明けまして、おめでとうございます。
本年もどうぞ、よろしくお願いします。
ということで、縁起よく富士山の写真を載せてみました。
もちろん私が撮ったものじゃなく、無料画像のサイトでいただいたものです。
日本では、空気が澄み切っていて、こんな富士山が見られたのでしょうね。
先週まで気温が下がっていたタイですが、今週からいつもどおりになりました。
バンコクの最低気温が23から25度くらいです。先週までは20度を切ってましたから。
朝浴びる水シャワーが冷たくて、気合が必要でしたよ。(一応、温水も出ますけど。)
最高気温は30から33度くらいでしょうか。
日本の東京は、零下になることが滅多にないと認識していたのですが、今年は寒いようですね。
ここのところそれほどでもなかったようですが、また今週末からぐんと下がるようです。
調べてみたら、金曜から1周間、最低気温が零下で、最高も5度くらいだとか。
なんでまたそんな寒い時に、帰国することになっちゃったんでしょうね。
13日(月)にセミナーをやるのと、14日に同窓会があるので、それに合わせて帰国することになっています。
まあでも、これも運命というか、きっとそういう体験が必要だという私の魂の導きなのでしょう。
この世に偶然は何一つなく、すべては必然で無駄がないのですから。
ですから、昨年の札幌に近い寒さを体験したいと思います。(うーっ、寒そう!)
13日のセミナーですが、お陰様でほぼ定員に達しました。
あと1名か2名なら、なんとか席を増やせそうですから、ぜひという方はお申し込みくださいね。
→セミナー:「誰もが幸せに生きる方法 〜「神との対話」より」はこちらから
2014年01月07日
2014年01月10日
1月13日のセミナーが楽しみです
募集していました1月13日のセミナー「誰もが幸せに生きる方法 〜「神との対話」より」ですが、お陰様で募集定員に達しました。
どうも、ありがとうございました。m(_ _)m
テキストも完成し、あとはこれを人数分印刷するだけです。
しかし、半日のセミナーだと言うのに、なんと50ページ超のボリュームがあります。
あれも話したい、これも話したいと考えているうちに、おそろしく膨らんでしまいました。
リハーサルもやったのですが、どうやっても1日半から2日の時間が必要です。うーん、困った・・・。
これをどう削って、それでいてわかりやすく、印象に残る、感動的なセミナーにするか・・・。
腕の見せどころですね。ワクワクします。(*^_^*)
と言うことで、13日お会いするみなさん、期待していてくださいね。
お会いできることを、心より楽しみにしています。
なお、セミナー会場の都合で、簡単に定員を増やすことができません。
無理して増やせても、あと1名くらいがよいところ。
もし、これからどうしても参加したいという方がおられましたら、申し込まれる前にメールなどでご確認ください。
どうぞ、よろしくお願いします。
どうも、ありがとうございました。m(_ _)m
テキストも完成し、あとはこれを人数分印刷するだけです。
しかし、半日のセミナーだと言うのに、なんと50ページ超のボリュームがあります。
あれも話したい、これも話したいと考えているうちに、おそろしく膨らんでしまいました。
リハーサルもやったのですが、どうやっても1日半から2日の時間が必要です。うーん、困った・・・。
これをどう削って、それでいてわかりやすく、印象に残る、感動的なセミナーにするか・・・。
腕の見せどころですね。ワクワクします。(*^_^*)
と言うことで、13日お会いするみなさん、期待していてくださいね。
お会いできることを、心より楽しみにしています。
なお、セミナー会場の都合で、簡単に定員を増やすことができません。
無理して増やせても、あと1名くらいがよいところ。
もし、これからどうしても参加したいという方がおられましたら、申し込まれる前にメールなどでご確認ください。
どうぞ、よろしくお願いします。
2014年01月15日
セミナーを行いました
今朝、日本からバンコクへ戻ってきました。
13日のセミナーは、お陰様で大盛況でした。
想定していた以上に時間が押してしまって、後半は駆け足状態に。
それでもポイントだけは伝えて、あとは50ページ超のテキストを読んでくださいという感じで終わってしまいました。
本来なら、一つひとつじっくりと説明したいくらいのテーマで、1週間くらいの合宿でやっても良さそうな内容です。
まあ今回は、常識的な考え方とはまったく違うんだということに気づいてもらえれば、それだけでもOKかなと思いながらやりました。
それにしても、日本は寒いですね。
暖房も控えめのようで、すきま風と言うか、部屋の中でも冷たい風が背中や足に。
おかげで少し鼻風邪気味です。
でも、セミナーではきちんと話ができたし、まずまず良かったなと思っています。
今度は、セラピストさん向けの、「クライアントの重い意識をもらっても幸せで仕事をする方法」などもいいかな、なんて思いつきました。
他人の悩みを聞いてあげる仕事というのは、真剣になればなるほど、相手の重さに圧倒されがちです。
そこでどう気持ちを切り替えるのか、ということが課題になっているように感じました。
これは、いつもご主人の愚痴を聞かされる奥様にも役立つかも。
実践(ワーク)込みで、2〜3日くらいのセミナーができそうな気がしましたよ。
まあそうは言ってもタイで暮らしているので、そう簡単に日本へは行けませんけどね。
そういう機会があれば、ぜひお誘いください。
13日のセミナーは、お陰様で大盛況でした。
想定していた以上に時間が押してしまって、後半は駆け足状態に。
それでもポイントだけは伝えて、あとは50ページ超のテキストを読んでくださいという感じで終わってしまいました。
本来なら、一つひとつじっくりと説明したいくらいのテーマで、1週間くらいの合宿でやっても良さそうな内容です。
まあ今回は、常識的な考え方とはまったく違うんだということに気づいてもらえれば、それだけでもOKかなと思いながらやりました。
それにしても、日本は寒いですね。
暖房も控えめのようで、すきま風と言うか、部屋の中でも冷たい風が背中や足に。
おかげで少し鼻風邪気味です。
でも、セミナーではきちんと話ができたし、まずまず良かったなと思っています。
今度は、セラピストさん向けの、「クライアントの重い意識をもらっても幸せで仕事をする方法」などもいいかな、なんて思いつきました。
他人の悩みを聞いてあげる仕事というのは、真剣になればなるほど、相手の重さに圧倒されがちです。
そこでどう気持ちを切り替えるのか、ということが課題になっているように感じました。
これは、いつもご主人の愚痴を聞かされる奥様にも役立つかも。
実践(ワーク)込みで、2〜3日くらいのセミナーができそうな気がしましたよ。
まあそうは言ってもタイで暮らしているので、そう簡単に日本へは行けませんけどね。
そういう機会があれば、ぜひお誘いください。
2014年01月16日
あなたは「このため」に生まれてきた!
心屋仁之助さんの本です。これは文庫本なのですが、自分の使命がわかるかのようなタイトルに惹かれて買ってみました。
予想通りというか、こういう類の本を読んでも、そこに「あなたの使命はこれです」みたいに書かれているわけではありません。
ただ、運命を切り開くために、やりたいことをやるようにと言っているだけです。
「だから、「やりたくないこと」を早くやめて、「やりたいこと」をしてほしいのです。「損してもいい」と思いながら。」(p.218)
私自身、損する覚悟を決めることによって、自分らしく生きられるようになったという体験があります。
また、損すると思いながらやったことで、実際は何も損ではなかった(考え方にもよりますが)という体験もしています。
ですから、心屋さんが言われることは、まさにその通りだと、すーっと心に入ってきます。
この本で心屋さんは、本音を言うことを勧めています。相手に対してではなく、自分に対してです。
つまりひとりごとのように言うことによって、自分がどう感じているかを明確にするのです。
「手始めにまず、「やってみようかな」と口に出してみてください。その後に、「ああ、面倒くさいな」「ああ、やりたくないな」「ああ、イヤだな」と本音をまた口にしてみます。」(p.189)
こんなふうに口にだすことで、気持ちに変化が生まれると言うのです。そして「本当の意味での強さ(自分への愛情)が手に入」るのだと。
弱音を吐いてはいけないとか、マイナス言葉を使わないようにしようという考えももっともだと思いますが、感情をすべて感じ切るということも大事なのことだと思います。
ですから、感じてしまったものはしょうがないので、それを認める(受け入れる)という意味で、ひとりごとにするのです。
変に抑圧してしまうと、自分自身を見失います。だから自分に正直になって、「今はこんなふうに感じちゃったんだよね。よしよし。」みたいに、なだめてあげることが良いと思います。
心屋さんのメッセージを読んでいると、実に「神との対話」シリーズで言われていることとの共通点が多いことに驚きます。
人類は、着実に進化成長する方向に動いているように思うのです。
2014年01月17日
運命の出会いについて
これは、Facebookページ「幸せ実践塾」に載せた記事の転載です。
誰にでも、運命的な出会いと思えるものがあります。
これは私の、運命的な出会いのひとつです。
あれは、2006年9月21日のことでした。
貧しい子どもたちの支援をしているボランティア団体の会報誌に、気になる記事が載っていたのです。
大きな白黒の写真には、小さなミシンを目の前に置いた痩せ細った少女の姿が写っていました。
少女は、ただひたすらに縫い物をしているようで、その横顔から表情を伺うことはできません。
かろうじて、部屋の向こう側にある鏡に少女の顔が写っていますが、これもピンボケのため、どんな顔なのかもわかりません。
わかるのは、ただおそろしく痩せこけているということ。
記事には、いわゆるクロントイのスラムに暮らすチンタナー・コンマンさん23歳とありました。
世界的にも珍しい心肺同時移植手術を13歳で受けたものの、余命3年と診断され、高価な免疫抑制剤を飲みながら、激しい副作用とたたかっているのだと。
治療費は国などが出してくれているようですが、彼女は自分が勉強するノート代くらいは自分で稼ぎたいと、アルバイトをしているのだそうです。
両親の経済的な負担を減らしたいという思いもあったでしょう。
体調が悪くて苦しい時でも、彼女は弱音をはかない。いつも明るく、笑顔を絶やさない少女なのだとか。
最後に、支援のお願いがありました。
政府の支援はあっても、高価な薬代や入退院の費用を、両親だけでは捻出できないのだそうです。
私は、すぐにメールを出しました。「わずかですが、チンタナー基金へ募金したいと思っています。」と書いて。
9月26日、会から返事が届きました。
彼女はスコータイ大学の4年生で、もうすぐ卒業なのだそうです。
会からは、毎月2千バーツ(約6,400円)を支援しているとのこと。
私はさっそく、1万バーツを振り込みました。
10月6日、チンタナーさん本人が書いたお礼の手紙と、手作りの携帯電話入れが届きました。
彼女はこういうものを作って売って、わずかな稼ぎを得ているのでしょう。
手紙は、こういう書きだしから始まっていました。
「こんにちは、ご支援者様。
私はチンタナー・コンマンです。貴方が慈愛を持って私を支援してくださったことを知り、とても嬉しくて感激しています。」
そして彼女が、これまでどういう生活を送ってきたかが書かれていました。
そして、こんなことが書かれていました。
「私は、学んできたことを直接活かして仕事に就くことができません。ですが、学んできたことは確かに私の身についているし、私にできる仕事に活かす事ができるはずだし、一生、使っていけるものだと信じています。
私に慈愛と真心を与えてくださいまして、どうもありがとうございます。貴方のご支援は私にとって特別な価値があるものです。貴方から励ましを頂き、毎日を良く生きていくためがんばる力が湧いてきます。」
2007年1月17日に私は、久しぶりにチンタナーさんの様子を尋ねるメールを会へ送りました。
1月19日、突然、会の担当者の方から私の携帯電話へ連絡がありました。
チンタナーさんは危篤状態で、ICU(集中治療室)に入っていると言うのです。
これが最後かもしれないので、来て、会ってくれませんか、というものでした。
しばらく考えさせてもらい、私は返事のメールを出しました。
「突然のことで、頭が混乱しました。一瞬、これが最後のチャンスなのかもしれないと思い、会いに行ってあげればどれだけ喜ぶだろうかとも思いました。
しかし、やはり会わないでおこうと思いました。それほど強い理由があるわけではありませんが、会えば特別な人になってしまうことを恐れているのです。
支援者は、いずれ忘れ去られるのが良いのだと、私は思っています。ですから重荷にならないように、いつまでも心の中の足長おじさんであればよいと。」
その日の夜、担当者からメールがありました。
彼女はすでに3日間も意識が戻らず、その日のうちにICUを出されてしまったのだそうです。
つまり、医者ももうあきらめて、あとは死を待つばかりとなったのです。
その連絡を受けて、私もメールを書きました。
「「1000の風」という話題になった詩を思い出しました。彼女はきっと、思う存分に生きたのでしょう。もう十分と言って、去っていくのだと思います。
しかし、彼女はいなくなってしまうのではなく、1000の風になって、私たちの周りに居続けるのだと思います。
この人生の中で、彼女の人生の一端に触れることができたのは、私にとっても貴重な体験でした。心からありがとうと言いたい気持ちです。おそらく、彼女を支えてこられた全ての人が、同じ気持ちなのでしょう。」
1月23日、私は会社の幹部ミーティングで、彼女のことについて話しました。
どんな境遇であってもそれを受け入れ、明るく真っ直ぐに生きたタイ人女性がいることを、スタッフに知ってもらいたかったのです。
その日の午後、会の担当者からメールが届きました。
チンタナーさんは、その日の未明に、亡くなられたのだそうです。
私は、その知らせを受けて、メールを書きました。
「ご連絡いただき、ありがとうございました。チンタナーさんは、不自由になった肉体を捨て去って、1000の風になって卒業式に参列されるのかもしれませんね。
チンタナーさんには、勇気とか、生きる力とか、そういったものをたくさんもらったような気がします。どっちが支援者かわからないですね。
今日ちょうど、チンタナーさんのことを、当社の幹部クラスのミーティングの場で話をしたところだったのです。どんな環境に生まれても、精一杯生きることができる。自分らしく精一杯生きることを、スタッフに対して話したのです。
チンタナーさんには、心からありがとうと言いたいです。また、この出会いを作ってくださった皆様方にも、心から感謝しております。」
わずか4ヶ月ほどの関係でした。
いえ、関係と呼べるほどのものだったのかどうか。
私とチンタナーさんは、一度も顔を合わせていないし、手紙も1回受け取っただけです。
それなのに、今でも忘れることができないほど、彼女のことが私の心に残っています。
彼女のことを思い出せば、すぐにも涙が溢れてきます。
それは可愛そうだという同情の涙ではなく、出会えたことへの感動なのだと思うのです。
あの痩せ細った体で、薬の副作用など、どれほど苦しかったでしょう。
同世代の友達と同じように生きられないことに、どれほどもどかしく感じたことでしょう。
けれども彼女は、自分自身の境遇を受け入れ、前向きに明るき生きたのです。
大学で学んでもそれを活かせる仕事に就けないこともわかりながら、それでも一所懸命に学んだのです。
できればせめて、あと数ヶ月後の卒業式まで生きさせてあげたかった。
タイ人にとっては、一世一代の晴れ姿である大学の卒業式。
王室関係者から直接、卒業証書を手渡しされるという栄誉。
でも、彼女は待たなかったのです。
もう充分だと思ったのでしょう。
彼女は私に、本当に素晴らしい贈り物を残してくれました。
もし私に忍耐とか勇気があるとすれば、それは彼女がくれたものです。
すぐにへこたれそうになる私を、彼女は叱ることも励ますこともなく、ただにこやかに見守っていてくれる気がします。
「そうか、見ていてくれるんだね。じゃあ、もうちょっと頑張るかな。こんなことでへこたれてたら、あの世であなたに会わせる顔がないから。」
彼女は、かわいそうな少女ではありません。
私にとっては、私のためにこの世にやってきてくれた天使なのです。
だから私も、彼女のように生きようと思うのです。
チンタナーさん、あなたのことが大好きです。
※この記事の内容は、以前に書いた記事「あなたが示してくれた前向きな心を忘れない」と同じものです。
誰にでも、運命的な出会いと思えるものがあります。
これは私の、運命的な出会いのひとつです。
あれは、2006年9月21日のことでした。
貧しい子どもたちの支援をしているボランティア団体の会報誌に、気になる記事が載っていたのです。
大きな白黒の写真には、小さなミシンを目の前に置いた痩せ細った少女の姿が写っていました。
少女は、ただひたすらに縫い物をしているようで、その横顔から表情を伺うことはできません。
かろうじて、部屋の向こう側にある鏡に少女の顔が写っていますが、これもピンボケのため、どんな顔なのかもわかりません。
わかるのは、ただおそろしく痩せこけているということ。
記事には、いわゆるクロントイのスラムに暮らすチンタナー・コンマンさん23歳とありました。
世界的にも珍しい心肺同時移植手術を13歳で受けたものの、余命3年と診断され、高価な免疫抑制剤を飲みながら、激しい副作用とたたかっているのだと。
治療費は国などが出してくれているようですが、彼女は自分が勉強するノート代くらいは自分で稼ぎたいと、アルバイトをしているのだそうです。
両親の経済的な負担を減らしたいという思いもあったでしょう。
体調が悪くて苦しい時でも、彼女は弱音をはかない。いつも明るく、笑顔を絶やさない少女なのだとか。
最後に、支援のお願いがありました。
政府の支援はあっても、高価な薬代や入退院の費用を、両親だけでは捻出できないのだそうです。
私は、すぐにメールを出しました。「わずかですが、チンタナー基金へ募金したいと思っています。」と書いて。
9月26日、会から返事が届きました。
彼女はスコータイ大学の4年生で、もうすぐ卒業なのだそうです。
会からは、毎月2千バーツ(約6,400円)を支援しているとのこと。
私はさっそく、1万バーツを振り込みました。
10月6日、チンタナーさん本人が書いたお礼の手紙と、手作りの携帯電話入れが届きました。
彼女はこういうものを作って売って、わずかな稼ぎを得ているのでしょう。
手紙は、こういう書きだしから始まっていました。
「こんにちは、ご支援者様。
私はチンタナー・コンマンです。貴方が慈愛を持って私を支援してくださったことを知り、とても嬉しくて感激しています。」
そして彼女が、これまでどういう生活を送ってきたかが書かれていました。
そして、こんなことが書かれていました。
「私は、学んできたことを直接活かして仕事に就くことができません。ですが、学んできたことは確かに私の身についているし、私にできる仕事に活かす事ができるはずだし、一生、使っていけるものだと信じています。
私に慈愛と真心を与えてくださいまして、どうもありがとうございます。貴方のご支援は私にとって特別な価値があるものです。貴方から励ましを頂き、毎日を良く生きていくためがんばる力が湧いてきます。」
2007年1月17日に私は、久しぶりにチンタナーさんの様子を尋ねるメールを会へ送りました。
1月19日、突然、会の担当者の方から私の携帯電話へ連絡がありました。
チンタナーさんは危篤状態で、ICU(集中治療室)に入っていると言うのです。
これが最後かもしれないので、来て、会ってくれませんか、というものでした。
しばらく考えさせてもらい、私は返事のメールを出しました。
「突然のことで、頭が混乱しました。一瞬、これが最後のチャンスなのかもしれないと思い、会いに行ってあげればどれだけ喜ぶだろうかとも思いました。
しかし、やはり会わないでおこうと思いました。それほど強い理由があるわけではありませんが、会えば特別な人になってしまうことを恐れているのです。
支援者は、いずれ忘れ去られるのが良いのだと、私は思っています。ですから重荷にならないように、いつまでも心の中の足長おじさんであればよいと。」
その日の夜、担当者からメールがありました。
彼女はすでに3日間も意識が戻らず、その日のうちにICUを出されてしまったのだそうです。
つまり、医者ももうあきらめて、あとは死を待つばかりとなったのです。
その連絡を受けて、私もメールを書きました。
「「1000の風」という話題になった詩を思い出しました。彼女はきっと、思う存分に生きたのでしょう。もう十分と言って、去っていくのだと思います。
しかし、彼女はいなくなってしまうのではなく、1000の風になって、私たちの周りに居続けるのだと思います。
この人生の中で、彼女の人生の一端に触れることができたのは、私にとっても貴重な体験でした。心からありがとうと言いたい気持ちです。おそらく、彼女を支えてこられた全ての人が、同じ気持ちなのでしょう。」
1月23日、私は会社の幹部ミーティングで、彼女のことについて話しました。
どんな境遇であってもそれを受け入れ、明るく真っ直ぐに生きたタイ人女性がいることを、スタッフに知ってもらいたかったのです。
その日の午後、会の担当者からメールが届きました。
チンタナーさんは、その日の未明に、亡くなられたのだそうです。
私は、その知らせを受けて、メールを書きました。
「ご連絡いただき、ありがとうございました。チンタナーさんは、不自由になった肉体を捨て去って、1000の風になって卒業式に参列されるのかもしれませんね。
チンタナーさんには、勇気とか、生きる力とか、そういったものをたくさんもらったような気がします。どっちが支援者かわからないですね。
今日ちょうど、チンタナーさんのことを、当社の幹部クラスのミーティングの場で話をしたところだったのです。どんな環境に生まれても、精一杯生きることができる。自分らしく精一杯生きることを、スタッフに対して話したのです。
チンタナーさんには、心からありがとうと言いたいです。また、この出会いを作ってくださった皆様方にも、心から感謝しております。」
わずか4ヶ月ほどの関係でした。
いえ、関係と呼べるほどのものだったのかどうか。
私とチンタナーさんは、一度も顔を合わせていないし、手紙も1回受け取っただけです。
それなのに、今でも忘れることができないほど、彼女のことが私の心に残っています。
彼女のことを思い出せば、すぐにも涙が溢れてきます。
それは可愛そうだという同情の涙ではなく、出会えたことへの感動なのだと思うのです。
あの痩せ細った体で、薬の副作用など、どれほど苦しかったでしょう。
同世代の友達と同じように生きられないことに、どれほどもどかしく感じたことでしょう。
けれども彼女は、自分自身の境遇を受け入れ、前向きに明るき生きたのです。
大学で学んでもそれを活かせる仕事に就けないこともわかりながら、それでも一所懸命に学んだのです。
できればせめて、あと数ヶ月後の卒業式まで生きさせてあげたかった。
タイ人にとっては、一世一代の晴れ姿である大学の卒業式。
王室関係者から直接、卒業証書を手渡しされるという栄誉。
でも、彼女は待たなかったのです。
もう充分だと思ったのでしょう。
彼女は私に、本当に素晴らしい贈り物を残してくれました。
もし私に忍耐とか勇気があるとすれば、それは彼女がくれたものです。
すぐにへこたれそうになる私を、彼女は叱ることも励ますこともなく、ただにこやかに見守っていてくれる気がします。
「そうか、見ていてくれるんだね。じゃあ、もうちょっと頑張るかな。こんなことでへこたれてたら、あの世であなたに会わせる顔がないから。」
彼女は、かわいそうな少女ではありません。
私にとっては、私のためにこの世にやってきてくれた天使なのです。
だから私も、彼女のように生きようと思うのです。
チンタナーさん、あなたのことが大好きです。
※この記事の内容は、以前に書いた記事「あなたが示してくれた前向きな心を忘れない」と同じものです。
2014年01月27日
スピリチュアルソリューション
ディーパック・チョプラ博士の本です。
博士のことは噂ではよく聞いていましたが、これまで著書を読む機会がありませんでした。
ふとそのことを思い出し、まずは1冊読んでみようと思い立って、この本を買ってみました。
医者のチョプラ博士がスピリチュアルなことを話されるのは、ちょっと違和感があるというのが正直な感想です。
しかし、この本を読んで驚いたのですが、ものすごく深い悟りを得ておられる方なのだなあと感じました。
ニューデリー生まれでアメリカの大学を出られ、アメリカに住んで活躍されているとのこと。
このことからも、生粋のクリスチャンとはまた違った宗教観と言いますか、精神性(スピリチュアリティー)があるように思うのです。
「自分の感情に気づくことはより大きな気づきへの第一歩ですが、さらに難しい次のステップは、その感情を受け入れることです。それを受け入れ、その責任を受け止めるのです。」(p.25)
「解決にいたるための最も実用的な方法は、スピリチュアルであることです。なぜなら、人が変えられるのは物の見かただけだからです。あなたの目がふさがれていることがもっともよくないのです。」(p.28)
「人と関係を持つことは、その人と手を携えて自分自身を探求するための旅なのです。お互いに責任を引き受け合うことができたとき、なによりも大きな満足がやってきます。」(p.48)
「最初の一歩は、幻想から目覚めることです。距離を置いてものごとを考え、あなたは、自分の存在の基になっているものについて無知であると認めるのです。知らないという事実に身をゆだねることによって、あなたは流れ込んでくる知識を受け入れることができます。」(p.103)
「私が提案する基本的な原則は、「幸福とは、あなたが毎日を幸せにすることによってつくられる」ということです。」(p.122)
「完全な意識というのは、二つの要素がある状態です。あなたはあなた自身を個人と見ていますが、魂という一つの大きな状態にも属しているのです。」(p.154)
気になったところを一部だけ引用してみましたが、これを読んでみても、いかに「神との対話」シリーズなどと同じようなことが語られているかがわかると思います。
人類の精神性は解放されつつあり、こういった気づきが万人のものになるのも、そう遠くない未来かもしれません。
なお本書は、問題が起こった時のスピリチュアルな解決方法として書かれたものです。
具体的な相談事に対して、博士が回答した事例がたくさん載っています。
ただ、具体的にこうしなさいという部分はわかっても、なぜそうなのかとか、かなりわかりづらい部分も多いと思います。
言葉としては頭に入ってきても、その意味が理解しづらいのです。
これは翻訳の問題なのか、それとも精神性を高めないと理解できないのかわかりませんが、そういう面でとっつきにくい感じがするかもしれません。
けれども、他にも多くの著作があり、ベストセラーもたくさんあるそうですから、多くの人から支持されているのは間違いないでしょう。
2014年01月28日
人とお金
斎藤一人さんの本です。
この本で一人さんは、世の中にはいわゆる「いい人」が大勢いるけど、こういう人たちが必ずしも成功しているわけではない、と言います。
なぜかと言うと、さらに学ばなければならない2つのことを、まだ学んでないからだと。
それが「お金のこと(経済)」と「人間関係」だと言うのです。
本書は、その「お金のこと(経済)」と「人間関係」について、学ばなければならないことを伝えるという目的で書かれています。
特に「これからの100年は「経済の時代」になるからね」と言われて、お金に強くなることが重要だと言います。
その手始めは、「お金の流れに「マイナスの波動」をつけないようにするんだよ」と言われて、収入より支出が多くならない暮らし方を勧めます。
しかし、収入には波があるもの。上手く行くときもあれば、上手くいかないときもあります。
ですから上手く行っているときは貯金をして、上手くいかないときのために備えるのだと説明します。
「仕事がうまくいったときは笑顔で定食を食べて、仕事がうまくいかないときもフランス料理を食べられる」(p.37)
このことに関連して以前、何かの本で読んだのですが、「財布の底が見えないお金の使い方をするのが良い」という話がありました。
それで私も、そういうお金の使い方を心がけています。
たとえば、給料が入ったら派手に使い、心細くなると倹約するというのが、「財布の底が見えるお金の使い方」です。
一方、まだいくら余裕があるのかわからないような使い方、つまり、普段は倹約しているのに、いざとなったら大金を払えるという使い方が、「財布の底が見えないお金の使い方」ですね。
そういう意味からすると、先ほどの支出が収入を上回らないようにというのも、程度の問題がありそうです。
充分に蓄えがあるなら、いざというときはそれを切り崩して使うべし、ということなのかなあと思いました。
また人間関係では、まず自分のやる気を出すために、自分の「あたりまえ」を褒めることを勧めています。
そうすることで「ほめ回路」というものができるそうで、それができると「やる気」が途切れることなく湧き出すそうです。
これなどはまさに「鏡のワーク」ですね。
どうも自信が持てないとか、他人の目が気になるという人は、ぜひ「鏡のワーク」を実践してみてください。
他には、人間関係の悩みの大半は、「人が自分の思い通りにならないこと」なのだそうです。
これはお釈迦様が八苦であげられたことと符合しますね。
それなのに相手を変えようとするから、さらに苦しむのです。
「変えることができるのは、自分だけ」(p.105)
そう腹をくくることだと一人さんは言います。
相手を、今のままでよいと受け入れることで、生きることが楽になるのだと。
こんなわかりやすい、それでいて本質的な話が詰まっている本です。
講演のCDもついてますよ。
2014年01月29日
お褒めの言葉をいただきました
昨日、私が勝手にメンターだと思って私淑している吉江勝さんが、メルマガに私のことを取り上げてくださいました。
私がメルマガの感想として送った内容や、先日のセミナーのことをとりあげてくださいました。
本当にありがたいことだと思います。
※メルマガの内容は、こちらのブログに載っています。
→ スーパービジネスマン養成講座「人生は教えるためにある」
セミナーでは、「神との対話」シリーズで言われていることの中で、私が「これはその通りだ」と感じたことを、なるべくわかりやすく伝えようと努めました。
「わかりやすく」というのは、1つは論理的に筋が通っている、ということです。
私自身が理屈っぽい人間ですから、理屈が通らないことは受け入れにくいのです。
もう1つは、具体的にイメージできる、ということです。
どんなに論理的でも、抽象的な話はわかりづらいですよね。
ですから、理論はこうで、その実例はこう、というように、理論が具体的なイメージとしてとらえられるよう、考えながら話をさせていただいたつもりです。
そうすることで、アマゾンのレビューなどでも「難解だ」と言われる「神との対話」シリーズが、もっとわかりやすいものになると思ったのです。
「大絶賛されていました」というのは、少々オーバーな感じもしますが、素直にありがたく評価を受けたいです。
少なくともこれで、一歩を踏み出したことには違いありませんから。
そしてこの評価を励みにしながら、さらに上に進みたいと思います。
「神との対話」シリーズにもありますが、人間関係においては、自分の中により進化成長した姿を見て、そうなることが重要だとあります。
他人を変えることはできないので、自分が変わってみせるのです。
私も、この「神との対話」シリーズで言われていることを多くの人にわかりやすく伝える中で、自分自身を進化成長させていきたいと思っています。
私がメルマガの感想として送った内容や、先日のセミナーのことをとりあげてくださいました。
本当にありがたいことだと思います。
※メルマガの内容は、こちらのブログに載っています。
→ スーパービジネスマン養成講座「人生は教えるためにある」
セミナーでは、「神との対話」シリーズで言われていることの中で、私が「これはその通りだ」と感じたことを、なるべくわかりやすく伝えようと努めました。
「わかりやすく」というのは、1つは論理的に筋が通っている、ということです。
私自身が理屈っぽい人間ですから、理屈が通らないことは受け入れにくいのです。
もう1つは、具体的にイメージできる、ということです。
どんなに論理的でも、抽象的な話はわかりづらいですよね。
ですから、理論はこうで、その実例はこう、というように、理論が具体的なイメージとしてとらえられるよう、考えながら話をさせていただいたつもりです。
そうすることで、アマゾンのレビューなどでも「難解だ」と言われる「神との対話」シリーズが、もっとわかりやすいものになると思ったのです。
「大絶賛されていました」というのは、少々オーバーな感じもしますが、素直にありがたく評価を受けたいです。
少なくともこれで、一歩を踏み出したことには違いありませんから。
そしてこの評価を励みにしながら、さらに上に進みたいと思います。
「神との対話」シリーズにもありますが、人間関係においては、自分の中により進化成長した姿を見て、そうなることが重要だとあります。
他人を変えることはできないので、自分が変わってみせるのです。
私も、この「神との対話」シリーズで言われていることを多くの人にわかりやすく伝える中で、自分自身を進化成長させていきたいと思っています。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。