今日は、タイの王様の86歳の誕生日です。
王様は国民のお父さんのようなものだから、今日は父の日でもあります。ということで祝日です。
最近は、新しいサイトを作ったりして忙しくしていました。
それでここのところ、このブログの更新がサボり気味なのですが、ご容赦ください。
新しいサイトはこちらです。
→「「神との対話」を人生に活かす」
私がもっとも影響を受けた「神との対話」シリーズについて、書いていこうと思っています。
今日は、セブン-イレブンで買った昼食を食べました。
タイの弁当は、やはりタイ料理です。おかずは、ゲーン・キァオ・ワーン(グリーンカレー)とトート・マン・プラー(魚のすり身揚げ=ピリ辛さつま揚げ)です。
どちらも辛めのおかずです。
さらに副菜として、すっぱ辛いソーセージを買いました。これ、私の好物なのです。
しめて82バーツ。約260円の昼食でした。
明日は普通に出勤日です。
明日も頑張ろうっと。
2013年12月05日
2013年12月07日
1/4の奇跡
かっこちゃんこと山元加津子さんの本です。
と言うより、山元加津子さんの講演や関係する人たちの文章をまとめたような本ですね。
DVDもついていて、本にも収められているかっこちゃんの講演を観ることができます。
タイトルにある「1/4の奇跡」は、自主上映映画のタイトル「1/4の奇跡〜本当のことだから〜」にもなっています。
これがどういう意味なのか、この本でも明らかにされています。
詳しくは本を読んでいただくとして、簡単に言えば、遺伝の話です。
血液型で説明するとわかりやすいですが、たとえばA型の人は、厳密にはAA型とAO型に分かれます。これは染色体が2本で1対になっていて、両親からそれぞれ1本ずつもらって、子どもの染色体になるからです。
この例では、父親がAO型(A型)で母親がBO型(B型)の場合、子どもはAO型、BO型、AB型、OO型(O型)の4種類が同じ確率で生まれることになります。
つまり、どの型になるかは1/4の確率だということなのです。
血液型では、A型やB型になる遺伝子は優性遺伝で、それらがないO型は劣性遺伝です。
O型は劣性遺伝ですから、OO型となったときだけ表面に現れます。つまりO型として認識されます。
しかし、A型やB型の人の中にもO型遺伝子は入っていて、次の世代に引き継がれます。
これを前提知識として、本の内容を簡単に説明しましょう。
アフリカの黒人には鎌状赤血球症という遺伝病が多いのですが、これは劣性遺伝です。
そして、この鎌状赤血球症の遺伝子を持っていると、マラリアに強い体質になります。
しかし、その遺伝子のある染色体を2本持ってしまうと、障害をともなう鎌状赤血球症を発病しやすく、ひどい苦しみを味わいながら、早く亡くなることになるのです。
このことから、黒人がマラリアで全滅しなかったのは、鎌状赤血球症の遺伝子を伝えてきたからだと言えるわけです。
つまり1/4の確率で大変な障害を負うことがわかっていても、種族としての全滅を避けるためには、それが必要だったのだと。
障害を持って生まれる人は、種族をマラリアから守るためにその1/4を引き受けた人だと言うのです。
だから、みんなで1つの生命を守っているのであって、障害があるから不要な人ではない、ということなのです。
このことが、あらゆることに言えるのではないかと、かっこちゃんは考えているようです。
もしそうでないなら、とっくに障害者は生まれてこなくなったはずだからと。
そして、もっと言うなら、様々な困った人というのも、同じように全体から見れば必要な人だと言うことなのです。
たとえば、遅刻を繰り返す人とか、トラブルメーカー的な人が、どんな組織にもいます。
でも、そういう人を排除すれば良い組織になるかと言うと、必ずしもそうではありません。
残った人の中から、また困った人が出てくるのです。
だから困った人を排除するのではなく、その人も受け入れて、それで全体として存在できているのだと認識を変えることが重要なのです。
この本を読みながら、あるいはDVDを観ながら、何度泣いたことでしょう。
「あなたのことが大好きです。だい、だい、大好きです。」
触れ合うすべての人に、そう言ってあげたい気持ちになりました。
2013年12月09日
地球が天国になる話
斎藤一人さんの、最高にぶっ飛んだスピーチが収録された本です。(笑)
そのスピーチのCDも2枚ついています。
2006年の出版というのですから驚きです。一人さんはもう以前から、ここまで踏み込んだことを言われるようになったのですね。
冒頭に、まずこういうことを言われます。
「今から、みんなが幸せになる話をします。これしか不幸から抜け出す道がないということで、この話をします。
非常に簡単な話なんですけど、わかってくれる人が少ないです。百人に一人わかってくれればいいと思って話します。」(p.10)
最初からこのように予防線を張って、理解し難いけれども本当のことだと言われるのです。
そのまず最初は、「人は何度も生まれ変わる」(p.10)と言うことです。
それから、「親というものを自分で選ぶ」(p.11)と言うことも。
なぜそうかと言うと、その1つに人生は修行だからということがあるのだそうです。
何の修行かと言うと、それは「劣等感の克服」(p.11)という修行なのだと。
このあと、すべての問題の根本原因が、この劣等感にあるという話をされます。
そしてその劣等感の原因は恐れであると言われます。
だから、恐れをなくして、劣等感をなくせば、誰もが幸せになれるということなのです。
実に本質的で、的を射た話だと思います。でもきっと、一人さんが言われるように理解できる人は少ないのでしょうね。
「それよりなぜ自分をそんなにいじめるんですか。あなたは自分をいじめているんだよ。
威張っている人も、あなたは本当は自分をいじめているんだよ。
何を恐れているんですか。
恐れより愛を出してください。」(p.111)
こう言われて、愛を出すために天国言葉を使うことを勧めます。
天国言葉とは、以下の言葉です。
「ついてる、うれしい・楽しい、感謝してます、しあわせ、ありがとう、ゆるします」(p.135)
この本のCDを百回聞いてほしいと一人さんは言います。
そうすれば、この内容が自然と自分の中に入ってきて、自分のものになるから。
この考え方が浸透すれば、世界は平和になり、地球は天国になると、私も思います。
2013年12月10日
スタートライン
ご存知、喜多川泰さんの小説です。今回も、Kindle版の電子書籍で読みました。
これまで読んだ本の多くは、文章(手紙や本)で生き方を伝えるパターンが多かったのですが、今回は少し違っていました。
高校生の男の子と女の子が、互いに惹かれ合いながら、なかなか本心を言えないもどかしさなどが描かれていて、まるで恋愛小説のようです。
そして、喜多川さんが得意とする仕掛けがあって、劇的なクライマックスへ。単純に小説として楽しめます。
しかし、恋愛モノとしてハラハラ・ドキドキしながら読める楽しさもありますが、随所に生き方に関する素敵なメッセージが散りばめられています。
やはりこれがないと、喜多川さんの小説とは言えませんからね。
「向かい風が強いいうことは、前向いて走ってる証拠や。胸を張ってええ」
「たしかに、今、君がおらんなっても何もかわらんかもしれん。
でも、君が生きておれば
世の中は大きく変わるいうことを忘れちゃいかんぞ。」
「五年後の自分の可能性を舐めるなよ」
「自分の心にブレーキをかけているのは
自分自身だってことに気づいてない。」
「本気でやれば何だって面白い。
そして、本気でやっているものの中にしか、夢は湧いてこない。」
「本気で生きる人には、必ずその夢の実現を応援する人が現れる。」
「目の前のことに本気で生きれば、奇跡が起こる。
でも、本当は、それは奇跡ではなく、あたりまえの出会いなんだ。」
「せっかくの一度っきりの人生だ。
ひとつくらいは、誰もが無理ってあきらめるような
簡単には手に入らないようなものを
追い求めて生きていこうぜ、お互いに」
「だから、その不安には、胸を張っていい。自分は挑戦してるんだって」
「そう、わたしたちの未来は、わたしたちが思っている以上に
劇的で、感動的で、奇跡的な脚本を用意して待っているんだ!」
これらの言葉が、感動とともに私の心の中にスーッと入っていきます。
そうだなあ。人生は捨てたもんじゃない。ぶきっちょでもいいから、今、目の前のことに、本気になってみよう。そうすれば、必ず素晴らしい人生になるから。
そう、しみじみと思いました。
2013年12月13日
今年もあと半月ほど
師走ですねえ。年の瀬ですねえ。
タイで暮らしていると、あまり正月気分にならないのですが、確実に来年になりそうです。(笑)
この時期、年賀状で忙しい方も多いと思います。
私はもっぱら、WEBサイトで年末年始の挨拶を済ませています。
手抜きっぽく聞こえますが、けっこう力を入れて作るんですよ。
そのアドレスを関係する方々に送って、好きなときに見ていただこうという感じです。
この1年間の出来事とか、来年の抱負とか、写真入りで文章も長いです。
なかなか全部を読む人も少ないと思いますが、私の友人などは、毎年楽しみにしているよと言ってくれます。
親戚のおじさんやおばさんで、E-mailをされてない方々には、手書きのハガキを送ります。
タイからハガキを送るのですが、郵便代は日本国内から送るより安くなるんです。
とは言え、やはり1枚1枚手書きにするのは大変なことですよ。
そんなに長くは書けませんから、「あけましておめでとうございます」と書いた後で、何を書こうかと悩みます。
今年もそろそろ書いて送らないといけませんね。
遅くともクリスマスまでには書こうと思っているのですが、毎年、ギリギリになってしまうので。
今朝、ベランダを見たら、鉢植えの木に花が咲いていました。
きれいに、しかも大きな花を咲かせました。
思わず見とれて、出勤時刻に遅れそうになりましたよ。(笑)
でも、花ってすごいですね。
何もないところから、こんなにきれいな花が咲くのですから。
先日、つぼみが膨らんでいたので、もうすぐだなあとは思っていたのですけどね。
この花も、数日で枯れてしまいます。
いったい誰のために咲くのか、何のために咲くのか、不思議な気がします。(種ができないので)
先日は、別の鉢の観葉植物も花を咲かせました。
この鉢が花を咲かせるのは初めてです。
1年位前は、葉っぱも4〜5枚くらいになってて、もう枯れてしまうかもと思っていた鉢です。
それがこんなに立派になって、みごとな花を咲かせました。
本当に嬉しかったです。
他にも、丸い実のようなものを度々つける植物とか、葉っぱがくるくるっと巻かれた状態で伸びてくる植物だとか、私の目を楽しませてくれる鉢が置いてあります。
この植物たちに、毎日声を掛けて、水をやっています。
愛着が湧くというか、その会話が楽しくなります。
植物たちと話をするというのは、本当にいいものですよ。
タイで暮らしていると、あまり正月気分にならないのですが、確実に来年になりそうです。(笑)
この時期、年賀状で忙しい方も多いと思います。
私はもっぱら、WEBサイトで年末年始の挨拶を済ませています。
手抜きっぽく聞こえますが、けっこう力を入れて作るんですよ。
そのアドレスを関係する方々に送って、好きなときに見ていただこうという感じです。
この1年間の出来事とか、来年の抱負とか、写真入りで文章も長いです。
なかなか全部を読む人も少ないと思いますが、私の友人などは、毎年楽しみにしているよと言ってくれます。
親戚のおじさんやおばさんで、E-mailをされてない方々には、手書きのハガキを送ります。
タイからハガキを送るのですが、郵便代は日本国内から送るより安くなるんです。
とは言え、やはり1枚1枚手書きにするのは大変なことですよ。
そんなに長くは書けませんから、「あけましておめでとうございます」と書いた後で、何を書こうかと悩みます。
今年もそろそろ書いて送らないといけませんね。
遅くともクリスマスまでには書こうと思っているのですが、毎年、ギリギリになってしまうので。
今朝、ベランダを見たら、鉢植えの木に花が咲いていました。
きれいに、しかも大きな花を咲かせました。
思わず見とれて、出勤時刻に遅れそうになりましたよ。(笑)
でも、花ってすごいですね。
何もないところから、こんなにきれいな花が咲くのですから。
先日、つぼみが膨らんでいたので、もうすぐだなあとは思っていたのですけどね。
この花も、数日で枯れてしまいます。
いったい誰のために咲くのか、何のために咲くのか、不思議な気がします。(種ができないので)
先日は、別の鉢の観葉植物も花を咲かせました。
この鉢が花を咲かせるのは初めてです。
1年位前は、葉っぱも4〜5枚くらいになってて、もう枯れてしまうかもと思っていた鉢です。
それがこんなに立派になって、みごとな花を咲かせました。
本当に嬉しかったです。
他にも、丸い実のようなものを度々つける植物とか、葉っぱがくるくるっと巻かれた状態で伸びてくる植物だとか、私の目を楽しませてくれる鉢が置いてあります。
この植物たちに、毎日声を掛けて、水をやっています。
愛着が湧くというか、その会話が楽しくなります。
植物たちと話をするというのは、本当にいいものですよ。
2013年12月14日
マザー・テレサの「愛」という仕事
ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサさんの本です。
と言っても、マザーが書かれたわけではありません。マザーはとても忙しい方だったので、手紙の返信さえ、なかなかできないほどだったのですから。
その代わり、あちこちで話されたことが録音テープに残されていたそうです。
それをホセ・ルイス・ゴンザレスーバラド氏とジャネット・N・プレイフット氏が編者としてまとめ、山崎康臣氏が翻訳した本なのです。
この本は1998年に出版されています。
実は、私はこの本を10年以上前に一度読んでいます。10月に帰省した時に実家の本棚に置かれていたこの本を見つけ、なぜだか「これは読むべきだ」と感じました。
それで持ち帰って、昨日、読み終えたということなのです。
もう、内容はすっかり忘れていました。けれども改めて、マザーの心に触れたような気持ちになりました。
「貧しい人たちは、素晴らしい人でしょう?
彼らに同情は必要ありません。憐みも要りません。
彼らは素晴らしいのです。
彼らはとても魅力的です。」(p.39)
「私はシスターたちに、いつもこう話します。
「あなた方は貧しい人に奉仕していますが、奉仕している相手は、本当はキリストなのです。あなた方が手当してあげているのはキリストの傷です。あなた方はキリストの手足に包帯を巻いているのです。あなた方が消毒しているのはキリストの腫物(はれもの)です。外観に惑わされてはなりません。その向こうにある真実を見るのです。はるか昔、イエス様がおっしゃった言葉を覚えていますか?その言葉を今こそ思い出してください。イエス様はこうおっしゃいました。『私にそうするように、小さき者にもそうしなさい』と。あなた方が貧しい人に仕えることは、私たちの主イエス・キリストに仕えることなのですよ」」(p.96 - 97)
貧しい人に奉仕することで、彼らの中にキリストを見出すマザーは、彼らを憐れんだりはしません。
奉仕することが幸せ。そこで気付かされる愛によって、喜びに満ちた日々だと言うのです。
私たちは、自分たちよりかわいそうな人を見ると、つい同情しがちです。そして心を痛めたりします。
若いシスターには、そうなってしまう人もいたようで、マザーはそれに対してこんなふうに言います。
「喜びで祈るのです。喜びは力であり、愛なのです。喜びは人の魂を包み込んでくれるはずです。いわば、愛で紡(つむ)いだ網(あみ)だといえるかもしれません。明るく奉仕する人を、神は愛してくださいます。喜んで奉仕する人に、神は力を、そして愛を与えてくださいます。何事も喜んで受け入れることです。それが神への感謝を、そして人々に対する感謝を表す最善の方法です。」(p.109)
安岡正篤氏も、「喜神を含む」ということを言われています。
どんな苦難にぶち当たっても、心のどこかに、それを楽しむような気持ちを持つことが重要なのだということです。
「私たちがこの仕事をしていることが素晴らしいのではなく、仕事をすることによって幸せを感じることができるのが素晴らしいのです。それはまさに奇跡と言えるでしょう。」(p.200)
また、世界的な戦争や飢餓といった問題に対して、私たちの力はあまりに弱く、時として無力感を感じてしまうかもしれません。
そういった世界規模の大事業とも言える問題に当たるに際して、マザーはこういうように言います。
「飢餓は大きな問題です。しかし問題を見つめたからといって答が出るわけではありません。私たちは実際に行動しなければならないのです。一人を救うことから始めましょう。一人の人に幸せと安心を与えてあげることは、大きな価値のあることです。」(p.131)
昔から「千里の道も一歩から」と言うように、大きな目標を前に呆然として何も行動を起こさないのでは、いつまでたっても目標に到達しません。
まずは目の前の第一歩を踏み出すことです。
私たちの営みが、仮に大海の一滴だったとしても、それはかけがえのない一滴なのですから。
2013年12月16日
一瞬で幸せになる方法
フォーク歌手の阿部敏郎さんが、平成17年に沖縄県中城村(なかぐすくそん)の公民館「吉の浦会館」で行った講演をまとめた本です。
それまで浜松の禅寺で、志を同じくする禅僧と一緒に行っていた「いまここ塾」を、沖縄で行うことになったのです。
その講演の内容は、阿部さんの身に突然に起きた大いなる気づきに関するもので、それは次のようなメッセージになります。
「僕たちが同じ一つのものであること。
僕たちが想像を超えた愛によって、いつも見守られていること。
僕たちは決して死ぬことのない、永遠の存在だということ。
何が起きても、たとえ死んでも、大丈夫だということ。
すべての人は、最初の最初から救われているということ。」(p.2)
読み始めて、私は驚きを隠せませんでした。
まさに「神との対話」シリーズで語られていることを、ここまではっきりと言っている日本人がいた。それが驚きでした。
そして、そんなこともまったく知らずに始めた私の活動は、まさに阿部さんの志と同じだったということです。
「劣等感があるから、僕たちは自分を信じられなくなっちゃった。そして自分が信じられなくなったから、自分の考え、自分の感じ方、自分の瞬間の選択は、間違っているかもしれないと思ってしまった。」(p.58)
劣等感が問題の原因だという話は、先日紹介した斎藤一人さんの「地球が天国になる話」でも書かれていたことです。
劣等感によって、自分らしく生きるという選択肢を、自分で排除してしまうんですね。
阿部さんがこういうことを言うようになったのは、30歳のころにパッと体験してしまったことが原因だと言います。
そのときの詳しい状況はわかりませんが、それによって阿部さんは翌日、芸能事務所を辞めてしまったそうです。
そこまでさせるほど、ものすごい体験だったと言うことです。
その体験を伝えるのが自分の使命だと感じて、最初は友人たちに伝えたそうです。
「六本木の飲み屋に出かけていっては、「おい、おまえ、大変だ。いいか、よく聞いてくれよ。俺は・・・・・・、おまえだったんだよ。俺たちは一つだったんだ!」。
これでずいぶん嫌われました(笑い)。」(p.190)
そこからずっと、この体験で得た悟りを、伝える活動をしているそうです。
音楽活動さえも、それを伝えるための手段なのだとも言います。
そんなすごい人がいたなんて、本当に知りませんでした。
この本のことは、「あの世に聞いた、この世の仕組み」を読んで感動して著者の雲黒斎さんのWEBサイトを見たとき、コラボしたことが書かれていたので知りました。
私も、阿部さんの話を直接聞いてみたくなりましたよ。
「神との対話」を学んでみませんか?
来年になりますが、1月13日(月)に東京でセミナーを行うことになりました。
詳細はこちらをご覧ください。
→セミナーの詳細はこちら
このセミナーでは、「幸せになる方法」をお話させていただきますが、その理論や実践について、ベストセラーとなった「神との対話」シリーズと紐付けながら、お話させていただく予定です。
「神との対話」を読んだことがないけど興味があるという方、「神との対話」を読んだけどよくわからなかったという方、あるいはただ「幸せになる方法」を知りたい方など、ぜひ参加してくださいね。
詳細はこちらをご覧ください。
→セミナーの詳細はこちら
このセミナーでは、「幸せになる方法」をお話させていただきますが、その理論や実践について、ベストセラーとなった「神との対話」シリーズと紐付けながら、お話させていただく予定です。
「神との対話」を読んだことがないけど興味があるという方、「神との対話」を読んだけどよくわからなかったという方、あるいはただ「幸せになる方法」を知りたい方など、ぜひ参加してくださいね。
2013年12月17日
成功脳
ご存知、斎藤一人さんの本です。
これは、お弟子さんの柴村恵美子さんの出版記念パーティーで話された内容を書き起こしたもので、そのCDも付いています。
ページ数で言うと、実説的には100ページ弱で、しかも文字が大きいので、30分もあれば十分に読めてしまえるほどボリュームは少ないです。
しかし、それでも「斎藤一人」と名がつくと、1,400円で売れてしまうのですから、すごいですね。
これは皮肉ではなくて賞賛です。
なぜならこれは、その内容よりも、誰が語ったかによって価値がまったく違うということを、明らかに示しているからです。
売れるということは、多くの人がそこに価値を見出しているということですから。
そんなボリュームの少ない本ですが、ここにもやはり重要なメッセージが込められています。
それはアンソニー・ロビンズ氏も言っていますが、脳は主人ではない、ということです。
私という複合体の主人は精神であって、脳はその下僕(しもべ)に過ぎないのだということ。
したがって、脳を上手に使ってやれば、思い通りの人生になるというお話なのです。
「脳をうまく乗りこなすんだよ。
わかるかい?
オレは中学を卒業して、すぐ社会に出たんだけど、それを「トクだ、トクだ」って言っているんだよ。
誰に言うかって、自分の脳に言うんだよ。」(p.60)
「例えば一人さんは商人だよな。
十六歳のときから商人をしていて、たくさん働いてきた。
それなのに、お金がないなんて、おかしいんだよ。
「どのようにおかしいか?」っていう問題じゃない。
ただ、「おかしい」の。
「おかしい」って、言っていればいいの。
あとは脳が「どうすれば、おかしくないかな」って勝手に考えだす。」(p.69 - 70)
「本来、自分に自信のない人は、
「オレにはできないけど、脳にはできる!」
そう言っていればいいんです。」(p.78)
「ともかく「まいった」しないの。
ケンカでもなんでも、「まいったか?」って聞かれて、「まいんない」って言ったヤツの勝ちなの。
だから、どこか痛くなったりしたら、「脳がさぼうろうとしてるんだ」って気づいてね。
絶対、それに負けないの。」(p.89)
このように、脳を手下のように使うことを勧めています。
なかなか面白いなあと思いました。体が痛くなったり病気になって苦しむのも、脳がさぼろうとしてるんだっていう見方は、一人さんならではですね。
最後の負けを認めないというのは、実は聖書にも書かれています。
ヤコブが天使と組み打ち(相撲のようなもの)をしたとき、もものツガイ(=股関節)を外されたにも関わらず、天使にしがみついて、祝福するまでは離さないと言い張ったのです。
それで根負けした天使がヤコブを祝福し、「あなたは今日からイスラエルと名乗りなさい」と言ったのです。
イスラエルとは、勝利者という意味なのです。
一人さんはまさに、このヤコブのように生きている人なんだなあと思いました。
そして私たちも、同じようにやれば、必ず勝利者になれるでしょう。
2013年12月19日
望んでいるものが手に入らない本当の理由
友人の紹介で知ったのですが、カウンセラーの心屋仁之助さんという有名な方がおられるのですね。
タイに住んでいると、日本のTVの情報が入ってこないので、まったく知りませんでした。
それで勧められるがままに買ったのがこの本です。
読んでみて、なるほどこれは核心をついてて素晴らしいなあと思いましたよ。
要は、不安をなくすということなのですが、その着眼点が素晴らしいです。
つまり、「良い」と「悪い」は「手の甲」と「手のひら」の関係と同じだと言います。
「手の甲」を「良い」と考えてほしがっても、手が自分に近づいてくると、ほしくない「手のひら」も一緒に近づいてきます。
それで「手のひら」を嫌って遠ざけようとすると、「手の甲」も近づいてきません。
こうして、自分が嫌うものを遠ざけようとするために、望むものが手に入らないのだと言うのです。
「「損したくない」と思えば思うほど、得が手に入りません。逆に、「損してもいい」と思うと、得がやってきます。」(p.35)
この話は、私もよくわかります。私自身がそうやって、損を受け入れるようにしてから、人生が良くなってきたという経験があるからです。
「拒否しないで受けとるということは、それをわざわざ手に入れるということではなく、ただそれを否定しないということです。」(p.49)
「不安でもいい。失敗も当たり前。力不足も当たり前。それを受け入れることが、自信への第一歩なのです。」(p.127)
よく「開き直る」ことを勧める人がいますが、まさにそういうことですね。
「私、ひどい人間ですよ。でも、それがどうしたと言うんです?」
こんな感じでしょうか。「悪い」と感じている面があることをしっかりと受け止めさえすれば、もう怖くはなくなります。
「そのしばりを解くには、怖がっているマイナスの正体をしっかりと見てしまうこと。怖がっているものの正体をちゃんと知ってしまうこと。
そして、そのマイナスは幻想だと気づくことが、いちばんの近道なんです。」(p.150)
不安は幻想なんですね。だからしっかりと見据えれば、その不安は消えるほかありません。
「確かに、怖れは心を不安定にします。
でもその怖れの最大のものは、じつはひとつです。
それは、「愛されない」ことだと僕は思います。」(p.157)
愛が感じられないと不安(怖れ)が顔を出す。
愛と不安の関係が、ここでも語られていてびっくりです。
すべてをニュートラル(中立)だと受け止め、不安を幻想だと見抜き、愛に目覚めること。
やはりこれに尽きますね。
●コメントを書く前に、こちらのコメント掲載の指針をお読みください。