2015年02月19日

人生の目的



本田健さんの本を読みました。これは1月に健さんの講演会に行くので、その前に購入したものです。

「人生の目的って何だろう?」「自分は何のために生きているんだろう?」

そういう疑問を持つことは、誰にでもあると思います。

大リーガーのイチロー選手が、小学校の頃から大リーガーを目指していたことを知ると、羨ましく感じたりします。

「これが自分がやるべきことだと知ってて迷わなければ、どれだけ素晴らしいだろう。」

そう感じる人も多いでしょう。私も、以前はよくそんなふうに思いました。

「人生の目的を探すことが人生の目的だ。」そういう禅問答のような答えもありますが、健さんはいったい、どう答えているのでしょうか?


ではさっそく、気になった部分を引用して紹介しましょう。

人生を心から楽しめる人と、楽しめない人の分かれ目は、どこにあるのでしょうか。
 その一つは、「ごく普通の毎日に、意味を見出だせるかどうか」です。
」(p.20)

特別なことだけが意義があると考えると、人生はつらいものに感じられるかもしれませんね。


自分自身を縛っているとしたら、それはどのような分野でしょうか?
 その制限さえ手放すことができたら、自由で面白い人生が、あなたを待っています。
 そうやって生き始めると、新しい出会いがやってきます。素晴らしい人たちと出会っていくうちに、ぼんやりながら、将来進みたい方向性がわかってくるでしょう。
」(p.22)

つまり、自分が自分を縛って不自由になっているから、活き活きと生きられていない、ということなのですね。

それを解消することによって、自分らしい生き方が見えてくるのだと。


だから、私たちの人生も、「意味がない」ぐらいに思っていると、あんまり悩まなくて済むのかもしれません。
 そうはいっても、意味のないものに、意味を見出したくなるのが人間の性(さが)です。
 あなたが「意味を感じる」ものを探せば、人生に意義を見出だせるかもしれません。
 多くの人は、誰かを愛したり、誰かに愛されたりすることで、自分の人生の意味を見出します。誰かに何かを与えることでも、それを感じることができます。
」(p.38 - 39)

人生の意味を探すことも、なかなか大変なことです。それほど思い悩むなら、人生に意味などない、と投げ捨ててしまう(=開き直る)生き方もありますね。

そう言いつつ健さんは、誰かを愛すること、誰かから愛されること、この2つをヒントとしてあげています。


あなたが何に意味を見出すのかは、自分中心に考えてみてください。
 別に、他人に認めてもらう必要はありません。
 あなた自身が、「これは意味がある」と思えることでいいわけです。
」(p.40)

誰かのための人生ではなく、自分のための人生であるべきなのですね。

そうやって自分自身と向き合わない限り、本当の自分の生き方が見出せないからでしょう。


いままで幸せな人たちにたくさん会ってきましたが、彼らは完璧な人生を送ったから幸せになったのではなく、不完全な状態のなかに幸せを見出したから、幸せになったのだということを知りました。
 逆に言うと、人生を通じて、ストレスや問題がないという時期は、ほぼないと考えて間違いありません。
」(p.62)

この考えは、久保ひろしさん福島正伸さんとも同じです。成功者は順風満帆だったわけではないのです。

さまざまな問題はつねにあって、それは誰もが同じなのです。違いは、その問題にどういう態度(考え方)で立ち向かったのか、それだけなのですね。


悲しいことがあったら、それを受けとめてください。そして、出てくる涙をそのままにしておきましょう。心から悲しんだら、そのうち、自然にポジティブになってくるものです。
 無理に、短期間で前向きになろうとする必要はありません。
」(p.70)

ネガティブな感情も受けとめ、感じ切ることが重要なのですね。湧き上がる感情を抑圧しないことです。


試練を乗り越えることは、そう簡単ではないと感じることが多いでしょう。到底、乗り越えるのは無理だと感じる試練に、あなたも遭遇するかもしれません。
 乗り越え方がわからずに、絶望することもあるでしょう。
 そのときに、思い出してほしいのは、あなたは決して一人ではないということです。
」(p.74)

すべてを一人でやろうとすれば、押し潰されそうになるかもしれません。そういうときは、素直に「助けて」と言って、他人の支援を仰ぐことです。

それで助けてくれるかどうかは、他人の自由です。けれども、必ず助けは来ると、ここでも健さんは言っています。


悲しみは、避けられるなら避けたいものですが、悲しみや苦しみが、豊かな人生観をつくるということもあるのです。」(p.77)

どうしても、悲しみや苦しみを避けられないことはある。そう健さんは言います。

それでも、それらは無駄なものではなく、自分自身に役立つものだと知っておくことも重要なのですね。


つらいとき、苦しいとき、あなたよりも大変な人のことを考えて、その人に愛を送ってみてください。」(p.79)

健さん流の、つらさや苦しさの乗り越え方です。お母様から学んだことだとか。


事業や恋愛で失敗に次ぐ失敗を重ねる人は、意識がついそちらに向いてしまうからです。
 自転車に乗っているときに、壁のほうを見ていると激突してしまうのと似ています。
」(p.81)

自転車より、バイクに乗っている人はよくわかるでしょうね。バイクは見た方向に進むからです。

これは「引寄せの法則」とも関連することです。自分の意識がフォーカスしていること、つまり日常的に考えていることが現実化します。失敗への怖れ(不安)は、失敗に意識をフォーカスすることになるのです。


あなたには、自分自身を喜ばせる責任があります。
 あなたの人生を楽しくさせる責任、と言い換えてもいいかもしれません。
 誰かがそれを引き受けてくれるといいのですが、それをフルタイムでしてくれる人は、残念ながらいないのです。
」(p.93)

たとえ親でも、パートナーでも、自分の機嫌をずっととってくれる人はいません。他人に頼ることは、不可能を可能にしようとすることです。

ですから、自分を幸せにするには、自分がやる他ないのですね。


人生を楽しむ要素には、「あなたがワクワクすることを探す」ということがあります。
 あなたが毎日幸せを感じるためには、心からワクワクすることをやり続けることです。
」(p.96)

健さんもバシャールと対談していますから、「ワクワクする」ことの重要性をよくご存知です。


家族と上手につながれる人は、世界ともつながりやすくなります。
 家族とトラブルを起こしている人は、世界ともトラブルを起こしがちです。
 人間関係の原型は、あなたとあなたの家族のあいだにあります。
」(p.98 - 99)

中国の古典にも、世界を治めるにはまず一国を治めよ、一国を治めるには家族と良い関係を築け、というような話がありますよね。(「修身斉家治国平天下」大学より)

こと「人間関係」ということに関して言えば、もっとも身近な関係が家族と言えるでしょう。家族関係が重要なのです。


人生でイヤなことは、残念ながら、ときどき起きるようになっています。
 思ったことがうまくいかなかったり、不愉快な人に出会ったり、というのは、どんなにそうならないように注意していても、そうなってしまうもの、と言うこともできます。
 そんなときに、「どうして、こんなひどい目にあうんだ」と不平不満モードになると、またもう一つイヤなことを引き寄せてしまいます。
 こういうときこそ、イヤなことをゲームとして楽しみましょう。
」(p.105)

出来事はコントロールできません。コントロールできるのは、出来事に対する自分の考え方です。

健さんが言うゲームは、相手が不快なことをする理由を、勝手に想像してみるというもの。自分が「それなら仕方がない」と思えるような理由を探すというゲームです。


あなたが、そう望めばどの生き方も実現できます。
 けれども、何もしないで、ただ待っているだけでは、いまとは変わらない人生です。
 自分が望んでいる人生があるとしたら、あなたは、何を優先するのか。それをまず、決めていきましょう。
」(p.109)

自分が望む人生で優先するもの。それがお金なのか、家族なのか。それに合わせて、自分が進む方向を決める必要があるそうです。

それを具体的にイメージし、選択することが重要なのだと、健さんは言います。


あなたが変えなければならないことに挑戦してみましょう。
 あなたが変えなければいけない分野は、複数あるはずです。なぜなら、いまの生き方のなかに、たくさんの遠慮があり、自己制限があるからです。
」(p.116 - 117)

つまり、私たちが遠慮したり自己制限している分野が、変えなければならない分野なのですね。


最初の一歩は勇気がいりますが、やってみると、意外にできたりするのです。
 怖いと思うことをやり遂げると、そのぶん、あなたの自信になります。
 ぜひ、あなたにも、その一歩を踏み出してほしいと思います。
」(p.125)

これは私も実感しています。内向的な私としては、挑戦することが実にたくさんありました。今でこそ人前でセミナーなどをやってますが、とてもそんなことができる性格ではありませんでしたから。


「人生の目的」は、自分も、自分のまわりの人たちも幸せにすることだと、前節でお話ししました。
 「自分のまわりを幸せにする人生の目的」というのは、自分自身がまず人生に充実感をもっていて、その自分がふれ合う人たちも幸せにするというものです。
」(p.130)

まず自分が先に幸せになるのです。まず自分を愛するのです。健さんも、そう言われています。


人生の目的は、その人が心からやりたいと思っていることの周辺にあります。
 けれども多くの人が、本当にやりたいことをやったら生活が成り立たないと感じて、無意識に、それを見ないようにしています。

(中略)
 あなたが、本当にしたいことは何ですか。
 自分の心に正直になったら、本来の自分の本質が見えてきます。

(中略)
 人生の目的というと、なにか一生懸命に努力したり苦労したりしなければ、それができないと考えがちですが、そうではなく、むしろ、自分がいちばんラクにできること、自分にとっては簡単なことが人生の目的なると考えてもいいでしょう。」(p.134 - 135)

苦労することは、無理をしているのです。そうではなく、ワクワクすることをやれば、どれだけそれに時間をかけても大変だとは感じません。だから、自分にとって簡単なことだと、健さんは言っているのでしょうね。


人生の目的の本質は、「あなたの愛の表現」です。あなたの愛が外に出てきたものです。
 それは、あなたの家族、友人、あるいは知らない人への愛の表現です。
」(p.137)

実に本質的な表現だと思います。けっきょく私たちは、愛になろうとしているのです。完璧な愛に。


これまで、人生の目的を見つけ、充実した毎日を生きている何百人もの人に会ってきました。彼らに聞いたのは、「人生の目的を見つける前と、後では何が変わったのか?」ということです。
 彼らが口を揃えて言うのは、以前よりも「エネルギッシュになった」「細かいことを気にしなくなった」「幸せになった」ということです。
 いったん人生の目的が見つかると、毎日の気分が違ってきます。何をしていても静かなワクワクが続き、同時に心の平安を感じられるようになります。
」(p.139)

人生の目的がはっきりすると、活き活きとして生きることができます。そして、心が平安になるのですね。


あなたが、何の不満もないのに、急に別の活動に心が惹かれていたとしたら、それはあなたの人生の目的が急浮上してきたと考えてください。
 一つのサインは、物事に対する感じ方が違ってくることです。たとえばそれは、仕事で結果を出すことがすべてだったのに、急にどうでもよくなったり、まわりの人が幸せな状態でいるかどうかがすごく気になったりすることでわかります。
」(p.144)

自分の心の声をしっかりと受け止めることですね。答えは自分が持っている。自分を否定しないことが、重要なのだと思います。


まず、「人生の目的を本気で知りたいと願うこと」が最初のステップでしょう。」(p.145)

人生の目的を得たければ、切実にそれを求めることが重要なのですね。

けれども、それが少し見えてきたとき、急に怖くなることがあると健さんは言います。はっきりすれば、人生が大きく変わる。そう感じられるからだそうです。

しかし、魂の呼び声というのがあります。繰り返しそれが聞こえてくるなら、思い切って人生を変えてしまうのもありです。」(p.146)

健さんも、作家になるという人生の大転換があったそうです。それをしっかりと受け止めるのに、何年もかかったのだとか。

自分の心の声にどれだけ正直になれるかが、ポイントになるでしょうね。
(中略)
 そうなってくると、自分の本当にやりたいことを中心に生きるか、それとも、いままで通りに生きるのかという選択が、目の前にあることがはっきりしてくるでしょう。
(中略)
 次に必要なのが、選んだ道を一生懸命に進むことです。せっかく、この道だと決めたのに、中途半端にやってしまう人がいます。一生この道で行く、ぐらいの覚悟でやらないと、結果も出ないし、やっぱり間違っていたかも、と後戻りしたくなるでしょう。」(p.146 - 147)

自分の直感を信じて、決めたならばとことんやるしかないのですね。久保さんや福島さんも、「あきらめないことを決めておく」とか「一人でもやると決めておく」ことを勧めていました。

逆に、何をやっても道が開けない、壁にぶち当たっているとしたら、ちょっと違う道を行けということかもしれません。そのときは、また直感的に、違う道を進めばいいのです。いずれにしろ、止まらずに、これだという道を歩んでください。」(p.147)

どうしても上手くいかない時は、また心の声を聞き直すことですね。


自分を厳しく律することも、謙虚な姿勢を失わないことも、どちらも大切なことですが、それが行きすぎて、ワクワクして楽しい生き方を失うのはもったいないことです。」(p.151)

自分に厳しいのは、それがワクワクすることならいいのです。そうでないなら、それは自分の価値観ではなく、他人の価値観なのでしょう。


人生の目的で難しいのは、「大義名分」に偏りすぎると、個人的には不幸になる可能性があることです。」(p.153)

まずは、自分を不幸にしないことに気をつけてください。自分では、人生の目的を果たしているつもりなのに、イライラしたり、つらくなったりするのは、どこかに無理があるのかもしれません。」(p.155)

社会のため、世界のためと、大義名分に頼ってしまうのも、実はワクワクすることからかけ離れていることがあります。

本当はワクワクしていないのに、「これはワクワクすることに違いない」と自分を説得しているのです。

だからそれをやったときに周囲の反対などがあると、イライラしてしまうのでしょう。本当にワクワクするなら、やっているだけで十分に楽しくて、イライラしてくることはないはずです。


人生の目的を、自分の価値と置き換えないようにしましょう。
 無価値観から、人生の目的を生きようとすると、ずっと不十分だと感じながら頑張らざるをえなくなります。
」(p.158)

歯車であることを悲観するのではなく、一つの歯車として、どうやって幸せを感じるのかというセンスが、人生の目的を見つけるためには必要だということでしょう。
 「社会に貢献する」ことを人生の目的にすると、「社会に貢献していない」と思った瞬間に無価値観にはまります。
」(p.160)

「ありのままの自分」を受け入れていないと、何か行動することで自分に価値が生まれると思ってしまうのですね。自己受容が大切なのです。


この本で私が伝えたいのは、「人生の目的」を掲げて、それに向かって頑張りましょうということではありません。
 それでは、あまりに肩に力が入りすぎてしまいます。
 もっと肩の力を抜いて、「人生の目的」を考えてほしいのです。
」(p.161)

だから最初の方で言っているように、人生の目的なんてないと考えてみることも、悪いことではないという訳ですね。


相手がどう受け取るかは別にして、それをやることに自分が深い喜びを感じられるようになっていたら、その情熱はちょっとのことでは、減らないでしょう。
 深いところから湧き出るような情熱を見つけてください。
 そのためには、人が喜ぶかどうかではなく、自分が心から楽しいと感じるかどうかを一つの基準にしてみましょう。
」(p.165)

他者貢献を目的にすると、相手が感謝してくれない、喜んでくれないことが不満になったりします。そういうときは、考え方が間違っているのです。

本当にワクワクすることは、相手がどう反応しようと自分の喜びはなくなりません。愛は与えるだけで十分です。何も見返りを必要としません。それと同じですね。


人生の目的を見つけた人は、「人生の目的を見つけたから、より自由になった」と感じています。実際、人生の目的が見つかると、経済的にも、考え方、感じ方、生き方も、すべてが自由になっていきます。」(p.169 - 170)

つまり、自分で自分を制限していたことがなくなるのですね。観念から制限がなくなっていけば、それが現実として現れるというわけです。


最初は、たいしたことがないように感じても、継続していくと、きっと大きな結果が出ます。ぜひ、「自分には無理だ」と思わないでください。
 こんど、自分には難しそうだと思ったときは、「そう感じるということは、まさしく自分がやるといいことなんだ」と、解釈を変えてみましょう。
」(p.179)

不安や恐れから、自分でブレーキを踏んでしまうことがあります。これも自分で自分を制限していることです。

そういうときは、あえてその道に進んでみてはどうか、と健さんは言います。バシャールも、不安のドキドキはワクワクに変わるということを言っています。


両親との軋轢(あつれき)は、その人の人生に、ずっと影を落とします。両親との関係がうまくいかないせいで、仕事や恋愛がうまくいかないと感じている人も多いでしょう。
 しかし、その宿命をいったんは受け入れないと、次に進めないのです。
 人生は努力して変えられるものですが、変えられないものがあるのも否定できません。
 それが、あなたの宿命です。

(中略)
 自分の宿命を100%受け入れるということが、最初のステップです。
 そして、できれば、自分のなかにある痛み、恨み、悲しみを癒やしながら、それをエネルギーに変えていくことです。
」(p.188)

人生で起こることをあなたがコントロールすることはできませんが、それにどう対応するかは、100%あなたが、決められるのです。」(p.192)

生まれてきた環境は受け入れるしかありません。起こった出来事も、受け入れるしかありません。不平不満や、文句や愚痴をいくら言っても、何も変わりません。

まずそれらを「これでいい」としっかり受け入れ、そこからスタートすべきなのですね。


あなたの宿命と運命のラインを見分けるには、ものの見方を変える必要があります。
 たとえば、ネガティブな状態があったとしても、それを足枷(あしかせ)だと思うのか、チャンスだと思うのかによって、人生の展開が変わってきます。
」(p.195)

自分のなかで「当たり前だと感じていたこと」に、疑問をもってみるのです。
 いままで正面から見ていたものを、横から眺めてみましょう。あるいは、それを斜め右から、または上から見てみましょう。
 これまでとは違う角度でものを見ることで、いままで見えていた世界が、まったく別のものに見えてきます。
」(p.196)

福島さんも、問題が起こったら「チャ〜ンス!」と言おうと言われてました。ものごとは捉え方次第なのです。


あなたがどういうものを得たいのかを考えて、そういう世界を発信してみてください。
 愛を得たければ、愛を。そして、友情を得たければ、友情を発信していくのです。
」(p.198)

バシャールは、「与えたものが返ってくる」というのが、この世の唯一の法則だと言っています。だから、何を発信する(与える)かが重要なのですね。


それには、3つのことが必要です。ものの見方を変えること。感じ方を変えること。行動を変えることです。
 この3つをやれば、あなたの人生はいままでとまったく違うものになります。
」(p.199)

健さんは3つと言っていますが、最初の「見方を変える」ことをすれば、他の2つはついてくるように思います。

見方が変われば、感じ方が変わってきます。感じ方が変われば、行動も変わってくるでしょう。


人生の達人の生き方は、自分のところにやってくるものを拒まず、100%受け入れることです。そして自分の人生から去っていくものを追わず、期待せず、ただ淡々と生きることです。
 人生の目的は、あなたが心から大切だと思うものを大事にすることによってしか実現できません。また、それは、目の前に来たものを大事にするということでもあります。
 それがポジティブなものでもネガティブなものでも、来るものを拒まず受けとめること。
 去っていくものは、追いかけようとはせず、ただただきれいに手放すこと。
 この2つができると、あなたは幸せに近づけます。
」(p.201)

苦しくなったとき、「また次があるさ」というのは、心を楽にしてくれるアファメーションです。自分がいましがみつこうとしているよりも、もっと素敵なパートナー、チャンスが必ず来ると保証されたら、楽に手放せるはずです。」(p.202)

これはまさに「愛」ですね。条件を付けずに、来るものは拒まず、去るものは追わず、すべてを相手の自由にさせることです。それが人生の達人の生き方なのですね。

そしてそのために、「また次があるさ」というアファメーションを使うこと。これを口癖にすると良さそうですね。


あなたが何に対して幸せを感じるのか、それはあなたが決めていいのです。
(中略)
 世界のどこに住んでもいいし、何をしてもいいのです。人に褒められるようなことをやらなくてもいいのです。自分の幸せを追いかけているうちに、きっと何かをやりたくなります。」(p.203 - 204)

世間や他人の価値観にしたがうのではなく、自分の価値観にしたがうこと。これが大前提ですね。


人生の目的は、見つけようと思っても、すぐに見つかるわけではありませんが、探さなければ、自動的に手に入るものでもありません。
 お金がなくても、才能がなくても、人脈がなくても、手に入るのが人生の目的です。
 そのためには、社会の価値観から脱し、本当に自分にとって大切なものを見つけてください。世界中の人が何と言っても、あなたにとって大切なものです。
」(p.206)

何がなくても、人生の目的は手に入ると、健さんは言います。そのために重要なのは、自分がどう感じるかという考え方なのですね。

「神との対話」でも、内に入っていかなければならないと言っています。外(他人)ではなく内(自分)の中に、自分らしさを探すのです。


さすがに健さんの本ですね。最初はちょっとまどろっこしいなあなどと思いながら、だんだんとハマってしまいました。

読みやすく、またわかりやすく、時に繰り返すことで理解を深めさせてくれます。

人生の目的について、この本を読みながら考えてみるのも良いと思いますよ。

人生の目的
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 10:39 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月22日

住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち



新聞広告を見て、ちょっと気になったので買ってみました。川口マーン惠美さんの本で、大ベストセラーになった本だそうです。

広告を見た感じでは良さそうだったので、似たようなタイトルの最新作も一緒に注文しました。

それが「住んでみたヨーロッパ 9勝1敗で日本の勝ち」という本です。



両方を読み終えたところですが、率直に言えば、タイトルは売らんかな精神によってつけられたもので、本の中身とはまったく関係ありません。

強いて言うなら、著者の川口さんが、日本が大好きだと思っているだけのことです。


私はタイ・バンコクに13年住んでおり、その異文化の中で暮らすことで、日本を見つめ直せたという思いがあります。

そういう意味で、おそらくこの本も、同じように外国に行った日本人としての視点を示してくれるだろうと期待していました。

その期待に対するものは、十分にあると思います。なので、ここに紹介しようと思ったのです。

けれども、タイトルにあるようにどっちが良いかなどは、人それぞれの判断です。おそらくドイツ人なら、ドイツが一番だと考える人が多いと思いますよ。

読者のレビューでも、このタイトルに対する疑問はかなりあったようで、中には6勝4敗くらいだと感じたという意見も。


そういったことがあると知った上でなら、この本を読む価値も出てくるのではないかと思います。

少し引用しながら紹介しましょう。

生活が根付いてしまった土地から住人を追い出すことは、もう一度戦争でも起こさない限り、不可能である。
(中略)
 しかし、自国と関わりのない領土問題ほど、他国にとって興味の湧きにくい問題もない。どのみち、利害も思い入れもない、遥か遠いところの紛争なのだ。イスラエルとパレスチナの領土問題でさえ、傍観者は歴史的検証に深入りすることなく、「きっと、どっちもどっちなのだろう」と無責任に思っていたりする。
(中略)
 ただ、確かなことは、領土問題というのは実効支配した者が勝つということだ。そして、実効支配にはそれを裏づける軍事力が必要だということ。これだけは、いろいろな歴史が証明している。」(p.33)

冒頭からいきなり、川口さんが尖閣諸島を訪れる場面の描写から始まります。そこでまず、タイトルとの違和感を感じます。

おそらく川口さんは、いわゆる保守的な人間なのでしょう。

だから日本が大好きで、川口さんの目から見れば、日本は素晴らしいのです。その日本が近隣諸国との間で、理不尽な対応を受けていることが、気にいらないのだと思います。


ただ、ここで川口さんが指摘していることは、専門家からすれば常識でしょう。

それを常識と認めないマスコミの論調に影響を受けた一般庶民にとっては、受け入れ難いことかもしれません。

けれども、やはり実効支配され、住民の世代を超えた生活が根付いた北方領土を日本に取り戻すことは、不可能と考えるのが妥当です。

強いて言うなら、2島返還を受け入れていれば、あのときなら返還される可能性があったとも言えます。

正義は人の数ほどあり、また主権は国家にあるのですから、国際司法裁判所で決着なんて理想論には、現実味がありません。

竹島もまた韓国に実効支配されていて、住民こそいませんが、これも取り戻すのは至難の業でしょう。

どれほど正義が日本にあると主張しても、他国からすればどうでもよい話なのです。どうでもよいことなら、自国に利益を与えてくれる方につくだけです。

残念ながら、これが現実だと思います。


ちなみに、ドイツは、アメリカとロシアに次ぐ世界第三位の武器の輸出大国どいう顔も持っているのだ。
(中略)
 しかし、だからといって、ドイツがタカ派の国というわけではない。国民の考えはリベラルで、保守勢力はどんどん弱まりつつある。二〇一一年からは徴兵制も停止され、連邦軍は職業軍人と志願兵だけになった。平和主義者の多い国だから、軍国主義に傾くことは、まずありえない。
 ただ、それでも、軍事力の後ろ盾がなければ、世界での発言権を失うであろうという肝心要のところだけは承知しているのだ。
」(p.35)

これはドイツがどうのこうのと言うより、専門家ならば当然の答えでしょう。力の均衡が崩れれば、そこに武力衝突が起こるのです。

もちろんその前提には、利害関係があるわけですけどね。利害関係がなければ、力の均衡も無意味です。

日本では、いまだに一国平和主義を理想とする人がいますが、そういう人は、自ら外交をやってみればよいと思います。

外交でどうにかなると言うなら、自分がやってみせることです。自分がやらずに、政治家がダメだとか、官僚がダメだと批判・非難するのは、お門違いというものです。

少なくとも外交官にまでなる人は、それなりに頭がいいのです。そういう人でも完璧ではありません。ですから、ダメな面があっても当然で、それを批判・非難するのであれば、「そういう自分は立派なのですか?」と、自らに問うことだと思います。

そして、外交では難しいことがあると結論するなら、力の均衡を保った上でなければ、外交の出番もないとわかると思います。

もちろん、「いや、領土なんてほしい国にいくらでもあげたらいいんだよ。人の命は、それ以上に重いのだから。」という価値観もありです。「尖閣諸島も対馬も、場合によっては沖縄も、九州さえも、ほしいと言われたら喧嘩をせずにあげてしまおう。」そういう考え方があってもOKです。

ですからそういう人は、他国が攻めてきたら、みんなで逃げましょうと主張すべきです。あるいは、諸手を上げて捕虜でも奴隷でもなりましょうと。

そして、逃げるための手段を準備して、日頃から避難訓練をすべきでしょうね。そのために国家予算を使えと言うべきです。そうでなければ、多くの人を路頭に迷わすことになりかねません。「それでも良いのですか?」というだけの問題です。


日本に住んでいる人はあまり気付かないかもしれないが、日本は、世界でも稀に見る格差のない社会である。
 その第一の理由は、義務教育が充実していることだろう。初等教育の段階で不平等が起こると、それがいずれ貧富の差を作り、格差となり、ゆくゆくは社会不安を引き起こす。格差の有無は、実は義務教育の充実度で決まるのである。
」(p.137)

これは、私がタイに暮らしていても実感します。日本で格差が広がったと騒いでいますが、タイの格差に比べれば、まったく平等と思えるくらいです。

そして、本当の格差とは、教育を受けられたかどうかで決まるというのも、よーくわかります。タイでの格差も、やはり小学校しか出てないか、中学校止まりか、などで決まります。

ただタイは、インドのカースト制のような格差はないので、子どもに教育を受けさせることができれば、這い上がることができます。そういう点では、タイの格差も大したことないとも言えます。

タイでは名目上、中学校まで義務教育であり、ほぼ100%の中学進学率です。ただこれは、地域の官僚が成績を上げるために、作り出している数字です。本当は中学に進学していないのに、入学だけはしたことにしているのです。

こういうタイの現状を知れば知るほど、日本はどれほど恵まれているかがわかります。

現在は廃校になった地方の小中学校が多数ありますが、あれは明治政府が、どんな僻地にも教育をと言って、全国津々浦々に学校を作ったからなのですね。

それほどまでして教育に力を入れたから、現在の平等な社会が作られたのだと思います。


あまりに経済格差のある国で人の移動が始まると、どの国のためにもならない。
 人の移動がプラスに働くためには、前提が整わなければいけないのだ。
」(p.183)

移民の問題を抱えるヨーロッパでは、これは切実な問題です。

日本は、移民の受け入れを極力抑えています。難民の受け入れでさえ、ごくわずかです。そういう非人道的な姿勢に徹することで、日本人の利益が守られていることを知るべきでしょう。

そういうことを知らない人が、曽野綾子さんが書いた産経新聞のコラムを読んで激怒するのです。人種によって居住地を分けた方が良いとは何ごとかと。

曽野さんは、「分けた方が良い」と言っているのであって、「強制的に分けるべき」とは言っていません。

それなのに、まるでアパルトヘイトを礼賛しているかのように一方的にとらえ、曽野さんを批判・非難しています。

そういう人はまず、日本が難民の受け入れを拒んでいることを批判・非難してはどうでしょう?

そして、自分たちの居住区に積極的に難民の方々を呼んではどうでしょう。体験すれば、その大変さがわかります。ヨーロッパの人々の苦悩がわかると思います。


ただ、だからと言って、経済的格差がある国の人々を差別して良いわけではありません。それは川口さんも指摘しています。

言っているのは、かわいそうだからと言ってむやみに(何の策も立てずに)受け入れていると、大変なことになるという現実があるということです。

言葉や文化が違う人と一緒に暮らすとどういうことなのか、日本しか知らない人には想像もつかないでしょう。

だからこそ、こういう本を読むことにも意味があるのだと思います。

住んでみたドイツ 8勝2敗で日本の勝ち


posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 22:50 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月24日

幸せブーメランの法則



望月俊孝さんの本を読みました。望月さんの本は、以前にも「癒しの手 心もからだも元気にするレイキ・ヒーリング」「幸せな宝地図であなたの夢がかなう」を紹介しています。

望月さんは、レイキ宝地図、そしてエネルギー・マスターを世に広める活動をされていて、大成功されています。

そんな望月さんが、「お金、仕事、最高の人生」を引き寄せる成功法則について書いたのが、この本になります。


しかし望月さんは、最初から順風満帆に事業を大きくされたわけではありません。やはりどん底を経験されているのです。ひどいアトピーになったり、リストラされたり。

でもそこから、V字回復して成功されました。そのとき、この法則が本当にわかったと言うのです。


では、本から引用しながら、内容を紹介しましょう。

「『与えたものはかえってくる』−−。
 だが、ただ与えるだけでは不十分で、それを補う強力な法則があったのだ」と。
」(「はじめに」より)

バシャールも、この世の唯一の法則は「与えたものが返ってくる」だと言っています。

望月さんもそう思って与え続けたのに、うまくいかなかったんですね。では、どうすればこの法則が上手く(=狙い通りに)働くのか。それを、この本で紹介しているのです。


「人生でもっとも役立つことをひとつだけ教えてください」
 と頼まれたら、僕は迷わずに、
「与えたことは必ずかえってくる。だから喜んで与え続けなさい」と答えます。
」(p.18)

しかも、【与える=受け取る】ではありません。
【与える≦受け取る】なのです。
」(p.20)

「与えたものがかえってくる」という法則は、本の副題にも書かれているように、「投げかけたものは必ず3倍になってかえってくる」ということなのですね。


望月さんは、この法則を知っていたので、一生懸命に与え続けていたそうです。けれども上手く行かなかった。その理由を、次のように分析します。

たくさん”与えている”つもりになって必死に働いていたけれど、「奴隷のようなエネルギー」も一緒に与えていたので、そのエネルギーがかえってきていたのです。」(p.26)

同じように一生懸命でも、「精神的な奴隷」「情熱的に働く人」ではまったく違うと言います。その動機とか思いが、エネルギーの質が、全然違うのです。

そしてその違いによって、返ってくる結果が違ってくるのですね。


そして、この法則を上手く使えないのは、次のような4つの誤解があるからだと言います。そしてその誤解からは、対応する原則が導き出されます。

誤解その1 与えたものだけがかえってくる」(p.30)
原則@ 与えたエネルギーもかえってくる」(p.31)

先ほどの望月さんが勘違いしていたことですね。ポジティブなエネルギーなのか、ネガティブなエネルギーなのか、それが重要になります。

誤解その2 与えれば”すぐに”受け取れる」(p.32)
原則A 与えたものは”時間差”でかえってくる」(p.34)

せっかく種をまいても、すぐに芽が出ない、花が咲かないと言って土をほじくり返したら、育つものも育ちません。それと同じだということですね。

誤解その3 与えたものは与えた人からかえってくる」(p.35)
原則B 与えたものは”他の人”を通じてかえってくる」(p.36)

「情けは人のためならず、巡り巡って己が身のため」と昔の人も言いました。取り引きを求めるのではなく、ただ与えればいいのです。

誤解その4 見かえりがないなら、与えても意味がない」(p.37)
原則C 与えること自体が報酬であり、受け取ることである」(p.39)

何でも損得勘定で考えるのではなく、自分がワクワクするかどうかで考えよと言います。つまりワクワクすることをやったなら、結果がどうであれ、やったことそのものが楽しくなるからですね。

何かを与えることが、「感謝される」という褒美を期待してのことなら、それは単に取り引きをしようとしているだけです。

そうではなく、感謝されれば嬉しいけれど、感謝されなくても楽しいからやる、という姿勢が重要なのです。


トップセールスマンは、客から断られても落ち込まないどころか、かえって元気になると言います。その秘訣は、「潜在売り上げ」を知っているからです。

たとえば、平均すると100件訪問して1件成約する車の販売で、売上が平均200万円だとすると、1件訪問するごとに「潜在売り上げ」は2万円になります。

もちろん確率通りにはいきませんが、こう考えることによって断られても落ち込まず、どこかにいる成果を現実にしてくれる客との出会いを期待しながら、日々の営業を楽しめるのです。

これこそ、「幸せブーメランの法則」の第1原則、第2原則の大切さを教えてくれるエピソードと言えるでしょう。
 つまり、どんなにうまくいかない状況であっても、前向きな気持ちで相手にアプローチすること(第1原則)。
 そして、すぐに成果が出なくても落ち込まないこと(第2原則)。
 良いエネルギーで投げかけたことは、いつか必ず、大きな成果となってあなたの元にかえってくるのです。
」(p.45)

焦らずに待つこと。しかもポジティブでいること。それが重要なのです。


もう、自分を「捨てられたバイオリン」だと思うのはやめましょう。もっと自分を愛してあげましょう。
 今まで、あなたは自分の調律の仕方を知らなかったかもしれません。
 でも、紳士がバイオリンにしたのと同じように、自分の価値を信じて自らを調律してあげましょう。

 あなたは、この世界に「あなたらしさ」という最高に美しい音楽を奏でるために、ここにいるのです。幸せを一層、深く味わうために、ここにいるのです。
」(p.57)

自分の価値を信じてあげることですね。高いセルフイメージを持つことが、返ってくる結果に影響するのです。


この社会の仕組みは、とてもシンプル。
 あなたが社会に与えた価値が、そのままお金としてあなたに入ってくるようになっているのです。

(中略)
 「価値を与える」というのは、本当に簡単に始められることなのです。

 その第一歩となるのが、「ありがとう」というひと言。

 感謝の気持ちをぜひ、口に出して表現してみましょう。
 感謝している人に直接伝えてみましょう。
 お金とは感謝が数値化されたものなのです。
」(p.68 - 69)

これもよく言われることです。100万円の価値を与えれば、100万円が返ってきます。けれど、それが難しいと考えがちです。

望月さんは、まず感謝することから始めようと言います。感謝することも、価値を与えることになるのです。

仏教には無財の七施というものがあります。それがまさに、誰でもできる価値を与える方法なのですね。


投げてしまった「不機嫌ブーメラン」を解消する方法があります。

 それは、あなたの投げかけた「不機嫌ブーメラン」がかえってきても、悲しまないことです。
」(p.77)

これは面白い発想だと思いました。つまり不機嫌になってしまう出来事は、過去のどこかで自分が「不機嫌ブーメラン」を投げたからと考えるのですね。

そしてそのブーメランを受け取ったとき、それを悲しまないで受け取ることで、再び「不機嫌ブーメラン」を投げるのをやめようということなのです。

「どうしてオレはついてないんだ」と嘆くと、それは再び「不機嫌ブーメラン」を投げたことになります。

「イヤな出来事だけど、このお陰で学べるなあ」と考えれば、それは「幸せブーメラン」を投げたことになるのです。


ちなみに、人にものを頼むことができるかどうかは、あなたのセルフ・イメージにも関係しています。
 多くの人が頼むことに対して、”罪悪感”を強くもってしまいます。
 なぜなら、「私のためにお金や時間を使わせるのは、相手に悪いな」とか、「私なんかが頼んだら、相手に嫌われたりしないかな?」「寄生虫みたいに思われてしまうかもしれない」となどと思ってしまうからです。
 これはあなたが自分に対するセルフ・イメージが低い証拠です。自分なんかは人にものを頼めるほどの人間ではないと思ってしまうのです。
」(p.95)

これは私にも当てはまります。申し訳ないと感じて、ものを頼みにくいです。でもそれでは、セルフイメージが高くならないのですね。

心屋仁之助さんは、わざと人に頼みごとをするというミッションを通じて、この壁を破ることを勧めています。


頑張ったあとには、いつでも「アイラブミー」が必要です。
 「アイラブミー」を始めるためには、まず、「自分を喜ばせること」を見つけて書き出し、「アイラブミー・リスト」をつくります。
 僕は、ほぼ毎日、「アイラブミー・リスト」に書いたことを行って、「幸せブーメラン」を自分に投げかけています。
」(p.98)

自分自身を愛することですね。自分に優しくし、自分自身を喜ばせてあげること。それを日常的にやるのです。

望月さんは、「コーヒー・ゼリーを食べる」とか「猫と遊ぶ」などを「アイラブミー」としてあげています。こんな簡単なことでいいんですね。


セルフ・イメージが低いというのは、つまり自分のことを認められないということです。
 すると他人のこともなかなか認めることができません。

(中略)
 「自分をホメること」をしていないと、「人を愛することが困難になってしまいます。
 与える愛ではなく、「私のことを愛してくれ〜」と相手に求める愛、奪う愛に変わってしまいます。
」(p.102 - 103)

自分を愛せない人は他人を愛せないと、言われるゆえんです。セルフイメージを高めることは、自己愛なのです。


人生には良い出来事も悪い出来事もありません。
 良い出来事、悪い出来事があるのではなく、起きた出来事に対しての、良い解釈と悪い解釈があるだけです。
 そして、このどちらの解釈も、あなたが自由に選択できるのです。
」(p.118)

これもよく言われることですが、出来事はニュートラル(中立)なのです。それに対してどういう意味を与えるかは、それぞれの人の自由です。


あなたはすでにたくさんの富や成功、愛情など多くの価値をもっているのです。そのことに気づくことでさらに、それらを受け取ることができます。」(p.119)

幸せは今、この瞬間に感じることができます。
 幸せとはいつか獲得するものではなく、今、感じるものなのです。
」(p.122)

つまり、今ある幸せに気づき、それを感謝して喜ぶこと。そうすれば、それが「幸せブーメラン」となって、またいつか自分のところに返ってくるのですね。


まず、あなたが本当に不満を感じることがあったら、それを解決すること。
 そうやって見つけ出した解決策は、同じような不満を感じている人に対して、大きなヒントになり勇気を与えることになります。
 これが「不満」を「価値」に変えるということです。
」(p.125)

不満や不安を感じたら、それを解消することで価値が生まれるのです。と言うことは、不満や不安は価値を生むチャンスというわけですね。


仕事で失敗が続くと、仕事に対する自信ややる気を失ってしまうこともあるでしょう。
 しかし僕たちは多くの人の中から選ばれて、「代表」として今の仕事を任されています。
 隣で仕事している人も、僕たちを含めて多くの人の中から選ばれて、「代表」としてその仕事を任されています。
 あなたも、あなたの隣の人も「代表」です。
」(p.133)

これもすごい発想ですね。自分を普通だと思えば力が湧いてきませんが、オリンピックの代表選手のように「代表」だと思えば力が湧きます。

そして事実、私たちは自分にしかできない使命のために、この世に生を受けています。それは、「神との対話」などで言われている通りです。そうだとすれば、私たちはそれぞれが、まさに「代表」なのです。


予定外のことは、ますます楽しくなるというサインです。
 予定とはかけ離れた展開が、次に思わぬ形で素晴らしい展開に変わっていくことも多々あります。
」(p.140)

予定通りのドラマはつまらないのです。何も事件が起こらない映画なんて、眠くなるだけです。同じように人生も、予想を覆すようなことがあるから、ハラハラドキドキを楽しめるのですね。


準備が整ったときに、チャンスは向こうからやってくる。
 実力が備わったときに、ピッタリの仕事が飛び込んでくる。
」(p.163)

たしかに人生は、そういうものかもしれませんね。だからこそ、備えておくことが重要なのです。


あなたも本当にやりたいことをあきらめそうになったときや、人から「それは無理だよ」と言われたとき、口に出して言ってみましょう。

「困難はあっても、不可能なことはない」と。
」(p.173)

これはソフトバンクの孫正義さんが、アメリカ留学中に言った言葉だそうです。やはり成功する人は、こういう考え方をするのですね。


同じ本を徹底的に繰りかえし読むことを、多くの成功者が推奨しています。
 日本一の納税者として有名な斎藤一人さんも、「7回この本を読むと奇跡が起こる」とご自身の本の中でよく言っています。
」(p.177)

一人さんの「変な人が書いた驚くほどツイてる話」にそう書いてあったので、私はこの本を7回読みました。何度も繰り返すということは、とても重要なことだと思います。

ただ、さすがに同じ本を7回はしんどいという人のために、望月さんは別の方法を提案しています。

それは1冊を最初から最後まで読めなくても、これだけは忘れたくない、という素晴らしいフレーズだけでも7回読むという方法です。
 この方法を実践するために僕は忘れたくないフレーズをパソコンに入力して、一覧できるようにしています。
」(p.178)

これもなかなかいいと思います。ただ「神との対話」シリーズだと、本のほとんどに線を引いてしまうくらいなので、この方法だとけっこう大変です。

そこで望月さんは、エッセンスを録音しておいて、何度も聞くという方法も紹介しています。


最後に、夢を持つことを望月さんは勧めます。

魅力的な夢を描き、それに向かっていく中で、多くの才能は磨かれていきます。
 夢を追い続けるうちに、知らぬ間に必要なものは、すべて手に入ってきます。

(中略)
 夢は、叶えられればそれは本当に素晴らしいことです。
 でも、実は夢に向かう過程で、たくさんの財宝を手に入れることができるのです。極論で言ってしまえば、「夢が叶う、叶わないは大きな問題」ではありません。

(中略)
 毎日毎日、夢に向かって挑戦していれば、経験を重ねるごとに「夢を実現させる力」が高まってきます。
 これが先程お話した「成功筋肉」を鍛えるということ。成功筋肉はあなたが気づかないところで確実についているのです。
」(p.182 - 183)

夢が実現しなかったとしても、そのためにした努力は無駄にはならないのですね。成功筋肉が作られれば、次の成功が容易になるでしょうから。


この本も、いわゆる「引寄せの法則」であり、それを補完するものと言えるでしょう。

そしてそのポイントは、やはりセルフイメージを高くすることですね。それができれば、すぐに相手から見返りを求めるような取り引き根性ではなく、無条件の愛として与えることができるからです。

そして愛として何かを与えたなら、それは必ず3倍にも10倍にもなって返ってくるのだと思います。

幸せブーメランの法則


posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:54 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月27日

自分の運命に楯を突け



1970年の大阪万博の「太陽の塔」や、「芸術は爆発だ!」というセリフのCMなどで有名だった、岡本太郎氏の本を読みました。

明治44年生まれの方なのですね。1996年に亡くなられています。

太郎氏は、戦前の青年時代をフランスで過ごしています。当時としては、実にモダンな生き方です。

それというのも、やはり両親の影響が大きいでしょう。父親は漫画家の岡本一平氏で、母親は作家の岡本かの子氏です。

生家は現在の川崎市高津区二子にあります。実は私、その近くの新聞販売所で新聞奨学生として働いていたので、岡本氏の生家の前は、よく通っていました。配達区域内にあったのです。

岡本かの子氏は自由奔放な性格で、愛人を家に招き入れて3人で夫婦生活を送るという、三人婚をしたことでも有名です。

そういう両親ですから、太郎氏が個性的なこともわかる気がします。


どうして今になって岡本太郎氏の本を読む気になったかと言うと、本田健さんが推奨されていたからです。

健さんから勧められて、読まないという選択肢はありませんからね。

読んだ感想は、やはり「すごい!」のひと言です。さすがに健さんが勧めるだけの本だと思いました。


では、一部を引用しながら、本を紹介しましょう。

生きがいは自分の運命と闘うことだ。
(中略)
 生きることは寂しい。
 おもしろいじゃないか。ならばオレはやってやろうと思えば、自然と生きがいが湧いてくる。キミもそういうふうに発想を変えてみたらどうだい。
 寂しいということは生きがいを見つける素晴らしいきっかけであり、エネルギーだと思えば、勇気が湧いてくるだろう。
」(p.11)

人間の世界は絶望的だ。
 でも、だからダメだと考えず、その絶望のなかに生きることこそがおもしろいと思って生きる以外にない。それがほんとうの生きがいになる。ただ悲しがっていたって仕方がないからね。
」(p.12)

いきなりガーン!と頭を叩かれるような言葉です。寂しいからこそ面白い。ネガティブだからこそ、ポジティブになれる。発想を変えれば良いのです。

なおこの本は、「週刊プレーボーイ」(集英社)に1979年から1981年にかけて連載された「にらめっこ問答」という人生相談をベースに再構成したものです。

そのため、その雑誌の読者、つまり主に男性の若者からの相談に答えるような書き方になっています。


自分に能力がないなんて決めて、引っこんでしまってはダメだ。なければなおいい、いままで世の中で能力とか才能なんて思われていたものを超えた、決意の凄みを見せてやるというつもりでやればいいんだよ。」(p.14 - 15)

自信とは得意になることじゃない。むしろ悲劇的になることだ。
 ぼくはいつでも自分を悲劇的な状況に追いこんで生きている。だから、俗にいう自信なんてものはもっちゃいない。自分が置かれた状況は不当だし、それに対して闘わなければならないと思っている。だからこそ喜びを感じるんだ。
 もしぼくが自信満々に見えるとしたら、それは、強烈にみじめな状況にいる自分をみじめだと思わず、喜びを感じて生きているからだよ。
」(p.18)

人間の一生がみじめであるなら、だからこそ生きよう、とことんまで自分自身に挑んで。
 それがぼくの信仰だ。
」(p.19)

”マイナスをプラスと考えよう”と言ってるんじゃないよ。マイナスこそ、イコール、プラスであると考えているんだ。そうでなければ、人間は生まれてきた意味がないじゃないか。
 自分に才能があるとかないとか、世間的に評判がいいとか悪いとか成功したとかしないとか、うじうじと考える必要はない。すべてのマイナスをプラスの面でつらぬけば、マイナスだと思っているものがプラスに転換するんだ。
」(p.20)

自分に能力があるかどうかは、どうでもよいことだと言います。それより、やろうという強い意思があるかどうかが重要だと。

そういう意思があれば、逆境こそがチャンスなのですね。


人の目を意識するのは、自分自身のなかにコンプレックスがあることが多い。そのコンプレックスが、”人の目”になっているんだ。
 そういうときは、自分のケチくさいコンプレックスを、コンプレックスとしてはっきり見据えるようにすればいい。切り捨ててしまえばいいんだよ。自分はこうやると失敗するかもしれない。それなら失敗したらおもしろいじゃないかと思って、失敗のほうに自分の運命を賭けてみるんだ。
」(p.23)

失敗をしでかしたら、”あ、またやってしまった”と思えばいい。どうして自分はこうなんだろうと悩まずに、またやってしまったけど、よし、今度はもっとうまくやろうと前向きに考える。」(p.25)

世間で言う成功が、必ずしも良いことではないと発想を変えてみるのです。他人が成功を望むのなら、自分は失敗を目指そう。この発想は、太郎氏ならではのものですね。

でも実際、成功者と言われる人は、多数の失敗を繰り返しています。失敗から学んでいるのです。


もし自分がヘマだったら”ああ、オレはヘマだな”と思えばいい。もし弱い人間だったら”ああ弱いんだなあ”でいいじゃないか。
 弱いからダメだとか、どうしてこう弱いんだろうと嘆いて、自分自身を責めることで慰め、ごまかしている奴が多いんだ。そういうのは甘えだよ。
 もっと平気で、自分自身と対決するんだ。
」(p.27)

ありのままの自分を受け入れるというのは、要はこういうことなんですね。

ヘマならヘマ、弱いなら弱い。これは事実ですから、そのまま受け入れるのです。そこに「ダメだ」という勝手な解釈をしてへこむ人が多いのです。

勝手な解釈をせずに、事実と向き合えと太郎氏は言います。


一本スジが通った人間は、自分をごまかしたり、時代にあわせて妥協したりしない。自分の生き方をつらぬくためには、他人の目なんかいっさい気にしない。
 この規制された社会のなかでそういう生き方をすれば、迫害を受けるだろうし、つらいイヤな思いもする。そんなことは覚悟のうえで生きていく人間が、ほんとうのスジを通している人間だ。
」(p.31)

太郎氏は子どもの頃から自分を通したため、学校の先生にもしたがわなかったようです。そのために何度も転校を繰り返したとか。

自分として生きるということは、「つらいイヤな思い」を受け入れる覚悟が必要なのでしょう。


たとえば、自分自身の存在なんてなんでもない、無だ、という考えと、自分という存在こそ宇宙全体だという信念。それが両方とも絶対感なんだ。心のなかでからみあう。
 人生、ほんとうに”ある””ない”という矛盾の裂け目に生きている。だから一方だけにこだわっては意味ないんだよ。
」(p.38)

自分の全身を賭けて失敗したら、それでもいいじゃないか。
 こんな世の中なんだから失敗したほうがおもしろい、と思えば、成功しなくてもニッコリして平気で生きることができるだろ?
」(p.39)

「失敗=ダメ」みたいな決め付けをしないことです。「かくあるべし」という考えに執着するから苦しくなるし、それは絶対的なことではないのです。


誤解するなら、してみろ!
 誤解こそ運命の飾りだと思って、己れをつらぬいて生きてみればいい。
 無条件に己れをぶつけて挑んでいけば、限界なんてないんだよ。
」(p.41)

いちばんおもしろい人生とは、”苦しい人生に挑み、闘い、そして素晴らしく耐えること”。逆境にあればあるほど、おもしろい人生なんだ。
 逆にうまくやろうとか、要領よく生きてやろうと考えると、人生はつまらなくなる。自分で自分の運命を賭ける、なま身で生きることが、ほんとうの人生なんだよ。
」(p.47)

世間に媚びて、他人の価値観に合わせようとしたり、理解してもらおうと自分を曲げると、面白い人生にはならないと言います。それでは自分として生きたことにはならないのだと。


計算ずくでやらない、結果をもとめないのが”無償”。無償とは無目的にただひたすらに生きる情熱だ。
 自分だけが生きていればいいとか、自分だけがうまくいけばいいというんじゃない。自分が燃えあがることで世界全体が燃えあがるんだという絶対感が、無償であるということ。
」(p.58)

つまり「結果にこだわらない」ということですね。それよりも、やることそのものに情熱を燃やす。その自分の情熱が宇宙全体につながっている、という信念を持つことなのです。


人間はその数だけ、それぞれ、その姿のまま誇らしくなければならない。
 教育とは、そういう人間の喜びを開発し、自覚させるのが目的であり役割であるべきなんだ。ところがいまの教育は、順位をつけることが”道徳的基準”になっている。学校の成績のいい者が人間の価値であるかのように、小さい頃から教えこんでいる。
」(p.70 - 71)

いまのように、一番はエラくてビリは駄目、勝利者は英雄で負けた者はクズ、成功者は尊敬されて失敗者はふんずけられる、という基準をみんなが信じている限り、だれもがなんらかのコンプレックスに悩まされ、惨めになってしまうんだよ。たとえいま勝っている者、成功している者でも、いつ落っこちるか、自分より強い者がいつ現れるか、不安でいつもビクビクしているわけだからね。
 そういうモラルを引っくりかえさなければならないんだ。それにはぼくがいつも言うように、負けた者こそバンザーイと大いに胸を張ってにっこりする、これだよ。成績のいい者が偉いなんて、そんな評価を許すのは現代の教育制度そのものがまちがっているんで、それに対して批判的になればいい。
」(p.73)

たしかに今の教育の問題点はここにあると思います。学ぶことを喜ぶようにする教育でも、ありのままの自分を素晴らしいと受け入れるようになる教育でもありません。

どれだけよく覚えたか、計算できるか、先生が意図した答を導き出せるかを競わせ、それに順位をつけているのです。競争して上位にいかなければ価値がないと信じさせる。

そんな教育をずっとやっているのです。それで良いのでしょうか?


ぼくは、純粋に自分の生き方をつらぬいて生きていきたいと思った。
 目的をもたないことが”ぼくの目的”だった。限定された目的なんかもちたくない。いつも目的を超えて平気でいる。そこから自分がひらけていく。
」(p.94)

目的にすら縛られず、自由に、奔放に生きようとした太郎氏の、生き方の真骨頂です。


人間はさまざまな要素、深みがあるから、感動する文学作品はいっぱいある。少しでも多くの本を読んで、キミ自身、感動する作品を発見すべきだ。感動したとき、それはキミの血肉となってそのときからキミ自身のものになる。
 文学にしてもそのほかの芸術にしても、いちばん大切なのは、キミが感動するものを発見し、めぐり合うこと。いたずらに高名な文学者や芸術家の名前にこだわって作品を選ぶことはない。
」(p.104)

価値観は人それぞれですから、自分の体験にしたがうことが重要なのですね。他人の価値観に合わせようとすれば、自分自身を見失いますから。


ぼくは他人に媚びたり好かれたりしようとして絵は描かない。むしろ好かれないことを前提に絵を描いている。そのほうが芸術家の生き方として、はるかに本物だと思っている。」(p.145)

いまでもこの信念は変わらない。たくさんの人は”岡本の言うような芸術運動をやったら絵は絶対に売れないだろうし、生きていけなくなる。ほかの職業をさがさなくてはならなくなる”と言った。でもぼくは”いや、死んでもいい。それでも自分のスジをつらぬく”と言って生きてきた。」(p.146)

だが絵にしろ彫刻にしろ、文章でもテレビでも、それを売って食うためにやるなんてことはむなしいと思う。ぼくはあらゆることをやるけれど、職業じゃない。人間として言いたいことを言う、やりたいことをやる。収入はそれについてくることもあるし、こないこともある。勝手にしやがれだ。」(p.147)

いままで何回も言ってきたことだが、ぼくは人に好かれない絵を描いてきた。好かれない絵は売れない。売れなければ食っていけない。食っていけなければ死んでしまう。つまり社会に殺されるわけだ。自分のスジをつらぬけば殺されてしまう。
 ぼくはそのほうがスジだと言うんだ。これはやさしさではできないよ。
」(p.198)

ここまで達観できたら、たしかに素晴らしいでしょうね。芸術に生きるなら、自分らしく生きるなら、それで死んでも本望だと。だからこそ人生は、闘いなのでしょう。

人に見られたいという意識があまりに強すぎるんだ。それが逆に個性を殺してしまっている。」(p.155)

他人に良く思われるということは、他人の価値観に合わせること。個性が死んで当然です。太郎氏は、その真逆の生き方を選んだのですね。


きみたちが憧れている、ほんとうにやってみたいのは”手づくり”じゃなくて”心でつくる”ことなんだ。そうでなきゃ意味がないとぼくは言いたいね。
 なにか、全身をこめ、自分自身をためして無条件につくりたい。既成品として外から与えられるものばかりではむなしい。自身のもの−−まさに心そのものの表現なんだよ。つまり己れを「自由」に還元することなんだ。

(中略)
 だから平気でやってごらん。”下手くそだなあ”と見とれて、にっこり笑えばいい。ほとんどの人が生きるよろこびを見失っている今日だけど、真の自己を発見する、ひとつのうれしい方法だよ。」(p.182 - 183)

私たちが何かを作ろうとするとき、職人芸のマネをして、上手に作ろう、きれいにつくろうとしてしまいます。それが間違っていると、太郎氏は指摘しています。

押し付けられる既成品ではなく、自分のための、自分が表現した何か。それを作って楽しんだらいいと言うのです。

下手なりに、平気でつくればいい。字だってそうだ。
 字を書くときは、うまく書かなければいけないなんて考えずに、絵でも描いているつもりで自由に筆を走らせる、のびのびと。この気持ちが大切なんだ。その文字が読める字になっても、読めない字になってもかまわない。
 人にわかってもらおうとか、きれいな字を書こうとしてていねいに書く必要はない。手先でうまく書こうとすると、逆に字は死んでしまう。下手ならば下手なほどいいと思えばいいんだ。いい書のなかにはたしかにうまい字もあるけども、型通りでないのがほんとうに生きているんだよ。
」(p.184 - 185)

太郎氏も数々の書を残していますが、まさに絵を描いたような書です。

人からどう思われるかなど気にせず、自分のすべてをその書に表現する。そういうつもりで書いていると、生き生きした作品になるのですね。


凡人であろうとなかろうと、自分は自分だと思えばいい。人生はだれでも孤独なんだ。この広い世界にたったひとりで生きている、というキビシさを自覚しなければダメだ。自分は凡人で一般の人と同じだと思うから、自分自身がなくなってしまうんだよ。
 自分をかつてなかったユニークな存在にしてみようと思えばいいじゃないか。だれでもがやるようなことはしないで、キミがほんとうにやりたいことを精一杯やれば、ただの凡人でなくなる。
」(p.202)

一流だから知りたい、好きになりたいなんていうさもしい根性をもたずに、自分のほんとうに感動する人間を探し、つかまえるんだ。その発見をポイントに世の中全体にその価値を認めさせるように、キミ自身、力を尽くせばいい。そうすると世界が変わってくるよ。無責任に世間が一流と決めたものを追っかけまわすより、そのほうがずっと意味がある。」(p.204)

世間が認めた一流というのも、単に他人の価値観です。太郎氏は、ゴッホは生前、1枚も絵が売れなかったことを指摘します。世間はゴッホを、一流と見抜けなかったのです。

だからこそ、そういう世間一般の生き方ではなく、自分らしい生き方をせよと言います。自分が体感したものを、逆に世間に認めさせようとするぐらいでいいと。


自由奔放で個性的だった岡本太郎氏ですが、けしてわがままで自分勝手だったわけではないと、この本を読んでわかりました。

そして、私も太郎氏のように、自分らしく生きたいと思いました。

自分の運命に盾を突け
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:18 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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