2016年07月05日

魂の法則



何の紹介だったか忘れましたが、おそらく気になって注文したのだと思います。ヴィセント・ギリェム氏の本を読みました。翻訳は小坂真理さんです。

本の帯に、「著者が、幽体離脱で会ったイザヤという存在から教えられた魂と生き方の真実。」とあります。おそらく、そういう内容なのでしょう。

まあ、同じような内容だろうけど、などと思いながら読み始めたのですが、途中からのめり込んでしまいました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

君は進化するために生まれて来たのだ。

 進化するとは、どういう意味ですか? 何において進化するのですか?

 エゴ(我欲)を愛に変化させていく過程を、私は進化と呼ぶ。進化とは、愛することを学ぶことだ。
」(p.18)

幽体離脱した先でギリェム氏が出会った老人はイザヤと名乗り、ギリェム氏に真実を教え始めたのです。


これに対してギリェム氏は、残酷で破壊的なものまである現実は、どうしてこうなのかと尋ねます。憎悪や戦争、飢餓、貧困など、それらの存在する意味がわからないのだと。

もちろん意味はある。進化のためだ。君が、今言ったこれらの災いはすべて、愛の欠如、つまりエゴと呼ばれる同一の源から生じたものだ。各人のエゴが集積すると、現状のようにこの世を完全な地獄にしてしまうが、それぞれのエゴが愛に変わって合わされば、この世を天国に変えられる。内面をエゴから愛に変えるのは、各人の意志にかかっている。
 内側を変えることができれば、当然の結果として、君たちの周りの外側を、そして世界全体を変えることが可能になる。君たちを取り囲む外界は、自己変革を手伝うためにあるのであって、型作りを教わりたい子どもにとっての粘土のようなものなのだ。
」(p.19)

このあたりは、「神との対話」などで示されていることとほぼ同じです。私たちは愛を体験するために、この世に生まれました。だからこの世には、愛がないという状態が必要なのです。


魂は見捨てられてはおらず、ガイド役の霊たちが常に助けてくれている。自分で本当に解決できない問題がある時には、さり気なく答えを示してくれている。
 ただ、君たちには多くの恐れやタブーがあり、自分の先入観や思いこみと折り合いがつかない回答を認めようとしないので、霊界にいる同胞は、なかなか支援できずにいるのだ。
」(p.88)

いわゆる守護霊という存在があって、私たちは常に助けられていると言います。ただ、私たちがその存在を信じようとせず、助けに耳を貸さないから、上手く行かないのですね。


いずれにせよ、この心の声は、問題解決のための助言や援助となって、人生が辛かろうが幸せであろうがどのようであれ、そこから君たちが霊的進化のための最大の恩恵を引き出し、エゴを取り除くプロセスや無条件の愛についての学習に役立つようにしてくれる。援助を受けるには、それが得られることを確信し、答えを見出す必要のある質問をして、良心のささやきがもたらす返答に耳を貸さなければならない。」(p.90)

今の状態を悲惨だと判断するかもしれないけど、それに関係なく、そこで得られる霊的進化のための支援をしてくれる。それが守護霊の働きなのですね。それを受けるには、その存在を信じ、答えが得られると信じて、質問をすることなのです。そして、得られた答えがそれまでの価値観と違っていても、いや違っているからこそ、受け入れることだと言うのです。


だから、人間が、知的、物質的発展に注ぎこんだのと同じ意志力と熱意を、霊的進展に応用したとしたらどうなるかを、想像してみたまえ。
 地球は今、霊的覚醒の時代を生きている。覚醒したいと願う魂が全員目覚めて実行に移せば、物事は急速に変わるだろう。
」(p.122 - 123)

今の地球が霊的な覚醒の時代にあることは、アセンションなどと呼ばれて、多くの人が言っていますね。科学が急速に発展したのと同様に、霊的に急速に進化するのも可能なのです。

自分本位の考えは破壊や苦悩しかもたらさず、真に幸せになる唯一の方法は愛することだ、との結論に達することができたからだ。そして彼らは、愛を育てることと心のなかのエゴを徐々に消し去ることに全エネルギーを注ぎ、その世界を調和のとれた暮らしやすい我が家へと変化させたのだ。」(p.123 - 124)

私たちより少し進んだ文明が、どうやって霊的進化をなしとげたかについて、イザヤはこう語ります。要するに、自分のエゴを廃して愛を育てること、これしかないのです。


魂には、常に幸福を求めるように駆り立てる力があって、幸福を追求することによって進化する。魂は本質的に自由な存在なので、愛がなければ幸せになれないように、自由でいられなければ、霊的に完全に幸せではいられない。」(p.135)

イザヤも、私たちの本質は自由だと言います。

「自由意志の法則」において、好きな道を選んで適切な決断をする自由が魂に認められているのなら、「霊的裁きの法則」では、自分の行為の一つ一つがそれぞれの結果をもたらし、遅かれ早かれそれらが自分に影響することを知らねばならない。別の言い方をすると、「種は自由に蒔けるが、刈り取る責任がある」のだ。」(p.146)

これはバシャールが、「与えたものが返ってくる」と言っているのと同じですね。蒔いたものは刈り取らねばならないのです。原因と結果の法則とも言えます。


復讐の一種のように違反者を罰することが目的だとしたら、「目には目を」だと理解できる。しかし、この法則の趣旨は罰することではなく、他人に行った行為を自ら体験して、魂の進化を促進させることなのだ。
 別の言い方をすると、「霊的裁きの法則」は、我々が学び取れるような方法で、各人をそれぞれの行為と向き合わせてくれる。そして、自分が招いたものと文字通り同じ状態を経験する必要はないものの、それが最も速い習得法なので、惨めな霊的な劣等感から脱却したいと願う多くの魂がそうしている。
」(p.155)

奴隷をこき使った農場主の魂は、次は奴隷の子どもに生まれ変わる。それが罰ではなく、愛を育てる最も効果的な方法だから、魂は自らその転生を選ぶのです。

したがって、困難に立ち向かう人たちがいることを喜びなさい。第一にその人たちは、更生しようと深く肯定的に改心した魂であり、第二にそれほどの試練に直面すること自体がかなり進んだレベルに達したということで、負債を集中的に清算することにも成功する可能性があるからだ。」(p.158)

何も悪いことをしていないのに、悲惨な目に合う人がいます。そういう魂は、過去の負債を清算しようとした勇気ある魂なのです。バシャールも、障害を持って生まれた人を憐れむなと言います。彼らは勇敢なのだと。

しかし、それによって、愛の学びにおける霊的な進歩ができる。そうして真の幸福へと近づけるので、自己記録を更新してゴールした長距離選手がレースを頑張って良かったと思えるように、悲惨な状況を上手く乗り越えられると、努力の甲斐があったと思うものなのだ。
 このような選択は進化した魂特有のもので、後進の同胞を助けるために転生して導こうとする、愛ある行為だ。そして同時に、自分自身もさらに速い進歩を遂げようとする。なぜなら、後進の者の恩知らずな行為と不正の多くに耐えなければならないので、無条件の愛の能力が試されるいい機会となるからだ。
」(p.159)

あえて悲惨な人生を選ぶことを、魂がどう感じるかを長距離選手のたとえで説明しています。これはなかなか面白い例です。そして、そういう転生は、後進の魂を助けることにもなるし、自分のさらなる成長にもつながるのです。


すべての災いを根絶する唯一の方法は、一人ひとりの心からエゴを一掃することだが、エゴの毒を解毒できるのは、愛だけなのだ。
 腕組みをしながら救済者がやって来るのを、待っていてはいけない。行動するのだ。そうすれば助けが得られる。「愛の法則」を信奉する高次の魂は、いつでも君たちを影から応援するために、そばにいるのだ。
」(p.160 - 161)

最終的に、すべての人がエゴをなくさなければ、災は根絶できないと言います。しかし、そのエゴをなくす方法は、唯一、愛することだけなのです。だから勇気を出して行動し、助けを求めるようにと言うのですね。


「自由意志の法則」で、魂が幸せでいるために自由が必要だとしたら、「愛の法則」では、魂が幸せでいるには愛することが必要となる。これら二つの法則を統合すれば、魂は幸せでいるためには自由に愛することができなければならない、と言えるだろう。」(p.172)

「神との対話」でも、愛は自由であり、人はだれも自由に愛したいと願っている、と言っています。

他者を愛したければ、自分を知り、自分を愛することから学びなさい。自分自身を愛せない者には、他者を愛することができない。」(p.173)

自分を愛するというのは、自分が他者より優れていると思いこみ、利己的な気まぐれを満たすことに専心することではなく、自分の愛情の欲求や感情を認めて、それを人生の原動力となるように発展させていくことだ。」(p.173)

自分に正直になる、ということですね。他人の顔色をうかがって、自分をごまかしていてはいけないのです。


感情は魂(霊体)から生まれ、思考は頭脳(メンタル体)から生まれる。」(p.178)

これも「神との対話」で、「感情は魂の声だ」と言っているのと符合します。


魂は実際に苦しむことで感受性を高め、特に自分と似通った状況を経験した他者の苦悩を、より敏感に感じ取れるようになる。その者に対して芽生える連帯感は、愛の萌芽なのだ。」(p.185)

悲しみを多く経験すれば、他人の悲しさに共感できます。ですから、あらゆる体験が重要なのですね。


我々全員が学ぶべき大切な教訓は、真の幸福とは、他者が自分を愛するかどうかで決まるのではなく、自分が愛せるかどうかによるということだ。だから幸せになりたければ、他者が自分を愛してくれるのをがむしゃらに求めるのをやめ、自分自身の感情を目覚めさせるようにしなさい。」(p.188)

他人から愛されるから幸せになるのではないのです。自分がどこまで愛せるようになるかによって、つまり自分がどこまで進化するかによって、自分の幸福が決まるのです。


相手の立場になって、どう感じるだろうか、その状況でどうして欲しいだろうかと分析してごらん。
 自分が発信者または執行者となって行おうとしていた行為についての判断が、その行為の受け手となれば変化するのなら、君の態度に何らかの利己心や不公正な部分があったということだ。送り手としても同じ姿勢でいられるのなら、公正に近い判断だ。

(中略)
 最終的には「自分にして欲しくないことは他者にしてはならない」と「苦悩の原因であり意志の侵害だと知っていることを、他者が、自分や自分の庇護下の者にしないように尽くせ」という金言に要約できるだろう。」(p.201)

重要なことは、昔から言われている通りです。エゴは、「自分さえ良ければ」という判断基準です。それを、自分も相手も良くなる、という愛の判断基準に変えるのです。


完全生へと向かう過程において、魂がある程度の期間にわたり利己的な段階を経ることと、それが多くの転生で継続し得るのは避けられない現実だが、それは有益であるとも言えるのだ。なぜなら、自分の個別性や意志を再認識して、愛がない時にどう感じるかを味わえるし、愛を感じられるようなるにつれて、愛がある時の気分をありがたく思えるようになるからだ。」(p.209)

これも「神との対話」にあるように、愛がない状態を体験しなければ、愛の素晴らしさがわからない、ということですね。


ここまで、非常にたくさんの引用をしてきましたが、その多くは「神との対話」などで示されている内容です。ただそれを、より具体的に示していると言えるでしょうか。

イザヤの話が100%本当かどうかは、なんとも言えません。また、ギリェム氏も、自分の言うことを信じるのではなく、書かれている内容を自分で判断するようにと言っています。

けれども私は、「神との対話」などとほぼ符合していることから、十分にありえる内容だと感じています。そして、ここから驚きの内容へと進むのですが、それはこの続きにて書くことにします。

魂の法則
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:35 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月06日

聖なる旅



これも何の紹介で興味を持ったか忘れましたが、翻訳が山川紘矢・亜希子夫妻だということで、安心して買った本だと思います。

著者はダン・ミルマン氏です。大学で花型体操選手だったミルマン氏ですが、そこでソクラテス氏と出会うことで、覚醒の道へ踏み出すことになったのだそうです。

その話は、「癒しの旅」(原題:The Way Of The Peaceful Warrior)という本になって、全米でベストセラーになったそうです。



この本は、それに続く第二弾です。フィクションだということですが、どうやって覚醒していくかをドラマ仕立てでわかりやすく書いたものになっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただ、これは物語ですので、あまりネタバレにならないように引用をとどめます。

彼女は僕をさえぎった。「今、あなたの目の前にあることだけを処理しなさい。そして、先のことは先にまかせなさい。さもなければ、あなたは人生の大部分を、まだ、角まで半分しか来ていないのに、どっちの足から先に歩道からおりようと考えて過ごすようなことになりますよ」
「前もって計画をたてたり、将来のために準備するということはどうなのですか?」
「計画は役に立ちます。しかし、それに執着してはなりません。人生には意外なことが沢山ありすぎますからね。一方、準備は、あなたが計画した未来がやって来なかったとしても、するだけの価値があります」
」(p.109 - 110)

ママチアと呼ばれる女性から指導を受けることになった主人公のミルマン氏は、将来を心配しすぎないようにと言われました。

ついつい将来を心配してお金を溜め込んだり、楽しむために時間を使わないなど、私たちの「今」の過ごし方には、非常に問題があると指摘されています。

ここでは、計画や準備の重要性も認めながら、未来の出来事(=結果)に執着しないことを強調しています。

なお、この話の続きですが、準備したことが巡りめぐって他で役立つという例を、ママチアが説明しています。


私は自分の人生から、人生がまさにひどいことになってゆきそうに見える時こそ、実は、飛躍のための準備が整った時だということを学びました。行きづまったと感じた時、あるいは停滞し、後戻りしていると感じた時、実は、走り始めるために備えているのよ」」(p.123)

順風満帆だけの人生はありません。しかし、逆境は悪いことではなく、飛躍の前触れだとママチアは言います。ですから、人生に無駄なものは何もないのですね。


「そしてその時」と言って、彼女は足をとめて、僕を見た。「下の階段がきれいになっていれば、とても精妙で、すばらしいことが人生に起こってきます。あなたの目標が、幸福を求めることから、幸福を作り出す方向へと、劇的な変化をとげるのです。
 最終的には、それは奉仕となります。イエスは次のように言っています。『あなた方の中で、最も偉大なる者は、すべての人々に仕える者である』と。ダン、これがハートの道、内なる山へ登る道なのです。そして、どうぞ覚えておいて下さい。いつか、あなたは、自分のためでも、罪悪感や社会人としても自覚からでもなく、それ以外にやりたいことがないから、他の人々に奉仕するようになるでしょう。それはあなたを幸せにして、他の人々にも教えてあげたいと感じさせるすばらしい映画を見るのと同じくらい、気楽で楽しいことと感じられるでしょう」
」(p.216 - 217)

覚醒が進むことによって、私たちは自分の幸福を求める生き方から変化してくると言います。それは、他の人々に仕えたくなるということです。何も求めることなく、ただ仕えようとする。それはまさに「愛」に他なりません。


でも勇気は筋肉みたいなものです。訓練すると強くなってゆきます。人は逆境に出会うまでは、自分の魂を試しはしません。ここにいる人々は、最もつらい感情的、肉体的な戦いに直面しています。恐怖にかられた人々によって追放された彼らは、子供たちの笑い声のない村で生活しているのです。ハンセン病という言葉は、『そっぽを向かれた者』と同じ意味を持つようになっています。世界から見捨てられ、避けられている者なのです。これほどのことに直面する人はほとんどいません。そして、これほどの魂の力を示すことのできる人もまれなのです。」(p.249)

ハンセン病のことは、日本でも問題になりましたね。しかしママチアは、彼らをかわいそうな人々とは見ません。魂の力を示そうとしている人々と見ています。あえて逆境の中に身を置き、魂を試そうとしている。そういう勇気ある存在なのだと言うのです。


物語の主たる部分は、ミルマン氏がママチアから指導されて、少しずつ覚醒していく話になっています。

現実的には妻と上手く行かず、娘にも負債を感じながら、逃げるように旅に出たミルマン氏。そこでママチアと出会い、かつてソクラテス氏から示されたように、彼女の指導によって覚醒していくのです。

この話はフィクションですが、おそらくミルマン氏の体験を元にしたものだと思われます。地球的に覚醒の時代に入ったと言われる今、自分自身の覚醒を考える機会になるのではないでしょうか。

聖なる旅
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:50 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月07日

ツイてる!



もう中古でしか買えないようですが、友人が勧めていたので買って読みました。

2004年が初版の斎藤一人さんの本ですが、「これが最後の描き下ろし」と帯にあります。たしかに最近の本は、講演録のような本ばかりで、一人さんが書いたという本はありません。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

不況だろうが、自分の親がどうだろうが、自分がどんな環境に置かれていようが、明るく考えるということをしなければ、人は明るくならないんです。
 だから、私は自分に対して、こういい続けてきました。
「自分は、どんなときでも明るく輝く太陽なんだ。どんなときでも、生まれてきてしあわせだと、いい続けるんだ」
 これが私の精神論です。
」(p.16)

目の前の現実がどうであろうと関係なく、自分の心を明るく保つと決意する。これが一人さんの考えの中心なのですね。

中村天風さんも、同じようなことを言われています。それに、思考が現実を創るという「引き寄せの法則」からしても、こうでなければいけませんね。


要するに、自分は、この世に遊びに来ているんだ、という観念でいるんです。だから、私にとっては、仕事も遊びです。人生、すべてが遊びなんです。
 遊びなんだから、おもしろくて、楽しくなくてはいけないんだ、と。じゃあ、どうしたら、おもしろくて楽しくなれるのか。そういうことを、いつも考えていたんです。
」(p.20)

人生はゲームだと、よく言われます。私も、その通りだと思います。人生が遊びだったら、楽しくないはずがありません。だから、楽しむことを考えればいいのですね。


では、なぜ、私は「ツイてる人間」なのか、ということになるのですが、答えはいたって簡単です。昔から「ツイてる」というのが口グセだったからなんです。」(p.39 - 40)

ツイてない人間って、自分のことを「ツイてない人間だ」と思っているだけなんですよ。ツイてる人間と、ツイてない人間の違いとは、たったそれだけのことなんです。」(p.40)

一人さんは、自分はツイてるだけの人間だと言います。実力(能力)ではなく、運が良かったのだと。そして、その運を良くする方法が、単に「ツイてる」と言うことだったのです。自分のことを「ツイてる」と思い込めるかどうかがポイントなのですね。


青森へ旅をするのだとしたら、東京から青森までの道すがらが楽しいんです。
 お金持ちになるのも、それと同じです。お金持ちになるのに一〇年かかるのだから、その一〇年間に自分がやるべきことを楽しみながらやり、エッチラ、ホッチラ歩いていけばいいんです。そうすれば、道すがらは楽しいし、一〇年経てば本当にお金持ちになれるんです。
」(p.92)

結果が得られるまでに時間がかかります。私たちは、その過程を無駄だと考えがちです。結果を得るから意味があるのであって、結果が得られないなら徒労だと。

一人さんは、違う考え方をされます。もちろん結果が得られれば良いのですが、そうなる前の過程においても、そのことを楽しむのです。そうすると、自然と結果がついてくるという考えなのです。

結果に執着してはいけないと、多くの人が言っています。それが「引き寄せの法則」を上手に使うコツなのだと。一人さんも、同じことを語っておられるように思います。


成功とは旅路です。
「今、ここ」を成功だと思って、歩き出した人が成功者です。成功をつかんだ人が成功者なのではありません。「成功をつかんだ」は、もう過去のことなんです。
」(p.93)

成功を「求める」なら、今あるのは「求める」という状態です。成功していない現実ですね。それを思っているなら、それが現実となります。ですから、「すでに成功している」という今を続けることが重要なのです。

旅路は、帰ってくることが目的ではありません。出発してから帰着するまで、そのすべてが旅路であり、楽しみなのです。


ただし、不完全主義だからといって、いいかげんにやるのではありません。やるからには、やはり、一〇〇%を目指す。
 でも、人間がやることは最高で七八%だから、結果については、
「よかったね」
 というんです。それで、できなかった二二%をチェックしておいて、次回はこれを改良する。これで人はよくなるんです。
」(p.107)

最初から完璧を望まない、期待しないということですね。しかし、常に完璧を目指すのだと。

でも、限りなく完璧を目指すけれど、完璧にはなれない。だからこそ、退屈しなくて済む。人生が楽しいんです。不完全主義って、いいでしょ。」(p.108)

常に目指せる上があるから、何度でも挑戦できる。そのことを楽しいと考える。それが、生き方のコツなのですね。


一人さんは、人が不安を持つのは当然で、むしろなくそうとしてはいけないといいます。なぜなら、それが人間だからと。

しかし、不安に悩む人は多いです。それに対して一人さんは、こう言います。

ですが、これは諦めるしかない。
「諦める」というのは、自暴自棄になれということではありません。ここでいう「諦める」は、「明らかに眺める」ということです。
 一体、何を明らかに眺めるかというと、人間は不安な動物で、生きているうちに不安はなくならないんだ、と。不安をもっている自分は正常なんだ、今日も生きているんだ、ということです。
 人間というものは本当に不思議なもので、不安があるのが普通だと思うと、意外と不安がなくなるものなんです。
」(p.121)

つまり、沸き起こる感情を、否定せずに受け入れるということですね。そうして始めて、その感情を乗り越えることができるのです。

「不安を抱いてはいけない」と、理性的に対処しようとすると、感情を抑圧することになります。これは自己否定と同じですから、上手くいかないのです。

嫌だと思っているだけでは何も生まれないけれど、
「この不安があるなかで、自分は何ができるだろう」
 と考えだしたとき、人は動き出す。現実が変わるんです。
」(p.121)

拒否して、逃げているうちは、現実を変えることができません。受け入れて、そこからスタートすると決めることで、やっと変えることができるようになるのです。


誤解しないでくださいね。私は、結婚はしないほうがいいと、いっているわけではありません。結婚は、したほうがいいんです。
 なぜかというと、結婚式をしているときがしあわせで、別れたときは倍しあわせ。そのうえ、夫婦でいる間に修行になるんですから。
 何の修行かというと、人は人を変えられない、という人間関係の修行です。そのことを学ぶために、相性の悪い人間同士が一緒に合宿生活するんです。
」(p.129)

一人さん独特の結婚観ですね。前半のは茶化している感じもしますが、ある意味でそうだなと思います。

後半のは、まさに結婚の良いところだと思います。人間関係があるからこそ、人は成長することができます。自分にはないものを見せてくれるからです。「神との対話」でも、アドラー心理学でも、人間関係が重要だと言っています。


こんなふうに、”いいこと”と悪いことはセットなんですが、だからといって、私は”いいこと”が起きたときにビクビクすることはありません。
 躊躇も遠慮もなく、つかむんです。
 なぜかというと、”いいこと”だけつかもうと思っていたら、何もつかまらないから。
」(p.134)

心屋仁之助さんも、同じようなことを言われてました。ものごとはすべてコインの裏表。良い面があれば、悪い面もある。だから、良い面だけを得ようとしても、悪い面がセットでついてくるのです。その悪い面を恐れて手を伸ばさなければ、何もつかめないのです。


今がしあわせだと、過去の不幸がしあわせなことに思えてしまう。過去の嫌な出来事が、今の自分の宝なんだと思えてしまうものなんです。
 たとえば、自分は幼い頃に大病して、「つらい思いをした」という人がいるとします。けれど、あのとき大病したからこそ、今、人に思いやりをかけてあげられる人間になったんだ、と。いい体験してよかった、そう思う日が、やがてくることもあるんです。
 こんなふうに、過去のどんな出来事も「しあわせ」と思える人は、今も「しあわせ」です。今が「しあわせ」だからこそ、未来がしあわせになるんです。
」(p.140 - 141)

一人さんは、過去は変えられると言います。これは、「神との対話」でも言われていることですね。今が幸せなら、過去の不幸な出来事さえ、良い出来事に思えるのです。出来事は変えられなくても、その解釈が変わります。解釈が変わるとは、体験が変わることなのです。

そして一人さんは、未来は変えられないけれど、今を幸せで生きるなら、未来が変わってくるとも言います。つまり、今の思考が現実を創造するのです。


隠しているから周囲の人は、その人の弱みが見えない。だから、補ってあげられない。
 これが、失敗なのです。そして、これが、ふしあわせな世の中なのです。
 そうなりたくないと思ったら、相手の欠点を責めなければいいんです。
 お互いが弱い部分を欠点と見るのではなくて、
「自分があの人の役に立てる部分はここなんだ」
 という捕らえ方をしていけばいいんです。
」(p.166)

完璧な人はいないのに、人は他人の欠点を責めがちです。また、自分の欠点を直そうとします。しかし一人さんは、これを補い合えるチャンスだと捉えるのですね。


現状をすべて肯定するところからスタートする一人さんの考えは、とてもシンプルで理に適っています。また、スピリチュアル的にも合致するもので、一人さんがどうやってこういう考え方を得たのが、本当に不思議に思います。

この本は新書版で、CD付きとなっています。私は中古で買ったため、残念ながらCDが付いていませんでした。まあでも、一人さんが書かれた本ということだけで、十分に価値はあると思います。

ツイてる!
 

タグ:斎藤一人 CD
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 10:25 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月08日

もう国家はいらない



ホリエモンさんの本を読みました。と言ってもこれは、ホリエモンこと堀江貴文さん田原総一朗さんとの対談本になっています。

タイトルを見て、ホリエモンさんがどういう考えでそう言うのかを、詳しく知りたいと思って買いました。しかし残念ながら、その期待に応えてくれる内容ではありませんでした。

田原さんの質問がその問題に集中しないので、結論を得ないままに先に進んでいるという感じを受けました。

またこの本は、対談形式にはなっているものの、主にホリエモンさんが語り、田原さんが聞き手という感じになっています。もっと突っ込んで聞いてほしいのにというもどかしさを感じながら、読み終えました。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

田原 2009年から3年間政権を握った民主党なんかも「日本解体」と打ち上げた。しかし、実際にはまったく、何もできなかった。
堀江 結局、解体とか再生とかいっても、同じシステムの上に立っていれば、変えることはできないんです。なぜかというと、中央集権的なしくみには管理する人間がいて、そこに利権が発生するからなんです。
田原 革命を起こしても、為政者が変わるだけで何も変わらない。たしかに、世界中のどの国でもそういう繰り返しが行われてきたんですよ。
堀江 だから、国を本当に変えるなら、まずしくみを変える必要があるということなんです。
」(p.36)

このように、中央集権的な人が人を管理する仕組みをやめる必要があると、ホリエモンさんは言います。このあとで道州制にも触れていますが、私もまったく同感です。もっと民営化して、小さい政府を実現することが重要だと思っています。


堀江 僕は今、国家がどんどん小さな政府になっていって、最終的には所得の再分配機能、つまり富める者から貧しい人へお金が配られるしくみがあれば、それでいいと思うんですよ。」(p.53)

このように、大胆な国家解体論を主張するホリエモンさんです。すぐに疑問に思うのは、外交や軍事はどうするのか?ということです。しかしここから、再分配の話になってしまい、そこからお金の話へと展開します。

結局、国家解体の話は、これだけで終わりです。どうしてこれが本のタイトルになるかなぁと思うのですが…。まあそれは、編集者の意向もあるのでしょう。


言い方かもしれないけど、これから先は、お金に縛られる必要はなくなるだろうと思うんです」(p.57)

お金があるかどうかではなく、シェア(共有)という仕組みの方が重要なのだと言います。これからはシェアによって仕事も得られるし、お金も得られる時代になるのだと。


堀江 その国の中だけで見たらわかりにくいんだけど、世界的に見たら、昔のほうが格差はものすごく大きかったわけです。」(p.59)

私も同感です。日本のマスコミは、日本の格差が拡大したと騒ぎますが、昔と比べれば格差はあまりありません。海外と比べてみたって、日本の格差はそれほど大きくないのです。


堀江 コンテンツをつくっていたクリエイター自体が、テレビからネットに移ってきているというのもありますね。目端が利く人たちはだんだんとそっちに行ってますよ。シェアできないのはテレビにとって本当に致命的だと思う。「このシーンがおもしろかった」というようなことを本当は伝えたいのに、できないのはものたりないじゃないですか。」(p.79)

ホリエモンさんがシェアにこだわる理由が、ここでやっとわかりました。シェアは楽しいんですよね。しかしテレビは、著作権がどうのこうのと言って、コピーすることを許しません。だからテレビは廃れるとホリエモンさんは言います。


堀江 お金のために働くのでなく、やりたいことや社会のためにお金をつくる方法が生まれている。お金がないからとあきらめることはないんです。」(p.113 - 114)

クラウドファンディングのように、共感が得られれば寄付を募ることができます。これもまた、シェアの考え方ですね。


堀江 先ほども言いましたが、未来に対して批判的になることより、僕はむしろ、未来に対して楽観的になることのほうが難しいと思うんです。
田原 そう、まったくそうですよ。
堀江 それに、他人を恨んでもしょうがないし、そもそも思い通りに動くわけがないんです。自分の行動しか、自分で変えられないわけですよ。世界を変えたいと思ったら、自分を変えるのが一番なんです
」(p.155 - 156)

ホリエモンさんの、この達観した考え方はどこから出てくるのでしょうね。楽観的に考える方が難しいから、あえて楽観的になろうとするのですね。

そして、他人は思い通りにならないと決めて、自分が変わろうとする。こういう姿勢でものごとを考えるのが、ホリエモンさんなのだなあと思いました。


ホリエモンさんの発想は実に素晴らしく、以前に読んだ本「お金はいつも正しい」でも、その内容を紹介しています。今回も、ビットコインのことを解説し、これによって国家がお金を管理する時代ではなくなるということを言われています。

そういう新たな考えに触れられたことは良かったのですが、本のタイトルにある国家がいらなくてやっていける方法について、もうちょっと触れて欲しかったなあと思いました。

もう国家はいらない
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:06 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月09日

「魂の法則」の要点

先日読んだ「魂の法則」が、予想を超えて素晴らしく、あまりに引用したい文が多かったことから、残りを要点としてまとめることにしました。

前半部分の引用は、すでに本の紹介記事「魂の法則」でしていますから、そちらをご覧になってください。

前半部分を大雑把にまとめると、著者のヴィセント・ギリェム氏が幽体離脱によってイザヤと名のる老人と会い、そのイザヤからこの世の真実を教わる話になっていて、そのほとんどは「神との対話」などで言われているようなことでした。

ただ、具体的に守護霊のような支援する霊がいることや、転生によって辛く厳しい人生を選ぶ魂がいるというカルマの意味などが、わりと詳しく書かれていました。


では、その後の部分を引用しながら紹介します。

これらのエゴのうちの一つから脱却するのにも、計り知れない歳月がかかることがある。しかし魂がエゴを自覚し、それに流されれば他者を傷つけると認識した時から、自己の行為にもっと責任を持ち、自分がもたらす苦悩に関しても敏感になる。するとある時点で、魂は感情に目覚め、愛する必要性を感じ、幸福になるためには愛さねばならないと気づく。」(p.210)

まず、エゴの脱却には相当な時間が必要で、何回も生まれ変わる必要があるということを言っています。そして自分の行為が他者を傷つけるという「気づき」がきっかけとなって、愛を選ぶようになるのです。

それは強制ではなく、自らそれを選ぶということです。選ばざるを得なくなる、ということですね。

子どもが一日で話せるようにならなくても、言葉は何年もかけて習得していくものだとわかっていて絶望しないでいられるのなら、幼い魂が愛せるようになるのに霊的に何年かかったとしても−−何回も転生することだが−−焦ってはいけないのだ。」(p.211)

聞いてわかったから、すぐにできるという問題ではないのです。それぞれに進化のスピードやレベルがあるのですから、それをじっと見守ってあげることが重要なのですね。


慎重であれば、適切な状況でなければ感情の表現方法を変えるかもしれないが、感情を押し殺すことはない。だが、怖れはそうする。人は怖れに捉われると、実際には危険も脅威もなくても、怖れが頭の中でそれを現実化してしまい、感情の表現を抑えこんでしまう。他者の反応を恐れるあまり、自分自身の人生に関して決断しなくなる時から、感情の抑圧が始まるのだ。」(p.214)

「神との対話」でも、感情を抑圧することが問題だと言っています。その原因は、やはり怖れ(不安)なのですね。では、感情を抑制するようになったのは、どうしてでしょうか?

一部はエゴ自体から生じ、残りは幼児期からの教育のせいだ。君たちの惑星での教育は、感情を強く抑制するものなのだ。
 長い間、君たちの教育方針は頭脳を発達させることを重視し、頭脳そのものを利用して感情の育成を抑えてきた。子どもたちは、感じたり感情を表現する大きな能力を携えて、あるがままの姿を表現しようと、心を思い切り開いて生まれてくる。しかし、感情や喜びや自発性を抑圧され、喜びを味わうたびに罪悪感を覚えるように、小さい頃から愛の代わりに執着を体験させられてきたのだ。
 何世代にもわたって、子どもたちに教えてきたものは何か? 良い子というのは言うことを聞く子で、親や教師や大人の意志や、社会の規則や便宜の奴隷であるということだ。
 子どもがどうしてそうしなければならないのかわからず、その理由を尋ねた時に「父親の私がそう言うからだ」と返答したことがどれほどあろうか? そして両親が不機嫌ならば、子どももそのイライラを我慢しなくてはならない。命令と厳格さばかりで、自由が少ない。
 親や大人に聞かずにしたことは、すべて悪いことになる。笑うことも、泣くことも、話すこともいけないことで、親の許可を得ずに黙っても悪いとされる。「私が認める人とだけつき合い、その人を好きになって、言う通りにしなさい。お前のためだ」と言うのだ。
」(p.215)

ちょっと長かったのですが、ありありとわかるので引用しました。大人が子どもに、感情を抑圧するよう仕向けていることが、これで明らかだと思います。


君たちの世界の弊害の多くは、まだ感情に鎧を着せていない子どもたちを愛せば、解決されることだろう。愛せば、愛を許容するだろう。子どもたちを一世代にわたって愛せば、世の中は一世紀も経たないうちに天国へと変わるだろう。」(p.216)

なんと大胆な予想でしょう。私たちの問題の多くが、子どもたちを強制せず、愛することによって解決してしまうというのですから。

でも、私もそう思います。子どもたちの無防備な笑顔を見ていると、私を含めた大人は、いつから鎧を着てしまったのだろうと思います。そして、自分に正直になれなくなっているのです。もし、子どもたちが、その純真なままに大人になったら…。どうして他者を傷つけたり、自分だけ得をすればいいというような、エゴを前面に出すようなことができるでしょうか?


変わろうという意志と感情の力によってのみ、人生というものは逆転し、憎しみの連鎖を断ち切れる。こうして、固く締められていたネジは緩み始め、愛のない方向へ回されたネジは一つまた一つと反転して行き、最後には完全に引き抜かれる。
 苦痛を感じ愛のない状態でいる人のすべてが、このような決断をしたとしたら、世界は一世代で変わるだろう。両親から愛された子どもは、保身の鎧を被らない世代であり、愛されて育てられたので、愛することを恐れない世代となる。
」(p.219)

親や大人たちから押し付けられ、強制されてきた私たちは、トラウマとまでいかなくても、心にしこりを残しています。そんな私たちが大人になった時、子どもに対して同じことをしてしまいます。この負の連鎖を断ち切ろう、自分が受けた苦しみは他人に与えないようにしようと決意することが、悪循環を断つことになるのです。


人が愛する場合は、愛する人と自分の自由意志を尊重しようと努める。自分がその人と一緒にいられなくても、愛する人が自由で幸せでいられるように尽くすのだ。
(中略)
 本当に愛する者は、愛する人を所有しようとはせず、愛する人が他の人たちを愛しても不快に思わない。
(中略)
 執着がある者は、愛情を要求し、強制し強要する。自分がすることの見返りをいつも求める。
(中略)
 真実の愛を感じる者は、無条件に与え、感情を束縛しない。強制も強要もせず、愛する人に何の見返りも求めず何の要求もしない。」(p.226 - 227)

これが愛(本物の愛)と執着(偽物の愛)の違いです。愛と自由はセットです。自由にさせない愛は、偽物なのです。


理解のある家族と暮らす者にとっては、家族が霊的な発展を遂げるための支えとなる。しかし、地上の人類はほとんど成長していないために、霊的な覚醒に取り組もうとする者は少数である。しかも、同じ家族の中に似通った魂がいて、霊的進歩に取り組むつもりであっても、同時に覚醒できることは非常に稀だ。そのため、先陣を切るのが一番難しいが、それができる人が他の者のために道を切り開かないといけない。」(p.231 - 232)

覚醒は、誰かから始めなければなりません。そうやって道を作れば、後から続く人たちは楽になります。支えてくれる人が多くいるからです。


攻撃欲はどう乗り越えるのですか?

 まず自分にそれがあることを認め、次に理解によって克服しようとしてみなさい。
」(p.244)

なんでもそうですが、まずはそれがあると気づくことがスタートになります。自分にエゴがあると気づくこと、愛がないと気づくこと。それを否定しているうちは、先に進めないのです。そして、理解による克服を次のように説明します。

誰かに傷つけられてそうなるのであれば、それは相手の魂の成長が足りず、愛の認識に関してほとんど進化できていないためだと理解すべきだ。かつては自分も同じように霊的に無知な状態で、今されたことと同じことを人にしていたのかもしれないと気づきなさい。自分の利己的な行為が理解されることを期待するのなら、他者の利己的な行為に関しても寛容な態度をとらなくてはならないと理解すべきなのだ。
 我々が直面する逆境の多くは、我々に嫌がらせをするために出現したのではなく、愛の学習とエゴの克服を促進させるためのもので、その多くは生まれる前に自分自身で選んだものだと理解するのだ。そして大半を占めるその他のものは、自分の頑固さと不寛容や羨望など、他者の欲求や意見を尊重したり理解しなかったために、我々自身が招いてしまったものなのだ。
」(p.244 - 245)

思考を変えることで感情を変える方法ですね。そのためにも、輪廻転生があることや、この世は愛を体験するために存在するということを、知って信じる必要があるのです。

他者を傷つけずに不快さを解放する、いい発散方法がある。
 それは、どう感じているかを言い表してみることで、自分に湧き起こった感情を認めて、そうなった理由を述べてみることだ。聞き手は、傷つけないように当事者以外の穏やかな人が好ましく、攻撃欲には簡単に屈しない信頼できる人でなければならない。
」(p.245)

カウンセリングのような手法ですが、表現してみるだけなら1人でもできます。ともかくその感情を認め、受け入れ、表現してみることが重要なのですね。


死は単なる移行期で、実際に死ぬのは体だけで愛する者は生き続け、遅かれ早かれまた一緒になれる、と理解できる者は、もう生きる希望を失うことがない。そればかりか、再会の時が来たら大いに楽しめるように、物質界で何でもやり残さないようにと、もっと頑張って生きようとする。
 進化した世界では、人が死んでもそれが肉体からの離脱のプロセスだと皆が理解しているので、誰も、悲しんだり、絶望的になったり、苦々しく思ったりしない。その反対に、仲間が魂の真の故郷である霊界に戻るので、喜んであげるのだ。
」(p.249)

「神との対話」でも、死は魂にとっては救いだとあります。ですから死は悲しむべきものではなく、喜ぶべきものなのだと。莊子の妻が死んだ時、莊子は瓶を叩きながら歌っていたという話があります。死を悼むのが当然という常識も、単に思い込みなのでしょう。


つまり、自尊心の強い者が本当に必要としているのは、愛され愛することなのだが、自分の愛情の欲求を認識せずに抑圧してしまうことが、安全弁のように、セックスへと逃避させてしまう。要は、愛の欠如をセックスで補っていることになる。そのために過度の性欲があるが、虚無感は、性的なものではなく感情的なものなので、性関係では満たすことができずに満足できない。
 そこで、益々セックスを求めるようになる。そうすることで、この心の空洞を癒やそうとするのだが、上手く行かずに、前述のような堕落した様式に至る場合もある。
」(p.250)

「愛の選択」でも、セックスは体の欲求で、愛は心の欲求だと言っています。本当は愛が欲しいのに、その欲求を性的な欲求と履き違えているから、いくらセックスしても満たされないのだと。私も「強烈な性欲の正体がわかった」という記事で、そのことに気づいたことを書いています。


怖れを克服する方法として、以下のようにイザヤは言います。

自覚と勇気を持つのだ。まず、自分が怖れているということと、何を怖れているかに気づくことだ。深く分析してみれば、怖れの一部には根拠がなく現実的な脅威とは結びつかないことや、少なくとも思っていたほどではないことがわかるだろう。現実の脅威に根ざした怖れの場合には、それを生み出した状況や環境に勇気を持って立ち向かい、決断を下す際に、恐れに負けないようにすれば乗り越えられる。」(p.261)

まず、湧き起こった感情を認めることですね。その上で、冷静になって観察する。他の考え方ができないか探ってみる。そして、最後にはやはり勇気です。アドラー心理学でも、勇気を出して一歩を踏み出すことが重要だと言っています。


君たちは、夫婦になるということは、自由意志の一部を放棄することだとまだ思いこんでいるが、そうではない。たとえば君たちは、結婚したり同棲すれば、絶対に果たすべき義務であるかのように、相手と性関係を持たねばならないと思っているが、それは違う。人は、嫌だったり望まないのであれば、ただ結婚しているという理由だけで、性関係を義務づけられたりはしない。
 また、単に性関係を持ったというだけで、その相手と一緒になる義務もない。さらに、どんな状況で一緒になったにせよ、自分にない気持ちを感じなければならない義務もない。
 そして、これが一番重要なのだが、そのために罪悪感を覚える必要はない。感情とは強制されるものではなく、自発的に湧き出さなければならないからだ。霊的な観点からは、すべての上に自由意志があり、他のあらゆることに勝るのだ。
 執着を手放さない限り、愛の至福を味わえはしない。愛にとっての執着とは、鳥にとっての鳥かごだ。
」(p.282)

結婚に義務がないことは、「神との対話」でも言っています。自由は私たちの本質ですから、それを制限することがおかしいのです。そして、それを制限するのは不安だからであり、不安から生まれるのは執着です。ですから、執着を手放すことが重要なのです。

情熱に関しては、多くの場合、愛とは何の関係もなく、誰かを所有したいという満たされぬ欲求であり、我々が執着と呼ぶところのエゴが顕現したものだ。人は物ではないので所有できないし、本人以外の誰にも属さない。愛することと所有したいこと、愛と執着とを、混同してはならない。
 はっきりさせておこう。誰かを愛するように強いることはできない。愛が自由でないならば、それは愛ではないのだ。
 感情は強要することができない。感情は提言や操作、強要にも命令にも従わない。愛されたいのであれば、何の見返りも期待せず、無条件に愛することだ。そうすれば、いつか、「原因−結果の法則」が、与えたものをもたらすだろう。
」(p.284 - 285)

まさに「神との対話」で示されたように、愛は自由なのです。感情は魂の声であり、魂は自由ですから、自分以外の何にも支配されません。


精神的に調子が悪い時には、霊体とメンタル体との間でショートが起きていて、それがエネルギー体(アストラル体)に伝達されると構造を乱して、波動を下げてしまう。
 この「エネルギー低下」は、送電系の一部が停電したように、アストラル体の特定の箇所に支障をきたし、そこと繋がっている身体の部分にきちんと活力を与えられなくなってしまう。こうして生命エネルギーが不足して活力をなくした領域は身体の残りの部分と連動しなくなり、その結果、活力を失った組織は他と調和して機能できなくなってしまう。
 エネルギーの供給が途絶えると、通常の細胞の機能は影響を被り、遺伝子異常が起こり始め、細胞が破壊されて進行性の病となったり、細胞が制御不能なほど増殖し始めて癌を発生させたりする。
」(p.288)

アストラル体はエネルギーの供給元のようなもので、そこでイメージされたものが物質化し、我々の身体になっていると言います。ですから、アストラル体からのエネルギー供給が少なくなると、身体は正常に機能できなくなるのですね。

また、アストラル体に影響を与えているエネルギー低下は、精神的に調子が悪いことが引き金となります。つまり、否定的な考えや感情が、病気の原因となるのです。では、感情の葛藤を解消すれば、病気は治るのでしょうか?

それは正論だが、問題を解決できるためには、本人にかなり深い変化が起こらねばならない。「エゴ的感情」にしがみついたままで感情を抑圧し続ければ、一つの病気が治ってもまた別の病気になる。それは、特定の葛藤を解消できたとしても、同じような「エゴ的感情」を引き起こす別の葛藤が再び現れてしまうからだ。こうして病気の根本的な原因に行き当たる訳だ。
 本当に病気を発病させる原因とは、エゴとその顕現形態なのだ。そして、治癒効果があり健康にするのは、愛とそれを表現することなのだ。
」(p.289)

否定的な思考や感情を改めたとしても、エゴがある限り、別の形で出てくるというわけですね。ですから、病気を根本的に治すには、エゴを廃して愛に生きる他ないのです。

病気は、人がより高次の理解や愛、叡智へと進歩するために役立つ手段なのだよ。すでに述べたように、肉体の病は、内面の感受性の表現を妨げる頭脳の障壁を弱めるので、実のところ、進化に寄与するものだ。
 人が愛における進化で成し遂げた変化は、失われることがない。どこに行こうと、自分と一緒に持って行ける。これは、人生で得られるものの中では、最も貴重なものだ。生涯を通しての目標に掲げることができ、もしそれを達成できたとしたら、魂は自分の仕事に満足して、穏やかに霊界に戻ることができる。実際、自分の魂に成し得た変化だけが、死ぬときに持って行ける唯一のものだ。なぜなら、物的な成果はすべて、物質界に残るのだ。
」(p.292)

病気は無駄なものではなく、霊的な進化に役立つと言います。そして、霊的な進化こそが、天に積むことができる宝なのですね。


次に、精神や肉体の障害を持った子どもや、その家族への接し方について、イザヤはこう言っています。

普通の子に接するように振る舞いなさい。実際、普通の子どもなのだ。外見で判断してはならない。肉体の奥底に、皆と同じような魂を見出すだろう。その子、その愛する者の中に、不完全な肉体を見るのではなく、完全な魂を見ることだ。そしてその魂の通りに、完全な存在として扱ってあげなさい。不具合な衣装の下には、健全な肉体の人と同等かそれ以上に力強く生き、感じ、気づくことのできる人がいるのだ。」(p.296)

バシャールも、障害を持った人を哀れみの目で見るなと言います。とても勇敢な魂なのだからと。

それと同じように、楽器となる肉体が一時的に調子外れだからといって、愛という心の曲を聴き取り、それを表現する可能性を魂から奪ってはならない。普通の子どもに接するように、その子に話しかけたり、気持ちや愛情を表して伝えたりすることが、不毛な努力だと思ってはならない。」(p.296)

楽器が壊れているからと言って、弾き手の才能が限定されるわけではありません。一時的に思い通りに弾けないだけです。ですから子どもも、制限があるのは身体や精神であって、魂は愛情を感じられるのだと思って、普通の子どものように接すべきだと言うのです。

すでに言ったが、繰り返しておこう。肉体的または精神的な障害は一時的な状況で、それはひと度肉体が消滅するや、終わることだ。だが、その体験を通して、当事者や周囲の人びとに生まれて根付いた感情は、魂の糧となって永続する。そして、それが真に大切なことなのだ。」(p.297)

障害は、今生だけのもの。ですから、嘆くひつようもなければ、悲しむひつようもありません。そこで何を感じたかが重要なのですね。魂は体験しようとしてこの世に来るのですから。

愛への第一歩は、他者も自分と同じ感情を持ち、自分が苦しむのと同じことで苦しむのだと認識することだ。」(p.297)

生まれ変わるとき、前とは反対の立場として生まれることで、両サイドの感情を味わうことができます。それが魂の進化成長につながることであり、つまり、愛に近づくことなのです。だから、愛に近づくには、相手の立場を思いやることなのです。


特定の運動(ヨガ)をしたり、人がパイプとなってエネルギーを供給したり(レイキなど)、生体エネルギー発生器などによって、悪い流れを取り去り活力を与えることができる。
 エネルギー治療は、アストラル体レベルに作用し、疲弊したエネルギーを洗い流し、そこに新しい活力を供給し、気の流れを修復する。生体エネルギーを用いた治療は、病気の回復を促したり、症状を緩和させることに貢献する。
 だが、エゴ的な感情を放棄できなければ、アストラル体の乱れが再発し、その結果、肉体の病も再び出現することとなる。それゆえ、霊体、メンタル体、エネルギー体、肉体を総合して、治療に取り組むべきである。
」(p.301)

ここでレイキが出てきたのには驚きました。著者のギリェム氏は、レイキもされているようです。

レイキがアストラル体に直接作用し、病気の回復や症状緩和に役立つと言うことです。ただし、エゴを持っていると、またエネルギーの乱れが生じて、病気を再発させてしまうのです。それでレイキでは、五戒を唱えて、エゴ的な感情を捨て去るようにしています。

レイキとは、宇宙の生命エネルギーを利用する自然療法の一つで、肉体的、精神的な病気の治療に役立つ。レイキは、宇宙的生命エネルギーを意味し、それを発見した日本の先駆者に命名された。
 現在ではその名前で有名になってはいるが、健康改善を目的としたエネルギーの授受は、何千年も以前から、磁気やプラーナなどの様々な名称の下に行われてきた。それは、「奇跡の癒し」と呼ばれたイエスの手かざしのことなのだ。
」(p.301)

レイキと呼ばれていますが、イエスなど、手かざしで病気を治すという例は多々あります。日本では手当て療法というジャンルになりますが、昔から行われている自然療法です。


病気は、運命のいたずらでも神の罰でもなく、霊的成長の糧となるものだ。
 今生で患う病気は、今回の転生で立ち向かわねばならない試練を知らなかったり受け容れようとしなかったのが原因か、または心に従って行動や生活せずに霊的な内面を抑圧したのが原因だ。
 このような場合、肉体的な病は内部の病気の警報として作動し、自分を変えるように誘導する。
 先天性またはカルマによる病気のケースでは、原因は前世での行為の中に見出せる。それは、溜まった負債を清算するための試練であり、魂が霊的により高い段階へと昇るために障害となる心理的毒素を肉体に受け渡すプロセスなのだ。
」(p.308)

つまり病気は悪いものではなく、魂の成長のために良いものだ、ということですね。


イエスの最大の功績は、携えてきた愛のメッセージを布教した果敢さと勇気にあるのだ。そうすることで、多大な苦悩や死さえも被ることを知っていたにもかかわらず、誰の脅しにも屈せずに自分の考えを変えることがなかった。」(p.312)

よく言われているように、十字架にかかることが功績ではないと言います。もしそうだと言うなら、何十万にもの罪人にも同じ功績を認めなければならなくなると。イエスの功績は、愛のメッセージを伝えたことなのです。


真のマスターは、自由意志を尊重する。つまり、絶対に自己の見解を押しつけず、自分が手本となって宣教し、抵抗するものを受け取るか取らないかは、他者の自由に任せるのだ。したがって、権威主義に訴えて正当化することはなく、絶対に「俺の言う通りにしろ。俺はマスターで、悟りを得た神の使者だぞ」などと言ったりしない。」(p.336)

ここでも、自由が重要な価値観であることを言っています。今の宗教には自由がありませんから、そういう意味では、今の宗教指導者は真のマスターではないのです。


それに、皆の魂の過去を一人ひとりじっくり回顧したならば、過去生のどこかで、誰もが殺人者や人食い人種、またはその両方であったとわかるだろう。もし今、それを異常だと思うのであれば、それは霊的に成長できたからであり、自分の能力を試すために繰り返し転生したことで、犯した誤ちを修正する無数の機会を得たからである。」(p.356)

私が今、「人殺しなんてとんでもない」と思えるのは、私が立派だからではなく、過去に殺人を犯し、また殺されたりする経験をたくさん積んで、霊的に成長しただけなのですね。


霊界にはイザヤ以外にも多くの人がいて、最後にその姿を表します。そして、愛の教えを広めたいけど、聞いてくれるかどうか不安があるというギリェム氏にアドバイスします。

ジュノー:やろうと思うことを心からやってみうこと自体に、価値があるのだ。もし百万人に一人でも、このメッセージに耳を傾けてくれる人がいて、その人が感情を目覚めさせ愛の経験に心を開くことができたのなら、その価値はあったということなのだ。」(p.370)

ベスタ:その能力があるのか、と問うのはやめなさい。全員に愛する力があるのだから、多くの人にその能力があるわ。だけど、自分の日常生活に差し障るのも構わないで、気楽さを放棄してまでそうしようと思う人は僅かよ。自分自身に、やりたいのか、やりたくないのかを聞いたほうがいいわ。したいと思うこと自体、すごい力なのよ。あなたにできないことは、私たちが手伝ってあげる。いつも、あなたと一緒にいるわ。」(p.370)

非常に勇気づけられる言葉です。できるかどうかではなく、やりたいかどうか。どれだけ成果を上げるかではなく、わずかでも効果があるなら、やる意味があるのです。


レイキに関しては、まだ多くのことが書かれていますが、これは別のところで引用することにします。

私が今、やろうとしていることの方向性を明確にし、大きく背中を押してくれた一冊です。続編も購入したので、そちらも楽しみにしています。

魂の法則
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:49 | Comment(2) | └ 本の要点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月14日

レイキ施術所をオープンしました

バンコクでレイキ施術所をオープンしました!

と言っても、普通のアパートの一室を、書斎代わりに使う許可をもらい、そこでレイキもやろうということなんですけどね。ですから、書斎兼レイキ施術所になります。

名前を、「レイキ癒し処」と付けました。同じタイトルでWEBサイトも作りましたので、ぜひご覧になってください。


部屋の広さは20平米くらいでしょうか。それに洗いものができるベランダと、シャワー&トイレ(タイ語で本・ナーム=水の部屋)がついています。

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入口から除くと、こんな感じで正面にホン・ナームがあり、両サイドにベランダがあります。部屋の右側に机を置いて、書斎スペースとしました。

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部屋の左手にはソファを置いて、お客様が来られた時に座っていただけるようにしてあります。

中央部分は空けてあって、ここに椅子やベッドを出してレイキの施術をしたり、レイキの練習交流会も開催できるように丸椅子も用意しました。

iyashidokoro20160714-3.jpg


書斎部分を正面から見ると、こんな感じです。背後には掛け軸をかけました。叔父が形見分けとしてくれたもので、空海の言葉が書かれています。

iyashidokoro20160714-4.jpg


反対側はこんな感じで、ソファの両サイドが少しごちゃごちゃしているのが玉に瑕ですかね。物置スペースがないものですから。


ここを拠点にして、1年間はレイキを広めるために頑張ってみようと思っています。

バンコクへ来られたら、ぜひお立ち寄りくださいね。

→ 「レイキ癒し処」 WEBサイト
 
タグ:レイキ 書斎
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:30 | Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月15日

ゆるんだ人からうまくいく。 CDブック



以前に紹介した「ゆるんだ人からうまくいく。」の続編になります。本のタイトルは同じですが、添付されたCDが特別なものになっています。

著者は、ひすいこたろうさん植原紘治(うえはら・こうじ)さんです。出版社のヒカルランドのセミナーに参加し、植原さんのルン・ルを聴いたのですが、そのときにこのCDブックが発売されると聞いたので、その場で予約しました。

いきなりで、何がなんだかよくわからないという方は、最初に前作の紹介を読まれることをお勧めします。上記のリンクから飛べますから。

前作のCDに入っていたのは、約20分の簡易バージョンのルン・ルでした。今回は約1時間の正規バージョンとなります。

しかも、マイケル・ジャクソンの録音も手がけられるなど、録音のプロである藤田武志氏が録り貯めてきた太陽や月の音などを加えて、「ルン・ル宇宙交響曲(シンフォニー)」となっています。

さらに、無音版の「ルン・ル無言交響曲(シンフォニー)」も加わっています。これは、植原さんの発する波動(エネルギー)が入っているのだとか。

ともかくこのCDがブックは、このCDが主力です。そのために1万円を超える価格になっていますが、このCDの価値を認める人なら、高いとは思わないでしょう。

それがわからない人は、前作を先に買って読まれることをお勧めします。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

このCDを繰り返し味わうことで、あなたの中の「余分な力」が解放され、身も心もゆるんでいきます。
「余分な力」とは、自分とはこういうものだ、という固定観念、また、こうでなければいけない、こうすべきなどと自身を縛っていた価値観、つまり、「余分なわたし(自我)」が解放され、ゆるみはじめるのです。

 すると、「わたし」の背後に控えていた「存在」(いのち)の力が湧き上がってくるのです。そのとき、あなたは自分の眠っていた潜在能力に腰をぬかすほど驚くことでしょう。
」(p.12)

このルン・ルは、BGMのように聞き流してよいものです。何を言っているかなど確認する必要もありません。それで、変化があるから不思議なのです。

もちろん、この変化というのは人それぞれで、聞いた回数も関係ないそうです。私も、めだって何かが変化したということもありませんが、心地よいので聴き続けています。


僕がルン・ルと出会ったのは2010年です。経営コンサルタントの船井幸雄さんがその著書で、ルン・ルを絶賛されていたのが興味をもったきっかけです。
 船井幸雄さんは、ルン・ルを聴くと、脳波がアルファー波、シータ波の領域よりもさらに深層のデルタ波までいくと感動され、「これはデルタ脳波速読法だ!」とおっしゃっていました。
」(p.18 - 19)

ひすいさんがルン・ルと出会ったきっかけは、船井さんだったのです。瞑想もレイキもそうですが、脳波がアルファー波、シータ波、さらにはデルタ波がよく出るようになる、ということはあると思います。


そうか! ルン・ルのCDの中には、植原先生の「いかなることがあっても大丈夫、死んでも大丈夫」という確信のエネルギーが入っているから、それを聴いてると、知らず知らずにゆるんでいくんですね。」(p.43)

CDをずっと聴いていると、「大丈夫」って思いに自然になっていきますよ。」(p.44)

「安心していること」が大事なのだと、私はいろいろな本を読んだりして気づきました。何があっても大丈夫だと思えるとき、人は不安にとらわれることなく、愛を選べるのですから。

ルン・ルは、そういう安心感を与えてくれるツールと言えますね。


ほんとうに自分を変えたいと思ったら、心地よいことばかりやっていたらダメなんです。
 稲を育てるときだって、稲を冷蔵庫に入れて、凍え死にそうなところまで追い込んで戻してやると、グンと生命力が上がっていい実を実らせます。
 人から追い詰められるのは嫌ですが、自分で追い込んでいくんです。
 どんどん追い詰めて、もうこんなに辛いなら死んだほうがましだということが何度も何度も襲ってきます。そのうちにこんなに辛いなら死んでもいい、もう逃げられないからお任せします、ということになります。
 そのとき、「今、死んでもいい。好きなようにしてください。ありがとうございます」と、言ってごらんなさい。なにが起こるかはお楽しみです。
 想像もしなかったようなことが起こります。
 起こることはみんな違いますが、あることが起こり、そしてわかります。
 そして、ここがターニングポイントだということがわかるのです。
 そこから次のステージに行きます。
」(p.110 - 111)

植原さんは、このように含みをもたせたようなことを言われます。

ただ、この意味はなんとなくわかります。多くの成功者の人生が、どうしようもなく追い詰められて、そこで運命に抗うことをやめたとき、飛躍の始まりとなっているからです。

レイキの創設者の臼井甕男氏も、鞍馬山で死を覚悟した20数日の断食の末に、悟りを開いたと言います。そして、レイキが使えるようになっていたのです。


アマゾンのオカルト部門で1位を続けた前作ですから、うさんくさく思われるのは仕方ありません。

でも、ここには何かあるとピンと来られたなら、ぜひ読んで聴いてみてください。

ゆるんだ人からうまくいく。 CDブック
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:03 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月21日

次代を切り拓く先生方へ

次代を切り拓く先生方へ

たまちゃん先生こと、小玉宏さんの本を読みました。

と言っても、これも自費出版です。出版したのは「ココロが元気になる出版社」健ちゃんこと大島健作さん。島根県で大島建材店をされていますが、今は「お役立ち屋」という肩書で、人々を助けて喜んでもらうという活動をされています。

この「次代を切り拓く先生方へ」など、たまちゃん先生の小冊子などは、書店では販売されていません。健ちゃんのWEBサイトでお求めくださいね。

たまちゃん先生の小冊子は、これまでに第1弾「いつも心に太陽を」、第2弾「小さな一歩が世界を変える」そして第3弾「未来の扉を開く心の授業」の3冊を紹介しています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

人が幸せになるのを阻む最大の要因は、劣等感です。
劣等感は、生まれつきのものではないんですから、
自分のせいではありません。
小さい頃から劣等感を植え付けられて、刷り込まれてきたのです。
その劣等感があなたをいつまでも苦しめます。
」(p.17)

自己肯定感が低いとか、自尊心がないなど、表現方法はいろいろありますが、要はこの劣等感です。たまちゃんは、親や周りの大人が、命令して従わせようとすることによって、この劣等感が生まれると言います。

人間というのは、ほめられたくて生きています。
ほめることは、自己存在感をストレートに与えることです。
ほめることが「愛」なのです。
欠点を言われながら成長することはできません。
ほめられると、能力以上の力を発揮します。
そしてそれが、成長の原動力となるのです。

親や教師の役割は、目の前にいる子どもに、
「大丈夫。あなたなら必ずできるよ。
 たとえ今はできなくたって、失敗は学びなんだから、
 落ち込む必要なんてまったくないんだよ。
 しかもね、失敗が多いほど、人に優しくなれる。
 そんな人に成長できるって、とっても素敵だよね」
って応援し続けることなんです。

「成功するか失敗するか」が重要なのではなく、
「やるかやらないか」こそが最も重要なんです。
」(p.18 - 19)

子どもを励まし、失敗することも素敵なことだと伝える。失敗が素敵なことなら、成功しようと失敗しようと、どっちでもよくなります。だから、大丈夫なのです。安心して行動できるのです。


「ありがとう」は、
感謝の言葉であると同時に、
自分自身を肯定する言葉なのです。
」(p.86)

褒められたら、それを謙遜するのではなく、感謝して受け取ることです。それをやっていると、自己肯定感が高まるのですね。


親や教師って、
自転車に乗り始める時の補助輪のような存在だと思うんだ。
いつの日か、
補助輪を外して一人で上手くバランスを取って
乗れる日がやって来る。
でもそれって、
親にとって、あるいは教師にとって、
すごく嬉しくて誇らしいことだよね。
」(p.87)

子育てや教育の目的は、アドラー心理学でも言うように、子どもの自立なのです。自分の頭で考え、判断し、行動する。そのためには、安全な失敗を繰り返さなければなりません。たまちゃんは、自立のことを「子離れ」と表現しています。


誰しも、
自分の正義に従って動くのですから、
正義が敵対する相手が信じているのも、
自分なりの正義です。

(中略)
誰だってみんな、
自分が正しいと思って
行動しているのです。
」(p.93)

正義は人の数だけあります。常識も、価値観も、倫理も、すべて同じです。そのことに気づくことが、とても重要なのです。


事実は
一つかもしれないけれど、
解釈は
無限大にあるんだよ。
」(p.111)

出来事はニュートラル(中立)です。それにどういう意味を与えるかによって、「良い出来事」にもなれば「悪い出来事」にもなるのです。


幸せになるのはとっても簡単です。
ただ「幸せです」って
言えばいいだけですから。

(中略)
「幸せ」と言っていれば、
苦しいことの中にも
幸せの光を見出すことが
できます。
」(p119)

幸せは意思なのです。自分が幸せと思うかどうか、それだけの問題なのですね。


自分の力だけで
叶えられる夢なんて
誰も手伝ってくれないけどさ、
とてつもない夢を
抱えてる人を見ちゃったらさ、
思わず駆けよって
手伝っちゃうもんなんだよ。
」(p123)

小さな夢は、自分の力で叶えられるでしょう。でも、大きな夢を見たら、多くの人が手伝ってくれる。だから、大きな夢を見た方が素敵だと言うのです。


歴史を創りあげてきた科学者は全員失敗してるんです。
だけど彼らは決してへこたれなかった。
たとえ誰から認められなくても、
死ぬまでへこたれなかったんです。
それどころか、「いつか必ず分かる日が来るんだ」って、
みんなそう言い残して死んでいくんです。
すごい信念ですよね。
」(p.145)

ここには、電気抵抗の単位にもなったオームの人生が取り上げられていました。涙無くして読めないほど、オームに感謝したくなる内容です。

今では誰もが当たり前のように使っている物も、これまでのたくさんの科学者たちの、くじけなかった夢の賜物なのです。そのことを思っただけで、ありがたくて泣けてきます。

そんな話を理科の授業でされたら、子どもたちの目の輝きが変わるのも、ある意味で当然のように思います。人の生きざまが、人に感動を与えるのですね。


この他にもたくさんのメッセージや話が、素敵な写真とともに収録されています。

この本はもともと、たまちゃんが執筆・出版してきた「人の心に 感動と 生きる希望の火を灯す」「一燈照隅 〜足もとを照らす人になる〜」の2冊をもとに、再編集して作ったものです。先生方が元気になって、ワクワクしながら授業できるようにとの願いから、この本が作られました。

電子書籍でも読めるそうですが、健ちゃんは最近になってこの本の存在を知り、自分で出版したくなったのだそうです。それで、そのオリジナルの他にいくつか付け足して、この第3版にしたということのようです。

6月25日、一時帰国して帰省した時、島根県三刀屋市で行われた「たまちゃん先生講演会」に参加しました。そこで、予約していたこの本を受取ることができました。



おかげで、たまちゃんのサインもいただくことができました。私の質問にも答えてもらえて、とてもラッキーでした。

たまちゃんのサイン
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:13 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月27日

幸せなセックスの見つけ方



なんとなくピンと来て、昨年購入した本でしたが、やっと読むことができました。著者は劔持奈央(けんもつ・なお)さんです。

劔持さんは、15歳の時にレイプ被害に合われたそうで、それをカミング・アウトして、セッションを行うなど活動をされています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

そんななか気づいたことがありました。それは「満たされない何かを埋めるという行為は、結局、いつまでたっても満たされない自分をつくっているだけ」ということ。私が私を愛することをしてあげないと、絶対に自分を救うことができないと気づいたのです。自分の愛情不足を埋められるのは、自分だけしかいないということでした。」(p.24)

いつも依存的な恋愛を繰り返していた劔持さんが、ふと、このことに気づかれたのですね。

まず自分を愛さなければ、他人を愛することができない。多くの人がそう言っていますが、劔持さんもまた、それを実感されたようです。


きっと、ほとんどの人が、何かしら自分に都合の悪い真実を封印して、生きていることと思います。でも、真実をゆがめて生きるということは自分に嘘をついていることなので、いつか苦しくなって、人生がうまくいかなくなってしまうのです。」(p.28 - 29)

劔持さんはレイプ被害に合ったことを、「私はかわいそうで憐れな女」という被害者意識として考えていました。しかし心の奥底には、「だまされてついていった!」という思いがあったのだとか。

本当は自分が決めてついていったのが原因で、自分がおろかなだけだった。そのことを正直に認められなくて、苦しんでいたのだそうです。

思い切ってフタをあけ、真実を認めると、自分を愛せるようになり、周りからも愛される存在に生まれ変わります。」(p.29)

劔持さんは、15年かけてやっとフタを開けられたと言います。その真実に気づき、カミング・アウトすることによって、自分自身が解放されたのです。


女性はね、自分のマザーになれるのです。それは、フタをしていた感情を味わい切った時にわかります。そして、その時に初めて、本当の意味で「感謝が湧き起こる」という経験もしたのです。子宮に包まれると、もうそこにはいいとか悪いとかがなくなって、イヤだったことも、うれしかったことも、全部が愛おしくなっています。子宮とは、そんな存在なのです☆」(p.71)

劔持さんは、女性性の象徴として、子宮を取り上げています。子宮が本来の自分であるという感覚なのでしょうかね。


こうした感覚を繰り返していくうちに、私はひとり宇宙を通して、本当の意味での「自立」を得ることができたのです。
 どのようなことかというと、膣に記憶されてしまった過去のイヤな出来事も、オーガズムを通して浄化できると知ったことで、自分のカラダがとても愛おしく思えて、「自分のカラダって本当にスゴイなぁ〜。素敵だなぁ」と何度も感動してしまったのです。
 このことは、「何があっても大丈夫!」という揺るぎない自信につながり、自分の人生に起こったすべての出来事を受け入れていく「覚悟」へと発展しました。
」(p.106 - 107)

「ひとり宇宙」というのは劔持さんの造語で、要はオナニー(マスターベーション、自慰)のことです。オナニーによって自分を愛することが、真の自立へとつながっていると言います。

「神との対話」でも、まず自分を愛することを勧めていますが、その中にオナニーのことも語っています。タントラのヨギがそうするように、まず自分にたっぷりと喜びを与えることで、相手を喜ばせるセックスができるのだと。


私は、一度目の結婚の時、自分を満たすことよりも、「いい妻」や「理想の女性」になろうとがんばっていました。言葉では優しさを伝えていても、それは優しさのフリだったこともありました。そんな時は、あとで不満な気持ちが湧き起こってきたり、イライラしたりしていたのです。
 でも、今は自分を徹底的に満たすことができるようになったので、満たされた私からあふれる愛で、自然とこのような言葉がかけられるようになりました。
」(p.169)

不安から、本当の自分を隠して生きようとすると、どうしても苦しくなります。そうなると、他人を愛することができません。重要なのは、まず自分を愛で満たすこと。自分で自分を愛することなのですね。


もし、長年一緒にいるパートナーと、最近ちょっとマンネリ化していると思われる方は、毎晩眠る時に「今日が最後かもしれない……」と思ってみてください。すると、本当に大切なことが見えてきます。
 日常の些細なことで彼とケンカしてしまった時でも、相手のすべてが愛おしく感じ、朝までずっと抱き合っていたい気持ちが生まれ、「今日も本当にありがとう」を伝えて眠りにつくことができるようになります。
」(p.192)

私も、しょっちゅう「これが最後かも」と考えるようにしています。そう思うと、優しくなれるのですね。


この本には、具体的なオナニーのやり方なども書かれています。それを「いやらしい」と考える人もいるかもしれません。ですから、そう決めつける人にはお勧めしません。

本当に自分を愛するとはどういうことなのかを、真剣に考えている人には、とても役立つ本だと思います。

また、女性だけでなく、男性にもお勧めです。女性の性はどうなのかを理解するのに役立つからです。そして、男性も同じだなとわかると思うからです。

幸せなセックスの見つけ方
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:10 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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