前回、ビリギャルの本
「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」の紹介の中で紹介した、ビリギャルのママ、
ああちゃんと
ビリギャルこと
さやかちゃんの本を読みました。
ビリギャルの本も感動して泣きましたが、こちらも、それに負けず劣らず泣けます。人はこんなにも成長できるものかと思うと、泣けて泣けて仕方がありません。
この本は、ああちゃんの家族が失敗を繰り返しながらも幸せな家族になるまでの、ドキュメンタリーとも言えるものに仕上がっています。
主人公はああちゃんですが、娘のさやかちゃん(ビリギャル)や妹のまーちゃんも、それぞれの言葉で家族のことを語っています。
またビリギャルの本の著者の坪田さんも、ああちゃんの子育てについて解説しておられます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「
娘のことで学校に呼び出されたとき
私は、子どもに
「親は絶対に子どもを守るものだ」
と示すチャンスだと思っていました。
親が子どもの善意を信じること。
粗探(あらさが)しをせず、味方でいること。
これは、実際には、難しいことです。」(巻頭の言葉)
ここで示されたああちゃんの意思が、まさに彼女の教育方針を貫く1本の柱なのです。
これを守ろうとして頑張ったことで、子どもが何でも話してくれるようになり、
自分らしく生きられる子どもに育てることができたと言います。
「
母は、私が無期停学になったことを、”わが家の恥”とは考えていませんでした。
「親は、何があっても、絶対に子どもを守るものだ」ということを子どもに示す、チャンスだと考えていたのです。」(p.34)
さやかちゃんの言葉です。無期停学にされたら、それを「悪い」ことと判断し、「恥」だと思ってしまうのが、おそらく大多数の人の考え方でしょうね。
でも、ああちゃんはそうは考えなかった。そのああちゃんの考え方が「原因」で、慶應大学に合格する娘に育ったという「結果」があります。この事実を、よくよく考えてみるべきだと思います。
「
母に「どうしていつも自分が後回しで、人のことばかりやってあげるの? 損ばかりの人生じゃない!」と言ったことがあります。すると母は、こう答えたのです。
「でも私は、そんななかでも、ちゃんと大きくしてもらってるんだから、運がいいんだよ。他のきょうだいは、その頃のことだから栄養も不足していて、病気ばっかりしていたんだけど、私に限っては、不思議と病気なんてなあんにもしたことがないの。神様はちゃんと見ててくださるのかな、と思ったよ」」(p.48 - 49)
ああちゃんは、自分の母のことをこう言います。人生の中の
良い面を見ようとする姿勢は、お母さんのときに築かれていたのですね。そういう遺伝子を受け継いでいたから、ああちゃんも割りと簡単に、それができるようになったのかもしれません。
「
今思うと、私たち夫婦は、育ってきた環境があまりに違っていただけで、お互いに悪気があったわけではなかったのです。でも、当時の私は、「自分は悪くない」とばかり思っていて、夫の立場に立って考えることができませんでした。
夫による、長年にわたる経済封鎖などのせいで、怒りや憎しみがつのっていたからです。」(p.66)
夫婦の仲が完全に冷え切っていて、約20年間の冷戦時代があったと言います。何度も何度も、離婚の危機があったことでしょう。
そんな中で子どもたちが苦しんでいる。子どもたちは苦しむ姿を見せることで、ああちゃんに「間違っているよ」と教えてくれたのです。
「
夫のことを理解できなくても「子どもたちのために、この人が、間違いなく家族を幸せにしてくれる人だ、と信じよう」と思いました。」(p.66)
現実がどうかではなく、
まず自分の考え方を変えることに決めたのです。
何を信じるかは、自分の意思の問題なのです。「
今までの夫とのいざこざ、もめごとが、自分へのこだわりやプライドから起こったものであるなら、そんなものは捨ててしまおう。
思春期を迎えた子どもの苦しむ顔を思い浮かべたら、夫のどんな言動も気にならなくなり、そんなことは、どうでもいいと思えるようになりました。
嫌がらせや経済封鎖があろうとも、夫を恨まなければ路頭に迷うことはないでしょう。
そう思ったら、とても気持ちが楽になって、すがすがしい気持ちになりました。(中略)
そうして私が、両手いっぱいに握りしめていたこだわりを、ぱっと捨ててしまったら、不思議と、予期せぬすばらしいものがどんどん手に入って来るようになりました。」(p.70 - 71)
まさに
心屋仁之助さんが言われる「ぱっかーん!」が訪れたのですね。結果にこだわらず、ただ
今のままで良いと受け入れる。今の状態に良い所を見つける。それだけでいいのです。
「
「おまえなんかが慶應に受かるはずないだろうが。きっとその先生は詐欺師だ。おまえを塾へ通わせる金なんて、どぶに金を捨てるのと一緒だ。だからおれは一銭も払わんからな」
父が吐いたこの言葉、それへの怒り。
絶対見返してやる。あいつに謝らせてみせると思いました。」(p.81 - 82)
ああちゃんと冷戦状態だったお父さんは、ああちゃん側につくさやかちゃんにも辛く当たりました。
しかし坪田先生は、別の見方を示します。
「
「人間の感情で一番強いものは”憎しみ”なんだ。君は、今、お父さんに非常に激しい憎しみを抱いているね。それは君にとって、とても大きな原動力になりうるんだよ。だから、もし慶應に受かったら、お父さんにも感謝しなくちゃな」
笑いながらそう言う先生の言葉に、私は、「なるほど、それはラッキーだな」と素直に思いました。
パパは応援していないつもりでも、私はそのおかげでとんでもない大きな原動力をもらっているわけだ、それは悪くないな、と思い直したのです。」(p.83)
こういう素直なところが、さやかちゃんの良いところだと思います。そして、見方を変えることができる能力は、やはりああちゃん譲りだなと感じました。
またこのエピソードからは、現実がどうかが問題なのではなく、それをどう見るかによって、どうにでもなることがわかります。一見、「悪い」と思える出来事でさえ、そのお陰で「良い」ことになることがあるのですから。
「
ともすれば、そこから本当の悪の道へ堕ちていく誘惑もあったでしょう。しかし、さやかやその友人たちは幸い、道をそれませんでした。
「悪いことをしようとすると、お母さんが悲しむ顔が心に浮かんだ。だから一線は越えなかった。自分の母親は、こんな自分のことも愛して信じてくれていると知っていたから」
さやかも、さやかの中学時代からの親友でギャル仲間だったアヤカちゃんやエリカちゃんも、そう口をそろえて言っています。」(p.94)
このことからも、本当に堕ちていく子どもというのは、親に対する信頼がない子だとわかります。信頼があれば、必ず踏みとどまれるんですね。
「
親の価値観で、子ども自身が良かれと思ったことを制止させられ、叱られると、子どもの心は傷つき、反抗的に変わってしまいます。
このことは、あるとき、私の確信となりました。
当時の私は、大人の勝手な都合や、体裁、見栄で、長男を叱る母親だったのです。」(p.104)
「あなたのことを思うから叱るのよ!」という言い訳は、ただの言い訳に過ぎません。本当は、自分がよく見られたいからです。そのことが腹からわかるまで、行動を改めることはできないでしょうね。
ああちゃんが変われたのは、それまでご自身が育った環境もありますし、彼女の性格や、学んだことも大いに影響したでしょう。
ああちゃんは、教育者の
長谷川由夫氏の教えを
「あなたと子供が出会う本」(情報センター出版局)で学んだそうです。
「
「叱る」とは、ある行為を否定禁止する「罰」の1種である。
誰しも、あたたかい信頼関係があるときには相手を「叱る」などとは思いもしない。
人間関係において、信頼と罰とは、相反する。罰が続けば、信頼関係は壊れる。」(p.115)
信頼関係がない限り、誰も自発的にその人の言うことに耳を傾けようとはしません。ですからまず、信頼関係を築くことが大前提なのです。
「
私のために、今、必死で自分のやれることを探して行動してくれるパパを見て、車の助手席で涙ぐみそうになりました。
今までも、こうして、娘に何かしてあげたかったのかもしれないな。
私が機会を与えてあげられなかっただけかもしれない。
パパに甘えたのは、いつが最後だったっけかな。甘えてほしかったのかもな、と急に反省したのでした。」(p.139)
大雪だった最初の受験の日、お父さんはスタッドレスの車を用意して、さやかちゃんを会場まで送ってくれたのでした。父と娘の雪解けが始まったのです。
ちょっと見方を変えてみれば、本当は愛されていたのかもしれないと、思えてくるのですね。
「
自分が変われば、周りも変わる。イヤなヤツだって、変わる。どうしてこんなかんたんなことが、今まで、わからなかったんだろう。」(p.151)
お父さんを「憎たらしいヤツ」に仕立て上げていたのは、実は自分の見方だったのだと、さやかちゃんは気づきました。
本命にしていた慶應大学文学部。その試験でさやかちゃんは、まさかの不合格となります。でも、そのときのああちゃんの言葉がふるっています。
「
「ああちゃん、文学部、ダメだった。ごめんね」
「そうか、じゃあ、さやかは、そこには行かないほうが良いってことだね!」(p.162)
どこまでもポジティブに考えるああちゃんの、本領発揮とも言える名言です。
「
あなたも、今は、そのままでいいんだよ。これも通過点なの。だから、何も焦らなくていいからね。今からでいいんだよ。もう何を言っても叱られることはないよ。自由になれたんだから。あなたはすばらしい人間なのだから、大丈夫、今からゆっくり、自分の好きなこと、ワクワクすることを見つけていけばいいだけだよ。
ああちゃんは、起こったことすべてに、無意味なことなどない、と思ってるよ」(p.198)
グレてた長男に対して、自分の対応が間違っていたと反省したああちゃんが、そのままの長男を受け入れようと努力した結果、こういう話を聞いてもらえるまでになったのです。
自分が何が好きかもわからないほど、傷ついてしまった長男。慶應大学を目指して輝いている姉と比べ、自分は何もないと自己卑下する長男。そんな彼を、ああちゃんはそのまま受け入れ、それでも素晴らしいと信じたのです。
この部分を読んだとき、やはり野口嘉則さんの
「僕を支えた母の言葉」を思い出しました。「あなたは素晴らしい」と、何があっても信じ続けることが、親にできる最高の子育てなのだと思います。
「
暴れて家のガラスを割るなど、思春期のすさんだ長男に何か言いたくなったときには、必ず、幼少期に叱ってしまったこと、そして夫がしてきた仕打ちの数々を思い出し、
「これは、その当然の報いなのだ」
と自分に言い聞かせ、ときに見守り、ときに優しく接するように心がけました。
この、何かあるたびに、過去に傷つけたことをひとつひとつ思い返し、長男にお詫びするような思いで声をかけ続けたことは、確かに効果がありました。
長男の性格の良い部分が、時間はかかっても、蘇ってきたからです。こうした努力が、必ず報われることを私は知りました。」(p.267)
今からでも遅くないのです。どれだけ信頼関係がなくなってしまっても、まだやれることがあります。時間がかかっても、どれだけ大変でも、今から一歩ずつ信頼を築くのです。
そうすれば、必ず報われることを、ああちゃんは教えてくれます。親なら愛する子どものために、茨の道でも歩いて行けますよね?違いますか?
「
児童心理学者 平井信義先生は、「しつけ無用論」を唱えておられます。
小さいときから親と先生の言うことだけを素直に聞く、手のかからない子が、思春期に校内暴力、家庭内暴力、登校拒否、神経症、心身症などになりがちなのは、子どもの心を理解しない”命令的な圧力によるしつけ”のせいだ、と言うのです。」(p.268)
ああちゃんは、この
「しつけ無用論」を実践したと言います。特に妹のまーちゃんに対しては、謝らせたり、お礼を言わせたり、あいさつをさせたりなど、強制することをしなかったそうです。
「
”良い子”を装わせる育て方をしてしまうと、表では”良い子”としてふるまえても、心のなかでは、心ならずものことを強制されてきた不満が募っており、陰でいじめをしたり悪口を言ったりする大人になりやすいと私には思えます。」(p.269)
強制せず、ありのままの子どもを受け入れる。そうやって初めて、信頼関係が築かれるのです。
「
そんな行動的な、悪く言えば粗野で、お行儀の悪い、暴れん坊のような幼少期、小学校低学年時代を送ったのにもかかわらず、日々、なぜそうしたことをしてはいけないのか、穏やかによく説明し、諭していった結果、さやかもまーちゃんも、小学校高学年近くにもなると、改まった場所に出ても恥ずかしくない、場所をわきまえた行いができるようになり、何よりその場の空気を読んで、人の気持ちを理解できる能力が養われてきました。」(p.276)
けっきょく、「このままではひどい大人になるのではないか?」という不安が、子どもに強制させるのです。本当は、じっくりと待っていれば良いのに、成長するということが信じられないのでしょう。
子どもを信じていないのですから、信頼関係が築かれるはずがありません。不安は愛の対極ですから、不安を動機として何かをすれば、それは不安な現実を創造するのです。
「
もし子どもが「このおもちゃが欲しい」と駄々をこねても、ちゃんと穏やかに優しく説明し、「買いません」と言ったら、絶対に買わない。
その際に、笑顔を忘れず、子どもが納得するのを待つ−−それが正しい厳しさであって、親がヒステリーを起こす兆しすらも見せなければ、子どもはそこから美徳を学ぶものだ。
怒ること、叱ることは、単なる「相手への攻撃」である。」(p.277 - 278)
長谷川氏の本から学んだああちゃんは、この考え方を実践して、子どもとの信頼関係を築いていったのです。
ああちゃんは、子育てにおける子どもへの考え方を、おそらく夫に対してもしたのだと思います。
仲が悪かったのは、ああちゃんが夫を信頼していなかったから。そのままで良いと、受け入れていなかったから。
そう考えることで、夫に対する自分の考え方を、変えていったのでしょう。
「
さやかのがんばりを見たことや、すさんだ長男のSOSのお陰で、私たち夫婦は、こうして改心し、お互いを成長させることができました。
子育ては、まさに、最高の自分育てでもあったと思います。
それが正しく全うできれば、人生は幸せなものになると思います。」(p.309)
見た目には、さやかちゃんが慶應大学に合格したから、幸せな家族でいるように見えるかもしれません。
でも、そうではないと思います。それは1つのきっかけに過ぎず、様々な出来事の中で、自分の見方を変え、成長していったことで、現実が変わっていったのです。
この本は、子育て中の親御さんや教育を仕事にされてる方には、非常に参考になると思います。
それとともに、動かない部下を持つ上司や、性格が悪い上司を持つ部下にも、頭の硬い親を持つ子どもにも、役立つ本だと思います。
つまりこの本は、
人間関係を良くすることについて、大いなるヒントを与えてくれると思うのです。
ああちゃんや、その家族の皆さん、坪田さんにも、心から感謝したいと思います。