2014年05月01日
幸せな宝地図であなたの夢がかなう
宝地図で有名な望月俊孝さんの本です。
先日、望月さんのレイキの本を読みました。
それを読んで感動したので、では宝地図の本も読んでみようと思ったのです。
実はセミナーの特典として、望月さんの宝地図に関する資料はもらっていたので、宝地図のことはだいたい知っていたのです。
この本を買おうと思ったのは、1冊くらいは市販の本を読んでおいたほうが良さそうだと思ったのと、望月さんの友人でもある本田健さんが、特別に前書きを寄稿されていたからです。
健さんは表紙にも、自筆でこんな言葉を贈られています。
「夢は不思議な形で実現する!」
なんと力強い言葉でしょう。手段などを私たちが考慮する必要がないということなんですね。
「大切なことは、遊び感覚で楽しむことで、真剣に考え過ぎないことです。」(p.3)
健さんはこう言って、宝地図を楽しみながらやることを勧めています。
本編では、宝地図がどうして効果的なのかということや、その具体的な作り方が書かれています。
この宝地図で夢が現実化する理由ですが、これは多くの人が言っているように、「引寄せの法則」が働くからですね。
ですので、宝地図だけが効果があるというわけではありません。
望月さんも、宝地図と一緒に、アファメーションすることだとか、感謝することなど、他の方法も効果的だと書かれています。
望月さんは、宝地図に出会う前は、何かを手に入れることで幸せになれると信じておられたそうです。
でも、外にあるものを追い求めても、幸せにはなれないと気づかれたのだとか。
「幸せを手に入れるのではなく、「幸せに感じることのできる心を手に入れる」ことのほうが、もっと大切だということがわかったのです。」(p.94)
宝地図に描いた夢は、ほぼ100%叶ったという望月さん。
その教えを受けて、今も多くの人が宝地図で夢を実現されているようです。
みなさんも、初めてみませんか?
2014年05月02日
幸せになるための「本の紹介」・バシャール
本の紹介用に動画を撮ってみました。
今回は、バシャールに関する本についてです。
動画で紹介している本は、すでにこのブログの記事で紹介したものです。
詳細は、そちらの記事をご覧くださいね。
・「未来は、えらべる!」
・「バシャール スドウゲンキ」
・「BASHAR (バシャールペーパーバック@〜G)」
今回は、バシャールに関する本についてです。
動画で紹介している本は、すでにこのブログの記事で紹介したものです。
詳細は、そちらの記事をご覧くださいね。
・「未来は、えらべる!」
・「バシャール スドウゲンキ」
・「BASHAR (バシャールペーパーバック@〜G)」
2014年05月05日
損を引き受ける覚悟
さて今日は、「引き寄せの法則」の話です。
昨日、久しぶりに動画を撮って、ユーチューブに載せました。
「幸せになるための「本の紹介」・バシャール」の記事にありますので、こちらをご覧ください。
バシャール関連の本を紹介するという内容になっています。
それで確認のためにユーチューブで見ると、関連する動画にバシャールのものがたくさんあったのです。
ダリル・アンカ氏のチャネリングがどんな感じなのかと興味が湧いて、いくつか観てみましたよ。
その中に、とても良いものがあったので、Facebookで紹介しました。
別のブログにも転載してありますから、そちらからご覧いただけます。
この動画でバシャールは、どうして引寄せの法則が働かないかを、とてもわかりやすく解説しています。
つまり、思考を変えたふりをしてもダメなのです。
そこでバシャールは、たとえどんなことが起ころうとも、自分の気持ちがそれに影響されないことが重要だと説明します。
何があろうとも喜んでいる。
それが、引寄せの法則を働かせるコツだというわけですね。
表現は違いますが、これもまた多くの人が言っています。
私は、「損を引き受ける覚悟をする」と言っています。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
昔の人は、そう言ってますよね。
これもまた、同じことを言っています。
Facebookを見ていると、ちょうど心屋仁之助さんも、似たようなことを言われてました。
心屋さんは、現実化する思考とは、願いや希望ではなく、その「大前提」なのだと言います。
つまり、「◯◯が欲しい」という願いは、「◯◯がないくて悲しい」というような大前提があるのです。
「神との対話」ではこれを、「思考を支える思考」と表現しています。
ということからすると、「◯◯がほしい」とか「◯◯になりたい」という希望は叶わないのです。
不安から何かを求めても、前提である不安が現実化するだけです。
では、どうすればよいのか?
そこで先程のバシャールの話です。
「◯◯がなくても幸せでいる」
そう自分の在り方を決めることで、それにふさわしい現実が創られるのです。
だから、まず最初に幸せになることがとても重要なのです。
結果として幸せになるのではなく、幸せを原因として何かをするのです。
それが、現実を思いどおりに創造するコツだと、「神との対話」でも言っています。
「幸せになりたかったら、幸せになれ。」ということですね。
なんだか意味不明な言葉にも思えますが、ここまでの説明を読んでいただければ、その意図がわかると思います。
そこで重要になるのが、不安への対処になります。
ただ幸せになろうとしても、すぐに不安が襲ってきます。
「でも、もし大変なことが起こったらどうしよう?」
これがまさに、バシャールの動画で質問した人の状態です。
そこで、その不安を打ち消すために、この世がどうなっているのかを理論的に知ることが重要になります。
それによって、たとえば永遠の生命があるとわかれば、死への恐怖がやわらぐでしょう。
それでも、「その理論は本当か?」という不安が残ります。
だって、完全には証明できませんから。
その最後の不安をクリアする方法が、「損を引き受ける覚悟をする」ということです。
「もういい、十分だ。これで死ぬなら、死んでも本望だ。」
実はイエス=キリストも、このことを端的に説明しています。
「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる。」
(ルカによる福音書・第17章33節)
結局、昔から言われていることなのですね。
何が起ころうと大丈夫。
病気になっても、事故にあっても、受験や就職に失敗しても、恋人ができなくても、フラれても、大金を失っても、リストラされても、何があっても自分は幸せだ。
それが損を引き受ける覚悟です。
世の中で一番強い人間は、命を惜しまない人だと言います。
どんな損でも引き受ける覚悟をすれば、もはや敵なしですよね。
さあ人生よ、かかってきなさい!
昨日、久しぶりに動画を撮って、ユーチューブに載せました。
「幸せになるための「本の紹介」・バシャール」の記事にありますので、こちらをご覧ください。
バシャール関連の本を紹介するという内容になっています。
それで確認のためにユーチューブで見ると、関連する動画にバシャールのものがたくさんあったのです。
ダリル・アンカ氏のチャネリングがどんな感じなのかと興味が湧いて、いくつか観てみましたよ。
その中に、とても良いものがあったので、Facebookで紹介しました。
別のブログにも転載してありますから、そちらからご覧いただけます。
この動画でバシャールは、どうして引寄せの法則が働かないかを、とてもわかりやすく解説しています。
つまり、思考を変えたふりをしてもダメなのです。
そこでバシャールは、たとえどんなことが起ころうとも、自分の気持ちがそれに影響されないことが重要だと説明します。
何があろうとも喜んでいる。
それが、引寄せの法則を働かせるコツだというわけですね。
表現は違いますが、これもまた多くの人が言っています。
私は、「損を引き受ける覚悟をする」と言っています。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
昔の人は、そう言ってますよね。
これもまた、同じことを言っています。
Facebookを見ていると、ちょうど心屋仁之助さんも、似たようなことを言われてました。
心屋さんは、現実化する思考とは、願いや希望ではなく、その「大前提」なのだと言います。
つまり、「◯◯が欲しい」という願いは、「◯◯がないくて悲しい」というような大前提があるのです。
「神との対話」ではこれを、「思考を支える思考」と表現しています。
ということからすると、「◯◯がほしい」とか「◯◯になりたい」という希望は叶わないのです。
不安から何かを求めても、前提である不安が現実化するだけです。
では、どうすればよいのか?
そこで先程のバシャールの話です。
「◯◯がなくても幸せでいる」
そう自分の在り方を決めることで、それにふさわしい現実が創られるのです。
だから、まず最初に幸せになることがとても重要なのです。
結果として幸せになるのではなく、幸せを原因として何かをするのです。
それが、現実を思いどおりに創造するコツだと、「神との対話」でも言っています。
「幸せになりたかったら、幸せになれ。」ということですね。
なんだか意味不明な言葉にも思えますが、ここまでの説明を読んでいただければ、その意図がわかると思います。
そこで重要になるのが、不安への対処になります。
ただ幸せになろうとしても、すぐに不安が襲ってきます。
「でも、もし大変なことが起こったらどうしよう?」
これがまさに、バシャールの動画で質問した人の状態です。
そこで、その不安を打ち消すために、この世がどうなっているのかを理論的に知ることが重要になります。
それによって、たとえば永遠の生命があるとわかれば、死への恐怖がやわらぐでしょう。
それでも、「その理論は本当か?」という不安が残ります。
だって、完全には証明できませんから。
その最後の不安をクリアする方法が、「損を引き受ける覚悟をする」ということです。
「もういい、十分だ。これで死ぬなら、死んでも本望だ。」
実はイエス=キリストも、このことを端的に説明しています。
「生きんとする者は死に、死なんとする者は生きる。」
(ルカによる福音書・第17章33節)
結局、昔から言われていることなのですね。
何が起ころうと大丈夫。
病気になっても、事故にあっても、受験や就職に失敗しても、恋人ができなくても、フラれても、大金を失っても、リストラされても、何があっても自分は幸せだ。
それが損を引き受ける覚悟です。
世の中で一番強い人間は、命を惜しまない人だと言います。
どんな損でも引き受ける覚悟をすれば、もはや敵なしですよね。
さあ人生よ、かかってきなさい!
2014年05月07日
嫌われる勇気
アルフレッド・アドラーという心理学者の思想を紹介した本です。
哲学者の岸見一郎氏とフリーライターの古賀史健氏の共著になっています。
実はこの本は、私のメンターである吉江勝さんが勧めておられたものです。
まだ半分くらいしか読んでいないのですが、あまりに素晴らしくて笑っちゃうくらいなので、早くみなさんにお知らせしたくて、ブログに書くことにしました。
この本を勧めているのは、何も吉江さんだけではありません。
心屋仁之助さんや、野口嘉則さんなども勧めています。
この本は、哲学者と青年の対話形式になっています。
まるで小説でも読むかのように、アドラーの思想を学べるというものです。
ともかく最初から、笑っちゃうほどすごいのです。こんな心理学者がいたなんて、まったく知りませんでした。
その内容は、まさに心屋さんなどが言われているとおりだし、「神との対話」などで語られているとおりなのです。
「われわれは過去の経験に「どのような意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのです。」(p.30)
「変わることの第一歩は、知ることにあります。」(p.40)
「しかし、いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。」(p.45)
「あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りていないのです。」(p.53)
「孤独を感じるのは、あなたがひとりだからではありません。あなたを取り巻く他者、社会、共同体があり、そこから疎外されていると実感するからこそ、孤独なのです。われわれは孤独を感じるのにも、他者を必要とします。すなわち人は、社会的な文脈においてのみ、「個人」になるのです。」(p.70)
「しかし、自らの不幸を「特別」であるための武器として使っているかぎり、その人は永遠に不幸を必要とすることになります。」(p.90)
「「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違ったものになります。世界を危険な場所だと思うこともなく、不要に猜疑心に駆られることもなく、世界は安全で快適な場所に映ります。対人関係の悩みだって激減するでしょう。」(p.99)
「怒りとは、しょせん目的をかなえるための手段であり、道具なのですから。」(p.106)
「人は対人関係のなかで「わたしは正しいのだ」と確信した瞬間、すでに権力争いに足を踏み入れているのです。」(p.107)
「しかしアドラーは、相手を束縛することを認めません。相手が幸せそうにしていたら、その姿を素直に祝福することができる。それが愛なのです。互いを束縛し合うような関係は、やがて破綻してしまうでしょう。」(p.116)
「他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。」(p.132)
「いいですか、われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。」(p.135)
「相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待や信頼に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。
たとえば相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。」(p.143)
「自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。」(p.147)
とりあえず気になったところを引用してみました。
断片的でちょっとわかりづらいかもしれませんが、これまで私が言ってきたようなことが書かれています。
愛とか信じることとか、他人と自分の区分けなど、まさにそうです。
まだ残り半分ありますが、この後も笑っちゃうほどすごいと確信しています。
ぜひ、読んでみてくださいね。
2014年05月08日
「嫌われる勇気」(アドラー心理学)の要点
昨日、すでに紹介した「嫌われる勇気」を読み終えました。
最初から最後まで、笑っちゃうほど嬉しくなりましたよ。
だって、私がこれまで学んできたことが、こんなにきれいに整理されているのですから。
アルフレッド・アドラーという心理学者のことをまったく知らなかったのですが、本当にすごいです。
ということで、忘れないうちにこの本の要点をまとめておきます。
なお、物語的な対話を楽しみたい方にはネタバレになりますから、まず先に本を読まれてくださいね。
人は幸せであろうとして生きていますが、その幸せをこの本ではこう言っています。
「すなわち「幸福とは、貢献感である」。それが幸福の定義です。」(p.253)
では「貢献感」とは何かというと、誰か他の人のために何かをしてあげること。それによって得られる満足感。それが「貢献感」であり、幸せなのです。
よく「お役に立てて嬉しいです」と表現しますが、それがまさに「貢献感」です。
ただこの「貢献感」を得るのに、目に見える貢献は必要ないと言います。
「つまり他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。」(p.252)
つまり、他人からの承認は必要ではなく、単に自分が主観的に貢献しているという気持ちがあれば良い、というわけです。
なぜ他人からの承認が必要ないかというと、他人から承認を得ることに依存すると、自由を失ってしまうからです。
自由を失えば、自分を自分として生きることができません。
「他者の視線を気にして、他者の顔色を窺いながら生きること。他者の望みをかなえるように生きること。たしかに道しるべにはなるかもしれませんが、これは非常に不自由な生き方です。」(p.158)
アドラー心理学では、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えています。
ですから対人関係から解放され、自由になることが、すべての悩みを解消することになります。幸せになるための大前提です。
では、その自由とは何か?
「すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。」(p.162)
「自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。」(p.163)
とは言え、積極的に嫌われることをせよ、というわけではありません。
「嫌われることを怖れるな、といっているのです。」(p.163)
自由を保ち、主体的に他人と関わることで、自分というものを確立することができます。
そういう状態において、「貢献感」を得ることで幸せになれます。
ではこのように、他者からの承認を求めず、「貢献感」を得るためにはどうすればよいかというと、「共同体感覚」を持つことだと言います。
「共同体感覚」とは、「ここにいてもいいんだ」という社会から受容されている感覚のことです。
「具体的には、自己への執着(self interest)を他者への関心(social interest)に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。」(p.226)
「自己受容」と「自己肯定」は別物です。
「自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。」(p.227)
「一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。」(p.227)
「他者信頼」と「他者信用」は別物です。
「他者信用」とは、お金を貸すときのように、条件をつけて信じることです。返してくれるなら貸すというのと同じです。
ですから「他者信用」は、裏切られると傷つきます。
一方の「他者信頼」は、条件をつけないで信じることです。担保など考えずに、無条件に信じることです。
「借金の保証人がそうであるように、こちらが損害を被ることもあるでしょう。それでもなお、信じ続ける態度を信頼と呼ぶのです。」(p.231)
何のために?裏切られて傷つくかもしれないのに、どうしてそこまで他者を信じる必要性があるのでしょう?
「無条件の信頼とは、対人関係をよくするため、横の関係を築いていくための「手段」です。」(p.233)
もし対人関係を築く必要がないなら、ただ関係を切れば良いだけなのです。
それでも信頼するのは、自分が幸せになりたいからです。
「他者貢献」と「自己犠牲」は別物です。
「自己犠牲」は、自分らしく生きることを否定し、相手の望みを叶えようとする生き方です。
一方の「他者貢献」は、自己否定する生き方ではなく、自分のために他者の希望を叶えようとします。
「つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値観を実現するためにこそ、なされるものなのです。」(p.238)
「他者貢献」も「他者信頼」と同様に、他者を重視しているように見えて、実はその目的は自分のためなのです。
これは一見すると偽善のようにも思えますが、そうではありません。
なぜならその他者は、騙して利用するための「敵」ではなく、「仲間」だと考えるからです。
たとえば食事の後の後片付けをする母親は、自分だけが犠牲になっているとは考えません。
誰も感謝してくれなくても、嬉しそうに鼻歌でも歌いながら洗い物をすることができます。
それは、家族という「仲間」の役に立っているという満足感、つまり「他者貢献」している「貢献感」があるからです。
そしてこの「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」というのは、円環構造になっています。
「ありのままの自分を受け入れる−−つまり「自己受容」する−−からこそ、裏切りを怖れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」することができる。さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」することができる。」(p.242)
では、こうした「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」ができるためには、どうすればよいのでしょうか?
「変わることの第一歩は、知ることにあります。」(p.40)
そう言って、ものごとを正しく理解するようにと言います。
これまで、人々の行動は「原因論」によって説明されてきました。
たとえば、子どもの頃に虐待された(原因)ために、大人になって引きこもりになった(結果)というようなものです。
トラウマという考え方も、この「原因論」に沿った考え方です。
しかしアドラーはトラウマを否定します。「原因論」ではなく、「目的論」という立場をとるのです。
たとえば今、引きこもりになっているのは、引きこもりになる目的があったと考えます。
「外に出ない」という目的があれば、そのために不安や恐怖を作り出します。つまり、トラウマを作り出すのです。
なぜ外に出たくないかというと、外に出ないことで親に心配してもらえるからかもしれません。
このことをアドラーは、こう語っているそうです。
「「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック−−いわゆるトラウマ−−に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。」(p.29 - 30)
これまで無意識に、ある目的のために過去の経験を勝手に解釈して、利用してきたのです。
そのことに気づけば、逆にそれを利用することによって、望み通りの自分に変わることができます。
「過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくるのです。」(p.37)
この考え方によれば、こう結論することができます。
「しかし、いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。」(p.45)
環境や過去の出来事のせい(原因)ではなく、自分が不幸でありたいと願う(目的)から、そうなっているのです。
「アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りないのです。」(p.53)
失敗を怖れて何もしないなら、ずっと今のままです。挑戦しなければ失敗はしませんが、自分を進化成長させることはできません。
だから勇気なのです。勇気を出して自分を変えようとすれば、いつでも変えることができます。
では、どうして「勇気」が出せないのでしょう?
そこには「怖れ」があるからです。孤立する怖れです。
アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言しています。
つまり劣等感です。他者と比較することで、自分に価値がないと感じる。その怖れがあるため、勇気を出せないのです。
劣等感が生じるのは、他者と比較するからです。「優越性の追求」と呼ばれる欲求があるため、比較対象より価値のある存在になりたいと思うのです。
しかし比較する対象は、他者である必然性はありません。
「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。」(p.92)
すべての人は同じではないけれども対等です。どんな人にも等しく価値があります。
それを理解せずに、他者との競争に勝つことによって幸せになれると錯覚しているから、なかなか幸せになれないのです。
「「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違うものになります。世界を危険な場所だと思うこともなく、不要な猜疑心に駆られることもなく、世界は安全で快適な場所に映ります。対人関係の悩みだって激減するでしょう。」(p.99)
そこでアドラーは、「人生のタスク」と向き合うことで達成すべき4つの目標を掲げます。
行動の目標2つと、心理面の目標が2つです。
@自立すること
A社会と調和して暮らせること
Bわたしには能力がある、という意識
C人々はわたしの仲間である、という意識
「人生のタスク」とは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」と呼ばれ、対人関係の距離と深さによって分けられた、「直面せざるをえない対人関係」のことです。
このとき、「人生の嘘」から目を逸らさずに、しっかりと見つめることが大切だと言います。
「人生の嘘」とは、「さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとすること」です。
たとえば、「Aさんは約束を守らないから嫌いだ」と考えているとしましょう。
これを目的論で考えると、「Aさんとの関係(人生のタスク)を回避したいから、嫌うためにAさんの欠点を見つけている」となります。
よく、「結婚した時は彼のことが大好きだったけど、今は大嫌い。ご飯を食べるとき、くちゃくちゃと音をたてるのが生理的に嫌なの。」などという話がありますよね。
彼の食べ方が変わったわけではありません。関係を終わらせたいという目的ができたから、嫌うことを見つけて嫌っているのです。
対人関係の悩みを解消するには、自由を捨ててはいけません。自分のライフスタイルは、意識的に自分で決めるべきです。
そのためにまず、承認欲求を否定する必要があります。
「他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。」(p.132)
承認欲求があるのは、他者から認められることで自分の価値を実感したいからです。
これは、子どもの頃に賞罰による教育を受けた影響もあります。
「適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。」(p.134)
こういった、大人の価値観に子どもを従順に従わせようとする教育が、子どものライフスタイルを歪めていると言います。
「いいですか、われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。」(p.135)
他者の期待を満たす必要などない、私たちは自分のために生きているのです。
そしてこのことは、相手に対しても言えます。
「もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思いどおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。」(p.136)
アドラーは、「課題の分離」という考え方をします。
「われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。」(p.140)
そうしておいて、「他者の課題には踏み込まない」ようにします。
「およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと−−あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること−−によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。」(p.140 - 141)
子どもに「勉強しろ!お前のことを考えているから怒るんだ。」という親は、子どもの課題に土足で踏み込んでいるのです。
「誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。」(p.141)
ですから、「勉強しない」という選択によって子どもが困るなら、それは子どもの課題なのです。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。」という諺があるそうですが、まさにその通りなのです。
アドバイスはしても、それを受け入れるかどうかは、本人次第なのです。
そして、「信じる」ということにも、この「課題の分離」が関係します。
「相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。
たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。」(p.145)
このように、「課題の分離」によって自分の責任範囲をしっかりと意識する。
そうやって「人生のタスク」に向き合うことが重要になります。
そのことによって、より自由に生きられるようになるのです。
「自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。」(p.147)
「そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。」(p.150)
このことによって、対人関係の悩みを一変させることになるでしょう。
このようにアドラー心理学は、自立した個人として適切に他者に関与することで「共同体感覚」を持ち、それによって「貢献感」を感じて幸せに生きる、という道を示しています。
最初から最後まで、笑っちゃうほど嬉しくなりましたよ。
だって、私がこれまで学んできたことが、こんなにきれいに整理されているのですから。
アルフレッド・アドラーという心理学者のことをまったく知らなかったのですが、本当にすごいです。
ということで、忘れないうちにこの本の要点をまとめておきます。
なお、物語的な対話を楽しみたい方にはネタバレになりますから、まず先に本を読まれてくださいね。
人は幸せであろうとして生きていますが、その幸せをこの本ではこう言っています。
「すなわち「幸福とは、貢献感である」。それが幸福の定義です。」(p.253)
では「貢献感」とは何かというと、誰か他の人のために何かをしてあげること。それによって得られる満足感。それが「貢献感」であり、幸せなのです。
よく「お役に立てて嬉しいです」と表現しますが、それがまさに「貢献感」です。
ただこの「貢献感」を得るのに、目に見える貢献は必要ないと言います。
「つまり他者貢献していくときのわれわれは、たとえ目に見える貢献でなくとも、「わたしは誰かの役に立っている」という主観的な感覚を、すなわち「貢献感」を持てれば、それでいいのです。」(p.252)
つまり、他人からの承認は必要ではなく、単に自分が主観的に貢献しているという気持ちがあれば良い、というわけです。
なぜ他人からの承認が必要ないかというと、他人から承認を得ることに依存すると、自由を失ってしまうからです。
自由を失えば、自分を自分として生きることができません。
「他者の視線を気にして、他者の顔色を窺いながら生きること。他者の望みをかなえるように生きること。たしかに道しるべにはなるかもしれませんが、これは非常に不自由な生き方です。」(p.158)
アドラー心理学では、「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えています。
ですから対人関係から解放され、自由になることが、すべての悩みを解消することになります。幸せになるための大前提です。
では、その自由とは何か?
「すなわち、「自由とは、他者から嫌われることである」と。」(p.162)
「自由を行使したければ、そこにはコストが伴います。そして対人関係における自由のコストとは、他者から嫌われることなのです。」(p.163)
とは言え、積極的に嫌われることをせよ、というわけではありません。
「嫌われることを怖れるな、といっているのです。」(p.163)
自由を保ち、主体的に他人と関わることで、自分というものを確立することができます。
そういう状態において、「貢献感」を得ることで幸せになれます。
ではこのように、他者からの承認を求めず、「貢献感」を得るためにはどうすればよいかというと、「共同体感覚」を持つことだと言います。
「共同体感覚」とは、「ここにいてもいいんだ」という社会から受容されている感覚のことです。
「具体的には、自己への執着(self interest)を他者への関心(social interest)に切り替え、共同体感覚を持てるようになること。そこで必要になるのが、「自己受容」と「他者信頼」、そして「他者貢献」の3つになります。」(p.226)
「自己受容」と「自己肯定」は別物です。
「自己肯定とは、できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と、自らに暗示をかけることです。」(p.227)
「一方の自己受容とは、仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようになるべく、前に進んでいくことです。」(p.227)
「他者信頼」と「他者信用」は別物です。
「他者信用」とは、お金を貸すときのように、条件をつけて信じることです。返してくれるなら貸すというのと同じです。
ですから「他者信用」は、裏切られると傷つきます。
一方の「他者信頼」は、条件をつけないで信じることです。担保など考えずに、無条件に信じることです。
「借金の保証人がそうであるように、こちらが損害を被ることもあるでしょう。それでもなお、信じ続ける態度を信頼と呼ぶのです。」(p.231)
何のために?裏切られて傷つくかもしれないのに、どうしてそこまで他者を信じる必要性があるのでしょう?
「無条件の信頼とは、対人関係をよくするため、横の関係を築いていくための「手段」です。」(p.233)
もし対人関係を築く必要がないなら、ただ関係を切れば良いだけなのです。
それでも信頼するのは、自分が幸せになりたいからです。
「他者貢献」と「自己犠牲」は別物です。
「自己犠牲」は、自分らしく生きることを否定し、相手の望みを叶えようとする生き方です。
一方の「他者貢献」は、自己否定する生き方ではなく、自分のために他者の希望を叶えようとします。
「つまり他者貢献とは、「わたし」を捨てて誰かに尽くすことではなく、むしろ「わたし」の価値観を実現するためにこそ、なされるものなのです。」(p.238)
「他者貢献」も「他者信頼」と同様に、他者を重視しているように見えて、実はその目的は自分のためなのです。
これは一見すると偽善のようにも思えますが、そうではありません。
なぜならその他者は、騙して利用するための「敵」ではなく、「仲間」だと考えるからです。
たとえば食事の後の後片付けをする母親は、自分だけが犠牲になっているとは考えません。
誰も感謝してくれなくても、嬉しそうに鼻歌でも歌いながら洗い物をすることができます。
それは、家族という「仲間」の役に立っているという満足感、つまり「他者貢献」している「貢献感」があるからです。
そしてこの「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」というのは、円環構造になっています。
「ありのままの自分を受け入れる−−つまり「自己受容」する−−からこそ、裏切りを怖れることなく「他者信頼」することができる。そして他者に無条件の信頼を寄せて、人々は自分の仲間だと思えているからこそ、「他者貢献」することができる。さらには他者に貢献するからこそ、「わたしは誰かの役に立っている」と実感し、ありのままの自分を受け入れることができる。「自己受容」することができる。」(p.242)
では、こうした「自己受容」「他者信頼」「他者貢献」ができるためには、どうすればよいのでしょうか?
「変わることの第一歩は、知ることにあります。」(p.40)
そう言って、ものごとを正しく理解するようにと言います。
これまで、人々の行動は「原因論」によって説明されてきました。
たとえば、子どもの頃に虐待された(原因)ために、大人になって引きこもりになった(結果)というようなものです。
トラウマという考え方も、この「原因論」に沿った考え方です。
しかしアドラーはトラウマを否定します。「原因論」ではなく、「目的論」という立場をとるのです。
たとえば今、引きこもりになっているのは、引きこもりになる目的があったと考えます。
「外に出ない」という目的があれば、そのために不安や恐怖を作り出します。つまり、トラウマを作り出すのです。
なぜ外に出たくないかというと、外に出ないことで親に心配してもらえるからかもしれません。
このことをアドラーは、こう語っているそうです。
「「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分の経験によるショック−−いわゆるトラウマ−−に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」と。」(p.29 - 30)
これまで無意識に、ある目的のために過去の経験を勝手に解釈して、利用してきたのです。
そのことに気づけば、逆にそれを利用することによって、望み通りの自分に変わることができます。
「過去にどんな出来事があったとしても、そこにどんな意味づけをほどこすかによって、現在のあり方は決まってくるのです。」(p.37)
この考え方によれば、こう結論することができます。
「しかし、いまのあなたが不幸なのは自らの手で「不幸であること」を選んだからなのです。」(p.45)
環境や過去の出来事のせい(原因)ではなく、自分が不幸でありたいと願う(目的)から、そうなっているのです。
「アドラー心理学は、勇気の心理学です。あなたが不幸なのは、過去や環境のせいではありません。ましてや能力が足りないのでもない。あなたには、ただ”勇気”が足りない。いうなれば「幸せになる勇気」が足りないのです。」(p.53)
失敗を怖れて何もしないなら、ずっと今のままです。挑戦しなければ失敗はしませんが、自分を進化成長させることはできません。
だから勇気なのです。勇気を出して自分を変えようとすれば、いつでも変えることができます。
では、どうして「勇気」が出せないのでしょう?
そこには「怖れ」があるからです。孤立する怖れです。
アドラーは、「人間の悩みは、すべて対人関係の悩みである」と断言しています。
つまり劣等感です。他者と比較することで、自分に価値がないと感じる。その怖れがあるため、勇気を出せないのです。
劣等感が生じるのは、他者と比較するからです。「優越性の追求」と呼ばれる欲求があるため、比較対象より価値のある存在になりたいと思うのです。
しかし比較する対象は、他者である必然性はありません。
「健全な劣等感とは、他者との比較のなかで生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるものです。」(p.92)
すべての人は同じではないけれども対等です。どんな人にも等しく価値があります。
それを理解せずに、他者との競争に勝つことによって幸せになれると錯覚しているから、なかなか幸せになれないのです。
「「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方はまったく違うものになります。世界を危険な場所だと思うこともなく、不要な猜疑心に駆られることもなく、世界は安全で快適な場所に映ります。対人関係の悩みだって激減するでしょう。」(p.99)
そこでアドラーは、「人生のタスク」と向き合うことで達成すべき4つの目標を掲げます。
行動の目標2つと、心理面の目標が2つです。
@自立すること
A社会と調和して暮らせること
Bわたしには能力がある、という意識
C人々はわたしの仲間である、という意識
「人生のタスク」とは、「仕事のタスク」「交友のタスク」「愛のタスク」と呼ばれ、対人関係の距離と深さによって分けられた、「直面せざるをえない対人関係」のことです。
このとき、「人生の嘘」から目を逸らさずに、しっかりと見つめることが大切だと言います。
「人生の嘘」とは、「さまざまな口実を設けて人生のタスクを回避しようとすること」です。
たとえば、「Aさんは約束を守らないから嫌いだ」と考えているとしましょう。
これを目的論で考えると、「Aさんとの関係(人生のタスク)を回避したいから、嫌うためにAさんの欠点を見つけている」となります。
よく、「結婚した時は彼のことが大好きだったけど、今は大嫌い。ご飯を食べるとき、くちゃくちゃと音をたてるのが生理的に嫌なの。」などという話がありますよね。
彼の食べ方が変わったわけではありません。関係を終わらせたいという目的ができたから、嫌うことを見つけて嫌っているのです。
対人関係の悩みを解消するには、自由を捨ててはいけません。自分のライフスタイルは、意識的に自分で決めるべきです。
そのためにまず、承認欲求を否定する必要があります。
「他者から承認される必要などありません。むしろ、承認を求めてはいけない。」(p.132)
承認欲求があるのは、他者から認められることで自分の価値を実感したいからです。
これは、子どもの頃に賞罰による教育を受けた影響もあります。
「適切な行動をとったら、ほめてもらえる。不適切な行動をとったら、罰せられる。アドラーは、こうした賞罰による教育を厳しく批判しました。賞罰教育の先に生まれるのは「ほめてくれる人がいなければ、適切な行動をしない」「罰する人がいなければ、不適切な行動もとる」という、誤ったライフスタイルです。」(p.134)
こういった、大人の価値観に子どもを従順に従わせようとする教育が、子どものライフスタイルを歪めていると言います。
「いいですか、われわれは「他者の期待を満たすために生きているのではない」のです。」(p.135)
他者の期待を満たす必要などない、私たちは自分のために生きているのです。
そしてこのことは、相手に対しても言えます。
「もしもあなたが「他者の期待を満たすために生きているのではない」のだとしたら、他者もまた「あなたの期待を満たすために生きているのではない」のです。相手が自分の思いどおりに動いてくれなくても、怒ってはいけません。それが当たり前なのです。」(p.136)
アドラーは、「課題の分離」という考え方をします。
「われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要があるのです。」(p.140)
そうしておいて、「他者の課題には踏み込まない」ようにします。
「およそあらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと−−あるいは自分の課題に土足で踏み込まれること−−によって引き起こされます。課題の分離ができるだけで、対人関係は激変するでしょう。」(p.140 - 141)
子どもに「勉強しろ!お前のことを考えているから怒るんだ。」という親は、子どもの課題に土足で踏み込んでいるのです。
「誰の課題かを見分ける方法はシンプルです。「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」を考えてください。」(p.141)
ですから、「勉強しない」という選択によって子どもが困るなら、それは子どもの課題なのです。
「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を飲ませることはできない。」という諺があるそうですが、まさにその通りなのです。
アドバイスはしても、それを受け入れるかどうかは、本人次第なのです。
そして、「信じる」ということにも、この「課題の分離」が関係します。
「相手のことを信じること。これはあなたの課題です。しかし、あなたの期待に対して相手がどう動くかは、他者の課題なのです。そこの線引きをしないままに自分の希望を押しつけると、たちまちストーカー的な「介入」になってしまいます。
たとえ相手が自分の希望通りに動いてくれなかったとしてもなお、信じることができるか。愛することができるか。アドラーの語る「愛のタスク」には、そこまでの問いかけが含まれています。」(p.145)
このように、「課題の分離」によって自分の責任範囲をしっかりと意識する。
そうやって「人生のタスク」に向き合うことが重要になります。
そのことによって、より自由に生きられるようになるのです。
「自らの生について、あなたにできるのは「自分の信じる最善の道を選ぶこと」、それだけです。一方で、その選択について他者がどのような評価を下すのか。これは他者の課題であって、あなたにはどうにもできない話です。」(p.147)
「そして他者の課題には介入せず、自分の課題には誰ひとりとして介入させない。」(p.150)
このことによって、対人関係の悩みを一変させることになるでしょう。
このようにアドラー心理学は、自立した個人として適切に他者に関与することで「共同体感覚」を持ち、それによって「貢献感」を感じて幸せに生きる、という道を示しています。
2014年05月12日
アドラー心理学入門
前回、「嫌われる勇気」で紹介したアドラー心理学ですが、その入門書を読みました。
こちらも著者は同じで、岸見一郎氏の本になります。
「嫌われる勇気」でアドラー心理学のことがかなりわかっていたので、とても読みやすかったです。
また、前回の本とは違った気づきもあり、興味深く読まさせていただきました。
アドラーは、母親との関係があまり良好ではなく、父親との関係が良好だったのだそうです。
通常はその逆のパターンが多いのですが、こういったところに、アドラー心理学が生まれた背景があることが、この本でわかりました。
そしてこのアドラー心理学は、子育てということを非常に意識したものだということもわかりました。
前回の本では、「人生の目標」として4つあることが書かれていたのですが、この本では「育児の目標」と書かれています。
たしかに、「育児の目標」と言われた方がすっきりします。前回の本では、なぜそれが「人生の目標」として出てきたのか、唐突感が拭えませんでしたから。
「まず育児の行動面の目標として、
一、自立する
二、社会と調和して暮らせる
ということ。
そしてこれを支える心理面の目標として、
一、私は能力がある
二、人々は私の仲間である
という目標を提示します。」(p.39 - 40)
つまり、子どもがこうなるように育てよう、ということですよね。
そしてカウンセリングなどでその人のライフスタイル(物事に対する見方)を変えようとするのですが、ライフスタイルを変えることは容易ではないと、一般的には思われています。
それに対して、このように言います。
「見方を変えるならば、人は不断に変わらないでおこうという決心をしているのであり、そのような決心を取り消せば、ライフスタイルを変えることは可能です。」(p.41)
つまり、ライフスタイルを自分が決めているのは当然として、それを変えないと決めているのも自分だと言うのです。
その自分の考え方を変えるなら、ライフスタイルも変えられるということなのです。
多くの場合、感情的になってしまうことが、私たちを惑わせます。それについて、こう言っています。
「感情は多くの場合相手にこちらのいうことをきかせようというふうに相手を動かすために使うのです。」(p.49)
感情に突き動かされていると思いがちですが、そうではないと言うのですね。
私たちが他人を動かそうとしていて、その目的のために感情を利用しているのだと。
子どもの行動の目的は、最初は相手の注目を引くというケースが多いです。
食べ物を口に入れても飲み込まない子どもというのは、そうやって親の注目を引こうとしているのだと。
ところがそれが高じると、権力争いに突入します。相手が困ることを、積極的にやるようになるのです。
こうした行動をとるのは、愛情飢餓のケースが多いと言います。つまり、愛されたい欲求から起こすのです。
しかし、愛情があることと、子どもに適切な対応ができることとは、別のことだと言います。
子どもが愛されていないと感じるのは、親の愛情がないからではなく、コミュニケーションのスキルが足りないだけのケースが多いと。
ですからまずは、技術を学ぶことが重要だと言います。
それと同時に、過ぎ去った過去は変えられないし、過去にこだわる必要はないと言います。
「過去は変えることはできませんが、未来なら変えることはできますし、目的は人の中にあるので、たとえ過去や外的なことの何一つ変えることができなくてもいいのです。」(p.57)
アドラー心理学では、出来事が何かの意味を持つのではなく、自分がその出来事に意味を与えている、という立場を取ります。
つまり自分の自由意志で、そこに与える意味を決めています。
自分が自由に決めているのですから、自分で変えることができます。
そこには厳しさもありますが、自由のコストとしての他人から嫌われることを受け入れる勇気があれば、自分らしく生きることができると指摘するのです。
「私たちのことをよくは思わない人がいるということは、私たちが自由に生きているということ、自分の生き方を貫いているということ、また、自分の方針に従って生きているということの証拠ですし、自由に生きるために支払わなければならない代償であると考えていいのです。」(p.151)
2014年05月14日
息をするように「ありがとう」と言う
以前に紹介した「ザ・マジック」という本を読んでいます。
これは28日間の実践的なレッスン書です。
その内容は、感謝の魔法(マジック)を修得する様々なレッスンなのです。
この中で、特に私が素晴らしいなと感じたレッスンをシェアします。
それは、歩きながら「ありがとう」とつぶやくレッスンです。
口に出さずに、心の中でつぶやいてもOKです。
本には、1歩歩くごとに「ありがとう」と言うようになっていますが、ちょっとテンポが合いません。
原書は英語なので、おそらく「Thank you」か「Thanks」と言うように書かれてあるのでしょう。これなら歩くテンポでも言えますから。
それで私は、片方の足を踏み出す時に「ありが」と言い、もう片方を踏み出す時に「とう」と言うようにしました。
つまり、「イチ、ニー、イチ、ニー」のテンポで歩くのに合わせて、「ありが、とう、ありが、とう」と言うのです。
小林正観さんは、「ありがとう」を日に1万回唱えるということを言われたり、斎藤一人さんは1日に100回以上「ありがとう」と言おうと言われています。
このように、ともかく「ありがとう」と言葉にすることが重要だなと、このレッスンをやってみてわかりました。
なぜなら、「ありがとう」とつぶやいていると、有り難く感じることが見つかるようになるからです。
「ありがとう」と言いながら、不平不満は言えません。
ですから、歩きながら「ありが、とう、ありが、とう」とつぶやくと良いと思います。
ホ・オポノポノでは、息をするようにクリーニングをしましょうと言います。
クリーニングの方法はいろいろありますが、「ありがとう」「ごめんなさい」「許してね」「愛してます」の4つの言葉を言うことが代表的なクリーニングです。
この言葉を言う時、気持ちを込めなくて良いと言います。
それなら、歩きながらの「ありがとう」は、まさにクリーニングそのものではありませんか。
ともかくやってみてください。
少なくとも悪いことにはなりませんからね。
これは28日間の実践的なレッスン書です。
その内容は、感謝の魔法(マジック)を修得する様々なレッスンなのです。
この中で、特に私が素晴らしいなと感じたレッスンをシェアします。
それは、歩きながら「ありがとう」とつぶやくレッスンです。
口に出さずに、心の中でつぶやいてもOKです。
本には、1歩歩くごとに「ありがとう」と言うようになっていますが、ちょっとテンポが合いません。
原書は英語なので、おそらく「Thank you」か「Thanks」と言うように書かれてあるのでしょう。これなら歩くテンポでも言えますから。
それで私は、片方の足を踏み出す時に「ありが」と言い、もう片方を踏み出す時に「とう」と言うようにしました。
つまり、「イチ、ニー、イチ、ニー」のテンポで歩くのに合わせて、「ありが、とう、ありが、とう」と言うのです。
小林正観さんは、「ありがとう」を日に1万回唱えるということを言われたり、斎藤一人さんは1日に100回以上「ありがとう」と言おうと言われています。
このように、ともかく「ありがとう」と言葉にすることが重要だなと、このレッスンをやってみてわかりました。
なぜなら、「ありがとう」とつぶやいていると、有り難く感じることが見つかるようになるからです。
「ありがとう」と言いながら、不平不満は言えません。
ですから、歩きながら「ありが、とう、ありが、とう」とつぶやくと良いと思います。
ホ・オポノポノでは、息をするようにクリーニングをしましょうと言います。
クリーニングの方法はいろいろありますが、「ありがとう」「ごめんなさい」「許してね」「愛してます」の4つの言葉を言うことが代表的なクリーニングです。
この言葉を言う時、気持ちを込めなくて良いと言います。
それなら、歩きながらの「ありがとう」は、まさにクリーニングそのものではありませんか。
ともかくやってみてください。
少なくとも悪いことにはなりませんからね。
2014年05月19日
ミュージカルを観に行きました
先週の土曜日、友人と一緒にミュージカルを観に行きました。
劇団「サザン天都」の演劇で、「キャバレー2014」というオリジナル脚本によるものです。
長年、同劇団の代表を務めてきた大倉佳代さんの追悼公演だそうです。
大倉さんは、2012年6月から病気のために日本で療養されていたそうです。
1年ほど前から今回の公演のためにと、ベッドの上で精力的に執筆してこられたのだとか。
本番はぜひ自分の目で見たいと、バンコクへ行くことを夢見ておられたそうですが、2月20日に亡くなられたそうです。
その話を知った時、なぜだかチンタナーさんのことを思い出しましたよ。
舞台は場末のキャバレーです。
客が減り、何とか事態を打開したいと考えるディレクター。
自分の熱い思いが、ダンサーたちにはなかなか伝わらないもどかしさを抱えています。
そんな中で、ひょうひょうとした感じのMC(社長)と、夢について語り合います。
お互いの夢を語る中で、ダンサーたちに委ねてみたらどうかという考えが…。
ダンサーたちの思いも様々です。
しかし、いつしか反発する気持ちや、自分はダメだという思いを乗り越えて、このキャバレーを盛り上げようとする気持ちで一つになるのです。
今、日本にはキャバレーというものが存在するのでしょうか?
ただお色気を振りまくだけでなく、芸で客を魅了するような店。
もしそういう店があるなら、いってみたいなあと、このミュージカルを観て思いました。
人が夢に生きるとき、たとえそれがどんなにちっぽけなものであっても、その姿は美しいと思います。
そんな美しさを、このミュージカルは示してくれました。
ありがとう、劇団「サザン天都」のみなさん。
劇団「サザン天都」の演劇で、「キャバレー2014」というオリジナル脚本によるものです。
長年、同劇団の代表を務めてきた大倉佳代さんの追悼公演だそうです。
大倉さんは、2012年6月から病気のために日本で療養されていたそうです。
1年ほど前から今回の公演のためにと、ベッドの上で精力的に執筆してこられたのだとか。
本番はぜひ自分の目で見たいと、バンコクへ行くことを夢見ておられたそうですが、2月20日に亡くなられたそうです。
その話を知った時、なぜだかチンタナーさんのことを思い出しましたよ。
舞台は場末のキャバレーです。
客が減り、何とか事態を打開したいと考えるディレクター。
自分の熱い思いが、ダンサーたちにはなかなか伝わらないもどかしさを抱えています。
そんな中で、ひょうひょうとした感じのMC(社長)と、夢について語り合います。
お互いの夢を語る中で、ダンサーたちに委ねてみたらどうかという考えが…。
ダンサーたちの思いも様々です。
しかし、いつしか反発する気持ちや、自分はダメだという思いを乗り越えて、このキャバレーを盛り上げようとする気持ちで一つになるのです。
今、日本にはキャバレーというものが存在するのでしょうか?
ただお色気を振りまくだけでなく、芸で客を魅了するような店。
もしそういう店があるなら、いってみたいなあと、このミュージカルを観て思いました。
人が夢に生きるとき、たとえそれがどんなにちっぽけなものであっても、その姿は美しいと思います。
そんな美しさを、このミュージカルは示してくれました。
ありがとう、劇団「サザン天都」のみなさん。
2014年05月22日
なんばセミナー「賢くて幸せな子供の育て方」
来月、大阪でセミナーを開くことになりましたのでお知らせします。
●タイトル:
なんばセミナー「賢くて幸せな子供の育て方」
●日時:2014年6月7日(土)17:00〜
●場所:大阪・難波
(申込者に詳細な場所をお知らせします)
●参加費:1,000円
(6月以降の申込みは2,000円になります)
詳細およびお申し込みは、以下のページをご覧ください。
→セミナーの詳細とお申込みはこちら
今回は、3人の講師によるコラボセミナーとなります。
1人目は、2歳3歳専門の子育てアドバイザーの広瀬つみきさん。
子育てで苦労されてるママの味方になりたいと、精力的に活動されています。
なかなか言うことを聞いてくれない幼児に対して、どうしたらよいのかを、明快に示してくれますよ。
2人目は、宝地図ナビゲーターの大平和幸さん。
大平さんは、本業は特許の申請を行う弁理士ですが、宝地図ナビゲーター、マイケル・ボルダック認定コーチなど、幅広い分野で活躍されています。
今回は、潜在意識を活用することで成績がぐんぐん上がり、東大や京大も夢じゃなくなるという方法を話してくれるそうです。
3人目は私、幸せ実践塾・塾長の赤木篤です。
「誰もが、今あるそのままで、たいした努力もせずに、簡単に幸せになれる」という、幸せ実践塾の理論と実践について語ります。
ベースとなるのは、今年1月に東京で行ったセミナーの内容です。(セミナーの様子)
これを少しアレンジして、子育てに関心がある方に向けて、「幸せな子どもに育てたかったら、まず親自身が幸せになりましょう」というメッセージを発信したいと思っています。
こんな3人のセミナーが、わずか1,000円で聞けるという滅多にないチャンスです。
各講師からの特典もありますので、お見逃しなく!
●タイトル:
なんばセミナー「賢くて幸せな子供の育て方」
●日時:2014年6月7日(土)17:00〜
●場所:大阪・難波
(申込者に詳細な場所をお知らせします)
●参加費:1,000円
(6月以降の申込みは2,000円になります)
詳細およびお申し込みは、以下のページをご覧ください。
→セミナーの詳細とお申込みはこちら
今回は、3人の講師によるコラボセミナーとなります。
1人目は、2歳3歳専門の子育てアドバイザーの広瀬つみきさん。
子育てで苦労されてるママの味方になりたいと、精力的に活動されています。
なかなか言うことを聞いてくれない幼児に対して、どうしたらよいのかを、明快に示してくれますよ。
2人目は、宝地図ナビゲーターの大平和幸さん。
大平さんは、本業は特許の申請を行う弁理士ですが、宝地図ナビゲーター、マイケル・ボルダック認定コーチなど、幅広い分野で活躍されています。
今回は、潜在意識を活用することで成績がぐんぐん上がり、東大や京大も夢じゃなくなるという方法を話してくれるそうです。
3人目は私、幸せ実践塾・塾長の赤木篤です。
「誰もが、今あるそのままで、たいした努力もせずに、簡単に幸せになれる」という、幸せ実践塾の理論と実践について語ります。
ベースとなるのは、今年1月に東京で行ったセミナーの内容です。(セミナーの様子)
これを少しアレンジして、子育てに関心がある方に向けて、「幸せな子どもに育てたかったら、まず親自身が幸せになりましょう」というメッセージを発信したいと思っています。
こんな3人のセミナーが、わずか1,000円で聞けるという滅多にないチャンスです。
各講師からの特典もありますので、お見逃しなく!
2014年05月28日
笑顔と感謝のワーク
笑顔には、様々な効能があります。
まず免疫力が上がります。
そして、無財の七施にも含まれているように、周りの人を幸せな気分にさせます。
他の動物にはない「笑う」という行為は、人間の人間たる特徴と言えるでしょう。
そして、笑顔でいればツイてきます。ラッキーだという気分になれるからです。
次に感謝ですが、これもたくさんの効能がありますよ。
「ありがとう」と言うことで、運が良くなると言います。
五日市剛さんの「ツキを呼ぶ「魔法の言葉」」でも、「ありがとう」と言うことを勧めています。
他にも斎藤一人さんや小林正観さんなども、「ありがとう」とたくさん言うようにと言っていますね。
また、「ありがとう」と言うだけで、難しい問題が解決してしまいます。
問題解決手法のホ・オポノポノでは、問題が生じるのはウニヒピリ(潜在意識)が記憶を見せてくれているのだから、それをクリーニングするように言っています。
そのクリーニングの言葉の中に「ありがとう」があるのです。
そして当然、「ありがとう」と言えば、相手も嬉しくなりますよね。人間関係が良くなります。
このように笑顔と感謝には、絶大な効能があることが知られています。
これほど効果的な笑顔と感謝ですが、これがなかなかできないものなのです。
特に体調が悪かったり、あるいは気分が優れなかったりすると、なかなか笑顔になれませんし、「ありがとう」だって言いづらいもの。
だから、ワークなのです。がんばって笑顔を作るのです。がんばって「ありがとう」と言うのです。
ワークをすることで、笑顔と感謝の習慣が身につきます。
それによって、少々難しい場面でも、自然と笑顔と感謝ができるようになります。
そして、運が良くなり、免疫力がアップし、問題が解決し、人間関係が良くなるのです。
さあ、あなたも、笑顔と感謝のワークをやってみましょう!
まず免疫力が上がります。
そして、無財の七施にも含まれているように、周りの人を幸せな気分にさせます。
他の動物にはない「笑う」という行為は、人間の人間たる特徴と言えるでしょう。
そして、笑顔でいればツイてきます。ラッキーだという気分になれるからです。
次に感謝ですが、これもたくさんの効能がありますよ。
「ありがとう」と言うことで、運が良くなると言います。
五日市剛さんの「ツキを呼ぶ「魔法の言葉」」でも、「ありがとう」と言うことを勧めています。
他にも斎藤一人さんや小林正観さんなども、「ありがとう」とたくさん言うようにと言っていますね。
また、「ありがとう」と言うだけで、難しい問題が解決してしまいます。
問題解決手法のホ・オポノポノでは、問題が生じるのはウニヒピリ(潜在意識)が記憶を見せてくれているのだから、それをクリーニングするように言っています。
そのクリーニングの言葉の中に「ありがとう」があるのです。
そして当然、「ありがとう」と言えば、相手も嬉しくなりますよね。人間関係が良くなります。
このように笑顔と感謝には、絶大な効能があることが知られています。
これほど効果的な笑顔と感謝ですが、これがなかなかできないものなのです。
特に体調が悪かったり、あるいは気分が優れなかったりすると、なかなか笑顔になれませんし、「ありがとう」だって言いづらいもの。
だから、ワークなのです。がんばって笑顔を作るのです。がんばって「ありがとう」と言うのです。
ワークをすることで、笑顔と感謝の習慣が身につきます。
それによって、少々難しい場面でも、自然と笑顔と感謝ができるようになります。
そして、運が良くなり、免疫力がアップし、問題が解決し、人間関係が良くなるのです。
さあ、あなたも、笑顔と感謝のワークをやってみましょう!
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。