2015年02月02日
反省させると犯罪者になります
刑務所で受刑者の更生支援に関わっておられる岡本茂樹さんの本を読みました。
この本は、おそらく誰かの紹介だったと思うのですが、タイトルを見てピンと来ました。私が思っている通りの内容に違いないと感じたのです。
そして実際に読んでみると、まさにその通りでした。ずっと私が言いたくてたまらなかったことを、みごとに整理して語られています。
これはと感じた部分に青線を引きながら読んだのですが、ほぼ見開き2ページに1ヶ所は線が引かれている状態です。それだけ、「まさにその通り!」と膝を打ちながら読んだことがわかります。
線を引いた場所があまりに多いのと、重複した内容も多いので、少し抜粋して気になった部分を引用しましょう。
「重要なのは、問題行動が起きたとき、厳しく反省させればさせるほど、その人は後々大きな問題を起こす可能性が高まるということです。」(p.5)
「反省させようとする方法が受刑者をさらに悪くさせ、反省させない方法が本当の反省をもたらすのです。」(p.6)
「受刑者との間に信頼関係をつくり、ちゃんとした手順を踏めば、彼らは更生への意欲を持ち始め、立ち直ることができます。その手順が、「反省させないこと」なのです。」(p.8)
「彼らを支援するなかで明らかになったことの一つは、問題を抱えた人は、幼少期の頃から親に自分の言い分を聞いてもらえず、言いたいことを言おうものなら、すぐさま親から「甘えるな」「口答えするな」と反省させられ、否定的な感情を心のなかに深く抑圧していることです。したがって、否定的感情を外に出すことが、心の病を持った人の「回復する出発点」と考えるようになりました。」(p.9)
これらは「まえがき」に書かれていますが、これが本書の結論です。重要なポイントは、すでに上記の引用文にすべて書かれています。
ただ、これだけだとわかりにくいでしょうから、本文からもいくつか引用してみましょう。
「事件の発覚直後に反省すること自体が、人間の心理として不自然なのです。」(p.25 - 26)
つまり人間は、何か自分がやったことがバレたとき、最初に「後悔」すると言うんですね。「反省」ではなく、「なんでこんなことやっちゃったんだろう」という思いです。
そうして行き着くのは、そうせざるを得なかった自分を弁護することです。「あいつがああしたから悪いんだ」など、だいたいは他者に原因を求めます。反省とは真逆の考えです。
それなのに、メディアをはじめとして多くの人は、すぐさま反省しているかどうかを重要視します。「人は悪いことをしたら反省することが当たり前」という考えが刷り込まれているからだと岡本さんは言います。
「こうした心理的な事実が明白にあるにもかかわらず、今の日本の裁判では、「反省していること」が量刑に影響を与えるのはなぜなのか私には理解できません。大半の被告人は裁判でウソをつくのです。」(p.32)
これは私も同感です。ホリエモンも言っていました。真実だから強硬に主張したら、反省が足りないと言われて刑が重くなったと。裁判は、真実を明らかにする仕組になっていないのです。
「被害者に対して、これも本当に身勝手な理屈ではありますが、彼らなりの殺さなければならないほどの「大きな理由」があったから殺害に及んだのです。そこには、殺害するだけの否定的感情があるわけです。」(p.37)
誰しも、その人の価値観において間違ったことはしない。そう「神との対話」でも言っています。「盗人にも三分の理」と古くから言われている通りです。
「心のなかにたまった否定的感情は、それが解放されないかぎり、いつまでもその人の心のなかに残り続け、その人の心を苦しめるばかりか人生さえ生き辛いものにさせます。」
「したがって、不満があるのであれば、受刑者の不満を取り除くことから始めないといけません。そのためには、受刑者がどんな不満や怒りなどの否定的感情をもっているのかを知る必要があります。そこから始めないと、本当の意味での更生に至る第一歩は始まりません。」(p.40)
悪いことを悪いことだと知れば、それで行動が改まるわけではないのです。人は理屈ではなく、感情で動くのですから。
「神との対話」でも、抑圧された感情はグロテスクなものになると指摘し、感情を表すことが重要だと言っています。
感情的に心の問題を解決しない限り、本当の意味では何も解決しません。再犯を防止するとか、犯罪をなくすことを目的とするなら、すべての人の感情の問題と向き合わなければならないと思います。
「繰り返しますが、子どもの問題行動はチャンスなのです。親は、なぜ子どもが問題行動を起こしたのかを考える機会を与えられたと考えるべきです。」(p.50)
問題が起きたら、それをチャンスだと考える。福島正伸さんも、良く生きるための考え方として推奨されていますが、こういうところにも適用されるのですね。でも、まさにその通りだと思います。
「私たちは、問題行動を起こした者に対して、「相手や周囲の者の気持ちも考えろ」と言って叱責しがちですが、最初の段階では「なぜそんなことをしたのか、自分の内面を考えてみよう」と促すべきです。問題行動を起こしたときこそ、自分のことを考えるチャンスを与えるべきです。周囲の迷惑を考えさせて反省させる方法は、そのチャンスを奪います。」(p.76)
子どもの問題行動が親にとってのチャンスなら、問題を起こした本人にとっても、それはチャンスです。問題は自分の観念に気づくチャンスだと、バシャールも言っていますね。
「まじめに務めることは、自分の思いや感情を誰にも言わないで、抑圧することになります。それが長く続けば続くほど、抑圧は大きなものとなります。」(p.94)
これは受刑者だけのことではありません。いわゆる大人の言うことをよく聞くまじめな「良い子」の問題です。
最近は心理学や子育ての分野でも、いわゆる「良い子」が危ないと言われるようになりました。けれども子どもだけの問題ではなく、大人になってからも、感情を抑圧すれば同じことなのです。
「ロールレタリングは、自分の心のなかにため込んでいた嫌な思いや感情を思い切り吐き出すところに最大の効果があるのです。したがって、私は、往復の手紙ではなく、「自分から相手へ」の形でロールレタリングを書き進めることが有効であると考えています。」(p.106)
ロールレタリングというのは、30年くらい前に少年院で生まれた手法だそうです。自分の思いを正直に手紙にして書くことによって、感情が発散するんですね。
そういえば、以前読んだ本に書かれていたエピソードですが、アメリカ大統領のリンカーンは、南北戦争中に前線の将軍に対して、その無能ぶりを酷評する手紙を何通も書いたそうです。ただし、それらは投函されなかったとか。リンカーンは、手紙を書くことで感情を発散させていたのでしょう。
ロールレタリングは、抑圧された自分の感情を表現して発散させる優れた手法だと思います。
「「被害者の視点」ではなく、「加害者の視点」から始める方が、一見遠回りのように思えて、実は本当の更生への道に至る近道なのです。
受刑者は、例外なく、不遇な環境のなかで育っています。親からの虐待、両親の離婚、いじめの経験、貧困など、例を挙げればキリがありません。受刑者は、親(あるいは養育者)から「大切にされた経験」がほとんどありません。そういう意味では、彼らは確かに加害者ではありますが、「被害者」の側面も有しているのです。」(p.119)
誰も理由なく悪いことはしません。本当にそう思うのなら、その理由をまず理解することが重要なのです。加害者の中の被害者の気持ちを理解しない限り、抑圧された感情は大きくなるばかりなのですから。
「幼少期から抱き続けてきた寂しさやストレスを克服するために、彼らは「男らしくあらねばならない」「負けてはいけない」といった価値観を持つことで、必要以上に自分を強く見せようとします。自分を強く見せることによって、他者に「認められること」で自分自身の愛情欲求の埋め合わせをするのです。他者から「男らしくて格好いい」と思われることは、満たされていない彼らの愛情を求める欲求の代償となっているのです。」(p.123)
「彼らは、孤独が怖いので、「居場所」を求めて、人と群れたがります。しかし、彼らが群れている場は、「居場所」ではなく「たまり場」にすぎません。居場所とは、本来「ありのままの自分」でいられる所です。弱い自分を出せて安心できる場所だからこそ居場所となるのです。」(p.124)
「一言で言うと、問題行動を起こす人は、「ありのままの自分」ではいけないというメッセージをたくさんもらった人ということになります。」(p.180)
「親の期待に応えられたら「いい子」で、期待に応えられなかったらダメな子。(中略)そもそも親の愛とは「無償の愛」でなければなりません。「無償の愛」のなかで育った子どもは「ありのままの自分」でいいと自分自身を受け入れることができます。「条件付きの愛」で育った子どもは、条件に応えられない時の自分を「ダメな人間」と思ってしまいます。問題行動の原点は「条件付きの愛」のなかで子どもが育ってきたことにあるのです。」(p.180 - 181)
犯罪の原因は、すべてここにあります。原因は、愛がないことです。「条件付きの愛」というのは、愛ではありません。愛は無条件だからです。
ありのままの自分を認めてもらえない(=愛されない)から、自分で自分を認められなく(=愛せない)なります。自己評価が下がるのです。それを補償しようとして、努力に努力を重ねますが、いつしか疲れてバーンアウトしてしまうのです。
「また、親が子どもの前では常に「親として、しっかりしないといけない」と思っていることも、後に子どもが問題を起こす原因になります。(中略)人間は皆、弱い生き物です。自分の弱さもダメな部分も欠点も、すべてありのままの自然な姿を見せられる親は、親自身が「ありのままの自分」を受け入れていることです。そして「ありのままの自分」を受け入れている親の子どもは「ありのままの自分」を受け入れられます。人は、自分がされたことを人にして返すものです。(中略)「ありのままの自分」でいいと思える子どもになってもらいたいと思うのなら、親が「ありのままの自分」でいればいいのです。」(p.182 - 183)
「ありのままの自分」でいられることを、自己受容と言います。野口嘉則さんも、このことの重要性を訴えておられます。
そしてここで重要なのは、親がそうだから子がそうなる、ということです。では、親はなぜそうなのかと言えば、その親がそうだったからなのです。こうして、精神的な遺伝とも言うべき、親子の連鎖が続くのです。
「人間関係を良くするために使いたい言葉は、「ありがとう」と「うれしい」の2つです。「当たり前のことではないか」と叱られそうですが、意外と使っていないのです。とくに夫婦関係や親子関係などでは、相手が「やってくれて当たり前」という考え方でいると、この2つの言葉が使えません。」(p.196)
「さらにいえば、当たり前のことにも、この2つの言葉を使うのです。たとえば、子どもが朝ちゃんと起きてきたら「今日も元気に起きてくれて、お母さんはうれしいわ」と言ってみるのです。究極の言い方をすると、子どもが生きていてくれるだけでも「ありがとう」「うれしい」と、ときどき言ってみるのです。
実は、「ありがとう」や「うれしい」という言葉が言えない人は、素直に他者に甘えられない人なのです。素直に他者に甘えられないということは、その人がそれまでの人生で他者に甘えられた経験に乏しいからです。」(p.197)
注意して欲しいのは、「えらい」と褒めることではない、ということです。「元気に起きてきてえらいね」ではダメなのです。それは、元気で起きてくることを評価しているからです。裏返せば、評価されない自分はダメということになります。その評価がプレッシャーになるのです。
「うれしい」や「ありがとう」は、自分の感情です。自分がどう思うかを伝えるだけだから、相手には負担がありません。相手の自由を奪わないのです。相手を自由にさせることは、愛なのです。
「実は、「怒り」の感情の奥底には、自分を受け入れてもらっていない(=愛されていない)「寂しさ・悲しさ」といった感情があるのです。とくに日本人は「寂しい」という感情を出すことが苦手なようです。寂しいという感情をうまく出せないと、怒りの感情に変わります。」(p.198 - 199)
野口嘉則さんも、怒りは第二感情だと言ってましたね。第一感情を無視したり抑圧しないことが、本当に重要なのです。
「以上に述べたことから考えると、「ありのままの自分」をうまく出せる人こそ「強い人」と言えるでしょう。「ありのままの自分」とは、泣きたいときには涙を流し、うれしいときには心から喜べる人です。平たく言えば、自分の感情に素直になれることです。泣きたいときに笑っている人は、強い人ではありません。強がっている人です。」(p.208)
強がるのは、強がらないと生きていけないと信じているからです。愛されないと思っているからです。
もう十分に愛されているという実感があれば、人は自分らしくない生き方をしようとは思いません。
「ただ、事実を見れば、日本の少年や成人による殺人事件の件数は、先進国のなかでは断トツに低く、一向に増加していません。言い方は悪いですが、日本人は「人を殺さないこと」で有名なのです。しかも日本は殺人未遂も殺人件数としてカウントしています。こうした事情があるにもかかわらず、刑罰は重くなる一方です。
(中略)基本的に、私は厳罰化の方向には反対です。理由は、重い罰を与えても人は良くならないどころか、悪くなるばかりだからです。」(p.213)
私も、岡本さんの意見に賛成です。いくら厳罰化しても犯罪はなくなりません。表面上の反省の上手さだけで量刑が左右される裁判制度も支持しません。服役後も、そこでの態度(=反省や従順さの度合い)によって仮釈放が早まる(刑期が短縮される)というのもナンセンスだと思います。
本書には、2006年から法律で、更生プログラムが実施されるようになったとありました。しかし、おそらく予算が限られていることもあり、人手不足のようです。また、全国的に統一されたプログラムもなく、ブラッシュアップの仕組もありません。
つまり受刑者は、ただ単につらい服役生活を、自分を押し殺して過ごすだけなのです。抑圧された感情を見直すチャンスも与えられずに。刑罰だからつらいのは仕方ないとしても、それでどうやって再犯を防止するのでしょう?今度はパクられないようにしようと、上手くやることを考えさせるだけではありませんか。
私たちは、犯罪者を社会から締め出し、切り捨てればそれで良い、と考えているのでしょうか?それで本当に、みんなが安心して暮らせる社会ができるのでしょうか?
この本は、日本の裁判制度や、受刑者の更生プログラムに、大きな一石を投じるものだと思います。
それと同時に、学校教育の現場や、家庭での子育てにも、大きな気づきを与えてくれるものになっていると確信します。
ぜひこの本を読んで、みんなで一緒に生きる社会のこと、子育てのこと、そして自分が生きることについて、考えていただけたらと思います。
2015年02月04日
ダメなあいつを、なんとかしたい!
心屋仁之助さんの本を読みました。これは小説仕立てで、私たちが抱えている問題の解明と、解決のためのアプローチを示したものです。
主人公は34歳の恭子。同棲している彼氏は、いわゆるダメ男。仕事をやめ、パチンコにのめり込み、口を開けば文句ばかり。
そんなダメ男なのに、恭子は別れることができず、彼のためにかいがいしく頑張ってしまうのです。
あるとき恭子は、「ダメなん」というブログに出会います。それは「ダメなあいつを、なんとかしたい!」の略でした。
そのブログと出会い、宿題をやっていく中で、恭子は自分がダメ男製造機であったことを理解し、そこから抜け出していくのです。
あらすじはこんな感じですが、気になった部分を引用しましょう。
「「認めてほしい者同士」がカップルになって、
相手に認めてもらえていない、もっと認めてほしいと、
お互いが「外」に走っている。
お互いが「鏡」になっていると言いかえられます。
つまり、浮気男は、
女性自身の「認めてほしいという心の叫び」の姿だなのです。」(p.57)
いつも浮気する男(ダメ男)と付き合ってしまう女性って、いますよね。私も、いつも同じようなパターンでフラレていたので、よーくわかります。(笑)
つまりこれ、自分の心(思考)が原因なのです。その心を反映した相手を引き寄せてしまうのです。現実は自分の鏡なのです。
浮気する男は、「自分は愛されない」という根っこを持っています。だから、愛してくれる女性を求めて浮気するのです。
しかしそれでも「愛されている」と思えないので、また浮気をするわけです。
そういう浮気男と付き合う女性は、「自分は女としてダメなんだ」と思います。だから、認めてくれそうな人を探すことになります。
互いに「認めてほしいという心の叫び」によって、引き寄せ合っているんですね。
「どちらのタイプも、「ガマン」してしまう点は同じです。
浮気なんてしてほしくない。
でも、されてしまう。
そのときに、「やめて!」のひと言が言えないんです。」(p.58)
DVの場合もそうですけど、相手にしがみついてしまうと、何とか相手に気に入られようとしてしまいます。だから「ノー!」が言えません。
もし、「ノー!」が言えたなら、相手にしがみつかずに済みます。自分を大切にできます。自己評価が低いから、同じことを繰り返してしまうのです。
「でも「毎回同じような現象が、自分のまわりで繰り返される」
ということを、早く認識したほうがいいんです。
それは「なにかがおかしいから、早く気づこうね」と、
ダメ男が教えてくれているわけです。」(p.73)
同じことが繰り返されるのは訳があります。私はそれを「魂の導き」と言っていますが、そこに自分が気づくべき何らかの課題があるのです。
私の恋愛が上手く行かなかったのも、まさにそうでした。でも、私をフッたひどい女性たちは、私に大切なことを気づかせてくれたんですね。(今はとっても感謝しています。)
「だから、自分が役に立つ女性になるためには、
ダメ男が「必要」になるわけです。
だから、彼をダメにしてしまうのです。」(p.81)
心屋さんは、「ダメ男製造機」と読んでいます。つまり、最初からダメ男だったのではなく、その女性と付き合うことで、ダメ男になってしまうのです。まさにサゲマン。
その女性の特徴は、次の3つだと言います。
「●自分が役に立ちたい女
●自分が役に立つ女だと思いたい女
●自分のことをすごいと思いたい女」(p.81)
つまり、「役に立つ自分でなければ存在価値がない」とか、「役に立たないと愛されない」と思っているのです。「ありのままの自分」では、愛されないと信じているんですね。
「そのままの自分、
ダメな自分、
甘えたい自分、
はガマンして、自分が役に立つことで、
存在価値をたしかめているのです。」(p.83)
「それは、
甘えてはいけない、
ダメではいけない、
という子どものころの経験が、作り出しています。」(p.84)
「あなたがガマンしていることを、ダメ男が目の前で見せてくれるから、
もう腹が立って仕方がない!
イライラしてくる!
私はこんなにガマンしているのに!
こんなに頑張っているのに!
という思いが、
「しっかりしなさいよ」
「もっと頑張りなさいよ」
という思いになって、ダメ男にイライラする。」(p.85)
「これは、「ずるい!」と怒っているのと同じです。
太りたくないからケーキを食べずにガマンしているのに、
目の前で食べるなんて、ずるい!
そんなふうに怒っているのと同じです。」(p.86)
「ダメ男に、「しっかりしなさいよ」
「もっと頑張りなさいよ」って言うのは、
「本当の自分」に向かって、必死に怒っているのです。」(p.87)
「つまり、あなたの近くのダメ男は、
昔のあなたを救いに来てくれた救世主なんです。
同時に、成仏していない、昔の小さなころのあなたが、
「私のこと、許して」「認めて」と化けて出てきた、
とも言えます(笑)。
だから、早く気づいて、認めてあげたほうがいいのです。」(p.88)
ここが核心の部分ですね。起こる出来事はすべて無駄がなく必然です。ダメ男と出会うのも、意味があるのです。
それは、自分自身の課題です。子どものころに作られた信念を、書き換えるときが来たのです。
「つまり、迷惑をかけるってことは、
人を役に立たせる、
人に役立つ喜びを与える、
ということでもあるのです。
そして、迷惑をかけないこと、甘えないことは、皮肉にも
「あなたは、役に立たない人間でしょ」
というメッセージを、相手に送り続けることになるのです。」(p.133)
迷惑をかけてはいけないという強迫観念が、実は相手から喜びを奪っています。そして、相手に対して「あなたはダメな人間ですよ」と言っているのと同じなんですね。
遠慮して相手に何もさせないことは、人間関係を良くしないばかりか、返って悪くすることになるのです。
「みんな、まわりに迷惑かけてもいいし、
怒らせてもいいし、手間をかけさせてもいい。
それをしてくれたことを、
ただ「ありがとう」って受け取るだけでいいっていうことです。
人に迷惑をかけるということは、
人に”役立たせて”あげるっていうこと。
役に立つチャンスをあげるということ。
あなたが、誰かに役に立つ機会をあげるっていうことなのです。」(p.172 - 173)
日本人は、「他人に迷惑をかけてはいけません」と教えます。でもインドでは、「他人に迷惑をかけずには生きられないのだから、寛容になろう。」と教えるそうです。
日本人の頑張る生き方が、自分を窮屈にしているばかりか、他人の機会も奪っているんですね。
「迷惑っていうのは、実は、たくさんの人からやさしさをもらっていることなんだって気づいたの」(p.186)
「迷惑をかけても、誰かがそれを引き受けてくれる−−。
迷惑なんてかけちゃダメ。しっかりしなくちゃダメって恐れていたことや、「すごいね」って言われることを思い切って手放していったら、こんなにたくさんの「幸せの証拠」が集まっていたのです。」(p.187)
人はみな、誰かを助けたいのです。だって愛ですから。それを自分で拒否し、相手の愛する機会を奪ってきたのです。
その否定的な制限を捨ててしまえば、ごく自然に愛が流れてきます。本当は愛されていたんだ。そう気が付くのですね。
「でも、「私はもう十分に愛されているし、満たされているからいいわ」っていう前提で努力したとしたら、「そうしなければ愛されない」という必死さではなく、きっと楽しいことに夢中になれるように、成長していけるのだと思います。」(p.192)
仮に努力する姿が同じだとしても、そのときの気持ちが違うんですね。不安に駆り立てられているときは、努力を楽しめません。だって、愛されるという結果のための努力ですから。
「いろいろ見てきましたけど、ダメ男はみんな、どこか私たちの心の師匠でもあるのです。私たちが”してはいけない”と、勝手に自分を縛って、自分を不自由にしているルールは、不要なんだよ、と教えてくれている師匠なのです。」(p.202 - 203)
「相手のことも「できなくてもいい」、自分のことも「役に立たなくてもいい」、それでもちゃんと愛され、存在できるということを、ただ「信じて見守る」ということが、解決へのいちばんの近道だったのです。」(p.204)
「ありのままの自分」を受け入れること。そして「ありのままの他人」を受け入れること。それでOKだと思うこと。それは愛なのです。
つまり、ただ愛すればいいのです。「これでいいのだ〜!」と、受け入れてしまえばいいのです。安心して生きればいいのです。
世の中の問題を解決するのは、そんな簡単なことなのですね。
2015年02月06日
理想の会社
福島正伸さんの本を読みました。
この本は、1月にセミナーに参加したとき、会場で購入したものです。福島さんのサインがもらえることもあって、併せて2冊購入した中の1冊です。
そのとき、「バンコクからこの福島さんにお会いしたくてやってきました」と言ったら、とても感動してくださいました。
もちろんあとで、「他にも予定はあるので、それは冗談ですけどね。」と付け加えたのですが、午後のセミナーの冒頭で、「わざわざバンコクからこのセミナーに参加するために来られた方がいる。感動しました!」とおっしゃられました。
さすがに福島さん。感動して自分をノセるようにしておられるのだと感じました。
さて、この本は、会社を良くするための方法として、「理想の会社」をイメージしましょう、という内容になっています。
ありありとイメージしたものが実現するからです。
そのイメージをするための方法として、物語にしましょうと提案されています。
おそらく以前、私はこの本を読んだことがあると思います。内容に記憶があるので。いつ読んだか覚えていませんが。
そのときも、物語にして描くことを、素晴らしい方法だと感動したはずです。けれども、その実践をしていませんでした。
今回、またこの本を読むことになったのは、きっと実践してみなさいということだと思います。今の私に、もっとも必要な本かもしれません。
なお、この本は理想の会社を実現するためのものですが、これは何も会社だけに限りません。理想の人生でも良いし、理想の家族でもかまいません。理想の学級、理想の学校、理想の地域社会、理想の手芸サークルなどなど、何にでも応用可能だと思います。
では、気になった部分を引用してみましょう。
「理想を描くときに大切なことは、それができるかどうかよりも、ワクワクするかどうかです。一見、できそうにないことでも、ワクワクすることができれば、理想に向かって進んでいく勇気が湧いてきます。そして、どうしてもやりたいと思うことであれば、どんな困難が待っていようとも、恐れることなく挑戦していくことでしょう。なぜならワクワクして、勇気が湧いてくるほど、困難は小さく見えるようになるからです。
その結果、理想が現実化していくのです。ワクワクする理想ほど、現実化する可能性は高くなります。」(p.14)
福島さんは、非常に現実的な観点から、「ワクワクする」ことを勧めています。ご存知のように、バシャールも「ワクワクする」ことを勧めていますが、それは本来私たちがやるべきことであり、魂が導くことだからです。どちらの観点からも、「ワクワクする」ことが重要なのですね。
「そして、困難の先には感動が待っています。困難があるからこそ、感動があるのです。困難がなく簡単にできることは、楽かもしれませんが、それでは感動を得ることはできません。
困難は、とらえ方ひとつで人生を大きな感動に包みこんでくれるものにもなります。そのためには困難を前向きに受け止め、成長の機会とすることが、大切なことなのです。
さらに、仲間と一緒にその困難に挑んでいくことで、感動を何倍にも大きくすることができます。感動は、他人と一緒に味わうことで、一人で味わう時に比べて、いくらでも大きくなっていくからです。そして、日々感動を味わいながら生きることが、生きがいのある人生になるのだと思います。」(p.15)
ちょっと長くなりましたが、ここが福島さんの考え方の核心部分だと思います。セミナーのときも、そう感じました。
つまり、困難は感動のためにあるんですね。困難をなくしてはいけないのです。逃げずに挑んでいくものなのです。
さらに、それを仲間と一緒にやること。そうやって感動を大きくすることが重要なのです。一人でやるんじゃなく、仲間に出番を与えることです。
「私は、社員にとっての幸せとは、
「生活を維持するだけではなく、社内のすべての人々が強い信頼関係で結ばれながら、それぞれが自分の可能性を発揮して充実した人生を送ることである」
と、考えています。それは、ただ安楽に生きるということではなく、社会に貢献することで自分の存在価値をつくっていくことです。」(p.16)
この「社員」や「社内」などの言葉は、他の組織に置き換えることが可能です、「家族」「家族内」でもOKです。
つまり、ある集団に属する人々の幸せとは、互いに強い信頼関係で結ばれるとともに、それぞれが自分の可能性を発揮して、充実した人生を送ることなのですね。安楽に生きることを望むのではなく、自分の可能性に挑み続けること。そして、他人に貢献することなのです。
「会社が今、どのような状況に置かれていたとしても、理想を描くことはできます。そして、理想に向かって働くことができる社員は、疲れることなく本気で働くことができます。本気で働くことができる社員は、それだけで幸せだと思います。
つまり、会社が成長すると社員が幸せになるのではなく、社員が幸せになるほど会社が成長していくのです。」(p.17)
この言葉は、まさに私に対してのものかと思いました。今がどんな状況か関係なく、理想を描くのは常に今なのです。そして、理想に向かって働くことが、社員にとっての幸せなのですね。
「私たちは、言葉を伝えただけで、伝えたつもりになってしまうことがあります。しかしその感動のイメージを共有できていなければ、本当の意味で伝えたことにはなりません。」(p.19)
つまり伝えるのは、何をどうするという理屈ではなく、感動なのです。感動を生み出すのは、その場の臨場感。つまりイメージ(想像)なのです。
「そのために有効な方法が、理想の会社の状況を物語にすることなのです。」(p.21)
「物語(ストーリー)」の重要性は、神田昌典さんも「全能思考」で言われていました。他でも耳にすることがあり、重要なキーワードだと思っています。
「情報を共有するためには、まず自分が情報を提供すること。社員が仕事を楽しむためには、まず上司が仕事を楽しむこと。思いを共有するためには、毎日思いを伝えること。社員が会社に誇りを持つには、上司が社員に感謝すること。
こうすることで、会社全体に一体感が生まれ、最強のチームをつくることができるようになる。」(p.40)
私自身が肝に銘じる言葉だと思いました。まず自分がワクワクし、楽しみながら仕事をすることですね。そして、毎日、情報を発信し、思いを伝えようとすること。そして社員に感謝すること。実践しようと思います。
「信頼するというのは、相手がどのような社員であったとしても、そのすべてを受け入れることです。社員の行為に関しては評価することはあっても、すべての社員は人間として信頼、尊敬すべき存在です。その意味で信頼できない社員というのは、弊社には一人もおりません」(p.60 - 61)
「理想の会社」物語の、登場人物のセリフです。信頼するとは、人としてありのままを受け入れる、ということなのですね。つまり愛。愛が根底になければ、理想の会社は成り立たないのだと思います。
「ただ、ここでお伝えしておかなければならないことがあります。それは、真の意味での理想の会社は存在しない、ということです。
なぜなら、そもそも理想とは存在するものではなく、追い求め続けるものだからです。
(中略)
大切なことは、誰もが実現したくなる理想を描き、それに向けて改善・成長し続ける風土を創ることなのです。」(p.126)
最初から「こんなの無理だよ」と否定するのではなく、どうしたらそこに近づけるかを考える。理想とは夢であり、それを追い続けることが人生の目的でもあるのですね。
充実した人生を送るために、具体的な指針を示してくれる本でした。
あなたも、「理想の人生」の物語を描いてみませんか?
2015年02月07日
遠隔でレイキ・ヒーリング
レイキは、遠隔で施術することができます。
どういうことかと言うと、対面でなくてもいいってことです。施術者と被施術者が、同じ場所にいなくても、レイキができちゃうのです。
「うっそー!?そんな超能力じゃあるまいしー。」
私も、最初はそんな風に思いました。だって、「手当て」なんだから、手を当ててればレイキが流れて、相手を癒すことができるというのはわかりますよ。でも、そこに人がいないのに、どうやって「手当て」をするんでしょう?
この遠隔という手法が、どういう経緯で生まれたのかわかりません。
しかし、当初からあったようです。
やり方は、そこに被施術者がいると想定して、患部に手を当てるというもの。
もちろん、最初はシンボルとマントラを使います。信じられない方法ですから、やはりそういうものに助けてもらう必要があるのです。
けれども、慣れてくればシンボルやマントラも必要ないと言います。
理論はいたって簡単。この世はすべてエネルギーで創られているから。時間や空間さえも、エネルギーが創り出しているもの。
そうだとしたら、時空を超えることなんて、エネルギーにとっては朝飯前なのです。
私たちの自我は、すっかりこの3次元空間に馴染んでしまって、そう簡単には超えられません。でもレイキは、この世に充満するエネルギーですから、いとも簡単に時空を超えるのです。
半信半疑だった私も、遠隔ヒーリングを繰り返すことによって、それが段々と確信へと変わってきました。
実は今日、遠隔ヒーリングの依頼を受けて、施術したところです。そして、驚くべき効果がありました。
対象者は、アメリカ在住のTさんという女性です。Facebookのグループに、次のような投稿をされました。
T:「遠隔のお願いです、藁にもすがる思いでこちらに来ました。昨日から激しい胃痛に襲われて、今日はほとんどベッドの中で過ごしました。多分、逆流性食道炎が再発したんだと思います。月曜日までなんとか持ちこたえて、救急に行かずに済めばと思っています。よろしくお願いします。」
どれほど苦しまれたのでしょうね。私はすぐに要請に応えました。
私:「Tさん、初めまして。タイ・バンコクに住む赤木です。これから少しやってみますね。」
遠隔ヒーリングを開始して、しばらくヒビキを探っていきました。すると、上腹部だけでなく下腹部にもヒビキを感じました。それでまずは上腹部を両手で挟むようにして、レイキをしてみました。
T:「赤木様、足の裏にビリビリを感じます。それとお腹と背中(どちらも上部)があったかい感じがします。」
私:「上腹部を両手で挟むようにしてやっています。手の平にうねるようなヒビキを感じます。まるでレイキの激流が流れているかのよう。」
アメリカとタイでは、ほぼ地球の反対側。それがレイキによって、一瞬にしてつながっているというのが驚きですよね。
レイキを始めて40分が過ぎたころ、Tさんからまたコメントがありました。
T:「痛みに悶絶していたのがウソのように、すーーーっといたみが消えていきます。痛みのために膝を抱え体を丸めた格好だったのですが、これも今は足を真っ直ぐ伸ばすことができます。すごい速効性!」
私:「それは素晴らしい!私も、嬉しいです。よい経験をさせていただいて、ありがとうございます。今はおへそのあたりを中心に、両手で挟むようにしてやっています。」
それから少し続けて、1時間ほどやってから施術を終了しました。
ウソみたいでしょ?でも、これが普通なのです。レイキの威力、恐るべし!
<2月9日追記>
その後、5時間くらいして、再び遠隔ヒーリングの要請がありました。
T:「激痛ではありませんが、また少し胃が痛みだしてきました。ちゃんとした飲食ができないので体力的にかなり弱っています。もう一日どなたか遠隔送ってくださる方がいたらありがたいのですが…
よろしくお願いします。」
すぐに他の方が対応されました。
T:「多分、○○様からの遠隔が送られているであろう時間帯に、急に食欲を感じました。スープと白湯を飲んで少しすると胃痛と、何故か頭痛がしてきて、たまらずベッドに横になると、そのまま眠りに落ちてしまいました。足の裏のビリビリや温熱など感じる間もなく、あっという間でした。」
このコメントの後、私も15分ほどレイキをしました。
T:「赤木様、ちょうど1時間ぐらい前に、また何か食べられる気がして、うどんを食べましたが…
もしかして送られた遠隔レイキと関連があるのでしょうかね。」
その後しばらくして、また他の方が50分ほど遠隔ヒーリングをされました。
T:「△△様、ありがとうございます。足元、とても暖かいです。そして今もまだ足の裏がビリビリしています。胃はだいぶ良くなり、スープやヨーグルト等を食べられるようになりました。50分もの長い時間を割いていただいて、本当に感謝です!」
それからまたしばらくしてから、私も30分を2回、そして他の方も遠隔ヒーリングをされました。
そしてタイの時間で昨日(8日)の深夜に、Tさんからのコメントがありました。
T:「時差でコメントが遅れてすみません。
□□様、赤木様、ありがとうございます。金曜日からの激痛がうそのように消えた日曜の朝です^_^
今回ほどはっきりと遠隔の効果を感じたことはありません、とても良い経験でした。痛みを和らげてくださった皆さん、本当にありがとうございました!」
レイキは、一瞬にして病気や怪我を治してしまう魔法ではありません。
いたるところに充満しているエネルギー、つまり氣(=靈氣)を必要とするところ(=患部や病根)に流すことで、人間が本来持っている自然治癒力を活性化させるものです。
施術者は、単に氣の通り道(パイプ)の役目を果たすだけ。必要とするところが必要なだけ靈氣(レイキ)を吸い取ってくれるので、何も考える必要がありません。
ただ、一定の時間をかける必要性があるため、施術者は被施術者に寄り添ってあげる必要があります。
おおらかな気持ちで、じっと寄り添ってあげる。レイキはまさに愛だと思います。愛の力が心身の苦痛を癒すのですね。
どういうことかと言うと、対面でなくてもいいってことです。施術者と被施術者が、同じ場所にいなくても、レイキができちゃうのです。
「うっそー!?そんな超能力じゃあるまいしー。」
私も、最初はそんな風に思いました。だって、「手当て」なんだから、手を当ててればレイキが流れて、相手を癒すことができるというのはわかりますよ。でも、そこに人がいないのに、どうやって「手当て」をするんでしょう?
この遠隔という手法が、どういう経緯で生まれたのかわかりません。
しかし、当初からあったようです。
やり方は、そこに被施術者がいると想定して、患部に手を当てるというもの。
もちろん、最初はシンボルとマントラを使います。信じられない方法ですから、やはりそういうものに助けてもらう必要があるのです。
けれども、慣れてくればシンボルやマントラも必要ないと言います。
理論はいたって簡単。この世はすべてエネルギーで創られているから。時間や空間さえも、エネルギーが創り出しているもの。
そうだとしたら、時空を超えることなんて、エネルギーにとっては朝飯前なのです。
私たちの自我は、すっかりこの3次元空間に馴染んでしまって、そう簡単には超えられません。でもレイキは、この世に充満するエネルギーですから、いとも簡単に時空を超えるのです。
半信半疑だった私も、遠隔ヒーリングを繰り返すことによって、それが段々と確信へと変わってきました。
実は今日、遠隔ヒーリングの依頼を受けて、施術したところです。そして、驚くべき効果がありました。
対象者は、アメリカ在住のTさんという女性です。Facebookのグループに、次のような投稿をされました。
T:「遠隔のお願いです、藁にもすがる思いでこちらに来ました。昨日から激しい胃痛に襲われて、今日はほとんどベッドの中で過ごしました。多分、逆流性食道炎が再発したんだと思います。月曜日までなんとか持ちこたえて、救急に行かずに済めばと思っています。よろしくお願いします。」
どれほど苦しまれたのでしょうね。私はすぐに要請に応えました。
私:「Tさん、初めまして。タイ・バンコクに住む赤木です。これから少しやってみますね。」
遠隔ヒーリングを開始して、しばらくヒビキを探っていきました。すると、上腹部だけでなく下腹部にもヒビキを感じました。それでまずは上腹部を両手で挟むようにして、レイキをしてみました。
T:「赤木様、足の裏にビリビリを感じます。それとお腹と背中(どちらも上部)があったかい感じがします。」
私:「上腹部を両手で挟むようにしてやっています。手の平にうねるようなヒビキを感じます。まるでレイキの激流が流れているかのよう。」
アメリカとタイでは、ほぼ地球の反対側。それがレイキによって、一瞬にしてつながっているというのが驚きですよね。
レイキを始めて40分が過ぎたころ、Tさんからまたコメントがありました。
T:「痛みに悶絶していたのがウソのように、すーーーっといたみが消えていきます。痛みのために膝を抱え体を丸めた格好だったのですが、これも今は足を真っ直ぐ伸ばすことができます。すごい速効性!」
私:「それは素晴らしい!私も、嬉しいです。よい経験をさせていただいて、ありがとうございます。今はおへそのあたりを中心に、両手で挟むようにしてやっています。」
それから少し続けて、1時間ほどやってから施術を終了しました。
ウソみたいでしょ?でも、これが普通なのです。レイキの威力、恐るべし!
<2月9日追記>
その後、5時間くらいして、再び遠隔ヒーリングの要請がありました。
T:「激痛ではありませんが、また少し胃が痛みだしてきました。ちゃんとした飲食ができないので体力的にかなり弱っています。もう一日どなたか遠隔送ってくださる方がいたらありがたいのですが…
よろしくお願いします。」
すぐに他の方が対応されました。
T:「多分、○○様からの遠隔が送られているであろう時間帯に、急に食欲を感じました。スープと白湯を飲んで少しすると胃痛と、何故か頭痛がしてきて、たまらずベッドに横になると、そのまま眠りに落ちてしまいました。足の裏のビリビリや温熱など感じる間もなく、あっという間でした。」
このコメントの後、私も15分ほどレイキをしました。
T:「赤木様、ちょうど1時間ぐらい前に、また何か食べられる気がして、うどんを食べましたが…
もしかして送られた遠隔レイキと関連があるのでしょうかね。」
その後しばらくして、また他の方が50分ほど遠隔ヒーリングをされました。
T:「△△様、ありがとうございます。足元、とても暖かいです。そして今もまだ足の裏がビリビリしています。胃はだいぶ良くなり、スープやヨーグルト等を食べられるようになりました。50分もの長い時間を割いていただいて、本当に感謝です!」
それからまたしばらくしてから、私も30分を2回、そして他の方も遠隔ヒーリングをされました。
そしてタイの時間で昨日(8日)の深夜に、Tさんからのコメントがありました。
T:「時差でコメントが遅れてすみません。
□□様、赤木様、ありがとうございます。金曜日からの激痛がうそのように消えた日曜の朝です^_^
今回ほどはっきりと遠隔の効果を感じたことはありません、とても良い経験でした。痛みを和らげてくださった皆さん、本当にありがとうございました!」
レイキは、一瞬にして病気や怪我を治してしまう魔法ではありません。
いたるところに充満しているエネルギー、つまり氣(=靈氣)を必要とするところ(=患部や病根)に流すことで、人間が本来持っている自然治癒力を活性化させるものです。
施術者は、単に氣の通り道(パイプ)の役目を果たすだけ。必要とするところが必要なだけ靈氣(レイキ)を吸い取ってくれるので、何も考える必要がありません。
ただ、一定の時間をかける必要性があるため、施術者は被施術者に寄り添ってあげる必要があります。
おおらかな気持ちで、じっと寄り添ってあげる。レイキはまさに愛だと思います。愛の力が心身の苦痛を癒すのですね。
2015年02月09日
道に迷う若者へ
高取宗茂さんの本を読みました。道に迷っている若者に贈る言葉が書かれているようです。
私がこの本を知ったのは、みやざき中央新聞の記事がきっかけでした。
2015年1月1日号のみやちゅう新聞に、「その1【前編】 「今日が最後の一日」と決めたとき、その一瞬一瞬がとてつもない幸福感で満たされた」という長いタイトルですが、蒲ァ志出版社代表の田中克成さんの講演記事が載っていました。
田中さんは冒頭、こういうことを言っています。
「昨年、立志出版社という出版社を立ち上げ、リヤカーで全国を回りながら『道に迷う若者へ』という1冊の本だけを売り歩いています。」
何という途方もないことをしている人なのだろう。私の関心は、一気に田中さんの人生に引き寄せられました。
そして記事を読むと、警備会社勤めのサラリーマンから独立し、事業がうまく行かず、7000万円ものローンの返済に追われて苦しんだことがわかりました。
子どもたちの幸せを考えて購入したマイホームを手放すことは、自分で父親としての価値を否定するようなもの。
その苦しみの中で、死ぬことで保険金を残し、せめて父親らしいことをしてやりたいと思うようになったのだそうです。
けっきょく自殺は、母親の直感によって思いとどまることになりました。そして、田中さんのことを心配した友人が会わせてくれたのが、居酒屋(焼き鳥屋)の大将だった高取さんでした。
そこで高取さんは、田中さんの話を聞いた上で、こう言われたそうです。
「俺はお前に信念を通せと言うが、お前が信念を通し続けた結果、4畳半のアパートの片隅で一人寂しく餓死することになるかもしれん。そんなお前を、周りの人間は後ろ指をさして笑うかもしれん。でもな、お前が命の灯(ともしび)を燃やし切る瞬間、『俺よくやったよな』と微笑んで死ねたのであれば、お前は成功者だ。死の瞬間をいつ迎えても納得できる目の前の選択を繰り返せ。それが唯一の成功の定義だ」
「どんなに地位や名誉、財産を得て、多くの人に別れを惜しまれようとも、振り返った人生が後悔だらけやったらそいつは失敗者だ。お前はどっちの人生を歩みたい?今、長崎に帰っていつか死を迎えたとき、お前は納得できるのか?」
その言葉を聞いたとき、田中さんは魂が震えたのだとか。この出会いがきっかけとなって、この本が生まれたのですね。
前置きが長くなりましたが、気になった部分を引用してみましょう。
「世の大人はどいつもこいつもみんな自分に確信がない。
世の大人はどいつもこいつもみんな迷っている。
世の大人はどいつもこいつも働かないと食っていけない。
そして、自分が知らない新しい価値観の若者の出現をいつも恐れている。うらやみ、ねたみ、社会はそんなに甘くない、と自分の劣等感を隠す。そんなヤツらを怒らせないようにビクビクやってんのが今のお前だ。そんなヤツらが決められた社会のルールに「認められたい」が為に懸命に走っているのがお前なんだ。」(p.47)
「人生は不平等であるからこそ、多様な価値観が生まれ、それぞれの境遇の中で好きなものが出来る。世の中何が恵まれているのか、何が幸せなのかなど最後まで分からない。自分の人生の宿命を受け入れ、他人のせいにすることなく、ただ己の足元を見つめた先にこそ、お前らしい生き方がある。そしてな、実は、出生の不平等とは、決してデメリットばかりではない。どんなに他人から見れば恵まれない境遇であったとしても、その全てがお前へのギフトだ。」(p.52)
「実は、今のお前の目の前にある壁や問題は、今のお前に無いものを教えてくれている。
頭を抱えて目を背けて逃げようとするな。その現実こそが、これからのお前に足りないものなのだ。金が無い。職が無い。就職できない。それは表面上の問題でしかない。」(p.57)
「いいか。振り返り、チェックし、見直し、気付け。
地図から見た現在地のように、今の自分の立ち位置を知れ。過去の道のりを振り返り、今、そこにお前が立っている意味を知れ。」(p.58)
「お前が苦しんでいる理由は、「わがままの集合体である社会」に「お前のわがまま」を認めさせようとしているからだ。お前が世の中側の立場なら、お前だって何も持たない若造のわがままを認めようとはしない。」(p.62)
「なぜ終わりそうも無い苦悩のループが最初なのか考えろ。自分に出来るわけがない、という否定的な考えと向き合え。なぜ自分を過小評価するのか考えろ。俺は「どんな人生をお前が歩んできたとしても構わない、過去を見つめろ、今からが大事なのだ」と言っている。
なぜお前の人生はお前の思うようにならないのか見つめ直せ。
やり方が悪いのか。あり方が悪いのか。敵を知らないのか。自分を知らないのか。
今はいいんだ。自信も無く、何も無い。それでいいじゃねぇか。
不安は強烈な武器になるから大事にしておけ。
不安を感じない社会への依存より、不安を感じる己の人生への誇りを持て。」(p.64)
「全ては覚悟だ。
他人と違う生き方を選んだ以上、他人に理解されることは期待するな。
どこかの誰かが言った情報を頭に詰め込んでも同じだ。どんなセミナーに通っても、そこに答えはない。お前が経験した事が、これから経験することが、お前に一体何を教えてくれるのか。その一点だけを真っ正面から見つめていけばいい。」(p.73 - 74)
「本来、年寄りでも若者であろうと自立した以上、己の意見をはっきりと通す人のことを「大人」という。自分の好き嫌いをはっきりとさせることが大人の定義。その代わり自分の言動、決断に責任を持つ。一本筋が通った大人は、そもそも周囲に嫌われ、軽蔑されることを恐れてはいない。
人生とは、何が正解で何が間違っているかなど、明確な答えはどこにもない。結局自分の人生は自分で「ケツをふく」しかないのだから、一番大切にしなければならないことは理解するのではなく、最終的に自身が納得出来るかどうかだけなのだ。」(9.97 - 98)
「過去は、過去の為政者が決めたルールで邪魔者を裁き、今は今の時代の為政者が決めたルールで邪魔者を裁く。この流れはずっと変わらない。時代の流れで正義は変わり、価値観も移ろっていくのだ。人の普遍的な価値観などで全ての法律が決まっていくわけではない。」(p.156 - 157)
「なぜ政府や官僚が定めた「彼らにとって都合の良いルール」で、俺たちの行動が制限されなければならないのか。
お前の正義は、お前だけのものではないか。
ひとたび信念を貫かなければならない時は徹底して貫き、その行動の責任はお前の全存在を懸けて受け入れろ。
お前には自分の命よりも重たい信念の種がある。
人生の行き着く先はその信念を磨き、鍛え育て上げること一点のみである。」(p.158)
「これからの時代、世の中の常識とお前の常識が違うことなど腐るほどある。
世の常識は時代とともに移り変わり、お前の常識はお前の生き方の上にあり、結局死ぬまで「時代の総意」VS「お前の生き方」という構図は変わらない。
俺が散々孤独を歩めという理由は、その自分なりの信念を貫く覚悟が必要であることと、そんな得体の知れない空気を相手にする必要はない、ということにある。」(p.158 - 159)
一気に引用しましたが、個々にコメントをするより、言葉の迫力を感じていただけると思います。
高取さんは、九州の名門の家に生まれ、お坊ちゃまとして幼少期を過ごしたそうです。しかし、中学生くらいのころに家が没落し、貧困生活が始まります。
その後、裏の世界で生き、様々な経験を積み重ねて、自分の生き方に目覚めたそうです。
今は焼き鳥を焼きながら、信念に生きておられるのだとか。
常識は変わるし、人によっても異なる。だからそんなものにとらわれずに自分の信念を貫け。自分の経験から学べ。そう高取さんは若者に対して言います。
正解も不正解もない。ただ自分が納得できるかどうかだけが指針であると。
私自身、高取さんが言われることを、100%納得しているわけでもなく、またすべてを理解できたとも思いません。
ただこの本には、高取さんの生き様がありのままにぶつけられている感じがしました。
2015年02月10日
やるからできる
久保ひろしさんの本を読みました。
この本を買ったきっかけは、1月24日(土)にバンコクで行われた久保さんのセミナー「エピソード0(ゼロ)」に参加したからです。
なぜこのセミナーに参加したかというと、私が受講しているボイストレーニングの先生、江頭幸宏さんが独立するにあたって強く影響を受けたという話を聞いたからです。
メディアなどの情報より、こういう口コミによる情報の方が信用できるし、また影響を受け易いですね。
セミナーは15時から17時までの2時間で、料金は1,000バーツ(約3,500円)でした。本は、セミナー終了後に500バーツ(約1,750円)購入し、久保さんにサインをしていただきました。
では、気になったところを引用してみましょう。
「ある人が、私のことを冗談交じりに「久保さんは、失敗のデータベースだ」と言ってました。失敗のデータベースができるくらい、人より多く、そして大きな人生の谷を経験していても、今、私は生きています。楽しく生きています。本当にやりたいことをやっています。なぜなら、失敗の数だけ、私は立ち上がってきたからです。失敗のデータベースは、そこで諦めさえしなければ、どん底から立ち直るコツのデータベースにもなるのです。」(p.5)
久保さんは、近いうちに行われる宇宙旅行に申し込まれたそうです。
そんな久保さんですが、プロサッカー選手を目指しながら挫折したり、独立して成功したものの、有頂天になって巨額の赤字を作るなど、起伏の激しい人生を送って来られました。
そこから再起をかけて、4畳半一間の何もない部屋から再出発し、現在のようなビジネス脚本家(コンサルタント)として活躍されています。
「行動にフォーカスしたスキルやノウハウを紹介する本やセミナーは、世の中に数えきれないほど存在しています。しかし、望む結果を手に入れている人は、そんなスキル本やノウハウ本の数ほど増えていません。それはスキルやノウハウなどの「やり方」ばかりを重要視して、「あり方」の大切さを見過ごしているからなのです。」(p.17)
「テレアポも、プレゼンも、セールスも、カウンセリングも、量をこなさなければ質は高まらない、つまり上達しません。その量をこなすためには、「あり方」の土台が必要になってくるのです。」(p.29 - 30)
「ただ、ある時ふと思いました。二〇代の頃の私は、「儲かるから何かをする」という考え方でした。しかし、三〇代で再起業した時は、商売をやっている人たちに商売に役立つ情報を提供したいと思っていました。だから、始めた時に、心で誓い、決断していることがありました。それは「ずっとやる」ということです。お客様にとって価値ある情報を講座を通じて発信し続けると決めていました。これが、あり方の土台です。」(p.30 - 31)
スキルやノウハウの前に「あり方」を見つめる必要がある。この指摘は、「神との対話」にも通じるものがあります。行動よりも「在り方」が重要だと言っていますから。
そしてこの「あり方」がしっかりすると、方法は無数にあることがわかります。成功の秘訣は、「始めること」と「続けること」の2つだと言います。何を始めて続けるかは、この「あり方」で決まると言えるでしょう。
「結局は、誰もが本来望んでいる結果を手に入れています。願望は価値観から生まれているので、価値観で望んでいるものが、結果という形になっているだけのことなのです。」(p.22)
いわゆる思考が現実化することを、久保さんも指摘しています。それだけに、どういう価値観を持つかが重要になってきます。
「人生において、うまくいく出来事、うまくいく状態、欲しいものを見た時、人はその事象に対して、いい解釈やいい捉え方をします。でも、うまくいかない出来事や受け入れたくない結果を見た時は、マイナスの解釈、うまくいかない解釈をしてしまいます。
当たり前のように聞こえますが、ここが鍵なのです。この解釈の質が人生の質を決めています。」(p.46 - 47)
起こる出来事はニュートラル(中立)です。それにどのような意味を与えるかは、その人の自由。出来事に反応するのか、それとも自ら意識的に創造するのか。そう、「神との対話」でも言っていますね。
「世の中で「成功者」と言われている人や、人生がうまくいっている人、仕事で成果を出している人の特徴は、よく言われるようにプラス思考、積極的思考です。これはそもそも、自分自身の捉え方がプラスなのです。すなわち、自分に自信があるから、何事にも前向きになれます。自分自身の捉え方がプラスで、なおかつ、その捉え方を自分の今と未来に役立つように、意味付けがきちんとできているのです。
大切なのは、まず過去を捉えて、そして今から未来に役立つように意味付けすることです。これが、うまくいっている人、世に言う成功者に共通する思考回路です。」(p.50 - 51)
成功者の特徴は、「どうすれば上手くいくか?」と考えるのだそうです。逆に成功しない人は、「どうして上手くいかないのだろう?」と考えるのだとか。
つまり前提として、「上手くいく」と決めているのですね。しかも無意識に。
私にもわずかながら、そういう経験があります。自信がある教科のテストでは、すぐに問題が解けなくても慌てませんでした。「解けるはずだ」という無意識の思いがあり、自信があったからです。そして、その自信通りに、問題が解けてしまうことが多々ありました。
「物事の捉え方が変われば、人生が変わります。私は、自分が数千万円もの借金を背負ったから、人生を変えるのはもう無理だと思っていました。そんな自分に対して「前向きな借金は返すことができる」、さらに「その借金を返せば、それはあなたのスキルになる」と教えてもらえました。本当に大切なのは、認識=捉え方なのです。」(p.52)
マイナスだと感じていたことも、捉え方(見方,意味付け)を変えれば、プラスになります。「もうダメだ」と思えばダメになるし、「これはチャンスだ」と考えれば、解決の糸口が見つかるのです。
「信念というのは、自分自身を信じる捉え方です。信念が変われば期待が変わり、期待が変われば態度が変わり、態度が変われば行動が変わり、行動が変われば結果が変わります。つまり、自分自身の結果を変えたければ、まず信念を変えなければなりません。」(p.54)
信念は、過去の経験や、他人から言われたことから来ています。ですからまず、過去の自分自身を完了させる必要があると、久保さんは言います。
「どのように完了させるのか。決して難しい技術はいりません。「すべては自分にとって特別な意味がある」と考え、身の回りに起こるすべてのことはベストなのだと捉える。すべての過去の出来事を、このようにして完了させていきます。」(p.55)
起こることは必然で無駄がないと言います。その考え方を自分の過去に適用するということですね。
「過去は終わったことであり、それは変えられないけれど、自分の捉え方次第でどうにでも解釈できるものです。そして、今のあなたが未来を作っているのです。」(p.57)
「今、あなたがやるべきことは、今あなたの目の前にあることだけなのです。」(p.57)
「自分を確実に助けられるのは、自分だけです。それを自分以外のコントロールできないものに思考を向けているというのは、責任転嫁以外の何物でもありません。」(p.57 - 58)
過去をいつまで悔やんでいても、どうしようもないことです。それはそれとして、自分にとって良いことだったのだと解釈を変え、受け入れることが出発点になります。
そうして過去を完了させたら、今、目の前のことに取り組むことです。「いま、ここ」に生きるというのも、「前後裁断」するというのも、同じことですね。
「しかし、このプラス思考について、多くの人は誤解しています。何事も良い方向に考えるだけなのは、プラス思考ではなくて無謀です。うまくいかない出来事や否定的なことを、不可能で片付けてしまうのではなく、どうしたら可能にできるか、また、うまくいくように対処しようとする考え方のことを、プラス思考というのです。」(p.58 - 59)
「世の中「何とかなるさ」と言っている人は結構いますが、何とかするのが人生なのです。「何ともならない」と思っていたら、本当に何ともなりません。でも、「何とかなるさ」と思っているだけでも、何ともなりません。何とかしなければなりません。その行動が伴う考え方が、本物のプラス思考、プラスの解釈なのです。」(p.59)
つまり見ないふりをするのではなく、しっかりと受け止め、それを「何とかできるはず」と考え、「何とかしよう」と思うことですね。
「今やっていることで、無駄なことなど何もない。すべては自分の考え方、捉え方次第で、今の経験を未来に役立つものにするのか、ただ時間を浪費するだけのものにするのか、自分が決めることができるのです。」(p.66)
「もっと効果的に、一直線に目標に向かう方法はないのだろうかと悩んでいました。成功に向かう道は、まっすぐな一本道だと思っていたのです。でも、そんなものはなくて、本当の成功道というのは、ジグザクに、時には横にそれながらも前に進んでいく道でした。そこには寄り道というものはなく、すべてが成功するために必要な道だったのです。」(p.66)
だからどんな生き方にも無駄はないのですね。失敗さえも、落ち込んで引きこもっているときさえも、成功への道の途上にあるのだと。
すべての道は神に通じていると、「神との対話」には書かれています。だから、他人と比べて自分の道を卑下する必要もないし、また他人の道を正させる必要もないのです。
「追い詰められた何もない状況の中で、ここからやるしかないと決意した時に、自分を前に進める原動力になったのが、未来の自分、理想の自分、あるべき姿だったのです。」(p.80)
「どんな自分だったら好きか、どんな自分になりたいか、何をしている自分だったら最高か……ということを、思いつくままに書き出してください。」(p.82)
「ただ、最初に書き出しただけでは、人生は変わりません。大切なのは、書いて読んで、書いて読んでを繰り返していくことです。これを継続することで、徐々に潜在意識を動かします。そして、セルフイメージを実現するための方法や考え方が、徐々に徐々に自分の中に刷り込まれていくのです。」(p.84)
これは久保さんの手法の肝とも言えるセルフイメージを書き換えるワークになります。
「……な男(女)、○○○(氏名)」のように書くそうです。たとえば、「他人を幸せにする男、赤木篤」みたいな感じです。
自分の理想の姿を断定的に言うことを繰り返すことで、それを潜在意識に浸透させる手法です。
これをやっていると、不思議なことに「自分がセルフイメージで自分自身に対して使っている言葉を、他人に対しても使い始めている」ことに気づくそうです。
これはある意味で当然ですね。与えたものが返ってくるとも言いますが、その言葉のイメージを与えたので、そういう現実が現れるからです。
また、潜在意識には主語がないとも言います。「私は…」のつもりで言っていても、それは他の誰かとしても現実化するのです。
あるいは、自分が常にそのことをイメージしているため、そういう現実に気づきやすくなっているとも言えますね。
いずれにせよ、潜在意識に浸透すれば、その言葉のイメージ通りの現実が現れてきます。
「頭で考えたら、どうしても計算が先に立ってきます。問題は、心がどうしたいかです。頭で恋愛はしません。恋愛は心でするものです。それと同じで、心がどう感じているのかで、夢や目標を決めたらいい。私はそう思います。」(p.166)
「自分の心が揺さぶられるかどうか」で判断するのがよいと、久保さんは言います。別の表現をするなら、やはり「ワクワクする」ことでしょうね。
直感的に「これが好き」「これが自分らしいことだ」と感じること、と言ってもいいかもしれません。
本の後半は、久保さんのPVP(パーソナル・バリュー・ポイント)セミナーを受講された人の実例が載っています。
PVPにはエピソード0から3までがあり、0が体験会のようなものです。1から3が、本講座という感じですね。
エピソード1は2日間で、2と3は1日のセミナーです。それぞれ、10時から20時ないし21時までという、長時間のセミナーとなっています。
本の副題にある「人生を劇的に変える思考法」を身につけることは、何ものにも代えがたい価値のあることだと思います。
2015年02月12日
夢を叶える
1月16日のセミナーに参加した時に購入した、福島正伸さんのもう1冊の本を読みました。
タイトルを見て選んだので、どんな内容かは知りませんでした。けれど読んでみると、受けたセミナーの「自立型人間育成研修」そのままの内容でした。
サブタイトルに「不可能を可能にする自立型思考のバイブル」とあったのですが、そこまで見ていませんでした。
もちろん、買って大正解だと思いましたよ。期せずして、セミナーの復習ができたのですから。
この本にも購入時に、福島さんにサインをしていただきました。
では、気になる部分を引用して、本の内容を紹介しましょう。
「環境や他人が、自分の人生を決めることはできない
自分の人生を決める権利は、すべて自分が持っている
自分が楽をしようとすると、すべてのことが困ったことになる
自分が成長しようとすると、すべてのことがありがたいことになる
自分の人生を輝かせることができるのは、自分だけである
自分の人生を輝かせるために必要なものは、すでに自分が持っている
すべての人に無限の可能性がある
すべての限界は、勘違いである
つまり、どのような環境に置かれていたとしても、未来は自分次第で決まる、ということです。」(p.10 - 11)
「まえがき」に、これがこの本で伝えたいことだとあります。いわばこの本の結論です。読んでいるだけで、魂がふるえるような感動がありますね。
「環境は思い通りにならないことがありますが、そこで自分がどのように考えるかは思い通りになります。それによって、気持ちが変わり、行動が変わり、人間関係が変わり、結果が変わり、未来が変わります。
私たちの人生は、環境に左右されているのではなく、自分の考え方によって左右されているのです。」(p.22)
思考が現実を創ると言いますが、福島さんも同じことを言われます。
「そこで私が気づいたことは、次のようなことだったのです。
「自分は、ものごとがうまくいかないように考えている。しかし、何かを成し遂げた人たちは、ものごとがうまくいくように考えている」
そして、何よりも驚いたことは、どんなに優れた成功者と言われる人であっても、さまざまな問題や困難が、同じように降りかかっているということでした。」(p.29)
昨日紹介した久保ひろしさんの本にも、同じようなことが書かれています。成功者は問題や困難が少ないのではなく、そういうことがあっても他の人とは違う考え方をしているのです。
「つまり、今までは、何でも自分の思い通りにしようと思っていたのです。それは、あまりに自分勝手でわがままな考え方でした。
そうではなく、真の原因を自分自身に見い出し、自分の出番をつくれば良かったのです。自分自身に期待し、自分が成長すれば良かったのです。」(p.33)
「こうあるべきだ」「自分は正しい」という考え方は、すべてを思い通りにしようとする傲慢な考え方です。その考え方でいる限り、ものごとは上手く行きません。
思い通りにならなかったとき、その原因を自分の中に探すのです。そうすれば、自分の出番が生まれます。自分の出番なら、自分が努力し、成長することで解決できるでしょう。
「私たちは、環境に影響を受けているのではなく、習慣に影響を受けているのです。それは、どのように考えるかという、思考の習慣です。
(中略)
すべての習慣は、変えることができます。
そして、習慣を変えると、未来が変わります。」(p.40)
まるでこの幸せ実践塾で私が言っていることと同じですね。(笑)
「なぜこのようなことが可能になるのでしょうか?
それは、人間に不可能はないからです。
どんな時でも、手法が百万通りあるからです。
考えれば考えただけ、新しい練習方法や新しい技術を見つけ出すことができるのです。」(p.43)
陸上競技の100メートル走の世界記録を例に、ひたすら0秒に近づき続けるはずという予想を披露し、その理由を語った部分です。
たいていは「8秒台は無理じゃないか」と根拠のない予想を言って、自ら限界を決めてしまいます。けれども、もし9.00秒が出せるなら、8.99秒だって夢じゃありません。
人が希望を持って挑戦し続ける限り、その夢はいつか実現すると言えるでしょう。
「人はどんなに努力をしても、さらに努力をすることができます。これ以上の努力はできないと思うことはあっても、努力そのものに限界はないのです。
(中略)
何時間努力するかという、時間的努力は有限かもしれませんが、どのような努力をするかという質的な努力は無限です。努力の内容は、無限に改善することができるのです。」(p.47)
言われてみると、反論のしようがありませんよね。努力が無限なら、達成できることに限界はありません。
「まわりの人たちは、自分の行動を見ているのです。こちらの行動を見て、支援するかどうかを決めています。自分一人でもやりぬく意志というのは、いわば磁石のようなもので、目標を達成するために必要なものを、まわりから次々と吸い寄せるものなのです。
(中略)
大切なことは、できるかできないかではなくて、できることからあきらめずに努力を続けているかどうかということなのです。」(p.64)
できるかできないかではなく、やるかやらないかです。やると決めたら、できることをやるだけ。一人になってもやる。そういう強い意志があれば、人が引き寄せられてくると言います。
「安定を求める欲求は、人間の生存にかかわる本質的な欲求です。だから、それを求めること自体には何の問題もありません。問題は、安定を自分の「外」に求めるか、自分の「中」に求めるかなのです。
(中略)
安定は、自分の「中」に求める以外にありません。
自分の中に求めるとは、自分の努力によって安定を得ることです。
たとえ、自分が勤めている会社が倒産したからといって、自分の人生そのものまで終わりだと悲観する必要はありません。もう終わりだ、と思うこと自体が錯覚なのです。」(p.66 - 68)
どんなに大きな企業でも潰れることがあるし、公務員になっても大病を患うこともあるでしょう。人生の保証を「外」に求めて意味がなく、自分の「中」に求める他ないと言います。
「人は困難に立ち向かい、それを乗り越えていく中で、得られるものがあります。それが、達成感であり、さらに大きな困難を乗り越えた時には、心が震えるような感動を得ることもできます。いわば、困難の後ろに感動が待っているのです。困難が大きければ大きいほど、その陰に隠れている感動も大きくなります。」(p.78)
困難は避けるものではなく、喜んで迎え入れるものなのですね。
「実は、失敗が人生に与える影響は、まったくないのです。
つらいことだと思えばつらいことになりますし、ありがたいことだと思えば、ありがたいことになるのです。
影響を与えるのは、失敗に対する考え方なのです。」(p.84)
出来事が問題なのではなく、その出来事に対する解釈、つまり考え方が問題なのですね。
「人には大きく分けると、二つの欲求があります。
それは安楽に生きていきたいという欲求と、充実した人生を送りたいという欲求です。
(中略)
そしてこの安楽の欲求は、他へ依存する意識を生みます。なぜなら、その方が楽だからです。子どもの頃は両親や先生に依存し、そのままでいると社会人になっても、会社や社会に依存してしまうことがあります。
どんな人にも、安楽に生きていきたいという欲求がありますが、その欲求がどれだけ満たされたとしても、生きがいを得ることはできません。生きがいを得るために必要なのが、自分を社会のなかで活かしたいという充実の欲求を満たすことだからです。」(p.89)
「安楽を求めて他に依存しようとする考え方が依存型思考であり、また、充実の欲求に基づいて自分に期待しようとする考え方が自立型思考です。
自立型思考とは、他人や環境に依存するのではなく、自分自身の可能性を信じ、自分の力を最大限に発揮する考え方です。」(p.93)
「安楽の欲求」か「充実の欲求」か。どちらを選択するかで、人生が変わってきますね。
「実は、すべての趣味が、うまくいかないこと、思い通りにならないこと、苦労することを楽しんでいるのです。
ここでいう楽しみとは、安楽ではなく、充実感です。目標を持って、自発的に取り組むことから、私たちは充実感を得ることができるのです。
さらにこの苦労が、社会の役に立ち、感謝されるものならば、より大きな充実感となり、毎日ワクワクしながら生きることができるようになります。」(p.129 - 130)
考えてみれば、ゴルフなどのスポーツでも、ゲームでも、あえて制限を課して難しくしています。そんなことを、時間や労力を使い、お金を払ってまでやるのが趣味ですよね。
ワクワクする楽しいことなら、そこまでしてでも私たちはやるのです。もしそれが他の人の役に立つ仕事なら、どれほど毎日が充実した楽しいものになるでしょう。
「つまり、あらかじめ立てた目標を達成することが自己実現ではなく、目標に向けて努力をしている状態が自己実現なのです。」(p.133)
目標は通過点とも言えますね。進化成長し続けることが自己実現だと思います。
「問題が起こったとしても、それを解決することによって、次にはもっと価値の高い商品、サービスを顧客に提供できるようになります。問題を自己原因として受け止めることによって、改善、成長の機会を得ることになると考えるのです。」(p.161)
問題を他人のせいにすれば楽ですが、楽ということは、自分では解決できないということになります。
自分が何もできなければ、自己の無力感を積み重ねるだけですし、当然、自分の成長の機会を放棄することになります。
「人は無意識でいると、安楽の欲求に流されて、何をするのも面倒なことに感じて疲れていきます。ですから、意識的に自分の可能性を発揮する必要があります。自分が毎日ワクワクしながら生きていけるような習慣を持つことが自己管理です。」(p.170)
つい安楽の欲求に流されてしまいそうな自分に、充実の欲求を持たせ続けるように仕向ける必要があるというわけです。
「こうして感謝に溢れた生活をしていると、生きる意欲に溢れてきます。
生きる意欲は、環境よりも自分の意志によって高めることができるのです。
ワクワクする習慣は、これからの人生のすべてを変えるでしょう。」(p.175)
意図的に感謝の種を探し、それに感謝する。こういう習慣を身につけることが、充実の欲求を持たせ続けるために重要なのですね。
「人間関係では、自分が他人に対して発言、行動したことが、自分に返ってきます。
自分が困っている時に、まわりの人たちが助けてくれないとすれば、それは自分が過去に、まわりの人たちを助けてこなかったからです。」(p.186)
「自分の思い通りに他人を動かすことはできません。
ですから、他人への期待は、結果として裏切られることになります。期待とは、相手を自分の思い通りにしようとすることなので、その意識があると自分の思い通りにならないことを受け入れようとはしなくなります。
一方、信頼とは、たとえ相手が自分の思っていることとは違う行動をとり、違う結果を出したとしても、それをも受け入れることです。それが、相手がこちらの話を聞く前提条件になるからです。」(p.187 - 188)
他人に期待しないことは、「神との対話」でも言われています。他人を思い通りに動かす必要性はないのです。
常に、その状況で自分がどうするか、それだけが問題なのです。
そして、相手をありのままの相手として受け入れること。ここでは「信頼」と言っていますが、これは「愛」ですよね。
職場の人間関係においても、愛することが重要なのです。
「自立型思考を持っていれば、問題は改善・成長のチャンスです。
問題があるからこそ、自分の力を発揮できるし、自分自身もそこで成長することができます。問題を回避したり、問題から逃げ出したりすることは、自分にとっては成長の機会を逸することになるのです。
問題が、とても今までの経験では解決できそうもない場合であったとしても、自分の全力を出し切る最高のチャンスであると受け止めます。」(p.214)
どんな困難も、成長のチャンス。困難であればあるほど、大きく成長するチャンス。こう考えれば、「問題よ、やってこい!」という気持ちになれますね。
「もちろん、どんなに努力して解決に取り組んだとしても、必ず問題が解決できるとはかぎりません。しかし、そんな時でも、最後の最後まで、あきらめません。何度でも、取り組みます。自立型人材は、百回でも千回でもあきらめません。
一回の失敗は、一つのノウハウにもなります。だから、次に成功する確率は高くなっていきます。こう考えるとあきらめる理由はないことになります。」(p.217 - 218)
失敗の数だけ成長する。成長している限り、いつかは問題が解決するのです。
「成功者は、あきらめずに努力し続ければ、必ずいつか目標を達成できるということを知っているのです。それは、必ず達成できるというものではないかもしれません。しかし、努力し続けることが、目標達成の最も大切なことである、と考えています。
ほとんどの場合、こうして思考体型が体験的につくり上げられていきます。そして、自立型思考をいち早く身に付けるためには、きちんと導いてくれる指導者(メンター)の存在がとても重要になります。」(p.224)
自分をつねに客観視することは難しいことですし、ついつい独りよがりな考え方をしがちです。そういうとき、外から見て適確な指導をしてもらえることが、とても大切なのですね。
「無意識でいると、私たちは依存型の思考をしますが、意識をすればいつでも自立型の思考になることができるのです。ですから、自然に自立型の思考ができるようになるためには、習慣化が必要なのです。」(p.233)
自立型の思考を知るだけでは変わりません。それを知って、繰り返し実践することで、思考の習慣を身につけなくてはなりません。
この幸せ実践塾でも、理論と実践が重要だと言っています。どうあるべきか、どう考えるべきか、どう行動すべきかを知って、その実践を繰り返すのです。
タイムリーにセミナーの復習ができました。
本当はセミナーに参加して、福島さんのエネルギーに直に触れるのが良いと思いますが、それが難しい方は、まずこの本を読んでみられてどうでしょうか。
書かれている内容は、それほど難しいことではありません。いちいち納得できることばかり。あとは、自分が「やろう!」と決断するかどうかだけなのです。
すべては考え方次第
さて今日は、「すべては考え方次第」という話です。
昨日のメルマガでは、久保ひろしさんのことを書きました。
ブログで紹介した久保さんの本ですが、Facebookでも紹介したら、けっこう反響がありましたね。
「やるからできる」
そのメルマガに対してですが、よく感想をくれるHさんから、また感想をいただきました。
◆--------(Hさんの感想)---------------
本日のお話、とてもわかりやすく、勉強になりました。
赤木さんは、お母様からそんな言葉をかけてもらったことがあるんですね。
確かに吉江さんも北野さんも大失敗していますね。
僕は失敗はしていますが、金額でいえばせいぜい300万くらいで、それは単にリサーチ不足だったようにも思います。
大失敗するにはそれだけの思い切りと度胸がいると思うのですが、それができないから大きな成功もできないのかな、と考えてしまいます。
多分そうなのでしょう。
◆--------(Hさんの感想)---------------
Hさん、感想を送ってくださって、ありがとうございます。
ちょっと最後が気になったので、本文で取り上げさせていただきました。
おそらく、私の書き方が悪かったんですね。
誤解させてしまったようです。
成功した人には挫折の経験があるとして、久保さんや福島正伸さん、吉江勝さんや北野哲正さん、そして歴史上の人物を例にあげました。
大きな挫折をした人を取り上げたために、成功するには「大きな挫折が必要」と思わせてしまったかもしれません。
あるいは、「大きな挑戦をしたから、大きな挫折をした」のだと。
それは誤解です。
私が言いたかったのは、単に「成功した人には挫折がある」ということです。
そして挫折という出来事があっても、「それによって自分を否定しなかった」ということが重要なのです。
たとえばエジソンは、小学校の勉強にもついていけず、先生からダメ出しされました。
でもエジソンのお母さんは、ダメな息子とは思いませんでした。
また、有名な電球の発明では、1万回もの失敗を繰り返しました。
けれどもエジソンは、失敗の都度、「成功に近づいた」と考えたのです。
300万円の借金ではダメで、1000万円以上の巨額な借金でなければ成功しないというのは、まったく違いますよ。
そうではなく、その挫折に押しつぶされず、なおも自分を信じて肯定するかどうかが重要なポイントなのです。
意気消沈せず、ワクワクすることに没頭できるか、ということですね。
昨日、福島正伸さんの本をもう1冊読みました。
今日のブログで紹介していますので、こちらもお読みくださいね。
「夢を叶える」
この本の中で福島さんは、こういうことを言われています。
「そこで私が気づいたことは、次のようなことだったのです。
「自分は、ものごとがうまくいかないように考えている。しかし、何かを成し遂げた人たちは、ものごとがうまくいくように考えている」
そして、何よりも驚いたことは、どんなに優れた成功者と言われる人であっても、さまざまな問題や困難が、同じように降りかかっているということでした。」(p.29)
つまり、問題や困難に直面することは、避けられないということです。
その問題の大きさ、つまり挫折の程度が、成功に直結するのではないのです。
そして重要なのは、成功者は「きっとうまくいく」と常に考えているということです。
問題や困難を歓迎し、挑戦することを楽しんでいます。
福島さんは、人の考え方には、自立型思考と依存型思考があると言います。
依存型思考は、問題の原因を他者や環境に求めます。
出来事によって決まるという考えも、依存型思考と言えるでしょう。
一方の自立型思考は、問題の根本原因は自分にあると考えます。
原因が自分にあるのですから、自分の出番が生まれます。
自分が努力することで、問題は解決するはずなのです。
出来事で決まるのではなく、自分の考え方で決まるという考え方も、自立型思考と言えるでしょう。
「でも、どんなに努力しても、不可能なことがあるのではないか?」
そう思いますよね。
でも福島さんは、不可能はないと言い切ります。
「人はどんなに努力をしても、さらに努力をすることができます。これ以上の努力はできないと思うことはあっても、努力そのものに限界はないのです。
(中略)
何時間努力するかという、時間的努力は有限かもしれませんが、どのような努力をするかという質的な努力は無限です。努力の内容は、無限に改善することができるのです。」(p.47)
失敗に対する恐れがあると、こういう考え方はできないでしょうね。
そこで福島さんは、次のように言います。
「実は、失敗が人生に与える影響は、まったくないのです。
つらいことだと思えばつらいことになりますし、ありがたいことだと思えば、ありがたいことになるのです。
影響を与えるのは、失敗に対する考え方なのです。」(p.84)
先ほど紹介したエジソンの、電球の発明についてのエピソードは、まさにこのことを物語っています。
「それは大した失敗じゃないからだよ。借金で首が回らなくなるとか、大きな失敗は誰でも恐いでしょう。」
そう言いたい気持ちもわかります。
けれども、その失敗を恐れたら、上手くいくのでしょうか?
失敗を経験した久保さんや福島さんは、それでも自分を信じて、肯定して、前に進むことだと言うでしょう。
「神との対話」には、こういうことが書かれています。
「破産したときは破産したときだ。それを偽ってもしかたがないし、認めまいと物語をでっちあげてもむだだ。だが、あなたは「破産は悪いことだ」「恐ろしいことだ」「自分は悪い人間だ。善い人間なら一生懸命働くし、破産なんかすまいと努力するだろうに」などと考える。その考えが、「破産」の経験を支配する。「わたしは破産した」「一文無しだ」「もう金がない」というあなたの言葉によって、破産している期間が決まる。それをとりまく行動が−−自分を憐れんだり、落ち込んだり、「どうせ、だめなんだ」と思って、脱出の道を探そうとしないことが−−破産という現実を長びかせる。
宇宙には「良い」状況も「悪い」状況もないことを第一に理解しておくべきだ。すべてはあるがままにすぎない。だから、価値判断はやめなさい。
第二に、すべての状況は一時的だ。どんなこともいつまでも同じままではいないし、静止してはいない。どちらの方向へ変わるかはあなたしだいだ。」(p.108)
実際にそういう大失敗をしたとしても、その出来事はニュートラルだと言います。
起きたことは、単に結果に過ぎないのです。
問題は、その結果を目の前にして、どう考えるかです。
この世は変化するものであり、私たちの状況も変化します。
その変化の方向を決めているのは、私たちの思考なのです。
ですから、失敗を恐れるという思考は、失敗という出来事を創造するだけです。
「それでも上手くいく」という思考は、上手くいくという結果を生むのです。
自分が普段、どういう考え方をしているか、チェックしてみてはいかがでしょうか。
昨日のメルマガでは、久保ひろしさんのことを書きました。
ブログで紹介した久保さんの本ですが、Facebookでも紹介したら、けっこう反響がありましたね。
「やるからできる」
そのメルマガに対してですが、よく感想をくれるHさんから、また感想をいただきました。
◆--------(Hさんの感想)---------------
本日のお話、とてもわかりやすく、勉強になりました。
赤木さんは、お母様からそんな言葉をかけてもらったことがあるんですね。
確かに吉江さんも北野さんも大失敗していますね。
僕は失敗はしていますが、金額でいえばせいぜい300万くらいで、それは単にリサーチ不足だったようにも思います。
大失敗するにはそれだけの思い切りと度胸がいると思うのですが、それができないから大きな成功もできないのかな、と考えてしまいます。
多分そうなのでしょう。
◆--------(Hさんの感想)---------------
Hさん、感想を送ってくださって、ありがとうございます。
ちょっと最後が気になったので、本文で取り上げさせていただきました。
おそらく、私の書き方が悪かったんですね。
誤解させてしまったようです。
成功した人には挫折の経験があるとして、久保さんや福島正伸さん、吉江勝さんや北野哲正さん、そして歴史上の人物を例にあげました。
大きな挫折をした人を取り上げたために、成功するには「大きな挫折が必要」と思わせてしまったかもしれません。
あるいは、「大きな挑戦をしたから、大きな挫折をした」のだと。
それは誤解です。
私が言いたかったのは、単に「成功した人には挫折がある」ということです。
そして挫折という出来事があっても、「それによって自分を否定しなかった」ということが重要なのです。
たとえばエジソンは、小学校の勉強にもついていけず、先生からダメ出しされました。
でもエジソンのお母さんは、ダメな息子とは思いませんでした。
また、有名な電球の発明では、1万回もの失敗を繰り返しました。
けれどもエジソンは、失敗の都度、「成功に近づいた」と考えたのです。
300万円の借金ではダメで、1000万円以上の巨額な借金でなければ成功しないというのは、まったく違いますよ。
そうではなく、その挫折に押しつぶされず、なおも自分を信じて肯定するかどうかが重要なポイントなのです。
意気消沈せず、ワクワクすることに没頭できるか、ということですね。
昨日、福島正伸さんの本をもう1冊読みました。
今日のブログで紹介していますので、こちらもお読みくださいね。
「夢を叶える」
この本の中で福島さんは、こういうことを言われています。
「そこで私が気づいたことは、次のようなことだったのです。
「自分は、ものごとがうまくいかないように考えている。しかし、何かを成し遂げた人たちは、ものごとがうまくいくように考えている」
そして、何よりも驚いたことは、どんなに優れた成功者と言われる人であっても、さまざまな問題や困難が、同じように降りかかっているということでした。」(p.29)
つまり、問題や困難に直面することは、避けられないということです。
その問題の大きさ、つまり挫折の程度が、成功に直結するのではないのです。
そして重要なのは、成功者は「きっとうまくいく」と常に考えているということです。
問題や困難を歓迎し、挑戦することを楽しんでいます。
福島さんは、人の考え方には、自立型思考と依存型思考があると言います。
依存型思考は、問題の原因を他者や環境に求めます。
出来事によって決まるという考えも、依存型思考と言えるでしょう。
一方の自立型思考は、問題の根本原因は自分にあると考えます。
原因が自分にあるのですから、自分の出番が生まれます。
自分が努力することで、問題は解決するはずなのです。
出来事で決まるのではなく、自分の考え方で決まるという考え方も、自立型思考と言えるでしょう。
「でも、どんなに努力しても、不可能なことがあるのではないか?」
そう思いますよね。
でも福島さんは、不可能はないと言い切ります。
「人はどんなに努力をしても、さらに努力をすることができます。これ以上の努力はできないと思うことはあっても、努力そのものに限界はないのです。
(中略)
何時間努力するかという、時間的努力は有限かもしれませんが、どのような努力をするかという質的な努力は無限です。努力の内容は、無限に改善することができるのです。」(p.47)
失敗に対する恐れがあると、こういう考え方はできないでしょうね。
そこで福島さんは、次のように言います。
「実は、失敗が人生に与える影響は、まったくないのです。
つらいことだと思えばつらいことになりますし、ありがたいことだと思えば、ありがたいことになるのです。
影響を与えるのは、失敗に対する考え方なのです。」(p.84)
先ほど紹介したエジソンの、電球の発明についてのエピソードは、まさにこのことを物語っています。
「それは大した失敗じゃないからだよ。借金で首が回らなくなるとか、大きな失敗は誰でも恐いでしょう。」
そう言いたい気持ちもわかります。
けれども、その失敗を恐れたら、上手くいくのでしょうか?
失敗を経験した久保さんや福島さんは、それでも自分を信じて、肯定して、前に進むことだと言うでしょう。
「神との対話」には、こういうことが書かれています。
「破産したときは破産したときだ。それを偽ってもしかたがないし、認めまいと物語をでっちあげてもむだだ。だが、あなたは「破産は悪いことだ」「恐ろしいことだ」「自分は悪い人間だ。善い人間なら一生懸命働くし、破産なんかすまいと努力するだろうに」などと考える。その考えが、「破産」の経験を支配する。「わたしは破産した」「一文無しだ」「もう金がない」というあなたの言葉によって、破産している期間が決まる。それをとりまく行動が−−自分を憐れんだり、落ち込んだり、「どうせ、だめなんだ」と思って、脱出の道を探そうとしないことが−−破産という現実を長びかせる。
宇宙には「良い」状況も「悪い」状況もないことを第一に理解しておくべきだ。すべてはあるがままにすぎない。だから、価値判断はやめなさい。
第二に、すべての状況は一時的だ。どんなこともいつまでも同じままではいないし、静止してはいない。どちらの方向へ変わるかはあなたしだいだ。」(p.108)
実際にそういう大失敗をしたとしても、その出来事はニュートラルだと言います。
起きたことは、単に結果に過ぎないのです。
問題は、その結果を目の前にして、どう考えるかです。
この世は変化するものであり、私たちの状況も変化します。
その変化の方向を決めているのは、私たちの思考なのです。
ですから、失敗を恐れるという思考は、失敗という出来事を創造するだけです。
「それでも上手くいく」という思考は、上手くいくという結果を生むのです。
自分が普段、どういう考え方をしているか、チェックしてみてはいかがでしょうか。
2015年02月13日
本気で変わりたい人の 行動イノベーション
3年前、箱根出版合宿で同室になった友人の大平信孝さんの本を読みました。
初めて出版された本ですが、売れに売れて増刷を繰り返しているそうです。大平さん、おめでとうございます。
しかし、ここでこの本を紹介するのは、大平さんが友人だからではありませんよ。内容が素晴らしかったのです。
実は私も詳しくは知らなかったのですが、大平さんのコーチングは、アドラー心理学をベースにしたものだったのです。
アドラー心理学と言えば、このブログでも「嫌われる勇気」と「アドラー心理学入門」の2冊を紹介しています。さらに「嫌われる勇気」については、「「嫌われる勇気」(アドラー心理学)の要点」という本のポイントをまとめた記事まで書きました。
それだけ私が絶賛している考え方と言えます。そのアドラー心理学に基づいたコーチングが、大平さんのコーチングなのです。
そしてそのコーチング技法をによって、1日にたった1分間行うだけで、理想とする自分になることができると言うのです。
では、気になった部分を引用しながら紹介しましょう。
「実は、自分の欲望を正しく知るための、一般的には知られていない方法があります。欲望は考えるものではなく、感じるもの。それがわかったときから、私は自分の欲望にすんなりと向き合うことができるようになりました。
行動イノベーションのプロコーチとしての私は、
「欲望=頭の声、体の声、心の声」
と捉えています。」(p.31)
「欲望」というと、何となく下劣な感じがします。しかし大平さんは、「自分で決めて行動する」には、欲望を知ることが重要だと言います。そしてそれは、頭と体と心が感じるものだと。
たとえば、「あぁ、疲れたなあ。」というのは体の声。「たいくつな仕事だなあ。」というのは心の声。「これをやらないと給料をもらえないから、がんばってやろう。」というのが頭の声というわけです。
頭というのは理性です。けれども、不安に支配されると、「ねばならない」のような頑なな考え方を生み出します。
一方で、体や心の声を聞こうとしない人が多いと、大平さんは指摘します。ですから欲望を考えるとき、注意すべきは体と心の声になります。
「「行動しない理由」は、人それぞれですが、タイプの違いに関係なく、「行動できるようになる」ための方法は1つです。本書ではその提案をしていきます。
キーワードは、ずばり「欲望」です。
(中略)
アドラーは「原因などどうでもいい」と言っています。それよりも大切なのは「今より前進するにはどうすればいいのかだけを考えること」と言っているのです。」(p.42 - 43)
行動できない理由は、それこそいくらでもあげられます。その理由にいちいち対応する必要はないと、大平さんは言います。
ここでもベースになるのはアドラー心理学です。原因論ではなく目的論なのですね。
「人は、「自分が本当にやりたいことならいくらでも頑張れる、続けられる、成長できる」という性質を持っています。
(中略)
脳科学の世界では、私が本書で述べている「欲望」を「ワクワク」と表現することが多いようです。
(中略)
つまり、いくら目標を明確化しても、言葉レベルでの目標であれば行動へはつながらないのです。「わかっちゃいるけどできない」というのがこの状態なのです。
(中略)
人が、劇的に行動し、そして大きな成果を挙げる上で最大の鍵となるもの。
それは、「欲望」からスタートして作られた「ビジョン」だと私は思っています。」(p.52 - 53)
つまり行動しなければならないと思いながらできないのは、「欲望」が動機になっていない、ということなのですね。ワクワクすることをやろうとしていないから、行動できないのです。
ここで大平さんは、子どものころの夢、「電車の運転手になってたくさんのお客さんを運びたい」「結婚して幸せなお嫁さんになりたい」(p.56)などを例にあげて、「ビジョン」を説明します。
「そして、その場面が現実になることに、とてもワクワクしていたはずです。そこには計算や打算はありません。ただひたすら、「体の声」や「心の声」に素直なだけです。
これこそが、私の言う「ビジョン」です。」(p.56)
「あなたも、口にこそ出さずとも「欲望」があるはずです。
それを否定しないでください。
どんなにドロドロ、ギラギラしていてもいいのです。
まずは自分の「欲望」を知り、否定せずに受け入れてください。」(p.59)
「アドラーが挙げた「幸福の三条件」というものがあります。
人が幸福であるためには、3つのことが必要だとアドラーは言っています。
@自分を受け入れていること
A他者を信頼していること
B他者に貢献していること
この3つです。」(p.60)
「「欲望」があるからこそ、出発できるのです。
「欲望」がなければ、スタート地点がないわけですから、出発できません。
いくらドロドロしていても、どんなにギラギラしていてもいいのです。
あなたの「欲望」の半歩先には、必ず「善きビジョン」があるのですから。」(p.62)
つまり、利己的と感じられる欲望でも、まずはそれを認め、受け入れることが出発点になるわけですね。
たとえば「有名になりたい」という欲望でも、「それで何をしたい?」という質問を投げかけていくと、「有名になって人前でしゃべりたい」→「みんなが喜んでくれることをしゃべりたい」というように、必ず「他者貢献のビジョン」に到達するのです。
こうしてアドラーが言う「幸福の三条件」が満たされる「欲望」や「ビジョン」が明確になってくるのです。
「だからこそ、まずは自分自身に余裕を作ることがとても重要なのです。
そのために覚えておいてほしいのが「自分をいじめない。自分と仲良くする」という感覚です。」(p.66)
自分の「欲望」に気づくために、理性が自分をいじめるのをやめさせる必要があるわけですね。
私たちはすぐに、「そんなの無理だよ。」などと言って自分を否定します。
これを大平さんは、もし誰か他の人に同じことを言ったら、いじめと同じじゃないか、と指摘します。
だから、自分で自分をいじめるのをやめよう、と言っているのですね。
そしてアドラーの言う「自分を受け入れる」という表現は、「自分と仲良くする」と言った方がぴったりな気がすると言います。
これらのことを前提として、「1分間行動イノベーション」の説明に入ります。
「これからみなさんに行っていただきたい「1分間行動イノベーション」は、毎日ほんの少しでもいいので、とにかく毎日続けてほしい習慣化プログラムです。」(p.76)
「しかも、この「たった1分間」に大きなレバレッジ(梃子(てこ))を効かせる時間があります。それは、「朝起きてからの10分以内」と「夜眠りに就く前の10分以内」です。この間に「1分間行動イノベーション」を行うことが大切なポイントになります。」(p.78)
「「たった1分間」という時間で行う「1分間行動イノベーション」ですが、実は50秒と10秒の2つのパートに分かれています。
それは、
「50秒セルフトーク」と「10秒アクション」の2つです。
(中略)
セルフトークとは、文字どおり自分との対話とういう意味です。」(p.82)
「「本当はどうしたい?」
これだけを、自分に問いかけるのです。」(p.86 - 87)
「「本当は」という言葉には、「そういう現実を取り払ってみたとき、自分はどうしたいの?」という意味が込められています。
ですから「本当はどうしたい?」というセルフトークを行う際のコツとして、頭の声だけでなく、体の声、心の声から「欲望」を聞いてください。」(p.90)
「初めは、答えなど出なくても全然OKです。
感覚としては、あなたの中に「自分は本当はどうしたいんだろう?」という質問ボードを目立つところに置いておくような感じです。」(p.93)
「ただ唯一、私が素晴らしかった点(!?)は、そこであきらめずに「まず食べるもの」からセルフトークを始めてみようと思い、やってみたことです。」(p.97)
「「50秒セルフトーク」で「本当はどうしたい?」を問いかけ続ける。
すると、他の誰から与えられたものではない、あなた自身が望んだ答えが見つかっていきます。その答えは「行動しなきゃ」という義務感ではなく、「行動したい」と思える答えであり、今すぐに自然と行動したくなる答えです。
……と、ここまでは「50秒セルフトーク」が素晴らしい力を発揮してくれます。
実は、この後がとても大事です。
ほんの小さなことでいい。あなたが「行動」を起こすから、人生が変わるのです。」(p.109)
「この「10秒アクション」の中で行うこと。
これも、基本的にはたった1つです。
それは「自分の望む姿に近づくためのアクションを取る」ということです。」(p.111)
「例えば、「50秒セルフトーク」で、あなたが「将来ハワイに住みたいな」と強くイメージしたとします。そのために思わず取った「10秒アクション」が深呼吸だったとします。
(中略)
ですから、
「行動」=自分の体や気持ちを心地よくしてくれるもの
と、まずは大きく捉えてみてください。」(p.120 - 121)
一気に引用してみましたが、ここに大平さんの「1分間行動イノベーション」のやり方が簡潔にまとめられていると思います。
「「自分と仲良くない」人は、なぜ「1分間行動イノベーション」の効果が出にくいのか?
それは、「自分は本当はどうしたいのか?」を考えにくい答えにくい心の状態になっているからです。」(p.138)
簡単に言えば、セルフイメージが低い、ということですね。自己受容できていないのです。
「毎日「1分間行動イノベーション」を行う前に、この「1分間自己受容エクササイズ」を行うことで、自分を認め、応援する。そうすれば、「1分間行動イノベーション」の効果が出やすくなります。
(中略)
”今の自分”でも「少しでもできていること、ちょっとでもうまくいったことは何?」「他には? あとは?」と1分間聞いて、今の自分を認めてあげましょう。」(p.151 - 152)
「「今うまくいっていないということは、自分はどんな意図を持っているのだろう?」「うまくいかないことで得ているメリット、その目的は何だろう?」と1分間考えてみましょう。」(p.154)
「・解説/今なにかうまくいっていないことがあるとすれば、それは過去に原因があるのではありません。うまくいっていないという結果には、必ず目的があります。「それは一体何だろう?」とアドラーの目的論的解釈で自覚できると、先に進めます。」(p.155)
この「1分間自己受容エクササイズ」を併用することでセルフイメージを高めることができると言います。そしてここにも、アドラー心理学が生かされているのですね。
「「セルフイメージの質が、欲望やビジョンの質を決める」と言われています。
つまり、いいセルフイメージを持つと、いい「欲望」やいい「ビジョン」を持つことができ、さらに「自分にはできる」という感情に満たされますから、行動がどんどん加速していきます。」(p.161)
「ステップ3:「半年後」「1年後」「3年後」のいずれかでかまいません。未来のセルフイメージに書いたものの中からしっくりくるものをひとつ選んで、今この瞬間から、そのセルフイメージに沿った行動をしながら生活してください。」(p.167)
セルフイメージの重要性は、先日紹介した久保ひろしさんの「やるからできる」でも語られていました。理想の自分に変わるには、根底に良いセルフイメージがなければならない、ということなのですね。
この本は、大平さんのコーチング手法を、セルフコーチングできるように解説したものと言えます。
もちろんこの本を読んで、自分でやってみることもお勧めです。また同じくらい、大平さんのコーチングを受けるという選択肢もあると思います。
大平さんと箱根で初めて出会ったとき、私に気さくに声をかけてくださいました。
私のような内気な人間が知らない人と合宿するなんて、それこそ清水の舞台から飛び降りるくらいに勇気がいることだったのです。
それが会ってちょっと話をさせていただいただけで、心から安心できたことを覚えています。
ですからこの本も、また大平さんのコーチングも、本心からみなさんにお勧めしたいと感じています。(大平さんのブログ)
2015年02月17日
3月に東京でセミナーを行います
3月もまた、東京でセミナーを行うことになりました。
以下の申込みページに詳細が書いてありますので、ぜひご覧になってください。
→ 3月東京セミナーの申込みページ
今回は2日に分けてセミナーを行います。
1日目は、幸せ実践塾のテーマである幸せになるための理論と実践を紹介することが主題になります。
2回に分けて行いますが、どちらも内容は同じです。都合の良い方にご参加ください。
もちろん、1回目と2回目を通して参加されてもかまいませんよ。同じ話も2回聞けば、より理解が進むでしょうからね。
2日目は、「神との対話」に書かれていることを、より深く理解していただくためのセミナーです。
もちろんそれを、ご自身の実生活に活かしていただくことも重要で、そのためにグループセッションも用意しています。
・日程:
1日目:2015年3月14日(土)
1回目:13:00〜15:00
2回目:15:45〜17:45
2日目2015年3月15日(日)13:00〜18:00
・場所:東京都内山手線沿線のセミナー会場
(申込者に連絡します)
・参加費:(1ドリンク付きの価格です)
1日目:1,200円(前払い),2,000円(当日払い)
2日目:3,000円(前払い),4,000円(当日払い)
※3月6日までに申し込まれた場合は、
早期申込み割引により2,500円(前払い)
となります。
幸せ実践塾の内容を詳しく知りたい方、幸せな生き方ができるようになりたいと切実に思っておられる方、単に私に会ってみたいという方、いずれも大歓迎です。
ピンときたら、早めにお申込みくださいね。
→ 3月東京セミナーの申込みページ
以下の申込みページに詳細が書いてありますので、ぜひご覧になってください。
→ 3月東京セミナーの申込みページ
今回は2日に分けてセミナーを行います。
1日目は、幸せ実践塾のテーマである幸せになるための理論と実践を紹介することが主題になります。
2回に分けて行いますが、どちらも内容は同じです。都合の良い方にご参加ください。
もちろん、1回目と2回目を通して参加されてもかまいませんよ。同じ話も2回聞けば、より理解が進むでしょうからね。
2日目は、「神との対話」に書かれていることを、より深く理解していただくためのセミナーです。
もちろんそれを、ご自身の実生活に活かしていただくことも重要で、そのためにグループセッションも用意しています。
・日程:
1日目:2015年3月14日(土)
1回目:13:00〜15:00
2回目:15:45〜17:45
2日目2015年3月15日(日)13:00〜18:00
・場所:東京都内山手線沿線のセミナー会場
(申込者に連絡します)
・参加費:(1ドリンク付きの価格です)
1日目:1,200円(前払い),2,000円(当日払い)
2日目:3,000円(前払い),4,000円(当日払い)
※3月6日までに申し込まれた場合は、
早期申込み割引により2,500円(前払い)
となります。
幸せ実践塾の内容を詳しく知りたい方、幸せな生き方ができるようになりたいと切実に思っておられる方、単に私に会ってみたいという方、いずれも大歓迎です。
ピンときたら、早めにお申込みくださいね。
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