2016年10月03日
感動する!日本史
白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの小冊子「博多の歴女 白駒妃登美講演録」を読んで感動したので、白駒さんの本を4冊まとめて買いました。これはその中の1冊で、文庫本です。
サブタイトルに「日本人は逆境をどう生きたか」とあり、逆境に直面した時の生き方をテーマに、19人の人物を取り上げています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
本当は19人のエピソードそれぞれに取り上げたいところがあったのですが、それではあまりに長くなりすぎます。なので、その中から本当に一部だけをここで紹介します。
「愛する息子のために、自らが悪者になることを選ぶ……そんな危機の乗り越え方もあるんですね。」(p.40)
豊臣秀吉の片腕としてその才能を発揮した黒田如水(官兵衛)の晩年です。急に愚痴っぽくなり、人が変わったように短気になって、家臣を怒鳴り散らすようになったそうです。
それを聞いた息子が如水をたしなめようとすると、如水はこう言ったそうです。
「お前のためにやっているということが、なぜわからぬ!?」(p.38)
偉大な如水には心服していても、息子に対して信頼しているとは言えない家臣の心を息子に向かわせるために、如水はあえて嫌われる役を演じたというわけです。
自分がどう思われるかよりも、もっと大事なもののために行動する。それが如水の生き様でした。
「日本一小さい銀行からはじまり、どんな災害や金融危機をも乗り越えてきたスルガ銀行。その軌跡の歴史は、嵐によって打ちのめされたふるさとのために立ち上がった、一人の青年の思いからはじまりました。」(p.69)
スルガ銀行の設立に、こういう話があったとは知りませんでした。創設者は岡野喜太郎。駿河地方を襲った台風によって農作物は甚大な被害を受けます。そして全国的な経済不況。そのとき20歳の岡野は、教師になる道をあきらめ、農村のリーダーとなったのです。
22歳の時に貯蓄組合を設立し、庶民のための銀行のさきがけとなりました。
金融危機や関東大震災など、様々な試練が銀行を襲います。しかし岡野は、庶民のための銀行という立場を忘れずに、その志を貫き通したのです。
東日本大震災の時、台湾からは圧倒的な義援金と支援物資が送られてきました。それは台湾の人々が、ある日本人から受けた恩を忘れなかったからだと言います。
その人は八田與一。烏山頭ダムと嘉南平原に広がる用水路を作る一大プロジェクトのリーダーです。この事業によってその一帯は一大穀倉地帯に生まれ変わりました。それが台湾の経済を改善させ、先進国になる道筋を作ったと言われます。
「彼の考えは、常識とは真逆でした。
「仕事ができる人なら、解雇されても、すぐに再就職できるだろうが、そうでない者は、失業してしまい、本人も家族も生活ができなくなるのではないか」」(p.86)
一時的に事業を縮小しなければならなくなったとき、有能な人から優先的にリストラしたのです。それは、すべての関係者の幸せを優先したからです。
大震災の翌年、追悼式典に訪れた台湾の代表を、日本政府は一般席に案内しました。中国に遠慮して、国や国家機関の代表者として扱わなかったのです。
台湾の代表は、どれだけ残念な思いをしたことでしょう。しかし、恨み言を1つも言わず、こう言ったそうです。
「「日本に対する台湾の支援は、感謝されたいという気持ちでなく、真の思いやりに基づいた行動です。台日関係は、一本の花束などで表せるものではありません」
台湾と日本は、それほど深い信頼と尊敬と感謝で結ばれているということを、表現してくださったのでしょう。」(p.94)
台湾の発展のために尽くした日本人がいたから、このような関係を築くことができました。少々のことでは壊れることのない関係を作るには、真心を持って相手に尽くすことが重要なのだと思います。
戦国時代に、連戦連勝と言われる武将は数多くいました。織田信長などもそうですが、それでもせいぜい勝率7割程度だったとか。その中にあって、本当に不敗神話を持っている武将がいました。立花宗茂です。
私は、立花宗茂という名前を聞いたことがありません。朝鮮出兵の時も、小西行長や加藤清正らのピンチを救った武将なのだそうです。そして彼のモットーは、利害ではなく義によって動くということでした。
関が原の合戦には間に合いませんでしたが、西軍についたのは秀吉から受けた恩を感じていたからです。国の民から慕われながら、戦火に巻き込みたくないという理由で、城を明け渡して浪人となります。そして20年の歳月を経て、家康から認められて復帰します。元の領地を治めることができた西軍の武将は、彼だけだったそうです。
この立花宗茂の話を白駒さんが小学生に対してしたとき、理解してくれるだろうかという不安があったそうです。しかしその感想文を読んで、白駒さんは思いが伝わるのだと実感されたのだとか。
「私は今まで、損か得かを考えて行動を決めてきました。でも、白駒先生の話を聞いて、変わろうと思いました。これからは、得な方を選ぶのではなく、どちらを選べば自分が胸を張っていられるかを考えようと思います」(p.138 - 139)
道徳という授業があるそうですが、そういう授業が必要なのかと疑いたくなります。それよりも、生きた日本史を伝えれば、それだけでいいのではないかと。どういう生き方が美しいのか、子どもたちは理解できるのですから。
この他にも、たくさんの美しい生き方を貫いた人々が存在しました。その歴史を掘り起こし、明らかにすることによって、私たちは多くを学べるように思います。
日本人は捨てたものではありません。いや、それどころか素晴らしい存在です。私たちは、そういう日本人の一人であることを、心に刻むべきだと思います。
2016年10月05日
人生に悩んだら「日本史」に聞こう
白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんのデビュー作を文庫本で読みました。ひすいこたろうさんとの共著になっています。
前回の「感動する!日本史」に続いて、白駒さんのことが気に入って4冊買った本の2冊目になります。
ひすいさんとの共著となっていますが、これはひすいさんのネームバリューを使って白駒さんを売り出そうとしたためでしょう。特にひすいさんのコラムがなくても、白駒さんの話だけで充分に楽しめるものになっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただこれも、29のトピックをバラバラに紹介しているスタイルなので、その良いところをすべて引用することはできません。一部に絞って紹介しますね。
「日本史を見つめ直したときに、「おかげさま」の精神を持つ日本人の感性に合っているのは、「天命追求型」だと思ったのです。まわりから応援されて運ばれていく、天命追求型こそ日本人の生き方、日本人の夢の叶え方なのではないかと。」(p.23 - 24)
豊臣秀吉を例に、最初から天下取りを願ったのではなく、その時その時で自分の最善を尽くそうとした結果、天下取りをしたのだと白駒さんは言います。ですから、無理に目標を立てて邁進するのではなく、今目の前のことに精魂込めるだけでいいのだと。
幕末、黒船の来航に多くの日本人が驚きました。しかし、そんな中にあって、黒船を造ろうと考えた人たちもいました。薩摩藩、備前佐賀藩、そして伊予宇和島藩です。洋学が盛んで殖産興業が進んでいた薩摩藩や佐賀藩は、まだ現実的な判断だと言えるでしょう。しかし宇和島藩は10万石の小藩で、なんのインフラもありませんでした。
「このプロジェクトの主役に抜擢されたのは、嘉蔵(かぞう)というちょうちん張りの職人でした。なぜ、黒船を造るのに、ちょうちん張り?
当時の下級武士の中には、傘張りの内職をする者が少なくありませんでした。ピシとした竹に紙を張るだけでも難しいのに、グニャグニャしたちょうちんに器用に紙を貼っていく嘉蔵。「アイツは器用だから、なんとかしてくれるんじゃないか!」という発想です。
なんて無茶な発想でしょう! ちなみに宇和島藩では、汽罐(かま)を「器用な」嘉蔵に委ね、船体づくりは、「オランダ語の達人だから」という理由で、長州(現在の山口県)生まれの医師・村田蔵六(後の大村益次郎)に命じました。私たちなら思わず「ムリ〜」と言ってしまいそうですが、当時の日本人は「はい」か「喜んで」と答えるしかなかったんですね(笑)。」(p.42 - 43)
それにしても何という無茶ブリ。畑違いもいいところです。それでも引き受けて、何とかしようと努力したのですね。
ちなみに嘉蔵は、黒船を見たことがありませんでした。ですから、黒船を見に行くことからスタートしたのです。
その結果、薩摩藩や佐賀藩には遅れたものの、宇和島藩も黒船を自前で建造しました。嘉蔵自身が描いたわけではない黒船建造という夢を、全身全霊を込めて追い求めたのです。
江戸しぐさに、足を踏まれた方が謝る「うかつあやまり」と呼ばれる作法があるそうです。
「足を踏まれたほうが謝る。これって、「正しい」か「正しくない」かで考えたら、たぶん正しくないでしょう。でも、正しい、正しくないって、時代や地域、文化によっても大きく違うんです。」(p.77)
私たちはつい、正義の剣で他人を切りまくってしまいがちです。しかし、正しさというものは、地域や時代によってまったく違っています。ですから、正しさという物差しで判断するのは、良くないのではないかと白駒さんは言います。
「乗り合い船が混んできたら、江戸っ子たちは握りこぶしひとつ分ぐらい腰を浮かせて、さりげなく席をつめていきます。これは”こぶし腰浮かせ”。広い場所をわがもの顔で独占するのは野暮ですが、これ見よがしに席を譲るのも野暮なんです。相手に心の負担を感じさせずに思いやるのが、粋というものです。」(p.84)
白駒さんは、「粋」かどうかで判断することを勧めています。私は「美しい」かどうかを判断基準にしていますが、通じるものがあると感じました。要は、それが「自分らしい」と感じるかどうかです。
「田地田畑を買いこんでも、うちの場合は人まかせにしてただ寝かせておくだけでっしょ。それではお金に申しわけなかと思うとよ。そんなお金があれば、うちはこれと見込んだ人たちに使(つこ)うてみたか。その人たちがうちのお金で、何か、うちにできん仕事ばしてくれる。それを思うと楽しかとよ。だいいち世間さまへの恩返しにもなるでっしょ」(p.103)
幕末の志士たちを金銭的にバックアップした豪商たちの1人、大浦慶という女性の言葉です。彼女は長崎で日本茶の輸出をして、莫大な儲けを得ていたようです。
このような豪商が多数いて、中には使いすぎて破産してしまった豪商もいたようです。しかし、それを恨むこともせず、ただ自分が助けたいから助けたという気概を持っていました。なんと粋な人々なのでしょう。
「かくも単純で、あたかも己れ自身が花であるかのごとく自然のなかに生きるこれらの日本人がわれわれに教えてくれることこそ、もうほとんど新しい宗教ではあるまいか」(p.210)
これは画家のファン・ゴッホの言葉だそうです。このように、日本人を高く評価する人が多数います。
「日本人は貧しい。しかし高貴だ。世界でただ一つ、どうしても生き残ってほしい民族を挙げるとしたら、それは日本人だ」(p.224)
大正から昭和にかけて駐日フランス大使だった詩人のクローデルの言葉だそうです。そこまで惚れ込んでしまう魅力が、日本人にはあるのです。
日本の歴史を見てみると、日本人の美しさに満ちあふれています。自分の損得ではなく、他の人のことを考えて行動する。ときにはそこに命を懸ける。しかも、それをさらりとやってのける。
白駒さんはそういう日本人の生き方を、「粋」という言葉で示されました。まさに、その通りだと思います。
そしてその粋な日本人のDNAが、現代の私たちにも流れています。世界を変えていくのは、日本人のDNAを持った私たちだと思うのです。
2016年10月10日
真経営学読本
福島正伸さんの本を読みました。漢字ばかりの難しそうなタイトルですが、中身は意外とわかりやすいものです。「福島正伸の集大成!」と帯にあるように、福島さんの理論のすべてが含まれています。
この本は、その前に限定1000部で発売されたCD(全8巻)の内容を起こしたものです。CDはたしか、5万円くらいしたと思います。もちろん、私はそれを買いました。そして何度も聞きました。今回は、この内容を多くの人に伝えたくて、本を買ったのです。
福島さんがCDに自分の声で「真経営学」を吹き込まれたのは、ご自身がガンになられた体験があったからです。もう自分の声で語ることができなくなるかもしれないという不安の中、自分の集大成として音声を残されたかったそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「大事なことは、「やりたいか、やりたくないか」だけで選び、一度やると決めたことは、何があっても、決して諦めずにやり通すことです。これを最初のポリシーにしました。「成功するか、しないか」は選べませんが、「やめるか、やめないか」は選ぶことができます。そして、やめないと決めれば成功しかないのです。」(p.16)
成功の秘訣は、「始めること」と「続けること」の2つしかないと、多くの人が言っています。福島さんも、成功は意思の問題だと言われています。
「しかし、「決して諦めない、すべてから学び、成長するんだ」と決めると、不思議なことに、批判的な人の話がまったく違って聞こえてきたのです。人から言われることはすべて、糧にすればいいだけだったのです。」(p.27 - 28)
諦めないと決めれば、批判の声さえ学びになると言います。つまり、他の人がどう言うかが問題なのではなく、自分がどう考えるかだけが重要なのです。
「実は、ここにポイントがあったのです。それは、「相手の想像を超えた時、相手が変わる」ということです。諦めることなく挑戦し続け、相手が「まさかここまで」と言ってくれた時に、相手は変わるのです。
この瞬間、私の中にはすごい経営資源があることがわかりました。それは「努力」です。「努力」という無限の経営資源を使えばいいのです。相手の想像を超える努力をすれば、批判的だった人でさえ、逆に支援者になってくれるのです。」(p.31)
諦めることなく努力を重ね、他の人が「そこまでやるのか」と驚くほど続けさえすれば、批判者でも支援者に変わると言います。たしかに、感動を生むものは、想像を超えた行為なのでしょう。
「仕事は、生活のためでもありますが、本当は、人を幸せにするためのものだと思います。どのような意識や姿勢で仕事に取り組むのかによって、次の仕事が来るかどうかが決まります。人を幸せにしようと取り組んでいけば、幸せになった人が次の仕事をつくってくださいます。仕事は、繰り返していくことで、新たなつながりを生み、どんどんつながっていくものです。それは、周りの人たちの笑顔や幸せにもつながっていきます。家族の幸せにもつながっていきます。これこそが、仕事の素晴らしさではないかと思うのです。」(p.78)
何のために仕事をするのか?昔から問われる命題です。福島さんは、お金(=生活のため)はついてくるものであって、それよりも「人を幸せにする」ことが優先されると言われます。
しかし、どんなことでも常に順風満帆とはいきません。何かしらの障害に出くわすものです。それを足が速い「困難君」と、足が遅くて困難君の後ろに隠れている「感動君」の話で説明します。
「物事が、すべて順風満帆にうまくいっている時は、なかなか感動を味わうことができません。感動は、壁や問題を乗り越えていった先にあるものだからです。
ですから、困難が大きい時は、「もうダメだ…」とガッカリするのではなく、「うわあー、大きな感動君が待っているんだ!」とワクワクしてもいいと思います。」(p.81)
感動君は、ペアの困難君の大きさに比例して大きくなるのですね。ですから、壁が高ければ高いほど、乗り越えた時の感動が大きくなるのです。
「安楽の欲求は、それ自体、決して悪いことではありません。しかし、楽であれば幸せなのか、生きている実感があるのかというと、残念ながらそうではありません。楽なだけだと、どこかつまらなく、やりがいがなく、生きがいもありません。
もう一つの欲求は、充実感を求める「充実の欲求」です。私は、日々の充実感を「生きがい」と呼び、大きな充実感を「感動」と呼んでいます。」(p.122)
人には「安楽の欲求」と「充実の欲求」という相反する欲求があると言います。この「充実の欲求」を意識して求めることによって、生きがいや感動のある人生が送れるのです。
「私たちは、自分自身に原因を見いだすことで、自分がどうしたらいいのかがわかり、どのように問題を解決したらいいのかも見えてきます。それによって、自分の「出番」をつくることができるのです。」(p.161)
他人や環境のせいにして、愚痴や不満を漏らしていても、何も解決することができません。それよりも、すべて自分に責任があると決めることで、自分の出番ができるのです。
「私は、人間関係においては、一つの大きな法則があると思っています。それは、「自分が相手にしたことが自分に返ってくる」という法則です。これは、「ミラー効果」とか「鏡の法則」などとも言われています。つまり、過去、自分が周りの人たちに、どのようにかかわって、どのようなことをしてきたかが、全部自分に返ってくるのです。」(p.171)
バシャールも、この世の法則は1つで、「与えたものが返ってくる」と言っています。経営学も突き詰めれば、スピリチュアルと一致してくるのですね。
「ところが、問題をプラス受信で捉えれば、「問題」は「チャンス」になり、そこに自分が活躍できる舞台を見つけることができるのです。それができれば、前にお話した「自己責任」の姿勢になり、自分から行動して解決していくことができるようになると思います。
ですから、最初に「ピンチと捉えるのかチャンスと捉えるのか」がとても大事になるのです。それによって、依存型の姿勢になってしまうのか、自立型の姿勢になれるのかが決まります。」(p.180)
福島さんの会社では、問題が発生すると「チャーンス!」と叫ぶのだそうです。まず先にチャンスだと決めてしまう。理由は後から考えればよい。それによって、自立型の姿勢をつくっていくのです。
「事業をするにあたって、優先すべき判断基準は、そこにマーケットがあるかないかではなく、その事業を「自分の使命」や「自分の役割」と感じるかどうかです。」(p.210)
儲かるかどうかが重要なのではなく、自分がやるべきことなのかどうかが重要なのです。追求するのは、「自分らしい」かどうかなのですね。
前に読んだ「メンタリング・マネジメント」にもありましたが、メンターは「見本」「信頼」「支援」の3つを使って人を育てると言います。
「メンターが尊敬される「見本」を示すためには、常に、尊敬される人を目指して、努力していくしかありません。自律型人材を育てたければ、まず自分自身が自律型人材になって、「見本」を示すしかないのです。」(p.276)
「人は、自分を信用し、受け入れてくれた人の話しか聞こうとしません。ですから、相手に自分の話を聞いてもらいたければ、まず、相手を「信頼」し、受け入れて、話をよく聞くことです。メンターは、どのような相手でも、相手を「信頼」する勇気を持つことが大切です。」(p.277)
どんな相手であっても、まず相手を信頼する勇気が必要というくだりは、アドラー心理学を思い出します。
「人は誰しも一生懸命に生きています。みんな理由を持って、今、ここにいます。このことを踏まえて、人を受け入れる勇気を持つことこそが、「信頼」なのではないかと思うのです。」(p.297)
どんな人も、その人の価値観において間違ったことはしません。みんな必死で生きています。そのことをまず認める。そういう深い愛に基づいて、相手のすべてを受け入れることなのです。
「社会を、子どもたちの夢であふれたものにできるのは、大人たちです。大人たちが、自分たちの仕事に誇りを持ち、生き生きと仕事をすることが、子どもたちに夢を与えることになるのだと思うのです。」(p.315)
大人は子どものメンターにならないといけないのですね。子育てとは、親が「見本」を示し、子どもを丸ごと「信頼」し、一歩を踏み出せるように「支援」すること。部下育ても子育ても同じなのです。
この本は経営学の本ですが、生き方の本でもあると思います。生きるとは、人と人との関係をどうするかが重要です。ですから、人間関係の本でもあると思うのです。そこで重要なのは、まず自分がどういう姿勢で生きるかということ。
経営は関係ないと思う方にも、この本はぜひお勧めしたいと思います。
福島正伸
福島正伸(ふくしま・まさのぶ)さんのことを知ったのはいつだったか、はっきり覚えていません。おそらく誰かが、福島さんのことを師と仰いでおられて、それで知ったのだと思います。
ただ、その前から福島さんの本を読んでいたように思います。福島さんを知ってから買って読んだ物語に、何となく読んだ覚えがあったからです。
福島さんを師と仰ぐ方は大変多く、びっくりするほどです。私も昨年、福島さんに会いたくて東京のセミナーに参加しました。細くて背が低くて、見た目はパッとしない感じもしますが、スーツをビシっと着て背筋をピンと伸ばした姿は、とてもエネルギッシュに感じました。
そして何より、オープンマインドで受け入れてもらえる感じで、懐かしささえ覚えました。
そんな福島さんがガンを患っておられたことは、真経営学のCDを購入するときに初めて知りました。ガンは克服されたようですが、相当な痛みに耐えられたようです。
福島さんの経営学は、単に経営だけの話ではなく、生き方に通じている本質的なものだと思います。部下育ては子育てに通じています。同僚や上司との関係は、すべての人間関係につながっています。
ですから、福島さんが提唱されている新経営学は、そのまま人生学になっていると思うのです。
◆福島正伸さんの本
・「まわりの人を幸せにする55の物語」
・「どん底から最高の仕事を手に入れるたった1つの習慣」
・「夢が現実に変わる言葉」
・「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」
・「僕に働く意味を教えてくれた29通の手紙」
・「理想の会社」
・「夢を叶える」
・「メンタリング・マネジメント」
・「真経営学読本」
・「心で勝つプレゼン」
福島さんの本には、小説(物語)とビジネス書の2種類があります。どちらも大変読みやすく、わかりやすく書かれています。
「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」は、福島さんが実際に体験されたもののようです。他の本の中でも、この話のエピソードが語られていますから。こんな風に働いたら、さぞかし楽しいだろうなと思います。
まずはどれでも気になるものを1冊、読んでみられてはどうでしょうか。
※参考:「すべては考え方次第」
ただ、その前から福島さんの本を読んでいたように思います。福島さんを知ってから買って読んだ物語に、何となく読んだ覚えがあったからです。
福島さんを師と仰ぐ方は大変多く、びっくりするほどです。私も昨年、福島さんに会いたくて東京のセミナーに参加しました。細くて背が低くて、見た目はパッとしない感じもしますが、スーツをビシっと着て背筋をピンと伸ばした姿は、とてもエネルギッシュに感じました。
そして何より、オープンマインドで受け入れてもらえる感じで、懐かしささえ覚えました。
そんな福島さんがガンを患っておられたことは、真経営学のCDを購入するときに初めて知りました。ガンは克服されたようですが、相当な痛みに耐えられたようです。
福島さんの経営学は、単に経営だけの話ではなく、生き方に通じている本質的なものだと思います。部下育ては子育てに通じています。同僚や上司との関係は、すべての人間関係につながっています。
ですから、福島さんが提唱されている新経営学は、そのまま人生学になっていると思うのです。
◆福島正伸さんの本
・「まわりの人を幸せにする55の物語」
・「どん底から最高の仕事を手に入れるたった1つの習慣」
・「夢が現実に変わる言葉」
・「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」
・「僕に働く意味を教えてくれた29通の手紙」
・「理想の会社」
・「夢を叶える」
・「メンタリング・マネジメント」
・「真経営学読本」
・「心で勝つプレゼン」
福島さんの本には、小説(物語)とビジネス書の2種類があります。どちらも大変読みやすく、わかりやすく書かれています。
「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」は、福島さんが実際に体験されたもののようです。他の本の中でも、この話のエピソードが語られていますから。こんな風に働いたら、さぞかし楽しいだろうなと思います。
まずはどれでも気になるものを1冊、読んでみられてはどうでしょうか。
※参考:「すべては考え方次第」
2016年10月13日
「出雲の神さま」にまかせなさい
何かの紹介で気になって買った本です。著者は清水義久(しみず・よしひさ)氏。気功の大家のようです。
それがどうして「出雲の神さま」なのか、そのへんの理由はよくわかりません。どうやってそれを発見したのかも不明です。ただ、清水氏は気がわかるということで、この方法が間違いないと確信されたようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「この本を読むことで、あなたも、
「願い事が次々叶っていく、都合のよい世界」
を引き寄せることができるようになります。
そんな素晴らしい世界の実現に、力を貸してくださるのが、
「出雲の神さま」です。」(まえがき p.2 - 3)
つまりこの本は、自分に都合のよい出来事が次々に起こるような、引き寄せの法則を駆使する方法を示したものになります。そしてそのために、「出雲の神さま」に頼むことが有効だということですね。
「ということは、いつも「よいこと」を願っていれば、明るさや楽しさといった情報を持つ、よい出来事が引き寄せられるということになります。
ただし、そこには「気」のエネルギーが必要で、その量が少なければ願い事は叶わないし、よい出来事も発生しにくいということがあるのです。」(p.19)
自分の「願い(思い)」が原因で、それに合う結果が現実に現れるということです。そのとき、気のエネルギーが多いか少ないかも、影響するということですね。
「ところが、私たちが望むどんな願い事の「マイ金型」も、用意してくれる存在がいるのです。
それが、出雲神の総代表・大国主(おおくにぬし)さんです。
こんなステキな計らいをしてくださるのは、八百万の神さまの中でも出雲の神さまだけ、なのですよ。」(p.81)
願いが実現するには、まず金型となる気のエネルギーが必要だと言います。しかもそれは、自分の金型、つまり「マイ金型」でなければ、自分の願いが実現しないのだと。
さらに、どんなマイ金型を持っているかは、最初から決まっていると言います。したがって、どんなに願ってもマイ金型を持っていなければ、それは実現しないのです。
では、持っていないマイ金型をどうすれば手に入れられるかですが、「願うこと」「できると思うこと」「保持すること」の3つのステップでそれができると言います。しかし、「願うこと」は簡単でも、「できると思うこと」や「保持すること」は難しいもの。
そこで、出雲の神さまに頼れば、持っていないマイ金型も簡単に与えてもらえるというのです。
「ですから、あなたが大国主さんに願い事を叶えてもらうための条件はただひとつ。
「笑うこと」なのです。」(p.106)
ただ「笑うこと」によって、出雲の神さまに願い事を叶えてもらえるようになるのですね。
とは言え、それで終わりではなく、そのために「浄化」と「活性化」のワークが必要だと言います。ネガティブなエネルギーを消して、よいエネルギーをチャージすることです。
「そこで、
「関係者すべてを幸せにしてください」
といって神さまに丸投げすると、神さまは関係者全員の「未来」を見たうえで、ベストアンサーをくれるわけです。
みんなの幸せを願える人は「よい人間」です。「よい人間」には神さまが共振します。そして問題や願い事を、よい現象に高めて解決してくれます。」(p.170)
たとえば不倫相手と上手くいくということを願えば、相手の奥さんを苦しめることになるかもしれません。そういう矛盾する状況で、全員の幸せを願うことがコツなのだと言うのです。
しかし、私たち人間には限界があります。あれもこれもすべてというのは無理です。3次元空間にいる限り、あっちとこっちの両方は手に入れられないからです。しかし、その限界さえ超える方法があると言います。
「「出雲の神さまをまとう」=「人間神化」。
方法はただひとつ、これしかありません。」(p.212)
出雲の神さまに包んでもらうようにして、人間としての限界を超えるのです。
この本には、ここで紹介したようなことを実践する方法が詳しく書かれています。
ただ私は、いろいろ疑問に感じざるを得ません。突然降って湧いたように「こうすべし」と言われても、それが正しいという根拠が何も書かれていないからです。
しかし、別の見方もできます。ここで言われていることは、要は上手くいくのだと信じて委ねて、自分は力を抜いてフニャッとしていることですから、これは「引き寄せの法則」を駆使するためのテクニックです。それが簡単にはできない人も、「出雲の神さま」と言われれば、何となく親しみも湧くし、信じやすいという面もあるかと思います。
まあ、こういう方法もありなのかな、と思います。これが役立つという方もおられるでしょうから、一概にダメとは言いません。それに、私の故郷は島根県ですから、出雲の神さまに親しみもありますからね。
2016年10月21日
その島のひとたちは、ひとの話をきかない
何とも面白いタイトルの本を読みました。著者は森川すいめいさん。精神科の医師だそうです。
「自殺希少地域」という、自殺者が統計的に少ない地域を訪ね歩いて、その理由を考察した本になります。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「自殺希少地域の旅中は、出会うひと出会うひとにできるだけ声をかけた。雑談をし、少し関係が深まったと感じたときにできるだけ、
「自殺で亡くなるひとが少ない地域と聞いたのだけどどうして?」
と聞くかまたは、
「生きやすい地域だと聞いたのだけどどうして?」
と聞いた。」(p.10)
このようなフィールドワークを通じて、森川さんが肌で感じたことが、この本にまとめられています。
「岡さんの、近所付き合いの意識に関する調査項目では、希少地域では、隣近所との付き合い方は「立ち話程度」「あいさつ程度」と回答するひとたちが八割を超えていて、「緊密(日常的に生活面で協力)」だと回答するひとたちは一六パーセント程度だった。一方で、自殺で亡くなるひとの多い地域は「緊密」と回答するひとが約四割だった(岡檀(おか・まゆみ)『生き心地の良い町』八四ページ)。」(p.23)
森川さんは、岡さんの自殺希少地域の研究を読んで、衝撃を受けたと言います。それで、その地域の秘密に自分で迫ろうとしたのです。
不思議な感じもしますが、意外にも希少地域の方が人間関係がドライなようにも思えますね。
「こころがどれほど傷ついているかは外からはわからない。本人はわがままでひきこもっているのではない。自分のこころをぎりぎりの形で守るためにひきこもらざるを得ないことがある。手段としてのひきこもりである。
よってその手段がダメだとの議論はしてはいけない。大切なことはこころがどうにも弱ってしまっていることを周りが理解していくことである。」(p.27)
緊密な関係があると、つい自分の価値観を押しつけがちになります。たとえば子どもが登校拒否すれば、何が何でも学校へ行かせようとする親が多いでしょう。それが、子どもの心にプレッシャーを与えるのです。
「治安の良さは町のあちこちで感じ取れる。こうした町や村を何度か旅した後でわかったことなのだが、互いによくコミュニケーションをとっている地域は治安が良い。建物の外にある敷居はいったいどういう意味があるのかわからないくらい低いし、家の鍵は基本的にあいている。」(p.32)
私の田舎も、私が子どものころは、就寝時でもないのに家に鍵をかける家はありませんでした。ほとんどが農家だったということもありますが、勝手に玄関を開けて土間に立ち入ることは、特別なことではなかったのです。
「都会育ちの私は、個人情報が保護されるとか、プライバシーが守られるとか、そういうものが生きる上で大事なことなのだと教えられてきた。しかし、こうした地域ではそんなものは無用である。もしかしたらむしろ有害であるかもしれないとも思わされる。」(p.34)
家に鍵をかけるのも、他人の侵入を容易には許さないという気持ちでしょう。そうされることへの不安が強いために、自分を防御しようとするのです。
「とにかくこの町は構造的にもひととひとの距離が近い。そしてコミュニケーションの量が多いらしい。にもかかわらず、調査の結果では互いに緊密ではないということになっている。」(p.35)
無関心ではないのです。コミュニケーションはしているのです。でも、緊密ではないと感じている。どうやらそこらへんにポイントがありそうです。
「これは旅を続けることで感じたことだが、こうした地域のひとたちは、困ったひとがいたら解決するまでかかわろうとする。困っているひとを途中で投げ出すことはしない。」(p.44 - 45)
日本人は優しいと言われますし、私たちもそう思っています。困っている人を見れば、何とか助けようとするからです。しかし、自分が助けられないとわかると、すっと消えてしまいます。できることは助けるけど、できなければ逃げるのです。
一方で自殺希少地域の人たちは、最後まで助けようとするのだと言います。自分が助けられないことなら誰かに相談し、ともかく解決するまで関わり続けるのです。
「障がいをもつひととそうでないひとを子どものころから分けると、お互いにお互いのことがよくわからなくなってしまう。どういった場面でどういった助けが必要なのか、それを自然とできるようになるためには日常の中にお互いがいなければならない。」(p.50)
私も同感です。違いがあることが見えているから、理解しようとできるのです。それが日常で接していなければ、出会った時に排除しようとします。社会全体が幸せになるには、互いの違いを見せ合わなければいけないのだと思います。
「人間関係が緊密でないこの地域は、緊密な地域よりもひととよくつながり、そこに偏見はとても少なく、そして、自殺は仕方がないことだと思わないひとが多い。」(p.54)
最後まで助けようとするから、誰かが自殺したと聞けば「相談してくれれば良かった」というように考えるのです。
「そして、これは、もう少し後の旅で気付いたことだったが、自殺で亡くなるひとの少ない地域のひとは相対的に自分の考えをもっている。自分の考えがあるゆえに他人の考えを尊重する。ひとは自分の考えをもつと知っている。
違う意見を話せる。だからある人間の側やグループにつくのではなく、どの意見かによって誰と一緒になるかが決まる。ゆえに派閥がない。」(p.82)
自分が意見を持つことを許容しているので、他人が意見を持つことも許容できるのですね。自分の意見を言えるから、人につくのではなく、考え方で共感する。だから、派閥ができないし、作ろうともしないのでしょう。
「そして自殺希少地域では、男性と女性の役割がよくわかっている。そこに優劣はないことを知っている。仕事の種類が異なったとしても互いに平等だと思っている。」(p.113)
これは、男尊女卑が強かった私の田舎には見られない傾向ですね。「女が男のことに口出しするな」という会話は、よく耳にしました。
結局、人間として互いに尊重し合い、その存在価値を認め合っているということが重要なのかなと思います。
「困っているひとがいたら考える前に助けたらいい。大切なことは自分がどうしたいかだ。」(p.138)
相手に対して異常に気を使って、「・・・しましょうか?」などと尋ねないのだそうです。自分がそうしたいのだから、「・・・しますよ。」と言って、さっさと助けてしまう。これが自殺希少地域の特徴なのだと。
相手の意向を気にしないから、断られても腹を立てたりしません。余計なお世話だと相手が腹を立てたとしても、そんな人もいるんだなくらいにしか思わないのだと。
「見返りは必要ない。困っているひとを見ると助ける。それが返ってくるとは思っていない。ただ助ける。助けっぱなし。
そして、ひとは助けられ慣れている。助けられっぱなし。
助けっぱなし、助けられっぱなし、だ。お互いさまなのである。」(p.141)
助けられることに遠慮もしないし、助けたからといって恩を着せることもない。だから自然に助け合いが行われるのです。
「ひとが多様であることを知っているから、みんなと違うものへの偏見が少ない。もう少し言うと、みんなが同じだとは思っていなくて、みんな違うと思っているから、私が精神科医という異なる存在であったとしてもあまり気にされることがない。」(p.137)
違いがあるのが当然だと思っていれば、違いを理由に悪く思うこともなければ、逆に崇め奉ることもないのです。
「「相手は変えられない、変えられるのは自分」
自殺希少地域のひとたちは、大自然との対話をよくしているようだった。厳しい自然があって、相手を変えることはできない。
よって、自分を変える。工夫する力を得る。相手の動きとよく対話をして新しい工夫をしていく。
工夫する力、工夫する習慣は、このようにして身に付き、そして他の困難に直面したときも工夫する習慣が助けになっていく。」(p.181)
厳しい自然が相手だと、自然を変えようとするようなことはせず、それを受け入れて自分がどうするかを考えます。
同じことが、人との間でも言えます。自殺希少地域の人は、人との対話も多いと言います。相手のことをよく聞き、自分がどうするかを考えるのです。
タイトルにもある「ひとの話をきかない」というのは、言いなりにならないということだと思います。相手の顔色を読んだりしない。相手の話はしっかりと聞くけれども、自分がどうするかは自分で考えて、さっさと行動してしまうのです。
この本は自殺希少地域の特徴を探ったものですが、幸せな生き方というものも、まさにその特徴に当てはまるように思いました。
2016年10月25日
カモシカ脚の子どもたち
友人が紹介していた本を読みました。著者は宮原洋一さん。フリーの写真家です。
この本は、20年余り東京の祖師谷公園を中心とした青空保育園を運営している「あおぞらえん」の取り組みを、宮原さんが取材して書かれたものです。
園舎を持たない街が園舎という変わった保育園。しかし、そこで育った子どもたちはたくましく、「生きる力」を持った子どもたちだと言います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「現代の日本では、幼児期からさまざまな「教育」が花盛りとなっているが、果たしてそれが本当に子どもたちの「生きる力」に結びついていくものなのかどうかは大変疑わしい。なぜなら、それらの多くが大人たちのつくったプログラムに従って子どもが活動させられているからである。まちがいなく言えることは、そこでは子ども自らが活動を生みだしていく主人公になっていないということである。
一方「遊び」を主体とした保育では、子どもたち自らがその活動にポジティブにかかわることになり、五感が生きいきと働くことによって身体だけでなく大脳までもが活性化する。それゆえ、「遊び」で感得したことは確実に生きる力として蓄積されていくのだ。」(p.7 - 8)
日本の教育は特に、型にはめるものになっています。大人に従わせるもので、子どもたちに自主的に何かをさせていません。多少そういうものがあっても、大人が決めた範囲内のわずかな自主性であることが多いと思います。
しかし、生きるとは自分で考えて決めることです。ですから日本の教育では、本当の意味での生きる力が育たないのだと思います。宮原さんは、遊びを主体とすることで自主性が育ち、生きる力が育まれると言います。
「本来、子どもたちにとって必要なのは、遊びをつくりだすことができる環境と材料である。既製の遊具での遊びには「飽き」があるが、自らがつくりだす「遊具」での遊びは常に新鮮だ。そこには、子どもなりのこだわりがあり、飽きればいくらでもつくり直すことができるからだ。」(p.21)
「あおぞらえん」の子どもたちは、縄跳びの長縄を木にかけてターザンごっこをしたり、ブランコをしたりするそうです。想像力を働かせて自ら遊具を作る。こういう活動によって、子どもたちはたくましく育つのですね。
「「年少」の健斗(けんと)が崖の途中で助けを求めているが、えみさんも因(もと)さんも一切無視している。一人ひとりの子どもを大切にするということは、ときには「突き放す」ことでもあるようだ。そして、自分で動きだすまでゆっくりと「待つ」らしい。」(p.27)
「あおぞらえん」では、崖登りという遊びもあります。「年長」や「年中」なら登れる崖も、「年少」にはかなり難しい。登れる子は、登れない子に指導したりもします。
大人の指導者は、差し迫った危険がない限り、子どもの自由にさせます。それは放っておくことです。そうすると子どもたちは、自分で考えて決めるしかなくなります。こうして自主性が育ちます。
「こんな発見があるのも、普段からいろいろとあたりにあるものを見ながら歩くということが習慣化しているからだ。列をつくって脇目もふらずにひたすら頂上をめざすという登り方では、仮に見つけられたとしてもそのまま通りすぎることになってしまう。それでは、事物に直接触れて学ぶという絶好の機会が失われてしまう。「あおぞらえん」の遠足ではできるかぎり自由なペースで歩くことにしているので、何かを発見したら安心してたっぷりと付き合うことができる。」(p.45)
これは、ケーブルカーを使わずに高尾山に登るというイベントでの出来事です。花やミミズなど、子どもたちは何にでも興味を持ちます。その興味を大事にして、時間通りにするとか他人に合わせるなどということは、脇に置いておくのです。
「一週間にわたる合宿だから、当然、子ども同士で葛藤が生じる。「それを克服していくことに合宿の意義がある」と、二人の保育者は口をそろえて言う。たしかに、四日目ごろから子どもたちの地と地がぶつかりあい、我慢ができなくなる。ときに、取っ組み合いのケンカにもなるが、そのあとはひと皮むけたような関係になる。」(p.73)
八ヶ岳で1週間の合宿をするのも、「あおぞらえん」の恒例のことだそうです。幼稚園児が1週間も親元を離れるということは、普通ではなかなか考えられません。けれども、そういうことも子どもが大きく成長するきっかけになるのですね。
そして、問題を起こさないことよりも、問題を起こした後の解決する力を養わせることが重要なのです。だから、滅多なことでケンカを止めたり、一方的に裁いて謝らせたりはしないようです。
「子どもの遊びの世界にはこうした理不尽なことがあり、その中で悔しさに耐えたり、闘ったりすることを身につけていく。
(中略)
こうした一見混沌とした遊びの世界で、子どもたちは理不尽なことにも耐え、それを乗り越え、時間はかかるがお互いを認めあって成長していくのだ。」(p.166 - 167)
縄跳びの長縄を最初に取った2人が、後から取ろうとした5人に奪われようとしている。そんな時でも、指導者は止めたりしないのです。
「「あおぞらえん」の子どもたちは、散歩に来るお年寄り、ランニングに来る大学生、車椅子に乗ってくる障害者、養護施設の人たちと、毎日公園に来るさまざまな人と出会っている。さらに、街へ出かけたときにもさまざまな出会いがある。いろいろな年齢層の大人たちとの出会いは、幼児のころから日々の暮らしのなかにあるのが一番いい。」(p.184)
限られた大人としか接触せず、子どもたちの中だけで育つ環境では、大人との付き合い方を学ぶことができません。幼児のころからこうして一般の大人と出会って学ぶことも、生きる力となるでしょう。
「このゆったりとした時の流れは「あおぞらえん」の日々に満ちており、「早くして」という言葉が無縁の、毎日の「儀式」である。」(p.191)
「お休み調べ」という儀式があるそうです。いわゆる出欠確認なのですが、朝、みんなが集まった時にするのではなく、遊びが一段落してからするのが特徴です。これは、その日の遊びの出鼻をくじかないためです。
そして、参加者のフルネームを読み上げるのですが、それを子どもにさせることもあるそうです。もちろん時間がかかってしまいますが、それを急かしたりしないのです。
あくまでも子どものペースに合わせるので、食事の時間も1時間以上もずれてしまうことがあります。また、遠足に行けば、帰着時間も遅くなることがあります。それでも、子どものペースを優先するのです。
こういう保育が20年以上も続いていることが驚きです。しかし、まだまだこういう保育は広まっていません。また、2人の指導員の後継者も育っていないようです。
この本を読んでみると、私もこういう保育が広まってほしいなあと思いました。そのためには指導員の育成と、親の理解が必要なのでしょうね。この本で、こういう保育の素晴らしさを理解する人が増えることを願います。
2016年10月26日
運命におまかせ
これも誰かの紹介で買った本だと思います。著者は森田健(もりた・けん)さん。私はまったく存じ上げなかったのですが、ソフト会社経営から不思議研究所を設立し、不思議なことを探求しておられるのだとか。これまでに数冊のご著書があるようです。
タイトルからして、運命に身を任せればうまくいく、という内容であることは想像できました。読んでみるとたしかにそうでしたが、わかりにくい部分も多かったように思います。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「この本はあなたにとって、不思議な本になると思います。「私は誰?」という根源的な問題を追求しているのに、いつも幸せな状態になり、さらにはお金持ちにまでなってしまう方法が書かれているからです。しかも努力というものが不要だからです。」(p.1)
こう「まえがき」にあるように、根源的な問を発するだけで、努力なしに豊かで幸せな状態になる、というのがテーマになります。
「この変化が起こった原因が何かと言えば、ただ単に問い続ける中で、人生全体のルールともいうべき、運命が決まっているという情報を知っただけです。そしてそれに対し「おまかせ」にしただけです。私は何の努力もしていません。これだけで幸せにもなり、さらにはお金持ちになれる道まで開けてしまうのです。」(p.3)
根源的な問を続けていると、「運命は決まっている」ということがわかってきて、その決まっている運命に任せることで、豊かで幸せになれると言います。
「今となって思えば、突然のインスピレーションは、私が起こしているのではなく、外側の世界からの声であり、不思議探求の成果を踏まえていうなら、「運命」からの呼びかけが起こしていると思うのです。それに乗れるか乗れないかは、その運命を信頼しているかどうかにかかっているのです。」(p.27 - 28)
「本当の幸せというのは、目隠しの状態で両手を放すことなのです。するとあなたは周りと一緒になって動いていくだけです。その状態にあなたが身をゆだねてしまえば、今まで感じたことのない世界との一体感、エクスタシーの世界が待っているはずです。」(p.28)
何かに恐れ(不安)を感じて、運命の流れに竿をさそうとする。そういう抵抗が、かえって幸せから遠ざかることになるのだと言います。
理屈ではなく、インスピレーション(直感)を信じて従う。それが一見するとバカなように思えても、あえてそうする。それは自分の理性よりも運命を信じるからできることなのです。
「でも私は物事の「原因」ではなく、私は物事の「結果」としてしか、生きて動いてはいないのです。頑張って今を変えることも、まして幸福を引き寄せることもできません。なぜならすべてが、運命で決まっていたのですから。」(p.40)
「また自分を成長させるという考え方も不要です。成長という言葉の中には、今の自分を否定する気持ちがあります。「私は結果」を受け入れれば、自己成長もしないで良いのです。今のあなたをそのまま認めれば良いし、それしかできないのです。
そうすれば、外とのつながりが見えてきます。外とのつながり、これが「運命」というものです。そして運命が決まっていたことに気がつくこと、これが本当の幸せを呼びよせてくれるのです。」(p.41)
「私」という存在は、完璧な「結果」なのだから、個の思いで変えようとする必要がない。むしろ変えようとすることで、運命の流れを阻害するというわけです。
私は「成長する」ことそのものは喜びだと思っています。おそらくここで言っているのは、無理して成長しなければと思うこと、つまり助長することが良くないのだと思います。
もう1つ、この本でよく出てくる「外とのつながり」の意味が、いまいち理解できませんでした。後で出てくる「すべてはひとつのもの」ということなのかもしれませんが、こういうわかりにくい概念が、ときどき出てきます。
「だから今の人生が悪いと嘆いて運命を変更しようとする人には、運命変更は起こらないのです。まずは今の人生を認めることなのです。」(p.104)
かなりはしょりましたが、ここまでの部分は理解しづらかったです。運命が決まっていると言いながら、運命が変わることを言われているからです。それなら、運命は決まっていない(=変更可能)だということになるではありませんか。
森田さんは、実際に運命を変える方法までこの本で言及しています。それなら、運命を受け入れることより、その運命を変える方法を実施する方が有効だということになります。このように矛盾を、読んでいて感じてしまいます。
「「真実の私」がどこかにあり、「本当に理解し合える間柄」がどこかに存在すると思うから、人間関係上の争いが起こるのです。
嘘と誤解が当然だと思えば、どういうことになるかというと、とにかく相手を肯定するしか無いのです。
相手が嘘を言っても、自分だって嘘を言うのだから仕方がありません。それを相手にだけ「嘘を言うな」では、不公平です。」(p.111)
本当の自分が何かを、実は自分自身もよくわかっていない。それに、時間が経てば、さっきまでの真実がそうではなくなる。だから、相手もそうなのだと受け入れること。
これは、自分の子どもに対しても同じで、森田家では「以前××と言ったでしょ?」とは言わないのだそうです。子どもと言えども1つの成熟した魂だと認め、この世ではこうなのだと受け入れているのですね。
「頼まれたことをしてくれるのが当然だというのは、家族はひとつだという考え方があるからだと思います。魂は元々他人なのです。他人ならば「使えて当然」、「手伝って当然」というふうにはならないはずです。
私の家では、ずっと前からこれを実行しています。気分が乗らないときは、できるだけしないということを……。」(p.119)
他者より自分の思いを優先することですね。そして、他者が自分にしたがわなければならない理由などないのだと。そもそも自分が他者に恩を着せないようにしていれば、他人が恩を感じるべきとも思いませんから。
「気分が乗らないことはやらないとき、実は逆転現象が起きます。家庭から喧嘩が減るのです。お互いが貸し借り無しで生きているので、一緒にいても楽になります。
愛って何でしょうか、我が家にとっては、「恩を売り買いしないでもすむ間柄」です。」(p.121)
自分に正直であること。素の自分をさらけ出せること。そういう間柄を愛の関係だと言われます。
「私は、諦めました。
すると、どうでしょう……。家庭の中から不和が一掃され、いるだけで癒される家に変わったのです。
それは、相手のすべてを受け入れるようになったのが原因です。」(p.130 - 131)
すべて決まっているなら、変えることを諦めるしかない。諦めて現実を受け入れるしかない。この諦めることで、争いの種がなくなります。
これは私も同感です。私も妻には「あなたは自由だし、私も自由だから。」と言っています。妻が掃除をしなくても文句は言いません。汚くて我慢できないなら、自分がやればいいだけですから。そうやって現実を肯定すれば、争いはなくなりますね。
「私は空洞で全体が私であり、常にひとつであるという至福感……。
しかし、ひとつでありながら、運命を変えることもできるのです。これは全体とひとつになった状態で変わることです。全体と共に変わることです。」(p.210)
急にこの結論は、わかりにくいと思います。「すべてはひとつ」という「神との対話」などで語られていることを知っていれば、少しは理解できると思いますが。
それにしても、「全体とひとつになった状態で変わる」という意味は、私にはよくわかりません。なんとなくわかったような気分にはなりますけど。
「あなたが今のあなたであることは、宇宙がそういうあなたでいいと言っているからです。何も変える必要はありません。
自分をコントロールしようとしていた手を放してみませんか? もちろん墜ちていくかもしれません。でも「今のままでいいんだ」という感覚は、どっかで至福感覚と結びついてくるはずです。」(p.211)
今の自分、ありのままの自分でよいのだと受け入れたとき、自分で制限していたこと(「かくあらねばならない」など)から解放されます。その解放感、つまり自由を感じるとき、幸せを感じられるのですね。
ともかく運命に身を委ねて、自分のちっぽけな理性でどうこうしようとすることを諦める。そうすることで自力から他力へと移行し、運命のそもそもの流れが上手く流れ始めるのだと思います。
運命は、そもそも私を幸せで豊かにしようとしている。その信頼感を持つことが、重要なのだと思いました。直感を信じて、運命に身を任せる生き方。それがこれからの主流になるのかもしれません。
2016年10月27日
こころに残る現代史
また白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの本を読みました。「人生に悩んだら「日本史」に聞こう」でも書いたように、白駒さんのことが気に入って4冊買ったうちの3冊目になります。
この本のサブタイトルには、「日本人の知らない日本がある」ということで、あまり知られていない人物や出来事にスポットを当てています。
すでに何度も書かれているエピソードもありますが、その中でも知らなかった出来事があることにびっくりです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。例によってすべてのエピソードを取り上げることはできないので、主だったものだけ取り上げます。
「是清は、浮き沈みの激しかった前半生を振り返って、「私は今日までにずいぶんひどく困った境遇に陥ったことも一度や二度ならずあるのだが、食うに困るから助けてくださいと、人に頼みに行ったことは一度もない。いかなる場合でも、何か食うだけの仕事は必ずあるものである。その授かった仕事が何であろうと、常にそれに満足して一生懸命にやるなら、衣食は足りるのだ」と述べています。
彼の人生哲学は、自身の境遇だけでなく、日本の「困った境遇」をも救うこととなったのです。」(p.37 - 38)
最初は、日露戦争前後の話です。近代化を進める日本の前に立ちはだかったのは、日本より何倍も強大なロシア帝国でした。日本海海戦での劇的な大勝利ばかりが注目されますが、実は総力戦であったことを白駒さんは書いています。
その中の、高橋是清氏が戦費を調達した部分に書かれていたのが、上記の文章です。成果ばかりが注目されますが、こういう生き方をしていたからこそ、その成果が生まれたのだと思います。
日露戦争で日本が勝利した背景には、日英同盟があったと言われます。イギリスはバルチック艦隊の動向を逐一日本へ伝えるとともに、寄港地では足止めをくらわせて、兵士の士気を低下させたのです。
では、どうして日英同盟ができたのか? どことも同盟を結ばない誇り高きイギリスが、なぜ東洋の小国である日本と対等の同盟を結んだのか? そこには、義和団の乱で居留者たちを指揮し、連合軍の到着まで籠城戦を行った柴五郎氏の働きがあったのです。
「義和団の乱のときの柴五郎にはリーダーとしての矜持があり、マクドナルド公使は、その五郎の姿に、上に立つ者のノブレス・オブリージュを見ました。
こうしたことが下敷きとなり、さらに両国の利害関係の一致があって、日英同盟締結という結果に結びついたのではないでしょうか。」(p.47 - 48)
この他にも、スパイとして活動した明石元二郎氏、民間人でありながらスパイ活動を行い、最後は軍人としての処刑方法である銃殺刑を求めた横川省三氏、バルチック艦隊の動向を報告しようと宮古島から170kmも離れた石垣島までボートを漕いだ久松五勇士の人々などを、白駒さんは取り上げています。
「日露戦争の勝利は日本国内だけではなく、世界中に大きな影響を与えました。
もし日本がこの戦いに敗れていたら、白色人種による世界支配が完了したと言われていて、それを水際で防いだことは、白人国家には大きな衝撃を、そしてその支配を受けてきた人々には希望と勇気を与えたのです。」(p.57)
物事にはプラスとマイナスの両面があると白駒さんは言います。日露戦争の勝利は、たしかに日本を救い、有色人種の希望となりました。しかし、そこで勝利したがために奢りが生じ、第2次世界大戦の敗北につながったとも言えます。私たちは歴史から何を学ぶべきなのか? 考えさせられる近代史です。
「松江所長には、口癖のように常に口にしている言葉がありました。
「たとえ今は俘虜となっていても、ドイツの兵隊さんたちも、お国のために戦ったのだ。彼らは決して囚人ではない」」(p.94)
第一次世界大戦のとき、日英同盟の関係から日本も参戦しました。青島(チンタオ)のドイツ拠点が陥落したとき、1000人もの捕虜を収容するのに、徳島県の鳴門市に坂東俘虜収容所を新設しました。その松江所長は、ドイツ兵を丁重に扱ったのです。
ドイツ兵たちは町の人々とも交流し、日本で最初のベートーベン「第九」の演奏が行われました。勝ったから負けたからではなく、人を人として尊重する心意気。それが日本人なのです。
白駒さんはこれを、「矜持」という言葉で表現されています。自負とかプライドという意味ですが、それだけではないと感じます。人間としての誇りのような、崇高なものがあると思うのです。
関東大震災のとき、日本の12分の1の面積しかない小国ベルギーは、アメリカ、イギリスに次ぐ3番目の金額を支援してくれました。どうしてベルギーが、そこまでしてくれたのでしょう?
第一次世界大戦のとき、フランスに進軍するドイツ軍によって、ベルギーは蹂躙されます。そのとき、迅速支援活動を行ったのが日本だったのです。
日本がベルギーに好意的だったのは、その前にベルギーが日本を救ってくれたからです。日清戦争が起こったとき、諸外国はこぞって「日本軍は旅順で多くの一般市民を虐殺した」という嘘の報道を行い、日本を非難するムードを掻き立てました。そのときベルギーが、それが誤報であることを訴え、日本の誠実さを示してくれたのです。
このように、互いに助け助けられながら、絆を強くしていったのですね。ベルギーとの関係がそういうものだと、これを読むまで知りませんでした。こういうことを教えない日本の歴史教育は、いったい何なのだろうと思います。
中央アジアのウズベキスタンとも、日本は深い関係にあります。1999年に在ウズベキスタン特命全権大使として赴任した中山恭子さんは、祖国に帰れずにこの地で亡くなった元日本兵の墓地整備のために、寄付で集めた2千万円を使ってほしいと申し出ました。ところがカリモフ大統領はこれを拒否。そしてこう言いました。
「「亡くなられた日本人に私たちは心から感謝しています。このお金は受け取れません。ウズベキスタンで亡くなった方々のお墓なのだから、日本人墓地の整備は、日本との友好関係の証としてウズベキスタン政府が責任を持って行います。これまで十分な整備ができていなかったことは大変恥ずかしい」、と。」(p.128)
なぜ、ウズベキスタンの人々がそう思うのでしょうか? それは、捕虜として強制労働させられた日本兵たちの、真摯な働きにありました。劣悪な環境であっても文句を言わず、献身的に働いて、みごとなナヴォイ劇場を完成させたのです。
この劇場は、20年後の大地震でも倒壊することがありませんでした。他にも日本兵たちが造った水力発電所などの建物は、倒壊せずに残りました。ウズベキスタンの人々は、日本の技術の高さに感嘆するとともに、強制労働させられたにも関わらず一切手を抜かない日本人の真心に感謝したのだそうです。
「ウズベキスタンの母親たちは、愛する我が子にこんな言葉を贈るそうです。
「日本人は戦いに敗れても、決して誇りを失うことなく、真面目に働いて立派な仕事をしたのよ。あなたたちも日本人のように生きなさい」」(p.129)
他にもエルトゥールル号遭難事件の話や、台湾の八田ダムの話などもありますが、他で語られていないエピソードも含まれています。
日本人は、自分が損するとか得するとかではなく、日本人としての誇りを持って生きてきました。その生き様が人々を感動させ、日本人のように生きたいと言わしめているのだと思います。
最後に白駒さんは、こういうことを言われています。
「私たちは、今、歴史の重大な岐路に立たされていると思います。「あの震災のせいで……」と言い続けるのか、「あの震災のおかげで……」といえる未来を築いていけるのか。」(p.189)
それが、今の私たちに問われていることなのだと思います。そして、私たちの生き様が、後世の日本人への評価となって行くのです。
そして白駒さんは、特攻隊として飛び立つまえに両親に送った手紙を紹介しています。その最後の歌を引用します。
「身はたとえ 南の空で果つるとも
とどめおかまし 神鷲の道」(p.190)
私たちは、「矜持」を持って生きるのでしょうか? 日本の名もない先人たちが懸命に生きて、私たちに今の日本を残してくれました。私たちは子孫に、どんな日本を残すのでしょう? それが問われているように感じました。
2016年10月31日
喜多川泰
喜多川泰(きたがわ・やすし)さんのことを知ったのは、Facebookでサンマーク出版の鈴木七沖さんと知り合いになり、鈴木さんの投稿で「またかな」こと「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」という本を購入したのがきっかけです。この本を読んで、すっかり喜多川さんの虜になってしまいました。
喜多川さんは塾で生徒を教えていて、読書の素晴らしさを伝えたくて、小説を書かれるようになったのだとか。なので、本を通じて主人公が成長していくような作品がけっこうあります。
喜多川さんの小説は、純粋に小説としても面白いし、自己啓発本という側面もあるように思います。ですから、若い人へのプレゼントにも最適ですね。
◆喜多川泰さんの本
・「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」
・「「手紙屋」」
・「賢者の書」
・「上京物語」
・「手紙屋 蛍雪篇」
・「ライフトラベラー 人生の旅人」
・「君と会えたから」
・「スタートライン」
・「One World」
・「書斎の鍵」
・「おいべっさんと不思議な母子」
・「「福」に憑かれた男」
・「心晴日和」
・「母さんのコロッケ」
・「株式会社タイムカプセル社」
・「秘密結社Ladybirdと僕の6日間」
・「きみが来た場所」(「母さんのコロッケ」の新装版)
・「プロは逆境でこそ笑う」(共著:清水克衛,西田文郎,出路雅明,植松努)
・「ソバニイルヨ」
・「運転者」
・「よくがんばりました。」
・「おあとがよろしいようで」
どれもこれもお勧めなのですが、映画にもなった「またかな」こと「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」は、特に若い人にお勧めです。
そして最新の「書斎の鍵」も、書斎を持つことを勧める内容で、紙の本とのふれあいを大事にする気持ちが伝わってきます。
また「One World」は不思議な内容で、すべてがつながっているという世界を描き出しています。ある意味で「神との対話」などのスピリチュアル系に似た感じで、ものごとの本質を描いています。
※参考:「「ひとつのもの」とつながる何かをする」,「晴耕雨談 第1弾」
喜多川さんは塾で生徒を教えていて、読書の素晴らしさを伝えたくて、小説を書かれるようになったのだとか。なので、本を通じて主人公が成長していくような作品がけっこうあります。
喜多川さんの小説は、純粋に小説としても面白いし、自己啓発本という側面もあるように思います。ですから、若い人へのプレゼントにも最適ですね。
◆喜多川泰さんの本
・「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」
・「「手紙屋」」
・「賢者の書」
・「上京物語」
・「手紙屋 蛍雪篇」
・「ライフトラベラー 人生の旅人」
・「君と会えたから」
・「スタートライン」
・「One World」
・「書斎の鍵」
・「おいべっさんと不思議な母子」
・「「福」に憑かれた男」
・「心晴日和」
・「母さんのコロッケ」
・「株式会社タイムカプセル社」
・「秘密結社Ladybirdと僕の6日間」
・「きみが来た場所」(「母さんのコロッケ」の新装版)
・「プロは逆境でこそ笑う」(共著:清水克衛,西田文郎,出路雅明,植松努)
・「ソバニイルヨ」
・「運転者」
・「よくがんばりました。」
・「おあとがよろしいようで」
どれもこれもお勧めなのですが、映画にもなった「またかな」こと「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」は、特に若い人にお勧めです。
そして最新の「書斎の鍵」も、書斎を持つことを勧める内容で、紙の本とのふれあいを大事にする気持ちが伝わってきます。
また「One World」は不思議な内容で、すべてがつながっているという世界を描き出しています。ある意味で「神との対話」などのスピリチュアル系に似た感じで、ものごとの本質を描いています。
※参考:「「ひとつのもの」とつながる何かをする」,「晴耕雨談 第1弾」
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。