ネットである記事を見て感じたことがあったので、ブログに書くことにしました。
メルマガのネタにしても良さそうだったのですが、どうしても今日、書きたい気分になったので。
「週刊ポスト(2015年6月12日号)」からの記事で、タイトルは「ドンキで中国人店員が客をボコボコに 打撲で全治10日の診断」となっています。
ディスカウント量販店「ドン・キホーテ」八王子駅前店で、店員の横柄な態度に腹を立てた客がその胸ぐらをつかんだところ、逆にボコボコに殴られたという話です。
この記事を読んだとき、私はある出来事を思い出しました。
それは東京・大塚のマンスリーマンションに住んでいたころのこと。帰宅途中のコンビニでの出来事です。
商品を買ってお札を渡すと、店員がレジの方に少し身体をずらして釣り銭を取り、ホイッとその場でお釣りを渡そうとするのです。
私が受け取るためには、私から店員に近づかなければなりません。1回目は、違和感を覚えながらも、近づいてお釣りを受け取りました。
しかし、どうにも釈然としません。だって、店員が勝手に移動したのですから、自分から寄ってくる「べき」でしょう。それか、店員が手を伸ばして渡す「べき」です。
数日後、また立ち寄ったところ、同じ店員がいました。
そして案の定、同じように少し離れたところから「ほら、受け取りに来いよ」みたいな感じで釣り銭を渡そうとします。
「お前がこっちへ来て渡せよ!」
そんなことを言ったかもしれません。その後、どうしたのかも記憶していないので、ひょっとしたら文句を言いながらも、私から近寄って受け取ったのかも。
私は、自分がバカにされたような気がして、悔しくてたまらなかったのですね。
ところが、その話を上司にしたところ、彼は私に共感して腹をたてるのではなく、まったく違う反応を示したのです。
「あいつもきっと、大変なことがあるんじゃろ。」
私は、共感してもらえないことに不満でした。だって悪いのはあの店員だからです。あんな態度をされたら、誰だって腹を立てるでしょう。
しかし上司は、その店員に対してもニコやかに話しかけ、店員もまた、私の上司には非礼な態度を取りませんでした。
それ以来、その店員には会っていません。
バイトを辞めたのかもしれないし、横柄な態度を取らなくなったから気にならなくなったのかも。
でも、この出来事はずっと私の心の中に残っていました。
今から15年ほど前の出来事です。あのころの私は、まだ強い「べき」論に支配されていたのですね。
今回の記事を読んで、改めて思いました。
一歩間違えば、私もボコボコにされていたのでしょう。
法律上は、その店員が悪い(=罪がある)のかもしれません。けれども、スピリチュアル的には、起こるべきことが起こったにすぎないのです。
店員が横柄な態度を取ったとき、私がそうしたように腹を立てて文句を言うこともできます。一方で私の上司のように、相手の立場を思いやって許すこともできるのです。
バリ島の大富豪、兄貴こと丸尾孝俊さんは、レストランで注文したものが出てこないと不満を漏らした連れの人に対して、「さわやかじゃないのぉー」と言って自ら厨房に入り、注文の品を作って出してあげたそうです。
その部分を本で読んだとき、私にはまだ納得できませんでした。
「注文の品が出てこないのだから、クレームを言うくらいはいいんじゃないの?それでも待ち続けなきゃいけないの?」
そう、思ったのです。
今ならわかります。待ち続けなきゃいけない(=ねばならない)のではなく、ただ待ってあげればいいのです。ニコやかに、気にする様子も見せず、ただ待っていればいいのです。
誰でも、文句を言われれば腹が立ちます。相手に腹を立てさせるようなことを、敢えてする必要性はないでしょう。
待てないなら店を出れば良いだけです。
もちろん、丁寧に「まだ出てこないのですが、急いでいるので、もし間に合わないならキャンセルしていただけますか?」と尋ねても良いでしょう。
横柄な態度の店員にも、「きっと何かつらいことがあって、心が疲れているんだろうなあ。」と思いやってあげて、そんなつらい中でもちゃんとお釣りをくれようとしたのだからと、感謝すれば良かったのです。
すべての出来事は、私たちに機会を与えてくれます。
それは、「愛」と「不安」のどちらを選択するか、という選択の機会です。
「神との対話」では、「愛」を選択することで、自分が進化成長できると言います。
相手を思いやって、「愛」を選択することもできます。
一方、自分がバカにされることで存在価値が消えてしまうような「不安(怖れ)」を感じ、そのことを拒否するために怒ることもできます。それは「不安」を選択したのです。
どちらを選択するのも自由です。私たちは基本的に自由なのですから。
今日、この記事を読んで、改めて上記のことを感じました。
すべては私自身のために起こっている。私を進化成長させようとして、必要な機会へと導いている。
これからも、そう思うようにして、感謝して生きたいと思います。
2015年06月02日
2015年06月03日
不安は不安のままでいい
さて今日は、「不安は不安のままでいい」という話です。
5月29日のメルマガで、「不安にも意味がある」ということを書きました。
バックナンバーが見られないので、メールBOXのメールをご確認くださいね。
タイトルは、「不安が教えてくれるもの」です。
不安は、愛を体験するために創造されたもの。
だから、不安になるのは、悪いことではないという話でした。
私は、不安な状態を解消するために、不安が幻想だと見抜くことをお勧めしました。
心屋仁之助さんが言っているように、「どうせ愛されてるし」と言ってみる。
そうすることで、不安を幻想だと見抜けるようになると。
そして、不安を感じてしまう自分を責めないようにと書きました。
それはまったく意味がないからと。
不安を感じたことを喜び、不安を歓迎しましょう。
それは愛を体験するための、前段階なのですから。
こういうことを書いたのですが、今日読んだメルマガに、もっと易しく説明されていました。
水野浩志さんのメルマガです。
その内容が素晴らしかったので、今日はそれを紹介しますね。
水野さんのことを知ったのは、メンターの吉江さんから紹介されたのがきっかけです。
水野さんは、セミナーのやり方を教える講師もされていて、そのDVD教材を勧められて買ったのです。
とても情熱的な方で、DVDを見てファンになってしまいました。
それでずっと、メルマガを購読していたのです。
水野さんのメルマガは、ブログでも読めるようになっています。
「自身力を高める思考のヒント」
今日の記事は、以下のタイトルです。
「昨日のメルマガを読んだ読者の質問にお答えします」
昨日の記事は、地震などの心配をしても、「未来を、自分の感情を害するために使っている」だけだから、無駄だという内容でした。
それに対して、「それでも不安になってしまう人がいるが、そういう人にはどう言うのか?」という質問があったのだとか。
水野さんは、こう答えます。
「不安に感じるのならば、不安に感じてもいい
そのままのあなたで良いんですよ」
そして、してほしくないことを2つあげます。
「そういう生き方をしてしまっている自分を自分を否定する」
(※原文ママ:おそらく「自分が否定する」と書きたかったのだと思います。)
「違う考えを持つ人を必要以上に攻撃して自分を守ろうとする」
自己卑下したり、罪悪感を感じることは、百害あって一利なしと、「神との対話」でも言っています。
そして、自分の不快感の原因が他人にあるとして、批判したり攻撃したりすれば、被害者意識を持つだけのことです。
それでは、その問題を解決できなくなります。
水野さんは、不安に感じてしまう人は、「エネルギー不足の状態に陥っている人」だと言います。
だからまず、その心を癒やすことが重要だと。
心を癒やすには、受け入れることです。
そこで水野さんは、こういう言葉をかけてあげたいと言います。
「あなたはそれで良いんですよ。そのままで良いんですよ。」
そうやって心が癒やされ、エネルギーがチャージされたら、別の考えが浮かぶかもしれないと言います。
「もっと違う考え方やとらえ方が出来るかも」
子どもが転んで泣いたとき、「そのくらいで泣くんじゃない!」と言われると、子どもは自分を否定します。
だって、親から愛されたいから。
ガマンして、ガマンして生きるようになります。
そして何かにつけ、親の顔色をうかがうようになります。
愛されるためには、親に気に入られないといけないから。
だから心が萎縮して、不安症になるんですよ。
そうなった人には、愛こそが処方箋です。
無条件に受け入れてあげること。
不安だったら不安のままでいいんです。
変わらなくていい、頑張らなくていい。
無条件とは、そういうことです。
そうやって子どもが泣くことを受け入れ、「あー、痛かったね」と共感してあげれば、子どもはすぐに泣き止みます。
そして、また元気に遊びに行くのです。
そういう話も、映画「かみさまとのやくそく」にありました。
もし、他人から受け入れてもらえないとしても、自分で自分を受け入れてください。
自分自身を愛してください。
あなたは、そのままでいいんです。
私がお勧めする「鏡のワーク」は、そのためのツールでもあります。
目の前に、愛されなかった人がいると思って、無条件で受け入れてあげてください。
そうすれば自分の心が癒やされ、別の考えが浮かぶようになるのです。
5月29日のメルマガで、「不安にも意味がある」ということを書きました。
バックナンバーが見られないので、メールBOXのメールをご確認くださいね。
タイトルは、「不安が教えてくれるもの」です。
不安は、愛を体験するために創造されたもの。
だから、不安になるのは、悪いことではないという話でした。
私は、不安な状態を解消するために、不安が幻想だと見抜くことをお勧めしました。
心屋仁之助さんが言っているように、「どうせ愛されてるし」と言ってみる。
そうすることで、不安を幻想だと見抜けるようになると。
そして、不安を感じてしまう自分を責めないようにと書きました。
それはまったく意味がないからと。
不安を感じたことを喜び、不安を歓迎しましょう。
それは愛を体験するための、前段階なのですから。
こういうことを書いたのですが、今日読んだメルマガに、もっと易しく説明されていました。
水野浩志さんのメルマガです。
その内容が素晴らしかったので、今日はそれを紹介しますね。
水野さんのことを知ったのは、メンターの吉江さんから紹介されたのがきっかけです。
水野さんは、セミナーのやり方を教える講師もされていて、そのDVD教材を勧められて買ったのです。
とても情熱的な方で、DVDを見てファンになってしまいました。
それでずっと、メルマガを購読していたのです。
水野さんのメルマガは、ブログでも読めるようになっています。
「自身力を高める思考のヒント」
今日の記事は、以下のタイトルです。
「昨日のメルマガを読んだ読者の質問にお答えします」
昨日の記事は、地震などの心配をしても、「未来を、自分の感情を害するために使っている」だけだから、無駄だという内容でした。
それに対して、「それでも不安になってしまう人がいるが、そういう人にはどう言うのか?」という質問があったのだとか。
水野さんは、こう答えます。
「不安に感じるのならば、不安に感じてもいい
そのままのあなたで良いんですよ」
そして、してほしくないことを2つあげます。
「そういう生き方をしてしまっている自分を自分を否定する」
(※原文ママ:おそらく「自分が否定する」と書きたかったのだと思います。)
「違う考えを持つ人を必要以上に攻撃して自分を守ろうとする」
自己卑下したり、罪悪感を感じることは、百害あって一利なしと、「神との対話」でも言っています。
そして、自分の不快感の原因が他人にあるとして、批判したり攻撃したりすれば、被害者意識を持つだけのことです。
それでは、その問題を解決できなくなります。
水野さんは、不安に感じてしまう人は、「エネルギー不足の状態に陥っている人」だと言います。
だからまず、その心を癒やすことが重要だと。
心を癒やすには、受け入れることです。
そこで水野さんは、こういう言葉をかけてあげたいと言います。
「あなたはそれで良いんですよ。そのままで良いんですよ。」
そうやって心が癒やされ、エネルギーがチャージされたら、別の考えが浮かぶかもしれないと言います。
「もっと違う考え方やとらえ方が出来るかも」
子どもが転んで泣いたとき、「そのくらいで泣くんじゃない!」と言われると、子どもは自分を否定します。
だって、親から愛されたいから。
ガマンして、ガマンして生きるようになります。
そして何かにつけ、親の顔色をうかがうようになります。
愛されるためには、親に気に入られないといけないから。
だから心が萎縮して、不安症になるんですよ。
そうなった人には、愛こそが処方箋です。
無条件に受け入れてあげること。
不安だったら不安のままでいいんです。
変わらなくていい、頑張らなくていい。
無条件とは、そういうことです。
そうやって子どもが泣くことを受け入れ、「あー、痛かったね」と共感してあげれば、子どもはすぐに泣き止みます。
そして、また元気に遊びに行くのです。
そういう話も、映画「かみさまとのやくそく」にありました。
もし、他人から受け入れてもらえないとしても、自分で自分を受け入れてください。
自分自身を愛してください。
あなたは、そのままでいいんです。
私がお勧めする「鏡のワーク」は、そのためのツールでもあります。
目の前に、愛されなかった人がいると思って、無条件で受け入れてあげてください。
そうすれば自分の心が癒やされ、別の考えが浮かぶようになるのです。
2015年06月05日
宇宙シナリオからのメッセージ
「あの世に聞いた、この世の仕組み」の著者、雲黒斎さんがFacebookで、賢者テラさんの著書が発売されると宣伝しておられました。またその本が素晴らしいと、絶賛されていました。
スピリチュアル系の本は、まあどれも似たような感じなので、もういいかなという思いがあったのですが、雲黒斎さんが絶賛されるなら読まないわけにはいきません。
と言うことで、すぐに注文して読んでみました。
最初は、ちょっと斜に構えたような感じがして、既存のスピリチュアル系の言うことをバッサバッサとなで切るような言葉に、あまり好感が持てませんでした。
「まあたしかに、そうも言えるけどね。それにそういうことは、「神との対話」にも書かれてるし。」
などと、好感が持てないことから、そういうちょっと批判的な気持ちも抱きました。
けれど、言われていることはとてもまっとうで、その通りと思えることが多く、それなりに線を引きながら読み進めました。
第4章は「覚醒までの道のり〜テラになるまでの軌跡」となっていて、テラさんの半生が語られていました。
そこを読んだとき、私は同じ匂いを持った存在として、テラさんに親しみを覚えたのです。
テラさんは、大学時代に新興宗教にハマったと書いています。具体的な団体名は書かれていませんが、おそらく私がハマったのと同じでしょう。
その後、発達障害だとわかり、普通のキリスト教を知りたいと思って、教会に行くことになります。
そして神学校にまで通って、牧師を目指したのだそうです。
ところがそれから、なんと「神との対話」と出合ったことが書かれていました。
テラさんも、「神との対話」を読んで、これまでのキリスト教が抱えている矛盾に気づかれたようです。
私との類似点は、ここまでです。テラさんはその後、覚醒体験をすることになります。そして、その気付きから、そのことを世に広めなければという使命感を得て、賢者テラとして活動をすることになったのだそうです。
年齢が書かれていませんが、おそらく私と同じ50代ではないかと思います。
賢者テラとしてブログを書かれたり、講演活動をされていたとき、雲黒斎さんの目に止まり、一気にメジャーになられたようです。
前置きが長くなりましたが、一部を引用しながら、内容を紹介しましょう。
まず第1章の中で、「テラのスピリチュアル的常識破壊」として、以下の4つをあげています。
その@「起こることはすべて決まっている」
そのA「空(くう)は考えるだけ無駄」
そのB「この世界に真理はない」
そのC「スピリチュアルに整合性は不要」
その@は、いわゆる「引き寄せの法則」を否定するかのような発言です。
「マラソン大会で、一位になれるのは一人だ。でも、参加する大勢が全員意識を百パーセント完璧に使いこなせて、完全に疑いなく一位になることをイメージでき、確信することができたとしたら、理論上は皆が一位になれることになる。
でも実際は、どんなに参加者全員が完全な意識の在り方をしても、やっぱり一位になれるのは一人だ。」(p.42)
「結局、ここで私が一番言いたいことは「意識で現実を変えられるというのは錯覚で、実は起きることはすべて決まっている」ということ。起きることはただ起きているにすぎない。」(p.49)
「究極視点では、ワンネス(ただひとつの意識体)だけしか存在せず、いくら無数の個に分離していても結局正体はひとつなのだ、という切り口からは、「私がすべて生み出している。私がすべて好きで選択している」というのは真実である。」(p.52)
このように言って、分離した相対的な世界での個、自我(エゴ)がどう考えても、それが現実になるわけではないと言います。
そして、不注意で子どもを轢き殺してしまった親に、「「それもあなたがつくった現実なんです」と言えますか?」と問いかけます。
「正しいかどうかよりも、思いやりがあるかどうかだ。そういう意味では、意識万能主義は責任問題において容赦がない。だって全部その人の意識の責任なのだから。逃げ道がないのだ。」(p.55)
このことは「神との対話」では、どちらでも取れるように書かれています。
まず、すべては私たちの思考が創っていると言うのですが、それが精神の思考かどうかははっきりとしません。
魂は私たちを、必要な条件に導くとも言っているからです。そうなると、私たちの現実を創っているのは、魂、精神、身体の3つの意識(これを超意識、意識、無意識と呼んでいます。)の活動によるとも言えます。
したがって、一方で思考が現実を創ると言いつつ、もう一方ではそれだけではないよと言っていることになるのです。
つぎに、そのBの説明を引用しましょう。
「この世界で「真理はひとつ。正解はひとつ」と考えることが、いかにこの世界を不幸にするか考えてみたことはあるだろうか。
人の数だけ独特なものの見方があり、それは永遠に統一され得ない。」(p.67)
これは「神との対話」でも、そのように言っていますね。
最近流行りのパワースポットについても、独特な考えを披露しています。
「パワースポットで実際に力を得たり、何かのお守りや石などのツールを大事にする人は−−
自分ではなく、自分の外に特別な力がある、と信じている次元を生きている。
だから、実際に効果がある。
(中略)
他からもらわないと、足りなくなると信じている。自分独力では十分ではない、と信じている。しかし、次のことに覚醒すると事情が変わってくる。
あなたは、神である。
あなたの正体は、無尽蔵のエナジーを秘めた神意識である。
あなたと世界とは、一体である。
あなたは、世界そのものである。
私は、これに気づいてからというもの、自分がどこにいようが関係なくなった。」(p.103 - 104)
言われてみると、たしかにそうだなあと思います。自分が神なのに、神社にお参りする必要性はありませんからね。
ついパワースポットやパワーストーンなどに頼りたくなるのは、まだ自分自身のパワーを信じていないからなのでしょう。
また、この世を演劇にたとえ、配役が女王様でも乞食でも、なんら優劣はないのだと説明します。
「だから、この世界で私たちにできることは、なぜ自分はこうなのか、なんてことに意識を向けたりして時間を無駄にすることではなくて、今、目の前に否定できないものとしてある現実を、ゲームとして楽しみ尽くす、ということに労力を割いていただきたい。
乞食の役を振られてブーブー不満をたれて過ごすのではなく、動かしようのない初期設定としてそれが与えられた以上、そこからどうしていくのかを考えるしかない。」(p.121 - 122)
生まれ持った境遇ばかりじゃありません。自分の判断や生き方の結果、おちいった困難な状況でさえ、それは配役として与えられたものなのです。
だから、それを現実として受け入れ、そこでどうするかを考えれば良いのだと言います。
「貧しさは、豊かさの反対語ではない。
貧しさとは、豊かさの属性のひとつである。
豊かさのバリエーションの一形態である。」(p.147)
たしかに言われてみるとその通りで、しかもそう考えると貧しいことさえ楽しめそうです。
「神との対話」でも、愛と不安は対極だと言いながら、愛がまったくない状況が不安で、不安さえも愛によって創られると説明しています。
つまり温度と同じなんですよね。熱いと冷たいは対極ではなく、温度のバリエーションに過ぎません。
「どんな物事に対しても、常に逆をも考え合わせ、どちらでもOKという柔軟な視点を持てれば、あなたはこの世ゲームの達人となる。」(p.155)
金持ちだけが素晴らしいわけじゃないのです。貧乏というバリエーションも、楽しみ尽くさなければ損なのです。
「忘れてはいけないのは、「あなたはありのままですでに素晴らしい」ということ。宇宙のすべてはただそうであるだけ。誰にも、何にも非はない。非がないのに、勝手な物差しを作り出して、自分たちで当てて苦しんでいるのが人類だ。」(p.170)
美醜の基準は時代や社会によって違います。それなのに、今の自分の価値観が絶対だと信じて、自分で苦しんでいるだけだと言うのです。
「ただ、宇宙の究極的真理は、「自由」だ。
乱暴な言葉で言えば、「どうでもいい」となる。
ひとつだけ問われるのは、正しいか、間違っているか、ではなく「本望か」である。」(p.171 - 172)
「本望か」というのは、別の言葉で言えば、「自分らしいか」であり、「ワクワクするか」だと思います。
私の感覚では、「美しいか」どうかですね。私は生き方に「美しさ」を求めますから。
「そこで、私が提言したい幸福論、幸せとは−−
その場その場で、限られた選択肢の中で、
自分がその中で最良と思うものを選び、その選択を受け入れられること。
ないものねだりをして「ああできていたら」と自分や世界を呪うのではなく、与えられた条件の中で最善を選んだ自分を、褒めてあげられること。」(p.181 - 182)
与えられた環境という条件、またそこで何が選択できるかという条件があります。完全なフリーハンドではないし、すべてを思いどおりにすることもできません。
その限定された中で、より自分らしい選択をして、そうした自分を褒めてあげられるなら、それが幸せだと言うのですね。
「私が主張するのは、宇宙において今ここの状況は最善でしかない、ということだ。
つまり、「心配」とか、「ネガティブな想像」を結果としてしてしまったなら、宇宙シナリオ上、それはそれで良かったのである。何の問題でもない。
だから、問題なのはネガティブなことを考えたことそれ自体ではなく、「考えたことを良くなかった、するべきでなかったと否定したり後悔したりすること」こそが問題なのである。」(p.198)
起こることは必然で無駄がないと言います。だとしたら、今が最善なのです。出来事や状況は完璧なのです。「神との対話」でも、そのように言っていますね。
もしそうであるなら、「心配してしまう」ということ、「ネガティブに考えてしまう」ということもまた、必然なのです。
だって、それが目的でこの世を創ったのですから。そういう体験をすることが最善なのです。
でも、そこに留まっていては意味がありません。ですから、そう感じたことで自己否定してはダメなのです。
「無限の可能性を含んだ「今ここ」において、何が起こってもおかしくないという覚悟と受容こそが、この宇宙を生きるうえでの最大の強さである。」(p.199)
「神との対話」でも、結果を手放すようにと言っています。特定の結果に執着してはいけないのです。
小林正観さんも、自分の好みではなく、導かれるままに生きる生き方を勧めています。
そうやって、何が起ころうともOKなのだと思えたなら、それこそが最強なのですね。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」と言うように、特定の結果を得ることをあきらめ、手放すことによって、人生は魂の導くがままにスムーズに流れていくのだと思います。
「「あなた」という宇宙の王と、他人という宇宙の王とでは−−
あなたのほうが大事である。
あなたこそが、最高の権限を持っている。」(p.205)
「自分の人生」というドラマの中では、自分が主役であり、監督なんですね。それが「他人の人生」というドラマも同時進行していて、そちらへは脇役として登場するのです。
こんな複雑な仕組みを考えられるのは、全知全能の神くらいなものでしょうね。
ですから「神との対話」でも、自分をもっとも大切にするようにと言っているのです。
「他人の気持ちなんて、あまり気にしなくてもいいです。
自分を幸せにすること、自分がやりたいこと、楽しく快くなること。
そちらにかなりの比重を置いて、追求していたらいいんです。
それがちゃんとできていたら、放っておいても他人を思いやることが簡単にできます。苦労なく、自動的にできているはずです。」(p.207)
「宇宙の王はあなたであり、虫ではない。
あなたが農業をしたい、それを通じて喜びを得たいと思うのなら、胸を張って、する必要のあることはしなさい。つまり、必要があるなら罪悪感なく虫を殺しなさい。
罪悪感はいらないが、その代わりに「感謝の心」をもって殺しなさい。」(p.209)
究極の選択ではありませんが、私たちの身体は、他の生命を奪うことなしに生き長らえることはできません。
そこではどうしても、「殺す」という行為が発生します。殺さなければ生きられないという矛盾した状況で、どう判断するかが求められるのです。
ここでは、これまでに書かれていたように、「正解はない」ということを再確認する必要があります。
常に自分らしいか、自分にとって本望かという判断を、自分でしていくしかありません。
そしてそれを体験し、自分の感情に耳を傾け、またさらに進化した自分として判断する。その繰り返しなのです。
悟り体験が必要なら、みんなが悟れるように神はしたでしょう。
そして、その方法を隠しておいて探させるようなことはしなかったでしょう。
そういうことも、「神との対話」に書かれています。
相対的な世界に身体をもって生まれた自我(エゴ)としての私は、その条件を持ったままに、この人生を生きる必要があります。
ゲームはこれしか行われていないから、好むと好まざるとにかかわらず、これをやるしかないと、「神との対話」でも言っています。
そういう意味で、この本は良い指針を示しているのではないかと思いました。
※バックは賢者テラさんのFacebookページです。
2015年06月09日
感謝感謝のお金道 第一巻
インタビュアー恵子さんこと北岡恵子さんの本を読みました。
お札に描かれた福沢諭吉氏にインタビューして書いたというもの。これは第一巻ですが、続編として樋口一葉氏、野口英世氏、紫式部氏にもインタビューするという全四巻になるのだそうです。
これが実際にインタビューしたものなのかどうか、最後の最後までよくわかりませんでした。
「はじめに」で、この本を書くきっかけとして、手術後の目覚めがあったと書かれているのですが、そこには福沢諭吉氏の話は出てきません。
最後の「あとがき」になって、「家計簿付けながら諭吉さんに話しかけてみた」という話が出てきます。
そこで得られたインスピレーションが、「自分との付き合い方」であり、「システムを変える」ということだったのだと。
それから手術後の目覚めなどがあり、それまでの出会いで気付かされたことなどを含めて、このインタビュー形式の本になったようです。
どおりで読んでる途中から、「何か腑に落ちないな」という気がしたのです。
話が作られすぎている感じがして、途中で飽きてきたのです。
まあそういう面もありますが、なるほどと感じた部分もあります。
ということで、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「だから、今は、不安じゃないんだろ?お金たちが作っているのは、今という瞬間の喜びなんだよ。今今今今の繰り返しが過去であり、未来へと繋がっている。だから、私たちを使って得た今のその喜びを感謝して、私たちをリスペクトしてくれたら、またあなたのところに戻って来ると約束するよ。」(p.23)
まずお金には意思があり、自分たちが行きたいと思う人のところへ流れていくのだと言います。
どういう人のところへ行きたいかと言うと、喜んで感謝してくれる人のところだと。そして、お金を働かせてくれる人、つまりお金を貯めこまずに循環させてくれる人だそうです。
「まずは、今という瞬間を喜んで生きる、と決めることだ。今という現状を逃げることなく向き合って、感謝の気持ちをもって進むこと。過去に後悔をせず、未来に不安を持たずに、今というこの瞬間を、ずっとずっと大切にして、今という、目の前に現れる事柄、人や物をずっとずっと大事にすること。過去のことを持ち出して愚痴愚痴言わないと決めることだ。」(p.27)
お金は、器の大きい人のところに集まると言います。では器を大きくするにはどうすればよいか?それがここに書かれたことで、これを必ず実行するようにと言います。
「本当に、今という瞬間を捉えるというのは、とても難しいことなのかもしれないが、いつでも、いつの瞬間も、喜びで溢れていることが、今という瞬間を生きていると言えるんだ。」(p.34)
何かをしながらも、心ここにあらずで、起こるかどうかもわからない未来のことを心配したり、過去のことを悔やんだりしがちです。
けれども、コンサートなどで楽しさの中に没頭しているときは、心配も後悔もしていません。だから、そういうように常にワクワクし、喜んでいることが大切なのだと言います。
ただし、ワクワクして楽しいことと、楽をすることは違うと言います。たとえば大リーガーのイチロー選手は、けして楽はしていません。でも、楽しい野球に打ち込んでいるから、お金が通って行くのです。
そう諭吉氏が説明すると、恵子さんは「それはイチローだからできる」と言い、自分にはとてもできないと反論します。
「それは違う。「できない」のではなくて、「やらない」だけだ。本当に好きで楽しいことをしたいと思ったら、楽な道ではないとわかっていても、頑張る気力が出てくるはずだ。そうしたら、そのことに集中して、一生懸命やるだろ?それを続けている人というのは、私たちお金チームにも分かるから、その人を応援しようという気になるんだよ。」(p.37)
能力の問題ではなく意思の問題だ。そう諭吉氏は説明します。
しかし、イチロー選手のように、具体的な目標や夢がない人も大勢います。そういう人には、まず「幸せである自分」に目標を設定するようにと言います。
しかしそこで、「幸せになりたい」と思ってはダメだと言います。
「それは、まず前提条件が間違っているからなんだよ。幸せになりたいと願っているということは、今は実は幸せではない、ってことの裏返しなんだよ。今幸せじゃないから幸せになりたい、と願うんだろ?でも、そうではなくて、「今も幸せです。そして、今よりさらに幸せである自分になります!」という設定にするんだよ。」(p.40)
今も幸せというところがスタートで、さらに幸せになるという考え方をすべきだということですね。
この考え方は、先日読んだ「宇宙シナリオからのメッセージ」にも書かれていましたね。「×→○」ではなく、「○→◎」にするのだと。
日本人には、「見えないけれど在るっていうのを感じられる」という民族性があると言います。ですから世界の中で日本は、樹の根っこの役割があるのだと。
「そうだよ。そして、この根っこの部分というのは、実は、役割だから変えようがないんだよ。日本根の国底の国なんだ。その根の国である役割をしっかりとこなすことで、地球全体が、世界がまとまっていくんだよ。日本人というのは、縁の下の力持ちってことなんだよ。」(p.50)
根の国と言われると、島根県出身の私としては、なんだか親しみを覚えます。
根は、縁の下の力持ちとして全体を支える。いわば母のような役割。国連の負担金を多く収めていることも、日本の働きに適っているのかもしれません。
そして次に重要なのが、「自分をリスペクト」することだと言います。リスペクトとは尊敬すること。したがって、「自分自身の存在そのもに敬意を表すること」なのです。
自分を大事にして、自己卑下しないことですね。自己肯定感を高くすることが重要だということは、多くの人が指摘しています。
また、お金は、「困っているからお金様に来てほしい」という人ではなく、こういう人のところへ行きたいと言います。
「「自分にはこんな夢があります。この夢の実現には、これだけは必要です。この夢が叶えられることで、日本という国がさらに良くなり、発展します。そして、私は、私のところを通過してくれるお金様に、喜んでもらえるような働きをします!」って宣言してくれるなら、私たちお金は、喜んで仲間に伝えるよ。「この人、私たちを大切にしてくれるから、大丈夫だから、行こうって」」(p.55 - 56)
お金が働いてくれることに感謝する気持ちを持つことですね。だからまず、謝ることが重要だと言います。
「だから、まずは、私たちお金に対して、今まで側にいてくれたのに、ずっとありがとうって言わずに、ごめんって謝ってほしいなあああ。
(中略)
そう。「謝りを感じる」と書いて「感謝」なんだからね。」(p.57)
そして、「不安だから節約しようと思う」ことはただのケチだから、お金を大事にすることにはならないと言います。
「自分の大切な未来への投資のために、コツコツと溜めて節約することには、私たちは大賛成だ。でも、不安で、この先何があるかわからないから、不安だから節約するというのが、ケチというんだ。」(p.59)
そうやってケチケチしていると、病気や怪我で痛い出費を迫られることになると言います。不安が的中するのです。
「そういうことに使わざるを得ない状況を生み出してしまう、ということだ。もし今不安で、節約や貯金をしていたとしたら、私たちお金に謝ってほしい。そして、不安ではなく、希望でお金を循環させたい!とコミットメント、つまり決意を述べてほしい。」(p.61)
ここでも不安ではなく、安心していることだと書かれていますね。
そして、「まずは自分は絶対愛されているという自信を持つことが何より大切」だと言います。それでも、なかなかそう思えない人に、こうアドバイスします。
「じゃあこう言い換えたらどうだい?だってどうせ神様から愛されているんだから今生かされているんだもんって。今あなたがそこにいるという事実は神様から特別に愛されているという証拠なんだよ。」(p.228)
まるで心屋仁之助さんのようなことを言われますね。(笑)
ずいぶんと途中を飛ばしましたが、そこには食品の問題などが書かれています。
たとえばパンや牛乳は、日本人の力を削ごうとしたアメリカの策略だとか。また料亭の弁当でさえひどいことがあるのだから、ましてコンビニの弁当は人の食べ物ではないなど。
ただしどんなものでも、感謝してよく噛んで食べれば、毒が中和されるということも書かれていました。
そして、本物の味噌を紹介したり、浄水器を紹介したりしています。
これらについては、お金とどう関係があるのかよくわからないし、それが本当に本物かもよくわかりません。
なので、こういうことを福沢諭吉氏に推奨させるというやり方は、何か違和感をおぼえます。
教育勅語の話や、乃木希典氏の話も、そういう見方もあるとは思いますが、それとお金の話とは関係がないようにも感じます。
ということで、前半の部分には共感するところも多かったのですが、後半は「お金」との関係において疑問に感じるところが多かったです。もちろん、個々の話については、共感する部分もありますよ。
ただし、これは私の感想ですからね。この本を読んで、すべてが素晴らしいと感じる人もおられるでしょう。
私の感想は、参考程度にしていただけるとありがたいです。
2015年06月11日
メンタリング・マネジメント
福島正伸さんの本を読みました。この本を買ったのは、どこかに福島さんの考え方を知るにはこの本が最適というような紹介があったからだと記憶しています。
ちなみにこれまでに読んだ本は、「まわりの人を幸せにする55の物語」、「どん底から最高の仕事を手に入れるたった1つの習慣」、「夢が現実に変わる言葉」、「どんな仕事も楽しくなる3つの物語」、「僕に働く意味を教えてくれた29通の手紙」、「理想の会社」、「夢を叶える」などがあります。
読んでみると、たしかに福島さんの考え方がよくまとめっています。
最初、言葉の意味がよくわからなかったのですが、「メンタリング・マネジメント」(長いので、以下「MM」と略します。)というのは、「メンター方式のマネジメント」というような意味だそうです。
メンターという言葉は最近よく使われますが、「支援者」と福島さんは言います。一般的には「指導者」とか、「その道の先生」というような感じでしょうか。
この「MM」を理解するには、対称的な「管理型マネジメント」と比較してみると良いようです。
「管理型マネジメント」とは、これまで普通に行われているように、上司が部下をコントロールして、思いどおりに動かそうとする手法です。
なんだか会社経営の本のように感じるかもしれませんが、私はそうではないと思います。メンターという生き方に焦点を当てた本だと思うのです。
そしてメンターという生き方こそ、私たちが愛として生きる方法ではないかと。
前置きが長くなりましが、ここからは一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「その原則とは、「他人を変えたければ、自分を変えれば良い」ということです。つまり人材育成のポイントは、相手がどうかではなく、すべて自分自身がどのような考え方で、どのような行動をするかなのです。この原則に基づけば、どうすれば人材が育成できるかという問題は、いとも簡単に解決できる問題であることに気づいていただけるのではないでしょうか。」(p.9)
これが「MM」の原則だと言います。つまり、何か問題が起こったら、その解決のためには自分を変えること。これはまるでスピリチュアル系で言うところの、「周りは自分の鏡」理論と同じです。
福島さんは、この原則に基づく「見本」「信頼」「支援」という3つの行動基準があると言います。それが、他人をやる気にさせるメンターのノウハウなのだと。
これまでの人材育成プログラムが、大した成果があげられていない理由を、福島さんはこう分析します。
「その理由は、人材育成の前提条件に問題があったのです。その前提条件とは、先生と生徒、あるいは上司と部下という関係において、「先生は人間的に成熟しているが、生徒は人間的に未熟である」、あるいは、「上司は正しいが、部下は間違っている」ということです。」(p.22 - 23)
これは強烈なパンチですね。たしかに、こういう前提を多くの人が持っています。そして、それを疑うことすらしていません。
特に学校の教育では、大人である先生が、子どもである生徒に対して、ほとんどの場合にこのような考え方をしているでしょう。
それでも福島さんは、この前提が間違っていると言うのです。
「相手は自分の鏡です。相手の反応を見れば、自分のレベルがわかります。そもそも、自分を成長させることでしか、相手を成長させることはできないものなのです。
(中略)
つまり、人材の育成のためには、自分が見本になればいいのです。」(p.24)
生徒が成長しようとしないのは、自分が成長しようとしていないから。相手は鏡として、それを自分に見せているだけです。
そう気づくなら、自分がまず見本となって、成長するよう努力すれば良いのですね。
「つまり、大きな壁があって前に進めないという人のために、壁を小さくするのではなく、その大きな壁を自分の力で乗り越えていけるような人材に育てることが必要なのです。
支援者が考えなければならないのは、目の前の問題を解決することではなく、自分の力で解決できるような人材を育成するための支援のあり方です。」(p.28)
よく、魚釣りの例が使われます。緊急避難的に、自分が釣った魚を与えるのは仕方ないでしょう。でも、いつまでもそれをやっていたら、相手は自分を頼るだけです。ですから、釣り方を教えることが重要なのです。
「夢や目標を達成するために、自ら考え、行動することができる人材を、「自立型人材」と言います。つまり、人を育てるということは、いかに自立型人材を育成するかということに尽きると言えるのです。」(p.34)
福島さんは、この「自立型人材」と、その逆の「依存型人材」の2つのパターンがあると言っています。いうなれば、「MM」は「自立型人材」を育て、「管理型マネジメント」は「依存型人材」を生むことになるのです。
では、「自立型人材」にはどんな要素があるかというと、まずは「プラス受信」すると言います。
「「すべての出来事は、前向きに考えればチャンスとなり、後ろ向きに考えればピンチとなる。問題が起きたことが問題ではなく、どう考えたかが本当の問題である」
このように物事を前向きに受け止めることを、プラス受信と言います。
さらに、プラス受信には、「客観的」「好意的」「機会的」という三つの原則があります。」(p.39 - 40)
もうスピリチュアル系の本を読んでいるような錯覚を覚えます。出来事は中立(ニュートラル)で意味がなく、その意味は私たちの自由意志で与えている。そう言いますからね。
そして、上記の三つの原則について、以下のように説明しています。
「@客観的−−その場の感情に流されず、客観的、冷静に考える」(p.40)
「A好意的−−相手の発言、行動などについて好意的に受け止める」(p.41)
「B機会的−−起きた出来事をチャンスとして考える」(p.42)
この説明だけで、だいたいわかると思います。これがプラス受信のための考え方なのです。
特に問題をチャンスとして考えるというのは、どんなマイナスと思えるような出来事に対しても可能だと言います。
これも他でよく言われるように、失敗は何かを学ぶチャンスと言えるわけですから、プラスに考えることが可能なのですね。
そして、「自立型人材」は「自己依存」すると言います。つまり他人のせいにせず、自分に原因があると考えるのです。そうすれば、他人に期待することなく、自分に期待することができますからね。
「不満をなくすためには、他人に期待せず、自分自身に期待すればいいのです。他人や会社が自分に何をしてくれるかではなく、自分が他人や会社に何ができるかを考える。そして、自分が今できることからあきらめずに取り組んでいけば、不満と感じるものはなくなっていくはずです。不満を感じたら、それは自分の出番なのです。」(p.43)
すべて自分に原因があるなら、問題が起これば自分の出番が生まれたことになります。不平不満や愚痴をこぼす人は、その逆に自分の出番がないと決めつけ、どうにもならない状況に自分を追い込んでいるのです。
そして次に、「自己管理」が重要だと言います。何もしなければ、やる気がないのが普通だからだそうです。
「やる気になるためには、夢を確認することが必要です。どうしても達成したい夢、考えるだけでワクワクする夢を持ち、それを確認することでやる気になることができます。
(中略)
それは夢を確認する習慣です。私たちは、いつでも夢を確認する習慣を身につけることで、やる気を維持することができるようになります。」(p.45)
夢を確認する習慣をつけることが重要なのですね。そのための方法として、「飲み会では、夢を語り合う」など様々なものが紹介されていますが、ここでは割愛します。
この他、「自立型人材」には、「自己責任」「自己評価」という要素があると説明しています。
それに続けて、逆の「依存型人材」についても説明していますが、それは「自立型人材」の各要素を、完全にひっくり返した要素を持っています。
このように分析した後、人には「充実感を求める欲求」と「安楽を求める欲求」の二大欲求があり、それぞれ「自立型人材」と「依存型人材」の欲求だと説明しています。
では、どうして「自立型人材」と「依存型人材」に分かれてしまうのでしょう?生まれ持った才能でしょうか?それを福島さんは、こう説明します。
「人は生まれながらにして、依存型人材もいなければ、自立型人材もいません。そのどちらかに育てられているだけなのです。そして、依存型人材を育てるのが管理者(コントローラー)であり、自立型人材を育てるのがメンターです。」(p.66)
「相手が依存型人材になってしまうという問題の本質は、管理者自身が依存型人材であるということです。依存型人材を育成できるのは依存型人材だけであり、依存型の上司が自立型の部下を育成することは、そもそも不可能なことなのです。」(p.70)
つまり、「自立型人材」も「依存型人材」も、教育(育成)によって遺伝していくということです。これはちょうど、虐待を受けた子が親になって、自分の子を虐待してしまうのと同じです。
したがって、「自立型人材」を育てるメンターになりたければ、自分が「自立型人材」になる必要がある、ということになります。
では、その教育においては、何が重要でしょうか?福島さんは、教えたとおりにやらせるのではなく、やる気になってやるように仕向けることが重要だと言います。それを「育成」と呼ぶと定義しています。
「育成を一言で表現すれば、「やる気にさせること」です。それは、どんな困難に対しても、勇気を持ってチャレンジしていく自立型姿勢を身につけさせることに他なりません。
そのためには、まずこちらが相手の見本となって、自立型姿勢を見せることが必要となります。
つまり、指導とは「教える」ことですが、育成とは「見せる」ことです。」(p.88)
メンター自身が自立型の姿勢を見せること。それが「育成」では重要なのですね。
ではメンターにとって重要な要素は、他に何があるでしょうか?それが「尊敬によって人を動かす」ということだと言います。
「相手に何かを伝えようとする時、何を話すかという内容よりも、相手からどう思われているかのほうが問題なのです。正しいことが、伝わるとは限りません。誰が伝えるかで、伝わるかどうかが決まるのです。」(p.92 - 93)
言ってる内容が問題なのではなく、誰が言うかが重要。聞く人からどう思われているかが重要、ということなのですね。
そもそも聞き手(指導を受ける側)から尊敬もされてなければ信頼もない状態では、何を言っても無駄なのです。
では、尊敬されるためには、何が重要でしょうか?
「実は、尊敬されるために最も必要なことは、自分自身が一日一日の人生を大切にして、一所懸命に生きることです。自分の人生を精一杯生きていくこと、それ自体がメンターになることなのです。」(p.99)
まず自分が本気で生きていなければ、輝いて生きていなければ、メンターにはなれないのです。
そして、相手に信頼されるためのノウハウがあると言います。
「そのノウハウとは、「本気」です。相手が成功したいと思っている気持ちよりも強い気持ちを持って、相手を成功させるべく行動することです。つまり、相手よりも本気になるということです。」(p.101 - 102)
それから福島さんは、「MM」の3つの行動基準、「見本」「信頼」「支援」について詳しく説明します。まずは「見本」ですが、その中でまず、「ミラー効果」の話をします。
「つまり、職場が暗いと言う明るい上司もいなければ、反対に職場が明るいと言う暗い上司もいません。職場が暗いと言うのは暗い上司で、職場が明るいと言うのは明るい上司です。
自分のまわりの他人を見れば、自分がこれまで他人に何をしてきたのかがまるで鏡のようによくわかります。」(p.117)
まずこの周りは自分の鏡だということを、しっかりと理解することが重要だと言います。これを理解するなら、周りに問題を見つけたら、それを自分が改めれば良いからです。
暗いと感じるなら、明るい自分になればよいのです。それが「見本」なのですね。
次に「信頼」ですが、それは「相手をそのまま受け入れる」ということ、「信頼できない人を信頼すること」だと言います。
「そもそも困った人というのは、こちらの思い込みにすぎません。自分の期待していたことと違う発言や行動をした人を、困った人にしてしまっただけなのです。」(p.134)
「信頼とは、相手がこちらの思い通りにならなくとも、そのまま受け入れることです。いわば、「信頼できない人を信頼すること」が信頼なのです。」(p.135)
失敗を恐れずに、裏切られることを怖れずに、仮にそうなったとしても、その原因は自分にあると考えて「見本」を示し続ける。そうやって初めて、「信頼」が築かれるのですね。
最後の「支援」ですが、相手をやる気にさせるために支援することだと言います。
「メンターは相手をやる気にさせるために、いつでも、どんな時でも励まします。具体的な支援が何もできない時でも、励ますことだけならば、いつでもできるはずです。
そして、効果的な励まし方とは、心から本気で励ますことと、自分らしい励ましをすることです。大切なのは、言葉の内容よりも気持ちなのです。」(p.155)
テクニックよりも、気持ちが重要なのですね。そして、その支援には限度がないとも言います。
「「あの人には、いくら支援をしても、無駄になるだけだ」
と考えてしまうことは、支援者として成長することを放棄したことになります。メンターを目指すのであれば、支援をしても相手がやる気にならないのは、まだまだ自分のレベルが低いから、と考えなければなりません。」(p.158)
どこまで行っても自己責任なのですね。
メンタリングによる問題解決プロセスを、福島さんは以下のようにまとめています。
「はじめに問題をプラス受信して、その根本的な原因を自分自身に見いだします。そして、「見本」「信頼」「支援」に基づいた解決手段を、率先垂範の姿勢で実行します。」(p.193)
またそれを行っていく上での注意点として、相手を説得しようとしないことをあげておられます。
「相手を説得しようとするほど、相手は説得されまいとして頑固になっていきます。そうなると、相手は自分の考え方に固執して、何が正しいかが判断できなくなります。何が正しいかよりも、自分の考えを優先しようとするからです。説得されるということは、自己の存在価値を否定されるような気になってしまうのです。
(中略)
相手が本気になって行動するためには、相手を説得するのではなく、共感させることが必要なのです。」(p.223 - 224)
説得ではなく、共感すること。あくまでも主導権は相手に在るのですね。
そして、話し合いをする上でも注意があると言います。
「自分の意見を押し通すためではなく、相手の意見を取り入れるために話し合えば、それによって、自分一人では到底できないようなすばらしいプランができます。相手を説得するためではなく、相手に共感してもらうために話し合えば、たくさんの仲間を集めることができます。」(p.226)
ここでも、説得ではなく共感というのがポイントです。自力ではなく他力を結集すること。これは小林正観さんも言われてますね。
「仕事とは、社会に価値と感動を提供するという夢を実現するために、みんなで力を合わせて努力することを楽しむものなのです。
危機感でやる気にさせるのではなく、夢でやる気にさせる。相手をやる気にさせるために、危機感は必要ありません。」(p.228)
仕事は楽しむもの。それも自分一人ではなく、多くの人を巻き込んで楽しむ。危機感や不安を煽るのではなく、喜びを共有する。それが本当の仕事なのだと、福島さんは言います。
このように、この本は組織のマネジメント論のようでありながら、実は人としての生き方を説いた本なのだと感じています。
スピリチュアルにも、また心理学にも通じていて、また哲学的でもあります。
私は会社の経営者でもありますから、福島さんの言われることの中に、自分ができていなかった部分をたくさん見つけて、これを正そうと思いました。
そして、経営上の困難は、私自身を進化成長させるためのチャンスなのだと思っています。
2015年06月17日
ラジオに出演しました
昨日、あるラジオ番組に出させていただきました。
バンコクの日本語FM放送のJ-Channelの、DJネネさんのコーナーです。
タイ時間で6月16日(火)12:00〜14:00の放送でした。
内容は、タイで活躍する日本人のデイリーライフに迫るということで、その人物を紹介しながら、その人にとって思い入れのあるJ-POPをかけるというもの。私が選んだ曲も何曲かかけてもらいました。
ラジオに出演するのは初めてだったので、最初は緊張しましたよ。せっかくボイストレーニングを受けいているのに、緊張して声が小さくなってしまいました。
途中からは緊張もほぐれて、姿勢を正してそれなりによくしゃべれたのではないかと思います。
このラジオ番組に出るきっかけは、ボイストレーニングです。先生のMimiさんが、このラジオ局のDJもやっているのです。Mimiさんの担当は、今は木曜日ですね。時間帯は同じです。
またそれとは別に、ネネさんからアロマ・リーディングを受けたことがあります。あのときは、Mimiさんが紹介されていたので、それで受ける気になったのです。
アロマ・リーディングを受けてから、ネネさんとはFacebook上でもお友だちなので、まんざら知らない関係でもありません。
人と人との縁は、不思議なものですね。出会いを大切にし、あまり拒否しないようにしようと決めてから、いろいろと出会いが増えました。そしてそれが、ラジオ出演につながったのです。
番組では、私のライフワークを中心に、いろいろ話をさせていただきました。ネネさんが聞き上手で、うまく導いてくださったので、2時間があっという間でした。
30年くらい前の実家から脱走したという経験も、少し話をしました。さすがに汗をかきましたよ。30年前のこととは言え、私も大変なことをやったものです。
でも、そういう体験があったからこそ今の私がある、というのも事実ですからね。このブログでオープンにしちゃった以上、今さら隠すこともありません。
他には、この幸せ実践塾の内容についてや、ソフトボールのことや、レイキのこと、ボイストレーニングのことも話しました。
無名の私のプライベートなことを聞いて、リスナーが喜ぶとも思えませんが、まあ番組作りに協力できたので、それでよしと思うことにします。
でも、実家の両親や一部の友だちが、これを聴いていてくれたようです。
身内で楽しむのに公共の電波を使ったような形ですが、バンコクだけのローカルなFM放送ですからね。
日本でこれが聞けたのは、インターネット配信しているからです。サイトの右上の「J-channnelを聞く」をクリックすれば、数秒遅れで配信されているものを見られるようです。
一応はラジオ放送なのですが、こうなるとまるでテレビみたいですね。まったく、便利な世の中になったものです。
番組を録音したものをもらったので、いつか機会があったら、サイトに載せて聞けるようにしようかと思っています。
でも著作権の問題もあるので、全部を載せるのは難しいですね。
そのときはまた、聞いてみてくださいね。
バンコクの日本語FM放送のJ-Channelの、DJネネさんのコーナーです。
:::::: NOW ON AIR『J-POP Shower』12:00~14:00 :::::::毎週火曜日は、DJネネのJ-POPシャワー!今日のゲストは、幸せ実践塾・塾長赤木 篤さんです。傷ついた心をどう癒し、幸せになるか。「幸せの公式」メソッドで幸せ体質に変革する方法をレクチャーしていただきます。番組では、皆様からのメッセージもお待ちしています↓info@j-channel.jp
Posted by J-Channel on 2015年6月15日
タイ時間で6月16日(火)12:00〜14:00の放送でした。
内容は、タイで活躍する日本人のデイリーライフに迫るということで、その人物を紹介しながら、その人にとって思い入れのあるJ-POPをかけるというもの。私が選んだ曲も何曲かかけてもらいました。
ラジオに出演するのは初めてだったので、最初は緊張しましたよ。せっかくボイストレーニングを受けいているのに、緊張して声が小さくなってしまいました。
途中からは緊張もほぐれて、姿勢を正してそれなりによくしゃべれたのではないかと思います。
このラジオ番組に出るきっかけは、ボイストレーニングです。先生のMimiさんが、このラジオ局のDJもやっているのです。Mimiさんの担当は、今は木曜日ですね。時間帯は同じです。
またそれとは別に、ネネさんからアロマ・リーディングを受けたことがあります。あのときは、Mimiさんが紹介されていたので、それで受ける気になったのです。
アロマ・リーディングを受けてから、ネネさんとはFacebook上でもお友だちなので、まんざら知らない関係でもありません。
人と人との縁は、不思議なものですね。出会いを大切にし、あまり拒否しないようにしようと決めてから、いろいろと出会いが増えました。そしてそれが、ラジオ出演につながったのです。
番組では、私のライフワークを中心に、いろいろ話をさせていただきました。ネネさんが聞き上手で、うまく導いてくださったので、2時間があっという間でした。
30年くらい前の実家から脱走したという経験も、少し話をしました。さすがに汗をかきましたよ。30年前のこととは言え、私も大変なことをやったものです。
でも、そういう体験があったからこそ今の私がある、というのも事実ですからね。このブログでオープンにしちゃった以上、今さら隠すこともありません。
他には、この幸せ実践塾の内容についてや、ソフトボールのことや、レイキのこと、ボイストレーニングのことも話しました。
無名の私のプライベートなことを聞いて、リスナーが喜ぶとも思えませんが、まあ番組作りに協力できたので、それでよしと思うことにします。
でも、実家の両親や一部の友だちが、これを聴いていてくれたようです。
身内で楽しむのに公共の電波を使ったような形ですが、バンコクだけのローカルなFM放送ですからね。
日本でこれが聞けたのは、インターネット配信しているからです。サイトの右上の「J-channnelを聞く」をクリックすれば、数秒遅れで配信されているものを見られるようです。
一応はラジオ放送なのですが、こうなるとまるでテレビみたいですね。まったく、便利な世の中になったものです。
番組を録音したものをもらったので、いつか機会があったら、サイトに載せて聞けるようにしようかと思っています。
でも著作権の問題もあるので、全部を載せるのは難しいですね。
そのときはまた、聞いてみてくださいね。
2015年06月20日
ツバメの法則
西田文郎(にしだふみお)さんの本を読みました。
西田さんは、居酒屋「てっぺん」の大嶋啓介さんなどが師匠として慕っておられる方です。また、北京オリンピックで金メダルを取った女子ソフトボールも指導されています。
脳の働きを研究され、メンタルトレーニングの権威として活躍されています。
私は今回、初めて西田さんの本を読みました。あまりにお名前を聞く機会が増えたので、これは一度読んでみないといけないなと思い、この本ともう1冊、購入したのです。
読んでみて感じたのは、やはりすごい方だなということ。わかりやすいたとえで、考え方や行動のコツを教えてくださいます。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「つまり、成功する人は、自分が成功するかどうかなんて考えない、ということです。「当然、自分は成功する」と思っているのです。
彼らに根拠があるわけではありませんよ。成功の兆しなんて何もないうちから、「自分は成功する」と揺らぎのない自信に満ちているのです。」(p.6)
まさに「根拠のない自信」ですね。それがもっとも重要なのでしょう。
「『ツバメの法則』とは
ツ(ツイてる人とつき合う)
バ(場を選ぶ)
メ(目線を高く)」(p.31)
この3つの原則にしたがっていれば、「誰でも恐ろしいほどカンタンに成功してしまう」と西田さんは言います。
「成功するポイントは、努力ではありません。「自分をツイてる人間だと思えるかどうか」です。「ツキがない」と思っている人間には、絶対にツキはやってきません。」(p.51)
斎藤一人さんも、ツイてると常に言うことを勧めていますね。何があってもそう考える。そこが重要なのだそうです。
「どうしてもツイてないことが起こるという人には、必殺ワザがあります。それは”転換するクセをつける”ということです。発想を転換して、”儲かるタネ”として自分の中に仕入れてしまうんです。」(p.52)
これは幸せ実践塾でもよく言っている、「見方を変える」ということです。どんな不快なことが起こっても、それが何か良いことのきっかけになったり、何かを学ぶことができるわけですから。
西田さんは、人間のタイプを鳥に例えます。成功するタイプの人がツバメです。一方、ツバメと似てはいても、絶対に付き合ってはいけないタイプの人がいて、それがカラスなのだそうです。
「一番大きな違いは「行動」と「分析」です。常に物事を「分析」し、先を読んで「行動」するのがツバメで、夢を語るだけで具体的には何もせず、社会が悪いと愚痴を言い、相手を責め立てるのがカラスです。」(p.82)
特にツバメタイプの女性がカラスタイプの男性をパートナーに選ぶと、ヒモになってしまうことがあるそうです。気をつけないといけませんね。
「今でも門下生に言うんですが、成功するには3つのものを持っていなくてはならないんです。ひとつは「夢」。2つめは「夢の話を聞いてくれる友」。そして最後に「夢を支え続けてくれる人」です。」(p.102)
西田さんは、奥さんが支え続けてくれたのだそうです。なのでツバメタイプの男性は、タカタイプの女性を、金のわらじを履いてでも探すようにと言います。
たしかに起業してもうまくいかない時、奥さんから見放されたり、責められたりしたら、男性はつらいでしょう。そちらにエネルギーを奪われてしまいます。
それが「なんとかなるわよ」なんて言われ、「あなたならやれるわ」などと褒められたら、それこそ豚もおだてりゃで木に登ってしまいます。
ですからパートナーを選ぶことが重要だと、西田さんは言うのです。
「大切なのは、「おや?」と思わせることなんです。つまり、「普通とは違うぞ」と消費者に思わせるということです。
私はこれを「オヤ鳥の法則」と呼んでいます。」(p.133)
また面白いネーミングですね。でも、何か違うぞと思うから、人は注目してくれるのです。他人とはちょっと違うことをすることは、重要なことだと思います。
では、どんなことで他人と違いを出せばいいのでしょう?
「それは、「会話」「容姿」「品性」「持ち物」という4つのセンスです。このうちのどれかがあると、周りの人たちは「オヤ?」と思います。」(p.135)
芸人さんがモテるのは「会話」のセンスですし、「容姿」が優れた女性は、それだけで美容関係の起業に有利だと思います。
「品性」というのは難しいですが、「持ち物」なら割と簡単だと西田さんは言います。
一点豪華主義で高価な時計を身につけるなどもありますが、これはやる人が多いので、かなりレアなものにしないと違いが出てきません。
最近はたまちゃん先生など風変わりな格好をする人が出てきましたが、そういう方法なら、それほどお金をかけなくても出来そうですね。
「でも、成功する起業家っていうのは、「社会を変えよう、みんなを幸せにしよう」と、自分の欲望ではなく、社会に対して”しなくてはならないもの”を持っている。最初からでっかい夢を描いているものなんです。」(p.166)
これは使命感と言えるかもしれません。自分がやらなければ誰がやるんだ、というくらいの使命感があれば、どんな困難も乗り越えていけるでしょう。
つまり、脳を常に「快」の状態にしておくことが重要なのだそうです。
そうすれば、アイデアも出てくるし、困難に打ち負かされることもありませんからね。
ツバメの法則も、それにしたがうことで脳を「快」の状態にしておくためのものだと思いました。
2015年06月25日
「ありがとう」の効用
さて今日は、「「ありがとう」の効用」という話です。
青森で気功整体をされてる津原明宏さんが、面白い動画を紹介されていました。
津原さんは小林正観さんのお弟子さんで、正観さんの話を伝える活動もされています。
「ありがとうと体の変化、ガン他 #54」
この動画で津原さんは、手に「ありがとう」と声をかけると、指の長さが長くなると言われています。
簡単にできるので私も試してみましたが、本当にそうなりました。
これはびっくりですね。
実際、「ありがとう」という言葉が、物に対して良い影響を与えることも、多くの人が言っています。
「水からの伝言」という本で江本勝さんは、「ありがとう」と声をかけた水の結晶がとても美しくなることを示しています。
※この本には、科学的でないという批判もあります。
ただし、科学的にあり得ないという証明はなされていないようですね。
そして小林正観さんも、本の中で次のように言っています。
「「ありがとう」をたくさん言われると、食べものも、人格も、「マイルド」に変わる」
(「ありがとうの神様」p.222)
ここで正観さんは、岐阜県の小学3年生の女子の実験を紹介しています。
200種類に及ぶ食べものに「ありがとう」と「ばかやろう」を、それぞれ100回ずつ呼びかけるというもの。
それを家族に食べてもらって、感想を聞くという形で結果を得ました。
すると、「ありがとう」を言った方は、甘さがマイルドになったのだそうです。
正観さんはこの節の最後に、こう言っています。
「人間も、怒鳴って怒って、すごい気迫を発している状態から、「穏やかでマイルドな方向に向かっていく」ことが、「人格を高める」ということなのでしょう。」
(同 p.225)
「ありがとう」と言われて、喜ばない人はいません。
感謝の気持ちが伝わるのです。
物に言葉が伝わらないと考えるのは、物と人間は違うという信念を持っているからでしょう。
けれども、物も人間も、同じ「ひとつのもの」です。
私たちが自然との一体感を感じるなら、物とだって同じはずです。
物も私たちも、同じエネルギーからできているのです。
自分で確かめてみることですね。
そうやって自分で納得しながら、少しずつ信念を変えていく他ないのです。
信念が変われば、現実が変わります。
身の回りの持ち物に、文句も言わずに働いてくれる物に、「ありがとう」と言って感謝してみませんか。
きっとそれらも、喜んでくれると思いますよ。
※この記事は、2015年6月25日に配信されたメルマガ「SJ通信」の本文になります。
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青森で気功整体をされてる津原明宏さんが、面白い動画を紹介されていました。
津原さんは小林正観さんのお弟子さんで、正観さんの話を伝える活動もされています。
「ありがとうと体の変化、ガン他 #54」
この動画で津原さんは、手に「ありがとう」と声をかけると、指の長さが長くなると言われています。
簡単にできるので私も試してみましたが、本当にそうなりました。
これはびっくりですね。
実際、「ありがとう」という言葉が、物に対して良い影響を与えることも、多くの人が言っています。
「水からの伝言」という本で江本勝さんは、「ありがとう」と声をかけた水の結晶がとても美しくなることを示しています。
※この本には、科学的でないという批判もあります。
ただし、科学的にあり得ないという証明はなされていないようですね。
そして小林正観さんも、本の中で次のように言っています。
「「ありがとう」をたくさん言われると、食べものも、人格も、「マイルド」に変わる」
(「ありがとうの神様」p.222)
ここで正観さんは、岐阜県の小学3年生の女子の実験を紹介しています。
200種類に及ぶ食べものに「ありがとう」と「ばかやろう」を、それぞれ100回ずつ呼びかけるというもの。
それを家族に食べてもらって、感想を聞くという形で結果を得ました。
すると、「ありがとう」を言った方は、甘さがマイルドになったのだそうです。
正観さんはこの節の最後に、こう言っています。
「人間も、怒鳴って怒って、すごい気迫を発している状態から、「穏やかでマイルドな方向に向かっていく」ことが、「人格を高める」ということなのでしょう。」
(同 p.225)
「ありがとう」と言われて、喜ばない人はいません。
感謝の気持ちが伝わるのです。
物に言葉が伝わらないと考えるのは、物と人間は違うという信念を持っているからでしょう。
けれども、物も人間も、同じ「ひとつのもの」です。
私たちが自然との一体感を感じるなら、物とだって同じはずです。
物も私たちも、同じエネルギーからできているのです。
自分で確かめてみることですね。
そうやって自分で納得しながら、少しずつ信念を変えていく他ないのです。
信念が変われば、現実が変わります。
身の回りの持ち物に、文句も言わずに働いてくれる物に、「ありがとう」と言って感謝してみませんか。
きっとそれらも、喜んでくれると思いますよ。
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本能寺の変 431年目の真実
話題になっていたので、Kindle版で買って読みました。明智憲三郎(あけち・けんざぶろう)さんの歴史を考察する本です。
「本能寺の変」は、誰もが知っている歴史的な事件です。
戦国武将の織田信長が、天下統一を目前にして、臣下の明智光秀によって殺されたもの。
光秀が謀反を起こした理由は、信長に虐待されたから。あるいは、領地を召し上げられそうになったから。
それがもう定説になっています。
そして、それを知った豊臣秀吉は、主君信長の仇を討たんとして、誰もが予想もしない「中国大返し」によって駆けつけます。
そして、山崎の合戦で光秀軍を打ち破り、光秀は逃げる途中、落ち武者狩りの手にかかって死ぬ。
一方、徳川家康は、堺から京に向かう途中、謀反の報を受け、光秀に討たれてはならぬと、命がけの伊賀越えで、やっとの思いで三河まで辿り着いた。
こんな話が、もはや私たちの常識となっています。
その常識に異を唱えたのが、作者の明智さん。実は明智さんは、あの光秀の子孫になるのだとか。
明智光秀の汚名を雪ぐべく、文献に丹念にあたりながら、定説を覆していきます。
明智さんは、元SEだそうです。私も同業なだけに、論理的思考の重要性を理解しています。
根拠となる事実と事実を論理によって結びつけていく。そうしなければ、事実の全体が見えてきません。
「決定的な目撃証言がなくても容疑者に有罪判決が下されたのは「蓋然性」です。様々な証拠から容疑者が砒素を投入した蓋然性が高いと判断されたのです。
歴史の真実も全く同様です。直接そのことを書き残した史料がなくても犯罪捜査と同様に様々な証拠から蓋然性の高い真実を復元することができます。大事なことは答に至るこの手順です。思い込みの前提条件から答を先に作って、それに合いそうな証拠を探すというのは本末転倒であり、犯罪捜査であれば冤罪作りです。
私は信憑性ある当時の史料から徹底して証拠を洗い直し、根底から本能寺の変研究をやり直しました。」
このように、「和歌山毒入りカレー事件」を例に上げながら、歴史の真実を解明するための手法について書かれています。
「私は自分のこのやり方を「歴史捜査」と名付けました。一般的な歴史研究とは明らかに次元が異なるからです。」
以上は、本の冒頭に書かれた文章です。
なんだか大げさな感じもしましたが、本を読み終えてから改めて読んでみると、それがけして大げさなことではなかったとわかります。
そして、その「歴史捜査」から導かれた「本能寺の変の真実」は、これまでの定説とはまったく違うものでした。
織田信長、豊臣秀吉、徳川家康といった有名な武将の人物像も、これまでとは違って感じられるようになりました。
「「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」とはドイツの鉄血宰相といわれたビスマルクの言葉だ。歴史に学ぶとは、自分とは異なる経験・思考・能力を有する先人の存在を認め、その人物の真実にどれだけ肉薄するかという精神活動であろう。だから新たな発見があるのだ。自分の経験に先人を当てはめて自分の器で解釈することは歴史に学ぶのではなく、自分の経験を正当化しているに過ぎない。」
明智さんは「エピローグ」でこう語ります。たしかに歴史に学ぶということは、こういう姿勢でなければ意味がないと思います。
現代の価値観で過去の出来事を裁くことも、歴史に学ぶとは言えない態度だと思います。
過去には過去の価値観があり、そこでできる最大限の知恵を絞って、その結論を導き出したはずです。
それに対する共感というか敬意を持たなければ、歴史の真実は見えてこないでしょう。
明智さんが暴きだしたのは、勝者が作り上げた歴史の欺瞞です。
世界の歴史は常に、勝者によって作られてきました。そこには敗者の正義もあったはずなのに、それは葬られているのです。
その一方的な歴史を、ただ受け入れることが歴史に学ぶことではありません。
真実は多面的です。それぞれに思惑があります。それを見つけ出してこそ、本当に歴史に学ぶことができるのだと思います。
この本は、私たちが歴史に向き合う上で、重要なことを教えてくれる良書だと思います。
2015年06月28日
10代のための神との対話
累計1,000万部を超え、世界中で読まれている「神との対話」シリーズですが、その中で、子ども向けに書かれた本になります。著者はニール・ドナルド・ウォルシュ氏で、翻訳者はNana&Joeのお二人です。
これは、私のセミナーに参加された方から、「非常にわかりやすい」との感想をお聞きしたので、さっそく買ってみました。
内容は予想通り、「神との対話」シリーズに書かれているそのままです。ただし、子どもからの質問にわかりやすく答えようとしているので、たしかにわかりやすくなっていますね。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
自分自身を許せないというアメリカのリリーの質問に、許せるようになる方法を教えます。
「人が同じ罪を犯すのを、許すことだ。他人の同じ過ちを、失敗を、人のいやなところを……他人の、あなたがもっているのと、あなたがするのと同じ罪を許しなさい。」(p.94)
それでも納得しないリリーに、さらにこう言います。
「これは魔法の方程式だよ。あなたが人の心を癒すとき、あなたの心が癒される。」(p.95)
すべては「ひとつのもの」ですから、他人に対してすることは自分に対してすることになります。それを、こんなふうにわかりやすく説明しているのですね。
さらに、絶対的な善悪の価値観に関して、こう説明します。
「いま話していることの大事なポイントは、絶対的な「正」も、絶対的な「悪」も、存在しないということだ。あることが「悪い」のは、それをあなたが「悪い」と言うからで、それは「正しい」についても同じだ。
そして、人間は、「よい」「悪い」の判断を、いつでも状況によって変えているのだよ。
●−−それのどこが悪いの?
何も。何も悪くない。そこがポイントだ。
何が「よい」か「悪い」かの判断を変えることは、悪くなんかない。なぜなら、問題は、あなたが「こうしたい」と言っていることに役立つのは何か、ということだからだ。
あなたがいま、平和と調和のある世界で生きたいと言うのなら、自己防衛であっても、殺したり、傷つけたりしてはいけないと決めることは、役に立たないかもしれない。
いつか、正当防衛であっても、殺したり、傷つけたりすることが役に立つとは思わなくなる日もくるだろう。でもそれは、とても高度に進化した社会、「魂は決して、傷ついたり壊されたりすることはないのだから、みずからを防御する必要はない」という共通理解のある世界でだけ通用することだ。」(p.96 - 97)
「「よい」「悪い」の判断は絶対的なものではなく、そのときどきのあなたがたの目的に、役に立つか、立たないかによって変化するものだ。だから、あなたは、それを個人的にも、社会的な立場からも、自分自身で決めることができる。あなたが何を経験したいか、あなたが世界とどのようにかかわりたいかによって判断するのだよ。」(p.98)
何が正しいかではなく、何が役立つかで考える。そう考えれば、他人には他人の役立つ考え方があることを受け入れられますね。
「ほんとうの私」とは何なのかという、日本のサヤカ(18歳)の質問にこう答えます。
「ひと言で言えば、あなたは「愛」だ。あなたは、愛そのものだ。だから、あなたは、あなたが「愛」であるときに、最高に幸せだ。逆に、あなたがそうでないとき、あなたが「愛」でいられないとき悲しくなるのは、そのためだ。」(p.119)
「「愛」をほかの言葉で言えば、それはもちろん「神」だ。この2つの言葉は入れ替えられる。
ということは、「ほんとうのあなた」は、私だ。
あなたは、自分自身を経験している神の一部なのだよ。」(p.120)
「神」「愛」「生命」「自由」「永遠」「無制限」は、すべて言い換えられると言います。私たちはそのようなものなのですね。
「汝の敵を愛せ」と語る聖書の言葉に、自分のような普通の人間には無理だと言う、スペインのマリア(14歳)にはこう語ります。
「敵を含めて、すべての人を愛するようになるための第一歩は、あなた自身を愛することだ。自分にないものを、人に与えることはできない。だから、もし、あなたが自分を無条件に愛せないのなら、他人を無条件に愛することもできないわけだ。
これを覚えておくといい。自分がもっていないものを、人に与えることはできない。
だからまず、自分を愛して、愛して、愛しなさい。
いま、そのままのあなたが、完璧だと知りなさい。
神の目から見たら、そのとおりなのだから。」(p.140 - 141)
まず自分を愛すること。そこがスタートです。今、あるがままの自分を、それで十分だと受け入れることです。
それでも欠点を受け入れられないなら、こう考えてみたらどうかと提案します。
「あなたが人から、「自由奔放だね」と言われる部分のボリュームが上がりすぎると、人は、その同じ部分を指して、「無責任だ」と言う。「勇敢だね」と言われる部分のボリュームが大きすぎると、「無鉄砲だ」と。「大胆さ」のボリュームが上がると、「自己中心的」だと。
あなたの「欠点」と呼ばれる特徴は、その音楽を人が楽しむには、ただちょっとボリュームが上がりすぎているというだけで、本来、どれも、あなたのもっともすばらしい特性、「長所」なのだ。」(p.142)
欠点を、その特徴のボリュームが上がりすぎただけ、と捉えるのですね。人によってその特徴を愛したり、批判したりします。ですから、欠点を直す必要はないのです。
欠点はただ単に、自分の特徴が表れる強さの問題ですから、相手に応じて、調整すれば良いだけなのです。
また、自分の欠点を批判されたくなければ、他人の欠点も受け入れることです。
「これを覚えておくといい。ときに「沈黙」は、あなたにできる最高の行いだ。」(p.144)
そして、愛に傷つくというティファニー(18歳)が、もうこれ以上、傷つきたくないと言うことに対して、それは「愛」と「必要」を混同しているからだと言います。
「誰かを愛するのに、傷つく必要はないのだよ、ティファニー。でも、「愛」と「必要」を混同すると、必ずと言っていいほど、そうなってしまう。
多くの人が、愛とは、必要を満たしてくれるものへの反応だと考えている。つまり、「私の必要を満たしてくれるのなら、あなたを愛します」ということだ。」(p.144)
「真実の愛は、あなたが相手にとって、どんな存在になるかという決意の結果だ。
相手がしてくれたことへのお返しなら、それは愛ではない。ニセモノの気持ちだ。」(p.147)
相手の反応を求めるのではなく、ただ自分がどうあろうとするか。それが「愛」だと言います。
言い換えれば、「愛」ならどうするか? その答えが、愛するという行為なのですね。
母親の新しいパートナー(つまり新しい父親)が見つからないことの悩みを訴えるジェイソン(14歳)には、「そうなっているのかもしれない」と言って、すべてを受け入れるようにと言います。
「いまのままが完璧かもしれないということだ。あなたに必要なのは、その完璧さを見ること。誰でも、どんなときでも、その瞬間の完璧さを見出しさえすれば、「不幸」から抜け出し、「幸せ」になることができる。
(中略)
望んだことが起こらなくても、そこに完璧さを見出し、感謝すること。
(中略)
あるレベルでは、あなたがそれを望んでいると知ることで、感謝できるようになる。
魂のレベルでは、いつもちゃんと理由があるのだ。」(p.152)
自分にとって望ましくない現実でさえ、それは魂によって選択されたことなのですね。魂が自分のためにならないことを考えるはずはないのですから、目の前の現実に感謝することが重要なのです。
宿題が多くで大変だと訴えるアメリカのウェード(15歳)には、親に頼んで学校と話し合ってもらうことを勧めます。そんなことをしても変わらないと言うウェードに、神はこう言います。
「これを覚えておくといい。とにかく試してみること。始める前から、あきらめてはいけない。
試しもしないうちにやめてしまえば、どこにもたどり着くことはない。どこにもいけないと信じて、どこにいこうともしないのだから、結局、どこにも行き着かない。それであなたは、自分をちゃんと正当化できる。
これこそ、不幸な人がずっと不幸なままでいる理由、怒った人がいつまでも怒りつづけている理由、道を見失った人がずっと迷ったままでいる理由だ。」(p.164)
まずは試してみることですね。やってみなければ、できるかどうかわからないのですから。
痛みや失望を、よりよい人間になるために利用するには、どうしたらよいかと質問するイアナ(16歳)には、こう答えます。
「これを覚えておくといい。あなたが何をしても、失敗はありえない。
あなたが痛みや失望を感じたときは、それを贈り物と見なせるように、そのなかから宝物を見つけだせるようにするのだ。
(中略)
ある意識のレベルでは、完璧に魂の目的に沿った出会いや経験を引き寄せている。その意味で、すべてはあなたの望んだことだ。
そして、あなたはいつでも、ほしいものを得ている。」(p.225)
失敗と感じる体験も、すべては自分のためにあるのですね。だとすればそれは失敗ではなく、成功だということになります。必要な体験をするという望みが成功したのです。
神から裁かれると心配するアメリカのスーザン(19歳)には、神には裁く必要性がないと答えます。そしてそれは、神はすべてを理解しているからだと言います。
「私は、あなたのどんな思いも感情も理解しているんだ。理解あるところに、非難はありえない。
いつも覚えておくといい。理解あるところに、非難なし。
この2つは両立しないのだ。」(p.232)
逆に言えば、非難したくなければ理解すれば良いのです。相手には相手の正当な理由があると決めて、その理由を想像するのです。
それが見つからなければ、でっちあげれば良いのです。目的は、相手の行動を理解することですから。
そうすれば相手を非難せずに済み、相手を受け入れることができます。
10代の若者向けに書かれた本ですが、大人が読んでも、「神との対話」シリーズの内容を理解するのに役立ちますね。
ぜひ(買って)読んでみてください。
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