、クラスの中心人物であり、またいじめっ子でもあったのです。
これらの話がすべて絡み合って、思わぬ方向に展開していきます。さて結末は? それは小説を読んでのお楽しみ、としておきましょう。
寅之助の母親は、日高にこんなことを言いました。
「身体を張ってでも正義を通すべきときに、ケガすることを恐れて、無関心を装い逃げるような大人になってもらっては困ります」(p.132)
それが子育ての信条であったのでしょう。この言葉が日高の中にある思いを刺激し、生き方を見直すきっかけとなるのです。
失敗を恐れて挑戦しなくなる。それでは何のための学校か? 教育とは、子育てとは、子どもが学んで自立し、自分で生き方を決められるようにすることではないのか?
一方で七海は、友だちにずるずると引きずられて、道を外れてしまいそうになります。そんなとき、自分が原因で事故が起こります。
しかし、その事故によって、七海も大切なことに気付かされます。
「でも、あなたは運がいいわ。やっちゃいけないことをしているなぁって思っていたその日のうちに、すぐ自分のやったことを後悔するような事故に遭ったでしょう。」(p.152)
失敗は恥ずかしいことでも、やり直せない過ちでもないのです。失敗したと感じるから、私たちは生き方を問い直すことができます。そのチャンスが与えられているのです。
しかし、昔の、たとえば江戸時代の教育が素晴らしくて、現代がダメというわけではありません。
昔は、恥を受けるくらいなら死ぬべきだと教えました。でも現代は、仮に恥を受けたとしても生き延びるべきだと教えます。なぜなら、その恥によって大きく成長し、人々を助ける何かを生み出すかもしれないから。それは、何歳になればできることなのか、誰にもわからないのです。
「その奇跡のような瞬間は、若いうちに訪れなくても、六十を超えてからやってくる可能性すらあるんですよね。」(p.185)
人は誰でも失敗します。大人になっても失敗します。失敗しなければ、成長しないからです。人は、永遠に成長し続けるものなのです。ですから、永遠に失敗し続ける存在なのだと思います。
親だって、最初から子育ての名人ではありません。生まれて初めて子育てに挑戦したのです。失敗して当然ではありませんか。
これで良いのかと、育て方に不安になるでしょう。だって知らないのですから。
「不安は習慣になって、そのうち、お母さんは子どもの『できないこと探し』の名人になるの。
ほかの子はできるけど、自分の子はできないことを探す名人ね。」(p.215)
子どもを愛するあまり、不安になってしまう。不安なあまり、子どもを信じられなくなる。それが親なのです。
けれども、人は失敗することで成長します。失敗が許されないと、挑戦をしなくなるのです。
「子どもに、どんな困難も乗り越えさせる力を、身につけさせてあげなければ、かわいそうよ。」(p.219)
「子どもの失敗は、あなたの責任じゃないのよ。子どもにとっての失敗は、大切な学びなのよ。今よりも、もっと幸せになるための学び。それを奪ったらかわいそうよ。」(p.219)
失敗は間違いではなく、学びのチャンスです。失敗を許されないことこそ間違いなのです。子どもの失敗を許容することが、親としての重要な学びなのかもしれません。
「おいべっさん」は、街中にある寂れた恵比寿神社です。そこから始まった物語は、時代を超えて私たちに何かを伝えようとしています。
この小説を読んで、私は両親の気持ちに思いを馳せてみました。子どものころ、気管支喘息や副鼻腔炎(蓄膿症に近いもの)、腎盂炎などを患った私を、両親はどれほど心配したことでしょう。夜尿症も小学校の間ずっとだったし、中学生になっても失敗したことがあります。そんな私を見ながら、時に親は、自分自身を責めたのかもしれないと思いました。
今でこそ、まるで独りで大きくなったかのような顔をしている私ですが、きっとたくさんの両親の思いがあったはずです。そのことを思った時、不覚にも嗚咽を漏らしてしまいました。時を重ねたたくさんの愛が、そこにあったと気付いたからです。
これは、たかが小説かもしれません。けれども、大切なことに気づかせてくれる物語だと思います。ぜひ、多くの人に読んでもらいたいなあと思いました。
2016年11月29日
「福」に憑かれた男
また喜多川泰(きたがわ・やすし)さんの本を読みました。
これはすでにブログで紹介している本ですが、「手紙屋」のタイトルで記事を書いたため、見逃していました。それでまた読んでしまったのですが、読んで正解だと思いましたよ。仕事とはいったい何なのかを、改めて考え直すきっかけになりましたから。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介・・・と言いたいところですが、これも小説なのでネタバレしないように、少しのあらすじと感動したポイントのみ紹介します。
主人公は秀三という本屋の主です。父親が亡くなったため、あとを継ぐことになりました。
最初は、あんな本屋にしようという夢のようなものもありましたが、厳しい現実に直面し、だんだんとその気力もなくなっていきます。
しかし秀三には、あるものが憑いていたのです。それは福の神です。どうして、そんな上手く行っていない秀三に福の神が憑いているのか? どうして福の神は助けてくれないのか?
そこに、福の神の福の神たるゆえんがあるのです。
「多くの人間は、僕たちが幸せそのものを運んでくれると勘違いしている。
でも、幸せとはあくまでもその人自身が手に入れるもの。自分でできることなのに人にやってもらおうって考え方では幸せになることなんてできないということは、考えれば分かることだ。……って先輩の福の神が言っていたから、きっとそうなのだろう。」(p.20)
幸せは、何かを得たからとか、何かになれたからという理由で、手に入るものではないのですね。ただ自分が幸せになればいい。今が幸せだと気づけばいい。それだけのことなのです。
「彼を信じるんだ。人間は俺たちがビックリするほど成長する生き物なんだよ。何かのきっかけさえあれば、それこそ一瞬でまったくの別人になってしまうほどにね」(p.29)
福の神は、幸せな結果を運んでくるのではありません。ただ幸せになるきっかけを与えるだけです。ですから、人間の成長を信じることが重要だと言うのですね。
これって、子育て中の親とか、教師にも言えることですよね。そして部下を育てる上司にも。けっきょく、相手を信じるってことが重要なのだろうと思います。
多くの人は、「優しい人」になりたいと思うでしょう。そして、優しい人になるためには、優しくされるという経験が必要です。無条件に愛されることによって、無条件に愛することを学ぶのです。
しかし、これだけでは十分ではないと言います。優しくされるのではなく、冷たくされるという経験が必要なのです。
「痛みを経験したことがない人に、他人の痛みを理解することはできません。本当に優しい人というのは多くの痛みを経験した人でなければ、なるのは難しいのです。」(p.37)
福の神が憑いているからといって、必ずしもラッキーな出来事ばかりが起こるわけではないのですね。私たちが成長するためには、痛みや悲しみも経験する必要がある。ですから、そういう出来事も引き寄せられるのです。
「すべての人間は、自分の掲げた夢に向かって前進しようとするとき、その夢を実現するに足りる勇気があるかどうかを試されるようになっています。」(p.74)
何かに挑戦しようとする時、大きく成長しようとする時、重要なのは変わることへの勇気です。過去を捨てて、新たな段階に踏み込みます。バンジージャンプをするのです。
ですから、挑戦する勇気を与えてくれる人との出会いこそ、福の神のプロデュースなのです。
「何はなくとも「今、幸せだ!」「僕の人生は成功している!」ってことに今すぐ気づくことができれば、一生幸せで、成功した人生が約束されます。」(p.86)
今がどうかは関係ないし、起こる出来事も関係ない。今のままで十分に幸せだと気づきさえすれば、将来もまた幸せでいられるのですね。
「多くの人は幸福の基準を自分の中に置くのではなく、他の人との比較に置いている。でも、これでは、絶対に幸せな人間にはなれない。」(p.96 - 97)
自分の給料が30万円の時、同期の誰かが40万円もらっていたら不満がでます。でも、同期のみんなが25万円のとき、自分が30万円もらっていたら、豊かな気持ちになります。これが、他人との比較に基準を置く考え方です。
これは、他人とだけでなく、自分の中でも同じです。昨年の給料が25万円だったら、今年から30万円なら大喜びでしょう。でも、昨年が35万円もらっていたら・・・。
今の状況は同じなのに、心の状態には雲泥の差がありますよね。そこにポイントがあるのです。
「おまえさんが考えなければならないのは、どうやってお金を儲けるかではない。どうしてお金を儲けなければならないかなんじゃよ」(p.109)
お金儲けが目的になった時、仮に目標を達成したとしても、必ず不安がつきまとうと言います。将来、同じように儲けられるかどうかが心配になるからです。
これは、結果に執着する生き方です。しかし本当は、目的はお金という結果ではなく、「何のために」という動機であり、その行動なのです。
その動機を目的としたとき、いくら儲けようと関係なく、不安からも解き放たれると言うのです。
あとがきで喜多川さんは、こんなふうに言われます。
「でも人生は不思議なもので、これ以上ないほどの危機的状況こそが、後から考えてみれば、自分の人生にとって、なくてはならない貴重な経験になるということを、誰もが経験から知っています。」(p.178)
あとになってみれば、悲しかったことも辛かったことも、それが良い思い出となります。そのように生きていれば。
そして、それこそが福の神の働きなのです。けっきょく、人はみな福の神に憑かれているのかもしれません。だから、すべて上手く行くのです。
この本をすでに読んだことをすっかり忘れていたのですが、読み始めてから「読んだことがある気がする」と思い始めました。
しかし、以前に読んだときとはまた違う感慨があります。それは、私が失業という経験をしたことと無関係ではないと思います。
喜多川さんの本は、本当にいろいろな気づきを与えてくれますね。この本もまたサロン文庫に寄贈したいと思います。大勢の人に勇気を与える1冊となることを願っています。
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