2016年04月01日
幸せになる勇気
衝撃的だったアドラー心理学を世に広めた前作「嫌われる勇気」に続く第二弾が発売されると知り、迷わず購入しました。
著者はまた、岸見一郎(きしみ・いちろう)氏と古賀史健(こが・ふみたけ)氏のコンビです。
例によって線を引き、ページに折り目を入れながら読みましたが、ほぼすべてのページに印が入るほど。前作と同様に、濃い内容の本でした。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。ただ、とても全部を紹介しきれないので、詳細はまた本の要点としてまとめるつもりです。ここでは、気になったポイントだけ紹介します。
「もしもアドラーの思想に触れ、即座に感激し、「生きることが楽になった」と言っている人がいれば、その人はアドラーを大きく誤解しています。アドラーがわれわれに要求することの内実を理解すれば、その厳しさに身を震わせることになるはずですから。」(p.8)
イントロダクションで哲人はこのように語ります。哲人もまた誤解から入り、理解の階段を登り、確証を得ていったと言います。では、その得た確証とは何か?
「ひと言でいうなら、「愛」です。」(p.9)
「アドラーの語る愛ほど厳しく、勇気を試される課題はありません。」(p.10)
ここまで読んで、私はすっかりこの本の虜になりました。この本が、間違いなく本質に切り込んでいることがわかったからです。
「これは親子であれ、あるいは会社組織のなかであれ、どのような対人関係でも同じです。まずは親が子どもを尊敬し、上司が部下を尊敬する。役割として「教える側」に立っている人間が、「教えられる側」に立つ人間のことを敬う。尊敬なきところに良好な対人関係は生まれず、良好な関係なくして言葉を届けることはできません。」(p.41)
人間関係で重要なのは、まずは「尊敬」だと言います。そして、それは自分から先に尊敬することなのです。特に上の立場の人ほど、自ら先に尊敬するのです。
では、「尊敬」とは何か?どうすることか?それを社会心理学者のエーリック・フロムの言葉で説明します。
「尊敬とは、人間の姿をありのままに見て、その人が唯一無二の存在であることを知る能力のことである」(p.43)
「尊敬とは、その人が、その人らしく成長発展していけるよう、気づかうことである」(p.43)
他者を変えようとせず、操作しようともしない。条件も付けずにありのままのその人でいいと認める。それが「尊敬」なのです。
そして誰かから無条件に一方的に尊敬されたら、その人は大きな勇気を得ると言います。生きるための一歩を踏み出す勇気です。
「人間は誰もが「わたし」という物語の編纂者であり、その過去は「いまのわたし」の正当性を証明すべく、自由自在に書き換えられていくのです。」(p.67)
現在の状況を過去のせいにしている人は、実は自分が過去の歴史を編纂していることに気づいていないと指摘します。
歴史は勝者によって作られると言いますが、同じことを個人でもやっているのです。そうやって変われない自分を演出しています。
アドラー心理学では、叱ることはもちろん、誉めることにも否定的です。叱ることは、不安と恐怖で相手を支配することですから、わりとわかりやすいでしょう。では、どうして誉めることもダメなのか?
「彼らは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」のだし、「罰を与える人がいなければ、不適切な行動もとる」というライフスタイル(世界観)を身につけていくのです。」(p.92)
つまり、賞罰を与える人に依存することになるのです。自らの考えで行動するのではなく、動機がすべて、どうすれば叱られないか、どうすれば誉められるかという、相手の顔色をうかがうようなものになります。
これでは、自立することができません。自分らしく生きられないのです。
「よく、謝罪文や反省文を書かせる人がありますが、これらの文書は「許してもらうこと」だけを目的に書かれたものであって、なんら反省にはつながらない。書かせる側の自己満足以上のものにはならないでしょう。」(p.118)
前に「反省させると犯罪者になります」という本を読みましたが、そこにも同じことが書かれていました。アドラーもすでに、そのことを見抜いていたのですね。
「だからこそ、教育する立場にある人間、そして組織の運営を任されたリーダーは、常に「自立」という目標を掲げておかねばならないのです。
(中略)
カウンセリングも同じです。われわれはカウンセリングをするとき、相談者を「依存」と「無責任」の地位に置かないことに最新の注意をはらいます。」(p.122)
アドラーは、カウンセリングも再教育だとして、教育の重要性を主張しています。教育は教育者だけが行うものではなく、すべての職業の人が、何らかの形で関わるものなのです。
そして、その目標は「自立」であると言います。依存させるのではなく、放任するのではなく、自立させることが目標になるのです。
「自分の人生は、日々の行いは、すべて自分で決定するものなのだと教えること。そして決めるにあたって必要な材料−−たとえば知識や経験……があれば、それを提供していくこと。それが教育者のあるべき姿なのです。」(p.124)
「自立」とは、自分の行動は自分で決定できる、ということです。自立を促すことが、教育なのですね。
「ライバルと呼ぶべき盟友の価値は、大いに認めます。しかし、そのライバルと競争する必要はひとつもないし、競争してはいけないのです。」(p.137)
競争の必要性を認めず、逆に競争するなというのがアドラーの主張です。なぜか?
「競争のあるところ、駆け引きが生まれ、不正が生まれます。誰かに勝つ必要などない。完走できれば、それでいいではありませんか。」(p.138)
競争は、勝つことが目的になるため、ときに不正を生むことになります。そして、その勝利の判断基準が不明確だと、人々はリーダーの顔色を伺い、媚びを売ることになります。つまり、競争は依存を生むのです。では、どうするのか?
「そんな事態を招かないためにも組織は、賞罰も競争もない、ほんとうの民主主義が貫かれていなければならないのです。
(中略)
競争原理ではない、「協力原理」に基いて運営される共同体です。」(p.139)
競争ではなく協力が重要になります。そうすることで自立が育まれるのです。
「信じることは、なんでも鵜呑みにすることではありません。その人の思想信条について、あるいはその人の語る言葉について、疑いの目を向けること。いったん保留して自分なりに考えること。これはなんら悪いことではないし、大切な作業です。その上で成すべきは、たとえその人が嘘を語っていたとしても、嘘をついてしまうその人ごと信じることです。」(p.205)
信じることは、自分の思想信条を曲げることではありません。たとえ騙されても、それでも信じること。それが信頼するということなのです。
「ただ隣人を愛するだけではなく、自分自身を愛するのと同じように愛せよ、と言っているのです。自分を愛することができなければ、他者を愛することもできない。自分を信じることができなければ、他者を信じることもできない。」(p.209)
愛するとは、まず自分を信頼し、自分を愛すること。そこがスタートなのです。
「われわれは、心を豊かに保ち、その蓄えを他者に与えていかなければなりません。他者からの尊敬を待つのではなく、自らが尊敬を寄せなければなりません。……心の貧しい人間になってはいけないのです。」(p.219)
愛されないから愛さないのではなく、まず自分が自分を愛し、そして他人を愛する存在になる。そういう生き方を勧めています。
「たしかに、他者から愛されることはむずかしい。けれども、「他者を愛すること」は、その何倍もむずかしい課題なのです。」(p.231)
どうしてそんなに、愛することが難しいと言うのでしょうか?
「つまり、愛とは「ふたりで成し遂げる課題」である。しかしわれわれは、それを成し遂げるための「技術」を学んでいない。」(p.235)
たとえば赤ちゃんが立ち上がって歩くような、「ひとりで成し遂げる課題」には対応できます。しかし、「ふたりで成し遂げる課題」は、どうやって対応すればいいのか、私たちは学んでいないと言います。
「利己的に「わたしの幸せ」を求めるのではなく、利他的に「あなたの幸せ」を願うのでもなく、不可分なる「わたしたちの幸せ」を築き上げること。それが愛なのです。」(p.239)
つまり2人で幸せになるには、どちらかが犠牲的に貢献している関係ではダメなのです。本当の意味での協力関係が必要なのですね。
アドラー心理学は、個人の自立を促し、ひいては社会全体を平和なものにするための方法論だと思いました。
そして、その語られている内容が、まさに「神との対話」で示されているものとそっくりなことに、ただただ驚くのでした。
2016年04月06日
にぎやかな天地
宮本輝氏の本を読みました。文庫本で上下2冊になっています。
上記のアマゾンリンクは講談社の講談社文庫ですが、私が読んだのは中央公論社の中公文庫です。
2004年に読売新聞で連載された小説が、2005年に単行本になりました。そして2008年に文庫本化されたようです。
私がこの本を読むことになった理由は、「わたり文庫」として坂爪圭吾さんから送られてきたからです。
私がレイキの冊子を送ったところ、その代わりに送ってくださったものです。
坂爪さんは、直筆の手紙が好きだと言われるので、久しく書いていなかったのですが私も便箋にペンで書いて送りました。
いつかタイでも「わたり文庫」をしたいなと思っていたので、こういう形で坂爪さんと交流できて、楽しかったです。
さて、ではさっそく一部を引用しながら内容を…と言いたいところですが、この本は小説です。
なので、あまり引用するのもやぼなので、この小説から私が感じたことを書きましょう。
まず小説の冒頭で、私は衝撃を受けました。
「死というものは、生のひとつの形なのだ。この宇宙に死はひとつもない。」(上 p.7)
なんという哲学的な言葉でしょうか。あるいは、スピリチュアルなと言ってもよいかもしれません。
まさに「神との対話」などで語られている、この世の真実と言えるでしょう。
この言葉が、この小説の中で貫かれています。
と言っても、なぜそうなのかを教え諭すような話ではありません。
小説に登場するのは、いかにも人間臭い人間です。不倫をしたり、浮気をしたり、心中をしたりと。
ではそういう人間たちが、罪の意識にさいなまれて懺悔し、悟りを開くのかというと、そうでもありません。
ただただ、この世はこうなのだ、人間とはこうなのだという、現状追認をしていくだけなのです。そして、それでいいんだなと思えるから、これまた不思議です。
物語の中で、1つ気になった言葉がありました。
「命の波の振動」
これが何か深い意味を持っているようでありながら、特に解説されるわけでもありません。
ただ不思議とその言葉が心に残りました。私がボイストレーニングやレイキなどで、すべては波動だと考えているからかもしれません。
けれども、つきつめてみると、私たちとは細胞の集大成であり、細胞は分子の集大成であり、…というように、最後は素粒子などへ行き着きます。
その最後の姿は、単に振動になっていくのです。
そこには、不倫や浮気を咎める何もありません。ただあるがままに存在し、そして「それでよし」としているのです。
物語は、ハッピーエンドではありません。人間とはこうなのだし、これからもこうなのだろうと感じさせる終わり方です。
しかし、それでいいのだという安心感に包まれて、これからのことは、またこれからのことだと思えるのです。
この小説を私に送るにあたって、坂爪さんはこんなメッセージを書いてくれました。
坂爪さんは、発酵食品のありがたさを感じたようですね。
また、「わたり文庫」ということで、こんなしおりも挟んでありました。
読み終えたので、この本はタイの「わたり文庫」に寄贈したいと思います。
発酵食品のこと、人が死ぬということ、生きるということなど、いろいろと考えさせられる本です。
2016年04月08日
アメイジング・グレイス 魂の夜明け
神渡良平さんの本を読みました。神渡さんの本は、安岡正篤氏の教えなどを解説したりするものや、そういった教えにしたがって生きた人の人生を紹介するものなどもありますが、純粋に小説というタイプもあります。
今回の本は、小説になります。ただし、神渡さんの小説に登場する主人公は、実在の人物です。その人が生きた足跡を、小説という形で目の前にありありと見せてくれる手法です。
今回の主人公は、聖歌「アメイジング・グレイス」の作詞者です。
「アメイジング・グレイス」という曲は非常に有名で、歌詞までは知らないとしても、そのタイトルや曲の調べは、おそらく多くの人がご存知でしょう。
どうしてこんなにも日本人に知られているのか?
私は不思議に思ったのですが、本の冒頭で、この曲がどのようにして日本人に広まったかを説明してありました。
まずは、さだまさしさんが、アルバム「夢回帰線」に「風に立つライオン」を入れたことをあげています。「風に立つライオン」は映画化もされましたが、ケニアの医療活動に携わった柴田紘一郎医師をモデルに作った曲で、その間奏とエンディングに「アメイジング・グレイス」の旋律が使われているのです。
他には、2003年10月から放送されたドラマ「白い巨塔」の主題歌として使われたり、白血病で亡くなった本田美奈子さんのアルバム「アヴェ・マリア」にも収録されました。本田さんが歌う「アメイジング・グレイス」は、日本骨髄バンクのCMとしても流され、多くの人の心に残る歌となったのです。
この「アメイジング・グレイス」は、アメリカの「第2の国歌」とも呼ばれるほど、アメリカ中で親しまれています。
最初は黒人の間でよく歌われたため、黒人霊歌と思われたそうですが、神渡さんはスコットランドのメロディーだと言います。最初はいろいろな節で歌われたそうですが、1829年ごろに、現在の作者不詳のメロディーに定着したようです。
そんな有名な歌なのですが、作詞者のことはあまり知られていません。特に日本では。神渡さんは、作詞者のジョン・ニュートン・ジュニアの人生に光を当てることで、この歌に込められた思いと、この歌の持つパワーを明らかにしたのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を・・・と言いたいところですが、この本も小説ですので、無粋なことはやめておきます。せっかくですから、ぜひ読んで物語を味わってみてください。
ただ、何の予備知識もなしに勧めるのもなんなので、作詞者のジョン・ニュートンのことを、少し書いておきます。
彼は若いころ、荒れた生活をしていました。徴用されて海軍に入ったものの、逃げ出して商船に移ります。そこで、奴隷貿易に関わることになります。
黒人奴隷は人として扱われることなく、ひどい仕打ちを受けます。それでも、経済のために奴隷貿易はやめられない。そういう主張に抗することができず、ジョンは奴隷貿易を続けたのです。
しかし、イギリスに戻る途中で嵐に遭い、もう少しで海の藻屑となるという体験をします。その体験によってジョンは、これまでの生き方を悔い改め、聖職者の道に進むことになるのです。
奴隷貿易という人にあるまじきことまでした自分が、実は神に愛されていた。この思いが、「アメイジング・グレイス」の歌詞となります。
晩年のジョンは、奴隷貿易廃止法案の成立のために意欲的に尽くします。それが、自分に与えられた使命だと感じたからです。
この本にはCDがついています。歌手のAikaさんが歌う「アヴェ・マリア」と「アメイジング・グレイス」です。
「アヴェ・マリア」は、ジョンが遭難の危機に瀕したときに聞こえてきた歌です。この小説の重要なシーンにおいて、これらの歌が関係してきます。神渡さんは、そういうシーンを書く時、この歌を書斎に流したのだそうです。
ジョンの人生は、決して順風満帆だったわけではありません。また、晩年においても、必ずしも幸せな老後とも言えません。
けれども、ジョンは間違いなく、神の愛を受けていたのだと思います。そして私たちにも、「だから安心して励みなさい」と言っているような気がします。
神渡さんはこの本に、サインをしてくださいました。
「光の中へ」と書かれています。神は、すべての人を愛しておられるし、過酷だと思える人生の中にも、間違いなく神の愛が満ちている。そんなことを、この小説を読み終えて感じました。
神は、私たちを見捨てることはない。たとえどんなに悲惨な状況が目の前にあろうとも。なぜだかわからないのですが、そんな確信に満ちた思いが湧いてくるのです。
2016年04月18日
その名は、バシャール
さとうみつろうさんの本を読みました。みつろうさんは、「神さまとのおしゃべり」でメジャーデビューされてから、あっという間に有名になられた方。
今は音楽活動もされていて、まるで心屋仁之助さんとか阿部敏郎さんみたいです。その後も、「あなたが人生でやっておくべき、たった1つのこと」など、何冊か本を出版されています。
みつろうさんの本も2冊読んだので、もういいかなと思って、しばらく買っていませんでした。しかし今回は、バシャールという名を聞いて、どうしても読みたくなったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
この本は、2015年10月にみつろうさんが、ニューヨークでバシャールと対談したときの様子を書き起こしたもののようです。
なので、いわゆるバシャール本の1つと言えると思います。
この本を読んでわかったのですが、みつろうさんはバシャールの本と出会って、人生が変わったのだそうです。
バシャールが常に言っている「ワクワクすることをやる」という教えの通りに、みつろうさんも生きたのだとか。
「ワクワクに従って生きる。それ自体で完璧に完成されたツールです。
それ以外は、何も必要ありません。」(p.20 - 21)
「目の前の小さな「ワクワク」を信じることから始めてください。
それはより大きな「ワクワク」を引き連れて来てくれます。」(p.31)
バシャールの言うことは、実にシンプルです。いきなり大きなことをやろうとするのではなく、目の前の小さなことから「ワクワク」に従うことだけなのですから。
「まわりでどんなことが起きているかではなく、どんなことが起きていようと自分が幸せであるというのが本当の幸せの尺度です。」(p.48)
考えたこと(与えたもの)が実現する(返ってくる)というのが、この世の法則です。それなのに、「幸せになりたい。(=現実がこうだから今は幸せではない。)」というのは、おかしな話なんですよね。
現実は単に結果(起こってしまったこと)ですから、そこに理由探しをするのはナンセンスだと言います。
現実には何の理由も探さず、単に幸せでいる。それが本当の幸せなのです。これは、「神との対話」でも言われている通りです。
バシャールと言えば「ワクワク」ですが、それだけだと理解が不足していると言います。以下の3つをセットにすることで、初めて効果を発揮すると言うのです。
「@自分が一番情熱的になれるものを
A自分の能力を最大限に使って
B結果に対する執着をゼロにして行う」(p.54)
特にBの結果に執着しないという考えは、とても重要だと思います。日本でも昔から、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言われている通りです。
そして、それがなぜ重要かを、「大金持ち」になることを願った場合を例に、次のように説明します。
「この場合、特定の結果「大金持ち」に固執してしまうと、本人が想像も付かないようなもっと素晴らしい結果がやってくることを制限してしまいます。」(p.55)
つまり、魂(この本ではハイヤーマインド)の意図に任せず、限界がある精神の思考だけで結果に執着すると、魂の働きを妨げることになるのです。
その結果、なかなか思い通りにならずにイライラして、そのイライラという思考を現実化してみたり、思い通りの現実は手にしても、幸せを感じなかったりすることになります。
「「金持ちになる」という結果にだけ執着することが、自分自身に制限を与えていると気づけたなら、「金持ちになりたい」という固定された執着がとれるかもしれません。」(p.56)
結果に固執しないですべてを受け入れる。この心の持ちようが重要なようです。
「「ゆだねる」ということは、「すべてはコントロール済みである」と理解することです。言葉の定義を正確に覚えてください。「ゆだねる」というと、皆さんの星では多くの人が「コントロールを放棄する」というふうに誤解していますが、そうではありません。「ゆだねる」とは、すでにコントロール済みのより良いものを、現実世界に現す行為です。」(p.59)
私たちが特定の現実に固執してしまうのは、恐れがあるからです。つまり、自分がしっかりコントロールして思い通りにしないと、とんでもないことになると思っています。
しかし、本当はすでにコントロールされているのだ、ということなのですね。ですから大いなるもののコントロールに安心してゆだね、操縦桿に添えた手の力を緩めることが重要なのです。
「「感謝」とは、目の前で起こっている『現実』のすべてを、素晴らしい! と賞賛する行為だからね。「わたし(副操縦士)」よりも「起こること=人生の流れ(パイロット)」の方を信頼する。そのトキ、何を見ても、何を聴いても、「ありがたいな」という波動しか湧いてこなくなる。」(p.62)
自分(精神,顕在意識)が操縦しているのではなく、大いなるもの(魂,ハイヤーマインド)の操縦を安心して受け入れると、そこには「感謝」しか湧いてこないと言います。
どんなに不都合な現実であっても、それが今の自分にとって最善のことと受け入れる。それを「仏教ではサレンダー(明け渡し、聖なるあきらめ)」と呼ぶのだそうです。
赤塚不二夫氏のマンガ「天才バカボン」のバカボンのパパの口ぐせ、「これでいいのだ」は、まさにその境地だと言えます。
「画家になろうと飛び出して「お金がない状況」が起きたなら、「お金がなくても人生は楽しめるさ!」と新しい思考へシフトしないといけない。
鏡(現実)は先に笑わないから、鏡に何が映っていようと、鏡よりも先に笑う。「お金がないことも良いことだ!」と。」(p.70)
鏡の中の人が笑っていないからと、鏡に手を突っ込んで無理やり笑わせようとしている。これは、バシャールが使ったたとえ話です。そのことを前提に、みつろうさんはこのように言うのです。
この本では、「ひとつのもの」と自分との関係を、いろいろ言葉を使って説明しています。多少わかりにくい部分もあるかもしれません。
ただ、そのことはあまり重要ではないように思いました。3次元世界に住む私たちには、次元を超えたものの本当の姿は想像できなくて当然だと思うからです。
なので、そんなこともあるかな、くらいで良いのではないかと思います。
現実に起こったことは、すべて自分が考えたこと。これがどうしても受け入れられない人は多いと思います。「私はこんなことを願ったことはない!」などと言って。
しかし、意識的か無意識的かは別として、必ずどこかの次元で考えたことが現実になっていると、「神との対話」でも言っています。バシャールもそうです。
「その状況を変えるための最初のステップは、まず、自分がこの現実を創造したことについての責任を引き受け、自分のものにするのです。
自分のものにできないものは変えられません。わかりますか?」(p.287)
どこで考えたかは理解できないけれど、まずは自分に責任があると受け入れる。自分が創造したのだと引き受けることです。
現実が嫌だからと否定するのではなく、まず受け入れるのです。「神との対話」でも、まずは受け入れ、変えたいのなら他のものを選べと言っていますね。
この本では、他にUFOのこと、宇宙人との遭遇のこと、神話と宇宙人など、興味深いことが語られています。
ただ、今、現実にどう生きるかを考える上では参考にはならないと思い、ここで引用するのはやめました。どうぞ、本を手にとってみてくださいね。
2016年04月19日
「二代目になると、自分で決めて生まれてきました」
何かでこの本のタイトルを見て、ピンときて買いました。日本一元気な折り箱製造会社「ヤサカ」・二代目社長の小澤勝也(おざわ・かつや)氏の本です。
「意識と覚悟の「愛の経営」」とサブタイトルにあるように、なんとなくスピリチュアル系の香りがします。そして、予想通りでした。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
小澤氏は、父親から会社を引き継いだ二代目社長です。最初は、古参の社員を力づくで動かすために、怒ったり吊るし上げるなど、恐怖政治を敷いたようです。
ところが、会社の業績が悪くなって、このままでは潰れてしまうというピンチを迎えます。そこで恥も外聞もなく社員に頭を下げ、号泣しながら助けを乞うたのだそうです。
そうした経緯があって、小澤氏は「愛の経営」に目覚めていくことになります。この本は、小澤氏がセミナーや本などから学び、実践して得た「愛の経営」のエッセンスです。
「取引先も、従業員も、お互いに違う人間。競争相手として見なすのではなく、ひとりの人間として、ジャッジせずに、受け入れることが大切になります。
まずは「そうだよね。わかるよ」と相手の考えや立場、思いを肯定する。そうすることで、自分と同じように周りのことも大切にできるし、競い合う関係から、認め合い、褒め合う関係に移行できるのだと思うのです。」(p.36)
社員同士を競わせるのは、よくある手法です。これは会社にかぎらず、学校でも同じですよね。つまり、今の社会全体がそうなのです。
しかし小澤氏は、愛を基盤にするなら競争ではないと言います。協力し合う関係こそが重要なのだと。
「しかし、社員の自己肯定感を上げることがすべての仕事のベースになり、仕事の成果や社員の人生そのものに関わってくると、私は信じて続けています。」(p.88)
社員教育で重要なのは、社員の自己肯定感を高めること。そのための自己啓発セミナーに参加させることなどを、小澤氏は重要視しているのですね。
「私は社内で何か問題が起きたとき、まず「こういうことがあって、よかった」と思うようにしています。これはもう思考のクセづけですね。起きてしまったことは取り返しがつかないので、その問題について、「犯人捜し」に時間をかけたり、後悔したりせず、「じゃぁ、これからどうしよう?」というふうに、みんなの視点を未来に向けた上で、問題解決に取り組むようにしています。」(p.100)
起きたことは単に結果ですから、受け入れる他ないというわけです。それを前提に、これからどうするかを考える。それが重要だと言います。
「ですから、社内で何か問題が起きれば、その問題は常に社員全員の問題で、関係のない人はひとりもいない。問題が起きたことは残念ではあるけれど、その問題を起こした人だけが悪いのではなく、会社の中のひとつの役割として、その人は「会社を代表して失敗した、トラブルを起こしてくれた」というふうにとらえるよう、社員に対する意識づけはずっと続けているつもりです。」(p.101)
誰か特定の人が悪いとするのは、分離主義の考え方です。分離主義は排除思考を生み出します。「あの人さえいなければ・・・」
しかし、この考え方では問題を本質的には解決できません。ですからいまだに社会では、争いごとも犯罪もなくならないのです。
会社という小社会でも同じですね。できない人、ダメな人を辞めさせれば済むという考えは、何の解決にもなりません。
そのトラブルは、この社会の全員に何かを気づかせるために起こったもので、それを起こしたように見える人は、単にその役割を背負っただけ。そういう考え方を土台にしなければ、それぞれの人が自分の責任として捉えることができませんから。
そして自分の責任として受け入れない限り、それを変えることができません。これはバシャールなども指摘している通りです。
「その中で非常に効果的だったのが、自分が発する言葉を変えることでした。不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句、心配事など、いわゆる「地獄言葉」と呼ばれるネガティブワードをやめて、その代わりに「ツイている」「うれしい」「楽しい」「感謝しています」「幸せ」「ありがとう」「ゆるします」など、「天国言葉」と呼ばれる愛のあるポジティブワードをたくさん使ってもらえるように、あるとき試しに、社内や工場に「業務命令」という形で貼り出してみたのです。」(p.151 - 152)
ここには書かれていませんが、「地獄言葉」「天国言葉」は斎藤一人さんが提唱されているものですね。それをご自身が実践されるだけでなく、社員にも業務命令として押し付けた。それが予想以上の効果があったと小澤氏は言います。
これまでの部分にも、一人さんの考えを取り入れてるな、と感じられるものが多々ありました。小澤氏は、学んだことを、このように実践しておられるのですね。
「心配、不安の意識で会社を経営すると、その通りのことが現象化する。それはイメージしやすいと思うのですが、楽しすぎて、会社のことを忘れてしまっている場合も、やっぱり売上に影響する。会社に対する、社長の意識エネルギーの流れが、常に滞りなくサラサラと流れている状態が望ましい。」(p.170)
「しかし、社長の本当の仕事は、会社のあらゆる場面、社員にも、取引先にも、製品にも、工場に対しても、すべての責任をとる覚悟をすることだと思います。」(p.170)
「社員の自主自立の機会を奪わないためにも、社長である私の現実的な影響力は、極力ウエイトが低い方がよいのではないか。それが、私が会社に行かない理由です。」(p.171)
現在の小澤氏は、ほとんど会社に行かないのだそうです。その理由とポイントが、上記に語られています。
誰よりも会社のことを考え、誰よりも責任を取る覚悟をし、それでいて社員に圧力をかけない。それが、小澤氏が考える理想の社長像のようです。
「経営者が自分の人生を犠牲にして会社経営を行い、自分の不幸の上に会社が成り立っているとしたら、そこで働く社員の人も同じになるのは当然かもしれません。自己犠牲は自分を責めて、被害者を演じている状態。相手を責めることと本質的になんら変わりません。そんな経営者のもとで働く社員は、「仕事はやらされているもの」という受け身で依存的な態度が出やすくなるし、「お金のため、生活のために仕方なく」というふうに、自己犠牲感が強くなってしまうのも、やっぱり経営者の責任だろうと思います。」(p.176 - 177)
「ねばならない」という義務感から社長が仕事をすれば、その波動が社員に伝わるのですね。二代目は、得てして義務感から仕事をしがちなもの。だからこそ小澤氏は、この点を注意したのでしょう。
「その観点でとらえるなら、まずは経営者自身が、自らの人生と会社経営とを統合する必要があると思います。そのためには自らの意識改革。考え方や価値観を変えていく必要があるのですが、いちばん初めに、会社経営を「やりたいのか、やりたくないのか」を自らにシンプルに問いかけることが大事だと思います。」(p.178)
会社経営するという、二代目にとっては宿命的なものですが、それを受け入れること、自分の人生を受け入れることが重要だと言います。
そこから出発しない限り、いつまでも人生の犠牲者として生きることになるのです。
小澤氏は、嫌いな人、苦手な人のことを、「達人」と呼ぶことを勧めています。
「私たちはそういう困った人がいるおかげで、人間関係の学びを深めることができるのです。困った人は私たちが人間関係の「達人」になるように鍛えてくれる、トレーニングパートナーのような存在。ですから、「達人」さんは、私たちが人間関係の「達人」になれるよう、あえて困った人の役割を引き受けてくれている達人中の達人なのです。」(p.190)
このように、苦手な人や困った人のことを「達人」と置き換えた後、その人の幸せを心から願うようにと言います。直接に言うのではなく、心の中で思うだけで良いからと。
スピリチュアル的には、非常に納得の行く話ですが、純粋に経営の観点からすると、なかなか納得できないかもしれませんね。
けれども、結果である現実に直接的にアプローチするこれまでの方法が上手くいかないから、現実はこのようなのだということを考える必要があるように思います。
「この世では「人の祈り」が、いちばん力があると私は思います。ですから、本当かなと思っていてもいいので、試しに自分の幸せのために、困った人の幸せを心から願ってみてはいかがでしょうか。」(p.191)
小澤氏は、経営者にとっては自己責任と覚悟することが、最も重要だと重ねて言います。
「たとえ何が起こっても……、かりに大雪が降って、交通機関がマヒして、約束通り納品できなくなって、大きな損害が出たとしても、すべて自己責任。
社員のミスも、景気の動向も、二代目としてこの商売を継いだのも、全部ぜんぶ、自分のせい。世の中で起こる、自分に関わるすべてのことは自分の責任だと腹を括れるかどうかが、経営者として生きていくために必要な覚悟だと、私は思います。」(p.215)
経営者には、言い訳は無用なのです。景気が悪いのも自然災害も、すべて自己責任だと覚悟する。厳しいようですが、それが経営者というものなのでしょう。
「会社を経営していくにあたっては、想定外の出来事が起こるのは、想定内なのです。」(p.215)
想定外を想定内と思えなければ、すべてを受け入れる覚悟もできませんものね。
「生まれてくる環境さえ、自分の意志で決めて生まれてきたと思えるかどうか。自分の人生の出発点を自己責任として受け入れることが、「愛の経営」を本気で目指すためには欠かせない必須条件になると、私は思っています。」(p.215)
だからこの本のタイトルの、「二代目になると、自分で決めて生まれてきました」になるのですね。
私自身、いろいろな事情があって、今はタイで社長をやっています。私がなりたくて社長になったわけでもないし、実力があって社長に選ばれたわけでもなく、単にところてん式に突き出されてなっただけ。
そのように、半ば自己卑下的な説明をすることもあったのですが、これはいかんと思い直しました。社長だとふんぞり返る必要がないのは当然ですが、謙遜もし過ぎると自己卑下になりかねません。私も経営者の端くれとして、襟を正そうと思いました。
またこの本は、経営者ばかりでなく、本当に自立した生き方を考えている人には、大いに啓蒙される本だと思います。ぜひ手にとって読んでみてください。
2016年04月20日
ベテラン弁護士の「争わない生き方」が道を拓く
何かで見て、これもタイトルがすごく気になったので買った本です。弁護士の西中務(にしなか・つとむ)氏が書かれています。
何が気になったかというと、やはり弁護士という職業です。悪徳弁護士になると、あえて争いネタを探し、当事者を焚きつけて弁護士料を稼ごうとしたりします。
中には人権派と自称し、弱者の味方のふり(自分も陶酔しているのかも)をして、本当は弱者の不安を煽って訴訟を起こさせているだけの弁護士もいるようです。
そんな職業でもある弁護士の西中氏が、どうやって「争わない生き方」を追求しつつ、それで弁護士という仕事を成り立たせているのか。そこに非常に興味を持ったのです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「弁護士の仕事というと、人の争いごとで儲けていると思われるかもしれませんが、それは、大きな誤解です。弁護士ほど、「争わない生き方」を望んでいる職業はないと思います。なぜなら、争いをして人生によいことは何もないと毎日実感しているからです。」(p.4)
西中氏は、このように言います。しかし、この言葉は額面通りには受け取れません。なぜなら最初に書いたように、あえて争いごとを引き起こす弁護士がいることも事実だからです。
それに、もしこの世から争いごとが一切なくなったら、弁護士はどうやって生計を立てるのでしょう?
これは患者と医師(医療関係者)の関係も同様で、治す病気がなくなれば、薬を使ってくれる患者がいなくなれば、医師も要らなくなるのです。同様に、争う人がいなくなれば、弁護士商売はあがったりですから。
「私は、世の中から争いがなくなり、すべての人が豊かで喜びにあふれた価値ある人生を送ることができるよう望んでいます。そして、弁護士の仕事がなくなること、つまり揉め事や裁判がない世の中を目指しているのです。」(p.5)
つまり、まだその理想への道を歩き始めた段階だと言われているわけですね。裏を返せば、現時点では弁護士の仕事で儲けることと、「争わない生き方」は両立しない、と言っているようにも受け取れます。
「争って勝利を手にするよりも、争わないほうがずっと幸せだと知った私が、この本を書くのは、罪滅ぼしとしての遺言の意味もあります。争わない生き方をすすめる弁護士がひとりくらい、いてもいいではありませんか。」(p.5)
ここまでしつこく引っぱったのは、やはり最初の私の関心がここにあったからです。
最後まで本を読んではっきりしたことは、「争わない生き方」で弁護士という職業が成り立つということは、どこにも書かれていないということです。
そういう意味では、ちょっと期待外れだったという気はします。けれども、その理想を追う姿として、一人の弁護士の生き方を知るのも、また自分の生き方に役立つようにも思いました。
イエローハットの鍵山秀三郎さんが推薦されているように、争いに走りがちな弁護士という仕事をされながらも、「穏やかな気持ちでいられる方法を示してくれる良書」とも言えますから。
「人間の最大の錯覚は、法律を守りさえすれば、何をやってもよいという考えのもとに、「経済的な成功」や「学力・権力・地位・名誉」を求めてしまうことです。経済的な成功には限りがありません。お金を得れば得るほど失う恐怖がつきまとい、結局安らかとはほど遠い精神状態になっている人もいます。また、権力や地位、名誉があるがゆえに、小さな失敗も許されず、足下をすくわれまいと神経を尖らせている人たちもいます。これは、幸せな状態とはとてもいえないのではないでしょうか。
このような人たちに出会うたびに、私の中では大きな疑問とやるせなさが膨らんでいきました。学力、金、権力、地位、名誉は生きていくためには必要なものです。しかし、これらは所詮道具にしかすぎないのです。真に幸せな人生を実現するためには品性(人間力)が最も大切なものです。」(p.15)
裁判など争いごとの争点は、まさにこの金とか名誉などの奪い合いのようなものです。そういう争いを長年見続けてこられたことで、西中氏は疑問を持たれたのですね。
そこで西中氏は、素晴らしい本や人などから得た教えを、この本の中でシェアしたいと言われます。もちろんこれは、単に受け売りではなく、その教えに従って西中氏が実践されてこられたことです。
「仏典や聖書には、いろいろとありがたいことが書いてあります。
その教えは、結局「よいことをしなさい。悪いことをしてはいけません。お世話になった人に感謝しなさい。人の嫌がることをしてはいけません。人に喜んでもらえることをしなさい。困っている人に手をさしのべなさい。人を傷つけることを言ったりしてはいけません」など。」(p.17)
究極的には、上記のことをしていくことが自分の幸せにもつながるし、社会の幸せにもなるのだと西中氏は言います。
しかし、それは簡単なことのようで、いざ実践しようとすると困難なことでもあると言います。だからこそ、淡々と与えられた使命をこなしていくことなのだと、自らに言い聞かせるように言われます。
「もし、自分と相手がまったく別の次元にいたならば、喧嘩にも言い合いにもなりません。相手を悪く言う、批判をしている時点で、自分も他人からそのように思われているのです。
これは耳の痛い話かもしれませんが、自分の嫌な部分を直すチャンスなのです。嫌な人が目の前にいるのは、あなたのために用意されたチャンスだと考えてください。」(p.23)
嫌な人と出会うこと、困った出来事が起こること、みんな自分のための砥石なのですね。それによって自分を磨くことができる。そう考えれば、そういう人や出来事は、自分のための最大の助っ人だと言えるわけです。
では、西中氏は弁護士活動の中で、どうやってそういう生き方を実践されているのでしょう? 書かれている部分はあまり多くありませんが、その一部を引用しましょう。
「そこで私は、感情的になっている方に、まずは冷静になってもらうことにしています。いきなり私が、「争わなくてもよいのではないですか?」と言っても、本人は感情的になっていますから、まったく受け入れてくれません。
そこで私がまず問いかけるのは「相手に対して、感謝の気持ちがまったくありませんか?」ということです。」(p.66 - 67)
この方法は、小林正観さんも言われてますね。どんな許せない相手の中にも、感謝できる部分を探すことはできる。ですから許そうとするのではなく、まずは感謝してみるのだと。
「このように考えていただくと、訴えを取り下げたり、和解の道を探られたりする方が多いのです。解決した方は、すっきりした表情に変わります。
争うことを焚き付けて勝利を勝ち取り喜ぶ弁護士よりも、真の幸せを求めて争わない道を探る弁護士でありたいと私は常に思っているのです。」(p.67)
そして、和解を選択することで良い結果が得られた事例についても書かれています。これは、スーパーの中の精肉店が、オーナーから急に出て行くよう通告されたときの相談事例です。
「もし出て行くのであれば、損害賠償金を請求することもできると私は申しあげたのですが、彼はそれを選びませんでした。七年間にわたってお世話になってきたオーナーとの人間関係を壊したくなかったからです。」(p.68)
その結果、オーナーは彼に、出店する場所を探すための人脈を紹介してくれ、以前よりもよい条件で精肉店を出店できることになりました。
また、彼が多店舗展開を考えていたころ、そのオーナーから戻ってきてほしいというオファーがあり、2店舗を持つことになったのだそうです。
「もし彼が、店を出ていく際にオーナーに文句を言い、損害賠償金を請求して裁判を起こしていたらどうなったでしょうか。新たな人脈を得ることもなく、自分で店を探すことになっていたでしょうし、おそらく「戻ってきてほしい」とも言われなかったでしょう。」(p.69)
もちろんこれは結果論かもしれません。しかし、仮にそういうオーナーの好意が得られなかったとしても、争わないことのメリットは大きいと思います。
1つには心が安まります。だって、裁判を長期間継続する必要がないからです。誰かを恨み続けることは、とてもエネルギーがいることですから。
そして、そういうところにエネルギーを使わないから、次の出店に全力を注げたでしょう。それもやはり大きなメリットです。
一時的な損得を考えて、長期的な利益を失うことほど、愚かなことはありませんからね。
私たちは、つい何か益を与えたくれた人にはお返しをし、損を与えられた人には報復したい、と考えてしまいがちです。しかし、その考え方そのものが、自分を苦しめているとも言えます。
西中氏は、昭和二十四年という戦後の貧しい時期にアメリカに留学した永井青年の話を紹介しています。永井青年に対し、E・ルイス教授が非常に親切にしてくれたのだそうです。
「ある日、永井さんは、あまりによくしてくれるルイス教授に対して、なんとか恩に報いたいと思っているけれど、とても恩返しができそうにないと言ったそうです。
すると、ルイス教授は恩返しなどしようと思わなくてよいのだと答えました。そして、もしも借りがあると思うのなら、私にではなく、日本よりもっと悲惨な国から来た留学生に返してくださればよいとおっしゃったのでした。」(p.84 - 85)
ルイス教授は、アメリカ留学によって永井青年が成長し、それなりの地位についてお金も得た後に、日本に貧しい国からやってくる留学生たちに対して、同じようにしてあげてくれと言ったのです。
恩は返すものではなく、他の誰かに送っていくもの。そういう考え方を彼に示されたのですね。
恩を返そうと思うと、それはなかなか難しいことです。そうすると、恩を受けないようにしよう、という気持ちにもなります。だって、返しきれない恩は、負担になるだけですからね。
そうではなく、恩は感謝して受け、その感謝の気持ちを元に、他の誰かに優しくしてあげる。そうすれば、もっと気楽に恩を受けられるし、もっとたくさん他の人に優しくなれるのです。
「私たちは、たくさんの恩を受けて生きています。受けた恩を、目の前の誰かに対して貢献することによって、返していく。これが恩送りです。」(p.85)
私たちは、気がつかないところでたくさんの恩を受けています。1食分の食事を取り上げてみても、汗水たらして働いてくれた多くの人々いたでしょうし、命を投げ出してくれた動植物がいます。それらの恩は、返そうと思っても、なかなか返しきれるものではありません。
「対価を払っているのだから、それで十分ではないか。」という考え方もあるでしょう。だったら、対価を払うから食べさせてくれと誰かが言えば、自分の身体を提供しますか?
お金では換算できない多大なる恩をいただいている。そういう認識を持つことが重要です。そして、その返せないほどの大恩を、与えてくれた人やモノに直接返すのではなく、他の誰かに送っていく。「恩送り」という考え方は、とても素晴らしいと思います。
この本では、宗教的と思われがちな倫理法人会やPHP友の会などで得た智慧も紹介されています。偏見によって、そういう素晴らしい智慧が世に広まらないことを、西中氏は残念に思われるからでしょうね。
83の章に書かれた「争わない生き方」は、私たちの生き方を考える上で、大いに役立つものだと思います。
当初の期待とは少し違っていて、そこがやや残念ではありますが、生き方を学ぶという点では、素晴らしい内容だと思います。
※妻の実家でソンクラーン(タイ正月)の水掛け被害に遭い、表紙がかなり汚れてしまいました。まあでも、読めればそれでよしと現実を受け入れ、争わないことにしました。(笑)
2016年04月21日
「続けられない自分」を変える本
友人でもある大平信孝さんの本を読みました。これで3冊目ですね。これまでに、「本気で変わりたい人の 行動イノベーション」と「今すぐ変わりたい人の行動イノベーション」を紹介しています。
大平さんとは、2011年6月に行われた箱根出版ブランディング合宿で同室になったのが出会いでした。考えてみれば私も、あのセミナーに参加したことが今の活動につながっています。
大平さんは、アドラー心理学を活用したコーチングによって、数多くのクライアントを成功に導いています。
前回までの本もそうでしたが、どうしたら変われるのか、どうしたら行動を習慣づけられるのかを、独自の方法を提示してわかりやすく説明されています。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
「行動することは何よりも大切です。
そして、それを何かしらの「結果」につなげるためには、
「行動を続けられるかどうか」
が重要なのです。
逆にいえば、結果が出るまで続けさえすれば、あなたが望むことは実現できます。」(p.5)
私も、成功のコツは2つしかなく、「始めること」と「続けること」だと言っています。結果が出るまで続けることが、何よりも重要なのです。
しかし、多くの人が続けることができず、自ら諦めてしまいます。大平さんは、実に100人中96人は続けないと言い切ります。
つまり、トップ4%の成功者になりたければ、続けることができればいいわけです。
「実際、ほとんどすべての成功者は、習慣を味方にしています。実は成功するかどうかと、才能や知識、能力、意志の強さとは関係がありません。
結局「やり続ける人」がすべてを手に入れるのです。」(p.7)
そのために、習慣を味方にする技術が必要になってくるというわけです。そしてこの本は、そのためのものである、ということですね。
「今日から考えるべきは、
「どうすればできるだろうか?」
それだけでいいのです。」(p.27 - 28)
私たちは、続けられない自分を「ダメな自分」と責めてしまいがちです。しかし、そう考えることは意味がないだけでなく、害悪ですらあるのです。
「本書でお伝えしたいのは、「習慣化した未来の自分」を先取りして、実感していく=味わうことです。」(p.35)
大平さんは、成功した未来の自分から逆算するという考え方が、習慣化するためのポイントだと言います。
今を出発点として積み上げるのではなく、未来から逆に考えていく。その方法が、この本では示されています。
「「できる・できない」で捉えている人は、一喜一憂します。
「やる・やらない」で捉えている人は、一喜一憂しないのです。」(p.48)
「できる」から「やる」のでは、今持っていない能力を発揮することができません。ですから、それを「やりたい」かどうかで考え、「やりたい」から「やる」と決めてしまうのが重要だとよく言われます。
大平さんも同様に、「できる」かどうかを行動の根拠としている人は、結果に一喜一憂すると言います。結果にとらわれてしまうのですね。
そして、結果にとらわれると、また「できない」自分を責めたり、環境や他者せいにして自分を正当化するなど、いずれも「継続する」という目的をまっとうできなくなってしまうのです。
「これからご紹介していく、エモーショナルハビットを実践する前に、ひとつだけ大事な注意点があります。
それは、「続けられるという前提(マインドセット)で、行動を始める」ことです。」(p.57)
心の中に「どうせ無理だよ」などの弱気があると、ちょっとしたことですぐに断念してしまいがちです。それでは、どんなに効果的な方法であっても意味がないのです。
「本書の冒頭でお伝えしたように続かない理由は3つだけ。
@本当は続けたいと思っていない
A自分には続けられないと思い込んでいる
B行動するときに、「面倒くさい」「続けるのが難しい」と感じている。
結局、「続かない自分」というのは、
前提のマインド設定が違っていただけなのです。」(p.58)
マインドセットという言葉はよく聞かれますが、「心の持ちよう」とか「気構え」のような意味です。何をするにおいても重要となるようですね。
「成功者の伝記を読んだり、成功者のドキュメンタリーを見たりして、「オレも頑張ろう」と思ったけど、結局その気持ちが消えてしまって、何も変わらなかった。
その原因は、「熱が冷めたから」「日常に戻ったから」ではありません。
すぐに行動に移さなかったからです。
感情を味わいつくしたら、すぐに何かしらの「行動」に移すことがとても重要なのです。」(p.100)
以前の本でも、大平さんはこのことをしつこいくらいに強調されていました。この考えから、「10秒アクション」や「50秒セルフトーク」という短時間でできる「1分間イノベーション」が生まれています。
今回の本ではそれを進化させ、「1分間のエモーショナルハビット」という誰でも簡単にできる行動習慣化手法を提示しています。簡単に言えば、50秒で感情を味わい、10秒で行動するというものです。
ですからここで、感情を味わったならすぐに行動することを説いているのです。
「大切なことはいつもシンプルです。
私が心からお伝えしたい、たったひとつのこと。
それは、「よりそう」ということ。
自分の心の声、理想の未来の場面で、その感情を味わいたいという熱意によりそう、ということです。
心の声によりそうことで、自然と夢に向かう行動の人生が出現します。
最優先すべきは、心の声によりそい、真摯に耳を傾けること。そこから生まれるのは、後悔のない生涯です。」(p.184 - 185)
死ぬ直前に後悔するのは、本当はやりたかったことをやらなかった、ということだそうです。やってみて失敗したことは、あまり後悔しないそうですね。
その「本当はやりたかった」という心の声に寄り添うことが大事だと、大平さんは言います。
ちょっとした勇気のなさ、低い自己評価による自信のなさが、本当にやりたいことをやらせない方向に働きます。
しかし、そうすることで後悔するのは、自分自身なのですね。
ここでは、習慣化のための手法である「エモーショナルハビット」の詳細は紹介しませんでした。また、それ以外にもたくさんのポイントや手法が、この本には書かれています。
すべてを実行する必要はないと思いますが、この中からどれか1つでも実行に移せば、強力な味方になるだろうと思います。ぜひ本書を手にとってみてください。
2016年04月26日
鏡の法則
今読んでいる本の中で、野口嘉則(のぐち・よしのり)さんの「鏡の法則」が紹介されていました。
私は以前、本を買って読んだのですが、まだブログの中では紹介していませんでしたね。他の本(「僕を支えた母の言葉」)の中で、紹介しただけでした。
それで、「鏡の法則」を紹介する記事も書いておこうと思い立ち、これを書くことにしました。
ではさっそく、一部を引用しながら・・・と言いたいところですが、これも小説なのです。しかも短編です。
本では、「読んだ人の9割が涙した!」と帯に書かれています。また、○○ページで泣くみたいな予想もありましたね。
なので、自分で確かめるチャンスですから、ぜひ読んでみてください。
実はこの小説、ネットで全文を読むことができます。しかも、野口さん本人の「鏡の法則」のサイトです。
もともとは、ブログで4日間に分けて書かれたものだそうです。その反響が素晴らしくて、書籍化しましょうという話になったのだそうです。
しかし、全文がネットに公開されていたら、本は売れませんよね。たいていそう思うでしょう。だって、無料で公開されているものだし、それをわざわざお金を出して買うなんて、バカなことだと感じるでしょう?
ですから出版社も、ネットでは一部だけ公開して、あとは書籍でというようにしましょうと、提案してきたそうです。
しかし野口さんは、本を売って儲けようとは思わなかったのです。ともかく、1人でも多くの人にこの話を知ってもらいたい。そして幸せになってほしい。その思いだけだったのです。
そして、ある出版社だけが、その野口さんの思いに応えたのだそうです。そのことが、今読んでいる本に書かれていました。この本も、もうすぐ紹介しますけどね。
「当たり前です! もちろんあのままにしておきます!
1人でも多くの人に読んでもらわなきゃだめです。あの話は。
でも、ネットを見ることができない人もいっぱいいますから、そういう人たちのために、本を出しましょう!」
(「私が一番受けたいココロの授業 講演編」p.110)
そう言ったのは、総合法令出版の編集者の方だったそうです。
しかし、ネットで公開していたことによって口コミでどんどん広がり、本の注文も増えてベストセラーとなりました。
野口さんたちの「与える」精神によって、野口さんも出版社も、「与えられる」という結果になったのです。
では、この小説のあらすじを紹介しましょう。
この小説の主人公は、子育てに悩む41歳の主婦、秋山A子です。小学校5年の息子のU太がいじめに合い、その悩みを夫の先輩で経営コンサルタントのY氏に相談します。偶然に夫が再開し、息子のことを話したら、力になれるかもしれないと、Y氏が言っていたからです。
実は夫は、息子のことより妻のA子の方が心配でした。子育ての悩みで気疲れしている。そう感じていたのです。それでY氏に相談していたのでした。
夫からY氏に相談するように言われたA子は、思い切って電話をかけます。息子に起こったことなどを話すと、Y氏は親身になって聞いてくれ、つらいA子の気持ちに寄り添ってくれます。そして、「なんとかするための糸口が見つかるかもしれない」と言って、A子に質問します。
「では、いきなり不躾な質問で申し訳ないのですが、もしかしたらあなたは、誰か身近な人を責めていませんか?」
唐突なY氏の質問に、A子は驚きます。息子のことで相談したのに、なぜ自分のことを問われるのか?
Y氏は、その理由をA子に説明し、さらに質問を続けます。そして、この問題を解決するために、A子に課題を出すのです。そして、その課題をやったA子は、・・・
簡単に読める短い小説です。ぜひ、ご自身で読んでみてください。
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