以前紹介した
「四つの約束」に続く
ドン・ミゲル・ルイス氏の本を読みました。
本書のテーマは「愛」ですが、
「4つの約束」で語られていた
「人間の飼い慣らし」という考え方は健在です。
そしてその「愛」を、関係性の中でみごとに解き明かし、具体的にどうすれば良いのかを明確に示しています。
それは表現方法が違うとは言え、本質的な部分は
「神との対話」や
バシャールが語っていることとまったく同じだと思います。
これはいいと思わず膝を打ちたくなる表現がたくさんあって、線を引きまくって読んだのですが、その中の一部を引用してみましょう。
「
トルテックの視点からすると、私たちが自分について信じ込んでいることのすべて、そして私たちがこの世界について知っていることのすべては夢である。」(p.11)
「
ほんとうの私たちは、純粋な愛である。私たちは<生命(いのち)>そのものなのだ。ほんとうの私たちは外側の夢とは無関係なのだが、ミトーテは私たちが真の自分を見ることを妨げる。」(p.12)
ちなみに
「ミトーテ」というのは、社会のルールや法律、宗教、文化、マナーなど、私たちの心の中に蓄積した情報のことだそうです。
世間体だとか常識などというのも、この
「ミトーテ」であり、それが真の自分を見ることを妨げていると言います。
「
私たちは、犬や他の動物を飼い慣らすのと同じ方法で人間を飼い慣らす。つまり賞と罰によって。これはごくあたりまえのことだ。私たちが教育と呼んでいるものは、人間の飼い慣らし以外の何ものでもないのである。」(p.15)
アドラー心理学では、
賞罰教育を批判していますよね。詳細は以前の記事
「「嫌われる勇気」(アドラー心理学)の要点」をお読みください。
こういう飼い慣らされた状態から私たちが真の自分を見つけ出す方法を、本書ではこう言っています。
「
大切なのは、私たちがこの問題を抱えているということに気づくことである。気づきがあれば、私たちは感情体や感情的な心を癒し、苦しみを終わらせる機会を得ることになるのだ。」(p.31)
第三章では、
「愛を信じなかった男」のたとえ話で、私たちが愛と言っているものがどういうものか、本当の愛はどんなものかを説明しています。
そして私たちが愛と言っているものは、単に
依存関係だと説明します。
「
彼はまた、恋人同士の関係は、そのほとんどがちょうど麻薬常習者と麻薬の売人との関係のようなものだとよく言った。より依存度の高い方が麻薬常習者のようなもので、依存度の低い方が売人のようなものだ、と。」(p.40)
これは的を射た面白い表現だと思いました。売人もまた麻薬常習者に依存しているという点が、実に的確だと思うのです。
そしてこの愛を信じなかった男が、ある女性と出会って付き合うようになり、いつしかその女性に抱く思いが、愛なのかもしれないと思うようになるのです。
「
うーむ、もしかして彼女に抱くこの思いは愛なのかもしれない。しかし、これは今まで感じたものとはまるで違う。これは詩人が言うものとも違うし、宗教が説くものとも違う。なぜなら、私は彼女に対する責任などないからだ。私は彼女から何も奪いはしない。私は彼女に面倒を見てもらう必要もない。私は自分の困難を彼女のせいにしたり、自分のごたごたを彼女に持ち込む必要もないのだ。私たちは最高の時を共に過ごしている。お互いに楽しんでいる。私は彼女の考え方、感じ方を尊重している。彼女は私の邪魔などしない。まったく私の気に障らないのだ。彼女が他の人たちといるときも私は嫉妬心を抱かない。彼女が他の人たちとうまくいっても、妬みはしないのだ。もしかすると愛は確かに存在するのだが、しかしそれはみんなが愛だと思っているものとは違うのかもしれない」(p.45)
しかしその関係は、最終的に破綻することになります。
「
間違いは、自分の幸せを彼女に与えることができると思った男の側にある。」(p.46)
自分が感じた幸せを彼女に分けてあげて、彼女も幸せになって喜んでもらいたかった。でも、たとえ良いと思ったことであっても、
相手の自由を奪うことが愛を終わらせたのです。
「
で、もし幸せがあなたの内側からしか湧き出ることができず、それがあなたの愛の結果なら、あなた自身があなたの幸せの源なのである。自分自身の幸せの責任を誰かに負わせることは決してできないのだ。」(p.47 - 48)
私たちの人生は夢だと言います。私たちはそれぞれの夢の
夢見手なのだと。
「
あらゆる夢見手は、それぞれの仕方で夢を見ている。だからこそ、二人の夢見手の間に存在する相違を受け入れる必要があるのだ。私たちはお互いの夢を尊重する必要があるのだ。」(p.50)
仮に相手の夢が悪夢に思えても、勝手にその夢を変えることはできないし、してはならないのです。
「
ちょうどあなたの肉体が細胞でできているように、あなたの夢は感情でできている。これらの感情には二つの主な源がある。ひとつは「恐れ」であり、もうひとつは「愛」であって、したがって恐れから生じるあらゆる感情と、愛から生じるあらゆる感情がある。」(p.51)
「神との対話」でも、愛の対極が不安(怖れ)だと言っていますね。すべての感情は、ここから派生するのだと。
本書では、その違いを以下のように説明します。
「
愛には義務がない。恐れは義務だらけである。恐れの道では、私たちが何をしようと、それはせねばならないからであり、そしてまた他人にも同じことを期待する。なぜなら、彼らもそうせねばならないからである。私たちには義務があるのだが、そうせねばならないとなると、私たちはすぐさまそれに抵抗する。抵抗すればするほど、私たちはますます苦しくなる。遅かれ早かれ、私たちは自分の義務から逃げ出そうとするようになる。一方、愛には抵抗がない。私たちが何をしようと、それはそうしたいからである。それは喜びとなる。ゲームのように、私たちはそれを楽しむのだ。」(p.52)
他にも以下のように書かれていますが、これだけではよくわからないと思います。ぜひこの部分は、じっくりと本を読んでみてほしいですね。
「
愛には期待がない。恐れは期待でいっぱいだ。」(p.52)
「
愛は尊敬に基づいている。恐れはそれ自身を含むいかなるものも尊敬などしない。」(p.53)
「
愛は同情したりしない。誰のことも哀れんだりはしないが、しかし慈しみの心はある。恐れは哀れみに満ちている。」(p.54)
「
愛は完全に責任を持つ。恐れは責任を避ける。」(p.54)
「
愛は常にやさしい。恐れは常に冷酷だ。」(p.55)
「
愛は無条件だ。恐れは条件だらけである。」(p.56)
そしてあらゆる人間関係(それだけでなく、生物や物との関係でも)には、
「二つの半分がある」と言います。
一方は自分自身であり、もう一方は相手方を指します。
どんな大勢との関係においても、その中の1人と自分の関係があるだけで、あとはその集積だと言います。
そしてその個々の関係において、どう考えるかが重要なのです。
「
関係の術をマスターするかどうかはすべてあなた次第である。まず第一歩は気づくこと、誰もが自分自身の夢を見ているということを知ることである。いったんこのことを知ると、あなたは関係のうちの一方の半分、つまりあなた自身に対して責任をもつことができる。もしあなたがその関係の半分にだけ責任があるのだと分かれば、あなたは容易にあなたという半分をコントロールできるようになる。もう片方の半分をコントロールするのは私たちの役目ではない。」(p.63)
まさに
他人のことは他人に任せよ、ということです。関係においては、自分がどうかを考えていれば良いのだと。これもまた、
「神との対話」でも言われていることですね。
「
そして最後に、もしあなたがあなた以外の誰ひとりとしてあなたを幸せにすることはできないということ、そしてあなたの幸せはあなたの内側からあふれ出す愛の結果なのだ、ということに気づけば、それはトルテックの最大の技(アート)、愛の修得(マスター)となるのだ。」(p.64)
「
愛を修得する唯一の方法は愛を実践することである。」(p.64)
これ以降、その愛の実践のためのガイダンスが書かれています。
基本的にはこれまで書かれているように、
自分自身の愛で自分を幸せにすることです。いわば自己愛です。
お互いが完全に自分を愛するとき、その関係はより大きな愛で包まれるのです。
「
あなたは、世界を救い、社会を変えるという一大使命を帯びてこの世に生まれてきたわけではないが、しかし間違いなくあなたには大きな、重要な使命がある。人生におけるあなたの真の使命とは、あなた自身を幸福にすることである。そして幸福になるためには、あなたが何を信じ、どのように自らを裁き、どのように自らを犠牲者にしているか見つめてみなければならない。」(p.102 - 103)
「
私たちは裁く必要などない。責めたり、または罪悪感を抱く必要もない。私たちはただ単に自らの真実を受け入れ、新たなるスタートを意図すればいいのだ。もし私たちが自分自身をありのままに見ることができれば、それは自己受容への−−自己否定をやめることへの−−第一歩である。」(p.105)
まだまだ紹介したい言葉がたくさんあるのですが、あまりに長くなりすぎるのでここまで。
途中にある第六章
「魔法のキッチン」や第九章
「狩猟の女神」のたとえ話は、実に面白くわかりやすいです。
第八章
「セックス−−地獄最大の悪魔」も、ぜひ読んでみてほしいですね。
第一二章
「あなたの内なる神」には、インドの神
ブラフマンの物語が書かれています。私はまったく知らなかったのですが、これは
「神との対話」に書かれているこの世が創られた経緯とまったく同じです。
真実は昔から、世界中で語られていたのですね。
最後に、この部分だけ引用しましょう。
「
神に至るため、悟りを開くため、目覚めるためのいかなる努力も不要である。あなたを神のもとに連れて行ける人など誰もいない。もしあなたを神へと導いてあげようと言う人がいたら、その人は嘘つきである。なぜなら、あなたはすでに神と共にいるからである。あなたがそれを望もうが望むまいが、逆らおうが逆らうまいが、あなたはすでに神と共にいるのである。
残された唯一のことは、人生を楽しみ、溌溂と生き、あなたの感情体を癒し、それによって自分の内なるすべての愛を惜しみなく分かち合えるような人生を創造することである。
たとえあなたが全世界の愛を一身に受けても、その愛はあなたを幸福にはしないだろう。あなたを幸せにするのは、あなたの内側からあふれ出る愛である。その愛こそが重要なのだ。他の人から与えられる愛ではなく。あなたがまわりのあらゆるものに対して抱く愛は、あなたが担う半分である。他の半分は木かもしれないし、雲であるかもしれない。あなたは関係のうちの半分なのだ。もう半分はあなたが知覚するものである。夢見手としてのあなたは半分で、他の半分は夢自体である。」(p.181 - 182)

<追記>
ブログ記事に
「「愛の選択」の要点」を書きました。より詳しい内容を知りたい方は、こちらもお読みください。
posted by 幸せ実践塾・塾長の赤木 at 20:18
|
Comment(0)
|
本の紹介
|

|