2015年03月02日

カルマからの卒業



はせくらみゆきさんの本を読みました。

私がはせくらさんのことを知ったのは、以前読んだ「起こることは全部マル!」が最初でした。この本は、ひすいこたろうさんとの共著ですが、ひすいさんの本を読みたくて買ったのです。

ところが読んでみると、はせくらさんが実に素晴らしいと感じました。そして「おとひめカード」が紹介されていたので、神田昌典さんのメルマガに紹介されていたものだとわかりました。

意外にもすでに名前を聞いていたのですね。

そういっったことから「おとひめカード」も買ってみたし、またはせくらさんのことを知りたくて、この本を買ったのです。


ではさっそく、本の一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

私たちの内奥にある叡智の泉−−超意識からのメッセージによると、カルマとは単に、原因と結果の法則であり、熱いやかんに手を触れた(因をつくった)から火傷した(果となった)という、因と果の法則の一つにすぎず、それ自体にいいも悪いもないということです。
 それをどう捉えるかは私たち人間の「判断」がなせる業であり、さらにいえば、私たちがより成長するために仕組まれた大いなる神の経綸(けいりん)、つまり絶妙なる神しくみであるということです。
」(p.2 - 3)

「カルマ」と言うと、つい前世で人殺しなど悪いことを行ったから、今生ではつらい目に合うというようなことを想像します。

そして今の自分が不遇なのは、前世の行いが悪かったからだとか、親の因果が子に報いと言うように、親のせいだとか考えがちです。

そして、スピリチュアル系の人の中には、そう言って不安がらせ、浄化が必要だなどと説いたりする人もいます。

私は、そういうのは胡散臭いと思っていて、はせくらさんの本を選んだとき、ひょっとしたらという一抹の不安もいだきました。けれど、この「はじめに」書かれたこの部分を読み、そうではないとわかってホッとしました。


ここで大切なことは、現象が起こっているときは、すでにそのことが終わりかけているときであり、起こっている=光に還っていく様子を見ている=光還元している最中であるということです。」(p.24)

光還元のことはひと言では説明できないので、本を読んでみてください。私もあまり理解できていません。

ただ、本質的なことは、何かの現象が起きているときは、カルマが解消される最後の過程だということです。

たとえば何かトラブルが起こったときは、もう終わりかけているわけですから、何ら心配する必要はない、不安になる必要はないということなのです。


このことを別の言い方でも説明しています。

愛の状態はフラットで、愛から離れると山と谷ができる(波立つ)と言います。そこから愛に戻ろうとすれば、その波とは逆の位相の波を作り、干渉させればよいわけです。

この逆相の波の集合体が、カルマということになります。

 ですので、何か起こるからダメじゃなくて、起こることで、再び愛の姿に戻ろうとする揺り戻しのシステムであり、大いなる神しくみであるということなのです。
」(p.31)

したがって、イヤな人との出会いや、自分にとって不都合な出来事というのは、愛に戻ろうとする働きなのですね。

ですから、そういう有り難い存在なのだと思えば、また感じ方が違ってきます。

とはいえ、そう簡単には心が許せないかもしれませんので、苦手な相手とのご縁があるときは、泣き、笑い、怒り、悲しみ、さまざまな感情を体験しながらも、確実に、着実に愛のステージを上げているのだ、ということを自分に言い聞かせておいてください。
 私たちは、嫌な人と出会うたび、そして嫌なことに出会うたび、人や出来事を通してますます「愛一元」に近づいていくのです。
 いいえ、本当は愛そのものである、自分自身に還っているのです。
」(p.33)

ここまで読んだだけで、私はすっかりはせくらさんの虜になりました。なんて本質的に理解されてる方なのでしょう。

だから何が起ころうとも、安心していればいいのですね。


それがだんだん、自己の生きがいや、なぜ今自分はここにいるのだろう? 自分の使命とは何だろう? などについて意識するようになり、自己認識の境界線が少しずつ他に向かって開かれていくうちに、脳波ではアルファー波が多く出るようになります。
 すると、私と私以外という分離のドラマのみで生きていた領域から、次第に統合へ向けての歩みが始まるのです。
」(p.38 - 39)

はせくらさんは、脳波の状態がガンマ波ベータ波という状態だと、恨みや怒り、執着といったネガティブなことに支配されていると言います。それが、アルファー波シータ波といったゆったりした波になっていくと、リラックスや安心、瞑想というポジティブな意識になっていくと説明しています。

そして日常的にどういう脳波が多いかによって、自分の進化成長の度合いがわかるということのようです。

このときふと思い浮かんだのは、レイキをやっているときに眠くなることです。シータ波は寝入りばなに多く現れる脳波で、デルタ波は深い睡眠状態です。つまりレイキをやっているときは、脳波はゆったりした波形になっているのではないかと感じたのです。

ボーっとしているとレイキがよく出ると言います。私はレイキをすると眠くなり、あくびが出てきます。他にもそういう方がいます。レイキと脳波の関係性は、もしわかれば調べてみたいですね。


このように、シータ・デルタ波を出している状態が暮らしの中心になってくると(自動車の運転中はやめたほうがいいでしょうが)、不安という不安がなくなり、何をやってもやらなくても、毎日が穏やかで楽しい日々になってくるのです。
 思ったものがすぐに叶うようになり、嫌な人や嫌なことがほとんど見つからなくなってくるか、たとえあったとしてもあまり気にならなくなってきます。
」(p.42)

実は、これが私たち、神の分け御霊(みたま)として肉体を宿った神である人間本来の姿です。ですので、ポイントはいかに意識をシフトさせていくかということです。
(中略)
 一番大切なことは、個々における日々の実践であり、いかに瞬間瞬間、怖れではなく愛を選んで生きるかということです。それを身口意すべてのレベルにおいて表すのです。」(p.44)

「身口意(しんくい)」とは、仏教語で行為・言葉・思考を表すものです。「神との対話」でも、思考、言葉、行為は3つの創造ツールだとありますが、私たちはこの3つをどう使うかが重要なのでしょう。

はせくらさんはこの3つで、怖れではなく愛を選択するようにと言います。これもまさに「神との対話」で語られていることですね。


もし、何らかのスイッチが押されて、過去生にまつわる記憶が蘇った際には、ぜひともそれを裁くことなく、とらわれや執着に走ることもなく、ただそのまますっぽりと愛を送り、抱きしめてあげてほしいと思います。」(p.52)

過去生がどうだったかなど、本来知る必要もないのだと言います。それでもたまに記憶が蘇るなら、それに執着するのではなく、ただわかってあげるだけでよいと言います。

こういうところが、あさりみちこさんとは違うところです。私は、はせくらさんの考え方を支持します。


はせくらさん自身は、過去生を知る体験があるそうです。そうした経験によって、次のことがわかったと言います。

◎何をしたかではなく、「どのような気持ちだったか」を問われているのだということ。つまり、実績や成果より、志向、感情の質のほうがより大切だったということ。
◎それぞれの生を通して、「愛をどのくらい放ったか」という「愛」が根本テーマのようである。
◎過去生が蘇ることで、その当時の生がクリーニングされる(浄化され、光に還っていく)と同時に、新しい選択、潜在的可能性を表に表出させていくという意味もある。
」(p.58 - 59)

ホ・オポノポノでは、出来事は記憶だからクリーニングするように言います。

はせくらさんもまた、過去生の記憶もクリーニングされるために表出したと言います。すべてが愛に向けて成長するためなのだと。


こうした「愛」の姿を、物理次元で学び、体現していく星、それが地球なのです。
 地球は愛を学ぶ学校です。
」(p.87)

「神との対話」では、人生は学校ではないと言います。それは、私たちは本来、すべてを知っているから。はせくらさんも、そのことはわかった上で、思い出していく過程のことを「学ぶ」と表現されたのだと思います。


私たちは自ら思ったものが、現れていくということを知るために、自由意志というものを与えられました。
 この自由意志を通して、私たちは何でも創造することが可能になったのです。つまり、思いは創造するということです。
」(p.91)

私たちの本質はスピリットです。
 このスピリットにおける自己のことをスピリットセルフとか、超意識、神、魂、大我、真我、いのち、神性、仏性、愛といったあらゆる名前で呼んできました。
 けれども、このままでは自らを味わうことができないので、自らの分身を作り、その中に入って味わうことにしたのです。そうしてできたのが、森羅万象としてある物質であり、とりわけ地球においての最高傑作が、私たち−−ヒト(霊止)でした。
 なので、自らの持つ資質である、創造するという属性を、ヒトにそのまま与えたのでした。
」(p.99 - 100)

初めて霊止(ひと)が生まれて、しばらくの間は、そのことをしっかりと知っていての冒険の旅でした。
 けれどもそれでは飽き足らず、もっと面白い冒険の旅に出ることを思いついたのです。
 それは、自分自身の姿を忘れてしまうというものでした。
」(p.101)

それは分離の幻想の冒険であり、壮大なゲームでした。
 そのゲームが終わる合図は、再び自らの本質であるスピリットを己が内から見つけ出したときです。
 そうして今度は、あらゆるものの中にある我の分身を見つけ、再びつなぎ合わせて、元ある一つに還るのです。
」(p.102)

ここまで、完全に「神との対話」で語られていることと同じですね。私たちの本質は「ひとつのもの」であり、それが自らを体験的に知るためにこの世を創ったのです。

最後の、「スピリットを己が内から見つけ出したとき」を読んだとき、ちょっとゾクッとしました。

「かごめの歌」を思い出したからです。「後ろの正面」にいるのはスピリット。それを内に見つけたとき、私たちは覚醒するのかもしれません。


しかし、ここで強調したいのは、どの振動数の地球の住人になるかについて優劣を競ったり、批判したりするのは、きわめてナンセンスであり、低次の自我(エゴ)の甘いささやきであることを忘れていはなりません。

 卒業する自由も、卒業しない自由もあるのです。
 けれどもやがて皆、卒業していく世界なのです。
」(p.106)

これはパラレルワールドについて語ったあとの部分です。アセンションによって、これからますます高いバイブレーションの地球と、低いバイブレーションの地球に分かれていくと言います。バシャールもそう言っていますね。

けれども、どっちが良くて、どっちが悪いという問題ではないと、はせくらさんは明言しています。こういうところも、さすがだなあと思うのです。

そうでないスピリチュアル系の人は、だから今何とかしないと高いバイブレーションの地球号に乗れなくなってしまいますよ、と不安をあおります。

不安をあおるということは、愛ではありませんよね。それに、自分だけが救われれば、それでいいのですか?そもそも、そういう仕組はおかしいと思いませんか?だって、この世の本質は愛なのですから。

私は理屈で考えるのですが、本質が愛であるなら、はせくらさんの考え方がスジが通っていると思うのです。


では、そのカルマのプログラムを作動させないで、この世界を存分に楽しむにはどうしたらよいでしょうか?
 答えはカルマを必要としない時空まで、時空間ジャンプ(次元間ジャンプを含む)をしてしまえばよいのです。
 でもどうやったらジャンプできるのでしょうか?
 それを一言で表すなら、「愛を選んで、エゴを減らし、今を生きる」を実践するということです。
」(p.108)

カルマによらなくても、この世での経験を楽しむ方法。それが「愛に生きる」ということなのですね。まさに「神との対話」で示されている指針です。


「私」とは、肉体ではなく、感情でも、思考でもなく、起こる出来事でもありません。
 「私」とは、それを見ている意識なのです。
 これが「いのち」の正体です。
」(p.114)

この本当の「私」の考え方は、阿部敏郎さんの考えに通じるものがあると思いました。思考はマインドで起こるものです。マインドは雲のようなものですから、その背後にある青空こそが本当の「私」なのですね。


本当は、罪も悪も存在してはいません。
 それは人の心がつくったもので、神(いのち)がつくったものではないのです。
 裁くのは自分の心(エゴさん)が裁くのであって、「いのち」は決して裁きません。
 罪人はいず、悪人もいません。
 制限を設けず、限界もありません。
 すべては体験であり、経験であり、それはさらによくなるための、成長の機会なのです。
」(p.120)

ここも「神との対話」で語られている通りです。善悪は人が決めるもの。神は何も決めないし、人が悪と呼ぶものさえ愛すると言っています。なぜなら、それがあるから進化成長できるからです。

したがって、「罪悪感」などというものも、不要なものなのですね。


生きるということは選択の連続です。
 何を食べるか? どこに行くか? 誰と過ごすか? 何をするか?……
 小さなことから大きなことまで、瞬間瞬間、あなたの選択が、次のステージの波模様を引き寄せているのです。
 自分が選ぶ選択を、恐れをベースにするか、それとも愛をベースにするかで、現れる量子場とその質がガラッと変わってくるのです。そうして、起こる現実、現象が変わってきます。
」(p.123)

「神との対話」でも、究極的にはすべてが「愛」か「不安」かに分かれると言います。「愛」を動機とするのか、「不安」を動機とするのかによって、私たちは現実を創造し、その場で体験するのだと。

「不安」とは「恐れ(怖れ)」のことです。ですから、はせくらさんもまったく同じことを言われています。


はせくらさんは、子どもの頃から他の人とは違う感性を持っていたようです。それを使わないようにしてきたものの、様々なことがあって、今は使うようになったのだとか。

おそらく、そういうことによって、私たちに真実を伝えるラッパとしての役目を果たされているのだと思います。

はせくらさんのことを、もっと知りたくなりました。

カルマからの卒業
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:48 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月03日

あなたの”可能性の種”を咲かせましょう!



辻中公(つじなか・くみ)さんの本を読みました。サブタイトルには、「泣き虫だった主婦が2万人を行動させた”キセキ”の魔法」と書かれています。

この本のことをどこで知って読もうと思ったのか忘れていたのですが、この本の中に何度も登場するある人物からわかりました。

その方は、みやざき中央新聞魂の編集長、水谷もりひとさんです。水谷さんはこの本の帯にこういう言葉を寄せています。

平成の魔法使い、辻中さんの待望の書。みんなを幸せにしちゃいます


ではさっそく、本から引用しながら内容を紹介しますね。

きっと、あらゆるすべての人、モノ、出来事は、誰かに、何かに、可能性の種があることを伝えるために生まれてきているんだ!」(p.9)

内向的だった辻中さんの息子さんは、4歳になっても幼稚園に通えません。唯一、七田チャイルドアカデミーだけは通ってくれたのだとか。

辻中さんは教室の外で待っているからと言って、息子さんを中に送り出します。息子さんに自立の気持ちが芽生えたことを喜んだそうです。

ところがある日、教室の前で息子さんが泣き出しました。「ママー、教室に入ってよー!!」と言って。

怒ったり、なだめたりしても、上手くいったりいかなかったり。ほとほと疲れたそうです。

そんなある日、また息子さんが駄々をこねていたら、先生が教室に招き入れてくださったそうです。

そうして一緒に教室に入る日が続いたのですが、ある日、息子さんが「ママ、今日は一人で行くよ」と言ってくれたそうです。そして、続けてこう言いました。

「ママ、これで、もう寒くないやろ?」

弱虫で自立できてないダメな息子だと思っていたのに、本当は自分のことを気遣ってくれていたのだと、このとき初めて気がついたそうです。

自分が勝手に思い込んで、ダメな息子と決めつけていた。けれども息子さんは、体を張って母親を守ろうとしていたのです。

こうして辻中さんは、「人の中の可能性の種を観ることの大切さ」「自分の中の可能性の種を観ることの大切さ」に気づき、息子さんはそれを教えてくれるために生まれてきたと確信しました。

大事なことに気づかせてくれた息子さんにお礼をしたい。そこで、この気付きをみんなに伝える活動をして、その生きる姿を息子さんに観てもらうことで、お礼にしたいと思われたとか。

それが、辻中さんの講演活動のきっかけだったそうです。

そう、まずは自分の中の可能性の種を発見して下さい。
 発見することが、キセキのはじまり、はじまりです。
 そうして自分の種に栄養を与えるのです。
」(p.12)

どんな不幸に思える出来事にもメッセージがある。まずは気づくこと、発見することなのですね。


自分に「原因」があることを素直に認めることが出来ると、その問題は解決していきます。
 すると・・・自然と自分に自信を持てるようになります。自分が好きになってきます。
 そして、自分にも何か出来ないか? 「可能性の種」がないか? を探すようになっていくのです。
」(p.30)

息子さんのアトピーの原因を探しまわっていたとき、つい自分以外のものに原因を押し付けては、イライラしていたのだそうです。

けれども、すべての原因は自分だと気づいたのだそうです。そのことを教えるために、息子さんはアトピーになってまで苦しんでくれたのだと。


こうして講演会活動を始めたものの、少しずつ客は増えても次の展開がないという状態が続きました。

そこで営業活動を始め、勤めていた京都の幼稚園の園長先生に心情を吐露したところ、こう言われたそうです。

辻中先生は、世の中にとって、大切な事をしようとしているんですね。でもね、どんなに大切なことでも、時代、世の中が必要と思わないと成功しないんですよ。だから、今はみんなに理解されなくても諦めず続けて、時代が求める日を待つんですよ」(p.52)

この言葉を得て、「必要とされるまで続けよう」と決心されたとか。必要とされるまで、ともかく自分の生き方に磨きをかけることだと。

こういう姿勢は、私も見習わないといけないなあと思います。


だから、時には家事を後回しにしてでも、少しだけ「抱っこ」をしてあげて下さい。
 お母さんの膝に座らせてあげて下さい。
 心からの「大好きよ」が伝われば子どもは安心します。子どもがひっついてくる時には安心感を求めているのです。

(中略)
 でも、子どもを抱きしめるとその不安も安らぎます。
 ギュッと抱きしめて「私のもとに生まれてくれてありがとう」と言ってみましょう。
 お母さんも、お子さんも安心する「抱っこ」は絆の証なのです。
」(p.77)

ここを読むと、私の心にグッと来るものがありました。そうなのです、抱っこしてほしかったのです、私も。

もちろん、今から抱っこしてもらう必要はありません。ただ、そういう思いをしたのですから、今度は私が誰かを抱っこしてあげることなのでしょうね。

もちろん子どもなら抱っこするし、大人なら抱きしめてあげればいいんです。


どんな言葉を発するかで相手の態度は決まります。それと同時にあなたにとっての出来事、現象も変わっていきます。
 不穏な雰囲気の時には、一度自分の態度を愛のあるものに見直してはいかがでしょう?
」(p.86)

発する言葉や態度が重要なのです。自分が原因なのです。愛に基づくものか、そうでないのか。そこを見直してみましょう。


安心感は、人生の基盤になります。愛、信頼、絆に育まれていくのです。大人になっても、会社でも社会生活で安心感は一歩を踏み出す勇気になります。」(p.89)

安心感とは、愛の中にいることを確信することなのです。だから、安心感が重要なのですね。


小さな頃は、何をしてもそのままでいるだけで可愛いので、親も褒めてくれます。
 でも、だんだん大きくなるにつれ「縄跳びが出来るようになったら偉い」「スイミングに泣かずに行けたら賢い」「テストで良い点をとったら凄い」と言われるようになり、子どもは条件付きでないと愛情が得られない事を学びます。
 条件付きの愛情には、条件付きのひねくれた子どもの心が出来るのではないでしょうか?
」(p.103)

けっきょく、ひねくれた子どもの心を育てているのは、大人なのですね。大人がひねくれて接しているから、子どもがそうなるのです。

無条件の愛。それだけが答だと、私も思います。


だから、そのままのあなたが好き!と、子どもに伝えてあげて下さい。
 そうすることで、失敗をしても、泣いても、嫌なことがあっても自分を丸ごと受け入れて、いつも笑顔で応援してくれるお母さんの存在が子どもを支え、また頑張ろう!という、立ち直れる強い心が育まれます。
」(p.117)

ありのままの自分を受け入れてもらえること。それが無条件に愛されるということです。

愛されているという確信が、人を強くするのですね。


最後になりますが、ここを読んだとき、私はまた泣きそうになりました。よく私が言っていることが、ここでも語られていたのです。

それは、どんなに夫婦げんかをしても、朝になるとニコニコ笑顔で「いってきます!」と元気に出かけるご主人を、奥さんは快く思っていなかったという話から始まります。

なんだか自分のことを真剣に考えてくれていないみたい。奥さんは、そう感じていたそうです。

ところがある日、ご主人と息子さんの会話を立ち聞きしてしまいました。ご主人は息子さんに、医者としての思いを語っていたのです。

患者さんの中には、事故や突然の発作で、手をつくしても亡くなってしまう人もいる。どんなに健康だったとしても、いつ亡くなるかはわからない。

その時「喧嘩なんかしなければよかった・・・最後の言葉が喧嘩の言葉だなんて・・・」って、後悔している人をたくさん見てきたよ。残された人は、変えられない最後、最期を後悔し続けるんだ。
 お父さんも助けられなかったことで、やるせなくなることは多い。だから、この死んだ人が、最後に教えてくれたことをお父さんは毎日、実行しているんだよ。
 それは、人と別れる時には、絶対に笑顔で一番いい顔で別れること。
 二度と会えなくなるかもしれないから、いつも最高の関係を作っておくこと。
 喧嘩をしてもいい。でも、笑顔で許すこと。
」(p.162)

そうご主人は息子さんに言って、友だちと喧嘩しても、すぐ許せるように、笑えるようにするんだよと、諭していたそうです。

この話を辻中さんがある幼稚園でしたところ、その園長先生が挨拶で、涙ながらに語られたそうです。

ある日、中学生の息子さんが泳ぎに行くと言って、畑に声を掛けに来たのです。
 園長先生は畑仕事を一生懸命にしていたので背中越しに「いってらっしゃい」と言いました。そのまま、息子さんは帰ってきませんでした。溺れて亡くなってしまったのです。少し振り返って「いってらっしゃい」と声をかけたら良かったのに、最後の顔を見る事が出来なかったのです。
 ほんの少し、ほんの一瞬のことなのに、忙しさにかまけて振り向くことを惜しんでしまったのです。
 悔しくて悲しくて後悔しても、もう二度と息子さんには会えません。その時間は巻き戻せないのです。どうか皆さん、子どもの顔をしっかり見て声を掛けてあげて下さい。お願いします。
」(p.163 - 164)

私は、妻に対しては必ず「ありがとう」と言って、会社へ行くようにしています。仮に妻の機嫌が悪くてハグしてくれないとしても、私は怒りません。なぜなら、いつもこういうことを思っているからです。

けれども、私もまだ足りないなと気付かされました。社員に対して、まだそういう思いを持っていなかったのです。

いつも出勤してくれる社員に、「こいつまた遅刻しやがって」とか「なんだもう帰るのかよ」などと不満を持ったりしました。

でも、そうじゃないんですよね。本当は、来て働いてくれるだけで感謝なのです。そっちがメインなのです。

どういう思いで、「おはようございます」「お疲れ様でした」と挨拶していたか反省すると、残念ながらまだまだダメでした。


けれど、この本を読むことで、私は気づいたのです。気づくことが第一歩ですからね。

今日から私は、社員に対しても一期一会の思いで、しっかりと挨拶することにします。それを積み重ねます。

「みやざき中央新聞」を読むと、さまざまなことを気づかせてもらえますが、この本との出合いもまた、この通称「みやちゅう」のご縁でした。ありがたいことだと思います。

あなたの”可能性の種”を咲かせましょう!
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 23:13 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月09日

突然、足がつった

昨日は、ソフトボールの大会がありました。

私が趣味でやっているものですが、主催者として年に2回の大会を行っています。

その名も「へたくそソフトボール大会」。通称HSTです。

まだブログには載せていませんが、ソフトボールのブログもありますので、詳しくはこちらをご覧ください。


気温はおそらく、35度くらいはあると思います。

乾季から暑季へ移ろうとしているバンコクですから、日差しはかなり厳しいものがありますね。

そんな中で、朝8時くらいから夕方4時くらいまで、その多くを日差しの中で過ごします。

暑さには慣れているというものの、やはり熱中症には気を使います。身体がほてっていれば、氷で冷やしたり、日陰で過ごすようにするなど、自分の身体を気遣いながら1日を楽しみました。


そういう状況ですので、時として不測の事態が起こることがあります。

この日は、1人の選手がヒットで1塁に出たとき、「足がつった。交代して!」と言って、1塁の横に倒れこみました。

水分不足や塩分不足、あるいは日頃の運動不足など、どういう原因かはわかりませんが、足がつる(痙攣する)ことはよくあります。

このときは右太ももがつったようで、手伝ってもらって筋肉を伸ばしていました。

けれども、伸ばしてみても縮めてみても、その痛みが消えないようでした。


「レイキしましょうか?」

そう私が言うと、「いや、いいですよ。何かひどいことをするんじゃないの?恐いもん。」と、まったく信用していない様子。

親しい人なので、けっこうきつい言い方ですが、正直に答えてくれました。

「そうですか。それならいいですけど、ただ手を当てるだけですよ。」


その人はしばらく、自分で太ももをマッサージしていましたが、それでも痛みが引かない様子。

「ちょっとだけやってみましょう。」

そう言って、なかば強引に手を当てさせていただきました。

私は左手にバッティング・グラブをはめたままで、両手をその人の太ももに置きました。

ものの1分くらいで、少し指先がチリチリとしてきて、それが手の平全体に広がっていきます。

「かなりビリビリしてきましたね。」

私がそう言うと、その人も「わかります。私も(太ももが)ビリビリ感じます。何ですか、これ?」


実際にレイキを体験して、ビリビリ感や、温かさ(熱さ)を感じる人はけっこういます。もちろん、まったく何も感じないという人もいますけどね。

その人は、自分でもビリビリしたものを感じたため、少しレイキへの疑いが消えていったようです。

さらに手を当てることおよそ5分弱、その人が太ももを触ってこう言いました。

「あれっ?痛みが消えている。どうして?」


レイキは、怪我をした直後ほど効果が早く現れます。そして、痛みを消すことに関しては、絶大な効果があると感じています。

「これで完治したとは言えないでしょうけど、痛みがなくなるのはレイキではよくあることなんですよね。」

私はそう言って、レイキを終えました。


そのあとの打上げの時も、レイキに興味を持った人がやってきて、「ちょっとやってもらえませんか」と言います。

慢性的な肩痛に悩んでいるとか。体験ということで、隣に座ってもらって、肩に手を置きました。

しばらくするとビリビリ感が出てきました。

「何だかか温かくなった感じで気持ちいいです。」

その人も、レイキを体験してみて、何かありそうだと感じたようです。


以前、慢性的な背中痛、腰痛で悩んでいた友人へレイキして、1回、1時間半から2時間を3回くらいやって、慢性痛がなくなったという話を、その人に伝えました。

必ず治るという保証はしないし、治るなんてことも言いませんが、「もしよければやってあげますよ。」と伝えました。


レイキは、戦前の日本で代替医療として生まれた「手当て療法」の1つです。

宗教とはまったく関係ありませんし、気功のような訓練も必要としません。ただ手を置くだけ。それだけなのです。

それでも、こんなに効果があったという人がいるのですから、面白いですよね。私も実際に自分がやってみて、初めてレイキの素晴らしさがわかりました。

みなさんもぜひ、レイキを体験してみてくださいね。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:01 | Comment(0) | └ レイキにできること | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

目立たなくても本当に必要とされる人になる小さなコツ



小さなコツの専門家、野澤卓央さんの本を読みました。

長いタイトルですが、「目立たなくても」という言葉にグッと来ます。おそらく私も基本的に内向的なので、あまりでしゃばるのは好きじゃないのです。

それでも誰かの役に立ちたいと思っているし、そういう生き方がしたいなと願っています。


ではさっそく、本の一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

言い訳をした瞬間、心は一瞬ラクになります。
しかし、再び自分の思い通りにならないことが起こると、また辛くなります。
」(p.15)

何か自分にとって面白くないことが起こったとき、それは他者に原因があると言い訳すると、自分の責任を問わなくて良いので、心が楽になるんですね。

変なプライドを持っていると特に、自分の過ちを認められません。自分に原因があると考えると、押し潰されそうに感じるのです。

けれども、そういうことをやっていても、何も解決しないのですね。

できない自分を認めることはとても大変なこと。
しかし、現実の自分を愛することこそ、
本当の自分を愛するということ。
」(p.17)

ありのままの自分を認めることが、本当の自己愛なのです。「今はできない自分だ」と認め、そこからスタートすることなのですね。


私が昔から大切にしてきたことは3つある。それは、
『褒めること』
『感謝すること』
『人に貸しをつくること』。
」(p.20)

他の人から求められ、必要とされている若い経営者に秘訣を尋ねたところ、こういう答が返ってきたのだそうです。

他人の良い所を見つけて本心から褒め、ささいなことでも覚えていて感謝する。それがしっかりできる人は、他人から好かれるでしょう。

そして「貸しをつくる」ということですが、その作り方にもコツがあるそうです。

相手を喜ばせるポイントは、相手の困っていることを察知して、自分から相手に対して『手伝いますよ』と、先に言うこと。」(p.22)

つまり相手から頼まれるのを待つのではなく、こっちが察知してあげて、積極的に声をかけるということです。

こんなふうにして手伝ってもらえたら、たしかに嬉しいでしょうね。そして機会があれば、お返しをしたいと思うでしょう。

なので、つねに貸しを作っておくことが重要だと言います。最低でも3つは貸しを作っておくようにと。

そして、この方法を実践していくと、きっと、
たくさんの貸し倒れが生まれる。
理不尽な断られ方もするだろう。
でもそれらの貸し倒れを気にしていてはダメなんだ
」(p.24)

いつか返してもらうためという目的で貸しを作ると、返してくれない相手に腹が立ちます。そして、そういう人が多いと、だんだんとやる気が失せるでしょう。

でも、それを気にしていたらダメなんですね。

返って来ようが来るまいが関係なく、ただ貸しを作ることを楽しむ。そういう気持ちで他人が喜ぶことをやり続けると、なぜか自分が豊かになっている。そういうものなのです。


何度言っても部下に伝わらないことがある。
それを、「部下が悪い」と嘆く前に、
半年間、嫌味も愚痴も言わずに自分が率先して、
行動してみせることが自分のためと思うようになりました。
」(p.39)

私もよく部下に対して文句を言っていたので、本当に耳が痛いです。(笑)

「自ら範を示す」こともよく言われることですが、とても重要なことだと思います。

本では、従業員がとてもきれい好きな会社に行ったので、その社長に理由を尋ねたという話がありました。社長が言うには、社長自ら早朝に掃除をするようにしたら、半年くらいから同調する人が現れ始めたのだとか。

子どもの躾でも、子どもを叱って言うことを聞かせるのではなく、親が文句を言わずにそれをやり続けることだと、どこかで読んだことがあります。

玄関の靴を揃えるというのも、親がただ黙々と、あるいは嬉々としてやっていれば、子どもは言われなくても真似るんですね。


例えば、僕が実践してとてもよかったのが、
「職場の人間関係をよくするためには、
笑顔で自分から挨拶をする」ということ。
」(p.42)

まず自分から始めること。そして、誰にも強制しないこと。笑顔は、それだけで心を和ませます。自分から挨拶すれば、親しみがわきますね。

これも変なプライドがあると、部下から先に挨拶すべきだなどと、自分勝手な価値観にこだわってしまうのです。

何ごともまず自分から。自分がほしいもの(親しみのある心遣い)を自分から与えれば、それが返ってくるのです。


相手が出す結果に対して期待するのではなく、
相手の成長を期待することが大切だと思うな。
」(p.69)

他人に期待して、それが裏切られたと言う人がいます。「アイツのこと信じていたのに、裏切りやがって!」そう言って腹を立てる人は、一人芝居だと気づいていません。

自分が勝手に、自分が望む結果を期待しただけです。相手が望む結果ではありません。自分の希望を、相手に押し付けただけです。

だから相手に期待するのは良くないと、「神との対話」でも言われている通りです。

でもここで面白いと感じたのは、「相手の成長を期待する」という考え方です。

人が成長するためには、失敗することが重要です。赤ちゃんは何度も転びながら、立ち上がることを覚えます。

だとしたら、望み通りの結果が得られなくても、それは落胆にはならないでしょう。成長のステップを昇っていることを、喜んであげることもできるはずです。

こういうものの見方は、素敵だなあと感じます。


上司がきらいであれば、
きらいという感情があることをただ認める。
例えば、上司に言われた言葉で傷ついたら、
私は傷ついている、傷ついている……。
そうやって自分で傷ついていることを認めてあげる。

すると、『私は傷ついているんだ』と、
自分を客観視することができる。
自分で傷ついていることを認めると、
感情はその状態を保てなくなる。
」(p.85)

いわゆる「感情を感じ切る」ということになるのだと思います。

感情に翻弄される人、反応してしまう人は、この元の感情を感じることを拒否しようとして、怒りの感情を沸き立たせたりします。

でも、この元の感情をしっかりと感じて、感じている自分を認めてあげれば、怒りの感情は出てこないのですね。

これも重要なポイントだと思います。


人間関係での問題がなくなる究極のコツがあるんです。
それは、「来るもの拒まず、去るもの追わず」。
」(p.124)

よく使われる言葉ですが、これが人間関係の問題を解消する究極のコツだとは、恐れいりました。

しかし、考えてみると当たり前ですよね。だってこれは「愛」そのものですから。

愛は、相手を自由にさせます。そして、相手を無条件で受け入れます。つまり、来たければ受け入れるし、去りたければ去らせてあげるのです。

もし、恋人同士の関係でこのことに気付けば、ドロドロとした確執はなくなるでしょうね。

浮気したとかしないとか、どうでもよい話になります。そういうことを言うと、「とんでもない!」と叱られそうですが、でも、これが本当の「愛」なんですよ。

これがわかるかどうかで、人生が180度変わってきます。それは私も体験しているので、そう自信を持って言えます。

悪い人が寄ってくるのも、悪いことが起きるのも、
なんらかの縁があってやってくる。
」(p.125)

例えば、自分が凛として正しい道に進めば、
悪い人は自然と去っていってくれます。
起きた問題も人のせいにせず、問題に向きあえば
自然となくなっていく。
」(p.125)

つまり、どんな悪人や悪い出来事がやってきても、それは自分にとって必要なもの(縁がある)だからなのです。

それをただ拒否していても、自分の問題が解決しません。

ですから、それらと向き合う中で、自分がどうするかが重要なのですね。それによって、そういった現象が必要でなくなれば、自然と去っていくというわけです。

浮気をしたパートナーが悪いのではありません。それは縁です。自分の中に、そういう出来事を引き寄せる何かがあったからです。

だからそれに気づいて、自分を変えることが解決策になるのですね。


普段、自分の使う言葉を気にしている人や、
自分の話す言葉に責任を持っている人は、
自分の話す言葉が、自分や周りにどれだけ大きな影響を
与えているかに気がついているからだ。
話す言葉を気にしていない人は、いつまで経っても
気づかない。だから簡単にネガティブなことや、
無責任なことを口にしてしまう。
」(p.133)

普段、愚痴や文句ばかり言っている人は、
文句が言いたくなるようなことが
次から次へとやってくる。
明るい話題を話している人には、
明るくなるような出来事が起きている。
」(p.134)

だから自分が使う言葉を意識して、自分がそうありたいと思うような言葉を使うことが重要なのです。

これは小林正観さん斎藤一人さんなどもそう言っています。それにもちろんこれは、「引寄せの法則」でもあります。


この法則は100%なんだよ。
できると確信を持って言う人はできる。
」(p.138)

なんと力強い言葉でしょう。「できる」と確信すれば、必ず「できる」ということです。

野澤さんは、ご自身でも口癖がどれだけ将来に影響するかを調べたそうです。

すると、「もうダメかも」と言っていた人はやはり「ダメ」な状態になり、「どうにかなるって!」と言っていた人は「どうにかなって」いたそうです。

それなら「絶対に上手くいく!」と言い続けた人は……、さらにいい方向に進んでいたのだとか。

言葉の力を信じましょうね。


最初から夢や目標を持って、
人のお役に立つことを目指して疲れてしまうよりも、
目の前のことを一生懸命やると、
自分でも想像できないような、
「お役に立てる場所」に運ばれてしまう。
」(p.156)

これは小林正観さんも言われてますね。だから好き嫌いを言わずに、頼まれたことは「はい」と言って受ければよいのだと。

私も、タイで生活することになったきっかけは、頼まれごとを受け入れたことでした。

私自身は、絶対に海外で仕事をするタイプではないと確信していたのですから。どこで何があるか、人生はわからないものです。


野澤さんの小さなコツは、メルマガやブログでも紹介されていて、このブログでも「今の自分のままで素晴らしい」などで紹介したことがあります。

この本もそれと同じように、35個の小さなコツをまとめたものになっています。

野澤さんが実践して効果があった小さなコツたち。どれか1つでも実践してみませんか?

目立たなくても本当に必要とされる人になる小さなコツ
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 12:59 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月20日

夢をかなえるゾウ3



一時帰国中に、「夢をかなえるゾウ3」を読みました。水野敬也さんシリーズ3作目で、サブタイトルは「ブラックガネーシャの教え」です。

これも成功小説というジャンルになると思いますが、最高の神と自称するガネーシャ(小説中では、とてもそうは思えない設定になっています。)がダメな人間を指導しながら、成長させていくという物語です。

今回も、釈迦や元貧乏神の幸子さんというキャラが周りから盛り上げます。なんともハチャメチャながら、深遠な教えが含まれている。そんな不思議な小説なのです。


すでにシリーズを読まれた方には、それこそ釈迦に説法でしたね。ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

欲しいものなんて手に入らなくていい。今持っているものだけで十分私は幸せ。そう何度も自分に言い聞かせた。
 でも、ダメだった。
 だって嫌だから。心の奥底の本音では「そんな人生嫌だ!」って思ってる私がいるから。
 だったら、他人からみっともないって思われても、何でそんなに必死になってるのって笑われても、一発逆転、狙ってくしかないじゃない!
 だって、私は−−私をあきらめることなんてできないのだから。
」(p.12 - 13)

主人公は、海外旅行へ自由に行ったり働かなくてすむくらいのお金や、理想の恋人が欲しいと切に願うOLです。

そんな主人公がガネーシャと出会うきっかけが、この強い思いにあったようです。「自分をあきらめない」という表現が、私の心を打ちました。


「もし自分が80歳やったとして、いや、90歳や100歳やったとしても、頑張ることをあきらめる必要なんてあらへんで。もし、仮にその年齢から成功した人間がこの世に一人もおらんかったとしたら、それ自分にとってめっちゃチャンスやん。自分がその年齢で成功した初めての人になれるちゅうことやからな。それは、自分が後に続く人にとっての『希望』になれるちゅうことやねんで」
 そしてガネーシャは言った。
「闇が深ければ深いほど、光は強く輝くもんや。それと同じでな、ブラックガネーシャの教えも、実行するのがしんどいからこそ、その先にはとんでもなく強い希望が輝いてんねんで」
」(p.61)

「夜明け前が最も暗い」「冬来たりなば春遠からじ」などと昔から言われます。「ピンチはチャンス」とも。

状況が不利だからという理由をつけて「あきらめる」という選択もできますが、状況が不利だからこそ「頑張る」という選択もできます。とっちを選ぶかは、自分が決めることなんですね。


せやからな、できるできないを判断するんやなしに、やりたいことを口に出してまうんがポイントやねん。そしたら後に引けんようになって頑張るから、今まで眠ってた力が発揮されんねんで。」(p.80 - 81)

手段はあとから探す。これは福島正伸さんなども言っていますね。できるかどうかではなく、やりたいかどうか。そして、やるかどうかが問題なのです。


「せやけど、その仕事の選び方は間違ってんねん。会社の名前とか、初任給とか、この業界が伸びるとかな、そういう条件で仕事を選ぶんは結局『お金が欲しい』からやろ? つまり『自分のため』やねん。そういう人らは仕事でもお客さんより自分を優先してまうから、お客さんを喜ばせられへん。せやから結局、自分のお金を増やすこともできへんねんな」
(中略)
「そうや。仕事を選ぶとき一番大事にせなあかんのは、これまでの人生で自分が何に感動したかちゅうことや。そんで自分が受けた感動を、今度は人に伝えたい、伝える側に回りたい、そう思たとき人は自然な形で仕事ができるんやで。せやから最初は『お客さん』なんや。お客さんとして感動したことを仕事にして、自分と同じようなお客さん一杯作んねん」」(p.205)

職業を選ぶとき、どうしても最初にどれだけ「お金」を稼げるかを考えがちです。私も考えました。自分に向いた職業で、なおかつお金が稼げるところ。そういう基準で選びました。

けれども、今になって思えば、それは間違いだったと思います。「何をやりたいか?」で選ぶべきなのですね。そうすることで苦労が多くても、それはみな自分の糧になるのですから。

その「何をやりたいか?」を考えるとき、自分がどんな感動をしたかを考えると良い、というのがガネーシャの教えです。自分が感動したことを、他の人に与えられるような人間になりたい。そういう動機で、仕事を探すべきなのだと。


これは商売する上で一番気いつけなあかんことや。そんで、ほとんどの人間が見過ごしてることでもある。それは、心の根っこんとこで他人を愛しているか、憎んでいるかちゅうことや」(p.306)

「神との対話」では、すべては「愛」かその対極の「不安(恐れ)」に根づいていると言います。ですから仕事をするときに限らず、「それは愛か?愛ならどうする?」という自問自答が重要なのです。


「『葛藤』から逃げたらあかんねん。友達から誘われたけど、他にやりたいことがある。せやったら友達を傷つけんように気い遣いながら断ろうとかな。もしくは、やりたいことを頑張って早よ終わらせて、少しだけでも会える時間作ろうとかな。そういう葛藤の中でなんとか答えを見つけてくことで、人は成長するんやで。せやけど、みんなそうするのが嫌やねんな。なんでかっちゅうと……それはもうワシが言わんでも分かるやろ?」
「面倒だから?」
「せやねん。
」(p.313)

どれが正解なのか、簡単に答えが出せない問題がたくさんあります。しかしそれから逃げずに、その時の自分にとって最善の答えを出していく。そのことによって人は成長するのですね。

失敗を恐れる人は、挑戦しようとしません。誰かに答えを出してもらおうとします。そして他人の答えに従順に従い、それで上手くいかないと、答えを与えてくれた他人を恨むのです。


ワシ、何べんも言うてるやろ。成功するだけが人生やあれへん。夢かなえるだけが人生やあれへん。自分は別にここで頑張るのやめたってええんやで。誰も自分のこと責めへん。いや、責める人間はおるかもしれへんけど、少なくともワシは責めへんで。この世界はな、自分がどこまで『知る』かを、自分で決められるようにできてんねん。自分はこの先の世界をもっと知りたいんか、それともここで止(や)めるんか。それを決めることができるんは−−自分だけや」(p.326 - 327)

成功することや、大金持ちになるだけが人生ではないのです。それは単に結果であって、私たちは自分の人生を創造し、それを体験することを目的としています。だからこそ、何を体験するかは自分で選べるのです。


「自分は、頑張ることで今まで知らへんかった世界を知ったんや。せやから、今まで気づけへんかった世界の素晴らしさにも、気づけるようになったんやで」
 私は静かにうなずいた。
「この世界はな、自分が力を尽くした分だけ、必ずそのお返しを用意してくれるもんなんやで」
」(p.333)

「頑張る」とは、これまでの自分を変えることです。勇気を出して一歩を踏み出すことです。そうすることで、新たな体験が生まれ、新たな気づきが得られます。それが成長であり、成長することが自分の喜びなのです。

与えたものが返ってくる。これがこの世の唯一の法則だとバシャールは言います。自分が何を与えるかによって、自分が何を受け取るかが決まるのです。

頑張って一歩を踏み出すなら、それに応じた「成長」という喜びが返ってくるのですね。


物語の部分だけで400ページもある大作ですが、小説だとやはり読みやすいですね。

一時帰国中、飛行機の待ち時間や電車に乗っている時などを利用して、全部読んでしまいました。

面白くてためになる成功小説。ぜひ読んでみてくださいね。

夢をかなえるゾウ3
 
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2015年03月21日

「有福cafe」の紹介

一時帰国中の3月17日(火)に、島根県の有福温泉へ行きました。実家からそれほど遠くないので、妻と一緒に車で行きました。

目的は「有福cafe」の露天風呂です。ネットで見つけて、ずっと気になっていたのです。

ただ、お店のWEBサイトでアクセス方法を見たのですが、行き方がよくわかりません。これまで有福温泉へも行ったことがなかったので、グーグルマップで調べ、ストリートビューで見ようとしましたが、有福温泉の入口までしか見られないのですね。

まあ田舎ですから、道に迷うこともないだろうと思って楽観していました。しかし、実際に行ってみると、有福温泉までは行けたものの、そこから「有福cafe」にたどり着くまでが大変でした。

おそらく、同じような思いをしている人がいるのではないでしょうか? せっかくの観光資源なのに、これでは残念。そう思って、大きなお世話ですが、「有福cafe(カフェ)」への行き方(アクセス方法)およびお店の様子を写真付きで紹介しますね。


だいたい車で行かれると思います。ナビがあるので、有福温泉までは迷わないでしょう。ただ注意するのは、高速道路の降り口を浜田東IC江津西ICにすることです。

私は江津西ICから県道299号県道50号と進んで、有福温泉に行きました。グーグルマップだと、県道50号が大きく曲がったところに有福温泉に向かう道が2本あるように見えます。そして、曲がってから入る道が「有福cafe」に近いように見えます。

でも実際は、手前側ですからね。カーブを曲がらずにまっすぐ進む感じになります。

そこを入るとすぐに温泉街が見えてきます。

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三叉路になっているため、まずここで迷うかもしれません。この写真の左手が外湯などの無料駐車場となっていて、そこに温泉街の地図がありました。これを見れば「有福cafe」のだいたいの場所や駐車場もわかります。これをWEBサイトの「アクセス」ページに載せて、説明を入れてほしいですね。

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そこで、「有福cafe」の駐車場はどこかが気になりますよね。これ、WEBサイトを探しても見つかりません。その中のスタッフのブログに書かれているだけで、しかもカテゴリにも駐車場はないため、検索しないと見つからないのです。

「駐車場の御案内」2014年8月10日

「~駐車場のお知らせ~」2014年11月3日

それに、このブログ記事だけでは、場所が特定できません。そもそも「小川屋」さんとか「やよい湯」さんと言われても、その場所がわからないのですから。

あとの記事にあるように、「やよい湯」の駐車場は、まだ工事車両が使っていて、駐めることができませんでした。

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「小川屋さんの階段より二台も有福カフェの駐車場」とありますが、「小川屋さんの階段」とかもわかりません。

「やよい湯」の駐車場の向かいに駐車場があり、そこにも「有福cafe」の駐車場と書かれたものを見つけましたが、こちらも駐められませんでした。地図を見ると、ここが「小川屋」の駐車場ですね。

arifuku04.jpg

そこで仕方なく引き返して、三叉路を左手に進み、「有福cafe」の方へ向かうと、なんと行き止まりでした。

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でも突き当りの右手に未舗装の広場があったので、ここに車を駐めて、「有福cafe」で尋ねてみることにしました。

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私は、ここがひょっとしたら第二駐車場なのかと思ったのですが、どうも違うようです。「やよい湯」の駐車場のまだ先みたいです。地図の右下に「観光協会P」とあるのが第二駐車場かと思います。

※店の人がここでも良いと言ってくれたので、とりあえずそこに駐めました。


ところが、ここから「有福cafe」までの行き方がよくわかりません。

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階段は左と右の2つあります。どっちへ行けばいいのか・・・。道路に何やら書かれていたので見てみると・・・。

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ここにも「有福cafe」の行き先は示されていませんでした。

あとでわかったのですが、少し手前の左手の壁に、「有福cafe」の広告があったのですね。歩いてくる人なら見つけられるでしょうけど、上まで車で行ってしまうと、まったく気づきませんでした。

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「川沿いの階段をのぼってください」と、左手の階段を上がるように書いてあります。階段を少し上がってみると、「有福cafe」のマークも見えました。

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しかし、ここが「有福cafe」ではなかったのです。雑貨屋のような店の中をのぞき込むと、どうやら違うみたいだとわかります。

その店の入口の下の方に、瓦を使った標識がありました。

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かわいいけど、わかりづらいですよね。よーく見ないとわかりません。

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示されている左手を見ると、また階段があります。でもその先に「有福cafe」は見えません。(あとでわかりましたが、この写真の突き当りが露天風呂施設です。)とりあえず進んでみると、階段は右に曲がっていて、その上に「cafe」と書かれた入口がありました。

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ここが目的の「有福cafe」なのでしょうか?おそらくそうだと思いながらも、なんだか開けて入りづらい雰囲気があります。

これもあとで気づいたのですが、入口の下にインフォメーションがありました。

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これを見れば、安心して入れたでしょうね。それにしてもわかりにくい。まあ、隠れ家的な雰囲気を出そうとしているなら、一見さんが行きづらいこの方法も間違ってはいないと思いますけどね。


店内は、レトロ&ナチュラルな雰囲気で、とても心地よい空間になっています。

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木を使ったテーブルも、いい味を出しています。また、薪ストーブ(?)もいいですね。


さっそく露天風呂を申し込むと、店員の方が写真付きのメニューで露天風呂の部屋を説明してくれます。その中から1つを選んで代金を支払います。

私たちは、ともかく露天風呂だけが目的だったので、一番安い部屋を選びました。1時間で1,540円でした。

喫茶店の席で待つように言われ、店内の雰囲気を楽しみながら約20分くらい待ちました

これもあとでわかったのですが、その間にお風呂の湯を張っていたのですね。どおりで時間がかかるわけです。最初からわかっていれば、ドリンクを注文して飲みながら待ったのですけどね。

準備ができたということで案内されたのは、先ほどの階段を右に曲がらずに突き当たったところにある建物です。

カフェに入る時に履き替えたスリッパのまま、そこまで案内されました。スリッパは上履きという観念があるため、それで外に出るというのは、どうも違和感を感じます。私は古い人間なのでしょうね。

スリッパのまま、露天風呂の部屋がずらっと並んだ中の1つの部屋に入りました。つまりカフェに入ってからは、ずっとそのスリッパです。

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60分にセットされたタイマーを渡され、終わったらこれをカフェに持ってくるようにとのこと。

石鹸やタオルなどは別料金です。私は、タオルを持参しました。

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少しぬるめのお湯だったので、47度の源泉を出しながら温泉につかりました。すだれがあるので、露天風呂の外の景色はほとんど見えません。(もちろん、外から中も見えませんが。)

これを露天風呂と呼ぶかどうかは、ちょっと微妙という気もしますが、まあよしとしましょう。だって貸切風呂の温泉が、安い値段で楽しめるのですから。

終わったら、風呂の栓を抜いて出るようにとのことでした。こうやっておけば、次の人が来たとき、湯の張り替えが早くできますからね。


気軽に温泉を楽しみながら、カフェで食事や飲み物を味わえる。そんな施設です。

有福温泉では、定期的に神楽の上演(毎週土曜日の夜)もあるようです。温泉宿に泊まるのもいいですが、観光がてら立ち寄って、温泉に入って行くというのもいいですよ。

私は悪くはないと思うので、こうやって紹介しました。もしよろしければ、ぜひ行ってみてくださいね。


<追記:2015年8月5日>
有福cafeさんのFacebookページに、駐車場の地図が載っていました。WEBページには、まだ載せてないみたいですね。

有福Cafeの駐車場のご案内になります♪下記をご参照くださいませ(*^_^*)http://www.arifukucafe.com/blog/2990※公衆浴場専用駐車場は公衆浴場をご利用のお客様専用となっております(>_<)

Posted by 有福カフェ 〜有福cafe〜 on 2015年7月30日

 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 14:48 | Comment(0) | ブログ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月22日

いつも心に太陽を

いつも心に太陽を

「たまちゃん先生」こと小玉宏(こだま・ひろし)さんの講演録の小冊子を読みました。

一緒に講演のCDもついてきたので、CDを聞きながら小冊子をめくって読みました。こうすると、耳と目から情報が入ってくるので、わかりやすいですね。

この小冊子は一般書店で売られていませんので、たまちゃんファミリー島根支部の健ちゃんこと大島健作さんが経営している大島建材店のWEBサイトからお申込みください。

大島建材店・「たまちゃん小冊子のご案内」ページ


私がたまちゃん先生のことを知ったのは、「みやざき中央新聞」(通称「みやちゅう」)の社説を読んだからです。

この小冊子の始めにも「小冊子発刊によせて」と題して、「みやちゅう」の魂の編集長、水谷もりひとさんが社説とほぼ同じ内容のことを書かれています。


この小冊子を作られた大島さんが島根県の方であるため、同郷人として親しみを感じていました。

それで、小冊子が1冊300円だったのですが、せっかくだからと10冊まとめて注文しました。使い道などまったく考えずに、誰かにあげればいいだろうくらいの気持ちで。

先日、帰省したときにこの小冊子を受け取り、すぐに地元の中学校へ持って行って、8冊ほど寄贈をしました。(残りの1冊は母へ差し上げました。)

中学校に寄贈すればいいかなあというアイデアは、一時帰国の直前に思いついたものです。

しかし、持って行っても断られたらどうしようとか、否定的な思いも心に浮かびました。それでも直感にしたがい、「持って行くのをやめる」理由を考えないようにして、思い切って持って行ったのです。

すると、まったく問題なく受け入れてもらえました。そればかりか、翌日には教頭先生からお礼の電話までいただきました。

思い切って寄贈して良かった。喜んで受け取ってもらったことが、とても嬉しかったです。


さて、そんなエピソードがあった小冊子ですが、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

たまちゃん先生は、土日だけ働いて月から金まで遊んでいると言います。それでどうして生活していけるのか?

小冊子のサブタイトルにもある「幸せに生きるためのたった一つの法則」を、次のように説明しています。

簡単です。だれでも出来ます。この、幸せに生きるためのたった一つの法則、
『だれかに、笑顔のプレゼントをする』ことです。
もう一回、言いますよ。
『だれかに、笑顔のプレゼントをする』だけです。
」(p.35)

たまちゃん先生は、習ったばかりの素人の筆文字を葉書にして、まだ会ったことがない人にプレゼントしたそうです。最初は、月に3千円までと決めて。

すると、100人に送ると10人くらいからお礼を言われ、中に1人くらい「スペシャル喜ぶ」人がいたのだそうです。

そこで、送るのを月に5千円までと上限を上げたところ、佐藤錦という高級なさくらんぼが1箱送られてきたそうです。

このようにして上限をどんどん上げ、ついには給料のほとんどをつぎ込むことになったとか。

このプレゼントは2年くらいやったそうですが、約800万円くらい使ったそうです。けれどもそれによって、約32億円が返ってきたと言います。

だから幸せになりたかったら、誰かを笑顔にすることなのだと言うのです。


その笑顔にするための方法ですが、お金をかけなくても簡単にできるそうです。

それが「ポストイット作戦」(p.42)です。

ポストイットに、家族に対する感謝の気持ちを書いて、目につくところに貼っておく。それだけです。

直接だと言いづらいことも、書くのは簡単だから。もし理由とか書きにくけkれば、「ありがとう ○○(名前)」と書くだけでも良いそうです。

それだけで、家族が笑顔になれるのです。


また、小林正観さんなどが推奨している「ありがとう」と言うことも勧めています。

でね、最初はね、
「ありがとうございます」って、ただ言えばいいって言ったんです、その人。
「ただ言えばいいんやったら、言ってみようか」って思ってね。
「ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、ありがとうございます、・・・」って、
ずーっと呪文のように唱えよったんですよ。ほしたら、二万回くらいで来ましたわ、私の場合は。
二万回くらいでね、正体不明の涙がね、止まらなくなったんですよね。もう、号泣したんです、二万回くらいで。何かね、良く分からない涙が出た。ほいで、なんかすっきりしたんですよ。
」(p.50)

この他にも「『ありがとう』ゲーム」と言って、みんなで「ありがとう」と言い合うことをゲームとして楽しむことも勧めています。

ほしたらね、多分、二週間もかからないと思いますよ。人生が、素敵に見えてきますわ。」(p.52)

「ありがとう」を言い続けていれば、敵がいなくなって無敵になると言います。だから、いじめられることもなくなると。

私も「ありがとう」の重要性は認識しているつもりでしたが、もっともっと機会を見つけて言おうと思いました。


後半はQ&Aになっていて、生徒からの質問にたまちゃん先生が答えます。

「人に腹が立った時、どうしたらいいですか。」という質問に対しては、こう答えています。

世の中でどんなことが起きようとも、自分がどうやって生きていくのかっていうのは、自分が決めることです。分かります?例えば、自分が笑顔で生きていこうと決心したのならば、世の中でどんなことが起こったとしても、自分は笑顔で生きていくことが出来るんです。分かります?人に腹が立ったから、だから怒りの感情を爆発させるっていうのは、自分で選んでいるんですよね。怒りの感情を爆発させるっていう人生を選んでいる。でも、怒りの感情を爆発させていいことは一つも無いっちゅうのは、皆さんも経験済みでしょう。人に腹が立った時、それでも私は笑顔でいるって決めてかかることです。人と、自分の笑顔には、何の関係もありませんから。ね。はっきり言いますけど、笑顔の人は、必ず人生幸せになります。」(p.57)

自分の在り方は自分が決める。幸せは経験ではなく意思だ。そう「神との対話」でも言ってますよね。


「えー、進路が決まりません。」という質問には、生き方の本質を答えます。

それがね、いつも心に太陽をっていう生き方なんですよ。
 「お天道様の様に生きていきなさい」って言葉、聞いたこと、ありませんか。
 お天道さまって、太陽のことですよね。お天道様の様に生きていきなさいっていうことは、
どういうことか。
「惜しみなく与えなさいよ」っていう生き方なんです。
惜しみなく与えなさいよ、そうすると必ず幸せになれますよっていうふうに、日本の神様が教えてくれているわけです。何を与えるかまで、決まってますよ。『熱』と『光』です。
 いつも周りの人に温かい心を届けてあげなさいよ、いつも周りの人にスポットライトを当ててあげなさいよ、照らしてあげなさいよ、あたたかく包んであげなさいよ、それがあなたの生き方なんですよ、っていうことを、日本の神様は教えています。そういう生き方を、天の道っちゅうんですよ。
だからね、お日様のことをお天道様っていうんです。
 天の道ちゅうのはね、私たち、日本人の生き方ですよ。
」(p.77 - 78)

これが講演のタイトル、小冊子のタイトルになっています。たまちゃん先生の生き方は、まさに太陽のように無条件に与え続ける生き方なのです。


最後に、ジュエリーデザイナーになりたいので、部活を辞めて勉強に専念して成績を上げたいが、どうしたらよいかという質問に答えます。

部活で疲れたとかいうのは、単なる言い訳です。関係ない。
人ってね、本当に「これ、やりたい」って思ったらね、無理やり時間見つけ出してやりますから。

(中略)
 だからね、もし、自分がやりたい仕事があったとしたら、今すぐ、やってください。今すぐ。出来ることからでいいです。今すぐ、やりゃあええんですよ。」(p.80)

できない理由を探すのではなく、今の状況でできることをやる。それが道を切り開く方法なのですね。


小冊子の最後の方には、他の講演会でのまとめも載っていました。「人はだれでも世界最高の応援団を3人持っている」という話があって、この内容も素晴らしかったです。

過去の失敗などを書き出し、それが自分の人生の何に役立っているかを考えたところ、すべて何かしら役だっていることがわかったそうです。

つまり、ものごとに対する見方を変えてみたのですね。「役立っているとしたらどんなこと?」と自問することで、見方が変わったのです。

それによって、自分の過去に「ありがとう」と言えたそうです。

そういった経験から、だれもが持っている世界最高の3人の応援団の話をします。その3人とは、「過去の自分、未来の自分、そして今ここにいる自分」なのだと。

この応援団を味方につけた状態を「大丈夫」と言うそうです。

「大丈夫」という言葉の中には、人が3人隠れているんですよね。」(p.97)

ですから「大丈夫」というのは、3人の味方が付いているという宣言なのだと言います。

『大丈夫』って言うのに、理由なんかなんも必要も無いわけです。過去の自分と未来の自分に囲まれて、包まれて、応援されて、今ここにいる自分は、自分の心っていう身の丈を一生懸命伸ばしているっていう宣言なんですよ、『大丈夫』っていうのは。自分で、自分は大丈夫って思うのに、なんの理由が要りますかね。何の理由も要らなかったんですよ。自分で、自分のことを信じるのに、理由なんか一切要らなかったんですよ。ただ、過去の自分を許すことだったんですよ。」(p.97)

過去の自分を許し、「ありがとう」と言えた時、「大丈夫」だとわかるのでしょうね。

何の根拠もなく自分を信じられるようになる。つまり、根拠のない自信が持てるのです。

絶対的な安心感は、そういうことから生まれるのかもしれませんね。


自ら「変態」だと呼ぶおかしなたまちゃん先生ですが、話されている内容は、とても素晴らしいことだと思いました。

たまちゃん先生の話を多くの人に伝えるために、こうして小冊子を作ってくださった大島さんにも感謝したいと思います。
 
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2015年03月23日

人はなぜ食べるのか?



友人が電子出版するということで、その出版記念パーティーに参加したところ、来賓としてスピーチされたのが著者の中野さんでした。

帝王学の話をされるということでしたが、どうも違います。そのとき、出版されたばかりの本として紹介されたのが、この本だったのです。

生活環境ジャーナリストの中野博(なかの・ひろし)さんと、食のプロファイラーの渡邉郁(わたなべ・かおる)さんの共著になります。

本の表紙を見せていただいた時、すぐに「おもしろそう」と思いました。それは帯に「龍馬はなぜ、江戸と長崎を徒歩で何度も往復できたのか?」とあったからです。

食べることに関しては、私は少食を実践しています。龍馬はどうだったのか気になったので、すぐにネットで注文しました。


さて、前置きが長くても退屈でしょうから、さっそく本から引用しながら内容の紹介をしたいと思います。

「今より『良く』なりたい!」という変身願望があるなら、この本はオススメです。<食>とは、漢字にある通り「人」をより「良く」することです。この世でかけがえのない命をもらった<あ・な・た>という「人」をもっと「良く」するのが<食>なのです。」(巻頭言)

こう言って、「一冊の本が運命を変えるという経験を、ぜひあなたにも、味わっていただきたい。」と本書を勧めます。なかなか自信たっぷりの表現ですね。


順天堂大学医学部の教授で、免疫学の世界で有名な奥村康さんは『健康常識はウソだらけ』(WAC)という書籍で、健康の秘訣について次のように断言されています。
@病院へは行くな!
A薬を飲むな!
B健康診断は受けるな!
C激しい運動はするな!
Dよく笑え!
」(p.39)

本書ではこのように、いくつかの本からの引用があります。特にこの引用部分は、私も共感する部分なので取り上げました。医学の権威である医学部教授がこう言うのですから、一理あると思いませんか?


何気ない人生の一つ一つの場面が、人々の無限の<愛のリレー>というネットワークで成り立っているのです。これを私たちは<食卓縁起>であると、信和義塾大學校の帝王學講座で徳山先生に学びました。今こそ、なぜ<食べる>のかを考えるためにも、この<食卓縁起>を胸に刻んでいただきたいと思います。」(p.54)

これは、一匹の秋刀魚が食卓にあったとした時、そのためにどれだけの人の手がかかっていると思うか? という質問から始まった話の結論です。

おそらく10万人以上の人々の誠意と努力があって、やっと食べられるのだと言います。

日本では当たり前のように食前に「いただきます」と言い、食後に「ごちそうさまでした」と言って手を合わせます。

しかし、こういう言葉がある国は、他にはないのだそうですね。たしかにタイにもありません。

私はこの部分を読んで、しばらくそういうことをやっていなかったことに気づきました。そして、これからはやろうと思ったのです。


人間の身体には約60兆個の細胞があり、毎日新陳代謝を繰り返しています。あなたの身体や頭脳をつくってきた古い細胞は死に、今度はあなたの「食べた物」が新しい細胞をつくり上げるのです。」(p.93)

脳細胞や内蔵、皮膚などは30日、筋肉は60日、骨は90日で生まれ変わると言います。私たちが取り入れているのは、酸素、水、食べた物だけですから、これらによって自分の身体を作っているのです。

そういうことから、「何をどう食べるのか?」が重要だと言います。


食べるだけの一方通行では、毒素が溜まってしまうため、健康体はあり得ません。食べたらその分身体を使い、きちんと排泄することをモットーに、毒素を溜め込まない習慣を身に付けていくことが大切なのです。」(p.105)

瞑想などでは呼吸もまず、吐いてから吸うことを習います。食も同じで、まず出す(排便など)ことが重要なのですね。

そのためには、少食にすること(腹八分目)午前中は白湯(さゆ)や果物くらいにして内蔵を休ませる、などの方法を勧めています。

私も基本は朝食抜きです。朝食を抜くだけでも少食になるので、効果的だと思います。


このように、<身土不二&医食同源>が多くの研究者らの努力により、世界的に広がっていったのです。これが、今の時代では「マクロビオティック」とか「地産地消」など、さまざまな言葉による違いはあるものの、<食べる>行為を正しく捉え直そうという動きが再び起きているのです。」(p.112)

この「身土不二」というのは、明治以降、急速に西欧化が進む日本の現状を憂いた陸軍薬剤監・石塚左玄氏が起こした運動のスローガンだそうです。

生息する地域によって、同種の動植物であっても見た目が違っています。これは、その地域に適応したものです。ですから、その地域で生息する動植物を食べるのが、もっとも身体に合っているというわけですね。


毎日、箸を使うという習慣が、日本人の頭能力と指先の器用さを形成する上で、大きく役に立ってきたのは間違いありません。なぜならば、5本の指先には無数の神経細胞が集中していて、脳と直結しているので、指先を使えば使うほど脳が刺激され、頭の回転がよくなるのです。」(p.128)

日本人は指先が器用だとよく言われます。その原因が箸を使うことにあるというのは、なんとなくそうかもしれないと感じます。


あの坂本龍馬が江戸〜長崎間4万キロ以上を歩けたのも、頑丈な身体と気力が充実していたからです。頑丈な身体と気力が生まれるのは、自然界の贈り物としての食品があるからなのです。」(p.167)

実際に龍馬が何を食べたかはわかりませんが、少なくとも現代のような化学物質まみれでなかったことは確かです。また、世界が注目する和食を食べていたはずです。

たしかに現代の食糧事情は深刻で、外食だけでなくスーパーで買う食材でさえ、化学物質に汚染されています。農薬はもちろんですが、化学肥料もバカになりませんから。

さらに成型肉などのまがい物も横行しています。それらを作るために、どれほど化学物質が投与されていることか。

本書では遺伝子組み換えの問題は指摘されていません。私も、これについてはまだ何とも言えないという考えです。

それよりも、はっきりとわかっている食品添加物などの化学物質、残留農薬の問題の方が深刻だと思っています。


本書は、そういう食品業界の問題を指摘するためのものではありません。「食べる」ということが、どれほど私たちの「良く生きる」につながっているかを啓蒙し、意識して考えてみることを促すものです。

そのために、様々な切り口からアプローチしているので、ある意味で散漫と感じられるかもしれません。

しかし、「良く生きる」ということをテーマに、その中心である「食」を取り上げた本はあまりないので、とても新鮮な気がします。

本書を読んで、「良く生きる」ということを考えてみるのも良いことだと思います。

人はなぜ食べるのか?

posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:21 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月25日

万人幸福の栞

万人幸福の栞

「万人幸福の栞(しおり)」という、ちょっと変わった本(小冊子)を読みました。

著者は丸山敏雄(まるやま・としお)氏一般社団法人「倫理研究所」の創設者で、倫理運動を推進されたのだそうです。

この倫理運動を実践している人たちが所属するのが、倫理運動の趣旨に賛同する個人会員による組織の「家庭倫理の会」と、同様に法人会員の組織の「倫理法人会」となっています。(Wikipedia「倫理研究所」より)

丸山氏は元々、「ひとのみち教団」(現在のPL教団)に幹部として所属していたそうです。

それが「特定の神をたてることが排他・独善性につながる」として、「宗教や教団のあり方に対して距離を置くようになっていった」のだとか。

この本は、一般の書店では買えません。倫理研究所のWEBサイトから注文すれば、郵送で届けてくれます。支払いは商品到着後の郵便振替のみとなっています。


さて、ではいつものように、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

苦しみを喜んで迎え、病気になれば「おめでとう」という時代が来た。それは、苦難は幸福の門であり、万人が必ず幸福になれる絶対倫理が現れたからである。
 それは、宗教でも、主義でも、学説でもない。実行によって直ちに正しさが証明できる生活の法則(すじみち)である。
」(序)

このような力強い宣言で始まります。この言葉をFacebookの投稿で見て、私は興味を抱いたのです。

つまりこの世の法則として、苦難は幸福の門だと言うのですね。実行すれば100%間違いなく証明できるものだと。

この小冊子は、その法則(すじみち)とか倫理(みち)と丸山氏が呼ぶものを、明らかにするものなのです。


この新しい絶対倫理(くらしみち)は、何時(いつ)、何処(どこ)で、誰が行っても、常に正しい、皆幸福になれる「万人幸福の道」であります。これをつづめてみると、
  明 朗  ほがらか
  愛 和  なかよく
  喜 働  よろこんではたらく
 ことの三つであり、今一歩おし進めてみますと、
  純 情  すなお
 の一つになります。ふんわりとやわらかで、何のこだわりも不足もなく、澄みきった張りきった心、これを持ちつづけることであります。
」(p.8 - 9)

ポジティブで、笑顔を絶やさず、他人に対してオープンで、労を惜しまずに働くこと。それを素直な心としています。

この実践を行うことで、苦難が現れたとしても、それは幸福の入口だと言うのです。


苦難(くるしみ)は人を苦しめるためでも、殺すためでもない。正しく生かし、ほんとうの幸福の道にたちかえらせるためのむちであり、照明(あかし)であるのです。恐るべき何物もなく、いやがらねばならぬ何物もありません。今や病気を歓迎し、苦しみを謳歌(たたえ)る時代がきました。何とすばらしいことではありませんか。」(p.14 - 15)

つまり苦難や病気などは、何かが間違っているというサインだと言うのです。教えてくれているわけですから、それは喜ぶべきことだと言います。

では具体的に何をどう実践すればよいのか? それをこの小冊子では「万人幸福の栞(しおり)十七箇条」として提示しています。

以下にその内容から引用しますが、17箇条をすべて引用すると膨大になるので、その中から主だったものを紹介しますね。


【三】運命は自らまねき、境遇は自ら造る
 運命自招(うんめいじしょう)
」(p.33)

運命を切り開くは己(おのれ)である。境遇をつくるも亦(また)自分である。己が一切である。努力がすべてである。
 やれば出来る。
」(p.37)

これは厳しい言葉のようにも感じますが、おそらく運命によって翻弄される必要性がないことを言っているのでしょう。

自分の人生は自分が創っている。だから自分次第でどうにでもなる。そう言っているのだと思います。


【四】人は鏡、万象はわが師
 万象我師
」(p.39)

実は人はわが鏡である。自分の心を映す映像にすぎぬ。
(中略)
 親子、夫婦、交友、隣人、すべてがわが鏡であって、わが心のままに変わって行く。
 今日(こんにち)までは、相手の人を直そうとした。鏡に向かって、顔の墨(すみ)をけすに、ガラスをふこうとしていたので、一(いつ)こうにおちぬ。自分の顔をぬぐえばよい。人を改めさせよう、変えようとする前に、まず自ら改め、自分が変わればよい。
」(p.40 - 41)

バシャールなども同じことを言っていますね。現実はすべて自分の心の映し鏡なのです。もしそうなら、鏡に手を突っ込んで変えようとするような、バカなことはしませんよね。自分が変わればよいのですから。

特に夫婦や子ども、親という近い関係は、自分の心を明確に反映してくれると言います。子どもが病気になったら、それも親の責任だとしてこう言います。

子供自身に、あらわれた病気でさえも、例外なく、親の生活の不自然さが反映したまでである。」(p.52)

これはかなり厳しい言葉だと感じるかもしれません。しかし逆に考えれば、親が自分を変えることで、子どもの病気であっても治せる、ということになります。これは素晴らしいことですよね。


【七】肉体は精神の象徴、病気は生活の赤信号
 疾病信号
」(p.53)

それで、病気の根本(もと)である心の暗影(かげ)(生活の無理なところ)を切り取ってしまって、朗らかなゆたかなうるおいのある心になれば、肉体(からだ)は、自然に、すぐに、直ってしまうものである。それで、病気は実は、困ったもの、人生は苦しみなどではなくて、有難い自然の注意、天の与えた赤信号であるから、喜んでうけて、間違いを直すべきである。」(p.57 - 58)

つまり病気は、生活において「無理」をしていることがあるというサインだということです。その無理を取り去って、明るく朗らかな心を取り戻すこと。怒りや心配などをやめることです。

これも、「神との対話」などで指摘されている通りです。そもそも思考が原因で現実が生まれるという「引寄せの法則」が働くなら、病気という現実を創りだしたのは、間違いなく自分の思考なのです。


【八】明朗は健康の父、愛和は幸福の母
 明朗愛和
」(p.59)

真の正しい事とは、まず己(おのれ)が救われ、それと一(いつ)しょに人が救われることでなくてはならぬ。明朗こそ、まず己が救われるともしびであり、己のかかげたこの燈火(ともしび)で、人もまた救われる。そして世の中が光明(こうめい)にかがやいて来る。
 朗らかな人の心は、世のくもりを照らす光である。明朗は、万善(ばんぜん)のもとであり、健康の朝光(あさかげ)である。
」(p.61)

まず自分が本来の生き方をしてみせること。それによって、他人を導く方法が簡単だと、「神との対話」でも言っています。

また安岡正篤氏は、「一燈照隅 万燈照国」と言っています。自ら灯を掲げて足下を照らす。自分が暗闇の中の光となるのですね。そうすれば、それを多くの人が行うことによって、国中を照らすことができるのだと。


【十一】物はこれを生かす人に集まる
 万物生々
」(p.77)

物を象徴し、すべての財を具象したのが金銭である。金銭は物質(もの)の中で、最も敏感な生物(いきもの)である。金銭はこれを大切にする人に集まる。」(p.79)

物は、人と同じように生きている。人が徳の高い人のもとに集まるように、物もまた少しでもよく働かしてくれる人のところに集まる。物をほんとうに働かすとは、使う時思いきってこれを使う事である。」(p.80)

まず、物質も生きているという指摘ですが、これも「神との対話」などで言われていますね。すべては1つの生命なのです。

そして、その物を生かすということですが、使うべき時に思いきって使うことなのですね。いざというときに惜しむのは、物を大事にすることではないのだと。

たとえば野球のバットでも、普段は手入れをして大事に扱っても、いざ打席に入ってボールを打つときは、砕けよとばかりに思い切り振り回します。それが、バットを生かすことになるのです。

「神との対話」でも、物乞いにお金をあげるとき、思い切ってあげてしまえと言っています。それがお金を生かすことであり、自分らしく生きるという体験をすることになるのです。


【十二】得(う)るは捨つるにあり
 捨我得全(しゃがとくぜん)
」(p.85)

事業の上でも経済の上でも、その他(た)奇禍(きか)にあった場合でも、恐れ、憂え、怒り、急ぎ等々(とうとう)の私情雑念をさっぱりと捨てて、運を天に任せる明朗闊達(めいろうかったつ)な心境に達した時、必ず危難をのがれることが出来る。見事に窮地を脱することは、古人(こじん)の体験であり、「窮すれば通ず」とは、このことをいうのである。」(p.88)

災いや苦難に出合った時、そこで意気消沈したり、慌てふためいたり、他者のせいにして怒りをぶつけたりするから、上手くいかないのですね。

このことは、思考が現実を創るという法則があるなら、あまりに当然なことです。だから安心して、運を天に任せることが重要なのです。

私はよく、「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という格言を持ち出します。結果に執着するのをやめ、すべてを受け入れる覚悟を決めたなら、あとは嬉々として自分らしく生きることなのです。


【十五】信ずれば成り、憂えれば崩れる
 信成万事(しんせいばんじ)
」(p.103)

悪人を善人にする唯一つの道は、信ずるにある。悪人だから信じられぬというのが常識であるが、悪人だから信ずる。信ずるから悪をしないのである。信は、動いて愛となる。そして、すべてをうるおし、すべてを充たす。信には欠けるkところがない。信は成し、信はみたす。
 憂えるのは疑うからである。あぶないから憂えるのではない。憂えるから失敗する。憂えるからあぶない。

(中略)
うれえるの反対は、喜ぶことである。希望にもえること、信ずることである。」(p.106 - 107)

信じないのは不安があるからですよね。「神との対話」では、すべてに愛か不安の動機があると言っています。つまり信じるとは愛であり、憂えるとは不安なのです。

そのどちらを選択するかによって、その動機(支える思考)が原因となって現実を創造します。したがって好ましい現実を創造したいのなら、不安ではなく愛に基づいて考え、言葉にし、行動すべきなのです。


「【十七】人生は神の演劇、その主役は己(おのれ)自身である
 人生神劇(じんせいしんげき)
」(p.113)

万象は神の発顕(はつけん)、世界は神の顕現、人は神の性をうけて現われ、恰(あたか)も天界での星の如(ごと)く、小宇宙をなし、小中心をなして、その各々の境に於(おい)て主位に居る。」(p.114)

人生は演劇である。劇作家、監督、演出、それは、ただ一人でかねていて、絶好無比、至らぬくまもなく、及ばぬ時処(じしょ)もない。こうもこまかにゆきとどいたものかとおそれいる。その上批評もし、報酬も与え、賞罰もあるが、公平無私、かつて一度の手落ちもなく、しすぎもない。
(中略)
 その大演劇の主役は、己自身である。」(p.116)

人生はゲームであるとか、ドラマであるなどと「神との対話」などでも言われています。

すべてを自分で創り出し、自分で楽しんでいるのですね。


ここまでが「万人幸福の栞(しおり)十七箇条」からの引用と紹介になります。

このあと、「第三 真人生の成就」と題した部分がありますので、ここからも一部を引用して紹介しましょう。

生まれることが喜びであったら、死ぬることが又(また)同じくよろこびでなければならぬ。朝起きることが喜びである如く、夜ねるのは嬉しい。金銭の入るときが元気がよかったら、金銭が出て行く時も愉快で上きげんでなくてはならぬ。貯金がうれしくて、借金がうれしくない道理がない。」(p.150)

「神との対話」でも、魂にとっては死は喜びだと言っています。誰かが死んだ時、悲しむのではなく、喜んであげるべきことなのだと。

これはおそらく、多くの人にとって受け入れ難いことでしょう。しかし、理屈から考えれば、これは間違ったことではないのです。

死を以(も)って生の終わりとするから、これに人生一切の成果がかかってくるように見える。死は、実は生の終焉(しゅうえん)ではない。これにはまず、生の本質を見ねばならぬ。生きているということは、形をとるということであり、成長すること、変化することであり、現象していることである。そして、こうした顕(あら)われの反面には、必ず、かくれた幽(ゆう)なる他の反面がある。無形であり、常住であり、不変なる一面があって、はじめて、その反面の生がある。顕(けん)は対立の世界、幽は絶対の境、すなわち幽が本体で、顕が陰影であるにすぎぬ。」(p.144)

これも「神との対話」などで言っている通りですね。生命は永遠なのですから、私たちが思っているような「死」は存在しません。絶対の世界と相対の世界を行き来するだけなのです。

けっきょくこのことを受け入れない限りは、不安から解放されることはないでしょう。絶対安心の境地に至ることはできません。

そして、不安が残っている以上、その対極の愛にはなれないし、自分らしく生きることも不可能なのです。


戦後すぐの時期に、こういうことを言う人がおられたことに驚きました。

中村天風氏も、戦後に辻説法を始めていますが、戦後というのは、何か特別な時期だったのでしょうか。

多くの人が真実に気づき、それぞれの言葉で伝えてきたのだなあと、改めて思いました。


なお、倫理研究所や倫理法人会などの活動に対しては、批判的な見方をする人が多くおられることも、ネットで調べてみてわかりました。

私はそういう活動に参加してはいませんし、この本を紹介することで、その活動に参加することを勧めるわけでもありません。

ただ、読んだ本の内容が推奨するに値すると判断したので、ここで紹介しています。

活動そのものについての判断は、それぞれの方にお任せします
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 17:40 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月26日

少女はセックスをどこで学ぶのか



宋美玄(ソン・ミヒョン)さんの本を読みました。

「女医が教える 本当に気持ちのいいセックス」シリーズが有名です。私はこちらの本も1冊、Kindle版で読んでいます。

宋さんは、興味本位ではなく、まじめにセックスの問題に取り組んでおられるお医者さんです。

今回読んだ本も、本の帯にも書かれているように、「すべての大人必読!」だと思いましたので、ここで紹介したいと思います。


ではさっそく、一部を引用しながら内容を紹介しましょう。

セックスを経験する前に、身体のしくみや性、妊娠・出産、感染症について、しっかりとした知識を与えるべきです。
(中略)
 だからこそ、学校での「実用的な性教育」の実施と同様に、保護者である方々にはぜひ、彼女たちの性に対して、現代を生きる子どもの目線に立って向き合っていただきたいのです。」(p.5)

性行為とは、膣性交、肛門性交、口腔性交……これらすべてを指す言葉であるにもかかわらず、何をどうすることが性行為となり、感染症のリスクを伴う行為なのかは、教科書からはまったくわからないのです。これはまさに、具体的な内容に踏み込むことが国によって制限されていることの表れといえます。」(p.28)

日本の性教育の問題は、性を「恥ずかしいもの」と捉える価値観をそのままにしているため、基本的には教えない、つまり「寝た子を起こさない」という方針です。

このことの問題は、正しい性に関する知識を教わらないままに性行為をすることによる、危険性が増大することにあります。


日本の2013年の出生件数は、約103万1000人でした。一方、2012年の人工中絶件数は19万6639件。出生件数に対して、約5分の1は、この世に生まれてくることができなかったことになります。」(p.34 - 35)

こんなにも中絶が多いのかと、私は驚いてしまいました。もっとも、中には他に方法がないものもあるでしょうけど、その多くは、正しい知識があればしなくて済んだ中絶だと思います。


また、2007年から08年に行われた、中絶経験者に対する調査(第1章21ページ参照)では、26.2%がコンドームを使用していても中絶に至った妊娠をしています。コンドームを使うだけで妊娠を防ぐことができる……と考えるのは非常に大きな誤りです。コンドームは、あくまでも性感染症予防の一つの手段として身につけるアイテムであり、避妊のために使用するとすれば、ピル(経口避妊薬)との併用が最も望ましい方法です。」(p.190 - 199)

この事実を、どれだけの人がしっかりと認識しているでしょうか? いわんや少年少女においてをや、です。

そもそも、コンドームの正しい使い方を、ご存知でしょうか? 学校で習ったでしょうか?

学校では、性病予防のためにコンドームが有効であることは説明しても、具体的な使い方までは説明しません。それでいったいどうやって、その使い方を知るのでしょう。

泌尿器科専門の医師、岩室紳也先生はコンドームの普及と啓蒙のため、さまざまな活動を行われ、「コンドームの達人」と呼ばれています。インターネット上で正しいコンドームの着け方を丁寧に解説されていますが、こういった正しい性情報にこそ、ぜひアクセスしてほしいものです。」(p.202 - 203)

岩室先生のWEBページ「コンドームの達人講座」では、装着方法の図解や動画も載せてあります。


先ほどの低用量ピルの話ですが、日本では1999年に医薬品として認可されたそうです。しかし、国連加盟189ヵ国の中で最後に承認されたのです。いかに、日本の性に対する価値観が遅れているかがわかります。

ピルの流通には、1990年に申請されてから、実に9年を要しています。一方、ED薬として有名なバイアグラは、申請から約5ヶ月で認可が降りています。

つまり日本政府の価値観は、女性の性が解放されることには、男性よりも極度に慎重だというものです。男女平等のスローガンなど、絵に描いた餅なのでしょうね。

低用量ピルは、避妊の効果はほぼ100%ですが、避妊効果の他に月経困難症、月経過多、月経不順といった生理に関するトラブルにも有効です。」(p.199)

それだけ有効な薬であるにも関わらず、日本では正しい知識が広まっていないために、服用率はわずかに1.0%だそうです。(ドイツ:約52.6%,西ヨーロッパ全体:46.2%,北米:18.6%)


「寝た子は起こすな」−−性的な行為について知識を与えると、かえって子どもの興味をあおることになりかねない、そんな考え方を端的に示したフレーズです。
 現在の日本の性教育では、まさにこのフレーズのとおり、「セックスについては教えてはいけない」というルールが明確に存在しています。
」(p.51 - 52)

文部科学省が定めた中学校の学習指導要領には、性教育の方針としてこう書かれているそうです。

受精・妊娠までを取り扱うものとし、妊娠の経過は取り扱わないものとする。」(p.52)

つまり、「妊娠の経過=セックス」は教えてはいけない、ということなのですね。これでは、どんな行為が妊娠につながるのか、まったくわからないではありませんか?

子どもにとって現実性を持たない性教育に、果たしてどんな意味があるのか。疑問を抱かずにはいられません。」(p.55)

私もまったく同感です。私自身も、学校ではセックスに関して、まったく教えてもらいませんでしたから。


好きな相手に満足してもらいたいから、セックスにおいては主張を控える……という気持ちももちろん理解できるのですが、相手の都合や場の雰囲気を優先したセックスは、自己犠牲のセックスでしかありません。それは本当に心から楽しいと思える行為ではなく、心が先に疲れてしまうか、身体が音を上げてしまうかのどちらかになってしまいます。」(p.68)

少女がセックスを体験する時、男性から誘われて、というケースがほとんどだと言います。したがって、「相手から嫌われたくないから」という思いで、受身的にセックスに関わることが多くなります。

そうした場合、「コンドームをつけて」と要求することすらできなかったりするなど、自分を傷つけてしまいがちです。

これは夫婦間でも言えることですね。結婚したのは性欲を満たすためでもあるのだからと、妻にセックスを強要する夫の話もありました。夫の性欲を満たすためにセックスをするのは、妻の義務であり務めでであると。

まったく何という価値観でしょうか。これでは強姦と同じです。


性教育でいちばん大切なことは、実はこの「誰かに流されるのではなく、自分の身体や気持ちを大切にし、自分の意思を相手に伝えることができる」という考えを持つことです。性に対して、受け身になってしまうのではなく、自分の意志で選択をしていくことです。」(p.68)

私も同感です。そこまで教えなければ、どうして性教育と呼べるでしょうか。性教育とは、良く生きるための教育なのですから。


家庭において、「生まれてきた自分をありのまま認めてくれる保護者」が不在である場合、多くの人間が自己肯定感を築くことが難しくなります。自己肯定感とは、自分の健康や人生を大事にしようと思える心のことです。自分はありのままで生きていいのだという、基本的な自己肯定感が築かれたうえではじめて、将来について希望を抱き、生きようと思えるのです。」(p.76)

これは、家庭が楽しくないとする少女ほど、「性的な行動に対する垣根が低く、結果的に性被害にも遭いやすい」という調査結果に対する考察です。

つまり、家庭が自分を受け入れてくれないことで自己肯定感が低くなり、その思いを埋めるために、男性の誘いに乗ってしまう、ということを示しています。


性行為とは、生殖につながる行為であり、いやらしい・汚らわしい行為でも何でもありません。生殖としての性の面を、性行為という過程だけ飛ばし、受精や妊娠のことのみ教えてしまった結果、子どもたちは大人たちの流す快楽的な性のイメージにあらがえなくなってしまうのです。」(p.108)

このように、少女の性について考えることは、実は親自身の性のイメージをあらためて振り返る作業でもあるのです。」(p.110)

親子で一緒にテレビを見ていたときセックスシーンが出てきたら、親が慌ててチャンネルを変えた。こういう行為が、子どもに対して親の価値観を伝えます。恥ずかしいから話題に出さない態度が、セックスを恥ずべきものとして伝えるのです。

親自身が性を、セックスを、どう考えているかが、子どもの性教育に大きな影響を与えています。それだけ重要な責任があることを、親であるならば自覚すべきではないでしょうか。


親が性について話しづらいと考える一因には、自らの「セックス観」が関係してくるということもあるでしょう。もしも「お母さんはどうだったの?」「お父さんはどう思うの?」と尋ねられたどき、どう答えればいいのか……。
 娘にセックスの話をするきまり悪さは、誰もが感じるものですから、うまく答える自信がなくても、それは恥じることではありません。それよりも、「なぜ自分は性に関する質問を恥ずかしく感じるのか」といったように、あらためてご自身の性に対する感じ方・考え方を見つめ直すきっかけにしてみてください。一度考えてみると、自らのセックスに対する経験と価値観を見つめることにもつながります。
」(p.112)

子どもをどう育てるかは、親自身がどう生きるかということです。自分を変えようとしない限り、子どもを変えることはできません。子は親の鏡なのですから。


恋愛について話し合ったことがあると答えた母親は37%。父親に至っては、わずか12%です。恋愛の話すらしないのに、突然セックスと避妊の話をすることはありえません。それ以前に、ふだんから家庭での会話が少なければ、話をする機会を持つことすら困難です。当たり前のことを言うようですが、日々のコミュニケーションがすべてなのです。」(p.114)

性は生につながるものです。良く生きようとしていなければ、性の話をすることもできないでしょう。家庭として良く生きるとは、親子が垣根のないコミュニケーションをすることだと思います。


おそらく最後に残されるタブーが、性に関することではないでしょうか。

性についてオープンになることは、性について自由になることです。私たちは本来自由であり、自由に戻ろうとしています。

したがって性についても、より自由になっていくべきだと思います。恥ずかしがらずにオープンに性について語る。そういう状態にならなければ、子どもに正しい性知識を与えることもできないでしょう。

本当に、すべての大人に読んでもらいたい本だと思いました。

少女はセックスをどこで学ぶのか
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 19:55 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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