2015年05月03日
アンソニー・ロビンズの運命を動かす
世界No.1カリスマコーチと呼ばれるアンソニー・ロビンズ氏の本を読みました。翻訳は本田健さんです。
ロビンズ氏の本は、これまでに「一瞬で自分を変える法」や「人生を変えた贈り物」を紹介しています。
今回紹介する本は、「AWAKEN THE GIANT WITHIN」という原書のパート1部分を中心に、翻訳し直したものになるのだそうです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「本書の原題には、「誰もが”開発されていない才能=眠れる巨人”を内に秘めており、その力を解き放つことで無限の可能性が広がる」という意味が込められています。
では、「どういう時に、その人の才能が目覚めるのか」といえば、一流の人や一流の芸術作品、そして「運命的な本」に出会った時などが挙げられます。」(p.2)
これは巻頭に書かれた健さんの言葉です。健さんは、ロビンズ氏からも影響を受けていますが、他にも多くの人々から影響を受け、自分らしく自由に生きることを伝えておられます。
その健さんは、この本もまた自分が大きく変わるきっかけの1つになり得ると言っているのです。
「重要なのは、信じるだけでなく、実際に行動を起こすことだ。
本書を購入し読み進むだけでも、大きな差がつてくる。」(p.27)
ロビンズ氏は常に、行動することの重要性を訴えています。
ここでもその重要性を言っていますが、本を読むこともまた、行動の一環なのです。最後まで読むこと。それでさえ、実行する人が少ないと、ロビンズ氏は嘆いています。
「「信念」は問答無用の絶対命令のようなものだ。信念があってこそ、すべての行動、思考、感情が形成される。だからこそ、意味のある永続的な変化を人生にもたらすには、自分の信念を変えなければならない。」(p.29 - 30)
まるで「神との対話」やバシャールのような、スピリチュアル系の話かと思うほどです。
けれども、自分の人生を変える上で信念が重要であることは、心理学上からも言えることです。
自分が自分のことをどう考えているか、どういう人間だと信じているか、それが大切なのですね。
「今決断しないとすれば、それはそれで一つの決断を下したことになる。つまり、「自らの手で運命を切り拓く」のではなく、「周囲の環境に自分の運命を託す」という決断をしたことになるのだ。」(p.42)
これも「神との対話」で同様のことが言われています。
決めないということは、決めないということを決めたことになるのです。その思考が現実を創ります。
「ここで強調しておきたいのは、初めのうちは、夢を実現する具体的な方法など、それほど重要ではないということだ。大切なのは、「石にかじりついてでも必ず方法を見つけてやる」と決断することなのだ。」(p.47)
これもまた「神との対話」でも言っています。方法は与えられます。重要なのは意思です。決めることです。
私も含め、多くの人はできることをやろうとしてきました。つまり、方法がわかってから「やる」と決めたのです。
それが悪いということではありません。ただこのやり方だと、今の自分から飛躍することが難しいでしょう。相変わらず現状維持になってしまうのです。
「だから「決断する」とは、「目標を達成することに全力を注ぎ、それ以外の可能性はすべて切り捨てること」を意味する。」(p.49)
最初に「やる」と決める。決めるかどうか、つまり意思の問題です。それから、その決めたことを絶対に成し遂げるという思いで、行動し続けることなのです。
「よりよい決断をするには、決断することにどんどんトライすることだ。」(p.50)
決断することもまた、慣れが必要なのですね。何度も決断をすることで慣れ、決断に習熟して行くのです。
「つまり、あなたの運命を決定づけているのは、過去の出来事でもなく、何に注目し、どんな意味づけをし、どんな行動をとるかという「決断」なのだ。」(p.51)
自分がどんな人になり、どんな人生を送るのかは、「何に注目するか」「それにどんな意味づけをするか」「そのためにどんな行動をろるか」という3つの決断で決まるということです。
これを意識的にやらないと、これまでのように無意識に惰性で無駄な決断を繰り返すことになってしまいます。
「神との対話」でも、意識的に生きることを勧めています。それは、意識的に自分の思考をコントロールする、ということです。
「「人間の脳がどう働くかを本当に理解すれば、自分の人生が冴えない理由を長々と分析する必要などなくなる。苦痛と快感から何を連想するかを変えるだけで、一瞬にして人生を自分の力で変えることができる」というのが私の主張だった。」(p.80)
ロビンズ氏は、「変化は一瞬にして起こる」と強調します。これはNLP(神経言語プログラム)を利用したやり方で可能だそうです。
ただし、そのためには「自分で変わる」という意志が必要だそうです。誰かに変えてもらおうという考えでは、なかなか変わらないし、たとえ変化が起こっても継続しないと言います。
では、自分をその気にさせるには、どうすれば良いでしょうか?それには、次の3つの信念を身につけることだと言います。
@「絶対に変わらなければならない」
A「自分の力で変えなければならない」
B「自分は変わることができる」
「ただ、減量であれ、禁煙であれ、恐怖症の克服であれ、自分の人生に変化を起こせるのは、ほかでもない「自分」だけなのだ。」(p.88 - 89)
このようにロビンズ氏は、自分から積極的に変わろうとすること、そして変われると信じることの重要性を強調します。
「「自分の行動を変えたい」と思ったら、効果的な方法は一つしかない。
「手を切りたい行動」には耐えがたいほどの苦痛を結びつけ、新たに習慣にしたい行動にはダイレクトで、想像を絶する快感を結びつけるのだ。」(p.92)
いわゆる「アメとムチ」になります。やめたい習慣にはムチを、取り入れたい習慣にはアメを、それぞれ結びつけるのです。
そして次のように、自分の行動パターン(習慣)変えるための方法を、段階的に説明しています。
@「心からほしいもの」に意識を集中する
A「今すぐ」変化を起こすための”理由”を見つける
B「これまでの習慣」と「苦痛」を結びつける
C「新しい習慣」と「快感」を結びつける
D「条件づけ」で新しい習慣を定着させる
Eこの”テスト”に合格すれば、もう大丈夫
Aでは、変化が起こるのは、痛みが限界に達した時だとして、次のように言います。
「いまのパートナーと一緒にいても全然楽しくない。だったら別れればいいのに、なぜそうしなかったのか。たぶんあなたは、「そりゃあ、今は不幸せだが、この人と別れても、もっといい人が見つかるとは限らない。今はつらいけど、なんとかやっていける」と考えたに違いない。
こうした考え方が、変化を起こそうという決意の邪魔をするのだ。しかし、ついに、「腐れ縁を断ち切って、一人になるほうがましだ」と思う日がやって来る。そして”痛みの限界”に達したあなたは変化を起こすのだ。」
これを効果的に利用するには、テコ(レバレッジ)を効かせることだとして、自分に効果的なレバレッジ・ポイントを見つけることの重要性を指摘します。
またCでは、新しい習慣を定着させることの重要性を、次のように説明します。
「古い習慣のパターンを崩すだけで終わってしまうと、それに取って代わるあまり感心できないパターンを脳が勝手に見つけてきてしまう。禁煙して太る人が多いのは、そのためだ。脳が喫煙と同じ快感を得ようとして、食べすぎてしまうわけだ。だから、新しい行動と感情のパターンを意識的に選択することが、非常に重要になるのである。」(p.100)
Dでは、ちょっとしたことで自分に褒美を与えることが重要だと言います。
「たとえささやかなことでも、すでに永続的な変化を起こすための一歩を踏み出しているのだから、誉められて当然なのだ。どんちゃん騒ぎをしてもかまわない。
自分に肯定的なフィードバックを与え続けることで、新しい感情や行動のパターンは強化され、やがては条件反射に近い無意識の反応になるのである。」(p.101)
自分を誉めることは、重要なことなのですね。
最後のEは、手を切りたい行動を引き起こす状況を思い出し、それでも大丈夫かを自己チェックするということになります。
これがNAC(神経連想コンディショニング)の6つのステップだそうです。
「現状を打破するためには、「幸せで、人から好かれる人になるためには、どこを変えればいいのか」と考えなければいけない。最初は、あなたの脳も「どうしようもないですよ」と答えるかもしれないが、信念と期待を持って問い続ければ、やがてはあなたにふさわしい答えを返してくるだろう。」(p.114)
これはとても重要な部分だと思います。つまりコーチングなどで質問が重要だと言われますが、答えが出せないこともあるのです。
そのとき、「やっぱり無理だよ」という結論を出してはダメなのです。辛抱強く、必ず答えはあると信じて、問い続けることが重要なのですね。
心の状態を瞬時に切り替えるためには、次の5つの質問が有効だと言います。
「@この問題の「いいところ」は何か
Aまだ改善の余地はあるか
B思った通りの結果を得るために、やろうと思うことはどんなことか
C思った通りの結果を得るために、このまま続けていてはいけないことは何か
D思った通りの結果を得るために「必ずやらなければならないこと」を楽しくやるにはどうすればいいか」(p.121 - 122)
ここでもやはり、最初は脳が抵抗し、「答えはない」と答えてくるかもしれません。それでも、何度も繰り返し、問い続けることが重要だと言います。
そのとき、見方を変えてみる、ということがポイントになります。これまでと同じ見方をしていたら、同じ答えしか出てこないからです。
別の角度、別の視点から見てみる。距離を置く。未来から見てみる。そういった手法も重要ですね。
人生で「絶えず自分に問いかけるべき質問」が2つあると言います。これが苦境に立たされた時、自分を助けてくれるのだと。
「それは、「何かいいところはないか」と、「これをどう利用できるか」という質問だ。
どんな状況であれ、「何かいいところはないか」と考えるだけで、プラスの意味を見出せる。また、「どう利用しようか」と考えることで、どんな困難も有益なものに変えられる。」(p.130)
これが、見方を変えるときのポイントだと言えます。この2つの質問で、ピンチがチャンスに変わるのです。
「にわかには信じがたいかもしれないが、普段使っている言葉(自分の気持を表現するために使っている言葉)を変えるだけで、たちどころに考え方、感じ方、生き方を変えることができるということだ。」(p.138)
普段使う言葉の重要性は、小林正観さんや斎藤一人さんなども指摘しています。また福島正伸さんも、問題が起こったら「チャーンス!」と言うことを勧めていますね。
ロビンズ氏も、「頭に来る」を「ちょっと癪に障る」に変えるだけ、大きな変化があると言います。
自分が言った言葉によって、自分の感情が喚起されるからです。
「要するに、経験と結びついた言葉が、そのまま経験になるのだ。
だからこそ、感情の状態を表現する言葉は慎重に選ぶ必要がある。」(p.143)
言葉が感情を呼び、感情が経験を決める。だから、言葉が重要なのです。
「感情とは「目的達成のためにとるべき行動とは何か」を示す”心の羅針盤”なのだ。この羅針盤の使い方を知らないと、いつまでたっても感情の嵐に翻弄されるばかりだ。」(p.182)
「もし感情を排除したり押し殺したり、逆に実際以上に感情を肥大化させ、絶えず感情に振り回されていれば、あなたは貴重な能力の一つを無駄遣いしていることになる。」(p.183)
つまり、感情はしっかりと感じることが重要なのです。そしてその感情を「行動を促すきっかけ」として捉えることですね。
感情を感じることの重要性は、「神との対話」や「「ザ・マネーゲーム」から脱出する法」などでも指摘しています。
押し殺したり、無視したりしてはダメなのです。
「楽しい気分になるために、特別な理由など必要ない。
ただあなたが、その瞬間に楽しい気分になればいいだけのことである。
感情の源があなた自身であるなら、いつでも楽しくしていればいいではないか。」(p.184)
まずこのように、感情は自分が生み出しているものであり、自由に選択できるものだと指摘します。
だからどんな感情が起ころうとも怖れることなく、感じれば良いのです。そして感じた感情から、次の行動を導くのです。
そうすれば、それまで感じた感情とは違う、より好ましい感情に変えられます。
「もし一番初めに「怒っている」と思ったら、
「自分は本当に怒っているのだろうか。それとも何か別のことを感じているのではないだろうか。本当は傷ついたり、何かをしくじったと感じていたりするのではないだろうか」
と自問し、「本当の感情」を探っていくこと。」(p.185 - 186)
野口嘉則さんも、怒りの感情は二次的な感情だと言っています。一時的な感情とは、恥ずかしさだったり、寂しさだったりするのだと。
そういう一時的な感情を感じたくなくて、代わりに怒りの感情を起こしているのですね。
ロビンズ氏も、怒りの感情を感じた時は、隠された本当の感情を調べてみるようにと言っています。
「感情は「悪」だとする姿勢では、激情の波を鎮めることはできない。抵抗すれば、感情はますます勢いを増してくる。
すべての感情をわけへだてなく受け入れること。そうすれば、親の愛情を欲しがる子どもと同じで、感情もすぐにおとなしくなるだろう。」(p.187)
感情は抵抗せずに、しっかりと感じ切ることが重要なのですね。それが自分の感情を上手にコントロールする方法なのです。
「勝ち組になるには、一貫性が欠かせない。そして一貫性は習慣によって身に付けられる。」(p.250)
「神との対話」でも、私たちの思考は一貫性がないと指摘しています。出来事や環境に翻弄されているからです。
ロビンズ氏も一貫性が重要だと指摘し、それを得るには習慣、つまり何度も繰り返すことが重要だと言います。
「しかし実際には、心配や不安は、極めて非生産的な感情である。
「行動を起こす力」になるよりも、挫折や恐怖心で身動きがとれなくなることのほうが多いからである。」(p.256)
ロビンズ氏もまた、不安や心配が、非常に良くない感情であると言います。こういう点も、「神との対話」と共通していますね。
ロビンズ氏は、NLPやコーチングの手法によって、人生を変えられることを主張しています。
しかしこの考え方、理論の根本は、実にスピリチュアルな分野と一致しています。
こういうところが、とても面白いと思っています。
2015年05月06日
99%の人が知らない死の秘密
いまやスピリチュアル界の大御所と目されている山川紘矢さんと阿部敏郎さんの対談本を読みました。
本のタイトル「99%の人が知らない」は大げさですが、これはおそらく編集者の意向でしょう。こういう数字を出すと売れるのでしょうから。
少なくともお二人は、他の人が知らないことを知っているという優越意識は、卒業されているようです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「いずれにせよ、あなたの魂は今生だけを生きる存在ではありません。ずっと以前にも別のいくつもの肉体のなかに宿っていたことがありました。
そう考えると、「人は死んだらおしまい」ではないでしょう? 今生は「魂のひとつの経験」であり、幸せに楽しんで生きればよいのです。死は新たな経験の始まりでもあるのだからむやみに恐れる事もありません。死は祝福だということでもあります。」(p.16 山川)
「僕自身は、個別魂さえも幻想だと考えています。
死と共に個という幻想から解放されて、大いなる意識そのものとしていまここに在りつづけるのではないかと。
実は命こそが意識であり、もともとひとつです。あなたの命もぼくの命も、犬や猫の命も、草木の命も、生きているものの命はみんな、根っこは同じ。もっと言えば、無機物の基本成分もそう。それぞれが存在を、「分離した個」として感じるのは、命がいろんな振動数によって現象化しているからそのように見えるのだと思います。」(p.19 阿部)
「今生に生きる私たちすべての存在は、同じ宇宙から生まれ、ひとつにつながった仲間だけれども、それぞれに個性を発揮しながらそれぞれ違った経験を積んでいる。そんなふうに魂を捉えていただければよいかと思います。」(p.24 - 25 山川)
「魂とは果たして、ぼくらが日常的に個として感じているものなのか、あるいは大いなる宇宙という普遍的なものなのか。ここがすごく難しいところだけど、ぼくはどちらも真実ではないかと思います。」(p.27 阿部)
上記のように、肉体の死は魂の死ではないから、私たちは永遠に生きるという点で、お二人の意見は一致しています。
ただ、死後の魂が、個別性を保つのかどうかという点では、それぞれ別の見解があるようです。
山川さんは個別性を保つとし、阿部さんは保たれずにひとつに融合されるという考えです。
これは、山川さんがリーディングなどで、精霊から言葉で情報を提供されていることと関係するかもしれません。
一方の阿部さんは、宇宙と一体化するような特異体験の中で、なぜか「わかっちゃった」という感覚です。
私も、どちらが正解かはわかりません。阿部さんが言うように、どちらも正しいのかもしれないと思います。
「どんな死に方にせよ、死は解放です。今生での役割を終え、満ち足りた気持ちで大いなる宇宙へかえっていくと思います。死は祝福。飲めや歌えや、踊ろうよの葬式もいいかもしれない。」(p.44 山川)
「表面的に苦しんで死んでいったように見えても、「ああ、いい人生だった」って言いながら死んでいっても、それは外側から見える違いであって、魂レベルではどちらも同じことが起こっていると思います。」(p.47 阿部)
「みなさんもいまのうちに、「この世のすべては芝居かゲームだ」と気づいてください。死期など気にならなくなり、とても生きやすくなりますよ。」(p.52 山川)
「僕たちは自分が魂の存在であることを発見するためにここにいるのです。スピリチュアルな成長ができれば、人はいつも、宇宙の愛に満たされており、実はいつ死んでもいいのだ、人生長かろうと、短かろうと、それはそれで、どちらもよいのだと、わかるでしょう。」(p.99 山川)
この考え方は、私にはしっくりくるものですが、おそらくまだ多くの人には反発されるでしょうね。
たとえば、事故によって不本意な死に方をした人であっても、それは魂レベルでは予定していたことであり、魂は喜んでいるなどと言えますか?
もっと言えば、暴漢に襲われて無残な死に方をした人がいても、「あー、良かったね。」と祝いながら、飲めや歌えのどんちゃん騒ぎができますか?
極論のように見えるかもしれませんが、上記でお二人は、こういうことを言われているのです。
おそらく、多くの人は受け入れられないでしょう。そして実はお二人も、上記ではそう言いながら、まだそう信じきれないものをお持ちなように感じます。それはこの本からではなく、Facebookの投稿など、他のところで感じたことです。
「けれども、病気になったからといって、そう悲観することはありません。病気になって初めて、健康のありがたさに気づき、自分の人生を振り返る時間を持つことができるからです。病気にはマイナス面ばかりでなく、プラスの面もあるのです。」(p.167 山川)
「けれども、過去に起きたことはすべて、自分が魂のレベルで「引き寄せた」こと、すべては自分が生じさせたことなのです。
とは言っても、「自己責任なのだから、嘆いたってダメだよ」などと責めているわけではありません。別の言い方をすれば、魂にとって必要な体験をした、ということです。その人生には何ひとつムダな体験はなく、成功も失敗もないのです。しいて言えば、全て成功です。計画通りに物事が起こったのですから。」(p.196 山川)
7年間、気管支喘息で苦しまれたという山川さんの言葉だけに、説得力がありますね。
自分に関わる現実は、すべて自分が引き寄せたことです。それは自分が「悪い」のではなく、自分が「原因」であるだけです。
自分が原因となって物事を起こし、それによって自分が何かを体験する。だから、それが「悪い」出来事だったとしても、魂にとっては思い通りの、「良い」出来事なのです。
たとえば、地震や津波で大勢の人が亡くなったという出来事も、自分が引き寄せたのです。
このように、具体的な事例でお話しすると、急に拒否反応が起こりませんか?
山川さんも抽象的な話だと、上記のように達観されたことを言われていますが、具体的な事例になると、ただちにそういう見方はできないようですね。
この本にはあまり書かれていませんが、Facebookの投稿などを読むと、そういう一面が現れています。
少しだけ違和感を感じた部分も紹介しましょう。
「そうではなくて、仮に「心から世のため、人のために、こういう事業を始めたい」と願ったらどうでしょうか。宇宙はきっと、その事業に必要なお金を与えてくれます。」(p.198 山川)
つまりエゴから金を求めても得られず、他者のためなら得られると山川さんは言います。まるで宇宙の審判者がいて、「これは良い」「これは悪い」と判定しているかのようです。
こういう考えは、これまでのすべてが上手くいっているのだから大丈夫、という考え方と矛盾します。
もし、宇宙に審判者がいて、その善悪の価値基準にしたがわなければ思い通りの人生が歩めないのだとしたら、既存の宗教が言っていることと何か違いがあるのでしょうか?
こういうところは「神との対話」などとは違っている部分で、山川さんご自身が他で言われている内容とも、少し矛盾するように思います。
「人生で大事なのは、問題が起きないようにすることではありません。それはムリ。だって、自分では問題を避けた選択をしているつもりでも、やりたいこともやらずに無力感に囚われてしまうという問題が残るじゃないですか。
では、次々と起こる問題を解決しようと、がんばることが大事かっていうと、それも違う。問題というのは、自我が映しだしている「問題の影」に過ぎないので、実体のないものに何発こぶしを繰り出そうと、むなしい戦いに終始するからです。
それじゃあ、どうすればいいのか。一番いいのは、まず自分に起きた問題そのものは、良くも悪くもない「中立の現実」だと認識すること。そして、どんな問題も自分の内なるヒーロー、宇宙的自己がクリアしていくと信じること。そうすれば、とにかく自分を信じて「いま、やりたいこと」に集中できると思います。」(p.203 - 204 阿部)
問題解決手法と言われるホ・オポノポノのアプローチは、まさにこういうものですね。「神との対話」でも、問題を問題と考えるなと言っています。
問題に抵抗せず、ましてや批判や非難をする必要もありません。無理やり変えさせようとすることも不要なのです。
現実に起こっていることが、仮に自分が気に入らないことだとしても、それは自分が自分のために引き寄せたことだと理解して、問題を手放すことなのですね。
それが本当にわかっていれば、政治がどうのこうのと批判することもないし、肉食をする人を非難することもないでしょう。
ちなみに、阿部さんはFacebookで肉食を非難しておられました。しかし、この本の中で山川さんが肉食をしていると表明したことには、まったく苦言を呈しませんでしたね。
お二人の考え方を紹介するとともに、私がちょっと矛盾を感じることも書きました。ですが、これはお二人への批判ではありません。
むしろその逆で、お二人への親しみです。はるか遠い存在にも感じられるお二人ですが、その方たちにして、まだこういう矛盾を抱えておられるのだとわかると、なんだかホッとします。
私などが、なかなかスピリチュアル的に成長できていないとしても、心配することはないからです。
それぞれの人が、それぞれの立場で、自分としてしっかりと経験を重ねていけばよい。生も死も、心配しなくても上手く行くようになっている。そういうことなのですね。
対談本ということで読みやすく、あっというまに読めてしまいました。
スピリチュアル界の大御所の対談は、いろいろなことを気づかせてくれると思います。
2015年05月21日
糖質はいらない
またセミナーの参加者から献本していただいた白澤卓二氏の本を読みました。今回は、わざわざご本人のサインまでしてもらった本です。
以前にいただいたのは、「白米中毒」という衝撃的なタイトルでした。
今回のは、そこからさらに一歩踏み込んでいる感じです。
さっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「走ると足が痛くなるのは、高級なランニングシューズを履いていたから。『BORN TO RUN』では、このショッキングな事実が明らかにされました。
(中略)
裸足だとかかとから足をついて走るなんて、痛くてできません。これはかかとにクッションが入った高級なランニングシューズを履いて、はじめてできることです。
でも、ランニングシューズを履いて走っていても、ひざを痛める人が少なからずいます。それは、人間の体が本来そうあるべきでない走り方をしているせいです。
その証拠にタラウマラ族は、毎日200km走っても足を痛めていません。
(中略)
このように、一般的には常識だと思い込まされているミスリードされた情報は、私たちが思うよりもたくさんあります。」(p.63 - 65)
この話は知りませんでしたが、アフリカ勢がマラソンに強い理由を分析する中で、彼らがつま先から着地していることが発見されたと、以前TVでやっていました。
考えてみれば動物は、みなつま先から着地しています。
さらに言えば、江戸時代の日本人は、つま先で着地して走っています。なぜそれがわかるかと言えば、草鞋(わらじ)です。草鞋は、かかとを覆っていないからです。
常識だと思っていたかかとから着地する走り方が、実は非常識な走り方だった。こういうことは、いくらでもありますね。
私は中学の部活で野球をやっていましたが、夏の練習中は水を飲ませてもらえませんでした。バテるからと言われて。
さすがに昨今は、そんなことを言う指導者はいませんよね?ね?
ここでは、糖質こそが私たちのエネルギー源だという常識も、またミスリードされたものだと指摘しています。
「糖質中毒に陥ると、砂糖や白米、小麦などの虜になり、それらを食べずにいられなくなります。糖質を定期的に摂っていないと「食べるのをがまんできない」「食べないと落ち着かない・イライラする」といった禁断症状におそわれるからです。
そうなると、体は十分なエネルギーを摂っているにもかかわらず、脳を満足させるために食べ続け、糖質の過剰摂取を招くことになってしまいます。
糖質を過剰に摂取し続けると、血糖値が上昇して高血糖状態が続き、やがては糖尿病を発症します。それだけではありません。高血糖状態は動脈硬化を促進し、がん細胞を増殖させ、認知症のリスクを高めます。これらはどれも日本人の死因や寝たきりの要因となる深刻な病ばかりです。」(p.76 - 77)
前の本でも指摘されているように、糖質の過剰摂取が、糖尿病や動脈硬化、がんの原因になっていると言います。
過剰摂取せざるを得ないのは、白米、砂糖、小麦などが中毒物質だからというわけですね。
ここでは詳細には引用しませんが、特に精製されたものほど中毒性が高くなると言います。コカの葉を吸ってるだけならそれほど問題がなくても、精製したコカインだと中毒性が高まる。それと同じだそうです。
「私たちの体は、ブドウ糖が枯渇したときには、ケトン体というまったく別の物質をエネルギー源として利用できるようになっています。旧石器時代の人類やタラウマラ族が糖質をほとんど摂っていなくても活動できるのは、ケトン体をエネルギー源としているからです。」(p.90)
糖質が先に使われるけれど、ケトン体という別のエネルギー源があって、私たちは本来、そのケトン体を主にエネルギー源としていると言います。
それは、血糖値を下げるホルモンはインスリンの1つだけですが、血糖値を上げるホルモンはアドレナリンなど3種類あることからも、私たちは血糖値が低い状況には耐性があるけれど、高い状況には耐性がないと言えるのです。
「つまり、インスリンシグナルが伝わらない状態が長生きをもたらす。インスリンシグナルが老化をもたらすことが明らかになったのです。
これは、当時の研究者からすると驚きの事実でした。」(p.138 - 139)
インスリンを多く使えば使うほど、老化が促進されるという実験結果だそうです。
このことからも、インスリンを使わない状態、つまり血糖値が高くない状態を保つことが重要だと指摘します。
ただこの本を読んで感じたのは、ではそのケトン体はどうやって作られるか、ということへの疑問です。
白澤氏は中性脂肪を分解して作ると説明しています。でもそうなると、その中性脂肪はどうやって作られるのでしょう?
少なくともこの本を読む限りでは、中性脂肪は余ったブドウ糖(糖質)から作られることになっています。そうなると、結局は糖質がエネルギー源となってしまうのではないでしょうか?
ココナッツオイルに含まれる中鎖脂肪酸からも作られるとありますが、それだけでは不十分でしょう。特に日本人は、ココナッツなんて食べませんから。
狩猟によって得られる肉や魚、木の実、果物、わずかな植物。それらからどうやってケトン体を得るのか。そこが解明されないと、やや不十分な感じがします。
ぜひ、この部分を明らかにしていただきたいと思っています。
2015年05月22日
「非常識」でコミュニケーションはラクになる
心屋仁之助さんの本を読みました。と言っても、これはほとんどがマンガで描かれています。
タイトルには、「人間関係や仕事、恋にも有効! マンガで学ぶ心屋仁之助の」という説明がつきます。
内容はコミュニケーションを良くすることに絞っていますが、結局はすべてに通じることなんですね。
マンガで描かれているために読みやすく、また章ごとに解説文もあるので、わかりやすくなっています。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を説明しましょう。
「コミュニケーションが下手くそな人の一番の理由は
人から受け入れられていないという大前提があるからなんですよ」(p.17)
つまり、「自分は受け入れられていない」という思い込みが、何かの出来事に対して「やっぱり自分はダメなんだ」「コミュニケーションが下手だからだ」という解釈をさせるのです。
心屋さんはそう指摘して、この本で「必要以上に怯えている「心」を変える」ことを伝えたいと言います。
他人の行為を嫌悪することがあります。それもまた、自分の記憶(トラウマ)から反応しているだけだといいます。
反応して「嫌い」と思ってしまうのですから、そう思わないようにするために、心屋さんはこういう方法を勧めます。
「そういう時は「嫌い」って言葉を「反応」って言葉に置き換えてみてください」(p.44)
「なんでこの人はこんなことするの!?だから嫌いよ!」と考えるのではなく、「どうして私はこの人に「反応」してしまうんだろう?」と冷静に見つめてみることだと言います。
具体的な答がわからなくても、自分が勝手に嫌いになっているだけなので、それを一時的にやめてみようと思えば良いのだそうです。
「まずはね、自分のことを褒められない人は
他人のことも褒められないのね」(p.55)
褒め上手になりたいと言う人は多いでしょう。その技術を学ぶ以前に、自分が自分のことを嫌っていたら、他人のことも好きになれないのだと言います。
ですから、まずは自分を好きになって、自分のことを褒めることが重要なのです。
「それには人に褒められた時に
「そうでしょ」って言うこと」(p.58)
自分が褒められたとき、「とんでもない」「いや私なんて」などと、否定している場合ではないのです。
「ありがとう」「嬉しいです」というように、受け止めることが大切なんですね。
「信頼してもらうのに役立つのが最初に言った
「失礼なヤツになる」ってことなの」(p.72)
気を使われるとしんどいものです。だから相手を楽にしてあげるために、正直になる(デメリットを言う、弱点をさらす)ことが大切なのです。
その正直に言うことの最たるものが、気を使わずに思ったことをずけずけと言うこと。つまり「失礼なヤツ」になることなのだそうです。
「こいつはそういうヤツだ」「面白いヤツだ」と思われたら、もう何も気にすることがなくなりますからね。
誰にでも欠点はあるもの。それを隠そうとするから信頼されないのです。信頼はコミュニケーションの基盤ですから、信頼を得るためにも「失礼なヤツ」になることが重要なのです。
そして気を使わせないためには、「タメ口」を使うことが重要だと言います。もちろん相手は上司など、通常ならタメ口を使えないと思っている人です。
人間関係は、自分を映す鏡です。自分がタメ口を言ってフレンドリーになれば、相手もまたよろいを脱ぐのです。
「だからね他人に対して「あの人が」って言いはじめた時には
「自分が」って言い換えて考えてみてください」(p.91)
自分の姿を、他人が見せてくれているだけなのです。
過去のトラウマから、何かあるとすぐに「やっぱりオレはバカにされる人間なんだ!」と自己卑下することがあります。
けれども、それは真実ではないと言います。「バカにされる人」という人はいないのです。
「昔病気になったって言っても「病人」という生き物ではないですよね?
つまりバカにされた経験を持っていたとしても「バカにされる人間」ではないと気が付かなきゃいけないんです」(p.97)
単に自分の一時的な「経験」にすぎないのに、それを「存在」と結び付けてしまう。そこが間違いだと指摘します。
報われようとして頑張ってしまう人が多いですが、心屋さんは「頑張る」と「報われる」は本来関係がないと言います。
これは子どもの頃、親の愛情を得たいがために、親に気に入られようとして頑張ってきたことが習い性になっているのです。
「S原さんがまずね「私認められたくて頑張ってたんだなあ」
「認められなくて悲しかったなあ」という過去の思いを受け入れることで
まずその気持ちを成仏させてあげなきゃいけない……」(p.108)
自分の感情をしっかりと受け止め、自分を許してあげることが重要なのですね。
「まず頑張らなくても認められるってことを信じる
次に認められるための目標を立てることをやめる」(p.111)
このようにすることで、「頑張らないと報われない」と思って疲弊していたスパイラルから抜け出し、新たな世界が開けてくると言います。
「楽しく好きなことやっていたら「なんか知らんけど」
大きい結果がついてくるっていう面白いスパイラルに入るのよ」(p.112)
頑張ってしまう人は、人に頼ることができません。自分でやらなきゃと思って、つい頑張ってしまうのです。
そういう人に対して心屋さんは、次のようにアドバイスします。
「一番簡単なのは「助けてください」って言うこと
助けてくださいを言い換えると「相手に迷惑をかける」ってこと」(p.123)
自分の弱点を堂々とさらすことなんですね。そうすることで相手に、活躍の場を与えることになります。
好かれる人というのは、相手に活躍の場を与えている人と言えるでしょう。
次に、失敗したときの心構えを説きます。告白したとき、フラれる可能性もあります。
「自分はその人にフラれたけど「フラれる人間」ではないってこと
「一回フラれた体験をしただけ」ってことをちゃんと思わないといけない
だから「フラれたなあ」ってしっかり感じるのも勇気なんですよ」(p.130 - 131)
上手く行くときもあれば、上手く行かないときもあります。上手く行かなかったときこそ、考え方が重要になるのです。
「その時「うまくいかなくても自分は大丈夫」なんだって信じることを
自信っていうんです」(p.132)
上手く行かなくても大丈夫という自信を持てたら、何も怖いものがなくなりますよね。
私たちは、素晴らしい人と出会うことがあります。そのとき絶対的に持っていてほしいキーワードとして、「すでにそうである」を知っておいてほしいと言います。
「つまり自分が素晴らしい人に出会ったということは
自分がそういう人間なんだってことを受け入れる瞬間なんですよね」(p.138)
たとえば素晴らしい人で「人気者」のCさんと出会ったとき、「Cさんと同じくらい人気者だし!」と笑っていえるかどうか、そこがポイントなのだと。
それが笑って言えるようになると、自分が「人気者」になり始めるのだそうです。
「羨ましい」って思う人と出会えたら、もうすぐそこに到達するということなのです。
「だからね自分が素晴らしいと思うものを見た時は
自分の人生の予告編を今見てるんだって思っちゃえばいいんです」(p.140)
そう考えると、なんだかワクワクしてきませんか?
「笑っちゃうのは体が知ってんのよ
僕の言葉を聞いて体が先に喜んでんのよ
「気付く気付く!」って」(p.144)
喜んで調子に乗ってもいいのだと、心屋さんは言います。
「いや調子に乗ったほうがいいの!
もっと調子に乗ったほうがいい!」(p.145)
本当は自分のことを「素晴らしい人間」だと思っているのに、それを抑えて表面上謙虚なフリをしていると、それはかえって傲慢なことなのです。
その逆に、傲慢なフリをして「自分は素晴らしい」と表に出せば、謙虚になるのだそうです。
「その人との関係が改善できれば解決ですよね
その一番簡単な方法は
「あの時イヤだった」って本人に言うことですよ」(p.158)
問題解決の答を、自分が一番よく知っていると心屋さんは言います。
よく知っているけど、一番やりたくないこと。だから本音を抑圧してしまうのです。
でも、それをやらなければ変わらない。自分を変えることができるのは、自分だけなのです。
「勇気を出すかどうか最後は
自分が決めることなんです」(p.160)
でも、やろうと思っても「怖い」という思いが湧いてきます。
「でも、その”怖さ”自体も、実は過去に体験した自分の記憶が生み出しているものなのです。
(中略)
つまり、”怖さ”の正体はすべて気のせいで、「思い出し笑い」ならぬ「思い出し怖い」をしているだけなんですね。
この勝手な被害妄想を止めるには、方法は一つ。
勇気を持って今、乗り越えるしかありません。」(p.163)
「神との対話」などでも、「不安は幻想だ」と言っています。怖さ(不安)というのも、実は存在しないものなのですね。
心屋さんは、これまでの「常識」、今までの「正しい」の逆に、本当の答があるという体験をしてきたと言います。
たとえば、「面白くない」「話が下手」な人間だと自分が思っていたら、その「真逆」にしてみることを勧めます。
「面白くない→ホントは面白いのかも」「話が下手→話がうまいかも」というように考えてみるのですね。
そうしたら、現実が変わってきたと言います。他の人から「面白いですね」「話がうまいですね」などと言われるようになったのだと。
「そう、僕は、自分自身のことを「大勘違い」していたようです。みんなも同じなんです。
「と、いうことにして」以来、今までに学んだようなテクニックはすべて捨てました。」(p.173)
結局、「ダメだと思っている自分」というのも幻想で、そう思い込むことで自分らしく生きられなくなっているのかもしれません。
そう考えると、要は勇気を出して自分らしく生きることが、重要な気がします。
マンガで描かれていますが、内容はとても深いものがあります。
わかりやすく教えてもらえたことを、とても感謝しています。
2015年05月26日
はきものをそろえる
書店「読書のすすめ」店長の清水克衛(しみず・かつよし)さんの本を読みました。
誰から紹介されたのか忘れましたが、タイトルを見て読んでみたくなったのです。
なお、サブタイトルには「世界一かんたんな成功法則」と書かれています。履物を揃えるという簡単なことで、成功できるという本のようです。
ではさっそく、一部を引用しながら本の内容を紹介しましょう。
この本の前半、第一部は「はきものをそろえる」という物語になっています。
嫌々仕事をしている敏男が、ふとしたことでタイムスリップして江戸時代へ行きます。
そこで、仕事に対する姿勢が間違っていたことに気づくというお話しです。
「子どもが無事に生まれて、無事に育つっていうのは、奇跡なんだよ。頑張って乳飲み子を育てても、流行り病でぽっくり亡くしちまうことだってある。だから、立派に育って、元気でいてくれるだけで奇跡なんだよなぁ」(p.66 - 67)
江戸でお世話になった井原屋の旦那さんのセリフです。急に熱を出した我が子が助かったことを喜ぶ親の気持ち。それを聞いた敏男は、たくさんの人のお陰で自分があるのだと気づきます。
私も少し前に帰省し、母から子どもの頃に結核になった話を聞かされました。当時の結核は死病と呼ばれていて、近所でも何人かが亡くなったそうです。
肺結核だけで収まれば治る人もいたようですが、腸結核まで進行して治ったのは母だけだったとか。
どうせ治らないのならと、偶然に見つけた民間療法の本を購入してもらい、それにしたがったことが良い結果を招いたようです。
私はその話を聞きながら、もしそのとき母が亡くなっていたら、私もこの世にいないのだと思いました。
10代遡ると千人の先祖がいます。20代で100万人、30代で10億人になります。1代約30年とすると、ほんの千年前の先祖が10億人になるのですね。
もちろんその中には、重複する人がたくさんいるでしょうけど、当時の日本人のほとんどが私の先祖と言えそうな人数です。
その中の1人でも途中で亡くなって子孫を残さなければ、私は生まれてこれないことになります。
そう考えると、生きているだけで本当に奇跡なのだと思います。
第二部第一章では、履物を揃えることで成功する理由を説きます。
まず最初に、「はきものをそろえる」という詩を紹介しています。これは、長野市の円福寺という禅寺の和尚さんが作られた詩で、禅の思想にある「脚下照顧」をわかりやすくしたものなのだそうです。
「はきものをそろえると 心もそろう
心がそろうと はきものもそろう
ぬぐときにそろえておくと
はくときに心がみだれない
だれかがみだしておいたら
だまってそろえておいてあげよう
そうすればきっと
世界中の
人の心もそろうでしょう」(p.93)
企業や学校の多くで読まれている詩だそうです。そして、履物を揃えることを実践することで、荒れた中学校が改善したなどの効果が現れたとか。
「はきものをそろえることを習慣にすると、だんだんと乱れていることが気になってくるのです。」(p.94)
「実践してみると、直観がするどくなったり、自分に必要な情報が目につくようになったり、本当に毎日、朝晩の気分がすっきりしてきます。」(p.95)
まず履物を揃えることで、何ごともきちんと行う気持ちになるのかもしれませんね。
「人間は「やる気になってからやる」よりも、やっているうちに「やる気が出てくる」生き物なのです。これは大脳生理学でも研究された人間の本質を突いている部分です。
つまり「初めの一歩」を踏み出してしまえば、後は脳がその選択の後押しをしてくれる、というわけなのです。」(p.101 - 102)
私も掃除するのが面倒なタイプですが、ちょっと気になったところをきれいにし始めると、隅々まできれいにしないと気がすまなくなるということがありました。
だからまず簡単な履物を揃えるということからやるのですね。
「もちろん風景だけじゃなくて、毎日口にする言葉にも同じ影響がありますよ。乱れた言葉を使っていれば乱れた人生になるし、きれいな言葉を使っていれば、いい方向にいきます。
だから、はきものをそろえる、という「出だし」なんです。出だしがそろっていれば、自分が乱れていることが気になるようになり、使う言葉も変わってきます。」(p.120)
普段使う言葉が人生を創っているという話は、小林正観さんなどもされています。その言葉を正すためにも、まずは「はきものをそろえる」ということなのだそうです。
「平和のために戦うぞ、と言って、攻撃的になっているのは、とても悲しいことです。「平和」と「戦う」は決して共存できないあり方だからです。人を傷つけることからは何も生まれません。傷つけ合ったら、マイナスの思いが残るだけです。
違いを認めて、あの人は、あの地域は、あの国は、ああなんだ、あれはあれて正しいんだ、と認めるところから始められれば、どれだけ争いが減るでしょうか。
違いを認めるようになれば、排他的な心も消えてゆきます。知らない人に対しても、温かな心を持てるようになるものです。」(p.125 - 126)
これは第二部第二章「小さな行動が頼もしいあなたを築いていく」に書かれています。
「成功する」というテーマからは離れているような気もしますが、清水さんが感じておられることです。私も、この部分に共感します。
成功するというのは、何も自分が他を蹴落として成り上がることではないと思います。平和な世の中を作ること、そういうことに貢献すること。それもまた成功だと思います。
この本を読んで、私もさっそく履物を揃えることを始めました。
つま先が揃うように、隣の履物と位置を合わせるように、妻が脱ぎ散らかした履物も一緒に揃えました。
ただ自分が気持ち良いからそうする。そういう思いで、履物を揃えていきたいと思っています。
この本は、中古で手に入れました。すると表の見返しに、清水さんのサインがありました。偶然手に入れた本に著者のサイン。ラッキーです。
2015年05月27日
雑誌で紹介されました
雑誌と言っても無料情報誌の「Info Biz THAILAND」ですけどね。2014年12月号(No.204)になります。
ここに「男の休日」というコーナーがあり、私の休日の過ごし方を載せていただきました。
タイトルはちょっと長いのですが、「ソフトボールとレイキの共通点。それは「愛」です。」というもの。
ソフトボールとレイキをやっていると書いたので、それがわかるタイトルにしてもらいました。
画像の拡大では読みづらいでしょうから、以下に本文を引用しておきます。
「暑いバンコクでソフトボールですか!?」私も最初はそう思いましたよ。でも、始めてみたら、けっこう楽しいんです。
私がやっているソフトボールは、「へたくそソフトボール」と呼ばれていて、毎月2回、原則として第2第4日曜日の9時〜12時で活動しています。名前の由来は、老若男女、上手いも下手くそもみんな集まって楽しもう、という活動の目的にあります。来る者拒まず、去る者追わずで、無条件で受け入れています。
もちろん得点を争うゲームですから、勝つことも重要です。しかし、それ以上に、全員が楽しむことを優先しているのです。そのために、ルールも柔軟に変更します。たとえば、守備は9人ですが打順は全員で回しています。また、スライディングを禁止して全ベースを駆け抜けOKにするなど、下手な人でも怪我なく楽しめるように考えています。
年に2回、3月と11月にHST(へたくそソフトボールトーナメント大会)をやっています。8チーム約100人ほどの日本人やタイ人が集まり、8時から4時まで丸1日ソフトボールを楽しむイベントです。今年の11月が第15回HSTなので、8年間続いている大会になりました。家族連れでやってきて、BBQを楽しむ人もいますね。
他には、このHSTを含めて11月から3月まで、HSL(へたくそソフトボールリーグ)もやっています。月に1回、全6節からなるペナントレースです。
私はソフトボールの他に、レイキもやっています。レイキは気功のようなものですが、誰でも簡単に使えて、副作用もなく、心身を癒やす効果が実感できるものです。日本には「手当て」という言葉がありますが、まさにこれがレイキの本質だと思います。
今年の8月から、月に1回、土曜日の午後に、バンコク・レイキ練習交流会を開催し、レイキ仲間が集まって活動しています。
レイキをすると、その人の自然治癒力を促進させるため、病気や怪我の治りが早くなります。デメリットは施術に時間がかかること。でも、長い時間そばに寄り添って手を当ててあげることになるので、かえって愛情を感じられるのではないでしょうか。私は帰省したとき、必ず両親にレイキをしてあげます。レイキのお陰で親の身体に触れることができるのですから、本当にありがたいことだと思っています。
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へたくそソフトボールのブログ
http://hetakusosoftball.seesaa.net/
バンコク・レイキ普及会のブログ
http://reiki-bkk.com/
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2015年05月30日
幸せなお金持ちになる本
マキノ出版ムックの「ゆほびかGOLD Vol.26」を読みました。本というより雑誌ですね。
このムック本は、お金もちになることをテーマとして、様々な人の話を載せています。
今回は、斎藤一人さん、本田健さん、さとうみつろうさん、心屋仁之助さんなどが登場しています。
さっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
まずトップは、斎藤一人さんで、「斎藤一人さんが初公開!お金持ちになる口ぐせ CDつき!」というタイトルです。
CDつきというより、録音を起こしたものだから、ついでにCDとして付けたということでしょうか。斎藤一人さんの本でCDがついているのも、たいていは講演のCDで、本は講演録になっています。
ここでは、質問に対して一人さんが答えるという形式になっています。
「もうすでに自分は幸せなお金持ちになったんだ−−というつもりで「私は幸せなお金持ちです」と言ってください。
そして、今あるものに感謝するんです。テレビがある。冷蔵庫がある。あるものに感謝して生きる。
これが基本ですよ。」(p.15)
もうこの部分に尽きるでしょうね。いわゆるアファメーションですが、ポイントは、これもよく言われることですが、すでにそうだと思うこと。だから感謝とセットなのです。
この一人さんの回答で面白いのは、金もちになれるのは1000人に1人だろうと言われていること。誰も彼もが金もちになれるわけではないと明言されています。
その理由は、金持ちという状態が、魂にとっては役立たない場合があるからです。つまり魂が金もちになることで目的が達成できないと思っているなら、金持ちにはならないのです。
「ほとんどの人は、平凡な中で魂を成長させて幸せになって、「周りの人にも、その幸せを教える」という神様のお手伝いをする、そういう役目があるんです。」(p.16)
ですから、「金もちにならなければ」という発想は、やめた方がいいんです。金持ちでなくてもいいから、幸せな人になる。それなら、全員が可能でしょう。
「いいことを一人さんから聞いて、あなたも共鳴して、やろうと思っても「できないことはやらなくていいですよ」ということなんです。そういうときは、やってもうまくいかないものなんですよ。
それよりも、そのままの自分で幸せになることを考えてごらん。
人間というのは、いいことを聞いたら全員できるわけじゃないの。必要な人だけができるんです。できないことは、あなたの人生にとって必要のないことだから、気落ちしないで明るく生きてください。」(p.20)
無理をすれば、できない自分を責めることになります。それでは本末転倒なのですね。
この世に生まれたのは、それぞれに何らかの目的があります。ですから、自分の目的に適った生き方をすればいいんです。
「だから、お金が入ってこない人が、器だけ、いくらでかくしても、入ってこないものはこないんです。そういう人は、その中で修業とお役目があるんです。
それとね、「財産争いでもめている人がいて……」と言うんだけど、それは当人たちに必要があって起きていることなんです。それが魂の修行で、財産争いをしながら、いろいろなことがわかるようになっています。
周りはその様子を見て、みにくいだとか、いろいろ言いたいだろうけど、当人たちにとっては魂の成長に必要な過程なんです。だから修行させてあげればいいんです。」(p.18)
他人のこともそうですが、自分のことも批判する必要はないんです。起こることはすべて必然で、自分に役立たないことは一つもないのですから。
53ページからは、オグ・マンディーノ氏の「世界最強の商人」を取り上げています。
最初は、これを翻訳した山川紘矢・亜希子夫妻の対談です。
続いて、経営コンサルタントの中井隆栄氏が、この本に書かれている全10巻の巻物の言葉について解説しています。
63ページからはトイレ掃除についてです。「年収90万円の差がつく不思議!金運アップ、臨時収入も続々の絶対法則!ツキを呼ぶ「トイレ掃除」最新版」というタイトルです。
最初は日本大学教授の大森信氏が、トイレ掃除と金運について話しています。
続いてイエローハット創設者の鍵山秀三郎氏の掃除についての話。トイレ掃除を素手で行うというのは、鍵山氏が始めたことではないかと思っています。
他にも何人かが書かれていますが、正観塾師範代の高島亮さんが、小林正観さんから教わったトイレ掃除について書かれています。
79ページからは、さとうみつろうさんが書いた「貧乏神とのおしゃべり」という物語です。
この中でみつろうさんは、貧乏神に好かれる6つのことと反対のことをすれば、豊かになれると言います。
1.夢を見る
2.不安を捨てる
3.金持ちを応援する
4.先に与える
5.たまにゴージャスを味わう
6.お金以外の豊かさに目を向ける
そして最後に、この6つがどうでもよく思えるくらいのコツがあると言います。それが「笑う」ということです。
そして笑顔でいるときは、実はこの6つが同時に実行できているのです。
89ページからは、本田健さんの「人生は、”質問力”で決まる」という話です。
たとえば、「すばらしい人生を送るための[質問]」は、「理想の人生を送るために、今日からできることはなんだろう?」と問うてみます。
ネガティブになるような「どうして自分はこうなんだ?」という質問はNGです。どんな状況であっても、そこにポジティブな意味を見出せる質問をする。それが重要なのですね。
98ページからは、「聞き上手は成功する」というテーマで、渡部昇一さんの話、心屋仁之助さんと本田晃一さんの対談などがあります。
この他にも、宝くじの新しい買い方だとか、易占カードとその使い方の解説など、「幸せなお金もちになる」というテーマで、盛りだくさんですね。
気になった方は、税込み950円とそう高くもないので、買って読んでみてくださいね。
2015年05月31日
一生お金に困らない生き方
セミナー参加者の方に紹介されて、心屋仁之助さんの本を読みました。
もう読んでいる途中からワクワク感が半端じゃなく、心屋さんの本の中では、これまでで最高に素晴らしいと感じていました。
その理由は、「神との対話」の内容と完全に一致していて、しかもその手法がわかりやすいことです。
ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。
「お金持ちになる本を読んでも、お金持ちになれない。どうしてか。
それはお金持ちになる「やり方」ばかり学んでいるからです。「やり方」をいくら学んでも、お金持ちにはなれません。
なぜなら「あり方」が間違っているから。
本当は「やり方」ではなく、「あり方」を変えなくてはいけないんです。」(p.6)
ここはまさに「神との対話」で、「行動」ではなく「在り方」によってしか得られない、と言っているのと一致します。
私たちは、何かを得る(何かになる)ためには、「どうすればよいか?」と方法を探します。
これはエゴ(自我)の働きですが、それでは達成できないと、津留晃一さんも言ってますよね。
このあとも素晴らしい文章が続くのですが、これを全部引用しているときりがありません。本当に2〜3ページに1ヶ所は、引用したい文章が出てきますから。
なので、この本の中心を示しながら、関連する部分を引用することにしましょう。
まず重要なのは、先ほども引用したように「あり方」を変えることなのです。どう変えるかというと、「お金がない」という「あり方」を「お金がある」というものに変えるのです。
そうは言っても、ないものはないと感じるでしょうから、そもそも「お金とはなんだ?」という点を見てみましょう。
「あなたが本当にほしかったのは、お金そのものではなく、お金がたくさんあるときの安心感。
「お金がある」というのは、「選べる自由」が手に入ること。ガマンしなくていい、好きにしていい、したいことができるという喜びです。
(中略)
もしあなたがふだんの生活で安心できていて、「自分が自由」であれば、お金のことなんて、そんなに考える必要はありませんでした。」(p.35 - 36)
つまり本当に手に入れたかったのは、「安心感」であったり、それによって得られる「自由」なのです。
別に「お金」が目的なのではなく、「安心感」や「自由」が目的なのです。
「そうやって、自分で自分の「ある」を認めて、安心できると、お金に執着しなくなります。すると、不思議なことにお金に全然困らなくなる。お金がどんどん入ってくるようになるんです。すると、”ほしい”という気持ちも減ってくるのです。」(p.37)
「お金がある」かどうかを決めているのは自分なのです。だからまず自分が「ある」と認めてしまえば、今の状態で安心できます。
安心するということは不安がないわけですから、お金に執着しなくてすみます。つまり自由になれるのです。
このように自分の「あり方」を変えると、お金もどんどんはいってくると言います。
そしてお金が入ってくるようになれば、さらに欲求がなくなっていくのです。
次に心屋さんは、今の収入は自分の価値に比例すると言います。つまり、収入が自分が思う自分の価値のバロメーターになっている、というわけです。
そして、自分が存在するだけで受け取れると思っている収入のことを「存在給」と呼びます。役に立たなくても、迷惑をかけていても、それでももらえると思える金額です。
「「存在給(基本給)」が低い人は、自分の価値が低いと思っているので(つまり、自分に自信がないので)、もっとがんばって価値を上げようとします(歩合給)。」(p.46)
だから自信がまったくない人は歩合給だけなので、頑張って頑張って仕事をすることになるんですね。働いても働いても、楽にはなれません。
逆に言えば、存在給を上げれば、もっと楽にお金が得られるということです。
「寝ているだけでも、私は月に50万円もらっていい。私は100万円ぐらいはもらっていい、と「許可」するのです。」(p.49)
自分で自分の価値を認めるだけですから、そう考え方を変えればいいのです。そうすればお金の流れが変わると心屋さんは言います。
「「そんなの信じられない!」というのは、「自分にはそれだけの価値がない」ということを信じているから。」(p.55)
そうなのです。これまで育ってくる中で、影響力のある大人から、特に親から言われたことで、自分の価値観を形成してきたのです。
今はそれを変えるチャンスなのですね。
私たちは、自分の頭で理解できることしか信じようとしません。だから、自力で頑張ってしまうのです。
しかし宇宙は、どんなことでもできてしまいます。ですから宇宙に任せること、他力を信じることが重要だと、心屋さんは言います。
そして、自分の「あり方」を変えるための4つの段階を示します。
第1段階は、「ある」に気づくことだと言います。つまり、お金は常に「ある」のだと。それを、次のように表現します。
「お金=空気」(p.100)
「みんなは空気が「ある」こと、なくならないことを信じています。あなたもそれを信じています。それがみんなの「大前提」です。「空気はカンタンに手にはいらないからがんばって集めなさい。大切に吸いなさい」とは教えられなかった。
逆に、深呼吸なんて体操のときに教えられたりしたから、”なくならない””カンタンに手に入る””いつもある”という前提なのです。」(p.102)
こういう前提(=信念)を持っているから、空気はそういうものとして存在するのだと言います。
ならばお金も、同じように思えばいいんですね。
「お金はある。豊かさはある。ためなくても回ってくる。そう信じてみてください。
あなたのお金に対する「あり方」「大前提」を変えるのです。
そうすれば、お金はちゃんと回ってきます。空気と同じように。」(p.105)
まず、そうだと思ってみる。そこからスタートです。
次は第2段階ですが、それは豊かさを受け取ることだと言います。
「「自分は豊かさを受け取れる存在である」と気づくこと。自分を認めること。受け取っていいんだと、自分を許すことです。」(p.112)
私たちはつい自分に厳しくし、ダメ出しをしてしまいがちです。罪悪感を感じたり、自己卑下したりします。そういう自己肯定感のなさが、豊かさを無条件に受け取れない原因となっているんですね。
「だから自分のことを認めてください。もう許してあげてください。あなたはただ存在しているだけで、価値がある。豊かなんです。」(p.115)
そして第3段階は、豊かさだけを受け取るのではなく、すべてを受け取る覚悟が大切だと言います。
「豊かさを受け取ろうと思ったら、ほしいものだけでなく、ほしくないものも受け取る覚悟が必要です。
お金が入る人になる第三段階は、「ほしいものだけを受け取らない」です。」(p.117)
つまり、選り好みをしていると、間口を狭めてしまうことになるからだと言います。
「結婚したい。でも、縛られるのはいやだ。」このように良いとこ取りを考えていると、どちらも得られないことになります。
すべてのものは中立ですから、メリットもあればデメリットもあります。デメリットばかり強調し過ぎると、メリットも享受できなくなるのです。
最後の第4段階は、「豊かさを受け取ったら、出す。」というだけだと言います。
つまり、貯めこまずに循環させることが重要なのです。そして、順番が大切だと言います。
「最初に渡す。最初に回す。最初に使う。お金や豊かさはどんどん出して、どんどん回す「あり方」に変えていくことです。これが「損する覚悟」です。
「ある」という前提だと、どんどん回せる。「損」も怖くない。本当に損することももちろんある。でも、どんどん回していると、「ある」前提に変わってくるのです。」(p.124)
だから損することを怖れず、まず自分から与えることが重要なのですね。
そのため、節約もするなと言います。節約するのは、「損したくない」からです。
「節約していた時代は「ない」という大前提に立っていたので、使わない。節約する。
これは、「私はお金がない人です」と自分に刷り込んでいたわけです。
そういう人にお金が入ってくるわけがありません。自分の行動を見れば、自分がどちらの前提なのかわかります。」(p.127)
ここが多くの人にとって、ネックになる部分のようです。「節約=良いこと」と信じて疑わない人が多いでしょうからね。
しかし、節約が「自分が喜ばないことをしない」なら本当に意味があるのですが、「値段が高いものは要らない」「贅沢はしない」なら、お金が「ない」という前提を強化するだけなのです。
「たとえそこに意味があろうと、なかろうと、無駄づかいであろうと、なかろうと、お金を回していく。
それぞれが出したお金で、もらったお金をそれぞれが幸せになるように使わせてもらえばそれでいいんじゃないでしょうか。だから、「好きなもの」「幸せな気分になれるもの」に使いたいですね。
お金を回していくとはそういうことだと思います。」(p.130 - 131)
このような4段階で「あり方」を変えていくわけですが、急に考え方が変わるわけではありません。
「何度も何度もくり返して、お金に対するかたよった「前提」を変えていく。
その練習、つまり「心のお稽古」をする。そうすれば、お金に対する「あり方」が変わり、「やり方」が変わります。」(p.8)
新しい思考の習慣を身につけるには、「心のお稽古」をすることなんですね。その例として、以下の様なものをあげています。
「最初に紹介するのは、金額ではなく、好き嫌いで選ぶ習慣を身につけることです。」(p.148)
物を買うときの基準を変えるんですね。安いか高いかではなく、好きか嫌いかで決める。そうすることで、そもそもの前提が「お金がある」になるのです。
それから、「お金持ちごっこ」という方法も紹介しています。
「日頃からお金持ちだったらどうするか、「お金持ちごっこ」をしていれば、お金持ちの考え方(つまり「あり方」)が身についてくるでしょう。」(p.155)
ここで注意するのは、成り金ではないという点です。成り金は、なんでも高いものを買おうとします。本当のお金持ちは、良いもの、好きなものを選ぶのです。
そして、顧客のニーズに応えることをやめ、自分の要望に応えることを勧めています。それはつまり、自分の「存在給」を上げることなのです。
「自分には価値がない。顧客のニーズに応えないと認めてもらえない。がんばらないと愛してもらえないという「媚びの大前提」を取り払ってみることです。
顧客のニーズに応えないようにすればするほど、自分の「存在給」があったことに気づきます。」(p.159)
自分の存在給に気づくことで、豊かさがやってくるというわけです。
他には有名な「神社ミッション」もあります。
なるべくご利益がなさそうな神社で、1万円を賽銭として入れる。これだけです。
役立たないことにお金を使うんですね。これを托鉢と同じだと、心屋さんは説明します。そんな無駄なことに使うお金は「ない」を、お金はいくらでも「ある」に変えるのです。
「損をすれば、豊かさが返ってくる。お金も空気も愛情も、出せば回る。これが宇宙の法則です。」(p.200)
だから前提を「ある」に変え、しっかりと回すこと。最初に与えるのです。そして、入ってくるものを受け取る。流れを止めないように、回していくことです。
「お金をケチらない。お金の流れを止めない。ちゃんと出す。なくても出す。そして「出させてあげる」。それをちゃんと「受け取る」。
「ない」と思い込まないで、「ある」に気づく。
そうすれば、必ずお金が入る人、お金に困らない人になれます。」(p.200)
「神との対話」にもお金(経済的な豊かさ)の話がありますが、まさにそこで語られていることと同じことを、心屋さんが言われているのに驚きました。
そして、私はこれが真実だと思います。わかりやすく説明してくださったことに感謝です。
あまりに素晴らしかったので、私の愛する甥っ子2人に、それぞれ1冊ずつ買って送りました。
この本を世に出してくださった心屋さんや出版社の方々、印刷所の方々、書店の方々など、関係者に感謝して。
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