2015年08月02日

第二集 きけ わだつみのこえ



有名な「きけ わだつみのこえ」の第二集の本を読んでみました。

名前はよく知っていましたが、まあだいたい想像できるようなことだろうと思い込んで、これまで読まずにきました。

ところが最近、メンターの吉江さんから、ぜひ読むようにと強く言われたので、購入したのです。

読んでみると、たしかにいろいろと感じるところがありました。


では、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

世界人であることを忘れないようにといわれますけれど、私の理想もけっきょくそこにあります。ただそこに達するまでに我々はあまりに弱いし不完全でもあるので、やむをえず戦争というもっとも醜い営みにも没頭せねばならぬのだと思います。民族の発展、神に近づかんとする人類の、むしろ尊い過程であるかもしれません。
 私の個体もこの大きな歴史の山の頂に燃焼する。私はそれを快く見つめることができます。ただ私たちは自分たちの思想や仕事をうけついでくれるべき人間をあとに遺したい。そして私のなしえなかった生活と理想を完成させてください。
」(p.13)

これは、東京大学文学部の学生の久保恵男(くぼよしお)さんの、兄姉に向けた手紙の一部です。

この本に収められているのは、ほとんど大学の学歴を持っている人。そのせいか、あるいはそういう傾向のものを選んだためかわかりませんが、妙に文学的な傾向があります。

その中では、比較的に地に足ついた感じの文章だと思いました。現実的であり、かつまたエリートらしい見識を持ち合わせています。

私がこの文章に注目したのは、理想は理想としながら、現実を生きるには戦争という悪を受け入れることも必要、と見抜いているところです。

自分には果たせない理想、つまり平和な社会を、遺った人々に築いてほしいという願いが、ひしひしと伝わってきます。


今日こそ最後だと覚悟して生活することを私たちはなかなかおよびがたいことだと思うが、古来動乱期に生涯を送った何十億何百億という人が、やはりそうした日を送ったと思うと、なんでもないことのように思われる。私たちが何の感銘もなく読んでいる明治維新や戦国時代の武士たちが、実はその一人一人がそうした日を送っていたのを思えば私たちの生活などは安楽のほうかもしれない。」(p.67)

これは東京大学経済学部卒の太田慶一(おおたけいいち)さんの日記のようです。

やはり教養がある人は、自分の視点だけでなく、客観的な見方をするのだなあと感心しました。

ただ歴史を知っているだけでなく、その中の登場人物の視点でながめてみる。そうすることで、自分を客観視できます。

そうやって外から自分を見てみれば、自分の苦悩というものが、ちっぽけなものに思えてくるという正直な気持ちなのでしょう。


いつ死ぬか、いつ無一文になるかわからないような時代には何の係累もない一人身のほうが気楽でずっといいと思われるのは人情かもしれない。しかし「ヘルマンとドロテア」(ゲーテ作)の中にある言葉のように、そんな時こそ妻があり、夫があり、子供があり、父があるほうが人間らしいのではないか。幸福な時にも不幸な時にもともに楽しみともに苦しむ者を持つ者こそが人間であるのではないか。」(p.67)

これも同じ人の続きの文章になります。

ここでも想像を働かせ、独身の方が良いようにも思えるが、家族持ちの方が人間らしいとも言えると、公平な見方をしています。

どちらか一方に決め付けるのではなく、客観的に眺めた上で、自分はどっちの方が良いと思うかを考える。

さすがに当時の東大生は超一流のエリートだけあって、こういう見方が普通にできてしまうようですね。感心しました。


昭和十八年十一月二十二日 遺書
 戦場に征(い)くに当たって、何の感慨も起こらないものですね。我ながら不思議です。人間の精神というものは不思議なものだと思います。父母妹らに会うのも、これっきりになるかもしれないというのに、ぼたもちやおぜんざいを食べたいと思っています。底知れぬのんきさが人間の精神にひそんでいるのが妙ではありませんか。
 では皆々お元気で。
」(p.222)

なんとも陽気な遺書ではありませんか。これは東京大学文学部の岩田譲(いわたゆずる)さんのもの。入隊1年4ヶ月、ビルマで戦病死となっています。この遺書を書いた約9ヶ月後のことです。

まだ本当の死に直面していなかったので、こんなにのんきだったのでしょうか?

私には、そうは思えません。出征すれば、つねに死を覚悟することが求められていたでしょう。そういう中で自分の内側を覗いたとき、なぜかのんきな面があると再発見したのではないでしょうか。

私は戦争に行ったことはないのでわかりませんが、人間にはそういう一面もあるのかもしれないと思えてくるのです。


ああ視界から彼女の姿は消え去った。現世において相見ることは、おそらくもうないであろう。私は静かに眼をとじ、彼女の姿を瞼(まぶた)のかげに浮かべた。彼女はかすかに笑う。さらば、愛する人よ。これが人生の姿なのだ。
 会えば別れねばならぬ。夢・・・・・・そして虹のごとく美しすぎる愛の記録だ。しかし、すべてを去り、己を捨て、祖国に捧げよ。煩悩を絶ち、心しずかに征くべきである。
」(p.244)

これは、早稲田大学商学部の市島保男(いちじまやすお)さんの日記だと思われます。

どういう状況かよくわかりませんが、先生、M君、Hちゃんと、自分と彼女という5人で行動していたときのことのようです。

多摩川園前という駅で降りる前に電車の中で、彼女から「あなたへ私の気持が傾いていた」と恋心を告げられました。そこで初めて両思いだったとわかったのです。

「僕の気持はね、何かしら君の態度に反発を感じながらも、君に惹かれていた」と、格好をつけながら自分の気持ちを告げるものの、電車は駅に到着します。そして「さよなら」と互いに言って別れたのです。

非常に文学的であり、メロドラマとも思える状況ですが、これが現実にあったのでしょうね。どうにもならない現実を前に、人はその嘆きを詩のように語りたくなるのかもしれません。


昭和十九年十二月二十五日
 現役兵証書(入隊命令)来る。昭和二十年三月、満州第九二二部隊入隊とある。すでに覚悟はついた。ただ征くのみ頑張るのみ。
 昨日家に帰った時、長い間風呂にはいっていなかったので母に願って沸かしていただいた。しかし左手がまだ癒えぬので、体を洗うことができぬ。ために母上に流していただいた。ああ、二十(はたち)の壮者がいまだ母上にご厄介をおかけする。しかも体を洗っていただく。この感激忘れえようか。僕は思わず泣けてきた。来春三月満州に向かう身にとってこの一事は僕の思い出深いものとなる。おそらく一生忘れることはできまい。
」(p.244 - 245)

これは神宮皇学館大学予科を卒業した安藤良隆(あんどうよしたか)さんの日記だと思われます。

昭和20年9月に病死とありますから、入隊してわずか半年です。過酷な内地の環境に適合できなかったのかもしれません。

それにしても、左手が思うように動かない若者でさえ、このころには徴兵されたのですね。

そういう身でありながら、不平不満を言うのではなく、母親のありがたさに感涙しています。そういう素直さ、優しさに感動します。


本書には、日記や手紙などの手記のほか、時の情勢を語った部分があります。その記述は、まさに岩波ならではの左翼的な見方に貫かれており、30万人の南京大虐殺が当然にあったという前提で書かれている部分もありました。

私は、事実に基づかない一方的な見方を押し付けるやり方には賛同できないので、そういう意味では、本書を推薦したいとは思いません。

しかし、その当時の若者たちが、どういう思いでいたかを知る上での一次資料としての価値は、十分にあると思っています。

国の存亡の危機を目前にして、一人の人間としてどう生きるのかを、彼らは常に自分に問うたことでしょう。その息吹が感じられるように思いました。

第二集 きけ わだつみのこえ
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:39 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月03日

ハチドリのひとしずく



全部で100ページもない小冊子のような本を読みました。アメリカの先住民に伝わるという物語が書かれたものです。

この本を知ったきっかけは、先日紹介したたまちゃん先生「小さな一歩が世界を変える」に載っていたからです。

物語のタイトルを見て、だいたい内容は想像できました。なので買うのをやめようかとも思ったのですが、どんなものだろうという興味が勝りましたね。


では、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

前半は、その物語です。以下にあらすじを書いておきますね。

山火事が発生したとき、森の生き物たちは、我先にと逃げ出しました。

しかし、クリキンディという名のハチドリだけは、くちばしに水を汲んで、何度も往復しては水をかけ、火を消そうとします。

他の動物たちは、そんなことをしても何にもならないと笑いますが、クリキンディはやめません


私は、私にできることをしているだけ」(p.12)

そう言うのです。


この短い物語の後、この本の監修者の辻信一氏は、この本を作るときの話をします。

この本の絵を描いてくれたのは、ぼくの長年の友人であるカナダの先住民族ハイダのマイケルです。彼との打ち合わせの中でこんなやりとりがありました。ぼくの最初の英訳の中に「普段大威張りの大きな動物たちが……ハチドリをバカにして……」という表現があり、彼はそれにひっかかったのです。「これではハチドリが正義で、ほかの動物たちが悪だ、という話になってしまう」と、彼は感じたというのです。先住民に伝わる元々の話にそんな善悪の区別などなかったのではないか、という彼の意見にぼくは心を開かれる思いがしました。」(p.20 - 21)

私も同感です。このマイケルさんの的確な判断に敬意を表します。

正義は人の数だけあります。どれが正しいのか、そう簡単に答えは出せません。

この物語が言いたいのは、「正しいことをやろう」ということではなく、「自分が正しいと信じたことを、自分がやろう」ということなのでしょうから。

またマイケルはこうも言いました。「怒りや憎しみに身をまかせたり、他人を批判したりしている暇があったら、自分のできることを淡々とやっていこうよ。クリキンディはそう言っているような気がするんだ。」(p.21)

私も、マイケルさんと同じ思いです。


後半はまず、「私は、私にできることをしている。」というタイトルで、そういう人たちのことが紹介されています。

1人2ページほどなので、その人の考えていることの詳細とかは、よくわかりません。


その後は、「無理なく「引き算」 楽しく「ポトリ」」というタイトルで、地球温暖化を防ぐために私たちができる小さなことを紹介しています。

ただ、ここで紹介されているものが、本当に役立つのかどうか、私には疑問に感じることもあります。(そもそも地球温暖化が本当かという話もありますが。)

たとえば「レジ袋を受け取らない」ですが、レジ袋を使わないことが、どうして地球にやさしいのか私には理解できません。

原油が精製される過程で、レジ袋の原料も作られます。ですから、原油を使う以上、レジ袋の原料は作られ続けるのです。そうであれば、レジ袋として使ってあげることも、物を大事にすることになるのではないでしょうか?

レジ袋を作るために、不要に原油が消費されているのなら、話は別ですけどね。

それと同様なのが、割り箸を使わないということです。健全な森林を育てるには、間伐という作業が必要です。その間伐材をただ燃やすのではなく、割り箸として利用することもされています。ですから、割り箸を使ってあげることが、木材をムダにしないことにもなるのではないでしょうか?

これも同様ですが、割り箸を作るために、不要に木材が消費されているなら、話は別ですよ。

もし、そういう現実があるなら、変えるべきは割り箸を使わないことではなく、その原材料を間伐材に変えること、ではないでしょうか?


このように、この本で示された方法が、必ずしも「正しい」とは言えないと思います。

それは最初に紹介したマイケルさんの言葉にあるように、どっちが正義でどっちが悪という話ではないのです。

ただ自分が「これが正しい」と思うことを、自分がやるだけで良いのです。他人のやることへの批判は要らない、ということですね。


そういう意味では、「これも1つの方法です」というような説明があると、なお良かったと思います。

政治の問題もそうですが、環境の問題も、簡単に「これが正しい」とは言い切れないものだと思います。

そういう中で私たちは、何かを選択していかなければなりません。たとえそれが苦渋の選択であったとしても、「より良い」を選ぶしかないのです。

誰が何と言おうと関係なく、己が信じる道を淡々と歩み続ける。そういう生き方を、ハチドリの物語は示しているように思います。

ハチドリのひとしずく
 
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2015年08月06日

大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。



久しぶりに斎藤一人さんの本を読みました。

これは、サンマーク出版さんのFacebookページで紹介されているのを見て、タイトルにピンときて買ったのです。
そして、思った通りの本でした。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介します。

”大丈夫だ”ということがわかると、あなたの人生は必ずうまくいきます。」(p.2)

「はじめに」で一人さんは、人は本当は大丈夫なのだと言います。それがわかれば、人生がうまくいっていることを実感できるのだと。


この世の中で一番不幸なことは、自分のことを「大丈夫だ」と思えないことです。
(中略)
 人間はもともと等しく「大丈夫」なようにつくられています。
 学校の成績が悪い人でも、運動会でビリの人でも、そのままでしあわせになれるように神様がつくってくれているんです。
」(p.12)

あれがないから、これができないからと、大丈夫じゃないと感じる理由を探す人は大勢います。しかし、それは本当でしょうか?

そういう理由に当てはまる人でも、何も問題なく生きているケースがあるという事実を、単に見ていないだけなのです。


「大丈夫だ」と思えない人の理由は、じつは「自分には欠点がある」と思っているからなんです。
 たとえば、私はすごく飽きっぽい性格なんです。世間の人はそれを”欠点”だと思うかもしれませんが、私は自分の「飽きっぽい」ということを”才能”なんだと思っています。
」(p.15)

長所も欠点も、単にその人の個性をどう見るか、だけの問題なのですね。


自分にできないことがあることを知っていると、他人に「努力しろ!」って言わなくなります。それは、努力してもできないことがあることを知っているからなんだよね。他人ができないことで自分ができることは、代わりに自分がやってあげればいいだけの話だよ。」(p.18)

できないから欠点ではないのです。できないことも才能であり、個性なんです。

できないことがあるとわかっているから、他人に対して優しくなれます。また、代わりにやってあげることで自分の出番を作ったり、逆にやってもらうことで他人に出番を与えることもできます。


多くの人は「好きなことをするためには、なにかを犠牲にしないといけない」って思い込んでいるけど、私にしてみれば「それって欲が足りないよね」って言いたいの。」(p.36)

こうすればこうなるって、あまりに決めつけすぎているんですね。自分の勝手な思い込みなのですから、もっと違う思い込みをしてもいいのに。

「二兎を追うものは一兎をも得ず」と思うかもしれないけど、「一石二鳥」や「一挙両得」、さらには「一網打尽」という言葉もあるんです。」(p.37)

言われてみればそのとおりです。勝手にそれを「ずるい」とか、「良くない考え」だと思い込んでいるんですね。


いつだって大丈夫だって思えることこそが本当の「悟り」なんだよね。悩みや心配事があっても「大丈夫、大丈夫」って真剣に思ってみな。」(p.57)

心配、不安、悩みなどは、みんなあるんです。それを持つことも1つの能力だと一人さんは言います。

その上でできることをやって、あとは「大丈夫だ」と思って放っておく。そうすることが「悟り」なのです。


「100%しあわせだって言っていると悪いことが起こらない」
 けっしてそういうことじゃないの。
 いろんなことが起こるけど、なにが起きようとも、それらをひっくるめて「100%しあわせだ」と思えるかどうかが大切なんだよ。
」(p.65)

起きる出来事に左右されるのではなく、何が起ころうと関係なしに幸せでいること。それが重要なんですね。

しあわせって、しあわせと思える感度が高いか、低いかなんだよね。そして「しあわせ」とは、与えられるものではなく、”探すもの”なの。」(p.68)

今ある現状の中に、幸せを探すんです。今、ここに、幸せを感じるんです。それが本当の幸せなんですね。

とにかくしあわせって、なにがあっても「100%しあわせだ」と思えるかどうかなんです。イヤなことがあっても「こんなのはしあわせの一部ですから」って言える人に、しあわせがどんどん訪れます。
 「ついてる人には悪いことは起きない」のではありません。ついてる人にも悪いことは起きます。ただ、起きても捉え方が違うんです。
 いちいち起こることに左右されて、不機嫌になっていたら、本当のしあわせにはなれないよね。
」(p.72)

ものごとの捉え方、視点の起き方、見方が重要なのです。それによって、幸せになるんですね。


私の話を聞くだけで、なにも行動や実践をしない人がいるんだけど、それはそういう「段階」なんです。今、その人は「聞く段階」だから、今世は聞くだけでいいの。知るだけでいいの。
 行動できる人は「行動する段階」なんです。それで、行動できない人はまた来世があります。
 わたしたちはものすごく長いスパンで「魂の修行」をしています。だから、死んでも大丈夫だし、臆病でも大丈夫なんです。
」(p.88)

無理をする必要性すらないのですね。行動できないのは、まだそのレベルではないから。まだ立ち上がれない赤ちゃんに、歩けと言ったって無理なんですから。

まだ歩けない赤ちゃんがダメなんじゃなく、ただ、まだその段階だっていうことです。それは「悪い」ことではありません。


私は昔から神様が大好きなんです。
 そして、神様は”すごい”と思っています。
 だから、そのすごい神様がつくってくれた自分は「神様の最高傑作」だと思っています。
」(p.94)

自分のことを、「ありふれた人間」だとか「平凡な人間」「何の才能もない人間」と思う人は多いです。

でも、全知全能の素晴らしい神が、自分に似せて創ったのが人間なら、こんな素晴らしい存在はありませんよね。

それを勝手にダメだとか平凡だとか決めつけるなんて、なんと傲慢なことでしょうか。(笑)

大切なのは、「価値に気づくこと」です。最近では「がんばらないと価値がない」と思っている人が多いけど、そうじゃないの。自分の価値を認めてがんばったとき、はじめてその価値が発揮されるんだよ。」(p.98)

人それぞれ違いがあって、それぞれに必要な能力を持っています。ですから、自分にない能力は、自分には不要な能力なんですね。

と言うことは、自分にある能力に気づけば良いのです。自分にある能力を発揮して、できることをやればいいんです。


じつは、成功する人はなにをやっても成功します。
 成功しない人は、何をやってもしないの。決まってるんです。
 では、「成功する人と、成功しない人とではなにが違うんですか?」っていうと、成功する人っていうのは「成功の振動数」があるんです。
」(p.102)

存在のすべてはエネルギーからできていますから、固有の振動数を持っています。一人さんは、私たち人間も「宇宙エネルギーの塊」だから、その振動数を変えることが重要だと言います。

私がなにを言いたいかというと、人間だけが振動数を変えられるんだよ。
 だからワクワクしたり、楽しかったりすると振動数が上がるんです。
 この振動数の高い人間は、なにをやっても成功するんです。
」(p.104)

ワクワクして、楽しんで、喜んでやっていると、振動数が上がるんですね。そうやって振動数を下げずに、上げていくことが重要なのです。

だからみんなにも、振動数を下げないコツを教えるからね。
 まず、上げる方法は、ちょっと速い乗りものに乗るとか、自分の行動を速くするの。たとえば新幹線に乗るとか、ちょっと早足で歩くとか、それからちょっと仕事を速くするとか。速いことをすると振動数が上がるの。
 それから、カラ元気でいいから、嘘でもいいから強気なことを言うんです。
 たとえば「アンタ部長に怒られて落ち込んでない?」って聞かれても、「全然、落ち込んでませんよ!」って言う。
 さらに「だって落ち込んでるじゃない」って言われたら「あぁ。今、飛び上がろうと思って、沈んでるんですよ!」って言う。
 つまり、「落ち込んでるでしょ?」って言われたときに「そうだ」って言っちゃダメなんだよ。
」(p.106)

本当に気分が落ち込んでいたとしても、それを言葉で認めちゃダメなんですね。少なくとも言葉では、強気なことを言うことが重要なのです。

問題は、あなたが振動数を落としちゃダメだよ、ということなんです。
 娘さんは娘さんの問題なの。それを家族の中で誰かが振動数を上げないと、家ごと暗くなっちゃうんだよ。
」(p.110)

身近な人が落ち込んでいると、一緒に落ち込んであげるのが共感することで、優しいことだと思い込んでいませんか?一人さんは、そういうのはダメだと言います。

他の誰かが落ち込んでいても、自分は落ち込まない。振動数を下げない。それが重要なんですね。

とにかく、振動数を上げればいいんだよ。
 うちのパーティーでもそうだけど、なんであんなにデカイ声を出してるかっていうと、デカイ声を出すと振動数が上がるんです。
 それに、おしゃれをすると上がる。美味しい料理を食べると上がるんだよ。
 だから、「みんなでパーティーをなんのためにやってるの? なんで余興やってるの?」っていうと、みんな振動数を上げるためにやっているんだよ。
」(p.110 - 111)

「振動数を上げる」ということを明確な目的にして、いろいろやると良さそうですね。

自分の振動数が下がる”思い方”はいけないんだよ。
 英語の成績が悪いのでも「英語ができない」って思っちゃうんだよね。
 でも私は「英語はいらない」っていうことを”見抜いた”んです(笑)。
 それだけで、ほんと振動数が全然違うんです。
」(p.112)

できないと考えると、自分はダメだという評価につながります。自分には要らないんだと考えれば、振動数を下げずに済むというわけです。

ともかく「振動数を下げない」こと、「振動数を上げる」ことを考えて、様々な工夫をすることですね。


「ありがたいね。おトイレ掃除してくれて」って思ってるんです。でも、「ありがとうございます」って声が出ないのは、他の人が言わないからなんだよな。
 成功者ってね、つねに少ないんだよ。
 人と同じことをしながら成功者になろうってできません。なにか”違い”がないとダメなんだよ。
」(p.117)

掃除をしている方に、「あなたのお陰で気持ちよく使えます。ありがとうございます。」とは言いづらいですよね。

でもそこが、成功する人と、成功しない人との分かれ目になると、一人さんは言うのです。

自分のことをほめられない人は、人のことをほめられないの。だからまず、小さなことでいいから自分のことをちょっとでもほめるんです。」(p.121)

他人のことをほめられないのは、自分に対して厳しすぎるから。まず自分をほめる習慣を身につけましょう。


その人がやっと心の中に火を灯してこういう夢を語ってるのに、それをバケツで水をかけて消して、「それでなにかおもしろいですか?」っていうことなの。
 正しいことを言うのは裁判官の仕事なんだよ。
」(p.124)

これは自戒を込めて引用しました。ついつい、自分の正義の理屈で他人を裁いてしまいがちです。

ここでは、「社長たちみたいにステキなドレスを着てパーティーに出たいわ」という女性がいたら、「それだったら働いたら?」というようなことを言うことに対して、一人さんは裁判官のようだと言っています。

あこがれを持った。それだけでも進歩じゃない。まだ一歩を踏み出す勇気がなくたって、そこから始まるんです。

「そりゃあきっと似合うだろうね」とか「あんなに高くなくても、安くてもステキなドレスがあるから、そこから始めてみたら」などと言って、そっと背中を押してあげる。それが優しさなんですね。


人に恐怖を植えつけるのって罪だよ。
 振動数の高い人はね、悪いことが起きないの。起きてもそのことから”いいこと”しか起きなくなっちゃうんです。
 世間には「愛だ」と言いながら、人の振動数下げるようなことばっかりずっと言ってる人がいるんだよね。
」(p.126)

心配しすぎなんですね。大抵のことは杞憂(きゆう)ですから。できる対策をとったなら、あとは安心していることが重要なんです。

心配から人にあれをするな、これをするなと言って強制するのは、人に恐怖心を植えつけることになる、と一人さんは言います。

そういうのは、本当は愛じゃないんです。


それで、病気の人は”病気という裏の部分”ばっかり見てるんです。それと、病気という言葉自体、言霊が悪いんだけど、「自分は病気だ」って言い過ぎるんだよ。
 健康になりたかったら、これをひっくり返して「私は健康です」って1日10回くらい言えばいいの。
 元気になりたかったら「私は元気です」って決めつけちゃえばいいの。
 人に会ったら「私は元気です。私は健康です」って言う
。」(p.129 - 130)

病は気からというように、自分がどういう気を持っているかが重要なのですね。そのためにも、使う言葉を変えることなのです。


人って変わらないの。だから、人を変えるんじゃなくて、私たちがもっと気楽に受け止めるんです。
 おじいちゃんがどう言おうが、旦那さんがどう言おうが、問題はそのことで振動数を下げたあなたがつらいんだよな。だから、私たちはいろいろな人がいても、自分の振動数を下げちゃいけないの。
」(p.134)

周りにいろいろ言う人がいても、そういう人に左右されるずに、自分が気楽に受け止めればいいと言います。聞き流せばいいんですよね。


私たちは自分自身の振動数を上げる。すると魅力的になる。
 それでさらに魅力的な人になる方法、明日から劇的に変わる方法を教えます。
 会う人、会う人の振動数を「上げてあげよう」って努力して人と接してごらん。魅力のない人は相手の”アラ”を探したり、振動数を下げるようなことをするんだけど、そうじゃなくて、相手の振動数を上げてあげようとして生きるの。
」(p.135)

他人の良い所に注目する。すごい所を探す。そしてほめる。口に出して感謝する。そういうことで、他人の振動数を上げることが、自分の魅力も高めるのですね。


一人さんの講演のCDもついています。わかりやすく、とってもためになる本だと思います。

今回も、大満足の一冊と出合えて、とてもありがたく思います。

大丈夫だよ、すべてはうまくいっているからね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

マンガでわかる非常識な成功法則



神田昌典さんがオススメする神田さんの本を読みました。

これは、すでに単行本として出版されたものを、マンガにしたものです。マンガは宮島葉子さんが担当されています。

しかし、ただ単にわかりやすいからという理由でマンガにしたのではなく、そこに神田さんの思いが込められています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

特にコミックは、ストーリーを伝えるのにとても優れている。描かれた物語は脳に無意識にインプットされ、あなたは、ページをめくっているうちに『非常識な成功法則』の要点がすんなりと理解でき、行動する思考回路が得られる。」(p.3)

神田さんと言えば、「全能思考」が連想されます。これは今、「フューチャーマッピング」と名付けられて、世界に広まっています。

 

ストーリーは、人間が生み出した、最古かつ最高のテクノロジーである。」(p.3)

そう神田さんが言うように、神話というものもストーリーであり、それによって古代の人は、重要なことを子孫に伝えてきたのでしょう。

ですからストーリーの効能をもっとも発揮させやすいマンガという媒体は、何かを伝える、または浸透させるという点で、とても優れていると言えると思います。


この本で神田さんは、8つの習慣を作ることで、自分を成功に導けると言っています。

それを以下に箇条書きにします。

1.目標は紙に書くと成功する
 ただし、まず「やりたくないこと」を書き出すこと。

2.同じ言葉を繰り返すことで記憶を更新する
 寝る前にニタニタするなど、自己催眠をかける。
 小さな目標を10個、毎晩書き出す。

3.自分に都合の良い肩書を与えてバージョンアップする
 自分が理想とするセルフイメージを自己催眠で作る。

4.効果的に情報収集する
 オーディオ学習フォトリーディングを活用し、普段付き合う人を選ぶ。

5.殿様バッタのセールス
 NOの客に無駄な時間を使わず、YESの客だけを相手にする。

6.お金を溺愛する
 お金に対する罪悪感を捨て、年収を自分で決め、お金が入ってくる流れを作る。
 
7.決断は、思い切らない
 一足飛びに理想へ至ろうとするのではなく、悪い面を回避しながら「第3の道を探る」ことで良いシナリオを作る。

8.成功のダークサイドを知る
 成功という光と同時に、病気、事故、人間関係の悪化などのダークサイドも受け取ることになる。
 その影の噴出を未然に防ぐには、以下の3つが効果がある。

 @完璧を目指さないこと
 A家族を大事にすること
 B稼いだお金を有効に使うこと


それぞれの習慣の詳細は、本を読んでお確かめください。


上記の3番目の習慣では、以下のように書かれていました。

自分で、「自分を凡人だ」と思い込んだままでは、成功者にはなれない。なぜなら凡人は、成功の兆しが見えても、それを妥当な変化としてとらえることができないから。(中略)今までのセルフイメージを守ろうとして、変化を拒む。
(中略)
 セルフイメージをチェンジするには、とても手軽でなおかつ即効性の高い方法がある。それは、成功者らしく見せることだ。
(中略)
 今までのセルフイメージは、あなたの思い込みによって作られたものだ。それを逆手に取って、自分で自分をいいほうにだます。そのためには、まず鏡に映る自分を変えてしまおう。あなたがなりたい自分になるために、服装や髪型を変える。」(p.79 - 80)

セルフイメージを成功者にすることは、何よりも重要なことだと思います。

そのためには、言葉を繰り返すこと、見た目を変えること、などが有効なのですね。


この本を最後まで読んだあなたなら、もうおわかりのはずだ。幸せに、お金の有無は関係ない。金銭的な成功はほんの第1ステップに過ぎず、それは、決して困難ではない。この本の通りに行動すればいい。しかし、お金があっても不幸は起こるし、お金がなくても幸せを感じることはできる。重要なのはお金じゃなくて、新しい自分に出会うことなのだ。」(p.188 - 189)

幸せは、お金を稼げるかどうかとは無関係です。成功するかどうかとも無関係です。

では重要なのは何かというと、神田さんは「新しい自分に出会うこと」だと言います。それはつまり、変化し、成長した自分ということです。


せいぜい100年というこの世の人生を考えるなら、その中でどれだけ自分が成長できるのか、挑戦してみたいと思いませんか?

この本は、自分で自分を変えるために役立つ本だと思います。

マンガでわかる非常識な成功法則
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:26 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月11日

あなたが人生でやっておくべき、たった1つのこと



さとうみつろうさんの最新刊を読みました。

さとうさんの本は、以前に「神さまとのおしゃべり」を紹介しました。

コミカルな神様との対話が面白かったのですが、今度はお猿さんも登場します。そして、自分でどんどん書き込んでいって理解を深めるという、ワークブック的な作りになっています。

まず最初に、袋とじになっている部分があり、そこで主人公のみつろうは神様に、成功するために(失敗しないために)やっておくべき10個のこと、みたいなものがないかと尋ねます。

すると、神様は明快に答えます。それは、「○○○○○○」だと。

せっかく袋とじになっているので、この答えは自分で本を手にして読んでみてくださいね。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

なぜなら、「嫌だなぁ」と思っている時、あなたはいつだって、本心とは違う行動をしているんです。
 「やりたいこと」と、「違うこと」をしているから、「嫌だなぁ」と思うわけです。
 ということは、「嫌だなぁ」という出来事の反対側を探せば、あなたの「やりたいこと」が必ず見つかることになります。
」(p.22)

まず「嫌だなぁ」と思うことを探し、それから「嬉しいなぁ」と思うことを、リストアップするよう求めます。「嫌だなぁ」をリストアップするのは、「やりたいこと」を見つけるためなのです。

前回紹介した神田さんの本でも、まず「やりたくないこと」を書き出してから、「やりたいこと」を書き出すよう勧めていました。

「やりたくないこと」の裏返しが、「やりたいこと」になるんですね。


要するに、不幸とは「やりたいことがやれていない状態」のことなんです。」(p.71)

そう、幸せとはつまり、「やりたいことがやれている状態」のことなんです。」(p.72)

このように、幸せと不幸を定義していきます。

ですから幸せになるには、「やりたい」のに「やれてない」ことが、やれるようになればいいんですよね?


では、どうして「やりたこと」ができないのでしょうか?

それが、悪魔からの提案、「先にナイものを手に入れて、その後で「やりたいこと」をやれば?」です。」(p.100)

「朝ゆっくり眠りたい」というような「やりたいこと」ができないのは、「遅刻してもいい環境(仕事、お金など)」がまだ「ナイ」からだと思っています。

だから、まずその「ナイ」ものを手に入れよう。そう考えてしまったのですね。

そのために私たちは、たくさんの「我慢」「義務感」を背負うことになりました。


−−「やりたいこと」をやるために、「やりたくないこと」をやる−−

 字に書いてみると、その明らかな矛盾に気づけます。「やりたくないこと」をやっている間、「やりたいこと」はできないのだから。
 未来におあずけなんてせず、「やりたいこと」をすぐにやればよかったんです。
」(p.156)

やりたい「朝ゆっくり眠る」ことをやるために、やりたくない「朝早く起きる」ことをしているのですね。

「ナイ」ものを得るために自分に義務を課し、我慢を強いて、あれはイケナイ、これもイケナイと制限しています。だから、「やりたいこと」ができなくなっているのです。


だってそもそも、「○○してはイケナイ」って書いてあるのだから、「やれない」のは当然でしょうに(笑)。やってはイケナイんだから。
 こうして、抱え込んだ数だけ、「やりたいこと」ができなくなるのが、義務感なんです。
 ということは、あなたが抱えている義務感「○○しないとイケナイ」は、全てが、本当はいらないものだったことになります。
 そう、全てはあなたの、ただの思い込みだったわけです。
」(p.158)

信念も価値観も、自分が選択しただけのことです。絶対的なものではありません。

その自分が受け入れた価値観によって、自分を制限する義務が生じているだけです。自縄自縛とは、まさにこのことですね。


前提の思い込みである「〜してはイケナイ」を消す方法は、簡単です。
 あなたが勝手に、「〜してはイケナイ」と思い込んだのですから、あなたが勝手にその逆側を自分自身に許可すればいいわけです。
 やり方は、「〜をしてもイーとしたら、どうする?」と自分自身に質問するだけ。
」(p.170)

たとえば、「会社に行かなくてもイーとしたら?」と問えば、「朝ゆっくり眠っている」という答えが出るでしょう。


しかしここで注意しなければならないのは、その前提となる「イケナイ」が消えない限り、「イー」とは思えないということです。

ということは、この前提にある「綺麗にならないとイケナイ」という思い込みを消せない限り、あなたは「化粧しないでもいい」とは思えないという構図なんです。」(p.166)

なので、1つずつ「イケナイ」を辿って行って、最初の思い込みを消すことで、抱え込んでいるすべての「イケナイ」を消せるわけですね。


こうして、根本となる「イケナイ」という思い込みを消していくと、最後には「幸せにならないとイケナイ」が残ると言います。

この思い込みを消して、「幸せにならなくてもいい」となったとき、すべてのことを受け入れられるようになります。

そして、そうなると、「これほど幸せなことはないよ。」と感じられるのです。


そして最後のまとめで、「やれている「やりたいこと」をもっと探す」ことを勧めています。

そして、不思議に思うかもしれないが、やれている「やりたいこと」を探す癖が身体につき始めると、やれていない「やりたいこと」もドンドン、やれている「やりたいこと」へと移っていく。要するに、あなたの夢がドンドン叶っていくのだ。」(p.231)

幸せは「なる」ものではなく、今「ある」ものに「気づく」ことだと言われます。

ですから、今「ある」ものを探しているうちに幸せになり、幸せな状態でいることで、それまでできなかったことも、できるようになるのでしょうね。


さとうさんらしいコミカルなところがたっぷりで、しかもワークブック的に実践しながら理解を進められる本になっています。

少々言葉が回りくどくて、すぐに意味を理解しづらい部分もありますが、じっくり取り組んでみてはいかがでしょうか。

あなたが人生でやっておくべき、たった1つのこと
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:47 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

書斎の鍵



喜多川泰さんの最新作を読みました。

喜多川さんの本と出合ったのは、「「また、必ず会おう」と誰もが言った。」が最初でした。それから有名な「「手紙屋」」を読み、すっかりファンになってしまいました。最後は昨年暮れの「One World」でしたね。

どれもこれも、人と人との不思議な出会いが織りなす奇跡を描いています。そして今回もまた、こんな奇跡が…と感じて泣いてしまいましたよ。


小説なので、ネタバレにならないようにしますね。あらすじとしては、主人公の前田浩平の父親が亡くなったところから始まります。

浩平は父に反発し、紙の本を読まない主義でした。父親は、りっぱな書斎を持つほどの本好き。

その父親が遺した遺書を巡って、ストーリーが展開していきます。

その中で、父親は「書斎のすすめ」という本を浩平に遺したことがわかります。この小説の途中には、この「書斎のすすめ」が挟まっているという作りになっています。

その本を読んで、浩平はどう変わっていくのでしょうか?


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

<浩平、心配するな。人生で手に入るものは才能で決まっているわけじゃない>」(p.62)

父親の口癖です。その言葉の意味が何なのかは、後で解き明かされます。


一人ひとり意見が違うなんて、当たり前のことだ。見た目も違う。自分のように障害を持った人間も普通に働ける。浩平の会社だけでなく、ほとんどすべての職場で、年齢も性別も、国籍もバラバラな人たちが一緒に働いている。」(p.72)

この小説は、近未来の2055年のこととして描かれています。そのころには、常識は人それぞれという考え方が浸透しているのでしょうか。


いろいろな理屈を並べて、成長しようとする自分を止めるのは、自分自身だ。」(p.94)

アドラー心理学でも、理由はあと付けだと言っています。まず自分が成長したくないと決めているから、それを正当化する理由を探してくるのです。


「素晴らしい人生を保証してくれるのは、才能ではなく習慣だ。我々が人生で手にするものは、才能ではなく、習慣が決めている。
(中略)
 「習慣によって作り出すべきものは思考だ。心と言っても良い。
 人間の思考には、習慣性がある。つまり、放っておくと、いつも同じことを考えている。自分に自信がない者は、放っておくと、いつも自分に自信がない方向に物事を考える。悲観的な者は、何かが起こるたびに、悲観的に物事を考える。
 人間の行動は心に左右される以上、この『心の習慣』をよくしない限り、よりよい人生になることはない。だから、我々が身につけるべき習慣は、心を強く、明るく、美しくするための習慣ということになる。
」(p.104 - 105)

これは取引先の志賀会長のセリフです。重要なのは才能ではなく、心の習慣なのですね。考え方がポジティブであれば、自分が幸せになれるばかりか、周りの人をも幸せにするのです。



ここからは、「書斎のすすめ」という本からの引用になります。この本ではまず、成功者は書斎を持っていることが多いという話から始まります。

成功したから書斎を作ったのではなく、書斎が必要なほどたくさんの素晴らしい本と出会ったからこそ成功した、と考える方が自然です。」(p.149)

たしかに、本好きでなければ書斎など作らないでしょう、普通は。中には見栄で作る人もいるかもしれませんけど、無用な空間になりそうです。


素晴らしい才能が素晴らしい結果を引き寄せるとは限りませんが、素晴らしい習慣が素晴らしい結果を引き寄せることは、どの時代のどの国にでも成立する真理です。」(p.158)

人生で「手に入れるもの」は、才能ではなく習慣で決まるとしたら、素晴らしい習慣とは何か、ということになります。もちろんそれは、一つに限定されるようなものではありません。たくさんのよい習慣があります。
 しかし、読書の習慣は、いま最も大切にされていない最も大切な習慣だと思います。
」(p.159)

ここでは才能より習慣の重要性を指摘しながら、その習慣として「読書」を取り上げています。「書斎のすすめ」に書かれていることですから、当然と言えば当然ですけどね。

しかし私も、読書の習慣があることは、素晴らしいことだと思っています。ですからこうしてブログで、いろいろな本を紹介しているのです。


いい本との出会いには、自分の人生を何に使うべきかを自覚させる力があります。
 つまり、本を読む習慣が身につくと、自然と「志」が持てるようになります。読書は、「人生の目的」を強く自分の中に固持するために、最良の習慣と言えます。
 いや、本にしかその力はないと言ってもいいかもしれません。
」(p.166 - 167)

使命に目覚めるためには、読書するしかないと言い切っています。


つまり、「読書の習慣を持ちましょう」というのは、「立派な常識人になりましょう」と言っているわけではありません。むしろ「立派な変人になりましょう」と言っているわけです。
 言ってみれば、「変人のすすめ」です。
 常識などというものは、誰かがつくり出した空想です。「常識人」など、実は一人としていないのです。すべての人が、誰とも違う常識を持って生きているのです。

(中略)
 「常識に合わせて我慢して生きている人たち」は、「我慢しないで生きている人たち」に対する受容力を欠き、「自分たちとは違う常識は許せない」という思いを生みます。やがては民族間の対立や戦争といった、どうすることもできない大きなうねりに集約されていきます。
 「戦争は嫌だ」という思いだけで、戦争を止めることはできません。
 「我々と考え方が違うのは許せない」という思いが、争いを生んでいるのです。
」(p.171 - 172)

「変人になろう」という呼びかけは、たまちゃん先生の「変態のすすめ」を彷彿とさせますね。

積極的に違う意を受け入れることによって、互いに非常識になることによって、初めて自由に個性を発揮しながら、みんなが仲良くやっていけるようになる。この考え方には、私も全面的に賛同します。


一冊の小説を読むということは、「自分だけしか行ったことがない世界を一つ持つことと同じくらいの貴重な経験」を読者に与えてくれます。」(p.177)

これが「小説」と「映画」の違いなんですね。小説を読めば、その情景は自分がイメージしたものです。そのイメージは、それぞれ読む人によって違います。しかし映画は、最初からイメージを与えてくれますから。


自分の知っている世界が広くて深いほど、同じものを見ても広く深く感じられるようになっていきます。広く感じる。深く感じる。これが人生の旅路では、一番の楽しみだと言えます。」(p.178)

本を読んで得た知識、本を読んで感じた情景、そういったものによって、あらゆるものの見方や感じ方に、幅と深みが出てくるのです。


そして、電子媒体ではなく、紙の本を読むことのメリットを、お酒を飲む場面と比較しながら説明します。

つまり、同じお酒を雰囲気の良いバーで、ステキなグラスで飲むのと、ちらかった自宅で紙コップで飲むのとでは、その味わいに違いがあるはずだと。

「お酒を飲む」という極めて味覚に頼りがちなことでさえ、視覚、聴覚、触覚、嗅覚といった様々な刺激の複合体として経験しています。だから、同じものを飲んでも五感から得られる情報が違えば、美味しさに違いを感じます。
 同じように、読書も無意識のうちに様々な感覚を同時に使って行っています。
」(p.181)

本の手触り、重さ、余白など、様々な要素が読書の質に影響を与えるのですね。


人生は振り子と同じだと理解できると、うまくいっているときに、不意にやってくる苦しみに対する覚悟ができます。逆に、本当にダメなどん底状態のときにも、生きる力を失わずにすみます。苦しいから、つらいからこそ、もう少し生きてみようと思う力をくれるのです。
(中略)
 成功と挫折を繰り返しているような、人生の振れ幅が大きい人が書く本に出会うと、「苦しいから、つらいからこそ、もう少し生きよう」という勇気がわいてきます。「きっと、もうちょっと。あと少しで、よくなる」と信じることができます。」(p.186 - 187)

本によって他の人の人生を知ることができれば、それが自分の人生の指針になるのですね。


「自分の人生の目的を定める」、つまり「志を立てる」ために、必要欠くべからざる経験が一つあります。それは、誰かの人生に「魂が震える」経験です。
 「自分もそう生きていきたい」「私もそうありたい」−−。
 志を立てるには、「心から感じる人」の人生に触れ、共鳴するしかありません。鳴っている音叉に別の音叉を近づけたときのように、共鳴して魂が震えれば、その人と同じエネルギーを自分の心に持つことができます。
」(p.192 - 193)

これはたまちゃん先生も、「輝いている大人を見たとき」に初めて、こんな大人になりたいという本気のスイッチが入ると、「小さな一歩が世界を変える」の中で言っていました。

エネルギーが共鳴し合う時、私たちは力を得ることができるのです。そして読書は、そういう出会いを与えてくれるのですね。


他人との「違い」を教えてくれるのも読書です。
 自分がほかの誰とも違うという事実に理由があるなら、「すべての人が別の役割を持ってこの世に生まれてきた」ということではないでしょうか。だから、「同じ人などいない」、そう考えることができれば、他人を無理やり自分の常識に当てはめるのではなく、自分とは「違う人」として受け入れられるようになります。
 こう考えると、どうやら読書というのは、「自分のため」というよりもむしろ、「自分以外の人のため」にするのではないか……とすら思えてくるわけです。
」(p.206)

これは不意をつかれる発想でした。違いがあって当然だと教えてくれるのが読書なら、それは他人のためにする行為だと言うのですから。

けれども、自分のキャパが大きくなれば、自分と接する他人を幸せにすることができます。違いを責められないからです。

だから、読書をするというのは、身近な他人を幸せにするために、戦争のない世の中をつくるためにする行為だと考えることができる。そういうことなのですね。

本を読むことは、よりよい未来をつくるために、たった一人でもできる具体的なアクションなのです。」(p.209)


このあと小説は、クライマックスを迎えます。

そしてそこでも、驚きの展開があるのですが、それは小説を読んでお楽しみください。


最後に、「あとがき」から1ヶ所だけ引用しましょう。

もう一つ、この作品で伝えたかった大切なこと。
 それは、自分が幸せになることによってしか、救えない人生があるということです。
 一番大切な人を、幸せにするって案外そういうことなんじゃないかと思うのです。
 逆の言い方をすると、いつまでも過去の出来事を引きずって、幸せになることを放棄していると、今、目の前にいる大切な人をいつまでも幸せにできないということです。
」(p.256)

大切な誰かが不幸でいたら、あなたは幸せな気分になれるでしょうか?

映画「かみさまとのやくそく」では、子どもは親を幸せにしようとして生まれてくる、と言っていました。

それなのに親が幸せでいないと、子どもは幸せになれないのです。

だから、まず自分が幸せになることが重要なのですね。


久々の喜多川さんの作品でしたが、期待を超える素晴らしいものでした。

ぜひ、多くの人に読んでいただきたいですね。また母校の中学校に寄贈しようかな、などと考えてしまいました。

書斎の鍵
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:00 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月18日

今すぐ変わりたい人の行動イノベーション



大平信孝さんの2冊目の本を読みました。

1冊目のタイトルが「本気で変わりたい人の行動イノベーション」でしたから、ほとんどそっくりなタイトルです。

内容も、基本的には前作と同様なのですが、前作で示された「1分間行動イノベーション」の中で最初に行う「10秒アクション」に特化したのが、本書になっています。

また、マンガを導入して主人公が成長する様を示すことで、イメージしやすい作りになっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

本書で紹介している「10秒アクション」ですが、「たった10秒で何ができるの?」という疑問もあるでしょう。

それに対して大平さんはテレビCMの例をあげて、このように言っています。

と、たった15秒の中で、起承転結がしっかり描かれているため、私たちはその「物語」の中に思わず引き込まれていきます。
 つまり、私たちは、15秒あれば、たくさんの人を感動させるストーリーを伝えることができるのです。
」(p.29 - 30)

物語の重要性は、神田昌典さん「マンガでわかる非常識な成功法則」の中で言っていました。

「10秒アクション」の本質は、この物語としてのメッセージを伝えることにあるのですね。

それを何度も繰り返すことで、知らず知らずに脳に定着して行き、いつしか自分が変わっていくのです。


では、その「10秒アクション」とはいったい何でしょうか?

私がこれから提案する「10秒アクション」の定義、それは

「1日のどこかで10秒間を使って、何か1つだけ
自分の気分を上げる『行動』をしてみよう」


というものです。
」(p.36)

このように、実にシンプルです。シンプルだから誰でもできるし、簡単に継続できるのだと思います。


そして本書では、「10秒アクション」の他に、もう1つの重要なポイントがあると言っています。

ここで1つだけ覚えておいてほしいことがあります。「方向」を見つけるための、とても重要な問いかけがあるということです。それは

 「自分は本当はどうしたい?」という質問です。
」(p.45)

私たちは、常に様々な言い訳を考えだして、自分が本当にやりたいことをやらないでおこうとします。そのために、自分らしく生きられないイライラを感じているのですね。

「本当はどうしたい?」+「10秒アクション」。
 この2つさえあれば、人は必ず変わることができます。
」(p.45)

このように力強く、私たちの背中を押してくれます。


忙しい日常生活の中で、「自分は本当はどうしたい?」ということを考えることは、意外に少ないと思います。今から、その問いをし続けることをぜひ習慣化してもらいたいのです。」(p.64)

しかし、そうは言っても、そういう質問の答えなんてなかなか出せない・・・と考えていませんか?

大平さんは、「今よりほんの少しでも良い気分になりたい=欲望」と捉えて、気軽に考えることを勧めています。


ここで、その「欲望」を叶えたいと思っても、「やらなければならないこと」があるという矛盾に直面するかもしれません。

「休みたい」という欲望があっても、「仕事をしなければならない」という現実があるからです。

それについて大平さんは、次のように言います。

「やらなきゃいけにこと」なんて、この世に1つもないのです。
 この「10秒アクション」を行う大きな目的の1つ−−それは「自分」で仮決めして「自分」で動ける人生を手に入れることです。あなたの人生のハンドルを握っているのはあなたなのですから、物事に対し、あなたが「やる」か「やらない」のかを決定する権利は、あなたにしかないのです。そして、その結果何が起ころうと、すべての責任は当事者であるあなたにあります。その当たり前の事実を、まずは自覚してください。
」(p.71 - 72)

つまり、すべての結果を引き受ける覚悟をすることですね。結果にとらわれているから、自分で決められないなどと考えてしまい、犠牲者になってしまうのです。


「欲望」は果てしなく大きな夢でも、全然構いません。そのうえで、「そうなれたら何をしたい?」を自分に問い続けてみてください。
(中略)
一見、無謀に思える「欲望」も「そうなれたら何をしたい?」というセルフコーチングで突き詰めることで、自分で気づいていない「本当の欲望」を浮き彫りにすることができるのです。」(p.76)

人生の目的を探すときも、この問は使われますね。

この問いによって、最初は「お金持ちになりたい」というような欲望の本当の目的が、単に「幸せになりたい」だけだったりします。だったら今すぐ幸せになれば、お金持ちを経由しなくてもいいでしょう。

こういう論法は、よく使われます。でも、そうやって突き詰めることで、本当の自分の欲望(目的)が見えてくるんですね。


「10秒アクション」は、恐ろしくシンプルで簡単です。そのため、1日に何回でもやりたくなるかもしれません。

けれども大平さんは、1つ注意点があると言います。

あなたの「気分」を上げる「10秒アクション」なのに、「やらなきゃ」という義務になってしまっては本末転倒です。
 「10秒アクション」を1日1回やっただけで、OKなのです。
」(p.125)

数多くやった方が効果があるんじゃないかと思い、効果が出ない焦りから、「10秒アクション」を繰り返すことは、逆効果になりかねないのですね。


自己受容でとても大切なポイントは、「何も評価を下さない」ということ。
 いきなり賛成もしないし、いきなり反対もしない。甘やかすわけでもなく、厳しくするわけでもない。「そうなんだね」のひと言で、素の自分をいったん受け入れれば、気持ちがとても楽になります。
」(p.172)

そう感じたという自分を、ありのままに受け入れることですね。評価を下すと、たいていは自分に厳しいものになります。

けれども、そもそも評価というのは、何らかの価値基準に基づくもので、絶対的な価値基準は存在しないのです。

ですからまず、評価せずに自分を受け入れることが重要なのですね。


だか、あなたがもし今、人生のどん底だったり、思うように行かないことが続いて自暴自棄になっているとしたら、「おまえいい加減にしろ!」と自分で自分を突き放すのではなく、「今、大変なんだね。つらいんだね」と受け入れたうえで「一緒に頑張ろう!」と自分で自分を応援してみてください。たった10秒でいいのですから。」(p.195 - 196)

自分が自分の最大の応援者になる。それが重要なのだと、大平さんは言います。


「こんな自分に何ができるの?」と、自己肯定できない人にとって、「変わる=成長する」ということが夢のように感じられます。

しかしそれは、本当は難しいことじゃないんだということを、大平さんはこの本で示しています。

千里の道も一歩からと言うように、1回の歩みは少しなのです。ただ、それを継続するだけです。

その1歩ずつの習慣を「10秒アクション」というシンプルなもので示したのが、本書の特徴です。

本気で変わりたいと思っているのでしたら、試してみる価値はあると思いますよ。

今すぐ変わりたい人の行動イノベーション
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:25 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月20日

子どもを叱る前に読む本



子育て研究の大家、平井信義氏の本を読みました。

平井氏のことを知ったのは、通称「ダメ親」で知られる「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」の中で紹介されていたからです。

その子育て論に共感したので、本を読んでみようと思ったのです。

この本は、2015年3月に出版された新装版ですが、元は1999年6月に出版されています。そして平井氏は、2006年7月7日に亡くなられていました。

この本は、副題に「「やる気のある子」「ひとりでできる子」の育て方」とあるように、自立した子どもを育てるためのもの。

個性のない、やる気のない若者が多いとよく言われますが、この本を読むと、子育てに問題があるのだということがよくわかりますね。


では、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

子どもの「いたずら」をじっと見ていますと、そこには創造性の芽ばえを感じ取ることができます。そして、感動するお母さん・お父さんがいるのです。それに感動できるのは、「感性」がよいからです。もし、自分たちが困ることはさせないようにしよう、その点でしつけをしなければならない−−と思っているお母さん・お父さんがいれば、その人たちには、子どもの創造性は感じ取れません。」(p.27)

「いたずら」は悪いことではなく、創造性の芽生えだと言うのですね。たしかに、様々なことに好奇心が湧き、あれこれやってみようというワクワクする気持ちが、「いたずら」をさせるのだと思います。

平井氏は、そういう子どもの「いたずら」を戒めるのではなく、むしろ感動することが大切だと言います。

叱ったり、諭したりする必要はなく、ただ「卒業」するのを待つだけで良いのだと。


でもそうすると、高価なものを壊されたりして、多大な損害を被る可能性もありますよね。そんなときも叱るのではなく、情緒的に訴えれば良いと言います。

そのときに私はそばに寄っていき、「おじいちゃんね、これをなおすのは大変なんだよ」と静かに訴えたのです。つまり、大人にとっては困ったことなのだと教えたわけです。その結果、それ以後は同じ「いたずら」はまったくしませんでした。それは、おじいちゃんを困らせるようなことはしないようにしようと思ったからです。」(p.24 - 25)

つまり、その「いたずら」をやめようという自発性に任せたのです。

このように情を通じて子どもに訴えることによって、子どもはお母さん・お父さんが困るようなことはしないようにしようと思うようになっていきます。そして、年齢が高くなるにつれて、この「いたずら」で相手が困るのではないかと判断したときに、それをがまんするようになります。これを自己統制の能力と呼んでいます。
 この能力は、怒られるかもしれないという他人の力による統制とはまったくちがいます。怒られるからしない−−というのでは、叱る人がいない場所や、相手が叱らない人だとわかったときには、判断力が働かず、何をしでかすかわからない子どもをつくり上げてしまいます。
」(p.181)

自分で自分を制御する。つまり自律ということも、自発性が育たないとできないのですね。


子どもの「やる気」は「自発性」の発達に伴ってさかんになります。「自発性」の発達にとって何よりも必要なことは、子どもに「自由」を与えることです。ところが、「自由」について正しく理解している人が少ないのが、わが国の現状です。
(中略)
 私は、子どもに「自由」を与えることは絶対に必要であるけれども、子どもを放任することは絶対にしてはならない−−と主張しているのです。
(中略)
 では、この二つのちがいはどこにあるのでしょうか。子どもを放任することは、子どもに対して勝手にしなさいという養育態度であって、親は子どもに対して教育の責任を放棄していることになります。ですから、子どもには責任の能力が育ちません。自分本位の行動が多くなってしまいます。
 それに対して、子どもに「自由」を与えるということは、子どものしていることをじっと見詰めながら、口出しをしない、手を貸さない養育態度であり、それによって子どもの責任能力が育っているかどうかを見届ける必要があるのです。
」(p.30 - 32)

自発性を育むには自由を与えること。自由は放任とは違うということ。ここが子育てのポイントになります。


私は、四十五年にわたって、子どもに体当たりする中で研究を続けてきましたが、その結果、「意欲」と「思いやり」を育てられれば立派な青年になる−−という結論を得ることができました。」(p.1116)

つまり子育ての目標は、「意欲」と「思いやり」を育てることになります。言い換えれば、「自発性」と「想像力」です。

しかし、創造性の発達を考えれば、「いたずら」を悪いこととして叱らないようにすることが大切です。私は、「いたずらっ子」にしよう−−というスローガンを掲げているほどです。
 ただし、「いたずら」によって困っている人がいることを情緒的に訴えることは必要で、それによってだんだんと、他人の困るようなことはしないようにしようという気持ちが育ちます。相手が困るのではないかと判断したときには、やりたい「いたずら」であってもがまんをするようになります。これを、「自己統制の能力」と呼んでいます。
 この能力は、親たちに叱られるからしない−−といった他人の存在による統制とはまったくちがいます。叱られるからしない−−と考えている子どもは、叱る人のいない場所では何をするかわかりません。ハメを外して遊び、人に迷惑の及ぶことをしたり、ケガをすることもあります。
」(p.39 - 40)

叱られない環境で、思いっきり「いたずら」をすることが、「自発性」と「想像力」を育み、「意欲」と「思いやり」のある子どもに育つのです。


私は、「やる気」のない子どもの相談を受けたとき、その子どもが小学生であれば、「無言の行」をするようにおすすめしています。「無言の行」というのは、日常生活のあれこれについて、一切の命令をやめて口出しをしないこと、一切手を貸さないことであって、お母さんにとっては大変なことなので、「行」すなわち修行という言葉を使っているのです。」(p.147)

朝起きてこなくても起こさず、それで遅刻するなら遅刻するに任せる。一時的には怠惰な生活になっても、自発性が芽生えるのを待つのです。

すると、「では、放っておけばいいのですね」と言うお母さんがほとんどですが、「まかせる」ことと「放っておく」こととはまったくちがうことを説明するようにしています。
(中略)
 「まかせる」というのは、子どもを見守りながら、口を出さない、手を貸さないことであって、見守っているとつい口を出したくなったり手を貸したくなったりする、それをぐっとこらえることなのですから、お母さんにとっては難行苦行になるわけです。」(p.149)


子どもの気持ちを汲むことのできる親や保育士・教師は、しつけを急ぎません。しつけは、子どもを鋳型にはめ込むことであり、それは「童心」に圧力を加えることになることを知っているからです。」(p.170)

平井氏はこう言って、「しつけ無用」を主張します。

「しつけ」という強制によって自由を奪われた子は、自発性のない無気力な子どもになるし、反社会的になるからです。

たたかれるなど体罰を受けた子どもが、思春期以後になって力が強くなってくると、暴力を働くようになることは、いろいろな研究によって明らかにされています。たたくという親の行動が子どものモデルになるからですし、体罰を受けた子どもの心には、冷たさが残ってしまうからです。
 私は、体罰は、力の強い者の、力の弱い者に対する暴力である−−と定義し、全面的に否定しています。
 「愛のむち」などの言葉はありますが、「愛」は寛容な心であって、絶対にムチなどは用いないものです。体罰を加えた大人の自己弁護というよりほかはないでしょう。
」(p.172 - 173)

「しつけ」が不要なら、まして体罰はもっと不要です。体罰こそが、反社会的な子どもに育てる元凶なのです。


しかし、子育てをする親自身も、そのように躾されて育ってきました。その親が子どもに思いやりのある態度で接することができなければ、つい叱ってしまったり、強制してしまうのです。

そこで平井氏は、親がまず、自分を育ててくれた親を批判するように言います。

ここでお母さん・お父さんに言いたいことは、自分を育ててくれたお母さんやお父さんを批判してみてほしいということです。
 それは、お母さん・お父さんが大した人格の持ち主でないのに、親になると威張りだして、自分の言うことをきけ−−と子どもに迫ることの誤りを正したいからです。
」(p.153)

まず自分の親の未熟さを明らかにする。それによって、自分自身も未熟だということを認めることが重要なのです。親だって過ちを犯すのです。

そこで、親はえらいんだという気持ちを否定することから始めてみましょう。決してえらくなんかないのですから・・・・・・。そして、子どもに対して、少しでもまちがったことをしたら、「ごめんね」と謝るようにしましょう。この謝るということは、謙虚であることを意味します。そうなると、子どもはお母さん・お父さんを慕います。そして、だんだんと尊敬するようになります。」(p.159)

また、子どもの寝顔を見ることも勧めています。

私は、子どもの寝顔をじっと見詰めることが一つの方法だと思っています。子どもの寝顔の美しさ−−それを感じ取ることができれば、お母さんもお父さんも合掌したくなるのではないでしょうか。そして、むやみに子どもを叱っていたことについて、子どもに「ごめんなさい」と謝る気持ちになるのではないでしょうか。」(p.191)


平井氏は、育てたお孫さんの作文を読んだとき、とても感動したと言います。その一部を引用しましょう。

僕がまだ小さかったころ、おじいちゃんの部屋のドアを足でけとばして割ってしまったことがあります。おじいちゃんはガラスには目もくれずに僕に、
「痛くないかい?」
 と聞きました。てっきり怒られると思っていたのに、まるで反対のことを言われたので驚きもしたし、とてもうれしく思いました。

(中略)
 おじいちゃんのところでは、何をやっても怒られないので、何が良いことか、何が悪いことかがわかりません。でも、おじいちゃんの困ったような様子をみていると、いけないことだと分かるし、うれしそうな様子をみるとよいことだと分かります。
 おじいちゃんは自分の頭で考えて、自分の考えを持って行動する人だし、僕たちにもそういう人になって欲しいから、簡単に他人の行動を批判したり、制限したりしないのだと思います。そして僕はおじいちゃんのうれしそうな顔を見るのが大好きです。
」(p.200 - 201)

叱らずに、しつけもせずに、自由にさせる。そうすれば、信頼関係が築かれ、困るようなことは自発的にしなくなるのです。

子どもからこんなふうに思われたら、どんなに嬉しいことでしょうね。


この本には、2歳半から3歳、3歳から3歳半の子どもの姿として、その特徴がたくさん書かれています。

それを知ることで親が、これが正常なのだと子どもを受け入れられるようにするためです。

これまでの常識で「よい子」だとされていたのが、本当は「よい子」ではなく、その逆に「問題のある子」だった。その理解が進めば、子育ても変わってくると思います。

子育てを考える上で、ぜひ読んでいただきたい本だと思います。

子どもを叱る前に読む本
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:00 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月24日

何度でも言う がんとは決して闘うな



がん医療界の異端児とされている近藤誠氏の本を読みました。

これまでにも近藤氏の本を読んだことがあるように思っていたのですが、どうやら勘違いだったようです。

おそらく、ガンは放置するのが良いという内容の別の著者の本で、近藤氏のことも紹介されていたのでしょう。


この文庫本は書き下ろしではなく、雑誌「文藝春秋」2014年1月臨時増刊号の「近藤誠 何度でも言う がんとは決して闘うな!」を再構成したものだそうです。

以前に行われた誌上対談なども含めてあって、近藤氏の考え方を多角的に知ることができるような構成になっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介します。

近藤氏と言えば、「がんもどき理論」がよく知られています。「がんもどき」はおでんの具しかないと揶揄する人もいますが、よく読めば、きちんとした仮説であるとわかります。

ある病変が、がんか良性かの診断は、顕微鏡検査によってなされます。しかしこの、がんと診断された病変には、性格の異なるものが、少なくとも二種類含まれています。すでに他臓器に転移しているものと、まだ転移していないものとです。なお早期がんでも、ごく微小な転移をすでに持っているものがあります。
 この場合、他臓器にすでに転移が存在すれば、それが微小であっても、原発病巣の運命とは関係なく育っていきます。したがって、原発病巣を早期に発見して手術しても、いずれ転移で命を落とすことになりますから、早期発見は無意味になります。このように、他の臓器に転移しているがんを、「本物のがん」と名づけました。
 他方、発見された時点で他臓器に転移していない早期がんは、これまで、そのまま放置すると、原発病巣が増大して進行がんになる間に転移が発生してしまう、と考えられてきました。しかし私は、早期がんとして発見可能な大きさになるまで転移する能力を持たなかったがんは、かりにそれ以後放置しておいても、もう転移しないのではないか、と考えました。このような考慮に立って私は、転移のないがんを「がんもどき」と名づけたわけです。
」(p.185)

このように、これまで常識とされてきた、早期発見早期治療が無意味だとする仮説「がんもどき理論」なのです。


この理論は、もちろん仮説です。しかし一方の、早期発見して治療すればガンが治るというのも、単に仮説に過ぎません。

したがって、がんもとき理論への批判は、現在転移のない早期がんを放置しておいた場合、がん細胞の性格が変わって転移が生じることがないのか、ということに集約されます。」(p.186)

このように近藤氏は言って、いずれが論理的に優位であるかは、読者の判断に委ねるという立場を示されています。

そして、これを実証するためにはくじびきによって、早期がんを検査して治療する群と、がん検診をせずに放っておいて、症状が出てから治療する群に分け、どちらの生存率が高いかを比べる必要があると言います。

もし、早期発見早期治療が有効なら、前者の群の生存率が高くなるはずですから。

しかしこれまでのデータでは、生存率において両群の差がないという結果のみが得られているそうです。

この結果から近藤氏は、「がんもどき理論」の方が優位だと説明するのです。


また、抗癌剤は、ガンの中の1割程度しか効果がないと言います。「大往生したけりゃ医療とかかわるな」中村仁一医師との対談で、こう言っています。

近藤 日本人に多い胃がん、肺がん、食道がんなど大部分のがんには、抗がん剤が治癒効果や延命効果を示す証拠がありません。抗がん剤で多くの患者を治すことができるのは、急性白血病、悪性リンパ腫、小児がん、睾丸腫瘍(こうがんしゅよう)などごくわずかです。抗がん剤を使用したほうが、生存余命が延びるような錯覚をさせるデータの作り方がしてあるだけなんです。
 中村 医者が作るデータには、そんなのがたくさんあるんじゃないでしょうか。あと、言葉のまやかしもありますね。抗がん剤が「効く」といわれると、患者の方は、がんが消えてなくなると思ってしまう。
 近藤 抗がん剤を認可するときの「有効」という判定は、がんのしこりが一定程度小さくなる、ということにすぎません。がんが消える、治る、延命するという意味ではまったくない。
」(p.280 - 281)

このことは医師もわかっていて、それでも抗癌剤治療をすれば儲かるので、やめられないのだと言います。

それは何とも言えませんが、医師が正しく説明していないことは事実のようですね。


万にひとつも治る可能性はなく、「固形がんは放置するに限る。それがいちばん苦しまずに長生きできる」という証拠をどれだけ見せられても、日本人はなかなか「治療しない」ことに耐えられない。「治療はやるもの」と思いこんでいるから。」(p.290)

そう近藤氏が指摘するように、患者やその家族側にも問題があります。

治らないとわかっていても、最後まで努力してくれる医者を良い医者と判断し、治療しない医者を悪い医者と考えているのですから、医者も何かをしなければと思うのでしょう。


近藤氏に対しては、その理論に対して反論ができないからか、個人批判をするケースが目立ちます。

そういう中傷だけを読むと、とんでもない人のように思えます。しかし、この本を読む限り、非常に論理的で冷静で、患者の側に立った医師であるように感じられます。

近藤氏を主治医とした渡辺容子さんは、次のように言っています。

近藤さんが主治医でよかったと思う最大の理由は、彼は優れたがん専門医であり、患者である私にいいことも悪いことも含めて、真実を教えてくれて、その情報をもとに自分で自分の治療法が決定できること、つまり自分が自分の主治医になれることである。
 自分が自分の人生の主人公になれたとき、人は誇りをもって、充実した人生を送ることができる。医学という高度に専門的な分野においても、自分が自分の主人公になれるということはすばらしいことだと思う。しかし、めったにないことだろう。
」(p.315)

中には、何も説明せずに「手術しかありません」などと断定する医者もいます。セカンドオピニオンなどと言いだそう時には、怒り出す医者もいるそうです。

どんなに高度な内容であっても、正しいデータと理由をわかりやすく説明し、最終的な判断は患者に委ねるという姿勢こそ、患者を尊重した医療だと私は思います。

この本の最初の方に、「「神の手」を告発する!」という過激なタイトルで、逸見政孝さんのがん手術に対する疑問が書かれています。

それに対して、執刀医はまともな反論を示していないようです。


本当に重要なことは、患者自身が自分ですべての結果を受け入れられるよう、手の内をすべてさらすことではないでしょうか?

権威を身にまとって患者を騙し、医療機関の好き勝手にすることではないと思います。患者自身が、自分の人生の主人公であり続けるべきなのです。


近藤氏は、医療側の意識改革は不可能だと言います。だから患者側に訴えて、患者側の意識改革をすることで、日本の医療を変えていきたいのだと。

今、ガンで患っていないとしても、これは人ごとではないと思います。自分がどう生きるか、という問題だと思うからです。

何度でも言う がんとは決して闘うな
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:37 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月28日

苦しみとの向き合い方



神渡良平さんの最新作を読みました。

副題は「言志四録の人間学」です。佐藤一斎言志四録の言葉を多数引用し、多くの人の生き様に光を当てる作品となっています。

神渡さんの作品の多くは、このように市井の人の生き様に光を当てることで、人としての生き方を示すものとなっています。

「へぇー、世の中にはこんなすごい人がいるんだ!」と感動することで、読み手の私も勇気をもらいました。

今回は、言志四録にある言葉と、それぞれの人の生き様を並べることで、言志四録の言葉が理解しやすくなるとともに、それぞれの人の生き様の背後にある「思い」が、浮かび上がるような感じになっています。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

これらの方々は実に重大なメッセージを持っておられる。これらの方々は置かれた人生がすでに荒行だった。でもその難題を受け止め、逃げずに取り組んでいるうちに活路が開け、安心立命の境地をつかんだ。」(p.2)

これまで紹介して来られた方々について、神渡さんはこのように言って、「ありがたい地涌(ぢゆ)の菩薩だと感動してしまう」と述べられています。


そして、日本が発展している理由を、ガンビアの高校教師、エブライマ・ジャダマさんの言葉で説明します。

この差はどこから来るのだろうと考えました。そして得た結論は、日本は書物によって文化が継承されている、私たちが日本に学ばなければならないのはそれだと思いました」(p.3 - 4)

「はじめに」でこう書くことで、佐藤一斎が遺した「言志四録」の重みを表現されています。


人は須(すべか)らく自ら省察すべし。「天何の故にか我が身を生出し、我れをして果して何の用にか供(きょう)せしむる。我れ既に天の物なれば、必ず天の役(やく)あり。天の役に共(きょう)せずんば、天の咎(とが)必ず至らむ。」省察して此(これ)に至れば則(すなわ)ち我が身の苟(いやし)くも生く可(べ)からざるを知らむ。(『言志録』一〇条)」(p.10)

詳しい現代語訳は、本を参照してください。簡単に言えば、「人には必ず天が与えた役目があり、それを果たさなければ天罰を受ける。このことを真剣に考え、自らを反省するなら、うかうかとただ生きているだけではすまされないとわかるはずだ。」ということです。

これは、2010年のサッカーW杯で、岡田ジャパンをベスト16に導いたメンタルコーチの白石豊教授が、言志四録の中でもっとも好む言葉だそうです。

忌み嫌われ、遠ざけられる<死>だが、積極的な意味もある。「死は情け容赦もなく、突然の中断をもたらす」と自覚したとき、私たちは、「だからこそ、いま与えられている生を最大限に燃焼し切ろう。悔いのない人生にするために、自分の使命の成就に向けてがんばろう」と決意する。そうして、刹那的な生き方や時流に流される生き方を排して、意味のある人生を創り出そうと、心魂を傾ける。」(p.38)

ここで負けたらあとがない。そういう緊張を迎える場面で、白石教授は神渡さんの「一隅を照らす人生」からガンジス川のほとりで行われた火葬の場面を読んで聞かせたそうです。

死を見つめることで、今を最高に生きればいい、やれることをやればいいと、プレッシャーから解放されるよう導いたのです。


震災は私たちに大きな試練を与えました。しかし、大切なことを気づかせてくれました。家族、学校、地域の人々に囲まれ、水や電気のある日常生活が、決して当たり前のものではないということをつくづく思い知りました。
 そして何よりも奇跡的に助かったこの命に感謝し、これからも大好きな剣道を通して心身を鍛え、自分を成長させていきたいと思います
」(p.70)

これは熊谷和穂(くまがいかずお)師範の言葉。安岡正篤氏の孫の安岡定子さんの指導で、道場では論語の素読をしておられるそうです。

熊谷師範は、校長として荒れた学校を立て直したこともあるそうです。

つまり逆境もまた教師にとっては宝なんですね。痛みや悲しみを経験すれば、よりいっそう子どもたちのことが理解できるようになるんです」(p.72)

熊谷校長は、塩釜市立第一中学校創立60周年の記念事業として、言志晩録にある三学戒を石碑に刻んで建てることにしたそうです。

少(しょう)にして学べば、則(すなわ)ち壮(そう)にして為すこと有り。壮にして学べば、則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。(『言志晩録』第六〇条)」(p.61)


イエローハット創業者の鍵山秀三郎さんは、儲けのためなら何でもありの業界で、人々が喜ぶような仕事がしたいとローヤルという会社を立ち上げました。

それは困難を極めましたが、あきらめることをせず、ついには業界全体の商習慣を変えるまでになったのです。

その鍵山さんが好きだという言志四録の言葉です。これは私も座右の銘にしています。

当今の毀誉(きよ)は懼(おそ)るるに足らず。 後世(こうせい)の毀誉は懼る可(べ)し。 一身の得喪(とくそう)は慮(おもんばか)るに足らず。 子孫の得喪は慮る可し。(『言志録』八九条)」(p.94)

鍵山さんは、トイレ掃除でも知られています。教職者が多い「鍵山教師塾」では、次のように話されたそうです。

人を教育する以前に、自分が人知れず努力した期間が必要だというのです。それに教育の大切なところは、子どもたちが自分で思いついて動き出すようにすることではないでしょうか。」(p.100)

教育とは美点を見つけることが大切なのではないでしょうか」(p.100)

悪いところを直そうとしたり、ああしろこうしろと指示することではない。自分で気づき、自分で動くようにする。そして良い所を見つけてほめる。それが教育だと言われるのです。

自ら動き、その背中を見せること。それが重要なのですね。


私は素行の悪い問題児を指導していると思っていましたが、ほんとうはS子のいのちを見ていなかったのです。S子が騒ぎを起こすと、この子さえいなかったら、ここのグループはうまくいくのに……と、ついつい思ってしまいました。でも、問題はS子にあったのではなく、その子を全面的には受け入れていなかった私に問題があったのでした。」(p.130)

こう言うのは、救護院で働いておられた辻光文(つじこうぶん)さんです。

僧籍も持っておられる辻さんは、臨済禅師がつかんだ感動的な宇宙観を「生きているだけっではいけませんか!」という詩に詠まれたそうです。その最後の部分です。

本当はみんな愛の中にあるのです。
 生きているだけではいけませんか。
」(p.136)

問題児だと切り離して見る見方は間違っていると言います。

いのちはつながっているのです。自分の物差しに叶わないと切り捨ててはいけないのです。遠い太古の昔から、重々無尽に私に流れ込んでくるいのちを生き切るのです」(p.136)

宇宙はすべてつながっている。そのひとつづきの生命の中に、私があるだけなのです。

だから切り離したものを批判するのではなく、すべては自分のためと受け止め、ありがたいと思って生きることが重要なのですね。


第4章は「百世の鴻儒・佐藤一斎がもたらしたもの」として、佐藤一斎の人生と、影響を受けた歴史上の人物を取り上げています。

また第5章は「戦後70年のレクイエム」として、戦後を振り返っておられます。

人間が人間になることによって、万物それぞれの有用性が認められ、他に応用される道が開けていく。万物は自分たちが真に生かされるかどうかは、ひとえに人間に掛かっていると思っているのだ。万物のそうした切なる願いがわかってくると、人間が切磋琢磨して修行することは、自分のためだけではなく、万物一切のためなのだと自覚でき、自分がいかに重要な存在であるかわかって、身震いするような緊張を覚える−−。」(p.270)

終戦の詔勅に込めた安岡正篤氏の思いを、神渡さんはこのように想像してみます。

私たちは敗戦の焦土から立ち上がった。いわば新たな建国に取り組んでいる。それだけに誰に対しても、どの国に対しても、胸を張って正々堂々でありたい。」(p.271)

この神渡さんの思いは、あの戦争を再検証することにつながっています。東京裁判が本当はどういうものだったのか、それによって日本人は何を失ったのかなど、神渡さんの考察は迫ります。


歴史意識が高い人は実に凛々しい。そういう人が多く活動している社会は自ずから香り高くなる。日本が諸外国に比べて高い倫理性を持っている理由の一つは、『言志四録』のような本が読まれてきたからだと思う。私は年間百回以上の講演をしているが、演題に『言志四録』が指定されることも多く、日本の精神風土の豊かさを感じている。」(p.314)

「おわりに」で、神渡さんはこのように言われ、これからの日本が国際社会で活躍していくためにも、言志四録が読み続けられることの重要性を訴えておられます。


神渡さんの本を読むと、いつも「すごい人たちがいるんだなぁ」と感動されられます。

そして、日本を支えてきた多くの人たちが、高い意識を持って生きてこられたことも。

そういう人たちが遺してくれた日本を、日本人という心を、私も大事にしたいと思います。

苦しみとの向き合い方
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:54 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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