2016年08月09日

シーゲル博士の心の健康法



何かの本の中で紹介されていたので、中古で買ってみました。著者はバーニー・S・シーゲル氏。翻訳は相原真理子さんです。

シーゲル博士は外科医でありながら、病気に対する心の影響を確信し、治療に用いることを主張されています。

この本は文庫本ですが400ページ以上もあり、様々な例とともに、その影響について書かれています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

生理学者の研究により、愛が体に与える影響は測定できることがわかっている。愛情を与えられない赤んぼうは骨の発達が遅れ、死亡することもあるのに対し、体をなでてもらった赤んぼうは成長が早いのだ。安らかな心が体に影響することも測定できる。瞑想をしたり、つらい体験を抑圧してしまわず、日記に書くと、免疫機能が高まるのだ。愛や心の安らぎは人間を守ってくれる。それらのおかげで、人間は人生のさまざまな苦難を乗り越えることができる。愛や心の安らぎは、われわれに生きることを教えてくれる。今というときを生き、新たな日に直面するう勇気を与えてくれる。そして、生き方を変えるための刺激として、悲しみや苦しみを利用することを教えてくれる。」(p.9)

人間である以上、何かを失ったり悲しんだりすることは避けられない。しかし、新たな愛と真の治療は苦しみによってもたらされるのだ。苦痛を自己変革のために利用することを学ばなければ、長生きは何の幸せも生まない。自己変革の道は険しいが、これを歩むことにより、至福のときを経験することができる。」(p.10)

病気と死は敗北のしるしではない。真に生きることができない人こそ敗北者なのだ。生きること、それも愛情豊かな楽しい人生を送ることを学ぶのが、私たちの目標だ。病気はしばしばそれを教えてくれる。」(p.10 - 11)

人間が自分の治癒能力を高められるということは、個人に生存率は適用できないということだ。私は何年もかかって、その事実を学んだ。病気に応じて自分を変えることのできる患者は、予想よりはるかに長生きしたり、奇跡的な回復を遂げたりする。こうした例外的患者と話していると、愛、信念、今を生きる、許す、希望といった言葉がくり返し出てくる。これらの人々が得た精神的な安らぎが心を癒し、しばしば病気の回復をももたらすのだ。自然治癒を達成する人には、共通したものがある。彼らがそれを成し遂げたのは偶然ではない。医者ならだれでも、患者がこのようにして回復を遂げるのを見たことがあるだろう。だが、自分の経験したことがどんな意味を持つのか理解する医者は少ない。こうした奇跡的な治癒には科学的な根拠があり、他の人もそれを学ぶことができるという事実を、私たちは認めるべきだ。それによってさらに多くの奇跡的治癒がもたらされ、やがてこうした現象が科学的に解明されるようになるだろう。」(p.12)

ちょっと長い引用でしたが、序文においてこのように総括しています。つまり、心が治癒に影響を与えることは明白であり、その経験を積み重ねることで、それは科学的に解明できると言います。

また、病気そのものは「悪い」ことではなく、その苦痛によって生き方を変えることに役立てることができ、そうすれば幸せな生き方ができるのです。


考え、暗示、象徴、プラシーボなど、希望を与えるものはすべて、病気を治す可能性を持つ。しかし、ほとんどの人はプラシーボは「精神と体」に関係した病気には有効でも、エイズ、がん、多発性硬化症や心臓病には効果がないと思いこんでいる。プラシーボによってさまざまな症状が軽減されたという、無数の研究があるにもかかわらず、こうした考えが根強く残っているのは興味深い。」(p.33 - 34)

薬効を調べるとき、必ず偽薬を与える一群と比較します。偽薬による治癒効果を、プラシーボ効果と言います。つまり、一定のプラシーボ(=治るという暗示による治癒)が前提として認められていることになります。

私にとって最大の関心事は、どうしたらプラシーボを使わず、心の治癒システムにじかに働きかけられるか、ということだ。」(p.37)

シーゲル博士は、心の治癒システムそのものを解明し、それをどう効率よく応用できるかということを、目標として設定しているのですね。


そこでわたしは、一日の間に頭に浮かぶ、自分の体についての否定的考えと肯定的考えを、それぞれ書きとめることから始めた。いざ書き出してみると、ほとんど否定的な考えばかりだ。自分がいかに自分の体を嫌悪しているか、気がつかざるをえなかった。
 いまや習慣となっている、この根深い否定的な見方を克服するため、わたしは自分が好ましいと思える身体的特徴を毎日一つ選び出すことにした。どんなに些細なものでもよい。次に、その特徴をもとに書き直しを始めた。否定的考えの後に、必ず肯定的考えを書き加えるのだ。
」(p.53)

これは、ALS(筋萎縮性側索硬化症)と診断された患者の手記です。死ぬ前に「無条件の愛」を体験したいと強く願い、そのための方法として、まずは自分の体を受け入れようとしました。

私たちは、自分がどういう考え方をしているのか、意外と気づいていないものです。それを書き出すことによって気づき、1つひとつ改めるという作業によって、考え方の習慣を変えることが重要なのですね。

ひとたび古い台本と自分に対する嫌なイメージが消えると、それらは二度とあらわれてこなかった。わたしは自分の体を受け入れた。自分の体を変える必要などなかった。それはありのままでよかった。これからどんな状態になろうとも……。
(中略)
 病気はわたしにとって挑戦すべき対象であり、贈物だった。病気のおかげで、わたしは自分の心の奥にある思いや欲望、信念を考察することができた。そして、自己発見の旅によって自分の人生を再構築し、心と体が結びついていることを強烈な体験を通じて知ったのだ。」(p.54)

自分の体を好きになる、つまり体を愛することによって、新たな自分へと生まれ変わりました。そして、余命6ヶ月の状態から、奇跡的に回復しました。

病気が治ったのは、わたしが自分を『治そう』としたからではなく、この世でわたしがするべきことがまだ残っていたからです……あれ以来、わたしは毎朝喜ばしい気持ちで、意欲に満ちて目をさまします。」(p.55)

つまり、自分の死を受け入れた(=生きたいという執着を手放した)上で、やり残したことを精一杯にやろうとした。その結果、たまたま生き延びたということなのです。


ユングは、人間の青写真を、その人独自の神話と呼んだ。私たちはみな、自分の神話を見つける必要があるが、しばしば病気がその手助けをする。なぜなら、病気の経験はその経験の主について何かを語っているのであり、その人独自の意味を持つからだ。」(p.74)

それぞれの人に人生の課題(青写真)があり、それに立ち向かっていないと、最終的に病気になると言います。つまり病気は、まだ課題に立ち向かっていないよ、というサインでもあるのです。

病気は、精神的パンクになりうる。つまり、人生の流れを中断するもので、そのときは災難のように思えるが、結局有意義な方向に生き方を変えるきっかけとなる。直感的、無意識的に認識できるようになると、それらはもっとたびたび現れるだろう。」(p.103 - 104)

人生の中で起こる予期せぬ出来事は、何らかのサインだと言います。タイヤがパンクすることさえ、何かのメッセージです。それをシーゲル博士は、「精神的パンク」と呼んでいます。そして病気もまた、そうなのだと。

ここで言う「精神的パンク」は、シンクロニシティ(意味のある偶然の一致)と同じような意味だと思います。直感に従うようにすればするほど、シンクロニシティが起こると言いますから。


自分に言いきかせている言葉がさしている、あるいは描写しているもののイメージをいったん頭の中に作りあげてしまうと、これらの言葉は体の内部環境に対する意味深いメッセージとなる。言葉で作りだしたイメージをコントロールする力がある以上、私たちはこの力をあますところなく利用し、生命力を高める肯定的場面を描くようにすべきである。何かがこのようになると信じると、それが現実になる。したがって、それを建設的に利用すべきだ。時には、それが生理学的現実を生むこともある。」(p.136)

内なる自己とのコミュニケーションにおいて最も重要なのは「感情」だと言います。好ましい感情を呼び起こすきっかけとしては、「言葉」が有効です。その「言葉」を「イメージ」に変換することによって、「感情」が湧き起こります。

シーゲル博士は、肯定的な自己とのコミュニケーションによって、病気が治ることがあると指摘しているのです。


「良い」患者は素直でおとなしく、言いなりになる。けれども、これは生きのびるためにはよくない。生きのびるために必要なのは、CURIOUS(好奇心の強い)であることだ。CURIOUSという言葉は、CURE(治す)と同じ語根を持つ。したがって、患者が長々と質問し、他にどんな治療法があるか知りたがり、自分がとのように治療に参加できるか教えてほしいと言いはるようなら、医者は喜ぶべきなのだ。」(p.227)

患者自身が「治ろう」とか「治そう」という意志がなければダメなのですね。「先生にお任せします」は、時として責任の転嫁になります。自分が自分に責任を持つこと。それが重要なのです。


すでに述べたように、自分の欲求を否定し、何の問題もないからと助けを拒否すると、自分の体に「死にたい」というメッセージを送ることになる。その結果、体はその人が本心からそう思っているものと考え、病気を悪化させて死を早める手伝いをすることになる。」(p.252)

理想的には、人は自分の死を認識することによって自己否定の殻を抜け出し、自分に罰を与えるのをやめ、自分を肯定するようにならなくてはいけない。しかし残念ながら、人生の初期に身につけたパターンを打破できることを、だれもが知っているとは限らない。」(p.253)

助けを求めないのは、遠慮しているからです。つまり、自分にはその価値がないと信じているからです。そういう卑屈さ、自己否定が、それにふさわしい現実を引き寄せます。

自分の死ぬべき運命を認めて自分の人生を生き、必要な助けを求め、それを受け入れてほしい。そうすることが周囲の人々への贈物となる。あなたは周囲の人々の師となり、癒し手となるのだ。」(p.254)

自尊心を持つこと、自分自身を愛することが、自分に対してだけでなく、周りの人々へも贈物となります。その生き方を示すことが、他者の救いになるからです。


調査対象者の半数は何らかの軽い病気にかかっていたが、残る半数は健康だった。もしストレスが健康に影響するなら、なぜこの半数の人々は、その肉体的影響を受けなかったのか? コバーサの研究チームによると、答えは三つのCにあるという。つまり、コントロール、コミットメント(かかわり)、チャレンジである。電話会社の重役やその他ストレスの多い生活をしながら健康を維持している人々は、自分の生活をコントロールしているという意識を持っていた。(これは、絶望感や無力感とは対照的な感情だ)そして家庭と仕事の両方に意義を見出し、そのどちらにも積極的にかかわっており、また他の人々が脅威と感じかねない出来事に、チャレンジする意欲を持っていた。」(p.264)

中間管理職と重役という、仕事上のプレッシャーを受けやすい人々に対する調査結果からです。つまり、ストレスが多いという環境が影響するのではなく、その環境に立ち向かう姿勢(=生き方)が問題なのです。

働かされているとか、他人が悪い(=自分には変えられない)とうい被害者意識とかが、その環境をストレスにします。自分がコントロールしていて、積極的に関わり、チャレンジするなら、それはストレスにならないのです。


神からの贈物は、時として変わった形をしているものです。これまでの経験から、私は自分には結果をコントロールする力がないことを、はっきり悟りました。どんな態度をとるか、自分の人生でどんな努力をするか、自分の体をどのように扱うかは選択できます。でも、病気の結果を自分でコントロールすることはできません。」(p.271)

結果は手放すものであって、執着するものではありません。自分がコントロールできることに、意識を集中すべきなのです。病気や死を「失敗」とみなす限り、結果を手放すことができません。それらをサイン、または贈物と考え、それによって自分の生き方を選ぼうとすることで、自己変革が可能になるのです。


フロイトは、病気の症状が人間の三つの欲求を満足させるという説について述べた際、病気の持つこの機能を説明している。三つの欲求とは、第一にすべての生物が持つ快楽を求める気持ち。(病気によって自分のどんな望みがかなえられていると思うか、と私が患者に訊くのは、このためだ)第二に、他人を支配したいという意識。(周囲の人を思い通りに動かすために病気を利用する場合)第三に罪ほろぼしの手段として自分を罰したいという気持ちだ。」(p.276)

病気が自分への罰だと考える人に対して、フロイトもそれを説明している言っています。アドラー心理学でも、病気は自分の「目的」を達成するために起こると考えます。それがこの3つなのですね。


アドバイスするとき、相手が生きる意欲のある人ならよい。だが、相手が人生を愛していない場合は何を言っても無駄だ。人生が楽しくないなら、長生きをする意味がない。そんな人たちには、「私はあなたを愛しています。そしていつか、あなたが自分を愛せるようになることを願っています」というメッセージが必要かもしれない。批判しても無駄だ。批判は人間関係をこわし、失敗したという気持ちを生むだけだ。」(p.282)

相手が求めもしないのに、アドバイスしても意味がないのです。できることは、相手の自由を尊重して見守ること。つまり、愛することだけです。


エイズ患者がグループをつくり、互いに愛と支援を与えあうケースもある。だからこそ彼らは、「私の病気は贈物だ」と言うことができる。むろん健康になりたいと思わないわけではない。だが、彼らは病気によって得たものを手放すつもりもないのだ。
 この種の癒しに対して心を開くには、勇気がいるだろうか? むろん勇気がいる。病気は贈物だと宣言する資格が、私にあるのか? そんなものはない。各自がそれを贈物にしようと決めたときに、初めて病気は贈物になるのだ。私はそのような人を数多く見てきた。彼らの体験談を聞くと、自分を癒すのは自分自身であることがわかる。
」(p.304 - 305)

病気になったという結果を受け入れ、その中の良い面に着目し、自分への贈物とみなす。それができるのは自分だけであり、自分がそう決めることによって、自分が癒されるのです。


自分たちの役目が患者を癒すことであり、それは死を阻止することではなく苦痛をやわらげることであると悟れば、最期のときを患者と一緒にすごすのがいかに名誉なことかがわかる。また、人間は自分に最も適したときに死ぬという驚くべき能力を持っていることを知れば、死は最終的な癒しであることも理解できるだろう。」(p.366 - 367)

死を敗北と考える医者は、手を尽くしても救えない患者のそばに寄ろうとしないと指摘した上で、それは機会を逃しているのだと言います。そして死に立ち会うことによって、死が癒しであることがわかると言っているのです。

「神との対話」でも、死は魂にとって救いであり喜びだと言っています。不自由から自由への旅立ちだからです。そして、人(魂)は自分で選んで死ぬのだとも。


死んだ後も私たちを生かし続けるもの、残された者を喪失の苦痛から立ち直らせるもの−−それは愛である。そして多くの場合、愛し、癒し、教えるのは病気と闘っている本人だ。前にも述べたように、まず自己愛がなくてはならない。自己愛とは、いかに不完全な存在であろうとも、私たち一人一人の中に神がいると認識することだ。(人間は、完全に不完全な存在なのだ)そしてこの自己愛から、手をさしのべて他の人を愛し、助けるという能力が生まれる。」(p.391)

まるで「神との対話」に書かれているような文ですね。愛は自己愛から始まり、それは自分の中に神がいるという認識から始まる。たしかに、そういう考え方をすることで、不完全な自分が完全なのだと思えるようになるでしょう。不完全なまま、完全に自己肯定できるのです。


この本には、非常に多くのことが書かれています。単に思考によって病気を治すというものではなく、病気を人生にどう生かすのか、どうやって自己変革するのか、愛するとはどういうことかなど、様々な示唆があります。

さらに、死に対しても、正面から向き合うものです。死を敗北とか失敗と考えるのではなく、死でさえ贈物になるのだと考えるのです。

今、病気で弱気になっている人はもちろん、生き方に迷っている人にも、お勧めの本だと思います。

シーゲル博士の心の健康法
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:21 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月10日

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ



Facebookでホリエモンさんが推薦していたので、買って読んでみました。これはマンガで、作者は永田カビさんです。

自分の体験を、そのままにマンガにされたようで、自叙伝的なものになっています。


ではさっそく一部を引用して・・・と言いたいところですが、これはマンガなのであまり引用もできません。

したがって、簡単に内容を紹介することにします。


大学を半年で退学した永田さんは、気が付くと鬱(うつ)と摂食障害になっていたそうです。自分が所属する何かがなくなったことで、精神的に不安定になったのかもしれません。

それでバイトをしたりするのですが、だんだんと苦しくなって休みがちになり、バイトも辞めることになります。


しばらく休んで持ち直し、徐々にバイトもできるようになりますが、正規雇用でなければ認められないのだという思いになり、就職活動をすることになりました。

その面接で、趣味で描いていたマンガを頑張ったほうが良いと諭され、漫画家を目指します。


やっとデビューできたものの、2年もするとまた苦しくなってきます。病院に行って薬を飲み始めたことで、その症状は改善してきました。

そのとき、自分が苦しむ原因を知りたいと思い、多くの本を読むようになりました。そして、自分自身を分析したのです。

その自分の中の本当の気持ちを確かめたくて、レズ風俗に行こうと決心します。「28歳、性的経験なし。生きづらい人生の転機。」と帯に書かれていますが、勇気を出して体験したのです。


体験したことで、セックスはただ身体だけでするものではないと気づきます。

…性器の付いた身体があればできるんだと思ってた
そうじゃなかった
セックスはコミュニケーションだったのだ…



そして、自分の体験をマンガに描きたいと思うようになります。

親不孝が怖くて自分の人生が生きられるか!

自分の殻を破って、ありのままの自分を受け入れることにしたのです。


ホリエモンさんが言うように、心の描写がものすごいです。たしかにこれは、体験した人にしか書けないものだと思います。

タブーを怖れることなく挑戦した永田さんに拍手を贈りたいと思います。そして、こうやって体験をオープンにしてくださったことにも、感謝したいです。

さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:29 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月11日

絶対、よくなる!



また斎藤一人さんの本を読みました。

一人さんの本は、最近のは講演録ばかりでした。もうご自身では書かれないのかと思っていましたが、「一人さん書き下ろし」となっていたのでびっくりしましたよ。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

イヤミを言われようが、悪口を言われようが、何を言われても、
「この程度の報いで済んで、本当によかった」を四回。
「ツイてる♪」を九回。
 言ってみてください。嫌なことは消えてなくなっちゃうんです。
」(p.30)

私たちの心は磁石のようなもので、想うことと同じ現象を引き寄せると一人さんは言います。ですから悪いことがあっても、「良かった」「ツイてる」と言って、その言霊の力でそう思えるようになることで、「良い」「ツイてる」という現象を引き寄せるのですね。

4回とか9回という回数にどういう根拠があるかは知りませんが、具体的にこう指示されているのですから、一人さんを師匠とされる方は、この通りにやってみるべきでしょうね。

そうでない人でも、「引き寄せの法則」を信じるのなら、このように言い、そう思えるよう努力するのが良いと思います。


時は流れ、景色も人も変わります。
 それも、いいほうに変わるんです。
」(p.42)

「神との対話」シリーズでも、変化は進化成長だと言っています。つまり、良い方向への変化しかないのです。一人さんも、良くなるような流れが宇宙にはあるのだと言います。

ですから、何が起ころうともそれは良い方向への変化ですから、安心していていいのですね。


ウマくいかないとき、苦労しているときは、自分で自分に「おかしい」と言ってください。
 ちなみに、この言葉は自分の間違いに気づく魔法の言霊です。

 間違いをあらためないまま、「いや、私はもっとがんばりたいんです」はいけませんよ。がんばって間違いを続けるとたいへんなことになってしまいますからね。
」(p.47)

たとえば儲からなくて生活が苦しいなら、「おかしい」と口に出して言うのです。そうすると、何がおかしいかという気づきが与えられるのですね。

もちろん、他人や環境のせいにしては意味がありません。自分の間違いに気づくためですから。


ただし、行動に移そうとしたときに、「自分はツイてる♪」と思えないと、人はなかなか行動に移すことができません。「自分はツイてない」と思いながら行動したとしてもウマくいかないように、この世はなっているのです。」(p.59)

一人さんは、「この地球という星は「行動の星」です」と言われて、行動することを勧めています。

しかし、ただがむしゃらに行動すれば良いのではなく、「ツイてる」と思いながら行動することが重要なのですね。


笑ったり、泣いたり、いろんな想いをするなかで私たちは心を耕し、ちょっとずつ知恵をつけ、さらに豊かになっていきます。経験が豊かさの生みの親です。
 だから経験したい。だから、何回も生まれ変わります。
」(p.65 - 66)

体験が重要だということは、「神との対話」でも言われている通りですね。その体験のために生まれてきたのであり、体験のために生まれ変わるのです。

私の言う「魂の成長」とは、何かをガマンしたり、非の打ちどころのない人格者になったりすることでは、ありません。
 そして、ここが肝心です。
 いまの自分を、ちょこっとだけ、バージョンアップできれば、それでOKなのです。
」(p.66 - 67)

何度も生まれ変わるのですから、いきなり完璧を求める必要はありません。いえ、完璧を求めてはいけないのです。

キャバクラへ行きたい人はキャバクラへ行って、そこで好かれる人間になろうとすれば良いのだと、一人さんは言います。無理とか我慢とかせずに、楽に生きることが重要なのですね。


だから、神さまはずっと、私たちのことを見ていて、よくしてあげよう、もっとよくしてあげようとしているんです。
 私たちを苦しめようとしているのではないのです。
 よくなるチャンスを与え、次もまたよくなるチャンスを与えるだけ、なんです。
」(p.110)

「困ったことは起こらないよ」って。
 一見すると困った”そのこと”が、自分をより豊かにより幸せにしてくれる”階段”なんですよ、って言うんです。
」(p.111)

困ったと思えるようなこと、たとえばリストラされるとか、失恋するなどということは、もっと豊かで幸せになるためのステップに過ぎないと言います。

常にもっと良くなるためのチャンスが与えられている。そう考えることが重要なのです。


他人(ひと)を平気で傷つけちゃう”嫌なヤツ”は、もう放っておきましょう。
 そういう人はね、たいがい他人を傷つけている自覚がないんです。母国語が”悪口語”なんです。”悪口の国”というのがあって、そこに生まれ育って、ずっと暮らしているんです。
」(p.162)

母親と同じくらいの年齢の女性に対して「おねえさん」と呼ぶように、少し相手が喜ぶように考えて言葉を使う。そういうことが重要だと一人さんは言います。

しかし、そうでない人もいます。そういう悪口とか不平不満、批判非難を言う人は、放っておくようにと言います。そういう人を批判したら、同じことになりますからね。

そのための見方が面白いですね。「悪口語」が母国語だと思えばよいのだと。たしかに、母国語ならしょうがありませんからね。

だけど、そういう人なんだということがわかったら、多少は相手を見るときに見方が違ってくるじゃない?
 それに、人は変わるんです。絶対によくなるの。
」(p.163)

でも、そういう人であっても必ず変わるし、良くなるのだと言います。ですから、今は「悪口語」を習得する段階なのだと見てあげること。子どもがいつかは大人になるように、そういう人も「悪口語」を卒業する時が来るのですから。


「私の”お役目”はなんでしょう」とか、「私の”生きる道”はなんだろう」などと、あなたが考える必要はないんです。
 自分はツイてると思いながら、自分ができることをやればいいだけなんです。
 それをやっているうちに、その人、その人なりに、ツイてる♪ すごいことが起きる。
 人生というのは、そういうふうに、なるようになるものなんです。
 だから安心してればいいですよ。ツイてる♪ ツイてる♪
」(p.190)

どう生きなければ意味がないとか、使命を見つけなければなどと、大上段に構える必要はないのです。必ず導かれるし、何もなくても、それが魂にとっての課題なのですから。

したがって結論は、やはり「安心している」ことになります。導きを信じて安心していれば良くて、そうであれば人生は必ずツイているのですね。


これまでの本で多くを引用しているので、ここでは最小限に留めました。本当は、一番最後の引用だけでも良いくらいだと思います。

ただ安心していること。それで上手く行っているのだということ。一人さんの考え方の根本が、よくわかる本だと思います。

絶対、よくなる!
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月16日

志が人と組織を育てる



グルメ回転寿司「銚子丸」の創設者、堀地速男氏神渡良平さんの共著を読みました。

神渡さんのFacebook投稿で知って購入したので、最初は神渡さんの本だと思っていました。しかし内容は、堀地氏の自伝的なもので、おそらく堀地氏から話を聞きながら、神渡さんがまとめたものかと思います。

堀地氏は、この本の完成のために死力を尽くされた後、亡くなられたのだそうです。吉田松陰の教えに影響を受けた堀地氏の生き様は、最期の瞬間まで貫かれたように思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

実際の例で言えば、人から謗(そし)られたり、あられもないことを言われたりすると憤るのが人情ですが、たとえ憤っても心のどこか奥のほうに、
『イヤ、こういうことも、自分を反省し練磨する契機になる。この苦境で自分ができていくのだ。それも結構じゃないか』
 と思うことです。人が自分をけなすことも、心をむなしくして謙虚に耳を傾けたら、案外面白いことがあります。すると笑って対応できます。これが喜神を含むということです
」(p.36 - 37)

堀地氏は、安岡氏の本に影響を受け、講座を受けに行ったのだそうです。そこで聞いた安岡氏の「喜神を含む」という話に、感銘を受けたと言います。


松陰先生はこのころから「二十一回猛士(もうし)」と号するようになりました。というのは獄中で不思議な夢を見たのです。
 夢の中に神が現れ、一枚の書き付けを渡されました。見ると「二十一回猛士」と書かれていました。
」(p.131)

藩の命に背いたり、国禁を犯すなど、無謀とも思えるようなこと数々行った松陰です。これは、そのように生きよと神から命じられたことだと感じたようです。

義を貫くためには、あえて猛挙といわれるようなこともしなければならないのだ。無謀ともいえるようなことを二十一回もしなければ、今の世論は変えられない。勝算がなくても、捨て石になる覚悟で臨まなければ、世の流れなど変えることはできないのだ!」(p.133)

松陰はこのように感じて、覚悟を決めていったようです。日本が良くなると信じて、そのために自分ができる最善のことをやろうとした人物。そして29歳の若さで処刑されたのです。


このように私たち”銚子丸人”の気概は、松陰先生の教えによって育成されています。だから恩返しとして、五十年もの間抱き続けた思いの通り、松陰先生に研修会館・立志殿を寄贈させていただき、心から感謝しています。
 私たち一人ひとりが志をもって輝くとき、日本全体も輝きます。どうぞみなさまのお力を貸していただき、いっしょになってこの国を盛り立てていこうではありませんか。
」(p.7)

死の3日前に書かれたという前書きで、堀地氏はこう言っています。志を高らかに掲げ、教育によって人を育てる。そのことが、企業の繁栄にもつながるのだと、堀地氏は示しているのです。


吉田松陰については、単なるテロリストだという見方もあります。たしかに、暗殺を企てていますから、テロリストとも言えるでしょう。

しかし、それだけではないことも事実です。ですから、わずか100人足らずの私塾から、多くの人材が輩出されました。

そして現代においても、松陰の教えによって、革新的な成長を遂げたグルメ回転寿司「銚子丸」が生み出されました。

改めて松陰の生き様や考え方を学ぶことも、自分の生き方を見直す上で役立つのではないかと思います。

志が人と組織を育てる

神渡良平さんのサイン
※神渡さんにサインしていただきました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:24 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月17日

3つの真実



以前に単行本で読んだことがありますが、野口嘉則さんのこの本を読み直したくなったので、文庫本で買ってみました。以前読んだのは、2008年のことだったようです。

ベストセラーとなった「鏡の法則」で有名になった野口さんは、メンタルマネジメントの講師です。しかし、単に心理学を応用しているだけでなく、スピリチュアル的な面もあることが、この本を読むとよくわかります。


ではさっそく一部を引用しながら…と言いたいところですが、これは小説になっています。なので引用は限定しながら、あらすじを紹介することにします。

主人公は、自らを「ミスター目標達成」と名乗る矢口亮。成功法則と出合うことで、ダメダメ人間から成功者へと階段を登りつつありました。

しかし家庭では、妻はうつ症状に悩んでおり、息子は登校拒否をしています。思い通りにならない家庭に、イライラすることも多いようです。

そんなとき、会社でとんでもない出来事が起こります。会社の目標達成のためには絶対欠かせないトップ3の社員が揃って、辞表を提出してきたのです。しかも、顧客を奪って独立するのだとか。

怒り心頭の矢口は、家族にもイライラをぶつけます。家庭にも居場所がなくなり、仕方なくオフィスへ出かけることにしました。

いつしか机の上で眠ってしまった矢口は、朝7時くらいに目が覚めます。そのとき、謎の老人の訪問を受けるのです。

その老人は、ある人物から依頼されて、矢口を助けるために来たと言います。

君の中に問題を解決する力が、いや解決どころか、その問題をきっかけにして真の豊かさを実現する力があるのじゃからな。しかし、君がその偉大な力にアクセスして、真の豊かさを実現したいなら、どうしても知るべきことがある。それを教えることが、わしのできるサポートじゃ」(p.49 - 50)

その「どうしても知るべきこと」というのが、「3つの真実」なのです。


ところが多くの人間は、自分にとっての本当の幸せがなんなのかを知らない。その結果、本当の幸せを犠牲にして生きるはめになる。ある者はお金を得るために、ある者は人から認められるために、ある者は自分の正しさを証明するために、本当の幸せを犠牲にするのじゃ」(p.71)

謎の老人は、本当の幸せについてわかっていないことが、問題の根源にあると指摘します。お金は幸せになるという目的の手段だったのに、いつしかその手段が目的となり、本当の目的がないがしろにされてしまう。だから幸せから遠ざかるのだと。


大人も子どもも、周りから評価されるために、目に見える結果ばかりを追い求める。そして、自分らしさを埋没させてしまっているのじゃ」(p.84)

目に見える結果によって人から認められようとする限り、比較の世界にはまり込んでしまう。比較の世界では、自分の相対的な価値は上がったり下がったりするのじゃ。」(p.84)

人は、人とのつながりにおいて幸せを感じます。しかし、そのつながり方を間違えて「依存」してしまうと、かえって不幸になるのです。他人と比較して劣等感を感じたり、優越感を感じようとして他人を責めたりします。


ここで重要なことを教えよう。いいかね、人間の行動の動機は、突き詰めていくと愛か怖れのどちらかしかないのじゃ。このことを知ると、自分の行動の背後にあるものを理解できるようになる」(p.86)

「神との対話」でも、究極的な動機は愛か不安(怖れ)だと言っています。これがわかるだけでも、随分と見方が違ってくると思います。


人間は、怖れによって行動するとき、本当の幸せから遠ざかっていく。よく覚えておきなさい。本当の幸せは、愛に生きるとき、もたらされる。われわれは、愛に生きるとき、幸せに人とつながることができるのじゃ」(p.94)

怖れは消さなくてもよいから、支配されないようにしなさいと、謎の老人は言います。そのために重要なのが自尊心だとも。

自尊心を自分で満たすことができるようになれば、人から認められなくなることへの怖れや、相手にされなくなることへの怖れに支配されなくなる」(p.95)

自尊心を持って怖れに支配されなければ、愛に生きることが可能になるのです。

教えてあげなさい。『君はそのままで素晴らしい存在なんだ』と。子どもの自尊心は、いい成績を取って褒められたときに満たされるのではない。悪い成績を取っても抱きしめられたときに満たされる。」(p.105)

ありのままの自分でも良いのだと受け入れられることで、子どもの自尊心は育ちます。こういう点は、アドラー心理学でも指摘している通りです。


ここで君にわかっておいてほしいことは、人間も宇宙も、その本質は愛であるということじゃ」(p.144)

私たちの本質は「愛」です。だから、ただ存在しているだけで素晴らしいのです。

人間は肉体を超えた存在であり、宇宙の偉大な力とつながっている。そして、その本質は愛である。これが第一の真実じゃ。このことを心の底から認めるとき、われわれの自尊心は満たされ、怖れに支配されなくなる」(p.146 - 147)

「3つの真実」のうちの1つ目は、こういうことなのです。もはや心理学の範疇を超え、スピリチュアル的な解だとも言えます。しかし、ここに触れない限り、人間が本質的に素晴らしい存在だとは言えないように思います。


この後、2つ目、3つ目の真実が語られます。それによって主人公の矢口は徐々に目覚めていきます。そして最期は…。

これはフィクションですが、読んでいて嗚咽を漏らしてしまいました。そして、この本を7回読んでみたい、という衝動に駆られました。

「神との対話」などで語られている真実を、ここまでわかりやすく物語にしたものは他にないと思います。強烈にお勧めしたい1冊です。

3つの真実
 
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2016年08月18日

夏の思い出はヤマメ釣りと花火

2016年7月末から8月にかけて、一時帰国してきました。

そのとき、東京でヤマメ釣りと花火見物をしたのですが、これがとても素敵だったので情報をシェアします。


御岳やまめの牧場

御岳やまめの牧場

立川から青梅線、奥多摩線で1時間くらいのところにある御岳駅。そこから歩いて15分ほどのところにヤマメの釣り堀があります。

5m四方くらいの釣り堀が2つあって、上流からの水が流れ込む仕掛けになっていました。

上の釣り堀はヤマメ、下がイワナです。ヤマメやイワナが手軽に釣れるところって、本当に少ないんですよね。たいていはニジマスですから。

しかも、ここで釣った魚を焼いてくれるのですが、それが美味しいのです。40分くらいかけてじっくりと焼くことで、頭から尻尾まで骨も丸ごと食べられるのがスゴイです!



ただ、BBQなどはできません。他の食べ物は持ち込みができます。ビールなどの飲み物は、高めですが置いてありました。アルコールゼロのビールもありましたよ。

竿を借りてエサをもらい、あとは釣るだけ。釣った魚はビクに入れ、適当に焼いてもらいましょう。次のを釣っている間に焼けますから、今度はそれを食べている間に新たに釣った魚を焼いてもらいます。食べきれない分は、持ち帰ることもできます。

魚をつかむので手が魚臭くなりますが、手洗いも近くにあるので、臭くなってもいいタオルを持参するといいでしょう。

お代は最期にまとめて支払います。私は妻と2人で13匹くらい釣って全て焼いてもらって、1万円くらいでした。ビールも5本くらい飲んだと思います。

ほどよく釣れるし、魚が美味しいのがいいですね。また、ヤマメとイワナで食いつき方が違うのが面白いところ。

1回飲み込まれて針を外せず、ハリスから切れてしまいました。そう言って魚を渡すと、ハリスごと交換してくれ、焼く前に針を外してくださいました。

特に平日は人が少ないので、夏休みに家族で遊ぶのには穴場だと思います。竿は、家族で1本借りれば十分かと。


立川まつり国営昭和記念公園花火大会

隅田川花火大会と同じ7月30日(土)に開催されるのがミソ。みんな隅田川に注目するので、こちらの客は少ないと読みました。それでも5,000発も打ち上げられるのです。

青梅線の西立川駅からすぐの昭和記念公園の中で、花火大会は行われます。したがって、前日からの場所取りもできません。これもポイントですね。

私は念の為に、特別観覧席のイス席を購入しましたので、ゆったりと見られました。でも見ていると、17時までに入園料を支払って入れば、楽々場所取りできたようですね。

また、会場の外の線路向こうの道路などでも、場所取りしている人がいましたね。18時から無料で入園しようと思うと、かなり並ぶことになるようです。500円弱の入園料ですから、17時までに入園して園内を楽しんだ上で、花火見物するのが良さそうです。

特別観覧席の中にトイレや売店があったので、そういう意味では便利でした。シート席だと約半額で済むので、それを選択する手もありそうです。




●江東花火大会

隅田川の花火だと、屋形船にしても値段が3.5万円くらいと高く、しかも出船時間が14時半くらいと早いのがネックです。帰りも23時くらいになるみたいですから。

その点、8月1日(月)に行われた江東花火大会だと、17時半の出船で値段も1.6万円と半額以下になります。帰りも21時過ぎには桟橋まで戻れました。

しかも江東花火大会は、打ち上げ場所が川に浮かべた台船なのです。したがって、すぐ近くの台船から打ち上がる花火が、丸ごと見られるのです。(動画で確認してみてくださいね。)

真上近くに花火が上がるので、やや首が疲れてしまいますが、近いので迫力はありますね。

屋形船を狙うなら、ここがお勧めだと思います。

晴海屋



他のところも申し込んだのですが、海外からだと言うと、けんもほろろの対応でした。屋形船がいかに閉鎖的かを身をもって知りましたよ。

そんななかで、唯一英語のサイトを持っていたのが晴海屋さん。しかも、推定70歳くらいの女性がペラペラの英語で案内してくれていました。もう1カ国語使えるそうです。

海外の携帯電話をローミングして持っていくという点も、認めてくれたのがありがたいです。船内は掘りごたつ式で、足がしびれないのも嬉しいです。観光立国日本を目指すなら、こういうところからだと思いますけどね。


上記3つは、私が体験してとてもお勧めだと感じました。みなさんもぜひ、試してみてくださいね。
 


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2016年08月19日

戸籍のない日本人



何かを見て、ふと気になったので買ってみました。フリーライターの秋山千佳(あきやま・ちか)さんの本です。

「戸籍がない」とはどういうことなのか? 正直、私にはあまり実感がわきませんでした。

しかし、読み進めるにつれて、ここには複雑な問題が絡んでいるなあという気がしてきました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

だが一方で、この国には毎年少なくとも500人以上の戸籍のない子どもが生まれている。司法統計などから数千人単位でいると予測する学者もいるし、国の統計では補足できない無戸籍の人も含めると、実数は計りしれない。」(p.2)

無戸籍の人が生じるのは、本当に親だけの責任なのだろうか? それに、仮に親の責任だとしても、実際に戸籍がなくて困るのは子どものほうだ。それなのに無戸籍の人たちを突き放すだけでいいのだろうか?」(p.3)

冒頭でこのように言って、少なからず無戸籍で困っている人が存在することを示しています。それを「出生届を出さない親の責任だ」と責めるだけでは、本質的な問題解決にはならないのですね。

では、どうして生まれた子どもの出生届を出さない親がいるのでしょうか? その一例として、DVの問題があると指摘します。

夫のDVやストーカー行為から命からがら逃げ出し、長らく離婚が難航している女性が、新しいパートナーを得て人生の再出発をはかり、子を身ごもったとする。生まれた子どもの出生届を出そうとすると、法律によって自動的に「夫の子」とされ、夫の戸籍に入ってしまう。そうすると、夫が戸籍謄本を取れば居場所や出産したことを知られてしまうため、報復を恐れ、出生届を出せない。」(p.3)

民法772条の規定により、離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子となります。つまり、婚姻中に身ごもった子は、どういう事情があるにせよ夫の子となるのです。夫が拒否しない限り。


戸籍がないとどういう問題が起こるか? 今は、戸籍がなくても住民票を作れるようになりました。それがあれば、運転免許も取れます。

しかし、戸籍がなければ結婚(法律婚)ができません。パスポートが作れません。また、正社員として就職することも難しいでしょう。

いわば、国から「国民」として認められていないような存在なのです。国籍はあるのに。


そもそも戸籍とは何なのか? これが非常に複雑怪奇で、役人や弁護士などでさえ、よくわからない仕組みになっていると言います。

一言で言えば、昔の「家制度」の名残です。戸主が戸籍筆頭者と名を変えたものの、要は代表者である主(あるじ)が、家族を束ねているという形式を表すもの。

家制度そのものは廃止されましたが、戸籍だけは残ったのです。そして、主(あるじ)に権限を与える名残が、民法の規定にも残りました。つまり、主が認めることによって、子どもがその父の子とされる。それが子どもにとっての幸せだという理論です。

戦後、アメリカは個人別の登録にするよう示唆したそうですが、日本が受け入れなかったとのこと。それまでの慣習を変えたくなかったのでしょうね。


戸籍がないことは、一般の人にはなかなか理解し難いことです。特に普段使うものでもなし、なくてもいいのでは? くらいなものです。けれども、当人にとって見れば、大きな疎外感を感じるようです。

どうせ言っても無駄だから伝えない、というのは、相手がどうこうというより、ゆきなさん自身がこれ以上傷つきたくなくて自分に言い聞かせていることなのかなという気もした。恋人に対してだけはない。彼女の心の壁は、戸籍がないまま歩んだこの31年間で、どんどん高くなっているように思えた。」(p.102)


DV夫が怖くて出生届が出せない。裁判をすれば、夫に知られてしまう。今の制度では、この問題に対する解決策がありません。

唯一の解決策が、夫の死だと言います。夫が死んでしまえば、安心して裁判を起こせます。国民の権利でもあり、子どもの人権にも関わる出生届を出すのに、ここまで苦労する必要性があるのでしょうか?


他にも、何らかの事情で出生届を出していなかった人が、あとになって気づいた時、処罰されることを恐れて出生届を出さないでいる、という例もありました。

これなどは無知によるものですが、家族だけに出生届を出す義務を課すこと自体が、現代の家族観と合っていないように思います。

戸籍をめぐる現行の法なり実務なりが前提とする家族の形やあり方は、昔とは大きく変わったわけですよね。それなのにそのまま戸籍制度を維持し、旧来の親子関係を定める民法を維持しようとするから、このような問題が起こるわけです」(p.177)

この問題に詳しい棚村教授は、このように言っています。法とは、そもそも国民の幸せのために存在するもののはずです。しかし、その法によって不幸にされてしまう。そういう現実があるのです。


この問題の根本的な解決のためには、法制度を抜本的に変える必要があります。そこまでやらなくても、少なくとも現在困っている人を救済するために、例外措置を定める法改正という方法もあります。いずれにせよ、政治家が動かなければ、この状況は変わらないのです。

しかし、政治家の中の一部には、強硬な保守派が存在し、その政治家の声が大きいために、他の政治家も「無理に変えなくてもいいんじゃないか」という気分になっているようです。


例えば選択的夫婦別姓制度も、反対派は導入すると家族が壊れるとか弱体化するとか言うんだけれど、いまだって離婚は多いわけだし、児童や高齢者への虐待だって、同じ氏を名乗っても問題が起こっているのは変わらないですよね。戸籍制度もそうです。お隣の韓国が2008年に改めたけれど、家族が壊れたり個人主義が横行したりするわけではないんです」(p.190)

私も、棚村教授の意見に賛同します。夫婦別姓は世界的には普通の制度です。しかも、別姓を強要するのではなく、選択できるようにするだけのことでさえ、強硬に反対する人が多いのには驚きます。


こういう問題で政治家を動かすには、世論の後押しが必要です。しかし、その世論がマイノリティーに対して冷たいのが、日本の特徴のように感じます。

その点、日本は経済優先で、標準と違う人たちに対して、全然優しくないですよね。ついてこられないお前たちが悪いんだと、問題を抱えている人たちを切り捨てていく。家族の問題も置き去りにしてね。その結果、どんどん格差は広がり、家族も無縁化して孤立していく」(p.191)

経済優先が原因かどうかはわかりませんが、日本の社会は均一化、同一化を異常に求める社会だと感じます。ちょっとでも「違う」ということを許さない冷たい社会です。標準であること、他人と同じであること、常識的であることが何よりも求められます。


なぜ、保守的な人は、現に無戸籍で困っている人を救うことすらしないのでしょう? それは、PTの特例案に反対した西川京子元衆院議員が、自民党内の会議で「アリの一穴」と表現したことに表れています。つまり、少しでも譲歩すれば、自分たちが大事にしている家族観が崩壊するという怖れです。

つまり、夫婦別姓も無戸籍問題も、戸籍制度崩壊につながる可能性を不安視する人たちが一緒くたに反発しているというのだ。」(p.231 - 232)


秋山さんは、この本の最後を次の文で締めくくっています。

法律を変える責任は政治家にあるが、その政治家の意識をかえられるかどうかは私たち一人一人にかかっている。」(p.230)


私自身、無戸籍の問題については、よくわかっていませんでした。しかし、この本を読むと、当人にとっては深刻な問題であることがわかります。

わずかな人であっても、そこに困っている人がいる。そういう人たちに関心を寄せ、助けようとする。それは愛ではないでしょうか?

もし愛があるというなら、無関心ではいられないはずです。自分や家族が困っていなければ、それでいいのでしょうか? それで愛だと言えるでしょうか?

困っている人のために、現実に合うようにルールを変える。それくらいのことは、さっさと行う優しい社会になってほしいものだと思います。

戸籍のない日本人
 


タグ:秋山千佳
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2016年08月22日

博多の歴女 白駒妃登美講演録

博多の歴女 白駒妃登美講演録

「博多の歴女」と名乗る白駒妃登美(しらこま・ひとみ)さんの講演録を読みました。

これは一般書店では売られておらず、「株式会社ことほぎ」の制作となっていますが、実際の販売は、「ココロが元気になる出版社」の健ちゃんこと大島健作さんがされているようです。

お申し込みは、健ちゃんのサイト内のフォームに入力するか、メールまたはFAXでお申し込みください。久留米講演が500円、三刀屋講演が700円、2冊で1,200円(送料別)となっています。注文すると冊子が届くので、同封されている振込先(ゆうちょ銀行口座)へ、代金を入金または振込みすればOKです。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

私は「病気に打ち克つぞ、ガンには負けないぞ」って思っていたから、たぶんガンにエネルギーをいっぱい与えてしまったんですね。その結果、最初は1カ所だったのがどんどん転移の数が増えて、ついには主治医から、「この状態で僕は今まで治った人を見たことがありません」っていうふうに言われてしまいました。」(久留米講演p.8)

歴史に詳しい方ということは知っていましたが、ガンの闘病経験があったとは知りませんでした。ひすいこたろうさんとの出会いから、本を出版することになった白駒さんですが、その間にガンの闘病生活もあったようです。


『今、ここ』っていうのに全力投球するのが日本人の生き方。要は、目標という目的地を自分が決めてそこまで必死であがいていくのではなくて、『今、ここ』に全力投球することで天命によって運ばれていくっていうのが日本人の生き方なんじゃないかなぁって気がついたんですね。」(久留米講演p.12)

でも、日本の歴史を振り返った時に、自分が夢をもって叶えた人ってほんとに少ないなって思うんです。じゃ、日本人は夢じゃなく何を持っていたかと言ったら、『志』なんですよね。私は「夢」っていうのは自分が叶えたいもの、言ってみたら for me の思いが「夢」なんだと思うんです。
 でも『志』っていうのは、自分が叶えなくても他の誰かが叶えてくれたらそれでいいって思えるような、もう我を超えた、我を手放した、もっと一段高いレベルでの思いが『志』なんじゃないかなって思うんですよね。だから、我を手放した『志』というものを持った時に、私たち日本人のDNAがオンになるんじゃないかと感じているんですね。
」(久留米講演p.13)

西洋のいわゆるアメリカンドリームや成功哲学などが、日本人にはしっくり来ないのだと言います。たしかに、日本の過去の偉人の生き方は、自分が得をしたいという個人的な目標ではなく、大義のために身を虚しくするというものが多いように思います。


そうすると、「善悪」って場所が変わったら、その価値基準が変わっちゃうし、あるいは時代が変わっても変わるんですよね。
(中略)
そうすると私、善悪で考えるのってなんか結構怖いなって思っちゃうんですよね。善悪じゃなかったら、どんな価値基準があるかというと、最近「楽しいか、楽しくないかで選ぼうよ」っていう人が多くないですか。でも私ね、これも危険極まりない考え方だと(笑)、思うんですよね。
(中略)
 じゃあ、日本人がずっと大事にしてきた価値観は何かと言ったら、『粋か、野暮か』っていう考え方なんですよね。」(久留米講演p.15 - 16)

善悪というのは自分の正義ですから、対立を呼び起こします。自分が楽しいかどうかなら、そういう問題は起きませんが、周りの迷惑顧みずということになりかねません。だから白駒さんは、「粋か、野暮か」という基準が日本人らしいと言います。

たしかに、誰も見ていなければゴミを道路に捨てたりするのは、「楽しい」かもしれませんが、「粋」ではありませんね。「野暮」です。まあ本当は、それを「楽しい」と感じる人はいなくて、「楽(らく)」と考えているだけなのですけどね。


でもね、人間、求めても求めてもたぶん手に入らないんですよ。じゃ、どうしたら手に入るかと言ったらね、求めるんじゃなくて「自分から与えよう」って発想が変わったときに、「与えようと思った瞬間に自分の手の中に欲しかったものが入っている」んですよね。」(久留米講演p.21)

白駒さんは、抗癌剤治療で病院通いをした時、「病院をパワースポットに変えよう!」と思ったそうです。治してもらおうではなく、自分が何か元気になるようなものを与えようとした。それもガンが治った理由の1つではないかと言います。


でも、自分が本当にしたいことが分からなくないですか。分からない人も多いと思うんですよ。分からなかったらね、自分がしたいことなんて考える必要はないと思うんですね。自分がしたいことじゃなくて、『大好きな人を喜ばせてあげたい』って思って、その人たちの笑顔のためにできることをしてあげたらいいんです。そうしたら、今度はその人たちがすっごく応援してくれて、その応援のパワーってすごいんです。」(久留米講演p.25)

白駒さんは、最初はアメリカ型の成功哲学にしたがって、目標設定して頑張っておられたのだそうです。しかし、それで夢が叶ったとしても、安心感とか幸せ感が得られなかったのだとか。

それが病気のこともあり、無理をせずにできる範囲のことで、大好きな人のためにやっていこうと考えるようになったそうです。そうしたところ、本の出版が決まったり、講演に呼ばれるようになったりして、どんどん世界が開けてきたのだとか。


覚悟を持てば、目の前の状況が客観的にどうであろうと、そこで自分のやるべきことが見えてくる。このやむにやまれぬ思いを持った時に、たぶん自分の人生って、希望に満ちあふれているというふうな感覚になるんじゃないかなって、そんな気がします。」(三刀屋講演p.9)

普通なら絶望してしまいそうな状況を前に、希望を感じる人がいると紹介した後の文です。今の状況がどうかではなく、自分の覚悟が重要なのだということですね。


でもね、日本の歴史を紐解いていくと、今を未来の手段にして生きてきた日本人なんて、ほとんどいないんですよね。日本人というのは、いつも「今、ここ」に全力投球してきた。今、自分に与えられた環境を受け入れて、感謝して、ご縁をいただいた人たちに笑顔になってほしいって心から願って、そのためにできることを精いっぱいすると扉が開く。そして次のステージに上っていける。」(三刀屋講演p.18)

こういう、日本人らしい生き方に立ち返った時に、たぶん私の中の遺伝子のスイッチがオンになって、自分で思ってもみなかった免疫力や自然治癒力というのが発揮されて、今こうして生かされているのかな、なんていうふうに思います。」(三刀屋講演p.19)

将来の目標のために今を犠牲にするのではなく、今やるべきことを淡々とやる。それが将来、どうつながっていくのかまでは考えない。そういう生き方が日本人らしいと、白駒さんは言います。


だとすれば、死は好むべきものでもないけれども、憎むべきものでもないんじゃないかな。もし君が生きて人のために尽くせるのであれば、いつまででも生きる努力を続けなさい。でも、もし、今ここが命を懸けるほど大事な場面だと思ったら、その時は潔く命を差し出しなさい。大切なのは、生きるとか死ぬ、あるいはいつ死ぬなんていうことじゃない。本当に大切なのは、生死のことなど度外視して、いま自分がやるべきことをやるという心構えを持つことなんじゃないか」(三刀屋講演p.20 - 21)

これは、吉田松陰から高杉晋作へ、亡くなる直前に送られた手紙の一部を、白駒さんが意訳したものです。白駒さんは、この手紙によって、ご自身が死の恐怖から解放されたと言います。

もともと日本人には、生が良くて死が悪いという二元論的な考え方はなかったのだと言います。すべてを包括して受け入れる。聖徳太子が定める以前から、日本は和の国であり、和を尊ぶ民族性だったのだと。


これは私の解釈なんですけどね、たぶん、死というのは、天が「今までよく頑張ったね」って言ってくれるのが、死じゃないかなって。だってやることがあれば生かされるんだもの。「もうやることが無いくらいよく頑張ったね」って言ってくれるのが、たぶん死なんですよ。そしたら、生きることも、生かされることも素敵ですけれども、死を迎えるのも悪くないなって、今そんな気持ちでいるんです。きっと、そういう”すべてを受け入れる”、”すべてを包み込む”、これが本来の日本人なんだなって。」(三刀屋講演p.23)

生も死も必然であるなら、やるべきことがある間は生かされます。死は残念なことではなく、もう十分によくやったから、帰ってきていいよという天のお告げなのかもしれません。


するとその大学教授は、こう続けました。「そうですよね、あなたのおっしゃる通り、日本が長い間統治していたのは台湾と韓国です。今、その2ヶ国どうなっていますか。先進国でしょ。欧米が植民地にしていた国のどこに、今の先進国があると言うんですか。日本が長い間統治していた国や地域だけが先進国なんです。ということは、同じ”植民地”という言葉で表わされてしまうかもしれませんが、日本と欧米では、その植民地政策の中身がまるで違っていたということの証じゃないですか」。」(三刀屋講演p.32)

これはインドネシアの大学教授から日本に感謝していると言われて、白駒さんが戸惑ったときの会話だそうです。白駒さんはそれまで、太平洋戦争では日本は悪いことをしたとしか考えていなかったのだそうです。

この大学教授は、350年間も支配されてきたインドネシアから、オランダ軍を日本は9日間で追い出して、開口一番にこう宣言したと言ったそうです。「われわれ日本軍は、インドネシアを独立させるためにやってきた。」そしてすぐさま、インドネシア国民の教育に着手したそうです。

支配されることに慣れていたインドネシアの人々は、最初は「独立」という言葉にピンと来なかったそうです。それを日本は何度も独立の大切さを説いて、その考えを浸透させていったのだとか。

全ての出来事はプラスマイナス両面を持っていて、功罪相半ばする。「本当に歴史を学ぶということは、多面的にその出来事をとらえ、そのうえで自分がどういう歴史観を持つのか、これが大事」なんだなって、教え込まれた気がするんですよね。」(三刀屋講演p.32)

インドネシアの大学教授との会話から、白駒さんはこのように感じたそうです。


この後、台湾の話とかも出てきます。オリンピックの話も出てきます。今の日本人からは、すっかり忘れ去られたような日本人が、どれだけ人々につくす生き方をされてきたか、涙なしには読めませんでした。

白駒さんは、何冊かの歴史の本を出版されています。今度、それを読んでみたいと思いました。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:58 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月24日

野口嘉則

野口嘉則(のぐち・よしのり)さんのことを知ったのは、ミリオンセラーにもなった「鏡の法則」だったと思います。

野口さんのプロフィールを見ると広島大学出身となっており、年齢が違いのでキャンパス内ですれ違ったことがあったかもしれないなあと思い、急に親近感を覚えました。「野口さんは大学の後輩です」なんて私が言うのも、親近感の現れです。ただし、彼は広大を卒業していますが、私は中退ですけどね。

野口さんは、メンタルマネジメントを仕事にされています。心理学やコーチング手法などを使って、自尊心を高めて幸せになれるよう指導しておられるのです。しかし、スピリチュアル的な考え方も取り入れられているように思います。


◆野口嘉則さんの本
「鏡の法則」
「3つの真実」
「僕を支えた母の言葉」
「心眼力」
「「これでいい」と心から思える生き方」
「完全版 鏡の法則」
「マンガでわかる 鏡の法則」
「自分を好きになれない君へ」


「鏡の法則」と「3つの真実」は小説です。どちらもハンカチが必須ですね。物語なので読みやすく、かつわかりやすいです。「心眼力」と「「これでいい」…」は、理論的な本になっています。「僕を支えた…」は無料動画でも見られますが、本には写真が添えてあって、心がほんわかと温かくなります。ただこれも、ハンカチ必須です。


◆野口嘉則さんのFacebookの話・動画
「明日葉のおひたしとアシュタバクラの話」
「あなたのストーリー」


「明日葉…」は、野口さんのFacebookページから拾った話です。「あなたのストーリー」は、野口さんの動画から集めてみました。どちらも、感動的な話です。

※参考:「会社で泣いてしまいました」「すべてが最高だと決めてかかれる理由」「生が輝くのは死があるから」「それでもあなたは素晴らしい!」「作者の意図より自分の心の声を大事にする」


もし野口さんのことを知らないのでしたら、まずは動画や小説から入るのが良いかと思います。ハンカチを用意して、思いっきり泣いてください。その感動によって、野口さんの虜になりますから。

野口さんのホームページからは、メルマガや動画セミナーの申込みができます。どうぞ、野口さんの世界に触れてみてください。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:59 | Comment(0) | ├ 著者別まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年08月26日

小林正観

小林正観(こばやし・せいかん)さんは、名前からすると仏教系の方のように思われますが、旅行ライターをされていた方です。

私もあまり詳しくは知らないのですが、そういう仕事の傍ら、スピリチュアル的なものに目覚め、持ち前の唯物的思考から科学的な検証をして、この世の法則のようなものを見出されました。

そして、請われるがままに全国を講演しながら生きる道を選ばれました。自分が何かをしたい、ではなく、頼まれごとを厭わずにやるだけ、という生き方です。そうすると、自分を最高に生かす状況に導かれるのだと。

私が正観さんのことを意識するようになって数ヶ月後、正観さんは亡くなられました。もっと早く知っていれば、直接お会いすることもできたのに、と残念で仕方ありません。

正観さんから影響を受けた方は多く、たとえばベストセラー作家のひすいこたろうさんも、どん底の状態で正観さんの5日間のセミナーを受けて、V字回復されたそうです。


◆小林正観さんの本
「宇宙方程式の研究」
「神様が教えてくれた幸福論」
(神渡良平さんとの対談)
「ツキを呼ぶ「トイレ掃除」」
「もうひとつの幸せ論」
「ありがとうの神様」
「ありがとうの奇跡」
「正観さんと「わたしたち」のちいさな物語」
「ありがとうの魔法」


「ありがとうの神様」「ありがとうの奇跡」「ありがとうの魔法」は、正観さん没後、これまでの正観さんの話をまとめた本になっています。1話を4ページでまとめたもので、とても読みやすく、毎日1話ずつ読むというような読み方ができます。正観さんの教えにこれから触れたいのでしたら、もっともお勧めする本ですね。

「宇宙方程式の研究」は、正観さんにインタビューした内容をまとめた本です。まだ若いころの正観さんの本で、正観さんがどうしてこういう宇宙的な本質に気づくことになったのか、そういうエピソードも書かれています。

「ツキを呼ぶ「トイレ掃除」」は、私がまだ正観さんのことを知らずに買った本です。あとで正観さんのことを知ってから、あれは正観さんの本だったのだと、改めて知ったというもの。今では私も、素手でトイレ掃除をするようになりました。


※参考:「「ありがとう」の効用」「特定の結果に執着しない」「笑顔と感謝のワーク」「息をするように「ありがとう」と言う」「災い転じて福となす必殺技を身につける」
 

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 00:29 | Comment(0) | ├ 著者別まとめ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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