2014年11月03日

手の妙用



手当て療法について詳しく書かれた吉田弘氏の本を読みました。

著者は大正11年に京都帝大を卒業された方で、心霊研究などをされています。

その科学的な見地から、自ら実践されている手当療法について書かれたのが、この本です。

手当療法の名著とも言われますが、残念ながら今は中古でしか手に入りません。


吉田氏がされている手当療法は、臼井氏の靈氣療法とは別のものです。

別のものではありますが、本質的には同じものだと思います。

そして吉田氏は、心霊研究もされていることから、大いなる悟りも得られているようで、そのことについても本の中で触れています。

読んでいて気になった部分をいくつか、以下に引用します。


ゆえに万物万有は、大自然、すなわち全宇宙体の一細胞にほかならない。」(p.2)

別の言葉でいえば、この世に地獄もあれば極楽もある。死んでからではない。見る人の眼によってこの世界は地獄ともなれば、また極楽ともなるのである。」(p.48)

自然の大慈悲たることを身をもって証明するものが、これから説く「手当療法」である。ほとんどどんな病気も手で診断ができ、同時に治療ができる。しかも自分に与えられているこの二本の手がそれであることを知ると、大自然のありがたさが、自分自身で知りうるのである。
 人生は信仰でいっさいが解決されるということは決してウソではないのである。
」(p.48 - 49)

すべての存在は「ひとつのもの」だとする「神との対話」などの指摘と同じことを言っています。そして、見方によって受けとめ方が変わるという考え方も同様ですね。

そうであるならば、本来の人間が病気や怪我で苦しみ続ける必要はないのです。本来の姿は健康そのものであり、そのための機能が備わっているということなのです。


私は独断であるが、人間の精神とは、この波動の面のことをいうのであると思う。
 他人の胸の痛みを感ずるということは、人間の精神を波動と考えて初めて理解ができる。
」(p.67)

してみると、光が万物の根源ということになる。
(中略)
 二つの生命ある細胞が合して、一つの生命となった。それは個体であると同時に波動である。
 その根源は何かと追求してゆけば、源は光であるということになる。光が生命の根源となり、光が生命であるということができる。
」(p.68)

私たちの本質がエネルギー(波動,光)であることを、吉田氏は理解していたようです。


生命がさほどに大切な尊いものである以上その終局である死は決してつまらぬものであるはずがない。大切な生命の終わりである以上、死もまた尊く大切なものでなければならない。」(p.74)

人間はもはや孤立していないことがわかった以上、孤立的個人主義的利己主義は生命の真の姿を知らないことからくる迷想であることを知らねばならぬ。したがって、資本主義もその嫡出子である共産主義も共に誤りであることを知らねばならぬ。」(p.76)

手当療法はこれを体得するのに最もよき方法である。手当してみれば他人の苦痛を手に感ずるから真の同情ができる。真の同情のあるところにのみ真の平和がある。」(p.77)

人は孤立しているように見えて、実は一体である生命の一部です。生や死もまた、生命の一部です。その理解が進めば、世界は平和になるでしょう。それを心底から理解するのに、手当療法が役立つというわけです。


また、それを人に教えてやらせると、同様の効果があがるので、私の手だけでなく、誰の手でも、また何も知らないでも、やればなおるということである。」(p.110)

しかし、「手当療法」の放射は、いくら当てても当てすぎて害になることはない。当ててよくなると、自然に患部から手がはなれてしまう。
 またちょっと当てる場所が違っても、「感ずる手」なら、自然に動いて、真の患部の方に移っていく。
 もし「感じない手」ならば、少々違った部分に当てていても、その効果は間接に患部に及んでゆくから、害になることは絶対にない。素人がやっても決して誤りを犯して害を与えるようなことはない。
」(p.113)

ギックリ腰が起きてからすぐ手当したので、少しも手遅れしなかったから、なおりが早かったのである。これが大切なことである。」(p.220)

手当療法は、特別な人ができる方法ではなく、誰もができるものだと言います。そしてそれは、やり方が正しいかどうかに関係なく、一定の効果があるものだと。

そして、手当療法の効果を上げるには、発症してからすぐに手を当てることだと言います。「手遅れ」という言葉は、手当が遅れたという意味ですから、まさに早く手当をすることが大切なのですね。


肝腎かなめがわるくならなければ、癌といえども発生しないと断言しうる。」(p.106)

かつて日本に僧侶でこの「手当療法」をしていた人がいたということであるが、この僧は決して頭以外には手当をせず、頭だけに手当して、どんな病気もなおしていたということである。キリストも頭だけに手を当てて、強い暗示を与えて、いろいろの病気をなおしたらしいが、とにかく頭には全身の機関全部の神経中枢、神経座があるので、頭だけに手当しても、なおる理屈である。ただし、私は腎臓が悪ければ、腎臓に手当した方が早くなおると思うので、患部に手当することにしている。」(p.252 - 253)

ほとんどすべての病気が、食物と過労と、睡眠不足からきている。
 とくに健康な血液は中性で弱アルカリであるから、食物は酸性食品とアルカリ性食品を適度に摂らなければならない。
」(p.260)

吉田氏は、病気のほとんどの原因は、肝臓や腎臓といった浄化系の機関が弱まることが原因だと考えているようです。東洋医学では、肝腎要(かんじんかなめ)という言葉の通り、肝臓と腎臓の働きを重視していますから。

それとも関係しますが、血液を弱アルカリに保つことも重要だと言っています。そういう意味では、食事も重要で、酸性食に偏りやすい現代は、特にアルカリ性食を選んで食べる必要があるかもしれません。


レイキなどの手当療法をする人にとっては、もっと有用なことが書かれていますが、一般の方にも役立つ部分のみを引用しました。

特にレイキのアチューンメント(霊授)を受けなくても、レイキができるという話は、まんざらウソでもなさそうです。

ただそっと手を置く。すぐには良くならないからこそ、長い時間手を当てる。その行為が、愛なのだと思います。

何ごとも実践が重要ですから、ぜひ今日から、ご自身やご家族に、手を当ててみてくださいね。

手の妙用
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 16:23 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月12日

ボディ・ブレイン



私のメンターの吉江さんが絶賛していた本を読みました。プロ野球の阪神タイガースなどで投手として活躍した下柳剛さんの本です。

吉江さんはメルマガの中で、次のようにこの本を勧めています。

特に今、行き詰っている35代以上の中年層が読むと
下柳投手の仕事に対する熱い思いや無条件の愛を感じ、
やる気になること請け合いでしょう。


また本の帯には、元サッカー日本代表監督の岡田武史氏が、以下のように言って推薦しています。

これは野球ではなく、人生の指南書だ


たしかに読みやすく、あっという間に読めてしまう本でありながら、奥が深いと思いました。

まず、下柳投手がどうしてあれだけ活躍できたかと言うと、投球時に相手の打者の意図が見えたからだそうです。

だから打者の読みを外すように投球を変化させることで、いとも簡単に打ち取れたと言います。

そういう状態を「ゾーン」と言うのだそうですが、この「ゾーン」の状態を継続的に起こすことができたのだそうです。

これが活躍できた秘訣だし、これはあらゆる分野で活用できると言います。そのために下柳さんがやってきたことを、この本で紹介しているのです。


下柳投手は、グラブに「前後際断」と刺繍していたそうです。

小説では宮本武蔵の師匠となっていますが、実際は柳生宗矩(むねのり)の師だった沢庵禅師の本「不動智神妙録」を読んで知ったそうです。

人間がコントロールできるのは、今この瞬間のみなのに、自分の過去や未来への思いが大切な現在をおろそかにさせているんだ。」(p.24)

過去を悔やんだり、未来を心配することに心を使うのではなく、今この時にどうするかを考える。それが前後際断なのです。


また、座禅もよくされたそうです。「数息観」というテクニックで、自分の呼吸に注意を向け、その数を10まで数えることを繰り返します。

座れるようになると「まえがき」で書いた”感覚が鋭くなる効果”のほか、あるかけがえのない効果を感じられるようになる。
 人生がシンプルになるんだ。
」(p.29)

野球人生の中で一番役に立ったトレーニングが、この座禅だったのだそうです。


最初に書いた「ゾーン」に入るスイッチとして、特別な視野の使い方があると言います。

視点を一点に集中させず、ぼんやりと全体像をとらえるんだ。」(p.61)

これは、速読の時に使われる方法でもあります。速読が脳の働きを活性化させるというのも、この「ゾーン」と関係するのかもしれませんね。


ワクワク感を持ち、しんどい練習の中に少しでも楽しみを見つけながらやる方が成果に結びつきやすい。経験上、苦しいだけの努力は実を結びにくいし、そもそも長続きしにくいと思う。
 ゾーンに入るためには、前にも述べたようにセルフ・イメージの大きさ、つまり自信が必要だ。そのために極力失敗体験を忘れ、成功体験を刻み付けることを心掛けるアスリートさえいる。重くなってしまうのは、心の奥で不安感を抱えているからではないか。
」(p.82)

バシャールが勧めるワクワクすることの重要性を、下柳さんも感じておられたようです。

また、自己イメージを大きくすることが大切だと言っています。大きな自分を許容すること、そしてそういう自分であるという自信を持つことが必要だということです。


この他にも、常識を疑えとか、感謝することにすごい力があるなど、「人生を変える20の法則」として書かれています。

クビを宣告された3年後に、37歳で最多勝を獲得した下柳投手。彼がどん底からどうやって這い上がったのか、その法則は多くの方を勇気づけるものだと思います。

ボディ・ブレイン
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 11:53 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

なぜ、健康な人は「運動」をしないのか?



NHKの「あさイチ」などでも紹介された「メッツ健康法」を紹介する青柳幸利(あおやぎ・ゆきとし)氏の本を読みました。

私は新聞広告を見て、このタイトルに興味を持って買ってみたのです。

なるほどと思う反面、このタイトルにみごとに釣られたなという気もします。


要は、運動のし過ぎもしなさ過ぎも、どちらも健康には役立たないということになります。

したがって、健康な人が運動をしないというのは、完全に嘘ですね。強いて言うなら、ハードな運動をしないというのが正解です。

ですから、この本のタイトルは、ちょっと詐欺っぽい気がします。まあ、出版社としては売れてなんぼですからね。


そういうタイトルに対する不満はあるものの、本の内容は目からウロコの情報がありました。

つまり、健康という視点に立てば、運動の強さは、弱くても、強すぎてもダメということ。
 中強度の運動こそが、健康の維持・増強、病氣の予防に最も効果的であり、健康で長生きするために必要なものなのです。
」(p.28)

中強度の運動として代表的なのは「速歩き」です。」(p.28)

まあ、これがこの本の結論になります。この結論を補強する情報や、運動の強度とはどういうことかが、本全体で書かれています。


しかし、高強度のハードな運動やスポーツは、さまざまな病気を引き起こす原因となります。
 というのも、高強度の運動をすると、体内に細胞を攻撃する活性酸素が出すぎてしまうためです。
」(p.39)

アスリートが意外と短命だったりするのは、この活性酸素と関係がありそうですね。

そういう意味では一般人でも、活性酸素が多く発生するようなハードな運動は、身体の健康という意味では避けるべきなのでしょう。

必ずしも「高強度の運動=悪」ではありません。生活の中で急いでいてかけ足になったりスポーツをやる日があったりして、高強度の運動をしてしまうことはあります。ただそれをやりすぎず、「バランス」を守ることが重要なのです。」(p.45)

何かに挑戦するという精神的な楽しさもありますからね。それに、身体には修復能力もあります。活性酸素に脅えて運動をしないとしたら、それこそ不健康だと思います。


本では、長寿遺伝子について触れています。食事制限した方が長生きしたという動物実験から、「サーチュイン遺伝子」という長寿遺伝子が活性化することで、長生きすることが知られています。

この長寿遺伝子は、私たち人間の誰もがもっていることもわかっています。
 したがって、長寿遺伝子を「オン」の状態にすれば、人間は誰でも長生きすることが可能なのです。
」(p.86)

最近、スウェーデンのカロリンスカ研究所で、「適度な身体運動」でも長寿遺伝子にスイッチが入ることが証明されました。
 その適度な身体運動こそが、本書で紹介している「メッツ健康法」だといえます。そしてこの方法では「病氣にならない」こともわかっています。
」(p.86 - 87)

もっというと、「1日8000歩、20分の中強度の身体活動を2ヶ月間続ける」ことによって、さまざまな病気にかかりにくくなります。」(p.87)

引用していませんが、食事制限では病気にならないことが証明されてないとして、メッツ健康法のメリットを訴えています。

まあそうかもしれませんが、どの程度の証明かは、なんとも言えません。少食をけなすことで自分の手法の価値を高めるという書き方は、ちょっと好感が持てませんけどね。


また免疫力アップの点でも、「メッツ健康法」が効果的だと言います。

このように頼れるNK細胞ですが、最大限活躍するためには「1日8000歩/中強度の活動20分」の身体活動が欠かせません。
 というのも、NK細胞は、適度に体を動かすことによって活性化することが知られているからです。」
(p.99)

科学的な根拠は示されていませんから、これが本当かどうかはわかりません。しかし、そういうことはあるだろうなという気はします。


では、中強度の運動としての速歩きは、どんな感じですれば良いのでしょうか?

「メッツウォーキング」を実践するときのポイントはとても簡単で、次のたった2つのことを意識するだけでOKです。
ポイント1 いつもより少し速度を上げて歩く
ポイント2 いつもより歩幅を10センチプラスして歩く
」(p.136)

非常に感覚的なポイントですが、要は大股でさっさと歩くということですね。


他にもいろいろ注意することや、病気別の運動目標なども書かれています。

なかなか運動ができない人の例で、どうやって中強度の運動を取り入れるかというアイデアも披露されています。

無理をせず、心配をせず、楽しみながら運動を続けること。それが健康につながるということのようです。


このように、やはり運動を勧めているのです。それが適度な運動であるとしても。

運動しなくて健康になるというのは嘘です。タイトルに騙されないようにしましょうね。

それ以外では、役立つことが書かれていると思います。私も、通勤で歩くときは、なるべく速歩きしようと思いました。

なぜ、健康な人は「運動」をしないのか?
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:07 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月13日

セミナー「愛に生きる 〜「神との対話」より」

12月に東京でセミナーをやることになりました。

12月6日(土)にレイキのレベル2講習を受けることになったので、それならばということで、7日(日)に私のセミナーを行うことにしました。

午前中はまた神渡良平さん照隅会に参加して、学びを深めたいと思っています。

詳細は、申し込みページをご覧ください。


●セミナー:「愛に生きる 〜「神との対話」より」

●日 時 : 2014年12月7日(日) 13:30〜18:30

●場 所 : 東京都内山手線沿いのセミナー会場

           (申し込まれた方に連絡します)

●参加費 : 3,000円(前払い価格,
      11月26日までの早期優待は2,500円)

         4,000円(当日払い価格) ※1ドリンク付き


セミナーでは、シリーズ累計100万部のベストセラー「神との対話」シリーズなどの本を紐解きながら、「なぜ生きるのか?」「どう生きるべきなのか?」といった本質的な疑問に迫りたいと思います。

セミナーでお伝えしたいメッセージは、「愛に生きる」です。幸せ実践塾の主要な対象である「おじさん」が、元気で幸せに生きられるようなヒントを提供できればと思っています。

もちろん、「おじさん」以外の方にも関係する内容ですし、聞いて損な話ではありませんので、老若男女を問わずにご参加くださいね。

セミナー後は、希望される方々と懇親会をしたいと思います。居酒屋でビールなどを飲みながら、いろいろお話しましょう。


では、みなさんとお会いできるのを、楽しみにしています。

なお、参加していただける人数を制限していますので、募集を締め切る前に早めにお申込みくださいね。


 セミナーのお申し込みはこちら
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:16 | Comment(0) | お知らせ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月17日

貯め込むな!お金は死ぬ前に使え。



お金の使い方に関する荻原博子さんの本を読みました。

将来のことがついつい心配になって、必要以上にお金を貯めてしまう。私もそういう傾向があったので、読んでみたくなったのです。


まず、高齢者の貯蓄額がとても大きいという現実を示します。

総務省家計調査(2013年)の2人以上の世帯の貯蓄額を見ると、60歳以上の家庭の貯蓄額は、平均で2384万円。負債が148万円ほどありますが、これを差し引いても、約2200万円の貯蓄があるのです。
 ただ、この約2200万円というのはあくまで平均値で、細かく見ると、60歳以上の世帯の3分の1が、2500万円以上の貯蓄を持っています。
」(p.10)

この理由は、使うことより貯蓄することが推奨された世代だとか、極貧を経験していることから、お金を使ってなくなってしまうことへの心配があるからだそうです。


では、どれほどの貯蓄があれば十分だと言えるのでしょう?

そのために、年金が今後どうなるのかとか、医療にどれだけお金が必要なのか、介護にはどれだけかかるのかなど、具体的に示していきます。

特に医療に関しては、意外とお金がかからないという事実を指摘します。

保険屋さんに恐怖心を煽られて、無駄に保険に加入させられているという現実が見えてきますね。


介護は、たしかにやっかいです。しかしここでも、別の見方を示します。

「介護」は、3000万円あるいは4000万円貯金があるから大丈夫という問題ではありません。そんなお金よりも、なるべく「介護」状態にならないような状況で長生きすることのほうが大切です。「介護状態にならないこと」は、自分にとっても介護せざるを得ない人たちにとっても、より良い人生を生きることにつながります。」(p.128)

p.130から、島根県津和野町から車で1時間の山奥にある「おくがの村」という集落のことを紹介しています。

わずか27戸で、平均年齢は70歳近く。そんな高齢社会の集落ですが、「ぴんぴんコロリ」の集落づくりを目指しているのです。

この取り組みが、介護を少なくする生き方に参考になるということです。

「ですから、イザという時の目安としては、夫婦で1000万円程度を見ておけば大丈夫でしょう。もし、足りなければ、持ち家率9割の高齢者は、家を売ったり、家を担保にお金を借りることもできます。」(p.138)


このように、将来の漠然とした不安からお金を貯め込むようなことをせず、もっとお金を使って人生を楽しむことで、介護されることを減らす生き方をするように勧めているのです。

そのためにも、これまでの価値観を大きく変える必要性がありそうです。

また、妻は夫に従属していれば一生安泰、夫も会社に従属し、上司に従属していれば一生安泰というような生活を何十年も送っていたら、なかなか子どもを自立させよう、子どもと対等に生きようとは思えない。それもわかります。
 ただ、「支配」と「従属」は、「対等」と「自立」の対極にあります。そして、時代は変わりました。今は、「支配」と「従属」で、家族の絆を強固にできる時代ではなくなったのです。
」(p.62 - 63)

夫婦は簡単に離婚し、子どもは同居しなくなりました。そういう時代の変化に対応するには、新たな価値観が必要なのです。

同様に、自分の子どもであっても、互いの存在を認めながら慈しみ合い、「対等」で「自立」した関係が持てないと、双方が幸せにはなれません。」(p.63)

依存から脱却して、自由になることが必要なのですね。


本書の後半では、お金をどう使っていくかが示されています。

それはまた、自分のライフワークをどう構築するかという問題でもあります。

今、それほどの貯蓄額があるかどうかは別として、将来の漠然とした不安から脱却し、今を充実させた生き方をするという提案は、すべての人に役立つものだと思います。

貯め込むな!お金は死ぬ前に使え。
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 13:40 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月18日

「愛の選択」の要点

「愛の選択」を読んで、あまりに素晴らしかったので、メルマガ「SJ通信」では、実に8回にわたって本の内容を解説しました。

そのすべてを要点として書き記したいのですが、それではあまりに長くなってしまうので、そのエッセンスをギュッと凝縮したものを書くことにします。


まず重要なポイントですが、この世は幻想であり、私たちは夢を見ているのだということです。

これは「神との対話」バシャールなども指摘している通りです。

では私たちの本質は何かと言うと、それはなのです。でも生命でもかまいませんけど。

トルテックの視点からすると、私たちが自分について信じ込んでいることのすべて、そして私たちがこの世界について知っていることのすべては夢である。」(p.11)

ほんとうの私たちは純粋な愛である。私たちは<生命(いのち)>そのものなのだ。」(p.12)


夢見手である私たちは、その夢の中で自分を創り出しています。様々な体験を通じて、本来のになろうとしているのです。

「神との対話」では、愛であることを体験するためには、まず愛でないことが必要だと言っています。

体験的に知るとは、比較するものが必要なのです。「愛でない」ということの体験がなければ、「愛である」ことも体験できない。それが相対的な世界です。

そこで私たちは、「飼い慣らし」というやり方で「愛でない」体験をするようになったと、本書では指摘しています。

子供たちを観察してみれば、私たちがどのようにして真の愛と自由をだいなしにされていくかが分かるだろう。」(p.23)

親や周りの大人たちから、本当の愛で愛されないという体験を通じて、本来の愛と自由から遠ざかるのです。


こうして私たちは、愛がない世界を創り出しました。しかし、愛が本当に消えたわけではありません。

私たちは、この愛のない世界において、愛を発見するのです。そのことが、第三章「愛を信じなかった男」の物語で語られています。

恋人同士の関係は、そのほとんどがちょうど麻薬常習者と麻薬の売人との関係のようなものだとよく言った。より依存度の高い方が麻薬常習者のようなもので、依存度の低い方が売人のようなものだ、と。」(p.40)

互いに相手の愛に依存する関係。それが愛のない世界なのです。

もしかすると愛は確かに存在するのだが、しかしそれはみんなが愛だと思っているものとは違うのかもしれない」(p.45)

依存する関係ではなく、自由な関係において、義務のない関係において、互いに尊敬し合い、喜び合うことができる。それこそが愛ではないかと言うのです。


こうして男は本当の愛を発見したかに見えたのですが、その愛を壊してしまいました。それは、男がある間違いを犯したからです。

間違いは、自分の幸せを彼女に与えることができると思った男の側にある。星は彼自身の幸せであり、彼の間違いは自分の幸せを彼女の掌中におさめようとしたことである。」(p.47)

つまり、相手を幸せにしてあげようとしたことが間違いだと言うのです。

ここが、愛についての重要なポイントになります。

自由であるとは、自分で決められるということです。つまり、幸せになるかどうかさえも、自分が決めることなのです。

それなのに誰かを幸せにしてあげようとすれば、それは自分の意思を押し付けることになります。つまり、相手の自由を奪うことなのです。


それは同様に、自分の幸せは自分の責任だということにもなります。

で、もし幸せがあなたの内側からしか湧き出ることができず、それがあなたの愛の結果なら、あなた自身があなたの幸せの源なのである。自分自身の幸せの責任を誰かに負わせることは決してできないのだ。」(p.47 - 48)

つまり、自分の中の愛で自分が幸せになる。自己完結しているものだというわけです。

そこを勘違いするから、私たちの人間関係では愛による喜びではなく、苦痛が生じることになります。

あなたがどれほど誰かを愛していようと、あなたは決してその誰かが望むとおりの人間にはなれないだろう。
 これは私たちのほとんどがまず最初から犯す間違いである。私たちは自分の幸せをパートナーに託すが、それではうまくいかない。私たちは守ることのできない多くの約束を交わし、そして身動きがとれなくなるのである。
」(p.48)

これは「神との対話」などでも指摘されていることです。だから自分に正直になれとか、相手に期待するななどと言われるのです。


では、愛し合う関係においては、どうであるべきなのでしょうか?

あらゆる夢見手は、それぞれの仕方で夢を見ている。だからこそ、二人の夢見手の間に存在する相違を受け入れる必要があるのだ。私たちはお互いの夢を尊重する必要があるのだ。」(p.50)

つまり、相手は相手、自分は自分ということです。これは一見すると無関心のようにも見えます。

マザー・テレサは、愛の反対は無関心だと言いました。この世には、正反対のものが最もよく似ていることがよくありますね。

この無関心のように見える関係こそが、互いに相手の自由を尊重した、本当の愛の関係なのです。

愛には義務がない。恐れは義務だらけである。」(p.52)

愛には期待がない。恐れは期待でいっぱいだ。」(p.52)

あらゆる人間関係には二つの半分がある。一方の半分はあなたであり、片方の半分はあなたの息子、娘、父親、
母親、友人、あるいはパートナーである。二つの半分のうち、あなたに責任があるのはあなたという半分だけである。もう一方の半分には、あなたは責任はない。
」(p.59)

自分のことについては責任を持っても、相手のことは責任を持てないのだと認める。そして、相手は相手でうまくやると信じて、相手の自由に任せる。

この相手を信頼する関係こそが、愛の関係だと言うのです。


そして最後に、もしあなたがあなた以外の誰ひとりとしてあなたを幸せにすることはできないということ、そしてあなたの幸せはあなたの内側からあふれ出す愛の結果なのだ、ということに気づけば、それはトルテックの最大の技(アート)、愛の修得(マスター)となるのだ。」(p.64)

これが悟りであり、本書の結論になります。

ですから、私たちがすべきことは、自分の中の愛に気づき、その愛で自分を愛することなのです。


そのためにも、自分に正直であれと言います。

あなたは完全に自分に正直である必要がある。ほんとうはどうしたいのか正直に言い、踊る意思があるのかないのかを知らなければならないのだ。」(p.66)

誰かの期待に応えること神経をつかうべきではないのです。


いったんあなたがありのままの自分を受け入れたら、次のステップはあなたのパートナーを受け入れることである。もし誰かと共にいる決心をしたら、彼女の何ものをも変えようとしないことだ。」(p.73)

ありのままの自分を受け入れたら、次はありのままの相手を受け入れるのです。

あなたのパートナーもかなりのゴミを抱えている。あなたのパートナーがゴミを抱えていることを知って、あなたは彼女自身に自分のゴミを片づけるようにさせる。あなたは彼女を、そのすべてのゴミとともに愛し、受け入れるのだ。あなたは彼女のゴミを尊重するのである。」(p.77 - 78)

自分も相手も、不完全なところがあるように見えるかもしれませんが、それこそが私たちにとって重要なものなのです。その不完全さこそが、私たちに必要な体験をさせてくれる仕掛けなのです。

ですから、不完全に見えることを、そのままに許容することが大切なのです。


あなたが自分自身に対して利己的になるのは、自分への愛がないからだ。だからあなたは自分を愛する必要がある。そうすれば愛はますます大きく育っていくだろう。それからあなたが関係を結ぶとき、それは愛される必要があるからではなくなる。それは自由な選択となるのだ。」(p.91)

他人に不満を覚えるのは、愛が不足していると感じるからです。しかし他人と関係を結ぶのは、他人の愛を得るためではありません。愛は自分の中にあります。だからその愛で、まず自分を癒やすのです。

 

愛する男女の関係において、セックスはとても重要です。しかしそのセックスによって、愛が台無しにされることがあるのも事実です。

本書ではセックスというテーマでも、一章を割いて説明しています。

人生のある特定の時期になると、私たちはいやおうなしに性的魅力を感じるようになる。それはまったく正常なことだし、何の問題もない。興奮させられるとき、触られるとき、視覚的に刺激されるとき、セックスの可能性を感じるとき、体は性的なものを感じる。体は性的なものを感じることができるが、しかし数分後には感じなくなったりする。刺激がやめば、体はセックスの欲求を感じなくなるのだ。」(p.112)

つまり、空腹になれば食べたくなるけれど、食べてしまえば空腹を感じなくなる。それが正常な身体の働きだというわけです。


しかし、性的に抑圧されると、心はかえってその性的なものへの思いをつのらせ、執着することになります。

そのことによって、本来なら正常な身体の欲求にすぎないのに、心の欲求にすり替えてしまうのです。

あなたの体にはどうしても満たさなければならない欲求がある。食物や水、住まいや睡眠、セックスへの欲求も満たさなくてはならないのだ。これらすべての体の欲求はまったく正常なものであるし、またこれらの欲求を満たすのはとても容易である。問題は、心がこれらを私の欲求だと主張することにある。」(p.116)

過食症なども、まさにこの通りでしょう。身体の欲求がなくなっているのにも関わらず、心の欲求が満たされないために、まるで空腹であるかのように錯覚するのです。


欲求が心の中にあるとき、すべての裁き、すべての知識をもまたそこにある。それがセックスをとても扱いにくいものにするのだ。心はセックスを必要としていない。心がほんとうに必要としているのは愛であって、セックスではない。」(p.117)

心の欲求は愛です。愛で満たされたいという欲求を、性的な欲求にすり替えるために、性犯罪を犯すほどの性欲を示すことになるのです。

私たちは心という独裁者から自由を奪い返し、体にそれを戻してあげなければならない。もし私たちが心の中で
食べ物への欲求、セックスへの欲求をもはや抱かなくなれば、すべてはとても容易になる。
」(p.117)

つまり、私たちの心が身体に依存することが、問題を難しくしています。

これはちょうど、人間関係と同じです。相手に愛を求め、相手に依存してしまう。そのことが、人間関係を難しくしています。

ですから同じように、身体への依存を手放すことによって、心は自由になるのです。


人は愛の狩人となる。私たちが愛が必要だと感じるのは、自分には愛がないと思い込んでおり、自分自身を愛していないからだ。私たちは自分とよく似た人から愛を得ようとして狩りをする。彼らもまた私たちと同じような状態にある
というのに、その彼らから愛が得られると期待するのだ。
」(p.125)

これは、ギリシャ神話のアルテミスの物語を題材に語られている部分です。

狩りの名手であるアルテミスの物語から、本当は自分の外ではなく、内で狩りをすべきなのだと説きます。

あなた自身の内側で狩りをするには、あなたはまず、自分のあらゆる反応を相手に狩りをし始めなければならない。一度にひとつずつあなたの決まりごとを変えていくのだ。それはあなたの人生をコントロールしている夢から自由になるための戦いである。」(p.128 - 129)

自分の中の古い信念に気づく戦いです。執着していたものが、実は執着する必要がなかったと気づくのです。それによって、新たな信念に書き換えるのです。


そして、先ほどのセックスの話でもあったように、自分自身の身体を受け入れることが重要だと言います。

あなたの体はあなたの心からすべての愛を受けようとしているのに、あなたの心はこう言うのだ。「嫌だ、体のこの部分が気に入らないんだ。この鼻を見てよ、こんな鼻いやだ。耳ときたら、大きすぎるし、体は太りすぎだし、足は短かすぎる」心は体についてありとあらゆる想像をすることができるのだ。」(p.134)

まず、自分の身体と和解することです。完全に受け入れることが大切なのです。

あなたが自分自身と結ぶ関係が、あなたの相手との関係に反映されるからである。」(p.135)

自分の身体を受け入れない限り、他人を受け入れることはできません。つまり、他人を愛することができないということです。


あなたをまっすぐに天国に連れていくような関係を築くためには、完全に自分の体を受け入れなければならない。あなたは自分の体を愛し、内気になることなく、ただあるがままでいる自由、与える自由、受け取る自由を許してあげなければならない。なぜなら、「内気」とは恐れに他ならないからだ。」(p.135 - 136)

不安(恐れ)を捨てて、あるがままの自分を受け入れる。そこに完璧さを見てとるのです。それが、愛するということなのですから。

そうやって自分を完璧に愛するなら、他人との関係でも自由になり、他人を完璧に愛せるようになるのです。


身体を愛するために、こういう習慣を持つようにと言っています。

シャワーを浴びるとき、入浴するとき、あなたの愛のすべてをもって接し、丁寧に、感謝の気持ち、敬意を込めてあなたの体を扱いなさい。食事をするとき、ひと口ごとに目を閉じ、その味わいを楽しみなさい。その食べ物はあなた自身の体、神が宿り給う神殿への供物なのだ。これを毎日行いなさい。そうすればあなたは、自分の体への愛が日増しに強くなっていくことを感じ、二度と再び自分を拒絶しようなどとはしなくなるだろう。」(p.141 - 142)

これは私も実践している習慣です。私からもお勧めしたいと思います。


あなたが自分自身との間の完璧な関係を築くことを目標とするとき、あなたは母親や友達、恋人や子供たち、さらにはあなたの愛犬をも含む、まわりのあらゆる人々や生き物との完璧な関係を持つことを学んでいるのだ。あなたが自分の肉体と完璧な関係を結ぶとき、その瞬間、あなたとあなたの外部とのどんな関係においても、あなたの占める半分は完全に満たされる。あなたはもはや、良い関係を結ぶために外部に頼らなくなるのだ。」(p.142)

このように、まず自分の身体を愛することを勧めています。

それが自分を愛することであり、それによって他人との関係を愛に満ちたものにできるようになるからです。


他人との関係においては、許すということが重要になります。

あなたのことを傷つけた者たちをあなたは許さなくてはならない。たとえ彼らのしたことがあなたの心の中では許し難いものに思われても。あなたが彼らを許すのは、彼らがあなたの許しに値するからではなく、彼らがあなたにしたことを
思い出すたびに苦しみ、自分を傷つけたくはないからだ。
」(p.155)

つまり、自分を傷つけないために、自分への愛として、他人を許すのです。

許すことを心がけ始めなさい。許すことを実践し始めなさい。初めはとても難しいかもしれないが、しかしやがてそれは単に習慣となる。許しを回復させる唯一の方法は、もう一度実践することである。」(p.160)

許し難いと感じられても、それでも許すのです。そうして、許すという習慣を身につけることを勧めています。


愛こそ癒しのプロセスを速める薬なのだ。(中略)
あなた自身を愛し、あなたの隣人を愛し、そしてあなたの敵を愛しなさい。これは単純で、常識ではあるが、しかし私たちが自分自身を愛するようになるまでは、他の誰のことも愛することはできない。私たちが自己愛から始めなければならないのはこのためである。」(p.162)

許したあとは愛すること。愛するときは、まず自分を愛すること。自分を愛さない限り、他人を愛することはできないのです。


そして、繰り返しになりますが結論としてこう言います。

幸福を表現する仕方は数え切れないほどあるが、真に幸福になる道はたったひとつである。それは、自分を愛することである。他に道はない。あなた自身を愛していなければ、あなたは幸福にはなれないのだ。」(p.163)

自分を愛することが始まりであり、それがすべてなのです。


このようにして愛を実践することで、私たちは愛のマスターになります。

それが私たちの生きる目的です。私たちの本質は愛ですが、この世では愛になろうとしているのです。

なぜ、そんなことをするのでしょう?それは「神との対話」にも書かれていますが、自分自身を体験的に知るためです。

あなたは、自分の心で遊び、体をお気に入りの玩具(おもちゃ)のように使って楽しむ<力(フォース)>である。遊び、楽しむこと。それこそが、あなたがこの世にいる理由である。」(p.167)

自分を発見するゲームをしているのですよ。


目覚めると、あなたは後戻りのきかない一線を越え、そして二度と同じように世界を見ることはなくなる。あなたはまだ夢を見続ける−−なぜなら、夢を見ることは避けられないから、夢を見ることは心の働きだから−−のだが、しかし違いは、あなたがそれを夢だと知っている点にある。それを知った上で、あなたは夢で楽しむこともできるし、苦しむこともできる。それはあなた次第なのだ。」(p.174)

夢見手としての私たちは、これからも夢を見続けます。しかし、悟りを開いて見る夢は、苦しむことも楽しむことも自分の自由です。苦痛さえも楽しむことができるのです。


神に至るため、悟りを開くため、目覚めるためのいかなる努力も不要である。あなたを神のもとに連れて行ける人など誰もいない。もしあなたを神へと導いてあげようと言う人がいたら、その人は嘘つきである。なぜなら、あなたはすでに神と共にいるからである。あなたがそれを望もうが望むまいが、逆らおうが逆らうまいが、あなたはすでに神と共にいるのである。
 残された唯一のことは、人生を楽しみ、溌溂と生き、あなたの感情体を癒し、それによって自分の内なるすべての愛を惜しみなく分かち合えるような人生を創造することである。
」(p.181)

私たちは、神から離れたことはありません。私たちは「ひとつのもの」であり、神そのものなのですから。

私たちは、自分を再発見するというゲームをするためにこの世に生まれ、自分の自由に人生を創造しています。

そして、愛のマスターになるために生きているのです。


あなたがまわりのあらゆるものに対して抱く愛は、あなたが担う半分である。他の半分は木かもしれないし、犬かもしれないし、雲であるかもしれない。あなたは関係のうちの半分なのだ。もう半分はあなたが知覚するものである。夢見手としてのあなたは半分で、他の半分は夢自体である。」(p.182)

私たちは、夢を創造し、その夢と共に生きています。夢と関係を持つことで、人生を創造しているとも言えます。

ですから常に重要なのは、自分自身を愛することです。自分を愛することで、自分の内側にある愛に気づくことなのです。

愛の選択
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 18:45 | Comment(0) | └ 本の要点 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月20日

3日食べなきゃ、7割治る!



少食や断食を勧める船瀬俊介氏の本を読みました。

これまでにも石原結實氏「100歳まで元気でボケない食べ方・生き方」「「食べない」健康法」、1日青汁1杯だけで20年間健康に生活しておられる森美智代さん「食べること、やめました」や、腸内にサナダムシを飼っているという藤田紘一郎氏「脳はバカ、腸はかしこい」などの健康的な食に関する本を紹介しています。

本書は、少食が健康に良いとする点では同じですが、ジャーナリストが書いただけに、考え方の元となる研究結果がきちんと引用されていました。


「食べなきゃ、治る!」
 じつに簡単な事です。
 野生動物は、みなそうして病気を治しています。
」(p.1)

まえがきの冒頭からそう言って、ことの本質をズバリと指摘します。

イスラエルで病院がストをしたら、国民の死亡率が半減した。病院が再開したら元に戻った。現代医療は人類の半分を”殺して”いる!この驚愕エピソードを胸に刻むべきです。
 アメリカの死亡原因の1位は病院です。毎年78万人が医者に殺されています。2位の心臓病の70万人を引き離しています。
 「現代医学の神は”死神”である」
 アメリカの良心の医者R・メンデルソンの告発は正しかったのです。
」(p.2)

このように主張して、いきなり医療業界に宣戦布告するかのように、激しく現代医療を批判します。


この冒頭の部分は、「病院で殺される」(三五館)という本も書かれているだけに、船瀬氏の基本的な姿勢なのでしょう。

あまりに批判的な態度は好感が持てませんが、この本に限って言うと、読み終えた時点で「そう批判するのも仕方ないかな」と思えてきました。


病院を敵に回すとすれば、では病気に対してどう対処すれば良いのでしょうか?

病気を癒す。治す。その方法は5つあります。
 @「少食」、A「笑い」、B「感謝」、C「長息」、D「筋トレ」です。
」(p.3)

ということで、この本ではこの5つがいかに効果的であるかを、事例を上げて説明しています。

ですから本書の結論は、このまえがきですでに書かれているということです。

 

では視点を変えて、どうして現代医療は病気を治さないばかりか、病気を増やすことになっているのでしょう?

その原因を、ドイツのフォイト栄養学に求めます。

ミュンヘン大学のV・フォイト博士(生理学)は、成人が1日あたりに必要とされるタンパク質48gをはるかに超える118gを摂取するよう主張しました。

栄養価の高いタンパク質を、もっと言えば動物タンパクを摂るのが良いと言ったのです。つまり肉を食えということです。

さらに、「良い物は、摂り過ぎるということはない」と主張したとか。

その背後に食肉業界や軍の意向があった、と船瀬氏は言います。肉食は人の体躯を強大にすると同時に、精神的にも凶暴性を増加させるので、軍にとっても都合が良かったのだとか。


フォイト栄養学には、カロリー理論があります。つまりその食材が燃えるエネルギー量こそが、動物にとっての生命エネルギーになるという考えです。

そのカロリー理論が誤りであることは、1日青汁1杯で生き続けている森美智代さんが証明しています。彼女の摂取カロリーは1日約50kcalしかなく、成人に必要とされる1200kcalをはるかに下回っているからです。


こうしたカロリー理論や、大量の肉食を勧めるフォイト栄養学を、マスコミや医療業界も支持していると言います。

なぜなら、そうした方が儲かるからです。もし、食べない方が健康的で長生きできると証明されれば、医療業界や食品業界は売上が激減します。そうすればマスコミも広告収入が激減します。

つまり、医療業界、食品業界、マスコミにおいて、少食が健康長寿に貢献することは広めてはならないタブーになっている、と言うのです。


そこまで言い切るのもどうかと思ったのですが、本書に示されている数々の研究結果をマスコミなどが無視しているという事実は、どう考えたら良いのでしょう?

それは国民に正しい情報を伝えることより、スポンサーである食品業界に刃向かわないという損得計算があったからかもしれません。


では、少食がどうして健康や長寿に役立つのでしょうか?

それは、毒素を溜め込んだ脂肪が分解されて毒素を放出するためだと説明します。

断食中の脳の栄養源50%はケトン体です。これは、脂肪が分解されてできる物質です。つまり、ファスティングをすると体内のブドウ糖が減少します。すると脳は体内に蓄えた脂肪を分解してエネルギー源として使うようになるのです。」(p.37)

ケトン体を栄養にするのは、脳だけではなく全身です。したがって、空腹によって体内の脂肪が分解され、そこに入っていたウイルスや毒素が排出されるのです。


また、老化タンパク質と呼ばれる異常なタンパク質が、身体を老化させて健康を損ねる原因にもなっていると言います。

体内のタンパク質は、摂取して増える量と、肝臓で分解されて減る量が「動的平衡」を保っているそうです。

少食や断食により、タンパク質のインプットがなくなると、タンパク質のバランスを保つため、その老化タンパク質が分解・除去され、若返り現象が起こる、というわけです。」(p.137)

血管中の老廃物も、同様に分解・除去されますから、血流が良くなるのも健康に役立ちます。


このように少食が健康長寿に貢献することを、明確に示した研究結果があるそうです。

民主党のカーター政権のもとで実施された研究調査があり、その指揮を執ったマクガバン上院議員の名前から、その研究結果を「マクガバン報告」と呼ぶそうです。

そのマクガバン報告では、「アメリカ人に多い心臓病、ガン、糖尿病、高血圧、脳卒中、肥満、さらに精神病も誤った食事が原因である」と結論づけています。

何が間違っているかというと、「@高カロリー、A高タンパク、B高脂肪、C高砂糖、D高精白……の食事」だとか。

ここで明らかに、これまでのフォイト栄養学が間違っていることを指摘したのです。

世界で、もっとも理想的な食事が存在する。それは日本の伝統食である」(p.123)

それがマクガバン報告の結論なのです。


しかしこの報告を、マスメディアはあまり取り上げませんでした。今ではすっかり、その存在が忘れられるほどです。

それは食品業界にとって、不都合な真実だったからなのでしょう。また同時に、医療業界にとってもそうなのです。

マクガバン報告では、食べる量を半分にすることで、ガンの発生率も死亡率も20%減らせるなど、具体的な効果を数字で示しています。

医療にかからず、購入する食品を減らすことで、健康長寿が得られる。これほど、業界にとって不都合なことはないでしょうね。


また、「チャイナ・スタディ」と呼ばれる栄養調査レポートも、マクガバン報告と同様に驚くべき事実を伝えています。

これは、1983年にスタートしたアメリカ、中国、イギリスの政府が共同で行った国際的な健康調査報告です。

それによれば、アメリカの男性の心臓マヒ死亡率は中国男性の17倍、アメリカ女性の乳ガン死亡率は中国女性の5倍もあったのだそうです。

さらに研究を指揮したコーネル大の栄養学者コリン・キャンベル教授は「動物タンパク質こそが、史上最悪の発ガン物質だった」という事実に到達します。」(p.126)

研究を重ねた結果、キャンベル教授は次の結論を下しました。

肉、卵、牛乳などの動物タンパクは、史上最悪の発ガン物質だった……」(p.127)

教授の著書は「チャイナ・スタディ」として発刊され、大反響を起こします。クリントン大統領も絶賛したことで、100万部のミリオンセラーになったとか。

日本語訳は「葬られた「第二のマクガバン報告」(上中下、グスコー出版)として出版されているそうです。

 

以上のように、少食・断食の健康長寿への効果を伝える多くの研究結果があり、また昔から伝わる格言があります。

しかし、それが業界にとって不都合だからなのか、マスコミをはじめとして医者でさえも、それを伝えようとしていない現実があるのだとか。

この内容を信じるかどうかはそれぞれの判断だと思います。

ただ、船瀬氏自身が1日1食を続けながら、健康で若々しくしておられるという事実があります。

そしてまた私も、朝食抜き、昼の弁当はおかずだけ、夜はビールとつまみ程度という食事で、健康で元気に暮らしています。

空腹を楽しみながら、笑顔で感謝の日々を過ごす。それが当たり前という日が来るのかもしれませんね。

3日食べなきゃ、7割治る!
 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:45 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月21日

いちばん大切なこと。



「子どもが育つ魔法の言葉」などで有名なドロシー・ロー・ノルト博士の本を読みました。翻訳は、「神との対話」シリーズの翻訳などで知られる吉田利子さんです。

かわいらしい挿絵がふんだんに使われていて、100ページ足らずのボリュームですから、あっという間に読めてしまいます。

しかし、そこに書かれた内容は、奥深いものがありました。


まず最初に、本のタイトルでもある「いちばん大切なこと。」と題された詩が書かれています。

これは子どもに向けたメッセージで、次のようなフレーズが並んでいます。

それから、とても大切に思っているよって家族に伝えよう
きっとだよ
そして、とびきりすてきな自分になろうね!
」(p.12)

こうなってほしいという姿を伝えて、「きっとだよ」と念押しし、最後は「そして、とびきりすてきな自分になろうね!」という言葉で締めくくります。

また詩の最後には、こういう言葉が書かれています。

この詩が、お母さんやお父さんのために役立ちますように。」(p.16)

単に子どもに読んでもらいたいというだけでなく、親もまた子どもと一緒にこれを読んで、何かを感じてほしいと思われたのでしょう。


この詩に続いて、子どもたちへのメッセージが書かれています。「日本の子どもたちへ」と題されていて、まず詩がどういう経緯で生まれたかが書かれていました。

それによると、2005年に訪日が決まり、小学生を相手に話をすることになったため、何を話せば良いかを考えていたところ、詩を書いたらいいんじゃないかと思いついたのだそうです。

とてもいい思いつきだわ。
 考えれば考えるほど、楽しくなってきました。何かをしたいと思ったとき、楽しくなれるかどうかということはとても大切です。楽しいことならきっとうまくできるし、目的を達成するチャンスも大きくなりますから。
」(p.21)

バシャール「ワクワクすることをやろう」と言っていますが、ドロシー博士もまた、同じように楽しいことをやることの重要性を指摘しています。


そうそう、それから自分と仲良くする方法も忘れてはいけませんね。自分について知ることは、わたしたち人間にとって、とても大切な仕事なのです。だって、わたしたちは一日二十四時間、一週間に七日、つまり、いつだって自分といっしょに生きているのですから。」(p.21)

「自分と仲良くする」ということは、すなわち「自分を愛する」ことです。前に紹介した「愛の選択」でも書かれていたように、自分を愛することがもっとも重要なのです。

あなたの身体には健康に良い食べ物、健やかな眠り、運動、さまざまな経験が必要です。テレビばかり見ているのは良くありません。身体と心は新しい経験をしたがっているのです。何か新しい経験をするというのが大切なのです。そうしないと、ぴちぴちした元気な心でいられません。」(p.36)

身体を大切にしてしっかりと養ってあげることと、経験をすることの重要性を説いています。

こういうところも、「愛の選択」「神との対話」シリーズで書かれていることと一致しています。

毎日、身体がどれほど役に立ってくれているかを、できるだけたくさん数えあげてみてください。そして身体に「ありがとう」を言いましょう。」(p.37)

これもまた「愛の選択」で勧められている習慣ですね。


後半は、「お母さん、お父さんへ」と題して、親に向けたメッセージとなっています。

子育てとは、子が親に学ぶだけではなく、親もまた子に学ぶことだと言います。

自分の思い通りに育てるのではなく、子どもは子どもとして成長するように育てることが重要だとも。

大事なのは、子どもの言葉を聞くことです。子どもの心が発しているメッセージを聞き取ることはもっと大切です。ただ聞いているだけで、ほんとうにはわかっていない、ということもあるのですから。それでは子どもとほんとうに話していることにはなりません。」(p.54)

つい聞きもせずにわかったつもりになってしまう。それではダメなのですね。


最後は、短いメッセージが挿絵とともにいくつか書かれていました。

どれもこれも心に響く言葉ですが、1つだけ引用しましょう。

信頼して黙ってそばで見ている
というのも
子どもを支える方法の一つです
」(p.88)

あれこれ口出しするのではなく、不安視するのではなく、信頼して見ている。それで十分なのですね。

訳者のあとがきの後、つまり本の本当の最後には、かわいい子どもの挿絵とともに、こう書かれていました。

わたしがここにいる、
いつでも助けてあげる
」(p.94)

助けを求められたら助けるけれど、そうでなければ信頼してじっと見守っている。これが子どもへの愛なのだと思います。

いちばん大切なこと。


※「子どもが育つ魔法の言葉」はこちらです。


 
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 15:36 | Comment(0) | 本の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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