2015年01月01日
神さまとのおしゃべり
私のメンターが絶賛していた、さとうみつろうさんの本を読みました。
「みつろう」なんて変わった名前、どこかで聞き覚えがあるなと思ったら、阿部敏郎さんのブログ「リーラ」に書かれてましたね。
みつろうさんのブログ「笑えるスピリチュアル 〜 知ってるトキはシっている 〜」(通称「笑スピ」)を調べたら、去年の3月に阿部さんがみつろうさんのブログにコメントしたのが、2人の出会いのきっかけだったようです。
この本は、そのブログを元に書かれたもののようです。
手にとってみると、実に分厚いです。500ページ以上ありますから、「神との対話」シリーズのどの本より厚いですね。
みつろうさんは、「神との対話」や「バシャール」のシリーズなど、多くのスピリチュアル系の本を読破されてるそうです。
それらの内容を、笑いを取り入れて広めることが、ご自身の使命だと思われているようです。
本の最初の部分はマンガになっていて、主人公のみつろうと神さまとの、コントが繰り広げられます。
このマンガのお陰で、ずっとこのイメージを持ちながら、この分厚い本を読み進めることができました。
それにしても面白いし、わかりやすいです。「神との対話」などで語られている真実を、こうまでわかりやすく説明できるとは、とても驚きました。
また、そういった本に書かれていないような、独創的な気付きもありましたね。
主人公のみつろうと神さまの会話がコントになっているため、引用が難しいのですが、気になった部分をいくつか紹介しましょう。
「@願いが叶うころに、本人が願ったことを忘れていたり、
A願いが複雑で、叶ったこと自体に本人が気づけなかったり、
Bまちがえた願い方をしたせいで、変な形で叶ってしまったり
これらたくさんの理由が絡み合って、「人生は全て私の望み通り」と思えないだけじゃ。そして「望んでいないことが人生には起こる」と錯覚した時に、人は苦しむんじゃよ。」(p.22 - 23)
このように、私たちの思考が100%叶っているのが現実だと言い、そうなってないと感じる理由を3つに分析しています。
このあと、その例を説明しています。長くて引用も概要も示せませんが、みごとにこの3つになりますね。驚きました。
「常識?「常識」なんてこの宇宙には1つもないぞ。お前が勝手に、それを「常識」だと信じこんだだけじゃ。」(p.42)
「@宇宙はその人の望み通りで、
A信じることが現実になる。
Bところが、表層部分で願っていることとは別に、
C奥のほうで勝手に「いらんこと」を信じている「観念」がある。」(p.65)
「神との対話」などで言われるように、絶対的な価値観などというものは存在しないのです。
私たちが勝手に「良い」とか「悪い」とか決め、その思考によって現実が創られるのです。
そして、その「思考」の中にも、私たちが無意識に考えている「観念」があるのです。
ちなみに「観念」はバシャールが使っている言葉で、「神との対話」では「信念」と表現しています。
「いいか、観念というのを簡単に説明すると、「なにか」と「なにか」をお前が勝手にくっつけて、それがくっついたままになっている状態のことじゃ。」(p.68)
これは面白い説明だと思いました。たとえば「金持ち」と「難しい」をくっつけると、「金持ちになるのは難しい」という観念になると言います。
しかしそれは「勝手にくっつけ」たものですから、「金持ち」と「簡単」をくっつけるのも自由なわけです。
「そんなはずないだろう!?」と言いたくなるのは、それだけ観念が定着しているということなのですね。
実際、秒速で1億円稼ぐという人は、金を稼ぐことを難しいなどとは考えていませんから。
「「現実」とは、その人が信じた全てのもののことじゃ。ということは、その人がなにを信じているのかを知りたければ、「現実」を見ればわかることになる。つまり、自分の固定観念を知りたければ、目の前の「現実」を見なさい。そこに映っている全てが、あなたが勝手に信じこんだものだから。」(p.86)
言われてみると、たしかにそうなのです。自分の思考が現実を創るとはよく言いますが、その逆から考えよというのは、目からうろこでしたね。
もちろん、他人は自分の鏡だとか言われてますので、同じような話は知っているのです。
けれども、自分の観念を知るために現実を見よという積極的な捉え方は、あまり多くは語られていませんでした。
このあと、「誰1人として、鏡そのものを見ることはできない。」(p.89)という話があります。
鏡を見ているようで、実は鏡に映ったものを見ているのです。もし、その鏡の存在が見えなければ・・・。
そう、それこそがまさに現実なのですね。そのあとで、バシャールも言っているように、鏡の中の人を笑わせたければ、鏡に手を突っ込んで笑わせようとするのではなく、まず自分が笑うことだという話が出てきます。
このように、「神との対話」や「バシャール」で言われていることが、とてもわかりやすく説明されているのです。
「たいていの場合、自分の信じている深層意識の意見は「他人」を使って言わせるんじゃ。」(p.124)
これは初めて知る見解です。たしかに、現実には矛盾対立する意見があります。すべてが自分が考えたことだとすると、自分が矛盾対立する存在になってしまいます。
そこでこの本では、実は矛盾対立する考えを持っているのだけれど、自分が採用した方が表層意識の見解となり、押し込められた方が深層意識となって、それが他人として現実に現れるのだと説明しています。
これはなるほどなあと思いました。「まじめなのが良い」という考えと「不まじめなのがかっこいい」という矛盾対立する考えを持っているとどうなるかが、この本では面白おかしく説明されています。
「今「幸せ」じゃないなら、その人が「幸せ」を探せていないだけじゃ。探しなさい、「幸せ」を。今すでにある、幸せを。身の周りからな。遠くにそれを探すと、不足になる。身の周りに見つければ、充足になる。原理はこれだけじゃ。このことを「足るを知る」と中国の老子は言った。つまり、ラインを決めるのは、あなたなんじゃよ。」(p.185)
「足るを知る」とは、幸せを身の周りに探すこと。これもみごとな解釈ですね。
ラインとは基準のことです。100万円で満足するのか、1000万円で満足するのか、その基準です。
つねに足りないと考えていれば、不満になるのは当然ですよね。不満の中に幸せはありません。
「いいか、後悔が起こった瞬間に「しめしめ、これはきっと、上手くいく」と唱えなさい。なにを見ても、なにを選択しても、そう言いなさい。」(p.233)
人間万事塞翁が馬の話にもあるように、何が良くて何が悪いか、最後までわからないものです。
ならば、何が起ころうとも、とりわけ悪いと感じたことが起こった時、「これが吉兆とならないとも限らないさ」と、おじいさんのように言った方がいいんですね。
「不安を勇気で制し、「どうにかなる」と信じなさい。
実際、どうにかなる!
現実を構築している「あなた」が、「どうにかなる」と信じているんじゃぞ?
どうにかなるよ!「信じた願いは叶う」。唯一のルールじゃ。」(p.248)
そういうことなんですよね。現実はそれまでの思考の結果にすぎないとわかっているなら、どんな現実が現れようととらわれることなく、自分に都合の良い思考を採用すべきなのです。
「だから、もし金持ちが宝くじに当たったら、絶対にパーティーを開くじゃろう。これは誓ってもいい。絶対に彼らはそうする。
人は簡単に手に入ると思うものは、簡単に手放すんじゃよ。空気を吸って、すぐに空気を吐くがごとくな。」(p.272)
そうなんです。惜しむということは、手に入りにくいという観念があるんです。
だから「神との対話」でも、考える前に、理性が働く前に、行動せよと言うのです。
「お前が知らないことを一番よく知っている人は、お前が嫌いな人なんじゃよ。」(p.324)
これも目からうろこの視点でした。たしかにそうなんですよね。わからないから嫌いなのです。
「なんでこんなことをするかなあ。理解できないよ。」そう言う時、その相手のことが嫌いですものね。
だから知らないことを知って学ぼうと思うなら、「大っ嫌いなその人に、歩み寄りなさい。」(p.330)と言います。
「今、ワシはお前を傷つけようと思って、お前に文句を言った。でも、お前は傷つかなかった。なぜなら、人間は絶対にほかの誰かを傷つけることなんてできないからじゃ。」(p.348)
これもよく言われることなのですが、心の問題と身体の問題は別だと思っていました。つまり、心を傷つけることはできなくても、身体は傷つけられると。
「事実、ムチで叩かれることに快感を覚える人たちもいるんじゃぞ?」(p.349)
これもビックリの視点ですね。つまり、自分が了承したことなら、何をされても傷つけられたとは思わない、ということなのです。
「「自己弁護が起こる時はいつでも、反対側の意見も自分が支持しているからだ」と気づきなさい。
だって、自己弁護とは、自分自身に「言い聞かせている」状態のことなんじゃから。こっちのほうが正しいと、何度も自分を説得しようとしている。どうして説得が必要なんじゃ?」(p.354)
これも、「神との対話」などでは語られていない視点です。
現実はすべて自分の思考の反映なら、相手の意見も自分(深層意識)が支持する意見に違いありません。
それを表層意識が受け入れないから、自分がいかに正当かを証明しなければ気が済まなくなるのでしょう。
「特定の誰かの意見を支持するから、苦しくなるんじゃよ。」(p.355)
つまり、相手の意見も認めてしまえってことなんですね。
「ほかと分離されたこの世界で、なにか意見を言うということは、同時になにかを「ダメ」だと言っていることになる。「私は平和が好きである」と言っている活動家でさえ、「戦争はダメだ」と言ってることに気づけておらん。
「全ての人と仲良くしましょう、ラブアンドピース!」と言いながら、軍人とだけは仲良くできんとは、どういうことじゃ?かなり矛盾しとる。全く平和主義者じゃないじゃないか。このように、この世では[意見をいう]という時点で、絶対に矛盾が生じるんじゃよ。」(p.452)
これも目からうろこの視点でした。たしかに言われてみれば、意見表明とは何かを選択することですからね。選択しなかった他の何かを否定したことになります。
「「矛盾」も認めてあげないと、全てに「YES」と言ったことにはならないぞ?」(p.453)
つまり、「平和もいいね」、「戦争もいいね」、「両方いいねは矛盾しているけど、それもいいね」なのです。
したがって、ポジティブでいなきゃと思っても、「ネガティブもいいね」ということになります。そこで、最後の言葉に「イーンダヨ!」と言うと良いそうでうす。
「ところが、ネガティブなことが頭に浮かんだあとに「ネガティブなことを考えちまったけど、ま、いいか」と思えたのなら、どうなるじゃろうか?」(p.457)
これなら、ネガティブなことを考えたことを、ネガティブに捉えてないことになると言います。
「神との対話」では、必要性を好みに変えるようにと言っています。「〜すべき」ではなく、「〜した方がいいね」なのです。これなら、「〜しなくてもいいね」になりますからね。
「いいかみつろう、人類の一番まちがった教育は「幸せになりましょう」じゃ。1人残らず全ての人間が、そう思い込んでいる。「幸せにならなきゃいけない」とな。
しかし、幸せだけがすてきな経験なら、ワシはこの世に、苦しみを用意しない、悲しみを起こさない、怒り狂う事件を与えたりはしない。
そこで起こるできごとの、全てが同じくらいすばらしいんじゃよ。第一、よろこびしかなかったら、それを「よろこべる」じゃろうか?」(p.471)
「神との対話」では、神は人間が悪と呼ぶものさえ愛していると言っています。
ですから、すべてのことが良いことであり、すべての体験が貴重なのです。
「ようするに、感謝している時こそ、人間は幸せなんじゃよ。幸せになるために感謝するんじゃない。感謝している間、幸せなんじゃよ。
苦しくなったら、悲しくなったら、不安になったら、悩んでしまったら、すぐに、その場で感謝の念を体内に湧かせなさい。」(p.478)
感謝は、幸せになるための道具ではないのです。感謝すれば幸せを感じられるのです。だから、感謝できるような見方(視点,解釈)が大切なんですね。
そして、幸せであれば、その在り方から生まれる思考が、現実を創っていきます。
一気に読み切るのがもったいなくて、少しずつ心に留めながら、それでも4日くらいで読んでしましました。
「神との対話」を読むよりは、もっとわかりやすいと思います。
笑いながら真理を学べる一冊。オススメです。
2015年01月09日
Joy
OSHO氏の本を初めて読みました。
「ねえ、オショーもすごいよね?」
ちょっとスピリチュアル系の仲間からそう言われて、私は思いました。「和尚。なんじゃそりゃ?」
和尚(おしょう)ではなく、OSHOでした。インドの方のようで、瞑想が有名なのだとか。
知らないのなら本を読んでみるべし。ということで、さっそく検索して買ったのが、この「Joy(喜び)」という本でした。
翻訳は、スピリチュアル界では大御所の山川紘矢さんと山川亜希子さん夫妻です。
このお二人が翻訳をされてる点からしても、内容は問題ないと安心しながら読みました。
例によって、気になった部分を引用してみましょう。
「人間はこの上なく幸せにも、この上なく不幸にもなれる−−人間には選択の自由がある。だが、この自由はきわどく、この自由はきわめて危険だ。なぜならがあなたの責任だからだ。」(p.4)
「人々は瞑想を求めている。瞑想が必要なのは、単にあなたが幸せを選択していないからだ。もしあなたがすでに幸せを選択しているならば、瞑想する必要はない。」(p.5)
「非常に多くの宗教があるのは、非常に多くの人々が不幸だからだ。幸せな人には宗教は必要ではない。」(p.5)
異論はあるでしょうけど、核心を突いた言葉が「まえがき」に続きます。要は、幸せは自分の選択であり、幸せであれば何も必要ないってことですよね。
「もし、あなたが眠っているのなら、快楽こそが幸せだ。快楽とは肉体の感覚だ。肉体を通じて、肉体では得られない何かを得ようとすること。肉体では得られない何かを肉体に無理やり得させようとすることだ。人々はあらゆる手段を使い、肉体を通して幸せになろうとする。肉体はあなたに瞬間的な快楽しか与えることができない。」(p.18)
この部分は、以前に紹介した「愛の選択」でも指摘されている内容です。
肉体はその欲求を満たそうとするだけで、欲求が満たされれば満足すると。しかし心は愛を求めているので、いくら肉体の欲求を満たしても、心は満足しないのです。
「快楽は他人に依存している。幸せはそれほど他人に依存してはいない。しかし、それでもまだあなたとは切り離されている。至福は依存していない。また切り離されてもいない。それこそがあなたの存在そのものだ。それこそがあなたの本質なのだ。」(p.23)
どうやらOSHO氏は、快楽、幸せ、喜び、至福という段階というか、質の違うものがあると考えているようです。
快楽は肉体の欲求で、幸せは心の欲求だということなのでしょう。そして喜びは魂の欲求で、至福とは個を超えた全体との一体感だというわけです。
「真の教育なら競争することなどあなたに教えないはずだ。協力することを教えるだろう。人と闘って一番になることを教えはしない。あなたが他人と自分とを比較したりしないで、創造的になること、愛情深くなること、至福で満たされることを教えるだろう。一番になってこそ幸せになれるとは教えない−−そんなことはまったくのナンセンスだからだ。」(p.37)
「本当の教育なら、一番になることは教えない。何であっても自分がしていることを楽しむようにと教えるだろう。結果ではなく、していること自体を楽しむのだ。」(p.37 - 38)
「本物の美は決してあなたによって創造されるのではなく、あなたを通してのみ創造される。実在が流れるのだ。あなたはただ、その通り道になる。あなたはそれが起こるのにまかせるのだ。それだけだ。それを邪魔しないこと。それがすべてだ。」(p.38)
「これこそが最高の美と意味と真実のメッセージだ。結果については何も考えないこと。全力を尽くして自分が今していることをしなさい。それに没頭しなさい。自分を忘れて打ち込みなさい。」(p.39)
この一連の引用をみると、OSHO氏のメッセージがよくわかります。競争とか結果は、まったく意味がないということです。今目の前のことに没頭する。そのプロセスこそが重要なのだと。
「ただ探すのをやめなさい。するとあなたはそれを見つける−−なぜなら、探すとは、マインドが努力することを意味し、探さないとは、リラックスした状態を意味するからだ。そして幸せを得ることはあなたがリラックスした時にだけ、可能なのだ。」(p.60)
これは聖書にあるイエスの「探せ、さらば見つからん。求めよ、さらば与えられん。」という言葉へのアンチテーゼでもあります。
あとの部分でOSHO氏は、これはイエスが悟っていなかったからではなく、聞いていた人々のレベルによるものだと説明しています。
「しかし努力という次元では到達できないものがいくつかある。それらはあなたが完全に努力するのをやめた時に起こる。あなたはただ腰を下ろして言う。「もう十分だ−−私はもう努力しない」
これがゴータマ・仏陀の覚醒の仕方だった。」(p.66)
そうなのです。仏陀はあらゆる苦行をやりつくし、それでも悟れずに苦行を諦めた時、やっと悟ったのです。
そう考えると、今の仏教で盛んに苦行をやっているのは、いったいどういうことでしょうね。仏陀は一度も苦行を勧めなかったというのに。
「人は幸せを望んでいる。そのために彼は惨めな状態を作り出す。もし、惨めさから抜け出したいならば、あなたは幸せに対する欲望から抜け出す必要がある−−すると、誰もあなたを惨めにすることはできない。これこそ、フロイトが見落としたことなのだ。幸せに対する欲望そのものが惨めさの原因であり得ることを、彼は理解できなかった。」(p.71)
「だから、まず大切なことは夢を見ないこと、思い描かないことだ。一番大切なことは今、ここにいることなのだ。何があろうとも、ただ今、ここにいなさい−−すると素晴らしい啓示があなたを待っているだろう。」(p.73)
「幸せは可能なだけでなく、それはすでに起こっている。それはあなたのすぐ前にあるが、よそを見続けているために、あなたはそれを見過ごしているのだ。」(p.74)
最後の引用の「幸せ」は、それまでの「幸せ」と少し意味が違います。彼の理屈で言えば、「至福」とした方が良さそうです。
翻訳の問題かどうかわかりません、本全体を通じて、「幸せ」に与える意味がコロコロと変わっているように感じました。
「あなたのみじめさに気づくだけで、みじめさからの自由がもたらされる。そして残るものは悟りだ。悟りはあなたにやってくる何かではない。それは苦痛とみじめさと苦悩と不安が完全に良く理解された時、そして今やあなたの中に存在する理由を持たなくなったためにそれらが蒸発した時−−その状態が悟りなのだ。」(p.80)
「何であれ何かに依存しているものは、喜びではなく、喜びではあり得ない。喜びはあなたのまさに中心から起こってくる。それは絶対的に独立している−−絶対的にいかなる外部の環境からも独立している。そしてそれは自分自身からの逃避ではない。それは真に自分自身と出会うことなのだ。喜びはあなたが心響に過えった時にやっと湧きあがるのだ。」(p.82 - 83)
つまり自分のみじめさに直面し、受け入れ、深く理解することで悟る。それによって自分と出会い、喜びが湧いてくる。そういうプロセスなのです。
「もし子供が彼自身の性器で遊んでいると、それはいけないことだ。そして、それは子供の生の中で最も歓喜にあふれた瞬間のひとつなのだ。彼は自分の体を楽しんでいる。それはわくわくする。しかし、わくわくすることはすべてやめなければならない。すべての喜びは破壊されなければならない。それは神経症であり、社会が神経症なのだ。」(p.90 - 91)
この皮肉っぽい記述は、いったいどれほどの人の心に届いたことでしょうね。
「なぜ人は罪悪感を持つべきなのだろうか?彼らは自分たちが何も悪いことをしていないのを知っている。どこからこの罪悪感はわきあがってくるのだろうか?それは、あの深く根ざした、喜びはいけないことだという条件付けから来ている。悲しいのは良いが、幸せなのは許されないのだ。」(p.91)
競争、他人との比較、嫉妬など、そういうものが自分が幸せでいることを許さないのですね。
「これが理解できれば、物事は非常に明確になる。惨めさはあなたを特別にする。幸せは普遍的な現象であり、そこには何一つ、特別なものはない。木は幸せであり、動物は幸せであり、鳥は幸せだ。人間以外の存在全体が幸せなのだ。惨めでいると、人はとても特別で例外的になる。」(p.110)
「誰一人、幸せな人を好きでない。なぜなら、幸せな人は他の人たちのエゴを傷つけるからだ。」(p.111)
「もしあなたが許そうと努力するならば、それは本当の許しではない。努力を伴う時、あなたは抑圧しているだけだ。自分のマインドの中で続いているゲームの愚かさを理解した時に、あなたはやっと許すことができる。そのすべての馬鹿ばかしさを完全に見通さなければならない。」(p.122)
つまりエゴが、自分を特別視させようとして、あえて惨めになると言います。そしてエゴは他人に嫉妬して、自分を傷つけたと言って責めます。そういうゲームをやっているのだと完全に理解することが、許すということなのです。
まだ本の半分からしか引用していませんが、長くなるのでこのくらいにしておきます。
スピリチュアルとも心理学的とも言えるOSHO氏の不思議な話は、彼が執筆したものではなく、講演からおこしたものだそうです。
本の後半では、瞑想についても少し触れてありました。世界的な瞑想ブームの中で、ますますOSHO氏の人気は広がっているようです。
最後に、世界的な問題に対するアプローチについて、彼の考えを引用して示しましょう。
「覚えておきなさい、あなたこそが世界の問題なのだ。あなたが問題だ、そして、あなたが未解決のままなら、あなたが何をしようとも、物事をさらに複雑にするだけだ。まず、自分の家をちゃんとしなさい、そこに秩序を作りなさい−−そこに混乱があるからだ。」(p.208)
中国の古典「大学」には、「修身斉家治国平天下」という言葉があります。
つまり「修身→斉家→治国→平天下」の順番なのです。天下を平和にしようとする者は、まずその国をよく治める、というわけです。最初は、自身を修めること、つまり修身が重要なのですね。
ちなみにこの大学の言葉には続きがあって、「格物致知誠意正心」とあるそうです。つまり修身の前の最初の最初は「格物致知」なのです。日々の出来事に対して、それを分析し、理解していくこと。私はこれを、自分の隠された信念と出合うことだと考えています。
それはさておき、さすがに噂に違わず、読み応えのある面白い本でした。もう1冊別の本を買ってあるので、それも読むのが楽しみです。
2015年01月20日
傾聴術
カウンセラーの古宮昇(こみや・のぼる)さんの本を読みました。
話を聞いてあげることは、話し手のストレス解消に役立ちます。ですから、話を聞いてあげるだけのボランティアも、けっこういらっしゃるようです。
この本は、そういうボランティアの人にも役立つように、本格的な心理カウンセリングとしての傾聴の方法と、その意味を教えてくれるものです。
なぜ傾聴するのか、どのように傾聴するのか、それが実例とともにわかりやすく書かれています。
気になった部分を引用してみましょう。
「彼女にとって、自分のことをいっさい評価することなく、また変えようとすることもなく、無条件に尊重して気持ちを分かってくれる人がいることは、貴重なこころの支えになるはずです。」(p.38)
共感的に傾聴できた実例に対して、このように古宮さんは言っています。傾聴はまさに愛なのだと感じました。
「このように、聴き手が話し手の表現に沿う共感的な発言をするほど、話し手は本心を語りやすくなります。聴き手も話し手の気持ちが、より理解しやすくなります。」(p.46)
「要は、話し手の苦しみを感じながらも、理解したことを聴き手ができるだけ的確に簡潔に言葉にして返すことができれば、共感的理解がより伝わりやすく、より支えになれる、ということです。」(p.85 - 86)
重要なのは、話し手の表現に沿った共感的な発言をすることなのですね。共感しているように見えても、表現が大雑把過ぎたり、的を射ていないと、話し手は理解されていないと感じてしまうのだそうです。
「話し手を責めても問題は解決しません。誰だって責められるのは嫌です。他人を責めるほど、解決から遠ざかってしまいます。同様に、自分を責める自己嫌悪と罪悪感も、解決を遠ざけます。」(p.56)
私たちがつい他人を責めてしまうのは、その問題を効率よく解決しようとする動機もあります。しかし、それでは問題は解決しないと言うのです。
つまり批判や非難、自己嫌悪や罪悪感は、私たちのためにならないということ。「神との対話」でも、同様のことを言っていますね。
「最も大切なことは、話し手の気持ちをできるだけその人の身になって理解することです。傾聴の専門家になるには、話し手が表現していることを、短く分かりやすく言葉にして返す技術を繰り返し練習して向上させることが必要ですが、理解することの大切さに比べると、「何を言うか」は決して本質的に重要なことではありません。」(p.115)
相手を100%受け入れることが重要なのでしょう。
そのためには、聴き手に心の余裕が必要です。つい反応してしまうようではダメなのです。
そこで、傾聴の技術をより効果的に高めるために、次の3つが重要だと言います。
@傾聴技術の指導を受けること
A個人スーパービジョンを受けること
B自分がカウンセリングを受けること
@とAは、ともに技術を磨くことになります。Aは、傾聴の個人指導を受けるということです。
Bは、それとは少し違います。聴き手が心に余裕を持つために、自分の心の問題を解決しておくことが重要だということです。
このことはすなわち、まず自分自身を愛することで他人を愛せるようになると、「神との対話」などで言われていることと同じではないでしょうか。
古宮さんは、最も大切なこととして、次のように言います。
「意識からすべてが始まります。意識の大切さは強調してし過ぎることはありません。必要なことは、人の役に立つ有能な援助者になる、と強くはっきりと決意することです。」(p.134)
まず「在り方」を決める。そう宣言し、そのように行動する。そうすればそうなる。これも、「神との対話」で言われている通りですね。
古宮さんご自身も「神との対話」を読まれていて、その素晴らしさを認めておられます。ですから、ご自身の本の中にも、そういう考え方が生かされてくるのかもしれません。
心理カウンセラーを目指していないとしても、子どもの指導に困っている親御さん、生徒指導に困っている先生、部下の育成に悩んでいる上司など、多くの人に役立つ本だと思います。
2015年01月21日
宇宙とシンクロする生き方
スピリチュアル界の巨星と呼ばれるエックハルト・トール氏の本の翻訳で知られるあさりみちこさんの本を読みました。
なぜあさりさんの本を読もうと思ったかと言うと、その前に、「こんなふうに生きればよかったのか」という本を読んだのです。
これは、山川紘矢+山川亜希子ご夫妻の本を探していて見つけたもの。山川ご夫妻とあさりさん、そして牧野内大史氏との対談本だったのです。
読み始めてすぐ、あさりさんと牧野内氏も、ただならぬ人だと感じました。それですぐに、お二人の本をネットで探して買ったのです。
実はその後、その本を読み進めるにつれて、「これはダメだなあ」と感じました。悟った人たちとは思えないとんでも話がゾロゾロ出てきて・・・。それでその本は、私のオススメとして紹介していないのです。
また、あさりさんの本を買ってしまったことを後悔しました。
なぜなら彼女は、変な人たちから狙われているなど、ひどい妄想のような、悟った人とは思えない発言を繰り返していたからです。
真に悟った人なら、現実はすべて自分の思考が創り出している、ということを受け入れているはずです。それと矛盾することを平気で言うので、これはちょっと・・・と思ったのです。
なので、今回の本は期待していませんでした。ただ帯に「山川紘矢氏絶賛!」とあり、「五つ星の本、なかなかありませんが、これは五つ星です」と書かれていました。それで、少しだけ期待しながら読んだのです。
本の主要な部分は、あさりさんの考え方が書かれていました。結論から言うと、これは非常に素晴らしいです。山川氏が五つ星と絶賛するのもわかります。
スピリチュアル系の考え方が、非常にわかりやすく、シンプルに書かれていました。
ただ後半の牧野内氏との対談では、やはり現象によって右往左往している感じが現れています。
過去世がわかるという特殊能力があると思われていて、そのために、見させられている過去世にこだわってしまうようです。
牧野内氏は、なるべくそっちに引きずられないようにと対談を進めていますが、あさりさんは、どうしてもそこに巻き込もうとしている感じがします。
牧野内氏は、自分ではわからない(忘れている)と言うのに、あさりさんは牧野内氏のことを、この日本に派遣される前の星で兄だったと主張しています。
はっきり言えば、これって迷惑ですよね。自分が勝手に信じている過去世を、相手に受け入れさせようとしているのですから。
相手が知らない(思い出していない)のなら、それがその人の生き方なのです。そんなことは求められない限り伝えないのが、本当のマスター(悟った人)ではないかと思います。
このように感じたので、後半の対談は、私はまったくお勧めしません。ですが、前半の考え方は素晴らしいと思うので、大いにお勧めします。
では、気になった部分をいくつか引用してみましょう。
「「夢を叶えるために○○する」のではなく、「夢が叶う世界に住んでしまう」のです!
発想を180度転換させるのです。
地上天国、すなわち「ユートピア」(理想郷)を創造するのです!
自分が住む世界を、理想の世界にしてしまうのです。」(p.2)
最初から壮大なことを言われていますが、これが王道です。まず神の国を願うこと。そうすれば、すべてのものは添えて与えられるのですから。
「そのためには、まず、「この世のしくみ」を知ることが出発点となります。
私たちが見ているこの世界は、人間の「信念」「世界観」「この世はこうあるべきもの」といった固定観念で成り立っています。となると、単純に考えれば、この世の「現実」を変えるには、信念を変えればいい、ということになります。」(p.4)
ほら、まっとうなことを言われてますよね。ならば「変な人から狙われている」という現実だって、自分の信念が創り出しているに決まっているではありませんか。
この矛盾にご本人が気づかないというのが、私には不思議でたまりません。ともあれ、先に進めましょう。
「この世界は「人間の信念」で創られています。
私たち一人ひとりの世界観、人生観が世界を創造しているのです。
ということは、私たち一人ひとりの信念が、この世界のあり方について、決定的なカギを握っている、ということがいえます。」(p.20)
だから、「自分がこうあってほしいと望む世界に合致する信念」を選ぶようにと言います。それはつまり「愛」だということですね。
「ですから、この世についての、不変の真理というものがあるとするなら、「すべては移り変わる」、これに尽きるでしょう。」(p.24)
つまり、今の自分にとっての真実は、他の人の真実とも違うし、明日の自分の真実とも違うということです。これも「神との対話」などで言われていることですね。
「つまるところ、幸せとは、心の状態です。
(中略)
ですから、誰かがあなたを幸せにすることはできません。
あなたを幸せにできるのは、あなたしかいないのです。
(中略)
コツは、出来事に感情的なリアクションをせず、すべては「完璧だ」と信じること。
すべては、ある目的のために「自分で創った」と認識していること。」(p.30 - 31)
「自分が持っていないものについて考えるから、自分が不幸に思えてくるのです。
かわりに、自分が持っているものについて、思いをめぐらせてみましょう。」(p.68)
「人にも物事にも期待しないこと。何も求めないこと。あるいは、赤ん坊のように無垢でいること。これが、ハッピーに生きるもうひとつの秘訣です。」(p.71)
「心に不安の信号を点滅させて生きる代わりに、平安というランプを灯して生きようといっているのです。」(p.76)
「自然界の動物や植物は不幸を感じません。
不安も心配もせず、無理をせず、あるがままに、自然体で生きているからです。「無為自然」を実践しているのです。生命を謳歌しています。」(p.76)
完璧な模範解答ですよね。幸せについて、みごとに言い表していると思います。
「何が起ころうと、私たちは絶対に大丈夫なのです。
恐怖心が湧きあがってくるのは、この世の肉体の視点で物事を見ているからです。その肉体は「投影」にすぎません。
肉体を投影しているのは、私たちの魂です。
魂は永遠不滅であり、どんな時も、つねに私たちの中心で輝いています。ゆえに、いつでも魂の視座から物事を見るのがコツです。」(p.35 - 36)
「迷った、あるいは躊躇したということ自体、機が熟していなかった証拠。それに、過ぎたことをくよくよ悩んで、なんの解決になるでしょう?
「これで良かった」と自分に言い聞かせ、気持ちをスッパリ切り替えて前進する。
すると不思議なもので、「しなかったこと」は本当に「しなくて良かった」ことになります。」(p.38)
「けれども、どんな物事も、それ自体は中立であり、良し悪しはありません。
(中略)
だから、何があっても「これでいいのだ」の精神でいくこと。これが人生の極意です。」(p.39 - 40)
起こることはすべて良し。そう現実を受け入れ、それにどのような意味を与えるのか。それによって、人生が創られるのですね。
「この世界は神様が創った、壮大なスケールの「映画」、銀幕に映った映像にすぎません。
この世界は精密に創られた、いえ、寸分の狂いもなく完璧に創られた一種の「虚構」です。
人生とは、いってみれば「一瞬の夢」のようなものです。」(p.61)
「だから、自分がやるべきことを思い出すこと!
そして、この世が「仮想現実」であることを念頭に置いて行動していくこと。
これもさとりのひとつではないでしょうか。」(p.63)
現実を幻想だと見抜くこと。これが悟りなんですね。
「トラウマとは、いってみれば、心にこびりついた「余計な荷物」。みなさんは余計な荷物をどうしますか?
そう、余計な荷物は、手放すのが一番。リリースするのです。
そのためにはまず、トラウマに関係する人物が親であれ、誰であれ、相手を赦すことです。
(中略)
それは、「人間はどんな出来事も自分で選択している」と認識することです。
(中略)
相手はあなたが目的を達成できるように、あなたのために、憎まれ役を承知で買って出てくれたのです。
どうですか?相手にむしろ感謝の念が湧いてきませんか?
なにしろ、その経験を選んだのはあなた自身なのですから。
次のステップは、自分を愛することです。」(p.47 - 48)
「誰の人生にも、平静を保つのが極めて難しい出来事が起こります。
けれども、そのような時こそが、まさに「本領発揮の場」。難局に際して、平常心を保てる人は、それだけ、意識レベルも高い証拠。問題が起こった時こそ、あなたの真価が問われているのです。力量が試されているのです。
(中略)
コツは、問題と自分の気持ちとを、切り離して考えること。
あるいは、問題を客観視するといってもいいでしょう。」(p.55)
「つまり、大切なことは、どんなプロセスも「平和な心」で、「楽しみながら」行うこと。」(p.85 - 86)
いくら引寄せの法則の達人になっても、困難なことがなくなるわけではありません。どんな状況であっても、苦しまないでいることができるだけなのです。
「人間がこの世に生まれてきた究極の目的は、意識の拡大です。
この世の経験を通して、心を覆っている固定観念のヴェールを一枚ずつはがしながら、意識を拡大していくこと。」(p.81)
「私たちの本当の仕事は−−愛を分かち合うこと−−唯一これだけです。
(中略)
自分への愛も、もちろん含まれます。自分を愛することは、すべての基盤です。自分を愛せない人が、人を愛せるはずがありません。
自分を粗末にする人は、結局他者をも粗末にしているのです。
なぜなら−−すべてはひとつ−−これが真実だからです。
まずは、自分を愛しましょう。」(p.106 - 107)
「現代人がかかえるストレスの大半は、人間関係によるものです。
そして、人間関係でストレスが生じてしまう大きな原因は、相手に期待すること、相手に執着することです。
(中略)
人間はみな自由な存在です。誰も束縛されることなど望んでいませんし、誰かを完全に束縛することなど不可能です。
ですから、こうしたこだわり、執着心を捨てれば、とてもラクになります。」(p.116 - 117)
「純粋な愛には、純粋な愛が返ってきます。エゴには、エゴが返ってきます。突き詰めると、すべては「エネルギー」。表面的には同一の行動でも、その元である心のエネルギーが違えば、そこから導かれる結果も違って当然なのです。
万物はエネルギーであり、人間もまたエネルギーです。そして、思考や心の状態に応じて、さまざまなエネルギーを放射しています。」(p.145)
「相手を変えようとするのは、愛ではありません。ありのままの相手を無条件に受け入れる。それが「愛」です。」(p.166)
私たちは、完璧な愛を目指しています。神になろう(思い出そう)としている存在です。
ですから、魂の導きを信じて、安心して生きることが重要なんですね。
「でも、魂と会話するには、一体どうすればいいのでしょうか?
方法はいたって簡単。鏡に向かって自分自身の目と会話するのです。」(p.88)
私がオススメする「鏡のワーク」も、魂と会話することに役立ちそうですね。ぜひ、お役立てください。
ということで、あさりさんの考え方には、これまで「神との対話」などで言われていることが、ほぼそのまま含まれていました。
唯一違っているのは、魂は目に表れるということですね。これは初めて知りました。
あとは既知のことですけど、わかりやすい言葉で書かれていて、とても読みやすい本になっています。
2015年01月22日
どんな仕事も楽しくなる3つの物語
1月16日(金)に福島正伸さんの1日セミナーを受けることが決まった時、福島さんの本をもっと読んでみようと思って注文した本です。
私が購入したのは文庫本ですが、実はかなり以前に、おそらくこの本を読んでいます。ここに出てくる3つの物語のことは、すでに知っていたからです。
改めて読んでみても、本当に感動する内容ですね。そして、セミナーを受けたことによって、ポイントがとても明確になったように感じています。
では、気になった部分を引用してみましょう。
「仕事が面白いかどうかを、その仕事の内容に期待すると裏切られてしまうでしょう。なぜなら、面白い仕事もつまらない仕事もないからです。
”つまらない仕事なんかない。仕事に関わる人の姿勢が、仕事を面白くしたり、つまらなくしたりしているにすぎない”」(p.28 - 29)
最初の物語では、つまらないと思える仕事を面白くしている駐車場の管理人さんを取り上げています。状況や出来事は中立で、そこにどんな意味を与えるかで変わってくるのですね。
「いや、そうではなく、この運転手さんが”運転手”という仕事を、自分の人生を輝かせる素晴らしい仕事にしているのです。
夢を持つと、すべての仕事が素晴らしい仕事に変わります。」(p.40 - 41)
次の物語は、一社員に過ぎないのに、日本一の会社にしようと頑張っているタクシーの運転手さんを取り上げています。自分がどういう夢を抱いているかによって、仕事への取り組みも違ってきますね。
「”今まで自分は、商品を売ることばかり考えていた。相手のことより、自分のことばかり考えていた。自分が苦しいから、自分のために、仕事をしていた。買ってくださるお客さんのことはまったく考えていなかった。売上をあげてくださるのは、お客さんなのに……”
そして気がついたのです。
”もう、自分のために売るのはやめよう。売上はつくるものではなく、いただくものだ。お客さんのために尽くそう。ただ、ひたすら尽くそう。そうすれば、きっと返ってくる。返ってくるまで、尽くせばいいだけだ”」(p.69 - 70)
最後は、不利な状況でも考え方を変えたことで、味方をたくさん作った酒屋さんの物語です。エゴにはエゴが、愛には愛が返ってくるのですね。
「チャンスにできない出来事はありません。チャンスにしなかった人がいるだけです。いかなる失敗も、未来の糧になります。」(p.96)
「次のチャレンジは、常に過去最高の成功確率なのです。」(p.97)
「自分が簡単にできることは、他人にも簡単にできるものです。
しかし、自分が簡単にはできないことは、他人も簡単にはできないことでしょう。もし、自分が失敗からノウハウを積み上げていけば、他人ができないことができるようになっていくはずです。
このように考えると、失敗が続くほど、やる気になっていくこともできるのではないでしょうか。」(p.97)
「どのような出来事も、自分の受け止め方によって、その後はまったく違った結果になります。
この受け止め方というのは、性格ではなく選択です。
人はいつでも自分の意思によって、どのような選択をするかを決めることができます。もともと考え方とは、生まれながらにして身につけてしまっているものではなく、その都度、自分で自由に選択することができるものです。
そして、その選択の習慣化が、その人の人生になります。」(p.100 - 101)
どんな問題が起こっても、それはチャンスです。失敗は、成功へのチャンスを広げてくれます。そして、そう考えるかどうかは、自分の意思、自由な選択の問題なのです。
「このように、どのような問題があったとしても、自己原因で考えることで自分の出番を見つけ出すことができるようになるのです。」(p.108)
「一方、自分自身に原因を見出すことができれば、自分の出番になり、問題解決へのスタート台に立つことができるようになります。」(p.109)
自己責任と言うと萎縮して、罪悪感を感じてしまうかもしれません。けれども自己原因と言えば、自分が何とかできることになります。自己原因を探して、自分の出番を作ることが重要なのですね。
「自分らしさとは、すべての人に可能性をもたらすだけでなく、社会をバラエティに富んだ、より楽しいものに変えていくことにもなるのです。」(p.116)
「自分らしさとは、そもそも自分自身が持っている感性に基づいた「こだわり」なのです。
本気になるほど「こだわり」が発揮されるようになります。
反対に、楽にやろうと思うほど、「こだわり」がなくなり、自分らしさも失ってしまうことになります。」(p.117)
自分らしさとは「こだわり」のこと。個性とも言えますね。ですから、みんながこだわれば、個性豊かで多様な、楽しい社会になります。
「はじめる前の段階で、人によって、いつあきらめるかが決まっているのです。ですから、あきらめないためには、はじめる前にあきらめないことを「決意」しておくことが必要になります。
(中略)
そして、あきらめないと決めると、他人から怒られたり、非難されたりしても、アドバイスに聞こえるようになります。」(p.130)
最初から「あきらめない」と決めておけば、批判や非難さえも、アドバイスになるという視点が驚きでした。あきらめない限り、成功するしかないのですね。
「このように、私はたくさんの感動と、感謝に包まれて生きていることに気がついたのです。つまり、感動すること、感謝することがいくらでも身の回りにあったのです。世界中の人と関わっていることに気がついた時、私は大いなる感動と幸せを得ることができました。」(p.141)
「実は、私たちが当たり前と思っていることに、感動があるのです。それを発見することは、生きている喜びを見つけることでもあると思います。」(p.142)
身近な当たり前と思っていたことが、有り難いことであり、世界とつながっています。朝、一杯のコーヒーを美味しくいただけた。そのことを考えてみても、いかに世界中の多くの人と関わっていて、その人たちのお陰であるかがわかります。
幸せは、今あることに気づくことなのです。その感動があるとき、私たちは「よーし、自分も世界の人のために働こう!」という喜びと充実感に満ちた気持ちになれるのではないでしょうか。
今回はセミナーに参加させていただき、初めて福島さんにお会いできた喜びもあって、この本を読みながらも、福島さんの笑顔が脳裏に蘇ってきました。
本もオススメですが、福島さんの話を直接聞くことは、さらにオススメです。セミナー会場でさらに2冊の本を買ったので、また随時紹介していきますね。
2015年01月23日
僕に働く意味を教えてくれた29通の手紙
連続ですが、福島正伸さんの本を読んだので紹介します。
これは福島さんが書かれた小説です。文庫本は「僕に働く意味を教えてくれた29通の手紙」というタイトルですが、単行本は違います。
単行本は2010年10月に発行された「僕の人生を変えた29通の手紙」です。文庫化するとき、タイトルを変えたようです。
私は昨年、ネットで注文したので、2014年7月発行の文庫本が目に止まったんですね。
小説の概要は、まさにタイトルにある通りです。
働く意欲をなくしていた主人公の元へ、宛名も差出人も書かれておらず、切手も貼られていない白い封筒が届きます。
最初は誰宛のものかわからず、捨てるに捨てられず保管していましたが、内容にはまったくピンときません。
しかし、途中からこの内容は、自分に宛てたものだと思うようになりました。
主人公が成長するにつれて、その手紙の内容が腑に落ち、さらに成長が加速します。
そして、その手紙の差出人は・・・。その差出人が手紙を出すようになった理由は・・・。
感動のクライマックスが待っています。
とまあ、こんなストーリーなのですが、この手紙の言葉が、福島さん自身が気づかされたことのようです。
気になった部分を引用しましょう。
「自分が正しいと思うと、他人が間違っているようにしか見えないのかもしれない。
次第に僕の中で、今まで自分が当たり前と思ってきたことや、正しいと思ってきたことが、実は間違っていたのかもしれないという疑念が湧き始めていた。
もちろん、心情的にはそのことを受け入れたくなかったけれど、今のままでは何も解決できそうにないことだけは感じていた。」(p.160 - 161)
ちょうど主人公に変化が現れ始めたときの、主人公の心境です。
これまでの価値観を否定することは、とても辛いことです。だから心情的には受け入れ難い。けれども理屈では、これまでの価値観が間違っていたと言わざるを得ない。
ちょうど、地動説が唱えられ始めた時の、天動説信者の心境でしょうか。
どんなに抵抗があったとしても、「こうかもしれない」という思考が生じてしまえば、もう変わる他ないのです。
「さらに古谷課長は話を続けた。
「君はまだ本気になったことがないね。本気というのはね、結果に関係なく、一生涯やり続ける覚悟ができていることだよ。その本気に、勝るものは何もないんだよ」」(p.214)
主人公を諭す取引先の課長のセリフです。
結果によって気持ちが変わるなら、「本気」ではない。この考え方に触れた時、私は、これこそが愛だと思いました。
相手がどうするとか、どうなるとか、結果はどうでもいいのです。自分がどうするかだけが問題なのです。
たとえ相手が心変わりしようと、体型が崩れようと、性格が悪くなろうと、それでも自分は愛し続ける。それが「本気」ですし、それが本当の愛だと思います。
「人は一人ひとりみな、生まれたこと、そして生きていることに意味があります。人生に無駄なことは一つもありません。どんな過去も未来の糧となる大切な財産です。どんな出来事も、そこに意味を見出し、そこから価値を創造することができるはずです。そして、そこにこそ本当の生きがいが生まれるのだと思います。
生きていると、つらいことも苦しいこともたくさんあると思います。きっと、思い通りにいかないことばかりかもしれません。でも、思い通りにならない中でも、どのように考えて、どのような行動をするかは、思い通りにできます。そして、その選択次第で、人生をどんなふうにでも生きていくことができるはずです。」(p.283)
まさにその通りだと思います。
すべての人が素晴らしいのです。そしてどんな環境でも、どんな出来事があっても、それを活かして自分らしく生きることができます。
それは私たちの自由な選択であり、決意次第なのです。
小説なので、あまり多くを引用するとネタバレになるため、今回はこのくらいにしておきます。
主人公の心の動きは、よくあるとか、自分もそうだなあと感じられるもの。実はモデルは福島さん自身なんですね。
ご自身が苦悩しながら新たな考え方を身につけてこられたからこそ、こういう小説が書けたのだろうと思います。
読みやすく、かつ為になる小説ですので、ぜひ読んでみてくださいね。
2015年01月26日
人生のシフト
牧野内大史(まきのうち・ひろし)氏の本を読みました。
私が牧野内氏を知ったのは、前に紹介したあさりみちこさんの本「宇宙とシンクロする生き方」の記事で書いたように、山川さんご夫妻との対談本がきっかけです。
それまでまったく存じ上げていなかったのですが、牧野内さんは企業コンサルティングもされておられるのですね。
そして少人数のワークショップなども行っていて、そこでセンタリングについても教えているのだそうです。
気になった部分を引用してみましょう。
「もし、人生が旅だとしたら
それは自分を変える旅ではなく
本当の自分に還る旅なのかもしれない」(p.13)
「それは自分とちがう誰かに「なる」のではなく、自分自身で「ある」ということ。
それは自分にはない知識を「知る」のではなく、自分を「思い出す」ということ。」(p.26)
「そう、「私を変えることができたら、私は幸せになれる」と考えながら、ニンジンを食べることなく人生を生きています。」(p.31 - 32)
「このセンタリングがわかってくると、これまでとまったくちがった世界が出現してきます。それは、周囲や思い込みに振り回されていた自分から、中心軸のぶれない、もともとの自分へとシフトしていくということです。」(p.32)
つまり、ダメな自分を変えていく、というプロセスではなく、本当の自分に戻る、というプロセスだということですね。その本当の自分とは、「神との対話」などでも言うように、「ひとつのもの」という存在なのでしょう。
「他でもない自分自身を大切にするということ、それがすべての扉のカギになります。」(p.36)
「自分を大切にする。この本質には、「ありのままの自分を感じていくということ」があります。」(p.36)
「センタリングとは、あなたのセルフイメージの根っこに触れるということです。」(p.37)
ダメな自分でさえOKだと受け入れること。それで完璧なのだとわかることが重要なのですね。
「ここで、あなたは感情の振り子を持っています。怖い、つらい、悲しい、生きている以上、こういった感情が起こってくる出来事があって当然、それは自然なことです。ここで大切なのは、その感情に振り回されないということです。
あなたの中には、ポジティブなものも、ネガティブなものもある。それが人間です。
その振り子の中心は、あなたが糸をつまんでいるあなたの指先。ここにあるんです。
その指を意識した瞬間、あなたの世界の次元はシフトしています。」(p.104)
「あなたの本当のパワー。それは、「自分がありのままに存在していて大丈夫」という確信です。その確信は、ずっとあなたにそなわっていた、すべての源泉です。」(p.121)
「わかる、という力はあなた自身の中にあるのです。その力を、自分以外の誰かに明け渡してしまうことが、どういった人生につながるかを考えてみてください。わかる、それは、誰も教えることはできません。自分で直接体験し、そして、わかる、それこそが「自分を知る」ということです。」(p.133)
「目の前の問題には、ふたつのアプローチがあります。
ひとつは、「それを変えなければならない」という考えからくる「何とかする」アプローチ。その問題は、とても困ったことで、打ち勝たなければならず、正さなければならず、思い通りにしなければならない、典型的な箱を閉じたアプローチです。
もうひとつは、「それがただ起きている」という「許す」アプローチです。変化や流れを物事の自然のなりゆきと考え、それをあるままに、さらに可能性が開いていることを認め、氣づいているという感覚。」(p.144)
「センタリングとは、「何かを起こす」在り方から、「何かが起きてくる」在り方にシフトすることです。それは起こそうとすることから自由になって、起きることも、起きないことも許しているということ。
すると、シンクロニシティ(意味ある偶然)が自然と起きてきます。」(p.145)
だから何が起ころうとも「これでいいのだ〜!」なのであり、「安心していること」なのです。
あるがままを、「これでよし」と受け入れる(=許す)ことによって、これまでの物事に反応する自分から、中心にいてそれを観察している自分へとシフトするということなのでしょう。
「今日、1日の終わりに自分の顔が映るほどの鏡で、自分を見つめてみてください。見つめることで、自分を味わってみてください。」(p.149)
鏡を見るということは、自分自身を客観的に見るということ。振り回される自分ではなく、そこにずっと存在している自分に気づくということなのです。
「あなたが今、取り組むのは、あなたの目の前で起きていることです。遠い未来や、今とは別の人生の出来事、過去世から背負ってきた記憶でもありません。
たった、今、起きていること。只今の自分です。その只今に取り組むことは、複雑なワークもセッションも必要としません。それは、とてもシンプルなこと。
ただ受けとるということ。見つめるということ。そして、味わうということです。」(p.153 - 154)
「そもそも、本質的な意味で責任とは、あなたを重たくさせるものではありません。それは、「自分に選択できる力がある」ということを意味している言葉です。」(p.186)
「責任とは、自分を責めるということではなく、自分責め、他人責めを手放し、目の前の人生に集中するということです。本質的には、責任とは、自分が100%選択できるパワーのことを言います。その責任は、制限としての「重さ」ではなく、もっと自由な「軽やかさ」を与えてくれるものです。」(p.187)
「責任」が悪者探しという意味で使われるなら、それは他者否定や自己否定、それにともなう罪悪感をもたらすことしかありません。
しかし、「自由な選択」を意味する言葉として考えるなら、そこには万能感が出てくるはずです。
この本には、センタリングのパーソナルセッションとしてのCDがついています。聞いてみましたが、要は瞑想のようなものと言えるでしょう。
瞑想は、「神との対話」でも勧めていますし、多くの人が勧めている方法です。
私自身は、まだピンとこない部分があって継続できていませんが、これもまた1つの方法だと思います。
本当の自分とつながるセンタリングを、あなたも試してみませんか?
2015年01月27日
白米中毒
セミナーの参加者から献本していただいた白澤卓二氏の本を読みました。
白澤氏は、「「砂糖」をやめれば10歳若返る!」などのベストセラーもあり、この分野では有名な方のようです。
白米や白砂糖は、ともに精製された食品です。この「精製された」という点が、食物に中毒性をもたらすと言います。
麻薬や覚せい剤なども、精製されて純度が高まるほどに中毒性も強くなる。それと同じだと言うわけです。
中毒性が高まるということは、それを摂取する量が増えるということ。何でもそうですが、摂取量が増えすぎれば、身体にとっては毒になるものです。
この本では、特に炭水化物の取り過ぎが身体に良くないと言っています。
では、気になった部分を引用してみましょう。
「そして、日本の歴史上で一番早く見られた、白米中毒の病的な段階の症例が「脚気(かっけ)」です。わが国では、平安時代以降、京都の皇族や貴族など上層階級を中心に脚気の発生が見られましたが、精米された白米を食べる習慣が広まったのは、江戸時代の江戸においてでした。江戸の将軍たちが、ビタミンB1不足からくる心臓脚気によって、何人も命を落としているのは、よく知られた話です。」(p.25)
「大正期以降、ビタミンB1を含まない精米された白米が普及するとともに安価な移入米が増加し、副食を十分に摂らなかったことで患者が大勢出たことから、脚気は結核と並ぶ二大国民病といわれました。」(p.27)
日本人が白米を主食にした歴史は浅く、白米中心の食事によって栄養バランスが崩れるという弊害がありました。
第一次世界大戦のころ、軍人の死亡原因の大半が、脚気によるものだったということは、よく知られた話です。
伝統的なドイツの栄養学を重んじた森鴎外などがいた陸軍では、この脚気に対処することができず、多くの兵士が死んだと言います。
一方海軍では、カレーライスや麦ごはんを導入するなど、栄養のバランスに務めたために、脚気による死者を減らすことに成功したのだとか。
もし、玄米食を続けていたら、脚気の問題は起きなかったかもしれませんね。
「塩や砂糖、油などがたっぷり含まれたジャンクフードや甘い炭酸飲料、そして白米など、食べたときに「心地いい」と感じるものであれば、なんでもマイルドドラッグになってしまいます。」(p.41)
「この報酬系に強いシグナルを送る食品は、特に精製されている食べ物です。」(p.42)
つまり、精製された食品は、脳が「心地いい」と感じるのです。これは、報酬系にシグナルが送られて、ドーパミンやエンドルフィンが大量に分泌されるからだそうです。
この快感のために、同じ食品を大量に食べ続けようとしてしまいます。これが中毒です。
「血糖値の上昇を緩やかに抑えるには、ブドウ糖を血液中にゆっくりと放出する未精製のデンプンが、脳のエネルギー源としては最良です。その逆に精製された白砂糖、また精製されたデンプンの摂取量が増えれば増えるほど、血糖値を安定させるのは難しくなり、血糖値は乱高下をはじめます。」(p.43 - 44)
「白砂糖が脳にダメージを与える大きな理由としては、白砂糖が生体のビタミンとミネラルを使い果たしてしまうことにあります。」(p.44)
「その際、しっかり認識してほしいのは、ブドウ糖が悪者なのではなくて、高度に精製された白砂糖やデンプンを摂取すると、酵素の働きによって血糖値が急激に上昇、不安定な症状を引き起こすという点です。」(p.45)
つまり、精製された純粋な砂糖やデンプンは、急激に吸収されるために、血糖値が一気に上昇することになります。
すると、それを抑えるために大量のインスリンが放出されることになり、その反作用によって、今度は急激に低血糖状態になるというわけです。
こういう無理を重ねることでインスリンの効きが悪くなり、糖尿病になってしまいます。
「後述のケトン体体質にするためには、2週間ほど主食抜きの糖質制限を徹底させますが、その後、主食+副食の食事に戻す場合は、ぜひとも主食は雑穀+玄米にすることをお勧めします。私が考えるところ、雑穀+玄米に勝る主食はありません。」
「白米さえやめているのであれば、何を食べるべきかを考えるときに一番大事なことは、カロリーではなくて「栄養素密度」です。
(中略)
これはアメリカの食事法、栄養学の権威で、『食べて治す』『生きるために食べる』など、栄養に関する本のベストセラーで知られるペンシルベニア大学のファーマン博士の研究による考えかたです。(中楽)もっとも健康的な食事はH=N/C比の高いものだと定義されています。
Hは栄養密度、Nは微量栄養素、Cはカロリーです。Nを大きく、Cを小さくするほど、栄養素密度の高い健康的な食というわけです。摂取カロリーあたりの微量栄養素密度が、将来の健康を大きく左右すると博士は言います。」(p.122 - 123)
つまり、微量な栄養素を豊富に含んだ食事こそが、健康に良いと言うことですね。その対極である白米を主食としておかずが少しという食事は、炭水化物という栄養素に偏りすぎていて、健康上は最悪であることになります。
「このような食事を続けると、糖質ではなく、脂肪を分解してエネルギー産生を行う「ケトン体回路」の活性化がされるのです。これが、難なくダイエットを成功させ、成人病予防、認知症予防となる白澤式アンチエイジング食事法=別名「白澤式ケトン食事法」です。」(p.134)
「しかし従来の糖質制限食は、高タンパク・高脂肪の食事に傾きがちなところが心配される点でした。そこで白澤式では、アトキンス式に、雑穀や塩麹・しょう油麹など、日本の伝統食の要素を加味し、さらには数種類の野菜類と果物をミックスした毎朝の自家製フレッシュジュースを日課とするなどして、たんなる糖質制限食に留まっていないところがミソです。アトキンス式の進化版というべきもだと思います。」(p.145 - 146)
つまり、主食である白米を完全に抜くことで、糖質制限食にすることがポイントです。
そして抜いた主食の代わりに肉などタンパク質や脂肪を増やすのではなく、野菜を増やすということですね。
これによって身体は、摂取した糖質からブドウ糖を作ってエネルギーを生み出す解糖系や、肝臓に蓄えたアミノ酸からブドウ糖を作る糖新生を使うのではなく、身体に蓄えた脂肪からケトン体を作って、そこからエネルギーを生み出すケトン体回路を使うように変わります。
もともと人間は、常に決まって食事ができなかった長い時間を生きてきたため、ケトン体回路によってエネルギーを生み出すのが普通だったのです。
それが最近は、大量な炭水化物を常に摂取できるようになったため、解糖系や糖新生を使うことが普通になり、さらにそれでも処理できないほどの糖質が身体に入ってくることが、問題となっているのです。
「食事から炭水化物を除くと、インスリンの分泌が抑えられ、血中のブドウ糖濃度が低くなります。ここがポイントで、血中ブドウ糖濃度が低下したとき、その代謝物質として脂肪酸を分解したケトン体物質が産生されるというわけです。
わずか2週間、徹底して炭水化物をカットすることができれば、それだけで体質改善がはかれるのですから、試さない手はないでしょう。」(p.185)
「最近の医学のトレンドでは、血糖値の上昇は炭水化物の摂取量とはきれいに比例するが、タンパク質と脂肪は血糖値の上昇には大きく作用するものでなく、血管を害することなくエネルギー源として消費されるという見かたが主流になってきました。つまり、糖尿病の原因は、脂肪ではなく、炭水化物であることが、遅ればせながら明らかになってきたのです。
米国糖尿病学会(ADA)は、自らの教育資料「糖尿病との生活」の中で、食後に血糖値を上げるのは炭水化物のみであるとして、炭水化物の摂取抑制を指導する内容に大きく方向転換しました。現在、米国科学アカデミーが推奨する1日に摂取する炭水化物の量は、わずかに130gとしています。これは日本人の平均摂取量の約半分です。」(p.192)
ただでさえ炭水化物を摂り過ぎている現代の日本人です。さらにその炭水化物を、精製された白米などから摂っている。健康を害しても当たり前というのが、研究の結果として示されているようですね。
私はすでに、主食を抜くなどの炭水化物抜きダイエットを続けていて、朝食抜きの少食(プチ断食)も実行しています。
それで昨年は約10kgほど減量し、体調も悪くありません。これまでの食事法に太鼓判を押されたような気がします。
ただ、これが必ずしも正しいかどうかは何とも言えませんので、それぞれの判断でお願いしますね。
2015年01月28日
不死のしくみ
別のセミナー参加者の方から、阿部敏郎さんの本を献本していただきました。1月の東京セミナーは、もらいものが多いセミナーでした。ありがとうございました。(喜)
阿部さんの本は、これまでにも「一瞬で幸せになる方法」、「降参のススメ」、「招き猫カワヒラくんが教えてくれた幸運の流れに乗る生き方」を紹介しています。
今回の本は、真理についてぐっと踏み込んだ内容となっています。
では、気になった部分をいくつか引用してみましょう。
「自分だと思ってしがみついていたものは、海というものの運動に過ぎなかったんだと。そしてその運動自体、ただの「動き」であり、実体でも何でもなかったんだと。
「生か死か」ではなく、「不死」ということです。
その時、ぼくたちは自分が宇宙そのもの、神そのものだったことを想い出します。」(p.5)
阿部さんは、「生死を超える覚醒(見性)体験」をしたとき、人は死ぬときに自分が波という現象ではなく、海だったと思い出す、ということを思ったそうです。
「ぼくたちはたったひとつの同じものからできています。
答えから先に言うと、ぼくはあなたであり、あなたはぼくです。ぼくもあなたもこの世に存在するすべてを含んでいます。だから自分がとてつもなく偉大な存在であり、とてつもなく価値ある存在だという事実を、いつも忘れないでください。
(中略)
もし心からの理解ができなければ、それはタイミングが合っていないということですから、いったん保留にしてください。いつか腑に落ちる時がくると思います。」(p.7)
まさに「神との対話」などで言っている通りです。そして、それがわからないから劣っているわけでもありません。ハイハイしかできない赤ちゃんが、走り回れる幼児より劣った存在ではないのと同じです。
「神に罰せられないように、自分を正しさの鎖で縛りつけて、随分と長い時間、不自由な世界を生きてきたけれど、完全な自由を知ることこそ神そのものだったのです。
完全な自由、それは愛と知性によって生じるエネルギーの脈動でした。」(p.22)
愛と自由を関連付けているのは、「神との対話」などごく一部です。阿部さんが悟った世界が、いかに深いかがわかります。
「選ばれる人と選ばれない人がいるとか、特定の生き方をしないと置いていかれるとか、ひどいのになると、言う通りにしないと地獄に落ちて苦しむとか、そのような想像力には感服しますが、これらはまったくの的外れです。
百歩譲ってそのような経験をするにせよ、そんな世界を作り出すのは当人自身です。
だって自分が創造主なのですから。」(p.66)
私もこの考えには100%賛同します。そうでなければ、理屈としておかしいからです。阿部さんは、自身の見性体験によってわかったのかもしれませんが。
「自分のフォーカス(焦点)を変えてください。
何かを手に入れた結果として幸せになろうとするのではなく、いままさに幸せであることを実感してください。
幸せは心の状態です。その気になれば、いつでもどこからでもできます。」(p.71)
幸せは、すでに幸せだったと気づくことですね。
「さとってもさとらなくても、人は皆同じです。
そこに違いがあるとすれば、さとりを求めている人は「さとった人は普通の人とは何かが違っている」と想像するのに対して、さとった人は「さとっても自分が周囲と何もかわらない」ことを知っている、ただそれだけの差です。」(p.73)
これは阿部さんの感覚としては正しいのでしょう。ただ後で指摘しますが、明らかにさとってない人と違いがあることを、阿部さん自身が言っています。
絶対の領域では矛盾するものでも同時に存在するわけですから、阿部さん自身は、それでも矛盾していないと主張されるかもしれませんけどね。
「あなたがさとりからどんなに遠く離れたつもりでも、さとりはあなたから離れることはありません。さとりはあなたの本質であり、生まれながらの資質ですよ。」(p.73 - 74)
「神との対話」などでも、私たちはすべてを知っていると言っています。それはそうでしょう。だって、「ひとつのもの」ですから。
「ぼくたちが最初にすべきこと、それは自分と闘わないこと、つまり「自分を変えようとしないこと」です。
これは自分自身に「降参」して、自分にくつろぐということです。」(p.88)
これも「神との対話」などで言われていることですね。自分を否定しないこと。今の自分をそのまま受け入れることが重要です。
「対立は思い込みと思い込みのぶつかり合いです。皆、それぞれ独自固有の世界で生きていますから、対立はそれぞれが持っている世界同士の衝突なのです。
批判や攻撃は、真に受けないでください。
なぜなら、それは相手の世界の中での反応であり、あなたに向かっているものではないからです。」(p.90)
価値観は人それぞれですからね。価値観の違いと出合った時、自分の世界が危機にさらされていると感じる人が、相手を批判して攻撃するのです。
「あなたが状況を変えるために最初に取り組むこと、それは「自分の絶え間ない想念を検証すること」です。
それが「現実は思考が作り出している」という言葉を本当の意味で検証することであり、その立場に100%立つということです。」(p.104)
自分の思い込み、価値観、信念、観念、そういったものに気づくことが重要なんですね。
「宇宙の生産力は無限です。
100個を100人でわけるのではなく、100人がそれぞれに100個を獲得することで全体が1万個になるのです。
(中略)
だからだれに遠慮することなく、自分の可能性を最大限に広げて、なれるものすべてになりましょう。それが生きるということです。
本当の富とは、あなた自身の開花なのです。」(p.112 - 113)
私は、この表現は理解できます。しかし阿部さんは一方で、地球には全人類を満足させる富があるが、今は一部の人が搾取しているために多くの人に行き渡らない、ということも言っています。
「世界中の人が好みに合った衣食住を満たすには、いま地球上で起きている戦争や紛争を一切やめるだけで十分です。いまでも世界が浪費する軍事費だけで、地球上のすべての人間を養うことができます。」(p.106)
つまり阿部さんにとっては、軍事費が一部の人が搾取しているものなわけですね。これをやめれば、「世界中の人が好みに合った衣食住を満たす」ことができると。
算定根拠が書かれていないので、にわかには信じられません。それに、宇宙の生産性が無限なら、軍事費を回さなくても、十分に「世界中の人が好みに合った衣食住を満たす」ことができるはずです。
したがってこの部分は、現実的な見方と本質的な見方とで、矛盾を感じる部分です。
「でもね、それらを学ぶために時間延ばしをしないこと。いますぐやってみましょう。
いちばん簡単なやり方としては、心の中に理想の自分を描き、理想の自分ならどうするだろうという基準から次の行動を選択することです。」(p.121)
「神との対話」では「自分らしく生きる」ことを勧めています。バシャールは「ワクワクする」ことを勧めています。不安を捨ててしまえば、そのように生きられるのです。
「ではどうすればいいか?
簡単です。
自分を愛してあげるだけ。
自分を愛せない自分を愛してあげるんです。」(p.129 - 130)
今の自分をそのままに受け入れるということは、こういうことになるんですね。続けてそのための方法として、自分を愛せない理由をノートに書き出し、その一つひとつを取り上げて、「○○な自分を愛します」と言葉にすることを勧めています。
「生きるってことは、何者かにならなければいけないことじゃありません。
周囲の評価を待たずに好きなことを、好きな仕事を、好きな人生を生きれば、それでいいのです。」(p.135)
なんとかなる。そういう安心感を持つこと。逆に言えば、「上手くいかないんじゃないか」という不安を捨てることです。
人の役に立つべき、というような他人の価値観に縛られないこと。ただ自分がやってみたいから、という理由で動いてみることですね。
「恐れからは、決して本当の「感謝」が出てこないことも知ってください。にもかかわらず、感謝のための供養だと言うのなら、それは自己欺瞞です。
それはもはや感謝ではなく「取引」です。
「幸せになれますように、悪いことが起きませんように、感謝しています。合唱」
こういうことですよね?」(p.162)
先祖供養は不要だという阿部さんの考えを説明しています。私も、特に先祖供養をする必要性はないと思っています。墓なんて無用だと思いますから。
だって先祖も何も、同じ「ひとつのもの」なのです。「供養しなければならない」と義務化するなら、それは自由を奪う考え方です。
「そんな皆さんにぼくが話したいことは、自殺をした人も病気で死んだ人も事故や犯罪に巻き込まれて死んだ人も、死は死に過ぎないという事実です。
どのように死んだかは、あくまでもこの世に限ったストーリーであり、そもそも死はまったく違う次元への移行であり、それは人間の想像をはるかに超えます。」(p.167)
私も同感です。理屈からして、そうでなければおかしいのです。
そしてこの考え方に従えば、カルマとか前世の報いなどという考えは、おかしいのです。自殺したからあの世で苦しむこともないし、次の生で何かを清算する必要もありません。
「机や壁や置物といった無機質なものにまで命と魂を見ます。
ましてや犬や猫などの動物に対しては、彼らの中で生きているのはまぎれもなく自分自身なのだと知ります。
その感覚を1度でも味わえば、動物に対する意識がまったく変わってしまうでしょう。これは知的なものではなく、感覚的な理解です。」(p.180 - 181)
こう言って阿部さんは、肉食に反対します。そして肉食をやめない限り、戦争はなくならないと言うのです。
この部分は、本を読む前に阿部さんが、Facebookに投稿されていました。そこから引用しましょう。
「人類が食肉文化を脱しない限り、戦争はなくならないと断言します。
(中略)
食肉ができるのも同じくイマジネーションの欠如です。
さらには覆い隠した暴力性のなせる業です
それじゃ、魚はどうなんだ!
植物だって生き物だ!
というマインドの理屈は、あまりにも幼稚です。」
つまり、悟っていないことで動物との魂の一体感を感じない人が、理屈をこねて「魚や植物だって同じ生命だろう!?」と反論するのは「幼稚」なのだそうです。
上の方で、「さとってもさとらなくても、人は皆同じです。」と言っていたことと、やはり矛盾しているのではないかと思います。
また、この部分は、暗に肉食の人を批判し、変わらなければならないと強制している感じさえします。上の方で、「ぼくたちが最初にすべきこと、それは自分と闘わないこと、つまり「自分を変えようとしないこと」です。」と言っていることとも矛盾しますよね。
起こることはすべて必然で無駄がない。これも多くの人が口にする言葉です。
だとするなら、戦争もまた必然で無駄がない、つまりわれわれに役だっている、ということになります。
そして、今の自分をそのままに受け入れよと言うのなら、「変えるべき」という考えは出てこないはずです。
「神との対話」では、どうしたいかはそれぞれの自由だと言っています。ああすべき、こうすべきなどと、神は言わないと。
そして、すべての体験が神聖なのだと言います。つまり、肉食や戦争という体験もまた、神聖で否定すべきではないのです。
ただし、進んだ社会においては、人は肉食をしなくなるし、最終的には食べなくなるとも言っています。もちろん戦争もありません。
赤ちゃんは自然と成長して幼児になり、子どもになり、大人になるのです。そのときどきを楽しんで生きれば、それで良いのではないでしょうか。
阿部さんが言われることは、ほとんど「その通りだなあ」と思うものの、ときどき「ん?」と思ってしまうこともあります。
それは決して阿部さんが間違っているという意味ではありません。今の私の状態では、同意できない、というだけのことです。
この本では、瞑想を助けるCDもついています。瞑想が好きな人は、役立つと思いますよ。
2015年01月29日
成功を引き寄せるアニキのオキテ
バリ島の大富豪、アニキこと丸尾孝俊さんのことを書いた弟子のクロイワ・ショウさんの本を読みました。
アニキに関する本は、これまでにも「大富豪アニキの教え」、「出稼げば大富豪」、「絶対成功する大富豪のオキテ」、「金のなる木の育て方」、「豊かさを導く31の「与え方」」を紹介しています。
今回は、1月17日にアニキをモデルにした映画「神様はバリにいる」が封切られと知ったので、買ってみたのです。
ちょうど一時帰国したこともあって、渋谷TOEIで映画も観てきましたよ。ほぼ満席くらいに埋まっていて、驚きでした。
映画では、アニキに指導を受ける主人公は女性でしたが、モデルはこの本の著者でもあるクロイワ・ショウさんです。
では、気になった部分を引用してみましょう。
「腹減ってる時、食べるのが一番ええねんて。それを「朝だから」「昼だから」「夜だから」と、腹も減ってないのに、無理やり食べることが自然の摂理に反しとるように思う。」(p.22)
言っているのは食事のことですが、これはすべてに通じると思います。他人の価値観を鵜呑みにして、自分がどうしたいのかを忘れていませんか?、という問いかけだと思います。
「ということは、一流なろ思ったら、良い仕事をするに尽きるんや。仕事が一流なら、必然的に紹介が起こるよ。ところが、固定客がおるものの、その固定客からの新規の紹介が立たないうちは微妙や。まだまだ一流ちゃういうことや。」(p.25)
ブランディングがどうのこうのとか、宣伝方法がどうとか、そういうことに気を使っているようではダメなんですね。常に王道を行け、ということだと思います。
「子どもは、じいちゃんばあちゃんに預ける方がええかもしれへん。最近は、少なくなってきたけどな、お年寄りの近くで育ってきた奴は成功し易いように思うからや。」(p.32)
「神との対話」でも、子どもを生む世代はまだ未熟で、子育てに適さないと言っています。
またタイでは、産んだ子どもを田舎の両親に預け、自分はすぐにバンコクで働くという母親がけっこういます。それが普通なんですね。
日本は子育てが大変だと言われますが、親に預けるという選択肢が、まったく語られていないように感じます。
「ホンマもんの幸せいうのは、なんとなく、他人のために自分の持つ時間とカネを費やせることのように思うなぁ。この際、もはや人じゃなくてもええわ。植物でええ。だって花に水やってる時、幸せな気分なれへん?おれはなるねんけどな。いつも「おい、まえら、浴びるほど飲めよ」とか言うて撒いとるからな。植物、幸せやと思うよ。「コイツら、幸せやな」と思う時間が幸せやと思えへん?」(p.40)
「ホンマの日本文化は「他の誰かのため」やったんや。昔は、そういう親で構成されてたから、他人のためが回り回って自分に返ってきたりもしたんや。
肝要なのは「いつか誰かのためになるやろう」という考え方なんやな。たとえば、遊んだ帰りに、公園にオモチャ残しておくとか、そういう思いやりや。」(p.51)
他の誰かの幸せに貢献している時、人は幸せを感じられるのではないでしょうか。だから「神との対話」でも、幸せになりたければ、他の人を幸せにしてあげなさい、と言うのです。
「やりたいこととやりたくないことあるやん。そんなもん迷わずやりたい方行けと思う。我慢せんでええねん。みんな我慢するやろ?それ停滞や。」(p.65)
自分が好きなこと、ワクワクすること、自分らしいことを、さっさとやった方がいいんです。
「ウワサもそうやけど、他人のこと言う必要がないねやて。自分のことだけ言うとったらええねん。他人のことウワサしてる暇あったら、それより考えたれと思うよ。ウワサするより「思いやる」やて。」(p.87)
愚痴や批判はもちろんのこと、他人のことをどうこうと言う必要はないのです。それより、自分のことを考えなさいと、「神との対話」でも言っています。
アニキは、ウワサをするより親身になって考えてあげることが大事だと言います。思いやりをかけることですね。
「何でも意味があんねやて。意味が無いことが無いんや。相手が誰であれ、その相手から学ぼうっていう考え方を失うべきでないよ。ということは、教えてくださって有り難う、誰に対しても感謝なんや。「お人好しでアホや」言われても、言うてる奴がアホやから。いつまで経ってもアホや言われてる奴は、心配せんでも、いずれアホでなくなるから。」(p.97)
悪い人や迷惑をかける人と出会っても、そこから何かを学べるとアニキは言います。人は鏡なのだと。また、反面教師にして、自分のことを振り返ることもできます。
ですから、どういう出会いにも感謝しかないのです。どんな理不尽な対応をされたとしても、そこに意味を見つけるのだと。
「おれが残したいのは日本や。クソー、何としてでも日本残してかかるぞと。その、おれの「くやしい思い」に加担してほしいんや。今まで一生懸命がんばって下さった沢山の先輩が、今日の日本を残してくれたんや。まだ見ぬ我々のこと思って、命かけて体はってくれたわけや。おれたちが継承せんでどないすんねんという話や。だから、日本から会いに来てくれるみんなに、必死のビビンバで残そうとしてる。そしたら、絶対、誰かに残る。おれは、残したいねん。」(p.57)
日本を愛すればこそ、多くの人から恩を受けたという感謝の気持ちがあればこそ、アニキはそれを残したいと切に願っておられるようです。
本の後半は、大勢の方からの質問に、アニキが答えるスタイルとなっています。
クロイワさんが代わりに質問をして、アニキがそれに答えたものを、まとめたもののようですね。
若干、不十分な感じがする項目もありましたが、全体を通してみれば、アニキの考え方がよくわかると思います。
他人を大切にする。付き合いを大切にする。恩を感じて感謝する。自分をさらけ出す。スピードを上げて、何度でも挑戦する。そうすれば少々の失敗は恐くない。
こういったアニキの考え方は、映画にもよく表れていました。こういう日本人が、バリ島に住んでいるのだなと思うと、そのこと自体が有り難いことだと思えてきます。
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