2014年08月01日
自由への道
不思議な本を読みました。著者はアジャシャンティ氏。「根源的平和」という意味なのだそうです。
これはたしか、Amazonからのメールで紹介されていたものです。私がスピリチュアル関係の本をよく買っていたからでしょう。
でも、紹介された本を必ず買うわけではありません。おそらくその紹介文の中に、気になることが書かれてあったからだと思います。
それはすでに忘れてしまっているのですが、「スピリチュアルな悟りへの実践ガイド」というサブタイトルがあるように、これはわずか80ページ足らずのガイドブックになっています。
強いて言うなら、先日このブログでも紹介した「四つの約束」みたいな感じでしょうか。
「本書『自由への道』は、スピリチュアルな解放に必要な最小限の内容に絞った実践ガイドです。スピリチュアルな解放とは、目覚め、悟り、自己実現と呼ばれることもあり、あるいは率直に言うと、絶対的な真理とはどういうものかを味わうことです。」(p.4)
冒頭でこのように言って、この本の立場を明確にしています。
そしてこの本で言うところの真理とは、「神との対話」シリーズなどで言われるものと、まったく同じだと言ってよいと思います。
実際に存在するものとして「リアリティ」と表現しています。それ以外のすべては幻想だとします。
「まさにこの瞬間、リアリティと完全性は目の前に広がっているのです。事実、見たり、聞いたり、匂いを嗅いだり、触れたり、感じたりできる唯一存在するものはリアリティであり、あるいは神と言ってもいいでしょう。」(p.5)
そして目覚め(悟り)は、この世での苦しみに対する「魔法の治療法」でも「人生の試練からの逃避」でもないと言います。
「この教えの目的は、リアリティの絶対的性質に目覚め、そして最大限にそれを生かして生活の中で実行することです。
(中略)
結果として悟りへと導くのは、より大きな幸福や喜びを感じる状態を追求することではなく、リアリティに対する渇望、および完全に本来の人生を生きていないことに対する激しい不満です。」(p.9)
つまり、悟りというのは、この世で生きることの思考の延長線上にあるのではない、ということだと思います。
では、その悟るための方法である「自由への道」とは、どのようなものなのでしょうか?
まず「五つの基盤」があると言います。
そしてそれは、この教えを支える基礎であり、「日常生活において、リアリティの究極の本質を生かし、体現する手段」なのだと。
1.志を明確にする
2.無条件に貫く
3.自分の権限を決して放棄しない
4.完全に誠実でいることを実践する
5.自分の人生の面倒をしっかりみる
これだけでは何のことだかさっぱりわからないかもしれません。ただ、その詳細は、ぜひ本をお読みいただきたいと思います。
「「真の自由への道」は、否定や批判、呪術思考をすることなく、完全に自分自身や自分の人生と向き合う方法です。
(中略)
自分の人生をしっかりみるということは、人生のあらゆる側面、内面的、外面的、心地よいことも不快なこともすべて快く受け入れることです。」(p.19 - 20)
このように、出来事や事実を、完全に受け入れることだと言います。そこに良いとか悪いの判断がありません。
こういったところにも、「神との対話」などで言っていることとの共通点があるように思います。
その次に「三つの方向づけの理論」があり、さらに「三つの核となる実践法」があると言います。
その実践法とは、「瞑想、探求、黙考」だと言います。
「直接目覚めに導く道や実践法などはないものの、あなたのやることがスピリチュアルな人生の方向を決定するのに極めて重要であることも事実です。バランスがその鍵であり、無理のない努力こそがまさにその道です。」(p.36)
「無理のない努力」という言葉に、「四つの約束」にあった「最善をつくす」という言葉が重なるように思いました。
このあと、ここで示された実践法の詳細が語られています。
独特な書き方がされていますが、努力によって悟るのではないという点で、雲黒斎さんや阿部敏郎さんなどが言っているように、「瞑想に落ちる」とか「悟りは与えられる」というような表現が近いように感じました。
方法論はいろいろあっても、その本質的な部分は同じなのではないか。そんな気持ちにさせられました。
2014年08月04日
背中や腰の慢性的な痛みへのレイキ・ヒーリング
前回に続いて実施例を示して、レイキ・ヒーリングがどのように行われ、どのような効果があるかをお話します。
これも最近、私の友人に対してレイキ・ヒーリングを行った結果です。
友人は、慢性的な背中痛や腰痛に悩んでいました。特にデスクワークを長時間続けた時に痛むようです。ひどいときは、仰向けでずっと寝ていられないほどだったとか。
施術内容は、だいたい以下の通りです。
・6月27日(金)19:45〜21:30
基本12ポジション(※1)+足の手当て,腰と背中の手当て
・7月5日(土)19:15〜21:15
基本12ポジション(※1),背面(背中,腰,足)の手当て
・7月21日(月)19:30〜21:00
背面(背中,腰,足)の手当て(お尻からヒザまでを重点的に)
・7月30日(水)19:45〜21:15
背面(背中,腰,足,足裏)の手当て,前面脇腹の手当て
※1:西洋レイキで手を当てるポジションとして、効果的とされる12のポジション。(頭部、体前面、体背面に、それぞれ4ヶ所ずつある。)
2回ほど施術した後、以前よりも格段に調子が良くなったとのことで、さらにレイキを続けることになりました。
4回目のときは、背中や腰の痛みはほぼ完治したということでしたが、やってみるとまだヒビキがあるので、前半は背中から足にかけて背面をレイキしました。
特に足首で強いヒビキ(※2)を感じたため、足首と足裏にも重点的にレイキをしました。
また、運動中に痛めた脇腹痛が気になるとのことで、後半は脇腹に対してレイキを行いました。
※2:レイキをするときに施術者の手に感じる特別な感覚。熱を感じる熱感やビリビリ感など。ビリビリ、ジンジンなどのしびれたような感覚と、それが先鋭化したような痛みの感覚もあります。このヒビキによって、施術者は身体の悪い部分がわかります。
以下に、友人からもらった感想を載せておきます。
<--------------------(感想)-------------------->
名前(ペンネーム):すこたい
私は現在タイ在住ですが、訪タイ以後慢性的な腰痛、背中痛が続いておりました。
当初は酷くなるたびにタイの古式マッサージ等を利用していたのですが、解消されるのは一瞬だけでまたしばらくすると痛くなるという繰り返しでした。
そして、徐々に悪化し2年ほど前からは5分以上歩くのも苦労するようになり、歩く機会が少しづつ減っていくほどでした。
そのような状況の中で今年(2014年)5月頃からはさらに状況が酷くなりました。
マッサージへ行くと施術の方が「ひどい凝りだね。カチンカチンに硬いよ。カー。」って言われました。
確かに腰を前後左右に傾けたり、少しひねるだけでも痛みが・・・という状況です。
そこで、本格的な治療ということでまずは東洋医学のクリニックへ2ヶ月弱通ったのですが、悪化を食い止めることはできたものの痛みの改善までには至っていないという状況でした。
丁度その頃赤木さんがレイキを受講すると仰っていました。
正直なところそれを聞いた僕の印象は、「胡散臭そう」というイメージでした。
なので「では、レイキで僕の腰が良くなったら信じますよ。」とお答えしました。
そして、赤木さんがレイキを体得された後、レイキのヒーリングをしていただきました。
本当に手を当てるだけの行為でした。
手を当てて頂いていると「気」が送られてくるのか、少しづつ体が温まってくるような感覚になります。
一回あたり1.5時間程度やって頂いていたのですが、終わった直後から劇的に変化するということはありません。
先ほど書いたように「体が温かいなあ」という程度の感覚です。
大体そのようなヒーリングを週一回合計4、5回やっていただいておりました。
そして、今は腰、背中の痛みはほとんど「無い」のです。
最近まで悩まされ続けていた痛みが嘘のようになくなりました。
赤木さんのレイキを行って頂いていた期間は先程のクリニックにも通っていませんでしたので、痛みがなくなった原因は「レイキのおかげ」と考えるしかありません。
今では、レイキの力は本当にあるのだと信じております。
赤木さん。ありがとうございました。
<--------------------(感想)-------------------->
すこたいさんにレイキをしたとき、1回目では腰に強いヒビキを感じました。それで、腰を重点的にレイキをしました。
2回目は、腰よりもむしろ太ももあたりに強いヒビキを感じました。腰や背中に痛みが出てきているのは、足からきているのではないかと、何となく感じました。
それで3回目では、背面のお尻から膝にかけて重点的にレイキをしました。
この3回の施術で、腰痛や背中痛は完治したと感じられたようです。
ただ実際は、4回目のレイキでも背面にヒビキがあり、特に強いヒビキは足首から感じました。なので足首や足裏を重点的にレイキをしたのです。
痛みがなくなっても、まだ本当の意味で完治したわけではありません。症状が出てなくても、身体は不調を抱えているものです。
すこたいさんには、もうしばらくレイキをすることを勧めています。
これも最近、私の友人に対してレイキ・ヒーリングを行った結果です。
友人は、慢性的な背中痛や腰痛に悩んでいました。特にデスクワークを長時間続けた時に痛むようです。ひどいときは、仰向けでずっと寝ていられないほどだったとか。
施術内容は、だいたい以下の通りです。
・6月27日(金)19:45〜21:30
基本12ポジション(※1)+足の手当て,腰と背中の手当て
・7月5日(土)19:15〜21:15
基本12ポジション(※1),背面(背中,腰,足)の手当て
・7月21日(月)19:30〜21:00
背面(背中,腰,足)の手当て(お尻からヒザまでを重点的に)
・7月30日(水)19:45〜21:15
背面(背中,腰,足,足裏)の手当て,前面脇腹の手当て
※1:西洋レイキで手を当てるポジションとして、効果的とされる12のポジション。(頭部、体前面、体背面に、それぞれ4ヶ所ずつある。)
2回ほど施術した後、以前よりも格段に調子が良くなったとのことで、さらにレイキを続けることになりました。
4回目のときは、背中や腰の痛みはほぼ完治したということでしたが、やってみるとまだヒビキがあるので、前半は背中から足にかけて背面をレイキしました。
特に足首で強いヒビキ(※2)を感じたため、足首と足裏にも重点的にレイキをしました。
また、運動中に痛めた脇腹痛が気になるとのことで、後半は脇腹に対してレイキを行いました。
※2:レイキをするときに施術者の手に感じる特別な感覚。熱を感じる熱感やビリビリ感など。ビリビリ、ジンジンなどのしびれたような感覚と、それが先鋭化したような痛みの感覚もあります。このヒビキによって、施術者は身体の悪い部分がわかります。
以下に、友人からもらった感想を載せておきます。
<--------------------(感想)-------------------->
名前(ペンネーム):すこたい
私は現在タイ在住ですが、訪タイ以後慢性的な腰痛、背中痛が続いておりました。
当初は酷くなるたびにタイの古式マッサージ等を利用していたのですが、解消されるのは一瞬だけでまたしばらくすると痛くなるという繰り返しでした。
そして、徐々に悪化し2年ほど前からは5分以上歩くのも苦労するようになり、歩く機会が少しづつ減っていくほどでした。
そのような状況の中で今年(2014年)5月頃からはさらに状況が酷くなりました。
マッサージへ行くと施術の方が「ひどい凝りだね。カチンカチンに硬いよ。カー。」って言われました。
確かに腰を前後左右に傾けたり、少しひねるだけでも痛みが・・・という状況です。
そこで、本格的な治療ということでまずは東洋医学のクリニックへ2ヶ月弱通ったのですが、悪化を食い止めることはできたものの痛みの改善までには至っていないという状況でした。
丁度その頃赤木さんがレイキを受講すると仰っていました。
正直なところそれを聞いた僕の印象は、「胡散臭そう」というイメージでした。
なので「では、レイキで僕の腰が良くなったら信じますよ。」とお答えしました。
そして、赤木さんがレイキを体得された後、レイキのヒーリングをしていただきました。
本当に手を当てるだけの行為でした。
手を当てて頂いていると「気」が送られてくるのか、少しづつ体が温まってくるような感覚になります。
一回あたり1.5時間程度やって頂いていたのですが、終わった直後から劇的に変化するということはありません。
先ほど書いたように「体が温かいなあ」という程度の感覚です。
大体そのようなヒーリングを週一回合計4、5回やっていただいておりました。
そして、今は腰、背中の痛みはほとんど「無い」のです。
最近まで悩まされ続けていた痛みが嘘のようになくなりました。
赤木さんのレイキを行って頂いていた期間は先程のクリニックにも通っていませんでしたので、痛みがなくなった原因は「レイキのおかげ」と考えるしかありません。
今では、レイキの力は本当にあるのだと信じております。
赤木さん。ありがとうございました。
<--------------------(感想)-------------------->
すこたいさんにレイキをしたとき、1回目では腰に強いヒビキを感じました。それで、腰を重点的にレイキをしました。
2回目は、腰よりもむしろ太ももあたりに強いヒビキを感じました。腰や背中に痛みが出てきているのは、足からきているのではないかと、何となく感じました。
それで3回目では、背面のお尻から膝にかけて重点的にレイキをしました。
この3回の施術で、腰痛や背中痛は完治したと感じられたようです。
ただ実際は、4回目のレイキでも背面にヒビキがあり、特に強いヒビキは足首から感じました。なので足首や足裏を重点的にレイキをしたのです。
痛みがなくなっても、まだ本当の意味で完治したわけではありません。症状が出てなくても、身体は不調を抱えているものです。
すこたいさんには、もうしばらくレイキをすることを勧めています。
2014年08月06日
セミナー「あなたはそのままで素晴らしい 〜「神との対話」より」
今月もまた、東京でセミナーをやることになりました。
22日(金)にメンターの吉江さんが出版セミナーをされるので、それに出席する口実を探していました。
すると神渡良平さんと滝田栄さんの講演会が23日(土)にあり、またレイキの練習交流会が24日(日)午前にあることがわかったので、一時帰国を決めました。
そのついでと言っては何ですが、せっかくのチャンスなので私のセミナーも開くことにしたというわけです。
詳細は、申し込みページをご覧ください。
●セミナー:「あなたはそのままで素晴らしい
〜「神との対話」より」
●日 時 : 2014年8月24日(日) 13:30〜18:30
●場 所 : 東京都内新宿近辺のセミナー会場
(申し込まれた方に連絡します)
●参加費 : 3,000円(早期優待割引価格),
5,000円(通常価格) ※1ドリンク付き
セミナーでは、シリーズ累計100万部のベストセラー「神との対話」シリーズなどの本を紐解きながら、「なぜ生きるのか?」「どう生きるべきなのか?」といった本質的な疑問に迫りたいと思います。
セミナーでお伝えしたいメッセージは、「あなたはそのままで素晴らしい」です。幸せ実践塾の主要な対象である「おじさん」が、元気で幸せに生きられるようなヒントを提供できればと思っています。
もちろん、「おじさん」以外の方にも関係する内容ですし、聞いて損な話ではありませんので、老若男女を問わずにご参加くださいね。
セミナー後は、希望される方々と懇親会をしたいと思います。居酒屋でビールなどを飲みながら、いろいろお話しましょう。
では、みなさんとお会いできるのを、楽しみにしています。
なお、会場はどちらもそれほど大きくないので、募集を締め切る前に、早めにお申込みくださいね。
→ セミナーのお申し込みはこちら
22日(金)にメンターの吉江さんが出版セミナーをされるので、それに出席する口実を探していました。
すると神渡良平さんと滝田栄さんの講演会が23日(土)にあり、またレイキの練習交流会が24日(日)午前にあることがわかったので、一時帰国を決めました。
そのついでと言っては何ですが、せっかくのチャンスなので私のセミナーも開くことにしたというわけです。
詳細は、申し込みページをご覧ください。
●セミナー:「あなたはそのままで素晴らしい
〜「神との対話」より」
●日 時 : 2014年8月24日(日) 13:30〜18:30
●場 所 : 東京都内新宿近辺のセミナー会場
(申し込まれた方に連絡します)
●参加費 : 3,000円(早期優待割引価格),
5,000円(通常価格) ※1ドリンク付き
セミナーでは、シリーズ累計100万部のベストセラー「神との対話」シリーズなどの本を紐解きながら、「なぜ生きるのか?」「どう生きるべきなのか?」といった本質的な疑問に迫りたいと思います。
セミナーでお伝えしたいメッセージは、「あなたはそのままで素晴らしい」です。幸せ実践塾の主要な対象である「おじさん」が、元気で幸せに生きられるようなヒントを提供できればと思っています。
もちろん、「おじさん」以外の方にも関係する内容ですし、聞いて損な話ではありませんので、老若男女を問わずにご参加くださいね。
セミナー後は、希望される方々と懇親会をしたいと思います。居酒屋でビールなどを飲みながら、いろいろお話しましょう。
では、みなさんとお会いできるのを、楽しみにしています。
なお、会場はどちらもそれほど大きくないので、募集を締め切る前に、早めにお申込みくださいね。
→ セミナーのお申し込みはこちら
2014年08月10日
青空としてのわたし
「アップデートする仏教」で話題になったという山下良道さんの本を読みました。
たしか新聞の広告欄を見ていて、何となく気になって買ったのです。
読み終えた今、「ビンゴ!」と喜びたい気分です。
この本にも、仏教のアップデートの話が出てきます。
WEB1.0がアップデート(正確にはバージョンアップ)してWEB2.0になりましたが、このようにバージョンアップすることを示すために仏教1.0→仏教2.0→仏教3.0という名前をつけているのです。
ちなみにWEB1.0→WEB1.1のように表現するときは、小さな改修であって、これはアップデートと呼ばれます。
広い意味では1.0→2.0もアップデートと言えますが、私の感覚ではバージョンアップと呼ぶ方が正確な気がします。
それはさておき、この本の中心的な部分は、要は私たちの本質は青空であり、それを覆う雲ではない、という話になります。
これはつまり、「神との対話」で言うところの「ひとつのもの」と同じだと思います。
私たちはそれぞれ別々の存在だと感じていますが、本当はそうじゃないということですね。
もちろん仏教(この場合は大乗仏教ですが)で言うところの空(くう)も、「ひとつのもの」を指し示していると思います。
ですから、私からすれば目新しい話ではないのですが、おそらく今の日本の仏教界では、そういうようには言っていないのかもしれませんね。
山下さんは、独自の瞑想メソッドによって、この青空である自分を体験できると言っています。
これはなかなか興味深いことです。機会があったら、ぜひ瞑想会に参加してみたいと思いました。
本では理論的なことが書かれているのですが、詳細は読んでいただくとして、私が気になった部分を引用しておきます。
「問題は自分の心なのです。心が苦しみの原因です。
(中略)
私は、客観的に存在する問題を無視しろと言っているのではありません。福島第一原発はなんとかしなくてはならない。だからこそ、我々が第一にすべきことは、自分自身の不安や心配から解放されることなのです。この順番を間違えては、絶対にいけない。まず我々が自分自身の不安や心配から解放された後にのみ、客観的な問題を解決できる。その逆ではないのです。」(p.22 - 23)
「悩みの本質は、このシンキング・マインドが止まらないことです。
たとえば心配というシンキング・マインドは、いろいろなことを心配して、心配が止まらない。
(中略)
ならば、その苦しみからの解放には、シンキングが止まればいい。たったこれだけの話なのです。
ところが、ここで危険な誤解が生じることがあります。
誰かへの憎しみによる苦しみは、その相手を攻撃しても消えはしません。そこで自分の存在そのものが苦しみの原因だと考えるようになって、自分の存在を消したいという衝動にかられることにもなる。そういう傾向の強い人が仏教に出会うと、非常に危険なのです。」(p.48 - 49)
「エゴを捨てるとは、シンキング・マインドの世界をただ出るだけのことなのです。そして「青空」の世界に入っていったとき、当然エゴは捨てられているし、エゴを捨てない限り「青空」の世界には入れない。
どうやってエゴを捨てるのかといったら、「青空」に入る工夫をしていくだけです。そうしないで、エゴのままでシンキングしている限り、対象との間に距離を持たざるを得ません。」(p.93)
「だからこそ、本当に自分の心を徹底的に観察してみる必要があります。たとえば誰かのことを恨んでいるとすると、当然、恨んでいる相手が苦しみの原因だと思うでしょう。しかし、どういうふうにその人を恨んでいるかをよく観察してみると、何回もその恨んでいる人を思い出しているはずです。その人から言われたあの嫌な出来事を何回も何回も思い出している。べつに思い出す必要はないのです。だけれど、思い出さずにいられない。映画の同じシーンを何回も何回も上映している。それが苦しい。そうなるのもまた、あいつのせいだと思うかもしれない。しかし、何回も何回も思い出しているのは、やっぱり自分の心です。
苦しみを解決したければ、思い出すのをやめればいい。たったそれだけのことなのです。
(中略)
でも、思い出すのをやめる方法はあります。あの嫌な場面を思い出すのをやめられたら、自由になれます。もう、その人は関係ないのです。思い出すのをやめるということは、完全に心の範囲内のことですから、自分の心だけで決定できることです。」(p.140 - 141)
「シンキング・マインドを手放したとき、「俺」と瞑想対象とが二つに分かれていないということが実際に起こります。主体と客体とが一つだという体験ができるのです。」(p.144)
「では、そのことをどうやって本当に納得できるかといえば、「気づく」ということの本質を理解することによってです。気づくとは、考えることが終わった世界です。
気づくとは、一生懸命に「気づくぞ!」というものではありません。そんなことはできないのです。気づくとは、考えが落ちるということなのです。」(p.147)
「我々は映画に入り込まず、そこから覚め続けることができます。それがマインドフルということの本質です。」(p.150)
「こうして「誰が瞑想するのか」という主体が転換します。「私とは誰」というところが根本的に変わるのです。これが大切な体験なのです。
青空に触れたなら、すべてが変わります。なぜなら「私とは誰」ということが変わるからです。「私とは誰」ということが変わってしまったら、ゲームが変わります。修行の意味がまったく変わるということです。修行の方向性が、目的が、変わる。「私とは誰」という根本が変われば、「俺が修行して◯◯になる」などということが意味を持たなくなるからです。」(p.159)
「本当に青空に触れた人間は、自分たちのセクトを守るために他のセクトを攻撃したり、罵詈雑言を浴びせたり、戦ったりするなど、ありえません。宗教戦争は、そこからは出てこない。この何千年もの間、なぜ宗教戦争が起こってきたかというと、真理に触れていなかったからです。」(p.166)
「だから、この世界に執着することも、この世界を否定したものに執着することも、両方とも間違いなのです。欲望の対象としての世界も、それをすべて否定したニヒリズムも間違いです。本当の意味での自由は、その二つから自由になることなのです。」(p.180)
「世間で言われる幸せは、せいぜい白い雲にすぎません。
(中略)
しかし仏教では、真っ白な雲を求めているわけではないのです。白い雲でも黒い雲でもない、青空を求めているのです。
瞑想メソッドを使い、呼吸を観たり身体の感覚を観たりすることで、そういう雲をすべて手放し、青空のなかに入っていくことができます。これは理論ではなく、実際のことです。青空に入ったとき、立つ場所が違っています。今までは雲のなかに立っていたのが、その雲が手放されたときには、青空に立っている。青空に立ったときにのみ、すべての雲に対する非常に強い慈悲の力を感じるのです。」(p.183)
「私は雲じゃないから。
たったそれだけです。そこが急所です。私は青空です。」(p.184)
「我々は被害者であり続ける必要はないと言っているのです。我々は被害を受けたかもしれない。だけれども、一生被害者である必要はないということです。」(p.185)
思いついたままに引用しました。これで全容がわかるかどうか何とも言えませんが、言わんとするところが垣間見えてくるのではないかと思っています。
ぜひ、じっくり読んでいただきたいと思います。
2014年08月15日
あなたは絶対!運がいい
以前、「運がよくなる宇宙からのサイン」を紹介した浅見帆帆子さんの本を読みました。
私が読んだのは文庫本で、この2冊は同じタイミングで買ったものです。しばらく他の本を読んでいたので、この本は置きっぱなしになっていました。
ほぼ2日間で読み終えましたが、読みやすく、そして論理的ですっきりとした内容だと感じました。
驚いたことに、この本は浅見さんが24歳の時に書いたものだそうです。その時点で、すでにこういう気づきを得ていたことに驚きました。
最近は若い人に、より気づいている(覚醒している)人が多いと感じていますが、浅見さんもそういう人たちの1人だろうと思います。
「なぜそうなのか?」という理論的な部分はあまりありませんが、直感的にそうだと気づいていて、自分の人生で実証してこられたという感じです。
その気づきの部分が、またとても素晴らしいのです。一部を引用して、お伝えしましょう。
「物事をうまくいかせる秘訣、それは一言で言うと、「プラス思考」なのです。」(p.18)
「毎日プラス思考で過ごすことと、今の自分が抱えているマイナスの悩みとはなんの関わりもなくてよいのです。この、一見関係なさそうなプラスのパワーを信じることができるかどうかが決め手です。」(p.27)
「プラスのパワーは自分の悩みを解決してくれるのですが、いくらプラスのパワーを増やす行いをしていても、それと同じ量のマイナスが心の中を占めていたら、なんの意味もありません。
マイナスになる要素にはいろいろあって、文句、愚痴、悪口、ねたみ、そねみ、などが日常的なものです。
悪口や人のことをねたむ気持ちは、だれもが「よくないこと」だと知っていますが、意外とマイナス要素と自覚されていないのは、人の心の中にある「心配」や「不安」の気持ちです。」(p.34 - 35)
「自分が事前に防ぐことのできなかったハプニングは、起きてしまった以上仕方ないので、「信じられない、なんでこうなるの?運が悪い」と現状に対してゴチャゴチャ言わず、「まあ、仕方ない、これもいいかな」と捉えること。」(p.42)
「自分の人生は自分の「心」「意識」がつくっていくものだと思います。
「絶対こうなる、自分の人生はこういうものにする」と自分が決めれば、現実化するのです。」(p.48)
「大事なのは、よい結果を繰り返し書いたり言ったりすることで、自分が安心して、それを信じ込むことなのです。」(p.61)
「つまり、よいことばかり起こる人生にするには、自分の理想を実現させるには、精神レベルを上げるしかないのです。」(p.89)
「自分のレベルがどんなものだか簡単にチェックする方法として、(中略)日々接する人々の態度などで判断します。
バスの運転手がニコニコ笑いかけてきたら、自分の心の状態がいい証拠です。
タクシーに乗ったら運転手がものすごく横柄な態度で腹が立った、これは自分が横柄な態度をしているから、または心にマイナス要素を持っているからです。」(p.96)
「成功している人や望みをかなえた人にはいいことばかり重なっているように見えて、不公平に感じるかもしれませんが、それにふさわしい精神レベルを維持できているから、ますますよいことが起こるのです。よいことばかり起こる人には、また続けてよいことが起こる、これこそ平等だと思います。」(p.114)
「その時対処できることをやったらもう考えないこと、あとは、まわりに明るい気持ちで楽しく暮らしていればいいのです。ひがむ、ねたむ、愚痴を言うなどの消極的なマイナス思考をやめて暮らせば、あっという間に解決です。「精神レベル向上のための修行」なんで、難しく考えることではありません。」(p.148)
「レベルが上がると「直感」が冴えてきて、便利な情報がどんどんやってくるようになります。
でも、気付くだけではダメです。行動に移さなくては、せっかくの情報も無駄になってしまいます。」(p.156)
「なんだかやってみたいと浮かんだことを実行することは、自分のやりたいことをやるわけですから気分がよくなります。自分が気分のいいことをやることは、プラスに決まっています。だから「直感」を情報として生活に取り入れると、物事がますますうまく流れるようになって、さらにレベルが上がるのです。
自分には直感がないと思う人は、それに気付いていないだけです。」(p.165)
「自分にふさわしいよいことが起こったり、自分に気付かせるために必要だから悪いことが起こったりするのです。」(p.176)
「行動してみたらうまく進まないということは、「動かずじっと待ったほうがいいよ」という貴重な情報なのです。」(p.182)
「物事がうまくいかない時期がやってきても、それが永遠に続くことはありえません。
(中略)
自分が風邪をひいて熱が出て苦しい真っ最中に、「明日もあさっても治らなかったらどうしよう」と思うと絶望的ですが、二日目になると必ず少しよくなっています。
一日目と二日目では、状況も考え方も必ず変わっているのです。一日目は静かにして回復するのを待つ、寝ているだけしかできないのだったら、それでいいのです。
風邪をたとえにすると「そんなことわかっている、風邪はいつか治るものなんだから」と思うかもしれませんが、うまくいかない時期にうまくいく時期まで待つというのも、全く同じことだと思います。」(p.184 - 185)
「物事をあるがままに受け止めて、「絶対こうでなくてはいやだ」というかたくなな思い込みをなくすと、物事への執着がとれてきます。」(p.189)
「かなえたい理想に執着しないようになった時、自然とかなってしまうものです。」(p.190)
「自分の人生の中で起こることは、どんなことでも全部自分がつくりだしていることです。偶然はありません。
自分のレベルさえ上げておけば、いつも明るい気持ちで過ごしていれば、どんなことでも必ずうまくいくような流れが自分でつくれるのです。」(p.196)
改めて、これを24歳で書いたということに、本当に驚きます。そして、本当に素晴らしい内容だと思います。
こんな素晴らしい本が、文庫で500円ほどで読めてしまう。なんとありがたいことでしょうか。ぜひみなさんも、本を読んでみてくださいね。
2014年08月25日
夫婦のルール
三浦朱門さんと曽野綾子さん、ご夫妻で共著の本を読みました。
私は曽野綾子さんの考え方が好きで、よく本を読んでいましたが、この本で初めて、夫の三浦朱門さんの考え方に触れることができました。
お二人の生い立ちの話などを読むにつけ、私が好きになった曽野さんの考え方は、より自由を好む三浦さんの影響を受けいているのではないかと感じました。
たとえば三浦さんは、子どもの頃にこんなエピソードがあったそうです。
「私が子どものとき、宿題をしていたら、父が変な顔をしたんです。「それは何だ?」「宿題」「先生がやれと言ったのか」「そう」「お前、妙な趣味があるな。やりたいのか」「やりたくないけど」……。そうしたら、「やりたくないことをやるのはドレイだ」と言われて(笑)。宿題をやるなんて、妙な趣味だ、と親が語る家だったんです。
祖父の代から、うちのやり方は、他の人と違うことをやれ、ということだったんですね。他人と違うことをやるから生きていける。他人と一緒になったら、うちの人間はダメなんです。」(p.86 - 87)
宿題をやってたら「ドレイと同じだ」なんて言う親なんて、そうそういませんよね。それだけ変わった家庭だったようです。
しかし、そういう家庭の価値観で育ったから、自由にのびのびと、他人の思惑を気にしない性格になったのだと思います。
そしてその考え方が、曽野さんにも影響したのではないかと思うのです。
この夫婦の面白い考えが表れている部分を、一部引用してみましょう。
「夫婦は元々他人ですから、生涯、お互いを学び続けなければいけないのです。それを怠ると、やっかいなことになる。
でも、重く考える必要はまったくありません。それこそ、学ぶことそのものを、思い切り楽しんでしまえばいいのです。」(p.17)
「そりゃ、二度も三度も結婚していれば、今の女房はああだこうだ、ってことも言えます。でも、自分の人生と同じで、結婚は一回限りだと思えば、いいも悪いもない。そんなものだと思うより、しょうがないじゃないですか。
だいたい、人はそれぞれ違うのだから、比較することなんかできないはずですよね。なのに、どうして悲観的になるのか。理想が高過ぎるのか。」(p.33)
「いくら文句を言われても、「アイ・ラブ・ユー」「あなたが好きよ」と言われているのと同じだと思えばいいと考えています(笑)。そうやってまともに受け答えしないから、六0年も何とかうまくやっているのかもしれません。」(p.36 - 37)
「私は、あらゆることに、かなり優先順位をつけているんです。夫にアイスクリームを買ってきて欲しいと頼んだら、好みのものと違った。「ピスタチオの入ったアイスクリームじゃないとダメ」と怒り出す人もいますけど、せっかく買ってきてくれたわけでしょう。買ってきてもらえる幸せをまずは味わったらいいので、ピスタチオは余計なことなんですよ。」(p.41)
「だから、私は今、このようなことについて怒っている、ということははっきり言うことにしたんです。できるだけ、簡潔に。それをあちら様がどうお取りになろうが、知ったこっちゃないんだけど(笑)。」(p.61)
「夫婦生活を円満にするには、「まあ、どうでもいいや」と、いろんなことに折れることが大事だね。」(p.60)
「なのに、親はいい親になろうとする。それはね、親に自分の人生がないからですよ。自分の人生を生きたらいいんですよ、親が。
私は忙しかった。忙しくて子どもにかまってやれなかった。そういう一抹の自責の念みたいなものと、いや、それでよかったんだ、それが子どもとのつながりを健全な形で打ち切ったんだという安堵感の両方を持っているんです、いまだに。
ただ、もっというと、自分が置かれた状況の中でどうするのか、というのは、実は子ども自身の問題なんです。」(p.96)
「それこそ、小説を軽視しなければ、いい小説を書けないように、スポーツでも仕事でも、軽視が必要だと思っています。「たかが」と考えること。」(p.126)
「でも、毎日毎日、想定外のことがあるから、生きることは面白い。昨日と今日とがまったく同じだったら、退屈きわまりないでしょうね。昨日と今日は違う。昨日、想定したことが今日、起こらないから、人生は面白いんです。」(p.143)
「男と女が一緒に暮らすようになると、違う部分というのが非常に新鮮で珍しくて、それを肯定的に受け止められたなら、とても面白いわけですね。」(p.172)
「自由とはどういうことかというと、いい学校に入ろうとか、いい会社に入ろうとか、社長になろうとか、お金を儲けようとか、そういうことをもって、人生の成功や失敗と考えないで済む、ということです。
ひどい学校に入っても、その中で自分の心を広げる場を発見できる。思いがけずお金を儲けちゃっても、お金にこだわらずに人生を考えられる。そういう自由さというか、謙虚さがある。」(p.208)
こんなふうに自由にこだわりなく、違いを認め合えたら楽しいでしょうね。
お二人の考え方には、私は多くの部分で共感します。私自身が妻に対して、同じようなことを考えているからだと思います。
国籍、民族、文化、性別、年齢など、あまりに違い過ぎる私たち夫婦。だからこそ楽しい。そう、私も思っているのです。
2014年08月29日
特定の結果に執着しない
さて今日は、結果に執着しないことについてです。
ブログにも似たようなことを書いてますが、目標を立てるのと立てないのと、どっちが良いかという話があります。
「目標は高い方が良いか?それとも...」
目標を明確にしないと、絶対に到達することはない。
世界No.1コーチのアンソニー・ロビンズ氏はそう言います。
一方で小林正観さんは、目標など持ってはいけないと言います。
他人から頼まれたことをやっていれば、自ずと自分を生かす最適な道へと導かれる。
だからその導きを信じて、目の前のことを一所懸命にやれば良いのだ、というわけです。
これは、どっちが良いかという問題ではなく、どっちが好みかという問題だと思います。
ただ、注意しておくことがあります。
それは、目標を立てる場合ですが、最終的には結果に執着しないことです。
「目標を絶対に達成すると思わなければ、目標を立てる意味がないじゃないの?」
それはそうなのですが、そう単純なことではないのです。
「引寄せの法則」などで言われるように、思考が現実を創造しています。
ですから、私たちが信じたことは現実になります。
そういう意味では、絶対に達成するという強い気持ちが、その結果を引き寄せると言えます。
たとえば、今の身体ではなく、八本足の宇宙人のような身体に自分を創り変えることも可能だと、バシャールは言っていますよね。
しかし、理屈ではそうなのですが、おそらくそうはならないだろう、とも言います。
なぜなら、私たちの魂は、今のこの身体になることで何らかの課題を達成しようとしているからです。
ですから、そういった基本的な制約に関する信念は、変えることを本心から望むはずがない、と言うのです。
と言うことは、私たちの意識が望んだことが、必ずしもすべて現実になるわけではない、とも言えるわけです。
厳密に言えば、私たちの意識が本心から望まないことは、現実化しない、ということですけどね。
自分は本心から望むと思ったとしても、本心ではないということがある。
ややこしくてすみませんが、そういうことだと思います。
ですから、目標を絶対に達成すると考えても、達成しないこともあり得るのです。
これはつまり、思い通りにならないことはある、ということになります。
「なんだ、それじゃあ引寄せの法則なんて意味ないじゃん。」
まあぶっちゃけ、そういうことですね。
でも、多くのケースでは、本気で思った(信じた)ことは現実になるでしょう。
ですから、目標を持つことが間違っているわけではないのです。
これまでにも書いてますが、思い通りにならないことなんてどんな優れた人にでもあります。
あの大西郷と呼ばれた西郷さんでも、最後は思い通りにならなくて西南戦争で散ることになりました。
まあそれまでの人生においても、思い通りにならないことだらけだったでしょう。
聖人君子と言われる孔子でさえ、一番期待していた弟子の顔回に先立たれ、「天、我を滅ぼせり!」と言って
慟哭(どうこく)したのです。
キリストと呼ばれるイエスも、十字架に掛けられる運命を知ったとき、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(我が神、我が神、何ゆえ我を見捨てたもうたか?)」と叫んだそうです。
そうなのです。
どんな立派な人でも、思い通りにならないことがある。
それがこの世の真実です。
だから、最終的に目標に執着するなと、私は言っているのです。
なぜなら、その目標を達成することが、必ずしも魂の思いに適うこととは限らないからです。
魂はそれとは別のことを体験させることで、課題を達成しようとするかもしれません。
したがって、現実をすべて受け入れ、「これでよい」と思った方が良いのです。
良寛さんは、こんなふうに言っています。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候。」
起きたことを否定しても意味がなく、受け入れることが大切なのです。
上手く行ったとき、目標を達成したときは、そのことを素直に喜びましょう。
逆に上手く行かなかったとき、目標を達成できなかったときは、その出来事に意味があるのだと受け入れ、それも良いことだと喜ぶのです。
そういう生き方ができるようになれば、思い通りにならないことに苦しむことがなくなります。
ですから、バカボンのパパになりましょう。(笑)
「これで、いいのだー!」
ブログにも似たようなことを書いてますが、目標を立てるのと立てないのと、どっちが良いかという話があります。
「目標は高い方が良いか?それとも...」
目標を明確にしないと、絶対に到達することはない。
世界No.1コーチのアンソニー・ロビンズ氏はそう言います。
一方で小林正観さんは、目標など持ってはいけないと言います。
他人から頼まれたことをやっていれば、自ずと自分を生かす最適な道へと導かれる。
だからその導きを信じて、目の前のことを一所懸命にやれば良いのだ、というわけです。
これは、どっちが良いかという問題ではなく、どっちが好みかという問題だと思います。
ただ、注意しておくことがあります。
それは、目標を立てる場合ですが、最終的には結果に執着しないことです。
「目標を絶対に達成すると思わなければ、目標を立てる意味がないじゃないの?」
それはそうなのですが、そう単純なことではないのです。
「引寄せの法則」などで言われるように、思考が現実を創造しています。
ですから、私たちが信じたことは現実になります。
そういう意味では、絶対に達成するという強い気持ちが、その結果を引き寄せると言えます。
たとえば、今の身体ではなく、八本足の宇宙人のような身体に自分を創り変えることも可能だと、バシャールは言っていますよね。
しかし、理屈ではそうなのですが、おそらくそうはならないだろう、とも言います。
なぜなら、私たちの魂は、今のこの身体になることで何らかの課題を達成しようとしているからです。
ですから、そういった基本的な制約に関する信念は、変えることを本心から望むはずがない、と言うのです。
と言うことは、私たちの意識が望んだことが、必ずしもすべて現実になるわけではない、とも言えるわけです。
厳密に言えば、私たちの意識が本心から望まないことは、現実化しない、ということですけどね。
自分は本心から望むと思ったとしても、本心ではないということがある。
ややこしくてすみませんが、そういうことだと思います。
ですから、目標を絶対に達成すると考えても、達成しないこともあり得るのです。
これはつまり、思い通りにならないことはある、ということになります。
「なんだ、それじゃあ引寄せの法則なんて意味ないじゃん。」
まあぶっちゃけ、そういうことですね。
でも、多くのケースでは、本気で思った(信じた)ことは現実になるでしょう。
ですから、目標を持つことが間違っているわけではないのです。
これまでにも書いてますが、思い通りにならないことなんてどんな優れた人にでもあります。
あの大西郷と呼ばれた西郷さんでも、最後は思い通りにならなくて西南戦争で散ることになりました。
まあそれまでの人生においても、思い通りにならないことだらけだったでしょう。
聖人君子と言われる孔子でさえ、一番期待していた弟子の顔回に先立たれ、「天、我を滅ぼせり!」と言って
慟哭(どうこく)したのです。
キリストと呼ばれるイエスも、十字架に掛けられる運命を知ったとき、「エリ・エリ・レマ・サバクタニ(我が神、我が神、何ゆえ我を見捨てたもうたか?)」と叫んだそうです。
そうなのです。
どんな立派な人でも、思い通りにならないことがある。
それがこの世の真実です。
だから、最終的に目標に執着するなと、私は言っているのです。
なぜなら、その目標を達成することが、必ずしも魂の思いに適うこととは限らないからです。
魂はそれとは別のことを体験させることで、課題を達成しようとするかもしれません。
したがって、現実をすべて受け入れ、「これでよい」と思った方が良いのです。
良寛さんは、こんなふうに言っています。
「災難に逢う時節には、災難に逢うがよく候。死ぬ時節には、死ぬがよく候。是ハこれ災難をのがるる妙法にて候。」
起きたことを否定しても意味がなく、受け入れることが大切なのです。
上手く行ったとき、目標を達成したときは、そのことを素直に喜びましょう。
逆に上手く行かなかったとき、目標を達成できなかったときは、その出来事に意味があるのだと受け入れ、それも良いことだと喜ぶのです。
そういう生き方ができるようになれば、思い通りにならないことに苦しむことがなくなります。
ですから、バカボンのパパになりましょう。(笑)
「これで、いいのだー!」
2014年08月30日
100歳まで元気でボケない食べ方・生き方
石原結實さんの考え方が素晴らしいので、また別の本を買いました。
実は、これとは別に2冊を買い、母にあげました。そして、前回はKindle版で読んだ「「食べない」健康法」も文庫本で買いました。この本と合わせて、ある方にプレゼントしたかったのです。
その方は70歳という高齢ながら、元気にソフトボールをされています。
ただ、最近は体力の衰えから、引退を口にするようになられたのです。
もちろん、考え方は人それぞれですから、それを否定するつもりはありません。でも、やり方しだいでもっと人生を楽しめるなら・・・。
そんな思いでこの本を選び、まず私が読んでみたというわけです。
本のタイトルにもあるように、これは単に食べ方だけの処方箋ではなく、生き方についても広範囲にまとめてあります。
しかし、要約すると以下のようになるようです。
「@一日一回は空腹の時間をつくる
A足腰の筋肉を鍛える
B心熱・体熱を高める」(p.12)
食べ方に関しては、すでに前に紹介した本などにも詳しいので、それ以外の部分で、気になったところを引用してみましょう。
「そのためには、入浴やサウナ、着衣の工夫などで外から体を温めるほか、人体最大の産熱機関である筋肉を使った運動をすることも肝要だ。そして何よりも、毎日の食事の中で、体を温める食物をしっかりとることが大事である。」(p.47)
したがって、腹巻きとかカイロの利用も、大事なのですね。
そして体を温める食べ物と言うのは、色が「赤・黒・橙」なのだとか。ただしカレーやトマト、コーヒーなどは例外で、色より産地が優先するそうです。
また、塩辛い食事が必ずしも悪くないということを、以下のように研究結果を引用して説明しています。
「塩分の摂取がもっとも少ない二五%に属する被験者は、摂取の最も多かった二五%に比べて、心臓病による死亡率が八〇%高かった」「一六〇/九五mmHg以上の高血圧でありながら、降圧剤を飲んでいない人は、降圧剤を服用して一四〇/九〇mmHg未満の正常血圧になっている人より、あらゆる病気で死亡する全死亡率も、ガン死亡率も低かった」(p.60)
つまり、東北地方などで伝統的に塩っぱい味付けだったのは、体を温めるために必要なことで、高血圧が原因で病気になったのは、その後の生活で運動しなくなったとか、岩塩や海塩などの自然塩でなくなったなど、総合的な要因があるのではないかと言います。
また、果物や野菜などが老化やボケに有効だということも、以下のような研究結果を引用して述べています。
「果物及び野菜のジュースを週一回未満しか飲まない人に比べ、週三回以上飲む人では、アルツハイマー病の発症率が七八%低かった」(p.62)
これはファイトケミカルによる抗酸化作用であろうと言います。
また、老化は下半身からと言われるように、足腰が体型的にも貧弱になるそうです。
ですから下半身を鍛える運動とともに、根菜類を食べると良いのだとか。東洋医学では、植物の位置と人間の体も、密接な関係があるとみなしているようですね。
食べ物以外の生き方に関して、どんなことを言われているか、章のタイトルをあげてざっくりと紹介しましょう。
・「早寝早起き」は長寿の鉄則!
睡眠時間は8時間前後というのが、心臓病やガン、自殺で死亡する確率が下がるそうです。
それとともに早寝早起きや、昼寝をすることが効果的だそうです。
・入浴が健康にいい理由
シャワーで済ますのではなく、しっかりとお湯につかることで、体を温めることが重要だとか。
体調不良の場合でも、手足を湯につけるだけで、全身がぽかぽかと温まるのでオススメだそうです。
・意外と知られていない日光の七つの効能
皮膚ガンが心配で日光にあたらない人もいるようですが、黄色人種には、あまり関係がありません。
それより1日30分以上、戸外に出て日に当たらることによって、ビタミンDの合成を促すなどの効能があるそうですよ。
・日記を書いて心を癒やす
・歌えば体は絶好調!
・精神ストレスが老化の原因になる?
・なぜよく笑う人は若々しいのか?
・「利他の心」が寿命を伸ばす
・労働ではなく「朗働」が健康長寿を招く
・情熱は生命の原動力
このように、精神的な部分にも踏み込んで、健康やボケ防止について説明しています。
また最後には、病気別の処方箋も書かれており、今、病氣を患っておられる方にも、役に立つものとなっています。
ぜひ総合的に、健康で長生きする人生を目指しましょう。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。